2023年10月13日
クマにあったらどうするか 姉崎等 聞き書き・片山龍峯
クマにあったらどうするか アイヌ民族最後の狩人 姉崎等 聞き書き・片山龍峯(かたやま・たつみね) 筑摩書房
なにかの記事でいい本だと紹介があり、取り寄せたのですが、勘違いして既読本の本棚に置きっぱなしになっていたのを、部屋の片付けをしていて気づき、そそくさと読んでみました。
(家には本がたくさんあるので、孫には図書館みたいだと言われています。この先、老化であまり出歩くことができない体になったら、毎日、本の再読を楽しみにしようと思っています)
本をつくったおふたりはすでに亡くなっています。
こちらは文庫本ですが、単行本は、2002年(平成14年)に発行されています。
クマを捕らえる北海道で猟師をしている姉崎等さんという方の語りを、片山龍峯さんが書き取りをしています。
姉崎等さんは、クマの毛皮を収入とするために猟師の道に入られています。
本のはじめの部分を読むと、近年(1990年)、ヒグマを保護するために、春のヒグマ猟は禁止されています。
2023年(令和5年)の今は、熊が人里まで降りてきて、人間にとっての脅威となっています。
原因はクマの食べ物の減少で、人間の生活が山奥へと広がるにつれて、野生動物は住む場所を失っています。
話ははずれますが、私の筆名である『熊太郎』は、私が高校生のときに決めたものです。もう半世紀ぐらい前のことです。長らく、苗字は付けませんでした。大きくて強いものにあこがれていました。
それが私にとっては、『熊』でした。その後ずいぶんたってから『進藤』という苗字を付けました。前向きな姿勢でいたかったからです。
さて本の方です。
姉崎さん:アイヌ民族最後のクマ撃ち猟師だそうです。
ヒグマを『カムイ』と言う。カムイ=神さま
昔「カムイ伝」というマンガがあった記憶です。
姉崎さんの言葉として、『クマは自分の師匠だと本気で思っています』
クマの足跡を追ううちに、クマが考えていることがわかるようになった。クマから教えられることがたくさんあったそうです。
クマは山を合理的に歩くそうです。
人間は山の頂上をめざして歩く。クマは、頂上は目指さない。クマは山の7合目あたりから次の山に移動する。楽な移動ができる。
人間は岩場を登るときにピッケルを使う。(小型のつるはし)
クマは岩場を登るときに自身の爪を使う。
ふと思ったことです。
銃でクマを撃ちとったあと、クマをどうやって運ぶのだろう。姉崎さんには人間の相棒がいないそうです。(相棒は、狩猟犬であるアイヌ犬だそうです)
クマが食べているものは、人間が食べてもだいじょうぶ。
繰り返しになりますが、この本は、2002年(平成14年)に単行本が発行されています。もう20年ぐらい前です。クマ猟の内容は1990年ぐらいまでのヒグマ猟のやりかたのことで、戦前、戦後から続いて、今から30年ぐらい前の出来事です。
姉崎等さんのことです。1923年(大正12年)7月1日北海道鵡川村(むかわむら。現在むかわ町、恐竜で有名。むかわ竜。苫小牧市(とまこまいし)の東)生まれ。(今から100年ぐらい前にお生まれの方です)。3歳の時に千歳(ちとせ)に移る。
父親は、福島から来て屯田兵(とんでんへい。明治時代に北海道の警備と開拓にあたった兵隊。1904年に廃止(明治37年))をしていた。
父は亡先妻との間に女の子が4人できて、うち2人は親戚に預けられ、残り2人が父親についてきた。
父親は炭焼きをしていた。大雨の自然災害にあい、倒産した。8歳のときに蘭越(らんこし。蘭越町)にあるアイヌ民族の集落に移った。(先日、出川哲朗の充電させてもらえませんかでニセコあたりの映像が映ったのですが、そのあたりです)。
父親の後妻である姉崎さんの母親がアイヌ民族だったそうです。
姉崎さんが12歳のときに、父親が72歳で死去した。
父親の後妻の母親(自分の実親)と自分、異母妹2人の4人家族で、ご本人は学校にはあまり行かなかった。12歳という年齢のときから働いていた。狩猟少年だった。
釣った魚を旅館に売りに行っていた。
川魚のヤマメ、イタチ・野ウサギ猟をした。罠を仕掛けて捕らえた。自然が豊かだったのでたくさんとれた。ほかにシイタケがとれた。発電所の人が買ってくれた。
(思えば昔は、義務教育期間だからといってこどもが働かないということはありませんでした。とくに農家のこどもは稲作作業で働いていました)
姉崎さんはこどものころから働き続けて、17歳で自分たち家族が住むための家を建てています。知り合いを頼って家の建築をした。お金がない分は、相手の家に行って農業を手伝い、労働で対価を支払った。
札幌で彫刻の仕事をした。(この時代にみやげ物としてかなりの収益を得ることができたそうです)
姉崎さんは、酒もたばこもやらなかったのでお金が貯まったということはあります。お金がないという人の話を聞くと、たいてい、大酒飲みだったり、ヘビースモーカーだったりします。
この時代の生活が、このあと読んでいるとよく伝わってきます。日本人が大正時代から昭和時代にかけて生きてきた歴史書であり、読むことで、読み手は疑似体験ができます。良書です。今年読んで良かった一冊にこの本を加えておきます。
時代的に兵役があります。
