2023年06月01日
たまごのはなし しおたにまみこ
たまごのはなし しおたにまみこ ブロンズ新社
(1回目の本読み)
絵本です。評判がいい。
まず、文章を読まずに、絵だけを目で追って最後のページまでいってみます。
擬人化(ぎじんか)の場合、動物を人間にたとえることが多い。
ゆでたまごみたいに見える卵を擬人化するやり方は、初めて見ます。
独特な絵です。卵に目・鼻・口、そして、手足がついています。
たまごは、女子に見えます。
ゆでたまごのイメージです。
不気味でもある。
お話が3話あります。『めを さましたら』『さんぽ』『あめのひ』の3話です。
植木鉢の絵にも顔があります。目、鼻、口があります。手足はありません。
細かい描写の絵もあります。
絵の製作には、時間がかかっています。
顔付きのトイレットペーパーみたいな絵がありますが、トイレットペーパーではないでしょう。いまのところ、それが何なのかはわかりません。お掃除用の手動式ローラーだろうか。(マシュマロでした)
かわいい絵ではありません。(感じ方は人によりけりですが……)
この絵本は、こどもに受けるのだろうか? 不審な点ありです。
(2回目の本読み さて、文章を読みます)
たまごを入れる陶器のコップみたいな器(うつわ)の上に腰かけているのが主役のたまごです。
おとなの女性のように見えます。
第一話『めをさましたら』
主役は、卵の妖精だろうか。
ほかの卵には顔はありません。
妖精は長い眠りから目を覚ました。そう読み取れます。
『われ思う ゆえにわれあり(思うから自分の存在がわかる)』というような出だしです。
たまごが立ち上がります。
あかちゃんの成長のようです。立って歩きだすのです。
たまごが妖精でなかったら『突然変異』でしょう。
たまごに人格が宿っています。人間のようです。
マシュマロとの出会いがあります。
マシュマロにも顔があります。手足もあります。たくさんあるマシュマロのなかの、ひとつだけが生きています。
マシュマロに『孤独』のにおいがあります。
いい言葉があります。
『じぶんが かんがえていることは はなさなければ あいてには ほとんどつたわらないんだって。』(そのとおりです。人それぞれの『脳みそにある世界と風景』は、お互いにわかりません。顔やスタイルなどの見た目と本人の中身は一致しません)
自分の頭の中にあることを、言葉にして、正確に発信することはむずかしいけれど、自分のことを知ってもらうためには必要な作業です。がんばりましょう。
だまっていると、相手の都合のいいように誤解されます。
先日、三十歳ぐらいの男の人が、いきなり刃物を出してきて、ふたりの高齢女性を刺したり、猟銃で、警官ふたりを撃ったりした事件がありました。
卑劣な行為です。(ひれつ:人としてあってはならない行為)
『自殺』と『殺人』は、人生において、とりかえしがつきません。
人を殺傷したら自分や自分の家族がそのあとどうなるのか、想像できないとしたら、これまでのその人の人生はなんだったのかということになります。読み書き計算能力を身につけて、不合理、不条理(ふじょうり)、理不尽(りふじん)な社会に気持ちの折り合いをつけて生き抜く工夫(くふう)をしていかねばなりません。
第二話『さんぽ』
さんぽ=外の世界を知るということでしょう。
なんとなく、ひきこもりは、ひきこもって、いっけん安全な場所にいるような錯覚をもっているけれど、そうじゃない。
外には、いいことも、そうでないこともあるけれど、ひきこもっているよりは、いいことがあると示しているような、この章の内容です。
たまごとマシュマロは、台所の上から台所の床の上に降りてきて、さんぽをしながら、自分が知らない未知の世界を探検します。
うえきばちとの出会いがあります。うえきばちには、目、鼻、口があります。おもしろい! うえきばちがしゃべります。
たまごとマシュマロのふたりに、クッションとの出会いがあります。
クッションが、ふたりにさんぽを勧められましたが、クッションは、さんぽすると自分の体がよごれちゃうと言います。
たまごがクッションに言葉を返します『よごれても あらえば いいだけだよ』
そうです。『自殺』と『殺人』以外は、やりなおしはきくのです。
先日NHKテレビ番組『72時間』を見ました。郵便局での定点観測でした。手紙を出しに来た若い男性が『刑務所で服役している友人に手紙を送る。出所したら、自分が立ち上げる事業をいっしょにやろうと書いた』とお話しされました。ほろりときました。
たまごとマシュマロのふたりは『とけい(時計)』と出会いました。でも、時計には顔はありません。顔はありませんが、時計がふたりに話しかけてきます。
