2024年06月04日

インターステラー アメリカ合衆国映画 2014年

インターステラー アメリカ合衆国映画 2014年(平成26年) 2時間49分 動画配信サービス

 宇宙もの、異次元もの、SF(サイエンスフィクション)映画でした。
 Intersteller:有人惑星間航行
 地球が滅亡するので、地球人の移住先となる新たなる惑星を探すのです。
 サウンド(音)がリアルです。迫力があります。
 パイロットは、今は農夫をしている男性ですが、以前は宇宙飛行士(エンジニア)だったそうです。
 男性には、娘と息子がいます。老いた父がいます。妻はいません。病死したようです。

 なんだかんだと理屈が多い映画ですが、まずは、映像を楽しむ映画です。
 宇宙空間や惑星の風景が雄大です。
 『家族』とか、『親子』の愛情を大切にする映画です。
 アメリカ合衆国は離婚が多い国なので不思議です。だから、『愛』を大切にしようというメッセージがあるのだろうか。

 正直、くどい理屈がつまらない。
 アポロが月に行ったのはウソだったみたいな話が出ます。自分が小学生の時に白黒テレビで観ました。あれがウソだったとは思いたくありません。
 話の展開は平面的です。
 政府の組織ですが秘密の組織だそうです。
 
 『ワームホール』というところを通れば、速く目的の星に行けるそうです。
 『ワームホール』は、ふたつの地点をつなぐ通路なのですが、ふたつの地点を書いた紙を曲げて、地点同士を合わせると円になる。そして、その空間は、球体になるという考えです。
 途中、ブラックホールに吸い込まれるというような不安な話も出ます。だから気をつけなければなりません。ブラックホール:極端に重力が強い天体。入ると抜け出せなくなる。
 宇宙と地球では時間の経過が異なる。
 宇宙にある惑星の1時間が、地球では7年間だそうです。
 最後のほうでは、主役の男性(父親)よりも地球にいた娘のほうが老齢になっていました。

 理屈っぽい会話が続きます。
 『地球は恵(めぐみ)の大地、恵みの星』です。
 
 解読したメッセージとして、『STAY(ステイ。ここにいて。ここでじっとしていて)』があります。
 そして、腕時計がからんできます。
 モールス信号の話もからんできます。

 う~む。映画だからか、『給料』の話が出ない。
 仕事をして、いくらもらえるのかは、大事な話です。

 宇宙というのは本来、無音の世界だと思います。
 大きなBGM(バックグラウンドミュージック)が、ときおりわずらわしい。

 次から次へとセリフが続きますが、現実的な内容ではありません。
 4つの直方体がつながったような形のロボット出てきます。
 ロボットはしゃべります。なかなかいい。
 
 雄大な映像を(パニックシーンですが)楽しむ映画です。
 チームはあるけれど、だれが司令塔になるのかわかりません。秩序がありません。
 人間だから、仲間の裏切りもあります。自分の命を捨ててでも使命を果たすという気持ちのまっすぐな隊員ばかりではありません。自分の命がなにより大事です。

 地球から宇宙船へのビデオメッセージはあまりに感情的な内容です。
 映画を観ている人の感情を動かすようにつくられたメッセージの文章です。

 地球人が移住する候補の星がふたつあって、次にどちらの星に行くのか。選択をしなければなりません。燃料等から考えて、どちらかひとつしか行けません。
 理論や学説でものを考えるのか、それとも、人間の愛(感情)でものを考えるかです。
 愛は時間と空間を超える。だから愛を信じるというような言葉が出ます。暗示です。洗脳です。 まちがっています。
 どちらの星を選択するかは、テレビ番組、『芸能人格付けチェック』ぐらい、むずかしい。

 氷河期が来たかのような惑星の地表シーンが美しい。
 白い世界。寒くて冷たい世界です。
 『家族』の話が多い映画です。人が人であるための土台が、『家族』だそうです。

 抽象的な話です。
 映画製作者は、人間がもつ、『悪』をあぶり出そうとしているのか。
 (でも内容としてはつまらない。言葉数ばかりが多い映画です)
 映像は、南極の風景みたいです。
 
 時間軸が交差するような空間が出ます。
 現在と過去のいくつかのシーンが、同じ空間のあっちとこっちにあるのです。
 三次元ではなく、五次元というような話がでます。
 なんだかむずかしいのね。
 五次元の世界に三次元の世界をつくる。
 『重力』にこだわりあり。
 トントンツートン、トンツートントン、モールス信号でメッセージを伝える。腕時計の秒針の動きを利用する。
 
 『パパが救ってくれる』
 (なんだか、古代史の卑弥呼(ひみこ)のようです)
 ラストシーンまできて、まあ、こういう映画もあるわいなという感想でした。  

2024年05月31日

東野・岡村の旅猿25 ランジャタイと富山県満喫の旅

東野・岡村の旅猿25 プライベートでごめんなさい ランジャタイと富山県満喫の旅 Hulu(フールー)