昭和18年21歳のときに軍隊に入って、樺太で(からふと)の国境付近で3年間ぐらいソ連軍と戦っておられます。実戦も体験されています。戦後1年間、ソ連の捕虜になって道路修復の仕事をされています。帰国したらお母さんは亡くなっていたそうです。妹は結婚して家を出て行っていたそうです。
昭和23年、25歳のときにアイヌ女性と結婚されています。アイヌ女性といっても、アイヌ語はできなくて狩猟をする家の娘さんでもなかったそうです。奥さんは、結核で医療費が高かったそうです。
生活費を稼ぐために千歳(ちとせ)にある米軍基地で働いた。夜になると山へ入ってイタチ猟をした。毛皮が高価に売れたそうです。イタチは竹筒のワナでとる。その日のうちに川をむいて板にはりつけるという加工をする。そういうことが書いてあります。生活費を得るためです。お金がなければ暮らしは始まらないのです。
思い出すに、この終戦後のころには、まだ国民健康保険とか国民年金とか、全国的なそういう制度はできていなかった記憶です。
自然の幸を(さちを)有効活用して生活していきます。
サケが川をのぼってきます。
ヤマメもいます。お金になります。
夏は「釣り」、秋は「イタチ猟」、雪が降りだしたら「ノウサギ猟」、鉄砲を持つようになってからは「リス猟」だそうです。ノウサギは、針金でつくったワナで捕まえる。
わたしにとっては未知の世界です。読みながら疑似体験ができます。
リスの肉はおいしいそうです。リスは木の実を食べるからお肉がおいしくなるそうです。イタチはネズミを食べるから臭い。だから食べないけれど、年寄りは食べていたそうです。
食べ物だったらなんでも売れる戦後の時代だったそうです。
(つづく)
お金のための野生動物や魚、シイタケ狩りの狩猟です。時代は戦後の昭和20年代ぐらいです。
ムジナ(エゾタヌキ)が一時期高額で毛皮として売れたそうです。食用でもあります。鉄砲ではなく、アイヌ犬が噛んで捕まえるそうです。人間とアイヌ犬との信頼関係づくりについて熱く語っておられます。犬と意思疎通ができるようになるそうです。
貧乏暮らしから脱出するのに20年かかった。ようやく人並みの生活ができるようになったとあります。
昭和30年頃までは、クマの毛皮は2万円もしなくて安かった。高度経済成長が続くにつれて、昭和46年にはクマの毛皮に70万円とか80万円の値が付くようになった。
狩猟の様子は、読み手にとっては過酷に見えますが、姉崎さんにとっては自然な移動行動です。苦にされていません。
ふつうの人はヒグマから逃げますが、姉崎さんはヒグマを追いかけます。
これまでに、ひとりで40頭、集団で20頭を仕留めたそうです。
アイヌ人差別があるようです。
姉崎さんはハーフ(和人の父とアイヌの母)なのですが、人に言うときは『アイヌのクマ撃ちです』と名乗るそうです。和人というとなんやかんやと説明を求められるので、アイヌと言えばすっきりするそうです。
クマ撃ちは、よっぽど必要なときしか鉄砲は撃たない。必要最小限しか撃たない。
狩猟で移動しながら、たまに、エゾライチョウを食べる。おいしいそうです。
登山者のようです。
クマの肉は食べない。クマ肉だけ食べると腸が消化してくれないそうです。
米五升と味噌(みそ)、塩を持って山に長期間入る。
連れている犬も、米を食べる。
箸は(はしは)持って行かない。木の幹からつくる。
食事は、朝と夕の一日二回。狩猟は10日間ぐらい。山を歩き続ける。
非常食はハム。非常食だから食べない。食べずに持ち帰る。
酒は飲まない。酒はもっていくが、山の神と火の神に祈る儀式で使う。山の神から山を使う許可を得る。無事を祈る。
誤射がある。仲間に撃たれることがある。
黒い服は着ない。白い服を着る。黒い服を着るとクマと間違われて誤射されることがある。
尻が濡れないように腰にクマの毛皮やシカの毛皮をぶらさげると猟師に間違われて狙われることがあるから要注意だそうです。
村田銃(明治時代につくられた国産銃。薩摩藩の村田という人がつくった)を20年間ぐらい使ったあと、ライフル銃を使用している。弾は(たまは)30発あれば十分だそうです。
ナイフや鉈(ナタ)がリュックの中にある。すごく切れる刃物となっている。
マッチが大事。マッチを濡らすとたいへんなことになるので、濡らさないように完全包装している。ライターは役に立たない。極寒、強風下では、ライターでは、火がつかない。
クワ(杖つえ)が必需品。銃を撃つ時に支えになる。さきっぽが、ふたまたに分かれている。クワを使うことで雪道や雪坂を速く移動できる。ナナカマドでクワをつくる。
凍傷をさけるために、川に落ちて長靴に水が入ったときは、水を抜かない。水は人肌で温かくなる。靴下をしぼってはくと足が凍傷になってしまう。
(今まで知らなかった世界が、本を読むことで、疑似体験できます)
(つづく)
クマ撃ちのために山に入って10日間を過ごすのですが、寝る場所のつくり方について書いてあります。
ご本人いわく簡単だという『仮小屋』から、トドマツを窪地で切り倒して、窪地にトドマツの葉っぱを敷いて寝る簡単なものまであります。大工さんのようです。
気象情報を慎重に聴く。ラジオの天気予報が大事。山の天気は変わりやすい。雲に見える部分は霧雨状態になっている。いろいろ悪天候の時のことが書いてあります。
余談ですが、最近の若い人はラジオを聞かなくなりました。昼間聞いているのは年配の人間ばかりで、ラジオからは40年ぐらい前にはやった歌が毎日流れています。人生を2回体験しているみたいで不思議な感じがします。
