2018年05月16日
この春、とうに死んでるあなたを探して 榎田ユウリ
この春、とうに死んでるあなたを探して 榎田ユウリ(えだ・ゆうり) 筑摩書房
書きだしの文章が気に入って購入しました。転校回数の多さから言葉が始まっています。私自身も転校回数が多いことが共通しました。ただ、大きくなるにつれて知ったのですが、転校回数が多いひとはけっこう多い。めずらしいことではないと知り自慢できなくなりました。
主人公の名前は、「島谷弼(しまたに・たすく)37歳」といいます。ここでまず驚きました。私は、同時進行で複数冊の本を読みます。今は、3冊読んでいます。ついきのうから読みはじめた本の主人公の名前が、野沢佑(のざわ・たすく 小学校5年生)といいます。「たすく」が偶然重なりました。そういうことがあるとうれしい。
こちらの本の弼(たすく)さんは、37歳ですが、出だしは中学生です。苦い思い出から始まります。50ページぐらいの固まりで短編になっていて、次の短編へのつながりがあるようです。1人称のひとり語りが続きますが、小さなことへのこだわり記述なので、ここまで書かなくてもと思うこともありますが、やがて、1人が3人へと広がりをみせてきました。短編が続きます。
「宅急便の宛名伝票と屈辱的なあだな」
タイトルだけを見るとなんのことかわかりませんが、読み終えてみるとよくわかります。
転校生はいじめの標的となりやすいが、勉強ができたので回避できた。(的を射ています。)
鼻血の出だしは面白いのだが、なにもしないのに鼻血が出るというのは、つくりばなしめいて不自然でした。
「肉じゃがは豚か牛か、そしてもんじゃ焼きにおける土手の意義について」
味わいのある文章が続きます。だんだん、それぞれの素性が見えてきました。
肉じゃがの肉が、牛か豚か。そういう論争というか、地域によっての違いは以前あった。だからといって、どちらがいいという話でもない。
ダイヤル式黒電話を使用しているおばあさんが出てきますが、現実にもそういう人がいるのを知っています。
高齢者をターゲットにした不正な訪問販売を扱っています。伏線として、「鼻血」があります。
さきざき、映像化が意識してあるような気配があります。
調べた単語です。「コケシリス:こけしのようなマッシュルームカットをした高齢者をだます詐欺師のような遠藤君のこと。(調べたというよりも読みながら考えました。)」、「ペイズリー柄:ゾウリムシ、ミドリムシ柄、植物、曲線柄」、「サムズアップ:こぶしをにぎり、親指を立てる。」
良かった表現として、両親離婚、再婚した親には、たまに会うだけでいい。それから、ずるずる長居できる家がいい。安息の書物の要素をこの小説はもっています。
30代、ひとり者が3人。(中学の同級生。うちひとりは×1バツイチ)
手紙(中学の担任からの、たすくあての手紙、転校時にもらった。)のことが、さりげなく、文章中におかれました。あとで、なにかの伏線になるのでしょう。
いじめられていた人らしき人からの手紙があります。
「芋けんぴと先生の日記とセシボンの調査力」
だんだん哲学書を読んでいるような雰囲気になってきました。人間はどう生きるかです。お話の中身はかなり深くなってきました。
お話聞きますという喫茶店のおばあさんの方針(ただし、答えは返さない。)
高齢者福祉を扱っているような内容。
中学生生徒から担任教師に対するいじめとその理由。
与謝野晶子
身内の自殺
両親不仲
秘密は深い。
再会しても、これからも連絡を取り合おうとは思わない。
教育とか伝承とか、教えるために小説を書いて残すとか、考えました。恩人がいたから、自分も恩人になる。
調べた単語として、「唯々諾々:いいだくだく。相手のいいなりになる。」、「オノマトペ化:擬音にする。」、「蛇蝎:だかつ。へびとサソリ。人が嫌うもの。」
好印象として、登場人物たちが酒が飲めないことが良かった。(アルコールで人生を失敗しない。)、気に入った表現として、「17歳なのに70歳の目をしていた。」
「二度同じことを言ったら、それは反対の意味になる暗号」
気に入った表現として、「(両親)ふたりとも外面良く、円満な家庭を演じていた。」
ここまで読んで、今年読んで良かった1冊です。(最後まで読んで、そういう世界の話かと驚きましたが、それでも、読んで良かった1冊です。)
幸せって何だろうと読みながら考える本です。
後半に近づくにつれて設定や展開に無理がみられます。せっかく地に足が付いた記述が続いていたのに、奇抜な方向へと舵が切られました。物語が破たんしていくような気配があるのですが、それも含めて小説です。感じ方は読み手それぞれでしょう。
調べた単語として、「窘める:たしなめる。読めませんでした。」
「薔薇と桜と小雪の舞うなかデロリアンに乗り、道の向こうであの人に会ったら」
中学生時期からこれまでを振り返り、死んでいった人たちを思い出します。みな、早逝されました。
手品の種明かしの章です。読みながらうすうす気づいていたことが確定します。
書きだしの文章が気に入って購入しました。転校回数の多さから言葉が始まっています。私自身も転校回数が多いことが共通しました。ただ、大きくなるにつれて知ったのですが、転校回数が多いひとはけっこう多い。めずらしいことではないと知り自慢できなくなりました。
主人公の名前は、「島谷弼(しまたに・たすく)37歳」といいます。ここでまず驚きました。私は、同時進行で複数冊の本を読みます。今は、3冊読んでいます。ついきのうから読みはじめた本の主人公の名前が、野沢佑(のざわ・たすく 小学校5年生)といいます。「たすく」が偶然重なりました。そういうことがあるとうれしい。
