2024年04月30日
テーブルマナーの絵本 髙野紀子・作
テーブルマナーの絵本 髙野紀子・作 あすなろ書房
本のカバーも本体表紙も絵がきれいです。こどもさん向けの絵本です。
食べ物や食事をするときの道具が美しく描かれています。
登場してくるのは、くまさんやうさぎ、きつね、たぬきなどのキャラクターです。
ごはんを食べるときのマナー(礼儀作法)を教えてくれる絵本です。
表紙をめくると、ごはんのふたは左に、おみそ汁のふたは右にと書いてあります。(そうか、自分はこれまで間違えていなかった。ほっとしました)
くまさんの(たぶんクマだと思います)おばあさんが、マナーを教えてくださいます。
13ページにある、『手で持って食べる器』に、日本そばのつけ汁、さしみなどのしょうゆ皿、てんぷらのつけ汁の器があって、手で持って食べていもいいということを知りませんでした。
14ページに、『返し箸(はし。箸の上で食べ物をとって配る)』は、よくないことですというのも初めて知りました。やめましょうとあります。
15ページ、江戸前ちらし寿司のばあい、寿司ネタを小皿のおしょうゆにつけながら食べるということも知りませんでした。熊太郎じいさんは、長いこと生きてきましたが、まだまだ知らないことがたくさんあります。
うな重のふたは、器の下にしいてもOKだそうです。
17ページには、ざぶとんの座り方が書いてあります。ざぶとんの手前にすわってから、両手で体を支えながら前に進んで座るそうです。ふむふむ、なるほど。
こどもさん向けのマナー本です。
食事時にやんちゃやっちゃいけないと教えます。
まわりにいる人たちに迷惑をかけちゃいけないのです。
まず、『和食』、次に『洋食』、それから、『外食』と項目が分かれています。
焼き魚の食べ方が役立ちます。
頭の後ろからしっぽに向かって食べる。次に骨をはずして、骨を上に置く。次に左側から反対側にある身の部分を食べる。なるほど。
あいさつもちゃんとする。『いただきます』、『ごちそうさま』です。
お箸(はし)の持ち方の説明もあります。
日本茶の入れ方・飲み方、くわえて、和菓子の食べ方もあります。
もう1回あいさつの説明があります。よその家に行ったときのあいさつです。
『こんにちは!』、『ありがとうございます』、『さようなら』
こちらの絵本は、マナーだけではなくて、お料理の本でもあります。お菓子づくりの説明も少しあります。
カトラリー:洋食で、ナイフ・フォーク、スプーンなどのことを、カトラリーというそうです。
洋食の食べ方は、熊太郎のにがてな世界です。
洋食のマナーは、読んでいるだけで疲れてきました。
外食のマナーがあります。
ルールがいっぱい書いてあります。
『回転寿司店』でのことが、書いてあります。
以前、SNSの投稿で、回転寿司店でひどい迷惑行為をした高校生が、お店や世間の人たちから、徹底的にたたかれたことがありましたが、この絵本を読んでおけばよかったのにと思ったのです。こどものうちに、絵本をしっかり読んでおくことはだいじなことです。
裏表紙を見ました。
まんなかにお皿があって、左右にフォークとナイフがたくさん並べてあります。
外側に置いてあるものから使うそうです。
そういうレストランに行ったことが何度かありますが、もうずいぶん前のことで、どこからナイフとフォークを手にしたのか覚えていません。
結婚式に呼ばれて行ったときかもしれません。
もう歳をとってきたので、最近は、結婚式よりもお葬式に行くことのほうが増えました。
手を洗う、『フィンガーボール』のことが出てきました。
たしか、小学生の頃の道徳の授業で、フィンガーボールの水を間違えて飲んでしまった人の話を聞きました。マナーを知らずに、間違ってしまった人をばかにしてはいけないという趣旨のお話だった記憶です。
本のカバーも本体表紙も絵がきれいです。こどもさん向けの絵本です。
食べ物や食事をするときの道具が美しく描かれています。
登場してくるのは、くまさんやうさぎ、きつね、たぬきなどのキャラクターです。
ごはんを食べるときのマナー(礼儀作法)を教えてくれる絵本です。
表紙をめくると、ごはんのふたは左に、おみそ汁のふたは右にと書いてあります。(そうか、自分はこれまで間違えていなかった。ほっとしました)
くまさんの(たぶんクマだと思います)おばあさんが、マナーを教えてくださいます。
13ページにある、『手で持って食べる器』に、日本そばのつけ汁、さしみなどのしょうゆ皿、てんぷらのつけ汁の器があって、手で持って食べていもいいということを知りませんでした。
14ページに、『返し箸(はし。箸の上で食べ物をとって配る)』は、よくないことですというのも初めて知りました。やめましょうとあります。
15ページ、江戸前ちらし寿司のばあい、寿司ネタを小皿のおしょうゆにつけながら食べるということも知りませんでした。熊太郎じいさんは、長いこと生きてきましたが、まだまだ知らないことがたくさんあります。
うな重のふたは、器の下にしいてもOKだそうです。
17ページには、ざぶとんの座り方が書いてあります。ざぶとんの手前にすわってから、両手で体を支えながら前に進んで座るそうです。ふむふむ、なるほど。
こどもさん向けのマナー本です。
食事時にやんちゃやっちゃいけないと教えます。
まわりにいる人たちに迷惑をかけちゃいけないのです。
まず、『和食』、次に『洋食』、それから、『外食』と項目が分かれています。
焼き魚の食べ方が役立ちます。
頭の後ろからしっぽに向かって食べる。次に骨をはずして、骨を上に置く。次に左側から反対側にある身の部分を食べる。なるほど。
あいさつもちゃんとする。『いただきます』、『ごちそうさま』です。
お箸(はし)の持ち方の説明もあります。
日本茶の入れ方・飲み方、くわえて、和菓子の食べ方もあります。
もう1回あいさつの説明があります。よその家に行ったときのあいさつです。
『こんにちは!』、『ありがとうございます』、『さようなら』
こちらの絵本は、マナーだけではなくて、お料理の本でもあります。お菓子づくりの説明も少しあります。
カトラリー:洋食で、ナイフ・フォーク、スプーンなどのことを、カトラリーというそうです。
洋食の食べ方は、熊太郎のにがてな世界です。
洋食のマナーは、読んでいるだけで疲れてきました。
外食のマナーがあります。
ルールがいっぱい書いてあります。
『回転寿司店』でのことが、書いてあります。
以前、SNSの投稿で、回転寿司店でひどい迷惑行為をした高校生が、お店や世間の人たちから、徹底的にたたかれたことがありましたが、この絵本を読んでおけばよかったのにと思ったのです。こどものうちに、絵本をしっかり読んでおくことはだいじなことです。
裏表紙を見ました。
まんなかにお皿があって、左右にフォークとナイフがたくさん並べてあります。
外側に置いてあるものから使うそうです。
そういうレストランに行ったことが何度かありますが、もうずいぶん前のことで、どこからナイフとフォークを手にしたのか覚えていません。
結婚式に呼ばれて行ったときかもしれません。
もう歳をとってきたので、最近は、結婚式よりもお葬式に行くことのほうが増えました。
手を洗う、『フィンガーボール』のことが出てきました。
たしか、小学生の頃の道徳の授業で、フィンガーボールの水を間違えて飲んでしまった人の話を聞きました。マナーを知らずに、間違ってしまった人をばかにしてはいけないという趣旨のお話だった記憶です。
2024年04月29日
パンやの くまさん フィービとセルビ・ウォージントン
パンやの くまさん フィービとセルビ・ウォージントン さく/え まさきるりこ/やく 福音館書店
かわいらしいくまの絵です。ぬいぐるみみたいな、くまです。
1987年(昭和62年)発行の絵本です。
仕事人間のくまに見えます。
まじめに朝早くから働くのです。
絵本に登場しているくまは、仕事をするために生きているのです。
パン屋という店舗での販売と、パンの移動販売車による販売と、ふたつの販売方法を一日のうちに一頭のくまが両方こなします。稼ぐのです。
パン屋ですから、朝ご飯はパンです。(ちなみに、夜のごはんもパンでした)
くまはひとりで、パンとケーキとパイをつくります。
くまは、移動販売車の運転もします。
くまは、がらんがらんと鐘をならして、お客さんの呼び込みもします。
人気のパンやさんです。
くまは、配達もします。
くまは、たんじょうびのパーティをするおうちに、ケーキを届けます。
移動販売車の販売終了後、くまは、お店にもどって、お店でパンを売ります。
くまは、あいさつがしっかりしています。
『おはようございます』、『いらっしゃいませ』、『ありがとうございます』
こどもづれのおきゃくさんのときは、くまはこどもさんに、キャンデーをプレゼントします。
くまの晩ごはんは、ジャムをぬったマフィンとゼリーでした。
マフィンは、イギリスの絵本作家さんですから、イングリッシュ・マフィンで丸型のパンでしょう。
夕食後、本日の儲けを(もうけを)確認します。
お客さまからいただいた硬貨を貯金箱に入れます。これで、安心だそうです。お金をためると気持ちが落ち着きます。お金がたまると、気持ちにゆとりが生まれます。
くまは、ひとりでがんばるのね。
仲間がほしいところです。
ひらがなが読めるようになったこどもさんが、自分で声を出して読むのに最適な絵本だと感じました。そして、しっかり働こう(こどもだから勉強しよう)ということを教える絵本でもあります。
かわいらしいくまの絵です。ぬいぐるみみたいな、くまです。
1987年(昭和62年)発行の絵本です。
仕事人間のくまに見えます。
まじめに朝早くから働くのです。
絵本に登場しているくまは、仕事をするために生きているのです。
パン屋という店舗での販売と、パンの移動販売車による販売と、ふたつの販売方法を一日のうちに一頭のくまが両方こなします。稼ぐのです。
パン屋ですから、朝ご飯はパンです。(ちなみに、夜のごはんもパンでした)
くまはひとりで、パンとケーキとパイをつくります。
くまは、移動販売車の運転もします。
くまは、がらんがらんと鐘をならして、お客さんの呼び込みもします。
人気のパンやさんです。
くまは、配達もします。
くまは、たんじょうびのパーティをするおうちに、ケーキを届けます。
移動販売車の販売終了後、くまは、お店にもどって、お店でパンを売ります。
くまは、あいさつがしっかりしています。
『おはようございます』、『いらっしゃいませ』、『ありがとうございます』
こどもづれのおきゃくさんのときは、くまはこどもさんに、キャンデーをプレゼントします。
くまの晩ごはんは、ジャムをぬったマフィンとゼリーでした。
マフィンは、イギリスの絵本作家さんですから、イングリッシュ・マフィンで丸型のパンでしょう。
夕食後、本日の儲けを(もうけを)確認します。
お客さまからいただいた硬貨を貯金箱に入れます。これで、安心だそうです。お金をためると気持ちが落ち着きます。お金がたまると、気持ちにゆとりが生まれます。
くまは、ひとりでがんばるのね。
仲間がほしいところです。
ひらがなが読めるようになったこどもさんが、自分で声を出して読むのに最適な絵本だと感じました。そして、しっかり働こう(こどもだから勉強しよう)ということを教える絵本でもあります。
2024年04月26日
ブラッシュアップライフ テレビドラマ 2023年放送
ブラッシュアップライフ テレビドラマ 2023年1月~3月放送 Hulu(フールー)
