2024年04月23日
東京の編集者 山高登さんに話を聞く 夏葉社
東京の編集者 山高登さんに話を聞く 夏葉社
本のカバーをはずして、カバーを横に広げて見ています。
一枚の白黒写真です。
昭和三十年代ぐらいの風景に見えます。
場所は東京都内にある港の近くでしょう。
海の向こうに、木造の古い家屋が、薄く(うすく)かすむように写っています。
京都、丹後半島に似たような景色があったと思います。『伊根の舟屋(いねのふなや)』という場所の風景に似ています。東京にも昔は稲の舟屋に似た場所があったのだなと、時代の経過を感じます。
山高登(やまたか・のぼる):1926年(大正元年)生まれ。木版画家。新潮社の文芸編集者だった。こちらの本は、山高登さんの写真とエッセイになっています。カラー写真は好まない。白黒写真がいいというようなことが書いてあります。現在98歳。
二葉亭四迷(ふたばてい・しめい):1864年(江戸時代末期)-1909年(明治42年)45歳没。小説家。翻訳家。
白黒写真です。
去年の秋に熊太郎夫婦が訪れた東京渋谷あたりの昔の写真です。昭和33年ですから、1958年です。以降、そのあたりの時代の写真が続きます。テレビ番組では先日、『アド街ック天国』で、渋谷にある百軒店(ひゃっけんだな)の特集を見ました。
渋谷、恵比寿、それから、まだ建設途中の東京タワーの写真があります。邦画、『三丁目の夕日シリーズ』の風景です。麻布(あざぶ)、丸の内、日本橋(昨年秋に熊太郎夫婦が歩いたあたりです。そのときは、日本銀行の前にあった貨幣博物館も見学しました)。
写真集は、山高登さんの伝記のようにして始まっています。
今の、西新宿四丁目あたりで生まれたとあります。東京都庁のそばにある新宿中央公園の西にある地域です。当時は、花柳界の街だったそうです。(芸者、遊女屋の集まった街。遊郭(ゆうかく))
泉鏡花(いずみ・きょうか):1873年(明治6年)-1939年(昭和14年)65歳没。小説家。
武蔵野にある明星学園(みょうじょうがくえん)に通った。現在の三鷹市、吉祥寺あたり。井の頭恩賜公園(いのかしらおんしこうえん)の南。帝都電鉄で通った。現在の京王電鉄。(あのあたりを武蔵野と呼ぶのか。知りませんでした。武蔵野は、もっと西北のあたりかと思っていました)
この本は、夏葉社の発行者である島田潤一郎さんが、当時91歳であられた山高登さんから聞き取ったことを文章にして本にまとめたものです。
インタビューは、2016年(平成28年)8月4日、9月27日、10月6日に、山高登さんのご自宅にて行われています。
本の雰囲気は、黒柳徹子さんの、『窓際のトットちゃん』みたいです。
第二次世界大戦後のことがからんでいます。食糧不足のことが書いてあります。
靖国通り:東京都道302号。東京を東西につなぐ道路。靖国神社の前を通る。
学徒勤労動員:学生が軍需産業のために集められて働いた。
山高登さんは、横浜鶴見の工場でドラム缶をつくっていた。
昭和20年3月の東京大空襲の被害は避けられた地域にいた。(場所は、目黒だそうです)
戦争末期に召集令状が来て、品川駅から広島県福山市の部隊に入隊した。そこでは、古兵にいじめられた。たまらなくいやな体験をした。
8月15日終戦の日に、玉音放送を聞いて、『命が助かった』と思った。
とても重い気持ちがあります。(心の負担。気持ちが晴れない)。一部の政治的権力者の言動のためにおおぜいの国民の命が失われるのが戦争です。
記述は、素直な言葉で淡々と書いてあります。書かれている内容は、胸に響く戦争体験の事実です。読んでいて、読み手は、戦争はしてはいけないと思います。
西田幾太郎(にしだ・きたろう):1870年(明治3年)-1945年(昭和20年)75歳没。哲学者。文学博士
山本有三:昨年三鷹市にある山本有三記念館を訪れて見学しました。昨秋のことですが、なつかしい。1887年(明治20年)-1974年(昭和49年)86歳没。小説家。政治家。
吉田甲子太郎(よしだ・きねたろう):山本有三の弟子(でし)。1894年(明治27年)-1957年(昭和32年)62歳没。翻訳家、英文学者、児童文学者。
銀河:新潮社の少年少女雑誌。山高登さんが昭和22年から編集者として参加した。1946年創刊(昭和21年)。1949年終刊(昭和24年)
坂口安吾(さかぐち・あんご):1906年(明治39年)-1955年(昭和30年)48歳没。小説家、評論家、随筆家。
田村泰次郎(たむら・たいじろう):1911年(明治44年)-1983年(昭和58年)71歳没。小説家。代表作として、『肉体の門 1947年(昭和22年)発表 終戦直後の東京を舞台にして、混乱する社会を生き抜く女性を描いた』
林芙美子(はやし・ふみこ):1903年(明治36年)-1951年(昭和26年)47歳没。小説家。
高浜虚子(たかはま・きょし):1874年(明治7年)-1959年(昭和34年)85歳没。俳人、小説家。
