2020年06月17日

魔女ラグになれた夏 蓼内明子

魔女ラグになれた夏 蓼内明子(たてない・あきこ) PHP

 小学生女子にはなぜ「魔女」が、人気があるのだろう。読み始めた動機です。
 まず、45ページまで読んだところですが、まだ、「魔女」は出てきません。最初のページに、「魔女ラグのキーホルダー」をどうもだれかにもっていかれたという記事があるのですが、まだ、なんのことかわかりません。読みながら感想を付け足していきます。

 東京オリンピックは、2020年3月24日に新型ウィルス感染拡大の影響で延期されてしまいましたが、2020年3月3日に出版されたこの作品の中では開催されています。現実とは合致しない児童文学小説の内容になってしまいました。こういうことはとても珍しい。最近は、何百年に1回の自然災害があったりして、予定が予定通りにできないことが多くなりました。先が読めない世の中になりました。
 オリンピックをからめなくても成立できた作品なら、からめなくてもよかったのかもという思いで、まずは、40ページ付近まで読みました。

 棚山さんのご家族が、タナヤマストアというスーパーを、自営で経営されています。
 父親、母親、長女光希(みつき)さん大学2年生、次女富美(とみ)さん高校1年生、三女岬さん小学6年生です。三女の岬さんが、この物語の進行役です。舞台は青森県です。

 棚山家の父親と次女富美(とみ。自称あてね。アテネオリンピックの年に生まれたから)が対立しています。「確執:かくしつ険悪な対立」があるそうです。長女と次女の比較もあるようです。原因は、父親が次女の高校進学で干渉したことらしい。それからこどもの名前の付け方。ありがちなことです。
 作品中のお父さんにアドバイスをひとつおくるなら、次女の人生は次女のものであり、父親のものではありません。父親は、次女が行きたいという高校に行かせるべきです。父親には、こどもの進学先や就職先、結婚相手を否定する権利なんてないのです。そこでこどもと対立すると、父親は先々後悔することになります。父親というものは、なにが起こっても大丈夫だという覚悟を決めて、どっしりと構えて、もっと気楽にしていればいいのです。理屈じゃなくて、そういうものだという現象でとらえるのです。そうすれば、きっと、明るく幸せな未来が迎えてくれます。

 調べた言葉などとして、
 仙台にあるアースソングエコのお店:よくわかりませんが、洋服屋さんのようです。
 わんつか時間あるがな:少し時間がある。青森津軽弁。(調べる前は、わんつかというのは、「たくさん」という意味かと思いました)
 ポケバイ:ポケットバイク。ちっちゃなオートバイ
 バイクのカウリング:シートの下のほうにある風よけ。プラスチック製
 ねぶた:青森県で8月初旬に行われるお祭り。新型ウィルスの影響で、東京オリンピックと同様に2020年は開催されないそうです。でも物語の中では開催されています。うーむ。作品に運がない。
 ツーブロック:ヘアースタイル。トップは長く、サイドは短く。
 ワックス:整髪料
 ユーリンチー:中華料理。揚げ鶏
 BMX:バイシクルモトクロス。自転車競技。レース、フリースタイル(技を競う)東京オリンピックにもフリースタイルの競技あり。
 缶の中の「魔女ラグのもと」:ワックス(整髪料)魔女ラグノアの髪型にする。
 ドゥカティ:イタリアのオートバイメーカー
 ノースポール:白いキク科の花
 
 次女高校1年生富美(ふみ)の生理痛の話が出ました。女子向けの児童文学だと「生理」のお話は必須のようです。

 魔女のラグというのは、『光の魔女メルン』というアニメ番組に登場する悪役の魔女の名前だそうです。悪役ですが、主人公の小学6年生棚山岬は気に入っています。光の国所属で通称メル(主人公メルン)VS闇の国所属で通称ラグ(敵対役ラグノア)
 
 「魔女ラグキーホルダー事件」なるものが、主人公岬の幼稚園時代にあったらしい。(とても記憶力がいい。よほどショッキングなことがあったのにちがいない)
 
 三人娘のきょうだいだと、まんなかの女子は、ほったらかしになりそうな気がします。まあ、三人兄弟の男子の場合も同様でしょう。
 まんなかのポジションにいる「あてねちゃん」次女富美(とみ)の立場に光が当てられます。

 お父さんが内臓系の病気のようですが、次女の富美さんは家出をしてしまいました。東京へ行くそうです。スマホで連絡を取り合うとかはないようです。(作品では、このへんの記述が中途半端でした)
 三女の岬さんはお父さんのことが心配です。親孝行な娘さんです。ほめたい。
 魔女ラグの話はどうなったのだろうか。

 次女富美(とみ)さんの家出にあたっての意思表示がなぜ、置手紙ではなく、「ふせん」なのだろうか。メモ程度の軽微な連絡事項という意味を含んでいるということか。

 家出人を探すにあたって、2020年の時代背景で、「携帯電話やスマートフォンへの電話」とか、「メールの送信」という記事が出てきません。(このあと、メールの記事は出てきました)

 高校1年生次女の家出話への対応は、主人公である三女小学6年生の岬がどうこうできることではないような。

 青森から東京は高校1年生の女子にとってはそれほど遠いとは感じられません。新幹線で3時間ぐらい。飛行機でも1時間15分ぐらい。日帰りも可能。便利な世の中になりました。物語の中にも商店街で化粧品店をしている若子さんの言葉があります。「ちょっとだけ東京をのぞきにいった。それだけのことよ」(あとで、青森から東京までの移動手段が、新幹線でも飛行機でもなかったので、少々驚きました。そういうことかと納得もしました)

 古いことわざですが、「可愛い子には旅をさせよ」
 最終的には、こどもがひとりで、自立して自活できるようにするのが親の努めです。昔は地方に住むこどもたちは、中学を出ると列車に乗せられて、親元を離れて集団就職をして、都会で住み込み就労をしたものです。(教訓めいてしまいました)

 合法的な家出があります。たいてい、こどもは、いまいる家がいやになって、高校卒業後は家を出ます。わざわざすったもんだして学年の途中で学校を辞めて家を出なくても、卒業すればすんなり家を出ることができます。自分では、このことを、「合法的な家出」と言っています。振り返れば、自分自身もそうでした。卒業までは、しんぼうなのです。

 父親の病気の話がでますが、基本的には、病気への対応は、父親自身が自分で体調管理をしていくことです。体のことは、本人以外はわかりません。父親の病気のことでこどもになにかを負担させてはいけません。家族に甘えてもしかたがありません。むしろ、父親は、自分の病気のために家族を犠牲にしないことが家族への思いやりです。

 『意思疎通』がテーマです。相手に、『言いたいことがあったら相手にはっきり言おう。もしかしたら、自分が相手を誤解しているかもしれないから』ということが、作品から読者へのメッセージです。
 言いたいことがあったら、はっきり言ってほしいということはありますが、それも、相手によりけりということもあります。言いにくいことはあります。言わないほうがいいこともあります。むずかしい。
 とかく、意思疎通はむずかしいですが、本当にお互いに意思疎通が正しくできるようになったときに、人は、夫婦や親子になれるし、友情が生まれることを体験できたりもします。
 「一度しか言わないよ」というような文節が出てきたと思います。強調するための「一度しか」なのでしょうが、べつに同じことを何度言ってもいいと思うのです。なにせ、小説のメッセージが、「自分が言いたいことを相手にはっきり伝わるように表現する」なのですから。
 正直な感想をいろいろと書いてみました。

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