こちらの本の弼(たすく)さんは、37歳ですが、出だしは中学生です。苦い思い出から始まります。50ページぐらいの固まりで短編になっていて、次の短編へのつながりがあるようです。1人称のひとり語りが続きますが、小さなことへのこだわり記述なので、ここまで書かなくてもと思うこともありますが、やがて、1人が3人へと広がりをみせてきました。短編が続きます。
「宅急便の宛名伝票と屈辱的なあだな」
タイトルだけを見るとなんのことかわかりませんが、読み終えてみるとよくわかります。
転校生はいじめの標的となりやすいが、勉強ができたので回避できた。(的を射ています。)
鼻血の出だしは面白いのだが、なにもしないのに鼻血が出るというのは、つくりばなしめいて不自然でした。
「肉じゃがは豚か牛か、そしてもんじゃ焼きにおける土手の意義について」
味わいのある文章が続きます。だんだん、それぞれの素性が見えてきました。
肉じゃがの肉が、牛か豚か。そういう論争というか、地域によっての違いは以前あった。だからといって、どちらがいいという話でもない。
ダイヤル式黒電話を使用しているおばあさんが出てきますが、現実にもそういう人がいるのを知っています。
高齢者をターゲットにした不正な訪問販売を扱っています。伏線として、「鼻血」があります。
さきざき、映像化が意識してあるような気配があります。
調べた単語です。「コケシリス:こけしのようなマッシュルームカットをした高齢者をだます詐欺師のような遠藤君のこと。(調べたというよりも読みながら考えました。)」、「ペイズリー柄:ゾウリムシ、ミドリムシ柄、植物、曲線柄」、「サムズアップ:こぶしをにぎり、親指を立てる。」
良かった表現として、両親離婚、再婚した親には、たまに会うだけでいい。それから、ずるずる長居できる家がいい。安息の書物の要素をこの小説はもっています。
30代、ひとり者が3人。(中学の同級生。うちひとりは×1バツイチ)
手紙(中学の担任からの、たすくあての手紙、転校時にもらった。)のことが、さりげなく、文章中におかれました。あとで、なにかの伏線になるのでしょう。
いじめられていた人らしき人からの手紙があります。
「芋けんぴと先生の日記とセシボンの調査力」
だんだん哲学書を読んでいるような雰囲気になってきました。人間はどう生きるかです。お話の中身はかなり深くなってきました。
お話聞きますという喫茶店のおばあさんの方針(ただし、答えは返さない。)
高齢者福祉を扱っているような内容。
中学生生徒から担任教師に対するいじめとその理由。
与謝野晶子
身内の自殺
両親不仲
秘密は深い。
再会しても、これからも連絡を取り合おうとは思わない。
教育とか伝承とか、教えるために小説を書いて残すとか、考えました。恩人がいたから、自分も恩人になる。
調べた単語として、「唯々諾々:いいだくだく。相手のいいなりになる。」、「オノマトペ化:擬音にする。」、「蛇蝎:だかつ。へびとサソリ。人が嫌うもの。」
好印象として、登場人物たちが酒が飲めないことが良かった。(アルコールで人生を失敗しない。)、気に入った表現として、「17歳なのに70歳の目をしていた。」
「二度同じことを言ったら、それは反対の意味になる暗号」
気に入った表現として、「(両親)ふたりとも外面良く、円満な家庭を演じていた。」
ここまで読んで、今年読んで良かった1冊です。(最後まで読んで、そういう世界の話かと驚きましたが、それでも、読んで良かった1冊です。)
幸せって何だろうと読みながら考える本です。
後半に近づくにつれて設定や展開に無理がみられます。せっかく地に足が付いた記述が続いていたのに、奇抜な方向へと舵が切られました。物語が破たんしていくような気配があるのですが、それも含めて小説です。感じ方は読み手それぞれでしょう。
調べた単語として、「窘める:たしなめる。読めませんでした。」
「薔薇と桜と小雪の舞うなかデロリアンに乗り、道の向こうであの人に会ったら」
中学生時期からこれまでを振り返り、死んでいった人たちを思い出します。みな、早逝されました。
手品の種明かしの章です。読みながらうすうす気づいていたことが確定します。
2018年05月15日
奮闘するたすく まはら三桃
奮闘するたすく まはら三桃(まはら・みと 女性) 講談社 2018課題図書
TASK(たすく)とは、英語で、「仕事」。最初、それが頭に浮かびました。
「たすく」 は、主人公の名前野沢佑(のざわ・たすく)緑第一小学校5年3組11歳のことでした。
小学5年生の野沢佑が、75歳の祖父(認知症)をデイサービスセンターへ連れていくことをレポートする内容です。祖母は、すい臓がんで70歳ですでに亡くなっています。たすくの父親は会社員、母親は、クリーニング店でパート仕事をしています。お姉さんは、中学3年生のメガネ少女で頭がいい。
36ページまで読みました。
「デイサービス」 は、介護をしている人の負担軽減も含めて、入浴サービス、食事提供サービス、リハビリ、イベント、ストレッチ、囲碁・将棋、音楽療法などを思い浮かべます。送迎車付きです。
当事者本人として、好む人もいるし、好まない人もいるでしょう。
野沢佑と同クラスの長尾一平の共同研究ということで、デイサービスの報告が期待されています。夏休みの自由研究です。指導者は、5年3組担任早田香苗先生です。(柔道有段者で、小柄だが怖いという評判。目から圧力をかけるビームが出る。)
最近は核家族(年寄りが同居していない)が増えました。おじいさん、おばあさんとの触れ合いがないまま、大学を出て、社会に入ってくる若い人が多い。社会は、高齢化社会で、高齢者相手の産業が多い。高齢者である顧客の対応ができない若者が多い。それが、今の時代の職場の課題のひとつになっています。そういったことにも、この作品は触れてくれているだろうかという期待をこめて読み続けます。
(つづく)
