2022年12月13日
黄金バット 第一話「黄金バット誕生」 1967年
黄金バット 第一話「黄金バット誕生」 1967年(昭和42年) 動画配信サービス
小学生のころに見ていました。
何十年ぶりかで見て、初めて気づいたことがありました。
黄金バットは、ガイコツの体で、骨骨(ホネホネ)スタイルだと思い込んでいました。
あばら骨が浮きあがっていると思っていた体は、がっちり体形で、肉付きがありました。
ちょっと意外でびっくりしました。
歌がなつかしい。
半世紀以上ぶりぐらいに聴いて、歌詞を思い出しました。
『どこ どこ どからくるのか おうごんバーット …… コウモリだけが知っている』
(どうして こんなガイコツキャラクターがかっこよく思えたのだろう。不思議です)
昭和40年代始めのアニメ動画の初々しさ(ういういしさ)がわかる絵です。
なんだか、最近は、時代がもう一度リターンしたようすで、昔のものが流行っています。(これを書いているそばのラジオからは、中学生のときに聴いたカーペンターズの歌が流れています)
世の中、どうしちゃったのだろう。新しい文化を生み出す力がなくなってしまいました。
この当時のマンガの素材は、妖怪、怪物、怪獣、オバケ、科学、宇宙で、テーマ(主題)は、正義の味方、平和の維持、探検、冒険などです。
物語は、悪の手先であろう『手』と黄金バットとの闘いがあります。
ミイラのような体の黄金バットは、水をかけられて、よみがえり、復活しました。
『1万年後に人類の危機が必ず来る。救世主として、黄金バットが復活する』というような話の流れです。ロシアとウクライナの戦争の今、核戦争の脅威もあり、もしかしたら、今が、作品『黄金バット』が予言した人類の危機の時期ではなかろうかと不気味な気分になりました。
小学生のころに見ていました。
何十年ぶりかで見て、初めて気づいたことがありました。
黄金バットは、ガイコツの体で、骨骨(ホネホネ)スタイルだと思い込んでいました。
あばら骨が浮きあがっていると思っていた体は、がっちり体形で、肉付きがありました。
ちょっと意外でびっくりしました。
歌がなつかしい。
半世紀以上ぶりぐらいに聴いて、歌詞を思い出しました。
『どこ どこ どからくるのか おうごんバーット …… コウモリだけが知っている』
(どうして こんなガイコツキャラクターがかっこよく思えたのだろう。不思議です)
昭和40年代始めのアニメ動画の初々しさ(ういういしさ)がわかる絵です。
なんだか、最近は、時代がもう一度リターンしたようすで、昔のものが流行っています。(これを書いているそばのラジオからは、中学生のときに聴いたカーペンターズの歌が流れています)
世の中、どうしちゃったのだろう。新しい文化を生み出す力がなくなってしまいました。
この当時のマンガの素材は、妖怪、怪物、怪獣、オバケ、科学、宇宙で、テーマ(主題)は、正義の味方、平和の維持、探検、冒険などです。
物語は、悪の手先であろう『手』と黄金バットとの闘いがあります。
ミイラのような体の黄金バットは、水をかけられて、よみがえり、復活しました。
『1万年後に人類の危機が必ず来る。救世主として、黄金バットが復活する』というような話の流れです。ロシアとウクライナの戦争の今、核戦争の脅威もあり、もしかしたら、今が、作品『黄金バット』が予言した人類の危機の時期ではなかろうかと不気味な気分になりました。
2022年12月12日
宮城県 瑞巌寺と松島海岸と塩釜
宮城県 瑞巌寺(ずいがんじ)と松島海岸と塩釜 2022年11月中頃過ぎの旅
(瑞巌寺(ずいがんじ))
自分がこどもだったころに聴いた『大漁唄い込み(たいりょううたいこみ)』に登場する「ずいがんじ」です。
「エンヤートット エンヤートット」から始まって「まつしまーの さーよ ずいがんじぃほーどーのー」と続く勢いのある民謡です。
JR仙石線(せんせきせん。仙台市内-石巻(いしのまき))『松島海岸駅』を出たところの売り場で、遊覧船の乗船券を買い、乗船までに1時間以上があったので、先にお寺さん見学をと、瑞巌寺への近道を教えてもらいました。
近道では、紅葉が迎えてくれました。
境内付近で、たくさんの木々が伸びやかに育つ姿を見て、気持ちが晴れました。
いいお天気で良かった。
岩を削って、祠(ほこら。仏を祀る場所)をつくってあるところがいくつもありました。
こちらのお寺さんの特徴なのでしょう。
まっすぐな道が海へ向かって伸びています。
東日本大震災の時は、半分ぐらいの位置まで、津波が来たそうです。
震災前は、道の両側にたくさんの杉の木が生えていたそうですが、津波の被害で、たくさんの木を伐採したそうです。
当時、瑞巌寺は避難所になったとネットで資料を読みました。
