2023年11月10日
恐れのない組織 エイミー・C・エドモンドソン
恐れのない組織 エイミー・C・エドモンドソン 野津智子・訳 村瀬俊朗・解説 英治出版
人事労務管理のためのテキスト本でしょう。
もうずいぶん前に買って読まずにそのままにしてありました。
このさき、そのような仕事をすることもないとは思いますが、ザーッと読んでみます。
わたしは、実用書は、まず、ゆっくりページを最後までめくりながら、なにが書いてあるのかを把握します。
1回目の本読みです。
第1部から第3部まであります。
第1章から第8章まであります。
書かれているキーワードを拾います。『土台』『研究』『回避できる失敗』『危険な沈黙』『フィアレスな職場(フィアレス:脅迫にびくともしない。恐れに動じない)』『無事に』『実現』『次に何が起きるのか』『誰が監督官を監督するのか』『沈黙の文化』『2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震 福島第一原子力発電所』『無知の人になる』『謙虚に耳を傾ける』『労働者の安全』『炭鉱労働組合』『仕事をフレーミングする(フレーミング:骨組み、構成、立案、構想、計画などする)(リフレーミング:別の視点から考える)』『とことん話し合って行う意思決定』『心理的安定性』
文字数が多い本です。
260ページまでページをめくって、それほど長い文章ではないと感じました。
(2回目の本読み)
流し読みをします。(ザーッと目を通す)
ナレッジワーカー:知識労働者(グローバル企業のトップ、ソフトウェアの開発者、医師、建築家、助言する立場の役割の人)
成長を推進するもの:発想と創意あふれるアイデア。知恵を出して、協力して、問題を解決していく。個々の才能を活用する。
イノベーション:新しい考え方や技術をとりいれて新しい価値を生み出す。幅広い変革
現実として:人々が本当の考えを職場で言うことはほとんどない。
各職場でパフォーマンス(成果)の差が生まれる原因:要因のひとつが、『心理的安定性』にある。
ダイナミック(力強く、生き生きと)に協力する。境界を越えてコミュニケーションを図る。
フィアレス:不安も恐れもない。
心理的安定性:みんなが気兼ねなく意見を述べることができる。自分らしくいられる文化が職場にあること。
率直に発言しても、恥をかかされない、仕返しされない、非難されないこと。信頼関係があること。尊敬の関係があること。ミスが隠されない。すぐ、修正ができる。チームに団結力がある。
(統計によると、そのような職場は現実には、なかなかないようです)
リーダーが果たすべき役割:どうすれば、フィアレス(不安も恐れもない)組織をつくることができるか。
『第1部 心理的安全性のパワー』
上司に進言すると、上司から厳しく叱責される。部下は、何も言わなくなる。部下は未来を軽視するようになる。(未来を捨てるのでしょう。どうにでもなれです。責任は上司が負うのです)
人にはプライド(自分を尊いとする気持ち)がある。人から馬鹿にされたくない、見くだされたくないという気持ちがある。だから、無能な人とは言われたくない。
職場での人間関係においては、お互いに『信頼』と『尊敬』が必要になる。
非を見つけたときは、ていねいに相手にそのことを話して諭す。(さとす:理屈で言い聞かせる。知らん顔をしたり、陰で悪口を言ったりしない)
注意をしてくれた人には感謝する。(とかく知らん顔をする人が多い)
率直な発言にはリスク(危険性)があるが、率直な発言をしても安全な環境がある職場をつくる。(「心理的安全性」のある職場づくりをする)
風通しの良い職場をつくる。
(仕事ができない人ばかりを集めるとだれもなにも発言しなくなる。知らん顔をするようになる。その業務をよくできる人と、あまりできそうにない人をうまく組み合わせてチームをつくる。平均点の能力の人の層を厚くする)
正しく機能していない組織では、中間監督者の社員が、真実を最高責任者に話を上げない。
現実はむずかしい。現実の中に理想はない。
最高責任者は、なにかおかしいと思っても、怖くて部下にたずねることができない。
あいまいにしておくと、どうにもならなくなったときに、真実が明るみになる。
蔓延する(まんえんする)『沈黙』について書いてあります。
問題点を率直に話すと自分が仕事を失うことにつながると話す製造技術者がいる。
何を基準にして、不祥事を正していくのがいいのか。感情ではなく、理論で整理する。
『第2部 職場の心理的安全性』
こういう言葉が示してあります。
『私は会社に、誤った使われ方をしている気がする』オリバー・シュミット (フォルクスワーゲンのエンジニア)
『誰が監督官を監督するのか』
利害関係がある異なる会社の上層部同志は、案外、昔からの知り合いということはあります。地縁血縁とか、学校の同窓生とか。ゆえに、利害関係が交錯する者同士が助け合うグル(仲間)ということがあります。秘められた悪事が横行します。ただ、リスクは(危険性)大きくなります。いつかは、ばれる。
『危険な沈黙』
知っているのに知らないふりをする。実施者にとって不都合な秘密は、いつかはばれる。
この本では、ばれた事例が列挙されて、それらについての解説があります。
会社なら倒産するかもしれない。人間だったら、命を落とすかもしれない。そんな話です。
2003年2月1日(平成15年)、NASA(米航空宇宙局)のスペースシャトル・コンビア号事故(帰還時の大気圏突入で空中分解した)。七人の宇宙飛行士全員が命を落とした。前兆はあった。唐突ではなかった。発射時に、断念材が左翼を直撃していた。気づきがあった。担当者は上司にメールをしたが、とりあってもらえなかった。
上層部の人間たちは、失うのは自分の命ではないから黙っていられたのか。事故を明らかにしても修理のしようがないから黙っていたのか。対応策はなかったのか。そもそも発射前にその事故が発生するかもしれないというリスク(危険性)が予想できていたのではないか。(できていたそうです)
仕事のやりかた以前に、人としての倫理教育が必要です。人命尊重です。
1977年3月(昭和52年)カナリア諸島の滑走路で2機のボーイング747が衝突した。気づきはあった。機長が副操縦士の進言を無視した。機体は炎上して、583名が死亡した。機長はベテランで自信過剰だった。時刻厳守が優先だった。
医療現場での医療事故があります。化学療法剤の過剰投与で乳がんの患者が死亡しています。
読んでいると、人は、死ぬときは死ぬ。人の命は、はかない。そんな気持ちにさせられます。自分の決定ではなく、他者の対応で自分が死んでしまう。もともと自分が、リスク(危険)がある立場であったとしても、無念です。
なにかおかしいと感じたら、まず、立ち止まる。
そして、考える、考える、考える。
おかしい状況から離れる。
1986年(昭和61年)、スペースシャトルチャレンジャー号の爆発事故に関する考察があります。
打ち上げ前に担当者が機体の異常を進言しています。
集まった人々は、彼の声を熱心かつていねいに聴いてくれなかった。
職場に、『聴く文化』がなかった。
2011年3月11日、日本で、東北地方太平洋沖地震が発生した。
津波が、福島第一原子力発電所を襲った。
津波は、低い防波堤を超えた。
三基の原子炉が高温になり爆発した。
被ばくを回避するために、周囲の土地には人が住めなくなった。
『事故は明確に人災であり、事故の予測は可能だった』事前に何度も警告があったのに、組織は警告をはねつけた。
日本は、誤った自信をもつ国になっていた。
読んでいると、日本の組織には派閥があって、主流派でない人間、一匹狼的立場の人間の意見は、『取るに足りない人物』として存在すらも否定されると読み取れます。(コロナ禍のときを思い出します)
日本の法律は、権力者を守るためにできている。
『沈黙の文化』では、波風を立てないために周囲と歩調を合わせる。
性的暴力、いやがらせに関する『#MeeTo』運動について書いてあります。
日本の某芸能事務所の不祥事の話とも類似します。宗教団体にもあるのでしょう。
話し合いのやり方の良さを表現する内容の紹介があります。
アニメ洋画『トイストーリー』の製作現場の打ち合わせ風景です。
良い人材とは:より賢く考える力をもたらし、短時間に多くの解決策を提案できる人
良い人材になるためには、前提として、失敗を恐れ率直に話そうとしない人にならない。
自分なりに付け加えると、失敗を恐れない。七転び八起きの精神をもつ。
お互いの信頼関係がなくなったら、組織は維持できなくなる。お金のつながりだけになって、不祥事が起きる。
『人間は衝突すると、つい競いたくなる。議論に「勝とう」としてはいけない』
(自分の間違いに気づける人間になる)
『無知の人』になる。
謙虚に耳を傾ける。
『失敗できないことが本当の失敗である』
『従業員を大切にする』
いろいろアドバイスが続きます。
2009年1月(平成21年)、アメリカ合衆国マンハッタン上空でジェット機がバードストライク(カナダガン(鳥)の群れがエンジンに巻き込まれた)になったため、ハドソン川に着水した。奇跡的に155人が助かった。
安心してコミュニケーションがとれるチームだった。
『自分の言葉で話す』
『労働者の安全のために率直に話す』
鉱山における労働者の安全管理について書いてあります。
再び、福島第一原子力発電所の被災直後の対応についての話が書いてあります。
情報がなかったけれども、同発電所建設段階から働いていた人間の能力が発揮された。
なにもしないリーダーはいらない。
『第3部 フィアレスな組織をつくる』
190ページまで読んでみての感想です。
理想なのでしょう。
すべての職場でこの手法は無理です。
できる職場とできない職場があります。
できるところは、(問題がないから)あまり表には出てこない。
できないところは、社会の表面にニュースとして登場してきます。
事故や不祥事が起きるからです。
世間からあれこれ指さされる話題になるからです。
本の中では病院のことが書いてあります。大きな病院です。
医療事故を防止するためにリーダーは、どうかじ取りをしたらいいかです。
土台をつくるために話し合いの場への参加を求める。
病院に限らず、大きな組織では、簡単には解決できなさそうな事故や失敗があります。小さな組織のように小回りがききません。
その時代に、その場で働いている人間たちの安心が確保されればいい。自分たちがリタイアしたあとの世代のことまでめんどうはみきれない。不祥事となる不正や問題は、先送りにされて放置され、あとの世代がひどい目にあいます。(例として、津波による福島の原発事故)
大事なこととして、『責任を問われない報告』とあります。
内部告発をしても不利益をこうむらない保証がいります。
本に書いてある理想を実行しようとすると、均等な能力と資質をもっているメンバーがいる職場でないと実行がむずかしい。
採用時点からのポイントをしぼった採用基準がいります。『仕事は楽で、給料が良くて、休みが多いほうがいい』と思っているだけの人を採用すると、のちのち痛い目にあいます。『倫理観(道徳心。人間として守るべき正しい道筋の意識)』をもっている人を採用する。まじめな人であることが基本です。
最低限のこととして、①人のお金を自分のポケットにいれない。②セクハラをしない。③情報の漏洩(ろうえい)をしない。ということが守られないと、組織はヤバイ立場に追い込まれます。
『明らかな違反には制裁措置をとる』(懲戒処分でしょう)
『心理的な安心感を高めるために使えるフレーズとして』
・わかりません。(わからないものは、わからない)
・(わたしには)手助けが必要です。(助けてください。アドバイスをください)
・(一生懸命やりましたが)間違ってしまいました。
・申し訳ありません。
そして、助けてもらったときには、『ありがとうございます』
困っているメンバーを見捨てない。
・どんな手助けができますか。(どうしたの?)
