2024年04月17日

ことばのしっぽ 「こどもの詩」50周年精選集 

ことばのしっぽ 「こどもの詩」50周年精選集 読売新聞社生活部監修

 かなりいい本です。
 おもしろい。
 ちびっこたちの名言集です。
 本の帯には、『ぼくは、ママに会いたくて、生まれてきたんだよ』みたいなセリフが書いてあります。ママは笑顔になるでしょう。

 1ページにある、『れ』というひらがなを見て、3歳の男の子が、『ママ、ここに、カンガルーがいるよ』がなかなかいい感じです。
 こどもさんの、こどもであるときにしか生まれてこない発想がたくさん、この本に載っています。(のっています)。感心しました。

 2ページの、『たちしょん』もいい。
 『あ、おしっこが、たびにでた』
 ほほえましい。
 4歳の男の子の作品です。

 ほかの新聞社でも、『おたまじゃくし』というようなタイトルのコーナーで似たようなものを見たことがあります。

『第一章 1967年~1981年 昭和42年~昭和56年』
 だれでも、小学生だったときがあります。
 もう忘れてしまったけれど、思い出すことも少なくなってしまったけれど、だれでも、小学生だったときがある。書いてあることを読みながらそう思いました。

 家の鏡に向かって、鏡に写っている自分と会話をしている小学5年生の女の子がいます。

 アーモンドチョコレートのアーモンドを地面に埋めて、チョコレートのなる木の芽が出てくるのを待っている小学一年生の男の子がいます。(いいなあ。気持ちがわかります)

『第二章 1982年~1989年 昭和57年~昭和64年・平成元年』
 見えないものが見える小学3年生男児です。
 ボールの壁当てをしていると、壁に、キャッチャーやバッターの姿が見えてきます。

 小学一年生の男児が、ゆうれいを見てみたいと言ったら、祖父と祖母が、自分が死んだら、ゆうれいになって出てきてあげると言ったそうです。小学生のぼくは、それが、楽しみですと言っています。(笑いました。おじいちゃんとおばあちゃんのゆうれいならこわくありません。おこづかいをくれるかもしれません)

 小学一年生の男の子は、なにか勘違いしているのか、おとうちゃんはかっこいい。おおきくなっておとうちゃんみたいになりたいと言っています。
 どういうわけかわかりませんが、おとうちゃんのハゲ頭がかっこいいそうです。
 『おとうちゃんみたいにはげるといいなあ』で終わっています。

 さらに、5歳の女の子の言葉です。
 自分の幼稚園のクラスにおとうさんによく似た子がいる。
 その子が、自分はおとうさんから生まれたんだよと教えてくれたそうです。
 (おもしろい。心がなごみます)

『第三章 1990年~1995年 平成2年~平成7年』
 1995年に、阪神淡路大震災がありました。そのあと、地下鉄サリン事件がありました。たくさんの人たちが亡くなりました。バブル経済は崩壊して、長い日本経済の低迷が続きました。いっぽう、マイクロソフトのウィンドウズ95が発売されて、日常生活のIT化(インフォメーション・テクノロジー。情報技術)が急速に普及し始めました。
 
 単身赴任のおとうさんの家にいったら、お部屋の中がさびしそうだったとあります。
 おとうさんのために、おとうさんのところの小学校に転校してもいいという小学二年生の娘さんの言葉があります。(なんて心の優しい娘さんでしょう。ほろりときました)

 ひいばあちゃんのことが書いてあります。
 小学一年生の男の子です。
 ひいばあちゃんは、『あー』とか、『うー』しかいえないそうです。
 でも、みんながやさしい気持ちになれるそうです。

 詩が続きます。
 ゴキブリに自分の気持ちがこもった詩があります。(こどもさんが、みんなにたたかれるゴキブリに同情しています)

 留守番をして、ピンポンが鳴って、電話がなって、たいへんだったと書いてあります。
 
 『おかあさんのおっぱいは、ちかごろ、やる気がない』とあります。
 『わたしのおっぱいは、これからだ』と続きます。小学4年生の女の子の詩です。

 やはり、阪神淡路大震災を題材にした詩があります。
 神戸の瓦礫(がれき)は、ごみじゃない。思い出がこめられた宝物なんだとあります。

『第四章 1996年~1999年 平成8年~平成11年』
 地震のことが引き続き出てきます。
 小学四年生の女の子が、もし大地震が来たら、わたしは、おかあさんを持って行くよと宣言します。

