2022年12月17日

人間関係を半分降りる 気楽なつながりの作り方 鶴見済

人間関係を半分降りる 気楽なつながりの作り方 鶴見済(つるみ・わたる) 筑摩書房

 同著者の本に『完全自殺マニュアル』があります。(1993年発行)。著者は29歳でした。
 こちらの『人間関係を半分降りる』は、2022年の発行です。まず、この本から読んでみます。
 人間関係を全部降りるのではなく、半分降りるのです。著者は58歳です。

 自分は自殺したいと思ったことはありませんが、消えてしまいたいと思ったことはあります。どちらも似たような心理なのでしょう。
 自殺しようと思って、自殺を試みた(こころみた)のではないという話を聞いたことがあります。
 自殺未遂者(じさつみすいしゃ)の話です。
 死ぬ気はなかったのに、体がふわ~と浮いたような感じになって、線路に自分の体が吸い込まれていった。
 悩んで、思い詰めて、自分で自分の心身をコントロールすることができなくなったのでしょう。
 脳みそに『死』への招待という暗示がかかったのでしょう。
 恐ろしいことです。
 
 たぶんこの本は、人が生き続けるために必要なことが、アドバイス(助言)として、書かれている本なのでしょう。
 読み始めます。

(1回目の本読み)
 わたしが実用書を読むときは、まず、最初に1ページずつめくりながら、ゆっくりと最後のページまで目を通すという読み方をします。最後のページまでいくと、全部読んだような気分になれて安心できるのです。

 まえがきに『すべての悩みは対人関係の悩み』とあります。(そのとおりです)
 わたしが、三十歳ぐらいのころに、六十代以上だった人たちは、もう、みなさんお亡くなりになりました。
 人間ですから対立はあります。あのころのあの激しい対立や論争は、関係者全員がこの世にいなくなった今、なんだったのだろうかと過去を振り返ることがあります。
 どうせみんな最後は寿命で死んでしまうのだから、頑固(がんこ)に自己主張をするのではなく、譲り合って、仲良くしたほうがいいと思うのです。

 『家族は人間でなくてもいい』
 この項目表示を見て、ああ、ペットのことだなと思ったら、該当のページに、さらに発展して、ぬいぐるみでもクッションでもいいと書いてあるのを発見しました。最初はびっくりしましたが、共感できました。本では『鉢花』でもいいと記事があります。(その後、車でもいいと思いました。愛車です)

 目次の項目を読んでいると、後ろ向きなメッセージが多い。
 なになにでなくてもいいというパターンでお話が進みそうです。

 『もうどうしようもないとあきらめる』
 あきらめることは大切です。
 あきらめないから、ストーカー殺人事件が起きます。死ななくてもいい人が死にます。被害者です。

 『あなたは、あなた、私は私』
 この本は、今年読んで良かった一冊になりそうです。
 『いいかげんになる』
 なにが書いてあるのだろう。
 マスコミや世間が人心をあおるという風潮に流されないというメッセージがあるようです。

 『人目を気にしすぎると自分を殺す』
 かっこつけない。
 人の視線を気にしすぎると、自由な発想が制限されて、精神衛生上よくありません。
 かっこ悪いと人から思われてもいい。開き直って、なにが悪いです。

 著者の体験が下地になっている本なのでしょう。

 性格的に自分とは合わない人には、近づかないほうがいい。

 『子どもがかわいいと思えない』
 子どもとの接し方がわからないという人はいます。

 血のつながりについて書いてあります。
 血がつながっていることに加えて、こどものころに助け合った体験がないと、血縁関係があってもおとなになってからは疎遠になります。

 頻繁(ひんぱん)に会うと断絶しやすい。(そういうことってあります。住居が互いに離れているから仲がいいということはあります。『兄弟姉妹間の比較』がもめごとの種になることがあります)

 夫婦をやめて、離婚して、友だちに戻るというアドバイスがあります。

 一夫一婦制、一夫多妻制、一妻多夫制、いろいろあります。同性カップルもありでしょう。

 『あとがき』を読みました。
 みんな同じでなくていい。
 人の目を気にして生きない。
 人間は素晴らしくない。
 著者から読者へのメッセージです。

(2回目の本読み)
 冒頭で、人間関係の悩みの話が出ます。
 自分の場合は、自分が生まれてから成人するまでの悩みは、家が貧乏でお金がないことでした。
 まえがきを読んでいて、お金がある人は、お金のことでは悩まない。人間関係のことで悩むのだと変な気持ちになりました。
 人間は、お金がなくて悩んで、お金があっても別のことで悩むのです。人間はどんな環境におかれたとしても『悩む』生き物なのでしょう。