・どんな問題にぶつかっているのですか。
・どんなことが気がかりなんですか。
リーダーは、上司である必要はない。リーダーでなくても、リーダーの役割を果たすことはできる。
『上司が、トップダウン型の横柄な独裁者で、誰の言葉にも耳を傾けず、従業員を泣かせることもある。ただし、業績は良い。』
業績が良いのは、リーダーのおかげとは考えない。たまたま運が良かった。いずれ破たんする。
ポイントを押さえながらの流し読みを終えました。
もうわたしは組織で働く労働者ではないので、距離を置いた立場での読書になりました。
おそらく今も現在進行形で放置されているリスクがあるのでしょう。
黙っている人が多い職場は要注意です。組織が倒れるリスクが内在しているところもあるのでしょう。黙っている人は、『了解しているから』黙っているのではない。不満があるから黙っている。怒りがたまって、あげく、自分は当事者じゃないと主張している。関係ないと思っている。あるいは、怒りの相手がいないところでは悪口をいっぱい並べながら吠えている。(ほえている)。自分が思っていることの意思表示の表現がじょうずにできないということはある。不器用ということはある。
人事労務管理のためのテキスト本でしょう。
もうずいぶん前に買って読まずにそのままにしてありました。
このさき、そのような仕事をすることもないとは思いますが、ザーッと読んでみます。
わたしは、実用書は、まず、ゆっくりページを最後までめくりながら、なにが書いてあるのかを把握します。
1回目の本読みです。
第1部から第3部まであります。
第1章から第8章まであります。
書かれているキーワードを拾います。『土台』『研究』『回避できる失敗』『危険な沈黙』『フィアレスな職場(フィアレス:脅迫にびくともしない。恐れに動じない)』『無事に』『実現』『次に何が起きるのか』『誰が監督官を監督するのか』『沈黙の文化』『2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震 福島第一原子力発電所』『無知の人になる』『謙虚に耳を傾ける』『労働者の安全』『炭鉱労働組合』『仕事をフレーミングする(フレーミング:骨組み、構成、立案、構想、計画などする)(リフレーミング:別の視点から考える)』『とことん話し合って行う意思決定』『心理的安定性』
文字数が多い本です。
260ページまでページをめくって、それほど長い文章ではないと感じました。
(2回目の本読み)
流し読みをします。(ザーッと目を通す)
ナレッジワーカー:知識労働者(グローバル企業のトップ、ソフトウェアの開発者、医師、建築家、助言する立場の役割の人)
成長を推進するもの:発想と創意あふれるアイデア。知恵を出して、協力して、問題を解決していく。個々の才能を活用する。
イノベーション:新しい考え方や技術をとりいれて新しい価値を生み出す。幅広い変革
現実として:人々が本当の考えを職場で言うことはほとんどない。
各職場でパフォーマンス(成果)の差が生まれる原因:要因のひとつが、『心理的安定性』にある。
ダイナミック(力強く、生き生きと)に協力する。境界を越えてコミュニケーションを図る。
フィアレス:不安も恐れもない。
心理的安定性:みんなが気兼ねなく意見を述べることができる。自分らしくいられる文化が職場にあること。
率直に発言しても、恥をかかされない、仕返しされない、非難されないこと。信頼関係があること。尊敬の関係があること。ミスが隠されない。すぐ、修正ができる。チームに団結力がある。
(統計によると、そのような職場は現実には、なかなかないようです)
リーダーが果たすべき役割:どうすれば、フィアレス(不安も恐れもない)組織をつくることができるか。
『第1部 心理的安全性のパワー』
上司に進言すると、上司から厳しく叱責される。部下は、何も言わなくなる。部下は未来を軽視するようになる。(未来を捨てるのでしょう。どうにでもなれです。責任は上司が負うのです)
人にはプライド(自分を尊いとする気持ち)がある。人から馬鹿にされたくない、見くだされたくないという気持ちがある。だから、無能な人とは言われたくない。
職場での人間関係においては、お互いに『信頼』と『尊敬』が必要になる。
非を見つけたときは、ていねいに相手にそのことを話して諭す。(さとす:理屈で言い聞かせる。知らん顔をしたり、陰で悪口を言ったりしない)
注意をしてくれた人には感謝する。(とかく知らん顔をする人が多い)
率直な発言にはリスク(危険性)があるが、率直な発言をしても安全な環境がある職場をつくる。(「心理的安全性」のある職場づくりをする)
風通しの良い職場をつくる。
(仕事ができない人ばかりを集めるとだれもなにも発言しなくなる。知らん顔をするようになる。その業務をよくできる人と、あまりできそうにない人をうまく組み合わせてチームをつくる。平均点の能力の人の層を厚くする)
正しく機能していない組織では、中間監督者の社員が、真実を最高責任者に話を上げない。
現実はむずかしい。現実の中に理想はない。
最高責任者は、なにかおかしいと思っても、怖くて部下にたずねることができない。
あいまいにしておくと、どうにもならなくなったときに、真実が明るみになる。
蔓延する(まんえんする)『沈黙』について書いてあります。
問題点を率直に話すと自分が仕事を失うことにつながると話す製造技術者がいる。
何を基準にして、不祥事を正していくのがいいのか。感情ではなく、理論で整理する。
『第2部 職場の心理的安全性』
こういう言葉が示してあります。
『私は会社に、誤った使われ方をしている気がする』オリバー・シュミット (フォルクスワーゲンのエンジニア)
『誰が監督官を監督するのか』
利害関係がある異なる会社の上層部同志は、案外、昔からの知り合いということはあります。地縁血縁とか、学校の同窓生とか。ゆえに、利害関係が交錯する者同士が助け合うグル(仲間)ということがあります。秘められた悪事が横行します。ただ、リスクは(危険性)大きくなります。いつかは、ばれる。
『危険な沈黙』
知っているのに知らないふりをする。実施者にとって不都合な秘密は、いつかはばれる。
この本では、ばれた事例が列挙されて、それらについての解説があります。
会社なら倒産するかもしれない。人間だったら、命を落とすかもしれない。そんな話です。
2003年2月1日(平成15年)、NASA(米航空宇宙局)のスペースシャトル・コンビア号事故(帰還時の大気圏突入で空中分解した)。七人の宇宙飛行士全員が命を落とした。前兆はあった。唐突ではなかった。発射時に、断念材が左翼を直撃していた。気づきがあった。担当者は上司にメールをしたが、とりあってもらえなかった。
上層部の人間たちは、失うのは自分の命ではないから黙っていられたのか。事故を明らかにしても修理のしようがないから黙っていたのか。対応策はなかったのか。そもそも発射前にその事故が発生するかもしれないというリスク(危険性)が予想できていたのではないか。(できていたそうです)
仕事のやりかた以前に、人としての倫理教育が必要です。人命尊重です。
1977年3月(昭和52年)カナリア諸島の滑走路で2機のボーイング747が衝突した。気づきはあった。機長が副操縦士の進言を無視した。機体は炎上して、583名が死亡した。機長はベテランで自信過剰だった。時刻厳守が優先だった。
医療現場での医療事故があります。化学療法剤の過剰投与で乳がんの患者が死亡しています。
読んでいると、人は、死ぬときは死ぬ。人の命は、はかない。そんな気持ちにさせられます。自分の決定ではなく、他者の対応で自分が死んでしまう。もともと自分が、リスク(危険)がある立場であったとしても、無念です。
なにかおかしいと感じたら、まず、立ち止まる。
そして、考える、考える、考える。
おかしい状況から離れる。
1986年(昭和61年)、スペースシャトルチャレンジャー号の爆発事故に関する考察があります。
打ち上げ前に担当者が機体の異常を進言しています。
集まった人々は、彼の声を熱心かつていねいに聴いてくれなかった。
職場に、『聴く文化』がなかった。
2011年3月11日、日本で、東北地方太平洋沖地震が発生した。
津波が、福島第一原子力発電所を襲った。
津波は、低い防波堤を超えた。
三基の原子炉が高温になり爆発した。
被ばくを回避するために、周囲の土地には人が住めなくなった。
『事故は明確に人災であり、事故の予測は可能だった』事前に何度も警告があったのに、組織は警告をはねつけた。
日本は、誤った自信をもつ国になっていた。
読んでいると、日本の組織には派閥があって、主流派でない人間、一匹狼的立場の人間の意見は、『取るに足りない人物』として存在すらも否定されると読み取れます。(コロナ禍のときを思い出します)
日本の法律は、権力者を守るためにできている。
『沈黙の文化』では、波風を立てないために周囲と歩調を合わせる。
性的暴力、いやがらせに関する『#MeeTo』運動について書いてあります。
日本の某芸能事務所の不祥事の話とも類似します。宗教団体にもあるのでしょう。
話し合いのやり方の良さを表現する内容の紹介があります。
アニメ洋画『トイストーリー』の製作現場の打ち合わせ風景です。
良い人材とは:より賢く考える力をもたらし、短時間に多くの解決策を提案できる人
良い人材になるためには、前提として、失敗を恐れ率直に話そうとしない人にならない。
自分なりに付け加えると、失敗を恐れない。七転び八起きの精神をもつ。
お互いの信頼関係がなくなったら、組織は維持できなくなる。お金のつながりだけになって、不祥事が起きる。
『人間は衝突すると、つい競いたくなる。議論に「勝とう」としてはいけない』
(自分の間違いに気づける人間になる)
『無知の人』になる。
謙虚に耳を傾ける。
『失敗できないことが本当の失敗である』
『従業員を大切にする』
いろいろアドバイスが続きます。
2009年1月(平成21年)、アメリカ合衆国マンハッタン上空でジェット機がバードストライク(カナダガン(鳥)の群れがエンジンに巻き込まれた)になったため、ハドソン川に着水した。奇跡的に155人が助かった。
安心してコミュニケーションがとれるチームだった。
『自分の言葉で話す』
『労働者の安全のために率直に話す』
鉱山における労働者の安全管理について書いてあります。
再び、福島第一原子力発電所の被災直後の対応についての話が書いてあります。
情報がなかったけれども、同発電所建設段階から働いていた人間の能力が発揮された。
なにもしないリーダーはいらない。
『第3部 フィアレスな組織をつくる』
190ページまで読んでみての感想です。
理想なのでしょう。
すべての職場でこの手法は無理です。
できる職場とできない職場があります。
できるところは、(問題がないから)あまり表には出てこない。
できないところは、社会の表面にニュースとして登場してきます。
事故や不祥事が起きるからです。
世間からあれこれ指さされる話題になるからです。
本の中では病院のことが書いてあります。大きな病院です。
医療事故を防止するためにリーダーは、どうかじ取りをしたらいいかです。
土台をつくるために話し合いの場への参加を求める。
病院に限らず、大きな組織では、簡単には解決できなさそうな事故や失敗があります。小さな組織のように小回りがききません。
その時代に、その場で働いている人間たちの安心が確保されればいい。自分たちがリタイアしたあとの世代のことまでめんどうはみきれない。不祥事となる不正や問題は、先送りにされて放置され、あとの世代がひどい目にあいます。(例として、津波による福島の原発事故)
大事なこととして、『責任を問われない報告』とあります。
内部告発をしても不利益をこうむらない保証がいります。
本に書いてある理想を実行しようとすると、均等な能力と資質をもっているメンバーがいる職場でないと実行がむずかしい。
採用時点からのポイントをしぼった採用基準がいります。『仕事は楽で、給料が良くて、休みが多いほうがいい』と思っているだけの人を採用すると、のちのち痛い目にあいます。『倫理観(道徳心。人間として守るべき正しい道筋の意識)』をもっている人を採用する。まじめな人であることが基本です。
最低限のこととして、①人のお金を自分のポケットにいれない。②セクハラをしない。③情報の漏洩(ろうえい)をしない。ということが守られないと、組織はヤバイ立場に追い込まれます。
『明らかな違反には制裁措置をとる』(懲戒処分でしょう)
『心理的な安心感を高めるために使えるフレーズとして』
・わかりません。(わからないものは、わからない)
・(わたしには)手助けが必要です。(助けてください。アドバイスをください)
・(一生懸命やりましたが)間違ってしまいました。
・申し訳ありません。
そして、助けてもらったときには、『ありがとうございます』
困っているメンバーを見捨てない。
・どんな手助けができますか。(どうしたの?)
