2024年04月22日

不思議な事 株式投資

不思議な事 株式投資

 先週は、4月19日金曜日にかけて、日経平均株価が急速に下落していきました。
 金曜日、一時は、1,346.64円も下がりました。かなりの下げです。

 今年に入って、日銀の金融緩和の発表が予想できたので、自分はそのことが発表される前に、持ち株の整理整頓(せいりせいとん)をしました。
 日本の金利が上がって円高になると予想して、いくつかの銘柄を手離しました。円高になれば、たいていの会社の株価が下がると判断しました。
 卸売業(おろしうりぎょう)、建設業、輸送用機器、その他金融業などの銘柄を売却しました。円高になった場合の安全策として、手元には、銀行業と医薬品の銘柄を保有しました。

 ところが、日銀の金融緩和が発表されても円高にはなりませんでした。ずーっと、極端ともいえるほどの円安ドル高が続いています。
 日銀が、金融緩和(利上げ)によって、経済に悪影響が出ないようにするために、とてもゆるやかに金利をあげると表明したからだと思います。(最近ちょっと日銀の態度が変わりつつありますが、3月の発表当時はそうでした)

 4月19日金曜日になって、日経平均株価が大きく下がって、がっかりしました。
 ところが、東証プライム値上がり率ランキングを見てびっくりしました。
 自分が持っている複数の銘柄(銀行、製薬会社)が、かなり上位の中にありました。
 どうしたことだろうか。株価がこんなに大暴落している日に、どうして自分がもっている株の株価が上がるのか理由がわかりません。自分は、損はしていないとはいえ、理屈が通らず不可解です。あいかわらずのひどいとも思える円安ドル高で、経済環境が変わったとも思えません。円安ならふつう株価は上がると思うのです。
 しばらくようすを見てみます。損得のことは度外視(どがいし。無視)して、不気味です。

(その後 4月22日月曜日朝のこと)
 へこんでいた株価は、全体的に上がってきました。
 上がってきたというよりも、元の株価に戻ってきたという感じです。
 上がったら下がる。下がったら上がるのが株価です。
 いろいろな情報を鵜呑み(うのみ)にせずに(丸飲みせずに)、自分の脳みそで、よーく考えて戦略を練ります。先がどうなるかは、だれにもわかりません。  

Posted by 熊太郎 at 10:14Comments(0)TrackBack(0)株式投資

2024年04月20日

おくりものはナンニモナイ パトリック・マクドネル

おくりものはナンニモナイ パトリック・マクドネル 谷川俊太郎・訳 あすなろ書房

 不思議な絵本でした。
 う~む。意味をとれない。

 贈り物をする相手が、なんでももっているのです。
 だから相手に贈るものが、ナンニモナイのです。
 贈るものがないから、からっぽの箱を贈り物として相手に渡すのです。
 どういう意味があるのだろうか。

 読書の経過です。
 外国です。
 雪が降っている田舎(いなか)の風景です。
 ムーチ(ねこです)が、だいすきなアール(ねこだと思ったら犬でした)に贈り物をしたい。(最初は絵を見て、犬だと思いました)
 そのあと、アールは、すでに、なんでももっているという話が続きます。
 ムーチは、アールをよろこばせたい。
 その結論として、『ナンニモナイ』を贈ることにしました。
 奇妙な話です。
 アールは、『ナンニモナイ』をさがし始めます。『ナンニモナイ』はどこにあるんだろう。
 フランクという男性が、テレビを見ながら、『みたいものは ナンニモナイ』と言います。(見たいものは何にもない)
 ドゥージーという男の子は、『することは ナンニモナイ!』と言います。
 ミリーというおばあさんは、『かいたいものは ナンニモナイ』と言います。
 ムーチは、街へ買い物に行きます。
 どこにも、『ナンニモナイ』は売っていません。
 ムーチは、やむなく帰宅して、部屋でじっと座っています。
 そこから、どういう発想になったのか理解できないのですが、大きな空箱をかかえて、アールの家に行きます。箱の中身は、『ナンニモナイ』(のつもり)です。
 (『欲』がないということを表現してあるのだろうか)
 受け取ったアールは、箱をあけて、『ナンニモナイ』と言います。
 そして、きみとぼくがいれば、それでいいと話はまとまります。

 なんだろう。『無の中の有り』を表現してあるのだろうか。
 『無』の中に、幸せがある。
 哲学的です。

 ふと老齢になった自分が思ったことです。
 『あとは死ぬまで生きるだけ』に通じるものがあるような…… したいことがあるようでない。ナンニモナイ。したいことがあっても、体力が衰えて、できなくなったともいえます。あとは、これまでに体験がたくさんあるので、したいことを頭の中で想像すれば、したいことをした気分になれるから、なにもしなくてもいいということもあります。

 ほかの人たちの読書感想を読んでみました。
 『ナンニモナイ』は、大切な人といっしょにすごす時間を表現してあるそうです。
 ものはいらない。ふたりで、いっしょにいるだけでいい。

 夫婦か、恋人みたいなものか。
 されど、長年連れ添った夫婦でも、一日中、会話がない夫婦というのは聞きます。
 (うちは、朝から晩までずーっとしゃべっていますが、そういう夫婦は珍しいそうです。18歳のときからの長い付き合いです。歳月が流れて、ああこの人といっしょになれて良かったと感謝しております)  

Posted by 熊太郎 at 06:18Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2024年04月19日

