2024年05月16日
ゴジラ‐1.0(ゴジラマイナスワン) 邦画 2023年
ゴジラ‐1.0(ゴジラマイナスワン) 邦画 2023年 125分 動画配信サービス
テレビをつけたら、『ゴジラ‐1.0』が動画配信サービスで無料ですと表示が出たので、すぐに観始めました。話題になった映画です。夕食を食べながら家族と最後まで観ました。
動画配信サービスに加入しているので、別途料金はいりませんということでした。
『ゴジラ‐1.0』は、話の中身というよりも映像を楽しむ映画だろうという先入観をもちながら観ました。そのとおりでした。
舞台は、南太平洋の島で始まります。時代は第二次世界大戦中です。ゴジラが出て来て暴れて犠牲者複数が出ました。
ゴジラが人間を口にくわえる映像を初めて見ました。これまでは、技術的に人間を口にくわえさせることができなかったのかもしれません。
ゴジラの動きや表情がリアルでした。(怖い(こわい))
ゴジラはなんだか爬虫類(はちゅうるい)みたいです。
半世紀以上前、自分が小学生だった時は、怪獣の中では、ガメラが好きで、ガメラはカメでした。自分が、カメが好きだったということもあります。
小学生の時に、中学のときに病気で死んだオヤジとふたりで映画館に行きました。たしか、『ガメラ対バルゴン』という映画でした。
オヤジは、たまに、小学生だったわたしを映画に連れていくことがあり、クレージーキャッツのお気楽なサラリーマンの映画を見ていた時に、オヤジが大イビキをかきながら座席で寝てしまい、オヤジがもう起きなかったらどうしようかと、スクリーンよりもオヤジのほうばかりを見ながらハラハラドキドキしていた記憶があります。
映画のスクリーンでは、クレージーキャッツの植木等さんが、ビルの外側につかまってのぼるような、あるいはおりるようなシーンを見た覚えがありますが、記憶が定かではありません。ああ、話が脱線してしまいました。
まあ、こちらのゴジラですが、ストーリーの進行にはムリがあります。
人間たちが、ゴジラに向かっていきますが、ゴジラは、弾丸を撃って倒せるような相手ではありません。
東京の昭和二十年終戦頃の風景は、つくってある風景です。邦画、『三丁目の夕日シリーズ』を思い出す映像づくりでした。
話の展開は、マンガチックです。(おおげさ、誇張、単純)。登場人物同士の会話が稚拙な面もありました。(ちせつ:こどもっぽい)
主人公男子が周囲からかなり責められますが、現実社会ではそのようなことはありません。だれだって失敗はあります。お互い様です。映像は、いじめのようでした。
映像に広がる荒廃した集落は、パレスチナのガザ地区のような風景、光景でした。
虐殺された民族が、今度は虐殺する側の民族になる。人間という存在は地球の大自然にとっては、悪魔のような存在でしょう。
1946年3月(昭和21年。終戦の翌年)になりました。
深海魚がたくさん海面に浮かぶと、ゴジラが現れます。
映画の内容をひっぱるフレーズとして、『政府はこの情報を国民に隠しています。情報統制はこの国のお家芸です』というものです。現在はSNSがあるので、隠すことはむずかしい。逆にフェイク(ウソの情報)が流れたりもします。
炎(ほのお)のシーンが何度か出てきます。撮影で使っているあの炎は灯り(あかり)のようなもので、物は燃えない炎だろうとか、案外あの炎は、触る(さわる)と冷たかったりもするのではなかろうかと思いを巡らせました。
ゴジラに立ち向かっていく木造船はかなり古いタイプです。日本史の古代、卑弥呼(ひみこ)の時代とか、飛鳥時代、奈良時代の遣隋使とか遣唐使で使用されていたような船です。びっくりしました。
物語では、妻でもない同居していた女性の死の情報が、登場人物男子のゴジラを倒す強い動機になりますが不自然です。人間の感情はそのようには動きません。
登場人物に、特攻隊(自爆)のようなことをさせてはいけません。(アニメ映画、『宇宙戦艦ヤマト』に出ていた、たしか山本という隊員を思い出しました。彼は、映画の最後のほうで、地球を救うために、自らの命を犠牲にしました)
女性の死と自爆という動きは、最終部で回収されました。結果は、現代的な良い方向に動いています。命を粗末にはしません。
わだつみ作戦:『わだつみ』は、海の神のこと。
電報のシーンがなつかしかった。
先日観た邦画、『銀河鉄道の父』でも電報のシーンがありました。
もう今どき、電報は打つことも受けることもなくなりました。
ゴジラの大暴れは、迫力のあるシーンでした。
元プロ野球選手の松井秀喜さんを思い出しました。『ゴジラ松井』と呼ばれていました。今は、『お~たにさ~ん』の時代です。
タイトルのマイナス1.0の意味をとれなかったのですが、恐怖度指数のようです。戦争に負けて、何もかもを失って、基準点が、『0』で、そこからマイナスに至っていく。
次につくるときのゴジラ映画は、『-1.1』とかで、不幸の指数が上昇していくというような意味あいだと、ネットのどこかに書いてありました。
わたしは、温度かと思いました。超低温になると、ゴジラの動きが止まって、ゴジラが冬眠しているような状態になる。だから、ゴジラの体をマイナス何百度というくらいの温度で冷やすというような流れになるのかもと思いながらこの映画を観始めました。だから、ネットで見たさきほどの説明のとおりとも思えないのです。