・どんな問題にぶつかっているのですか。
・どんなことが気がかりなんですか。
リーダーは、上司である必要はない。リーダーでなくても、リーダーの役割を果たすことはできる。
『上司が、トップダウン型の横柄な独裁者で、誰の言葉にも耳を傾けず、従業員を泣かせることもある。ただし、業績は良い。』
業績が良いのは、リーダーのおかげとは考えない。たまたま運が良かった。いずれ破たんする。
ポイントを押さえながらの流し読みを終えました。
もうわたしは組織で働く労働者ではないので、距離を置いた立場での読書になりました。
おそらく今も現在進行形で放置されているリスクがあるのでしょう。
黙っている人が多い職場は要注意です。組織が倒れるリスクが内在しているところもあるのでしょう。黙っている人は、『了解しているから』黙っているのではない。不満があるから黙っている。怒りがたまって、あげく、自分は当事者じゃないと主張している。関係ないと思っている。あるいは、怒りの相手がいないところでは悪口をいっぱい並べながら吠えている。(ほえている)。自分が思っていることの意思表示の表現がじょうずにできないということはある。不器用ということはある。
2023年11月09日
渇水(かっすい) 邦画 2023年
渇水(かっすい) 邦画 2023年 動画配信サービス 1時間40分
ほかの方のブログを観て回っていて、この映画がいい映画だったとありました。興味をもったので観てみることにしました。ただ、あまりよくなかったという鑑賞評価の人もいました。なんというか、内容が、自分自身の人生体験と重なるものがあれば共感できるし、類似体験がなければ、なんのことやらということはあります。わたしがこの映画を観た限りでは、う~む。どうかなでした。
映像の最初に戻って、ふりかえりながらの感想を並べてみます。
雨が降らない暑い夏です。
水不足による『渇水』と、水道料金の未納、滞納による『停水』処置が並べてありますが、いくら考えても両者の共通点とか、つながりが、わたしにはあるようには思えませんでした。水不足がある。停水処置をされると停水された者が、水が使えず困るということなのか。
水不足なら、一般的に、そのあたり一帯に住む人たちの全世帯が一時的に停水で、給水できなくなるような状態になります。それとも、映画で出てくるこどもの姉妹がいる世帯だけが『渇水』という表現なのだろうか。よくわかりません。
姉妹がいます。中学一年生か小学六年生の姉に見えます。妹は、小学二年生ぐらいに見えます。
母子家庭で、母親が家を出て行ってしまって(母親の言い分として:中卒の女は金ずるになる男を探すしかない。お金を恵んでくれる男を見つけてついていくのです)、家ではこどもの姉妹だけで学校の夏休みを過ごしています。(そして、水道料金滞納で市役所の水道担当職員である主人公男性に停水処置をされてしまいますが、いろいろツッコミどころは多い)
水不足ゆえに、水のないからっぽのプールで泳ぐマネをする姉妹です。(最後のほうのシーンで再びこの場所のシーンに戻ります。最初に戻るのが映画の基本の手法のひとつです)
主題として、『母子家庭の貧困』があります。貧困の責任は、男(父親)にあります。夫の役割も父親の役割も果たせないふがいない男性像に対する女性の側からの抗議があります。
停水処置をする水道担当である役所の職員宅も家庭が壊れています。
妻と小さな息子は実家へ帰っています。
あまり、書くと文句ばかりの長文になるので、簡単に箇条書きにします。
・水道料金滞納者がいます。(最初から払う気がない。こういう人たちは、ほかのお金も払ってくれません。お金があっても払わない人っています)
・市役所は、こどもだけが暮らす家の水道を止めないと思います。担当者だけの判断はしないでしょう。市役所なら福祉部門へ話が行くでしょう。市役所の立場に立って考えると、たとえ規則に従っていたとしても、こどもがらみの事件や事故が起きるかもしれないという状況をつくるということはマスコミ対策としても回避したい。
・タバコの喫煙シーンがとにかく多い。非喫煙者が見ると、臭いにおいが思い出されて相当不快です。(いったいいつになったら日本映画は喫煙シーンから卒業できるのだろうか……)
・気弱な水道担当職員が出てきます。自分の心情の悩みを上司に投げて相手に答えを求めてはいけません。お金がらみの仕事をするときは、個人的な喜怒哀楽の感情は抜きです。割り切ります。もっと気持ちを強くもってほしい。
・映像の中の母子家庭の母親は、人としての母親には見えませんでした。母親の化粧姿がなにかしらアンバランスでした。ふたりの姉妹の言動、動きも変でした。親子には見えない。
・社会の底辺にいる人間を描く。水の匂い(におい)に関するこだわりと暗示あり。その匂いのこだわりが、ピンときませんでした。
・妊娠したから結婚というパターンは、未来に危険をはらんでいます。結婚は、まずは、男女間の愛情があってこそです。
・こどもに水道業務の『停水』という深刻な仕事の話をして、『停水』処置という物事を決定してはいけません。仕事の話は、必ず親と話をします。ゆるい発想でできたシナリオです。
・伏線として、プール、ヘビイチゴ、ひまわり、金魚、髪の毛を切るなどがありますが、バラバラな感じがしました。
・あんなふうには、こどもを寝かしつけない。(鉄道プラレールの横、散らかったおもちゃがある場所で、うつぶせになっている男児に、タオルケットをかけました。(ちゃんと持ち上げて運んで、おふとんか、ベッドに寝かせます。玩具でちびっこにケガをさせてはいけません))
・『太陽と空気と水はタダという提案』(あまり説得力がないフレーズです)
良かったなと思ったセリフです。
妹『(停水されたから、あるいは渇水だから)雨の神さまにお願いする(というようなセリフ)』
姉が『いないよ。神さまなんて』(そのとおりです)
万引きのシーンは、日本映画にひんぱんに出すべきシーンなのか。わたしが、こどものころに見たドラマなどの映像でも万引きシーンがありました。
自分の思いどおりにならないからといって、(精神的に)切れてはなりません。(暴力的になる)
あきらめるのです。
あきらめることが、おとなになる一歩です。
無理がありすぎる内容でした。
ほかの方のブログを観て回っていて、この映画がいい映画だったとありました。興味をもったので観てみることにしました。ただ、あまりよくなかったという鑑賞評価の人もいました。なんというか、内容が、自分自身の人生体験と重なるものがあれば共感できるし、類似体験がなければ、なんのことやらということはあります。わたしがこの映画を観た限りでは、う~む。どうかなでした。
映像の最初に戻って、ふりかえりながらの感想を並べてみます。
雨が降らない暑い夏です。
水不足による『渇水』と、水道料金の未納、滞納による『停水』処置が並べてありますが、いくら考えても両者の共通点とか、つながりが、わたしにはあるようには思えませんでした。水不足がある。停水処置をされると停水された者が、水が使えず困るということなのか。
水不足なら、一般的に、そのあたり一帯に住む人たちの全世帯が一時的に停水で、給水できなくなるような状態になります。それとも、映画で出てくるこどもの姉妹がいる世帯だけが『渇水』という表現なのだろうか。よくわかりません。
姉妹がいます。中学一年生か小学六年生の姉に見えます。妹は、小学二年生ぐらいに見えます。
母子家庭で、母親が家を出て行ってしまって(母親の言い分として:中卒の女は金ずるになる男を探すしかない。お金を恵んでくれる男を見つけてついていくのです)、家ではこどもの姉妹だけで学校の夏休みを過ごしています。(そして、水道料金滞納で市役所の水道担当職員である主人公男性に停水処置をされてしまいますが、いろいろツッコミどころは多い)
水不足ゆえに、水のないからっぽのプールで泳ぐマネをする姉妹です。(最後のほうのシーンで再びこの場所のシーンに戻ります。最初に戻るのが映画の基本の手法のひとつです)
主題として、『母子家庭の貧困』があります。貧困の責任は、男(父親)にあります。夫の役割も父親の役割も果たせないふがいない男性像に対する女性の側からの抗議があります。
停水処置をする水道担当である役所の職員宅も家庭が壊れています。
妻と小さな息子は実家へ帰っています。
あまり、書くと文句ばかりの長文になるので、簡単に箇条書きにします。
・水道料金滞納者がいます。(最初から払う気がない。こういう人たちは、ほかのお金も払ってくれません。お金があっても払わない人っています)
・市役所は、こどもだけが暮らす家の水道を止めないと思います。担当者だけの判断はしないでしょう。市役所なら福祉部門へ話が行くでしょう。市役所の立場に立って考えると、たとえ規則に従っていたとしても、こどもがらみの事件や事故が起きるかもしれないという状況をつくるということはマスコミ対策としても回避したい。
・タバコの喫煙シーンがとにかく多い。非喫煙者が見ると、臭いにおいが思い出されて相当不快です。(いったいいつになったら日本映画は喫煙シーンから卒業できるのだろうか……)
・気弱な水道担当職員が出てきます。自分の心情の悩みを上司に投げて相手に答えを求めてはいけません。お金がらみの仕事をするときは、個人的な喜怒哀楽の感情は抜きです。割り切ります。もっと気持ちを強くもってほしい。
・映像の中の母子家庭の母親は、人としての母親には見えませんでした。母親の化粧姿がなにかしらアンバランスでした。ふたりの姉妹の言動、動きも変でした。親子には見えない。
・社会の底辺にいる人間を描く。水の匂い(におい)に関するこだわりと暗示あり。その匂いのこだわりが、ピンときませんでした。
・妊娠したから結婚というパターンは、未来に危険をはらんでいます。結婚は、まずは、男女間の愛情があってこそです。
・こどもに水道業務の『停水』という深刻な仕事の話をして、『停水』処置という物事を決定してはいけません。仕事の話は、必ず親と話をします。ゆるい発想でできたシナリオです。
・伏線として、プール、ヘビイチゴ、ひまわり、金魚、髪の毛を切るなどがありますが、バラバラな感じがしました。
・あんなふうには、こどもを寝かしつけない。(鉄道プラレールの横、散らかったおもちゃがある場所で、うつぶせになっている男児に、タオルケットをかけました。(ちゃんと持ち上げて運んで、おふとんか、ベッドに寝かせます。玩具でちびっこにケガをさせてはいけません))
・『太陽と空気と水はタダという提案』(あまり説得力がないフレーズです)
良かったなと思ったセリフです。
妹『(停水されたから、あるいは渇水だから)雨の神さまにお願いする(というようなセリフ)』
姉が『いないよ。神さまなんて』(そのとおりです)
万引きのシーンは、日本映画にひんぱんに出すべきシーンなのか。わたしが、こどものころに見たドラマなどの映像でも万引きシーンがありました。
自分の思いどおりにならないからといって、(精神的に)切れてはなりません。(暴力的になる)
あきらめるのです。
あきらめることが、おとなになる一歩です。
無理がありすぎる内容でした。
2023年11月08日
子どものためのガイドブック だいじょうぶ!親の離婚
子どものためのガイドブック だいじょうぶ!親の離婚 ケント・ウィンチェスター ロベルタ・ベイヤー[著] 高島聡子 藤川洋子[訳] 本山理咲(もとやま・りさ)[装画] 日本評論社
こどもさん向けの本です。
離婚する親が増えました。
夫婦がいっしょに暮らしたくないのです。しかたがありません。
されどこどもたちにとっては迷惑です。
わたしは、離婚ではありませんが、父親が中学一年の時に病死して母子家庭を体験しました。
とにかく経済的に困りました。
学校の制服以外に着るものがなくて、食事が粗食でした。
学生時代は、アルバイトをしたり、奨学金をもらったりして生活費と学費を稼ぎました。
こどもは、親の離婚がらみで苦痛があるのですが、こども自身は、おとなになって、自分のパートナーを見つけて、自分たち夫婦の家庭を築くという夢をもったほうがいい。
こどもによっては、両親がケンカをして離婚する姿を見て、自分は将来結婚しないと決心する子もいるかもしれません。しかたがありません。
さて、読み始めます。
まずは、1ページずつ最後のページまでゆっくりと目をとおしながら、何が書いてあるのかをだいたい把握(はあく)します。
『離婚は、ぼく/私のせい?』(そんなことはありません。パパとママのせいです)
『もし両親が興奮して、おかしくなっちゃっているときは?』(まずは、仲介に入って止めてみて、だめならほおっておきます)
『親に会いたくなったらどうしよう?』(たいてい、そうはなりません。ただし、別居の親はこどもに会いたいとは思うでしょう)
仲が悪い者同士が、同じ家にいても、ひどいケンカが続くだけ。家の中が荒れる。そんなふうなら、両親は、別れたほうがいいと思う。そのような意見を述べる12歳男児がいます。(そうだね)
『おじいちゃん、おばあちゃんはどうなるの?』(関係が濃い祖父母と関係が薄い祖父母がいます。どちらのタイプの祖父母かで、対応が異なってきます)
『離婚のあと、もしお父さんやお母さんが、(別の異性と)付き合い始めたら?』(わたしの場合は許しませんでした。自分の父親は亡くなった父親以外にいません。そのような件を扱った名作本として、重松清作品『卒業』新潮文庫があります。亡くなった実親と継父母との間で悩むこどもの姿があります。かなり深刻です)