 2歳の女の子は、節分に、『おにはー そと!』ではなく、『おにーー あそぼーー』と声かけをします。

 幼稚園の女の子の言葉です。
 給食の先生が、結婚して仕事をやめて、だんなさまにおいしいごはんをつくるそうだけれど、先生は仕事をやめずに、だんなさまが保育園にごはんを食べにくればいいのにと、アイデア出しをしてくれています。

 小学二年生の男の子です。
 おかあさんがたまに、『(わたし)きれい?』と聞くそうです。
 気を使って、『きれい』と答えるそうです。
 でも本当は、ふつうだそうです。

 バイクに乗ってブンブン大きな音をたてる暴走族に対する小学一年生の抗議があります。
 『…… ただ走っていないで、新聞でもくばって走れ!』

 『3月の夜』というタイトルで、小学一年の言葉があります。
 『冬と春が、おしくらまんじゅうをしてるんだね』

 4歳の女の子が言っています。
 『かぶとむしは、心の中で、「どすこい」と言っている。』

 『エスカレーター』を、『つかれーたー』という小学一年生がいます。

 こどもたちは、みんな心がやさしい。
 詩を読み続けながら、そんな感想をいだきました。

『第五章 2000年~2004年 平成12年~平成14年』
 小学6年生の詩のタイトルにどきっとしました。
 『命があと五日しかなかったら』
 一日目にすること、二日目にすること、と続きます。
 最終日に、仏様の夢を見るそうです。

 給食当番というのは、給食をつくる当番だと勘違いしていたそうです。
 小学一年生の言葉でした。

 警察に、雨雲を逮捕してくださいと訴える5歳の少年がいます。

 2001年9月11日(平成13年)に、アメリカ同時多発テロが起きたことが書いてあります。
 9月11日は、その子の誕生日だそうです。
 ぼくにとってはうれしい日なのに、残念だと書いてあります。

『第六章 2005年~2009年 平成17年~平成21年』
 2005年には、愛知万博が開催されましたが、まるで、なかったかのような歴史上の扱いになっていることが不思議です。日本での万博といえば、大阪万博(1970年。昭和45年)開催なのです。
 愛知万博では、マンモスの展示がありました。いつまでも記憶に残るような目玉がなかったから、めだたない扱いになってしまったのかもしれません。あとは地元の自然保護目的の反対運動もきつかった。今は、来年の大阪万博がけっこう非難されています。昭和40年代なかばには、未来への夢がありました。時は流れて、日本人の意識が変わりました。
 
 ちょっと理屈っぽい詩が多くなってきました。
 こどもたちの知力とか知識は高くなってきているのですが、創造性とか気持ちの豊かさがしぼんできているように感じました。
 
 ともだちと遊ぶのに、電話で予約が必要です。
 むかしは、そんなやり方はしていませんでした。
 
 『手話』というタイトルで、耳が聞こえない人と初めて会ったとあります。小学三年生の言葉です。

 体が弱い小学一年生女の子の言葉があります。心臓に病気があるそうです。
 『まま、よわく、うまれてきて、ごめんね』(そんなことないよ。元気出してね)

 おかあさんとケンカして、おかあさんにぶたれた小学一年生です。
 『一まんばいがえしにしたいです(いちまんばいがえし)』
 おかあさんを、オニの女王さまと呼びます。

『第七章 2010年~2015年 平成22年~平成27年』
 なんだろう。むかしはあった、こどもののびのびとした発想が消えていったような詩が続きます。
 世の中のありようが進んで、便利にはなったけれど、せっかくのいいものが失われてしまったような残念さがあります。

 こどもたちが、勉強のしすぎです。
 『受験』という詩があります。中学三年生の詩です。
 『勉強』という漢字が、詩の中に9個も書いてあります。

 両親が夫婦ゲンカをすると、お母さんは、お父さんに古いご飯を食べさせるそうです。(そういうことってあります)

『第八章 2015年~ 平成27年~』
 おとうさんもおかあさんも、おこってばかりとなげく幼稚園年少の女の子がいます。(4歳)

 『幸福』は、自分には見えないけれど、他人には見える。名言ですな。中学生の言葉です。

 年頃の子どもたちの詩を読むと、これから思春期に入っていくことがわかります。
 人間とはなにか、自分はどうすればいいのかで、そうとう悩むことでしょう。

 う~む。この本の読み始めはおもしろかったのですが、終わりに近づくにつれて、尻すぼみのように、おもしろさがなくなってきました。
 時代の変化なのでしょう。今という時代は、こどもたちにとっては、過ごしにくい時代なのかもしれません。管理されているような日常生活が目に浮かびます。心身ともに、のびのびできていないみたいです。  

Posted by 熊太郎 at 07:41Comments(0)TrackBack(0)読書感想文