外国人の介護学習者インドネシア人リニさん(介護福祉士資格取得が目標)が登場しました。面白くなりそうです。ハグやキスが日常習慣の人たちです。たすくのむっつりのおじいさん75歳大内善雄(もと警察職員)も内心は喜んでいるでしょう。男はみんなすけべです。
デイサービスセンター「デイサービス・こもれび」 そこでは、おおぜいのひとたちが、役割分担をしながら、認知症高齢者のお世話をしています。主任ヘルパー林博子、インドネシアから来た留学生みたいな立場の介護福祉士になるための学習を積んでいるリニさん女性、元営業マン、今はデイサービスセンターの運転手佐藤健一、料理担当吉川とろみ(料理のとろみと関係あり。本当の名前は知美ともみ)、はげの事務長松本さん、30代の太っているおばさん小山さん、同じくやせているおばさん大川さん、看護師山下美奈子さん、入所者東直美さん77歳、車いすのおじいさん倉持さん、古賀よし子さん(長尾一平をまさちゃんと呼ぶ。認知症だから。)、折り紙上手な杉原君江さん。
バリアフリー(移動時に不便な段差がないほか。)の施設です。
秘密事項として、「花の部屋」 がストーリーの中に置いてあります。
介護保険制度の説明、入所者のプライド(自尊心。ばかにされたくない気持ち)の説明があります。
困り者として高齢者(野沢弼たすくの祖父)が書かれている部分があります。自分のことを自分でしようとするけれどできない。手助けしようとすると断るがんこさがあります。周囲の言うことを従順に従うことが望まれている老人像があります。どうなのかな。困り者の類型として、「短気(すぐ怒る)」、「わがまま(いますぐこれやれと言う。クレーマーです。)」、「やきもち」、「ケチ」、「やる気がない」、「頑固(がんこ)。いうことを聞いてくれない。」
年金の話があります。年金は、毎月保険料を納めると、年取ってから、働かなくてもお金がもらえる制度です。老後の命綱です。
自分が貯めていたお金を自分のために使うのではなく、支え合いの制度です。昔の年寄りの年金を今の年寄りが毎月保険料を納めて昔の年寄りに給付していました。じゅんぐりで、若い者が年寄りの年金支給を保険料を支払いながら支えていく制度です。だから、少子高齢化の今は、支える子どもの数が減って、逆に年寄りの数は増えて、制度がくずれるのではないかという不安があります。
インドネシア人リニさんの話は深い。日本は平和ですが、外国はそうではないところもあります。ニューギニアがインドネシア国に属することは知りませんでした。
リニさんは、8人家族、お父さんは怠け者でお酒飲みとあります。どうして、お父さんは、いつも怠け者でお酒飲みなのか。昔の日本のおとうさんにもそういう人がたくさんいましたが、今は見かけなくなりました。
日本語で国家試験(介護福祉士)を受けるリニさんは気の毒です。日本人が日本語で受けても合格がむずかしい試験です。チャンスが受験2回しかないのはしかたがないと思います。制度を悪用して、いつまでも日本で稼ぐ人が出てくるのではないかと心配します。ただ、ここにも少子化の影響が出ています。日本人で介護の仕事をする人が不足しているから外国人で補充している現実があります。これからは、外国人の参入を制限しないで、受け入れていく方向へと世の中は流れていく気がします。
「おむつ替え。」 とくに「うんこ」の処理。これが、一番やりたくない仕事です。
やってもらうほうも、やるほうも嫌です。
自分で排泄できなくなったら、死にたいという人もいます。
インドネシアでは、年寄りが尊敬されていた。日本もおおむね昔はそうでしたが、今は、年寄りだらけになりました。尊敬されるのは、人によりけりです。
「二度わらし」 いい言葉です。わらしはこどもですが、人間は歳をとると、二度目のわらしになる。中途半端のときが悩みます。二度目の子どもだからといって、おて手つないでチイチイパッパのお遊戯をやれるほど、いい年をしたおとなは、気持ちまで幼くはなっていません。
デイサービスセンターの様子を読んでいると、やはり、基本は、「在宅」 だと理解するのです。施設は、至れり尽くせりの感があります。あれもこれもやってもらったら、生きがいがなくなります。なにか、生産性をともなうことをしていないと、自分の存在価値がないと悩みます。もっとも、病的に、機能的にもう手遅れなのでしょう。そうなる前までの暮らしが大事だと感じます。
北村さんは脳梗塞で右半身マヒ。言葉がどもるような部分あり。坂本さんは92歳。
ここまで読んで、デイサービスは、日帰りだけだと思っているのですが、入所者の様子を見ると、「こもれび」は、長期入所施設の面ももっているようです。
超高齢者は運転免許証を返納してほしい。高齢者の逆走とか、アクセルとブレーキの踏み間違いとかで、事故死する若い人のことも考えてほしい。そして、高齢者を交通刑務所に入れる大変さとか、家族の気持ちも考えてほしい。車はつえではありません。(本にたすくのおじいさんが返納したことが書いてあります。)
こどもたちの会話で、「(バスに)老人が乗ってこない。」 だから、自転車がいいという部分が気に入りました。老人が乗ってくると座れない。老人ばかりしか乗ってこない。そんな嘆きがあります。
お互いに言いたいことが言えたら素敵な関係になれるのに、遠回しや、察してほしいという人任せの気持ちがあるからうまくいきません。(認知症の対応に関して)
人は死んだらどこに行くのか。こどもの頃は星になると教わったことが、この本に書いてあります。結局、人は死んだら、どこにも行きません。おしまいです。だから、生きている間の時間を大事に使うのです。うそついたり、酔っぱらったり、いじいじしたり、ねたんだり、そんなことをしている時間はありません。心身ともに健やかに(すこやかに)夢を追うのです。
お墓の話が出ます。お墓参りをしない人もたくさんいます。これから、お墓は、納骨堂形式へと移行していくでしょう。