この本の原作者について書きます。アメリカ人です。
ケント・ウィンチェスター:弁護士。ふたりのこどもの父親。アメリカ合衆国ニューメキシコ州居住。離婚経験者でもある。
ロベルタ・ベイヤー:弁護士。調停委員。女性。
『「面会交流」はだれのためのもの?』(わたしは、血縁関係のある者同士は、お互いに会いたいときに自由に会えばいいと思っています。制限をつけることは奇妙です)
訳者紹介
高島聡子(たかしま・さとこ):家庭裁判所調査官
藤川洋子:家庭裁判所調査官を退職後、女子大学心理学部教授
2015年(平成27年)発行の本です。
(2回目の本読み)
こどもさん向けの「親の離婚にどう対応しよう」という本は珍しい。やさしい言葉で書いてあります。ネットで別の種類の本の検索をしていてたまたま目に留まり、この本の成り立ちについて興味をもち取り寄せました。
『はじめに』に、こう書いてあります。『この本は、「もう一緒に暮らさない」と決めてしまった両親をもつ子どものための本です……』
著者が住むアメリカ合衆国は、離婚の多い国です。そのせいか、こどもさんへの語りかけが優しい。
離婚はやめましょうではなくて、離婚することを前提として、こどもさんに心配しなくていいよと語りかけています。
この本には、こどもたちの生の声が書いてあるそうです。
相談にのってくれる、いいおとなをひとりでいいから見つけてくださいと、こどもさんへのメッセージがあります。
離婚とは=結婚の終わり。夫婦関係は解消し、父と母は、もう同じ家では生活しません。
(だけど、親子関係は切れない)
『どうして離婚するの?』 こどもが生まれたとき、両親にとって、その日は、人生で最高の日だった。その後、これ以上、この人といっしょにいても幸せにはなれないということがわかった。だから離婚して、もう同じ家で一緒には住まない。生活しない。
こちらの本の特徴です。
問題提起があって、その解決をさぐるための本を紹介するというパターンでページが進んでいきます。
複数の兄弟姉妹がいて、両親の離婚に伴って、兄弟姉妹が父と母のそれぞれに引き取られて分離となると、こどもにとっては、けっこうつらい。
夫婦というのは、相手を責めるようになると、夫婦関係の終了へと流れが向かっていきます。
婚姻関係を継続していくためには、忍耐です。昔の女性はよく耐えられました。(結婚は、昔は、家と家の結びつき、見合い結婚、利害関係者による紹介結婚が多かった。「恋愛」と「結婚」は別物というとらえ方が強かった)
テレビ番組『徹子の部屋』で、フォークグループ「かぐや姫」のみなみこうせつさんが、お寺の住職であった父親が亡くなった時、母親が、『本当は、好きじゃなかった』と言って、そんな両親から生まれてきた自分たちの立場はどうなるのだと、うつろな気持ちになったことをお話しされていました。(そういう事例は多かったと思います。とりあえず、男に生活力があって、ご飯を食べていけるかが結婚の最優先事項でした。そして女性は夫に従い、夫とこどもがいる家族を支えることが女性の役割だったのです)
もうひとつ、別の人の事例で、父親の葬儀が終わったあと、母親が、(今も生きている)初恋の人に会いに行くと言って、北海道行きの飛行機に乗って、札幌へ行ってしまったという話を聞いたことがあります。(母親が帰ってきたかどうかは定かではありません)
本の中では、10歳の男児が、『(パパとママは)折り合うところを見つけたんだ』(折り合った結果が、『離婚』です)
こどもさんが、つらいときの対処法が書いてあります。
感情を表に出す。泣く。怒りを心の中にしまいこまない。
あなたは、まだこどもだ。耐えなくていい。
感情を管理(コントロール)する手段として、絵を描く、文章を書く、日記を書く、手帳にメモする。音楽を聴く。歌う。踊る。小説とか、マンガを読む。映画館で映画を観る。ビデオを観る。友だちと遊ぶ。笑う。電話をする。スポーツをしたり、観戦したりもあるでしょう。
12歳男児の意見があります。『離婚することで、人生、救われたと思う親もいるんだよ……』
相談相手について説明があります。アメリカ合衆国はそういうシステムがあるのだろうか。相手として、カウンセラー、家庭裁判所調査官、セラピスト、場所として、カウンセリングルーム、裁判所、相談室。(いずこも、こどもが簡単に行けそうな場所とは思えませんが……)
こどもから見て、自分の意見や感情に対して、同調者がほしい。味方がほしい。自分のことを人にやってもらいたい。ストレスのはけ口がほしい。
ひとり親家庭になって、生活費や学費がないという経済的困窮の話が出てきません。不思議です。読み進めてみると、お金のある家庭の離婚話だと、なんとなくわかります。
ネコと話すこどもがいます。ネコは答えてくれませんが、話すと楽になるとこどもが言います。
相手(ネコ)からのアドバイスはなくてもいい。だれかに自分のことを話したい。そのことを素材にして、映画ができそうです。
こどもは、離婚する親のことをあれこれ考えるけれど、そんなこどもがおとなになって結婚して、こども自身も離婚するということもあります。親子の世代間で、離婚が連鎖します。こどもが離婚したいと言った時、離婚経験がある親は、こどもの離婚を止めるための説得ができません。『いっしょだね』としか言えません。
養育費について書いてあります。あてになりません。たいていは、くれたとしても最初のうちだけです。そのうちなくなることが多い。
お金がなければ、お金のことでもめます。こどもが貯めたお金を親が無理やり取り上げて使うこともあります。
夫婦というのは、家事をどちらがやるかでケンカしているうちはまだいい。お金がないことでケンカになると情けない気持ちになります。
こどもから見て、信頼できるおとなというのは、なかなかいない。見つけられないと宗教に行く人もいる。へんな人間にだまされて利用されないように気をつけたほうがいい。
離婚にともなっての引っ越しや転校があります。拒否しないほうがいい。今いる場所を変わらなければならないことは、人生において、いくらでもあります。就職したら、転勤や人事異動があります。あれもこれも嫌だと主張していたら、ごはんを食べていけません。
家事について書いてあります。ひとり親家庭になったら、こどもも衣食住のことを積極的にやらねばなりません。掃除、洗濯、アイロンかけ、買い物、料理に食器洗い、ごみ出しもです。
いろいろやっておいたほうがいい。おとなになったら、一人暮らしの体験を一度は体験しておいた方がいい。衣食住のやり方の基本を知らないひとり暮らしを体験したことがない者同士が結婚すると、けっこうもめます。
こどもさんがこの本を読んで、離婚のことがよくわかるとは思えませんが、読まないよりも読んだほうが、気持ちが落ち着くということはあります。
こどもは、いつまでもこどもではいられません。体が大きくなる。成長します。あっという間におとなになります。それからが長い。
書中の書き方の特徴として、これこれについては、〇〇ページから〇〇ページを読んでくださいという表現があります。すんなり、その場で理解できません。そういう書き方はわかりにくい。
一般的なこととして、仕事人間のパパを信じたり頼ったりしないほうがいい。パパは仕事場が好きなんです。自己顕示欲と自己実現を満たすことができる職場が好きな人は、家庭を顧みません。(かえりみない:考えない)。会社が家庭で、社員が家族です。
こどもはこどもであって、物事の中心にはいない。だから、こどもは自分に責任を感じる必要はありません。
どうにもこうにもならないときは、しかたがないとあきらめる。
今はこうするしかないと、気持ちに折り合いをつける。
なるようになる。なるようにしかならない。あきらめる。とりあえず生きていれば、いつかはいいことがあるに違いないと気持ちに折り合いをつける。
ここまで、この本を読みながら、自分の考えを中心に記述しています。
(つづく)
書中に参考図書の紹介があるのですが、日本の本も何冊か紹介されています。もとはアメリカ合衆国の本ですから、その部分は、日本の担当者の判断で日本の本が入れてあるのでしょう。
紹介されている本で、『我が家の問題 奥田英朗(おくだ・ひでお) 集英社文庫』があります。わたしは、『我が家のヒミツ 奥田英朗 集英社』は読んだことがありますが、同じ作者で、似たようなタイトルで本が出版されています。
『我が家の問題』の紹介文では、高校二年生女子が、祖母からの間違い電話で、両親に離婚話があることを知るとあります。どうしよう?です。
いろいろ考えていて思い出す児童文学があります。
『オルゴォル 朱川湊人(しゅかわみなと) 講談社』
両親が離婚した小学生男児が、離婚後東京から大阪に移り住んだ父親にひとりで会いにいくのです。鉄道で大阪まで行ったところ、父親は女性と再婚・同居しており、女性は赤ちゃんを妊娠していて、少年にとっての異母きょうだいが生まれるのですが、周囲の人々は、少年を温かく迎え入れてくれたのです。
さらに、東京で少年と暮らしている実母には彼氏がいるのです。
自分の生活環境を、どうすることもできない小学生男児の姿が切ない。少し内容が違うかもしれませんがそんなふうだった記憶です。魅力的な文章と文脈の流れが心地よく、作者のもち味のひとつとなっていました。
離婚届けが提出されて離婚が成立するといろいろとややこしい話になります。日本社会は、婚姻関係が成立している家族にとって有利なシステムになっています。
法律的には、親子の扶養義務とか、相続とか、いろいろ課題が発生してきます。
夫婦関係は切れても親子という血縁関係は切れません。関係ないとか、知りませんでは済まされないことも出てきます。いろいろ嫌なことが待ち受けています。
こどもに対しては、きみは、秘密をかかえこまないほうが、心の安定にはいいとアドバイスがあります。おとなが内緒にしてね(ないしょにしてね)と言っても、知ったことか!です。自立と自活は、親やおとなと対立するところから始まります。
なんというか、読んでいると、さみしくなってくる本です。
別れるということは、さみしいことです。
126ページ以降に訳者からのメッセージがあります。
離婚することを否定はされていません。
離婚する親に対して、『親子の関係をどう考えておられますか?』と、質問を投げかけられています。
次に親以外のこどものまわりにいるおとなに質問を投げかけておられます。
両親の離婚によって、たいていは、こどもの心は傷つきます。
文脈から察すると、こどもに『おりこうさん』になることを求めてはいけないと読みとれます。『過剰適応』という言葉があります。こどもの心に無理をさせてはいけない。心が壊れます。深刻な結末につながることもあります。親が離婚して、何も感じないこどもはいない。
その子にとって、『信頼できるおとなの誰か』になってほしいとメッセージがあります。
最後のほうに書かれていたこととして、
ハーグ条約:国際的な子の奪取(だっしゅ)の民事上の側面に関する条約。1980年(昭和55年)に採択された条約。国境を超えた不法な子どもの連れ去り、留置をめぐる紛争に対応するための国際的な枠組み。条約締結国相互間で有効。子どもの返還、親との面会についての決め事。日本は2014年(平成26年)に締約国になった。(ハーグ:オランダの都市)
有名な女子卓球選手のことが思い浮かびました。
こどもさん向けの本です。
離婚する親が増えました。
夫婦がいっしょに暮らしたくないのです。しかたがありません。
されどこどもたちにとっては迷惑です。
わたしは、離婚ではありませんが、父親が中学一年の時に病死して母子家庭を体験しました。
とにかく経済的に困りました。
学校の制服以外に着るものがなくて、食事が粗食でした。
学生時代は、アルバイトをしたり、奨学金をもらったりして生活費と学費を稼ぎました。
こどもは、親の離婚がらみで苦痛があるのですが、こども自身は、おとなになって、自分のパートナーを見つけて、自分たち夫婦の家庭を築くという夢をもったほうがいい。
こどもによっては、両親がケンカをして離婚する姿を見て、自分は将来結婚しないと決心する子もいるかもしれません。しかたがありません。
さて、読み始めます。
まずは、1ページずつ最後のページまでゆっくりと目をとおしながら、何が書いてあるのかをだいたい把握(はあく)します。
『離婚は、ぼく/私のせい?』(そんなことはありません。パパとママのせいです)
『もし両親が興奮して、おかしくなっちゃっているときは?』(まずは、仲介に入って止めてみて、だめならほおっておきます)
『親に会いたくなったらどうしよう?』(たいてい、そうはなりません。ただし、別居の親はこどもに会いたいとは思うでしょう)
仲が悪い者同士が、同じ家にいても、ひどいケンカが続くだけ。家の中が荒れる。そんなふうなら、両親は、別れたほうがいいと思う。そのような意見を述べる12歳男児がいます。(そうだね)
『おじいちゃん、おばあちゃんはどうなるの?』(関係が濃い祖父母と関係が薄い祖父母がいます。どちらのタイプの祖父母かで、対応が異なってきます)
