2024年05月20日

アフリカで、バッグの会社はじめました 江口絵里

アフリカで、バッグの会社はじめました 寄り道多め仲本千津の進んできた道 江口絵里 さ・え・ら書房

 とりあえず27ページまで読みました。
 読みながら感想をつぎ足していきます。

 偉人伝、伝記のようです。
 仲本千津さんという女性の方について、江口絵里さんが聞き取りをして文章をつくって、この本ができあがっています。

 仲本千津(なかもと・ちづ):1984年生まれですから、40歳ぐらいの女性です。社会起業家。ブランド(特定の商品、品物のこと。会社、組織)RICCI EVERYDAY(リッチーエブリデイ)の共同創業者兼COO(シーオーオー。チーフ・オペレーティング・オフィス。組織の責任者という役職名)。ロングヘアの小柄な女性。いつも心に秘めている思いは、『人の命を救いたい』です。
 仲本千津さんは、アフリカにあるウガンダの工房で、現地の女性たちと布製のカバンをつくって日本で販売しています。
 仕事をするときの動機付けは大事です。気持ちの根っこに、『世のため人のために働く』と、強く思わないと、職場での不祥事につながります。
 『仕事は楽で、給料が良くて、休みが多いほうがいい』とだけ思う人は、仕事の手順を省略したり、会社や同僚のお金をポケットに入れたりすることがあります。働く場所では、仕事仲間同士の信頼関係は、とてもだいじです。

 仲本千津さんの母親である律江さん:会社名の由来です。律(りつ)から「り」と千津から「ち」で、『リッチーエブリデイ』という社名です。おかあさんも会社のスタッフのひとりです。

 ウガンダ:東アフリカにある国。旧イギリス植民地(1962年(昭和37年)にイギリスから独立)。人口約4570万人。首都カンパラ。
 43ページに詳しい記事があります。赤道直下だが、高地にあるので(標高が高い。平均標高1200mぐらい)、一年中、日本の初夏のような気候が続く。湿度が低く快適な環境にある。治安がいい。人々が穏やか(おだやか)。農作物がよくとれる。マンゴー、スイカ、くだもの、お米、トウモロコシ、牛肉、鶏肉(とりにく)など。暮らしやすい。
 されどウガンダは、世界で最も貧しい国のひとつだそうです。『産業』が不足している。『観光業』はある。国民は、大学を出ても安定した仕事がない。
 男性が働かない。男性は、おしゃべりとギャンブルをしている。女性が働く。女性はとても忙しい。ある意味、女性で社会が成り立っている。でも、女性の立場は弱い。浮気男や暴力を振るう夫がいる。離婚するので、シングルマザーが多い。母子家庭です。

 『はじめに』があって、第1章から第11章まであって、『おわりに』で終わります。

 ウガンダの布地(色鮮やか。アフリカンプリント)を素材にして、ミシンで布バッグを縫って(ぬって)、日本で販売する組織の運営をしている人です。
 ウガンダ人の女性8人(シングルマザーが多い)が、ミシンの前に座って、作業をしているようすが書いてあります。

 社会起業家:社会にある課題を、事業によって解決することに取り組む人。社会にある課題とは、『貧困』、『格差』、『差別』、『戦争』、『環境破壊』、『地球温暖化』などです。

 こどもたちに、社会起業家になることを勧める本だろうか。それとも、社会起業家という職種もありますという情報を提供する本だろうか。

『第1章 社会起業家 仲本千津』、『第2章 「私、国連で働く』
 6歳ぐらいのころのエピソードがひとつ書いてあります。すべり台をすべって、泥水の水たまりに頭からつっこんだというような勇敢な姿です。
 仲本千津さんは、4人きょうだいの一番上だそうです。
 静岡県生まれ、その後千葉県居住ののち小学4年生から、静岡県内で育ったそうです。
 両親と祖母、4人きょうだいの7人家族です。