調べた言葉として、「求肥:ぎゅうひ。和菓子の材料。餅菓子。白色」
セミの羽化の話が出てきます。花の部屋で看取り(みとり。死去の時)を待つキワ子さん(これから亡くなる人)が、セミの羽化(これから誕生する。正確には幼虫で誕生しているのですが、さなぎからセミへの誕生)を見たい。
車いすの使い方の記事が登場しますが、小学校高学年、中学生の頃は、車いすを遊び道具にしたがる傾向があります。車いすで遊ぶのはやめましょう。
車いすは、乗らずにすむのなら、乗らない方がいいのです。
寿命の終わりが近い人たちのお話です。最後は楽しく迎えたい。
替え歌のお話が出ます。なつかしい。忘れていた子どものころの記憶がよみがえりました。
調べた単語として、「DPE:デーピーイー。現像・焼き付け・引き伸ばし。写真用語」
TASK(たすく)とは、英語で、「仕事」。最初、それが頭に浮かびました。
「たすく」 は、主人公の名前野沢佑(のざわ・たすく)緑第一小学校5年3組11歳のことでした。
小学5年生の野沢佑が、75歳の祖父(認知症)をデイサービスセンターへ連れていくことをレポートする内容です。祖母は、すい臓がんで70歳ですでに亡くなっています。たすくの父親は会社員、母親は、クリーニング店でパート仕事をしています。お姉さんは、中学3年生のメガネ少女で頭がいい。
36ページまで読みました。
「デイサービス」 は、介護をしている人の負担軽減も含めて、入浴サービス、食事提供サービス、リハビリ、イベント、ストレッチ、囲碁・将棋、音楽療法などを思い浮かべます。送迎車付きです。
当事者本人として、好む人もいるし、好まない人もいるでしょう。
野沢佑と同クラスの長尾一平の共同研究ということで、デイサービスの報告が期待されています。夏休みの自由研究です。指導者は、5年3組担任早田香苗先生です。(柔道有段者で、小柄だが怖いという評判。目から圧力をかけるビームが出る。)
最近は核家族(年寄りが同居していない)が増えました。おじいさん、おばあさんとの触れ合いがないまま、大学を出て、社会に入ってくる若い人が多い。社会は、高齢化社会で、高齢者相手の産業が多い。高齢者である顧客の対応ができない若者が多い。それが、今の時代の職場の課題のひとつになっています。そういったことにも、この作品は触れてくれているだろうかという期待をこめて読み続けます。
(つづく)
外国人の介護学習者インドネシア人リニさん(介護福祉士資格取得が目標)が登場しました。面白くなりそうです。ハグやキスが日常習慣の人たちです。たすくのむっつりのおじいさん75歳大内善雄(もと警察職員)も内心は喜んでいるでしょう。男はみんなすけべです。
デイサービスセンター「デイサービス・こもれび」 そこでは、おおぜいのひとたちが、役割分担をしながら、認知症高齢者のお世話をしています。主任ヘルパー林博子、インドネシアから来た留学生みたいな立場の介護福祉士になるための学習を積んでいるリニさん女性、元営業マン、今はデイサービスセンターの運転手佐藤健一、料理担当吉川とろみ(料理のとろみと関係あり。本当の名前は知美ともみ)、はげの事務長松本さん、30代の太っているおばさん小山さん、同じくやせているおばさん大川さん、看護師山下美奈子さん、入所者東直美さん77歳、車いすのおじいさん倉持さん、古賀よし子さん(長尾一平をまさちゃんと呼ぶ。認知症だから。)、折り紙上手な杉原君江さん。
バリアフリー(移動時に不便な段差がないほか。)の施設です。
秘密事項として、「花の部屋」 がストーリーの中に置いてあります。
介護保険制度の説明、入所者のプライド(自尊心。ばかにされたくない気持ち)の説明があります。
困り者として高齢者(野沢弼たすくの祖父)が書かれている部分があります。自分のことを自分でしようとするけれどできない。手助けしようとすると断るがんこさがあります。周囲の言うことを従順に従うことが望まれている老人像があります。どうなのかな。困り者の類型として、「短気(すぐ怒る)」、「わがまま(いますぐこれやれと言う。クレーマーです。)」、「やきもち」、「ケチ」、「やる気がない」、「頑固(がんこ)。いうことを聞いてくれない。」
年金の話があります。年金は、毎月保険料を納めると、年取ってから、働かなくてもお金がもらえる制度です。老後の命綱です。
自分が貯めていたお金を自分のために使うのではなく、支え合いの制度です。昔の年寄りの年金を今の年寄りが毎月保険料を納めて昔の年寄りに給付していました。じゅんぐりで、若い者が年寄りの年金支給を保険料を支払いながら支えていく制度です。だから、少子高齢化の今は、支える子どもの数が減って、逆に年寄りの数は増えて、制度がくずれるのではないかという不安があります。
インドネシア人リニさんの話は深い。日本は平和ですが、外国はそうではないところもあります。ニューギニアがインドネシア国に属することは知りませんでした。
リニさんは、8人家族、お父さんは怠け者でお酒飲みとあります。どうして、お父さんは、いつも怠け者でお酒飲みなのか。昔の日本のおとうさんにもそういう人がたくさんいましたが、今は見かけなくなりました。
日本語で国家試験(介護福祉士)を受けるリニさんは気の毒です。日本人が日本語で受けても合格がむずかしい試験です。チャンスが受験2回しかないのはしかたがないと思います。制度を悪用して、いつまでも日本で稼ぐ人が出てくるのではないかと心配します。ただ、ここにも少子化の影響が出ています。日本人で介護の仕事をする人が不足しているから外国人で補充している現実があります。これからは、外国人の参入を制限しないで、受け入れていく方向へと世の中は流れていく気がします。
「おむつ替え。」 とくに「うんこ」の処理。これが、一番やりたくない仕事です。
