2022年12月21日

はじめてのおるすばん 岩崎書店

はじめてのおるすばん しみずみちを・作 山本まつ子・絵 岩崎書店

 ひととおり読みましたが、変な感想文になりそうです。
 こどもさん向けの絵本ですが、1972年のものなので、昭和47年の作品です。かなり古い。
 時代背景や社会環境が、2022年(令和4年)の現在とはだいぶ違います。
 作者は89歳ぐらいでご存命のようです。絵を描いた女性は今年97歳ぐらいで亡くなっています。絵本は読み継がれていきます。
 絵本の最後におふたりの住所が書いてあることに時代を感じます。
 昔は個人情報が明らかでした。だれも不思議に思いもしませんでした。
 ふと思い出したのですが、昔の給料は現金払いで、給料の封筒を受け取ると、中身を確認して、給料の一覧表に受け取りましたという意味で自分の印鑑を押していました。
 一覧表には、他の人たちの給料額とか税金額、お金を借りている人は借金の返済額まで書いてありました。
 一覧表は、丸見えで、他人の欄をながめる人もいましたが、だれも自分の給料額等を隠す気もありませんでした。
 今思えば不思議な感覚でした。
 だれからもおかしいという声は聞きませんでした。
 そういうものだという思い込みがありました。

 最初、絵本のタイトルを見間違えました。
 『はじめてのおつかい』と思っていました。歳をとりました。
 『はじめてのおるすばん』です。

 おるすばんをするのは、だれかというと、まだ3歳の女の子のみほちゃんです。
 ぬいぐるみのくまと、おるすばんをします。

 ママが、ちょっとの時間だけ、外で用事をすましてくるそうです。
 (今年は、幼児が高層マンションのベランダから転落する事故が何度かありました。みほちゃんの身が心配です。でもよく考えたら、昭和47当時には、高層マンションを見かけませんでした)

 文字の大きさを変えて、恐怖を表現してあります。
 『ひとり、ひとり、ひとり、ひとり』(うまい)

 昭和40年代に母親のことを『ママ』と呼ばせる家は珍しい。みほちゃんの家は、上流階級だろうか。(『かあちゃん』が一般的でした。そう考えていたら、11ページに『かあちゃん』という言葉が出てきました)
 『ぴん・ぽーん』という玄関呼び出しチャイムの音が『びんぼー』という音に聞こえるのは、当時の、貧しい庶民の暮らしが自分にしみついているからでしょう。
 昭和40年代に玄関チャイムが付いている家は珍しかった。たいていは『ごめんくださーい』の声がけで訪問は始まりました。横に開いてあける引き戸をガラガラガラと動かして、両者の面談が始まるのでした。

 『小包でーす(こづつみ)』という郵便屋さんの声かけも、今はありません。
 日常生活の言葉から『小包』という言葉が消えました。『ゆうパック』です。
 みほちゃんの返答がいい。
 『いりましぇん』
 不在連絡票は、ごみ箱へポイです。(みほちゃんが捨てました)
 新聞屋さんが集金に来ました。
 『いりましぇん』(なかなかおもしろい)

 ひとりで待つ不安な時間帯が過ぎて、優しいママが帰宅しました。
 ごほうびありです。
 プリンです。(給食にプリンが出たことがあったような。家では見たことがありまっしぇん)  

Posted by 熊太郎 at 06:59Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2022年12月19日

不親切教師のススメ 松尾英明

不親切教師のススメ 松尾英明(まつお・ひであき) さくら社

 ネットの『これから出る本』をチェックしていて、目に留まったので注文しました。
 すると、YAHOO!JAPANニュースでこの本のことが紹介されていたのでびっくりしました。
 偶然です。

(1回目の本読み)
 わたしの読み方です。
 1ページずつ、最後のページまで、ページをめくります。
 『背の高さ順』について書いてあります。(五十音順ということもあります。ふーむ。何を基準にすればいいのだろう)
 『給食は「完食することが目的」ではない』(同感です)
 『子どもには小さなケガやトラブルを経験させておく』(意図的にケガさせるようなことはどうかと)
 宿題のことが書いてあります。自分には、漢字の練習ぐらいしか記憶が残っていません。
 『「早寝早起き朝ごはん」ができていない家庭(がある)』暮らし方が多様化しました。

(2回目の本読み)
 今、同時期に並行して読んでいる本が『人間関係を半分降りる 鶴見済(つるみ・わたる) 筑摩書店』です。こちらの本とかぶるような内容もあります。学校に適応できないこどもさんがいます。

 以前別の本を読んだ時にも書いたのですが、親にとって小学校に望むことは、こどもを死なせないでちゃんと卒業させてほしいということです。勉強ができるとか、できないとか、運動ができるとか、できないとか、そういうことは除外です。親としては、こどもが生きていればいい。その一点だけです。

 働いていたころ、どうやったら、そんなふうになるのだろうかと疑問をもったことがあります。
 その理由のヒントがこの本にあります。
 親や教師の言いなりになって育ってきたからです。
 本人がやるべきことを親や教師がやってしまっていたからです。
 だから本のタイトルが『不親切な教師になれよ それがほんとうはこどものためなんだ』なのです。
 働いていたころの一部の大卒社員の嫌だったところです。
 いつでもどこでも、だれかが自分の世話を、ただでやってくれると思っている。
 質問ばかりです。しじゅうこちらからの指示を求めてきます。
 自分の頭で考えません。
 失敗した時は、あなたの指示が悪かったから自分には責任はないと主張してきます。
 嫌になります。
 問題集は解けても仕事はできない個性ができあがっています。
 自己防衛のための言い訳や自己主張はいくらでも出てきます。

