2024年04月25日

がん「ステージ4」から生まれ変わって 小倉一郎

がん「ステージ4」から生まれ変わって いのちの歳時記 小倉一郎(おぐら・いちろう) 双葉社

 幼少期を鹿児島県下甑島(しもこしき島)で過ごされたそうです。
 わたしがこどものころ読んだ本に、『孤島の野犬(ことうのやけん)』という児童文学本がありました。甑島(こしきじま)が舞台だった記憶です。作者は、椋鳩十(むく・はとじゅう)さんです。1905年(明治38年)-1987年(昭和62年)82歳没。小説家。児童文学作家。
 自分が就職した時、甑島出身の人が職場にいて、その本を読んだことがあると話したことを覚えています。

 さて、こちらは、がんの宣告を受けた俳優さんの手記です。
 本の最後のほうに、ご本人が文章を書いたのではなく、ご本人から聞き取りをしてつくられた文章だと書いてありました。(11ページに、双葉社の編集長の質問に答える形でこの本ができているそうです)
 いずれにしても、ステージ4という(わたしは死の宣告だと思っています)厳しい状態から命をつないでおられます。たいしたものです。

 目次に、『なぜ僕は生還できたのか?』とあります。全体的に、がんの早期発見を勧める内容になっているような気がする目次の内容でした。

『第一章 予兆』
 2021年(令和3年)12月10日に、移動撮影用のアルミ製レールに足をとられて転倒して右足首を骨折した。(当時小倉さんは70歳ぐらいです。老齢になってからの転倒は、大きな話に発展します。もう若い時のように体が反応してくれません。わたしもふらふらすることがあります。ころびそうになると、自力で自分の体を支えて体勢を元に戻せません。いかにして、じょうずに、ころぼうかと考えます)

 自分の実感だと、だれしもが、48歳ぐらいから体の具合が悪くなり始めます。壊れた体はもう元には戻りません。目が見にくくなってきて、歯は歯周病になって、皮膚もかぶれやすくなります。記憶力は衰えて、若い頃はびゅんびゅん動いていた体が、ゆっくりしか動けなくなります。女性は女性で更年期障害とか、またいろいろあると思います。
 十代・二十代の若い人にはわからないと思います。中高年になってくると、指先はかさかさになって、しめりけがなくなります。新聞紙や本のページをめくれなくなります。だれもが、歳をとるのです。早くそういうことに気づいて、若い時から、心身のケアをしておいたほうがいいですよとアドバイスします。暴飲暴食は体を壊して歳をとってから深く後悔する原因になります。心身を酷使しないほうがいいですよ。健康が最優先です。

 さて小倉一郎さんは、転倒して骨折した翌年、背中の右側に激痛があって、それが、肺がんの発見につながっています。
 
 思うに、がんと気づくまでに痛みの予兆があると思うのです。
 自覚症状です。内臓に痛みがあると思うのです。
 早期に医療機関を受診したほうがいいです。小倉一郎さんは、30年間ぐらい健康診断を受けていなかったそうです。
 本では、生まれ育ちのふりかえりから、身内にがんの遺伝血統があるような記述があります。いとこが末期の肺がんステージ4で、65歳で亡くなっています。
 
 小倉一郎さんは、肺がんです。だいぶ前に禁煙されたそうですが、それまでは長いことタバコを吸っておられたそうです。
 アルコールもだいぶ飲まれたようです。
 怒られるかもしれませんが、わたしは、人間を判断するときの、ものさしのひとつとしてタバコを吸う人かどうかで、人間性を判断しています。たばこを吸う人に、いい人はいないと判断しています。
 
 PET検査:注射をして、画像を見て、がんの有無や広がりを確認する。

『第二章 告知』
 死ぬ準備を考えなければなりません。
 わたしはこれまでに、がんで余命宣告を受けて亡くなっていった方たちの本を何冊も読みました。
 自分ではどうすることもできない命でした。
 覚悟を決めて、まわりにいる家族や友人たちとよく話をして、死地に旅立つ用意をして、みんなにサヨナラをしていくのです。
 つらいものがあります。