動物の生態について詳しく書かれています。
動物も山で道に迷う。キツネも迷う。
足跡に関する記述が興味深い。
人間の判断を狂わせるために、数頭いても足跡は一頭に見えるように、あとからのものは、まえのものの足跡を踏んでいくそうです。ほかにもいろいろパターンが書いてあります。
兵隊では、軍用犬教育担当だった。
シェパードを教育していた。
犬との信頼関係の築き方が書いてあります。
犬が犬を教えることがあるそうです。いろいろと知らなかった世界を教えてくれる本です。
クマには知恵があります。
読んでいると『カラス』の知恵のようだと類推します。動物は賢い。
生存競争が厳しい。クマは人間に撃たれないようにいろいろ工夫をして行動しています。
クマは人間の行動をじっくり観察して対応を考えている。
姉崎さんは、『自分がクマなら、こうする』と考えるそうです。ゆえにクマが師匠なのです。自分がクマになりきって、山での狩猟や移動を行っているそうです。
エサのある森林が減ってきている。
いろいろうまくいていない植林などの施策について書いてあります。ミズナラをやめてマツなどの針葉樹林にしたからエサがなくなった。
2002年(平成14年)発行の本を文庫化してあるのですが、記述に『……クマというのはそんなにすぐ襲ってくる動物ではないと私が言うのは証明できると思います。』とあります。書いてあることは1990年ぐらいまでの実例をもとにしてあるので、30年ぐらいの時が流れて、今年はクマが人を襲う事例が多発しています。自然環境の状態がクマにとっては悪くなって、食べるものが山になくなって、クマの気性も荒くなってしまったのだろうかと思いを巡らせながら読んでいます。
クマは日当たりがいいところに寝っころがって過ごすことが好きだそうです。
寝る場所が3つあって、午前、午後、その後と、太陽の位置が移動するごとに寝っころがる場所が圧迫されているそうです。
タヌキは、竹藪(たけやぶ)の中が好き。
野生動物たちは、どんぐりを食べる。クマの主食はドングリだそうです。
クマにも性格がある。性格がいいクマと性格が悪いクマがいる。クマの顔つきでわかるそうです。
クマはヘビを嫌う。
クマの瞬間走行スピードは60kmに達する。相当速い。
イヨマンテ:クマ祭り
アイヌ人にとって、ヒグマはキムンカムイ(山の神)として敬う存在である。
カラスのいるところにはクマがいる。カラスはクマが捕まえた動物のおこぼれを狙っている。
カラスの葬式:カラスたちは、死骸から少しずつ離れていく。きっぱりとは離れない。
エカシ:おじいさん
クマを中心においたアイヌ民族の信仰があります。
自分たちの気持ちを納得させて安心する行為に思えました。
210ページ、本のタイトルもなっている『第五章 クマにあったらどうするか』です。
ヒグマは、オスの成獣が体重200kgぐらい、大きいものは400kgになるようなものもいる。
されど、ヒグマは自分より小さい人間を恐れている。ただし、一度人間を襲って、人間が弱いということを知ったクマは自信をもって人間に対して狂暴になるというような流れでお話があります。
おもしろいのは、クマに出会ったら(人間が)死んだふりをするという話があるのですが、姉崎さんの話では、猟師に会ったクマは、弾に撃たれて死んだふりをすることがあるそうです。言い伝えとは逆のパターンです。クマは死んだふりをして、近づいた猟師にいきなりとびかかるのです。
クマには知恵があって、かなり頭がいい。カラスぐらいの知能があるそうです。
さて、クマに出会ったら人間はどうしたらいいかの話です。
逃げてはいけない。逃げることは一番ダメ。クマに背を向けてはいけない。棒立ちに立つ。(姉崎さんは棒立ちでクマをにらみつけた経験が何度もあるそうです)クマの目をにらみつけて、ウォーとクマを威嚇する大きな声を出す。その繰り返し。クマは立ち上がるが、人を襲うために立ち上がるのではなく、自分の周囲の安全を確認するために立ち上がる。クマは安全な方向を見極めて自分の逃げ道にする。
クマの目をにらみ続ける。クマよりも人間のほうが弱いとクマに思わせてはいけない。
ほかにも、クマはヘビが苦手なので、ヘビのように見えるものを使って追い払うという手法が紹介されています。長いものをふりまわして追い払う。ベルトでもいいそうです。
クマから逃げるのではなく、逆に、クマを追いかけるぐらいの気迫をもつ。(なんだか、人生のあり方にも通じるものがあります。困難にぶつかっても乗り越えて克服するのです)
クマは、見た目は大きくても臆病な動物だから人間を恐れて逃げていくそうです。
立ち向かう時に『棒』は使わない。たくさん枝がついた『柴(しば)』を使う。クマの鼻の前で振ったことがあるそうです。クマが嫌がったそうです。
農機具のクワをひきずって逃げると、クマはクワを飛び越えてこない。なにか、物を引きずって逃げると引きずっている物をクマは飛び越えようとはしない。
ベルトを振り回すのは有効。クマは、ベルトをクマがきらいなヘビと勘違いするようだ。
ペットボトルを押してペコペコと音をさせるとクマは嫌がる。クマにとって、奇妙な音に聞こえるのだろうとのこと。
クマが人間に対して、自分や自分たち(子グマ)の居場所を教えてくれることがある。人間に対する警告として、地面をドーンと叩いて大きな音をたてることがある。
276ページに、クマと出会ったときの対処法が箇条書きで示されています。