 教師が児童・生徒に対するサービス提供者になっている現状を指摘されています。

 教師の長時間残業が新聞記事になることがあります。
 不思議です。
 効率が悪いだけのことではなかろうか。
 やらなくてもいいことをやって、時間をつぶしている。
 あるいは、残業賃(ざんぎょうちん)を生活給(せいかつきゅう。生活していくために必要な毎月支給される報酬)の一部として考えている。
 働いていたころの労働時間の感じ方についてふりかえってみると、分かれるふたつのタイプがありました。
 就業時刻の始まりと終わりを気にしない人が案外いました。まあ、よく働く人たちでした。始業開始時刻の1時間前とか30分前には、職場に来ている人たちがいました。机のぞうきんがけなんかをしていました。さらにそういう人は、終業時刻が過ぎても30分ぐらいは職場にいました。未婚の仕事をやるのが好きな人間だったり、子育てがひと段落した世代だったりの人がそうでした。残業賃はつけていません。働くことが半分趣味のようになっていました。
 いっぽう、ぎりぎりに来て、すぐ帰る人たちもそこそこいました。子育て世代でした。
 どちらが幸せなことなのかは、人それぞれの感覚です。同じ人でも人生の時期によって違ったりもします。
 職場に長時間いる人は、職場が家庭みたいでした。仲間意識が強く、わきあいあいの雰囲気がありました。職場でのコーヒータイムや職場外でも飲食をともにすることも多かった。
 職場に最低限の時間しかいない人は、帰宅後の家が家庭なのでしょう。まあ、本来の姿なのでしょう。

 授業について書いてあります。
 全員が全部を理解できるわけではありません。
 人それぞれの能力と適性があります。
 得手不得手があります。(えてふえて)
 わからないものはわからないのです。
 鉄棒で、逆上がり(さかあがり)ができなくても生きていけます。
 漢字とか文章は、普段から書いていないと、高学歴の人でも書けなくなります。
 テレビ番組『チコちゃんに𠮟られる』を見ていると、漢字を書けない芸能人さんはけっこういます。それでも、稼いでいます。(かせいでいます)

 努力と根性の昭和時代を否定されるとつらい。
 楽して稼げる(かせげる)わけがない。
 会社が倒産したら、職を失って、おだぶつです。
 労働者の労働意欲が低下しているような今の現状をみると、今後の日本経済の衰退化が懸念されます。(けねん:心配、不安)

(つづく)

 学校という特殊な世界です。
 無差別にいろんな人間が同じ場所にいます。
 卒業後は、類似の人間で固まって働きます。
 たいていは、利潤を追求する仕事に就きます。
 学校のなかには、利潤を追求する活動はありません。

 靴箱に名前の表示をするといじめにつながるそうです。だれの靴かわかる。靴を隠す。


 提案されている内容は、今すぐどうこうできるようなことでもないような気がします。
 学校には、卒業とか人事異動があります。生徒にとっても教師にとっても、学校は、一時的な滞在地です。
 やることは何も変わりません。毎年同じ時期に同じことを、人が入れ替わりながらしていくところです。

 半世紀ぐらい前までは、教師はこどもを腕力(わんりょく)で押さえつけていました。
 今老齢の時期にある自分たちがこどものころの教師の体罰はひどかった。ビンタされたり、グーで殴られたり、廊下に正座させられたり、髪の毛をつかんでぐるぐる回しにされたり、男でも女でも先生は、わめいたり、どなったり、そんなことがありました。(ゆえに、社会に出て、職場でのパワハラに耐えられる度胸と忍耐力があるということはあります。あれも教育だったのか。皮肉なものです)
 親が体罰を容認していましたから地域や社会の問題とされませんでした。
 軍国主義とか、第二次世界大戦の名残り(なごり)があって、終戦後も二十五年間ぐらいは暴力でこどもにいうことをきかせる教育が続いたのでしょう。戦地から復員後の先生も多かった。授業中に何度も戦時中先生たちが戦地で体験された話を聞きました。それはそれで良かった。生きるか死ぬかのいいお話でした。
 
 学校にいるときは、こどもはこどもでしかない。
 おとなになってからが、人生の勝負が始まります。
 学校という世界をうまくいくようにするというメッセージがあります。
 ただ、それが、社会生活につながるかは不確かです。
 社会では、ルールを守らない人がけっこういます。
 人をだまそうとする人も案外います。
 きれいごとだけを教えていてはこどもの心は壊れます。
 学校は、世の中の不条理を学ぶ世界でもあってほしい。(不条理:ふじょうり。理屈が通らない。正義が通らない)不条理、不合理、理不尽(りふじん。圧力に屈する)なことがあっても、心が折れない気持ちをつくる場所であってほしい。
 校則も卒業してしまえば何のしばりもなくなります。
 学校と生徒との権利義務関係は消滅します。

 子育てはむずかしい。
 たいていは、親や先生の思うとおりには、こどもは動いてくれません。
 親は、こどもの未来にばくぜんとした不安を感じながら、とりあえず、こどもが生きていてくれればいいと願うのです。学校では、いじめや体罰のないようにしてほしい。
 間違っても命を落とすようなことはないようにしたい。
 こどもは、まだ、人生が始まっていないようなものなのです。

 宿題は、教師が満足するために出す。
 おとなになってみて、宿題をやったから、なにか成果とか実績があったとか、聞いたことがありません。

 これまでに教育界が積み上げてきたものを、ひとつずつ消去していく内容です。
 こどもが、自分のことを自分でできるようにする。
 家庭教育のことは親にやってもらう。
 教師がやらなくていいことや、やめたほうがいいことは、やらない。
 それが、こどもと親のためになると読み取りました。
 ごもっともです。  

Posted by 熊太郎 at 07:04Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2022年12月17日