『離婚のあと、もしお父さんやお母さんが、(別の異性と)付き合い始めたら?』(わたしの場合は許しませんでした。自分の父親は亡くなった父親以外にいません。そのような件を扱った名作本として、重松清作品『卒業』新潮文庫があります。亡くなった実親と継父母との間で悩むこどもの姿があります。かなり深刻です)
この本の原作者について書きます。アメリカ人です。
ケント・ウィンチェスター:弁護士。ふたりのこどもの父親。アメリカ合衆国ニューメキシコ州居住。離婚経験者でもある。
ロベルタ・ベイヤー:弁護士。調停委員。女性。
『「面会交流」はだれのためのもの?』(わたしは、血縁関係のある者同士は、お互いに会いたいときに自由に会えばいいと思っています。制限をつけることは奇妙です)
訳者紹介
高島聡子(たかしま・さとこ):家庭裁判所調査官
藤川洋子:家庭裁判所調査官を退職後、女子大学心理学部教授
2015年(平成27年)発行の本です。
(2回目の本読み)
こどもさん向けの「親の離婚にどう対応しよう」という本は珍しい。やさしい言葉で書いてあります。ネットで別の種類の本の検索をしていてたまたま目に留まり、この本の成り立ちについて興味をもち取り寄せました。
『はじめに』に、こう書いてあります。『この本は、「もう一緒に暮らさない」と決めてしまった両親をもつ子どものための本です……』
著者が住むアメリカ合衆国は、離婚の多い国です。そのせいか、こどもさんへの語りかけが優しい。
離婚はやめましょうではなくて、離婚することを前提として、こどもさんに心配しなくていいよと語りかけています。
この本には、こどもたちの生の声が書いてあるそうです。
相談にのってくれる、いいおとなをひとりでいいから見つけてくださいと、こどもさんへのメッセージがあります。
離婚とは=結婚の終わり。夫婦関係は解消し、父と母は、もう同じ家では生活しません。
(だけど、親子関係は切れない)
『どうして離婚するの?』 こどもが生まれたとき、両親にとって、その日は、人生で最高の日だった。その後、これ以上、この人といっしょにいても幸せにはなれないということがわかった。だから離婚して、もう同じ家で一緒には住まない。生活しない。
こちらの本の特徴です。
問題提起があって、その解決をさぐるための本を紹介するというパターンでページが進んでいきます。
複数の兄弟姉妹がいて、両親の離婚に伴って、兄弟姉妹が父と母のそれぞれに引き取られて分離となると、こどもにとっては、けっこうつらい。
夫婦というのは、相手を責めるようになると、夫婦関係の終了へと流れが向かっていきます。
婚姻関係を継続していくためには、忍耐です。昔の女性はよく耐えられました。(結婚は、昔は、家と家の結びつき、見合い結婚、利害関係者による紹介結婚が多かった。「恋愛」と「結婚」は別物というとらえ方が強かった)
テレビ番組『徹子の部屋』で、フォークグループ「かぐや姫」のみなみこうせつさんが、お寺の住職であった父親が亡くなった時、母親が、『本当は、好きじゃなかった』と言って、そんな両親から生まれてきた自分たちの立場はどうなるのだと、うつろな気持ちになったことをお話しされていました。(そういう事例は多かったと思います。とりあえず、男に生活力があって、ご飯を食べていけるかが結婚の最優先事項でした。そして女性は夫に従い、夫とこどもがいる家族を支えることが女性の役割だったのです)
もうひとつ、別の人の事例で、父親の葬儀が終わったあと、母親が、(今も生きている)初恋の人に会いに行くと言って、北海道行きの飛行機に乗って、札幌へ行ってしまったという話を聞いたことがあります。(母親が帰ってきたかどうかは定かではありません)
本の中では、10歳の男児が、『(パパとママは)折り合うところを見つけたんだ』(折り合った結果が、『離婚』です)
こどもさんが、つらいときの対処法が書いてあります。
感情を表に出す。泣く。怒りを心の中にしまいこまない。
あなたは、まだこどもだ。耐えなくていい。
感情を管理(コントロール)する手段として、絵を描く、文章を書く、日記を書く、手帳にメモする。音楽を聴く。歌う。踊る。小説とか、マンガを読む。映画館で映画を観る。ビデオを観る。友だちと遊ぶ。笑う。電話をする。スポーツをしたり、観戦したりもあるでしょう。
12歳男児の意見があります。『離婚することで、人生、救われたと思う親もいるんだよ……』
相談相手について説明があります。アメリカ合衆国はそういうシステムがあるのだろうか。相手として、カウンセラー、家庭裁判所調査官、セラピスト、場所として、カウンセリングルーム、裁判所、相談室。(いずこも、こどもが簡単に行けそうな場所とは思えませんが……)
こどもから見て、自分の意見や感情に対して、同調者がほしい。味方がほしい。自分のことを人にやってもらいたい。ストレスのはけ口がほしい。
ひとり親家庭になって、生活費や学費がないという経済的困窮の話が出てきません。不思議です。読み進めてみると、お金のある家庭の離婚話だと、なんとなくわかります。
ネコと話すこどもがいます。ネコは答えてくれませんが、話すと楽になるとこどもが言います。
相手(ネコ)からのアドバイスはなくてもいい。だれかに自分のことを話したい。そのことを素材にして、映画ができそうです。
こどもは、離婚する親のことをあれこれ考えるけれど、そんなこどもがおとなになって結婚して、こども自身も離婚するということもあります。親子の世代間で、離婚が連鎖します。こどもが離婚したいと言った時、離婚経験がある親は、こどもの離婚を止めるための説得ができません。『いっしょだね』としか言えません。
養育費について書いてあります。あてになりません。たいていは、くれたとしても最初のうちだけです。そのうちなくなることが多い。
お金がなければ、お金のことでもめます。こどもが貯めたお金を親が無理やり取り上げて使うこともあります。
夫婦というのは、家事をどちらがやるかでケンカしているうちはまだいい。お金がないことでケンカになると情けない気持ちになります。
こどもから見て、信頼できるおとなというのは、なかなかいない。見つけられないと宗教に行く人もいる。へんな人間にだまされて利用されないように気をつけたほうがいい。
離婚にともなっての引っ越しや転校があります。拒否しないほうがいい。今いる場所を変わらなければならないことは、人生において、いくらでもあります。就職したら、転勤や人事異動があります。あれもこれも嫌だと主張していたら、ごはんを食べていけません。
家事について書いてあります。ひとり親家庭になったら、こどもも衣食住のことを積極的にやらねばなりません。掃除、洗濯、アイロンかけ、買い物、料理に食器洗い、ごみ出しもです。
いろいろやっておいたほうがいい。おとなになったら、一人暮らしの体験を一度は体験しておいた方がいい。衣食住のやり方の基本を知らないひとり暮らしを体験したことがない者同士が結婚すると、けっこうもめます。
こどもさんがこの本を読んで、離婚のことがよくわかるとは思えませんが、読まないよりも読んだほうが、気持ちが落ち着くということはあります。
こどもは、いつまでもこどもではいられません。体が大きくなる。成長します。あっという間におとなになります。それからが長い。
書中の書き方の特徴として、これこれについては、〇〇ページから〇〇ページを読んでくださいという表現があります。すんなり、その場で理解できません。そういう書き方はわかりにくい。
一般的なこととして、仕事人間のパパを信じたり頼ったりしないほうがいい。パパは仕事場が好きなんです。自己顕示欲と自己実現を満たすことができる職場が好きな人は、家庭を顧みません。(かえりみない:考えない)。会社が家庭で、社員が家族です。
こどもはこどもであって、物事の中心にはいない。だから、こどもは自分に責任を感じる必要はありません。
どうにもこうにもならないときは、しかたがないとあきらめる。
今はこうするしかないと、気持ちに折り合いをつける。
なるようになる。なるようにしかならない。あきらめる。とりあえず生きていれば、いつかはいいことがあるに違いないと気持ちに折り合いをつける。
ここまで、この本を読みながら、自分の考えを中心に記述しています。
(つづく)
書中に参考図書の紹介があるのですが、日本の本も何冊か紹介されています。もとはアメリカ合衆国の本ですから、その部分は、日本の担当者の判断で日本の本が入れてあるのでしょう。
紹介されている本で、『我が家の問題 奥田英朗(おくだ・ひでお) 集英社文庫』があります。わたしは、『我が家のヒミツ 奥田英朗 集英社』は読んだことがありますが、同じ作者で、似たようなタイトルで本が出版されています。
『我が家の問題』の紹介文では、高校二年生女子が、祖母からの間違い電話で、両親に離婚話があることを知るとあります。どうしよう?です。
いろいろ考えていて思い出す児童文学があります。
『オルゴォル 朱川湊人(しゅかわみなと) 講談社』
両親が離婚した小学生男児が、離婚後東京から大阪に移り住んだ父親にひとりで会いにいくのです。鉄道で大阪まで行ったところ、父親は女性と再婚・同居しており、女性は赤ちゃんを妊娠していて、少年にとっての異母きょうだいが生まれるのですが、周囲の人々は、少年を温かく迎え入れてくれたのです。
さらに、東京で少年と暮らしている実母には彼氏がいるのです。
自分の生活環境を、どうすることもできない小学生男児の姿が切ない。少し内容が違うかもしれませんがそんなふうだった記憶です。魅力的な文章と文脈の流れが心地よく、作者のもち味のひとつとなっていました。
離婚届けが提出されて離婚が成立するといろいろとややこしい話になります。日本社会は、婚姻関係が成立している家族にとって有利なシステムになっています。
法律的には、親子の扶養義務とか、相続とか、いろいろ課題が発生してきます。
夫婦関係は切れても親子という血縁関係は切れません。関係ないとか、知りませんでは済まされないことも出てきます。いろいろ嫌なことが待ち受けています。
こどもに対しては、きみは、秘密をかかえこまないほうが、心の安定にはいいとアドバイスがあります。おとなが内緒にしてね(ないしょにしてね)と言っても、知ったことか!です。自立と自活は、親やおとなと対立するところから始まります。
なんというか、読んでいると、さみしくなってくる本です。
別れるということは、さみしいことです。
126ページ以降に訳者からのメッセージがあります。
離婚することを否定はされていません。
離婚する親に対して、『親子の関係をどう考えておられますか?』と、質問を投げかけられています。
次に親以外のこどものまわりにいるおとなに質問を投げかけておられます。
両親の離婚によって、たいていは、こどもの心は傷つきます。
文脈から察すると、こどもに『おりこうさん』になることを求めてはいけないと読みとれます。『過剰適応』という言葉があります。こどもの心に無理をさせてはいけない。心が壊れます。深刻な結末につながることもあります。親が離婚して、何も感じないこどもはいない。
その子にとって、『信頼できるおとなの誰か』になってほしいとメッセージがあります。
最後のほうに書かれていたこととして、
ハーグ条約:国際的な子の奪取(だっしゅ)の民事上の側面に関する条約。1980年(昭和55年)に採択された条約。国境を超えた不法な子どもの連れ去り、留置をめぐる紛争に対応するための国際的な枠組み。条約締結国相互間で有効。子どもの返還、親との面会についての決め事。日本は2014年(平成26年)に締約国になった。(ハーグ:オランダの都市)
有名な女子卓球選手のことが思い浮かびました。
2023年11月07日
おかあちゃんがつくったる 長谷川義史
おかあちゃんがつくったる 長谷川義史(はせがわ・よしふみ) 講談社
2012年(平成24年)初版の絵本ですが、内容は、昭和三十年代から四十年代初めの内容です。
とりあえず、一度読み終わりました。
すごい絵本です。
胸が熱くなります。
死別母子家庭の母親とこどものお話です。
ジンとくる結末です。
思えば、第二次世界大戦で父親を戦地で亡くしたこどもは多かった。
戦後、母子家庭が日本の地にたくさん残されたことを思い出します。
昭和二十年代のことですが、こちらの本の内容とも重なります。
(2回目の本読みをします)
母親がミシンを踏みながら縫物をしている絵が表紙です。
その絵を見ながら、似たような体験がこどものころの自分にもあります。
『ぼくは いま、しょうがく さんねんせい』から始まります。
『おとうちゃんが なくなって ぼくと ねえちゃんと おかあちゃんの さんにんに なったけど ぼくたちは げんきに やってます』(亡くなった父親へのメッセージでしょう)
母子家庭ですからお金がありません。
熊太郎も中学のときに父親が病死してから母子家庭で経済的に苦労しました。
着るものがなくて、食事が粗食でした。
絵本の絵を見ながらいろいろと思い出しました。
私服が買えなくて、学校の夏のキャンプに行ったら、自分だけが夏の制服姿でした。みんなはTシャツにジーパン姿でした。
家では、肉は鶏肉(とりにく)しか食べたことがありませんでした。
牛肉とかマグロの刺身は、就職して働いて給料をもらうようになってから食べました。
絵本では、母親は、ミシン作業が得意なのでしょう。