とけいは仕事人間です。忠実に時を刻む仕事をしているから自由がありません。時計はそのことに満足していて、自由がないことの不自由さを感じていません。
ふたりは、時計の乾電池を抜いて、時計を休ませてあげました。仕事で脳みそが麻痺(まひ)して『過労死』してはだめなんです。
第三話『あめのひ』
熊じいさんは、雨はイヤです。でも雨は必要です。
たまごが言います。自分は雨の日が好きだ。雨の日は、考えごとができるから好きだ。
自分のことについて考えるそうです。
どうして自分はたまごなんだろう。どんなたまごなんだろう。いいたまご? わるいたまご? へいぼんなたまご? ばかなたまご? (なかなか深い思索があります。しさく:考えること)
自分じゃ、自分の中身を見ることができないからわからない。(黄身があるとか、白身があるとかがわからない……)
34ページにあるたまごが、たいそう(体操)をする姿がおもしろい。
ひとりでさんぽに行っていたマシュマロの話が紹介されます。
ナッツ(豆)たちがケンカをしていたそうです。
アーモンド、カシューナッツ、ピーナッツ、ピーカンナッツがそのメンバーだった。
それぞれの特徴をお互いにけなしあっていた。
人間の『標準化』という視点があります。義務教育における人間の標準化教育が、昭和の時代にはあったという記憶です。社会にとって(企業や組織にとって)都合のいい人間を学校での教育で育てるのです。
それぞれ個性があるナッツは、自己主張が強い。
『みんな おなじがいい』ナッツたちが出した結論です。
たまごは、みんながおなじになるように、ナッツたちを粉にしてしようと提案します。
マシュマロが、それはナッツじゃないとつぶやきます。
たまごがよかれと思ってやろうとしたことは、ナッツたちには受け入れられませんでした。
『共存』というヒントがあります。違う者同士が、お互いに妥協点を見つけて共存するのです。どちらかが、この世からすべていなくなるなんてことは無理なんです。
思考はさらに伸びていきますが、ここに書くのはやめておきます。考える。考える。考えるです。
たまごは、大学の先生みたいでした。人間とはなにかを考えるのです。
人間には多面性がある。
人間は成長しながら、そのときそのときの年齢になって、多面性の内容が変化することもある。
(そのとおりなのですが、だからこうすればいいということは、絵本の中にはありません…… 読み手が読み終えてから自分で考えるのです)
(1回目の本読み)
絵本です。評判がいい。
まず、文章を読まずに、絵だけを目で追って最後のページまでいってみます。
擬人化(ぎじんか)の場合、動物を人間にたとえることが多い。
ゆでたまごみたいに見える卵を擬人化するやり方は、初めて見ます。
独特な絵です。卵に目・鼻・口、そして、手足がついています。
たまごは、女子に見えます。
ゆでたまごのイメージです。
不気味でもある。
お話が3話あります。『めを さましたら』『さんぽ』『あめのひ』の3話です。
植木鉢の絵にも顔があります。目、鼻、口があります。手足はありません。
細かい描写の絵もあります。
絵の製作には、時間がかかっています。
顔付きのトイレットペーパーみたいな絵がありますが、トイレットペーパーではないでしょう。いまのところ、それが何なのかはわかりません。お掃除用の手動式ローラーだろうか。(マシュマロでした)
かわいい絵ではありません。(感じ方は人によりけりですが……)
この絵本は、こどもに受けるのだろうか? 不審な点ありです。
(2回目の本読み さて、文章を読みます)
たまごを入れる陶器のコップみたいな器(うつわ)の上に腰かけているのが主役のたまごです。
おとなの女性のように見えます。
第一話『めをさましたら』
主役は、卵の妖精だろうか。
ほかの卵には顔はありません。
妖精は長い眠りから目を覚ました。そう読み取れます。
『われ思う ゆえにわれあり(思うから自分の存在がわかる)』というような出だしです。
たまごが立ち上がります。
あかちゃんの成長のようです。立って歩きだすのです。
たまごが妖精でなかったら『突然変異』でしょう。
たまごに人格が宿っています。人間のようです。
マシュマロとの出会いがあります。
マシュマロにも顔があります。手足もあります。たくさんあるマシュマロのなかの、ひとつだけが生きています。
マシュマロに『孤独』のにおいがあります。
いい言葉があります。
『じぶんが かんがえていることは はなさなければ あいてには ほとんどつたわらないんだって。』(そのとおりです。人それぞれの『脳みそにある世界と風景』は、お互いにわかりません。顔やスタイルなどの見た目と本人の中身は一致しません)
自分の頭の中にあることを、言葉にして、正確に発信することはむずかしいけれど、自分のことを知ってもらうためには必要な作業です。がんばりましょう。
