2024年05月23日
ひとよ 邦画 2019年(令和元年)
ひとよ 邦画 2019年(令和元年) 2時間3分 Hulu(フールー)
ケーブルテレビの映画番組で、この映画を最初の10分間ぐらいを見て、用事があったので、ほかごとをやって、その日はもう見ませんでした。
かなり、ショッキングな出だしでした。田中裕子さん演じるタクシードライバーの奥さんが、家庭内暴力を振るうご主人から3人の子どもたちを守るために夫を殺害します。
長男、次男、長女。まだこどもです。それぞれ、高校一年生、中学生、小学校高学年に見えます。彼らが、父親に、ぼこぼこに殴られています。暴力オヤジです。こどもたちを殴る蹴るです。ひどい。こどもたちが反抗期なのだろうか。理由がよくわかりません。理由の説明はありません。雰囲気としては、父親の性格が弱いと受け取れます。自分で自分をコントロールできない父親です。アル中っぽい。
母親がこどもたちを守るために、自分が運転するタクシーから降りたご主人を、車をバックさせてひき殺したというものでした。
母親役である田中裕子さんは、堂々と警察に出頭して、殺人罪で服役します。
そして、15年間の刑期を終えて帰宅したのですが、玄関先で、驚いた長男に玄関引き戸をぱっと閉められてしまいます。長女が長男に、開けて!と声をかけて引き戸が開かれます。
日を改めて、動画配信サービスでまた最初から観てみました。
暗い内容の映画でした。
お母さん役の田中裕子さん(たなかゆうこさん)は、先日観た邦画作品、『怪物』で、小学校の校長役で出ておられましたが、その時同様、冷徹でがんこで、芯が通ったキャラクターをやり通しておられました。
たいしたものです。自分は、田中裕子さんが二十代の女優さんのときから知っているので、長い歳月が流れたとしみじみしました。隔世の感があります。
迫力ある演技です。
『おかあさんさっき、おとうさんを殺しました。車でひいて(殺しました)……』
『あんたたちを傷つけるおとうさんだから、おかあさんがやっつけてやった。』
『これから警察へ行く。刑期が終わったら……(刑期が10年とか15年という話)』
『かあさんそろそろ行きますね。もうだれもあんたたちをなぐったりしない。これから自由に生きていける。おかあさん、誇らしいんだ。』
そして、15年が経過して、母親が出所して帰宅しますが、歓迎されるわけでもありません。
いろいろトラブルが起きます。
そこに、佐々木蔵之介さんが演じる新たに採用されたタクシードライバーと彼の高校生の息子がからんできます。こちらも、親子関係がぎくしゃくしています。家庭が崩壊しています。
長女は母親に好意的です。
長男はとまどっています。長男は、両親は死んだとして、結婚して、長女をもうけています。長女は保育園ぐらいです。田中裕子さんから見れば孫娘です。
次男はかなりとがっています。母親を憎んでいます。
田中裕子さんの単純明快なセリフがいい。好感をもちました。
最初の30分ぐらいで、いったんなごやかになって、もう結論が出てしまったような雰囲気になってしまいました。
悪の根源は、DV男(家庭内暴力を振るう)だった亡くなったご主人です。
こういう家庭ってあるのだろうなあ。こどもにとっては、迷惑な親です。
こどもたちは、死んだ父親の墓参りはしますが、墓石に向かってバカヤローと乱暴な言葉を浴びせながらの墓参りです。蹴りを(けりを)入れたりもします。仕返しです。
なんだかギクシャクしています。ストーリーの流れに従っていないセリフがあります。仲良し家族のようで、じつはそうではない。
『疑似家族』という言葉がでます。
ご近所からの誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)もあります。殺人事件の犯人がいる家族はつらい。自分がやったわけではないのに、責められます。
東野圭吾作品、『手紙』を思い出します。自分の兄が殺人犯人だと周囲にばれると、まじめで誠実な性格の弟は、会社などにいられなくなるのです。恋もできません。恋はかないません。
『家族』を考える作品です。
認知症のおばあさんの話がからんできます。
どこもかしこも家族関係、親子関係がうまくいっていません。
タクシー無線を使っての会話はおもしろかった。
現実には、こうはならない話が続きます。
病気で亡くなった俳優さんが演者として出てきます。彼は、がんで亡くなりました。
いいお母さんです。母心の気持ちがいっぱいこもっているお母さんです。
長男には、どもりがあるのか。
嘘をつく人がいます。
次から次へと出来事が起きすぎるシナリオです。
なんというか、気の持ちようで救われる。
あきらめることで解決できる。
思いつめることはない。
心が弱い。
いろいろこんがらがっているのね。
なんだか、俳優陣の個性がいろいろありすぎて、話がチグハグでバラバラです。
みんな、それぞれが、自分の都合ばかりを考えています。とくに、長男と次男です。
どうしてうまくいかなかったのだろう。
死んだ男親が精神的にこどもだった。
父親は、おとなの精神をもっていなかった。
見た目だけがおとなの体つきだった。
最初のシーンに戻ります。
三人もこどもをつくったのに、夫婦仲が悪かったのだろうか。
この家族はお互いにお互いを『信じる』という気持ちがない。
頼りない長男でもある。
そのあとはもう非現実的なシーンです。
テレビゲームのようでした。
法令の枠のなかで生活していないとひどいめにあいます。
忍耐とか努力が必要です。
セリフにこだわる映画でした。
茨城県の大洗(おおあらい)から北海道の苫小牧(とまこまい)へ行けるのだろうか?(調べたらフェリーの航路がありました。初めて知りました)
小学生のころに、大洗海岸に行ったことがあるので身近に感じることができました。
伏線としての品物として、『おにぎり』、それから、『ヴォイスレコーダー』がありました。
また、タバコの喫煙シーンがたくさんあります。日本の俳優はタバコを吸いながらでないと、セリフを言えないのだろうか。いいかげん喫煙シーンは卒業してほしい。
それとも貧困ですさんだ生活を表現するためにどうしても喫煙シーンが必要ということなのだろうか……
最後のほうで、家族一同の記念写真撮影シーンがあります。
家族とか、親族一同、友だち一同の集合記念写真は大事です。
その時、その瞬間はもう二度と訪れません。
こどもたちは成長し、大人たちは歳をとっていきます。
時代が流れていきます。
遠い未来に、いい思い出になる写真です。
ああ、あの時は、こうだったね……
壺井榮さんの名作、『二十四の瞳(にじゅうしのひとみ)』のラストシーンを思い出します。
ふと思い出しました。二十四の瞳の大石先生役が、田中裕子さんでした。1987年(昭和62年)の邦画作品です。
老いた大石先生を、戦時中をくぐりぬけて生き残った7人の生徒たちが囲む同窓会シーンです。とくに第二次世界大戦に兵隊として参戦して、戦闘で盲目になってしまった岡田磯吉君が、自分たちが小学1年生のときの集合写真を指差す姿は忘れられません。
12人のこどもたちだから24の瞳ですが、磯吉君は戦争で眼球を失ってしまっています。しかし、彼が物語の中で、自分に眼球がなくても、みんなで並んで写した写真が見えると主張するのです。名作です。
ケーブルテレビの映画番組で、この映画を最初の10分間ぐらいを見て、用事があったので、ほかごとをやって、その日はもう見ませんでした。
かなり、ショッキングな出だしでした。田中裕子さん演じるタクシードライバーの奥さんが、家庭内暴力を振るうご主人から3人の子どもたちを守るために夫を殺害します。
長男、次男、長女。まだこどもです。それぞれ、高校一年生、中学生、小学校高学年に見えます。彼らが、父親に、ぼこぼこに殴られています。暴力オヤジです。こどもたちを殴る蹴るです。ひどい。こどもたちが反抗期なのだろうか。理由がよくわかりません。理由の説明はありません。雰囲気としては、父親の性格が弱いと受け取れます。自分で自分をコントロールできない父親です。アル中っぽい。
母親がこどもたちを守るために、自分が運転するタクシーから降りたご主人を、車をバックさせてひき殺したというものでした。
母親役である田中裕子さんは、堂々と警察に出頭して、殺人罪で服役します。
そして、15年間の刑期を終えて帰宅したのですが、玄関先で、驚いた長男に玄関引き戸をぱっと閉められてしまいます。長女が長男に、開けて!と声をかけて引き戸が開かれます。
日を改めて、動画配信サービスでまた最初から観てみました。
暗い内容の映画でした。
お母さん役の田中裕子さん(たなかゆうこさん)は、先日観た邦画作品、『怪物』で、小学校の校長役で出ておられましたが、その時同様、冷徹でがんこで、芯が通ったキャラクターをやり通しておられました。
たいしたものです。自分は、田中裕子さんが二十代の女優さんのときから知っているので、長い歳月が流れたとしみじみしました。隔世の感があります。
迫力ある演技です。
『おかあさんさっき、おとうさんを殺しました。車でひいて(殺しました)……』
『あんたたちを傷つけるおとうさんだから、おかあさんがやっつけてやった。』
『これから警察へ行く。刑期が終わったら……(刑期が10年とか15年という話)』
『かあさんそろそろ行きますね。もうだれもあんたたちをなぐったりしない。これから自由に生きていける。おかあさん、誇らしいんだ。』
そして、15年が経過して、母親が出所して帰宅しますが、歓迎されるわけでもありません。
いろいろトラブルが起きます。
そこに、佐々木蔵之介さんが演じる新たに採用されたタクシードライバーと彼の高校生の息子がからんできます。こちらも、親子関係がぎくしゃくしています。家庭が崩壊しています。
長女は母親に好意的です。
長男はとまどっています。長男は、両親は死んだとして、結婚して、長女をもうけています。長女は保育園ぐらいです。田中裕子さんから見れば孫娘です。
次男はかなりとがっています。母親を憎んでいます。
田中裕子さんの単純明快なセリフがいい。好感をもちました。
最初の30分ぐらいで、いったんなごやかになって、もう結論が出てしまったような雰囲気になってしまいました。
悪の根源は、DV男(家庭内暴力を振るう)だった亡くなったご主人です。
こういう家庭ってあるのだろうなあ。こどもにとっては、迷惑な親です。
こどもたちは、死んだ父親の墓参りはしますが、墓石に向かってバカヤローと乱暴な言葉を浴びせながらの墓参りです。蹴りを(けりを)入れたりもします。仕返しです。
なんだかギクシャクしています。ストーリーの流れに従っていないセリフがあります。仲良し家族のようで、じつはそうではない。
『疑似家族』という言葉がでます。
ご近所からの誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)もあります。殺人事件の犯人がいる家族はつらい。自分がやったわけではないのに、責められます。
東野圭吾作品、『手紙』を思い出します。自分の兄が殺人犯人だと周囲にばれると、まじめで誠実な性格の弟は、会社などにいられなくなるのです。恋もできません。恋はかないません。
『家族』を考える作品です。
認知症のおばあさんの話がからんできます。
どこもかしこも家族関係、親子関係がうまくいっていません。
タクシー無線を使っての会話はおもしろかった。
現実には、こうはならない話が続きます。
病気で亡くなった俳優さんが演者として出てきます。彼は、がんで亡くなりました。
いいお母さんです。母心の気持ちがいっぱいこもっているお母さんです。
長男には、どもりがあるのか。
嘘をつく人がいます。
次から次へと出来事が起きすぎるシナリオです。
なんというか、気の持ちようで救われる。
あきらめることで解決できる。
思いつめることはない。
心が弱い。
いろいろこんがらがっているのね。
なんだか、俳優陣の個性がいろいろありすぎて、話がチグハグでバラバラです。
みんな、それぞれが、自分の都合ばかりを考えています。とくに、長男と次男です。
どうしてうまくいかなかったのだろう。
死んだ男親が精神的にこどもだった。
父親は、おとなの精神をもっていなかった。
見た目だけがおとなの体つきだった。
最初のシーンに戻ります。
三人もこどもをつくったのに、夫婦仲が悪かったのだろうか。
この家族はお互いにお互いを『信じる』という気持ちがない。
頼りない長男でもある。
そのあとはもう非現実的なシーンです。
テレビゲームのようでした。
法令の枠のなかで生活していないとひどいめにあいます。
忍耐とか努力が必要です。
セリフにこだわる映画でした。
茨城県の大洗(おおあらい)から北海道の苫小牧(とまこまい)へ行けるのだろうか?(調べたらフェリーの航路がありました。初めて知りました)
小学生のころに、大洗海岸に行ったことがあるので身近に感じることができました。
伏線としての品物として、『おにぎり』、それから、『ヴォイスレコーダー』がありました。
また、タバコの喫煙シーンがたくさんあります。日本の俳優はタバコを吸いながらでないと、セリフを言えないのだろうか。いいかげん喫煙シーンは卒業してほしい。
それとも貧困ですさんだ生活を表現するためにどうしても喫煙シーンが必要ということなのだろうか……
最後のほうで、家族一同の記念写真撮影シーンがあります。
家族とか、親族一同、友だち一同の集合記念写真は大事です。
その時、その瞬間はもう二度と訪れません。
こどもたちは成長し、大人たちは歳をとっていきます。
時代が流れていきます。
遠い未来に、いい思い出になる写真です。
ああ、あの時は、こうだったね……
壺井榮さんの名作、『二十四の瞳(にじゅうしのひとみ)』のラストシーンを思い出します。
ふと思い出しました。二十四の瞳の大石先生役が、田中裕子さんでした。1987年(昭和62年)の邦画作品です。
老いた大石先生を、戦時中をくぐりぬけて生き残った7人の生徒たちが囲む同窓会シーンです。とくに第二次世界大戦に兵隊として参戦して、戦闘で盲目になってしまった岡田磯吉君が、自分たちが小学1年生のときの集合写真を指差す姿は忘れられません。