次の写真は、本堂の入口です。
部屋には、金ぴかの絵がたくさん飾ってありました。
名古屋城の本丸御殿みたいな雰囲気でした。
外国人旅行者の人たちのグループがいて、ガイドさんが英語で説明をされていました。
(松島海岸と遊覧船巡り)
仙台駅から松島海岸駅までの電車の中は、若い人たちがいっぱいでしたが、沿線に大学があるのか、途中の駅で、ほとんどの若い人たちが電車から降りて行きました。
たしか、仙台から松島海岸までは、鉄路23kmぐらいで、案外近いのだなと感じました。直線ノンストップなら、車だと時速60kmで走れば23分間で到着です。
遊覧船乗り場あたりの景色は絶景でした。さすが、日本三景のひとつです。
島には都市のような街が見えました。
テレビの旅番組で何度か見た岩がありました。
この岩は『仁王島(におうじま)』という名称です。
松島湾を出て、外海(そとうみ)近くに出ると、それなりに船がぐらんぐらんと揺れて、知床遊覧船沈没事故が頭をよぎり怖かった。波が静かなように見えても、外洋の潮の流れは大きい。
(塩釜(しおがま))
昼食は、仙石線で塩釜まで戻ってとりました。
この旅行の前にうちに遊びに来た東北旅行好きの友だちが、塩釜市内でおいしいお寿司屋さんを2軒教えてくれたので、そのうちの1軒を訪れました。
にぎり寿司もカキのお刺身もおいしかったです。お寿司職人さんには、世間話の相手もしていただきありがとうございました。
塩釜での写真は撮るのを忘れました。
港湾部に並ぶクレーンのような構築物に迫力がありました。
これで、何回か掲載した仙台旅のリポートは(報告めいた随筆)は終わります。
今はもう12月の中旬になってきたので、仙台は雪が降る時期を迎えているような気がします。
長文を読んでいただきありがとうございました。
(瑞巌寺(ずいがんじ))
自分がこどもだったころに聴いた『大漁唄い込み(たいりょううたいこみ)』に登場する「ずいがんじ」です。
「エンヤートット エンヤートット」から始まって「まつしまーの さーよ ずいがんじぃほーどーのー」と続く勢いのある民謡です。
JR仙石線(せんせきせん。仙台市内-石巻(いしのまき))『松島海岸駅』を出たところの売り場で、遊覧船の乗船券を買い、乗船までに1時間以上があったので、先にお寺さん見学をと、瑞巌寺への近道を教えてもらいました。
近道では、紅葉が迎えてくれました。
境内付近で、たくさんの木々が伸びやかに育つ姿を見て、気持ちが晴れました。
いいお天気で良かった。
岩を削って、祠(ほこら。仏を祀る場所)をつくってあるところがいくつもありました。
こちらのお寺さんの特徴なのでしょう。
まっすぐな道が海へ向かって伸びています。
東日本大震災の時は、半分ぐらいの位置まで、津波が来たそうです。
震災前は、道の両側にたくさんの杉の木が生えていたそうですが、津波の被害で、たくさんの木を伐採したそうです。
当時、瑞巌寺は避難所になったとネットで資料を読みました。
次の写真は、本堂の入口です。
部屋には、金ぴかの絵がたくさん飾ってありました。
名古屋城の本丸御殿みたいな雰囲気でした。
外国人旅行者の人たちのグループがいて、ガイドさんが英語で説明をされていました。
(松島海岸と遊覧船巡り)
仙台駅から松島海岸駅までの電車の中は、若い人たちがいっぱいでしたが、沿線に大学があるのか、途中の駅で、ほとんどの若い人たちが電車から降りて行きました。
たしか、仙台から松島海岸までは、鉄路23kmぐらいで、案外近いのだなと感じました。直線ノンストップなら、車だと時速60kmで走れば23分間で到着です。
遊覧船乗り場あたりの景色は絶景でした。さすが、日本三景のひとつです。
島には都市のような街が見えました。
テレビの旅番組で何度か見た岩がありました。
この岩は『仁王島(におうじま)』という名称です。
松島湾を出て、外海(そとうみ)近くに出ると、それなりに船がぐらんぐらんと揺れて、知床遊覧船沈没事故が頭をよぎり怖かった。波が静かなように見えても、外洋の潮の流れは大きい。
(塩釜(しおがま))
昼食は、仙石線で塩釜まで戻ってとりました。
この旅行の前にうちに遊びに来た東北旅行好きの友だちが、塩釜市内でおいしいお寿司屋さんを2軒教えてくれたので、そのうちの1軒を訪れました。
にぎり寿司もカキのお刺身もおいしかったです。お寿司職人さんには、世間話の相手もしていただきありがとうございました。
塩釜での写真は撮るのを忘れました。
港湾部に並ぶクレーンのような構築物に迫力がありました。
これで、何回か掲載した仙台旅のリポートは(報告めいた随筆)は終わります。
今はもう12月の中旬になってきたので、仙台は雪が降る時期を迎えているような気がします。
長文を読んでいただきありがとうございました。