 以前三重テレビで、再放送ですが、千葉テレビの『白黒アンジャッシュ』という番組を観ていました。
 今回の旅猿のゲストであるお笑いコンビのランジャタイが出演したことがありました。
 『白黒アンジャッシュ』は、アンジャッシュのひとりについて不祥事のニュースが流れたあとしばらくして、三重テレビでの放送が中止されました。残念ですがしかたがありません。スポンサーがつかないのでしょう。

 ランジャタイのおかっぱ頭の人は、最初女性だと思いました。男性でした。

 伊藤幸司:鳥取県出身。おかっぱ頭の人。(あとでかつらだとわかりました。かつらをとると若い。大学生に見えます。ちょっと女の子っぽい)

 国崎和也:富山県氷見市(ひみし)出身。なんというか、映像を観ていて、変な芸風を売りにしている人です。なにかを選択するときに、躊躇(ちゅうちょ。ためらう)するのです。そして、結局何も選択しないか、選択してもたいしたものは選ばないのです。
 東野幸治さんいわく、彼の芸風だそうです。
 本人の言う出だしは、『いや~どうしよう(わざとです)』
 めんどくさい人です。
 食事場所で、ノンアルコールビールだけを頼んだり、ハト麦茶だけを頼んだりしました。
 お店にとっては、迷惑な客です。店に入ったなら、ちゃんと料理を一人前頼んでください。芸はステージの上だけにしてくださいな。(まあ、この旅も仕事か。(企画として)つまんないなーー。わざとらしい旅です)
 
 旅猿という番組自体は、今回の富山県訪問で、日本全国47都道府県すべてを訪問したことになるそうです。たいしたものです。
 初期のインド旅行のときから、ぽつりぽつりと見ていますが、長い歳月が流れました。
 2008年1月(平成20年)ころから放送されています。

 今回の企画での1回目の放送は、富山駅前からスタートです。
 まだ半世紀ぐらい前、自分が18歳だったころ、ひとり旅で富山へ行きました。富山市内に住んでいた友だちを訪ねて行きました。
 夜行列車で行って、朝方富山駅に着いて、歩いて富山城跡のそばを通って、友だちのアパートへ行きました。そんなことも遠い昔のことになりました。
 今回映像で見る富山駅前は、自分の記憶にあるものとは風景が変わっていました。

 意味がよくわからなかったのですが、たぶんランジャタイの国崎さんのギャグなのでしょうが、ロケバスのステップ(階段・段差)をのぼれないようすで、みんなが、国崎さんの手足をもって車内に運び入れました。そのあと今度は、シートベルトの着脱ができないと言い出しドタバタシーンがありました。わざとです。芸風だそうです。めんどくさい人です。
 
 そのあとメンバーの訪問先で、『世界一美しいスターバックス』というのも意味がわからなかったのですが、突然の訪問だったためお店の撮影許可がおりませんでした。珍しい。

 特段の山場もなく一回目の放送が終わりました。
 次回は、国崎さんの郷里である氷見市(ひみし)を訪問するそうです。
 能登半島の付け根で、半島の東側にある市です。

(つづく)

 正直、なんだかつまらない番組の内容です。
 内輪(うちわ)で盛り上がるけれど、見ているほうはしらけます。
 国崎さんは、地元氷見市(ひみし)を訪問したわりに、氷見市のことを知らない様子です。芸風として、わざとそういう冷たい態度をとっているとしたら、見るほうもまじめに見る気が失せます。(うせます)
 いちおう18年間、氷見市で過ごしたそうですが、覚えていることはあまりないというような話でした。
 ロケをしている場所が、能登半島地震の被災地あたりである話は何も出ませんでした。

 見学場所としては、昭和時代が感じられる展示館がありました。
 展示館の男性が似顔絵を描くのがじょうずでした。
 東野さんと岡村さんの似顔絵がよく似ていました。

 藤子不二雄Aさんの展示館の展示がきれいでした。

(つづく)
 
 お寺さんに行って鐘をつきます。
 ひもでぶらさがっている棒で鐘をつくのではなく、1本の太い木の棒を右肩にのせて、体を横にふって、木の棒を鐘にあてて、音を出すのです。かなり力がいります。
 じっさいお祭りでやるときは、ひとりひとりの競争で、1分間に何回つけるかを競います。多い人で100回、今回お手本を見せてくださった地元の力持ちの男性で90回ぐらいつけるそうです。
 旅猿のメンバーは、1回もつけていませんでした。太い木の棒の前後を地元の人に持ってもらって、かすかに1回、東野さんがつきましたが、それはインチキです。
 国崎さんは、かすかにちっちゃい音がしました。
 伊藤さんは、だめで、このときに、伊藤さんは、かつらをかぶっていることがわかりました。かつらを脱いでも頭髪はふさふさでたくさんでした。
 伊藤さんは、力がなさそうな人です。
 岡村さんは、背の高さが足りないので、最初からリタイアでした。