第六章です。クマが人を観察していることが書いてあります。クマは隠れない。クマは人に気づかれないようにそっと人の動きを観察しているそうです。襲うためではありません。自分たちが人間に危害を与えられるのではないかと人間を恐れているそうです。
クマは肉食獣ではない。クマの体が大きいから人間はクマを恐れていますが、クマから見れば大きな木を道具で切り倒したり、鉄砲で鹿を撃ったりの行動、あとは、人間の数の多さに恐怖感をもっているそうです。クマは、人間はすごく強い生き物だという意識をもっているそうです。
ただし、一度、人間が体力的に自分よりも非力であることを知ると、人間を恐れなくなるそうです。
第7章です。クマとの共存の話です。
1990年から春グマ猟が禁止となったそうです。個体数の減少が理由です。
姉崎さんも職業としてのクマ猟をやめられています。
ヒグマの数はとても減っているそうです。
人間がクマの住む地域に入りだしたことがクマと人間の対立につながっている。
人間が、キャンプ、バーベキューをやって、食べ物や飲食料が入っていた容器を放置する。クマが人間の食材の味を覚えて求めてくる。
クマは隠れない。クマは人間を観察するために、位置的に上のほうから人間を観ている。(山の上から)隠れずに観ている。
なんというか、人間の悪行について書いてあります。
人間がいい思いをするために、樹木や生物を殺していく。化学薬品をばらまいていく。その結果、山が死んでいる。クマが生きていける環境が残されていない。人間がクマのエリアに入り込みすぎている。
ルールをつくっても、クマは守るけれど、人間は守らない。守れない。
体が大きなクマは非常に憶病で人間を恐れている。ゆえに、体が大きくなるまで育つことができた。人間のいるところへはおりてこなかった。山奥の一定のエリア内で暮らしていた。食べ物がなくなったから人里におりてくるようになった。ドングリができるナラの木が山にない。植林でマツのような針葉樹ばかりになってしまった。
2歳ぐらいの子グマはかわいらしくて、人間と遊ぶそうです。すもうをとっても噛みついたり、爪をたてたりはしてこないそうです。
第8章
姉崎さんは2000年で77歳です。
北海道にある国立公園内の林道をパトロールする。
『クマのエリアだからそこにクマがいるのはあたりまえ……(人間がクマのエリアに入りこんできて、クマがいる(からなんとかしろ)と騒ぎ立てる……』
人間は、観光収入目当てに自然界に手を加えて、環境を変えてしまった。
クマにおおいかぶさられて、大きな口を開かれたときの対処法が書いてあります。
手でグーをつくって、クマの口の中に手を伸ばして口の中をかきまわす。舌を引っ張るとクマは驚いて逃げて行くそうです。かなり度胸がいりますが、死んでたまるかーーと思えばできるそうです。手の代わりに刃物や棒でもいいそうです。その体勢だとクマは前足で人間の頭に触れることができないそうです。なんともすさまじい話です。体験者が複数います。(案外、人間は強い)
(あとがきから)
インタビューは、2000年(平成12年)から2002年(平成14年)、あしかけ3年、合計6回行われたそうです。
姉崎さんは、2013年(平成25年)に享年90歳で亡くなった。
聞き手の片山さんは、2004年(平成16年)にアメリカのダラスで病死された。62歳ぐらいだった。
読み終えて思ったのは、クマは人間に狂暴な動物だと誤解されている。もしかしたら、猫よりも気が小さいかもしれない。体が大きいだけで、力持ちの乱暴者とレッテルを貼られている。(これはこうだという札(ふだ)をはられている)。とかく、人間界は、誤解と錯覚で成り立っている。
なにかの記事でいい本だと紹介があり、取り寄せたのですが、勘違いして既読本の本棚に置きっぱなしになっていたのを、部屋の片付けをしていて気づき、そそくさと読んでみました。
(家には本がたくさんあるので、孫には図書館みたいだと言われています。この先、老化であまり出歩くことができない体になったら、毎日、本の再読を楽しみにしようと思っています)
本をつくったおふたりはすでに亡くなっています。
こちらは文庫本ですが、単行本は、2002年(平成14年)に発行されています。
クマを捕らえる北海道で猟師をしている姉崎等さんという方の語りを、片山龍峯さんが書き取りをしています。
姉崎等さんは、クマの毛皮を収入とするために猟師の道に入られています。
本のはじめの部分を読むと、近年(1990年)、ヒグマを保護するために、春のヒグマ猟は禁止されています。
2023年(令和5年)の今は、熊が人里まで降りてきて、人間にとっての脅威となっています。
原因はクマの食べ物の減少で、人間の生活が山奥へと広がるにつれて、野生動物は住む場所を失っています。
話ははずれますが、私の筆名である『熊太郎』は、私が高校生のときに決めたものです。もう半世紀ぐらい前のことです。長らく、苗字は付けませんでした。大きくて強いものにあこがれていました。
それが私にとっては、『熊』でした。その後ずいぶんたってから『進藤』という苗字を付けました。前向きな姿勢でいたかったからです。
さて本の方です。
姉崎さん:アイヌ民族最後のクマ撃ち猟師だそうです。
ヒグマを『カムイ』と言う。カムイ=神さま
昔「カムイ伝」というマンガがあった記憶です。
姉崎さんの言葉として、『クマは自分の師匠だと本気で思っています』