お店で新品を買うのではなくて、ミシンを活用して、リサイクル、リフォームで、手づくりで必要なものをつくります。
お金がない家では、こどもは、新聞紙やダンボールなどを使って遊び道具をつくっていました。
新聞紙を丸めて、テープでくっつけて、ボールをつくりました。小さいボールは、野球用、大きなボールはドッジボール用として遊びで使っていました。顔に当たっても痛くないボールでした。
絵本では、母親は、剣道のはかまの布(きれ)で、主人公男子『ぼく』にジーパンのようなズボンをつくってくれました。(『ぼく』は、学校で4人の同級生男子に笑われました)
熊太郎じいさんが高校生の時は、靴下に穴があくと、母親が靴下にけっこう大きなつぎあてをしてくれました。それを見たやんちゃなクラスメートの男子が、『おまえはすごい奴(やつ)だな』とほめてくれました。自分は鈍感な人間でした。人から見られて、恥ずかしいという気持ちはありませんでした。
あの時代、貧乏人を笑う子はいましたが、心優しい子どももいてくれました。思えば、みんな貧しかった。
絵本では、おかあちゃんが、体操服をミシンでつくってくれます。
おとなのカッターシャツの再利用です。
『ぼく』は、また、クラスメートに笑われました。
次は、布製のカバンをつくってくれました。
おかあさんが、明るいのがいい。
前向きです。
堂々としています。
なにが悪いんやねんです。
かばんに、『よしお』と大きく名前が書いてあります。
『ぼく』の本名は、『よしふみ』だそうです。
父親が、『よしふみ』が一年生のときに亡くなって、どういうわけか、集まったしんせきたちが、『よしふみ』は名前として縁起が悪いらしく、主人公『ぼく』の名前を、通称で、『よしお』という名前に変えたそうです。
父親参観日です。
『よしふみ(よしお)』には、父親がいません。
今の時代はもう父親参観日というのはないのでしょう。昔はありました。
最近は、新学期始めの家庭訪問もないところが増えたようです。訪問しないで、自宅の場所だけ確認するのでしょう。緊急時対応のためでしょう。
主人公の『ぼく』は、母親に、父親参観日だから、学校には来ないでほしいと頼みます。(だけど、母親は行きます。母親はいっしょうけんめい生きている人です)
ユーモアが、苦しみを救います。
いいお母さんです。
お母さんが、お父さんのかっこうをして、教室のうしろに立っています。
背広姿のおとうさんたちに混じって、お母さんがミシンでつくった背広を着て立っています。
ほろりときました。
なんというか、こどものころ貧乏だったからといって、一生貧乏生活が続くわけではありません。一生懸命働けば、お金は入ってきます。
2012年(平成24年)初版の絵本ですが、内容は、昭和三十年代から四十年代初めの内容です。
とりあえず、一度読み終わりました。
すごい絵本です。
胸が熱くなります。
死別母子家庭の母親とこどものお話です。
ジンとくる結末です。
思えば、第二次世界大戦で父親を戦地で亡くしたこどもは多かった。
戦後、母子家庭が日本の地にたくさん残されたことを思い出します。
昭和二十年代のことですが、こちらの本の内容とも重なります。
(2回目の本読みをします)
母親がミシンを踏みながら縫物をしている絵が表紙です。
その絵を見ながら、似たような体験がこどものころの自分にもあります。
『ぼくは いま、しょうがく さんねんせい』から始まります。
『おとうちゃんが なくなって ぼくと ねえちゃんと おかあちゃんの さんにんに なったけど ぼくたちは げんきに やってます』(亡くなった父親へのメッセージでしょう)
母子家庭ですからお金がありません。
熊太郎も中学のときに父親が病死してから母子家庭で経済的に苦労しました。
着るものがなくて、食事が粗食でした。
絵本の絵を見ながらいろいろと思い出しました。
私服が買えなくて、学校の夏のキャンプに行ったら、自分だけが夏の制服姿でした。みんなはTシャツにジーパン姿でした。
家では、肉は鶏肉(とりにく)しか食べたことがありませんでした。
牛肉とかマグロの刺身は、就職して働いて給料をもらうようになってから食べました。
絵本では、母親は、ミシン作業が得意なのでしょう。
お店で新品を買うのではなくて、ミシンを活用して、リサイクル、リフォームで、手づくりで必要なものをつくります。
お金がない家では、こどもは、新聞紙やダンボールなどを使って遊び道具をつくっていました。
新聞紙を丸めて、テープでくっつけて、ボールをつくりました。小さいボールは、野球用、大きなボールはドッジボール用として遊びで使っていました。顔に当たっても痛くないボールでした。
絵本では、母親は、剣道のはかまの布(きれ)で、主人公男子『ぼく』にジーパンのようなズボンをつくってくれました。(『ぼく』は、学校で4人の同級生男子に笑われました)
熊太郎じいさんが高校生の時は、靴下に穴があくと、母親が靴下にけっこう大きなつぎあてをしてくれました。それを見たやんちゃなクラスメートの男子が、『おまえはすごい奴(やつ)だな』とほめてくれました。自分は鈍感な人間でした。人から見られて、恥ずかしいという気持ちはありませんでした。
あの時代、貧乏人を笑う子はいましたが、心優しい子どももいてくれました。思えば、みんな貧しかった。
絵本では、おかあちゃんが、体操服をミシンでつくってくれます。
おとなのカッターシャツの再利用です。
『ぼく』は、また、クラスメートに笑われました。
次は、布製のカバンをつくってくれました。
おかあさんが、明るいのがいい。
前向きです。
堂々としています。
なにが悪いんやねんです。
かばんに、『よしお』と大きく名前が書いてあります。
『ぼく』の本名は、『よしふみ』だそうです。
父親が、『よしふみ』が一年生のときに亡くなって、どういうわけか、集まったしんせきたちが、『よしふみ』は名前として縁起が悪いらしく、主人公『ぼく』の名前を、通称で、『よしお』という名前に変えたそうです。
父親参観日です。
『よしふみ(よしお)』には、父親がいません。
今の時代はもう父親参観日というのはないのでしょう。昔はありました。
最近は、新学期始めの家庭訪問もないところが増えたようです。訪問しないで、自宅の場所だけ確認するのでしょう。緊急時対応のためでしょう。
主人公の『ぼく』は、母親に、父親参観日だから、学校には来ないでほしいと頼みます。(だけど、母親は行きます。母親はいっしょうけんめい生きている人です)
ユーモアが、苦しみを救います。
いいお母さんです。
お母さんが、お父さんのかっこうをして、教室のうしろに立っています。
背広姿のおとうさんたちに混じって、お母さんがミシンでつくった背広を着て立っています。
ほろりときました。
なんというか、こどものころ貧乏だったからといって、一生貧乏生活が続くわけではありません。一生懸命働けば、お金は入ってきます。
2023年11月06日
東野&岡村の旅猿24 山口県で歴史巡りの旅
東野&岡村の旅猿24 山口県で歴史巡りの旅 hulu(フールー)とかTVer(ティーバー)
ゲストは、以前徳川家康の歴史巡り旅で愛知県と静岡県を回ったときの歴史好き芸人ロバートの山本博さんです。前回は、時代の出来事に合わせたあちこち行ったり来たりの不思議な移動でしたが、内容はなかなか良かった。
旅猿でまだ行ったことがない県があとふたつで、今回の山口県がそのうちのひとつです。もうひとつが富山県です。もう少しで全国制覇です。
羽田空港から山口宇部空港へ到着したそうです。到着時刻が遅れたので、案内人のロバート山本博さんがあせっています。昼食抜きで回るような勢いですが、東野さんと岡村さんは、ハードスケジュールには乗り気ではありません。
空港から車で2時間半から3時間移動して、山口県の萩市内に着きました。
あまり体を動かしたくない東野・岡村のふたりは、山本さんの指示に乗り気ではありません。じっさい、見学場所が、これはすごいというものでもありません。
山本博さんはいやがるふたりを麓(ふもと)に残して、ひとりで、汗をかきながら、蚊に刺されながら、山の上にある城跡へ登って、ひとりで見学して、下山されました。
ロバート山本さんの語りが熱い。彼の脳の中では、幕末の長州藩(山口県)の若者たちが生き生きと動いているのでしょう。吉田松陰を中心に見学が進んでいきますが、現地は、草ぼうぼうの跡地だったりもして、連れのふたりは、いろいろ文句を言います。
見学時間確保を優先して、車の中で、おにぎりとサンドイッチです。メインのふたりは、ちゃんとごはんを食べたいと訴えます。
その後、食事場所でいただいた『萩御膳(はぎごぜん)』が絶品だったそうです。おいしくて、良かった。
どうも、ゲストとレギュラーメンバーの気持ちのすれ違いがあります。
レギュラーのふたりは、山本博さんが知らないらしきアニメ『ワンピース』の話をだらだらと続けます。だいじょうぶだろうか。山本博さんの心が折れそうです。
(つづく)
なんだか、ロバート山本さんの独断ひとり旅に、旅猿のふたりが連れまわされている構図の旅です。スケージュールが密です。だいじょうぶだろうか。
旅猿のふたりは、もうこの旅を終えたい雰囲気です。
吉田松陰(よしだ・しょういん):長州藩藩士。思想家、教育者。松下村塾で、明治時代を築いた人材を育てた。1830年(江戸時代)-1859年(明治維新が、1868年)29歳没。江戸幕府の要人を暗殺する計画があることを自ら話して処刑された。
塾生は九十余名。伊藤博文(初代総理大臣)、山縣有朋(やまがた・ありとも。三代と九代の総理大臣)、高杉晋作(たかすぎ・しんさく。奇兵隊創設者)、久坂玄瑞(くさか・げんずい。長州藩の中心人物。妻は、吉田松陰の妹)
吉田松陰のことを熱く語るロバート山本さんを見ていると、山本さんが、吉田松陰に見えてきます。吉田松陰は、教育することで、『人に火を付けた』そうです。
尊王攘夷(そんのうじょうい):江戸幕府を倒して、天皇中心の国家をつくり、日本を植民地化しようとする外国を排除して、日本を守るという思想だったのだろうと考えます。天皇中心の世の中づくりが、明治維新につながっていきました。
先日ラジオの国会中継を聴いていたら、吉田松陰を例に出して質問をしている国会議員がいました。もしかしたら、この『旅猿』番組を観て、本人なり、質問文章作成担当のスタッフ(職員)がヒントを得たのではなかろうかと推測してしまいました。
反射炉(はんしゃろ)が出てきます。鉄を溶かして大砲を製造します。熊太郎じいさんは、以前、静岡県の韮山(にらやま)にある反射炉を見学したことがあります。(先日、たまたま、その市で、祭りの山車が(だしが)横転して人身事故が発生してしまいました)
岡村隆史さんが、サッカーのカズ選手の話とか、アクション俳優のブルースリーやジャッキーチェンのことを出して話を盛り上げてくれますが、あとのふたりは、しらーっとした雰囲気でした。
明治時代をつくるために、江戸幕府と戦って、おおぜいの人たちが亡くなっています。まだ、みなさん若かった。
吉田松陰の言葉が紹介されます。『革命は「狂」だ』
山口県萩市内の狭い区域内に有名人の誕生地などがあちこち点在しています。
伊藤博文氏が14歳から27歳で兵庫県知事になるまで住んでいたという家が今も残っています。
山縣有朋氏(やまがた・ありとも氏)も二度総理大臣になっています。
松下村塾(しょうかそんじゅく)は一年間だけだったそうですが、ロバート山本さんの話だと、昼夜の時間に関係なく、吉田松陰は塾生を教えたそうです。
伊藤博文氏は、これといった能力があるわけではないけれど、人と人をつなぐ能力があったとロバート山本さんから説明がありました。
旅猿のふたりは、これで歴史の土地まわりのロケは終わり、夕食のつもりでしたが、まだ回るとローバーと山本さんが言うのでびっくりしたようすです。
なにせ、ロバート山本さんの回り方は効率が悪い。時間が十分あるなら時代の流れの順番どおりに回ればいいと思いますが(近くにある場所をまとめてみるのではなく、出来事が起きた時代の流れに従って順番に、あっちへ行ったあとまた戻ってきたりと、行ったり来たりするのです)、ほぼ日帰りに近いような一泊二日のロケですから疲れてしまいます。回ったところの記憶も残らないかもしれません。
[たまたま、ここまで書いた夜に、動画配信サービスNHK+(プラス)での番組『歴史探偵』で、高杉晋作(たかすぎ・しんさく)の紹介をしていました。なかなか良かった。高杉晋作がいなかったら、明治維新はなかったというテーマ内容でした。高杉晋作のやりかたは、『合理主義』での対応です。奇兵隊は、形式にこだわる江戸幕府の武士と戦って勝っています。あわせて、国家や組織を守り維持していくためにはどうしても軍事力が必要なことがわかりました。もうひとつが、イノベーション(変革)です。今のやりかたに固執しない(こしつしない。こだわらない)]
(つづく)
ロバート山本さんは、吉田松陰のお墓の前で力強い声でお参りをしました。
そのあと、『よし!』『満足でした』『楽しかった』『来て良かった』
山縣有朋(やまがた・ありとも)生誕地を見て、吉田松陰のお墓参りをして、夕食をとって、旅館に着いて、長い一日が終わります。
東野さんの言葉に一同が愕然とします。(がくぜんとする。非常にびっくりする)
『ところで、松下村塾(しょうかそんじゅく)の塾長、だれやった?』
