2024年05月16日
ゴジラ‐1.0(ゴジラマイナスワン) 邦画 2023年
ゴジラ‐1.0(ゴジラマイナスワン) 邦画 2023年 125分 動画配信サービス
テレビをつけたら、『ゴジラ‐1.0』が動画配信サービスで無料ですと表示が出たので、すぐに観始めました。話題になった映画です。夕食を食べながら家族と最後まで観ました。
動画配信サービスに加入しているので、別途料金はいりませんということでした。
『ゴジラ‐1.0』は、話の中身というよりも映像を楽しむ映画だろうという先入観をもちながら観ました。そのとおりでした。
舞台は、南太平洋の島で始まります。時代は第二次世界大戦中です。ゴジラが出て来て暴れて犠牲者複数が出ました。
ゴジラが人間を口にくわえる映像を初めて見ました。これまでは、技術的に人間を口にくわえさせることができなかったのかもしれません。
ゴジラの動きや表情がリアルでした。(怖い(こわい))
ゴジラはなんだか爬虫類(はちゅうるい)みたいです。
半世紀以上前、自分が小学生だった時は、怪獣の中では、ガメラが好きで、ガメラはカメでした。自分が、カメが好きだったということもあります。
小学生の時に、中学のときに病気で死んだオヤジとふたりで映画館に行きました。たしか、『ガメラ対バルゴン』という映画でした。
オヤジは、たまに、小学生だったわたしを映画に連れていくことがあり、クレージーキャッツのお気楽なサラリーマンの映画を見ていた時に、オヤジが大イビキをかきながら座席で寝てしまい、オヤジがもう起きなかったらどうしようかと、スクリーンよりもオヤジのほうばかりを見ながらハラハラドキドキしていた記憶があります。
映画のスクリーンでは、クレージーキャッツの植木等さんが、ビルの外側につかまってのぼるような、あるいはおりるようなシーンを見た覚えがありますが、記憶が定かではありません。ああ、話が脱線してしまいました。
まあ、こちらのゴジラですが、ストーリーの進行にはムリがあります。
人間たちが、ゴジラに向かっていきますが、ゴジラは、弾丸を撃って倒せるような相手ではありません。
東京の昭和二十年終戦頃の風景は、つくってある風景です。邦画、『三丁目の夕日シリーズ』を思い出す映像づくりでした。
話の展開は、マンガチックです。(おおげさ、誇張、単純)。登場人物同士の会話が稚拙な面もありました。(ちせつ:こどもっぽい)
主人公男子が周囲からかなり責められますが、現実社会ではそのようなことはありません。だれだって失敗はあります。お互い様です。映像は、いじめのようでした。
映像に広がる荒廃した集落は、パレスチナのガザ地区のような風景、光景でした。
虐殺された民族が、今度は虐殺する側の民族になる。人間という存在は地球の大自然にとっては、悪魔のような存在でしょう。
1946年3月(昭和21年。終戦の翌年)になりました。
深海魚がたくさん海面に浮かぶと、ゴジラが現れます。
映画の内容をひっぱるフレーズとして、『政府はこの情報を国民に隠しています。情報統制はこの国のお家芸です』というものです。現在はSNSがあるので、隠すことはむずかしい。逆にフェイク(ウソの情報)が流れたりもします。
炎(ほのお)のシーンが何度か出てきます。撮影で使っているあの炎は灯り(あかり)のようなもので、物は燃えない炎だろうとか、案外あの炎は、触る(さわる)と冷たかったりもするのではなかろうかと思いを巡らせました。
ゴジラに立ち向かっていく木造船はかなり古いタイプです。日本史の古代、卑弥呼(ひみこ)の時代とか、飛鳥時代、奈良時代の遣隋使とか遣唐使で使用されていたような船です。びっくりしました。
物語では、妻でもない同居していた女性の死の情報が、登場人物男子のゴジラを倒す強い動機になりますが不自然です。人間の感情はそのようには動きません。
登場人物に、特攻隊(自爆)のようなことをさせてはいけません。(アニメ映画、『宇宙戦艦ヤマト』に出ていた、たしか山本という隊員を思い出しました。彼は、映画の最後のほうで、地球を救うために、自らの命を犠牲にしました)
女性の死と自爆という動きは、最終部で回収されました。結果は、現代的な良い方向に動いています。命を粗末にはしません。
わだつみ作戦:『わだつみ』は、海の神のこと。
電報のシーンがなつかしかった。
先日観た邦画、『銀河鉄道の父』でも電報のシーンがありました。
もう今どき、電報は打つことも受けることもなくなりました。
ゴジラの大暴れは、迫力のあるシーンでした。
元プロ野球選手の松井秀喜さんを思い出しました。『ゴジラ松井』と呼ばれていました。今は、『お~たにさ~ん』の時代です。
タイトルのマイナス1.0の意味をとれなかったのですが、恐怖度指数のようです。戦争に負けて、何もかもを失って、基準点が、『0』で、そこからマイナスに至っていく。
次につくるときのゴジラ映画は、『-1.1』とかで、不幸の指数が上昇していくというような意味あいだと、ネットのどこかに書いてありました。
わたしは、温度かと思いました。超低温になると、ゴジラの動きが止まって、ゴジラが冬眠しているような状態になる。だから、ゴジラの体をマイナス何百度というくらいの温度で冷やすというような流れになるのかもと思いながらこの映画を観始めました。だから、ネットで見たさきほどの説明のとおりとも思えないのです。
テレビをつけたら、『ゴジラ‐1.0』が動画配信サービスで無料ですと表示が出たので、すぐに観始めました。話題になった映画です。夕食を食べながら家族と最後まで観ました。
動画配信サービスに加入しているので、別途料金はいりませんということでした。
『ゴジラ‐1.0』は、話の中身というよりも映像を楽しむ映画だろうという先入観をもちながら観ました。そのとおりでした。
舞台は、南太平洋の島で始まります。時代は第二次世界大戦中です。ゴジラが出て来て暴れて犠牲者複数が出ました。
ゴジラが人間を口にくわえる映像を初めて見ました。これまでは、技術的に人間を口にくわえさせることができなかったのかもしれません。
ゴジラの動きや表情がリアルでした。(怖い(こわい))
ゴジラはなんだか爬虫類(はちゅうるい)みたいです。
半世紀以上前、自分が小学生だった時は、怪獣の中では、ガメラが好きで、ガメラはカメでした。自分が、カメが好きだったということもあります。
小学生の時に、中学のときに病気で死んだオヤジとふたりで映画館に行きました。たしか、『ガメラ対バルゴン』という映画でした。
オヤジは、たまに、小学生だったわたしを映画に連れていくことがあり、クレージーキャッツのお気楽なサラリーマンの映画を見ていた時に、オヤジが大イビキをかきながら座席で寝てしまい、オヤジがもう起きなかったらどうしようかと、スクリーンよりもオヤジのほうばかりを見ながらハラハラドキドキしていた記憶があります。
映画のスクリーンでは、クレージーキャッツの植木等さんが、ビルの外側につかまってのぼるような、あるいはおりるようなシーンを見た覚えがありますが、記憶が定かではありません。ああ、話が脱線してしまいました。
まあ、こちらのゴジラですが、ストーリーの進行にはムリがあります。
人間たちが、ゴジラに向かっていきますが、ゴジラは、弾丸を撃って倒せるような相手ではありません。
東京の昭和二十年終戦頃の風景は、つくってある風景です。邦画、『三丁目の夕日シリーズ』を思い出す映像づくりでした。
話の展開は、マンガチックです。(おおげさ、誇張、単純)。登場人物同士の会話が稚拙な面もありました。(ちせつ:こどもっぽい)
主人公男子が周囲からかなり責められますが、現実社会ではそのようなことはありません。だれだって失敗はあります。お互い様です。映像は、いじめのようでした。
映像に広がる荒廃した集落は、パレスチナのガザ地区のような風景、光景でした。
虐殺された民族が、今度は虐殺する側の民族になる。人間という存在は地球の大自然にとっては、悪魔のような存在でしょう。
1946年3月(昭和21年。終戦の翌年)になりました。
深海魚がたくさん海面に浮かぶと、ゴジラが現れます。
映画の内容をひっぱるフレーズとして、『政府はこの情報を国民に隠しています。情報統制はこの国のお家芸です』というものです。現在はSNSがあるので、隠すことはむずかしい。逆にフェイク(ウソの情報)が流れたりもします。
炎(ほのお)のシーンが何度か出てきます。撮影で使っているあの炎は灯り(あかり)のようなもので、物は燃えない炎だろうとか、案外あの炎は、触る(さわる)と冷たかったりもするのではなかろうかと思いを巡らせました。
ゴジラに立ち向かっていく木造船はかなり古いタイプです。日本史の古代、卑弥呼(ひみこ)の時代とか、飛鳥時代、奈良時代の遣隋使とか遣唐使で使用されていたような船です。びっくりしました。
物語では、妻でもない同居していた女性の死の情報が、登場人物男子のゴジラを倒す強い動機になりますが不自然です。人間の感情はそのようには動きません。
登場人物に、特攻隊(自爆)のようなことをさせてはいけません。(アニメ映画、『宇宙戦艦ヤマト』に出ていた、たしか山本という隊員を思い出しました。彼は、映画の最後のほうで、地球を救うために、自らの命を犠牲にしました)
女性の死と自爆という動きは、最終部で回収されました。結果は、現代的な良い方向に動いています。命を粗末にはしません。
わだつみ作戦:『わだつみ』は、海の神のこと。
電報のシーンがなつかしかった。
先日観た邦画、『銀河鉄道の父』でも電報のシーンがありました。
もう今どき、電報は打つことも受けることもなくなりました。
ゴジラの大暴れは、迫力のあるシーンでした。
元プロ野球選手の松井秀喜さんを思い出しました。『ゴジラ松井』と呼ばれていました。今は、『お~たにさ~ん』の時代です。
タイトルのマイナス1.0の意味をとれなかったのですが、恐怖度指数のようです。戦争に負けて、何もかもを失って、基準点が、『0』で、そこからマイナスに至っていく。
次につくるときのゴジラ映画は、『-1.1』とかで、不幸の指数が上昇していくというような意味あいだと、ネットのどこかに書いてありました。
わたしは、温度かと思いました。超低温になると、ゴジラの動きが止まって、ゴジラが冬眠しているような状態になる。だから、ゴジラの体をマイナス何百度というくらいの温度で冷やすというような流れになるのかもと思いながらこの映画を観始めました。だから、ネットで見たさきほどの説明のとおりとも思えないのです。
2024年05月14日
オデッセイ アメリカ映画 2015年
オデッセイ アメリカ映画 2時間21分 2015年(平成27年)公開 動画配信サービス
この映画は、定時制高校の生徒たち(21歳ヤンキー男子、16歳不登校だったリストカット女子、40歳フィリピン人ハーフのフィリピン料理店ママさん、74歳金属加工業自営だった高齢者男性(妻がじん肺で長期入院中))が、有力大学教授からにらまれて干された定時制高校の物理教師と共に、コンピューター準備室に火星をつくるため、部活としての科学部をつくって、千葉市幕張メッセでの『日本地球惑星科学連合大会』で研究成果を発表して受賞するまでの活躍を小説にした(実話がモデルになっています))『宙わたる教室(そらわたるきょうしつ) 伊予原新(いよはら・しん) 文藝春秋』の98ページで紹介されている小説、映画作品です。
そちらの本を読み終えて、動画配信サービスを調べたら、すぐに出てきたのでさっそく観てみました。小説は、『火星の人 アンディ・ウィアー ハヤカワ文庫SF 1巻・2巻各上・下』です。
物語は、6人のメンバーによるアメリカ合衆国NASA(ナサ。アメリカ航空宇宙局)の火星探検において、砂嵐の発生で、火星にひとりぼっちで残された男性植物学者宇宙飛行士を、みんなで救出する筋立てになっています。
地球の科学者たちみんなが、国籍を問わずに協力し合って、火星に取り残された男性を救い出します。
感動的です。
現実社会では、アメリカ合衆国と中国は仲が悪いようですが、映画の中では仲良しです。
最終的には、アメリカ合衆国が一番という映画です。かまいません。それがアメリカ合衆国の人の誇りであり心の支えなのでしょう。アメリカ合衆国らしい娯楽映画です。
思いつくままに感想を並べてみます。
6人のメンバーで火星の調査をしていたら、砂嵐が起きて、ひとりだけ救出できなかったというところから始まります。5人は、残されたひとりが事故死したと誤認して宇宙船に乗って、地球への帰還の旅に出てしまいます。
火星にひとりぼっちで残された男性は死んだと判断されたのですが、その男性ががんばります。自力で通信装置を回復させて、地球へ電波を送り、いったん亡くなったとされた彼の生存が地球で確認されました。
そのあと、いろいろあります。救出に消極的な組織のトップがいます。まあ、いろいろあります。人間ですから。
映像の火星は、赤い風景です。冒頭に紹介した本には、火星の空の色は、地球とは反対で、昼間は赤く、夕焼けは青い色ですと書かれてありました。
最初のうちは、短時間に砂嵐や事故っぽいものが起きて、なんだかドタバタで落ち着きません。
えらく早い展開です。
火星に取り残された男性宇宙飛行士が、どれくらいの間生きられるか?という、生きるか死ぬかの話です。
以前映画館で類似の映画を観ました。『ゼロ・グラビティ(無重力のこと)』というタイトルで、女性宇宙飛行士が、船外作業中に宇宙服のまま宇宙空間に取り残されてしまいました。
青い地球は見えているのに、地球にかえることができません。そんな設定でスリルがありました。映画ですから、彼女は、最後は無事に地球へ帰還します。なかなかいい映画でした。
上司と部下とか、職務命令とか、組織ですから、外部の目を気にしたいさかいがあります。トップはメンツにこだわります。(対面(たいめん)、名目(めいもく)、世間体(せけんてい))
権力者は、自分や組織の身を守るために、自分たちにとって都合の悪いことは隠そうとします。隠蔽(いんぺい)です。
観ていて、人間というものは冷たいものだと思います。見捨てる命があります。組織の上層部にいる人に、いい人はいません。それが人間です。
まあ、現実的なことを考えると、むずかしい問題です。映画だから、人道的なことを言えるということもあります。
無難な策をとりたがるリーダーに対して、『あんたは、腰抜けだ!』という言葉が飛び出します。
生き残りのドラマです。
残された男性宇宙飛行士は、排泄物を肥料にして、地球から持ち込んだ気体から水をつくりだして(水素と聞き取れましたが自信はありません)、じゃがいもを育てるという農業を始めます。人間の居住地であるテントのような構築物の中で畑をつくります。
生きようとする気持ちがあります。
『ここで(火星で)死ねるか!』ガッツがあります。
『ソル』さきほど紹介した定時制高校を舞台にした本の物語に書いてあったので、映画を観始めてすぐに理解できました。
火星における一日の単位がソル(約24時間40分です。映画では、ソル561ぐらいまで時間が経過します。火星における521日間です。
この映画は、2時間ちょっとの長さですが、映画の中では何日も時間が過ぎていきます。宇宙船の移動には日にちがかかるのです。