 次は、富山県住みます芸人吉田サラダさんと奥さんが営むお店訪問です。フルーツサンドのお店を訪れてお食事タイムです。
 桜が咲いている風景です。
 パフェがおいしそうでした。見ていて、わたしも食べたいという気持ちになりました。
 迷うふりをする国崎さんです。ボケだそうです。見ていて不愉快になります。国崎さんはメニューを見て迷うふりをしてまた注文を後回しにします。つまらないギャグです。もうこの人はこの番組に呼ばないでほしい。不快です。
 それでも、店内での雰囲気はにぎやかで楽しそうでした。仲間内(なかまうち)の盛り上がりです。
 吉田サラダさんが、自分は芸人だから気にしないが、自分の奥さんが国崎さんの言動に困っていると伝えます。国崎さんは、結局またお茶だけ頼まれました。

 日本のベニスという川と桜の木があるところへ行きましたが、日曜日だというのに、観光客はだれもいません。地元の人たちもだれひとりいません。静かです。
 旅猿らしい。からぶりの訪問シーンです。いつだったか、中国へ海外旅行に行ったときに、大きくて広い池で、小舟にのって長時間ぼーっとしていたシーンを思い出しました。意味のないようなむだな時間ができるのが、この番組、『旅猿』の特徴です。
 
 アニメマンガと子ども時代のクラブ活動の話が出ました。
 国崎さんは、バスケのアニメマンガを見て、バスケットボール部に入る。
 サッカーのアニメマンガを見て、サッカー部に入る。
 テニスのアニメマンガを見て、テニス部に入る。
 囲碁のアニメマンガを見て、囲碁部に入る。
 伊藤さんは水泳部だったそうです。
 東野さんがクロールで100mをどれぐらいの時間で泳いだのか?とたずねたら、20秒ぐらいと返事がありました。へんです。100m陸上でも10秒で走ればかなり速いほうです。クロールで100mを20秒ぐらいで泳げるはずがありません。
 なんだか、頼りないランジャタイのふたりです。
 ランジャタイの意味:奈良市にある正倉院(しょうそういん)に収められていた香木(こうぼく)のこと。
 
(つづく)

 このあと気づいたのですが、大相撲五月場所で優勝した力士の出身地の町がこの番組の訪問地のお隣に位置していました。
 小さな町のようです。やはり、才能ある人は、どこで生まれても世に出てくるものだと納得しました。地方のいなか町とか、離島でも世に出てきます。

 晩御飯でカニ料理を食べます。
 白エビのソーメンが出ます。白エビと白エビが練りこんである麺(めん)です。珍しい。
 カニは身が太い。おいしいでしょう。
 国崎さんがまた拒否的です。『カニみそ』がガチでNGだと言って食べません。地元富山の名物だと思うのですが、場の雰囲気が冷たくなります。食べろよと東野さんが怒ります(おこります)。東野さんから、一日中ツッコミ役をやっていたから疲れたという言葉が出ます。(国崎さんがボケまくるので)
 カニ料理は豪華です。見ていて、働いて苦労体験をした人が食べる食事だと思いました。
 ランジャタイが漫才ネタを披露するという流れになりますが、東野さんと岡村さんは食事中でもあり、もうやらなくていいよという雰囲気です。
 
 宿泊するお宿は、絶景の露天風呂なのですが、夜なので暗くて映像では景色は見えませんでした。だけど、入浴しているメンバーたちに言わせると、サイコーだそうです。
 ランジャタイの漫才のネタは、ほかの漫才師さんがやるパターンに似ていました。なにかを提示したあと、それではない。『なになにじゃない』というパターンでした。
 たしか、そのパターンは、ミルクボーイという漫才コンビの芸風でした。
 ランジャタイの漫才は、ばかばかしいけれど笑える中身でした。

 最後の撮影シーンとして訪問した幼稚園で、ようやくまともな人間だとわかりました。国崎さんのことです。国崎さんが卒園した幼稚園です。担任の先生との久しぶりの再会シーンでした。なかなか良かった。
 国崎さんは、ちゃんとした人間なのにどうして変な人間を演じるのかわかりません。
 以前太川陽介さんと村井美樹さんの、『バスVS鉄道対決旅』に出た、『お見送り芸人しんいち』さんという方と個性が重なりました。しんいちさんも素(す)は好青年なのに、わざと人から嫌われるような言動をされるのがキャラみたいですが、見ていて、いい気持ちがしませんでした。

 次回の旅先は福島で、ゲストはロバート秋山さんです。
 ロバート秋山さんはいま日曜日の大河ドラマの映像でたくさん出ています。
 楽しみです。  

2024年05月28日

いとみち 邦画 2021年(令和3年)