 小学5年生のとき、医師になりたいと思った。『国境なき医師団』に入ろうと思った。
 中学一年生のときに、洋画、『シンドラーのリスト』を観て、深い感銘を受けたそうです。
 わたしもシンドラーのリストを何回か観ました。最初シンドラーは、けしていい人ではありませんでしたが、ナチス・ドイツが、ユダヤ人を迫害するようすを見て、これはおかしいと思い、収容所に収容されているユダヤ人を自分の工場で雇用して、最終的にたくさんのユダヤ人の命を救います。シンドラーは、金もうけという商売をしながら、自分の利益を確保しつつ、ばれたら自分もナチス・ドイツに殺されるかもしれないという危険をくぐりぬけて生き延びた人でした。
 わたしが映画を観たときの感想の一部をここに落としてみます。
 『商人と軍人との贈収賄(ぞうしゅうわい)の世界です。給料以外の金と酒とタバコと宝石とが世の中を動かしています。(軍人が商人から金銭や物品を不正に受け取って、商人に有利なはからいをする)。(軍人が)裁量(さいりょう。決める)する権限を物々交換で自由自在に操って私腹をこやす者たちがたくさんいます。
 捕まえたユダヤ人を雇用する。ユダヤ人には人件費がいらない。まるで懲役刑のようです。彼らはシンドラーが設立したお鍋をつくる会社で働きます。拘束はされますが、命は助かります。
 シンドラーに命を助けられた片腕のない老人がシンドラーに、『アイ ワーク ハード(シンドラーあなたのために一生懸命働きます)』、シンドラーが軍人に、『ヴェルリ ユースフル(彼は有益な人物です)』、されど、その後老人は射殺されてしまいました。(片腕のない人間は道具として工場で役に立たないから)。それは、シンドラーの人として守るべき道を優先しようという方向への心変わりとなる出来事のひとつでした。
 金もうけのことしか考えていなかった悪人のシンドラーが、ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害の実態を見て、これではいけないと考え直して善人に変化していきます。人としてあるべき姿に目覚めたのです』
 
 仲本志津さんは中学時代コーラス部に所属していた。学級委員、生徒会役員、部活の部長などリーダー的な役をやった。そのころのご本人の気持ちの持ち方として、『人の話をよく聞いて、それを実現する』というようなことが書いてあります。

 緒方貞子(おがた・さだこ):国際政治学者。国際協力機構理事長。国連人権委員会日本政府代表。1927年(昭和2年)-2019年(令和元年)92歳没。

 自分は長い間生きてきて、国連の職員として働いている人には一度だけ出会ったことがあります。ご近所に子どもさん連れのご家族で引っ越してこられて、話を聞いて、『国連』というところに就職するのにはどうやって試験などを受けるのだろうかとびっくりしました。その後数年たって、転居していかれました。
 国際協力機構(JICAジャイカ)は、昨年秋、東京見物に行ったときに見学しました。中央線の市ヶ谷駅で降りて、坂道を上って行きました。『地球ひろば』を見学して、レストランで、そのとき提供されていたペルーのランチを食べました。おいしいというよりも、現地の人たちがふだん食べているもので、安価なふつうの味の主食という食事でした。
 ジャイカの見学では、食事に加えて展示の内容も含めて、貧しい国を援助するということが、国際協力機構の果たす役割だと理解しました。

 ウクライナへのロシアの攻撃を見ていて、国連(国際連合)の無力さを感じます。
 国連は、そういう組織(集まり)があるというだけで、平和を成し遂げる機能を果たしていません。お役所的です。みための形が整っていればいいだけなのです。仕事はしていないけれど、仕事をしているふりをしていれば、給料がもらえて、自分の地位が保たれるのです。よくある話です。

 仲本千津さんは、早稲田大学で、『国際関係論』を学んで、一橋大学大学院に進まれて、アフリカのサブサハラ(サハラ砂漠より南。アフリカの南部)で起きていた民族紛争を研究されています。
 
 アフリカがヨーロッパの植民地だったことが書いてある本を読んだことがあります。アフリカの国境というのは、直線的なのですが、その土地の国民が引いた線ではなくて、よそから来た外国人が現地の人たちの意向とは関係なく引いた線だというものでした。
 現地に住んでいるアフリカの人たちにとっては、意味のない国境線だったのです。
 19世紀の中ごろから、イギリス、フランス、ドイツなどが、アフリカの地域を植民地にしたのです。その後、アフリカの国々として独立しています。民族ごとに国ができあがっていないので、民族紛争があるそうです。民族紛争はかなり深刻なようすです。