やってもらうほうも、やるほうも嫌です。
自分で排泄できなくなったら、死にたいという人もいます。
インドネシアでは、年寄りが尊敬されていた。日本もおおむね昔はそうでしたが、今は、年寄りだらけになりました。尊敬されるのは、人によりけりです。
「二度わらし」 いい言葉です。わらしはこどもですが、人間は歳をとると、二度目のわらしになる。中途半端のときが悩みます。二度目の子どもだからといって、おて手つないでチイチイパッパのお遊戯をやれるほど、いい年をしたおとなは、気持ちまで幼くはなっていません。
デイサービスセンターの様子を読んでいると、やはり、基本は、「在宅」 だと理解するのです。施設は、至れり尽くせりの感があります。あれもこれもやってもらったら、生きがいがなくなります。なにか、生産性をともなうことをしていないと、自分の存在価値がないと悩みます。もっとも、病的に、機能的にもう手遅れなのでしょう。そうなる前までの暮らしが大事だと感じます。
北村さんは脳梗塞で右半身マヒ。言葉がどもるような部分あり。坂本さんは92歳。
ここまで読んで、デイサービスは、日帰りだけだと思っているのですが、入所者の様子を見ると、「こもれび」は、長期入所施設の面ももっているようです。
超高齢者は運転免許証を返納してほしい。高齢者の逆走とか、アクセルとブレーキの踏み間違いとかで、事故死する若い人のことも考えてほしい。そして、高齢者を交通刑務所に入れる大変さとか、家族の気持ちも考えてほしい。車はつえではありません。(本にたすくのおじいさんが返納したことが書いてあります。)
こどもたちの会話で、「(バスに)老人が乗ってこない。」 だから、自転車がいいという部分が気に入りました。老人が乗ってくると座れない。老人ばかりしか乗ってこない。そんな嘆きがあります。
お互いに言いたいことが言えたら素敵な関係になれるのに、遠回しや、察してほしいという人任せの気持ちがあるからうまくいきません。(認知症の対応に関して)
人は死んだらどこに行くのか。こどもの頃は星になると教わったことが、この本に書いてあります。結局、人は死んだら、どこにも行きません。おしまいです。だから、生きている間の時間を大事に使うのです。うそついたり、酔っぱらったり、いじいじしたり、ねたんだり、そんなことをしている時間はありません。心身ともに健やかに(すこやかに)夢を追うのです。
お墓の話が出ます。お墓参りをしない人もたくさんいます。これから、お墓は、納骨堂形式へと移行していくでしょう。
調べた言葉として、「求肥:ぎゅうひ。和菓子の材料。餅菓子。白色」
セミの羽化の話が出てきます。花の部屋で看取り(みとり。死去の時)を待つキワ子さん(これから亡くなる人)が、セミの羽化(これから誕生する。正確には幼虫で誕生しているのですが、さなぎからセミへの誕生)を見たい。
車いすの使い方の記事が登場しますが、小学校高学年、中学生の頃は、車いすを遊び道具にしたがる傾向があります。車いすで遊ぶのはやめましょう。
車いすは、乗らずにすむのなら、乗らない方がいいのです。
寿命の終わりが近い人たちのお話です。最後は楽しく迎えたい。
替え歌のお話が出ます。なつかしい。忘れていた子どものころの記憶がよみがえりました。
調べた単語として、「DPE:デーピーイー。現像・焼き付け・引き伸ばし。写真用語」
2018年05月14日
50回目のファースト・キス 洋画DVD
50回目のファースト・キス 洋画DVD
社会福祉の映画と感じました。病気の人をノーマライゼーションでつつむ。(ふつうでありたい。)
作品「博士が愛した数式」同様、記憶が1日しかもたない若い女性がいます。ルーシーといいます。水族館の獣医がいます。ヘンリーです。ふたりの恋のお話です。
朝、目が覚めると、ルーシーの昨日の記憶は消えています。交通事故の後遺症です。だから、毎日キスをしてもファースト・キスなのです。そうして、50回目のファースト・キスというタイトルに意味がつながるのです。50日間連続キスです。
下ネタが多く、下品な部分もあり、とくにセイウチのゲロには目を背けました。最初は、コメディ、ほら話かと、笑えないジョークもありました。
だんだん、まじめになり、観ていて、興味をひかれます。
常識的な判断で流れて、ラストシーンで逆転します。映画ですから「夢」でいいと思います。いい映画でした。
大量の情報と工夫が含まれた映画です。
男性のしつこさは、ストーカーとつながります。劇中、女性がそう発するセリフもあります。現実社会においては、境界線がいります。
10秒間で記憶が消えるトムという男性の存在が良かった。
たまに画面に出る小柄なおじいさんも良かった。
日本語で「歓迎」と書かれたちょうちんが良かった。
人生は不公平、(だけど)なんたらかんたらというくだりが良かった。
音楽が良かった。ハワイアン(舞台はハワイ)とか、ビーチ・ボーイズとか。
病気の人をいたわるあたたかく、やさしい映画でした。
(その後)
近々、日本映画でこの内容で公開されることを知りました。長澤まさみ 山田孝之
社会福祉の映画と感じました。病気の人をノーマライゼーションでつつむ。(ふつうでありたい。)
作品「博士が愛した数式」同様、記憶が1日しかもたない若い女性がいます。ルーシーといいます。水族館の獣医がいます。ヘンリーです。ふたりの恋のお話です。
朝、目が覚めると、ルーシーの昨日の記憶は消えています。交通事故の後遺症です。だから、毎日キスをしてもファースト・キスなのです。そうして、50回目のファースト・キスというタイトルに意味がつながるのです。50日間連続キスです。
下ネタが多く、下品な部分もあり、とくにセイウチのゲロには目を背けました。最初は、コメディ、ほら話かと、笑えないジョークもありました。