バカリズムさんが脚本担当で、安藤サクラさんたちが女優陣で、評判が良かったドラマだったようなので、動画配信サービスで観ることにしました。
タイトルは、日常生活を向上させることだろうかと推察しました。直訳だと、『人生を磨く』です。
第一回目を見て、以前バカリズムさんの脚本で観た映画、『架空OL日記 邦画 2020年公開』に雰囲気が似ていると感じました。
バカリズムさんのフィリップ芸(紙芝居)で、人が死んで、死後の世界の途中であれこれあるというストーリーの漫談を見たことがあるような気がします。あるいは、テレビドラマ、『世にも奇妙な物語』で類似の設定を見たことがあるような記憶があります。死んだ人の生まれ変わりのお話だった記憶です。老齢化したので、わたしの脳みそも半分正しくて、半分正しくない記憶が目立つ最近の状況です。
時代が逆行するのは、先月終了した金曜日のテレビドラマ、『不適切にもほどがある!』と類似していますが、不適切は過去を変えることはできず、こちらのブラッシングアップライフでは、過去を変えることができるという違いがあります。
交通事故がらみで死んでゆうれいになってというパターンの本をしばらく前に読みました。
『青空のむこう アレックス・シアラー 金原瑞人(かねはら・みずひと)・訳 求龍堂(きゅうりゅうどう)』
ハリー・デクランド:交通事故死した少年。サッカーが好き。10歳から12歳ぐらいに見える。死ぬ前に姉のエギーとけんかをしていたことを、死んでから後悔している。とても後悔している。捨てゼリフを姉にぶつけて家を出て、そのあと交通事故にあって死んでしまった。自転車に乗っていて、10トントラックにひかれた。
『…… お姉ちゃんなんか大嫌い! …… 帰ってくるもんか。もう二度と会いたくない』、姉のエギーが、『じゃあ帰ってこないで』と言い返したのがこの世の姉との会話の最後だった。(つらい話です。現実でも起きることです。家から出かける時は、ケンカしないほうがいい。本当に、それが最後になることがありえます)
さて、ドラマの感想に移ります。
『エピソード1 2周目のスタート(二度目の人生。人生のやりなおしという意味です)』
近藤麻実(こんどう・あさみ):33歳独身。市役所勤務で、国民健康保険とか国民年金を担当する部署にいるらしい。
門倉夏希(かどくら・なつき):夏帆(かほ)。近藤麻美の幼ななじみ。なっち。
米川美穂:木南晴夏(きなみ・はるか)。同じく近藤麻実の幼ななじみ。みーぽん。
福田俊介:染谷将太。フクちゃん。みんなの幼なじみで、ラウンドワン(レジャーの複合施設)の店長です。
カラオケボックスに行った帰りに、近藤麻実が、トラックにはねられて即死します。
真っ白な空間である死後の世界で、死者の案内人役であるバカリズムさんが待っています。
ポケベルの話がありますが、自分自身もその時代に生存していたところでありますが、ポケベルの使い方は知りません。見たこともありません。
はじまりは、役所的な流れです。
(トラックにはねられて亡くなって)33年間、お疲れさまでした。
あっけない死です。即死だと、自分でも死んだことを自覚できません。
話の流れに気持ちが素直にのりきれないのですが、もやもやとしながらも、順応してしまいます。
安藤サクラさんが今度生まれ変わるのは、グァテマラの南東部の大アリクイの予定ですが、今世をやりなおして、『徳(とく。周囲にとって良くなること)』を積めば、人間に生まれ変わることができるそうな。
赤ちゃんになって、1989年(平成元年)に生まれなおします。保育園に入園して、保母ととある園児(女児)の父親との不倫を止めて、徳を積みました。
ばらまいた伏線と、話の締めでの回収がしっかりしています。
ポケベルを使って、『フリン シタラ バラス』です。
おまわりさんとパトカーの登場は予想できました。
不思議な雰囲気のドラマです。
『エピソード2 あの人の未来を変える』
近藤麻実(こんどうあさみ)の二度目の人生です。
1989年(平成元年):もう一度生まれる。頭脳は、33歳のまま。たまごっちブーム。
2008年(平成20年):大学薬学部に入学
2010年(平成22年):成人式
埼玉県北熊谷市居住。最初の人生では市役所職員でしたが、二度目の人生では薬剤師です。
郷愁があります。未来がわかるから、もの悲しいものがあります。
近藤麻実は、歌手をめざそうとしている男性に、無理だと断定して、あきらめろと言いきります。
うらみがあった人を、なりゆきで助ける。
逆に、お世話になった人を追い込む。
人間には、二面性があります。
『エピソード3 1周目で死んだ日』
黒木華(くろき・はる)さんが登場して、なかなか引き締まった展開になります。
黒木華さんが今付き合っている男性は既婚者なのです。黒木華さんはそのことを知りません。
不倫になるのですが、その不倫関係への対応を巡って、4人の女優陣が、役者として各自の演技のみせどころになるのです。
すばらしい。メソメソするな。ガツンと力と勢いで押せ!です。
安藤サクラさんの語りで引っ張っていく物語です。
―― 安藤サクラさんが、また死んだ―― よく車にひかれる人です。
バカリズムさんによる寿命の振り分け話がおもしろい。(確率論です)
安藤サクラさんは、また生き返ります。あかちゃんからのやり直しです。
子役さんがじょうずです。安藤サクラさんの雰囲気が出ているお嬢ちゃんです。うまい。
『エピソード4 そういう運命』
同じシーンの繰り返しが続くので飽きてきました。
未来の出来事がわかっているからおもしろくないのです。
子役さんにびっくりしました。
昨日の夜さんまさんのバラエティトーク番組に出ていた女の子7歳がこの映画に出ています。安藤サクラさんのこども時代です。
さらに、4月から始まったNHK朝ドラ、『虎に翼』で主役をしている伊藤沙莉さん(いとう・さいりさん)のこどものころの子役さんです。子役さんが、芸達者で驚かされます。今後、芦田愛菜さんみたいな女優さんになっていくのでしょう。その子役さんは、お笑い、バラエティにも向いています。
今回は、安藤サクラさんがテレビ局の職員です。なんとなく、内輪ものという感じもしないではない。
勤務時間があってないような勤務体系でしょう。番組の時間のコントロールに関する機知に富んだお話でした。きち=その場でとっさに働く知恵。
幸せになるために、みんなで協力してがんばります。
嫌いな教師を救えるかという、人道的、人間の良心を試されるような内容でした。
死んでしまったけれど、徳を積んで、人間に生まれ変わりたい安藤サクラさんです。とてもがんばっています。
なんでもないといえば、なんでもない中身です。脱力系です。
みんな優しいご家族です。じわーっとしみてくる味わいがある作品です。良心があります。
『エピソード5 徳を積みます』
なんというか、安藤サクラさんと黒木華さんふたりの演技比べです。
女子たちのたわいないおしゃべりが続く。
たわいないけれど、かけひきがあります。黒木華さんと不倫したい男がからみます。
生まれ変わった人間になるために安藤サクラさんも必死です。
<あの日あの時あの場所で出会ったから不幸なった>というケース(状況)を、そうならないようにしたい安藤サクラさんですが、どうしてもそうなります。なんとかしなきゃ。
うそをついて→かけひきをして→災難を避けるようにして→徳を積んで→死んだあと、人間として生き返る。
あきらめないことはいいことなのだろうか。
名女優おふたりの演技比べです。
観ていて、話の中身よりもおふたりの表情や動作、言葉遣いで、演技のすごさを味わいます。
結婚指輪をしているような男性は、浮気はしないと思いますが、今回は、結婚指輪をそっとはずして、黒木華さんに連絡先を聞く男性です。(なんというか、見た目がいい女性には、男がいっぱい寄っていきます)
どうにもならないときは、怒り(いかり)を爆発させます。すごいなあ安藤サクラさんの演技は。
『エピソード6 救世主』
ドラマの中のドラマという状態になってきました。
ドラマの中で、テレビ局のプロデューサーである主人公の安藤サクラさんが、『ブラッシュアップライフ』という、ドラマを制作します。(内容はちょっと違えてあります)
女同士で、『結婚』の話題というのは、ビミョーなのだなあということがわかります。
あと、女子は、お菓子をたくさん食べるのだなあ。
幼なじみ女子三人の会話は、本音と(ほんねと)かけひきが入り混じって、おもしろい会話になっています。
フクちゃん(染谷将太さん)の扱いがあります。幼なじみ同士で結婚して離婚して、へたくそだけど自信満々のミュージシャンで、役者もやりたいというキャラクターです。
映像を観ていると、テレビ局では、権限をもっている人の権限がとても強い。だれを映像に出すかの権限です。
見ていたら、あれ? 安藤サクラさんがまたトラックにひかれて死んでしまいました。
死後の世界で、バカリズムさんとのいつものようなやりとりが始まります。
このドラマは、バカリズムさんのきめこまやかな脚本です。
ブラッシュアップライフ、何度生まれ変わっても、うまくいかないことが繰り返されます。
観ていて考えたのです。
『親ガチャ』という言葉があります。どの親のところに生まれてくるかで、その後の人生が決まってしまう。オギャーと生まれたとたん、お金や不動産などの財産がくっついてくる(相続人となる立場の)あかちゃんがいます。いっぽう、オギャーと生まれたとたん、親の借金がくっついてくる(マイナスの相続)あかちゃんもいます。
ずーっと考えていたら、『国ガチャ』もあると思いつきました。どの国に生まれてくるかで人生が左右されます。
そして、悟ったのです。
世の中は、不幸せ(ふしあわせ)であふれている。
幸せな状態とは、衣食住の不自由がないこと。
心身が健康であること。
世の中が平和であること。戦争反対です。
『エピソード7 変わりゆく日常』
ここまで見て来て不思議に思えたことがあります。
メンバーたちが同級生です。
ふつう、同級生とずーっと人生をともにするということは珍しいことです。
地方都市なり地域で、なおかつ、その場所で、誕生から亡くなるまで人生を完結できるという条件が必要です。
ドラマに親戚関係の人間はあまり出てきません。学校関係者(先生)は出てきます。このドラマは、特殊なドラマといえます。
さらに見ていて、ふと思いついたのですが、何度も生まれ変わっているのは、安藤サクラさんだけではないのではないか、ほかにもいるのではないかということです。
狭い世界と空間の中で、同じシーンを何度もやりなおししていると、自然とアイデアがその方向へ向かいます。(終盤、そのとおりになりました。何度も生まれ変わっている別の人間が現れました)
安藤サクラさんが、学力優秀になると、人との距離ができやすくなる(遠くなる。人づきあいがよそよそしくなる)という、ちょっと切ない思いがある回でした。
『エピソード8 ずっといっしょ』
話はややこしくなってきました。
1997年(平成9年):4人の女子小学生がいる。
2005年(平成17年):高校生。ギャル寄りの生活を送る。
2008年(平成20年):保育士になるための学校に通う。
主人公の安藤サクラさんはもう何度も死にました。死んでは最初から同じような人生のやりなおしが何回も続いています。
まず、生きていなきゃだめです。
ほかにも同様な人が複数登場してきました。
この世の人は、みんな生まれ変わりで、自分でそのことに気づいていないだけなのかも。
安藤サクラさんはまた事故で死んでしまいました。