いとみち 邦画 2021年(令和3年) 1時間56分 動画配信サービス

 小説は読んだことがあります。
 『いとみち 越谷オサム 新潮文庫』以下は、感想メモの一部です。
 「いとみち」とは、津軽三味線を弾くと左指にできる三味線の糸の跡(溝)です。主人公相馬いと16歳高校1年生女子の名前の由来でもあります。昔、三味線の糸が絹だった頃、糸が切れないようにと願いながら強く弾いていたという伝えばなしが紹介されます。
 青森県には旅行で2度行ったことがあります。小説に登場する岩木山、八甲田山、青森市、五所川原市、浅虫温泉、三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき。縄文時代)などに立ち寄ったので、物語を身近に感じながら読み進めました。
 津軽育ちで津軽弁がきつい主人公のいとは、人見知りを克服するために青森市内のメイド喫茶でアルバイトを始めました。『いらっしゃいませ、ご主人さま』、あるいは、『いらっしゃいませ、お嬢さま』、という世界です。なかなか面白い設定です。
 メイド喫茶だからといって、お色気路線ではありません。喫茶店のウェイトレスがコスプレでメイド服を着ているだけです。ふつうのカフェというぐあいです。
 小説ですが、登場人物たちがまるで生きているようでした。昨年この作家さんの映画「陽だまりの彼女」を観たことがこの小説を読むきっかけでした。映画もなかなか良かった。
 この小説は、お涙ちょうだいの物語です。そこに魅力があります。後半が読み手の予想通りに運ぶので、ゆるさを感じるのですが、締めが良かった。

 さて次は映画を観ての感想です。
 津軽弁がわからなかった。観ていて、だんだんわかるようになりましたが、それでも津軽弁の言葉は、ほとんどわかりませんでした。青森県人以外の人で見た人はみなそうだったと想像します。

 映像で、加工されていない(美化されていない)生身の(なまみの)人間の暮らしを観ました。とかくドラマとか映画では、きれいな人間が出てきますが、現実の人間はそんなふうではないのです。人工知能ロボット人形みたいな人はほとんどいません。生身の人間は、きつい感情と動作をもっています。

 元気がない主人公です。引っ込み思案で、人慣れしていなくて、言葉で気持ちを表現することがにがてな16歳の女子高生です。ごく親しい友だちもいなさそうです。(ゆえにメイド喫茶でできた手厚い人間関係から抜けることがイヤだと主人公は主張します)
 いなかの高校生の日常があります。
 お母さんが病気で亡くなっていて父子家庭に母方の祖母がいての三人家族です。明るい家庭の雰囲気はありません。

 青森にある岩木山が、心を支えるシンボルになっているようです。
 主人公は、東京に行きたいというけれど、見ていて、主人公は、東京ではやれそうもありません。
 あんなふうでは、都市部での生活に、順応できそうにありません。ひとりぼっちの引きこもりになりそうです。

 主人公は、言葉で会話をすることがにがてだから、津軽三味線の音で、自分の気持ちを人に伝える。
 ダサイ女子高生が、メイド喫茶でアルバイトを始めて、おしゃれな女子高生に変わっていきます。

 余談ですが、青森駅とか、バスの車内のようすが映像で出ると、路線バス乗り継ぎ人情旅で青森を何度か訪れていた太川陽介さんとえびすよしかずさんの姿を思い出します。
 バス旅は、人生に似ていました。先が読めない。嬉しいこともあるし、悲しいこともある。

 『働く』ということを考える映画です。
 自分のすべてを出し切って働いてお金をもらうのです。
 映像では現金支給です。給料を現金でもらう嬉しさがあります。
 お札を渡す現金支給のほうが、労働のありがたみが大きい。
 デジタルマネーという効率優先の社会システムは、人間の気持ちを小さくしてしまいました。

 津軽弁での、『ごすずんさま(ご主人さま。おもしろい)』、『もえもえ~~(萌え萌え)』です。

 『ありがとう、いとちゃん(主人公の女子高生の名前)』
 お客さんから、『ありがとう』の言葉があるから働けるということはあります。

 青森空襲、戦時中の悲劇の話がありました。
 疎開地から戻ってきた夜に青森空襲があって、たくさんの人が亡くなったそうです。
 
 相馬いとを見守るおとなたちの気持ちがしっかりしています。
 それぞれみんなが、おとなです。

 いとのセリフとして、『(人から)かわいそうと思われたくない』

 健全に遊ぶ。
 健全に生活していく。
 与えられている寿命という時間を楽しむ。
 青春映画です。

 メイド喫茶はやめない。
 なぜか。
 メイド喫茶で、人として認めてもらえたから。
 メイド喫茶は、風営法の店ではない。くつろぐための場所です。性的趣向を求める人は入場禁止です。そんな話が出ます。

 衝突しても、親は子の応援をするしかありません。
 豊川悦司さんが父親役を厳しく演じます。
 『言いたいことがあるのなら、言葉使え!』
 『とっちゃには(父さんには)聞こえねべ。差別好きのインチキ教授!(父の職業です)』
 感情と感情のぶつかりあいがあります。

 静かでおとなしい映画ではありました。

 父が娘に声をかけます。『けっぱれ!(がんばれ!)』

 舞台劇のようでもありました。
 相馬いとのうしろに亡くなったおかあさんがいるようでした。

 メイドのかっこうで、津軽三味線を弾くのには違和感がありました。
 やはり、津軽三味線を弾く時は、着物姿が似合います。

 岩木山の頂上でしょう。
 眼下の地上には、なんにもありません。
 原野が広がっています。
 人間はちっぽけな存在だと、映像を観ながら実感しました。  

2024年05月23日

ひとよ 邦画 2019年(令和元年)