12人のこどもたちだから24の瞳ですが、磯吉君は戦争で眼球を失ってしまっています。しかし、彼が物語の中で、自分に眼球がなくても、みんなで並んで写した写真が見えると主張するのです。名作です。
2024年05月22日
出川哲朗の充電バイクの旅 別府温泉通って大分縦断
出川哲朗の充電バイクの旅 別府温泉通って大分縦断 粟島神社(あわじまじんじゃ)→一心寺 TVer(ティーバー)
出川哲朗の充電させてもらえませんか? ■激走<大分縦断>112キロ■パワスポ粟島神社から<別府温泉>でイイ気分ゴールは絶景桜の一心寺ですが■初登場<野呂佳代>がなぜか泣き出した!ヤバイよヤバイよSP
前半のゲストは野呂佳代さん(あいにく私は存じ上げません。AKBの方だそうです)
後半のゲストは、ウド鈴木さんです。
大分県の昭和時代を意識した街並みとか、出川哲朗さんは、以前も訪問されています。お気に入りの地域なのでしょう。
自分は、別府温泉に去年二月に行ったので、これから放送を観るのが楽しみです。
昭和の町にある出川哲朗さんのお気に入りの食堂はメニューがとても安い。
ちゃんぽんが350円、カツカレーが450円です。
BGMで流れた麻丘めぐみさんの、『私の彼は左きき』がなつかしい。
城下町杵築(きつき)では、小柳ルミ子さんの、『わたしの城下町』を思い出しました。
なにもかもなつかしい。
『野呂ちゃーん』と応援の声が飛んで、野呂佳代さんが嬉しさで涙ぐみます。
『あたたかくて涙が出てきたそうです』とお話されました。
応援があると、(つらくても)がんばってみようかなとやる気が出ます。
都会はとかく効率優先で、競争社会です。
利害関係が最優先です。
足を引っ張る人もいます。
いそがずに、のんびりおおらかにいきたいものです。
田んぼの中の一本道を充電バイクで直進していきます。
まわりに一般の車はありません。
ロケは、一般車に迷惑をかけないことと、旅の風情を出すためでしょう。
道をはさんで親子の家があるところで、荷台におみこしがのった車が通ります。
神主さんも車の中にいて、珍しい光景でした。うしろから、パトカーもついてきているのが見えました。
三世代のご家族や、近所のこどもたちもたくさんです。
地方ロケでは、都会人が考えもつかないようなリアクションがあります。予想がつきません。
娘さんが、韓国に推し(おし。大好きな人やグループ)がいるので行きたいと話します。
韓国が近いから韓国のことを思う九州人だと感じました。
あかちゃんがかわいい。
映像を観ていると、心があたたまって、安心する番組です。
おみそ屋で、おみそに興味が強い野呂佳代さんです。
麦こうじとか、麦みそのお話がありました。
お店は四代目で、1900年(明治33年)から続いているそうです
おひなさまがあって、寒そうな時期のロケに見えます。
タレがおいしい焼き肉屋さんです。
予約で満員ですが、席を開けてくださいました。
せっかくだから食べて行ったほうがいいです。
(後半へつづく)
風景を見ていて、別府のはげ山の部分を自分が訪れたときに見たことを思い出しました。
春に山焼きがあると聞きました。
心あたたまるシーンが続きます。
人間が優しい。
九州はいいところです。
少年野球チーム解団式とかで、キャプテンの少年のあいさつが良かった。監督への感謝のメッセージです。
『優しくていねいに教えてくれたから野球を楽しんでやれました。ありがとうございました』
ゲストはウド鈴木さんに変わり、あいかわらずウドさんは、調子がいい。にぎやかです。
菜の花の黄色いじゅうたんがきれいでした。
別府の温泉地では、地獄蒸しを食べて、別府タワーで展望を楽しみました。
地元の共同温泉浴場を利用して、湯の町別府市を楽しみました。
充電先にはちびっこたちがいます。小さなお子さんがいる家は雰囲気が明るい。
海のブルーがきれいでした。
次回は、鳥取県で、ゲストは井桁弘恵さんと中村獅童さんだそうです。
井桁さんがゲストになったのは、山崎育三郎さんつながりかもしれません。毎週日曜日夜の番組、『おしゃれクリップ』で、インタビュアーをおふたりでされています。
山崎育三郎さんは以前、滋賀県の琵琶湖まわりあたりで充電バイクのこの番組に出られたことを覚えています。
出川哲朗の充電させてもらえませんか? ■激走<大分縦断>112キロ■パワスポ粟島神社から<別府温泉>でイイ気分ゴールは絶景桜の一心寺ですが■初登場<野呂佳代>がなぜか泣き出した!ヤバイよヤバイよSP
前半のゲストは野呂佳代さん(あいにく私は存じ上げません。AKBの方だそうです)
後半のゲストは、ウド鈴木さんです。
大分県の昭和時代を意識した街並みとか、出川哲朗さんは、以前も訪問されています。お気に入りの地域なのでしょう。
自分は、別府温泉に去年二月に行ったので、これから放送を観るのが楽しみです。
昭和の町にある出川哲朗さんのお気に入りの食堂はメニューがとても安い。
ちゃんぽんが350円、カツカレーが450円です。
BGMで流れた麻丘めぐみさんの、『私の彼は左きき』がなつかしい。
城下町杵築(きつき)では、小柳ルミ子さんの、『わたしの城下町』を思い出しました。
なにもかもなつかしい。
『野呂ちゃーん』と応援の声が飛んで、野呂佳代さんが嬉しさで涙ぐみます。
『あたたかくて涙が出てきたそうです』とお話されました。
応援があると、(つらくても)がんばってみようかなとやる気が出ます。
都会はとかく効率優先で、競争社会です。
利害関係が最優先です。
足を引っ張る人もいます。
いそがずに、のんびりおおらかにいきたいものです。
田んぼの中の一本道を充電バイクで直進していきます。
まわりに一般の車はありません。
ロケは、一般車に迷惑をかけないことと、旅の風情を出すためでしょう。
道をはさんで親子の家があるところで、荷台におみこしがのった車が通ります。
神主さんも車の中にいて、珍しい光景でした。うしろから、パトカーもついてきているのが見えました。
三世代のご家族や、近所のこどもたちもたくさんです。
地方ロケでは、都会人が考えもつかないようなリアクションがあります。予想がつきません。
娘さんが、韓国に推し(おし。大好きな人やグループ)がいるので行きたいと話します。
韓国が近いから韓国のことを思う九州人だと感じました。
あかちゃんがかわいい。
映像を観ていると、心があたたまって、安心する番組です。
おみそ屋で、おみそに興味が強い野呂佳代さんです。
麦こうじとか、麦みそのお話がありました。
お店は四代目で、1900年(明治33年)から続いているそうです
おひなさまがあって、寒そうな時期のロケに見えます。
タレがおいしい焼き肉屋さんです。
予約で満員ですが、席を開けてくださいました。
せっかくだから食べて行ったほうがいいです。
(後半へつづく)
風景を見ていて、別府のはげ山の部分を自分が訪れたときに見たことを思い出しました。
春に山焼きがあると聞きました。
心あたたまるシーンが続きます。
人間が優しい。
九州はいいところです。
少年野球チーム解団式とかで、キャプテンの少年のあいさつが良かった。監督への感謝のメッセージです。
『優しくていねいに教えてくれたから野球を楽しんでやれました。ありがとうございました』
ゲストはウド鈴木さんに変わり、あいかわらずウドさんは、調子がいい。にぎやかです。
菜の花の黄色いじゅうたんがきれいでした。
別府の温泉地では、地獄蒸しを食べて、別府タワーで展望を楽しみました。
地元の共同温泉浴場を利用して、湯の町別府市を楽しみました。
充電先にはちびっこたちがいます。小さなお子さんがいる家は雰囲気が明るい。
海のブルーがきれいでした。
次回は、鳥取県で、ゲストは井桁弘恵さんと中村獅童さんだそうです。
井桁さんがゲストになったのは、山崎育三郎さんつながりかもしれません。毎週日曜日夜の番組、『おしゃれクリップ』で、インタビュアーをおふたりでされています。
山崎育三郎さんは以前、滋賀県の琵琶湖まわりあたりで充電バイクのこの番組に出られたことを覚えています。
2024年05月21日
市子(いちこ) 邦画 2023年
市子(いちこ) 邦画 2023年 2時間5分 動画配信サービス
ほかの方のブログを見ていて目に留まったので、自分も観てみました。
暗い内容です。
なんというか、隠そうとするから、ウソをつくから、成立するストーリーです。
隠さず、ウソもつかず、正直に言えば、なんとかなる話です。
なるようになる。そのときは苦しくても、未来ではちゃんと生活できる話です。
隠れて生きようとするから苦しいのです。
世間はもっと明るい。へんな人もいるけれど、いい人もたくさんいます。
主演の杉咲花さんは、日曜夜10時の番組、『おしゃれクリップ』のゲストで、山崎育三郎さんと井桁弘恵さんにインタビューを受けたときに、幼なじみの女友達が杉咲花さんの実像を話していました。
同級生のお話だと、映像に出てくる杉咲花さんは、現実の彼女とは別人だそうです。素は(すは。じっさいは)とても明るくて、お調子者で、おいしい食べ物が大好きな人ですということでした。
杉咲花さんは、こちらの映画では熱演でした。力いっぱいで、力のこもった演技の花を咲かせておられました。映像では、杉咲花さんの女優魂が爆発しています。
また、市子の小学生時代を演じる子役さんもがんばっておられました。
ストーリーは、無戸籍の女性の人生を小学生の時期から二十代まで、追いかけたものです。
戸籍の話が出ます。戸籍は、日本人として生きるための重要な役所の記録です。
戸籍の様式も変わりました。昔は、縦書きでした。大昔は筆を使った墨(すみ)による手書きだったし、その後、和文タイプライターで文章を打つ記載でした。
今は、パソコンでつくられた横書きです。ちょっと内容がわかりにくい。昔の縦書き文章では、いつ・どこで・だれが・どうしたというふうに書いてありました。今は、できる限り省略してあります。出自(しゅつじ。生まれ育ちの場所など)による差別対策なのでしょう。
戸籍法では、夫婦が婚姻中に生まれたこどもは、その夫婦のこどもです。
原則として、妻が夫以外の男性と交渉をもって生まれてきたこどもも、戸籍上の夫のこどもとしてしか出生届が出せません。(例外として、裁判所の決定後、出生届を出す手法があったと思いますが、う~む。それでも最初は父欄が空欄で、婚姻関係にない男女のこども扱いになる記憶です。ほんとうの父親の認知届がいると思います。認知届をすんなり出してくれない男性もいそうです。ややこしい)
また、離婚後300日以内に生まれたこどもは、婚姻中の夫のこどもとみなされます。原則として、いったんは、実際の父親が異なっていても離婚した夫のこどもとして出生届を出すことになります。
かなりもめます。若い頃に法令の勉強をしましたが、ちゃんとするためには、たしか家庭裁判所で、真実を決定してもらわなければなりません。『嫡出否認(ちゃくしゅつひにん。戸籍上の夫が自分のこどもではないと否認する)』とか、もうひとつは、『親子関係不存在(戸籍上の夫、妻、こどもという関係者が申し立てることができるふうだった記憶です)』という訴えを起こすという手段だった記憶です。訴えが認められてからいったん届け出があった出生届の処理(修正)をするという流れだったと思います。
だから、こどもを産んでも、その子の出生届を役所に出さずに放置するという人がいます。
こどもはたいへんな苦労をすることになります。
戸籍がなければ、社会生活を送ることが不自由になります。まず、国籍がない、住民登録がない、それから病院にかかるときの医療保険証がない、義務教育の案内が来ない、就職がむずかしい、本人の婚姻届(結婚)がしにくくなります。(救済措置はあると思いますが、十分なものではないと思います)
こちらの映画は、杉咲花さんが演じる『市子(いちこ)』は、出生届が出されていないので、杉咲花さん演じる市子は、戸籍上は存在しない人間なのです。
市子は、障害をもつ妹(母親は3回結婚していて、妹は夫婦間に生まれているので戸籍がある)を殺して、妹『月子』の名前を引き継ぎ、『月子』になりすまします。年齢も偽ります。(いつわります)
法令というものは、想定された枠の中で生活している分には、身分を手厚く保証してくれますが、想定の枠(わく)の外(そと)に身をおくと非情です。だから、できるだけ法令の枠の中で生活することを心がけますが、そうできない人もいます。
映画は、大海原の映像から始まって、大海原の映像で終わる基本的な流れの映画でした。最後は最初に戻るのです。
だれかの思い出がベースになったストーリーだろうか。
戸籍のうえでは存在していない人間が現実の世の中では存在している。推理小説です。
貧困を扱っています。映像に出る共同住宅は、市営住宅・県営住宅・公団住宅・雇用促進住宅のつくりを思い出させてくれます。狭い部屋で、エレベーターもない階段で、ビル形式で古い建物です。障害者も出てきます。そういったことで、この映画は、社会福祉を考える映画でもあります。
ときおり、白い文鳥の映像が出ます。何かのメッセージがあります。『孤独』だろうか。
男が悪いということはあります。男が女を性の対象としていたぶります。男は、ばかたれです。
こんな家に生まれてしまったことを嘆く。
いつだったかのニュースで、SNSつながりで家出をして、誘った男の家に行った十代女性が、あんな家では(実家)生活ができないんですと訴えていました。虐待でもあるのだろうか。家庭に暴君の男がいるのだろうか。母親が狂っているのだろうか。いろいろあります。
偽りの市子は、最後に警察に逮捕されて終わるのだろうかと予想しましたが、そうはなりませんでした。(最後は、犯罪を重ねる形で終わっています。それでいいのだろうかと疑問が残りました。倫理(りんり。人の道)にはずれています)
ローカル感(いなか風景)満載の映像です。
過去の記憶が呼び起こされます。
昭和の時代にあった、自分がこどものころに見た風景です。
市子が道を歩く。左右に緑が広がっています。
市子が何かの歌をハミングする。曲名はわからない。(その後、『にじ』という曲であることがわかりました。1990年(平成2年)ケロポンズ)
雷雨のシーンに意味がある。