ロバート山本さんが、声も出せません。シーンとした空気が流れました。(なんのための一日だったのか)
東野幸治さんはど忘れとはいえ、アルツハイマー型認知症だったか、レビー小体型認知症の気(け。気配けはい)があるのだろうか。路線バス乗り継ぎ人情バス旅で太川陽介さんの相棒だったえびすよしかずさんのようになってきています。えびすさんは、どこかのお城の欄干(らんかん)部分で市街地を見渡しながら、太川さんとゲストの女性に真顔で、『これからぼくたちは、新幹線でどこに行くの?』と聞いたシーンがありました。(路線バスの乗り継ぎ旅中です)
映像では、東野幸治さんが、松下村塾の塾長がだれなのか気づけず、テーブルの上に置かれていたパンフレットに吉田の「吉」の文字が見えてようやく「吉田松陰」と気づきました。だいじょうぶだろうか。笑いごとではないかもしれません。ヤバいよヤバイよです。
ロバート山本さんが、最後に、歴史ミニミニ紙芝居をやってくれました。
以前の旅のときは、たしか『とりいすねえもん』の紙芝居をやってくれました。その後、大河ドラマ『どうする家康』で、とりいすねえもんを扱った回がありました。内容がよくわかって良かった。
吉田松陰の紙芝居です。9歳、11歳、13歳と長州藩で優秀な実績をあげ、日本国内を回り、ペリーの黒船に弟子の金子重之助と乗り込んで米国渡航を願い出るも江戸幕府の許可はなく牢屋に入れられる。長州で自宅謹慎、松下村塾で一年間弟子たちに(明治維新につながる)思想教育をする。老中暗殺計画を告白して29歳で死罪となり命を落とす。吉田松陰はまじめでまっすぐな人です。そして、弟子たちが、明治維新を成し遂げた。
次回のロバート山本さんによる歴史を訪ねる旅は、鹿児島県の薩摩藩とか、京都とか、福島県の会津藩にしようかという話が出ました。江戸幕府側から観た『正義』があるとロバート山本さんは説きます。(ときます。道筋を述べる)
楽しみにしています。
ゲストは、以前徳川家康の歴史巡り旅で愛知県と静岡県を回ったときの歴史好き芸人ロバートの山本博さんです。前回は、時代の出来事に合わせたあちこち行ったり来たりの不思議な移動でしたが、内容はなかなか良かった。
旅猿でまだ行ったことがない県があとふたつで、今回の山口県がそのうちのひとつです。もうひとつが富山県です。もう少しで全国制覇です。
羽田空港から山口宇部空港へ到着したそうです。到着時刻が遅れたので、案内人のロバート山本博さんがあせっています。昼食抜きで回るような勢いですが、東野さんと岡村さんは、ハードスケジュールには乗り気ではありません。
空港から車で2時間半から3時間移動して、山口県の萩市内に着きました。
あまり体を動かしたくない東野・岡村のふたりは、山本さんの指示に乗り気ではありません。じっさい、見学場所が、これはすごいというものでもありません。
山本博さんはいやがるふたりを麓(ふもと)に残して、ひとりで、汗をかきながら、蚊に刺されながら、山の上にある城跡へ登って、ひとりで見学して、下山されました。
ロバート山本さんの語りが熱い。彼の脳の中では、幕末の長州藩(山口県)の若者たちが生き生きと動いているのでしょう。吉田松陰を中心に見学が進んでいきますが、現地は、草ぼうぼうの跡地だったりもして、連れのふたりは、いろいろ文句を言います。
見学時間確保を優先して、車の中で、おにぎりとサンドイッチです。メインのふたりは、ちゃんとごはんを食べたいと訴えます。
その後、食事場所でいただいた『萩御膳(はぎごぜん)』が絶品だったそうです。おいしくて、良かった。
どうも、ゲストとレギュラーメンバーの気持ちのすれ違いがあります。
レギュラーのふたりは、山本博さんが知らないらしきアニメ『ワンピース』の話をだらだらと続けます。だいじょうぶだろうか。山本博さんの心が折れそうです。
(つづく)
なんだか、ロバート山本さんの独断ひとり旅に、旅猿のふたりが連れまわされている構図の旅です。スケージュールが密です。だいじょうぶだろうか。
旅猿のふたりは、もうこの旅を終えたい雰囲気です。
吉田松陰(よしだ・しょういん):長州藩藩士。思想家、教育者。松下村塾で、明治時代を築いた人材を育てた。1830年(江戸時代)-1859年(明治維新が、1868年)29歳没。江戸幕府の要人を暗殺する計画があることを自ら話して処刑された。
塾生は九十余名。伊藤博文(初代総理大臣)、山縣有朋(やまがた・ありとも。三代と九代の総理大臣)、高杉晋作(たかすぎ・しんさく。奇兵隊創設者)、久坂玄瑞(くさか・げんずい。長州藩の中心人物。妻は、吉田松陰の妹)
吉田松陰のことを熱く語るロバート山本さんを見ていると、山本さんが、吉田松陰に見えてきます。吉田松陰は、教育することで、『人に火を付けた』そうです。
尊王攘夷(そんのうじょうい):江戸幕府を倒して、天皇中心の国家をつくり、日本を植民地化しようとする外国を排除して、日本を守るという思想だったのだろうと考えます。天皇中心の世の中づくりが、明治維新につながっていきました。
先日ラジオの国会中継を聴いていたら、吉田松陰を例に出して質問をしている国会議員がいました。もしかしたら、この『旅猿』番組を観て、本人なり、質問文章作成担当のスタッフ(職員)がヒントを得たのではなかろうかと推測してしまいました。
反射炉(はんしゃろ)が出てきます。鉄を溶かして大砲を製造します。熊太郎じいさんは、以前、静岡県の韮山(にらやま)にある反射炉を見学したことがあります。(先日、たまたま、その市で、祭りの山車が(だしが)横転して人身事故が発生してしまいました)
岡村隆史さんが、サッカーのカズ選手の話とか、アクション俳優のブルースリーやジャッキーチェンのことを出して話を盛り上げてくれますが、あとのふたりは、しらーっとした雰囲気でした。
明治時代をつくるために、江戸幕府と戦って、おおぜいの人たちが亡くなっています。まだ、みなさん若かった。
吉田松陰の言葉が紹介されます。『革命は「狂」だ』
山口県萩市内の狭い区域内に有名人の誕生地などがあちこち点在しています。
伊藤博文氏が14歳から27歳で兵庫県知事になるまで住んでいたという家が今も残っています。
山縣有朋氏(やまがた・ありとも氏)も二度総理大臣になっています。
松下村塾(しょうかそんじゅく)は一年間だけだったそうですが、ロバート山本さんの話だと、昼夜の時間に関係なく、吉田松陰は塾生を教えたそうです。
伊藤博文氏は、これといった能力があるわけではないけれど、人と人をつなぐ能力があったとロバート山本さんから説明がありました。
旅猿のふたりは、これで歴史の土地まわりのロケは終わり、夕食のつもりでしたが、まだ回るとローバーと山本さんが言うのでびっくりしたようすです。
なにせ、ロバート山本さんの回り方は効率が悪い。時間が十分あるなら時代の流れの順番どおりに回ればいいと思いますが(近くにある場所をまとめてみるのではなく、出来事が起きた時代の流れに従って順番に、あっちへ行ったあとまた戻ってきたりと、行ったり来たりするのです)、ほぼ日帰りに近いような一泊二日のロケですから疲れてしまいます。回ったところの記憶も残らないかもしれません。
[たまたま、ここまで書いた夜に、動画配信サービスNHK+(プラス)での番組『歴史探偵』で、高杉晋作(たかすぎ・しんさく)の紹介をしていました。なかなか良かった。高杉晋作がいなかったら、明治維新はなかったというテーマ内容でした。高杉晋作のやりかたは、『合理主義』での対応です。奇兵隊は、形式にこだわる江戸幕府の武士と戦って勝っています。あわせて、国家や組織を守り維持していくためにはどうしても軍事力が必要なことがわかりました。もうひとつが、イノベーション(変革)です。今のやりかたに固執しない(こしつしない。こだわらない)]
(つづく)
ロバート山本さんは、吉田松陰のお墓の前で力強い声でお参りをしました。
そのあと、『よし!』『満足でした』『楽しかった』『来て良かった』
山縣有朋(やまがた・ありとも)生誕地を見て、吉田松陰のお墓参りをして、夕食をとって、旅館に着いて、長い一日が終わります。
東野さんの言葉に一同が愕然とします。(がくぜんとする。非常にびっくりする)
『ところで、松下村塾(しょうかそんじゅく)の塾長、だれやった?』
ロバート山本さんが、声も出せません。シーンとした空気が流れました。(なんのための一日だったのか)
東野幸治さんはど忘れとはいえ、アルツハイマー型認知症だったか、レビー小体型認知症の気(け。気配けはい)があるのだろうか。路線バス乗り継ぎ人情バス旅で太川陽介さんの相棒だったえびすよしかずさんのようになってきています。えびすさんは、どこかのお城の欄干(らんかん)部分で市街地を見渡しながら、太川さんとゲストの女性に真顔で、『これからぼくたちは、新幹線でどこに行くの?』と聞いたシーンがありました。(路線バスの乗り継ぎ旅中です)
映像では、東野幸治さんが、松下村塾の塾長がだれなのか気づけず、テーブルの上に置かれていたパンフレットに吉田の「吉」の文字が見えてようやく「吉田松陰」と気づきました。だいじょうぶだろうか。笑いごとではないかもしれません。ヤバいよヤバイよです。
ロバート山本さんが、最後に、歴史ミニミニ紙芝居をやってくれました。
以前の旅のときは、たしか『とりいすねえもん』の紙芝居をやってくれました。その後、大河ドラマ『どうする家康』で、とりいすねえもんを扱った回がありました。内容がよくわかって良かった。
吉田松陰の紙芝居です。9歳、11歳、13歳と長州藩で優秀な実績をあげ、日本国内を回り、ペリーの黒船に弟子の金子重之助と乗り込んで米国渡航を願い出るも江戸幕府の許可はなく牢屋に入れられる。長州で自宅謹慎、松下村塾で一年間弟子たちに(明治維新につながる)思想教育をする。老中暗殺計画を告白して29歳で死罪となり命を落とす。吉田松陰はまじめでまっすぐな人です。そして、弟子たちが、明治維新を成し遂げた。
次回のロバート山本さんによる歴史を訪ねる旅は、鹿児島県の薩摩藩とか、京都とか、福島県の会津藩にしようかという話が出ました。江戸幕府側から観た『正義』があるとロバート山本さんは説きます。(ときます。道筋を述べる)
楽しみにしています。
2023年11月02日
出川哲朗の充電バイクの旅 北海道大雪山→富良野神社
出川哲朗の充電バイクの旅 北海道大雪山→富良野神社
おいしい秋の北海道!大雪山から“美瑛(びえい)”を通って富良野パワスポ神社へGO!ホトちゃん&朝日奈央も初登場でパワー全開!ですが番組初のハプニングでヤバいよヤバいよ
北海道ロケというのは単調になりがちです。
道路がまっすぐで、広大な農地や原野が広がります。
人が少ない。
そのかわり、電動バイクは走りやすい。撮影がしやすいという利点があります。
そんなことを考えながら映像を見始めました。
こちらの番組は、地元のテレビ局だと(テレビ愛知)、関東地区放送から一か月以上遅れての放送になるので、最近は、TVerで観るようにしています。
北海道の人たちはこの番組のことをよくご存じです。最近は、北海道ロケが多いからでしょう。
いっぽう、意外に関西の人たちには認知度が低い。テレビ東京の番組を放送してくれる在阪放送局がないと、以前この番組のディレクターが言っていた記憶です。
ゲストの朝日奈央さんは、以前、『鶴瓶の巷の話(ちまたのはなし)』で拝見したことがあります。女優さんかと思いきや、十円玉を目や鼻に入れたりされるので、バラエティタレントさんなのでしょう。
蛍原徹さん(ほとはら・とおるさん)は、番組『アメトーク』でいつも拝見しております。今回の映像を観て、蛍原さんは誠実で、人柄のいい人だとしみじみ思いました。信用できる人です。途中腰痛でリタイアされましたがしかたがありません。尿路結石という病気になると、あのような症状が出るということがよくわかりました。再発しやすいかもしれないので、治療に専念されてください。
『北海道アイスパビリオン』というところが楽しげでした。とても寒い。演者の人たちは、防寒具を断って撮影に挑まれました。(いどまれました)。濡れたタオルが瞬間的に凍るなどしてとても冷たい世界を体験されました。罰ゲームのようでしたが、番組制作上そうしたほうが良かったのでしょう。スノウライダー(そり)は、すごいなあ。ちびっこはよろこぶでしょう。熊太郎じいさんも、栃木県の山奥にある雪国のようなところに住んでいたことがあるこどものころは、手製の土そり(どそり)で、雪が積もった山の斜面を滑り降りて友だちと遊んでいました。楽しかった。いい思い出です。
松山千春さんの『大空と大地の中で』という曲が流れました。もう何十年も前ですが、札幌でレンタカーを借りて北海道を回ったことがあります。足寄(あしょろ)という当時の国鉄(日本国有鉄道)の駅の近くで、松山千春さんの家が近くにあると知り、ご本人もお住いのご実家を見に行ったことがあります。玄関のところに大きな看板が据え付けてあって(すえつけてあって)、髪の毛がふさふさの松山千春さんの大きな顔の絵が描かれていました。お父さんがやっていた新聞社の表示もあったような気がしますが、もう記憶が定かではありません。
周囲を見回して、大きな空も大地も見当たらず、どうやって、『大空と大地の中で』という歌が生まれたのか不思議だったことを覚えています。