 読んでいて思い出した本が一冊あります。
 『インパラの朝 中村安希 集英社』読んだ時の感想の一部です。
 この本は旅行記です。作者が26歳から28歳までの2年間、ユーラシア大陸からアフリカ大陸を女ひとり、バックパッカーとして旅をした記録です。
 作者のテーマは、『貧富の差を目の当たりにすること(まのあたり)』そして、人間にとって大事なことは、『自由』であることです。『自由』とは、移動の自由です。旅であり、住む場所の選択でもあります。加えて、日本の国際貢献活動に関する批判があります。
 予算の消化、派遣数の確保、宣伝のために、現地の人たちが望まない援助を無理やり押し付けている。これに対する作者の怒りは正当であり、正義があります。何ができるのか、真実をつきとめたいという若さがみなぎっています。
 『援助』は、現地住民の平衡感覚を狂わせる。学校が建っても裕福なこどもしか通えない。ねたみ、そねみ、嫉妬(しっと)、対立が始まり、やがて『援助』が原因で地域内紛争が始まる。
 外国人の日本人の性質に対する評価は低い。(厳しいご指摘です。援助は大切ですが、やり方を考えないと現地で暮らす人たちの迷惑になります)
 -読後の記録が残っていないのですが、たしかこの本に次のようなことが書いてあった記憶です。
 アフリカのジャングルの中で道に迷って一夜を過ごした。翌朝、現地住民に出会った。恐怖と不安で心が震えた。そしたら、みんなとても親切にしてくれた。みんな優しかった。
 作者は、日本に自分の居場所がなかったから海外へ出た。作者が知ったのは、世界の国々に住む人たちは、お互いを知ろうとせず、マスメディア等でつくられたイメージで相手を判断する。おおいなる勘違いで世界が成り立っている。
 そんなことが書いてあった記憶です。人間は本来、心優しい生き物なのです。いろいろな欲が入り混じると鬼になるのです。

 こちらの本では、49ページに、支援されたほうが支援先に依存してしまうから、『自立』できる支援が大事だと書いてあります。国の上下関係、人間の上下関係はつくりたくないようすです。

 さて、仲本千津さんは、大学院一年生の終わりに、アメリカ合衆国で栃迫篤昌(としさこ・あつまさ)さんという起業家に会い、彼が行っていた開発途上国の人を助けるビジネスを知ります。今後の進路を決めるきっかけがあった時です。

 仲本千津さんは、大学院を二年生で修了し、大手銀行へ就職します。

 27ページまで読みましたが、少ないページのなかに、大量の情報が入っている文章の書き方です。こどもさんが読むのには、ついていくのがたいへんかもしれません。

『第3章 銀行からアフリカ支援NGOへ』
 NGO:非政府組織。市民が主体。営利を目的としない活動。ノン・ガヴァメンタル・オーガニゼーションズ。世界的な問題に取り組む。貧困、飢餓、環境などに取り組む市民団体のこと。

(つづく)