バカリズムさんに、来世は人間ですと言われましたが、安藤サクラさんは、自分ではない別の人の人生を断りました。再度、今世に生まれ変わることを選択しました。でも、バカリズムさんによると、生まれ変わるのは、これが最後だそうです。安藤サクラさんは、ともだちを救うために(予定では、ともだちが航空機墜落事故で複数の友人が死んでしまうそうです)がんばるのです。
『エピソード9 』
5週目(5回目)の人生です。
次回がドラマの最終回です。どういう結末にもっていくのだろう。
役者さんですから、いろんな人間(職業)を演じることができる人たちです。
なんだか、お芝居の稽古(けいこ)を見ているみたいです。
思い出話ばかりが続きます。未来がありません。(最終回に未来が見えます。なかなか良かった)
『エピソード10 最終回 帰る場所』
さわやかな終わり方で良かった。バカリズムさんの脚本はなかなかいい出来でした。
このままいけば、ジェット機が墜落して180人の命が失われてしまうという設定でした。
操縦士と副操縦士が、幼なじみの宇野真里(水川あさみさん)と近藤麻美(あさみ。安藤サクラさん)です。
こうくるか。すばらしい。スーパーファインプレイです。
不倫を阻止(そし)することが、このドラマのテーマのひとつになっています。
おもしろいなあ。びっくりすることが続きます。
悲願の(ジェット機の)航路変更があります。
それを見ていて、自分の信条と重なるものがあることに気づきました。
現役で仕事をしていたころ、日ごろから考えていたことがあります。『物事が決まる矢印(やじるし)は常に「最悪」の方向に向かっている。矢印を消すことはできないけれど、矢印の方向を少しずらすことはできる』というものでした。危機管理です。タイミングをずらす。めぐりあわせのタイミングをずらすという意味です。災難を避けるために、考え抜いて、戦略を練るということはありました。
映像は、まず、最初に戻ります。
市役所の窓口職員としてクレーム対応をしている安藤サクラさんです。
<女の世界>があります。リアルです。女性の心の裏表があります。
本音(ほんね)が出ます。
なごやかな時間帯が続きます。
そして、カラオケタイムです。
穏やか(おだやか)に終わって良かった。
58年後、おばあさん4人がいます。おもしろい。
若さ→老いです。
安藤サクラさんは、現世において、98歳で大往生されました。
おもしろかった。楽しませてくれてありがとう。
バカリズムさんが脚本担当で、安藤サクラさんたちが女優陣で、評判が良かったドラマだったようなので、動画配信サービスで観ることにしました。
タイトルは、日常生活を向上させることだろうかと推察しました。直訳だと、『人生を磨く』です。
第一回目を見て、以前バカリズムさんの脚本で観た映画、『架空OL日記 邦画 2020年公開』に雰囲気が似ていると感じました。
バカリズムさんのフィリップ芸(紙芝居)で、人が死んで、死後の世界の途中であれこれあるというストーリーの漫談を見たことがあるような気がします。あるいは、テレビドラマ、『世にも奇妙な物語』で類似の設定を見たことがあるような記憶があります。死んだ人の生まれ変わりのお話だった記憶です。老齢化したので、わたしの脳みそも半分正しくて、半分正しくない記憶が目立つ最近の状況です。
時代が逆行するのは、先月終了した金曜日のテレビドラマ、『不適切にもほどがある!』と類似していますが、不適切は過去を変えることはできず、こちらのブラッシングアップライフでは、過去を変えることができるという違いがあります。
交通事故がらみで死んでゆうれいになってというパターンの本をしばらく前に読みました。
『青空のむこう アレックス・シアラー 金原瑞人(かねはら・みずひと)・訳 求龍堂(きゅうりゅうどう)』
ハリー・デクランド:交通事故死した少年。サッカーが好き。10歳から12歳ぐらいに見える。死ぬ前に姉のエギーとけんかをしていたことを、死んでから後悔している。とても後悔している。捨てゼリフを姉にぶつけて家を出て、そのあと交通事故にあって死んでしまった。自転車に乗っていて、10トントラックにひかれた。
『…… お姉ちゃんなんか大嫌い! …… 帰ってくるもんか。もう二度と会いたくない』、姉のエギーが、『じゃあ帰ってこないで』と言い返したのがこの世の姉との会話の最後だった。(つらい話です。現実でも起きることです。家から出かける時は、ケンカしないほうがいい。本当に、それが最後になることがありえます)
さて、ドラマの感想に移ります。
『エピソード1 2周目のスタート(二度目の人生。人生のやりなおしという意味です)』
近藤麻実(こんどう・あさみ):33歳独身。市役所勤務で、国民健康保険とか国民年金を担当する部署にいるらしい。
門倉夏希(かどくら・なつき):夏帆(かほ)。近藤麻美の幼ななじみ。なっち。
米川美穂:木南晴夏(きなみ・はるか)。同じく近藤麻実の幼ななじみ。みーぽん。
福田俊介:染谷将太。フクちゃん。みんなの幼なじみで、ラウンドワン(レジャーの複合施設)の店長です。
カラオケボックスに行った帰りに、近藤麻実が、トラックにはねられて即死します。
真っ白な空間である死後の世界で、死者の案内人役であるバカリズムさんが待っています。
ポケベルの話がありますが、自分自身もその時代に生存していたところでありますが、ポケベルの使い方は知りません。見たこともありません。
はじまりは、役所的な流れです。
(トラックにはねられて亡くなって)33年間、お疲れさまでした。
あっけない死です。即死だと、自分でも死んだことを自覚できません。
話の流れに気持ちが素直にのりきれないのですが、もやもやとしながらも、順応してしまいます。
安藤サクラさんが今度生まれ変わるのは、グァテマラの南東部の大アリクイの予定ですが、今世をやりなおして、『徳(とく。周囲にとって良くなること)』を積めば、人間に生まれ変わることができるそうな。
赤ちゃんになって、1989年(平成元年)に生まれなおします。保育園に入園して、保母ととある園児(女児)の父親との不倫を止めて、徳を積みました。
ばらまいた伏線と、話の締めでの回収がしっかりしています。
ポケベルを使って、『フリン シタラ バラス』です。
おまわりさんとパトカーの登場は予想できました。
不思議な雰囲気のドラマです。
『エピソード2 あの人の未来を変える』
近藤麻実(こんどうあさみ)の二度目の人生です。
1989年(平成元年):もう一度生まれる。頭脳は、33歳のまま。たまごっちブーム。
2008年(平成20年):大学薬学部に入学
2010年(平成22年):成人式
埼玉県北熊谷市居住。最初の人生では市役所職員でしたが、二度目の人生では薬剤師です。
郷愁があります。未来がわかるから、もの悲しいものがあります。
近藤麻実は、歌手をめざそうとしている男性に、無理だと断定して、あきらめろと言いきります。
うらみがあった人を、なりゆきで助ける。
逆に、お世話になった人を追い込む。
人間には、二面性があります。
『エピソード3 1周目で死んだ日』
黒木華(くろき・はる)さんが登場して、なかなか引き締まった展開になります。
黒木華さんが今付き合っている男性は既婚者なのです。黒木華さんはそのことを知りません。
不倫になるのですが、その不倫関係への対応を巡って、4人の女優陣が、役者として各自の演技のみせどころになるのです。
すばらしい。メソメソするな。ガツンと力と勢いで押せ!です。
安藤サクラさんの語りで引っ張っていく物語です。
―― 安藤サクラさんが、また死んだ―― よく車にひかれる人です。
バカリズムさんによる寿命の振り分け話がおもしろい。(確率論です)
安藤サクラさんは、また生き返ります。あかちゃんからのやり直しです。
子役さんがじょうずです。安藤サクラさんの雰囲気が出ているお嬢ちゃんです。うまい。
『エピソード4 そういう運命』
同じシーンの繰り返しが続くので飽きてきました。
未来の出来事がわかっているからおもしろくないのです。
子役さんにびっくりしました。
昨日の夜さんまさんのバラエティトーク番組に出ていた女の子7歳がこの映画に出ています。安藤サクラさんのこども時代です。
さらに、4月から始まったNHK朝ドラ、『虎に翼』で主役をしている伊藤沙莉さん(いとう・さいりさん)のこどものころの子役さんです。子役さんが、芸達者で驚かされます。今後、芦田愛菜さんみたいな女優さんになっていくのでしょう。その子役さんは、お笑い、バラエティにも向いています。
今回は、安藤サクラさんがテレビ局の職員です。なんとなく、内輪ものという感じもしないではない。
勤務時間があってないような勤務体系でしょう。番組の時間のコントロールに関する機知に富んだお話でした。きち=その場でとっさに働く知恵。
幸せになるために、みんなで協力してがんばります。
嫌いな教師を救えるかという、人道的、人間の良心を試されるような内容でした。
死んでしまったけれど、徳を積んで、人間に生まれ変わりたい安藤サクラさんです。とてもがんばっています。
なんでもないといえば、なんでもない中身です。脱力系です。
みんな優しいご家族です。じわーっとしみてくる味わいがある作品です。良心があります。
『エピソード5 徳を積みます』
なんというか、安藤サクラさんと黒木華さんふたりの演技比べです。
女子たちのたわいないおしゃべりが続く。
たわいないけれど、かけひきがあります。黒木華さんと不倫したい男がからみます。
生まれ変わった人間になるために安藤サクラさんも必死です。
<あの日あの時あの場所で出会ったから不幸なった>というケース(状況)を、そうならないようにしたい安藤サクラさんですが、どうしてもそうなります。なんとかしなきゃ。
うそをついて→かけひきをして→災難を避けるようにして→徳を積んで→死んだあと、人間として生き返る。
あきらめないことはいいことなのだろうか。
名女優おふたりの演技比べです。
観ていて、話の中身よりもおふたりの表情や動作、言葉遣いで、演技のすごさを味わいます。
結婚指輪をしているような男性は、浮気はしないと思いますが、今回は、結婚指輪をそっとはずして、黒木華さんに連絡先を聞く男性です。(なんというか、見た目がいい女性には、男がいっぱい寄っていきます)
どうにもならないときは、怒り(いかり)を爆発させます。すごいなあ安藤サクラさんの演技は。
『エピソード6 救世主』
ドラマの中のドラマという状態になってきました。
ドラマの中で、テレビ局のプロデューサーである主人公の安藤サクラさんが、『ブラッシュアップライフ』という、ドラマを制作します。(内容はちょっと違えてあります)
女同士で、『結婚』の話題というのは、ビミョーなのだなあということがわかります。
あと、女子は、お菓子をたくさん食べるのだなあ。
幼なじみ女子三人の会話は、本音と(ほんねと)かけひきが入り混じって、おもしろい会話になっています。
フクちゃん(染谷将太さん)の扱いがあります。幼なじみ同士で結婚して離婚して、へたくそだけど自信満々のミュージシャンで、役者もやりたいというキャラクターです。
映像を観ていると、テレビ局では、権限をもっている人の権限がとても強い。だれを映像に出すかの権限です。
見ていたら、あれ? 安藤サクラさんがまたトラックにひかれて死んでしまいました。
死後の世界で、バカリズムさんとのいつものようなやりとりが始まります。
このドラマは、バカリズムさんのきめこまやかな脚本です。
ブラッシュアップライフ、何度生まれ変わっても、うまくいかないことが繰り返されます。
観ていて考えたのです。