激しく降る雨に顔をあげて、水浴びをする。
花火のシーンに意味がある。
パッと散る。
市子が長谷川を好きな理由はわかります。長谷川は、市子に心優しい。
しかし、長谷川が市子を好きな理由がわかりません。市子の心の持ち方のどこがよくて、愛情が湧くのだろうか。市子の心は屈折しています。長谷川が気に入ったのは、市子の見た目だけという理由しか浮かんできませんでした。ペットのようなものです。現実的な恋愛ではありません。見た目だけの愛情は長続きしません。心の中にあることをさらけだしてぶつかって、妥協点を見つけ出して、障害物競走のような人生を共に送って思い出づくりをします。映画では、ふたりで協力して困難を乗り越えていくだけの愛情をベースにした理由付けが見つかりません。
名作邦画、『砂の器(すなのうつわ)』のようでもある。出生の秘密がベースにあります。
人の心の中に、『悪魔』がいる。
また、タバコのシーンです。日本映画はいつになったら、タバコシーンから卒業できるのだろうか。製作関係者に喫煙者が多いのでしょう。もう、タバコで感情を表現する時代は終わっています。映像は、非喫煙者にとっては、嫌悪感(けんおかん)しかありません。
不気味です。
あんなふうで人が死ぬとは思えません。障害者である妹への対応です。
シーパップ(無呼吸症候群の人が、寝るときに顔に装着する空気排出マスク)のようでした。
介護疲れがあります。ヤングケアラーです。
介護する相手は、映画ではこどもさんですが、相手が高齢者でも介護についての同じつらさがあります。相手が若くても年寄りでも、介護することは大変です。
じょうずなカメラワーク(動かし方、シーンづくり)だと思う映像もありました。
ほかの方のブログを見ていて目に留まったので、自分も観てみました。
暗い内容です。
なんというか、隠そうとするから、ウソをつくから、成立するストーリーです。
隠さず、ウソもつかず、正直に言えば、なんとかなる話です。
なるようになる。そのときは苦しくても、未来ではちゃんと生活できる話です。
隠れて生きようとするから苦しいのです。
世間はもっと明るい。へんな人もいるけれど、いい人もたくさんいます。
主演の杉咲花さんは、日曜夜10時の番組、『おしゃれクリップ』のゲストで、山崎育三郎さんと井桁弘恵さんにインタビューを受けたときに、幼なじみの女友達が杉咲花さんの実像を話していました。
同級生のお話だと、映像に出てくる杉咲花さんは、現実の彼女とは別人だそうです。素は(すは。じっさいは)とても明るくて、お調子者で、おいしい食べ物が大好きな人ですということでした。
杉咲花さんは、こちらの映画では熱演でした。力いっぱいで、力のこもった演技の花を咲かせておられました。映像では、杉咲花さんの女優魂が爆発しています。
また、市子の小学生時代を演じる子役さんもがんばっておられました。
ストーリーは、無戸籍の女性の人生を小学生の時期から二十代まで、追いかけたものです。
戸籍の話が出ます。戸籍は、日本人として生きるための重要な役所の記録です。
戸籍の様式も変わりました。昔は、縦書きでした。大昔は筆を使った墨(すみ)による手書きだったし、その後、和文タイプライターで文章を打つ記載でした。
今は、パソコンでつくられた横書きです。ちょっと内容がわかりにくい。昔の縦書き文章では、いつ・どこで・だれが・どうしたというふうに書いてありました。今は、できる限り省略してあります。出自(しゅつじ。生まれ育ちの場所など)による差別対策なのでしょう。
戸籍法では、夫婦が婚姻中に生まれたこどもは、その夫婦のこどもです。
原則として、妻が夫以外の男性と交渉をもって生まれてきたこどもも、戸籍上の夫のこどもとしてしか出生届が出せません。(例外として、裁判所の決定後、出生届を出す手法があったと思いますが、う~む。それでも最初は父欄が空欄で、婚姻関係にない男女のこども扱いになる記憶です。ほんとうの父親の認知届がいると思います。認知届をすんなり出してくれない男性もいそうです。ややこしい)
また、離婚後300日以内に生まれたこどもは、婚姻中の夫のこどもとみなされます。原則として、いったんは、実際の父親が異なっていても離婚した夫のこどもとして出生届を出すことになります。
かなりもめます。若い頃に法令の勉強をしましたが、ちゃんとするためには、たしか家庭裁判所で、真実を決定してもらわなければなりません。『嫡出否認(ちゃくしゅつひにん。戸籍上の夫が自分のこどもではないと否認する)』とか、もうひとつは、『親子関係不存在(戸籍上の夫、妻、こどもという関係者が申し立てることができるふうだった記憶です)』という訴えを起こすという手段だった記憶です。訴えが認められてからいったん届け出があった出生届の処理(修正)をするという流れだったと思います。
だから、こどもを産んでも、その子の出生届を役所に出さずに放置するという人がいます。
こどもはたいへんな苦労をすることになります。
戸籍がなければ、社会生活を送ることが不自由になります。まず、国籍がない、住民登録がない、それから病院にかかるときの医療保険証がない、義務教育の案内が来ない、就職がむずかしい、本人の婚姻届(結婚)がしにくくなります。(救済措置はあると思いますが、十分なものではないと思います)
こちらの映画は、杉咲花さんが演じる『市子(いちこ)』は、出生届が出されていないので、杉咲花さん演じる市子は、戸籍上は存在しない人間なのです。
市子は、障害をもつ妹(母親は3回結婚していて、妹は夫婦間に生まれているので戸籍がある)を殺して、妹『月子』の名前を引き継ぎ、『月子』になりすまします。年齢も偽ります。(いつわります)
法令というものは、想定された枠の中で生活している分には、身分を手厚く保証してくれますが、想定の枠(わく)の外(そと)に身をおくと非情です。だから、できるだけ法令の枠の中で生活することを心がけますが、そうできない人もいます。
映画は、大海原の映像から始まって、大海原の映像で終わる基本的な流れの映画でした。最後は最初に戻るのです。
だれかの思い出がベースになったストーリーだろうか。
戸籍のうえでは存在していない人間が現実の世の中では存在している。推理小説です。
貧困を扱っています。映像に出る共同住宅は、市営住宅・県営住宅・公団住宅・雇用促進住宅のつくりを思い出させてくれます。狭い部屋で、エレベーターもない階段で、ビル形式で古い建物です。障害者も出てきます。そういったことで、この映画は、社会福祉を考える映画でもあります。
ときおり、白い文鳥の映像が出ます。何かのメッセージがあります。『孤独』だろうか。
男が悪いということはあります。男が女を性の対象としていたぶります。男は、ばかたれです。
こんな家に生まれてしまったことを嘆く。
いつだったかのニュースで、SNSつながりで家出をして、誘った男の家に行った十代女性が、あんな家では(実家)生活ができないんですと訴えていました。虐待でもあるのだろうか。家庭に暴君の男がいるのだろうか。母親が狂っているのだろうか。いろいろあります。
偽りの市子は、最後に警察に逮捕されて終わるのだろうかと予想しましたが、そうはなりませんでした。(最後は、犯罪を重ねる形で終わっています。それでいいのだろうかと疑問が残りました。倫理(りんり。人の道)にはずれています)
ローカル感(いなか風景)満載の映像です。
過去の記憶が呼び起こされます。
昭和の時代にあった、自分がこどものころに見た風景です。
市子が道を歩く。左右に緑が広がっています。
市子が何かの歌をハミングする。曲名はわからない。(その後、『にじ』という曲であることがわかりました。1990年(平成2年)ケロポンズ)
雷雨のシーンに意味がある。
激しく降る雨に顔をあげて、水浴びをする。
花火のシーンに意味がある。
パッと散る。
市子が長谷川を好きな理由はわかります。長谷川は、市子に心優しい。
しかし、長谷川が市子を好きな理由がわかりません。市子の心の持ち方のどこがよくて、愛情が湧くのだろうか。市子の心は屈折しています。長谷川が気に入ったのは、市子の見た目だけという理由しか浮かんできませんでした。ペットのようなものです。現実的な恋愛ではありません。見た目だけの愛情は長続きしません。心の中にあることをさらけだしてぶつかって、妥協点を見つけ出して、障害物競走のような人生を共に送って思い出づくりをします。映画では、ふたりで協力して困難を乗り越えていくだけの愛情をベースにした理由付けが見つかりません。
名作邦画、『砂の器(すなのうつわ)』のようでもある。出生の秘密がベースにあります。
人の心の中に、『悪魔』がいる。
また、タバコのシーンです。日本映画はいつになったら、タバコシーンから卒業できるのだろうか。製作関係者に喫煙者が多いのでしょう。もう、タバコで感情を表現する時代は終わっています。映像は、非喫煙者にとっては、嫌悪感(けんおかん)しかありません。
不気味です。
あんなふうで人が死ぬとは思えません。障害者である妹への対応です。
シーパップ(無呼吸症候群の人が、寝るときに顔に装着する空気排出マスク)のようでした。
介護疲れがあります。ヤングケアラーです。
介護する相手は、映画ではこどもさんですが、相手が高齢者でも介護についての同じつらさがあります。相手が若くても年寄りでも、介護することは大変です。
じょうずなカメラワーク(動かし方、シーンづくり)だと思う映像もありました。
2024年05月20日
アフリカで、バッグの会社はじめました 江口絵里
アフリカで、バッグの会社はじめました 寄り道多め仲本千津の進んできた道 江口絵里 さ・え・ら書房
とりあえず27ページまで読みました。
読みながら感想をつぎ足していきます。
偉人伝、伝記のようです。
仲本千津さんという女性の方について、江口絵里さんが聞き取りをして文章をつくって、この本ができあがっています。
仲本千津(なかもと・ちづ):1984年生まれですから、40歳ぐらいの女性です。社会起業家。ブランド(特定の商品、品物のこと。会社、組織)RICCI EVERYDAY(リッチーエブリデイ)の共同創業者兼COO(シーオーオー。チーフ・オペレーティング・オフィス。組織の責任者という役職名)。ロングヘアの小柄な女性。いつも心に秘めている思いは、『人の命を救いたい』です。
仲本千津さんは、アフリカにあるウガンダの工房で、現地の女性たちと布製のカバンをつくって日本で販売しています。
仕事をするときの動機付けは大事です。気持ちの根っこに、『世のため人のために働く』と、強く思わないと、職場での不祥事につながります。
『仕事は楽で、給料が良くて、休みが多いほうがいい』とだけ思う人は、仕事の手順を省略したり、会社や同僚のお金をポケットに入れたりすることがあります。働く場所では、仕事仲間同士の信頼関係は、とてもだいじです。
仲本千津さんの母親である律江さん:会社名の由来です。律(りつ)から「り」と千津から「ち」で、『リッチーエブリデイ』という社名です。おかあさんも会社のスタッフのひとりです。
ウガンダ:東アフリカにある国。旧イギリス植民地(1962年(昭和37年)にイギリスから独立)。人口約4570万人。首都カンパラ。
43ページに詳しい記事があります。赤道直下だが、高地にあるので(標高が高い。平均標高1200mぐらい)、一年中、日本の初夏のような気候が続く。湿度が低く快適な環境にある。治安がいい。人々が穏やか(おだやか)。農作物がよくとれる。マンゴー、スイカ、くだもの、お米、トウモロコシ、牛肉、鶏肉(とりにく)など。暮らしやすい。
されどウガンダは、世界で最も貧しい国のひとつだそうです。『産業』が不足している。『観光業』はある。国民は、大学を出ても安定した仕事がない。
男性が働かない。男性は、おしゃべりとギャンブルをしている。女性が働く。女性はとても忙しい。ある意味、女性で社会が成り立っている。でも、女性の立場は弱い。浮気男や暴力を振るう夫がいる。離婚するので、シングルマザーが多い。母子家庭です。
『はじめに』があって、第1章から第11章まであって、『おわりに』で終わります。
ウガンダの布地(色鮮やか。アフリカンプリント)を素材にして、ミシンで布バッグを縫って(ぬって)、日本で販売する組織の運営をしている人です。
ウガンダ人の女性8人(シングルマザーが多い)が、ミシンの前に座って、作業をしているようすが書いてあります。
社会起業家:社会にある課題を、事業によって解決することに取り組む人。社会にある課題とは、『貧困』、『格差』、『差別』、『戦争』、『環境破壊』、『地球温暖化』などです。
こどもたちに、社会起業家になることを勧める本だろうか。それとも、社会起業家という職種もありますという情報を提供する本だろうか。
『第1章 社会起業家 仲本千津』、『第2章 「私、国連で働く』
6歳ぐらいのころのエピソードがひとつ書いてあります。すべり台をすべって、泥水の水たまりに頭からつっこんだというような勇敢な姿です。
仲本千津さんは、4人きょうだいの一番上だそうです。
静岡県生まれ、その後千葉県居住ののち小学4年生から、静岡県内で育ったそうです。
両親と祖母、4人きょうだいの7人家族です。
小学5年生のとき、医師になりたいと思った。『国境なき医師団』に入ろうと思った。
中学一年生のときに、洋画、『シンドラーのリスト』を観て、深い感銘を受けたそうです。
わたしもシンドラーのリストを何回か観ました。最初シンドラーは、けしていい人ではありませんでしたが、ナチス・ドイツが、ユダヤ人を迫害するようすを見て、これはおかしいと思い、収容所に収容されているユダヤ人を自分の工場で雇用して、最終的にたくさんのユダヤ人の命を救います。シンドラーは、金もうけという商売をしながら、自分の利益を確保しつつ、ばれたら自分もナチス・ドイツに殺されるかもしれないという危険をくぐりぬけて生き延びた人でした。
わたしが映画を観たときの感想の一部をここに落としてみます。
『商人と軍人との贈収賄(ぞうしゅうわい)の世界です。給料以外の金と酒とタバコと宝石とが世の中を動かしています。(軍人が商人から金銭や物品を不正に受け取って、商人に有利なはからいをする)。(軍人が)裁量(さいりょう。決める)する権限を物々交換で自由自在に操って私腹をこやす者たちがたくさんいます。