ひとよ 邦画 2019年(令和元年) 2時間3分 Hulu(フールー)

 ケーブルテレビの映画番組で、この映画を最初の10分間ぐらいを見て、用事があったので、ほかごとをやって、その日はもう見ませんでした。
 かなり、ショッキングな出だしでした。田中裕子さん演じるタクシードライバーの奥さんが、家庭内暴力を振るうご主人から3人の子どもたちを守るために夫を殺害します。
 長男、次男、長女。まだこどもです。それぞれ、高校一年生、中学生、小学校高学年に見えます。彼らが、父親に、ぼこぼこに殴られています。暴力オヤジです。こどもたちを殴る蹴るです。ひどい。こどもたちが反抗期なのだろうか。理由がよくわかりません。理由の説明はありません。雰囲気としては、父親の性格が弱いと受け取れます。自分で自分をコントロールできない父親です。アル中っぽい。
 母親がこどもたちを守るために、自分が運転するタクシーから降りたご主人を、車をバックさせてひき殺したというものでした。
 母親役である田中裕子さんは、堂々と警察に出頭して、殺人罪で服役します。
 そして、15年間の刑期を終えて帰宅したのですが、玄関先で、驚いた長男に玄関引き戸をぱっと閉められてしまいます。長女が長男に、開けて!と声をかけて引き戸が開かれます。
 
 日を改めて、動画配信サービスでまた最初から観てみました。
 暗い内容の映画でした。
 お母さん役の田中裕子さん(たなかゆうこさん)は、先日観た邦画作品、『怪物』で、小学校の校長役で出ておられましたが、その時同様、冷徹でがんこで、芯が通ったキャラクターをやり通しておられました。
 たいしたものです。自分は、田中裕子さんが二十代の女優さんのときから知っているので、長い歳月が流れたとしみじみしました。隔世の感があります。
 迫力ある演技です。
 『おかあさんさっき、おとうさんを殺しました。車でひいて(殺しました)……』
 『あんたたちを傷つけるおとうさんだから、おかあさんがやっつけてやった。』
 『これから警察へ行く。刑期が終わったら……(刑期が10年とか15年という話)』
 『かあさんそろそろ行きますね。もうだれもあんたたちをなぐったりしない。これから自由に生きていける。おかあさん、誇らしいんだ。』

 そして、15年が経過して、母親が出所して帰宅しますが、歓迎されるわけでもありません。
 いろいろトラブルが起きます。
 そこに、佐々木蔵之介さんが演じる新たに採用されたタクシードライバーと彼の高校生の息子がからんできます。こちらも、親子関係がぎくしゃくしています。家庭が崩壊しています。

 長女は母親に好意的です。
 長男はとまどっています。長男は、両親は死んだとして、結婚して、長女をもうけています。長女は保育園ぐらいです。田中裕子さんから見れば孫娘です。
 次男はかなりとがっています。母親を憎んでいます。

 田中裕子さんの単純明快なセリフがいい。好感をもちました。
 最初の30分ぐらいで、いったんなごやかになって、もう結論が出てしまったような雰囲気になってしまいました。

 悪の根源は、DV男(家庭内暴力を振るう)だった亡くなったご主人です。
 こういう家庭ってあるのだろうなあ。こどもにとっては、迷惑な親です。
 こどもたちは、死んだ父親の墓参りはしますが、墓石に向かってバカヤローと乱暴な言葉を浴びせながらの墓参りです。蹴りを(けりを)入れたりもします。仕返しです。
 
 なんだかギクシャクしています。ストーリーの流れに従っていないセリフがあります。仲良し家族のようで、じつはそうではない。
 『疑似家族』という言葉がでます。
 ご近所からの誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)もあります。殺人事件の犯人がいる家族はつらい。自分がやったわけではないのに、責められます。
 東野圭吾作品、『手紙』を思い出します。自分の兄が殺人犯人だと周囲にばれると、まじめで誠実な性格の弟は、会社などにいられなくなるのです。恋もできません。恋はかないません。
 
 『家族』を考える作品です。

 認知症のおばあさんの話がからんできます。

 どこもかしこも家族関係、親子関係がうまくいっていません。

 タクシー無線を使っての会話はおもしろかった。

 現実には、こうはならない話が続きます。

 病気で亡くなった俳優さんが演者として出てきます。彼は、がんで亡くなりました。

 いいお母さんです。母心の気持ちがいっぱいこもっているお母さんです。
 長男には、どもりがあるのか。
 嘘をつく人がいます。
 次から次へと出来事が起きすぎるシナリオです。