だまっていると、相手の都合のいいように誤解されます。
先日、三十歳ぐらいの男の人が、いきなり刃物を出してきて、ふたりの高齢女性を刺したり、猟銃で、警官ふたりを撃ったりした事件がありました。
卑劣な行為です。(ひれつ:人としてあってはならない行為)
『自殺』と『殺人』は、人生において、とりかえしがつきません。
人を殺傷したら自分や自分の家族がそのあとどうなるのか、想像できないとしたら、これまでのその人の人生はなんだったのかということになります。読み書き計算能力を身につけて、不合理、不条理(ふじょうり)、理不尽(りふじん)な社会に気持ちの折り合いをつけて生き抜く工夫(くふう)をしていかねばなりません。
第二話『さんぽ』
さんぽ=外の世界を知るということでしょう。
なんとなく、ひきこもりは、ひきこもって、いっけん安全な場所にいるような錯覚をもっているけれど、そうじゃない。
外には、いいことも、そうでないこともあるけれど、ひきこもっているよりは、いいことがあると示しているような、この章の内容です。
たまごとマシュマロは、台所の上から台所の床の上に降りてきて、さんぽをしながら、自分が知らない未知の世界を探検します。
うえきばちとの出会いがあります。うえきばちには、目、鼻、口があります。おもしろい! うえきばちがしゃべります。
たまごとマシュマロのふたりに、クッションとの出会いがあります。
クッションが、ふたりにさんぽを勧められましたが、クッションは、さんぽすると自分の体がよごれちゃうと言います。
たまごがクッションに言葉を返します『よごれても あらえば いいだけだよ』
そうです。『自殺』と『殺人』以外は、やりなおしはきくのです。
先日NHKテレビ番組『72時間』を見ました。郵便局での定点観測でした。手紙を出しに来た若い男性が『刑務所で服役している友人に手紙を送る。出所したら、自分が立ち上げる事業をいっしょにやろうと書いた』とお話しされました。ほろりときました。
たまごとマシュマロのふたりは『とけい(時計)』と出会いました。でも、時計には顔はありません。顔はありませんが、時計がふたりに話しかけてきます。
とけいは仕事人間です。忠実に時を刻む仕事をしているから自由がありません。時計はそのことに満足していて、自由がないことの不自由さを感じていません。
ふたりは、時計の乾電池を抜いて、時計を休ませてあげました。仕事で脳みそが麻痺(まひ)して『過労死』してはだめなんです。
第三話『あめのひ』
熊じいさんは、雨はイヤです。でも雨は必要です。
たまごが言います。自分は雨の日が好きだ。雨の日は、考えごとができるから好きだ。
自分のことについて考えるそうです。
どうして自分はたまごなんだろう。どんなたまごなんだろう。いいたまご? わるいたまご? へいぼんなたまご? ばかなたまご? (なかなか深い思索があります。しさく:考えること)
自分じゃ、自分の中身を見ることができないからわからない。(黄身があるとか、白身があるとかがわからない……)
34ページにあるたまごが、たいそう(体操)をする姿がおもしろい。
ひとりでさんぽに行っていたマシュマロの話が紹介されます。
ナッツ(豆)たちがケンカをしていたそうです。
アーモンド、カシューナッツ、ピーナッツ、ピーカンナッツがそのメンバーだった。
それぞれの特徴をお互いにけなしあっていた。
人間の『標準化』という視点があります。義務教育における人間の標準化教育が、昭和の時代にはあったという記憶です。社会にとって(企業や組織にとって)都合のいい人間を学校での教育で育てるのです。
それぞれ個性があるナッツは、自己主張が強い。
『みんな おなじがいい』ナッツたちが出した結論です。
たまごは、みんながおなじになるように、ナッツたちを粉にしてしようと提案します。
マシュマロが、それはナッツじゃないとつぶやきます。
たまごがよかれと思ってやろうとしたことは、ナッツたちには受け入れられませんでした。
『共存』というヒントがあります。違う者同士が、お互いに妥協点を見つけて共存するのです。どちらかが、この世からすべていなくなるなんてことは無理なんです。
思考はさらに伸びていきますが、ここに書くのはやめておきます。考える。考える。考えるです。
たまごは、大学の先生みたいでした。人間とはなにかを考えるのです。
人間には多面性がある。
人間は成長しながら、そのときそのときの年齢になって、多面性の内容が変化することもある。
(そのとおりなのですが、だからこうすればいいということは、絵本の中にはありません…… 読み手が読み終えてから自分で考えるのです)
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