『親ガチャ』という言葉があります。どの親のところに生まれてくるかで、その後の人生が決まってしまう。オギャーと生まれたとたん、お金や不動産などの財産がくっついてくる(相続人となる立場の)あかちゃんがいます。いっぽう、オギャーと生まれたとたん、親の借金がくっついてくる(マイナスの相続)あかちゃんもいます。
ずーっと考えていたら、『国ガチャ』もあると思いつきました。どの国に生まれてくるかで人生が左右されます。
そして、悟ったのです。
世の中は、不幸せ(ふしあわせ)であふれている。
幸せな状態とは、衣食住の不自由がないこと。
心身が健康であること。
世の中が平和であること。戦争反対です。
『エピソード7 変わりゆく日常』
ここまで見て来て不思議に思えたことがあります。
メンバーたちが同級生です。
ふつう、同級生とずーっと人生をともにするということは珍しいことです。
地方都市なり地域で、なおかつ、その場所で、誕生から亡くなるまで人生を完結できるという条件が必要です。
ドラマに親戚関係の人間はあまり出てきません。学校関係者(先生)は出てきます。このドラマは、特殊なドラマといえます。
さらに見ていて、ふと思いついたのですが、何度も生まれ変わっているのは、安藤サクラさんだけではないのではないか、ほかにもいるのではないかということです。
狭い世界と空間の中で、同じシーンを何度もやりなおししていると、自然とアイデアがその方向へ向かいます。(終盤、そのとおりになりました。何度も生まれ変わっている別の人間が現れました)
安藤サクラさんが、学力優秀になると、人との距離ができやすくなる(遠くなる。人づきあいがよそよそしくなる)という、ちょっと切ない思いがある回でした。
『エピソード8 ずっといっしょ』
話はややこしくなってきました。
1997年(平成9年):4人の女子小学生がいる。
2005年(平成17年):高校生。ギャル寄りの生活を送る。
2008年(平成20年):保育士になるための学校に通う。
主人公の安藤サクラさんはもう何度も死にました。死んでは最初から同じような人生のやりなおしが何回も続いています。
まず、生きていなきゃだめです。
ほかにも同様な人が複数登場してきました。
この世の人は、みんな生まれ変わりで、自分でそのことに気づいていないだけなのかも。
安藤サクラさんはまた事故で死んでしまいました。
バカリズムさんに、来世は人間ですと言われましたが、安藤サクラさんは、自分ではない別の人の人生を断りました。再度、今世に生まれ変わることを選択しました。でも、バカリズムさんによると、生まれ変わるのは、これが最後だそうです。安藤サクラさんは、ともだちを救うために(予定では、ともだちが航空機墜落事故で複数の友人が死んでしまうそうです)がんばるのです。
『エピソード9 』
5週目(5回目)の人生です。
次回がドラマの最終回です。どういう結末にもっていくのだろう。
役者さんですから、いろんな人間(職業)を演じることができる人たちです。
なんだか、お芝居の稽古(けいこ)を見ているみたいです。
思い出話ばかりが続きます。未来がありません。(最終回に未来が見えます。なかなか良かった)
『エピソード10 最終回 帰る場所』
さわやかな終わり方で良かった。バカリズムさんの脚本はなかなかいい出来でした。
このままいけば、ジェット機が墜落して180人の命が失われてしまうという設定でした。
操縦士と副操縦士が、幼なじみの宇野真里(水川あさみさん)と近藤麻美(あさみ。安藤サクラさん)です。
こうくるか。すばらしい。スーパーファインプレイです。
不倫を阻止(そし)することが、このドラマのテーマのひとつになっています。
おもしろいなあ。びっくりすることが続きます。
悲願の(ジェット機の)航路変更があります。
それを見ていて、自分の信条と重なるものがあることに気づきました。
現役で仕事をしていたころ、日ごろから考えていたことがあります。『物事が決まる矢印(やじるし)は常に「最悪」の方向に向かっている。矢印を消すことはできないけれど、矢印の方向を少しずらすことはできる』というものでした。危機管理です。タイミングをずらす。めぐりあわせのタイミングをずらすという意味です。災難を避けるために、考え抜いて、戦略を練るということはありました。
映像は、まず、最初に戻ります。
市役所の窓口職員としてクレーム対応をしている安藤サクラさんです。
<女の世界>があります。リアルです。女性の心の裏表があります。
本音(ほんね)が出ます。
なごやかな時間帯が続きます。
そして、カラオケタイムです。
穏やか(おだやか)に終わって良かった。
58年後、おばあさん4人がいます。おもしろい。
若さ→老いです。
安藤サクラさんは、現世において、98歳で大往生されました。
おもしろかった。楽しませてくれてありがとう。
2024年04月25日
がん「ステージ4」から生まれ変わって 小倉一郎
がん「ステージ4」から生まれ変わって いのちの歳時記 小倉一郎(おぐら・いちろう) 双葉社
幼少期を鹿児島県下甑島(しもこしき島)で過ごされたそうです。
わたしがこどものころ読んだ本に、『孤島の野犬(ことうのやけん)』という児童文学本がありました。甑島(こしきじま)が舞台だった記憶です。作者は、椋鳩十(むく・はとじゅう)さんです。1905年(明治38年)-1987年(昭和62年)82歳没。小説家。児童文学作家。
自分が就職した時、甑島出身の人が職場にいて、その本を読んだことがあると話したことを覚えています。
さて、こちらは、がんの宣告を受けた俳優さんの手記です。
本の最後のほうに、ご本人が文章を書いたのではなく、ご本人から聞き取りをしてつくられた文章だと書いてありました。(11ページに、双葉社の編集長の質問に答える形でこの本ができているそうです)
いずれにしても、ステージ4という(わたしは死の宣告だと思っています)厳しい状態から命をつないでおられます。たいしたものです。
目次に、『なぜ僕は生還できたのか?』とあります。全体的に、がんの早期発見を勧める内容になっているような気がする目次の内容でした。
『第一章 予兆』
2021年(令和3年)12月10日に、移動撮影用のアルミ製レールに足をとられて転倒して右足首を骨折した。(当時小倉さんは70歳ぐらいです。老齢になってからの転倒は、大きな話に発展します。もう若い時のように体が反応してくれません。わたしもふらふらすることがあります。ころびそうになると、自力で自分の体を支えて体勢を元に戻せません。いかにして、じょうずに、ころぼうかと考えます)
自分の実感だと、だれしもが、48歳ぐらいから体の具合が悪くなり始めます。壊れた体はもう元には戻りません。目が見にくくなってきて、歯は歯周病になって、皮膚もかぶれやすくなります。記憶力は衰えて、若い頃はびゅんびゅん動いていた体が、ゆっくりしか動けなくなります。女性は女性で更年期障害とか、またいろいろあると思います。
十代・二十代の若い人にはわからないと思います。中高年になってくると、指先はかさかさになって、しめりけがなくなります。新聞紙や本のページをめくれなくなります。だれもが、歳をとるのです。早くそういうことに気づいて、若い時から、心身のケアをしておいたほうがいいですよとアドバイスします。暴飲暴食は体を壊して歳をとってから深く後悔する原因になります。心身を酷使しないほうがいいですよ。健康が最優先です。
さて小倉一郎さんは、転倒して骨折した翌年、背中の右側に激痛があって、それが、肺がんの発見につながっています。
思うに、がんと気づくまでに痛みの予兆があると思うのです。
自覚症状です。内臓に痛みがあると思うのです。
早期に医療機関を受診したほうがいいです。小倉一郎さんは、30年間ぐらい健康診断を受けていなかったそうです。
本では、生まれ育ちのふりかえりから、身内にがんの遺伝血統があるような記述があります。いとこが末期の肺がんステージ4で、65歳で亡くなっています。
小倉一郎さんは、肺がんです。だいぶ前に禁煙されたそうですが、それまでは長いことタバコを吸っておられたそうです。
アルコールもだいぶ飲まれたようです。
怒られるかもしれませんが、わたしは、人間を判断するときの、ものさしのひとつとしてタバコを吸う人かどうかで、人間性を判断しています。たばこを吸う人に、いい人はいないと判断しています。
PET検査:注射をして、画像を見て、がんの有無や広がりを確認する。
『第二章 告知』
死ぬ準備を考えなければなりません。
わたしはこれまでに、がんで余命宣告を受けて亡くなっていった方たちの本を何冊も読みました。
自分ではどうすることもできない命でした。
覚悟を決めて、まわりにいる家族や友人たちとよく話をして、死地に旅立つ用意をして、みんなにサヨナラをしていくのです。
つらいものがあります。
小倉一郎さんの元の妻、昌子さんとのお子さんとして、長女:悠希さん 長男:龍希さん 次女:瑞希さん 三女:彩希さん みなさん、「希望」の「希」がつきます。
小倉一郎さんの実母、早苗さんは、小倉さんが誕生して1週間後に亡くなっています。(洋画、『愛情物語』みたいです)
叔母(父親の姉)山下初穂さんが育ての親です。
叔母山下初穂さんの息子憲夫さん(5歳年下)が、ステージ4の末期肺がんで亡くなっています。65歳でした。同居されていたから兄弟のような感じでお互いに育ったのでしょう。いとこです。
今の奥さんがまきさんです。小倉一郎さんは何度か結婚を経験されています。
小倉一郎さんは、父、兄、姉も亡くされています。なんだか、ご親族の命に恵まれない様子で、文章を読んでいて胸が詰まります。
2022年(令和4年)3月4日余命宣告を受ける。あと1年か2年の命と言われる。
いろいろ葛藤があります。(かっとう:苦悩する心理状態)
医師にとって、余命宣告は日常的な仕事なのでしょう。余命宣告にあたって、思いやりというような感情はこもっていません。事務的な通告です。
病状に関する具体的な話が淡々と出てきます。
本人の気持ちとして、『受け入れる』というよりも、『あきらめる』というほうが気持ちに合っていたそうです。奥さんとマネージャーと三人、みな無言です。
ご本人の頭の中にあるのは、残りの人生をどうやって過ごそうかです。
中学生から幼稚園までの孫5人には祖父ががんであることを教えないようにと指示をされています。
わたしは、孫たちには、遺体を見せるようにしています。義父母(妻の両親。孫たちからみれば、ひいおじいさんとひいおばあさん)の遺体は、葬儀のときに幼稚園生だった孫たちに見せました。孫たちは神妙な顔をしていましたが、なんだか状況をよくわかっていないようすでした。こちらの願いとしては、『人間の死』というものを体感してほしかった。
あきらめて静かになった小倉一郎さんを、友人や、とくに長女さんが鼓舞します。(こぶ:励まし振るい立たせる)
『少しはジタバタしなよ』
あきらめないのです。病院を変えます。がん治療の専門病院へ転院します。4月8日が初診です。
思い出づくりのための親族旅行です。
三世代総勢15人で、熱海へ行かれました。元妻とそのこどもたちもいます。
桜が満開だったそうです。
ご本人は、最後の家族旅行になるだろうと観念されています。(かんねん:あきらめる)
その後、ご本人は、やせてフラフラになります。
『救いの手』
深刻な話が続きます。
なんだかもう死ぬしかないみたいな雰囲気です。
肺がんステージ4です。
神奈川県立がんセンターのあたりから潮目が変わります。感謝という雰囲気が生まれてきます。