テレビをつけたら、『ゴジラ‐1.0』が動画配信サービスで無料ですと表示が出たので、すぐに観始めました。話題になった映画です。夕食を食べながら家族と最後まで観ました。
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『ゴジラ‐1.0』は、話の中身というよりも映像を楽しむ映画だろうという先入観をもちながら観ました。そのとおりでした。
舞台は、南太平洋の島で始まります。時代は第二次世界大戦中です。ゴジラが出て来て暴れて犠牲者複数が出ました。
ゴジラが人間を口にくわえる映像を初めて見ました。これまでは、技術的に人間を口にくわえさせることができなかったのかもしれません。
ゴジラの動きや表情がリアルでした。(怖い(こわい))
ゴジラはなんだか爬虫類(はちゅうるい)みたいです。
半世紀以上前、自分が小学生だった時は、怪獣の中では、ガメラが好きで、ガメラはカメでした。自分が、カメが好きだったということもあります。
小学生の時に、中学のときに病気で死んだオヤジとふたりで映画館に行きました。たしか、『ガメラ対バルゴン』という映画でした。
オヤジは、たまに、小学生だったわたしを映画に連れていくことがあり、クレージーキャッツのお気楽なサラリーマンの映画を見ていた時に、オヤジが大イビキをかきながら座席で寝てしまい、オヤジがもう起きなかったらどうしようかと、スクリーンよりもオヤジのほうばかりを見ながらハラハラドキドキしていた記憶があります。
映画のスクリーンでは、クレージーキャッツの植木等さんが、ビルの外側につかまってのぼるような、あるいはおりるようなシーンを見た覚えがありますが、記憶が定かではありません。ああ、話が脱線してしまいました。
まあ、こちらのゴジラですが、ストーリーの進行にはムリがあります。
人間たちが、ゴジラに向かっていきますが、ゴジラは、弾丸を撃って倒せるような相手ではありません。
東京の昭和二十年終戦頃の風景は、つくってある風景です。邦画、『三丁目の夕日シリーズ』を思い出す映像づくりでした。
話の展開は、マンガチックです。(おおげさ、誇張、単純)。登場人物同士の会話が稚拙な面もありました。(ちせつ:こどもっぽい)
主人公男子が周囲からかなり責められますが、現実社会ではそのようなことはありません。だれだって失敗はあります。お互い様です。映像は、いじめのようでした。
映像に広がる荒廃した集落は、パレスチナのガザ地区のような風景、光景でした。
虐殺された民族が、今度は虐殺する側の民族になる。人間という存在は地球の大自然にとっては、悪魔のような存在でしょう。
1946年3月(昭和21年。終戦の翌年)になりました。
深海魚がたくさん海面に浮かぶと、ゴジラが現れます。
映画の内容をひっぱるフレーズとして、『政府はこの情報を国民に隠しています。情報統制はこの国のお家芸です』というものです。現在はSNSがあるので、隠すことはむずかしい。逆にフェイク(ウソの情報)が流れたりもします。
炎(ほのお)のシーンが何度か出てきます。撮影で使っているあの炎は灯り(あかり)のようなもので、物は燃えない炎だろうとか、案外あの炎は、触る(さわる)と冷たかったりもするのではなかろうかと思いを巡らせました。
ゴジラに立ち向かっていく木造船はかなり古いタイプです。日本史の古代、卑弥呼(ひみこ)の時代とか、飛鳥時代、奈良時代の遣隋使とか遣唐使で使用されていたような船です。びっくりしました。
物語では、妻でもない同居していた女性の死の情報が、登場人物男子のゴジラを倒す強い動機になりますが不自然です。人間の感情はそのようには動きません。
登場人物に、特攻隊(自爆)のようなことをさせてはいけません。(アニメ映画、『宇宙戦艦ヤマト』に出ていた、たしか山本という隊員を思い出しました。彼は、映画の最後のほうで、地球を救うために、自らの命を犠牲にしました)
女性の死と自爆という動きは、最終部で回収されました。結果は、現代的な良い方向に動いています。命を粗末にはしません。
わだつみ作戦:『わだつみ』は、海の神のこと。
電報のシーンがなつかしかった。
先日観た邦画、『銀河鉄道の父』でも電報のシーンがありました。
もう今どき、電報は打つことも受けることもなくなりました。
ゴジラの大暴れは、迫力のあるシーンでした。
元プロ野球選手の松井秀喜さんを思い出しました。『ゴジラ松井』と呼ばれていました。今は、『お~たにさ~ん』の時代です。
タイトルのマイナス1.0の意味をとれなかったのですが、恐怖度指数のようです。戦争に負けて、何もかもを失って、基準点が、『0』で、そこからマイナスに至っていく。
次につくるときのゴジラ映画は、『-1.1』とかで、不幸の指数が上昇していくというような意味あいだと、ネットのどこかに書いてありました。
わたしは、温度かと思いました。超低温になると、ゴジラの動きが止まって、ゴジラが冬眠しているような状態になる。だから、ゴジラの体をマイナス何百度というくらいの温度で冷やすというような流れになるのかもと思いながらこの映画を観始めました。だから、ネットで見たさきほどの説明のとおりとも思えないのです。