2022年12月09日
東野&岡村の旅猿 和歌山への旅 カツオ編
東野&岡村の旅猿 2022年11月~12月 和歌山で岡村マグロ解体ショーへの旅 カツオ編 動画配信サービスサイト
ゲストは釣り師の鈴木拓さんです。
今回は、釣り好きの人が見ると楽しい番組でしょう。
岡村さんがマグロの解体ショーに挑戦するにあたり、まずは、カツオを釣ってさばく練習をすることが目的の旅です。
まあ、驚くことがいくつかあります。
東野幸治さんと鈴木拓さんは、この3週間後ぐらいにプラベートで、青森県の大間(おおま。下北半島のさきっぽ)にマグロを釣りに行くそうです。一泊二日だそうです。
今年の大間では、マグロが入れ食いで釣れているそうです。(その後:このあとの番組企画「静岡・愛知で歴史巡りの旅」で、大間のマグロは不漁になった。旅行はとりやめになったというような話が出ました。うまくいかないものです)
それから、鈴木拓さんは本来の芸能人としての仕事があまりなく、車にカヤック(舟)を積んで、日本列島を自家用車で巡って釣り旅行をしてからこのロケに参加してきたそうです。関西方面を回って、日本列島日本海側を北上して、北海道の屈斜路湖(くっしゃろこ)まで行かれています。
相方の塚地武雅さん(つかじ・むがさん)はドラマ出演ばかりで、台本ばかり読んでいて、最近いっしょにドランクドラゴンとして漫才舞台をやるのは月に1回か2回しかないそうです。
鈴木拓さんはもう自分は芸能界を引退しているようなものだと自虐的(じぎゃくてき。自分を責める)に話します。(一生懸命働いて、もう貯えができたのでしょう。今は、釣り人としての人生を楽しんでください)
ロケ集団は、飛行機で和歌山の空港に来て、朝食がわりのカレーを食べて、お昼近く、魚釣りとしてはずいぶん遅い時刻の船出です。
この番組の定番進行があります。
『楽しい旅になるはずが……』
『やっぱりいざこざが発生……』
『どんな旅になるでしょうか……』
場所は、和歌山県串本です。
(つづく)
釣り船に乗って、沖へ移動して、カツオ釣りを始めましたが釣れません。
午前の部を終えて、いったん岸へ戻って、イノブタ料理の昼食をとった三人さんでした。
釣りに出て、いったん戻って、再び海へ出るという手法は異例だそうです。一度海に出たら、お昼過ぎまで海の上というやりかたが普通だそうです。
昼食後の三人は、カツオ釣りをやめて、スマガツオ(鈴木拓さんが言うには、もはやカツオではないそうです)とアカハタ釣りに挑戦します。
とりあえず、鈴木拓さんが、アカハタを釣りあげました。
ようやく一匹釣れたところで、次週へ続くです。
(偶然なのですが、このシーンを観た夜、NHKで、さかなくんが、東京湾でアカハタを釣っている番組を観ました。さかなくんと鈴木拓さんは学校の同級生であり、親しいわけで、ふたりには、不思議な縁があります)
(つづく)
岡村さんは、船長から受け取った竿で、アカハタとオオモンハタを釣りあげました。
ひとりだけ釣れていなかったので、終了近くの滑り込みの成果でした。
カツオが釣れなかったので、魚屋でカツオを手に入れました。
岡村さんがマイ包丁で解体します。(以前番組で流れましたが、大阪の堺で購入したもので、たしか1本4万円ぐらいの包丁です)
途中、串本海中公園に立ち寄って、ウミガメに餌やり体験と水槽見学をしました。
東野さんが、頭の中は釣りのことばかりなので、水族館という生き物を育む場で、魚を食べる話をします。テレビ受けするように、わざとなのでしょう。
(つづく)
居酒屋で、岡村さんは買ってきたカツオのさばき(解体)に挑戦して、あとは、三人が釣った魚、アカハタ、オオモンハタを店主にお願いして、から揚げ、煮つけにしてもらいました。どれもおいしそうです。岡村さんの包丁さばきはていねいで努力の人です。カツオの硬いうろこを切り取る作業はむずかしそうです。カツオのたたきは、バーナーでていねいに焼いたあと、氷水で冷やします。
できあがったカツオの刺身もたたきもおいしそうでした。
おもしろかったのが、東野さんのかけ声『カツオのたた~き~』です。
全体的にBGM(バックグランドミュージック)も場面に合っていて感じが良かった。
東野さんと鈴木拓さんが飲んだ冷たい生ビールとハイボールもおいしそうでした。
番組エンディング付近の鈴木拓さんが持参したドローン操縦シーンがおもしろかった。
てんやわんやの大騒ぎです。
鈴木拓さんが、空中にとまっている自分のドローンをつかまえてあわてふためき、まるで、ドローンに人間がぶらさがっているみたいな姿が、予定調和の映像づくりではなく、不規則な出来事、ハプニングでおもしろかった。
ドローンは、自分の下に障害物があると、センサーで物体ありと認識できて、安全のために降下してこないというシステムに感心しました。
