2025年04月08日
ナミビアの砂漠 邦画 2024年
ナミビアの砂漠 邦画 2024年(令和6年) 動画配信サービス
監督:山中揺子
俳優:河合優実(かわい・ゆうみ)、寛一郎、金子大地
う~む。なんとも、よくわからない。
よくわからないなりに、感想を思いつくまま落としてみます。
タイトル、『ナミビアの砂漠』というのは、まず、ナミビアという国が、南アフリカ共和国のお隣で、同国の西北の位置にあります。調べたら、ナミビア=何もないという意味でした。つまり、この映画の主人公である、『みやま・かな』の生活とか人生には、何もないと受け止めたのです。じっさい、そんな感じでした。
若い。出演者のみなさんが、若くて精神的にも、生活者としても未熟です。年寄りのわたしが観る映画じゃなかったと思いながらも最後まで観てみました。
映像に出てくる男同士も女同士も楽しそうには見えるけれど、それはうわべだけのことです。
ああ、またこれもタバコ映画か。(いいかげん、日本映画は、喫煙シーンの連発から卒業してほしい。日本映画界の映像描写内容は、時代遅れになっています)
ホストクラブ、夜のあれこれです。
こういう退廃的なものがうけるのか。
退廃的(たいはいてき):不道徳、不健全な状態
ばかだなあという感想しか出てきません。
主人公のみやま・かなについてですが、彼女のまわりにいる人たちも同じようなものです。
基本的な生活を送る能力がない人たちです。
明るい未来が開かれていません。
このまま歳をとっていく。(今はまだ若いからむちゃやれますが、歳をとっていくにつれて、みじめ、哀れ(あわれ)に老いていきます)
こんな女のどこがいいのだろう。
こんな男のどこがいいのだろう。
まあ、変態(へんたい。変わっている。異常な行為・言動がある)ですなあというシーンもあります。
河合優実さんのひとり演劇か。
女性の生き方を浮き彫り(ぼり)にする。女性特有のことがらをアピール(妊娠とか、低賃金とか、劣悪な労働環境とか、男よりも不利なところ。男に依存して、男の稼ぎで食べていくために、男にこびるとか)する。映画のメッセージは、女の生きづらさ、男女の不公平、あと、国籍問題がからんでいるようです。(主人公の根っこに中国籍がある)
ときおり、『死』を考える。
シーンの意味がわからないことがけっこう多い。
何をしているのかわからない。
主人公女子は、脱毛サロンで働いている。
自分で、こんなことをしても効果がないようなことを客に言う。
解雇されました。
主人公のスマホに、『ナミビア砂漠』の映像が映っている。映像には、ラクダ複数が映っていて動く。
<何をどう感じればいいのだろう。わからない。主人公たちは、社会生活の標準的な暮らしから、はずれた場所・空間で生活している>
男はめめしい。男は女を支配したがる。
同棲があります。ふたりでいても、ひとりがふたりいるような感じに見えます。会話やふれあいはありますが、ふたりで協力して生活を成り立たせている状態を感じられません。
開始44分で、突然、タイトルが映像に現れました。『ナミビアの砂漠』です。
映像を観ていても、自分の理解力が足りないのか、正確な状況を把握できません。
主人公女子は妊娠したのだろうか? さらに、同時進行みたいな感じで、ふたりの男と関係をもっているから、どちらの男のこどもを妊娠したのだろうか? それとも、妊娠は、主人公女子の空想で、じっさいは妊娠していないのだろうか。
いずれにしても、女性が恋をするときは、妊娠というリスクを背負っているということが強調されています。女性の生きづらさが表現されています。
男からみれば、女性は、消耗品扱いです。商品とも言える。
男の親のところへ結婚したいとあいさつに行く。
そう思って見ていたら、どうも違う。
まあ、付き合っているというふうです。
しかもキャンプ場で、親族一同がキャンプをしている中へ入っていく。
カップルは、場違いのようすもある。
よくケンカをするカップルです。
(ヒマなんだなと思いました。本気(ほんき)の家庭生活では、そうはいきません。小さなこどもがいれば、ドタバタ戦争状態です。こどもを預けて共働きともなれば、時間的な余裕などなくなります。こどもが病気になるとたいへんです。とにかく、忙しい。忙しくてケンカになる。結局、ヒマでも忙しくても、夫婦はケンカになる)