わたしには、理解できない単語が続きます。『重粒子線治療等(じゅうりゅうしせんちりょうとう)』、『手術や放射線治療』、『抗がん剤による化学療法』、『細胞障害性抗がん剤』、『根治(こんち。再発しない)』、『免疫チェックポイント阻害薬』、『分子標的薬』、『KRAS G12C遺伝子変異』、『緩和照射』、『医療用麻薬オキノーム』、『サイバーナイフ』
医師からの励ましの言葉は、『やれることは、すべてやりましょう』
がんが脳に転移しています。右の脳に10円玉大の腫瘍が見つかります。
読んでいて、絶望的な状態に思えます。
役者さんですから、医師の役をしたこともあるし、脳腫瘍の患者の役もしたこともあるそうです。
それが、現実になるという不思議な感覚があります。
脳に腫瘍があるから幻覚があります。実際は起きていないことが、脳の中で展開されます。
がん治療にはお金がかかるそうです。お子さんたちからの援助があります。
家族はだいじです。
高額療養費の制度があるので、だいじょうぶなような気がするのですが、自由診療(全額自己負担。保険適用なし)というのもあるようです。
(第四章で、脱毛対策ウィッグには、購入費助成制度があるそうです)
わずか2か月間で、55kgだった体重が、44kgに減少した。身長は、4cm縮んだ。
骨川筋衛門(ほねかわすじえもん)になってしまいます。死んじゃいます。
ふつうに考えると、在宅でしばらくすごして、家族と今後のことについてよく話し合って、記録を残して、状態が悪化したら入院して、楽にあの世へ旅立つという筋書きが思い浮かびます。
以前読んだ本に、『無人島のふたり 120日生きなくちゃ日記 山本文緒(やまもと・ふみお) 新潮社』があります。亡くなった女性小説家の方の日記です。余命宣告を受けて、2021年10月13日(令和3年)に、すい臓がんのため58歳でご逝去(ごせいきょ)されています。
『第四章 奇跡』
わたしの知らない単語が続きます。『新薬ソトラシブ』、『カルボプラチン(従来の抗がん剤)』、『ペメトレキセド(従来の抗がん剤)』、『ペムブロリズマブ(免疫チェックポイント阻害薬)』、『キイトルーダ』、『CD169陽性マクロファージ』、『カロナール』
治療の効果が現れます。
肺にあったがんの映像が小さくなります。
食欲が戻ってきました。やはり人間は、食べなくなったら死にます。小倉さんは自分でつくる手料理に目覚めます。味覚も良くなったそうです。
さらに、脳にあったがんが、『サイバーナイフ』という治療で、死滅しました。たった1回の照射で、癌細胞の固まりの映像が、ちりぢりのゴマ粒(つぶ)みたいな映像になったそうです。
俳句をつくること、俳句の会を運営することが、心の支えになっています。
番組、『徹子の部屋』に出演された回はわたしも見ました。2023年5月2日(火)でした。そのときはお元気そうなようすでした。
そのころうちの家族も大腸ポリープ切除の入院をしたころで、それはがんではなかったので、ほっとしたということが自分の当時の日記に書いてあります。
がんは治ったのではなく、治った“かのように”見えるだけですと書いてあります。
小倉一郎さんは、過去に転移したことがあるわけで、油断は禁物です。一日一日が大切な命の時間です。
育ての親の叔母さんのことが書いてあります。ひもじい思いをしたことは一度もないそうです。
邦画、『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』では、九州の母親役を演じる樹木希林さん(きき・きりんさん)が、東京で暮らす息子さんに、いつも、なんども、『ちゃんとごはんを食べているか?』と聞きます。息子が食べていると返事をすると、樹木希林さんは気持ちが落ち着きます。母親の役目はただひとつ、こどもにちゃんとごはんを食べさせることだけなのです。
『第五章 生かされて、今思うこと』
余命宣告をされて、来年に桜を見ることはないだろうと思ったそうです。桜と余命宣告はよく結び付けられます。さくらの花びらが散る光景が、命が尽きることを思い浮かべるきっかけになるからでしょう。
足を骨折したことがきっかけになって、がんがあることが判明した。めぐりあわせの奇妙さがあります。
人生では、幸運な流れが大切です。失敗したと思っていても、それが成功につながることがあります。
生き続けるための3カ条が書いてあります。①異常を感じたらすぐ病院を受診する。②可能であれば、がん専門病院を受診する。③モニターしか見ないドクターには要注意(患者の顔を見て話をしてくれるドクターを選ぶ)
気持ちの持ち方として、(がんの)再発は、絶対にある。
162ページの文章がよくわかりませんでした。
『遺書は、これから書くつもりです。』の次に、俳句で、『遺言を呟いてゐる秋の蝉(ゆいごんを つぶやいている あきのせみ』と書いてあります。最初の『遺書(いしょ)』は、『遺言(ゆいごん)』の間違いではなかろうか。『遺書』だとなんだか、もうすぐに死んでしまうみたいです。
わたしはすでに遺言(ゆいごん)をつくって、司法書士法人にお願いして、公証人役場に届け出をしましたが、小倉一郎さんがこのページで書いた、『遺書』の意味は、公正証書遺言の手続きで出てくる『付言(ふげん)』だろうと考えました。遺言は、相続のやり方の内容で、付言は気持ちの伝達です。付言は遺族に自分の気持ちを伝えるのです。感謝と気遣いの言葉です。
本の後半は、気持ちが落ち着かれたのか、緩い(ゆるい)流れになっています。
たわいのないことだけれど、『生きている』という実感があります。
最後のほうに娘さんのコメントがあります。
読んでいると、自分にこどもがいて良かったなという気持ちになります。
人生の記念誌という位置づけの本でした。
がんで苦しんでいる人たちに役立つ本です。
幼少期を鹿児島県下甑島(しもこしき島)で過ごされたそうです。
わたしがこどものころ読んだ本に、『孤島の野犬(ことうのやけん)』という児童文学本がありました。甑島(こしきじま)が舞台だった記憶です。作者は、椋鳩十(むく・はとじゅう)さんです。1905年(明治38年)-1987年(昭和62年)82歳没。小説家。児童文学作家。
自分が就職した時、甑島出身の人が職場にいて、その本を読んだことがあると話したことを覚えています。
さて、こちらは、がんの宣告を受けた俳優さんの手記です。
本の最後のほうに、ご本人が文章を書いたのではなく、ご本人から聞き取りをしてつくられた文章だと書いてありました。(11ページに、双葉社の編集長の質問に答える形でこの本ができているそうです)
いずれにしても、ステージ4という(わたしは死の宣告だと思っています)厳しい状態から命をつないでおられます。たいしたものです。
目次に、『なぜ僕は生還できたのか?』とあります。全体的に、がんの早期発見を勧める内容になっているような気がする目次の内容でした。
『第一章 予兆』
2021年(令和3年)12月10日に、移動撮影用のアルミ製レールに足をとられて転倒して右足首を骨折した。(当時小倉さんは70歳ぐらいです。老齢になってからの転倒は、大きな話に発展します。もう若い時のように体が反応してくれません。わたしもふらふらすることがあります。ころびそうになると、自力で自分の体を支えて体勢を元に戻せません。いかにして、じょうずに、ころぼうかと考えます)
自分の実感だと、だれしもが、48歳ぐらいから体の具合が悪くなり始めます。壊れた体はもう元には戻りません。目が見にくくなってきて、歯は歯周病になって、皮膚もかぶれやすくなります。記憶力は衰えて、若い頃はびゅんびゅん動いていた体が、ゆっくりしか動けなくなります。女性は女性で更年期障害とか、またいろいろあると思います。
十代・二十代の若い人にはわからないと思います。中高年になってくると、指先はかさかさになって、しめりけがなくなります。新聞紙や本のページをめくれなくなります。だれもが、歳をとるのです。早くそういうことに気づいて、若い時から、心身のケアをしておいたほうがいいですよとアドバイスします。暴飲暴食は体を壊して歳をとってから深く後悔する原因になります。心身を酷使しないほうがいいですよ。健康が最優先です。
さて小倉一郎さんは、転倒して骨折した翌年、背中の右側に激痛があって、それが、肺がんの発見につながっています。
思うに、がんと気づくまでに痛みの予兆があると思うのです。
自覚症状です。内臓に痛みがあると思うのです。
早期に医療機関を受診したほうがいいです。小倉一郎さんは、30年間ぐらい健康診断を受けていなかったそうです。
本では、生まれ育ちのふりかえりから、身内にがんの遺伝血統があるような記述があります。いとこが末期の肺がんステージ4で、65歳で亡くなっています。
小倉一郎さんは、肺がんです。だいぶ前に禁煙されたそうですが、それまでは長いことタバコを吸っておられたそうです。
アルコールもだいぶ飲まれたようです。
怒られるかもしれませんが、わたしは、人間を判断するときの、ものさしのひとつとしてタバコを吸う人かどうかで、人間性を判断しています。たばこを吸う人に、いい人はいないと判断しています。
PET検査:注射をして、画像を見て、がんの有無や広がりを確認する。
『第二章 告知』
死ぬ準備を考えなければなりません。
わたしはこれまでに、がんで余命宣告を受けて亡くなっていった方たちの本を何冊も読みました。
自分ではどうすることもできない命でした。
覚悟を決めて、まわりにいる家族や友人たちとよく話をして、死地に旅立つ用意をして、みんなにサヨナラをしていくのです。
つらいものがあります。
小倉一郎さんの元の妻、昌子さんとのお子さんとして、長女:悠希さん 長男:龍希さん 次女:瑞希さん 三女:彩希さん みなさん、「希望」の「希」がつきます。
小倉一郎さんの実母、早苗さんは、小倉さんが誕生して1週間後に亡くなっています。(洋画、『愛情物語』みたいです)
叔母(父親の姉)山下初穂さんが育ての親です。
叔母山下初穂さんの息子憲夫さん(5歳年下)が、ステージ4の末期肺がんで亡くなっています。65歳でした。同居されていたから兄弟のような感じでお互いに育ったのでしょう。いとこです。
今の奥さんがまきさんです。小倉一郎さんは何度か結婚を経験されています。
小倉一郎さんは、父、兄、姉も亡くされています。なんだか、ご親族の命に恵まれない様子で、文章を読んでいて胸が詰まります。
2022年(令和4年)3月4日余命宣告を受ける。あと1年か2年の命と言われる。
いろいろ葛藤があります。(かっとう:苦悩する心理状態)
医師にとって、余命宣告は日常的な仕事なのでしょう。余命宣告にあたって、思いやりというような感情はこもっていません。事務的な通告です。
病状に関する具体的な話が淡々と出てきます。
本人の気持ちとして、『受け入れる』というよりも、『あきらめる』というほうが気持ちに合っていたそうです。奥さんとマネージャーと三人、みな無言です。
ご本人の頭の中にあるのは、残りの人生をどうやって過ごそうかです。
中学生から幼稚園までの孫5人には祖父ががんであることを教えないようにと指示をされています。
わたしは、孫たちには、遺体を見せるようにしています。義父母(妻の両親。孫たちからみれば、ひいおじいさんとひいおばあさん)の遺体は、葬儀のときに幼稚園生だった孫たちに見せました。孫たちは神妙な顔をしていましたが、なんだか状況をよくわかっていないようすでした。こちらの願いとしては、『人間の死』というものを体感してほしかった。
あきらめて静かになった小倉一郎さんを、友人や、とくに長女さんが鼓舞します。(こぶ:励まし振るい立たせる)