人間関係を半分降りる 気楽なつながりの作り方 鶴見済

人間関係を半分降りる 気楽なつながりの作り方 鶴見済(つるみ・わたる) 筑摩書房

 同著者の本に『完全自殺マニュアル』があります。(1993年発行)。著者は29歳でした。
 こちらの『人間関係を半分降りる』は、2022年の発行です。まず、この本から読んでみます。
 人間関係を全部降りるのではなく、半分降りるのです。著者は58歳です。

 自分は自殺したいと思ったことはありませんが、消えてしまいたいと思ったことはあります。どちらも似たような心理なのでしょう。
 自殺しようと思って、自殺を試みた(こころみた)のではないという話を聞いたことがあります。
 自殺未遂者(じさつみすいしゃ)の話です。
 死ぬ気はなかったのに、体がふわ~と浮いたような感じになって、線路に自分の体が吸い込まれていった。
 悩んで、思い詰めて、自分で自分の心身をコントロールすることができなくなったのでしょう。
 脳みそに『死』への招待という暗示がかかったのでしょう。
 恐ろしいことです。
 
 たぶんこの本は、人が生き続けるために必要なことが、アドバイス(助言)として、書かれている本なのでしょう。
 読み始めます。

(1回目の本読み)
 わたしが実用書を読むときは、まず、最初に1ページずつめくりながら、ゆっくりと最後のページまで目を通すという読み方をします。最後のページまでいくと、全部読んだような気分になれて安心できるのです。

 まえがきに『すべての悩みは対人関係の悩み』とあります。(そのとおりです)
 わたしが、三十歳ぐらいのころに、六十代以上だった人たちは、もう、みなさんお亡くなりになりました。
 人間ですから対立はあります。あのころのあの激しい対立や論争は、関係者全員がこの世にいなくなった今、なんだったのだろうかと過去を振り返ることがあります。
 どうせみんな最後は寿命で死んでしまうのだから、頑固(がんこ)に自己主張をするのではなく、譲り合って、仲良くしたほうがいいと思うのです。

 『家族は人間でなくてもいい』
 この項目表示を見て、ああ、ペットのことだなと思ったら、該当のページに、さらに発展して、ぬいぐるみでもクッションでもいいと書いてあるのを発見しました。最初はびっくりしましたが、共感できました。本では『鉢花』でもいいと記事があります。(その後、車でもいいと思いました。愛車です)

 目次の項目を読んでいると、後ろ向きなメッセージが多い。
 なになにでなくてもいいというパターンでお話が進みそうです。

 『もうどうしようもないとあきらめる』
 あきらめることは大切です。
 あきらめないから、ストーカー殺人事件が起きます。死ななくてもいい人が死にます。被害者です。

 『あなたは、あなた、私は私』
 この本は、今年読んで良かった一冊になりそうです。
 『いいかげんになる』
 なにが書いてあるのだろう。
 マスコミや世間が人心をあおるという風潮に流されないというメッセージがあるようです。

 『人目を気にしすぎると自分を殺す』
 かっこつけない。
 人の視線を気にしすぎると、自由な発想が制限されて、精神衛生上よくありません。
 かっこ悪いと人から思われてもいい。開き直って、なにが悪いです。

 著者の体験が下地になっている本なのでしょう。

 性格的に自分とは合わない人には、近づかないほうがいい。

 『子どもがかわいいと思えない』
 子どもとの接し方がわからないという人はいます。

 血のつながりについて書いてあります。
 血がつながっていることに加えて、こどものころに助け合った体験がないと、血縁関係があってもおとなになってからは疎遠になります。

 頻繁(ひんぱん)に会うと断絶しやすい。(そういうことってあります。住居が互いに離れているから仲がいいということはあります。『兄弟姉妹間の比較』がもめごとの種になることがあります)

 夫婦をやめて、離婚して、友だちに戻るというアドバイスがあります。

 一夫一婦制、一夫多妻制、一妻多夫制、いろいろあります。同性カップルもありでしょう。

 『あとがき』を読みました。
 みんな同じでなくていい。
 人の目を気にして生きない。
 人間は素晴らしくない。
 著者から読者へのメッセージです。

(2回目の本読み)
 冒頭で、人間関係の悩みの話が出ます。
 自分の場合は、自分が生まれてから成人するまでの悩みは、家が貧乏でお金がないことでした。
 まえがきを読んでいて、お金がある人は、お金のことでは悩まない。人間関係のことで悩むのだと変な気持ちになりました。
 人間は、お金がなくて悩んで、お金があっても別のことで悩むのです。人間はどんな環境におかれたとしても『悩む』生き物なのでしょう。

 人間を否定する内容でもあります。
 『人間には酷い(ひどい)面があるのだから……』

 そうか『昭和』は、異常で異様な時代だったのか(すべてがそうだとは思えませんが。)
 昭和の時代は、人が「家庭」と「会社」と「学校」に閉じ込められていたとあります。
 
 第1章は、友人から離れるという内容です。
 自分は相手を友人だと思っていても、相手は自分のことを友人だとは思ってくれていなかったということは、よくある話です。その場限りの時間つぶしの相手でしかなかった。ときに相手の都合がいいように利用されることもある。

 どうも著者は、精神的な病(やまい)を体験したことがあるような記述内容です。実際あるのでしょう。(ありました)

 読んでいて思ったことです。
 以前、東京タワーの展望室から、国会議事堂あたりをながめときに思ったことです。
 あの国会議事堂周辺は『箱』になっている。
 国会議員とか、国家公務員の官僚とか、あの箱の中で毎日を送っている人たちは、箱の中にいる間(あいだ)は身分を守られるけれど、箱を出てしまうと、袋叩きにあうこともある。
 箱の中だけで通用するルールの中で生活を営んでいる人たちがいる。(これは、ほかの世界でも共通することです)