登場人物たちはみな、メンタル的に病気ではなかろうかという気分になります。
みんな病気で、コワイコワイです。
男が言います。『おまえが(女性のほうが)はらませたんだよな!(男をだましてわざと妊娠したんだよな)』(わけがわかりません。通常、はらませるのは、男のほうです)
女性差別意識に対する抗議の映画でもあります。
女優河合優実さんの演技がじょうずです。めちゃくちゃ狂っています。
男が叫びます。『ムリ! おまえは、ムリ!(オレのパートナーとしてはムリ)』
ちゃんとした食生活をしてほしい。(そうしないと、心がすさみます)
カップラーメンばかりを食べています。
男の稼ぎに依存して生きる女になる。
主人公女子が大暴れ(おおあばれ)する映画でした。豪快です。
リモートで医師の診察を受けることができるのか。
モバイル機器をもって受診する主人公女子です。保険証とか医療費の支払いはどうやってやるのだろう。まあ、やり方があるのでしょう。
まあ、すさまじい暴力映画です。
なんだか、カップルの夫婦ゲンカというよりも、兄と妹のきょうだいゲンカのようです。
『(女子が男子に叫ぶ)おまえは、実家があるからいいな!』(女子には実家がないのか。女子は、家庭崩壊で実家がないようにみえますが、さいごのあたりで、中国にいる親族たちからスマホにビデオ通話で電話がかかってきます)。中国のファミリーは、食事会の最中で、にぎやかです。元気にしてるか~です。
キャンプだホイの歌が流れました。なかなかいい選曲でした。
キャンプだホイ、キャンプだホイ、キャンプだホイホイホイーーです。
最後は、カップルの無言に近い食事シーンで、突然終わってしまいました。
う~む。映画です。表現の手法はいろいろあるのですが、わかりやすい表現のほうがいい。
それとも、わかりやすい表現で女性問題を扱った作品がすでにあり、ありふれているから、ユニークな(唯一の個性)手段を選択したのだろうか。
監督:山中揺子
俳優:河合優実(かわい・ゆうみ)、寛一郎、金子大地
う~む。なんとも、よくわからない。
よくわからないなりに、感想を思いつくまま落としてみます。
タイトル、『ナミビアの砂漠』というのは、まず、ナミビアという国が、南アフリカ共和国のお隣で、同国の西北の位置にあります。調べたら、ナミビア=何もないという意味でした。つまり、この映画の主人公である、『みやま・かな』の生活とか人生には、何もないと受け止めたのです。じっさい、そんな感じでした。
若い。出演者のみなさんが、若くて精神的にも、生活者としても未熟です。年寄りのわたしが観る映画じゃなかったと思いながらも最後まで観てみました。
映像に出てくる男同士も女同士も楽しそうには見えるけれど、それはうわべだけのことです。
ああ、またこれもタバコ映画か。(いいかげん、日本映画は、喫煙シーンの連発から卒業してほしい。日本映画界の映像描写内容は、時代遅れになっています)
ホストクラブ、夜のあれこれです。
こういう退廃的なものがうけるのか。
退廃的(たいはいてき):不道徳、不健全な状態
ばかだなあという感想しか出てきません。
主人公のみやま・かなについてですが、彼女のまわりにいる人たちも同じようなものです。
基本的な生活を送る能力がない人たちです。
明るい未来が開かれていません。
このまま歳をとっていく。(今はまだ若いからむちゃやれますが、歳をとっていくにつれて、みじめ、哀れ(あわれ)に老いていきます)
こんな女のどこがいいのだろう。
こんな男のどこがいいのだろう。
まあ、変態(へんたい。変わっている。異常な行為・言動がある)ですなあというシーンもあります。
河合優実さんのひとり演劇か。
女性の生き方を浮き彫り(ぼり)にする。女性特有のことがらをアピール(妊娠とか、低賃金とか、劣悪な労働環境とか、男よりも不利なところ。男に依存して、男の稼ぎで食べていくために、男にこびるとか)する。映画のメッセージは、女の生きづらさ、男女の不公平、あと、国籍問題がからんでいるようです。(主人公の根っこに中国籍がある)