東京を生きる 雨宮まみ(あまみや・まみ)

東京を生きる 雨宮まみ(あまみや・まみ) 大和書房

 なにかの雑誌で紹介されていて、興味をもって読み始めました。
 郷里がわたしと同じく福岡県である若い女性が書いた本です。
 わたしは、生まれてからしばらくと、中学校の途中から高校を卒業するまで福岡県内で過ごしました。いちおう実家や親族もまだ福岡にありますが、福岡にいなかったときは、熊本とか茨城、栃木、愛知などで過ごしました。
 書中で福岡と福岡人の特徴が書かれてありますが、そのとおりです。文化的な庶民性をもった土地柄です。東京へ出て有名になる人が多いのも必然だと思います。

 著者は、なにかしら、艶っぽい(つやっぽい)なかで生活をなりたててきた方のようですが、自分は存じ上げません。
 『はじめに』の文章を読みましたが、読みやすい文章です。
 読み進めながら感想をつぎ足していきます。

 東京へのこだわりが感じられる文章です。
 ご自分は、東京でないと生活していけないそうです。
 
 (その後、ご本人が亡くなっていることを知りました。2016年11月15日40歳没。自宅で事故のため心肺停止だったそうです。太く短く生きる人っています。うちのオヤジも40歳で病死しました。太く短く生きた人でした)

 なんというか、地域へのこだわりというものは、歳月が流れると、こだわることはなかったと思えることがあります。
 日本は小さな島国です。24時間あれば、たいていのところへは行けます。区域とか、境目、境界線にこだわることは無意味です。いつだって、どこへだって、自由に動き回ればいい。自分が好きなところに住んで好きなように暮らしていけばいい。

 本の冒頭で、自分の家の経済状態が苦しいということも知らず、親が進学をやめてくれというのに、東京の大学へ進学することを選択した。あとで、自分の家が貧しい、大学の学費なんか出せる状態ではなかったということがわかって大きなショックを受けたとあります。
 親不孝なことをしましたが、やむをえません。大学神話みたいなものがあります。大学に行けば、輝く未来が約束されるなんてことは、ぜんぜんありません。
 だけど、世間知らずな若者は、そうやって、親元から離れていきます。そして、たいていは、また親元に戻ってきます。
 六十代になって、創立100周年だったかの高校の歴代同窓生名簿を見たら、18歳の頃、胸に夢をいだいて、東京を始めとした大都市や遠いところへ旅立った同窓生たちのほとんどは、福岡に帰郷していました。故郷に親の土地や家があるからということもあるのでしょう。そんなものなのです。若い時の夢は、夢で終わることが多い。

 本の中で著者は、自分は18歳で上京し、今年36歳になったと書いてあります。
 なにやら、福岡に恨み(うらみ)と憎しみがあるそうですが、まあ、そういうことってあります。ただし、歳月がたつと、憎しみが、愛情や愛着に変わるということはあります。人の気持ちなんて勝手なのです。なんとでも変化するのです。
 
 オレンジ色に輝く東京タワーのことが文章で書いてあります。
 リリー・フランキーさんの小説、『東京タワー』を思い出します。リリー・フランキーさんも福岡出身の方です。東京タワーを独楽(コマ)の軸(じく)にたとえた文章から始まっていて、劇的な物語の始まりかたでした。名作です。

 こちらの本の構成です。『はじめに』があって、短いエッセイが25本あって、『おわりに』があります。

『お金』
 『三十歳になったら、バーキンを持つんだと思っていた。』から始まります。
 バーキン:バーキンというバッグのこと。イギリスの歌手・女優バーキンにちなんでいる。整理整頓しやすく使いやすい。

 東京はお金がかかるところとして記述があります。
 東京はお金がなければ、したいことができない。
 東京暮らしは、お金がない女性にとっては、しんどい。(つらい)

『欲情』
 東京での地方出身女性の実情を吐露する(とろする。白状する(はくじょうする))話なのか。
 記述にありますが、いなかだと、道を走っている車が、だれの車かわかるということはあります。お互いに知り合いが多いのです。東京のような都市部では、知らない人間はまるで石ころ扱いです。『(自分にとっては)関係ない(存在)』なのです。
 作者は、密着型で生活するいなかを嫌います。それでも、『密室』が恋しいのです。

 性的なことが書いてあるのですが、老年期を知らずに人生を終えた人の文章です。若い。
 歳をとると男も女もなくなります。全員が、おじいさんのようでもあるし、おばあさんのようでもあります。中性化するのです。そのうち、認知症に近づいていきます。だれもが最後は(老後は)障害者の状態になります。心身が思うようには動きません。三十代から五十代のときにリーダーシップを発揮して輝いていた人たちが、加齢とか認知症のために人格が変わって施設入所しているということもあります。若いうちから心身の健康に気を配って暮らしておいたほうがいいですよとアドバイスします。

『美しさ』
 新木場というところにあるクラブ(ナイトクラブ。社交のための会員制の夜の店)が紹介されます。
 終電がなくなるので、帰りは自宅までタクシーだそうです。
 ポールダンスという艶っぽい(つやっぽい。いろっぽい)舞台があります。
 なんでもないふつうの女性が、ポールダンスを踊るときには別人のように輝く存在になるのです。
 