あのドローンの値段はいくらぐらいするのだろうかと考えましたが、番組の中では話題にはなりませんでした。かなりいいものらしい。
次回は、徳川家康がらみで、愛知県、静岡県の旅となるそうです。
楽しみにしています。
ゲストは釣り師の鈴木拓さんです。
今回は、釣り好きの人が見ると楽しい番組でしょう。
岡村さんがマグロの解体ショーに挑戦するにあたり、まずは、カツオを釣ってさばく練習をすることが目的の旅です。
まあ、驚くことがいくつかあります。
東野幸治さんと鈴木拓さんは、この3週間後ぐらいにプラベートで、青森県の大間(おおま。下北半島のさきっぽ)にマグロを釣りに行くそうです。一泊二日だそうです。
今年の大間では、マグロが入れ食いで釣れているそうです。(その後:このあとの番組企画「静岡・愛知で歴史巡りの旅」で、大間のマグロは不漁になった。旅行はとりやめになったというような話が出ました。うまくいかないものです)
それから、鈴木拓さんは本来の芸能人としての仕事があまりなく、車にカヤック(舟)を積んで、日本列島を自家用車で巡って釣り旅行をしてからこのロケに参加してきたそうです。関西方面を回って、日本列島日本海側を北上して、北海道の屈斜路湖(くっしゃろこ)まで行かれています。
相方の塚地武雅さん(つかじ・むがさん)はドラマ出演ばかりで、台本ばかり読んでいて、最近いっしょにドランクドラゴンとして漫才舞台をやるのは月に1回か2回しかないそうです。
鈴木拓さんはもう自分は芸能界を引退しているようなものだと自虐的(じぎゃくてき。自分を責める)に話します。(一生懸命働いて、もう貯えができたのでしょう。今は、釣り人としての人生を楽しんでください)
ロケ集団は、飛行機で和歌山の空港に来て、朝食がわりのカレーを食べて、お昼近く、魚釣りとしてはずいぶん遅い時刻の船出です。
この番組の定番進行があります。
『楽しい旅になるはずが……』
『やっぱりいざこざが発生……』
『どんな旅になるでしょうか……』
場所は、和歌山県串本です。
(つづく)
釣り船に乗って、沖へ移動して、カツオ釣りを始めましたが釣れません。
午前の部を終えて、いったん岸へ戻って、イノブタ料理の昼食をとった三人さんでした。
釣りに出て、いったん戻って、再び海へ出るという手法は異例だそうです。一度海に出たら、お昼過ぎまで海の上というやりかたが普通だそうです。
昼食後の三人は、カツオ釣りをやめて、スマガツオ(鈴木拓さんが言うには、もはやカツオではないそうです)とアカハタ釣りに挑戦します。
とりあえず、鈴木拓さんが、アカハタを釣りあげました。
ようやく一匹釣れたところで、次週へ続くです。
(偶然なのですが、このシーンを観た夜、NHKで、さかなくんが、東京湾でアカハタを釣っている番組を観ました。さかなくんと鈴木拓さんは学校の同級生であり、親しいわけで、ふたりには、不思議な縁があります)
(つづく)
岡村さんは、船長から受け取った竿で、アカハタとオオモンハタを釣りあげました。
ひとりだけ釣れていなかったので、終了近くの滑り込みの成果でした。
カツオが釣れなかったので、魚屋でカツオを手に入れました。
岡村さんがマイ包丁で解体します。(以前番組で流れましたが、大阪の堺で購入したもので、たしか1本4万円ぐらいの包丁です)
途中、串本海中公園に立ち寄って、ウミガメに餌やり体験と水槽見学をしました。
東野さんが、頭の中は釣りのことばかりなので、水族館という生き物を育む場で、魚を食べる話をします。テレビ受けするように、わざとなのでしょう。
(つづく)
居酒屋で、岡村さんは買ってきたカツオのさばき(解体)に挑戦して、あとは、三人が釣った魚、アカハタ、オオモンハタを店主にお願いして、から揚げ、煮つけにしてもらいました。どれもおいしそうです。岡村さんの包丁さばきはていねいで努力の人です。カツオの硬いうろこを切り取る作業はむずかしそうです。カツオのたたきは、バーナーでていねいに焼いたあと、氷水で冷やします。
できあがったカツオの刺身もたたきもおいしそうでした。
おもしろかったのが、東野さんのかけ声『カツオのたた~き~』です。
全体的にBGM(バックグランドミュージック)も場面に合っていて感じが良かった。
東野さんと鈴木拓さんが飲んだ冷たい生ビールとハイボールもおいしそうでした。
番組エンディング付近の鈴木拓さんが持参したドローン操縦シーンがおもしろかった。
てんやわんやの大騒ぎです。
鈴木拓さんが、空中にとまっている自分のドローンをつかまえてあわてふためき、まるで、ドローンに人間がぶらさがっているみたいな姿が、予定調和の映像づくりではなく、不規則な出来事、ハプニングでおもしろかった。
