2023年11月07日

おかあちゃんがつくったる 長谷川義史

おかあちゃんがつくったる 長谷川義史(はせがわ・よしふみ) 講談社

 2012年(平成24年)初版の絵本ですが、内容は、昭和三十年代から四十年代初めの内容です。
 とりあえず、一度読み終わりました。
 すごい絵本です。
 胸が熱くなります。
 死別母子家庭の母親とこどものお話です。
 ジンとくる結末です。
 思えば、第二次世界大戦で父親を戦地で亡くしたこどもは多かった。
 戦後、母子家庭が日本の地にたくさん残されたことを思い出します。
 昭和二十年代のことですが、こちらの本の内容とも重なります。

(2回目の本読みをします)

 母親がミシンを踏みながら縫物をしている絵が表紙です。
 その絵を見ながら、似たような体験がこどものころの自分にもあります。

 『ぼくは いま、しょうがく さんねんせい』から始まります。
 『おとうちゃんが なくなって ぼくと ねえちゃんと おかあちゃんの さんにんに なったけど ぼくたちは げんきに やってます』(亡くなった父親へのメッセージでしょう)

 母子家庭ですからお金がありません。
 熊太郎も中学のときに父親が病死してから母子家庭で経済的に苦労しました。
 着るものがなくて、食事が粗食でした。
 絵本の絵を見ながらいろいろと思い出しました。
 私服が買えなくて、学校の夏のキャンプに行ったら、自分だけが夏の制服姿でした。みんなはTシャツにジーパン姿でした。
 家では、肉は鶏肉(とりにく)しか食べたことがありませんでした。
 牛肉とかマグロの刺身は、就職して働いて給料をもらうようになってから食べました。
 
 絵本では、母親は、ミシン作業が得意なのでしょう。
 お店で新品を買うのではなくて、ミシンを活用して、リサイクル、リフォームで、手づくりで必要なものをつくります。

 お金がない家では、こどもは、新聞紙やダンボールなどを使って遊び道具をつくっていました。
 新聞紙を丸めて、テープでくっつけて、ボールをつくりました。小さいボールは、野球用、大きなボールはドッジボール用として遊びで使っていました。顔に当たっても痛くないボールでした。

 絵本では、母親は、剣道のはかまの布(きれ)で、主人公男子『ぼく』にジーパンのようなズボンをつくってくれました。(『ぼく』は、学校で4人の同級生男子に笑われました)
 熊太郎じいさんが高校生の時は、靴下に穴があくと、母親が靴下にけっこう大きなつぎあてをしてくれました。それを見たやんちゃなクラスメートの男子が、『おまえはすごい奴(やつ)だな』とほめてくれました。自分は鈍感な人間でした。人から見られて、恥ずかしいという気持ちはありませんでした。
 あの時代、貧乏人を笑う子はいましたが、心優しい子どももいてくれました。思えば、みんな貧しかった。

 絵本では、おかあちゃんが、体操服をミシンでつくってくれます。
 おとなのカッターシャツの再利用です。
 『ぼく』は、また、クラスメートに笑われました。

 次は、布製のカバンをつくってくれました。
 おかあさんが、明るいのがいい。
 前向きです。
 堂々としています。
 なにが悪いんやねんです。

 かばんに、『よしお』と大きく名前が書いてあります。
 『ぼく』の本名は、『よしふみ』だそうです。
 父親が、『よしふみ』が一年生のときに亡くなって、どういうわけか、集まったしんせきたちが、『よしふみ』は名前として縁起が悪いらしく、主人公『ぼく』の名前を、通称で、『よしお』という名前に変えたそうです。

 父親参観日です。
 『よしふみ(よしお)』には、父親がいません。
 今の時代はもう父親参観日というのはないのでしょう。昔はありました。
 最近は、新学期始めの家庭訪問もないところが増えたようです。訪問しないで、自宅の場所だけ確認するのでしょう。緊急時対応のためでしょう。
 
 主人公の『ぼく』は、母親に、父親参観日だから、学校には来ないでほしいと頼みます。(だけど、母親は行きます。母親はいっしょうけんめい生きている人です)

 ユーモアが、苦しみを救います。

 いいお母さんです。

 お母さんが、お父さんのかっこうをして、教室のうしろに立っています。
 背広姿のおとうさんたちに混じって、お母さんがミシンでつくった背広を着て立っています。
 ほろりときました。

 なんというか、こどものころ貧乏だったからといって、一生貧乏生活が続くわけではありません。一生懸命働けば、お金は入ってきます。

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