 『……ポールダンサーは、自信にあふれ、誰にも負けないし、誰とも競わない……』
 わたしが思うに、自分が窮地(きゅうち。苦しい立場)に陥ったとき、自分を救う方法として、こう主張することが効果的です。『これがわたしです!』(何が悪い! 自分は、この個性で、この体で、これまで生きてきた。これからだって、こうして生きていく。これがわたしですと自信をもって主張して自分の心と体を守る)

『タクシー』
 『こじらせ女子』という流行語があるそうです。わたしは、その流行語を知りませんでしたが、著者が発信者で流行した言葉だそうです。
 こじらせ女子:物事をむずかしく考えて、人間関係をややこしくしてしまう女子のこと。めんどうくさい女という意味だそうです。考えなくていいことを考える。気にしなくていいことを気にする人だそうです。迷惑者扱いです。どのように対応(アドバイス)しても、それを受け入れる気持ちが最初からない女性のようです。

 著者は、運転免許はもっているけれど、車の運転が下手で、運転できないから東京の地理を知らない。鉄道線路で位置を把握するそうです。
 東京都の形もわからないし、自分がどのあたりに住んでいるのか、海がある方向がどちらなのか、いろいろわからないそうです。(著者の脳みその中には、どんな世界が広がっていたのだろうか。わたしとは、ずいぶん違うような気がします)

 著者は、タクシーをよく利用する人です。(わたしは、タクシー料金が高いから、めったに利用しません。自分で自分の車を運転できるからということもあります)
 
 どちらかといえば、自問自答のような文章が続きます。読み手に対してではなく、自分自身に対して語るように書いてある文章です。
 自分の背後から、何か怖い物(こわいもの)に、追いつかれて、包み込まれた(つつみこまれた)ような気分が、ご本人にあります。

『殻(から)』
 殻というのは、東京のことです。東京という殻の中に自分がいるそうです。
 著者は、協調性があるような人には見えません。マイペースです。自分のしたいことをする。したくないことはしない。そんな個性がある人です。
 福岡で、家族と仲良く暮らせない。ひとりだけで東京で暮らす。(親御さんのご苦労をお察しします)
 女子があこがれる街が、パリ、ニューヨーク、ロンドン、東京だそうです。東京という都市の殻を身にまといたかったそうです。『東京の女の子になるために東京に来たのだから』と書いてあります。

 されど、孤独感がただよっています。

『泡』
 詩のような文章が続きます。
 
 出張で名古屋に来た時のことが書いてあります。
 雑誌編集長との面談です。著者は、『自分の本を出したいです』と相手に申し出ます。
 
 ドンペリ:フランス。高級シャンパン。
 アルコールを飲むと吐くのに、無理してアルコールを飲むことがあるそうです。

 家庭をもたない人の話だと思って文章を読んでいます。
 場所は、夜の東京銀座、ラウンジには、外国人客がパラパラといます。
 退廃の雰囲気がただよっています。
 料金は、おひとり様1万5000円で、お客さんからは、けっこう安いという感覚で利用されているそうです。庶民から見ると、金銭感覚がおかしいけれど、どうも、庶民の立場の人が客として来ているようです。読んでいて、頭の中が混乱します。お金を貯めて、だれかのお誕生日のときに利用するそうです。

『血と肉』
 東京はすごい→24時間営業のスーパーがあるから。(いなかから上京した人間が驚くこと)

 きちんとした食生活を送れない。(いつでもものを買えるから)
 『健康は、高い値段で売られている』とあります。

 Tumblr:タンブラー。アメリカ生まれのブログサービス。
 
 健康管理ができないというような嘆きが書いてあります。自己管理ができないのです。
 もどかしさが書いてあります。

 『痛み止めだけで生きていければいい。』とあります。
 体が続く若いうちなら耐えられるけれど、42歳ぐらいになるとバッタリ倒れるパターンです。(男の厄年やくどしですが。未来が予想できてしまいます)

『マイ・ウェイ』
 歌手の藤圭子さんが歌ったマイ・ウェイです。暗い雰囲気だとあります。
 藤圭子さんは、『(自分が演じていた藤圭子を指して)あの人は、もういなくなったの』という言葉を遺して(のこして)飛び降り自殺をされてお亡くなりになった記憶です。
 自分がこどものころに、デビューされた藤圭子さんの歌を聴いて、すごみのある人だと思いました。(こわいぐらいの迫力がある人)

 才能について書いてあります。
 才能がないのに、自分はスターになれると妄想している。
 結局自分は、スターにはなれなかった。
 いろいろ書いてありますが、考えすぎです。著者は、こじらせ女子です。

『訓練』
 東京都庁のそばにある公園(新宿中央公園)に、ホームレスがたくさんいることが書いてあります。
 
 知らん顔をする東京の人たちがいます。
 東京は、知らない人と話をするハードルがかなり高い街とあります。
 他人は、いてもいないものとして扱う。
 やっかいなことに関わり合いにならないようにする。
 『東京は人口が多すぎて、人と人との距離感がおかしい……』(同感です。わたしは、東京には住めません。身近に、ひとりになれる自然(山や川、池や草木)があってほしい。東京はたまに見物に行くだけでいいところです)

 自分自身の感想として、東京の人はがまん強い。東京人であることに誇りをもっている。東京=日本という意識をもっているようにも見える。ただ、住みやすい場所とは思えません。