 小倉一郎さんの元の妻、昌子さんとのお子さんとして、長女:悠希さん 長男:龍希さん 次女:瑞希さん 三女:彩希さん みなさん、「希望」の「希」がつきます。
 小倉一郎さんの実母、早苗さんは、小倉さんが誕生して1週間後に亡くなっています。(洋画、『愛情物語』みたいです)
 叔母(父親の姉)山下初穂さんが育ての親です。
 叔母山下初穂さんの息子憲夫さん(5歳年下)が、ステージ4の末期肺がんで亡くなっています。65歳でした。同居されていたから兄弟のような感じでお互いに育ったのでしょう。いとこです。
 今の奥さんがまきさんです。小倉一郎さんは何度か結婚を経験されています。
 小倉一郎さんは、父、兄、姉も亡くされています。なんだか、ご親族の命に恵まれない様子で、文章を読んでいて胸が詰まります。

 2022年(令和4年)3月4日余命宣告を受ける。あと1年か2年の命と言われる。
 いろいろ葛藤があります。(かっとう:苦悩する心理状態)

 医師にとって、余命宣告は日常的な仕事なのでしょう。余命宣告にあたって、思いやりというような感情はこもっていません。事務的な通告です。
 病状に関する具体的な話が淡々と出てきます。
 本人の気持ちとして、『受け入れる』というよりも、『あきらめる』というほうが気持ちに合っていたそうです。奥さんとマネージャーと三人、みな無言です。
 ご本人の頭の中にあるのは、残りの人生をどうやって過ごそうかです。

 中学生から幼稚園までの孫5人には祖父ががんであることを教えないようにと指示をされています。
 わたしは、孫たちには、遺体を見せるようにしています。義父母(妻の両親。孫たちからみれば、ひいおじいさんとひいおばあさん)の遺体は、葬儀のときに幼稚園生だった孫たちに見せました。孫たちは神妙な顔をしていましたが、なんだか状況をよくわかっていないようすでした。こちらの願いとしては、『人間の死』というものを体感してほしかった。

 あきらめて静かになった小倉一郎さんを、友人や、とくに長女さんが鼓舞します。(こぶ:励まし振るい立たせる)
 『少しはジタバタしなよ』
 あきらめないのです。病院を変えます。がん治療の専門病院へ転院します。4月8日が初診です。

 思い出づくりのための親族旅行です。
 三世代総勢15人で、熱海へ行かれました。元妻とそのこどもたちもいます。
 桜が満開だったそうです。
 ご本人は、最後の家族旅行になるだろうと観念されています。(かんねん:あきらめる)

 その後、ご本人は、やせてフラフラになります。

『救いの手』
 深刻な話が続きます。
 なんだかもう死ぬしかないみたいな雰囲気です。
 肺がんステージ4です。
 
 神奈川県立がんセンターのあたりから潮目が変わります。感謝という雰囲気が生まれてきます。
 わたしには、理解できない単語が続きます。『重粒子線治療等(じゅうりゅうしせんちりょうとう)』、『手術や放射線治療』、『抗がん剤による化学療法』、『細胞障害性抗がん剤』、『根治(こんち。再発しない)』、『免疫チェックポイント阻害薬』、『分子標的薬』、『KRAS G12C遺伝子変異』、『緩和照射』、『医療用麻薬オキノーム』、『サイバーナイフ』

 医師からの励ましの言葉は、『やれることは、すべてやりましょう』

 がんが脳に転移しています。右の脳に10円玉大の腫瘍が見つかります。
 読んでいて、絶望的な状態に思えます。

 役者さんですから、医師の役をしたこともあるし、脳腫瘍の患者の役もしたこともあるそうです。
 それが、現実になるという不思議な感覚があります。
 脳に腫瘍があるから幻覚があります。実際は起きていないことが、脳の中で展開されます。

 がん治療にはお金がかかるそうです。お子さんたちからの援助があります。
 家族はだいじです。
 高額療養費の制度があるので、だいじょうぶなような気がするのですが、自由診療(全額自己負担。保険適用なし)というのもあるようです。
 (第四章で、脱毛対策ウィッグには、購入費助成制度があるそうです)

 わずか2か月間で、55kgだった体重が、44kgに減少した。身長は、4cm縮んだ。
 骨川筋衛門(ほねかわすじえもん)になってしまいます。死んじゃいます。

 ふつうに考えると、在宅でしばらくすごして、家族と今後のことについてよく話し合って、記録を残して、状態が悪化したら入院して、楽にあの世へ旅立つという筋書きが思い浮かびます。
 以前読んだ本に、『無人島のふたり 120日生きなくちゃ日記 山本文緒(やまもと・ふみお) 新潮社』があります。亡くなった女性小説家の方の日記です。余命宣告を受けて、2021年10月13日(令和3年)に、すい臓がんのため58歳でご逝去(ごせいきょ)されています。
 