火星の風景は、オーストラリア中心部にある砂漠地帯のマウントオルガとか、エアーズロックを見るようです。赤い砂漠の上に赤い岩盤のような山が見えます。
科学的なアイデアでのりきる。
電波のスピードはどれぐらいなのだろうかと考えていたら、映画の中で、地球からの交信は、32分後に、火星にいる彼のもとへ届くというようなセリフがありました。ネットで調べたら、電波は、光と同じ速度だそうです。かなり速い。
火星に残された音楽とゲームが孤独をまぎらわせてくれます。ただ、男性宇宙飛行士は、女性船長が残した音楽は古すぎると、何度も嘆きます。
『火星は君のものだ』
植物を育てたら、星の所有者になるという理屈だそうです。
ふと思いました。
自分が死ぬまでの時間を楽しむ。
地上にいても同じです。
孤独なようで孤独ではありません。
通信装置は稼働しています。
火星の地上にあるものとしてハブ:建物のことだろうと思いました。小型の火星基地みたいになっています。
命がかかっているのですが、もともと宇宙飛行士には死の危険が隣り合わせであるわけで、自ら(みずから)がその仕事を選んだわけで、覚悟はできているのでしょう。
最悪死ぬこともある。宇宙飛行士以外でもそういう職業はあります。
映画の中では、こどもたちや家族を大事にするセリフが多いのに、アメリカ合衆国ではどうして離婚する人が多いのだろうかと不思議でした。
『オデッセイ』の意味は、『長い冒険旅行』だそうです。原題は、『The Martian(火星人)』です。
ヘルメス:5人のメンバーが、火星から地球に帰るために乗船している宇宙船の名称。
後半のクライマックスは緊張感が走ります。
映画ですから、話をもりあげるために、製作側の思惑(おもわく。計略。意図(いと))どおり、救出作戦はうまくいきません。いろいろ障害が発生します。
インターセプト:捕(と)らえる。宇宙空間で、火星から脱出した男性宇宙飛行士を捕らえる。つかまえる。(素手(すで)で捕まえるようなものです)
アイアンマン:アメリカ合衆国映画、空を飛ぶヒーロー。
最後の見せ場はかなり良かった。
すごいなあ。対象者を宇宙空間で確保しました。
『会えて良かったです』本当に良かった、とても良かった。
ひとつの小さな植物の芽が映像に出ます。朝顔の種から出てきた芽に形状が似ていました。
先日観た草薙剛さん(くさなぎつよしさん)出演のドラマ、『罠の戦争(わなのせんそう)』でも、植物学者のような国会議員秘書見習いみたいな若者が出ていて、伏線として、植物の話が流れていたことを思い出しました。
どちらも新しく生まれてきた命を大切にしようというような意味合いがあるのでしょう。
この映画は、定時制高校の生徒たち(21歳ヤンキー男子、16歳不登校だったリストカット女子、40歳フィリピン人ハーフのフィリピン料理店ママさん、74歳金属加工業自営だった高齢者男性(妻がじん肺で長期入院中))が、有力大学教授からにらまれて干された定時制高校の物理教師と共に、コンピューター準備室に火星をつくるため、部活としての科学部をつくって、千葉市幕張メッセでの『日本地球惑星科学連合大会』で研究成果を発表して受賞するまでの活躍を小説にした(実話がモデルになっています))『宙わたる教室(そらわたるきょうしつ) 伊予原新(いよはら・しん) 文藝春秋』の98ページで紹介されている小説、映画作品です。
そちらの本を読み終えて、動画配信サービスを調べたら、すぐに出てきたのでさっそく観てみました。小説は、『火星の人 アンディ・ウィアー ハヤカワ文庫SF 1巻・2巻各上・下』です。
物語は、6人のメンバーによるアメリカ合衆国NASA(ナサ。アメリカ航空宇宙局)の火星探検において、砂嵐の発生で、火星にひとりぼっちで残された男性植物学者宇宙飛行士を、みんなで救出する筋立てになっています。
地球の科学者たちみんなが、国籍を問わずに協力し合って、火星に取り残された男性を救い出します。
感動的です。
現実社会では、アメリカ合衆国と中国は仲が悪いようですが、映画の中では仲良しです。
最終的には、アメリカ合衆国が一番という映画です。かまいません。それがアメリカ合衆国の人の誇りであり心の支えなのでしょう。アメリカ合衆国らしい娯楽映画です。
思いつくままに感想を並べてみます。
6人のメンバーで火星の調査をしていたら、砂嵐が起きて、ひとりだけ救出できなかったというところから始まります。5人は、残されたひとりが事故死したと誤認して宇宙船に乗って、地球への帰還の旅に出てしまいます。
火星にひとりぼっちで残された男性は死んだと判断されたのですが、その男性ががんばります。自力で通信装置を回復させて、地球へ電波を送り、いったん亡くなったとされた彼の生存が地球で確認されました。
そのあと、いろいろあります。救出に消極的な組織のトップがいます。まあ、いろいろあります。人間ですから。
映像の火星は、赤い風景です。冒頭に紹介した本には、火星の空の色は、地球とは反対で、昼間は赤く、夕焼けは青い色ですと書かれてありました。
最初のうちは、短時間に砂嵐や事故っぽいものが起きて、なんだかドタバタで落ち着きません。
えらく早い展開です。
火星に取り残された男性宇宙飛行士が、どれくらいの間生きられるか?という、生きるか死ぬかの話です。
以前映画館で類似の映画を観ました。『ゼロ・グラビティ(無重力のこと)』というタイトルで、女性宇宙飛行士が、船外作業中に宇宙服のまま宇宙空間に取り残されてしまいました。
青い地球は見えているのに、地球にかえることができません。そんな設定でスリルがありました。映画ですから、彼女は、最後は無事に地球へ帰還します。なかなかいい映画でした。
上司と部下とか、職務命令とか、組織ですから、外部の目を気にしたいさかいがあります。トップはメンツにこだわります。(対面(たいめん)、名目(めいもく)、世間体(せけんてい))
権力者は、自分や組織の身を守るために、自分たちにとって都合の悪いことは隠そうとします。隠蔽(いんぺい)です。
観ていて、人間というものは冷たいものだと思います。見捨てる命があります。組織の上層部にいる人に、いい人はいません。それが人間です。
まあ、現実的なことを考えると、むずかしい問題です。映画だから、人道的なことを言えるということもあります。
無難な策をとりたがるリーダーに対して、『あんたは、腰抜けだ!』という言葉が飛び出します。
生き残りのドラマです。
残された男性宇宙飛行士は、排泄物を肥料にして、地球から持ち込んだ気体から水をつくりだして(水素と聞き取れましたが自信はありません)、じゃがいもを育てるという農業を始めます。人間の居住地であるテントのような構築物の中で畑をつくります。
生きようとする気持ちがあります。
『ここで(火星で)死ねるか!』ガッツがあります。
『ソル』さきほど紹介した定時制高校を舞台にした本の物語に書いてあったので、映画を観始めてすぐに理解できました。
火星における一日の単位がソル(約24時間40分です。映画では、ソル561ぐらいまで時間が経過します。火星における521日間です。
この映画は、2時間ちょっとの長さですが、映画の中では何日も時間が過ぎていきます。宇宙船の移動には日にちがかかるのです。
火星の風景は、オーストラリア中心部にある砂漠地帯のマウントオルガとか、エアーズロックを見るようです。赤い砂漠の上に赤い岩盤のような山が見えます。
科学的なアイデアでのりきる。
電波のスピードはどれぐらいなのだろうかと考えていたら、映画の中で、地球からの交信は、32分後に、火星にいる彼のもとへ届くというようなセリフがありました。ネットで調べたら、電波は、光と同じ速度だそうです。かなり速い。
火星に残された音楽とゲームが孤独をまぎらわせてくれます。ただ、男性宇宙飛行士は、女性船長が残した音楽は古すぎると、何度も嘆きます。
『火星は君のものだ』
植物を育てたら、星の所有者になるという理屈だそうです。
ふと思いました。
自分が死ぬまでの時間を楽しむ。
地上にいても同じです。
孤独なようで孤独ではありません。
通信装置は稼働しています。
火星の地上にあるものとしてハブ:建物のことだろうと思いました。小型の火星基地みたいになっています。
命がかかっているのですが、もともと宇宙飛行士には死の危険が隣り合わせであるわけで、自ら(みずから)がその仕事を選んだわけで、覚悟はできているのでしょう。
最悪死ぬこともある。宇宙飛行士以外でもそういう職業はあります。
映画の中では、こどもたちや家族を大事にするセリフが多いのに、アメリカ合衆国ではどうして離婚する人が多いのだろうかと不思議でした。
『オデッセイ』の意味は、『長い冒険旅行』だそうです。原題は、『The Martian(火星人)』です。
ヘルメス:5人のメンバーが、火星から地球に帰るために乗船している宇宙船の名称。
後半のクライマックスは緊張感が走ります。
映画ですから、話をもりあげるために、製作側の思惑(おもわく。計略。意図(いと))どおり、救出作戦はうまくいきません。いろいろ障害が発生します。
インターセプト:捕(と)らえる。宇宙空間で、火星から脱出した男性宇宙飛行士を捕らえる。つかまえる。(素手(すで)で捕まえるようなものです)
アイアンマン:アメリカ合衆国映画、空を飛ぶヒーロー。
最後の見せ場はかなり良かった。
すごいなあ。対象者を宇宙空間で確保しました。
『会えて良かったです』本当に良かった、とても良かった。
ひとつの小さな植物の芽が映像に出ます。朝顔の種から出てきた芽に形状が似ていました。
先日観た草薙剛さん(くさなぎつよしさん)出演のドラマ、『罠の戦争(わなのせんそう)』でも、植物学者のような国会議員秘書見習いみたいな若者が出ていて、伏線として、植物の話が流れていたことを思い出しました。
どちらも新しく生まれてきた命を大切にしようというような意味合いがあるのでしょう。
2024年05月09日
出川哲朗の充電バイクの旅 和歌山県瀞峡→潮岬
出川哲朗の充電バイクの旅 TVer(ティーバー) 紀伊半島和歌山県瀞峡(どろきょう)→潮岬(しおのみさき)
出川哲朗の充電させてもらえませんか? ■絶景の紀伊半島横断119キロ■秘境<瀞峡>から日本最古の神社通って本州最南端<潮岬>へ■ですが杉野遥亮(すぎの・ようすけ)&たんぽぽ川村が雨でずぶ濡れで大ピンチ!ヤバイよヤバイよSP
ひどい雨で、ゲストさんたちもお気の毒でした。
たんぽぽ川村さんは、本を読んだことがあります。
『わたしもかわいく生まれたかったな 川村エミコ 集英社』以下は、読んだ時の感想の一部です。
見た目で嫌な思いをすることが多かったようです。されど、見た目がいい人の苦労もあるような気がします。あたりまえのことですが、人間の外見の見た目と中身の心は違います。
ご自身のおばあさんのお話が良かった。戦争の話、関東大震災の話をしてくださっています。おばあさんの口癖が、『とにかく生きなきゃならない』だったそうで、同感です。
俳優の杉野遥亮(すぎの・ようすけ)さんという方をわたしは知らなかったのですが、天然で(マイペースで、その場での言動が、なにかしらまとはずれでぬけている。予想外の反応がある)、なかなか笑える人でした。言動がおもしろい。
なにせすごい雨です。コンディションは悪い。タイトルにある絶景をながめることは無理です。
晴れていたなら、絶景だったでしょう。ゴールで夕陽を見ることもできたでしょう。
ゲストさんも出川哲朗さんもバイクでの移動がつらそうです。雨粒がきつくて、『顔が痛いです』
ソフトボールの大会でもあった時期なのか、ソフトボール部の女子たちと出会うことが複数回ありました。
川村さんは、温泉タオルを集める旅番組に出られていて、温泉宿で、タオルがほしいとカウンターごしにホテルの方にお願いをされていました。
わたしは知らない番組ですが、調べたら出てきました。『大久保川村の温泉タオル集め旅』という番組でした。
丸山千枚田、温泉、花の窟神社(はなのいわやじんじゃ)、ハンバーグのお店、橋杭岩(はしぐいいわ)などを巡りました。
寒いからあったかいハンバーグをいただきます。杉野遥亮さんは、おもしろすぎる人です。お店の人との会話のやりとりが、間が抜けていて笑いました。
ハンバーグは、とてもでかかった。
エグイとは:女子たちが言っていました。素晴らしい。最高。いっぽう反対の意味で、最低、ひどい、ありえないだそうです。
ゴール地での目的は、きれいな夕陽を見ることだったのですが、雨模様のお空で、夕陽は無理でした。ゴールも潮岬(しおのみさき)手前の位置にある橋杭岩に変更されました。お坊さんに見える岩がありました。
杉野遥亮さんは、充電依頼を民家の玄関先でするときに、緊張のあまり、がたがたのボロボロでした。番組名を言えなくて、頼まれたほうのご自宅の方も困った顔をされていました。苦笑い(にがわらい)です。言わなくてもスイカヘルメットを見て、出川哲朗さんの番組で充電を頼まれているとご理解されているのです。そちらのお宅のご夫婦はたいへん落ち着きのある方たちで感心しました。いなかの人たちはみなさん親切です。やさしいご夫婦で良かった。
古座(こざ)というところは、明石家さんまさんがお生まれになったところだそうです。現在は、和歌山県串本町です。昔は古座町だったそうです。
今年の1月にさんまさんの喜劇を東京で見たときのことを思い出しました。さんまさんは、元気よく、機関銃のようにおしゃべりをされていました。
杉野遥亮さんは、たいへんリラックスされている様子で、のんびりのマイペースです。充電旅の番組は、『ちょっと気を抜いても大丈夫(な番組)』と思われていたそうです。
出川哲朗の充電させてもらえませんか? ■絶景の紀伊半島横断119キロ■秘境<瀞峡>から日本最古の神社通って本州最南端<潮岬>へ■ですが杉野遥亮(すぎの・ようすけ)&たんぽぽ川村が雨でずぶ濡れで大ピンチ!ヤバイよヤバイよSP
ひどい雨で、ゲストさんたちもお気の毒でした。
たんぽぽ川村さんは、本を読んだことがあります。
『わたしもかわいく生まれたかったな 川村エミコ 集英社』以下は、読んだ時の感想の一部です。
見た目で嫌な思いをすることが多かったようです。されど、見た目がいい人の苦労もあるような気がします。あたりまえのことですが、人間の外見の見た目と中身の心は違います。
ご自身のおばあさんのお話が良かった。戦争の話、関東大震災の話をしてくださっています。おばあさんの口癖が、『とにかく生きなきゃならない』だったそうで、同感です。
俳優の杉野遥亮(すぎの・ようすけ)さんという方をわたしは知らなかったのですが、天然で(マイペースで、その場での言動が、なにかしらまとはずれでぬけている。予想外の反応がある)、なかなか笑える人でした。言動がおもしろい。
なにせすごい雨です。コンディションは悪い。タイトルにある絶景をながめることは無理です。
晴れていたなら、絶景だったでしょう。ゴールで夕陽を見ることもできたでしょう。
ゲストさんも出川哲朗さんもバイクでの移動がつらそうです。雨粒がきつくて、『顔が痛いです』
ソフトボールの大会でもあった時期なのか、ソフトボール部の女子たちと出会うことが複数回ありました。