『少しはジタバタしなよ』
あきらめないのです。病院を変えます。がん治療の専門病院へ転院します。4月8日が初診です。
思い出づくりのための親族旅行です。
三世代総勢15人で、熱海へ行かれました。元妻とそのこどもたちもいます。
桜が満開だったそうです。
ご本人は、最後の家族旅行になるだろうと観念されています。(かんねん:あきらめる)
その後、ご本人は、やせてフラフラになります。
『救いの手』
深刻な話が続きます。
なんだかもう死ぬしかないみたいな雰囲気です。
肺がんステージ4です。
神奈川県立がんセンターのあたりから潮目が変わります。感謝という雰囲気が生まれてきます。
わたしには、理解できない単語が続きます。『重粒子線治療等(じゅうりゅうしせんちりょうとう)』、『手術や放射線治療』、『抗がん剤による化学療法』、『細胞障害性抗がん剤』、『根治(こんち。再発しない)』、『免疫チェックポイント阻害薬』、『分子標的薬』、『KRAS G12C遺伝子変異』、『緩和照射』、『医療用麻薬オキノーム』、『サイバーナイフ』
医師からの励ましの言葉は、『やれることは、すべてやりましょう』
がんが脳に転移しています。右の脳に10円玉大の腫瘍が見つかります。
読んでいて、絶望的な状態に思えます。
役者さんですから、医師の役をしたこともあるし、脳腫瘍の患者の役もしたこともあるそうです。
それが、現実になるという不思議な感覚があります。
脳に腫瘍があるから幻覚があります。実際は起きていないことが、脳の中で展開されます。
がん治療にはお金がかかるそうです。お子さんたちからの援助があります。
家族はだいじです。
高額療養費の制度があるので、だいじょうぶなような気がするのですが、自由診療(全額自己負担。保険適用なし)というのもあるようです。
(第四章で、脱毛対策ウィッグには、購入費助成制度があるそうです)
わずか2か月間で、55kgだった体重が、44kgに減少した。身長は、4cm縮んだ。
骨川筋衛門(ほねかわすじえもん)になってしまいます。死んじゃいます。
ふつうに考えると、在宅でしばらくすごして、家族と今後のことについてよく話し合って、記録を残して、状態が悪化したら入院して、楽にあの世へ旅立つという筋書きが思い浮かびます。
以前読んだ本に、『無人島のふたり 120日生きなくちゃ日記 山本文緒(やまもと・ふみお) 新潮社』があります。亡くなった女性小説家の方の日記です。余命宣告を受けて、2021年10月13日(令和3年)に、すい臓がんのため58歳でご逝去(ごせいきょ)されています。
『第四章 奇跡』
わたしの知らない単語が続きます。『新薬ソトラシブ』、『カルボプラチン(従来の抗がん剤)』、『ペメトレキセド(従来の抗がん剤)』、『ペムブロリズマブ(免疫チェックポイント阻害薬)』、『キイトルーダ』、『CD169陽性マクロファージ』、『カロナール』
治療の効果が現れます。
肺にあったがんの映像が小さくなります。
食欲が戻ってきました。やはり人間は、食べなくなったら死にます。小倉さんは自分でつくる手料理に目覚めます。味覚も良くなったそうです。
さらに、脳にあったがんが、『サイバーナイフ』という治療で、死滅しました。たった1回の照射で、癌細胞の固まりの映像が、ちりぢりのゴマ粒(つぶ)みたいな映像になったそうです。
俳句をつくること、俳句の会を運営することが、心の支えになっています。
番組、『徹子の部屋』に出演された回はわたしも見ました。2023年5月2日(火)でした。そのときはお元気そうなようすでした。
そのころうちの家族も大腸ポリープ切除の入院をしたころで、それはがんではなかったので、ほっとしたということが自分の当時の日記に書いてあります。
がんは治ったのではなく、治った“かのように”見えるだけですと書いてあります。
小倉一郎さんは、過去に転移したことがあるわけで、油断は禁物です。一日一日が大切な命の時間です。
育ての親の叔母さんのことが書いてあります。ひもじい思いをしたことは一度もないそうです。
邦画、『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』では、九州の母親役を演じる樹木希林さん(きき・きりんさん)が、東京で暮らす息子さんに、いつも、なんども、『ちゃんとごはんを食べているか?』と聞きます。息子が食べていると返事をすると、樹木希林さんは気持ちが落ち着きます。母親の役目はただひとつ、こどもにちゃんとごはんを食べさせることだけなのです。
『第五章 生かされて、今思うこと』
余命宣告をされて、来年に桜を見ることはないだろうと思ったそうです。桜と余命宣告はよく結び付けられます。さくらの花びらが散る光景が、命が尽きることを思い浮かべるきっかけになるからでしょう。
足を骨折したことがきっかけになって、がんがあることが判明した。めぐりあわせの奇妙さがあります。
人生では、幸運な流れが大切です。失敗したと思っていても、それが成功につながることがあります。
生き続けるための3カ条が書いてあります。①異常を感じたらすぐ病院を受診する。②可能であれば、がん専門病院を受診する。③モニターしか見ないドクターには要注意(患者の顔を見て話をしてくれるドクターを選ぶ)
気持ちの持ち方として、(がんの)再発は、絶対にある。
162ページの文章がよくわかりませんでした。
『遺書は、これから書くつもりです。』の次に、俳句で、『遺言を呟いてゐる秋の蝉(ゆいごんを つぶやいている あきのせみ』と書いてあります。最初の『遺書(いしょ)』は、『遺言(ゆいごん)』の間違いではなかろうか。『遺書』だとなんだか、もうすぐに死んでしまうみたいです。
わたしはすでに遺言(ゆいごん)をつくって、司法書士法人にお願いして、公証人役場に届け出をしましたが、小倉一郎さんがこのページで書いた、『遺書』の意味は、公正証書遺言の手続きで出てくる『付言(ふげん)』だろうと考えました。遺言は、相続のやり方の内容で、付言は気持ちの伝達です。付言は遺族に自分の気持ちを伝えるのです。感謝と気遣いの言葉です。
本の後半は、気持ちが落ち着かれたのか、緩い(ゆるい)流れになっています。
たわいのないことだけれど、『生きている』という実感があります。
最後のほうに娘さんのコメントがあります。
読んでいると、自分にこどもがいて良かったなという気持ちになります。
人生の記念誌という位置づけの本でした。
がんで苦しんでいる人たちに役立つ本です。
2024年04月24日
出川哲朗の充電バイクの旅 茨城御岩神社→筑波山神社
出川哲朗の充電バイクの旅 北関東パワスポ街道 茨城御岩神社(おいわじんじゃ)→筑波山神社 TVer(ティーバー)
出川哲朗の充電させてもらえませんか? ■行くぞ!北関東最強パワスポ街道113キロ■茨城の御岩神社から<笠間稲荷>通ってつくば神社へ■さらば森田&藤本美貴が大奮闘も哲朗は大ピンチ!ヤバイよヤバイよSP
(前半 ゲスト 藤本美貴さん)
わたしは、藤本美貴さんという方は知りませんが、品川庄司さんの庄司智春さんが、『ミキティー』と大きな声で叫ぶギャグは知っています。
今回ご本人を見て、美しくてかわいらしい奥さんでうらやましいと思いました。
もう中学一年生と8歳、4歳のお子さんがおられるそうなので、それなりの強いお母さんであられるのでしょう。
わたしは、藤本さんが所属されていた、『モーニング娘』というのもわかりません。現役で働いていたころは、仕事と共働きの子育てで忙しく、三十代から定年までの三十年間ぐらい、テレビは、ニュースと天気予報ぐらいしか見ることができませんでした。こどもたちがまだ小学生だったときは、いっしょにバラエティ番組ぐらいは見ていましたが、熱心にはテレビ番組に目を注いではいませんでした。
定年退職して自分が自由に使える時間が増えて、テレビを長時間見ることができるようになり、過去にこんないい番組があったのかと、知らずに過ぎた長い年月をさかのぼる作業を毎日のようにしています。水谷豊さんの『相棒』を観たときは、中身の濃い、いい刑事ドラマだなあと感嘆しました。
さてこの番組の後半のゲストである、さらば青春の光の森田さんは、以前別の番組で観て(番組名は忘れました)、人柄のいい人だなあという好印象が残っています。
充電バイクの旅は茨城県御岩神社を出発して、おそばやさんでお食事です。
おいしいお料理を食べながらおしゃべりを楽しみます。
メンバーは、この日の夕方には、ステーキをレストランで食べました。
おもしろかったのは、土地の名産である『常陸牛(ひたちぎゅう)』の漢字を出川哲朗さんもミキティさんも読めなくて、メニューを見ながら、どこに、「ひたちぎゅう」があるのだろうかと不審に思っていたことが判明した時でした。
なんというか、芸能人でなくても、小学校や中学校の算数・数学の問題が解けなかったり、ちょっとむずかしい漢字の読み書きができなかったりもします。でも、みんなちゃんと働いて稼いでいます。
人生という時間のほとんどを勉強で費やして、いい成績をとって、いい学歴を得ても、仕事が長続きせず、無職の期間が長ければ、生涯獲得賃金はそれほどでもないような気がします。仕事は、才能と努力、人間関係だと思うのです。
出川哲朗さんが、充電が切れたバイクを押しながら歩いていた時に出会った2歳児ぐらいの男の子がかわいらしかった。男の子の、『そーだねぇ』の返事が良かった。
充電させていただいた年配ご夫婦のお宅にいたワンちゃん(白い犬。スタンダードプードルという犬種らしい。ワンちゃんのお名前が、「エステル」)がおとなしくてかわいらしかった。
水戸芸術館タワーという建物は、不思議な形をしていました。
わたしは小学生の時に、茨城県に住んでいたことがあって、小学校の社会科見学で、偕楽園(かいらくえん)とどこかの新聞社、それから大洗海岸(おおあらいかいがん)に行ったことがあるのですが、出川哲朗さんもミキティさんも、『偕楽園(かいらくえん)』を知らなかったので驚きました。日本三名園(石川県の兼六園、岡山県の後楽園、そして偕楽園)です。
ミキティさんは、ドラマ『水戸黄門』に出演したことがあるので、水戸黄門のことはわかるそうです。『あづき姫』の役柄で出演されたそうです。
出川哲朗さんと同じ2月13日生まれの少年が偕楽園で登場しました。奇遇ですなあ。きぐう:思いがけないめぐりあい。
ミキティさんのだんなさんは嫉妬深いらしい。ときおり、『ジェラ、ジェラ』とふたりが言っていました。ジェラシーのことらしい。やきもち焼き:自分の愛する人の心が、ほかの異性にいくことをいやがる。
(後半は、次週につづく)
森田さんが出川哲朗さんに、神社で熊手を買いますかというようなことを質問して、出川哲朗さんは、神社では羽子板を買うんだということをしきりに森田さんにと言い返して、へんだなーぁと思いながら聞いて言いましたが、出川哲朗さんが言う、『羽子板』というのは、『絵馬(えま。願い事を書いて納める)』ではなかろうかと思ったのです。結局、羽子板が何かは、番組の中では判明せず、筑波山神社のことを話されていました。
調べたら、筑波山(つくばさん)→つく羽→羽子板で、筑波山神社が、羽子板発祥の地らしいです。筑波山神社では、羽子板の羽がお守りとなって売っているようですが、羽子板が売っているかどうかはわかりませんでした。
日本三大稲荷(いなり):豊川稲荷(愛知県豊川市。行ったことあります) 伏見稲荷(京都府。行ったことあります) 笠間稲荷(茨城県。今回番組紹介の神社です。行ったことはありません)