ときおり、『死』を考える。
シーンの意味がわからないことがけっこう多い。
何をしているのかわからない。
主人公女子は、脱毛サロンで働いている。
自分で、こんなことをしても効果がないようなことを客に言う。
解雇されました。
主人公のスマホに、『ナミビア砂漠』の映像が映っている。映像には、ラクダ複数が映っていて動く。
<何をどう感じればいいのだろう。わからない。主人公たちは、社会生活の標準的な暮らしから、はずれた場所・空間で生活している>
男はめめしい。男は女を支配したがる。
同棲があります。ふたりでいても、ひとりがふたりいるような感じに見えます。会話やふれあいはありますが、ふたりで協力して生活を成り立たせている状態を感じられません。
開始44分で、突然、タイトルが映像に現れました。『ナミビアの砂漠』です。
映像を観ていても、自分の理解力が足りないのか、正確な状況を把握できません。
主人公女子は妊娠したのだろうか? さらに、同時進行みたいな感じで、ふたりの男と関係をもっているから、どちらの男のこどもを妊娠したのだろうか? それとも、妊娠は、主人公女子の空想で、じっさいは妊娠していないのだろうか。
いずれにしても、女性が恋をするときは、妊娠というリスクを背負っているということが強調されています。女性の生きづらさが表現されています。
男からみれば、女性は、消耗品扱いです。商品とも言える。
男の親のところへ結婚したいとあいさつに行く。
そう思って見ていたら、どうも違う。
まあ、付き合っているというふうです。
しかもキャンプ場で、親族一同がキャンプをしている中へ入っていく。
カップルは、場違いのようすもある。
よくケンカをするカップルです。
(ヒマなんだなと思いました。本気(ほんき)の家庭生活では、そうはいきません。小さなこどもがいれば、ドタバタ戦争状態です。こどもを預けて共働きともなれば、時間的な余裕などなくなります。こどもが病気になるとたいへんです。とにかく、忙しい。忙しくてケンカになる。結局、ヒマでも忙しくても、夫婦はケンカになる)
登場人物たちはみな、メンタル的に病気ではなかろうかという気分になります。
みんな病気で、コワイコワイです。
男が言います。『おまえが(女性のほうが)はらませたんだよな!(男をだましてわざと妊娠したんだよな)』(わけがわかりません。通常、はらませるのは、男のほうです)
女性差別意識に対する抗議の映画でもあります。
女優河合優実さんの演技がじょうずです。めちゃくちゃ狂っています。
男が叫びます。『ムリ! おまえは、ムリ!(オレのパートナーとしてはムリ)』
ちゃんとした食生活をしてほしい。(そうしないと、心がすさみます)
カップラーメンばかりを食べています。
男の稼ぎに依存して生きる女になる。
主人公女子が大暴れ(おおあばれ)する映画でした。豪快です。
リモートで医師の診察を受けることができるのか。
モバイル機器をもって受診する主人公女子です。保険証とか医療費の支払いはどうやってやるのだろう。まあ、やり方があるのでしょう。
まあ、すさまじい暴力映画です。
なんだか、カップルの夫婦ゲンカというよりも、兄と妹のきょうだいゲンカのようです。
『(女子が男子に叫ぶ)おまえは、実家があるからいいな!』(女子には実家がないのか。女子は、家庭崩壊で実家がないようにみえますが、さいごのあたりで、中国にいる親族たちからスマホにビデオ通話で電話がかかってきます)。中国のファミリーは、食事会の最中で、にぎやかです。元気にしてるか~です。
キャンプだホイの歌が流れました。なかなかいい選曲でした。
キャンプだホイ、キャンプだホイ、キャンプだホイホイホイーーです。
最後は、カップルの無言に近い食事シーンで、突然終わってしまいました。
う~む。映画です。表現の手法はいろいろあるのですが、わかりやすい表現のほうがいい。
それとも、わかりやすい表現で女性問題を扱った作品がすでにあり、ありふれているから、ユニークな(唯一の個性)手段を選択したのだろうか。
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