川村さんは、温泉タオルを集める旅番組に出られていて、温泉宿で、タオルがほしいとカウンターごしにホテルの方にお願いをされていました。
わたしは知らない番組ですが、調べたら出てきました。『大久保川村の温泉タオル集め旅』という番組でした。
丸山千枚田、温泉、花の窟神社(はなのいわやじんじゃ)、ハンバーグのお店、橋杭岩(はしぐいいわ)などを巡りました。
寒いからあったかいハンバーグをいただきます。杉野遥亮さんは、おもしろすぎる人です。お店の人との会話のやりとりが、間が抜けていて笑いました。
ハンバーグは、とてもでかかった。
エグイとは:女子たちが言っていました。素晴らしい。最高。いっぽう反対の意味で、最低、ひどい、ありえないだそうです。
ゴール地での目的は、きれいな夕陽を見ることだったのですが、雨模様のお空で、夕陽は無理でした。ゴールも潮岬(しおのみさき)手前の位置にある橋杭岩に変更されました。お坊さんに見える岩がありました。
杉野遥亮さんは、充電依頼を民家の玄関先でするときに、緊張のあまり、がたがたのボロボロでした。番組名を言えなくて、頼まれたほうのご自宅の方も困った顔をされていました。苦笑い(にがわらい)です。言わなくてもスイカヘルメットを見て、出川哲朗さんの番組で充電を頼まれているとご理解されているのです。そちらのお宅のご夫婦はたいへん落ち着きのある方たちで感心しました。いなかの人たちはみなさん親切です。やさしいご夫婦で良かった。
古座(こざ)というところは、明石家さんまさんがお生まれになったところだそうです。現在は、和歌山県串本町です。昔は古座町だったそうです。
今年の1月にさんまさんの喜劇を東京で見たときのことを思い出しました。さんまさんは、元気よく、機関銃のようにおしゃべりをされていました。
杉野遥亮さんは、たいへんリラックスされている様子で、のんびりのマイペースです。充電旅の番組は、『ちょっと気を抜いても大丈夫(な番組)』と思われていたそうです。
2024年05月08日
罠の戦争(わなのせんそう) 連続ドラマ Hulu
罠の戦争(わなのせんそう) 連続ドラマ Hulu(フールー) 2023年(令和5年)
『第1話 弱き者の復讐劇が幕を開ける! 愛する家族を守れ』
主演の草彅剛さん(くさなぎつよしさん)は、出川哲朗さんの充電バイクの旅で見たことがあるぐらいです。自分とは世代が違うのであまり存じ上げませんが、たいへん人気がある方だということは知っています。
感想が残っていました。2020年。出川哲朗の充電させてもらえませんか? 新春伊勢志摩めぐり お正月3時間スペシャル番組。香取慎吾さん、草彅剛さん、稲垣吾郎さんの順番で、バイクの乗り手が変わっていきました。
『草彅剛(くさなぎ・つよし)さん』
ご本人は、この番組を一度も見たことがない。『充電ってなに?』には、驚きました。『いつ放送するんですか?』という問いもありました。見ているほうがびっくりしました。おおざっぱな人で、ものごとを気にしないところがステキでした。
エピソードとして、草彅剛さんが、自分がはいているジーンズを指さして)「これ、いくらだと思いますか?」(充電を依頼した先の家のご主人が、『30万とか、50万とか』(くさなぎさん)『300万です』びっくりです。
さてこちらのドラマです。
先日、ブラッシュアップライフというドラマを観終えたので、今度はこちらのドラマを観てみることにしました。
ぽつりぽつりと感想を記してみます。
衆議院議員 犬飼孝介
犬飼孝介の第一秘書 鷲津亨(わしづ・とおる。草彅剛さん)
鷲津亨の妻と長男(高校生ぐらいに見えますが、中学生かも)(中学生でした)
蛯沢眞人 犬飼議員に恨み(うらみ)があるようすだが、犬飼議員の秘書見習いになる若者。鷲津の下で働く。
蛍原理恵 犬飼議員の秘書。年配の秘書のパワハラ、セクハラに悩んでいる。
貝沼永太 第二秘書。おかっぱ頭に見えます。個性的です。
犬飼俊介 犬飼議員のばか息子
虻川勝次(あぶかわ・かつじ) 犬飼議員の政策秘書。パワハラ、セクハラ野郎
総理大臣 竜崎始(りゅうざき・はじめ)
鴨井ゆうこ 厚生労働大臣
鶴巻憲一 党の幹事長。有力者
熊谷由貴 週刊誌記者
国会議事堂を今年の1月に見学したことを思い出しました。衆議院の見学でした。
ドラマでは政治家のどろどろとした世界を描き出すようです。
権利欲の強い人たちが集まっています。主張が強い。
事実を捻じ曲げることを(ねじまげる)ことを良しとする人たちが主導権を握っています。弱い人の気持ちは踏みにじられます。
なんだか現実の政界とも重なる部分部があるようで見ていて冷や冷やするシーンもあります。今年話題になった政治資金パーティではなかろうかとか、政治家の愚かな息子たちとか、犯罪のにぎりつぶしとか、具体的な例が第一回目から次々と出てきます。出てくるたびに、正直者の怒りが積みあがっていきます。
復讐劇です。それも、外部から復讐するのではなく、内部から復讐するのです。
『組織というものは、外部からの力によってではなく、内部からの力によって崩壊する。』そんな言葉を思い出しました。
中身からいえば、『つくり話』です。無理な筋立てもあります。
深刻な状況を意図的につくる脚本の内容です。
草薙剛さんが、出ずっぱりであることに驚きました。常にシーンの中にいます。演技はすごい。
映像のつくりとして、力を抜く遊びの部分がほしい。常に、『fフォルテ(強く)』です。強弱をつけるとか、押したり引いたりすることは、ドラマづくりのコツです。
政治家たちは、キチガイたちです。極端に描いてあります。
本人は、最初は世のため人のためと思って立っても、周りにいる人間たちが私利私欲の固まりで、政治家本人の意識がゆがんでいくということはあると思います。
う~む。大物政治家の圧力で、警察が犯罪を明かす手を緩める(ゆるめる)ということがあるのだろうか。無いような気がしますが、上層部同志がお友だちということはありそうです。権利の濫用です。らんよう:職権をむやみやたらに使う。
復讐劇。仕返しです。ドラマのテーマの基本のひとつが、『復讐(ふくしゅう。忠臣蔵の仇討ち(あだうち)のようなもの)』です。
ドラマ必殺仕置き人シリーズのようなものです。
生卵・ゆで卵のエピソードが良かった。
『君も何かあるんだろ。犬飼大臣に。』犬飼大臣に恨み(うらみ)がある若い男が、犬飼大臣の秘書見習いで、第一秘書の草彅剛さんの弟子になります。まずは、運転手です。
まあ、ドラマです。娯楽です。暗く深刻な設定ですが、コメディのような部分もあります。おもしろい。
『第2話 逆襲の時!パワハラ秘書を排除だ』
政策秘書の虻川(あぶかわ)をつぶします。(されど、ドラマ全体の後半で虻川は、復活します。虻川からの仕返しがあります)
<人を信用してはいけない(とくに従順そうにしている人間を信用してはいけない)>となると、物事は成り立たなくなります。
今年話題になった政治資金パーティのことが話題に出ます。
政治家は、愛想はいいけれど、困っている人の要望はきいてくれない。
あるいは、政治家は、特定個人の利益となる口利き役として利用される。政治家を利用する人間のほうもいいとはいえない。
虻川秘書の注意力のレベルは高い。そう簡単にだまされるような人ではありません。(でもだまします。タイトルは、『罠(わな)』ですから。
おもしろいつくりの脚本です。罠をつくってはめるのです。実は、視聴者に対する罠です。
東京見物で、今年1月に見た首相官邸です。国会議事堂の斜め前に建っていました。きつい警備がしかれていました。このドラマ全体のロケ地を調べたら自分が行ったことがあるところもいくつかありました。ドラマを身近に感じます。
『秘書の「秘」は、秘密の「秘」。秘書は知っていることを口外してはいけない。こうがい:秘密事項を人に話す。』(現実は、そうともいえない)
中学生の息子がキャンプにこだわることが不思議です。この反抗期に近い中学生ぐらいの男の子は親と一緒にキャンプに行くのは嫌がります。行きたがるのは、小学校の低学年・中学年ぐらいまででしょう。一般的には。
BGM(バックグラウンドミュージック)で、観ている者の感情を引っ張る手法です。スリルとサスペンス(ハラハラドキドキ)を視聴者に暗示します。
テレビドラマというよりも映画みたいです。
復讐劇です。されど、仇討ち(あだうち)は連鎖します。やったりやりかえしたりが続きます。なんだか、最近の中東の戦闘みたいです。パレスチナとかイラクとか。
『第3話 ついに激突!憎き大臣の弱みを暴け(あばけ)』
政治家のばか息子がいます。人を人とも思わないばか息子です。
いっぽう、自分の息子に危害を加えた相手を許す親などこの世にはいません。被害者の父は、第一秘書鷲津亨(わしづ・とおる 草彅剛さん)です。
彼は最終的に、千葉15区に立つ(立候補する)ことになります。(千葉県の衆議院小選挙区は現実には13区までです)
『選挙制度』がなかったら、世の中はメチャクチャになります。独裁者とその集団のやりたい放題になります。
植物博士になれそうでなれなかった(大学院中退のため)議員秘書見習いの蛯沢眞人の役としての役割はなんだろう。(ドラマ全体の最後半部で重要な役割を果たします)
鷲津亨の中学生の息子を歩道橋から突き落とした犯人は、政治家のばか息子ではないけれど、別の政治家のばか息子かもしれない。なんだか、ばか息子ばかりです。
政治家の世界は、貸し借りの世界です。不正見逃しの貸し借りです。
相手の弱みにつけこんで、お金で相手の気持ちを力づくで変えます。
憎しみを倍増させる演出(劇において)になっています。
人間の心の動きをじょうずに表現してある脚本です。
演者の言葉数が多すぎるかなあという傾向はあります。
喫茶店で密談ですが、周囲に人がいるようなところで、秘密事項の話はしないと思う。
偉い人は、人間を将棋の駒(こま)扱いします。偉い人は、人を駒扱いすることで、優越感をもっていることもあります。
人を駒扱いする。親切そうな顔をして自分の言うことをきかせる。劇中の言葉で、『飼いならす』。
組織管理の秘訣(ひけつ、コツ)として、『敵は手の内(うち)におけ』が鉄則です。少しメリット(利益)を与えて、管理する側の言うことをきかせる手法です。
『第4話 新たな敵で深まる謎…永田町の闇に飛び込め』
「善」対「悪」の闘いです。「悪」もなかなかやります。
選挙では、支援してくれる団体が必要です。労働組合や宗教団体がらみ以外では、利益追求団体(企業やなんとか会とか)の力がいります。地元のボス(人脈とか金脈がある。顔がきく)に支持してもらわねばなりません。
いろいろあって、鷲津亨が千葉15区での立候補を目指します。
内容は、勝ったり負けたりが繰り返されます。負けたと思っても、ドラマですから次は勝ちます。
『民主主義』は、『自分たちとあいつら』の世界です。必ずふた手に分かれます。競争主義の制度です。多数派が権力を手に入れます。
そして人は、めぐりあわせで、同じ人間が、被害者にもなるし、加害者にもなります。
『オレたち秘書は、永田町の雑草みたいなものです。いらなくなったらひっこぬかれます。』(なんだか、現実と重なります。不祥事が起きたら、みんな秘書が勝手にやったことにされてしまいます。政治家は責任を逃れることがあります)
恩人には報いる。(むくいる。してもらったことについて、見合っただけのことをお返しする)
恩人への恩は忘れない。(そんなの関係ないという人もいるかもしれません)
関係者に認知症の高齢者がいます。認知症の人の介護はたいへんです。
人格が変わって別の人になってしまいます。
『第5話 総選挙が開幕!下剋上(げこくじょう。下の者が上を倒す)で真相を暴く』
主人公鷲津亨が、衆議院千葉15区に立候補して当選するまでが描かれています。
入院している息子さんが、意識不明みたいになっているのですが、指を少しだけ動かして反応します。
わたしは二十代のときに、深刻な内臓の病気にかかって、しばらく入院したことがあります。毎朝、起き上がるまでに時間がかかりました。
意識はあるのですが、あおむけのまま体を動かすことができず、まぶたを開けることもできませんでした。まわりにいる人たちの声は聞こえるのですが、自分で声を出すことができませんでした。
朝、目がさめて、動けるようになるまでに40分ぐらいの時間の経過が必要でした。だから、ベッドで意識不明みたいな状態で寝ている人のそばでは、変なことは言わないほうがいいですよとアドバイスします。本人には聞こえていることがあります。
いつも黒幕がいる。表面に出ている人間は、黒幕の操り人形だったりもする。
見ていると、議員に頼るような人間にはなりたくないと思います。
最初、女性の扱いが、男性を支えたり助けたりする補助者の立場で、不公平感があったのですが、途中から鷲津亨の奥さんと事務所のスタッフが協力するシーンがあって良かった。
選挙資金がいります。2000万円の用意が必要です。(借金する)
政治活動費の非課税に疑問が生まれます。飲み食いしたお金も政治活動費で非課税になるのだろうか。選挙の時の応援者の人件費はどういう扱いになるのだろうか。(法令に規定があるようです)
『信じる』ということを強調するドラマです。(でも現実では、信じすぎないほうがいい。善意を悪用する人がいます)
そんなことを受けて、『内部にスパイがいる。(選挙活動事務所内にいる。双方の陣営にいる)』
500万円のやりとりがあります。選挙違反になります。でもそうはなりません。
正直者が生き残るように設定してあるドラマです。安心して見ることができるドラマです。
人間的な魅力がある人が議員になったほうがいい。賢い有権者にならなければなりません。
派閥の話が出ます。
『いい奴が、政治家なんかできるか』そんなセリフがあります。
味方だと思っていた人が、実は敵だったということは、大きな組織ではありそうなことです。
『第6話 政治家に転身!敵は幹事長だ』
いろいろしかけ(伏線)があるストーリーづくりをされています。
この回の始めのうち、主人公の鷲津亨のキャラクター設定として、政治家としてどうなのかなあと首をかしげました。
衆議院議員になって、国民のために働くのではなく、自分の家族のことのため(息子を歩道橋から突き落とした犯人捜しのため)に動いています。それでは見ていて受け入れない人もいるでしょう。(この件については、終盤で改善されました)
きれいごとではやっていけないということはあります。
仕事を進めていくうえで、汚れ役は必要です。
政策秘書になった蛍原さん(ほとはらさん)が明るいのがいい。
『腕力じゃ権力に勝てない』ということはあります。
感情的になって、手を出した方が負けです。(暴力)
相手に勝つために、意図的に相手を怒らせて、手を出させて、相手を追い込んでつぶすという手法はあります。それでも、時がたってから仕返しされることを警戒しなければなりません。
政治家を口利きだけのために使うということがなくなれば、世の中は公平になるような気がします。口利きをする(政治家の口添えで、できないことをできるようにする)のは、選挙で、票を得るためなのでしょう。
政治家の基本的な仕事は、国会などで、国民全員ために、法令をつくることだと思うのです。
息子を歩道橋から突き落として意識不明の状態にしたのはだれ?