道の途中で充電させていただいた家の奥さんが穏やかな方で、話される言葉を聞いていて気持ちが落ち着きました。
午後から、桜川市というところで、おひなまつりのお人形をたくさん見ました。真壁(まかべ)のひなまつりというそうです。
そういえば先日、前回放送された四国ロケで映っていた宿毛(すくも)とか宇和島あたりで大きな地震がありました。こちらの番組でロケ地の映像を観たあとだったので驚きました。
出川哲朗さんと同じ時期に同じ病院にふたりとも入院していたという年配の男性がふたりの写真をスマホで見せてくれました。縁がある人とは、こんなところでまたという場所で出会ったりもします。
『ペンギン』というお店でハンバーグの食事をとりました。
25年ぐらい前、貧乏を脱出するために修行をする番組に出演して、師匠について料理を学んだという話が出ました。そういえば、そういう番組があったと思い出しました。『愛の貧乏脱出大作戦』でした。テレビ東京です。
映像ではいなかの風景が続きます。夕日が地平線に沈む風景がきれいです。それを見ながら、そういえば、政令指定都市の郊外でも、50年ぐらい前までは、あのような原野が広がっていた。今では、市街化されてビルが建ち、アスファルトとコンクリート、金属とガラスの街になっています。 道路沿いにビル型店舗が続く風景に変わりました。いいとも悪いともいえません。昔は、車で、短時間で行けた場所だったのが、途中に信号がたくさんできて、目的地まで時間がかかるようになりました。
筑波山神社での豆まき風景が出ました。出川哲朗さんも森田さんもたくさん豆やお餅をゲットしてにぎやかで楽しい光景でした。節分の時期だったのでしょう。お疲れさまでした。
出川哲朗の充電させてもらえませんか? ■行くぞ!北関東最強パワスポ街道113キロ■茨城の御岩神社から<笠間稲荷>通ってつくば神社へ■さらば森田&藤本美貴が大奮闘も哲朗は大ピンチ!ヤバイよヤバイよSP
(前半 ゲスト 藤本美貴さん)
わたしは、藤本美貴さんという方は知りませんが、品川庄司さんの庄司智春さんが、『ミキティー』と大きな声で叫ぶギャグは知っています。
今回ご本人を見て、美しくてかわいらしい奥さんでうらやましいと思いました。
もう中学一年生と8歳、4歳のお子さんがおられるそうなので、それなりの強いお母さんであられるのでしょう。
わたしは、藤本さんが所属されていた、『モーニング娘』というのもわかりません。現役で働いていたころは、仕事と共働きの子育てで忙しく、三十代から定年までの三十年間ぐらい、テレビは、ニュースと天気予報ぐらいしか見ることができませんでした。こどもたちがまだ小学生だったときは、いっしょにバラエティ番組ぐらいは見ていましたが、熱心にはテレビ番組に目を注いではいませんでした。
定年退職して自分が自由に使える時間が増えて、テレビを長時間見ることができるようになり、過去にこんないい番組があったのかと、知らずに過ぎた長い年月をさかのぼる作業を毎日のようにしています。水谷豊さんの『相棒』を観たときは、中身の濃い、いい刑事ドラマだなあと感嘆しました。
さてこの番組の後半のゲストである、さらば青春の光の森田さんは、以前別の番組で観て(番組名は忘れました)、人柄のいい人だなあという好印象が残っています。
充電バイクの旅は茨城県御岩神社を出発して、おそばやさんでお食事です。
おいしいお料理を食べながらおしゃべりを楽しみます。
メンバーは、この日の夕方には、ステーキをレストランで食べました。
おもしろかったのは、土地の名産である『常陸牛(ひたちぎゅう)』の漢字を出川哲朗さんもミキティさんも読めなくて、メニューを見ながら、どこに、「ひたちぎゅう」があるのだろうかと不審に思っていたことが判明した時でした。
なんというか、芸能人でなくても、小学校や中学校の算数・数学の問題が解けなかったり、ちょっとむずかしい漢字の読み書きができなかったりもします。でも、みんなちゃんと働いて稼いでいます。
人生という時間のほとんどを勉強で費やして、いい成績をとって、いい学歴を得ても、仕事が長続きせず、無職の期間が長ければ、生涯獲得賃金はそれほどでもないような気がします。仕事は、才能と努力、人間関係だと思うのです。
出川哲朗さんが、充電が切れたバイクを押しながら歩いていた時に出会った2歳児ぐらいの男の子がかわいらしかった。男の子の、『そーだねぇ』の返事が良かった。
充電させていただいた年配ご夫婦のお宅にいたワンちゃん(白い犬。スタンダードプードルという犬種らしい。ワンちゃんのお名前が、「エステル」)がおとなしくてかわいらしかった。
水戸芸術館タワーという建物は、不思議な形をしていました。
わたしは小学生の時に、茨城県に住んでいたことがあって、小学校の社会科見学で、偕楽園(かいらくえん)とどこかの新聞社、それから大洗海岸(おおあらいかいがん)に行ったことがあるのですが、出川哲朗さんもミキティさんも、『偕楽園(かいらくえん)』を知らなかったので驚きました。日本三名園(石川県の兼六園、岡山県の後楽園、そして偕楽園)です。
ミキティさんは、ドラマ『水戸黄門』に出演したことがあるので、水戸黄門のことはわかるそうです。『あづき姫』の役柄で出演されたそうです。
出川哲朗さんと同じ2月13日生まれの少年が偕楽園で登場しました。奇遇ですなあ。きぐう:思いがけないめぐりあい。
ミキティさんのだんなさんは嫉妬深いらしい。ときおり、『ジェラ、ジェラ』とふたりが言っていました。ジェラシーのことらしい。やきもち焼き:自分の愛する人の心が、ほかの異性にいくことをいやがる。
(後半は、次週につづく)
森田さんが出川哲朗さんに、神社で熊手を買いますかというようなことを質問して、出川哲朗さんは、神社では羽子板を買うんだということをしきりに森田さんにと言い返して、へんだなーぁと思いながら聞いて言いましたが、出川哲朗さんが言う、『羽子板』というのは、『絵馬(えま。願い事を書いて納める)』ではなかろうかと思ったのです。結局、羽子板が何かは、番組の中では判明せず、筑波山神社のことを話されていました。
調べたら、筑波山(つくばさん)→つく羽→羽子板で、筑波山神社が、羽子板発祥の地らしいです。筑波山神社では、羽子板の羽がお守りとなって売っているようですが、羽子板が売っているかどうかはわかりませんでした。
日本三大稲荷(いなり):豊川稲荷(愛知県豊川市。行ったことあります) 伏見稲荷(京都府。行ったことあります) 笠間稲荷(茨城県。今回番組紹介の神社です。行ったことはありません)
道の途中で充電させていただいた家の奥さんが穏やかな方で、話される言葉を聞いていて気持ちが落ち着きました。
午後から、桜川市というところで、おひなまつりのお人形をたくさん見ました。真壁(まかべ)のひなまつりというそうです。
そういえば先日、前回放送された四国ロケで映っていた宿毛(すくも)とか宇和島あたりで大きな地震がありました。こちらの番組でロケ地の映像を観たあとだったので驚きました。
出川哲朗さんと同じ時期に同じ病院にふたりとも入院していたという年配の男性がふたりの写真をスマホで見せてくれました。縁がある人とは、こんなところでまたという場所で出会ったりもします。
『ペンギン』というお店でハンバーグの食事をとりました。
25年ぐらい前、貧乏を脱出するために修行をする番組に出演して、師匠について料理を学んだという話が出ました。そういえば、そういう番組があったと思い出しました。『愛の貧乏脱出大作戦』でした。テレビ東京です。
映像ではいなかの風景が続きます。夕日が地平線に沈む風景がきれいです。それを見ながら、そういえば、政令指定都市の郊外でも、50年ぐらい前までは、あのような原野が広がっていた。今では、市街化されてビルが建ち、アスファルトとコンクリート、金属とガラスの街になっています。 道路沿いにビル型店舗が続く風景に変わりました。いいとも悪いともいえません。昔は、車で、短時間で行けた場所だったのが、途中に信号がたくさんできて、目的地まで時間がかかるようになりました。
筑波山神社での豆まき風景が出ました。出川哲朗さんも森田さんもたくさん豆やお餅をゲットしてにぎやかで楽しい光景でした。節分の時期だったのでしょう。お疲れさまでした。
2024年04月23日
東京の編集者 山高登さんに話を聞く 夏葉社
東京の編集者 山高登さんに話を聞く 夏葉社
本のカバーをはずして、カバーを横に広げて見ています。
一枚の白黒写真です。
昭和三十年代ぐらいの風景に見えます。
場所は東京都内にある港の近くでしょう。
海の向こうに、木造の古い家屋が、薄く(うすく)かすむように写っています。
京都、丹後半島に似たような景色があったと思います。『伊根の舟屋(いねのふなや)』という場所の風景に似ています。東京にも昔は稲の舟屋に似た場所があったのだなと、時代の経過を感じます。
山高登(やまたか・のぼる):1926年(大正元年)生まれ。木版画家。新潮社の文芸編集者だった。こちらの本は、山高登さんの写真とエッセイになっています。カラー写真は好まない。白黒写真がいいというようなことが書いてあります。現在98歳。
二葉亭四迷(ふたばてい・しめい):1864年(江戸時代末期)-1909年(明治42年)45歳没。小説家。翻訳家。
白黒写真です。
去年の秋に熊太郎夫婦が訪れた東京渋谷あたりの昔の写真です。昭和33年ですから、1958年です。以降、そのあたりの時代の写真が続きます。テレビ番組では先日、『アド街ック天国』で、渋谷にある百軒店(ひゃっけんだな)の特集を見ました。
渋谷、恵比寿、それから、まだ建設途中の東京タワーの写真があります。邦画、『三丁目の夕日シリーズ』の風景です。麻布(あざぶ)、丸の内、日本橋(昨年秋に熊太郎夫婦が歩いたあたりです。そのときは、日本銀行の前にあった貨幣博物館も見学しました)。
写真集は、山高登さんの伝記のようにして始まっています。
今の、西新宿四丁目あたりで生まれたとあります。東京都庁のそばにある新宿中央公園の西にある地域です。当時は、花柳界の街だったそうです。(芸者、遊女屋の集まった街。遊郭(ゆうかく))
泉鏡花(いずみ・きょうか):1873年(明治6年)-1939年(昭和14年)65歳没。小説家。
武蔵野にある明星学園(みょうじょうがくえん)に通った。現在の三鷹市、吉祥寺あたり。井の頭恩賜公園(いのかしらおんしこうえん)の南。帝都電鉄で通った。現在の京王電鉄。(あのあたりを武蔵野と呼ぶのか。知りませんでした。武蔵野は、もっと西北のあたりかと思っていました)
この本は、夏葉社の発行者である島田潤一郎さんが、当時91歳であられた山高登さんから聞き取ったことを文章にして本にまとめたものです。
インタビューは、2016年(平成28年)8月4日、9月27日、10月6日に、山高登さんのご自宅にて行われています。
本の雰囲気は、黒柳徹子さんの、『窓際のトットちゃん』みたいです。
第二次世界大戦後のことがからんでいます。食糧不足のことが書いてあります。
靖国通り:東京都道302号。東京を東西につなぐ道路。靖国神社の前を通る。
学徒勤労動員:学生が軍需産業のために集められて働いた。
山高登さんは、横浜鶴見の工場でドラム缶をつくっていた。
昭和20年3月の東京大空襲の被害は避けられた地域にいた。(場所は、目黒だそうです)
戦争末期に召集令状が来て、品川駅から広島県福山市の部隊に入隊した。そこでは、古兵にいじめられた。たまらなくいやな体験をした。
8月15日終戦の日に、玉音放送を聞いて、『命が助かった』と思った。