 56ページまで読み終えました。
 う~む。仕事の選択に関する小学校高学年向きの本なのでしょうが、一般的ではありません。
 特殊な職業選択です。なかなか真似(まね)はできません。
 第3章のはじめのところに書いてありますが、仲本千津さんは、大手銀行に就職したあと、業務内容が自分の望むものではなかったということで退職されています。
 ひとつは、制服職場であることが理由でした。銀行に限らず、制服を着用して働く職場は、上司からの職務命令と、従業員の服従が基本で仕事を進めていきます。
 従業員は、機械の歯車のようなものです。組織の上層部から言われたことを言われたとおりにやっていきます。
 そうすれば、毎月決まった日に決まった給料がもらえます。ボーナスももらえます。たいていは退職金ももらえます。福利厚生があって、年金も本人負担と事業主負担(同額)分を納めることで、国民年金よりも多い額で年金の受給ができます。医療保険もあります。病気になったとき、安心して病院にかかることができます。そしてたいてい従業員は、一度や二度は、大きな病気やケガで入院をしたりもします。そうなっても、従業員の立場を守る規則があります。
 組織目標は(会社の目標は)、まずは社会貢献ですが、大きな目標として、利潤の追求(りじゅんのついきゅう。お金を稼ぐ(かせぐ))ということがあります。お金がなければ会社や組織を維持していくことができません。
 営利目的の組織で働く時には、自分ではない自分のようなものを演じて働きます。仕事用の自分を演じます。立場に応じてものを言います。かなり苦しいです。でも、お金をもらって、生活していかなければなりません。家族がいれば、家族を養っていかなければなりません。
 人間にはふたつのタイプがあります。雇われて生活していく人と、自営で働いていく人です。
 仲本千津さんは、自営で働いていくことにされました。
 ご自分では銀行に就職されて、『やばっ! 私、まちがったところに来ちゃった……』と気づかれています。
 仲本千津さんは、『決められた通りに、確実にやること』ができません。銀行職場には場違いの資質と能力の持ち主でした。
 仕事を選ぶ時は、よ~く考えたほうがいい。わたしは、仕事は、才能と努力と人間関係だと思っています。自分は何だったらできるか、どんな苦痛だったら耐えられるか(仕事は苦痛に耐えるという面があります)、よ~く考えて仕事を選んだほうがいいです。
 仲本千津さんは、三年間ぐらい銀行で働かれたあと、自分が希望する職に転身されています。

 最近は、就職後すぐに辞めてしまう大卒の人が多い。
 仕事を辞めて、食べていける(生活できる)ということが不思議です。親の援助でもあるのでしょうか。それとも、わざわざ正社員の職を捨てて、アルバイト生活を選択するのでしょうか。老齢である自分の世代にとっては不可解です。人生においては、なるべく無職の期間を短くすることが、生涯獲得賃金を十分確保するコツです。老後に受け取る年金の受給額にも影響してきます。若い頃はそういったことがわかりません。あとになって後悔します。
 雇う側の立場として、ひとこと書いておきます。人、ひとり雇うのでも、時間と経費と手間がかかっています。この会社で働きたいと言ってきたから採用したのに、短期間で辞められたら、雇うほうにとっては、採用までに費やした、時間、経費、手間が水の泡です。損失が出ます。採用後の研修計画の実施にも変更がいります。ちゃんと手順を踏んだ段取りがしてあるのです。新人に仕事を教える先生役もあらかじめ決めてあります。
 そして、仕事を辞めた人間にはわからないことでしょうが、辞めたあとのポスト(職)に欠員が出てしまいます。辞めた人の代わりはそうそう簡単には見つかりません。欠員となったひとり分の仕事量をほかの人たちでやらなければならなくなります。やりたくもない残業、やるはずでなかった残業を、在籍している従業員たちが、ぶつぶつ文句を言いながらやることになります。チームワークが乱れます。新規採用の早期退職は、まわりの人たちにたくさん迷惑をかけることに気づいておいてほしい。
 あわせて、年休は全部消化してから辞めますとか、夏のボーナスをもらってから辞めますなどと言われると、仕事もしていないのにお金と休みだけもらって辞めるのか、バカヤローとなります。
 それでも辞めるのなら引き止めませんが、みんな、あいつの顔は二度と見たくないと思うでしょう。
 次の仕事がすんなり見つかるとも思えません。履歴書を見て、なぜ短期間でやめたのかという話になります。ああ、この人は仕事が続かない人だと判断されて、以降の求職活動では不採用になる可能性が高いでしょう。どこの会社や組織でも、負の財産になりそうな人は雇いません。自分のことだけ考えて、会社に貢献する意志がない人は雇えません。

 2011年3月11日に起きた東日本大震災のことが書いてあります。
 『死』を意識します。
 仲本千津さんの中で、自分はいつ死ぬかわからないから、後悔のないような職業選択をしようという気持ちが湧いてきます。