だんだん、まじめになり、観ていて、興味をひかれます。
常識的な判断で流れて、ラストシーンで逆転します。映画ですから「夢」でいいと思います。いい映画でした。
大量の情報と工夫が含まれた映画です。
男性のしつこさは、ストーカーとつながります。劇中、女性がそう発するセリフもあります。現実社会においては、境界線がいります。
10秒間で記憶が消えるトムという男性の存在が良かった。
たまに画面に出る小柄なおじいさんも良かった。
日本語で「歓迎」と書かれたちょうちんが良かった。
人生は不公平、(だけど)なんたらかんたらというくだりが良かった。
音楽が良かった。ハワイアン(舞台はハワイ)とか、ビーチ・ボーイズとか。
病気の人をいたわるあたたかく、やさしい映画でした。
(その後)
近々、日本映画でこの内容で公開されることを知りました。長澤まさみ 山田孝之
2018年05月12日
クニマスは生きていた! 池田まき子
クニマスは生きていた! 池田まき子 汐文社(ちょうぶんしゃ) 2018課題図書
157ページあるうちの83ページまで読んだところで、読書感想文を書き始めてみます。
まず、「クニマス」 とは何かから書きます。本のカバー写真を見ると「黒いお魚」です。マスは海のシャケに似ています。
話は脱線しますが、味も似ているので、シャケ弁当は、実はマス弁当のこともあります。昔、岐阜県の山奥の釣堀へマス釣りに行ったことがあります。釣りのあとは、マスの刺身とかを食べた覚えがあります。味は濃厚でおいしかった。
さて、クニマスの体長は、21cm~24cm、大きいもので30cm。ヒメマスに似ている。
この本では、絶滅したとい言われていた「クニマス」 が長い時を隔ててようやく発見されたということが書いてあります。
舞台は、秋田県田沢湖、山梨県西湖(さいこ)です。以前このニュースは新聞で読んだことがあります。タレントのさかなくんが発見したというような記事でした。そこに平成天皇のお褒めの言葉が添えられていますが、この本では触れられていません。
場所は、秋田県にある田沢湖という湖から始まります。日本で一番深い湖、水深423.4m、けれど、世界で一番深いのは、バイカル湖1741m、やはり、世界は広い。昔は秋田県田沢湖に(この本では、昭和5年頃1930年、今から88年前からスタート)、クニマス、イワナ、ウナギ、コイ、サクラマスなどがいたそうですが、電力発電のためダム建設により、温泉地の川から酸性の水をひき、水質が酸性になり、生物が生きていけない環境になって魚は死滅したとあります。公害かと思いましたが、温泉の硫黄分がある水が導水されたので工場排水ではありません。
この本の趣旨は、10ページに「人間と野生生物との共存の意味を探る」とあります。
「辰子姫の伝説(たつこひめ)」 こどもが湖に近づいて、水の事故にあわないようにとの配慮から発生した物語と受けとめました。永遠の美人を得るために、山奥の清水(しみず)を飲む。そこでおいしい魚を食べる。水を飲んだら竜に変身して、田沢湖に沈む。そのとき母親が投げた「木の尻(いろりの燃えカスの木材)がクニマスになった。
養殖の苦労が書いてあります。野生の生物の育て方、餌、大変です。
すべての理由はお金です。「クニマス」を捕って売るのもお金、温泉地の川から酸性水を田沢湖に引いてダムをつくって、「電気」をつくって売るのもお金です。人間は、お金を得るために自然破壊もします。
ただ、エネルギー革命の時期だったのでやむをえなかったと思います。(人力→石炭の蒸気エンジンとか電気とか)
「お国のため」という言葉が出てきます。お国のためというのは、「国民全体のため」なのか、「国民の一部のため」なのかを考えることができます。
やがて、「お国のため」にという名目で領土拡大をするために戦争が始まります。昭和10年以降の日本は、戦争の話ばかりだった気がします。環境破壊が起こることが予測できていたけれど、戦争へと向かう力が強すぎて、その流れを止めることができなかった。
その頃、あとあとの世代のために結果的にそうなった(クニマスが田沢湖で死滅することが予想できたので、クニマスの卵を全国の湖に送った。)のですが、山梨県の西湖へ秋田県田沢湖のクニマスの生きた卵が送られていた。(これがどうして歴史に埋もれたのか不思議です。それが幸いして生き残れたとも予想できます。) 昭和5年から昭和14年まで、全国数か所の湖へクニマスの卵の分譲が行われています。
「夢」は、努力しつくして、もう無理だとあきらめたときにかなうことがあります。そういうとき、喜びは大きくなります。
主役の三浦久兵衛さんは2006年平成18年に84歳で亡くなっています。
そして、2010年平成22年12月15日山梨県西湖(さいこ)で、70年ぶりにクニマスが発見されたと報道がありました。
154ページ、クニマスの正面写真がかわいい。クニマスの笑顔に見えます。
気に入った表現です。「春が足踏みをしている。(春が、なかなか来ない。)」
「開発」 と 「自然保護」 のバランスがむずかしい。
157ページあるうちの83ページまで読んだところで、読書感想文を書き始めてみます。
まず、「クニマス」 とは何かから書きます。本のカバー写真を見ると「黒いお魚」です。マスは海のシャケに似ています。
話は脱線しますが、味も似ているので、シャケ弁当は、実はマス弁当のこともあります。昔、岐阜県の山奥の釣堀へマス釣りに行ったことがあります。釣りのあとは、マスの刺身とかを食べた覚えがあります。味は濃厚でおいしかった。
さて、クニマスの体長は、21cm~24cm、大きいもので30cm。ヒメマスに似ている。
この本では、絶滅したとい言われていた「クニマス」 が長い時を隔ててようやく発見されたということが書いてあります。