 著者にとっての東京は、『戦場』だそうです。
 若者は、東京にいることで、苦しんでいるように見えます。

『努力』
 わたしの願いとあります。『本をたくさん読んで、あとは寝ていたい』そうです。

 大学を出ても、正社員の職には就(つ)かなかった。あるいは、就けなかった。
 アルバイトしか仕事がなかった。フリーターになった。(なんのために大学へ行ったのだろう)
 働くのやだなーが、生きてるのやだなーになる。(ふつうは、食べていくために、いやなことをがまんして働きます。働くことは人間の本能で基本です。本能:生まれ持った行動様式・規範)

『退屈』
 『弁当屋の外に、弁当が出来上がるのを待っている女がいる。』から始まります。
 
 著者自身に、なにかを見て、『かわいい』とか、『きれい』と思う心がないとあります。かわいいという感覚を理解できない。加えて、美しさを判断できない。

 凌駕(りょうが):ほかのものと比較して、ずばぬけてレベルが高いこと。

 『好き』という感情を理解できない。『好き』という状態を考察するけれど、結論はでない。(なかなかむずかしい思考をもった方です)

『六本木の女』
 土曜の夜に六本木に行く。六本木ヒルズで、映画、ミッドタウンで買い物をする。
 都営大江戸線で、派手な(はでな)かっこうした女性を見る。
 
 買い物は、命を削って買っているという感覚があるそうです。
 年金の話や貯金の話が出ます。
 著者は、年金をもらう年齢のはるか手前で亡くなってしまいました。
 本人が気にしていた老後は、本人にはなかった。

 森瑤子(もり・ようこ):1940年(昭和15年)-1993年(平成5年)52歳没。小説家。

『女友達』
 生まれつき東京育ちの女性と、福岡育ちの自分を比較します。
 東京育ちの女性は、私立高校から大学受験をしないで大学生になっていた。自分は外部受験生という枠だった。受験しなくても大学生になれる財力がうらやましくも、うらめしくもある。世の中は平等じゃない。

 自分と同じくいなかから出てきた女性と友だちになった。
 お互いに深入りはしない。相談事はしない。恋愛話はしない。たまにしか会わない。メールの返事はお互いに遅い。映画をいっしょに観た。軽い関係が心地よかったそうです。

『居場所』
 福岡に正月帰省した。
 田んぼの中を走る鉄道列車の中で、九州弁で話す派手なかっこうをした若い女の子たちを見た。
 
 小田急線の車内で、下品な言葉遣いをする若い女性を見た。男にこびる話し方だった。(こびる:ごきげんをとる。色っぽく男にせまる)

 いずれにしても、自分はひとり(孤独)だ。

 フラワーカンパニーズ:日本のロックバンド

 嫌いだった故郷福岡について、女友達をからめて話があります。

『若さ』
 十代の頃、二十歳になる前に死にたいと思っていた。
 ブルセラブーム:ブルマーとセーラー服の混成した造語。アダルトグッズとしての意味合いがある。
 二十歳を過ぎたら、三十から先の人生は見えなかった。三十過ぎると女扱いされなかった。
 26歳でも男に拒否された。
 
『優しさ』
 著者の書き方として、まず、ポンと、読み手をひきつける文章を置きます。
 このエッセイの場合、『俺は、死ぬのがすごく怖い……』から始まります。
 福岡県人に、自滅型のタイプがあります。理屈よりも感情優先で、力まかせに生きていきます。やがて力尽きてつぶれてしまいます。(うちのオヤジがそうでした)

 完全自殺マニュアルという本が紹介されています。わたしも以前読んだことがあります。自殺のやり方が書いてあります。その本をわたしが読んだ時の感想の一部です。
 『完全自殺マニュアル 鶴見済(つるみ・わたる) 太田出版』
 この本の帯には『18歳未満の方の購入はご遠慮ください』と書いてあります。本は、注文後、ビニールで包まれていて中身を見ることができない状態で送られて来ました。わたしは、もう老齢者で18歳未満ではないので堂々と読みます。自殺しなくても、お迎えまでの時期のほうが近い年齢になってしまいました。自分が納付した年金保険料分ぐらいは取り戻してから死にたいと、あがきながら長生きしています。
 「はじめに」があります。これから先、自殺するための方法が書いてあるそうです。本当は、自殺するための方法だけを淡々と書きたいけれど、営業上の理由で、書きたくないことを書いておかなきゃいけないという趣旨で、この本の出版の理由が書いてあります。読者が予想するであろうとおり、筆者は、自殺してはいけないというメッセージをこの部分に書き記しています。救いのある本です。 生きようとしている。生きたいと訴えている文章です。すごい気合が入っている文章です。

『谷間の百合』
 福岡での暮らしがイヤ。両親との暮らしがイヤ。
 逃避です。著者はただ逃避したかった。
 だけど、どこまで逃げても孤独です。

『静寂』
 この本は後半になるにつれて、狭い領域の中で深く、理屈っぽく考えるようすの内容になっていきます。
 極端にいうと、生きることがイヤというような世界に著者が入りこんでいきます。
 (考えすぎです。そこまで考えなくても人間は生きていけます)

 しんと静まり返る時があるそうです。(著者の心の中の動きとして)
 
 お風呂場で足にスクラブをかける:角質除去剤、洗顔料、洗浄剤、ごしごし洗う。

『暗闇』
 孤独の話です。
 新宿駅とか、ゆりかもめ(鉄道路線です)の中がイヤだと書いてあります。
 家に帰りたい。だれもいない静かな自分の家(部屋)に帰りたいそうです。