 人間を否定する内容でもあります。
 『人間には酷い(ひどい)面があるのだから……』

 そうか『昭和』は、異常で異様な時代だったのか(すべてがそうだとは思えませんが。)
 昭和の時代は、人が「家庭」と「会社」と「学校」に閉じ込められていたとあります。
 
 第1章は、友人から離れるという内容です。
 自分は相手を友人だと思っていても、相手は自分のことを友人だとは思ってくれていなかったということは、よくある話です。その場限りの時間つぶしの相手でしかなかった。ときに相手の都合がいいように利用されることもある。

 どうも著者は、精神的な病(やまい)を体験したことがあるような記述内容です。実際あるのでしょう。(ありました)

 読んでいて思ったことです。
 以前、東京タワーの展望室から、国会議事堂あたりをながめときに思ったことです。
 あの国会議事堂周辺は『箱』になっている。
 国会議員とか、国家公務員の官僚とか、あの箱の中で毎日を送っている人たちは、箱の中にいる間(あいだ)は身分を守られるけれど、箱を出てしまうと、袋叩きにあうこともある。
 箱の中だけで通用するルールの中で生活を営んでいる人たちがいる。(これは、ほかの世界でも共通することです)

 救いのある本です。
 いい本です。
 今年読んで良かった一冊になりそうです。
 今、20ページあたりをながめています。

 昭和時代という昔の話です。
 タモリさんは、今はいい人ですが、昔は人をけなすようなことをテレビで言っていました。
 ビートたけしさんのことも書いてあります。だれかをばかにすることが当時の笑いのネタだった。

 ただ、この本に書いてあるような精神状態(弱気)で、集団の中で働いていくことは苦しい。
 小さいうちから人にもまれて強い気持ちを持つ人にならないと組織でうまくやれないこともあります。
 世の中には、いじわるな人がいます。
 だけど、いい人もいっぱいいます。
 日本人のいじめは『仲間はずし』や『無視』が多いとあります。
 今年の夏に読んだ建築家の人の本でも、従業員を日本人だけにするといじめが起きるので、建築プロジェクトチームには、外国人の社員をたくさん混ぜるようにしているということが書いてありました。
 日本人には二面性があって、表面はにこやかでも、裏では怖い顔をしていることもあります。

 著者は繊細(せんさい。気持ちがこまやかで傷つきやすい)な人です。
 人助けのために『不適応者の居場所』づくりをされています。

 攻撃してくる相手と関わらない。
 学校や職場は危険な場所です。
 
 パワハラをする人は、何人か見たことがあります。
 暴力団員が来てわめいているのかと思ったことがあります。
 警察を呼んだほうがいいと思ったことがあります。
 だれかと思ったら上司にあたる人だったので、警察を呼ぶことはできませんでした。
 ボスと呼ばれる人は、自分の思いどおりにならないとわめき散らす人が多い。机を叩いたり(たたいたり)、イスを蹴ったりして威嚇してきます。(いかく。おどす)
 部下は耐えるばかりです。
 頭がカッとなる人は、脳みその病気ではなかろうか。
 あまりにもひどいので、勇気をふりしぼって『だいじょうぶですか? どうしてそんなにカッカするのですか』と怒鳴る(どなる)上司に声をかけたことがあります。本人は放心状態になって、返答が返ってきませんでした。部下から静かに声をかけられるという想定外のことが起こって、脳みその中身は、どこか別の世界に行ってしまったのでしょう。
 すぐカッとする人のことを、昔は『瞬間湯沸かし器』と言っていました。最近は聞かない言葉です。
 
 筆者は常に弱気です。

 学校は、同じ製品(生徒のこと)をつくるところとあります(同感です)。

 学校に行けないこどもの数が増えました。
 通信制の高校のことが書いてあります。

(つづく)