 小暮さん(こぐれさん):テーブル・フォー・ツー代表

 凡人には、大学院に行ったり、アフリカに行ったりということはなかなかできません。発想すらしません。
 
 笹川アフリカ協会(ささかわアフリカきょうかい):農業で、アフリカの貧困を救う。

 英語はガッツで話せるようにしたというようなことが書いてあります。

 鮫島弘子(さめじま・ひろこ):途上国で作った商品を先進国の人に売るビジネスをしている。バッグのブランドをつくった。エチオピア特産の羊の革(かわ)で高品質なバッグをつくり日本で売る。仲本千津さんは、鮫島弘子さんと行動を共にします。

 プロボノ:ボランティア。社会人経験、専門技術、知識のある人が、そのスキル(技術)を使ってボランティア活動をする。

 師弟関係は仕事を身に着けるうえで必要な手段でしょう。教えてもらわないとできないことってあります。鮫島弘子さんが師匠で、仲本千津さんが弟子(でし)です。ファッション業界で事業をしていく手法を学びます。鮫島弘子さんの会社名が、『アンドゥアメット』。
 メンター:自分の悩みや夢を聞いてくれる人。相談にのってくれる人。

 仲本千津さんは、笹川アフリカ協会の配慮で、ウガンダ駐在員になりました。任期は一年以上です。

『第4章 起業』
 仲本千津さんのウガンダ・首都カンパラでの生活スタートです。
 母国語が英語ではないところの人が話す英語は聞き取りやすくわかりやすい。記号のようなものです。
 60年ぐらい前の日本のいなかの暮らしに似ています。いなかでは、畑があって自給自足の暮らしがベースにありました。都市部で生活するには買い物をしなければならないのでお金がいります。
 こどもの世話も田舎(いなか)なら、親族や近所の人に頼めましたが、都市部ではお金を出してどこかに預けなければなりません。
 カンパラは都市部なので、お金がいります。シングルマザーたちには負担です。
 いなかでの燃料は、豆炭、練炭(れんたん。七輪を使用していました(しちりん)、薪(まき))など、都市部では光熱費がいります。また、家賃がいります。
 競争社会ではとかく弱者がおいてきぼりにされます。女、こども、高齢者、障害者などがおいてきぼりです。
 仲本千津さんの願いは、人のためになる仕事をしたいことです。
 仲本千津さんは、色鮮やかなアフリカンプリントに目を付けました。
 布地を買ってきて、オーダーメイドで服をつくって、日本で売るという商売を思いつきます。おおもとの気持ちは、シングルマザーでがんばっている地元の主婦を応援するためです。

 グレース・ナカウチ:自分のこども3人と亡姉のこども1人、ひとりで4人の子育てをしているシングルマザー。手先が器用(きよう。細かい作業をじょうずにできる)。

 ウガンダの人は、お金で学歴を買う面があります。まあ、日本も同様ですが。
 経済的な事情で、学力、能力があっても学校に行けない人たちが多いそうです。
 
 ウガンダは、豚(ぶた)がお金代わりになる社会です。一度に8匹ぐらいの子豚が生まれる。子豚はお金になるそうです。子豚を売って学費にあてるそうです。
 投資として豚を飼う。
 先日読んだ長崎県を舞台にした本にも同類のことが書いてありました。豚ではなく、ニワトリでした。
 『ニワトリと卵と、息子の思春期 繁延あづさ(しげのぶ・あづさ) 婦人之友社』以下、感想の一部です。
 自立したいという、お子さんの反抗期の始まりがあります。
 これまでは、おかあさんの言うことをきいてきた。でも、これからは、おかあさんのいうことをききたくないのです。母は母で、どう対応したらいいのかわからず悩みます。まっこうからダメと言えなくて、条件闘争になったりもします。(そうしたかったら、こういう条件をのみなさいというパターンです) 『お母さんがなんと言おうと、オレは放課後ゲームを買いに行く!』強い主張があります。オレの人生はオレのもので、お母さんのものではない。オレの人生をお母さんが支配することはできないというこどもさんからの強い主張が母親に対してあります。オレのことはオレが一番わかる。オレのことは、お母さんにはわからない。
 ゲーム機を買うと吠えていた(ほえていた)ご長男が、ゲーム機ではなく、ニワトリを買ったというところがおもしろいエピソードです。理由は、卵がとれるからでした。