捕まえたユダヤ人を雇用する。ユダヤ人には人件費がいらない。まるで懲役刑のようです。彼らはシンドラーが設立したお鍋をつくる会社で働きます。拘束はされますが、命は助かります。
シンドラーに命を助けられた片腕のない老人がシンドラーに、『アイ ワーク ハード(シンドラーあなたのために一生懸命働きます)』、シンドラーが軍人に、『ヴェルリ ユースフル(彼は有益な人物です)』、されど、その後老人は射殺されてしまいました。(片腕のない人間は道具として工場で役に立たないから)。それは、シンドラーの人として守るべき道を優先しようという方向への心変わりとなる出来事のひとつでした。
金もうけのことしか考えていなかった悪人のシンドラーが、ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害の実態を見て、これではいけないと考え直して善人に変化していきます。人としてあるべき姿に目覚めたのです』
仲本志津さんは中学時代コーラス部に所属していた。学級委員、生徒会役員、部活の部長などリーダー的な役をやった。そのころのご本人の気持ちの持ち方として、『人の話をよく聞いて、それを実現する』というようなことが書いてあります。
緒方貞子(おがた・さだこ):国際政治学者。国際協力機構理事長。国連人権委員会日本政府代表。1927年(昭和2年)-2019年(令和元年)92歳没。
自分は長い間生きてきて、国連の職員として働いている人には一度だけ出会ったことがあります。ご近所に子どもさん連れのご家族で引っ越してこられて、話を聞いて、『国連』というところに就職するのにはどうやって試験などを受けるのだろうかとびっくりしました。その後数年たって、転居していかれました。
国際協力機構(JICAジャイカ)は、昨年秋、東京見物に行ったときに見学しました。中央線の市ヶ谷駅で降りて、坂道を上って行きました。『地球ひろば』を見学して、レストランで、そのとき提供されていたペルーのランチを食べました。おいしいというよりも、現地の人たちがふだん食べているもので、安価なふつうの味の主食という食事でした。
ジャイカの見学では、食事に加えて展示の内容も含めて、貧しい国を援助するということが、国際協力機構の果たす役割だと理解しました。
ウクライナへのロシアの攻撃を見ていて、国連(国際連合)の無力さを感じます。
国連は、そういう組織(集まり)があるというだけで、平和を成し遂げる機能を果たしていません。お役所的です。みための形が整っていればいいだけなのです。仕事はしていないけれど、仕事をしているふりをしていれば、給料がもらえて、自分の地位が保たれるのです。よくある話です。
仲本千津さんは、早稲田大学で、『国際関係論』を学んで、一橋大学大学院に進まれて、アフリカのサブサハラ(サハラ砂漠より南。アフリカの南部)で起きていた民族紛争を研究されています。
アフリカがヨーロッパの植民地だったことが書いてある本を読んだことがあります。アフリカの国境というのは、直線的なのですが、その土地の国民が引いた線ではなくて、よそから来た外国人が現地の人たちの意向とは関係なく引いた線だというものでした。
現地に住んでいるアフリカの人たちにとっては、意味のない国境線だったのです。
19世紀の中ごろから、イギリス、フランス、ドイツなどが、アフリカの地域を植民地にしたのです。その後、アフリカの国々として独立しています。民族ごとに国ができあがっていないので、民族紛争があるそうです。民族紛争はかなり深刻なようすです。
読んでいて思い出した本が一冊あります。
『インパラの朝 中村安希 集英社』読んだ時の感想の一部です。
この本は旅行記です。作者が26歳から28歳までの2年間、ユーラシア大陸からアフリカ大陸を女ひとり、バックパッカーとして旅をした記録です。
作者のテーマは、『貧富の差を目の当たりにすること(まのあたり)』そして、人間にとって大事なことは、『自由』であることです。『自由』とは、移動の自由です。旅であり、住む場所の選択でもあります。加えて、日本の国際貢献活動に関する批判があります。
予算の消化、派遣数の確保、宣伝のために、現地の人たちが望まない援助を無理やり押し付けている。これに対する作者の怒りは正当であり、正義があります。何ができるのか、真実をつきとめたいという若さがみなぎっています。
『援助』は、現地住民の平衡感覚を狂わせる。学校が建っても裕福なこどもしか通えない。ねたみ、そねみ、嫉妬(しっと)、対立が始まり、やがて『援助』が原因で地域内紛争が始まる。
外国人の日本人の性質に対する評価は低い。(厳しいご指摘です。援助は大切ですが、やり方を考えないと現地で暮らす人たちの迷惑になります)
-読後の記録が残っていないのですが、たしかこの本に次のようなことが書いてあった記憶です。
アフリカのジャングルの中で道に迷って一夜を過ごした。翌朝、現地住民に出会った。恐怖と不安で心が震えた。そしたら、みんなとても親切にしてくれた。みんな優しかった。
作者は、日本に自分の居場所がなかったから海外へ出た。作者が知ったのは、世界の国々に住む人たちは、お互いを知ろうとせず、マスメディア等でつくられたイメージで相手を判断する。おおいなる勘違いで世界が成り立っている。
そんなことが書いてあった記憶です。人間は本来、心優しい生き物なのです。いろいろな欲が入り混じると鬼になるのです。
こちらの本では、49ページに、支援されたほうが支援先に依存してしまうから、『自立』できる支援が大事だと書いてあります。国の上下関係、人間の上下関係はつくりたくないようすです。
さて、仲本千津さんは、大学院一年生の終わりに、アメリカ合衆国で栃迫篤昌(としさこ・あつまさ)さんという起業家に会い、彼が行っていた開発途上国の人を助けるビジネスを知ります。今後の進路を決めるきっかけがあった時です。
仲本千津さんは、大学院を二年生で修了し、大手銀行へ就職します。
27ページまで読みましたが、少ないページのなかに、大量の情報が入っている文章の書き方です。こどもさんが読むのには、ついていくのがたいへんかもしれません。
『第3章 銀行からアフリカ支援NGOへ』
NGO:非政府組織。市民が主体。営利を目的としない活動。ノン・ガヴァメンタル・オーガニゼーションズ。世界的な問題に取り組む。貧困、飢餓、環境などに取り組む市民団体のこと。
(つづく)
56ページまで読み終えました。
う~む。仕事の選択に関する小学校高学年向きの本なのでしょうが、一般的ではありません。
特殊な職業選択です。なかなか真似(まね)はできません。
第3章のはじめのところに書いてありますが、仲本千津さんは、大手銀行に就職したあと、業務内容が自分の望むものではなかったということで退職されています。
ひとつは、制服職場であることが理由でした。銀行に限らず、制服を着用して働く職場は、上司からの職務命令と、従業員の服従が基本で仕事を進めていきます。
従業員は、機械の歯車のようなものです。組織の上層部から言われたことを言われたとおりにやっていきます。
そうすれば、毎月決まった日に決まった給料がもらえます。ボーナスももらえます。たいていは退職金ももらえます。福利厚生があって、年金も本人負担と事業主負担(同額)分を納めることで、国民年金よりも多い額で年金の受給ができます。医療保険もあります。病気になったとき、安心して病院にかかることができます。そしてたいてい従業員は、一度や二度は、大きな病気やケガで入院をしたりもします。そうなっても、従業員の立場を守る規則があります。
組織目標は(会社の目標は)、まずは社会貢献ですが、大きな目標として、利潤の追求(りじゅんのついきゅう。お金を稼ぐ(かせぐ))ということがあります。お金がなければ会社や組織を維持していくことができません。
営利目的の組織で働く時には、自分ではない自分のようなものを演じて働きます。仕事用の自分を演じます。立場に応じてものを言います。かなり苦しいです。でも、お金をもらって、生活していかなければなりません。家族がいれば、家族を養っていかなければなりません。
人間にはふたつのタイプがあります。雇われて生活していく人と、自営で働いていく人です。
仲本千津さんは、自営で働いていくことにされました。
ご自分では銀行に就職されて、『やばっ! 私、まちがったところに来ちゃった……』と気づかれています。
仲本千津さんは、『決められた通りに、確実にやること』ができません。銀行職場には場違いの資質と能力の持ち主でした。
仕事を選ぶ時は、よ~く考えたほうがいい。わたしは、仕事は、才能と努力と人間関係だと思っています。自分は何だったらできるか、どんな苦痛だったら耐えられるか(仕事は苦痛に耐えるという面があります)、よ~く考えて仕事を選んだほうがいいです。
仲本千津さんは、三年間ぐらい銀行で働かれたあと、自分が希望する職に転身されています。
最近は、就職後すぐに辞めてしまう大卒の人が多い。
仕事を辞めて、食べていける(生活できる)ということが不思議です。親の援助でもあるのでしょうか。それとも、わざわざ正社員の職を捨てて、アルバイト生活を選択するのでしょうか。老齢である自分の世代にとっては不可解です。人生においては、なるべく無職の期間を短くすることが、生涯獲得賃金を十分確保するコツです。老後に受け取る年金の受給額にも影響してきます。若い頃はそういったことがわかりません。あとになって後悔します。
雇う側の立場として、ひとこと書いておきます。人、ひとり雇うのでも、時間と経費と手間がかかっています。この会社で働きたいと言ってきたから採用したのに、短期間で辞められたら、雇うほうにとっては、採用までに費やした、時間、経費、手間が水の泡です。損失が出ます。採用後の研修計画の実施にも変更がいります。ちゃんと手順を踏んだ段取りがしてあるのです。新人に仕事を教える先生役もあらかじめ決めてあります。
そして、仕事を辞めた人間にはわからないことでしょうが、辞めたあとのポスト(職)に欠員が出てしまいます。辞めた人の代わりはそうそう簡単には見つかりません。欠員となったひとり分の仕事量をほかの人たちでやらなければならなくなります。やりたくもない残業、やるはずでなかった残業を、在籍している従業員たちが、ぶつぶつ文句を言いながらやることになります。チームワークが乱れます。新規採用の早期退職は、まわりの人たちにたくさん迷惑をかけることに気づいておいてほしい。
あわせて、年休は全部消化してから辞めますとか、夏のボーナスをもらってから辞めますなどと言われると、仕事もしていないのにお金と休みだけもらって辞めるのか、バカヤローとなります。
それでも辞めるのなら引き止めませんが、みんな、あいつの顔は二度と見たくないと思うでしょう。
次の仕事がすんなり見つかるとも思えません。履歴書を見て、なぜ短期間でやめたのかという話になります。ああ、この人は仕事が続かない人だと判断されて、以降の求職活動では不採用になる可能性が高いでしょう。どこの会社や組織でも、負の財産になりそうな人は雇いません。自分のことだけ考えて、会社に貢献する意志がない人は雇えません。
2011年3月11日に起きた東日本大震災のことが書いてあります。
『死』を意識します。
仲本千津さんの中で、自分はいつ死ぬかわからないから、後悔のないような職業選択をしようという気持ちが湧いてきます。
小暮さん(こぐれさん):テーブル・フォー・ツー代表
凡人には、大学院に行ったり、アフリカに行ったりということはなかなかできません。発想すらしません。
笹川アフリカ協会(ささかわアフリカきょうかい):農業で、アフリカの貧困を救う。
英語はガッツで話せるようにしたというようなことが書いてあります。
鮫島弘子(さめじま・ひろこ):途上国で作った商品を先進国の人に売るビジネスをしている。バッグのブランドをつくった。エチオピア特産の羊の革(かわ)で高品質なバッグをつくり日本で売る。仲本千津さんは、鮫島弘子さんと行動を共にします。
プロボノ:ボランティア。社会人経験、専門技術、知識のある人が、そのスキル(技術)を使ってボランティア活動をする。
師弟関係は仕事を身に着けるうえで必要な手段でしょう。教えてもらわないとできないことってあります。鮫島弘子さんが師匠で、仲本千津さんが弟子(でし)です。ファッション業界で事業をしていく手法を学びます。鮫島弘子さんの会社名が、『アンドゥアメット』。
メンター:自分の悩みや夢を聞いてくれる人。相談にのってくれる人。
仲本千津さんは、笹川アフリカ協会の配慮で、ウガンダ駐在員になりました。任期は一年以上です。
『第4章 起業』
仲本千津さんのウガンダ・首都カンパラでの生活スタートです。
母国語が英語ではないところの人が話す英語は聞き取りやすくわかりやすい。記号のようなものです。
60年ぐらい前の日本のいなかの暮らしに似ています。いなかでは、畑があって自給自足の暮らしがベースにありました。都市部で生活するには買い物をしなければならないのでお金がいります。
こどもの世話も田舎(いなか)なら、親族や近所の人に頼めましたが、都市部ではお金を出してどこかに預けなければなりません。
カンパラは都市部なので、お金がいります。シングルマザーたちには負担です。
いなかでの燃料は、豆炭、練炭(れんたん。七輪を使用していました(しちりん)、薪(まき))など、都市部では光熱費がいります。また、家賃がいります。
競争社会ではとかく弱者がおいてきぼりにされます。女、こども、高齢者、障害者などがおいてきぼりです。
仲本千津さんの願いは、人のためになる仕事をしたいことです。
仲本千津さんは、色鮮やかなアフリカンプリントに目を付けました。
布地を買ってきて、オーダーメイドで服をつくって、日本で売るという商売を思いつきます。おおもとの気持ちは、シングルマザーでがんばっている地元の主婦を応援するためです。
グレース・ナカウチ:自分のこども3人と亡姉のこども1人、ひとりで4人の子育てをしているシングルマザー。手先が器用(きよう。細かい作業をじょうずにできる)。