 救いのある本です。
 いい本です。
 今年読んで良かった一冊になりそうです。
 今、20ページあたりをながめています。

 昭和時代という昔の話です。
 タモリさんは、今はいい人ですが、昔は人をけなすようなことをテレビで言っていました。
 ビートたけしさんのことも書いてあります。だれかをばかにすることが当時の笑いのネタだった。

 ただ、この本に書いてあるような精神状態(弱気)で、集団の中で働いていくことは苦しい。
 小さいうちから人にもまれて強い気持ちを持つ人にならないと組織でうまくやれないこともあります。
 世の中には、いじわるな人がいます。
 だけど、いい人もいっぱいいます。
 日本人のいじめは『仲間はずし』や『無視』が多いとあります。
 今年の夏に読んだ建築家の人の本でも、従業員を日本人だけにするといじめが起きるので、建築プロジェクトチームには、外国人の社員をたくさん混ぜるようにしているということが書いてありました。
 日本人には二面性があって、表面はにこやかでも、裏では怖い顔をしていることもあります。

 著者は繊細(せんさい。気持ちがこまやかで傷つきやすい)な人です。
 人助けのために『不適応者の居場所』づくりをされています。

 攻撃してくる相手と関わらない。
 学校や職場は危険な場所です。
 
 パワハラをする人は、何人か見たことがあります。
 暴力団員が来てわめいているのかと思ったことがあります。
 警察を呼んだほうがいいと思ったことがあります。
 だれかと思ったら上司にあたる人だったので、警察を呼ぶことはできませんでした。
 ボスと呼ばれる人は、自分の思いどおりにならないとわめき散らす人が多い。机を叩いたり(たたいたり)、イスを蹴ったりして威嚇してきます。(いかく。おどす)
 部下は耐えるばかりです。
 頭がカッとなる人は、脳みその病気ではなかろうか。
 あまりにもひどいので、勇気をふりしぼって『だいじょうぶですか? どうしてそんなにカッカするのですか』と怒鳴る(どなる)上司に声をかけたことがあります。本人は放心状態になって、返答が返ってきませんでした。部下から静かに声をかけられるという想定外のことが起こって、脳みその中身は、どこか別の世界に行ってしまったのでしょう。
 すぐカッとする人のことを、昔は『瞬間湯沸かし器』と言っていました。最近は聞かない言葉です。
 
 筆者は常に弱気です。

 学校は、同じ製品(生徒のこと)をつくるところとあります(同感です)。

 学校に行けないこどもの数が増えました。
 通信制の高校のことが書いてあります。

(つづく)

 103ページまで読みました。
 著者の家庭は崩壊しています。
 著者の兄が狂気です。
 すさまじい。ふたつ違いの兄の手によって、両親や弟である著者が、殺されてしまいそうです。事件になりそうです。著者には凄惨(せいさん。むごい)な体験があります。兄が家族を殴る、蹴る(ける)です。家庭内暴力のシーンがあります。
 著者がサラリーマン社会に適応できなかった原因が兄の素行にあることは推定できます。
 著者の本音(ほんね)が書いてあります。今年読んで良かった一冊です。
 読んでいて、2020年(令和2年)に82歳で亡くなった小説家、作詞家であったなかにし礼さんの小説『兄弟』を思い出しました。なかにし礼さんの兄が、第二次世界大戦の戦地から帰還後、気が狂ったようになっています。なかにし礼さんは、そんな兄を強く深くうらんでいました。(お兄さんの娘さんが2018年に66歳で病死された森田童子(もりた・どうじ)さんであることは後年知りました。自殺する歌ばかりを歌っていた女性シンガーの方でした)
 この部分を読んでいた時に、今はもう九十歳近い年齢になった実母と以前、若くして病気で亡くなった父親の話をしたことを思い出しました。(40歳没)。酒さえ飲まなければ、いいオヤジでした。アルコールが入ると暴君に変わるのでした。アルコールの多量摂取(たりょうせっしゅ)で病気になったようなものなのですが『あの人が生きていたらたいへんな思いをしていた』と母が言い、息子の自分が、そうだねとあいづちをうったのです。
 家庭内暴力というのは、なかなか人には言えません。たとえば、老老介護で、祖父が祖母を叩いて(たたいて)いるとか、逆に、祖母が祖父を叩いているとか、そういうことは、親族の中でも教えることがためらわれたりもします。
 
 著者の記述からは、さみしくないのだろうかという推測と、すごいなあという感嘆が同時に感じられます。
 なにかしら、もったいない。広い世界を知らないままの狭い世界で終わってしまう人生が見えます。『どこにも通わなくても大丈夫』という心もちなのです。(それでも114ページにインドネシアで長期間過ごしたことが書いてありました。良かった。一度っきりの人生を楽しむために、できる範囲内で広い世界を見てほしい)

 著者は、不思議な状態です。
 引きこもりではありません。
 東京大学卒という学力があるからできる作家活動です。(フリーライター)

 『親しみを持つためには自己開示が必要』
 じょうずに自己開示をすることは、けっこうむずかしい。
 著者が書くように、オンラインではなおさらむずかしい。
 
 大企業の中での学閥(がくばつ。同窓生):よくあるパターンです。学閥で互いの信頼関係を確認して信じあって仕事に生かす。ときに不祥事を隠蔽する(いんぺい)グループにもなりがちです。

 『社交不安障害』(状態がよくわかる造語です)

 『子どもさえいれば幸せになれたのに』(子どもがいるだけでは、幸せにはなれません。子どもと苦楽を共にしなければ幸福感は生まれません)

 家庭内別居→夫婦とか兄弟姉妹とかの間において。
 いっしょに食事はしない。各自の部屋で食べる。
 (息が詰まりそうです)

 『子どもがかわいいと思えない』(うーむ。それなりに遊んであげないとこどもはなついてきません。おもちゃやおいしい食べ物をあげないとついてきてくれません)