ゾッキ屋:投げ売りの新本を売る店。
水上勉(みなかみ・つとむ):1919年(大正8年)-2004年(平成16年)85歳没。小説家。
永井荷風(ながい・かふう):1879年(明治12年)-1959年(昭和34年)79歳没。小説家。
内田百閒(うちだ・ひゃっけん):1889年(明治22年)-1971年(昭和46年)81歳没。小説家。随筆家。
88ページまで読み続けてきて思ったことです。
もうほとんどのみなさんがお亡くなりになった。
日本の近代文学の流れを読むようです。
明治時代以降の流れです。
第二次世界大戦を境目に考え方が変わります。
現在NHKの朝ドラ、『虎に翼』で、日本人社会の『(男女)差別』が素材のひとつになっています。戦前、女性は、家畜同然の扱いです。『(女性は)無能力者』なのです。女性は、なにをするにしても、戸主である夫とか、男性の許可がいるのです。それが当然と思いこんでいる女性もいます。
近代文学の流れにもそういったことが下地になっている作品もあるのでしょう。
二丁(にちょう。距離として):一丁が約109m。声が二丁先からでも聞こえるとあります。
氏より育ち:うじよりそだち。家柄や身分よりも、育った環境やしつけのほうが、人間の形成に影響を与える。
成城の町:世田谷区成城(せいじょう)
土門拳(どもん・けん):1909年(明治42年)-1990年(平成2年)80歳没。写真家。
新美南吉(にいみ・なんきち):1913年(大正2年)-1943年(昭和18年)29歳没。児童文学作家。
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン):アイルランド系・ギリシャ生まれ。1896年(明治29年)に日本国籍を取得している。1850年(江戸時代末期)-1904年(明治37年)54歳没。
宇野千代:1897年(明治30年)-1996年(平成8年)98歳没。小説家、随筆家。
坪田譲二:1890年(明治23年)-1982年(昭和57年)92歳没。児童文学作家
第二次世界大戦中は、言論統制の時代でした。言いたい事、書きたい事が書けない時代でした。
共産主義社会、社会主義社会の国と似ています。
『自由』と『平等』は大切です。
野暮天(やぼてん):ダサイ。融通がきかない。雰囲気を読めない。
低徊趣味(れいかいしゅみ):世俗を離れて、余裕をもって、自然や芸術、人生をながめる方針のようなもの。
書票(しょひょう。蔵書票・ぞうしょひょう):所蔵者名を記した美しい絵・図版の小さな紙。
本のカバーをはずして、カバーを横に広げて見ています。
一枚の白黒写真です。
昭和三十年代ぐらいの風景に見えます。
場所は東京都内にある港の近くでしょう。
海の向こうに、木造の古い家屋が、薄く(うすく)かすむように写っています。
京都、丹後半島に似たような景色があったと思います。『伊根の舟屋(いねのふなや)』という場所の風景に似ています。東京にも昔は稲の舟屋に似た場所があったのだなと、時代の経過を感じます。
山高登(やまたか・のぼる):1926年(大正元年)生まれ。木版画家。新潮社の文芸編集者だった。こちらの本は、山高登さんの写真とエッセイになっています。カラー写真は好まない。白黒写真がいいというようなことが書いてあります。現在98歳。
二葉亭四迷(ふたばてい・しめい):1864年(江戸時代末期)-1909年(明治42年)45歳没。小説家。翻訳家。
白黒写真です。
去年の秋に熊太郎夫婦が訪れた東京渋谷あたりの昔の写真です。昭和33年ですから、1958年です。以降、そのあたりの時代の写真が続きます。テレビ番組では先日、『アド街ック天国』で、渋谷にある百軒店(ひゃっけんだな)の特集を見ました。
渋谷、恵比寿、それから、まだ建設途中の東京タワーの写真があります。邦画、『三丁目の夕日シリーズ』の風景です。麻布(あざぶ)、丸の内、日本橋(昨年秋に熊太郎夫婦が歩いたあたりです。そのときは、日本銀行の前にあった貨幣博物館も見学しました)。
写真集は、山高登さんの伝記のようにして始まっています。
今の、西新宿四丁目あたりで生まれたとあります。東京都庁のそばにある新宿中央公園の西にある地域です。当時は、花柳界の街だったそうです。(芸者、遊女屋の集まった街。遊郭(ゆうかく))
泉鏡花(いずみ・きょうか):1873年(明治6年)-1939年(昭和14年)65歳没。小説家。
武蔵野にある明星学園(みょうじょうがくえん)に通った。現在の三鷹市、吉祥寺あたり。井の頭恩賜公園(いのかしらおんしこうえん)の南。帝都電鉄で通った。現在の京王電鉄。(あのあたりを武蔵野と呼ぶのか。知りませんでした。武蔵野は、もっと西北のあたりかと思っていました)
この本は、夏葉社の発行者である島田潤一郎さんが、当時91歳であられた山高登さんから聞き取ったことを文章にして本にまとめたものです。
インタビューは、2016年(平成28年)8月4日、9月27日、10月6日に、山高登さんのご自宅にて行われています。