ウガンダの人は、お金で学歴を買う面があります。まあ、日本も同様ですが。
経済的な事情で、学力、能力があっても学校に行けない人たちが多いそうです。
ウガンダは、豚(ぶた)がお金代わりになる社会です。一度に8匹ぐらいの子豚が生まれる。子豚はお金になるそうです。子豚を売って学費にあてるそうです。
投資として豚を飼う。
先日読んだ長崎県を舞台にした本にも同類のことが書いてありました。豚ではなく、ニワトリでした。
『ニワトリと卵と、息子の思春期 繁延あづさ(しげのぶ・あづさ) 婦人之友社』以下、感想の一部です。
自立したいという、お子さんの反抗期の始まりがあります。
これまでは、おかあさんの言うことをきいてきた。でも、これからは、おかあさんのいうことをききたくないのです。母は母で、どう対応したらいいのかわからず悩みます。まっこうからダメと言えなくて、条件闘争になったりもします。(そうしたかったら、こういう条件をのみなさいというパターンです) 『お母さんがなんと言おうと、オレは放課後ゲームを買いに行く!』強い主張があります。オレの人生はオレのもので、お母さんのものではない。オレの人生をお母さんが支配することはできないというこどもさんからの強い主張が母親に対してあります。オレのことはオレが一番わかる。オレのことは、お母さんにはわからない。
ゲーム機を買うと吠えていた(ほえていた)ご長男が、ゲーム機ではなく、ニワトリを買ったというところがおもしろいエピソードです。理由は、卵がとれるからでした。
スーザン・アグーチ:従業員のひとり。バッグをつくってもらった。縫製(ほうせい。ミシンで縫ってつくる)の技術が高い女性だそうです。
ナジェラマ・サラ:革を縫う技術をもった女性。
雇う側の仲本千津さんの心の持ち方が書いてあります。『この人たちがいなかったら事業が成り立たない、対等のパートナー』として、三人のウガンダ人女性と接する。『従業員の生活に責任を負う経営者』になる。
『第5章 おかあちゃん 百貨店飛び込み営業事件』
ハンドメイドの生産です。(てづくり)。内職仕事のようでもあります。(主婦が、家事の合間に家でする仕事)。アフリカのシングルマザーを支援するバッグのビジネスを始めます。かわいそうな人たちが作ったバッグではない。同情で一度だけ買ってもらうバッグではなく、“サステナブル(持続可能な)”なビジネスにする。
実のお母さんにスタッフに入ってもらう。
アフリカンプリントの布地でバッグをつくって売る商売に参加してもらいます。
バイヤー:商品の買い付けや商品管理の仕事をする人
ポップアップストア:期間限定の特設ショップ
農業支援の仕事を辞めて、バッグ作りと販売に専念する。
レベッカアケロ:ウガンダでの会社組織名。仲本千津さんのウガンダ名からきているそうです。アケロが、『幸運』で、幸運を呼ぶ女性という意味だそうです。バッグの商品名が、『アケロバッグ』です。そこまでたどり着くまでに4年がかかりました。
『第6章 原石が宝石に変わるとき』
最初のうちは、バッグに不良品もあったそうです。根気よくやり直します。
ウガンダには、健康保険制度(みんなで、保険料を納めて、いざというときに保険料から医療費を支払う)がなく、借金をしてその場をしのぐそうです。
従業員の医療費を会社で出す。(年間限度額あり)
会社のお金を自分のポケットに入れてしまう人がいるそうです。本にも書いてありますが、盗んだお金で生活を続けることは容易ではありません。盗むことを仕事にするよりも、ちゃんと毎日働く方がお金になります。盗んだお金は一時的な収入でしかありません。
給料だけでは、従業員の確保がむずかしい。医療費支援や無利子のローンを提供したそうです。経営する人と雇われる人の間に信頼関係を築きます。
相場よりも高い給料も払います。
工房で働く現地女性の生活が豊かになっていきます。
『第7章 罪深きファッション産業』
「大量に作って大量に捨てる」やり方を問題視されています。
自然環境に悪影響を与えている面もあるそうです。「染料」とか、化学薬品の使用です。
大手のファストファッションブランドは、大量に作って、売れ残りを大量に捨てるそうです。
大量生産、大量消費、大量廃棄のサイクルがあるそうです。
いろいろ課題は多いです。
中国やインドから、コピー商品がウガンダに入ってくるそうです。布地の質が落ちるそうです。
西アフリカのガーナに、アフリカンプリントの工場がある。ウガンダとガーナの間は飛行機で10時間以上もかかるそうです。アフリカはなんて大きな大陸なのでしょう。
材料費はかかるけれど、本物のアフリカンプリントを仕入れていいものを作ります。
エシカル:倫理的という意味。エシカル消費は、①環境にダメージを与えていない。②その会社で働く人を苦しめていないというような商品をつくる。
『生産現場』のことが書いてあります。
ウガンダでは、劣悪な環境の中で労働者が働いているそうです。安い給料で長時間労働です。
政府に頼っても動いてくれないようです。
仲本千津さんは、快適な生産現場(職場)をつくって、インターネットで公開する取り組みをされています。お客さんから、いい商品をつくってくれてありがとうの声が労働者に届きます。働く張り合いがあります。
インスタライブ:インスタグラムを使って、リアルタイムで配信ができる機能。
『第8章 ウガンダのために、日本のためにも』
アフリカンプリントは、もとは、ヨーロッパ生まれだそうです。
ウガンダ生まれの素材を使ってものづくりをしたい。
『バークロス』:木からつくる。スエードのような革のような素材。不思議な風合い(ふうあい:手ざわり、感触、見た目、着心地など)がある。木の幹からとれる布。木は、『ムトゥバ』という種類。木の幹をはいで、素材にする。
マサカ:バークロスづくりで有名な土地。首都カンパラから車で、何時間もかかる。
大島紬(おおしまつむぎ):テレビ番組、『東野・岡村の旅猿 プライベートでごめんなさい』で、奄美大島ロケのときに、工程を観ました。泥で黒く染めた織物です。黒いバークロスは泥で染めるそうです。黒、白(もともとの色のようです)、茶色(日光にあてる)がある。バークロスでバッグをつくって売る。作り方の手法を知っている首都カンパラ在住ベルギー人女性エバと一緒に考える。できあがった商品に、『エバ・バッグ』と名づけました。
やりたいと思っていないことを仕事としてやっていくか、自分のやりたいことを仕事としてやっていくかというような迷いと選択のことが書いてあります。人はたいていやりたくないことをやってお金をもらうことでがまんしています。まずは、生活していくことが優先なのです。
テーブル・フォー・ツー(ふたりのための食卓。こどもたちが食事を分かち合う):途上国の課題と先進国の課題を同時に解決するビジネスのあり方。
『第9章 救えなかった命』
暗い話です。仲本千津さんの弟さんが、2歳のときに川遊び中、水の事故で亡くなっています。仲本千津さんは10歳でした。
こどもの事故は一瞬で起きるので、目を離さないようにしなければなりません。うちの息子も幼児のときに片足を大やけどしたことがあります。長いこと通院しました。まだ小さかったので、やけどのあとは消えました。ホッとしましたが、親として深く後悔しました。こどもが小さい時は、外へはあまり出歩かないほうが安全です。とくに水のそばと火のそばは危険です。キャンプやバーベキューは要注意です。車を動かすときにも車のそばに幼児がいないか注意を払います。最近のニュースだと、マンションの上階から幼児の転落事故などがあることを聞きます。
仲本千津さんとお母さんの律江さんは、会社リッチーエブリデイの創業日を、弟の大毅(だいき)さんの命日である8月26日にされました。みんなでがんばります。
『第10章 夢見る力』
2019年(令和元年)5月、代官山(東京都渋谷区)で直営ショップのオープンです。
2020年(令和2年)3月下旬、コロナ禍の影響が出始めます。ウガンダはロックダウンになってしまいました。仲本千津さんは、会社の倒産が心配です。工房スタッフに出勤しなくても給料は払う。3か月後にはロックダウンは終わると予想している。(そうしないと、優秀な従業員が離れて行ってしまう)。1か月半後に、ロックダウンが解除されています。
クラフト:工芸品、民芸品、手芸品
『第11章 平和をつくるバッグ』
ウガンダの工房:20人近いスタッフがいる。
仲本千津さんは、日本とウガンダを行ったり来たりしている。
UNHCR:ユーエヌエイチシーアール。国連難民高等弁務官事務所。難民の保護と支援をする国連の組織。難民:武力紛争や戦争などから他国に逃げてきた人。
国境なき医師団:国際的緊急医療団体。非政府組織。非営利の医療、人道援助団体。
赤十字(せきじゅうじ):人道支援を目的とする団体。人道:じんどう。人として行うべき道。
アフリカの課題:貧困、女性差別。
仲本千津さんの意思、願いとして、『女性が「こうありたい自分」を実現できるように支えたい』
なかなかできないことです。
まずは、将来自分がなにをして生活を成り立たせていくのかをじっくり考えることでしょう。そのためには、人の話を聞いたり、本を読んだりするといいでしょう。
とりあえず27ページまで読みました。
読みながら感想をつぎ足していきます。
偉人伝、伝記のようです。
仲本千津さんという女性の方について、江口絵里さんが聞き取りをして文章をつくって、この本ができあがっています。
仲本千津(なかもと・ちづ):1984年生まれですから、40歳ぐらいの女性です。社会起業家。ブランド(特定の商品、品物のこと。会社、組織)RICCI EVERYDAY(リッチーエブリデイ)の共同創業者兼COO(シーオーオー。チーフ・オペレーティング・オフィス。組織の責任者という役職名)。ロングヘアの小柄な女性。いつも心に秘めている思いは、『人の命を救いたい』です。
仲本千津さんは、アフリカにあるウガンダの工房で、現地の女性たちと布製のカバンをつくって日本で販売しています。
仕事をするときの動機付けは大事です。気持ちの根っこに、『世のため人のために働く』と、強く思わないと、職場での不祥事につながります。
『仕事は楽で、給料が良くて、休みが多いほうがいい』とだけ思う人は、仕事の手順を省略したり、会社や同僚のお金をポケットに入れたりすることがあります。働く場所では、仕事仲間同士の信頼関係は、とてもだいじです。
仲本千津さんの母親である律江さん:会社名の由来です。律(りつ)から「り」と千津から「ち」で、『リッチーエブリデイ』という社名です。おかあさんも会社のスタッフのひとりです。
ウガンダ:東アフリカにある国。旧イギリス植民地(1962年(昭和37年)にイギリスから独立)。人口約4570万人。首都カンパラ。
43ページに詳しい記事があります。赤道直下だが、高地にあるので(標高が高い。平均標高1200mぐらい)、一年中、日本の初夏のような気候が続く。湿度が低く快適な環境にある。治安がいい。人々が穏やか(おだやか)。農作物がよくとれる。マンゴー、スイカ、くだもの、お米、トウモロコシ、牛肉、鶏肉(とりにく)など。暮らしやすい。
されどウガンダは、世界で最も貧しい国のひとつだそうです。『産業』が不足している。『観光業』はある。国民は、大学を出ても安定した仕事がない。
男性が働かない。男性は、おしゃべりとギャンブルをしている。女性が働く。女性はとても忙しい。ある意味、女性で社会が成り立っている。でも、女性の立場は弱い。浮気男や暴力を振るう夫がいる。離婚するので、シングルマザーが多い。母子家庭です。
『はじめに』があって、第1章から第11章まであって、『おわりに』で終わります。
ウガンダの布地(色鮮やか。アフリカンプリント)を素材にして、ミシンで布バッグを縫って(ぬって)、日本で販売する組織の運営をしている人です。
ウガンダ人の女性8人(シングルマザーが多い)が、ミシンの前に座って、作業をしているようすが書いてあります。
社会起業家:社会にある課題を、事業によって解決することに取り組む人。社会にある課題とは、『貧困』、『格差』、『差別』、『戦争』、『環境破壊』、『地球温暖化』などです。
こどもたちに、社会起業家になることを勧める本だろうか。それとも、社会起業家という職種もありますという情報を提供する本だろうか。
『第1章 社会起業家 仲本千津』、『第2章 「私、国連で働く』
6歳ぐらいのころのエピソードがひとつ書いてあります。すべり台をすべって、泥水の水たまりに頭からつっこんだというような勇敢な姿です。
仲本千津さんは、4人きょうだいの一番上だそうです。
静岡県生まれ、その後千葉県居住ののち小学4年生から、静岡県内で育ったそうです。
両親と祖母、4人きょうだいの7人家族です。
小学5年生のとき、医師になりたいと思った。『国境なき医師団』に入ろうと思った。
中学一年生のときに、洋画、『シンドラーのリスト』を観て、深い感銘を受けたそうです。
わたしもシンドラーのリストを何回か観ました。最初シンドラーは、けしていい人ではありませんでしたが、ナチス・ドイツが、ユダヤ人を迫害するようすを見て、これはおかしいと思い、収容所に収容されているユダヤ人を自分の工場で雇用して、最終的にたくさんのユダヤ人の命を救います。シンドラーは、金もうけという商売をしながら、自分の利益を確保しつつ、ばれたら自分もナチス・ドイツに殺されるかもしれないという危険をくぐりぬけて生き延びた人でした。
わたしが映画を観たときの感想の一部をここに落としてみます。
『商人と軍人との贈収賄(ぞうしゅうわい)の世界です。給料以外の金と酒とタバコと宝石とが世の中を動かしています。(軍人が商人から金銭や物品を不正に受け取って、商人に有利なはからいをする)。(軍人が)裁量(さいりょう。決める)する権限を物々交換で自由自在に操って私腹をこやす者たちがたくさんいます。
捕まえたユダヤ人を雇用する。ユダヤ人には人件費がいらない。まるで懲役刑のようです。彼らはシンドラーが設立したお鍋をつくる会社で働きます。拘束はされますが、命は助かります。