 なんというか、気の持ちようで救われる。
 あきらめることで解決できる。
 思いつめることはない。
 心が弱い。

 いろいろこんがらがっているのね。

 なんだか、俳優陣の個性がいろいろありすぎて、話がチグハグでバラバラです。

 みんな、それぞれが、自分の都合ばかりを考えています。とくに、長男と次男です。

 どうしてうまくいかなかったのだろう。
 死んだ男親が精神的にこどもだった。
 父親は、おとなの精神をもっていなかった。
 見た目だけがおとなの体つきだった。
 
 最初のシーンに戻ります。
 三人もこどもをつくったのに、夫婦仲が悪かったのだろうか。
 この家族はお互いにお互いを『信じる』という気持ちがない。
 頼りない長男でもある。
 
 そのあとはもう非現実的なシーンです。
 テレビゲームのようでした。
 法令の枠のなかで生活していないとひどいめにあいます。
 忍耐とか努力が必要です。
 
 セリフにこだわる映画でした。
 茨城県の大洗(おおあらい)から北海道の苫小牧(とまこまい)へ行けるのだろうか?(調べたらフェリーの航路がありました。初めて知りました)
 小学生のころに、大洗海岸に行ったことがあるので身近に感じることができました。

 伏線としての品物として、『おにぎり』、それから、『ヴォイスレコーダー』がありました。

 また、タバコの喫煙シーンがたくさんあります。日本の俳優はタバコを吸いながらでないと、セリフを言えないのだろうか。いいかげん喫煙シーンは卒業してほしい。
 それとも貧困ですさんだ生活を表現するためにどうしても喫煙シーンが必要ということなのだろうか……

 最後のほうで、家族一同の記念写真撮影シーンがあります。
 家族とか、親族一同、友だち一同の集合記念写真は大事です。
 その時、その瞬間はもう二度と訪れません。
 こどもたちは成長し、大人たちは歳をとっていきます。
 時代が流れていきます。
 遠い未来に、いい思い出になる写真です。
 ああ、あの時は、こうだったね……
 壺井榮さんの名作、『二十四の瞳(にじゅうしのひとみ)』のラストシーンを思い出します。
 ふと思い出しました。二十四の瞳の大石先生役が、田中裕子さんでした。1987年(昭和62年)の邦画作品です。
 老いた大石先生を、戦時中をくぐりぬけて生き残った7人の生徒たちが囲む同窓会シーンです。とくに第二次世界大戦に兵隊として参戦して、戦闘で盲目になってしまった岡田磯吉君が、自分たちが小学1年生のときの集合写真を指差す姿は忘れられません。
 12人のこどもたちだから24の瞳ですが、磯吉君は戦争で眼球を失ってしまっています。しかし、彼が物語の中で、自分に眼球がなくても、みんなで並んで写した写真が見えると主張するのです。名作です。  

2024年05月22日

出川哲朗の充電バイクの旅 別府温泉通って大分縦断

出川哲朗の充電バイクの旅 別府温泉通って大分縦断 粟島神社(あわじまじんじゃ)→一心寺 TVer(ティーバー)

出川哲朗の充電させてもらえませんか? ■激走<大分縦断>112キロ■パワスポ粟島神社から<別府温泉>でイイ気分ゴールは絶景桜の一心寺ですが■初登場<野呂佳代>がなぜか泣き出した!ヤバイよヤバイよSP

 前半のゲストは野呂佳代さん(あいにく私は存じ上げません。AKBの方だそうです)
 後半のゲストは、ウド鈴木さんです。
 大分県の昭和時代を意識した街並みとか、出川哲朗さんは、以前も訪問されています。お気に入りの地域なのでしょう。
 自分は、別府温泉に去年二月に行ったので、これから放送を観るのが楽しみです。

 昭和の町にある出川哲朗さんのお気に入りの食堂はメニューがとても安い。
 ちゃんぽんが350円、カツカレーが450円です。

 BGMで流れた麻丘めぐみさんの、『私の彼は左きき』がなつかしい。
 城下町杵築(きつき)では、小柳ルミ子さんの、『わたしの城下町』を思い出しました。
 なにもかもなつかしい。

 『野呂ちゃーん』と応援の声が飛んで、野呂佳代さんが嬉しさで涙ぐみます。
 『あたたかくて涙が出てきたそうです』とお話されました。
 応援があると、(つらくても)がんばってみようかなとやる気が出ます。
 都会はとかく効率優先で、競争社会です。
 利害関係が最優先です。
 足を引っ張る人もいます。
 いそがずに、のんびりおおらかにいきたいものです。

 田んぼの中の一本道を充電バイクで直進していきます。
 まわりに一般の車はありません。
 ロケは、一般車に迷惑をかけないことと、旅の風情を出すためでしょう。
 
 道をはさんで親子の家があるところで、荷台におみこしがのった車が通ります。
 神主さんも車の中にいて、珍しい光景でした。うしろから、パトカーもついてきているのが見えました。
 三世代のご家族や、近所のこどもたちもたくさんです。
 地方ロケでは、都会人が考えもつかないようなリアクションがあります。予想がつきません。
 娘さんが、韓国に推し(おし。大好きな人やグループ)がいるので行きたいと話します。
 韓国が近いから韓国のことを思う九州人だと感じました。
 あかちゃんがかわいい。
 映像を観ていると、心があたたまって、安心する番組です。