 『子孫を残すことが生き物の目的だ』(本能だとは思います。著者にとっては、苦痛な言葉だそうです)

 怖い(こわい)ことがいっぱい書いてある本です。
 人間の本性(ほんしょう。根っこ。生まれながらの性質)は、酷い(ひどい)のです。嫌がらせをしたり暴力という力で相手にいうことをきかせたりするのが人間なのです。

 『日本で食卓を囲んで一家団欒(だんらん)をしていたのは、1955年(昭和30年)から1975年(昭和50年)の20年間ぐらいのこと……』(そうなのか。実感が湧きませんが、そうなのでしょう。いっしょに飲食をともにしておしゃべりをすることは交流という楽しみのはずなのですが)

(つづく)

 『家族は人間でなくてもいい』(ペット、鉢花、ぬいぐるみ、クッションなどでもいいとのことです)
 『だれとも会わない日が多かったので……(花に助けられた)』
 セラピー:医術によらない心の病(やまい)の治療方法。
 『こどもよりも、猫のほうがいい……』
 心の優しい人は、心が傷つきやすい。

 血のつながりを信用しない。むしろ拒否する。なぜなら2歳年上の兄に加害されたから。
 『養子』の話が出ます。『見合い結婚』の話も出ます。
 時代背景によって、人の考え方、感じ方が違います。江戸時代、明治時代、戦前、戦後、現代。
 わたしの祖父母や両親、自分の世代もですが『養子』は珍しいものではありませんでした。それでもたいていは、親戚関係のあるところから養子をとっていました。血縁は下地としてあります。
 著者は、まるっきり血縁関係のない者同士でも養子縁組するのは、いいではないかとメッセージを読者に送ります。養子になると、養親の介護とか相続がセットで付いてきます。事例ごとにいろいろありそうです。

 著者の意見として読み取れるのは、江戸時代は意外に自由な時代だった。
 明治時代以降、日本は、国が国民を管理するために、人を一定の枠(わく)にあてはめようとしてきた。人間の『標準化』があった。

 ラジオ放送が著者の暗い毎日を救ってくれた。
 人には、心の安定を維持するために第3の場所が必要と説かれています。『家庭』と『学校・職場』そして『第3の場所(著者の場合はラジオ放送を聴くことだった)』

 兄との関係がむずかしいのですが、40年間近く絶交状態のようです。
 兄の話も聞かないと実態はわかりません。
 これから、親の介護や相続の話が出てきそうです。なかなかてごわい人生です。

 結婚とか子づくり行為のことが書いてあります。
 行為に関して、人間はどうしてこんなことをしなければならないのだろうかと思う人はいると思います。子孫をつくる。命をつなぐためが理由のひとつとして納得できます。
 書中では『ただ、痛い』を始めとして、年がら年中さかりがついているわけではないというように後ろ向きの表現が続きます。ハグだけでもスキンシップの愛情は伝わるということもあります。
 社会には、こういう状態が幸福だという『圧(あつ)』がある。圧を取り払いたい。めんどうくさいから恋愛はしたくないという人もいます。
 性的欲求がない人の人権も保障されなければなりません。
 
 『人間関係においては、「好意」を向ければ「好意」が返ってくる。「悪意」には「悪意」が返ってくる』だから好意だけにしておく。けんかしないとアドバイスがあります。

 真理を言い当てている本です。
 ただ、読んでいると、元気がなくなってくる本でもあります。
 何のために生きているのか。死なないようにするために生きている。先日読んだ朝井リョウ作品『正欲(せいよく)』を思い出しました。
 
 今は、初婚年齢が男31歳、女29歳だそうです。
 ずいぶん結婚年齢が遅くなりました。
 結婚しない。こどもをもたないというのは、既婚子ありの夫婦から見れば、楽そうな生活です。子どもにかかる多額の費用の負担もありません。自分の時間もあります。
 ただ、ずーっと若い世代ではいられません。人はみな老いていきます。四十代後半から、心身ともに健康状態が不安定になってきます。
 子孫が無い人は、そのときどうするのか。お金だけでは解決できないこともあります。やはり、パートナーがいりそうです。(パートナーが異性とは限りません。友情もありです)

(つづく)

 夫婦は同居しなくてもいいという提案があります。別居婚です。(うーむ。なんとも。複雑な気持ちになります)
 どちらかが、がまんするパートナーシップ(相互関係。協力関係)を否定します。
 自分は賛同できかねますが、いろんな形があっていいのではないかという、今どきの世相にあって、この本が必要な人はいます。

 全体的に、努力と根性、そして忍耐でこの世を生き抜いてきた昭和世代の自分には合わない内容の本です。

 『卒婚(そつこん)』はさみしい。子も孫もいると、なかなか卒婚はできません。

 複数の異性と付き合うことは、人間の自然な行為だそうです。
 異性にもてる人ならそういうことはあるのでしょうが、凡人にはひとり見つけるだけでも大変で、ひとりで十分です。
 そういえば、半世紀ぐらい昔は『愛人とかお妾(めかけ)さんとか、2号さん』というのは、一般的でした。収入がたくさんある人には、奥さんが複数いても責められることはなかった風潮です。
 だから、親族関係の輪の中に愛人が普通の感覚で存在していて、その地位も確立されていた記憶です。

 『もっと肩の力を抜いていればよかった。』(同意します。真剣になりすぎてうまくいかないということはあります)

 外国人から見た日本人の特徴として『集中』があるそうです。
 日本人は、電車に乗っているときでも、歩いていても、何かに集中しているそうです。(ああ、そういえばそうです)
 集中しすぎると死んじゃうんです。『過労死』がそうです。