『越境』
 iPhoneのShazarn:シャザム。ミュージック認識。曲名やアーチスト名を教えてくれる。

 著者の脳みその中は混乱しています。

 東京は、勝ち負けを決めるところ。

『幸せ』
 読んでいて思い出した本があります。似ています。感想メモが残っていました。
 『二十歳の原点(にじゅっさいのげんてん) 高野悦子(たかの・えつこ) 新潮文庫』
 読み始めたのは二十歳の原点(にじゅっさいのげんてん)高野悦子著(たかの)新潮文庫です。1月から6月までの日記です。作者は栃木県出身で京都の大学在学中の6月に京都で鉄道への飛び込み自殺を図り亡くなりました。読み進めるごとに作者の死が近づいてきます。
 日記の中では強気で明るい彼女です。しかし現実世界ではおとなしいお嬢さんだったと思います。読み始めて脳がじーんとしびれました。
 記述の日記は自問自答を繰り返しています。未熟であること、ひとりであること、それが二十歳の原点と記されています。人間が生きていくうえで必要なものは、空気、水、食べ物。そして、コミュニケーションです。人は他者との関わりが無くなると死にます。著者はカミソリで手を切ります。淋しげです。死の1か月前、家族や友人と決別します。人は生き続けていくために、 わずらわしいと感じながらも、なにがしかの集団に属していかざるをえないのです。

 こちらの本の著者は、『普通の幸せ』について考えています。
 ご自身で自分を、欲望ばかりが過剰なわがままな人間だと定義づけておられます。

 幸せについて考える。どんな状態が、『幸せ』なのか。

 人から優しくされたことがないから、人に優しくしてあげられないということはあると思います。

『刺激』
 『東京なんてただの場所だから』、『恋愛なんて、ただの幻想だ』から始まります。
 東京に来て、お金を奪い取られて、心はかき乱された。
 東京の刺激は、いらだち(苛立ち)があることとあります。
 東京での苦痛が書いてあります。

『指』
 『男の腕が欲しい……』から始まります。誰の腕でもいいかというとそうでもないというふうに書いてあります。
 
 バングル:ブレスレット

 著者は、これが欲しいと強く主張できない自分にいらだちを感じておられます。

『東京』
 東京は、狭い区域内にとにかく人の数が多い。
 
 1年に1回、母と祖母が上京して娘である著者のようすを見に来るそうです。
 連休の二泊三日で、母たちはホテルに泊まる。
 親や親族と仲が悪いわけではないけれど、親密でいたいとは思わないようすです。
 
 著者は、なにかしら、地に足がついていない人です。

『眼差し(まなざし)』
 冷静に自分自身をみつめる文章でした。

『おわりに』
 最後の一行(いちぎょう)は、『これから、どうなるのだろう。東京も、私も、絶え間なく変わってゆく』で、終わっています。

 最終ページにこの本の成り立ちが書いてあります。
 出版社(大和書房(だいわしょぼう))のホームページに連載した『東京』に、書き下ろし(かきおろし(あらたな文章))を加えて、再編集したそうです。
 連載期間が、2013年(平成25年)6月から2014年(平成26年)7月です。
 著者は、2016年(平成28年)11月15日40歳で亡くなっています。自宅で事故のため心肺停止だったそうです。  

Posted by 熊太郎 at 07:13Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2024年04月18日

大河への道 邦画 2022年

大河への道 邦画 2022年(令和4年) 1時間51分 動画配信サービス

 いい映画でした。
 日本国の測量をした千葉県香取市出身伊能忠敬(いのうただたか。地元では『ちゅうけいさん』と親しみを込めて呼ぶそうです)を題材にして、内容は、名も亡き測量隊の人たちの苦労と努力が描かれていました。みなさん熱演でした。

 伊能忠敬氏が亡くなるのですが、彼の死を公表すると、江戸幕府から測量調査等のための予算が配分されなくなって、日本地図の製作が中途半端で終わってしまうのです。
 だから、伊能忠敬氏が死んだことを伏せて、事業を継続するのですが、それなりに苦労が伴います。

 先月終わった金曜夜のテレビドラマ、『不適切にもほどがある』のタイムトラベルみたいに、現代の千葉県知事や千葉県香取市役所の職員が、江戸時代である西暦1821年頃を行ったり来たりするのです。現代のメンバーと江戸時代のメンバーが重なるのです。

 なんのために地図をつくるのか。
 日本国を他国(ロシアやイギリスなど)から守るためにつくるのです。諸外国の植民地にされることを防ぐのです。軍事目的です。
 のちの世の人たちのために日本地図を完成させる。日本が欧米諸国の植民地にならないようにする。
 日本地図づくりは、開始から17年間かかっているそうです。
 『志(こころざし。目標・目的)』を貫く(つらぬく)。
 だれしも終わりの時が来る(死)。自分の志(こころざし)を継いでくれる者を育ててこの世に遺して(のこして)おきたいと思う。

 歴史上の事実として、伊能忠敬氏の死後三年たってから、地図が完成して、同時に、彼の死を公表した。
 言い出しっぺの人物が死んだことを隠して、残ったメンバーで地図づくりを続ける。幕府にばれたら死罪もありえます。(今でいうところの税金を原資にした予算の不正使用です。されど、不正をしなければ、国防という大きな組織目標を達成することができないという事情があります)。緊張感がありました。
 以前読んだ本に、ペリーが来航したとき、江戸幕府は、そのときはじめて開国を迫られたわけではなくて、何年も前から、複数の国に開国を迫られて断っていたと書いてありました。外国はまずは、日本と貿易をしてお金を稼ぎたかった。