話はそこに集中していきます。
さすが、記者さんです。与党幹事長がどこに行くのかを追尾します。
鷲津亨は、幹事長のライバルである総理の側に付けばいいのではないかと思いついたら、次の展開でそうなりました。
事件があった夜、幹事長は、だれかと幹事長室に閉じこもっていた。
人には、本当のことを言いたくても言えないときがある。
それは、犯人の親もそうだし、主人公である鷲津亨もそうなのです。
同一人物が、被害者にもなるし、加害者にもなるのです。それが世の中です。
『第七話 真犯人が判明! 政界が隠す事件の真実』
なかなか深刻です。
国会議員である政治家の不祥事です。本人ではないけれど、息子の不祥事です。政治家の息子はどうも普通の育ち方をしていない。刑事事件の犯人が政治家の息子でした。
息子が歩道橋から突き落とされて意識不明で入院している鷲津亨衆議院議員(草彅剛くさなぎつよしさん)の怒りが爆発します。鬼神です。頑固(がんこ)です。
偽善者(表は善人、裏の姿は悪人)の噓を暴きます。(うそをあばきます)
名ばかり議員:憲法も民法も、基本的な法令の内容を知らないのに、法律をつくる立場の議員をしている。
しばらく前に見ていたNHKドラマ、『正直不動産2』との共通点がありました。正直不動産に出てくるライバル会社の悪役社員神木さん(ディーンフジオカさん)も、こちらの鷲津亨さんも、息子と約束したからがんばるのです。
まともな仕事をしている人が仕事を辞めてはいけません。仕事を辞めるのは、ちゃんと仕事をしていない人のほうです。
人間には二面性があります。優しそうに見えて、実は裏では、怖い人がいます。
子育てに失敗した女性大臣が、総理大臣の椅子を狙っている。(いすをねらっている)
人にケガをさせて逃げるとはなんて奴だ。
あたりまえのことをあたりまえにやれない国会議員の家族です。
タイトルは、罠の戦争ですから、いたるところに伏線として罠(わな)が張り巡らされています。
『あなたが守りたいのは、自分の立場だけ』
大きな組織の上層部にいる人に、いい人はいません。
人を人とも思わない人です。
人を将棋やチェスの駒のように思って、自分や自分の仲間の利益のために人を動かす人です。
こちらのドラマでは、幹事長がその役割を担当しています。
権力欲が強い人が上にのぼっていきます。
権力を失ったときに、その人の人生が終わります。
予想通りの出版記事差し止めの圧力があります。大きな組織の上層部の人間同士で、条件闘争をして、貸し借りの取り決めをするのです。
週刊誌の記事が止められても、いまはSNS(ソーシャルネットワークサービス)があるから、動画や音声があると、世界中に流されてしまいます。フェイク(事実ではないこと)でさえ流される時代です。
人間の心の動きなんてどうにでもなる(たとえば大金を積む)という物語の中で、鷲津亨が不利益を覚悟で突進します。
凄み(すごみ。ぞっとするほどの強烈な迫力)があるヒューマンドラマです。(人間味があふれるドラマ)
『第8話 宿敵との攻防戦! 罪には罰を』
意識を失って入院していた鷲津亨夫婦の中学生の息子の意識が戻りました。息子は何がどのように起きたのか、すべて記憶していました。
女性国会議員は、子育てに失敗したのか。
そうでもなかったようです。
仕事を優先する女性は、こどもをもたないほうがいいのか。
いろいろ論議はありそうです。
一般的に、生活費が足りなければ、必然的に夫婦二人ともが働かなければなりません。現実においては、まず、賃貸住宅の家賃が高いという事情があります。
こどもに大金を与えるだけでは、こどもはまともに育たないということはあります。
派閥をなくすために政治家になったという人がいます。
今の政府与党のようすと重なります。
派閥をなくしても、仲良しグループは残るということはあります。複数いればグループができるのが人間の自然なありようです。職場なら、ボスがいて手下がいます。
母親と息子の哀しい(かなしい)話があります。
歳をとっていても、エッチな男ばかりです。
若い女性は、お金目当てに、金持ち中高年男子に近づいてくっつきます。
疑心暗鬼があります。(ぎしんあんき。疑う気持ちが強くなって、心が不安定になる)
だれが味方で、だれが敵なのかわからなくなります。
ジェットコースターです。のぼったりおりたり、スリル満点で、ヒヤヒヤします。
みんな汚れ仕事をしながら、前へ進んでいるわけね。
表舞台には出ない普通の生活を送るということでいいのではないか。
女性関係や、お金がらみで辞めていった議員を思い出しました。
『第9話 政界に激震! 復讐果たす大逆転劇』
なんというか、いくらきれいごとを言われても、相手を信用できません。だれも信用できません。忖度(そんたく。言われなくても相手の都合のいいように動く)もありそうです。
相手をだますためには、いくらでも理屈をつくることができる人たちです。
大きい組織の上層部にいる人間は、自分と組織を守るためになんでもやるのでしょう。そういったことを学ぶために大学の法学部で法令の研究をするのでしょう。
鷲津徹の親友だという鷹野議員も信用してはいけません。
やられたらやりかえす。
『あなたのひとり負けだ』
プライドを呼び起こす。
追い詰められたら、『秘書がやったことです』で逃げる。
わたしには、なにも話をせずに、秘書が自分の判断でやりましたと弁解する。
<まあ、ドラマなんだなあ>
<伏線として、タブレットのパスワードが書いてあった紙が、なにげなく、映像の中に置いてありました>
鷲津亨が、ミイラ取りがミイラになる状態です。悪人をやっつけたつもりの人間が、悪人になりかわります。
人間は権力を握ると人が変わります。人事権とか、お金を動かす権力があります。
つぶしたと思った人間が、生き返ってきます。ゾンビ(死体のままよみがえった人間)で復活です。
<このドラマは、製作陣が、視聴者をだますことが主題(テーマ)です>
『第10話 復讐される側へ…正体現す裏切り者』
なんでもかんでも辞めればいいというものでもなかろうにと思うのです。
結局、演技上手の詐欺師的な人間が、組織の上層部にあがれるし、お金持ちになれるという現実を見せつけられるようです。
この人たち(議員)は、国民のために働かずに、権力争いの足の引っ張り合いばかりをしているのです。
持ちつ持たれつが、この世の習いということはあります。ならい:ありよう。習わし。世の常(つね)。現実。
次から次へと、いきなりすぎます。展開が速い。BGM(バックグランドミュージック)が、見ている者の心をかき乱します。
辞めても、裏で操る(あやつる)。『今後も裏で、政治をおもちゃにするわけですか』。引退してこどもに席を譲る。次の選挙でこどもを立候補させ、当選させ、裏で、こどもを操る(あやつる)。二世議員のことです。
善人だった鷲津亨が、権力を手に入れて、悪人に変化(へんげ)していきます。権力という魔物にとりつかれます。
国民から文句が出たら、総理を変えれば、これで良かったと満足する人間が多い。
権力を手に入れると気持ちがいい。(相手が言うことをきく)。気持ちがいいから権力を手に入れる。
人を疑って、もし違っていたら、どう責任をとるのだろう。(鷲津亨は、犯人を間違えました)
映像を観ていて、なんでもスマホのシーンなのね。電話するにしても、盗撮するにしても、録音するにしても、スマホというものは、人間を徹底的に内向きにさせる道具です。孤独の友です。
『竹の花はめったに咲かない。花が咲いたあと、竹は死ぬ。竹林ごとなくなる』(竹林は地下茎でつながっていて、竹林全体で1本の竹のようなものらしいです。開花のあと種子ができて、竹林全体が枯死(こし)するそうです。
竹とは、鷲津亨をさします。
しばらく前に巻いた伏線が息を吹き返して、設定はこのドラマの最初に戻ります。
敵は、身内にいるのです。
『第11話 最終回 権力の闇に射す光は…衝撃の結末へ』
草薙剛さんは、じょうずな演技でした。
家族三人(夫婦と中学生の息子)は、家族には見えませんでした。あまりにも美しすぎる家族設定でした。
まあ、ドラマですから、つくり話です。
いろいろむずかしいことがあります。
不合理、不条理、理不尽なことに、どうにか折り合いをつけて生活していくのが大人です。
たいていの人間は、理想などもちあわせていません。自分の利益・不利益だけを考えています。
ドラマでは、まとまっていたみんなの心がバラバラに離れていきます。
鷲津亨は、権力という化け物に、洗脳(せんのう。暗示をかけられて、コントロールされた状態)されました。
ドラマをふりかえって、前半はおもしろかった。爽快(そうかい。気持ちがスッとする)だった。
後半は見たくなかった。そんな気持ちで、ラストシーンまでつなぎます。
『罠(わな)』か。タイトルどおりです。
そういうことか。最終地点まできて、なかなかいいドラマでした。
みなさん熱演でした。ありがとう。
最初から最後まで、『植物』で筋(すじ)をとおしてありました。
鷲津亨(わしづ・とおる)の元妻は、まあ、なにかしら仕事はしなければならないわけですから、これでいいでしょう。
話は最初に戻る。シンプルでいい。
『おかえりなさい』
『第1話 弱き者の復讐劇が幕を開ける! 愛する家族を守れ』
主演の草彅剛さん(くさなぎつよしさん)は、出川哲朗さんの充電バイクの旅で見たことがあるぐらいです。自分とは世代が違うのであまり存じ上げませんが、たいへん人気がある方だということは知っています。
感想が残っていました。2020年。出川哲朗の充電させてもらえませんか? 新春伊勢志摩めぐり お正月3時間スペシャル番組。香取慎吾さん、草彅剛さん、稲垣吾郎さんの順番で、バイクの乗り手が変わっていきました。
『草彅剛(くさなぎ・つよし)さん』
ご本人は、この番組を一度も見たことがない。『充電ってなに?』には、驚きました。『いつ放送するんですか?』という問いもありました。見ているほうがびっくりしました。おおざっぱな人で、ものごとを気にしないところがステキでした。
エピソードとして、草彅剛さんが、自分がはいているジーンズを指さして)「これ、いくらだと思いますか?」(充電を依頼した先の家のご主人が、『30万とか、50万とか』(くさなぎさん)『300万です』びっくりです。
さてこちらのドラマです。
先日、ブラッシュアップライフというドラマを観終えたので、今度はこちらのドラマを観てみることにしました。
ぽつりぽつりと感想を記してみます。
衆議院議員 犬飼孝介
犬飼孝介の第一秘書 鷲津亨(わしづ・とおる。草彅剛さん)
鷲津亨の妻と長男(高校生ぐらいに見えますが、中学生かも)(中学生でした)
蛯沢眞人 犬飼議員に恨み(うらみ)があるようすだが、犬飼議員の秘書見習いになる若者。鷲津の下で働く。
蛍原理恵 犬飼議員の秘書。年配の秘書のパワハラ、セクハラに悩んでいる。
貝沼永太 第二秘書。おかっぱ頭に見えます。個性的です。
犬飼俊介 犬飼議員のばか息子
虻川勝次(あぶかわ・かつじ) 犬飼議員の政策秘書。パワハラ、セクハラ野郎
総理大臣 竜崎始(りゅうざき・はじめ)
鴨井ゆうこ 厚生労働大臣
鶴巻憲一 党の幹事長。有力者
