2024年05月23日

ひとよ 邦画 2019年(令和元年)

ひとよ 邦画 2019年(令和元年) 2時間3分 Hulu(フールー)

 ケーブルテレビの映画番組で、この映画を最初の10分間ぐらいを見て、用事があったので、ほかごとをやって、その日はもう見ませんでした。
 かなり、ショッキングな出だしでした。田中裕子さん演じるタクシードライバーの奥さんが、家庭内暴力を振るうご主人から3人の子どもたちを守るために夫を殺害します。
 長男、次男、長女。まだこどもです。それぞれ、高校一年生、中学生、小学校高学年に見えます。彼らが、父親に、ぼこぼこに殴られています。暴力オヤジです。こどもたちを殴る蹴るです。ひどい。こどもたちが反抗期なのだろうか。理由がよくわかりません。理由の説明はありません。雰囲気としては、父親の性格が弱いと受け取れます。自分で自分をコントロールできない父親です。アル中っぽい。
 母親がこどもたちを守るために、自分が運転するタクシーから降りたご主人を、車をバックさせてひき殺したというものでした。
 母親役である田中裕子さんは、堂々と警察に出頭して、殺人罪で服役します。
 そして、15年間の刑期を終えて帰宅したのですが、玄関先で、驚いた長男に玄関引き戸をぱっと閉められてしまいます。長女が長男に、開けて!と声をかけて引き戸が開かれます。
 
 日を改めて、動画配信サービスでまた最初から観てみました。
 暗い内容の映画でした。
 お母さん役の田中裕子さん(たなかゆうこさん)は、先日観た邦画作品、『怪物』で、小学校の校長役で出ておられましたが、その時同様、冷徹でがんこで、芯が通ったキャラクターをやり通しておられました。
 たいしたものです。自分は、田中裕子さんが二十代の女優さんのときから知っているので、長い歳月が流れたとしみじみしました。隔世の感があります。
 迫力ある演技です。
 『おかあさんさっき、おとうさんを殺しました。車でひいて(殺しました)……』
 『あんたたちを傷つけるおとうさんだから、おかあさんがやっつけてやった。』
 『これから警察へ行く。刑期が終わったら……(刑期が10年とか15年という話)』
 『かあさんそろそろ行きますね。もうだれもあんたたちをなぐったりしない。これから自由に生きていける。おかあさん、誇らしいんだ。』

 そして、15年が経過して、母親が出所して帰宅しますが、歓迎されるわけでもありません。
 いろいろトラブルが起きます。
 そこに、佐々木蔵之介さんが演じる新たに採用されたタクシードライバーと彼の高校生の息子がからんできます。こちらも、親子関係がぎくしゃくしています。家庭が崩壊しています。

 長女は母親に好意的です。
 長男はとまどっています。長男は、両親は死んだとして、結婚して、長女をもうけています。長女は保育園ぐらいです。田中裕子さんから見れば孫娘です。
 次男はかなりとがっています。母親を憎んでいます。

 田中裕子さんの単純明快なセリフがいい。好感をもちました。
 最初の30分ぐらいで、いったんなごやかになって、もう結論が出てしまったような雰囲気になってしまいました。

 悪の根源は、DV男(家庭内暴力を振るう)だった亡くなったご主人です。
 こういう家庭ってあるのだろうなあ。こどもにとっては、迷惑な親です。
 こどもたちは、死んだ父親の墓参りはしますが、墓石に向かってバカヤローと乱暴な言葉を浴びせながらの墓参りです。蹴りを(けりを)入れたりもします。仕返しです。
 
 なんだかギクシャクしています。ストーリーの流れに従っていないセリフがあります。仲良し家族のようで、じつはそうではない。
 『疑似家族』という言葉がでます。
 ご近所からの誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)もあります。殺人事件の犯人がいる家族はつらい。自分がやったわけではないのに、責められます。
 東野圭吾作品、『手紙』を思い出します。自分の兄が殺人犯人だと周囲にばれると、まじめで誠実な性格の弟は、会社などにいられなくなるのです。恋もできません。恋はかないません。
 
 『家族』を考える作品です。

 認知症のおばあさんの話がからんできます。

 どこもかしこも家族関係、親子関係がうまくいっていません。

 タクシー無線を使っての会話はおもしろかった。

 現実には、こうはならない話が続きます。

 病気で亡くなった俳優さんが演者として出てきます。彼は、がんで亡くなりました。

 いいお母さんです。母心の気持ちがいっぱいこもっているお母さんです。
 長男には、どもりがあるのか。
 嘘をつく人がいます。
 次から次へと出来事が起きすぎるシナリオです。

 なんというか、気の持ちようで救われる。
 あきらめることで解決できる。
 思いつめることはない。
 心が弱い。

 いろいろこんがらがっているのね。

 なんだか、俳優陣の個性がいろいろありすぎて、話がチグハグでバラバラです。

 みんな、それぞれが、自分の都合ばかりを考えています。とくに、長男と次男です。

 どうしてうまくいかなかったのだろう。
 死んだ男親が精神的にこどもだった。
 父親は、おとなの精神をもっていなかった。
 見た目だけがおとなの体つきだった。
 
 最初のシーンに戻ります。
 三人もこどもをつくったのに、夫婦仲が悪かったのだろうか。
 この家族はお互いにお互いを『信じる』という気持ちがない。
 頼りない長男でもある。
 
 そのあとはもう非現実的なシーンです。
 テレビゲームのようでした。
 法令の枠のなかで生活していないとひどいめにあいます。
 忍耐とか努力が必要です。
 
 セリフにこだわる映画でした。
 茨城県の大洗(おおあらい)から北海道の苫小牧(とまこまい)へ行けるのだろうか?(調べたらフェリーの航路がありました。初めて知りました)
 小学生のころに、大洗海岸に行ったことがあるので身近に感じることができました。

 伏線としての品物として、『おにぎり』、それから、『ヴォイスレコーダー』がありました。

 また、タバコの喫煙シーンがたくさんあります。日本の俳優はタバコを吸いながらでないと、セリフを言えないのだろうか。いいかげん喫煙シーンは卒業してほしい。
 それとも貧困ですさんだ生活を表現するためにどうしても喫煙シーンが必要ということなのだろうか……

 最後のほうで、家族一同の記念写真撮影シーンがあります。
 家族とか、親族一同、友だち一同の集合記念写真は大事です。
 その時、その瞬間はもう二度と訪れません。
 こどもたちは成長し、大人たちは歳をとっていきます。
 時代が流れていきます。
 遠い未来に、いい思い出になる写真です。
 ああ、あの時は、こうだったね……
 壺井榮さんの名作、『二十四の瞳(にじゅうしのひとみ)』のラストシーンを思い出します。
 ふと思い出しました。二十四の瞳の大石先生役が、田中裕子さんでした。1987年(昭和62年)の邦画作品です。
 老いた大石先生を、戦時中をくぐりぬけて生き残った7人の生徒たちが囲む同窓会シーンです。とくに第二次世界大戦に兵隊として参戦して、戦闘で盲目になってしまった岡田磯吉君が、自分たちが小学1年生のときの集合写真を指差す姿は忘れられません。
 12人のこどもたちだから24の瞳ですが、磯吉君は戦争で眼球を失ってしまっています。しかし、彼が物語の中で、自分に眼球がなくても、みんなで並んで写した写真が見えると主張するのです。名作です。

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