 ここまで読んできて、著者のように後ろ向きな考えで前に進もうとすると、家族の秩序が乱れます。
 家族はこうあるべき、こういうものという協力関係の枠の中にいるようにしないと、うまくいかないこともあります。
 それでも、そうすることで、自殺したいと思うようになるのなら、家族の標準スタイルにあてはまることはやめたほうがいいのでしょう。自殺しちゃだめです。人間は歳をとるなりして、いつかは必ず死ぬのですから、それまでは生きていたほうがいい。

 215ページに葬式のときに笑いが止まらなくなる人がいるとあります。路線バス乗り継ぎ人情旅に出ていた、えびすよしかずさんがそうでした。
 この本では、行き詰まった時に、もう笑うしかないということがあると紹介されています。(同感です)本にもあるとおり『笑い』は人を救うのです。
 天才バカボンのパパの名文句『これでいいのだ』で、人生で起きる困難を乗り越えることはできます。

 手づくりの文章でできた本でした。
 今の時代にあって、飾らない表現が珍しい。
 著者のメッセージが、素直に読者に届く本でした。  

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2022年12月16日

きょうはそらにまるいつき 荒井良二

きょうはそらにまるいつき 荒井良二 偕成社

 2016年発行の絵本です。

 月夜ですから、月の姿があります。
 『あかちゃんがそらをみています』から始まります。
 風景は、外国、イギリスに見えます。
 背の高いビルディングを背景にして、樹木が生えた都市公園が見えます。
 ページをめくると、黄色で大きな満月の絵が目に飛び込んできました。
 こどもにはいい絵です。
 月がどかーんと見開き2ページの半分ぐらいを占領しています。
 
 イギリスではなくて、パリ市か。
 バスか、電車の窓から見える黄色い満月です。(あとで、バスだとわかります)
 風景は一転して、山奥です。
 動物の親子が月をながめています。
 
 今度はねこたちが集まり始めました。
 都市公園で暮らす野良猫たちです。

 骨太の油絵で描かれた絵本です。
 月明かりが明るいから、電気照明器具がまだあまり世間に出回っていなかったころの夜ではなかろうか。

 ベビーベッドに寝かされたあかちゃんの登場です。
 たぶん女の子です。
 大きな瞳で可愛い。
 『うわー きれい』というページがあります。
 絵画の絵本です。
 迫力があります。
 明暗があります。
 今夜は、月の日記念カーニバルか。
 絵なのに、街の灯りがついているように見えます。
 地球上の生き物たちが、同時に、黄色い満月を楽しんでいます。」(南極海でのクジラのジャンプがあります)
 
 盆踊りみたいな絵ですが、たぶん違います。
 コンサートでしょう。
 
 そうか、伏線が、あかちゃんでした。

 言葉数は少ない。
 幼児と会話をしながら読む絵本です。
 心が落ち着きました。  

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2022年12月15日

おいしいごはんが食べられますように 高瀬準子

おいしいごはんが食べられますように 高瀬準子(たかせ・じゅんこ) 講談社

 ラベルパッケージの製作会社です。東京本社にデザイン部あり。8支店あり。
 物語の場所は、関東にある支店の営業部。埼玉県にある支店でしょう。

(支店長):男性。口ぐせ『飯はみんなで食ったほうがうまい(営業部員を昼食に誘う。おごってくれる。ワンマン(独裁的)なところあり』

藤(支店長補佐):中年男性40歳過ぎ。愛妻弁当持参。卵焼きが入っている。妻とうまくいかない部分あり。

二谷:29歳男性。大卒後、6年間東北支店に在籍していた。認知症の施設に入っている90歳の祖母あり。両親と妹あり。独身ひとり暮らし。左利き。職場のふたりの女性から好意をもたれている。

芦川:女性。ワケアリ。入社6年目だが、30歳。実家暮らし。26歳ぐらいの弟がいる。実家に「ムコスケ」という飼い犬がいる。芦川は、二谷とできているが、二谷は芦川を本心から愛しているわけではない。(読んでいて、天然ボケキャラクターの芦川なのですが、芦川は、なにか宗教でもやっているのではないかと気を回して考えました。(読み終えて、違っていました)読み続けていると、この芦川という女性にはかなり問題があることがわかります)

押尾:女性。27歳。22歳で入社して5年目。福岡県出身。高校でチアリーディング部に所属していたときに九州大会に出場した。職場では、芦川の隣席にいる。芦川と比較される。押尾は、二谷は自分に好意があると思い込んでいる。押尾は、芦川が苦手(にがて)。

原田:パートさん。

 40ページまで読んだところです。
 登場人物が順番に一人称で語っていくパターンです。
 最初は、27歳独身社員の押尾が語ります。
 
 上手な文章運びです。

 みんな、パソコン画面を見ている仕事場です。
 自分が働きだした若かった頃には、パソコンはありませんでした。

 芝居のような仕事仲間との飲み会です。
 今どきの注文は、自分たちで、タブレットで注文します。(昔は、そのようなものはありませんでした。今は、焼き肉屋も中華料理屋もタブレットで注文です)
 職場や職場の飲み会では、サラリーマンは、それぞれ『いい人』を演じようとします。
 家に帰り着くと疲れ果てます。

 いいなと思った文章表現です。
 『どうして、じゃなくて、どういうところが、と聞かれたので……』
 『…… 予定外のことが苦手……』

 メンタルで休職はあるけれど解雇はない。休職後の復職は楽な所属に配属してもらえる配慮がある。そのしわ寄せを別の社員が負う。別の社員は、残業が多い繁忙な毎日が続く。会社への貢献は出世でカバーしてもらう。それが会社のシステムです。
 あのようにはなりたくない(メンタル、休職、思いやり人事配置)
 むかつく社員がいる。
 そんなことが書いてあります。
 仕事をさぼる人をいじめたい。それが、起承転結の起の部分です。
 