 おみそ屋で、おみそに興味が強い野呂佳代さんです。
 麦こうじとか、麦みそのお話がありました。
 お店は四代目で、1900年(明治33年)から続いているそうです
 おひなさまがあって、寒そうな時期のロケに見えます。
 
 タレがおいしい焼き肉屋さんです。
 予約で満員ですが、席を開けてくださいました。
 せっかくだから食べて行ったほうがいいです。

(後半へつづく)

 風景を見ていて、別府のはげ山の部分を自分が訪れたときに見たことを思い出しました。
 春に山焼きがあると聞きました。

 心あたたまるシーンが続きます。
 人間が優しい。
 九州はいいところです。

 少年野球チーム解団式とかで、キャプテンの少年のあいさつが良かった。監督への感謝のメッセージです。
 『優しくていねいに教えてくれたから野球を楽しんでやれました。ありがとうございました』
 
 ゲストはウド鈴木さんに変わり、あいかわらずウドさんは、調子がいい。にぎやかです。
 
 菜の花の黄色いじゅうたんがきれいでした。

 別府の温泉地では、地獄蒸しを食べて、別府タワーで展望を楽しみました。
 地元の共同温泉浴場を利用して、湯の町別府市を楽しみました。
 充電先にはちびっこたちがいます。小さなお子さんがいる家は雰囲気が明るい。
 
 海のブルーがきれいでした。

 次回は、鳥取県で、ゲストは井桁弘恵さんと中村獅童さんだそうです。
 井桁さんがゲストになったのは、山崎育三郎さんつながりかもしれません。毎週日曜日夜の番組、『おしゃれクリップ』で、インタビュアーをおふたりでされています。
 山崎育三郎さんは以前、滋賀県の琵琶湖まわりあたりで充電バイクのこの番組に出られたことを覚えています。  

2024年05月21日

市子(いちこ) 邦画 2023年

市子(いちこ) 邦画 2023年 2時間5分 動画配信サービス

 ほかの方のブログを見ていて目に留まったので、自分も観てみました。
 暗い内容です。

 なんというか、隠そうとするから、ウソをつくから、成立するストーリーです。
 隠さず、ウソもつかず、正直に言えば、なんとかなる話です。
 なるようになる。そのときは苦しくても、未来ではちゃんと生活できる話です。
 隠れて生きようとするから苦しいのです。
 世間はもっと明るい。へんな人もいるけれど、いい人もたくさんいます。

 主演の杉咲花さんは、日曜夜10時の番組、『おしゃれクリップ』のゲストで、山崎育三郎さんと井桁弘恵さんにインタビューを受けたときに、幼なじみの女友達が杉咲花さんの実像を話していました。
 同級生のお話だと、映像に出てくる杉咲花さんは、現実の彼女とは別人だそうです。素は(すは。じっさいは)とても明るくて、お調子者で、おいしい食べ物が大好きな人ですということでした。
 杉咲花さんは、こちらの映画では熱演でした。力いっぱいで、力のこもった演技の花を咲かせておられました。映像では、杉咲花さんの女優魂が爆発しています。
 また、市子の小学生時代を演じる子役さんもがんばっておられました。

 ストーリーは、無戸籍の女性の人生を小学生の時期から二十代まで、追いかけたものです。
 戸籍の話が出ます。戸籍は、日本人として生きるための重要な役所の記録です。
 戸籍の様式も変わりました。昔は、縦書きでした。大昔は筆を使った墨(すみ)による手書きだったし、その後、和文タイプライターで文章を打つ記載でした。
 今は、パソコンでつくられた横書きです。ちょっと内容がわかりにくい。昔の縦書き文章では、いつ・どこで・だれが・どうしたというふうに書いてありました。今は、できる限り省略してあります。出自(しゅつじ。生まれ育ちの場所など)による差別対策なのでしょう。