クマの足跡を追ううちに、クマが考えていることがわかるようになった。クマから教えられることがたくさんあったそうです。
クマは山を合理的に歩くそうです。
人間は山の頂上をめざして歩く。クマは、頂上は目指さない。クマは山の7合目あたりから次の山に移動する。楽な移動ができる。
人間は岩場を登るときにピッケルを使う。(小型のつるはし)
クマは岩場を登るときに自身の爪を使う。
ふと思ったことです。
銃でクマを撃ちとったあと、クマをどうやって運ぶのだろう。姉崎さんには人間の相棒がいないそうです。(相棒は、狩猟犬であるアイヌ犬だそうです)
クマが食べているものは、人間が食べてもだいじょうぶ。
繰り返しになりますが、この本は、2002年(平成14年)に単行本が発行されています。もう20年ぐらい前です。クマ猟の内容は1990年ぐらいまでのヒグマ猟のやりかたのことで、戦前、戦後から続いて、今から30年ぐらい前の出来事です。
姉崎等さんのことです。1923年(大正12年)7月1日北海道鵡川村(むかわむら。現在むかわ町、恐竜で有名。むかわ竜。苫小牧市(とまこまいし)の東)生まれ。(今から100年ぐらい前にお生まれの方です)。3歳の時に千歳(ちとせ)に移る。
父親は、福島から来て屯田兵(とんでんへい。明治時代に北海道の警備と開拓にあたった兵隊。1904年に廃止(明治37年))をしていた。
父は亡先妻との間に女の子が4人できて、うち2人は親戚に預けられ、残り2人が父親についてきた。
父親は炭焼きをしていた。大雨の自然災害にあい、倒産した。8歳のときに蘭越(らんこし。蘭越町)にあるアイヌ民族の集落に移った。(先日、出川哲朗の充電させてもらえませんかでニセコあたりの映像が映ったのですが、そのあたりです)。
父親の後妻である姉崎さんの母親がアイヌ民族だったそうです。
姉崎さんが12歳のときに、父親が72歳で死去した。
父親の後妻の母親(自分の実親)と自分、異母妹2人の4人家族で、ご本人は学校にはあまり行かなかった。12歳という年齢のときから働いていた。狩猟少年だった。
釣った魚を旅館に売りに行っていた。
川魚のヤマメ、イタチ・野ウサギ猟をした。罠を仕掛けて捕らえた。自然が豊かだったのでたくさんとれた。ほかにシイタケがとれた。発電所の人が買ってくれた。
(思えば昔は、義務教育期間だからといってこどもが働かないということはありませんでした。とくに農家のこどもは稲作作業で働いていました)
姉崎さんはこどものころから働き続けて、17歳で自分たち家族が住むための家を建てています。知り合いを頼って家の建築をした。お金がない分は、相手の家に行って農業を手伝い、労働で対価を支払った。
札幌で彫刻の仕事をした。(この時代にみやげ物としてかなりの収益を得ることができたそうです)
姉崎さんは、酒もたばこもやらなかったのでお金が貯まったということはあります。お金がないという人の話を聞くと、たいてい、大酒飲みだったり、ヘビースモーカーだったりします。
この時代の生活が、このあと読んでいるとよく伝わってきます。日本人が大正時代から昭和時代にかけて生きてきた歴史書であり、読むことで、読み手は疑似体験ができます。良書です。今年読んで良かった一冊にこの本を加えておきます。
時代的に兵役があります。
昭和18年21歳のときに軍隊に入って、樺太で(からふと)の国境付近で3年間ぐらいソ連軍と戦っておられます。実戦も体験されています。戦後1年間、ソ連の捕虜になって道路修復の仕事をされています。帰国したらお母さんは亡くなっていたそうです。妹は結婚して家を出て行っていたそうです。
昭和23年、25歳のときにアイヌ女性と結婚されています。アイヌ女性といっても、アイヌ語はできなくて狩猟をする家の娘さんでもなかったそうです。奥さんは、結核で医療費が高かったそうです。
生活費を稼ぐために千歳(ちとせ)にある米軍基地で働いた。夜になると山へ入ってイタチ猟をした。毛皮が高価に売れたそうです。イタチは竹筒のワナでとる。その日のうちに川をむいて板にはりつけるという加工をする。そういうことが書いてあります。生活費を得るためです。お金がなければ暮らしは始まらないのです。
思い出すに、この終戦後のころには、まだ国民健康保険とか国民年金とか、全国的なそういう制度はできていなかった記憶です。
自然の幸を(さちを)有効活用して生活していきます。
サケが川をのぼってきます。
ヤマメもいます。お金になります。
夏は「釣り」、秋は「イタチ猟」、雪が降りだしたら「ノウサギ猟」、鉄砲を持つようになってからは「リス猟」だそうです。ノウサギは、針金でつくったワナで捕まえる。
わたしにとっては未知の世界です。読みながら疑似体験ができます。
リスの肉はおいしいそうです。リスは木の実を食べるからお肉がおいしくなるそうです。イタチはネズミを食べるから臭い。だから食べないけれど、年寄りは食べていたそうです。
食べ物だったらなんでも売れる戦後の時代だったそうです。
(つづく)
お金のための野生動物や魚、シイタケ狩りの狩猟です。時代は戦後の昭和20年代ぐらいです。
ムジナ(エゾタヌキ)が一時期高額で毛皮として売れたそうです。食用でもあります。鉄砲ではなく、アイヌ犬が噛んで捕まえるそうです。人間とアイヌ犬との信頼関係づくりについて熱く語っておられます。犬と意思疎通ができるようになるそうです。