 次は、29歳男性二谷の語りです。
 細かい話が続きます。
 ハラスメント(いじめ、嫌がらせ、脅し、脅迫、人権侵害)
 なんだかなあといういじめの表現あり。
 人が泣くのが嬉しい。どこも、パワハラ、セクハラの横行です。

 シュラスコ:ブラジルの肉料理。牛や羊の肉を串刺しにして焼く。
 
 職場内の恋愛は、うまくいかなくなったときにつらい。

 好きな人をいちずに好きだと思うことができないのだそうです(二谷君は)。まあ、この人でいいかという選択があります。

 いいなと感じた表現として、
 『…… 弱々しさの中に、だから守られて当然……(女性のありかたとして)』
 『自分は正解を選んでいる(男性の考えとして、女性の選択に関して)』

(つづく)

 割り当てられた仕事をこなさないメンタル職員から被害を受けているというような内容で進行していきます。
 会社側が、メンタル病欠で抜けた社員の代替えの社員を用意してくれないと現場は混乱します。
 メンタル病で休んでいる社員の仕事の負担をしている別の社員が、長時間労働によってメンタル病になったり、脳梗塞とか、心筋梗塞になったりしたら、何のための制度なのかわからず、めちゃくちゃになってしまいます。

 この物語では、労働者の権利を行使している社員の言動の問題点を浮かび上がらせています。
 芦川は、心や体の具合が悪いから仕事はしない。その代わりにお菓子をつくって職場で配っておわびする。おわびするというよりも、上手なお菓子づくりができることを職場の人間にほめてもらう。
 まわりにいるみんなは、本音(ほんね)を言いません。(「自宅療養中にお菓子をつくることができる時間があるのなら、職場で仕事をしてください」です)
 上司はメンタルで休んだり早退したりする社員を指導できません。社員の背景には、社員を守る手厚い保護法令があります。診断書という医師の証明もあるでしょう。上司も同僚もしかたがないとあきらめています。でも、いつも芦川さんの仕事の負担をしている27歳女性の押尾さんは不満です。
 (こういう分野を小説の素材にもってきている作品は珍しい。触れにくい雰囲気があります。作品は、静かなサスペンス(恐怖小説)という趣(おもむき)があります)

 虚無感がただよう内容です。
 愛情はありません。

 パクチー:タイ料理に使われる。香菜。ハーブ。
 マフィン:焼き菓子
 チクワブ:ちくわではない。

 いい表現として、二谷の、
 『…… おれは、好きなことより、うまくやれそうな人生を選んだんだなと……』
 
 自分がやるべきことを上手に人にやらせるずるい人間が芦川です。
 読んでいて、芦川に、詐病(さびょう)、仮病の疑いをもってしまいます。
 芦川は、嘘つきです。
 芦川は、声は出すけれど、みんなのために体を動かす人ではありません。自分をほめさせるために手づくりお菓子をつくって配る人です。

 二谷という29歳の男性は、AI(エーアイ。人工知能ロボット)人間のようです。
 29歳の今の時点で、人間が固まっています。
 人生は長い。
 これからさき、いろんなことが起こります。
 病気やケガ、自然災害や事故、事件に巻き込まれることもあります。避けきれません。
 
 タイトル『おいしいごはんが食べられますように』
 『毎日食べないと死ぬから食べている。』

 二谷29歳というひとりの男性を巡っての三角関係ものです。
 奪い合う女性は、芦川30歳と押尾27歳です。
 このさきおそらく正直者の押尾のほうが敗れるのでしょうが、敗れたほうがいい。
 二谷という男性はいい人ではありません。

 『あの人は弱い(読んでいて、芦川は、弱くはない。むしろ、ずるがしこい)』

(つづく)

 読み終わりました。
 最後は、さわやかでした。

 『(押尾は)腕を伸ばして猫を助けた…… 落ちたものを拾うのが得意なのかもしれない』

 ラインの仲間(大学時代の)に問いかけられてもアンサー(返答)しない二谷がいます。「既読」行為はする。

 二谷は、カップラーメンばかりを食べているから、脳みそが人工知能ロボットみたいになっているのではないか。だから本のタイトル『おいしいごはんが食べられますように』となるのではないか。
 ふと、自分自身のことを思う。たぶん、もう何十年間もカップラーメンを食べたことがありません。
 去年だったか、孫たちにポケモンのカップラーメンは買ってあげました。たしか、しょうゆ味と海鮮味の二種類があって、両方買ってあげました。自分は食べませんでした。
 一生懸命思い出したら、たぶん十二年前ぐらいに辛い(からい)台湾ラーメンのカップラーメンを何度か食べたことを思い出しました。歳をとったことも影響してか、辛い食べ物は苦手になりました。
 おいしいごはんを食べれば、二谷はもう少し愛情のある人間になれるのではないか。123ページにそういった文章が出てきました。『ちゃんとしたごはんを食べるのは自分を大切にすることだって……』(小学生のようなこどもも同じだと思います。ちゃんとした食生活から、ちゃんとした暮らしが始まります)

 朝早く起きて仕事に行って、夜遅くまで残業をして、夜10時前にスーパーやコンビニに立ち寄って、睡眠時間を確保すると、自分の時間が一日30分ぐらいしか残らないと二谷が嘆きます。
 永い人生には、そういう時期もあります。そういう時期も必要です。そういう時期を経て、金銭的に余裕のある生活が生まれます。

 上手に(じょうずに)詐欺的(さぎてき。人をだまして)行為を行って、人心を動かせる人間が富を得ることもあります。(前提条件として、ばれなければ)
 世の中にはそういうことがある。ただし、正直者は、最後は報われる(むくわれる)と思いたい。