 103ページまで読みました。
 著者の家庭は崩壊しています。
 著者の兄が狂気です。
 すさまじい。ふたつ違いの兄の手によって、両親や弟である著者が、殺されてしまいそうです。事件になりそうです。著者には凄惨(せいさん。むごい)な体験があります。兄が家族を殴る、蹴る(ける)です。家庭内暴力のシーンがあります。
 著者がサラリーマン社会に適応できなかった原因が兄の素行にあることは推定できます。
 著者の本音(ほんね)が書いてあります。今年読んで良かった一冊です。
 読んでいて、2020年(令和2年)に82歳で亡くなった小説家、作詞家であったなかにし礼さんの小説『兄弟』を思い出しました。なかにし礼さんの兄が、第二次世界大戦の戦地から帰還後、気が狂ったようになっています。なかにし礼さんは、そんな兄を強く深くうらんでいました。(お兄さんの娘さんが2018年に66歳で病死された森田童子(もりた・どうじ)さんであることは後年知りました。自殺する歌ばかりを歌っていた女性シンガーの方でした)
 この部分を読んでいた時に、今はもう九十歳近い年齢になった実母と以前、若くして病気で亡くなった父親の話をしたことを思い出しました。(40歳没)。酒さえ飲まなければ、いいオヤジでした。アルコールが入ると暴君に変わるのでした。アルコールの多量摂取(たりょうせっしゅ)で病気になったようなものなのですが『あの人が生きていたらたいへんな思いをしていた』と母が言い、息子の自分が、そうだねとあいづちをうったのです。
 家庭内暴力というのは、なかなか人には言えません。たとえば、老老介護で、祖父が祖母を叩いて(たたいて)いるとか、逆に、祖母が祖父を叩いているとか、そういうことは、親族の中でも教えることがためらわれたりもします。
 
 著者の記述からは、さみしくないのだろうかという推測と、すごいなあという感嘆が同時に感じられます。
 なにかしら、もったいない。広い世界を知らないままの狭い世界で終わってしまう人生が見えます。『どこにも通わなくても大丈夫』という心もちなのです。(それでも114ページにインドネシアで長期間過ごしたことが書いてありました。良かった。一度っきりの人生を楽しむために、できる範囲内で広い世界を見てほしい)

 著者は、不思議な状態です。
 引きこもりではありません。
 東京大学卒という学力があるからできる作家活動です。(フリーライター)

 『親しみを持つためには自己開示が必要』
 じょうずに自己開示をすることは、けっこうむずかしい。
 著者が書くように、オンラインではなおさらむずかしい。
 
 大企業の中での学閥(がくばつ。同窓生):よくあるパターンです。学閥で互いの信頼関係を確認して信じあって仕事に生かす。ときに不祥事を隠蔽する(いんぺい)グループにもなりがちです。

 『社交不安障害』(状態がよくわかる造語です)

 『子どもさえいれば幸せになれたのに』(子どもがいるだけでは、幸せにはなれません。子どもと苦楽を共にしなければ幸福感は生まれません)

 家庭内別居→夫婦とか兄弟姉妹とかの間において。
 いっしょに食事はしない。各自の部屋で食べる。
 (息が詰まりそうです)

 『子どもがかわいいと思えない』(うーむ。それなりに遊んであげないとこどもはなついてきません。おもちゃやおいしい食べ物をあげないとついてきてくれません)

 『子孫を残すことが生き物の目的だ』(本能だとは思います。著者にとっては、苦痛な言葉だそうです)

 怖い(こわい)ことがいっぱい書いてある本です。
 人間の本性(ほんしょう。根っこ。生まれながらの性質)は、酷い(ひどい)のです。嫌がらせをしたり暴力という力で相手にいうことをきかせたりするのが人間なのです。

 『日本で食卓を囲んで一家団欒(だんらん)をしていたのは、1955年(昭和30年)から1975年(昭和50年)の20年間ぐらいのこと……』(そうなのか。実感が湧きませんが、そうなのでしょう。いっしょに飲食をともにしておしゃべりをすることは交流という楽しみのはずなのですが)

(つづく)

 『家族は人間でなくてもいい』(ペット、鉢花、ぬいぐるみ、クッションなどでもいいとのことです)
 『だれとも会わない日が多かったので……(花に助けられた)』
 セラピー:医術によらない心の病(やまい)の治療方法。
 『こどもよりも、猫のほうがいい……』
 心の優しい人は、心が傷つきやすい。

 血のつながりを信用しない。むしろ拒否する。なぜなら2歳年上の兄に加害されたから。
 『養子』の話が出ます。『見合い結婚』の話も出ます。
 時代背景によって、人の考え方、感じ方が違います。江戸時代、明治時代、戦前、戦後、現代。
 わたしの祖父母や両親、自分の世代もですが『養子』は珍しいものではありませんでした。それでもたいていは、親戚関係のあるところから養子をとっていました。血縁は下地としてあります。
 著者は、まるっきり血縁関係のない者同士でも養子縁組するのは、いいではないかとメッセージを読者に送ります。養子になると、養親の介護とか相続がセットで付いてきます。事例ごとにいろいろありそうです。

 著者の意見として読み取れるのは、江戸時代は意外に自由な時代だった。
 明治時代以降、日本は、国が国民を管理するために、人を一定の枠(わく)にあてはめようとしてきた。人間の『標準化』があった。