貧乏暮らしから脱出するのに20年かかった。ようやく人並みの生活ができるようになったとあります。
昭和30年頃までは、クマの毛皮は2万円もしなくて安かった。高度経済成長が続くにつれて、昭和46年にはクマの毛皮に70万円とか80万円の値が付くようになった。
狩猟の様子は、読み手にとっては過酷に見えますが、姉崎さんにとっては自然な移動行動です。苦にされていません。
ふつうの人はヒグマから逃げますが、姉崎さんはヒグマを追いかけます。
これまでに、ひとりで40頭、集団で20頭を仕留めたそうです。
アイヌ人差別があるようです。
姉崎さんはハーフ(和人の父とアイヌの母)なのですが、人に言うときは『アイヌのクマ撃ちです』と名乗るそうです。和人というとなんやかんやと説明を求められるので、アイヌと言えばすっきりするそうです。
クマ撃ちは、よっぽど必要なときしか鉄砲は撃たない。必要最小限しか撃たない。
狩猟で移動しながら、たまに、エゾライチョウを食べる。おいしいそうです。
登山者のようです。
クマの肉は食べない。クマ肉だけ食べると腸が消化してくれないそうです。
米五升と味噌(みそ)、塩を持って山に長期間入る。
連れている犬も、米を食べる。
箸は(はしは)持って行かない。木の幹からつくる。
食事は、朝と夕の一日二回。狩猟は10日間ぐらい。山を歩き続ける。
非常食はハム。非常食だから食べない。食べずに持ち帰る。
酒は飲まない。酒はもっていくが、山の神と火の神に祈る儀式で使う。山の神から山を使う許可を得る。無事を祈る。
誤射がある。仲間に撃たれることがある。
黒い服は着ない。白い服を着る。黒い服を着るとクマと間違われて誤射されることがある。
尻が濡れないように腰にクマの毛皮やシカの毛皮をぶらさげると猟師に間違われて狙われることがあるから要注意だそうです。
村田銃(明治時代につくられた国産銃。薩摩藩の村田という人がつくった)を20年間ぐらい使ったあと、ライフル銃を使用している。弾は(たまは)30発あれば十分だそうです。
ナイフや鉈(ナタ)がリュックの中にある。すごく切れる刃物となっている。
マッチが大事。マッチを濡らすとたいへんなことになるので、濡らさないように完全包装している。ライターは役に立たない。極寒、強風下では、ライターでは、火がつかない。
クワ(杖つえ)が必需品。銃を撃つ時に支えになる。さきっぽが、ふたまたに分かれている。クワを使うことで雪道や雪坂を速く移動できる。ナナカマドでクワをつくる。
凍傷をさけるために、川に落ちて長靴に水が入ったときは、水を抜かない。水は人肌で温かくなる。靴下をしぼってはくと足が凍傷になってしまう。
(今まで知らなかった世界が、本を読むことで、疑似体験できます)
(つづく)
クマ撃ちのために山に入って10日間を過ごすのですが、寝る場所のつくり方について書いてあります。
ご本人いわく簡単だという『仮小屋』から、トドマツを窪地で切り倒して、窪地にトドマツの葉っぱを敷いて寝る簡単なものまであります。大工さんのようです。
気象情報を慎重に聴く。ラジオの天気予報が大事。山の天気は変わりやすい。雲に見える部分は霧雨状態になっている。いろいろ悪天候の時のことが書いてあります。
余談ですが、最近の若い人はラジオを聞かなくなりました。昼間聞いているのは年配の人間ばかりで、ラジオからは40年ぐらい前にはやった歌が毎日流れています。人生を2回体験しているみたいで不思議な感じがします。
動物の生態について詳しく書かれています。
動物も山で道に迷う。キツネも迷う。
足跡に関する記述が興味深い。
人間の判断を狂わせるために、数頭いても足跡は一頭に見えるように、あとからのものは、まえのものの足跡を踏んでいくそうです。ほかにもいろいろパターンが書いてあります。
兵隊では、軍用犬教育担当だった。
シェパードを教育していた。
犬との信頼関係の築き方が書いてあります。
犬が犬を教えることがあるそうです。いろいろと知らなかった世界を教えてくれる本です。
クマには知恵があります。
読んでいると『カラス』の知恵のようだと類推します。動物は賢い。
生存競争が厳しい。クマは人間に撃たれないようにいろいろ工夫をして行動しています。
クマは人間の行動をじっくり観察して対応を考えている。
姉崎さんは、『自分がクマなら、こうする』と考えるそうです。ゆえにクマが師匠なのです。自分がクマになりきって、山での狩猟や移動を行っているそうです。
エサのある森林が減ってきている。
いろいろうまくいていない植林などの施策について書いてあります。ミズナラをやめてマツなどの針葉樹林にしたからエサがなくなった。
2002年(平成14年)発行の本を文庫化してあるのですが、記述に『……クマというのはそんなにすぐ襲ってくる動物ではないと私が言うのは証明できると思います。』とあります。書いてあることは1990年ぐらいまでの実例をもとにしてあるので、30年ぐらいの時が流れて、今年はクマが人を襲う事例が多発しています。自然環境の状態がクマにとっては悪くなって、食べるものが山になくなって、クマの気性も荒くなってしまったのだろうかと思いを巡らせながら読んでいます。
クマは日当たりがいいところに寝っころがって過ごすことが好きだそうです。
寝る場所が3つあって、午前、午後、その後と、太陽の位置が移動するごとに寝っころがる場所が圧迫されているそうです。