熊谷由貴 週刊誌記者
国会議事堂を今年の1月に見学したことを思い出しました。衆議院の見学でした。
ドラマでは政治家のどろどろとした世界を描き出すようです。
権利欲の強い人たちが集まっています。主張が強い。
事実を捻じ曲げることを(ねじまげる)ことを良しとする人たちが主導権を握っています。弱い人の気持ちは踏みにじられます。
なんだか現実の政界とも重なる部分部があるようで見ていて冷や冷やするシーンもあります。今年話題になった政治資金パーティではなかろうかとか、政治家の愚かな息子たちとか、犯罪のにぎりつぶしとか、具体的な例が第一回目から次々と出てきます。出てくるたびに、正直者の怒りが積みあがっていきます。
復讐劇です。それも、外部から復讐するのではなく、内部から復讐するのです。
『組織というものは、外部からの力によってではなく、内部からの力によって崩壊する。』そんな言葉を思い出しました。
中身からいえば、『つくり話』です。無理な筋立てもあります。
深刻な状況を意図的につくる脚本の内容です。
草薙剛さんが、出ずっぱりであることに驚きました。常にシーンの中にいます。演技はすごい。
映像のつくりとして、力を抜く遊びの部分がほしい。常に、『fフォルテ(強く)』です。強弱をつけるとか、押したり引いたりすることは、ドラマづくりのコツです。
政治家たちは、キチガイたちです。極端に描いてあります。
本人は、最初は世のため人のためと思って立っても、周りにいる人間たちが私利私欲の固まりで、政治家本人の意識がゆがんでいくということはあると思います。
う~む。大物政治家の圧力で、警察が犯罪を明かす手を緩める(ゆるめる)ということがあるのだろうか。無いような気がしますが、上層部同志がお友だちということはありそうです。権利の濫用です。らんよう:職権をむやみやたらに使う。
復讐劇。仕返しです。ドラマのテーマの基本のひとつが、『復讐(ふくしゅう。忠臣蔵の仇討ち(あだうち)のようなもの)』です。
ドラマ必殺仕置き人シリーズのようなものです。
生卵・ゆで卵のエピソードが良かった。
『君も何かあるんだろ。犬飼大臣に。』犬飼大臣に恨み(うらみ)がある若い男が、犬飼大臣の秘書見習いで、第一秘書の草彅剛さんの弟子になります。まずは、運転手です。
まあ、ドラマです。娯楽です。暗く深刻な設定ですが、コメディのような部分もあります。おもしろい。
『第2話 逆襲の時!パワハラ秘書を排除だ』
政策秘書の虻川(あぶかわ)をつぶします。(されど、ドラマ全体の後半で虻川は、復活します。虻川からの仕返しがあります)
<人を信用してはいけない(とくに従順そうにしている人間を信用してはいけない)>となると、物事は成り立たなくなります。
今年話題になった政治資金パーティのことが話題に出ます。
政治家は、愛想はいいけれど、困っている人の要望はきいてくれない。
あるいは、政治家は、特定個人の利益となる口利き役として利用される。政治家を利用する人間のほうもいいとはいえない。
虻川秘書の注意力のレベルは高い。そう簡単にだまされるような人ではありません。(でもだまします。タイトルは、『罠(わな)』ですから。
おもしろいつくりの脚本です。罠をつくってはめるのです。実は、視聴者に対する罠です。
東京見物で、今年1月に見た首相官邸です。国会議事堂の斜め前に建っていました。きつい警備がしかれていました。このドラマ全体のロケ地を調べたら自分が行ったことがあるところもいくつかありました。ドラマを身近に感じます。
『秘書の「秘」は、秘密の「秘」。秘書は知っていることを口外してはいけない。こうがい:秘密事項を人に話す。』(現実は、そうともいえない)
中学生の息子がキャンプにこだわることが不思議です。この反抗期に近い中学生ぐらいの男の子は親と一緒にキャンプに行くのは嫌がります。行きたがるのは、小学校の低学年・中学年ぐらいまででしょう。一般的には。
BGM(バックグラウンドミュージック)で、観ている者の感情を引っ張る手法です。スリルとサスペンス(ハラハラドキドキ)を視聴者に暗示します。
テレビドラマというよりも映画みたいです。
復讐劇です。されど、仇討ち(あだうち)は連鎖します。やったりやりかえしたりが続きます。なんだか、最近の中東の戦闘みたいです。パレスチナとかイラクとか。
『第3話 ついに激突!憎き大臣の弱みを暴け(あばけ)』
政治家のばか息子がいます。人を人とも思わないばか息子です。
いっぽう、自分の息子に危害を加えた相手を許す親などこの世にはいません。被害者の父は、第一秘書鷲津亨(わしづ・とおる 草彅剛さん)です。
彼は最終的に、千葉15区に立つ(立候補する)ことになります。(千葉県の衆議院小選挙区は現実には13区までです)
『選挙制度』がなかったら、世の中はメチャクチャになります。独裁者とその集団のやりたい放題になります。
植物博士になれそうでなれなかった(大学院中退のため)議員秘書見習いの蛯沢眞人の役としての役割はなんだろう。(ドラマ全体の最後半部で重要な役割を果たします)
鷲津亨の中学生の息子を歩道橋から突き落とした犯人は、政治家のばか息子ではないけれど、別の政治家のばか息子かもしれない。なんだか、ばか息子ばかりです。
政治家の世界は、貸し借りの世界です。不正見逃しの貸し借りです。
相手の弱みにつけこんで、お金で相手の気持ちを力づくで変えます。
憎しみを倍増させる演出(劇において)になっています。
人間の心の動きをじょうずに表現してある脚本です。
演者の言葉数が多すぎるかなあという傾向はあります。
喫茶店で密談ですが、周囲に人がいるようなところで、秘密事項の話はしないと思う。
偉い人は、人間を将棋の駒(こま)扱いします。偉い人は、人を駒扱いすることで、優越感をもっていることもあります。
人を駒扱いする。親切そうな顔をして自分の言うことをきかせる。劇中の言葉で、『飼いならす』。
組織管理の秘訣(ひけつ、コツ)として、『敵は手の内(うち)におけ』が鉄則です。少しメリット(利益)を与えて、管理する側の言うことをきかせる手法です。
『第4話 新たな敵で深まる謎…永田町の闇に飛び込め』
「善」対「悪」の闘いです。「悪」もなかなかやります。
選挙では、支援してくれる団体が必要です。労働組合や宗教団体がらみ以外では、利益追求団体(企業やなんとか会とか)の力がいります。地元のボス(人脈とか金脈がある。顔がきく)に支持してもらわねばなりません。
いろいろあって、鷲津亨が千葉15区での立候補を目指します。
内容は、勝ったり負けたりが繰り返されます。負けたと思っても、ドラマですから次は勝ちます。
『民主主義』は、『自分たちとあいつら』の世界です。必ずふた手に分かれます。競争主義の制度です。多数派が権力を手に入れます。
そして人は、めぐりあわせで、同じ人間が、被害者にもなるし、加害者にもなります。
『オレたち秘書は、永田町の雑草みたいなものです。いらなくなったらひっこぬかれます。』(なんだか、現実と重なります。不祥事が起きたら、みんな秘書が勝手にやったことにされてしまいます。政治家は責任を逃れることがあります)
恩人には報いる。(むくいる。してもらったことについて、見合っただけのことをお返しする)
恩人への恩は忘れない。(そんなの関係ないという人もいるかもしれません)
関係者に認知症の高齢者がいます。認知症の人の介護はたいへんです。
人格が変わって別の人になってしまいます。
『第5話 総選挙が開幕!下剋上(げこくじょう。下の者が上を倒す)で真相を暴く』
主人公鷲津亨が、衆議院千葉15区に立候補して当選するまでが描かれています。
入院している息子さんが、意識不明みたいになっているのですが、指を少しだけ動かして反応します。
わたしは二十代のときに、深刻な内臓の病気にかかって、しばらく入院したことがあります。毎朝、起き上がるまでに時間がかかりました。
意識はあるのですが、あおむけのまま体を動かすことができず、まぶたを開けることもできませんでした。まわりにいる人たちの声は聞こえるのですが、自分で声を出すことができませんでした。
朝、目がさめて、動けるようになるまでに40分ぐらいの時間の経過が必要でした。だから、ベッドで意識不明みたいな状態で寝ている人のそばでは、変なことは言わないほうがいいですよとアドバイスします。本人には聞こえていることがあります。
いつも黒幕がいる。表面に出ている人間は、黒幕の操り人形だったりもする。
見ていると、議員に頼るような人間にはなりたくないと思います。
最初、女性の扱いが、男性を支えたり助けたりする補助者の立場で、不公平感があったのですが、途中から鷲津亨の奥さんと事務所のスタッフが協力するシーンがあって良かった。
選挙資金がいります。2000万円の用意が必要です。(借金する)
政治活動費の非課税に疑問が生まれます。飲み食いしたお金も政治活動費で非課税になるのだろうか。選挙の時の応援者の人件費はどういう扱いになるのだろうか。(法令に規定があるようです)
『信じる』ということを強調するドラマです。(でも現実では、信じすぎないほうがいい。善意を悪用する人がいます)
そんなことを受けて、『内部にスパイがいる。(選挙活動事務所内にいる。双方の陣営にいる)』
500万円のやりとりがあります。選挙違反になります。でもそうはなりません。
正直者が生き残るように設定してあるドラマです。安心して見ることができるドラマです。
人間的な魅力がある人が議員になったほうがいい。賢い有権者にならなければなりません。
派閥の話が出ます。
『いい奴が、政治家なんかできるか』そんなセリフがあります。
味方だと思っていた人が、実は敵だったということは、大きな組織ではありそうなことです。
『第6話 政治家に転身!敵は幹事長だ』
いろいろしかけ(伏線)があるストーリーづくりをされています。
この回の始めのうち、主人公の鷲津亨のキャラクター設定として、政治家としてどうなのかなあと首をかしげました。
衆議院議員になって、国民のために働くのではなく、自分の家族のことのため(息子を歩道橋から突き落とした犯人捜しのため)に動いています。それでは見ていて受け入れない人もいるでしょう。(この件については、終盤で改善されました)
きれいごとではやっていけないということはあります。
仕事を進めていくうえで、汚れ役は必要です。
政策秘書になった蛍原さん(ほとはらさん)が明るいのがいい。
『腕力じゃ権力に勝てない』ということはあります。
感情的になって、手を出した方が負けです。(暴力)
相手に勝つために、意図的に相手を怒らせて、手を出させて、相手を追い込んでつぶすという手法はあります。それでも、時がたってから仕返しされることを警戒しなければなりません。
政治家を口利きだけのために使うということがなくなれば、世の中は公平になるような気がします。口利きをする(政治家の口添えで、できないことをできるようにする)のは、選挙で、票を得るためなのでしょう。
政治家の基本的な仕事は、国会などで、国民全員ために、法令をつくることだと思うのです。
息子を歩道橋から突き落として意識不明の状態にしたのはだれ?
