2022年12月26日

太川&えびす路線バス乗り継ぎ旅 第6弾 松島-竜飛岬

太川&えびすローカル路線バス乗り継ぎ人情旅 第6弾 BSテレ東 宮城県松島-青森県竜飛岬 2010年2月放送分

 以前見たことがありますがまた見ました。ファンとはそういうものです。同じものを何度でも観ます。
 前回観た時の感想は後記します。

 火曜日午後7時ぐらいからの放送で、これまでに、第5弾までの再放送があって、その後、別の旅番組が流れていたのでがっかりしていたのですが、このシリーズの放送が再開されてうれしいです。テレ東さんありがとう。

 宮城県の松島には先月(2022年11月)行ってきたばかりなので映像の風景を身近に感じられました。松島湾巡りの遊覧船に乗りましたが、映像に遊覧船乗り場と停泊している遊覧船がでました。
 今年は、長野県の善光寺と松本城、宮城県の仙台と松島に行きました。いずれもいいお天気で良かった。いい思い出ができました。
 テレビの旅番組を参考にして、旅の行き先を決めているようなところがあります。

 三人のチャレンジは成功しています。
 ゲストは、山田まりやさんです。
 ゴールの竜飛岬(たっぴみさき)では、別のバラエティ番組で東野幸治さんが津軽三味線を弾いていました。悪天候の中を悪戦苦闘しながらバチを振っていましたが、こちらのローカル路線バスの旅では、三人は、大雪ともいえる雪が降る中をたいへんな苦労をされてゴールの竜飛岬まで到着されています。600kmを路線バスで制覇しました。すごい。たいしたものです。ロケは、2010年2月1日-4日(平成22年)です。

 三人は、松島を出発しましたが、なかなか松島周辺から離れることができませんでした。
 バスの待ち時間に寄らせてもらったおうちのちびっこたちが可愛いかった。

 旅する中で、おいしかったものとして、ごまどうふ、ラーメン、ひっつみ鍋(すいとん)、カツカレー、親子丼(おやこどん)、天ざるそば、オムライス、ホタテ丼(その後、何度かコンビが訪ねた野辺地(のへじ)の松浦食堂提供ホタテ丼)。
 
 見学したところとして、邦画『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』のロケ地宮城県栗原市。えびすさんが、自分も昔、こういう炭鉱住宅の長屋で暮らしていたことがあるといい、見ているわたしもこどものころに一時期同様の体験があり、なつかしく、えびすさんの話に耳を傾けました。
 有名な中尊寺(ちゅうそんじ)とか、わんこそばは、ぶっとばしていきます。(バス移動優先です)中尊寺金色堂(こんじきどう)は見学したことがあります。仏像というよりも美術品のようでした。金ぴかに輝いていました。
 
 宮澤賢治氏(1896年(明治29年)-1933年(昭和8年)急性肺炎で37歳没。詩人、童話作家)の資料、江戸時代から伝わるお人形、えびすさんのトイレの便座のような襟巻き(えりまき)、いろいろ良かった。

 野辺地(のへじ)というところへは、来年あたり青い森鉄道で通過して、恐山(おそれざん)へと行ってみたい。

 青森の冬は、海は荒れて、波しぶきは大きい。
 雪は多くて、風は強い。
 なるべく気候がいいときに訪れたい。

(以前観たときの感想 2021年6月)
 太川陽介&蛭子能収(えびす・よしかず)のローカル路線バス乗継の旅 BSテレビ東京 宮城県松島から青森県竜飛岬(たっぴみさき) 2010年2月放送分

 昔の再放送です。この形式での番組が始まって第6弾の企画です。
 新聞のテレビ欄を観ていて、たまたま気づいて観てみました。
 2010年当時の自分は仕事が忙しく、テレビはほとんど観ていませんでした。昔放映した番組であっても、自分にとっては新作です。そういう人って案外多いと思います。働いているときは40代から50代の20年間ぐらい、テレビはニュースと天気予報ぐらいしか見ませんでした。

 まだ、東日本大震災も起こっていない東北地方の風景と人情です。
 ゲストは、山田まりやさんという方です。わたしはどんな女性なのかは知りませんが、蛭子能収さんとのはずむようなやりとりがおもしろくて笑いました。
 太川陽介さんも含めて、三人ともお若いです。蛭子能収さんの表情も明るくて輝いています。そして、よく、まわりを不快にさせるようないらぬことをおしゃべりします。観ていて、笑えます。
 蛭子能収さんは、このロケから10年がたって、認知症になられて、顔から表情がなくなったように感じられます。なんだか人生について感慨深く考えてしまいます。
 体が元気なうちに、やりたいことがあったら後まわしにせずにやったほうがいい。体が思うように動かなくなった時のための思い出づくりです。

 この頃の番組では、バス車内での乗客のみなさんとの交流が盛んです。バス通学をする高校生たちとの気どらない自然な会話で車内がなごみます。おばちゃんやおばあちゃんたちとの会話、バス案内所、運転手さんたちとの会話、人と人との素直な会話がすたれていくような世情の中で、気持ちがほっとする部分があります。

 11年前の映像なので、映像に出ていた男子高校生たちはもう30歳近くにはなっていると思います。映像に出た高齢者の方々の中にはすでにお亡くなりになった方もおられると思います。番組を録画されていたならば、なつかしくずっと思い出の映像の中で生き続けるみなさんたちです。

 ルート上にあった青森県の浅虫温泉(あさむしおんせん)は家族で観光旅行に行ったことがあるのでなつかしかった。泊ったホテルでは、津軽三味線の生演奏を聴きました。とても良かった。浅虫水族館というところにも行きました。その後、もうこどもたちは所帯をもって独立してしまいましたが、ときおり、いつかまた青森へ行ってみたいねという話が出ます。
 映像では、駅前の食堂が出てきます。以前観た別の路線バスルートの同じ番組で、年数を開けて、太川陽介&蛭子能収のコンビが、再び立ち寄ったというような映像を観た覚えがあります。

 番組での津軽半島ルートは、太宰治(だざいおさむ)作品「津軽」と同じようなルートで回っておられます。戦時中、昭和19年ごろの太宰治氏の旅行記です。
 映像を観ていて、いろいろしみじみとくるものがあります。厳しい冬の雪景色が気持ちに響きます。とても寒そうです。

 食事抜きでローカルバスを乗り継ぐときもあるメンバーですが、最近の競争方式の類似の番組と違って、のんびりして落ち着く面もあります。どっちがいいのかはわかりませんが、蛭子能収さんのような天然キャラクターの人が現れるまでは競争方式でいく方法がいいのでしょう。