 勘定奉行(かんじょうぶぎょう):江戸幕府の役職。財政担当。指揮監督権あり。

 クライマックス付近の話のつくり方がうまい。
 伊能忠敬氏のはいていた草鞋(わらじ):草鞋には、「忠」の文字が埋め込まれている。
 
 江戸時代の日本は、江戸幕府の独裁国家です。
 
 名ゼリフとして、江戸幕府の要職者から、『伊能はどこだ』と問われて、『伊能は、次の間に控えております。(次の間に、大きな日本地図が広げてある)』
 美しい地図です。立派な地図です。巨大です。
 すごいなあ。いい脚本です。
 いい映画でした。
 『まこと、大儀であった。あとはゆるりと休むがよい。(ごくろうさん)』
 『恐悦至極に存じます。きょうえつしごくにぞんじます。(気を使っていただき、たいへんおそれ多いことでございます)』

 考えながらコツコツと、まずは歩きだし、歩きながら考えだす。みんなで力を合わせて、大河への道を歩いて行きましょうという呼びかけも良かった。  

2024年04月17日

ことばのしっぽ 「こどもの詩」50周年精選集 

ことばのしっぽ 「こどもの詩」50周年精選集 読売新聞社生活部監修

 かなりいい本です。
 おもしろい。
 ちびっこたちの名言集です。
 本の帯には、『ぼくは、ママに会いたくて、生まれてきたんだよ』みたいなセリフが書いてあります。ママは笑顔になるでしょう。

 1ページにある、『れ』というひらがなを見て、3歳の男の子が、『ママ、ここに、カンガルーがいるよ』がなかなかいい感じです。
 こどもさんの、こどもであるときにしか生まれてこない発想がたくさん、この本に載っています。(のっています)。感心しました。

 2ページの、『たちしょん』もいい。
 『あ、おしっこが、たびにでた』
 ほほえましい。
 4歳の男の子の作品です。

 ほかの新聞社でも、『おたまじゃくし』というようなタイトルのコーナーで似たようなものを見たことがあります。

『第一章 1967年~1981年 昭和42年~昭和56年』
 だれでも、小学生だったときがあります。
 もう忘れてしまったけれど、思い出すことも少なくなってしまったけれど、だれでも、小学生だったときがある。書いてあることを読みながらそう思いました。

 家の鏡に向かって、鏡に写っている自分と会話をしている小学5年生の女の子がいます。

 アーモンドチョコレートのアーモンドを地面に埋めて、チョコレートのなる木の芽が出てくるのを待っている小学一年生の男の子がいます。(いいなあ。気持ちがわかります)

『第二章 1982年~1989年 昭和57年~昭和64年・平成元年』
 見えないものが見える小学3年生男児です。
 ボールの壁当てをしていると、壁に、キャッチャーやバッターの姿が見えてきます。

 小学一年生の男児が、ゆうれいを見てみたいと言ったら、祖父と祖母が、自分が死んだら、ゆうれいになって出てきてあげると言ったそうです。小学生のぼくは、それが、楽しみですと言っています。(笑いました。おじいちゃんとおばあちゃんのゆうれいならこわくありません。おこづかいをくれるかもしれません)

 小学一年生の男の子は、なにか勘違いしているのか、おとうちゃんはかっこいい。おおきくなっておとうちゃんみたいになりたいと言っています。
 どういうわけかわかりませんが、おとうちゃんのハゲ頭がかっこいいそうです。
 『おとうちゃんみたいにはげるといいなあ』で終わっています。

 さらに、5歳の女の子の言葉です。
 自分の幼稚園のクラスにおとうさんによく似た子がいる。
 その子が、自分はおとうさんから生まれたんだよと教えてくれたそうです。
 (おもしろい。心がなごみます)

『第三章 1990年~1995年 平成2年~平成7年』
 1995年に、阪神淡路大震災がありました。そのあと、地下鉄サリン事件がありました。たくさんの人たちが亡くなりました。バブル経済は崩壊して、長い日本経済の低迷が続きました。いっぽう、マイクロソフトのウィンドウズ95が発売されて、日常生活のIT化(インフォメーション・テクノロジー。情報技術)が急速に普及し始めました。
 
 単身赴任のおとうさんの家にいったら、お部屋の中がさびしそうだったとあります。
 おとうさんのために、おとうさんのところの小学校に転校してもいいという小学二年生の娘さんの言葉があります。(なんて心の優しい娘さんでしょう。ほろりときました)

 ひいばあちゃんのことが書いてあります。
 小学一年生の男の子です。
 ひいばあちゃんは、『あー』とか、『うー』しかいえないそうです。
 でも、みんながやさしい気持ちになれるそうです。

 詩が続きます。
 ゴキブリに自分の気持ちがこもった詩があります。(こどもさんが、みんなにたたかれるゴキブリに同情しています)

 留守番をして、ピンポンが鳴って、電話がなって、たいへんだったと書いてあります。
 
 『おかあさんのおっぱいは、ちかごろ、やる気がない』とあります。
 『わたしのおっぱいは、これからだ』と続きます。小学4年生の女の子の詩です。

 やはり、阪神淡路大震災を題材にした詩があります。
 神戸の瓦礫(がれき)は、ごみじゃない。思い出がこめられた宝物なんだとあります。

『第四章 1996年~1999年 平成8年~平成11年』
 地震のことが引き続き出てきます。
 小学四年生の女の子が、もし大地震が来たら、わたしは、おかあさんを持って行くよと宣言します。