 スーザン・アグーチ:従業員のひとり。バッグをつくってもらった。縫製(ほうせい。ミシンで縫ってつくる)の技術が高い女性だそうです。
 ナジェラマ・サラ:革を縫う技術をもった女性。

 雇う側の仲本千津さんの心の持ち方が書いてあります。『この人たちがいなかったら事業が成り立たない、対等のパートナー』として、三人のウガンダ人女性と接する。『従業員の生活に責任を負う経営者』になる。

『第5章 おかあちゃん 百貨店飛び込み営業事件』
 ハンドメイドの生産です。(てづくり)。内職仕事のようでもあります。(主婦が、家事の合間に家でする仕事)。アフリカのシングルマザーを支援するバッグのビジネスを始めます。かわいそうな人たちが作ったバッグではない。同情で一度だけ買ってもらうバッグではなく、“サステナブル(持続可能な)”なビジネスにする。
 
 実のお母さんにスタッフに入ってもらう。
 アフリカンプリントの布地でバッグをつくって売る商売に参加してもらいます。
 
 バイヤー:商品の買い付けや商品管理の仕事をする人
 ポップアップストア:期間限定の特設ショップ

 農業支援の仕事を辞めて、バッグ作りと販売に専念する。
 レベッカアケロ:ウガンダでの会社組織名。仲本千津さんのウガンダ名からきているそうです。アケロが、『幸運』で、幸運を呼ぶ女性という意味だそうです。バッグの商品名が、『アケロバッグ』です。そこまでたどり着くまでに4年がかかりました。

『第6章 原石が宝石に変わるとき』
 最初のうちは、バッグに不良品もあったそうです。根気よくやり直します。
 
 ウガンダには、健康保険制度(みんなで、保険料を納めて、いざというときに保険料から医療費を支払う)がなく、借金をしてその場をしのぐそうです。
 従業員の医療費を会社で出す。(年間限度額あり)
 会社のお金を自分のポケットに入れてしまう人がいるそうです。本にも書いてありますが、盗んだお金で生活を続けることは容易ではありません。盗むことを仕事にするよりも、ちゃんと毎日働く方がお金になります。盗んだお金は一時的な収入でしかありません。
 給料だけでは、従業員の確保がむずかしい。医療費支援や無利子のローンを提供したそうです。経営する人と雇われる人の間に信頼関係を築きます。
 相場よりも高い給料も払います。
 工房で働く現地女性の生活が豊かになっていきます。

『第7章 罪深きファッション産業』
 「大量に作って大量に捨てる」やり方を問題視されています。
 自然環境に悪影響を与えている面もあるそうです。「染料」とか、化学薬品の使用です。
 大手のファストファッションブランドは、大量に作って、売れ残りを大量に捨てるそうです。
 大量生産、大量消費、大量廃棄のサイクルがあるそうです。
 いろいろ課題は多いです。

 中国やインドから、コピー商品がウガンダに入ってくるそうです。布地の質が落ちるそうです。
 西アフリカのガーナに、アフリカンプリントの工場がある。ウガンダとガーナの間は飛行機で10時間以上もかかるそうです。アフリカはなんて大きな大陸なのでしょう。
 材料費はかかるけれど、本物のアフリカンプリントを仕入れていいものを作ります。

 エシカル:倫理的という意味。エシカル消費は、①環境にダメージを与えていない。②その会社で働く人を苦しめていないというような商品をつくる。

 『生産現場』のことが書いてあります。
 ウガンダでは、劣悪な環境の中で労働者が働いているそうです。安い給料で長時間労働です。
 政府に頼っても動いてくれないようです。
 仲本千津さんは、快適な生産現場(職場)をつくって、インターネットで公開する取り組みをされています。お客さんから、いい商品をつくってくれてありがとうの声が労働者に届きます。働く張り合いがあります。
 インスタライブ:インスタグラムを使って、リアルタイムで配信ができる機能。