タヌキは、竹藪(たけやぶ)の中が好き。
野生動物たちは、どんぐりを食べる。クマの主食はドングリだそうです。
クマにも性格がある。性格がいいクマと性格が悪いクマがいる。クマの顔つきでわかるそうです。
クマはヘビを嫌う。
クマの瞬間走行スピードは60kmに達する。相当速い。
イヨマンテ:クマ祭り
アイヌ人にとって、ヒグマはキムンカムイ(山の神)として敬う存在である。
カラスのいるところにはクマがいる。カラスはクマが捕まえた動物のおこぼれを狙っている。
カラスの葬式:カラスたちは、死骸から少しずつ離れていく。きっぱりとは離れない。
エカシ:おじいさん
クマを中心においたアイヌ民族の信仰があります。
自分たちの気持ちを納得させて安心する行為に思えました。
210ページ、本のタイトルもなっている『第五章 クマにあったらどうするか』です。
ヒグマは、オスの成獣が体重200kgぐらい、大きいものは400kgになるようなものもいる。
されど、ヒグマは自分より小さい人間を恐れている。ただし、一度人間を襲って、人間が弱いということを知ったクマは自信をもって人間に対して狂暴になるというような流れでお話があります。
おもしろいのは、クマに出会ったら(人間が)死んだふりをするという話があるのですが、姉崎さんの話では、猟師に会ったクマは、弾に撃たれて死んだふりをすることがあるそうです。言い伝えとは逆のパターンです。クマは死んだふりをして、近づいた猟師にいきなりとびかかるのです。
クマには知恵があって、かなり頭がいい。カラスぐらいの知能があるそうです。
さて、クマに出会ったら人間はどうしたらいいかの話です。
逃げてはいけない。逃げることは一番ダメ。クマに背を向けてはいけない。棒立ちに立つ。(姉崎さんは棒立ちでクマをにらみつけた経験が何度もあるそうです)クマの目をにらみつけて、ウォーとクマを威嚇する大きな声を出す。その繰り返し。クマは立ち上がるが、人を襲うために立ち上がるのではなく、自分の周囲の安全を確認するために立ち上がる。クマは安全な方向を見極めて自分の逃げ道にする。
クマの目をにらみ続ける。クマよりも人間のほうが弱いとクマに思わせてはいけない。
ほかにも、クマはヘビが苦手なので、ヘビのように見えるものを使って追い払うという手法が紹介されています。長いものをふりまわして追い払う。ベルトでもいいそうです。
クマから逃げるのではなく、逆に、クマを追いかけるぐらいの気迫をもつ。(なんだか、人生のあり方にも通じるものがあります。困難にぶつかっても乗り越えて克服するのです)
クマは、見た目は大きくても臆病な動物だから人間を恐れて逃げていくそうです。
立ち向かう時に『棒』は使わない。たくさん枝がついた『柴(しば)』を使う。クマの鼻の前で振ったことがあるそうです。クマが嫌がったそうです。
農機具のクワをひきずって逃げると、クマはクワを飛び越えてこない。なにか、物を引きずって逃げると引きずっている物をクマは飛び越えようとはしない。
ベルトを振り回すのは有効。クマは、ベルトをクマがきらいなヘビと勘違いするようだ。
ペットボトルを押してペコペコと音をさせるとクマは嫌がる。クマにとって、奇妙な音に聞こえるのだろうとのこと。
クマが人間に対して、自分や自分たち(子グマ)の居場所を教えてくれることがある。人間に対する警告として、地面をドーンと叩いて大きな音をたてることがある。
276ページに、クマと出会ったときの対処法が箇条書きで示されています。
第六章です。クマが人を観察していることが書いてあります。クマは隠れない。クマは人に気づかれないようにそっと人の動きを観察しているそうです。襲うためではありません。自分たちが人間に危害を与えられるのではないかと人間を恐れているそうです。
クマは肉食獣ではない。クマの体が大きいから人間はクマを恐れていますが、クマから見れば大きな木を道具で切り倒したり、鉄砲で鹿を撃ったりの行動、あとは、人間の数の多さに恐怖感をもっているそうです。クマは、人間はすごく強い生き物だという意識をもっているそうです。
ただし、一度、人間が体力的に自分よりも非力であることを知ると、人間を恐れなくなるそうです。
第7章です。クマとの共存の話です。
1990年から春グマ猟が禁止となったそうです。個体数の減少が理由です。
姉崎さんも職業としてのクマ猟をやめられています。
ヒグマの数はとても減っているそうです。
人間がクマの住む地域に入りだしたことがクマと人間の対立につながっている。
人間が、キャンプ、バーベキューをやって、食べ物や飲食料が入っていた容器を放置する。クマが人間の食材の味を覚えて求めてくる。
クマは隠れない。クマは人間を観察するために、位置的に上のほうから人間を観ている。(山の上から)隠れずに観ている。
なんというか、人間の悪行について書いてあります。
人間がいい思いをするために、樹木や生物を殺していく。化学薬品をばらまいていく。その結果、山が死んでいる。クマが生きていける環境が残されていない。人間がクマのエリアに入り込みすぎている。
ルールをつくっても、クマは守るけれど、人間は守らない。守れない。
体が大きなクマは非常に憶病で人間を恐れている。ゆえに、体が大きくなるまで育つことができた。人間のいるところへはおりてこなかった。山奥の一定のエリア内で暮らしていた。食べ物がなくなったから人里におりてくるようになった。ドングリができるナラの木が山にない。植林でマツのような針葉樹ばかりになってしまった。
