2024年05月28日

いとみち 邦画 2021年(令和3年)

いとみち 邦画 2021年(令和3年) 1時間56分 動画配信サービス

 小説は読んだことがあります。
 『いとみち 越谷オサム 新潮文庫』以下は、感想メモの一部です。
 「いとみち」とは、津軽三味線を弾くと左指にできる三味線の糸の跡(溝)です。主人公相馬いと16歳高校1年生女子の名前の由来でもあります。昔、三味線の糸が絹だった頃、糸が切れないようにと願いながら強く弾いていたという伝えばなしが紹介されます。
 青森県には旅行で2度行ったことがあります。小説に登場する岩木山、八甲田山、青森市、五所川原市、浅虫温泉、三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき。縄文時代)などに立ち寄ったので、物語を身近に感じながら読み進めました。
 津軽育ちで津軽弁がきつい主人公のいとは、人見知りを克服するために青森市内のメイド喫茶でアルバイトを始めました。『いらっしゃいませ、ご主人さま』、あるいは、『いらっしゃいませ、お嬢さま』、という世界です。なかなか面白い設定です。
 メイド喫茶だからといって、お色気路線ではありません。喫茶店のウェイトレスがコスプレでメイド服を着ているだけです。ふつうのカフェというぐあいです。
 小説ですが、登場人物たちがまるで生きているようでした。昨年この作家さんの映画「陽だまりの彼女」を観たことがこの小説を読むきっかけでした。映画もなかなか良かった。
 この小説は、お涙ちょうだいの物語です。そこに魅力があります。後半が読み手の予想通りに運ぶので、ゆるさを感じるのですが、締めが良かった。

 さて次は映画を観ての感想です。
 津軽弁がわからなかった。観ていて、だんだんわかるようになりましたが、それでも津軽弁の言葉は、ほとんどわかりませんでした。青森県人以外の人で見た人はみなそうだったと想像します。

 映像で、加工されていない(美化されていない)生身の(なまみの)人間の暮らしを観ました。とかくドラマとか映画では、きれいな人間が出てきますが、現実の人間はそんなふうではないのです。人工知能ロボット人形みたいな人はほとんどいません。生身の人間は、きつい感情と動作をもっています。

 元気がない主人公です。引っ込み思案で、人慣れしていなくて、言葉で気持ちを表現することがにがてな16歳の女子高生です。ごく親しい友だちもいなさそうです。(ゆえにメイド喫茶でできた手厚い人間関係から抜けることがイヤだと主人公は主張します)
 いなかの高校生の日常があります。
 お母さんが病気で亡くなっていて父子家庭に母方の祖母がいての三人家族です。明るい家庭の雰囲気はありません。

 青森にある岩木山が、心を支えるシンボルになっているようです。
 主人公は、東京に行きたいというけれど、見ていて、主人公は、東京ではやれそうもありません。
 あんなふうでは、都市部での生活に、順応できそうにありません。ひとりぼっちの引きこもりになりそうです。

 主人公は、言葉で会話をすることがにがてだから、津軽三味線の音で、自分の気持ちを人に伝える。
 ダサイ女子高生が、メイド喫茶でアルバイトを始めて、おしゃれな女子高生に変わっていきます。

 余談ですが、青森駅とか、バスの車内のようすが映像で出ると、路線バス乗り継ぎ人情旅で青森を何度か訪れていた太川陽介さんとえびすよしかずさんの姿を思い出します。
 バス旅は、人生に似ていました。先が読めない。嬉しいこともあるし、悲しいこともある。

 『働く』ということを考える映画です。
 自分のすべてを出し切って働いてお金をもらうのです。
 映像では現金支給です。給料を現金でもらう嬉しさがあります。
 お札を渡す現金支給のほうが、労働のありがたみが大きい。
 デジタルマネーという効率優先の社会システムは、人間の気持ちを小さくしてしまいました。

 津軽弁での、『ごすずんさま(ご主人さま。おもしろい)』、『もえもえ~~(萌え萌え)』です。

 『ありがとう、いとちゃん(主人公の女子高生の名前)』
 お客さんから、『ありがとう』の言葉があるから働けるということはあります。

 青森空襲、戦時中の悲劇の話がありました。
 疎開地から戻ってきた夜に青森空襲があって、たくさんの人が亡くなったそうです。
 
 相馬いとを見守るおとなたちの気持ちがしっかりしています。
 それぞれみんなが、おとなです。

 いとのセリフとして、『(人から)かわいそうと思われたくない』

 健全に遊ぶ。
 健全に生活していく。
 与えられている寿命という時間を楽しむ。
 青春映画です。

 メイド喫茶はやめない。
 なぜか。
 メイド喫茶で、人として認めてもらえたから。
 メイド喫茶は、風営法の店ではない。くつろぐための場所です。性的趣向を求める人は入場禁止です。そんな話が出ます。

 衝突しても、親は子の応援をするしかありません。
 豊川悦司さんが父親役を厳しく演じます。
 『言いたいことがあるのなら、言葉使え!』
 『とっちゃには(父さんには)聞こえねべ。差別好きのインチキ教授!(父の職業です)』
 感情と感情のぶつかりあいがあります。

 静かでおとなしい映画ではありました。

 父が娘に声をかけます。『けっぱれ!(がんばれ!)』

 舞台劇のようでもありました。
 相馬いとのうしろに亡くなったおかあさんがいるようでした。

 メイドのかっこうで、津軽三味線を弾くのには違和感がありました。
 やはり、津軽三味線を弾く時は、着物姿が似合います。

 岩木山の頂上でしょう。
 眼下の地上には、なんにもありません。
 原野が広がっています。
 人間はちっぽけな存在だと、映像を観ながら実感しました。

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