『第8章 ウガンダのために、日本のためにも』
 アフリカンプリントは、もとは、ヨーロッパ生まれだそうです。
 ウガンダ生まれの素材を使ってものづくりをしたい。
 『バークロス』:木からつくる。スエードのような革のような素材。不思議な風合い(ふうあい:手ざわり、感触、見た目、着心地など)がある。木の幹からとれる布。木は、『ムトゥバ』という種類。木の幹をはいで、素材にする。
 マサカ:バークロスづくりで有名な土地。首都カンパラから車で、何時間もかかる。
 大島紬(おおしまつむぎ):テレビ番組、『東野・岡村の旅猿 プライベートでごめんなさい』で、奄美大島ロケのときに、工程を観ました。泥で黒く染めた織物です。黒いバークロスは泥で染めるそうです。黒、白(もともとの色のようです)、茶色(日光にあてる)がある。バークロスでバッグをつくって売る。作り方の手法を知っている首都カンパラ在住ベルギー人女性エバと一緒に考える。できあがった商品に、『エバ・バッグ』と名づけました。

 やりたいと思っていないことを仕事としてやっていくか、自分のやりたいことを仕事としてやっていくかというような迷いと選択のことが書いてあります。人はたいていやりたくないことをやってお金をもらうことでがまんしています。まずは、生活していくことが優先なのです。

 テーブル・フォー・ツー(ふたりのための食卓。こどもたちが食事を分かち合う):途上国の課題と先進国の課題を同時に解決するビジネスのあり方。

『第9章 救えなかった命』
 暗い話です。仲本千津さんの弟さんが、2歳のときに川遊び中、水の事故で亡くなっています。仲本千津さんは10歳でした。
 こどもの事故は一瞬で起きるので、目を離さないようにしなければなりません。うちの息子も幼児のときに片足を大やけどしたことがあります。長いこと通院しました。まだ小さかったので、やけどのあとは消えました。ホッとしましたが、親として深く後悔しました。こどもが小さい時は、外へはあまり出歩かないほうが安全です。とくに水のそばと火のそばは危険です。キャンプやバーベキューは要注意です。車を動かすときにも車のそばに幼児がいないか注意を払います。最近のニュースだと、マンションの上階から幼児の転落事故などがあることを聞きます。
 仲本千津さんとお母さんの律江さんは、会社リッチーエブリデイの創業日を、弟の大毅(だいき)さんの命日である8月26日にされました。みんなでがんばります。

『第10章 夢見る力』
 2019年(令和元年)5月、代官山(東京都渋谷区)で直営ショップのオープンです。
 2020年(令和2年)3月下旬、コロナ禍の影響が出始めます。ウガンダはロックダウンになってしまいました。仲本千津さんは、会社の倒産が心配です。工房スタッフに出勤しなくても給料は払う。3か月後にはロックダウンは終わると予想している。(そうしないと、優秀な従業員が離れて行ってしまう)。1か月半後に、ロックダウンが解除されています。

 クラフト:工芸品、民芸品、手芸品

『第11章 平和をつくるバッグ』
 ウガンダの工房:20人近いスタッフがいる。
 仲本千津さんは、日本とウガンダを行ったり来たりしている。
 
 UNHCR:ユーエヌエイチシーアール。国連難民高等弁務官事務所。難民の保護と支援をする国連の組織。難民:武力紛争や戦争などから他国に逃げてきた人。
 国境なき医師団:国際的緊急医療団体。非政府組織。非営利の医療、人道援助団体。
 赤十字(せきじゅうじ):人道支援を目的とする団体。人道:じんどう。人として行うべき道。

 アフリカの課題:貧困、女性差別。
 仲本千津さんの意思、願いとして、『女性が「こうありたい自分」を実現できるように支えたい』

 なかなかできないことです。
 まずは、将来自分がなにをして生活を成り立たせていくのかをじっくり考えることでしょう。そのためには、人の話を聞いたり、本を読んだりするといいでしょう。

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