舞台は、秋田県田沢湖、山梨県西湖(さいこ)です。以前このニュースは新聞で読んだことがあります。タレントのさかなくんが発見したというような記事でした。そこに平成天皇のお褒めの言葉が添えられていますが、この本では触れられていません。
場所は、秋田県にある田沢湖という湖から始まります。日本で一番深い湖、水深423.4m、けれど、世界で一番深いのは、バイカル湖1741m、やはり、世界は広い。昔は秋田県田沢湖に(この本では、昭和5年頃1930年、今から88年前からスタート)、クニマス、イワナ、ウナギ、コイ、サクラマスなどがいたそうですが、電力発電のためダム建設により、温泉地の川から酸性の水をひき、水質が酸性になり、生物が生きていけない環境になって魚は死滅したとあります。公害かと思いましたが、温泉の硫黄分がある水が導水されたので工場排水ではありません。
この本の趣旨は、10ページに「人間と野生生物との共存の意味を探る」とあります。
「辰子姫の伝説(たつこひめ)」 こどもが湖に近づいて、水の事故にあわないようにとの配慮から発生した物語と受けとめました。永遠の美人を得るために、山奥の清水(しみず)を飲む。そこでおいしい魚を食べる。水を飲んだら竜に変身して、田沢湖に沈む。そのとき母親が投げた「木の尻(いろりの燃えカスの木材)がクニマスになった。
養殖の苦労が書いてあります。野生の生物の育て方、餌、大変です。
すべての理由はお金です。「クニマス」を捕って売るのもお金、温泉地の川から酸性水を田沢湖に引いてダムをつくって、「電気」をつくって売るのもお金です。人間は、お金を得るために自然破壊もします。
ただ、エネルギー革命の時期だったのでやむをえなかったと思います。(人力→石炭の蒸気エンジンとか電気とか)
「お国のため」という言葉が出てきます。お国のためというのは、「国民全体のため」なのか、「国民の一部のため」なのかを考えることができます。
やがて、「お国のため」にという名目で領土拡大をするために戦争が始まります。昭和10年以降の日本は、戦争の話ばかりだった気がします。環境破壊が起こることが予測できていたけれど、戦争へと向かう力が強すぎて、その流れを止めることができなかった。
その頃、あとあとの世代のために結果的にそうなった(クニマスが田沢湖で死滅することが予想できたので、クニマスの卵を全国の湖に送った。)のですが、山梨県の西湖へ秋田県田沢湖のクニマスの生きた卵が送られていた。(これがどうして歴史に埋もれたのか不思議です。それが幸いして生き残れたとも予想できます。) 昭和5年から昭和14年まで、全国数か所の湖へクニマスの卵の分譲が行われています。
「夢」は、努力しつくして、もう無理だとあきらめたときにかなうことがあります。そういうとき、喜びは大きくなります。
主役の三浦久兵衛さんは2006年平成18年に84歳で亡くなっています。
そして、2010年平成22年12月15日山梨県西湖(さいこ)で、70年ぶりにクニマスが発見されたと報道がありました。
154ページ、クニマスの正面写真がかわいい。クニマスの笑顔に見えます。
気に入った表現です。「春が足踏みをしている。(春が、なかなか来ない。)」
「開発」 と 「自然保護」 のバランスがむずかしい。
2018年05月11日
アナと雪の女王 映画DVD
アナと雪の女王 映画DVD 2014年3月公開
観たことがない作品です。いまさら感がありますが、4月から生活が変化して、DVDを観る時間をとれるようになりました。しばらくは、過去のヒット作を観ます。
公開前の記憶では、映画館で予告編を観たことがあります。
立体的なアニメが苦手で、そのときは、観たいとは思いませんでした。むしろ避けたい。あんなにヒットするとは思いもしませんでした。
エルザという姉とアナという妹がいる。エルザが女王の地位に就くが、実は彼女は魔女の能力をもっている。
映像は美しい。食わず嫌いでした。
クライマックスで妹エルザが凍りつくシーンが良かった。意外性に富んでいます。
「真実の愛が凍りついた心を溶かした。」 ディズニーのテーマは、「愛」 です。
トナカイにのって移動するシーンは臨場感にあふれています。勢いとスピードがありました。
観たことがない作品です。いまさら感がありますが、4月から生活が変化して、DVDを観る時間をとれるようになりました。しばらくは、過去のヒット作を観ます。
公開前の記憶では、映画館で予告編を観たことがあります。
立体的なアニメが苦手で、そのときは、観たいとは思いませんでした。むしろ避けたい。あんなにヒットするとは思いもしませんでした。
エルザという姉とアナという妹がいる。エルザが女王の地位に就くが、実は彼女は魔女の能力をもっている。
映像は美しい。食わず嫌いでした。
クライマックスで妹エルザが凍りつくシーンが良かった。意外性に富んでいます。
「真実の愛が凍りついた心を溶かした。」 ディズニーのテーマは、「愛」 です。
トナカイにのって移動するシーンは臨場感にあふれています。勢いとスピードがありました。
2018年05月10日
ルラルさんのだいくしごと いとうひろし
ルラルさんのだいくしごと いとうひろし ポプラ社 2018年課題図書
色合いとして、オレンジ色と黄緑色の対比が美しい。
最初、ルラルさんの文字が「ハラルさん」に見えて、読みながら、だいぶ長い間、ハラルさんだと勘違いしました。
ルラルさんは、日本人のようでもあるし、外国人のようでもある。30代にも見えるし、もっと年配にも見えますが、おそらく作者と同年齢だろうから、50代ぐらいでしょう。
描いてある大工道具は、かなづち、スパナ、曲がり尺、きり、のこぎり、かんな、ビス、やっとこ、ドライバー、くぎ抜き、のみ、なんとか全部の道具を思い出しました。
大工仕事をするのは、中学2年生技術・家庭科の授業で自家製椅子を作って以来ありません。