とても重い気持ちがあります。(心の負担。気持ちが晴れない)。一部の政治的権力者の言動のためにおおぜいの国民の命が失われるのが戦争です。
記述は、素直な言葉で淡々と書いてあります。書かれている内容は、胸に響く戦争体験の事実です。読んでいて、読み手は、戦争はしてはいけないと思います。
西田幾太郎(にしだ・きたろう):1870年(明治3年)-1945年(昭和20年)75歳没。哲学者。文学博士
山本有三:昨年三鷹市にある山本有三記念館を訪れて見学しました。昨秋のことですが、なつかしい。1887年(明治20年)-1974年(昭和49年)86歳没。小説家。政治家。
吉田甲子太郎(よしだ・きねたろう):山本有三の弟子(でし)。1894年(明治27年)-1957年(昭和32年)62歳没。翻訳家、英文学者、児童文学者。
銀河:新潮社の少年少女雑誌。山高登さんが昭和22年から編集者として参加した。1946年創刊(昭和21年)。1949年終刊(昭和24年)
坂口安吾(さかぐち・あんご):1906年(明治39年)-1955年(昭和30年)48歳没。小説家、評論家、随筆家。
田村泰次郎(たむら・たいじろう):1911年(明治44年)-1983年(昭和58年)71歳没。小説家。代表作として、『肉体の門 1947年(昭和22年)発表 終戦直後の東京を舞台にして、混乱する社会を生き抜く女性を描いた』
林芙美子(はやし・ふみこ):1903年(明治36年)-1951年(昭和26年)47歳没。小説家。
高浜虚子(たかはま・きょし):1874年(明治7年)-1959年(昭和34年)85歳没。俳人、小説家。
ゾッキ屋:投げ売りの新本を売る店。
水上勉(みなかみ・つとむ):1919年(大正8年)-2004年(平成16年)85歳没。小説家。
永井荷風(ながい・かふう):1879年(明治12年)-1959年(昭和34年)79歳没。小説家。
内田百閒(うちだ・ひゃっけん):1889年(明治22年)-1971年(昭和46年)81歳没。小説家。随筆家。
88ページまで読み続けてきて思ったことです。
もうほとんどのみなさんがお亡くなりになった。
日本の近代文学の流れを読むようです。
明治時代以降の流れです。
第二次世界大戦を境目に考え方が変わります。
現在NHKの朝ドラ、『虎に翼』で、日本人社会の『(男女)差別』が素材のひとつになっています。戦前、女性は、家畜同然の扱いです。『(女性は)無能力者』なのです。女性は、なにをするにしても、戸主である夫とか、男性の許可がいるのです。それが当然と思いこんでいる女性もいます。
近代文学の流れにもそういったことが下地になっている作品もあるのでしょう。
二丁(にちょう。距離として):一丁が約109m。声が二丁先からでも聞こえるとあります。
氏より育ち:うじよりそだち。家柄や身分よりも、育った環境やしつけのほうが、人間の形成に影響を与える。
成城の町:世田谷区成城(せいじょう)
土門拳(どもん・けん):1909年(明治42年)-1990年(平成2年)80歳没。写真家。
新美南吉(にいみ・なんきち):1913年(大正2年)-1943年(昭和18年)29歳没。児童文学作家。
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン):アイルランド系・ギリシャ生まれ。1896年(明治29年)に日本国籍を取得している。1850年(江戸時代末期)-1904年(明治37年)54歳没。
宇野千代:1897年(明治30年)-1996年(平成8年)98歳没。小説家、随筆家。
坪田譲二:1890年(明治23年)-1982年(昭和57年)92歳没。児童文学作家
第二次世界大戦中は、言論統制の時代でした。言いたい事、書きたい事が書けない時代でした。
共産主義社会、社会主義社会の国と似ています。
『自由』と『平等』は大切です。
野暮天(やぼてん):ダサイ。融通がきかない。雰囲気を読めない。
低徊趣味(れいかいしゅみ):世俗を離れて、余裕をもって、自然や芸術、人生をながめる方針のようなもの。
書票(しょひょう。蔵書票・ぞうしょひょう):所蔵者名を記した美しい絵・図版の小さな紙。
本のカバーをはずして、カバーを横に広げて見ています。
一枚の白黒写真です。
昭和三十年代ぐらいの風景に見えます。
場所は東京都内にある港の近くでしょう。
海の向こうに、木造の古い家屋が、薄く(うすく)かすむように写っています。
京都、丹後半島に似たような景色があったと思います。『伊根の舟屋(いねのふなや)』という場所の風景に似ています。東京にも昔は稲の舟屋に似た場所があったのだなと、時代の経過を感じます。
山高登(やまたか・のぼる):1926年(大正元年)生まれ。木版画家。新潮社の文芸編集者だった。こちらの本は、山高登さんの写真とエッセイになっています。カラー写真は好まない。白黒写真がいいというようなことが書いてあります。現在98歳。
二葉亭四迷(ふたばてい・しめい):1864年(江戸時代末期)-1909年(明治42年)45歳没。小説家。翻訳家。
白黒写真です。
去年の秋に熊太郎夫婦が訪れた東京渋谷あたりの昔の写真です。昭和33年ですから、1958年です。以降、そのあたりの時代の写真が続きます。テレビ番組では先日、『アド街ック天国』で、渋谷にある百軒店(ひゃっけんだな)の特集を見ました。
渋谷、恵比寿、それから、まだ建設途中の東京タワーの写真があります。邦画、『三丁目の夕日シリーズ』の風景です。麻布(あざぶ)、丸の内、日本橋(昨年秋に熊太郎夫婦が歩いたあたりです。そのときは、日本銀行の前にあった貨幣博物館も見学しました)。
写真集は、山高登さんの伝記のようにして始まっています。
今の、西新宿四丁目あたりで生まれたとあります。東京都庁のそばにある新宿中央公園の西にある地域です。当時は、花柳界の街だったそうです。(芸者、遊女屋の集まった街。遊郭(ゆうかく))
泉鏡花(いずみ・きょうか):1873年(明治6年)-1939年(昭和14年)65歳没。小説家。
武蔵野にある明星学園(みょうじょうがくえん)に通った。現在の三鷹市、吉祥寺あたり。井の頭恩賜公園(いのかしらおんしこうえん)の南。帝都電鉄で通った。現在の京王電鉄。(あのあたりを武蔵野と呼ぶのか。知りませんでした。武蔵野は、もっと西北のあたりかと思っていました)
この本は、夏葉社の発行者である島田潤一郎さんが、当時91歳であられた山高登さんから聞き取ったことを文章にして本にまとめたものです。
インタビューは、2016年(平成28年)8月4日、9月27日、10月6日に、山高登さんのご自宅にて行われています。
本の雰囲気は、黒柳徹子さんの、『窓際のトットちゃん』みたいです。
第二次世界大戦後のことがからんでいます。食糧不足のことが書いてあります。
靖国通り:東京都道302号。東京を東西につなぐ道路。靖国神社の前を通る。
学徒勤労動員:学生が軍需産業のために集められて働いた。
山高登さんは、横浜鶴見の工場でドラム缶をつくっていた。
昭和20年3月の東京大空襲の被害は避けられた地域にいた。(場所は、目黒だそうです)
戦争末期に召集令状が来て、品川駅から広島県福山市の部隊に入隊した。そこでは、古兵にいじめられた。たまらなくいやな体験をした。
8月15日終戦の日に、玉音放送を聞いて、『命が助かった』と思った。
とても重い気持ちがあります。(心の負担。気持ちが晴れない)。一部の政治的権力者の言動のためにおおぜいの国民の命が失われるのが戦争です。
記述は、素直な言葉で淡々と書いてあります。書かれている内容は、胸に響く戦争体験の事実です。読んでいて、読み手は、戦争はしてはいけないと思います。
西田幾太郎(にしだ・きたろう):1870年(明治3年)-1945年(昭和20年)75歳没。哲学者。文学博士
山本有三:昨年三鷹市にある山本有三記念館を訪れて見学しました。昨秋のことですが、なつかしい。1887年(明治20年)-1974年(昭和49年)86歳没。小説家。政治家。
吉田甲子太郎(よしだ・きねたろう):山本有三の弟子(でし)。1894年(明治27年)-1957年(昭和32年)62歳没。翻訳家、英文学者、児童文学者。
銀河:新潮社の少年少女雑誌。山高登さんが昭和22年から編集者として参加した。1946年創刊(昭和21年)。1949年終刊(昭和24年)
坂口安吾(さかぐち・あんご):1906年(明治39年)-1955年(昭和30年)48歳没。小説家、評論家、随筆家。
田村泰次郎(たむら・たいじろう):1911年(明治44年)-1983年(昭和58年)71歳没。小説家。代表作として、『肉体の門 1947年(昭和22年)発表 終戦直後の東京を舞台にして、混乱する社会を生き抜く女性を描いた』
林芙美子(はやし・ふみこ):1903年(明治36年)-1951年(昭和26年)47歳没。小説家。
高浜虚子(たかはま・きょし):1874年(明治7年)-1959年(昭和34年)85歳没。俳人、小説家。
ゾッキ屋:投げ売りの新本を売る店。
水上勉(みなかみ・つとむ):1919年(大正8年)-2004年(平成16年)85歳没。小説家。
永井荷風(ながい・かふう):1879年(明治12年)-1959年(昭和34年)79歳没。小説家。
内田百閒(うちだ・ひゃっけん):1889年(明治22年)-1971年(昭和46年)81歳没。小説家。随筆家。
88ページまで読み続けてきて思ったことです。
もうほとんどのみなさんがお亡くなりになった。
日本の近代文学の流れを読むようです。
明治時代以降の流れです。
第二次世界大戦を境目に考え方が変わります。
現在NHKの朝ドラ、『虎に翼』で、日本人社会の『(男女)差別』が素材のひとつになっています。戦前、女性は、家畜同然の扱いです。『(女性は)無能力者』なのです。女性は、なにをするにしても、戸主である夫とか、男性の許可がいるのです。それが当然と思いこんでいる女性もいます。
近代文学の流れにもそういったことが下地になっている作品もあるのでしょう。
二丁(にちょう。距離として):一丁が約109m。声が二丁先からでも聞こえるとあります。
氏より育ち:うじよりそだち。家柄や身分よりも、育った環境やしつけのほうが、人間の形成に影響を与える。
成城の町:世田谷区成城(せいじょう)
土門拳(どもん・けん):1909年(明治42年)-1990年(平成2年)80歳没。写真家。
新美南吉(にいみ・なんきち):1913年(大正2年)-1943年(昭和18年)29歳没。児童文学作家。
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン):アイルランド系・ギリシャ生まれ。1896年(明治29年)に日本国籍を取得している。1850年(江戸時代末期)-1904年(明治37年)54歳没。
宇野千代:1897年(明治30年)-1996年(平成8年)98歳没。小説家、随筆家。
坪田譲二:1890年(明治23年)-1982年(昭和57年)92歳没。児童文学作家
第二次世界大戦中は、言論統制の時代でした。言いたい事、書きたい事が書けない時代でした。
共産主義社会、社会主義社会の国と似ています。
『自由』と『平等』は大切です。
野暮天(やぼてん):ダサイ。融通がきかない。雰囲気を読めない。
低徊趣味(れいかいしゅみ):世俗を離れて、余裕をもって、自然や芸術、人生をながめる方針のようなもの。
書票(しょひょう。蔵書票・ぞうしょひょう):所蔵者名を記した美しい絵・図版の小さな紙。