話はそこに集中していきます。
さすが、記者さんです。与党幹事長がどこに行くのかを追尾します。
鷲津亨は、幹事長のライバルである総理の側に付けばいいのではないかと思いついたら、次の展開でそうなりました。
事件があった夜、幹事長は、だれかと幹事長室に閉じこもっていた。
人には、本当のことを言いたくても言えないときがある。
それは、犯人の親もそうだし、主人公である鷲津亨もそうなのです。
同一人物が、被害者にもなるし、加害者にもなるのです。それが世の中です。
『第七話 真犯人が判明! 政界が隠す事件の真実』
なかなか深刻です。
国会議員である政治家の不祥事です。本人ではないけれど、息子の不祥事です。政治家の息子はどうも普通の育ち方をしていない。刑事事件の犯人が政治家の息子でした。
息子が歩道橋から突き落とされて意識不明で入院している鷲津亨衆議院議員(草彅剛くさなぎつよしさん)の怒りが爆発します。鬼神です。頑固(がんこ)です。
偽善者(表は善人、裏の姿は悪人)の噓を暴きます。(うそをあばきます)
名ばかり議員:憲法も民法も、基本的な法令の内容を知らないのに、法律をつくる立場の議員をしている。
しばらく前に見ていたNHKドラマ、『正直不動産2』との共通点がありました。正直不動産に出てくるライバル会社の悪役社員神木さん(ディーンフジオカさん)も、こちらの鷲津亨さんも、息子と約束したからがんばるのです。
まともな仕事をしている人が仕事を辞めてはいけません。仕事を辞めるのは、ちゃんと仕事をしていない人のほうです。
人間には二面性があります。優しそうに見えて、実は裏では、怖い人がいます。
子育てに失敗した女性大臣が、総理大臣の椅子を狙っている。(いすをねらっている)
人にケガをさせて逃げるとはなんて奴だ。
あたりまえのことをあたりまえにやれない国会議員の家族です。
タイトルは、罠の戦争ですから、いたるところに伏線として罠(わな)が張り巡らされています。
『あなたが守りたいのは、自分の立場だけ』
大きな組織の上層部にいる人に、いい人はいません。
人を人とも思わない人です。
人を将棋やチェスの駒のように思って、自分や自分の仲間の利益のために人を動かす人です。
こちらのドラマでは、幹事長がその役割を担当しています。
権力欲が強い人が上にのぼっていきます。
権力を失ったときに、その人の人生が終わります。
予想通りの出版記事差し止めの圧力があります。大きな組織の上層部の人間同士で、条件闘争をして、貸し借りの取り決めをするのです。
週刊誌の記事が止められても、いまはSNS(ソーシャルネットワークサービス)があるから、動画や音声があると、世界中に流されてしまいます。フェイク(事実ではないこと)でさえ流される時代です。
人間の心の動きなんてどうにでもなる(たとえば大金を積む)という物語の中で、鷲津亨が不利益を覚悟で突進します。
凄み(すごみ。ぞっとするほどの強烈な迫力)があるヒューマンドラマです。(人間味があふれるドラマ)
『第8話 宿敵との攻防戦! 罪には罰を』
意識を失って入院していた鷲津亨夫婦の中学生の息子の意識が戻りました。息子は何がどのように起きたのか、すべて記憶していました。
女性国会議員は、子育てに失敗したのか。
そうでもなかったようです。
仕事を優先する女性は、こどもをもたないほうがいいのか。
いろいろ論議はありそうです。
一般的に、生活費が足りなければ、必然的に夫婦二人ともが働かなければなりません。現実においては、まず、賃貸住宅の家賃が高いという事情があります。
こどもに大金を与えるだけでは、こどもはまともに育たないということはあります。
派閥をなくすために政治家になったという人がいます。
今の政府与党のようすと重なります。
派閥をなくしても、仲良しグループは残るということはあります。複数いればグループができるのが人間の自然なありようです。職場なら、ボスがいて手下がいます。
母親と息子の哀しい(かなしい)話があります。
歳をとっていても、エッチな男ばかりです。
若い女性は、お金目当てに、金持ち中高年男子に近づいてくっつきます。
疑心暗鬼があります。(ぎしんあんき。疑う気持ちが強くなって、心が不安定になる)
だれが味方で、だれが敵なのかわからなくなります。
ジェットコースターです。のぼったりおりたり、スリル満点で、ヒヤヒヤします。
みんな汚れ仕事をしながら、前へ進んでいるわけね。
表舞台には出ない普通の生活を送るということでいいのではないか。
女性関係や、お金がらみで辞めていった議員を思い出しました。
『第9話 政界に激震! 復讐果たす大逆転劇』
なんというか、いくらきれいごとを言われても、相手を信用できません。だれも信用できません。忖度(そんたく。言われなくても相手の都合のいいように動く)もありそうです。
相手をだますためには、いくらでも理屈をつくることができる人たちです。
大きい組織の上層部にいる人間は、自分と組織を守るためになんでもやるのでしょう。そういったことを学ぶために大学の法学部で法令の研究をするのでしょう。
鷲津徹の親友だという鷹野議員も信用してはいけません。
やられたらやりかえす。
『あなたのひとり負けだ』
プライドを呼び起こす。
追い詰められたら、『秘書がやったことです』で逃げる。
わたしには、なにも話をせずに、秘書が自分の判断でやりましたと弁解する。
<まあ、ドラマなんだなあ>
<伏線として、タブレットのパスワードが書いてあった紙が、なにげなく、映像の中に置いてありました>
鷲津亨が、ミイラ取りがミイラになる状態です。悪人をやっつけたつもりの人間が、悪人になりかわります。
人間は権力を握ると人が変わります。人事権とか、お金を動かす権力があります。
つぶしたと思った人間が、生き返ってきます。ゾンビ(死体のままよみがえった人間)で復活です。
<このドラマは、製作陣が、視聴者をだますことが主題(テーマ)です>
『第10話 復讐される側へ…正体現す裏切り者』
なんでもかんでも辞めればいいというものでもなかろうにと思うのです。
結局、演技上手の詐欺師的な人間が、組織の上層部にあがれるし、お金持ちになれるという現実を見せつけられるようです。
この人たち(議員)は、国民のために働かずに、権力争いの足の引っ張り合いばかりをしているのです。
持ちつ持たれつが、この世の習いということはあります。ならい:ありよう。習わし。世の常(つね)。現実。
次から次へと、いきなりすぎます。展開が速い。BGM(バックグランドミュージック)が、見ている者の心をかき乱します。
辞めても、裏で操る(あやつる)。『今後も裏で、政治をおもちゃにするわけですか』。引退してこどもに席を譲る。次の選挙でこどもを立候補させ、当選させ、裏で、こどもを操る(あやつる)。二世議員のことです。
善人だった鷲津亨が、権力を手に入れて、悪人に変化(へんげ)していきます。権力という魔物にとりつかれます。
国民から文句が出たら、総理を変えれば、これで良かったと満足する人間が多い。
権力を手に入れると気持ちがいい。(相手が言うことをきく)。気持ちがいいから権力を手に入れる。
人を疑って、もし違っていたら、どう責任をとるのだろう。(鷲津亨は、犯人を間違えました)
映像を観ていて、なんでもスマホのシーンなのね。電話するにしても、盗撮するにしても、録音するにしても、スマホというものは、人間を徹底的に内向きにさせる道具です。孤独の友です。
『竹の花はめったに咲かない。花が咲いたあと、竹は死ぬ。竹林ごとなくなる』(竹林は地下茎でつながっていて、竹林全体で1本の竹のようなものらしいです。開花のあと種子ができて、竹林全体が枯死(こし)するそうです。
竹とは、鷲津亨をさします。
しばらく前に巻いた伏線が息を吹き返して、設定はこのドラマの最初に戻ります。
敵は、身内にいるのです。
『第11話 最終回 権力の闇に射す光は…衝撃の結末へ』
草薙剛さんは、じょうずな演技でした。
家族三人(夫婦と中学生の息子)は、家族には見えませんでした。あまりにも美しすぎる家族設定でした。
まあ、ドラマですから、つくり話です。
いろいろむずかしいことがあります。
不合理、不条理、理不尽なことに、どうにか折り合いをつけて生活していくのが大人です。
たいていの人間は、理想などもちあわせていません。自分の利益・不利益だけを考えています。
ドラマでは、まとまっていたみんなの心がバラバラに離れていきます。
鷲津亨は、権力という化け物に、洗脳(せんのう。暗示をかけられて、コントロールされた状態)されました。
ドラマをふりかえって、前半はおもしろかった。爽快(そうかい。気持ちがスッとする)だった。
後半は見たくなかった。そんな気持ちで、ラストシーンまでつなぎます。
『罠(わな)』か。タイトルどおりです。
そういうことか。最終地点まできて、なかなかいいドラマでした。
みなさん熱演でした。ありがとう。
最初から最後まで、『植物』で筋(すじ)をとおしてありました。
鷲津亨(わしづ・とおる)の元妻は、まあ、なにかしら仕事はしなければならないわけですから、これでいいでしょう。
話は最初に戻る。シンプルでいい。
『おかえりなさい』
2024年05月07日
銀河鉄道の父 邦画 2023年
銀河鉄道の父 邦画 2023年 2時間8分 動画配信サービス
小説は読んだことがあります。
『銀河鉄道の父 門井慶喜 講談社』以下は、小説を読んだときの感想の一部です。
童話作家宮沢賢治という人物の光の部分と陰の部分があります。主役は賢治ではなくお父さんの政次郎さんです。前半から中盤まで、そして最後まで、お父さんの気持ちがいっぱいです。息子を愛している。代々続いた家業である質屋の後継ぎとしての期待を裏切られても、息子への資金援助はしていく。気が長くて寛容です。自分が行きたくても行けなかった学問の道へと息子を導きます。
対して、息子である賢治は、親にお金をせびる。いつまでたっても自立できない。
父の影にいた賢治の姿が、徐々に見えてくる表現手法です。
夢を追う賢治は困窮します。父や祖父の言いつけ通り、質屋を継いでいれば富豪のままでした。向いていなかった。商売人になれない資質で生まれてしまった。人生の途中経過で、そんな結論が出てしまいますが、創作で救われます。
タイトルは、宮沢賢治作品、『銀河鉄道の夜』を少し変えてあるのでしょう。
宮沢賢治:童話作家、詩人。1896年(明治29年)-1933年(昭和8年)37歳で病死。
さて映画の感想です。
明治29年9月から始まります。1896年です。宮沢賢治が生まれた年に三陸沖大地震があった。(1896年6月15日明治29年)。
先週読み終えたばかりのこどもさん向けの本にそのことが書いてありました。『海よ光れ! 3・11被災者を励ました学校新聞 田沢五月・文 国土社』。岩手県山田町にあった小学校が舞台でした。別途その本を読んだときの感想をあげてあります。
映画のはじまりは、明治29年の風景です。『失敬、失敬(しっけい。失礼しました)』という言葉を久しぶりに耳にしました。電報も出てきます。自分がこどものころは、時々電報が家に届きました。今は電報という言葉さえ聞きません。
イノシシやクマが、蒸気機関車とぶつかって列車が停まります。今もそういう鉄道事故はあるかと思います。明治時代のようすは、純和風で、見ていて気持ちが落ち着きます。
明治時代ですから、男尊女卑の社会です。長男は跡取りとか、戸主が家を仕切るとか、そんな話が出るのですが、長男の宮沢賢治さんは、質屋(しちや。金貸し)という家の商売を継ぐ気はありません。いちおう見よう見まねで、質草(しちぐさ。品物)を持って来たお客の話を聞いて、お店が損をするぐらいのお金を渡してしまう人です。さらに、客が賢治にした苦労話は噓なのです。
気持ちが純粋な賢治は、人からだまされ続けて、人嫌いになって、宗教に洗脳されてと、なかなかの苦労と混乱の若い時代を過ごします。
父親との衝突もあります。父親は、ときには大きな声をあげて息子と対決しながらも、こどもたちに深い愛情を示します。
経過としては、賢治とその妹トシ。ふたりとも病死します。結核です。
結核(けっかく):結核菌、空気感染する。肺が病気になる。咳(せき)、痰(たん)、発熱が続く。過去において、おおぜいがかかる国民病だった。
菅田将暉さん(すだまさきさん)が、熱演です。かっこいい宮沢賢治像です。ときに、なにかにとりつかれたように太鼓をたたきながらお経さんを唱えます。(となえます)。キチガイになったようでもありますが、父親が息子の賢治をかばいます。
妹トシが兄の賢治さんに言います。『(兄は)日本のアンデルセンになる』。本人死後のことですが、アンデルセンになれました。
進路について、父と息子の対立があります。
こどもの人生は子どものもので、親が子どもにあれこれ指示するものではありません。
うまくいかないと、あとで親のほうがとても後悔することになります。こどものやりたいようにやらせてやれば良かったと後悔します。こどもの結婚話でも同様です。娘がどんな男を連れて来ても、おめでとう。良かったなと言うのが、父親の役割です。
宮沢賢治の資質と性格です。
人のために働いて、困っている人たち(農民)を助けたい。人助けをしたい。
学問を学んだことと、本人の生まれもった資質で、社会主義的・共産主義的な考えが賢治の心の根底にあります。昭和40年代にあった大学生の学生運動を思い出します。プロレタリアート(労働者階級、無産階級)という言葉を思い出します。
賢治があれこれやりたいと言いますが、資金はありません。実家の資産を頼りにします。
見ていて、親不孝者だと思える一面もあります。
祖父は認知症になって、奇行がめだつようになり亡くなりました。
葬式行列の映像が流れますが、自分も7歳ぐらいのこどものころに葬式行列に参加したことがあり、映像が、そのときとは状況が異なるので不可解でした。
こどもだったわたしは、両手で、亡くなった人のお位牌を目の前に掲げ(かかげ)持って、先頭から複数の人たちが持った長方形の旗竿(はたざお)の列の後ろからついて行きました。
映像では全員が白装束(しろしょうぞく)ですが、わたしのときは、だいたいの人たちが普段着だった記憶です。
映像では、火葬場が修理中のため、野原で祖父の遺体を火葬にします。薪(まき)が遺体のまわりに組んであって火をつけて燃やします。
わたしが体験したときは、土葬だった記憶です。昭和40年ころの記憶です。映画の映像は明治時代後半のころですから、火葬というのは不可解でした。
ネットで調べたら、明治時代にも火葬はあったそうで、そうすると、わたしが暮らしていた地域は、当時はまだ火葬場がなかったという僻地(へきち)だったのでしょう。熊本県の島でした。その後、島と陸地の間に複数の橋がかけられました。