 2歳の女の子は、節分に、『おにはー そと!』ではなく、『おにーー あそぼーー』と声かけをします。

 幼稚園の女の子の言葉です。
 給食の先生が、結婚して仕事をやめて、だんなさまにおいしいごはんをつくるそうだけれど、先生は仕事をやめずに、だんなさまが保育園にごはんを食べにくればいいのにと、アイデア出しをしてくれています。

 小学二年生の男の子です。
 おかあさんがたまに、『(わたし)きれい?』と聞くそうです。
 気を使って、『きれい』と答えるそうです。
 でも本当は、ふつうだそうです。

 バイクに乗ってブンブン大きな音をたてる暴走族に対する小学一年生の抗議があります。
 『…… ただ走っていないで、新聞でもくばって走れ!』

 『3月の夜』というタイトルで、小学一年の言葉があります。
 『冬と春が、おしくらまんじゅうをしてるんだね』

 4歳の女の子が言っています。
 『かぶとむしは、心の中で、「どすこい」と言っている。』

 『エスカレーター』を、『つかれーたー』という小学一年生がいます。

 こどもたちは、みんな心がやさしい。
 詩を読み続けながら、そんな感想をいだきました。

『第五章 2000年~2004年 平成12年~平成14年』
 小学6年生の詩のタイトルにどきっとしました。
 『命があと五日しかなかったら』
 一日目にすること、二日目にすること、と続きます。
 最終日に、仏様の夢を見るそうです。

 給食当番というのは、給食をつくる当番だと勘違いしていたそうです。
 小学一年生の言葉でした。

 警察に、雨雲を逮捕してくださいと訴える5歳の少年がいます。

 2001年9月11日(平成13年)に、アメリカ同時多発テロが起きたことが書いてあります。
 9月11日は、その子の誕生日だそうです。
 ぼくにとってはうれしい日なのに、残念だと書いてあります。

『第六章 2005年~2009年 平成17年~平成21年』
 2005年には、愛知万博が開催されましたが、まるで、なかったかのような歴史上の扱いになっていることが不思議です。日本での万博といえば、大阪万博(1970年。昭和45年)開催なのです。
 愛知万博では、マンモスの展示がありました。いつまでも記憶に残るような目玉がなかったから、めだたない扱いになってしまったのかもしれません。あとは地元の自然保護目的の反対運動もきつかった。今は、来年の大阪万博がけっこう非難されています。昭和40年代なかばには、未来への夢がありました。時は流れて、日本人の意識が変わりました。
 
 ちょっと理屈っぽい詩が多くなってきました。
 こどもたちの知力とか知識は高くなってきているのですが、創造性とか気持ちの豊かさがしぼんできているように感じました。
 
 ともだちと遊ぶのに、電話で予約が必要です。
 むかしは、そんなやり方はしていませんでした。
 
 『手話』というタイトルで、耳が聞こえない人と初めて会ったとあります。小学三年生の言葉です。

 体が弱い小学一年生女の子の言葉があります。心臓に病気があるそうです。
 『まま、よわく、うまれてきて、ごめんね』(そんなことないよ。元気出してね)

 おかあさんとケンカして、おかあさんにぶたれた小学一年生です。
 『一まんばいがえしにしたいです(いちまんばいがえし)』
 おかあさんを、オニの女王さまと呼びます。

『第七章 2010年~2015年 平成22年~平成27年』
 なんだろう。むかしはあった、こどもののびのびとした発想が消えていったような詩が続きます。
 世の中のありようが進んで、便利にはなったけれど、せっかくのいいものが失われてしまったような残念さがあります。

 こどもたちが、勉強のしすぎです。
 『受験』という詩があります。中学三年生の詩です。
 『勉強』という漢字が、詩の中に9個も書いてあります。

 両親が夫婦ゲンカをすると、お母さんは、お父さんに古いご飯を食べさせるそうです。(そういうことってあります)

『第八章 2015年~ 平成27年~』
 おとうさんもおかあさんも、おこってばかりとなげく幼稚園年少の女の子がいます。(4歳)

 『幸福』は、自分には見えないけれど、他人には見える。名言ですな。中学生の言葉です。

 年頃の子どもたちの詩を読むと、これから思春期に入っていくことがわかります。
 人間とはなにか、自分はどうすればいいのかで、そうとう悩むことでしょう。

 う~む。この本の読み始めはおもしろかったのですが、終わりに近づくにつれて、尻すぼみのように、おもしろさがなくなってきました。
 時代の変化なのでしょう。今という時代は、こどもたちにとっては、過ごしにくい時代なのかもしれません。管理されているような日常生活が目に浮かびます。心身ともに、のびのびできていないみたいです。  

Posted by 熊太郎 at 07:41Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2024年04月16日

ふたりっ子バンザイ 石亀泰郎写真集

ふたりっ子バンザイ 石亀泰郎写真集(いしがめ・やすお) 復刊 夏葉社(なつはしゃ)

 小さなこどもさんふたりの白黒写真集です。
 男の子ふたりです。
 1965年(昭和40年)に出版された写真集の復刊です。(2017年(平成29年)発行)
 昭和40年のころ、わたしは小学生でした。
 なつかしい暮らしが白黒写真の中に残っています。