『第四章 奇跡』
 わたしの知らない単語が続きます。『新薬ソトラシブ』、『カルボプラチン(従来の抗がん剤)』、『ペメトレキセド(従来の抗がん剤)』、『ペムブロリズマブ(免疫チェックポイント阻害薬)』、『キイトルーダ』、『CD169陽性マクロファージ』、『カロナール』
 
 治療の効果が現れます。
 肺にあったがんの映像が小さくなります。
 食欲が戻ってきました。やはり人間は、食べなくなったら死にます。小倉さんは自分でつくる手料理に目覚めます。味覚も良くなったそうです。
 さらに、脳にあったがんが、『サイバーナイフ』という治療で、死滅しました。たった1回の照射で、癌細胞の固まりの映像が、ちりぢりのゴマ粒(つぶ)みたいな映像になったそうです。

 俳句をつくること、俳句の会を運営することが、心の支えになっています。
 
 番組、『徹子の部屋』に出演された回はわたしも見ました。2023年5月2日(火)でした。そのときはお元気そうなようすでした。
 そのころうちの家族も大腸ポリープ切除の入院をしたころで、それはがんではなかったので、ほっとしたということが自分の当時の日記に書いてあります。

 がんは治ったのではなく、治った“かのように”見えるだけですと書いてあります。
 小倉一郎さんは、過去に転移したことがあるわけで、油断は禁物です。一日一日が大切な命の時間です。
 
 育ての親の叔母さんのことが書いてあります。ひもじい思いをしたことは一度もないそうです。
 邦画、『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』では、九州の母親役を演じる樹木希林さん(きき・きりんさん)が、東京で暮らす息子さんに、いつも、なんども、『ちゃんとごはんを食べているか?』と聞きます。息子が食べていると返事をすると、樹木希林さんは気持ちが落ち着きます。母親の役目はただひとつ、こどもにちゃんとごはんを食べさせることだけなのです。

『第五章 生かされて、今思うこと』
 余命宣告をされて、来年に桜を見ることはないだろうと思ったそうです。桜と余命宣告はよく結び付けられます。さくらの花びらが散る光景が、命が尽きることを思い浮かべるきっかけになるからでしょう。

 足を骨折したことがきっかけになって、がんがあることが判明した。めぐりあわせの奇妙さがあります。
 人生では、幸運な流れが大切です。失敗したと思っていても、それが成功につながることがあります。

 生き続けるための3カ条が書いてあります。①異常を感じたらすぐ病院を受診する。②可能であれば、がん専門病院を受診する。③モニターしか見ないドクターには要注意(患者の顔を見て話をしてくれるドクターを選ぶ)
 
 気持ちの持ち方として、(がんの)再発は、絶対にある。

 162ページの文章がよくわかりませんでした。
 『遺書は、これから書くつもりです。』の次に、俳句で、『遺言を呟いてゐる秋の蝉(ゆいごんを つぶやいている あきのせみ』と書いてあります。最初の『遺書(いしょ)』は、『遺言(ゆいごん)』の間違いではなかろうか。『遺書』だとなんだか、もうすぐに死んでしまうみたいです。
 わたしはすでに遺言(ゆいごん)をつくって、司法書士法人にお願いして、公証人役場に届け出をしましたが、小倉一郎さんがこのページで書いた、『遺書』の意味は、公正証書遺言の手続きで出てくる『付言(ふげん)』だろうと考えました。遺言は、相続のやり方の内容で、付言は気持ちの伝達です。付言は遺族に自分の気持ちを伝えるのです。感謝と気遣いの言葉です。

 本の後半は、気持ちが落ち着かれたのか、緩い(ゆるい)流れになっています。
 たわいのないことだけれど、『生きている』という実感があります。

 最後のほうに娘さんのコメントがあります。
 読んでいると、自分にこどもがいて良かったなという気持ちになります。

 人生の記念誌という位置づけの本でした。
 がんで苦しんでいる人たちに役立つ本です。

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