物語は、「作成」からではなく、「修理」から始まります。絵を見ると窓の修理をしています。ルラルさんは、プロの大工ではないと説明があります。
今回は雨漏りの修理です。
家が雨漏りするとは、最近は聞かなくなりました。よほど、強烈な台風の来襲があったあとぐらいでしょう。
昔はよく雨漏りというのはありました。今は建築技術が発達して、大丈夫なのでしょう。
雨漏りしているのは、2階建ての家ではなく、平屋です。ルラルさんははしごをかけて、そこを登って屋根の上ですが、そのはしごが、はずれるのです。はしごがなにかのはずみで倒れたとしか思えません。
ルラルおじさんは、屋根の修理が終わりましたが、はしごが、地べたに倒れているので、屋根から降りることができません。
そこへ助けが来てくれましたが、お気楽なメンバーなので、すぐさまの助けにはなりません。
ワニ、カメ、ネコ、ネズミ、犬、ブタ、カエル、右端は耳が長いからウサギだろうか。ウサギには見えない。後姿なので、わかりにくい。
ひもやロープ、縄の電車ごっこは見たことがありますが、はしごの電車ごっこを見るのは初めてです。
みんな、はしごの電車ごっこに夢中になって、森のほうへ行ってしまいました。ルラルおじさんはどうして彼らを呼び止めないの? まず自分をおろしてくれーって。おろしてから、みんなは遊びに行けばいいのに。
ここからは意味が深くなります。
世の中では、「時間はお金」だとかで、時間をむだにしてはいけないという教えがあります。でも、ほんとうはそうではありません。むだだと思える時間こそ、必要な時間なのです。むだな時間のなかに交流があります。心の交流です。
ルラルおじさんは、屋根の上に寝そべって、流れる雲を見上げながら、動物のこどもたちが森から帰ってくるのを待ちます。人間には、休憩が必要です。ずーっと休みなしに働き続けると体や心が壊れて病気になったり、事件や、事故に巻き込まれたりします。
ルラルおじさんは長い時間待ちます。こんなに長い時間、電車ごっこができるとも思えませんが、おじさんはこどもたちにためされているのかもしれません。ルラルオジサンがこどもたちに対して、怒るか怒らないかをためすのです。
ルラルおじさんは怒りません。「ゆとり」とか「余裕」とか、きっとみんなは帰ってきて自分が屋根から降りられるようにしてくれるだろうという「信頼」があります。
ルラルおじさんは屋根から無事に降りることができました。
屋根の修理がすみました。のんびりできた結果、心の修理もできたことでしょう。働き方改革の絵本でした。
色合いとして、オレンジ色と黄緑色の対比が美しい。
最初、ルラルさんの文字が「ハラルさん」に見えて、読みながら、だいぶ長い間、ハラルさんだと勘違いしました。
ルラルさんは、日本人のようでもあるし、外国人のようでもある。30代にも見えるし、もっと年配にも見えますが、おそらく作者と同年齢だろうから、50代ぐらいでしょう。
描いてある大工道具は、かなづち、スパナ、曲がり尺、きり、のこぎり、かんな、ビス、やっとこ、ドライバー、くぎ抜き、のみ、なんとか全部の道具を思い出しました。
大工仕事をするのは、中学2年生技術・家庭科の授業で自家製椅子を作って以来ありません。
物語は、「作成」からではなく、「修理」から始まります。絵を見ると窓の修理をしています。ルラルさんは、プロの大工ではないと説明があります。
今回は雨漏りの修理です。
家が雨漏りするとは、最近は聞かなくなりました。よほど、強烈な台風の来襲があったあとぐらいでしょう。
昔はよく雨漏りというのはありました。今は建築技術が発達して、大丈夫なのでしょう。
雨漏りしているのは、2階建ての家ではなく、平屋です。ルラルさんははしごをかけて、そこを登って屋根の上ですが、そのはしごが、はずれるのです。はしごがなにかのはずみで倒れたとしか思えません。
ルラルおじさんは、屋根の修理が終わりましたが、はしごが、地べたに倒れているので、屋根から降りることができません。
そこへ助けが来てくれましたが、お気楽なメンバーなので、すぐさまの助けにはなりません。
ワニ、カメ、ネコ、ネズミ、犬、ブタ、カエル、右端は耳が長いからウサギだろうか。ウサギには見えない。後姿なので、わかりにくい。
ひもやロープ、縄の電車ごっこは見たことがありますが、はしごの電車ごっこを見るのは初めてです。
みんな、はしごの電車ごっこに夢中になって、森のほうへ行ってしまいました。ルラルおじさんはどうして彼らを呼び止めないの? まず自分をおろしてくれーって。おろしてから、みんなは遊びに行けばいいのに。
ここからは意味が深くなります。
世の中では、「時間はお金」だとかで、時間をむだにしてはいけないという教えがあります。でも、ほんとうはそうではありません。むだだと思える時間こそ、必要な時間なのです。むだな時間のなかに交流があります。心の交流です。
ルラルおじさんは、屋根の上に寝そべって、流れる雲を見上げながら、動物のこどもたちが森から帰ってくるのを待ちます。人間には、休憩が必要です。ずーっと休みなしに働き続けると体や心が壊れて病気になったり、事件や、事故に巻き込まれたりします。
ルラルおじさんは長い時間待ちます。こんなに長い時間、電車ごっこができるとも思えませんが、おじさんはこどもたちにためされているのかもしれません。ルラルオジサンがこどもたちに対して、怒るか怒らないかをためすのです。
ルラルおじさんは怒りません。「ゆとり」とか「余裕」とか、きっとみんなは帰ってきて自分が屋根から降りられるようにしてくれるだろうという「信頼」があります。
ルラルおじさんは屋根から無事に降りることができました。
屋根の修理がすみました。のんびりできた結果、心の修理もできたことでしょう。働き方改革の絵本でした。