 作者の、『あとがきにかえて』の文章に胸を突かれるものがあります。
 (ご自身は)小学5年生のときに朝鮮半島から引き揚げてきた。(満州(まんしゅう)からの引き上げでしょう。第二次世界大戦で、日本は敗戦国でした)
 13歳のときに北海道の叔母のところに養子にだされた。
 きょうだいはいなかった。つまらなかった。
 (そうか。自分には兄弟がいるのでさびしいと思ったことはありませんが、兄弟姉妹がだれもいないとさびしいだろうなあ)
 結婚して、25歳ぐらいのときに、年子で男の子がふたり生まれた。(その喜びが自分にもわかります。こんな自分でも父親になれたという、一生に一度だけ体験できる大きな喜びでした)

 写真集では、63の項目がひとつひとつの白黒写真になっています。
 『ぼくらの世界のはじまり』から始まって、『これゴーゴーっていうんだ』で終わります。

 最初の写真は、まだちいさい(男の子ふたりです)
 ひとりは、口に哺乳瓶を(ほにゅうびんを)くわえています。
 人生の始まりですな。

 なにもかもが新世界です。
 見るもの聞くもの、すべてに興味がわくころです。

 ひとりを三輪車にのせて、もうひとりが三輪車を押しています。
 かわいい。
 こどもは、遊ぶのが仕事です。
 おにいちゃんは、笑顔です。
 1歳と0歳ぐらいに見えます。

 ふたりのちびっこは、くっついては離れ、離れてはくっつき、親としては手がかかるころです。でも、どんどん大きくなっていきます。

 ケンカして、仲直りして、またぶつかってのくりかえしです。

 いっしょに並んで寝ます。
 親がほっとひと息つける時間帯です。
 おんなじようなかっこうをして、あおむけで寝ているふたりです。
 ときには、その横で、パパが寝ていたりもするのでしょう。

 ワンちゃんもいます。
 飼い犬です。

 もう、おちんちんは、ほおりだし状態ですな。

 同じようなポーズが続きます。
 立ち上がる。上を見る。リンゴをかじる。
 にぎやかです。

 たいへんそう。
 こどもの笑顔にほっとする。

 雪がふったのでしょう。
 生まれて初めて見た雪かもしれません。

 ママの顔と髪をくしゃくしゃにします。
 もうひとりは、小さなお手手で、ママのお鼻をつまみます。
 
 笑い顔があります。
 泣き顔があります。
 生きています

 〇〇ごっこが好きな年齢です。
 でんしゃごっことか。鉄砲ごっことか。
 公園ではすべりだいですべるし、お砂場で砂だらけになったりもします。
 雨がふれば、泥遊びです。
 雪がふれば、雪遊びです。
 お馬さんごっこもするし、電話ごっこもします。電話機は、ダイヤル式の黒電話です。
 
 ふたりは、成長して、だんだん大きくなってきました。
 しっかりした体格になってきました。
 ふたりで幼稚園へ行きます。年中さんと年少さんでしょう。4歳と5歳です。
 
 こどもというものは、ずっとちいさなままでいてくれるといいのになあと思うことがあります。
 2歳半ぐらいのころが、一番見た目がかわいい。天使か妖精のようです。
 
 浮き輪を付けて、海水浴のようなシーンがあります。
 川原で遊ぶ。夏祭りに行く。わたあめを食べる。楽しいことがいっぱいあります。

 ひとつ、この年頃のこどもたちの洋画を思い出しました。
 『ちいさな哲学者たち フランス映画 2010年公開』以下は観たときの感想の一部です。
 4歳から5歳児の幼稚園のこどもたちに先生が哲学の授業をします。けっこう、探求心が深い。 テロのニュース、青少年がネット漬けになっているニュースから始まります。
 ろうそくを出して、『考える』ということについて話し合いが始まりました。『考える』は目に見えないから、口を開けて言葉を使って自分の意思を相手に伝える。
 映画を観ている人へのアナウンスとして、わたしたちは哲学をします。幼稚園に哲学の時間帯があります。こどもは熟考します。こどもたちの多民族に驚かされます。肌の色はさまざま、国籍もいろいろ、アジア、アフリカ、ヨーロッパなど。
 テーマは、『愛情(の種類、ありよう)』『死とは』『友情』『結婚』『性』など、心の根っこに関することです。
 哲学とはと問われたこどもが、『自分に質問すること』と答えます。先生が、『わたしたちをとりまく世界を教えること』と説明します。
 正解はあってないようなものですが、大事なことは『考えること』です。
 同性愛は可能か、同性は結婚できないか「結婚の法則とはなにか」にまで話が届きます。園児は答えます。同性でも好きだけど恋じゃないという答えが女児から返ってきました。
 そして、あやまらないと恋は続かないということをこどもが導き出します。

 写真集にもどります。
 幼稚園のお散歩なのか、遠足なのか、生きたカエルを手につかまらせます。
 このころ、生き物をこわがる子と、こわがらない子がいます。
 わたしは動物類が好きでした。虫とかも好きでした。歳をとった今はにがてです。

 最後の写真では、ひとりがギターを弾き、もうひとりは、なにかを太鼓にしてたたいていました。

 カラー写真じゃなくて、この写真集のように白黒写真のほうが、味わいがあったりもします。  

Posted by 熊太郎 at 07:47Comments(0)TrackBack(0)読書感想文