本の雰囲気は、黒柳徹子さんの、『窓際のトットちゃん』みたいです。
第二次世界大戦後のことがからんでいます。食糧不足のことが書いてあります。
靖国通り:東京都道302号。東京を東西につなぐ道路。靖国神社の前を通る。
学徒勤労動員:学生が軍需産業のために集められて働いた。
山高登さんは、横浜鶴見の工場でドラム缶をつくっていた。
昭和20年3月の東京大空襲の被害は避けられた地域にいた。(場所は、目黒だそうです)
戦争末期に召集令状が来て、品川駅から広島県福山市の部隊に入隊した。そこでは、古兵にいじめられた。たまらなくいやな体験をした。
8月15日終戦の日に、玉音放送を聞いて、『命が助かった』と思った。
とても重い気持ちがあります。(心の負担。気持ちが晴れない)。一部の政治的権力者の言動のためにおおぜいの国民の命が失われるのが戦争です。
記述は、素直な言葉で淡々と書いてあります。書かれている内容は、胸に響く戦争体験の事実です。読んでいて、読み手は、戦争はしてはいけないと思います。
西田幾太郎(にしだ・きたろう):1870年(明治3年)-1945年(昭和20年)75歳没。哲学者。文学博士
山本有三:昨年三鷹市にある山本有三記念館を訪れて見学しました。昨秋のことですが、なつかしい。1887年(明治20年)-1974年(昭和49年)86歳没。小説家。政治家。
吉田甲子太郎(よしだ・きねたろう):山本有三の弟子(でし)。1894年(明治27年)-1957年(昭和32年)62歳没。翻訳家、英文学者、児童文学者。
銀河:新潮社の少年少女雑誌。山高登さんが昭和22年から編集者として参加した。1946年創刊(昭和21年)。1949年終刊(昭和24年)
坂口安吾(さかぐち・あんご):1906年(明治39年)-1955年(昭和30年)48歳没。小説家、評論家、随筆家。
田村泰次郎(たむら・たいじろう):1911年(明治44年)-1983年(昭和58年)71歳没。小説家。代表作として、『肉体の門 1947年(昭和22年)発表 終戦直後の東京を舞台にして、混乱する社会を生き抜く女性を描いた』
林芙美子(はやし・ふみこ):1903年(明治36年)-1951年(昭和26年)47歳没。小説家。
高浜虚子(たかはま・きょし):1874年(明治7年)-1959年(昭和34年)85歳没。俳人、小説家。
ゾッキ屋:投げ売りの新本を売る店。
水上勉(みなかみ・つとむ):1919年(大正8年)-2004年(平成16年)85歳没。小説家。
永井荷風(ながい・かふう):1879年(明治12年)-1959年(昭和34年)79歳没。小説家。
内田百閒(うちだ・ひゃっけん):1889年(明治22年)-1971年(昭和46年)81歳没。小説家。随筆家。
88ページまで読み続けてきて思ったことです。
もうほとんどのみなさんがお亡くなりになった。
日本の近代文学の流れを読むようです。
明治時代以降の流れです。
第二次世界大戦を境目に考え方が変わります。
現在NHKの朝ドラ、『虎に翼』で、日本人社会の『(男女)差別』が素材のひとつになっています。戦前、女性は、家畜同然の扱いです。『(女性は)無能力者』なのです。女性は、なにをするにしても、戸主である夫とか、男性の許可がいるのです。それが当然と思いこんでいる女性もいます。
近代文学の流れにもそういったことが下地になっている作品もあるのでしょう。
二丁(にちょう。距離として):一丁が約109m。声が二丁先からでも聞こえるとあります。
氏より育ち:うじよりそだち。家柄や身分よりも、育った環境やしつけのほうが、人間の形成に影響を与える。
成城の町:世田谷区成城(せいじょう)
土門拳(どもん・けん):1909年(明治42年)-1990年(平成2年)80歳没。写真家。
新美南吉(にいみ・なんきち):1913年(大正2年)-1943年(昭和18年)29歳没。児童文学作家。
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン):アイルランド系・ギリシャ生まれ。1896年(明治29年)に日本国籍を取得している。1850年(江戸時代末期)-1904年(明治37年)54歳没。
宇野千代:1897年(明治30年)-1996年(平成8年)98歳没。小説家、随筆家。
坪田譲二:1890年(明治23年)-1982年(昭和57年)92歳没。児童文学作家
第二次世界大戦中は、言論統制の時代でした。言いたい事、書きたい事が書けない時代でした。
共産主義社会、社会主義社会の国と似ています。
『自由』と『平等』は大切です。
野暮天(やぼてん):ダサイ。融通がきかない。雰囲気を読めない。
低徊趣味(れいかいしゅみ):世俗を離れて、余裕をもって、自然や芸術、人生をながめる方針のようなもの。
書票(しょひょう。蔵書票・ぞうしょひょう):所蔵者名を記した美しい絵・図版の小さな紙。