あとは、遺体を入れたお棺(おかん)の形が、映像とわたしが体験した記憶では違いました。映像では、いまどきの直方体のお棺でしたが、わたしが体験したときは、円形の樽型(たるがた)のお棺でした。遺体を座った状態でお棺に入れて、天秤棒のようなものでお墓までかついで運んで、あらかじめ掘ってある穴に入れて、おとなたちが土をかけて埋めているのを見ました。
反抗期のような時期が続く宮澤賢治です。
先日読んだ本を思い出しました。
『ニワトリと卵と、息子の思春期 繁延あづさ(しげのぶ・あづさ) 婦人之友社』なかなかいい本でした。以下は感想の一部です。
自立したいという、お子さんの反抗期の始まりがあります。これまでは、おかあさんの言うことをきいてきた。でも、これからは、おかあさんのいうことをききたくないのです。母は母で、どう対応したらいいのかわからず悩みます。まっこうからダメと言えなくて、条件闘争になったりもします。(そうしたかったら、こういう条件をのみなさいというパターンです)『お母さんがなんと言おうと、オレは放課後ゲームを買いに行く!』強い主張があります。オレの人生はオレのもので、お母さんのものではない。オレの人生をお母さんが支配することはできないというこどもさんからの強い主張が母親に対してあります。オレのことはオレが一番わかる。オレのことは、お母さんにはわからない。ゲーム機を買うと吠えていた(ほえていた)ご長男が、ゲーム機ではなく、ニワトリを買ったというところがおもしろいエピソードです。理由は、卵がとれるからでした。
こちらの映画に登場する作品として、『風の又三郎』、宮沢賢治は、結核にかかって、命短い妹トシに読み聞かせをするために童話を書きます。トシが賢治に、兄さん書いてと頼むのです。兄さんが書いた童話はおもしろい。
東北は、雪が多いからたいへんそうです。
父親もそれなりに学がある人だった。
明治時代中期・後期で、すらすらと文字の読み書きができる人が多かったとは思えません。
作品として、『注文の多い料理屋』
自費出版本は、売れません。
現実は厳しい。
昭和3年(1928年)のこととしての映像が流れます。
少人数の演劇を観ているような映像です。
『本当は、お父さんのようになりたかった』(でも賢治はなれなかった)
賢治は、結婚して跡継ぎのこどもをでかす(つくる)代わりに、物語を生んだ。
名作、『雨ニモマケズ』が出てきます。雨ニモマケズ、風ニモマケズ…… です。
手帳に記されていたメモです。
没後に発見されたはずですが、映画では、生存中、死に際に父親がその詩を暗唱しています。前記した火葬・土葬のこともあってから、わたしは、この映画は全体的に製作者によって話がつくられているのではないかと疑いました。
宮沢賢治さんの死に際です。結核でお亡くなりになった昭和8年の映像です。
レコードで、クラシック音楽ドボルザーク『新世界から』が流れています。
余談ですが、『新世界より』は、自分は中学の時に聴いて感動しました。自分が在籍していた中学校の吹奏楽部が体育館で演奏してくれました。
指揮者をされていた先生が熱心な指導者で、レベルが高かったと思います。吹奏楽部員は、毎朝、授業が始まる前に登校して朝練(あされん)をしていました。ほかのクラブ活動にも朝練がありました。そういう時代でした。当時の日本人は、なにかひとつのことに膨大な(ぼうだいな)時間を費やしてがんばっていました。
映像を観る限りでは、宮沢賢治は考え方が、凡人とは反対の人でした。
思いやりが強い人です。人のためになりたいと強く願い続けた人です。
いっぽう彼のまわりにいる彼を頼ってくる人は、彼に依存してくる人でした。彼を利用して自分が得をする。彼が経済的、精神的につぶれてもかまわない。自分が生き残ればそれでいいとする卑劣な人です。
最後のシーンは、作品、『銀河鉄道の夜』です。
ジョバンニとか、カムパネルラが出てきます。昨年夏に、東京下北沢にある本多劇場で、『銀河鉄道の夜』の演劇を観ました。
鉄道列車には、亡くなった人の霊魂が乗っていて、あの世へ向かって星空の中を走っているのです。
映像では、その列車に、宮沢賢治の父親が乗ってきました。4人がけ向かい合わせのボックス席には、すでに、亡くなっていた宮沢賢治と妹のトシが座っています。
父親は、ここいいですかと声をかけてふたりの前の席に座ります。(父親も寿命で亡くなったのでしょう)
父親が言います。『あなたがたはどちらへいくんですか?』
『どこまでもいくんです』と返答があります。どうも、霊魂になって、親子の関係が切れているようです。
父親の言葉です。『まっことありがとうござんした』(自分の子として生まれてきてくれてありがとうという意味だと受け取りました)
小説は読んだことがあります。
『銀河鉄道の父 門井慶喜 講談社』以下は、小説を読んだときの感想の一部です。
童話作家宮沢賢治という人物の光の部分と陰の部分があります。主役は賢治ではなくお父さんの政次郎さんです。前半から中盤まで、そして最後まで、お父さんの気持ちがいっぱいです。息子を愛している。代々続いた家業である質屋の後継ぎとしての期待を裏切られても、息子への資金援助はしていく。気が長くて寛容です。自分が行きたくても行けなかった学問の道へと息子を導きます。
対して、息子である賢治は、親にお金をせびる。いつまでたっても自立できない。
父の影にいた賢治の姿が、徐々に見えてくる表現手法です。
夢を追う賢治は困窮します。父や祖父の言いつけ通り、質屋を継いでいれば富豪のままでした。向いていなかった。商売人になれない資質で生まれてしまった。人生の途中経過で、そんな結論が出てしまいますが、創作で救われます。
タイトルは、宮沢賢治作品、『銀河鉄道の夜』を少し変えてあるのでしょう。
宮沢賢治:童話作家、詩人。1896年(明治29年)-1933年(昭和8年)37歳で病死。
さて映画の感想です。
明治29年9月から始まります。1896年です。宮沢賢治が生まれた年に三陸沖大地震があった。(1896年6月15日明治29年)。
先週読み終えたばかりのこどもさん向けの本にそのことが書いてありました。『海よ光れ! 3・11被災者を励ました学校新聞 田沢五月・文 国土社』。岩手県山田町にあった小学校が舞台でした。別途その本を読んだときの感想をあげてあります。
映画のはじまりは、明治29年の風景です。『失敬、失敬(しっけい。失礼しました)』という言葉を久しぶりに耳にしました。電報も出てきます。自分がこどものころは、時々電報が家に届きました。今は電報という言葉さえ聞きません。
イノシシやクマが、蒸気機関車とぶつかって列車が停まります。今もそういう鉄道事故はあるかと思います。明治時代のようすは、純和風で、見ていて気持ちが落ち着きます。
明治時代ですから、男尊女卑の社会です。長男は跡取りとか、戸主が家を仕切るとか、そんな話が出るのですが、長男の宮沢賢治さんは、質屋(しちや。金貸し)という家の商売を継ぐ気はありません。いちおう見よう見まねで、質草(しちぐさ。品物)を持って来たお客の話を聞いて、お店が損をするぐらいのお金を渡してしまう人です。さらに、客が賢治にした苦労話は噓なのです。
気持ちが純粋な賢治は、人からだまされ続けて、人嫌いになって、宗教に洗脳されてと、なかなかの苦労と混乱の若い時代を過ごします。
父親との衝突もあります。父親は、ときには大きな声をあげて息子と対決しながらも、こどもたちに深い愛情を示します。
経過としては、賢治とその妹トシ。ふたりとも病死します。結核です。
結核(けっかく):結核菌、空気感染する。肺が病気になる。咳(せき)、痰(たん)、発熱が続く。過去において、おおぜいがかかる国民病だった。
菅田将暉さん(すだまさきさん)が、熱演です。かっこいい宮沢賢治像です。ときに、なにかにとりつかれたように太鼓をたたきながらお経さんを唱えます。(となえます)。キチガイになったようでもありますが、父親が息子の賢治をかばいます。
妹トシが兄の賢治さんに言います。『(兄は)日本のアンデルセンになる』。本人死後のことですが、アンデルセンになれました。
進路について、父と息子の対立があります。
こどもの人生は子どものもので、親が子どもにあれこれ指示するものではありません。
うまくいかないと、あとで親のほうがとても後悔することになります。こどものやりたいようにやらせてやれば良かったと後悔します。こどもの結婚話でも同様です。娘がどんな男を連れて来ても、おめでとう。良かったなと言うのが、父親の役割です。
宮沢賢治の資質と性格です。
人のために働いて、困っている人たち(農民)を助けたい。人助けをしたい。
学問を学んだことと、本人の生まれもった資質で、社会主義的・共産主義的な考えが賢治の心の根底にあります。昭和40年代にあった大学生の学生運動を思い出します。プロレタリアート(労働者階級、無産階級)という言葉を思い出します。
賢治があれこれやりたいと言いますが、資金はありません。実家の資産を頼りにします。
見ていて、親不孝者だと思える一面もあります。
祖父は認知症になって、奇行がめだつようになり亡くなりました。
葬式行列の映像が流れますが、自分も7歳ぐらいのこどものころに葬式行列に参加したことがあり、映像が、そのときとは状況が異なるので不可解でした。
こどもだったわたしは、両手で、亡くなった人のお位牌を目の前に掲げ(かかげ)持って、先頭から複数の人たちが持った長方形の旗竿(はたざお)の列の後ろからついて行きました。
映像では全員が白装束(しろしょうぞく)ですが、わたしのときは、だいたいの人たちが普段着だった記憶です。
映像では、火葬場が修理中のため、野原で祖父の遺体を火葬にします。薪(まき)が遺体のまわりに組んであって火をつけて燃やします。
わたしが体験したときは、土葬だった記憶です。昭和40年ころの記憶です。映画の映像は明治時代後半のころですから、火葬というのは不可解でした。
ネットで調べたら、明治時代にも火葬はあったそうで、そうすると、わたしが暮らしていた地域は、当時はまだ火葬場がなかったという僻地(へきち)だったのでしょう。熊本県の島でした。その後、島と陸地の間に複数の橋がかけられました。
あとは、遺体を入れたお棺(おかん)の形が、映像とわたしが体験した記憶では違いました。映像では、いまどきの直方体のお棺でしたが、わたしが体験したときは、円形の樽型(たるがた)のお棺でした。遺体を座った状態でお棺に入れて、天秤棒のようなものでお墓までかついで運んで、あらかじめ掘ってある穴に入れて、おとなたちが土をかけて埋めているのを見ました。
反抗期のような時期が続く宮澤賢治です。
先日読んだ本を思い出しました。
『ニワトリと卵と、息子の思春期 繁延あづさ(しげのぶ・あづさ) 婦人之友社』なかなかいい本でした。以下は感想の一部です。
自立したいという、お子さんの反抗期の始まりがあります。これまでは、おかあさんの言うことをきいてきた。でも、これからは、おかあさんのいうことをききたくないのです。母は母で、どう対応したらいいのかわからず悩みます。まっこうからダメと言えなくて、条件闘争になったりもします。(そうしたかったら、こういう条件をのみなさいというパターンです)『お母さんがなんと言おうと、オレは放課後ゲームを買いに行く!』強い主張があります。オレの人生はオレのもので、お母さんのものではない。オレの人生をお母さんが支配することはできないというこどもさんからの強い主張が母親に対してあります。オレのことはオレが一番わかる。オレのことは、お母さんにはわからない。ゲーム機を買うと吠えていた(ほえていた)ご長男が、ゲーム機ではなく、ニワトリを買ったというところがおもしろいエピソードです。理由は、卵がとれるからでした。
こちらの映画に登場する作品として、『風の又三郎』、宮沢賢治は、結核にかかって、命短い妹トシに読み聞かせをするために童話を書きます。トシが賢治に、兄さん書いてと頼むのです。兄さんが書いた童話はおもしろい。
東北は、雪が多いからたいへんそうです。
父親もそれなりに学がある人だった。
明治時代中期・後期で、すらすらと文字の読み書きができる人が多かったとは思えません。
作品として、『注文の多い料理屋』
自費出版本は、売れません。
現実は厳しい。
昭和3年(1928年)のこととしての映像が流れます。
少人数の演劇を観ているような映像です。
『本当は、お父さんのようになりたかった』(でも賢治はなれなかった)
賢治は、結婚して跡継ぎのこどもをでかす(つくる)代わりに、物語を生んだ。
名作、『雨ニモマケズ』が出てきます。雨ニモマケズ、風ニモマケズ…… です。
手帳に記されていたメモです。
没後に発見されたはずですが、映画では、生存中、死に際に父親がその詩を暗唱しています。前記した火葬・土葬のこともあってから、わたしは、この映画は全体的に製作者によって話がつくられているのではないかと疑いました。
宮沢賢治さんの死に際です。結核でお亡くなりになった昭和8年の映像です。
レコードで、クラシック音楽ドボルザーク『新世界から』が流れています。
余談ですが、『新世界より』は、自分は中学の時に聴いて感動しました。自分が在籍していた中学校の吹奏楽部が体育館で演奏してくれました。
指揮者をされていた先生が熱心な指導者で、レベルが高かったと思います。吹奏楽部員は、毎朝、授業が始まる前に登校して朝練(あされん)をしていました。ほかのクラブ活動にも朝練がありました。そういう時代でした。当時の日本人は、なにかひとつのことに膨大な(ぼうだいな)時間を費やしてがんばっていました。
映像を観る限りでは、宮沢賢治は考え方が、凡人とは反対の人でした。
思いやりが強い人です。人のためになりたいと強く願い続けた人です。
いっぽう彼のまわりにいる彼を頼ってくる人は、彼に依存してくる人でした。彼を利用して自分が得をする。彼が経済的、精神的につぶれてもかまわない。自分が生き残ればそれでいいとする卑劣な人です。
最後のシーンは、作品、『銀河鉄道の夜』です。
ジョバンニとか、カムパネルラが出てきます。昨年夏に、東京下北沢にある本多劇場で、『銀河鉄道の夜』の演劇を観ました。
鉄道列車には、亡くなった人の霊魂が乗っていて、あの世へ向かって星空の中を走っているのです。
映像では、その列車に、宮沢賢治の父親が乗ってきました。4人がけ向かい合わせのボックス席には、すでに、亡くなっていた宮沢賢治と妹のトシが座っています。
父親は、ここいいですかと声をかけてふたりの前の席に座ります。(父親も寿命で亡くなったのでしょう)
父親が言います。『あなたがたはどちらへいくんですか?』
『どこまでもいくんです』と返答があります。どうも、霊魂になって、親子の関係が切れているようです。
父親の言葉です。『まっことありがとうござんした』(自分の子として生まれてきてくれてありがとうという意味だと受け取りました)
2024年05月03日
東野・岡村の旅猿25 函館でイカ食べまくりの旅
東野・岡村の旅猿25 函館でイカ食べまくりの旅 TVer(ティーバー)とかHulu(フールー)とか。