シンドラーに命を助けられた片腕のない老人がシンドラーに、『アイ ワーク ハード(シンドラーあなたのために一生懸命働きます)』、シンドラーが軍人に、『ヴェルリ ユースフル(彼は有益な人物です)』、されど、その後老人は射殺されてしまいました。(片腕のない人間は道具として工場で役に立たないから)。それは、シンドラーの人として守るべき道を優先しようという方向への心変わりとなる出来事のひとつでした。
金もうけのことしか考えていなかった悪人のシンドラーが、ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害の実態を見て、これではいけないと考え直して善人に変化していきます。人としてあるべき姿に目覚めたのです』
仲本志津さんは中学時代コーラス部に所属していた。学級委員、生徒会役員、部活の部長などリーダー的な役をやった。そのころのご本人の気持ちの持ち方として、『人の話をよく聞いて、それを実現する』というようなことが書いてあります。
緒方貞子(おがた・さだこ):国際政治学者。国際協力機構理事長。国連人権委員会日本政府代表。1927年(昭和2年)-2019年(令和元年)92歳没。
自分は長い間生きてきて、国連の職員として働いている人には一度だけ出会ったことがあります。ご近所に子どもさん連れのご家族で引っ越してこられて、話を聞いて、『国連』というところに就職するのにはどうやって試験などを受けるのだろうかとびっくりしました。その後数年たって、転居していかれました。
国際協力機構(JICAジャイカ)は、昨年秋、東京見物に行ったときに見学しました。中央線の市ヶ谷駅で降りて、坂道を上って行きました。『地球ひろば』を見学して、レストランで、そのとき提供されていたペルーのランチを食べました。おいしいというよりも、現地の人たちがふだん食べているもので、安価なふつうの味の主食という食事でした。
ジャイカの見学では、食事に加えて展示の内容も含めて、貧しい国を援助するということが、国際協力機構の果たす役割だと理解しました。
ウクライナへのロシアの攻撃を見ていて、国連(国際連合)の無力さを感じます。
国連は、そういう組織(集まり)があるというだけで、平和を成し遂げる機能を果たしていません。お役所的です。みための形が整っていればいいだけなのです。仕事はしていないけれど、仕事をしているふりをしていれば、給料がもらえて、自分の地位が保たれるのです。よくある話です。
仲本千津さんは、早稲田大学で、『国際関係論』を学んで、一橋大学大学院に進まれて、アフリカのサブサハラ(サハラ砂漠より南。アフリカの南部)で起きていた民族紛争を研究されています。
アフリカがヨーロッパの植民地だったことが書いてある本を読んだことがあります。アフリカの国境というのは、直線的なのですが、その土地の国民が引いた線ではなくて、よそから来た外国人が現地の人たちの意向とは関係なく引いた線だというものでした。
現地に住んでいるアフリカの人たちにとっては、意味のない国境線だったのです。
19世紀の中ごろから、イギリス、フランス、ドイツなどが、アフリカの地域を植民地にしたのです。その後、アフリカの国々として独立しています。民族ごとに国ができあがっていないので、民族紛争があるそうです。民族紛争はかなり深刻なようすです。
読んでいて思い出した本が一冊あります。
『インパラの朝 中村安希 集英社』読んだ時の感想の一部です。
この本は旅行記です。作者が26歳から28歳までの2年間、ユーラシア大陸からアフリカ大陸を女ひとり、バックパッカーとして旅をした記録です。
作者のテーマは、『貧富の差を目の当たりにすること(まのあたり)』そして、人間にとって大事なことは、『自由』であることです。『自由』とは、移動の自由です。旅であり、住む場所の選択でもあります。加えて、日本の国際貢献活動に関する批判があります。
予算の消化、派遣数の確保、宣伝のために、現地の人たちが望まない援助を無理やり押し付けている。これに対する作者の怒りは正当であり、正義があります。何ができるのか、真実をつきとめたいという若さがみなぎっています。
『援助』は、現地住民の平衡感覚を狂わせる。学校が建っても裕福なこどもしか通えない。ねたみ、そねみ、嫉妬(しっと)、対立が始まり、やがて『援助』が原因で地域内紛争が始まる。
外国人の日本人の性質に対する評価は低い。(厳しいご指摘です。援助は大切ですが、やり方を考えないと現地で暮らす人たちの迷惑になります)
-読後の記録が残っていないのですが、たしかこの本に次のようなことが書いてあった記憶です。
アフリカのジャングルの中で道に迷って一夜を過ごした。翌朝、現地住民に出会った。恐怖と不安で心が震えた。そしたら、みんなとても親切にしてくれた。みんな優しかった。
作者は、日本に自分の居場所がなかったから海外へ出た。作者が知ったのは、世界の国々に住む人たちは、お互いを知ろうとせず、マスメディア等でつくられたイメージで相手を判断する。おおいなる勘違いで世界が成り立っている。
そんなことが書いてあった記憶です。人間は本来、心優しい生き物なのです。いろいろな欲が入り混じると鬼になるのです。
こちらの本では、49ページに、支援されたほうが支援先に依存してしまうから、『自立』できる支援が大事だと書いてあります。国の上下関係、人間の上下関係はつくりたくないようすです。
さて、仲本千津さんは、大学院一年生の終わりに、アメリカ合衆国で栃迫篤昌(としさこ・あつまさ)さんという起業家に会い、彼が行っていた開発途上国の人を助けるビジネスを知ります。今後の進路を決めるきっかけがあった時です。
仲本千津さんは、大学院を二年生で修了し、大手銀行へ就職します。
27ページまで読みましたが、少ないページのなかに、大量の情報が入っている文章の書き方です。こどもさんが読むのには、ついていくのがたいへんかもしれません。
『第3章 銀行からアフリカ支援NGOへ』
NGO:非政府組織。市民が主体。営利を目的としない活動。ノン・ガヴァメンタル・オーガニゼーションズ。世界的な問題に取り組む。貧困、飢餓、環境などに取り組む市民団体のこと。
(つづく)
56ページまで読み終えました。
う~む。仕事の選択に関する小学校高学年向きの本なのでしょうが、一般的ではありません。
特殊な職業選択です。なかなか真似(まね)はできません。
第3章のはじめのところに書いてありますが、仲本千津さんは、大手銀行に就職したあと、業務内容が自分の望むものではなかったということで退職されています。
ひとつは、制服職場であることが理由でした。銀行に限らず、制服を着用して働く職場は、上司からの職務命令と、従業員の服従が基本で仕事を進めていきます。
従業員は、機械の歯車のようなものです。組織の上層部から言われたことを言われたとおりにやっていきます。
そうすれば、毎月決まった日に決まった給料がもらえます。ボーナスももらえます。たいていは退職金ももらえます。福利厚生があって、年金も本人負担と事業主負担(同額)分を納めることで、国民年金よりも多い額で年金の受給ができます。医療保険もあります。病気になったとき、安心して病院にかかることができます。そしてたいてい従業員は、一度や二度は、大きな病気やケガで入院をしたりもします。そうなっても、従業員の立場を守る規則があります。
組織目標は(会社の目標は)、まずは社会貢献ですが、大きな目標として、利潤の追求(りじゅんのついきゅう。お金を稼ぐ(かせぐ))ということがあります。お金がなければ会社や組織を維持していくことができません。
営利目的の組織で働く時には、自分ではない自分のようなものを演じて働きます。仕事用の自分を演じます。立場に応じてものを言います。かなり苦しいです。でも、お金をもらって、生活していかなければなりません。家族がいれば、家族を養っていかなければなりません。
人間にはふたつのタイプがあります。雇われて生活していく人と、自営で働いていく人です。
仲本千津さんは、自営で働いていくことにされました。
ご自分では銀行に就職されて、『やばっ! 私、まちがったところに来ちゃった……』と気づかれています。
仲本千津さんは、『決められた通りに、確実にやること』ができません。銀行職場には場違いの資質と能力の持ち主でした。
仕事を選ぶ時は、よ~く考えたほうがいい。わたしは、仕事は、才能と努力と人間関係だと思っています。自分は何だったらできるか、どんな苦痛だったら耐えられるか(仕事は苦痛に耐えるという面があります)、よ~く考えて仕事を選んだほうがいいです。
仲本千津さんは、三年間ぐらい銀行で働かれたあと、自分が希望する職に転身されています。
最近は、就職後すぐに辞めてしまう大卒の人が多い。
仕事を辞めて、食べていける(生活できる)ということが不思議です。親の援助でもあるのでしょうか。それとも、わざわざ正社員の職を捨てて、アルバイト生活を選択するのでしょうか。老齢である自分の世代にとっては不可解です。人生においては、なるべく無職の期間を短くすることが、生涯獲得賃金を十分確保するコツです。老後に受け取る年金の受給額にも影響してきます。若い頃はそういったことがわかりません。あとになって後悔します。
雇う側の立場として、ひとこと書いておきます。人、ひとり雇うのでも、時間と経費と手間がかかっています。この会社で働きたいと言ってきたから採用したのに、短期間で辞められたら、雇うほうにとっては、採用までに費やした、時間、経費、手間が水の泡です。損失が出ます。採用後の研修計画の実施にも変更がいります。ちゃんと手順を踏んだ段取りがしてあるのです。新人に仕事を教える先生役もあらかじめ決めてあります。
そして、仕事を辞めた人間にはわからないことでしょうが、辞めたあとのポスト(職)に欠員が出てしまいます。辞めた人の代わりはそうそう簡単には見つかりません。欠員となったひとり分の仕事量をほかの人たちでやらなければならなくなります。やりたくもない残業、やるはずでなかった残業を、在籍している従業員たちが、ぶつぶつ文句を言いながらやることになります。チームワークが乱れます。新規採用の早期退職は、まわりの人たちにたくさん迷惑をかけることに気づいておいてほしい。
あわせて、年休は全部消化してから辞めますとか、夏のボーナスをもらってから辞めますなどと言われると、仕事もしていないのにお金と休みだけもらって辞めるのか、バカヤローとなります。
それでも辞めるのなら引き止めませんが、みんな、あいつの顔は二度と見たくないと思うでしょう。
次の仕事がすんなり見つかるとも思えません。履歴書を見て、なぜ短期間でやめたのかという話になります。ああ、この人は仕事が続かない人だと判断されて、以降の求職活動では不採用になる可能性が高いでしょう。どこの会社や組織でも、負の財産になりそうな人は雇いません。自分のことだけ考えて、会社に貢献する意志がない人は雇えません。
2011年3月11日に起きた東日本大震災のことが書いてあります。
『死』を意識します。
仲本千津さんの中で、自分はいつ死ぬかわからないから、後悔のないような職業選択をしようという気持ちが湧いてきます。
小暮さん(こぐれさん):テーブル・フォー・ツー代表
凡人には、大学院に行ったり、アフリカに行ったりということはなかなかできません。発想すらしません。
笹川アフリカ協会(ささかわアフリカきょうかい):農業で、アフリカの貧困を救う。
英語はガッツで話せるようにしたというようなことが書いてあります。
鮫島弘子(さめじま・ひろこ):途上国で作った商品を先進国の人に売るビジネスをしている。バッグのブランドをつくった。エチオピア特産の羊の革(かわ)で高品質なバッグをつくり日本で売る。仲本千津さんは、鮫島弘子さんと行動を共にします。
プロボノ:ボランティア。社会人経験、専門技術、知識のある人が、そのスキル(技術)を使ってボランティア活動をする。
師弟関係は仕事を身に着けるうえで必要な手段でしょう。教えてもらわないとできないことってあります。鮫島弘子さんが師匠で、仲本千津さんが弟子(でし)です。ファッション業界で事業をしていく手法を学びます。鮫島弘子さんの会社名が、『アンドゥアメット』。
メンター:自分の悩みや夢を聞いてくれる人。相談にのってくれる人。
仲本千津さんは、笹川アフリカ協会の配慮で、ウガンダ駐在員になりました。任期は一年以上です。
『第4章 起業』
仲本千津さんのウガンダ・首都カンパラでの生活スタートです。
母国語が英語ではないところの人が話す英語は聞き取りやすくわかりやすい。記号のようなものです。
60年ぐらい前の日本のいなかの暮らしに似ています。いなかでは、畑があって自給自足の暮らしがベースにありました。都市部で生活するには買い物をしなければならないのでお金がいります。
こどもの世話も田舎(いなか)なら、親族や近所の人に頼めましたが、都市部ではお金を出してどこかに預けなければなりません。
カンパラは都市部なので、お金がいります。シングルマザーたちには負担です。
いなかでの燃料は、豆炭、練炭(れんたん。七輪を使用していました(しちりん)、薪(まき))など、都市部では光熱費がいります。また、家賃がいります。
競争社会ではとかく弱者がおいてきぼりにされます。女、こども、高齢者、障害者などがおいてきぼりです。
仲本千津さんの願いは、人のためになる仕事をしたいことです。
仲本千津さんは、色鮮やかなアフリカンプリントに目を付けました。
布地を買ってきて、オーダーメイドで服をつくって、日本で売るという商売を思いつきます。おおもとの気持ちは、シングルマザーでがんばっている地元の主婦を応援するためです。
グレース・ナカウチ:自分のこども3人と亡姉のこども1人、ひとりで4人の子育てをしているシングルマザー。手先が器用(きよう。細かい作業をじょうずにできる)。
ウガンダの人は、お金で学歴を買う面があります。まあ、日本も同様ですが。
経済的な事情で、学力、能力があっても学校に行けない人たちが多いそうです。
ウガンダは、豚(ぶた)がお金代わりになる社会です。一度に8匹ぐらいの子豚が生まれる。子豚はお金になるそうです。子豚を売って学費にあてるそうです。