 ラジオ放送が著者の暗い毎日を救ってくれた。
 人には、心の安定を維持するために第3の場所が必要と説かれています。『家庭』と『学校・職場』そして『第3の場所(著者の場合はラジオ放送を聴くことだった)』

 兄との関係がむずかしいのですが、40年間近く絶交状態のようです。
 兄の話も聞かないと実態はわかりません。
 これから、親の介護や相続の話が出てきそうです。なかなかてごわい人生です。

 結婚とか子づくり行為のことが書いてあります。
 行為に関して、人間はどうしてこんなことをしなければならないのだろうかと思う人はいると思います。子孫をつくる。命をつなぐためが理由のひとつとして納得できます。
 書中では『ただ、痛い』を始めとして、年がら年中さかりがついているわけではないというように後ろ向きの表現が続きます。ハグだけでもスキンシップの愛情は伝わるということもあります。
 社会には、こういう状態が幸福だという『圧(あつ)』がある。圧を取り払いたい。めんどうくさいから恋愛はしたくないという人もいます。
 性的欲求がない人の人権も保障されなければなりません。
 
 『人間関係においては、「好意」を向ければ「好意」が返ってくる。「悪意」には「悪意」が返ってくる』だから好意だけにしておく。けんかしないとアドバイスがあります。

 真理を言い当てている本です。
 ただ、読んでいると、元気がなくなってくる本でもあります。
 何のために生きているのか。死なないようにするために生きている。先日読んだ朝井リョウ作品『正欲(せいよく)』を思い出しました。
 
 今は、初婚年齢が男31歳、女29歳だそうです。
 ずいぶん結婚年齢が遅くなりました。
 結婚しない。こどもをもたないというのは、既婚子ありの夫婦から見れば、楽そうな生活です。子どもにかかる多額の費用の負担もありません。自分の時間もあります。
 ただ、ずーっと若い世代ではいられません。人はみな老いていきます。四十代後半から、心身ともに健康状態が不安定になってきます。
 子孫が無い人は、そのときどうするのか。お金だけでは解決できないこともあります。やはり、パートナーがいりそうです。(パートナーが異性とは限りません。友情もありです)

(つづく)

 夫婦は同居しなくてもいいという提案があります。別居婚です。(うーむ。なんとも。複雑な気持ちになります)
 どちらかが、がまんするパートナーシップ(相互関係。協力関係)を否定します。
 自分は賛同できかねますが、いろんな形があっていいのではないかという、今どきの世相にあって、この本が必要な人はいます。

 全体的に、努力と根性、そして忍耐でこの世を生き抜いてきた昭和世代の自分には合わない内容の本です。

 『卒婚(そつこん)』はさみしい。子も孫もいると、なかなか卒婚はできません。

 複数の異性と付き合うことは、人間の自然な行為だそうです。
 異性にもてる人ならそういうことはあるのでしょうが、凡人にはひとり見つけるだけでも大変で、ひとりで十分です。
 そういえば、半世紀ぐらい昔は『愛人とかお妾(めかけ)さんとか、2号さん』というのは、一般的でした。収入がたくさんある人には、奥さんが複数いても責められることはなかった風潮です。
 だから、親族関係の輪の中に愛人が普通の感覚で存在していて、その地位も確立されていた記憶です。

 『もっと肩の力を抜いていればよかった。』(同意します。真剣になりすぎてうまくいかないということはあります)

 外国人から見た日本人の特徴として『集中』があるそうです。
 日本人は、電車に乗っているときでも、歩いていても、何かに集中しているそうです。(ああ、そういえばそうです)
 集中しすぎると死んじゃうんです。『過労死』がそうです。

 ここまで読んできて、著者のように後ろ向きな考えで前に進もうとすると、家族の秩序が乱れます。
 家族はこうあるべき、こういうものという協力関係の枠の中にいるようにしないと、うまくいかないこともあります。
 それでも、そうすることで、自殺したいと思うようになるのなら、家族の標準スタイルにあてはまることはやめたほうがいいのでしょう。自殺しちゃだめです。人間は歳をとるなりして、いつかは必ず死ぬのですから、それまでは生きていたほうがいい。

 215ページに葬式のときに笑いが止まらなくなる人がいるとあります。路線バス乗り継ぎ人情旅に出ていた、えびすよしかずさんがそうでした。
 この本では、行き詰まった時に、もう笑うしかないということがあると紹介されています。(同感です)本にもあるとおり『笑い』は人を救うのです。
 天才バカボンのパパの名文句『これでいいのだ』で、人生で起きる困難を乗り越えることはできます。

 手づくりの文章でできた本でした。
 今の時代にあって、飾らない表現が珍しい。
 著者のメッセージが、素直に読者に届く本でした。

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