ゲストは、ずん飯尾和樹さんです。
ずん飯尾さんは先日出川哲朗さんの充電させてもらえませんか?に出ていたし、その後、動画配信サービスの邦画、『沈黙のパレード』で、娘が殺害された父親役で好演技を観ました。今回は、北海道ロケです。
イカの産地と言えば、北海道函館と佐賀県呼子(よぶこ)です。佐賀県は以前旅猿で行ったことがあるので、たしかイカの料理も食べていましたから、今回は函館なのでしょう。函館は雪景色です。3月上旬でまだ寒いそうです。
函館には行ったことがありません。映像を観ながら自分も行ったつもりで楽しみます。
函館空港から始まって、スタッフは雪のため前日に東京から新幹線で4時間半かけて函館入りしたそうです。(悪天候がらみの飛行機の都合のようです)でも、4時間半で行けるなら遠くはありません。
撮影用の専門用語が出てきます。
『車両で行きます』演者が車で移動するということでしょう。旅猿では演者がレンタカーを運転することが多いのですが、『車両』というときは、演者は同乗するだけで運転はしません。
もうひとつの言葉が、『前乗りする』。これは、ロケのために前日からホテルに泊まるという意味だろうととらえています。前乗りは楽だけれど、早朝からのロケになるのはイヤだみたいな話が出ていました。
さて、おいしいイカ料理が続きます。
『活イカ踊り丼(かついかおどりどんぶり)』。醤油をかけると、イカが動きます。まだ生きているようです。
食事のあとは、市場の釣り堀でイカを釣るというか、イカに針をひっかけてもちあげるようにしてイカを釣り上げて、その場で刺身にしてもらいます。秒殺でイカが釣れます。
次回は、『青空クッキング』をするそうです。
(つづく)
なにせイカざんまいです。イカを料理して食べる映像が続きます。
ひたすらイカを食べます。
ほかに、カニ、シャケ、ホッケなどの映像も見えます。
GLAY(グレイ)というロックバンドを自分は知らないので実感がないのですが(共働きの子育てを必死でしていた何十年間かは仕事と子育てに専念していて、社会から隔離されていたような状態でした)、GLAYは函館出身の人たちで、旅猿メンバーは、シエスタハコダテという建物の中にある記念館のようなところを訪れます。レリーフ(彫刻風の像)の前で記念写真を撮って、からくり時計を見学しました。
防寒具を購入して、郷土料理のお母さんたちから、イカを材料にした郷土料理を教わります。
屋外での撮影です。お母さんの語り口がおもしろい。
青空キッチンですが、お母さんが、外で料理風景を撮影するのは初めてだと言います。(スタッフの依頼だからという言葉がそのあともいろいろ出てきます。ふつうのパターンじゃない撮影だったようです)
イカが泣いている。(じっさいキュキュとイカが音を出していました)
わたしもこどものころ、漁村の近くで暮らしたことがあるのですが、お母さんがイカをさばく映像を見て、ああ、そのシーンを実際に見たことがあると思い出しました。
みなさん、イカの皮むきがじょうずです。岡村隆史さんが料理じょうずです。
刺身にしない部分は煮つけにします。
スルメイカ焼きを海辺の岩場で、そのへんにあった大きな石を雪でふいたところに置いて、金づちでたたいて食べます。郷土料理です。
イカ飯(めし)もつくります。イカの体にもち米を入れて煮込みます。麺つゆ(めんつゆ)、砂糖、みりんを入れます。1時間煮込むそうですが、ディレクターの指示で、すでにできあがったものと差し替えます。
雪が降ってきました。寒そうです。みんな早く撮影を終わりたい様子が伝わってきました。
次週は、塩辛づくりを放送するそうです。楽しみです。
(次の放送回)
なんというか、ずん飯尾さんの発言にあるとおり、イカをテーマにして、短時間にあちこち動き回って、イカ、イカ、イカを食べる内容で、飯尾さんいわく、『詰め込み過ぎ』です。
もうイカ、いいんじゃないという声が聞こえました。飯尾さんが、『オレ、夜、ハンバーグ食べたい』と言います。(でも、イカ料理が待っています)
イカの塩辛製造工場をたずねて、仕上げの作業を体験する三人です。
おいしくな~れ、おいしくな~れといいながら、たるの中にある大量のイカの塩辛に、棒を突っ込みながら、空気を送る作業をします。(おいしくな~れは、俳優である藤岡弘さんの決めゼリフだそうです)
イカの塩辛のアヒージョ:オリーブオイルとにんにくで食材を煮てある。
日本酒がおいしいそうです。
函館なので、外は雪が積もっています。
イカようかんとか、イカチョコレートとかがあるお店へ移動します。
函館市内をあっちへ行ったり、こっちへ戻ったり、たいへんです。
イカのてんぷら、イカのから揚げ料理を自分たちでつくるそうです。
キッチン付きのお宿に到着しました。
次週の放送が、今回の旅の最終回だそうです。
ああ、なんと忙しい詰め込みの内容でしょうか。
(次が、今回の旅の最終回の放送です)
最終回を観ました。なんというか、最後まで、イカざんまいでした。すごいなあ。
ずん飯尾さんがつくったのが、コロッケ(イカの塩辛のせ。同時に食べると味はよくなかったので、別々に食べたほうがいいそうです)、イカのてんぷら、ゲソのから揚げで、岡村隆史さんがつくったのが、イカのお寿司(うまくいきませんでした)、それから東野さんが、メッセンジャー黒田さんに教えてもらったイカ焼きそば(これはうまかった)をつくりました。
岡村隆史さんのイカ寿司は、プラスチックケースにごはんを詰めて握りずしの貫(かん)を型どってつくり、なんと味塩をふりかけて、イカの刺身をのせて、チューブからしょうがをのせました。。おいしくないのも無理ありません。岡村さんが、寿司が、四角いなあと嘆いていました。
イカ寿司についてのまずそうなコメントが良かった。食レポ番組で芸能人が、『おいしーー』と笑顔をつくるシーンは、もう見飽きました。
イカのてんぷらはうまかったそうです。ゲソのから揚げは、拍手が出るほど良かったそうです。居酒屋だと硬いイカのてんぷらが出るけれど、ずん飯尾さんがつくったものは、やわらかくて味も良かったそうです。
スタッフから、函館山からの夜景をこれから見にいきませんかと提案がありましたが、三人ともイヤそうな顔をしてぽしゃりました。見ていたわたしも同感です。おいしいものを食べたからもう横になりたいでしょう。夜景は、映像で見るだけで行った気分になって、きれいだねーーでいいです。メンバーもわたしも、もう若い時のような元気はありません。
岡村隆史さんが、『夜景は、別班(べっぱん)で(行ってください)』と言いました。ドラマ、『VIVANT(ヴィヴァン)』にひっかけてあります。VIVANTの意味合いは、『別班』です。秘密の組織、グループのことです。
北島三郎さんがらみの『坂』の紹介がありました。絶景で、坂の上から港や海が見えました。地上は雪景色でしたが、お天気は晴れているようすでした。北島三郎さんが通っていた高校の通学路だそうです。
撮影最後の食事は、イカのパスタでした。ナポリタン(イカ墨入りとイカ墨なしの2種類)、ずん飯尾さんは、『イカ薫る(かおる)しょうゆラーメン』でした。ラーメンがおいしそうに見えました。
びっしりイカがらみのロケでした。
東野幸治さんが言うとおり、大成功で良かった。
まあ、観終えて、当分は、三人ともイカは食べなくていいなあというご気分だったでしょう。
次回は、ランジャタイをゲストに迎えて、富山だそうです。元旦に能登半島地震が起きたところですが、さて、どうなりますか。
ゲストは、ずん飯尾和樹さんです。
ずん飯尾さんは先日出川哲朗さんの充電させてもらえませんか?に出ていたし、その後、動画配信サービスの邦画、『沈黙のパレード』で、娘が殺害された父親役で好演技を観ました。今回は、北海道ロケです。
イカの産地と言えば、北海道函館と佐賀県呼子(よぶこ)です。佐賀県は以前旅猿で行ったことがあるので、たしかイカの料理も食べていましたから、今回は函館なのでしょう。函館は雪景色です。3月上旬でまだ寒いそうです。
函館には行ったことがありません。映像を観ながら自分も行ったつもりで楽しみます。
函館空港から始まって、スタッフは雪のため前日に東京から新幹線で4時間半かけて函館入りしたそうです。(悪天候がらみの飛行機の都合のようです)でも、4時間半で行けるなら遠くはありません。
撮影用の専門用語が出てきます。
『車両で行きます』演者が車で移動するということでしょう。旅猿では演者がレンタカーを運転することが多いのですが、『車両』というときは、演者は同乗するだけで運転はしません。
もうひとつの言葉が、『前乗りする』。これは、ロケのために前日からホテルに泊まるという意味だろうととらえています。前乗りは楽だけれど、早朝からのロケになるのはイヤだみたいな話が出ていました。
さて、おいしいイカ料理が続きます。
『活イカ踊り丼(かついかおどりどんぶり)』。醤油をかけると、イカが動きます。まだ生きているようです。
食事のあとは、市場の釣り堀でイカを釣るというか、イカに針をひっかけてもちあげるようにしてイカを釣り上げて、その場で刺身にしてもらいます。秒殺でイカが釣れます。
次回は、『青空クッキング』をするそうです。
(つづく)
なにせイカざんまいです。イカを料理して食べる映像が続きます。
ひたすらイカを食べます。
ほかに、カニ、シャケ、ホッケなどの映像も見えます。
GLAY(グレイ)というロックバンドを自分は知らないので実感がないのですが(共働きの子育てを必死でしていた何十年間かは仕事と子育てに専念していて、社会から隔離されていたような状態でした)、GLAYは函館出身の人たちで、旅猿メンバーは、シエスタハコダテという建物の中にある記念館のようなところを訪れます。レリーフ(彫刻風の像)の前で記念写真を撮って、からくり時計を見学しました。
防寒具を購入して、郷土料理のお母さんたちから、イカを材料にした郷土料理を教わります。
屋外での撮影です。お母さんの語り口がおもしろい。
青空キッチンですが、お母さんが、外で料理風景を撮影するのは初めてだと言います。(スタッフの依頼だからという言葉がそのあともいろいろ出てきます。ふつうのパターンじゃない撮影だったようです)
イカが泣いている。(じっさいキュキュとイカが音を出していました)
わたしもこどものころ、漁村の近くで暮らしたことがあるのですが、お母さんがイカをさばく映像を見て、ああ、そのシーンを実際に見たことがあると思い出しました。
みなさん、イカの皮むきがじょうずです。岡村隆史さんが料理じょうずです。
刺身にしない部分は煮つけにします。
スルメイカ焼きを海辺の岩場で、そのへんにあった大きな石を雪でふいたところに置いて、金づちでたたいて食べます。郷土料理です。
イカ飯(めし)もつくります。イカの体にもち米を入れて煮込みます。麺つゆ(めんつゆ)、砂糖、みりんを入れます。1時間煮込むそうですが、ディレクターの指示で、すでにできあがったものと差し替えます。
雪が降ってきました。寒そうです。みんな早く撮影を終わりたい様子が伝わってきました。
次週は、塩辛づくりを放送するそうです。楽しみです。
(次の放送回)
なんというか、ずん飯尾さんの発言にあるとおり、イカをテーマにして、短時間にあちこち動き回って、イカ、イカ、イカを食べる内容で、飯尾さんいわく、『詰め込み過ぎ』です。
もうイカ、いいんじゃないという声が聞こえました。飯尾さんが、『オレ、夜、ハンバーグ食べたい』と言います。(でも、イカ料理が待っています)
イカの塩辛製造工場をたずねて、仕上げの作業を体験する三人です。
おいしくな~れ、おいしくな~れといいながら、たるの中にある大量のイカの塩辛に、棒を突っ込みながら、空気を送る作業をします。(おいしくな~れは、俳優である藤岡弘さんの決めゼリフだそうです)
イカの塩辛のアヒージョ:オリーブオイルとにんにくで食材を煮てある。
日本酒がおいしいそうです。
函館なので、外は雪が積もっています。
イカようかんとか、イカチョコレートとかがあるお店へ移動します。
函館市内をあっちへ行ったり、こっちへ戻ったり、たいへんです。
イカのてんぷら、イカのから揚げ料理を自分たちでつくるそうです。
キッチン付きのお宿に到着しました。
次週の放送が、今回の旅の最終回だそうです。
ああ、なんと忙しい詰め込みの内容でしょうか。
(次が、今回の旅の最終回の放送です)
最終回を観ました。なんというか、最後まで、イカざんまいでした。すごいなあ。
ずん飯尾さんがつくったのが、コロッケ(イカの塩辛のせ。同時に食べると味はよくなかったので、別々に食べたほうがいいそうです)、イカのてんぷら、ゲソのから揚げで、岡村隆史さんがつくったのが、イカのお寿司(うまくいきませんでした)、それから東野さんが、メッセンジャー黒田さんに教えてもらったイカ焼きそば(これはうまかった)をつくりました。
岡村隆史さんのイカ寿司は、プラスチックケースにごはんを詰めて握りずしの貫(かん)を型どってつくり、なんと味塩をふりかけて、イカの刺身をのせて、チューブからしょうがをのせました。。おいしくないのも無理ありません。岡村さんが、寿司が、四角いなあと嘆いていました。
イカ寿司についてのまずそうなコメントが良かった。食レポ番組で芸能人が、『おいしーー』と笑顔をつくるシーンは、もう見飽きました。
イカのてんぷらはうまかったそうです。ゲソのから揚げは、拍手が出るほど良かったそうです。居酒屋だと硬いイカのてんぷらが出るけれど、ずん飯尾さんがつくったものは、やわらかくて味も良かったそうです。
スタッフから、函館山からの夜景をこれから見にいきませんかと提案がありましたが、三人ともイヤそうな顔をしてぽしゃりました。見ていたわたしも同感です。おいしいものを食べたからもう横になりたいでしょう。夜景は、映像で見るだけで行った気分になって、きれいだねーーでいいです。メンバーもわたしも、もう若い時のような元気はありません。
岡村隆史さんが、『夜景は、別班(べっぱん)で(行ってください)』と言いました。ドラマ、『VIVANT(ヴィヴァン)』にひっかけてあります。VIVANTの意味合いは、『別班』です。秘密の組織、グループのことです。
北島三郎さんがらみの『坂』の紹介がありました。絶景で、坂の上から港や海が見えました。地上は雪景色でしたが、お天気は晴れているようすでした。北島三郎さんが通っていた高校の通学路だそうです。
撮影最後の食事は、イカのパスタでした。ナポリタン(イカ墨入りとイカ墨なしの2種類)、ずん飯尾さんは、『イカ薫る(かおる)しょうゆラーメン』でした。ラーメンがおいしそうに見えました。
びっしりイカがらみのロケでした。
東野幸治さんが言うとおり、大成功で良かった。
まあ、観終えて、当分は、三人ともイカは食べなくていいなあというご気分だったでしょう。
次回は、ランジャタイをゲストに迎えて、富山だそうです。元旦に能登半島地震が起きたところですが、さて、どうなりますか。