旭川空港の話が出ます。搭乗して離陸した体験があります。飛行機を使えば北海道は近い。感覚的に北海道は、東京圏です。
谷川ディレクターは31歳で、実は、朝日奈央さんのことが好きなんだなあということがわかりました。
谷川ディレクターは、いくぶんドジです。土方(ひじかた)ディレクターほどではありませんが、行動があいまいで、ぼーっとしたところがあります。きちょうめんではありません。充電バイクのバッテリーを必要な都度(つど)充電しないので、肝心な(かんじんな)ときに、バッテリー切れて置いてきぼりになってしまいます。
北海道の人たちはみなさん親切です。
新子焼き(しんこやき)という若鶏(わかどり。ニワトリ)のモモを焼いた料理が大きくておいしそうでした。孫たちに食べさせてやりたい。
蛍原徹さんが、ドラマ『北の国から』のファンだということは以前から知っていました。
出川哲朗さんは、リアルタイムにドラマを観ていた世代で、蛍原徹さんは、再放送で観た世代だそうです。
熊太郎じいさんは、リアルタイムで観た世代です。
同じ時間帯で、山田太一作品ドラマ『想い出づくり(おもいでづくり)』が先行で放映されていた記憶で、わたしは、『想い出づくり』を最終回まで観て、そのあと話の途中からの『北の国から』を見始めました。まだテレビ番組録画機能のある機器がある時代ではありませんでした。
山田太一作品ドラマ『想い出づくり』もいいドラマでした。偶然ですが、今こうしてノートパソコンを叩いている机の前にある本棚に、『想い出づくり』の本が立ててあります。脚本の本です。シナリオ文学本といいます。『想い出づくり 山田太一 大和書房(だいわしょぼう)』 1982年(昭和57年)の発行になっています。帯には、『台詞(せりふ)のむこうから三人の娘たちの「青春」の息づかいが聞こえてくる』と書いてあります。
二十四歳の三人の女性の結婚について書いてあるドラマでした。音楽も良かった。ジョルジュ・ザンフィル、小室等とあります。出演は、佐伯のぶ代(森昌子)、吉川久美子(古手川祐子)、渋谷香織(田中裕子)でした。
1981年(昭和56年)9月18日から12月25日の放送で、TBS金曜ドラマの連続14回でした。この頃の女性の結婚適齢期は『24歳』でした。
24歳である三人の若い女性が結婚について思い悩むのです。自分は男ですが、同じような年齢だったので実感がありました。当時は、『北の国から』よりもこちらの『想い出づくり』のほうを優先して見る人が多かったような気がします。
『北の国から』は、両親の不倫と離婚が素材になっていて、小さなこどもふたりが(純と蛍)が泣く思いをするのですが、たまたま最近読み始めた本がこどもさん向けの『だいじょうぶ!親の離婚 ケント・ウィンチェスター ロベルタ・ベイヤー著 高島聡子 藤川洋子・訳 本山理咲(もとやま・りさ)・装画 日本評論社』で、読み終えたらまた感想をアップしてみます。最近は離婚するカップルが増えました。こどもたちも大変です。
さて、充電バイクの番組のほうは、充電先として、学校職員さんの家に当たりました。いい家に当たりました。小学生の娘さんは賢い(かしこい)。しっかりしています。いまどきの小学生はタブレット端末機で勉強するのです。ジジババはついていけません。
北海道美瑛(びえい)あたりの風景は、花がきれいです。いろんな色をした花が咲き広がっています。
夕映えの光景もきれいでした。
出川さんが蛍原(ほとはら)さんに、夫婦関係を良好に保つためには、夫は自分のことをていねいにやって(洗濯物は自分でカゴに入れる。けして、そのへんにほったらかしにしない)、妻に負担をなるべくかけないように気を使わなければならないとアドバイスを送ります。ごもっともです。男は威張っていると(いばっていると)、カノジョに捨てられます。
蛍原さんが腰痛でロケ車に乗り込むときに見えたのですが、スタッフの中にきれいな女性がいるのだなあということがわかりました。
最近亡くなった谷村新司さんの歌が流れました。もう何十年も前ですが、沖縄のホテルのロビーにあるコーヒーを飲むところで、自分が友人待ちのためにひとりで座ったボックス席の目の前のボックス席に、谷村新司さんがひとりで座っておられたのを見かけました。
お互いに目が合って、自分はすぐには気づけなかったのですが、谷村さんは、威圧感のある目つきをされていました。その後、スタッフの方が来られて打ち合わせのようなことをされていました。谷村新司さんは、ずいぶんと胸板の厚い(あつい)方(かた)でした。あのようながっちりした体形の方でも早くに亡くなるのかと不思議です。(74歳でお亡くなりになりました)
谷村新司さんや加山雄三さんが歌っていた『サライ』という曲は、自分も好きな曲でよくカラオケで歌いました。サライの意味は、「ふるさと」だろうと思いながら歌っていましたが、どうも別の意味のようで、「宿」だそうです。でもやっぱり、「ふるさと」のほうがぴったりきます。
次回の放送は、『安心してください、はいてますよ』の、とにかく明るい安村さんとバラエティタレントの井森美幸さんで、場所は青森県内、十三湖から八甲田山だそうです。熊太郎じいさんも八甲田山には二度行ったことがあるので放送が楽しみです。
おいしい秋の北海道!大雪山から“美瑛(びえい)”を通って富良野パワスポ神社へGO!ホトちゃん&朝日奈央も初登場でパワー全開!ですが番組初のハプニングでヤバいよヤバいよ
北海道ロケというのは単調になりがちです。
道路がまっすぐで、広大な農地や原野が広がります。
人が少ない。
そのかわり、電動バイクは走りやすい。撮影がしやすいという利点があります。
そんなことを考えながら映像を見始めました。
こちらの番組は、地元のテレビ局だと(テレビ愛知)、関東地区放送から一か月以上遅れての放送になるので、最近は、TVerで観るようにしています。
北海道の人たちはこの番組のことをよくご存じです。最近は、北海道ロケが多いからでしょう。
いっぽう、意外に関西の人たちには認知度が低い。テレビ東京の番組を放送してくれる在阪放送局がないと、以前この番組のディレクターが言っていた記憶です。
ゲストの朝日奈央さんは、以前、『鶴瓶の巷の話(ちまたのはなし)』で拝見したことがあります。女優さんかと思いきや、十円玉を目や鼻に入れたりされるので、バラエティタレントさんなのでしょう。
蛍原徹さん(ほとはら・とおるさん)は、番組『アメトーク』でいつも拝見しております。今回の映像を観て、蛍原さんは誠実で、人柄のいい人だとしみじみ思いました。信用できる人です。途中腰痛でリタイアされましたがしかたがありません。尿路結石という病気になると、あのような症状が出るということがよくわかりました。再発しやすいかもしれないので、治療に専念されてください。
『北海道アイスパビリオン』というところが楽しげでした。とても寒い。演者の人たちは、防寒具を断って撮影に挑まれました。(いどまれました)。濡れたタオルが瞬間的に凍るなどしてとても冷たい世界を体験されました。罰ゲームのようでしたが、番組制作上そうしたほうが良かったのでしょう。スノウライダー(そり)は、すごいなあ。ちびっこはよろこぶでしょう。熊太郎じいさんも、栃木県の山奥にある雪国のようなところに住んでいたことがあるこどものころは、手製の土そり(どそり)で、雪が積もった山の斜面を滑り降りて友だちと遊んでいました。楽しかった。いい思い出です。
松山千春さんの『大空と大地の中で』という曲が流れました。もう何十年も前ですが、札幌でレンタカーを借りて北海道を回ったことがあります。足寄(あしょろ)という当時の国鉄(日本国有鉄道)の駅の近くで、松山千春さんの家が近くにあると知り、ご本人もお住いのご実家を見に行ったことがあります。玄関のところに大きな看板が据え付けてあって(すえつけてあって)、髪の毛がふさふさの松山千春さんの大きな顔の絵が描かれていました。お父さんがやっていた新聞社の表示もあったような気がしますが、もう記憶が定かではありません。
周囲を見回して、大きな空も大地も見当たらず、どうやって、『大空と大地の中で』という歌が生まれたのか不思議だったことを覚えています。
旭川空港の話が出ます。搭乗して離陸した体験があります。飛行機を使えば北海道は近い。感覚的に北海道は、東京圏です。
谷川ディレクターは31歳で、実は、朝日奈央さんのことが好きなんだなあということがわかりました。
谷川ディレクターは、いくぶんドジです。土方(ひじかた)ディレクターほどではありませんが、行動があいまいで、ぼーっとしたところがあります。きちょうめんではありません。充電バイクのバッテリーを必要な都度(つど)充電しないので、肝心な(かんじんな)ときに、バッテリー切れて置いてきぼりになってしまいます。
北海道の人たちはみなさん親切です。
新子焼き(しんこやき)という若鶏(わかどり。ニワトリ)のモモを焼いた料理が大きくておいしそうでした。孫たちに食べさせてやりたい。
蛍原徹さんが、ドラマ『北の国から』のファンだということは以前から知っていました。
出川哲朗さんは、リアルタイムにドラマを観ていた世代で、蛍原徹さんは、再放送で観た世代だそうです。
熊太郎じいさんは、リアルタイムで観た世代です。
同じ時間帯で、山田太一作品ドラマ『想い出づくり(おもいでづくり)』が先行で放映されていた記憶で、わたしは、『想い出づくり』を最終回まで観て、そのあと話の途中からの『北の国から』を見始めました。まだテレビ番組録画機能のある機器がある時代ではありませんでした。
山田太一作品ドラマ『想い出づくり』もいいドラマでした。偶然ですが、今こうしてノートパソコンを叩いている机の前にある本棚に、『想い出づくり』の本が立ててあります。脚本の本です。シナリオ文学本といいます。『想い出づくり 山田太一 大和書房(だいわしょぼう)』 1982年(昭和57年)の発行になっています。帯には、『台詞(せりふ)のむこうから三人の娘たちの「青春」の息づかいが聞こえてくる』と書いてあります。
二十四歳の三人の女性の結婚について書いてあるドラマでした。音楽も良かった。ジョルジュ・ザンフィル、小室等とあります。出演は、佐伯のぶ代(森昌子)、吉川久美子(古手川祐子)、渋谷香織(田中裕子)でした。
1981年(昭和56年)9月18日から12月25日の放送で、TBS金曜ドラマの連続14回でした。この頃の女性の結婚適齢期は『24歳』でした。
24歳である三人の若い女性が結婚について思い悩むのです。自分は男ですが、同じような年齢だったので実感がありました。当時は、『北の国から』よりもこちらの『想い出づくり』のほうを優先して見る人が多かったような気がします。
『北の国から』は、両親の不倫と離婚が素材になっていて、小さなこどもふたりが(純と蛍)が泣く思いをするのですが、たまたま最近読み始めた本がこどもさん向けの『だいじょうぶ!親の離婚 ケント・ウィンチェスター ロベルタ・ベイヤー著 高島聡子 藤川洋子・訳 本山理咲(もとやま・りさ)・装画 日本評論社』で、読み終えたらまた感想をアップしてみます。最近は離婚するカップルが増えました。こどもたちも大変です。
さて、充電バイクの番組のほうは、充電先として、学校職員さんの家に当たりました。いい家に当たりました。小学生の娘さんは賢い(かしこい)。しっかりしています。いまどきの小学生はタブレット端末機で勉強するのです。ジジババはついていけません。
北海道美瑛(びえい)あたりの風景は、花がきれいです。いろんな色をした花が咲き広がっています。
夕映えの光景もきれいでした。
出川さんが蛍原(ほとはら)さんに、夫婦関係を良好に保つためには、夫は自分のことをていねいにやって(洗濯物は自分でカゴに入れる。けして、そのへんにほったらかしにしない)、妻に負担をなるべくかけないように気を使わなければならないとアドバイスを送ります。ごもっともです。男は威張っていると(いばっていると)、カノジョに捨てられます。
蛍原さんが腰痛でロケ車に乗り込むときに見えたのですが、スタッフの中にきれいな女性がいるのだなあということがわかりました。
最近亡くなった谷村新司さんの歌が流れました。もう何十年も前ですが、沖縄のホテルのロビーにあるコーヒーを飲むところで、自分が友人待ちのためにひとりで座ったボックス席の目の前のボックス席に、谷村新司さんがひとりで座っておられたのを見かけました。
お互いに目が合って、自分はすぐには気づけなかったのですが、谷村さんは、威圧感のある目つきをされていました。その後、スタッフの方が来られて打ち合わせのようなことをされていました。谷村新司さんは、ずいぶんと胸板の厚い(あつい)方(かた)でした。あのようながっちりした体形の方でも早くに亡くなるのかと不思議です。(74歳でお亡くなりになりました)
谷村新司さんや加山雄三さんが歌っていた『サライ』という曲は、自分も好きな曲でよくカラオケで歌いました。サライの意味は、「ふるさと」だろうと思いながら歌っていましたが、どうも別の意味のようで、「宿」だそうです。でもやっぱり、「ふるさと」のほうがぴったりきます。
次回の放送は、『安心してください、はいてますよ』の、とにかく明るい安村さんとバラエティタレントの井森美幸さんで、場所は青森県内、十三湖から八甲田山だそうです。熊太郎じいさんも八甲田山には二度行ったことがあるので放送が楽しみです。