ドローンは、自分の下に障害物があると、センサーで物体ありと認識できて、安全のために降下してこないというシステムに感心しました。
あのドローンの値段はいくらぐらいするのだろうかと考えましたが、番組の中では話題にはなりませんでした。かなりいいものらしい。
次回は、徳川家康がらみで、愛知県、静岡県の旅となるそうです。
楽しみにしています。
2022年12月08日
仙台 夜景と昼の景色
仙台 夜景と昼の景色
まず、夜景です
11月なかば過ぎの時期です。
仙台駅そばのビル『アエル』の展望室から見えた景色です。
ちょっと反射で室内が映ってしまっています。
とてもきれいでした。仙台市は大都会です。
展望デッキは、東西南北を一周して見ることができるつくりではなく、2か所で、廊下の東と西に別れていて、東と西の景色の一部が見える、それほど広くはない空間でした。
料金は無料で、訪れている客層は、外国の西欧人若い女性のグループとか、地元の高校生、大学生の同性同士、あるいはカップルなどで、窓の外の景色を楽しむというよりは、長椅子のベンチに腰かけて、それぞれがおしゃべりを楽しんでおられました。
平日だったので、地元の人ばかりのような雰囲気でした。週末は観光目的の人が来るのでしょう。
次の写真は、夜景を見た翌日で、午後4時ころの景色です。
この日は夫婦で、午前中から松島海岸と塩釜に行って来て、仙台駅に戻り、ここで、また展望風景を楽しんだあと、東北新幹線「こまち号(はやぶさ号と連結)」に乗車して東京駅へ向かいました。
窓の外は、夕映え近くで、まぶしかった。
西方向です。仙台城跡と瑞鳳殿(ずいほうでん)を探しましたが、まぶしくて見にくくて、位置はわかりませんでした。まんなかあたりに小さいのですが、ぽこんとお山が突き出ていたのがよく見えました。
次の写真では、かまぼこ型をしたトンネルのように見えている部分が、市街地中心部にあるアーケード街です。前日の夜に散策したハピナ名掛町(なかけちょう)あたりです。
次の写真ですが、白い観音様の像が見えました。
ここから見てあのようにでかいということは、そばでみるとかなり巨大でしょう。
『仙台大観音』高さ100メートルあるそうです。
次の写真以降は、東方向です。
奥に太平洋の海が見えます。
意外に海が近いので驚きました。
写真の、おそらく右奥方向に、仙台空港があるのでしょう。
東日本大震災のときは、陸の孤島状態になって、一時的に空港から外への避難の移動ができなかったと報道された記憶が自分の脳みそに残っています。市街地に近いのに、それもまた意外です。
次の写真の中央に野球のスタジアムが見えます。
『楽天生命パーク宮城』です。
座席の色が赤系統色です。(クリムゾンレッドというそうです)
前日の夜は、夜景見物のあと、ホテルでもらった『宮城宿泊割』の地域限定クーポンで、牛タンと仙台牛を楽しみました。宮城県さんありがとう。お世話になりました。おいしかったです。
まず、夜景です
11月なかば過ぎの時期です。
仙台駅そばのビル『アエル』の展望室から見えた景色です。
ちょっと反射で室内が映ってしまっています。
とてもきれいでした。仙台市は大都会です。
展望デッキは、東西南北を一周して見ることができるつくりではなく、2か所で、廊下の東と西に別れていて、東と西の景色の一部が見える、それほど広くはない空間でした。
料金は無料で、訪れている客層は、外国の西欧人若い女性のグループとか、地元の高校生、大学生の同性同士、あるいはカップルなどで、窓の外の景色を楽しむというよりは、長椅子のベンチに腰かけて、それぞれがおしゃべりを楽しんでおられました。
平日だったので、地元の人ばかりのような雰囲気でした。週末は観光目的の人が来るのでしょう。
次の写真は、夜景を見た翌日で、午後4時ころの景色です。
この日は夫婦で、午前中から松島海岸と塩釜に行って来て、仙台駅に戻り、ここで、また展望風景を楽しんだあと、東北新幹線「こまち号(はやぶさ号と連結)」に乗車して東京駅へ向かいました。
窓の外は、夕映え近くで、まぶしかった。
西方向です。仙台城跡と瑞鳳殿(ずいほうでん)を探しましたが、まぶしくて見にくくて、位置はわかりませんでした。まんなかあたりに小さいのですが、ぽこんとお山が突き出ていたのがよく見えました。
次の写真では、かまぼこ型をしたトンネルのように見えている部分が、市街地中心部にあるアーケード街です。前日の夜に散策したハピナ名掛町(なかけちょう)あたりです。
次の写真ですが、白い観音様の像が見えました。
ここから見てあのようにでかいということは、そばでみるとかなり巨大でしょう。
『仙台大観音』高さ100メートルあるそうです。
次の写真以降は、東方向です。
奥に太平洋の海が見えます。
意外に海が近いので驚きました。