 働くって何なのだろうと考えてしまいました。
 精神的に嫌なことがあっても、結局最後は『お金(おかね)』で気持ちに折り合いをつけて、働き続けるのでしょう。
 働くことはつらいけど、人生の終わりに近づく時期には、働きたくても働けない状況になります。雇用される場がなくなります。体力・精神力が弱くなれば働けません。あきらめがついて、もう働かなくていいんだと、ほっとできる時がきます。

 読んでいて、おいしいごはんということで、ふと思い出したことがあります。
 自分が小学生の高学年のころ、そのころは当然週休二日制ではないわけで、土曜日は、午前中だけ授業がありました。
 土曜日の授業が終わると、たまに担任の男の先生がこどもたちを誘ってくれて、みんなで小学校の近くにあるうどん屋でうどんをごちそうになっていました。おいしかった記憶が残っています。食べて、みんなと話をして、くつろぐ時間は大切です。(その先生はもうずいぶん前に高齢でお亡くなりになりました)

 二谷は、みんなで食べるごはんが嫌いです。
 ごはんを残さず全部食べるのも嫌いです。
 二谷は、人と共感する(共感したふりをする)ことが嫌いです。
 されど二谷には、嫌なことは嫌ですと意思表示をしたいけれど意思表示ができないもどかしさがあります。

 キッシュ:フランスの郷土料理。卵と生クリーム。パイのよう。
 リゾット:ピラフのようなもの。米を使った料理。
 
 人間の二面性が表現されています。
 外面(そとづら。他人向けの表情)は喜んでいるような言動と笑顔があっても、内面(うちづら。腹の中)は不満顔です。

 芦川は悪女です。二谷も悪人です。
 押尾は善人だけど、今回は集団から追い出されてしまいました。
 めげないでほしい。居場所探しをする二十代後半の時期です。人生はまだこれから先、はるかに永い(ながい)。
 芦川と二谷のふたりは、このままの状態で結婚しないか、結婚しても別れるでしょう。結婚していても仮面夫婦とか家庭内別居になるのでしょう。打算のつながりです。愛情の下地がない損得勘定が入ったみせかけだけのカップルです。(まあ、この人でいいかということが結婚の動機です)
 読書の終了にあたって、正直者で善人の押尾さんを、未来に幸あれ(さちあれ)と応援します。  

Posted by 熊太郎 at 07:07Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2022年12月14日

ふしぎな ひきだし 苅田澄子/作 つがねちかこ/絵

ふしぎな ひきだし 苅田澄子(かんだ・すみこ)/作 つがね ちかこ/絵 金の星社

(1回目の本読み)
 絵本です。
 文章は読まずに、絵だけを目で追いながらいろいろ考えます。
 表紙に描いてあるのは、古い三段の引き出しです。
 今は見かけなくなった型の家具です。
 裏表紙にある丸いちゃぶ台もかなり昔の型です。
 そういった点で、この作品は、昭和時代にこどもの時期を過ごした年配の方の思い出の記録という位置づけの印象があります。

 こども3人、小学2年生ぐらいに見えます。
 男の子がひとり、女の子がふたりです。
 男の子がたんすの一番上の引き出しに手をかけました。
 昭和40年代を思い出す絵です。
 スマホもパソコンもなく、カラーテレビは少なく、カラオケもテレビゲームもありませんでした。

 開けた引き出しの中には、どこかへ下っていく階段があります。
 階段の先は、新世界です。
 いろいろ思い出します。
 ドラえもんの、のび太の勉強机の引き出し。たしか、開くと過去や未来へ行けた。
 ナルニア国物語だと、タンスの扉を開いて中に入ると、ナルニア国に行けた。
 洋画『プーと大人になった僕』では、くまのプーさんが、大樹の木の穴に入ると別世界に行けた。
 『不思議の国のアリス』では、アリスがウサギの穴に落ちて異世界へと旅立つのです。

 たんすの階段の先にある新世界です。
 男の子が虫捕りをしています。カブトムシでしょう。
 自分もこどものころにやりました。カブトムシはなかなかいなくて、カミキリムシばかりを捕まえていました。
 あのころは、こどもがいる身近な場所に林がありました。
 絵本の中には、木の幹にくくりつけた手づくりブランコもあります。
 こどものころ、樹木の幹にツルをからませて、ターザン遊びをしたことを思い出しました。『アーアーアー』今のこどもさんにはわからないかもしれません。

 発想がいい。
 引き出しごとに世界が違います。
 自然が豊かです。
 小川が流れています。笹舟が浮いている。
 こどものころ、祖父母がたんぼで農作業をしている間、小川で笹舟をつくって流していたことを思い出しました。
 
 一番下の引き出しの中は、海岸の砂浜です。
 遠くには、水平線が見えます。
 すがすがしい。
 こどもたち三人以外にだれもいません。
 浦島太郎の亀もいません。

(2回目の本読み)
 今度は、文字も読みながらページをめくります。

 パン屋さんの娘さんが、なっちゃんです。
 おにいちゃんがいて、おねえちゃんがいます。
 おばあちゃんのうちは、そこから遠い海のそばにあるようです。

 そうか、引き出し付きのたんすは、おばあちゃんが使っていたものだそうです。
(だから、昭和時代の匂いがするような古いたんすです。引っ張る持ち手は金属です)
 一番上の引き出しは、森の中へ、いらっしゃ~い。
 二番目の引き出しは、お花畑が広がっています。
 三番目の引き出しは海です。(このたんすには引き出しがみっつあります)
 知らない女の子はたぶん、小さなころのおばあちゃんでしょう。(展開の予想として)
 知らない女の子の名前は、さっちゃんです。
 
 そうか、なかなかいい感じのミステリーでした。(神秘、不思議、謎)  

Posted by 熊太郎 at 09:56Comments(0)TrackBack(0)読書感想文