投資として豚を飼う。
先日読んだ長崎県を舞台にした本にも同類のことが書いてありました。豚ではなく、ニワトリでした。
『ニワトリと卵と、息子の思春期 繁延あづさ(しげのぶ・あづさ) 婦人之友社』以下、感想の一部です。
自立したいという、お子さんの反抗期の始まりがあります。
これまでは、おかあさんの言うことをきいてきた。でも、これからは、おかあさんのいうことをききたくないのです。母は母で、どう対応したらいいのかわからず悩みます。まっこうからダメと言えなくて、条件闘争になったりもします。(そうしたかったら、こういう条件をのみなさいというパターンです) 『お母さんがなんと言おうと、オレは放課後ゲームを買いに行く!』強い主張があります。オレの人生はオレのもので、お母さんのものではない。オレの人生をお母さんが支配することはできないというこどもさんからの強い主張が母親に対してあります。オレのことはオレが一番わかる。オレのことは、お母さんにはわからない。
ゲーム機を買うと吠えていた(ほえていた)ご長男が、ゲーム機ではなく、ニワトリを買ったというところがおもしろいエピソードです。理由は、卵がとれるからでした。
スーザン・アグーチ:従業員のひとり。バッグをつくってもらった。縫製(ほうせい。ミシンで縫ってつくる)の技術が高い女性だそうです。
ナジェラマ・サラ:革を縫う技術をもった女性。
雇う側の仲本千津さんの心の持ち方が書いてあります。『この人たちがいなかったら事業が成り立たない、対等のパートナー』として、三人のウガンダ人女性と接する。『従業員の生活に責任を負う経営者』になる。
『第5章 おかあちゃん 百貨店飛び込み営業事件』
ハンドメイドの生産です。(てづくり)。内職仕事のようでもあります。(主婦が、家事の合間に家でする仕事)。アフリカのシングルマザーを支援するバッグのビジネスを始めます。かわいそうな人たちが作ったバッグではない。同情で一度だけ買ってもらうバッグではなく、“サステナブル(持続可能な)”なビジネスにする。
実のお母さんにスタッフに入ってもらう。
アフリカンプリントの布地でバッグをつくって売る商売に参加してもらいます。
バイヤー:商品の買い付けや商品管理の仕事をする人
ポップアップストア:期間限定の特設ショップ
農業支援の仕事を辞めて、バッグ作りと販売に専念する。
レベッカアケロ:ウガンダでの会社組織名。仲本千津さんのウガンダ名からきているそうです。アケロが、『幸運』で、幸運を呼ぶ女性という意味だそうです。バッグの商品名が、『アケロバッグ』です。そこまでたどり着くまでに4年がかかりました。
『第6章 原石が宝石に変わるとき』
最初のうちは、バッグに不良品もあったそうです。根気よくやり直します。
ウガンダには、健康保険制度(みんなで、保険料を納めて、いざというときに保険料から医療費を支払う)がなく、借金をしてその場をしのぐそうです。
従業員の医療費を会社で出す。(年間限度額あり)
会社のお金を自分のポケットに入れてしまう人がいるそうです。本にも書いてありますが、盗んだお金で生活を続けることは容易ではありません。盗むことを仕事にするよりも、ちゃんと毎日働く方がお金になります。盗んだお金は一時的な収入でしかありません。
給料だけでは、従業員の確保がむずかしい。医療費支援や無利子のローンを提供したそうです。経営する人と雇われる人の間に信頼関係を築きます。
相場よりも高い給料も払います。
工房で働く現地女性の生活が豊かになっていきます。
『第7章 罪深きファッション産業』
「大量に作って大量に捨てる」やり方を問題視されています。
自然環境に悪影響を与えている面もあるそうです。「染料」とか、化学薬品の使用です。
大手のファストファッションブランドは、大量に作って、売れ残りを大量に捨てるそうです。
大量生産、大量消費、大量廃棄のサイクルがあるそうです。
いろいろ課題は多いです。
中国やインドから、コピー商品がウガンダに入ってくるそうです。布地の質が落ちるそうです。
西アフリカのガーナに、アフリカンプリントの工場がある。ウガンダとガーナの間は飛行機で10時間以上もかかるそうです。アフリカはなんて大きな大陸なのでしょう。
材料費はかかるけれど、本物のアフリカンプリントを仕入れていいものを作ります。
エシカル:倫理的という意味。エシカル消費は、①環境にダメージを与えていない。②その会社で働く人を苦しめていないというような商品をつくる。
『生産現場』のことが書いてあります。
ウガンダでは、劣悪な環境の中で労働者が働いているそうです。安い給料で長時間労働です。
政府に頼っても動いてくれないようです。
仲本千津さんは、快適な生産現場(職場)をつくって、インターネットで公開する取り組みをされています。お客さんから、いい商品をつくってくれてありがとうの声が労働者に届きます。働く張り合いがあります。
インスタライブ:インスタグラムを使って、リアルタイムで配信ができる機能。
『第8章 ウガンダのために、日本のためにも』
アフリカンプリントは、もとは、ヨーロッパ生まれだそうです。
ウガンダ生まれの素材を使ってものづくりをしたい。
『バークロス』:木からつくる。スエードのような革のような素材。不思議な風合い(ふうあい:手ざわり、感触、見た目、着心地など)がある。木の幹からとれる布。木は、『ムトゥバ』という種類。木の幹をはいで、素材にする。
マサカ:バークロスづくりで有名な土地。首都カンパラから車で、何時間もかかる。
大島紬(おおしまつむぎ):テレビ番組、『東野・岡村の旅猿 プライベートでごめんなさい』で、奄美大島ロケのときに、工程を観ました。泥で黒く染めた織物です。黒いバークロスは泥で染めるそうです。黒、白(もともとの色のようです)、茶色(日光にあてる)がある。バークロスでバッグをつくって売る。作り方の手法を知っている首都カンパラ在住ベルギー人女性エバと一緒に考える。できあがった商品に、『エバ・バッグ』と名づけました。
やりたいと思っていないことを仕事としてやっていくか、自分のやりたいことを仕事としてやっていくかというような迷いと選択のことが書いてあります。人はたいていやりたくないことをやってお金をもらうことでがまんしています。まずは、生活していくことが優先なのです。
テーブル・フォー・ツー(ふたりのための食卓。こどもたちが食事を分かち合う):途上国の課題と先進国の課題を同時に解決するビジネスのあり方。
『第9章 救えなかった命』
暗い話です。仲本千津さんの弟さんが、2歳のときに川遊び中、水の事故で亡くなっています。仲本千津さんは10歳でした。
こどもの事故は一瞬で起きるので、目を離さないようにしなければなりません。うちの息子も幼児のときに片足を大やけどしたことがあります。長いこと通院しました。まだ小さかったので、やけどのあとは消えました。ホッとしましたが、親として深く後悔しました。こどもが小さい時は、外へはあまり出歩かないほうが安全です。とくに水のそばと火のそばは危険です。キャンプやバーベキューは要注意です。車を動かすときにも車のそばに幼児がいないか注意を払います。最近のニュースだと、マンションの上階から幼児の転落事故などがあることを聞きます。
仲本千津さんとお母さんの律江さんは、会社リッチーエブリデイの創業日を、弟の大毅(だいき)さんの命日である8月26日にされました。みんなでがんばります。
『第10章 夢見る力』
2019年(令和元年)5月、代官山(東京都渋谷区)で直営ショップのオープンです。
2020年(令和2年)3月下旬、コロナ禍の影響が出始めます。ウガンダはロックダウンになってしまいました。仲本千津さんは、会社の倒産が心配です。工房スタッフに出勤しなくても給料は払う。3か月後にはロックダウンは終わると予想している。(そうしないと、優秀な従業員が離れて行ってしまう)。1か月半後に、ロックダウンが解除されています。
クラフト:工芸品、民芸品、手芸品
『第11章 平和をつくるバッグ』
ウガンダの工房:20人近いスタッフがいる。
仲本千津さんは、日本とウガンダを行ったり来たりしている。
UNHCR:ユーエヌエイチシーアール。国連難民高等弁務官事務所。難民の保護と支援をする国連の組織。難民:武力紛争や戦争などから他国に逃げてきた人。
国境なき医師団:国際的緊急医療団体。非政府組織。非営利の医療、人道援助団体。
赤十字(せきじゅうじ):人道支援を目的とする団体。人道:じんどう。人として行うべき道。
アフリカの課題:貧困、女性差別。
仲本千津さんの意思、願いとして、『女性が「こうありたい自分」を実現できるように支えたい』
なかなかできないことです。
まずは、将来自分がなにをして生活を成り立たせていくのかをじっくり考えることでしょう。そのためには、人の話を聞いたり、本を読んだりするといいでしょう。
2024年05月18日
東京証券取引所 日本橋 貨幣博物館 日本銀行
東京証券取引所 日本橋 貨幣博物館 日本銀行
昨年秋に訪れて、『株式投資』のカテゴリー(項目)に入れていた記事の一部分について、観光案内を目的として、カテゴリー『東京』にも再掲しておきます。
最初に見学したのは、東京証券取引所です。東証アローズです。
無料で見学ができました。写真撮影もできました。そこそこの人数の見学者がありました。外国の人も見学されていました。
なんというか、いい職場だなーーと勝手な解釈をしました。静かです。見学者の人たちはどなたも上品そうです。
医療とか福祉の仕事だと、生きるか死ぬかで悩んだり、すったもんだしたりするのですが、お金扱いのことだけなら生きるか死ぬかまではいかないので安心な仕事だと、熊太郎夫婦は見学を終えて話をしたのでした。こちらは、『損か得か』の世界です。
次の写真は、儀式の時に鳴らす鐘です。
次のパネル写真は、大河ドラマの素材になった渋沢栄一さんです。
以前本を読んだことがあります。『現代語訳 論語と算盤 渋沢栄一 守屋淳・訳 ちくま新書』渋沢栄一:1840年(天保11年)-1931年(昭和6年)91歳没 1968年が明治元年 農家、武士、官僚、実業家、慈善家。この本は、渋沢栄一さんが書いたものではなく、渋沢栄一さんの講演の口述をまとめたものだという説明が冒頭にあります。
渋沢栄一さんは、「近代日本の設計者の一人」と「はじめに」の記述にあります。設立に関わった会社が481社、500以上の慈善事業に関わった。
資本主義は、金もうけが推進力だから、ときに、大きな惨事を引き起こす。バブル経済の崩壊、金融危機があったとあります。それにブレーキをかけるのが孔子の「論語」とあります。「人はどう生きるべきか」を前提にして経済活動を行う。
先日三重テレビで放送されている株式の番組『東京マーケットワイド』を観ていたときに、次の写真のまんなかにある空間で上場の儀式が行われていました。エスカレーターをおりて、わたしたち夫婦もその場所に立ってみました。とても静かでした。
見学を終えて川沿いに歩き始めたら、『兜神社(かぶとじんじゃ)』がありました。
世界が平和で、みんながお金持ちになりますようにと、おさいせんを100円入れてお参りしておきました。
日本橋のモニュメントです。橋の欄干(らんかん)にある青銅の麒麟像(きりんぞう)です。モニュメント:記念碑(きねんひ)
日本銀行と道をへだてて建っている『貨幣博物館』を見学しました。無料です。手荷物検査があります。館内の写真撮影はできません。
孫たちが好きな『人生ゲーム』が、ガラス張りの中にある棚に展示してあったので、ひっくりかえるほどびっくりしました。ただし、孫の人生ゲームは、ドラえもん版の人生ゲームです。細長い紙の箱に、おもちゃのお札が種類別に差し込んであるつくりはいっしょです。
館内では、貨幣の歴史が詳しく、実物を展示しながら説明がなされていました。小判とか紙幣とか、外国のものも含めて展示があります。けっこうたくさんの人が見学されていました。
貨幣博物館の出入口付近から日本銀行の建物を撮影しました。木の枝がいっぱいでうまく撮影できませんでした。
事前予約で日銀の見学ができるそうなので、いつか中を見学したいものです。
東京は、狭い区域の中にぎっしりとたくさんのものが凝縮されています。
便利ではありますが、少し疲れます。
昨年秋に訪れて、『株式投資』のカテゴリー(項目)に入れていた記事の一部分について、観光案内を目的として、カテゴリー『東京』にも再掲しておきます。
最初に見学したのは、東京証券取引所です。東証アローズです。
無料で見学ができました。写真撮影もできました。そこそこの人数の見学者がありました。外国の人も見学されていました。
なんというか、いい職場だなーーと勝手な解釈をしました。静かです。見学者の人たちはどなたも上品そうです。
医療とか福祉の仕事だと、生きるか死ぬかで悩んだり、すったもんだしたりするのですが、お金扱いのことだけなら生きるか死ぬかまではいかないので安心な仕事だと、熊太郎夫婦は見学を終えて話をしたのでした。こちらは、『損か得か』の世界です。
次の写真は、儀式の時に鳴らす鐘です。
次のパネル写真は、大河ドラマの素材になった渋沢栄一さんです。
以前本を読んだことがあります。『現代語訳 論語と算盤 渋沢栄一 守屋淳・訳 ちくま新書』渋沢栄一:1840年(天保11年)-1931年(昭和6年)91歳没 1968年が明治元年 農家、武士、官僚、実業家、慈善家。この本は、渋沢栄一さんが書いたものではなく、渋沢栄一さんの講演の口述をまとめたものだという説明が冒頭にあります。
渋沢栄一さんは、「近代日本の設計者の一人」と「はじめに」の記述にあります。設立に関わった会社が481社、500以上の慈善事業に関わった。
資本主義は、金もうけが推進力だから、ときに、大きな惨事を引き起こす。バブル経済の崩壊、金融危機があったとあります。それにブレーキをかけるのが孔子の「論語」とあります。「人はどう生きるべきか」を前提にして経済活動を行う。