写真の、おそらく右奥方向に、仙台空港があるのでしょう。
東日本大震災のときは、陸の孤島状態になって、一時的に空港から外への避難の移動ができなかったと報道された記憶が自分の脳みそに残っています。市街地に近いのに、それもまた意外です。
次の写真の中央に野球のスタジアムが見えます。
『楽天生命パーク宮城』です。
座席の色が赤系統色です。(クリムゾンレッドというそうです)
前日の夜は、夜景見物のあと、ホテルでもらった『宮城宿泊割』の地域限定クーポンで、牛タンと仙台牛を楽しみました。宮城県さんありがとう。お世話になりました。おいしかったです。
2022年12月07日
妖怪人間ベム 1967年 「恐怖の貨物列車」
妖怪人間ベム 1967年(昭和42年) シーズン1 エピソード1 「恐怖の貨物列車」 動画配信サービス
こどものころに白黒テレビで見ていた動画マンガです。
冒頭の歌を聴いて記憶がよみがえりました。
『やみにかくれていきる おれたちゃ ようかいにんげんなのさ …… 「はやくにんげんになりたい」……』
ベム(お父さんみたい)、ベラ(お母さんみたい)、ベロ(ふたりのこどもみたい)、そして、三人とも昆虫みたいな、両生類、爬虫類(はちゅうるい)みたな妖怪なのです。
『早く人間になりたい』という決めゼリフを思い出します。
自分の記憶違いかもしれませんが、なにかひとついいことをすると、体の一部が人間の体に変わるという設定があったような気がします。いやいやそれは別のアニメ『どろろ』だろうか。(調べました。やはり『どろろ』のほうでした)
今回見て感じたことです。
ストーリーはそれほどおもしろくありません。
こどものころは惰性で見ていたのでしょう。(だせい:マンガだから、テレビをつけっぱなしにするような状況でながめていた)
登場人物の絵は、外国人に見えるのですが、言葉づかいやしぐさは日本人的で古くさい。『あねごー あと5分ですぜ』。理屈っぽい。ベラが、人間になるために、自分のことは自分でやるという教育をこどものベロにします。
ベラの言葉数が多い。(物語の進行役です)ベラは、ベロの母親のようで、そうではない。妖怪人間の仲間です。(この部分を当時や現在の時代背景にあてはめて深く考えると、少数派の標準的ではない人間を標準化させようという意図や意識が感じられます)
水木しげる作品『ゲゲゲの鬼太郎』に出てくる目玉のおやじみたいな目玉がたくさん出てきました。
ガイコツの骨でできた鉄道線路の絵がなかなかいい。骨でできている線路という発想がいい。
ずーッと見ていると、やはり不気味で怖い(ぶきみでこわい)。幻惑の世界です。(げんわく。人心をまどわせる。混乱させる。ありもしないものをあるように表現する)。
こどものころに白黒テレビで見ていた動画マンガです。
冒頭の歌を聴いて記憶がよみがえりました。
『やみにかくれていきる おれたちゃ ようかいにんげんなのさ …… 「はやくにんげんになりたい」……』
ベム(お父さんみたい)、ベラ(お母さんみたい)、ベロ(ふたりのこどもみたい)、そして、三人とも昆虫みたいな、両生類、爬虫類(はちゅうるい)みたな妖怪なのです。
『早く人間になりたい』という決めゼリフを思い出します。
自分の記憶違いかもしれませんが、なにかひとついいことをすると、体の一部が人間の体に変わるという設定があったような気がします。いやいやそれは別のアニメ『どろろ』だろうか。(調べました。やはり『どろろ』のほうでした)
今回見て感じたことです。
ストーリーはそれほどおもしろくありません。
こどものころは惰性で見ていたのでしょう。(だせい:マンガだから、テレビをつけっぱなしにするような状況でながめていた)
登場人物の絵は、外国人に見えるのですが、言葉づかいやしぐさは日本人的で古くさい。『あねごー あと5分ですぜ』。理屈っぽい。ベラが、人間になるために、自分のことは自分でやるという教育をこどものベロにします。
ベラの言葉数が多い。(物語の進行役です)ベラは、ベロの母親のようで、そうではない。妖怪人間の仲間です。(この部分を当時や現在の時代背景にあてはめて深く考えると、少数派の標準的ではない人間を標準化させようという意図や意識が感じられます)
水木しげる作品『ゲゲゲの鬼太郎』に出てくる目玉のおやじみたいな目玉がたくさん出てきました。
ガイコツの骨でできた鉄道線路の絵がなかなかいい。骨でできている線路という発想がいい。
ずーッと見ていると、やはり不気味で怖い(ぶきみでこわい)。幻惑の世界です。(げんわく。人心をまどわせる。混乱させる。ありもしないものをあるように表現する)。
2022年12月05日
仙台市内夕暮れ散歩
仙台市内夕暮れ散歩