 戸籍法では、夫婦が婚姻中に生まれたこどもは、その夫婦のこどもです。
 原則として、妻が夫以外の男性と交渉をもって生まれてきたこどもも、戸籍上の夫のこどもとしてしか出生届が出せません。(例外として、裁判所の決定後、出生届を出す手法があったと思いますが、う~む。それでも最初は父欄が空欄で、婚姻関係にない男女のこども扱いになる記憶です。ほんとうの父親の認知届がいると思います。認知届をすんなり出してくれない男性もいそうです。ややこしい)
 また、離婚後300日以内に生まれたこどもは、婚姻中の夫のこどもとみなされます。原則として、いったんは、実際の父親が異なっていても離婚した夫のこどもとして出生届を出すことになります。
 かなりもめます。若い頃に法令の勉強をしましたが、ちゃんとするためには、たしか家庭裁判所で、真実を決定してもらわなければなりません。『嫡出否認(ちゃくしゅつひにん。戸籍上の夫が自分のこどもではないと否認する)』とか、もうひとつは、『親子関係不存在(戸籍上の夫、妻、こどもという関係者が申し立てることができるふうだった記憶です)』という訴えを起こすという手段だった記憶です。訴えが認められてからいったん届け出があった出生届の処理(修正)をするという流れだったと思います。
 だから、こどもを産んでも、その子の出生届を役所に出さずに放置するという人がいます。
 こどもはたいへんな苦労をすることになります。
 戸籍がなければ、社会生活を送ることが不自由になります。まず、国籍がない、住民登録がない、それから病院にかかるときの医療保険証がない、義務教育の案内が来ない、就職がむずかしい、本人の婚姻届(結婚)がしにくくなります。(救済措置はあると思いますが、十分なものではないと思います)
 こちらの映画は、杉咲花さんが演じる『市子(いちこ)』は、出生届が出されていないので、杉咲花さん演じる市子は、戸籍上は存在しない人間なのです。
 市子は、障害をもつ妹(母親は3回結婚していて、妹は夫婦間に生まれているので戸籍がある)を殺して、妹『月子』の名前を引き継ぎ、『月子』になりすまします。年齢も偽ります。(いつわります)
 法令というものは、想定された枠の中で生活している分には、身分を手厚く保証してくれますが、想定の枠(わく)の外(そと)に身をおくと非情です。だから、できるだけ法令の枠の中で生活することを心がけますが、そうできない人もいます。

 映画は、大海原の映像から始まって、大海原の映像で終わる基本的な流れの映画でした。最後は最初に戻るのです。
 だれかの思い出がベースになったストーリーだろうか。
 戸籍のうえでは存在していない人間が現実の世の中では存在している。推理小説です。
 貧困を扱っています。映像に出る共同住宅は、市営住宅・県営住宅・公団住宅・雇用促進住宅のつくりを思い出させてくれます。狭い部屋で、エレベーターもない階段で、ビル形式で古い建物です。障害者も出てきます。そういったことで、この映画は、社会福祉を考える映画でもあります。
 
 ときおり、白い文鳥の映像が出ます。何かのメッセージがあります。『孤独』だろうか。

 男が悪いということはあります。男が女を性の対象としていたぶります。男は、ばかたれです。

 こんな家に生まれてしまったことを嘆く。
 いつだったかのニュースで、SNSつながりで家出をして、誘った男の家に行った十代女性が、あんな家では(実家)生活ができないんですと訴えていました。虐待でもあるのだろうか。家庭に暴君の男がいるのだろうか。母親が狂っているのだろうか。いろいろあります。

 偽りの市子は、最後に警察に逮捕されて終わるのだろうかと予想しましたが、そうはなりませんでした。(最後は、犯罪を重ねる形で終わっています。それでいいのだろうかと疑問が残りました。倫理(りんり。人の道)にはずれています)
 
 ローカル感(いなか風景)満載の映像です。
 過去の記憶が呼び起こされます。
 昭和の時代にあった、自分がこどものころに見た風景です。
 市子が道を歩く。左右に緑が広がっています。
 市子が何かの歌をハミングする。曲名はわからない。(その後、『にじ』という曲であることがわかりました。1990年(平成2年)ケロポンズ)

 雷雨のシーンに意味がある。
 激しく降る雨に顔をあげて、水浴びをする。
 花火のシーンに意味がある。
 パッと散る。

 市子が長谷川を好きな理由はわかります。長谷川は、市子に心優しい。
 しかし、長谷川が市子を好きな理由がわかりません。市子の心の持ち方のどこがよくて、愛情が湧くのだろうか。市子の心は屈折しています。長谷川が気に入ったのは、市子の見た目だけという理由しか浮かんできませんでした。ペットのようなものです。現実的な恋愛ではありません。見た目だけの愛情は長続きしません。心の中にあることをさらけだしてぶつかって、妥協点を見つけ出して、障害物競走のような人生を共に送って思い出づくりをします。映画では、ふたりで協力して困難を乗り越えていくだけの愛情をベースにした理由付けが見つかりません。

 名作邦画、『砂の器(すなのうつわ)』のようでもある。出生の秘密がベースにあります。
 
 人の心の中に、『悪魔』がいる。
 
 また、タバコのシーンです。日本映画はいつになったら、タバコシーンから卒業できるのだろうか。製作関係者に喫煙者が多いのでしょう。もう、タバコで感情を表現する時代は終わっています。映像は、非喫煙者にとっては、嫌悪感(けんおかん)しかありません。

 不気味です。
 あんなふうで人が死ぬとは思えません。障害者である妹への対応です。
 シーパップ(無呼吸症候群の人が、寝るときに顔に装着する空気排出マスク)のようでした。
 介護疲れがあります。ヤングケアラーです。
 介護する相手は、映画ではこどもさんですが、相手が高齢者でも介護についての同じつらさがあります。相手が若くても年寄りでも、介護することは大変です。

 じょうずなカメラワーク(動かし方、シーンづくり)だと思う映像もありました。