先日三重テレビで放送されている株式の番組『東京マーケットワイド』を観ていたときに、次の写真のまんなかにある空間で上場の儀式が行われていました。エスカレーターをおりて、わたしたち夫婦もその場所に立ってみました。とても静かでした。
見学を終えて川沿いに歩き始めたら、『兜神社(かぶとじんじゃ)』がありました。
世界が平和で、みんながお金持ちになりますようにと、おさいせんを100円入れてお参りしておきました。
日本橋のモニュメントです。橋の欄干(らんかん)にある青銅の麒麟像(きりんぞう)です。モニュメント:記念碑(きねんひ)
日本銀行と道をへだてて建っている『貨幣博物館』を見学しました。無料です。手荷物検査があります。館内の写真撮影はできません。
孫たちが好きな『人生ゲーム』が、ガラス張りの中にある棚に展示してあったので、ひっくりかえるほどびっくりしました。ただし、孫の人生ゲームは、ドラえもん版の人生ゲームです。細長い紙の箱に、おもちゃのお札が種類別に差し込んであるつくりはいっしょです。
館内では、貨幣の歴史が詳しく、実物を展示しながら説明がなされていました。小判とか紙幣とか、外国のものも含めて展示があります。けっこうたくさんの人が見学されていました。
貨幣博物館の出入口付近から日本銀行の建物を撮影しました。木の枝がいっぱいでうまく撮影できませんでした。
事前予約で日銀の見学ができるそうなので、いつか中を見学したいものです。
東京は、狭い区域の中にぎっしりとたくさんのものが凝縮されています。
便利ではありますが、少し疲れます。
2024年05月17日
さよならプラスチック・ストロー ディー・ロミート文
さよならプラスチック・ストロー ディー・ロミート文 ズユェ・チェン絵 千葉茂樹・訳 光村教育図書
これから読みながら文章をつくりますが、地球環境を守ろうという呼びかけの本でしょう。
プラスチックが、地球上でゴミとなって、分解されずに(土に戻らない)、生物に対して悪い影響を及ぼしています。生物が死んじゃいます。
そんな話が始まるのでしょう。
5000年以上前に地球上にいた古代シュメール人が、いまでいうところのストローがなくて困っていたという話から始まります。
その部分を読んで思い出した一冊があります。
『一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書 ムンディ先生こと山﨑圭一 SBクリエイティブ』
メソポタミア文明(『メソポタミア』は、『川の間の土地』という意味らしい)。ティグリス川とユーフラテス川にはさまれた現在のイラクに昔いた民族の文明です。
アッカド王国と古バビロニア王国があります。シュメールの都市国家として、『ウルク』と『ウル(この絵本では、ウルの女王であった「女王プアビ」のことが書いてあります)』があります。約6000年前にメソポタミア文明が成立したと書いてあります。
シュメール人の土木に関する技術が非常に高度だった。シュメール人は、高さ20mのジックラド(聖塔)を建てた。
さて今読んでいるこの絵本では、シュメール人がつくったビールを飲むのに、ビールの上に麦の殻(から)や、かけらが浮いていて飲みにくかったとあります。ビールの底には、おり(かす)が沈んでいた。
シュメール人には、知恵があったようで、いろいろ工夫しています。シュメール人が、世界で最初の文字を考案した。農作業用の鋤(すき)をつくった。帆船や車輪を発明したとあります。
ストローがわりに、植物の『葦(あし)』を使うことを発案したとあります。
『人間は考える葦である』という言葉を思い出しました。フランスの思想家・哲学者パスカル(1623年-1662年39歳没)の言葉です。人間は葦のように弱弱しいけれど、考えることができるという意味だそうです。考えることができるということは、偉大な力をもっているということらしい。(言葉の意味は、自分には、ちょっとよくわかりません。いずれにしても、シュメール人は、ストローの役割をするものを考え出しました。そして、葦(あし)のストローは、使わなくなれば、自然界にかえるのです)(その後:人間は考えることで、『無限の可能性をもっている』けれど、『人間の力は有限(限りがある)でもある』という表現だそうです。葦(あし)はちっぽけなのです)
絵本の表紙では、海鳥やウミガメが、海に捨てられたストローで困っています。かれらにとって、ストローが命を落とす原因になっているからです。
人間はわがままです。自分たちだけがいい思いをすれば、ほかの生き物はどうなろうと、知ったこっちゃないという気持ちで生活しているのです。
理科の本みたいです。
中国でワインを飲むときに使用した、『植物のくき』とか、南アメリカでお茶を飲むときに使用した、『ボンビージャ』という金属のチューブが書いてあります。
1800年代で、ライ麦のくきが使われています。
ストロー=稲や麦など穀物のくきだそうです。
アメリカのマービン・ストーンという人が、紙をくるくると丸めてのりでとめて、自前のストローを考案します。考えたら、簡単なことでした。1888年に特許をとって、事業化しています。さぞやもうかったことでしょう。『人造ストロー』です。
日本のことは書いてありませんが、日本人の頭脳だって優秀ですから、ストローぐらいのことは、昔の日本において、考案できていたと想像します。
ストローの歴史紹介です。
まっすぐなストローは飲みにくい。発明家のジェゼフ・フリードマンと彼の娘のジュディスが、ミルクシェークを飲むことをきっかけにして、曲がるストローをつくりだしています。
1937年(日本だと、昭和12年)に、『ドリンキング・チューブ』と名づけて特許をとっています。それでもすぐには売れなかった。10年ほどがたって、病院で使用が始まった。さらに10年ぐらいがたって、1960年代にプラスチックのストローが世界中に普及した。なにせ、ストローは便利です。
やがて、使い捨てのプラスチック製品が地球環境を破壊するものとして問題になります。
プラスチックには、『生分解性』がない。土にかえらない。自然に腐らない(くさらない)。水にとけない。
プラスチック製品が捨てられて、海にたどりついて、海で暮らす生き物たちの命を奪っていく。
利用する人間にも問題があるのでしょうが、そういうものをつくって、お金もうけをする人間に問題があります。
『ストローをやめて海を守ろう』
『ストローをなくそう』
そう考える人間もいます。人間は考える葦(あし)なのです。
2011年にマイロ・クレスという少年が、『ストローをなくそう』というキャンペーンを始めたそうです。キャンペーン:宣伝活動
絵本にはいろんなストローの絵があります。竹のストロー、紙のストロー、金属製のストローなどです。
絵本のタイトルどおり、『さようならプラスチック・ストロー』です。
地球環境保護のための啓発本です。けいはつ:教えて、理解してもらえるよう導くこと。
ウミガメの鼻につまったプラスチック製のストローを引き抜くシーンの動画があったそうです。
もうひとつは、太平洋のミッドウェー島に生息するコアホウドリの胃に、ぎっしりとプラスチックがつまっていたそうです。
3Rについて書いてあります。
地球環境を守るための行動指針です。(目標)
Reduce(リデュース):ゴミを減らす。
Reuse(リユース):再利用する。
Recycle(リサイクル):資源として再利用する。
もうひとつ、Refuse(リフューズ):必要がないものを断るとあります。
そういったことは、今言われ始めたことではなく、日本ではごみ処理問題が顕在化(けんざいか。表に出た)した2000年過ぎぐらいから、とても細かいごみの分別収集への取り組みがあったことを思い出しました。
ゴミ捨て場となる埋立地がごみで満杯になりそうで、大慌てになったことがありました。ごみの埋め立てをするための代替え地が見つからないのです。結局、人間はやりたい放題やると、自分たちの居場所までなくしてしまうのです。地球に住めなくなってしまいます。
これから読みながら文章をつくりますが、地球環境を守ろうという呼びかけの本でしょう。
プラスチックが、地球上でゴミとなって、分解されずに(土に戻らない)、生物に対して悪い影響を及ぼしています。生物が死んじゃいます。
そんな話が始まるのでしょう。
5000年以上前に地球上にいた古代シュメール人が、いまでいうところのストローがなくて困っていたという話から始まります。
その部分を読んで思い出した一冊があります。
『一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書 ムンディ先生こと山﨑圭一 SBクリエイティブ』
メソポタミア文明(『メソポタミア』は、『川の間の土地』という意味らしい)。ティグリス川とユーフラテス川にはさまれた現在のイラクに昔いた民族の文明です。
アッカド王国と古バビロニア王国があります。シュメールの都市国家として、『ウルク』と『ウル(この絵本では、ウルの女王であった「女王プアビ」のことが書いてあります)』があります。約6000年前にメソポタミア文明が成立したと書いてあります。
シュメール人の土木に関する技術が非常に高度だった。シュメール人は、高さ20mのジックラド(聖塔)を建てた。
さて今読んでいるこの絵本では、シュメール人がつくったビールを飲むのに、ビールの上に麦の殻(から)や、かけらが浮いていて飲みにくかったとあります。ビールの底には、おり(かす)が沈んでいた。
シュメール人には、知恵があったようで、いろいろ工夫しています。シュメール人が、世界で最初の文字を考案した。農作業用の鋤(すき)をつくった。帆船や車輪を発明したとあります。
ストローがわりに、植物の『葦(あし)』を使うことを発案したとあります。
『人間は考える葦である』という言葉を思い出しました。フランスの思想家・哲学者パスカル(1623年-1662年39歳没)の言葉です。人間は葦のように弱弱しいけれど、考えることができるという意味だそうです。考えることができるということは、偉大な力をもっているということらしい。(言葉の意味は、自分には、ちょっとよくわかりません。いずれにしても、シュメール人は、ストローの役割をするものを考え出しました。そして、葦(あし)のストローは、使わなくなれば、自然界にかえるのです)(その後:人間は考えることで、『無限の可能性をもっている』けれど、『人間の力は有限(限りがある)でもある』という表現だそうです。葦(あし)はちっぽけなのです)
絵本の表紙では、海鳥やウミガメが、海に捨てられたストローで困っています。かれらにとって、ストローが命を落とす原因になっているからです。
人間はわがままです。自分たちだけがいい思いをすれば、ほかの生き物はどうなろうと、知ったこっちゃないという気持ちで生活しているのです。
理科の本みたいです。
中国でワインを飲むときに使用した、『植物のくき』とか、南アメリカでお茶を飲むときに使用した、『ボンビージャ』という金属のチューブが書いてあります。
1800年代で、ライ麦のくきが使われています。
ストロー=稲や麦など穀物のくきだそうです。
アメリカのマービン・ストーンという人が、紙をくるくると丸めてのりでとめて、自前のストローを考案します。考えたら、簡単なことでした。1888年に特許をとって、事業化しています。さぞやもうかったことでしょう。『人造ストロー』です。
日本のことは書いてありませんが、日本人の頭脳だって優秀ですから、ストローぐらいのことは、昔の日本において、考案できていたと想像します。
ストローの歴史紹介です。
まっすぐなストローは飲みにくい。発明家のジェゼフ・フリードマンと彼の娘のジュディスが、ミルクシェークを飲むことをきっかけにして、曲がるストローをつくりだしています。
1937年(日本だと、昭和12年)に、『ドリンキング・チューブ』と名づけて特許をとっています。それでもすぐには売れなかった。10年ほどがたって、病院で使用が始まった。さらに10年ぐらいがたって、1960年代にプラスチックのストローが世界中に普及した。なにせ、ストローは便利です。
やがて、使い捨てのプラスチック製品が地球環境を破壊するものとして問題になります。
プラスチックには、『生分解性』がない。土にかえらない。自然に腐らない(くさらない)。水にとけない。
プラスチック製品が捨てられて、海にたどりついて、海で暮らす生き物たちの命を奪っていく。
利用する人間にも問題があるのでしょうが、そういうものをつくって、お金もうけをする人間に問題があります。
『ストローをやめて海を守ろう』
『ストローをなくそう』
そう考える人間もいます。人間は考える葦(あし)なのです。
2011年にマイロ・クレスという少年が、『ストローをなくそう』というキャンペーンを始めたそうです。キャンペーン:宣伝活動
絵本にはいろんなストローの絵があります。竹のストロー、紙のストロー、金属製のストローなどです。
絵本のタイトルどおり、『さようならプラスチック・ストロー』です。
地球環境保護のための啓発本です。けいはつ:教えて、理解してもらえるよう導くこと。
ウミガメの鼻につまったプラスチック製のストローを引き抜くシーンの動画があったそうです。
もうひとつは、太平洋のミッドウェー島に生息するコアホウドリの胃に、ぎっしりとプラスチックがつまっていたそうです。
3Rについて書いてあります。
地球環境を守るための行動指針です。(目標)
Reduce(リデュース):ゴミを減らす。
Reuse(リユース):再利用する。
Recycle(リサイクル):資源として再利用する。
もうひとつ、Refuse(リフューズ):必要がないものを断るとあります。
そういったことは、今言われ始めたことではなく、日本ではごみ処理問題が顕在化(けんざいか。表に出た)した2000年過ぎぐらいから、とても細かいごみの分別収集への取り組みがあったことを思い出しました。
ゴミ捨て場となる埋立地がごみで満杯になりそうで、大慌てになったことがありました。ごみの埋め立てをするための代替え地が見つからないのです。結局、人間はやりたい放題やると、自分たちの居場所までなくしてしまうのです。地球に住めなくなってしまいます。