仙台を訪れる前にインターネットで『仙臺楽歩(せんだいらくほ)』というページにあった市中心部の観光案内図を印刷して持参しました。その案内図を参考にしながら市内を歩きました。
ただし、ルートは、紹介されているルートの逆ルートにしました。
午後3時過ぎに仙台駅前にあるホテルにチェックインしたあと、部屋に荷物を置いて、ホテルを出てから、近くにあった『仙台朝市』の通りを見学して、地下鉄の『仙台駅』からふた駅目にある『大町西公園』駅で下車して、公園沿いに北方向へ歩き、その後、東方向へ向かい、市内中心部、アーケード商店街などを散策して、仙台駅前に戻り『アエル』というビルの展望デッキで夜景を楽しんで、駅地下にあるレストランで夕食をとりホテルに戻りました。
(仙台朝市)
朝市という名称ですが、一日中やっていて、むしろ、昼から夕方のほうが、観光客が多いそうです。
自分が見た限りでは、地元に住む人たちが、食材の購入を目的にして買い物に来られているという風景でした。
昔、韓国のソウルに行ったときに見た『南大門市場(ナムデムンいちば)』という市場に、雰囲気が似ていました。
とくに写真はありません。このあと訪ねたほかの場所も含めて、一般人の人たちがたくさん歩いていたので、写真撮影は遠慮しました。ちょうど、仕事帰りの時間帯とぶつかって、市中はたいへんな人出でした。やはり人口が100万人を超えると、街はにぎやかで活気があります。
(西公園の東にある道路を定禅寺通り(じょうぜんじどおり)をめざして歩きました)
自転車に乗って移動している学生さんたちが多い。あわせて、外国人と思われる学生さんが多かった。アジア系の若い男性たちでした。
(定禅寺通り(じょうぜんじどおり))
おみやげに「こけし」を買おうと思っていたのですが、お店を見つけきれませんでした。
仙台駅方向へ歩いていたら『東京エレクトロン』という看板が目に入りました。自分は、銀行に勧められて、昨年の夏ぐらいから株取引をしているのですが『東京エレクトロン』は、三重テレビで放映されている株式番組で良く耳にする会社名でした。(仙台にこんな大きな支店がある会社なのか。たしか半導体がらみ会社だった)とその時は思いました。
あとで調べたらそこは『宮城県民会館』というところで、ネーミングライツ(会社名の宣伝広告目的で)社名が付けられているということがわかりました。今は、劇団四季の『リトル・マーメイド』という劇が上演されているそうです。ホールの名称は『東京エレクトロンホール宮城』です。
(一番町四丁目商店街→ぷらんどーむ一番町→えびす神社→サンモール一番町)
仙台三越があるところから地下鉄駅『青葉通り一番町』までとりあえず歩いて移動しました。
ライトアップの照明電灯がきれいでした。キラキラ輝いていました。
一般の人たちがたくさん歩いていたので、カメラを向けることが心苦しく、写真撮影は控えました。
持参した案内図に『えびす神社』というところがあったのでお参りしました。
百貨店の屋上にありました。ビルの屋上にある神社は珍しい。
あたりは真っ暗でしたが、スマホで撮影すると建物がよく見えるように写りました。
旅の安全祈願をしておきました。
(マーブルロードおおまち→クリスロード(中央通り)→ハピナ名掛町(なかけちょう))
華やかな商店街通路でした。
たいへんな人出があって、びっくりしました。
仙台には勢いがあります。仙台は、東京圏ですな。東京まで東北新幹線で1時間半です。
仙台では、七夕祭り(たなばたまつり)が有名です。たぶん、歩いて来たアーケードのどこかを使って、天井付近から大きな飾りを吊り下げるのでしょう。
自分が小学生のときに、国語辞典の最初のほうのページに、カラー写真で、仙台七夕祭りの写真があるページがありました。なつかしい。何十年もたって、ようやく、その場所を歩けました。
途中、こけし屋さんをのぞきました。
ガイドブックで見かけた可愛らしい笑顔が描いてある家族メンバーのこけしがあれば買いたかったのですが、残念ながら見当たりませんでした。入ったお店は、どうも外国人観光客向けのこけし屋さんだろうと感じられました。年賀状ハガキだけを購入しておきました。
しばらく歩くと、雑貨屋さんがありました。店内には、楽し気な雑貨が並んでいました。店内に入ってしばらくうろうろしました。
<次回につづく このあと『アエル』というビルの展望デッキにのぼって、仙台市内の夜景を楽しみました>
愛知県から仙台に到着したこの日は、わたしの万歩計で17159歩も歩きました。
歩き疲れました。(うち、毎朝の散歩と地元の鉄道駅までの歩きで、3000歩ぐらいが含まれています)
おまけの情報として、各種ガイドや地図で、地名が読めなかった場所です。ふりがながほしい。
勾当台(こうとうだい) 榴ヶ岡(つつじがおか)
仙台を訪れる前にインターネットで『仙臺楽歩(せんだいらくほ)』というページにあった市中心部の観光案内図を印刷して持参しました。その案内図を参考にしながら市内を歩きました。
ただし、ルートは、紹介されているルートの逆ルートにしました。
午後3時過ぎに仙台駅前にあるホテルにチェックインしたあと、部屋に荷物を置いて、ホテルを出てから、近くにあった『仙台朝市』の通りを見学して、地下鉄の『仙台駅』からふた駅目にある『大町西公園』駅で下車して、公園沿いに北方向へ歩き、その後、東方向へ向かい、市内中心部、アーケード商店街などを散策して、仙台駅前に戻り『アエル』というビルの展望デッキで夜景を楽しんで、駅地下にあるレストランで夕食をとりホテルに戻りました。
(仙台朝市)
朝市という名称ですが、一日中やっていて、むしろ、昼から夕方のほうが、観光客が多いそうです。
自分が見た限りでは、地元に住む人たちが、食材の購入を目的にして買い物に来られているという風景でした。
昔、韓国のソウルに行ったときに見た『南大門市場(ナムデムンいちば)』という市場に、雰囲気が似ていました。
とくに写真はありません。このあと訪ねたほかの場所も含めて、一般人の人たちがたくさん歩いていたので、写真撮影は遠慮しました。ちょうど、仕事帰りの時間帯とぶつかって、市中はたいへんな人出でした。やはり人口が100万人を超えると、街はにぎやかで活気があります。
(西公園の東にある道路を定禅寺通り(じょうぜんじどおり)をめざして歩きました)
自転車に乗って移動している学生さんたちが多い。あわせて、外国人と思われる学生さんが多かった。アジア系の若い男性たちでした。
(定禅寺通り(じょうぜんじどおり))
おみやげに「こけし」を買おうと思っていたのですが、お店を見つけきれませんでした。
仙台駅方向へ歩いていたら『東京エレクトロン』という看板が目に入りました。自分は、銀行に勧められて、昨年の夏ぐらいから株取引をしているのですが『東京エレクトロン』は、三重テレビで放映されている株式番組で良く耳にする会社名でした。(仙台にこんな大きな支店がある会社なのか。たしか半導体がらみ会社だった)とその時は思いました。
あとで調べたらそこは『宮城県民会館』というところで、ネーミングライツ(会社名の宣伝広告目的で)社名が付けられているということがわかりました。今は、劇団四季の『リトル・マーメイド』という劇が上演されているそうです。ホールの名称は『東京エレクトロンホール宮城』です。
(一番町四丁目商店街→ぷらんどーむ一番町→えびす神社→サンモール一番町)
仙台三越があるところから地下鉄駅『青葉通り一番町』までとりあえず歩いて移動しました。
ライトアップの照明電灯がきれいでした。キラキラ輝いていました。
一般の人たちがたくさん歩いていたので、カメラを向けることが心苦しく、写真撮影は控えました。
持参した案内図に『えびす神社』というところがあったのでお参りしました。
百貨店の屋上にありました。ビルの屋上にある神社は珍しい。
あたりは真っ暗でしたが、スマホで撮影すると建物がよく見えるように写りました。
旅の安全祈願をしておきました。
(マーブルロードおおまち→クリスロード(中央通り)→ハピナ名掛町(なかけちょう))
華やかな商店街通路でした。
たいへんな人出があって、びっくりしました。
仙台には勢いがあります。仙台は、東京圏ですな。東京まで東北新幹線で1時間半です。
仙台では、七夕祭り(たなばたまつり)が有名です。たぶん、歩いて来たアーケードのどこかを使って、天井付近から大きな飾りを吊り下げるのでしょう。
自分が小学生のときに、国語辞典の最初のほうのページに、カラー写真で、仙台七夕祭りの写真があるページがありました。なつかしい。何十年もたって、ようやく、その場所を歩けました。
途中、こけし屋さんをのぞきました。
ガイドブックで見かけた可愛らしい笑顔が描いてある家族メンバーのこけしがあれば買いたかったのですが、残念ながら見当たりませんでした。入ったお店は、どうも外国人観光客向けのこけし屋さんだろうと感じられました。年賀状ハガキだけを購入しておきました。
しばらく歩くと、雑貨屋さんがありました。店内には、楽し気な雑貨が並んでいました。店内に入ってしばらくうろうろしました。
<次回につづく このあと『アエル』というビルの展望デッキにのぼって、仙台市内の夜景を楽しみました>
愛知県から仙台に到着したこの日は、わたしの万歩計で17159歩も歩きました。
歩き疲れました。(うち、毎朝の散歩と地元の鉄道駅までの歩きで、3000歩ぐらいが含まれています)
おまけの情報として、各種ガイドや地図で、地名が読めなかった場所です。ふりがながほしい。
勾当台(こうとうだい) 榴ヶ岡(つつじがおか)