2歳ぐらいの子グマはかわいらしくて、人間と遊ぶそうです。すもうをとっても噛みついたり、爪をたてたりはしてこないそうです。
第8章
姉崎さんは2000年で77歳です。
北海道にある国立公園内の林道をパトロールする。
『クマのエリアだからそこにクマがいるのはあたりまえ……(人間がクマのエリアに入りこんできて、クマがいる(からなんとかしろ)と騒ぎ立てる……』
人間は、観光収入目当てに自然界に手を加えて、環境を変えてしまった。
クマにおおいかぶさられて、大きな口を開かれたときの対処法が書いてあります。
手でグーをつくって、クマの口の中に手を伸ばして口の中をかきまわす。舌を引っ張るとクマは驚いて逃げて行くそうです。かなり度胸がいりますが、死んでたまるかーーと思えばできるそうです。手の代わりに刃物や棒でもいいそうです。その体勢だとクマは前足で人間の頭に触れることができないそうです。なんともすさまじい話です。体験者が複数います。(案外、人間は強い)
(あとがきから)
インタビューは、2000年(平成12年)から2002年(平成14年)、あしかけ3年、合計6回行われたそうです。
姉崎さんは、2013年(平成25年)に享年90歳で亡くなった。
聞き手の片山さんは、2004年(平成16年)にアメリカのダラスで病死された。62歳ぐらいだった。
読み終えて思ったのは、クマは人間に狂暴な動物だと誤解されている。もしかしたら、猫よりも気が小さいかもしれない。体が大きいだけで、力持ちの乱暴者とレッテルを貼られている。(これはこうだという札(ふだ)をはられている)。とかく、人間界は、誤解と錯覚で成り立っている。
2023年10月12日
出川哲朗の充電バイクの旅 琵琶湖竹生島から西教寺
出川哲朗の充電させてもらえませんか? 竹生島(ちくぶじま)→西教寺(さいきょうじ) TVer(ティーバー)
走るぞ!絶景の琵琶湖畔をグルッと123キロ!名将のお城&絶品グルメが“目白押し”で初登場!山崎育三郎とペコパが大感激!哲朗がタジタジでヤバいよヤバいよSP
山崎育三郎さんは、毎週日曜日夜の『おしゃれクリップ』で、井桁弘恵さん(いげた・ひろえさん)とゲストを迎えてのおしゃべりを楽しみに見ています。
山崎育三郎さんは、細くてかっこいい。野球少年です。出演するドラマの番組宣伝のために今回はこの企画に参加されたようです。
たまたま充電バイクで通りかかった地元の少年野球チームとのバッティング勝負、山崎育三郎さんがピッチャーとして、出川哲朗さんと勝負のシーンがありました。
参加してくれた野球少年たちのうち、小学二年生のピッチャーが、個性があってなかなか良かった。
山崎育三郎さんがピッチャーをやったときに、守備をしていたこどもたちが、山崎育三郎さんに気を使って、リラックスして投げてくれればいい。打たれてもいい。自分たちがしっかり守るからと声かけをしていたシーンが良かった。
試合のあと、『球場で歌うのは甲子園以来だけど(高校野球の開会式にて)』と言いながら、山崎育三郎さんが、朗々と(ろうろうと)『栄冠は君に輝く』を独唱されました。見事な声量でした。
歌詞の言葉が古いので、今のこどもたちにどこまで理解されたかわかりませんが、熱い心情は伝わったと思います。
『栄冠は君に輝く』を作曲された古関裕而(こせきゆうじ)さんを主人公にしたNHK朝ドラ『エール』を思い出しました。
古関裕而さんは福島県出身であり、前回自分が観た充電バイクの番組で、立ち寄りはしませんでしたが、出川さんが、スケーターだった村上佳菜子さんと福島を巡った番組の回がありました。
ロケの途中で、山崎育三郎さんのことを知らないおじさんがご自宅で充電させてくれたのですが、タレントさんを知らないという、まあ、そういう人も多いと思います。
出川さんは全国区の超有名人ですが、テレビをあまり見ない人は、芸能人のすべての人を知っているわけでもありません。
わたしも働いているときは20年間ぐらい、テレビはニュースと天気予報ぐらいしか見ませんでした。リタイアした今は、過去にこんないい番組があったのかと感心しながら、知らずに通り過ぎた20年間ぐらいをさかのぼる作業をするようにテレビを観ています。
竹生島(ちくぶじま)も黒壁スクエアの長浜市も、このあと琵琶湖を南下しながらの彦根あたりも通過するのでしょうが、わたしも何度か訪れたことがあるので、映像に出てくる風景を見るのが楽しみです。
あいにく西教寺というところは知りませんが、今回のゴールに指定されています。TVerで見ることができることを知ったので、関東地区のみなさんと同じぐらいの時期にこちらの番組を見ることができます。地元のテレビ局だと2か月遅れぐらいの放送になってしまいます。
竹生島(ちくぶじま)の島内ロケ映像を見ていて、もう忘れていた景色が脳内に復活しました。ああ、あの場所に自分も立っていたことがあると、風景がよみがえりました。
鮎食堂(あゆしょうどう)というところで出てきた座敷童(ざしきわらし)みたいな女の子がかわいかった。
山崎育三郎さんは、電動バイクに乗りながら『カントリーロード』を歌います。この歌を歌っていたジョン・デンバーさんもオリビア・ニュートン=ジョンさんももうお亡くなりになりました。さみしいものです。
ジョン・デンバー:1997年(平成9年)53歳没。自分が操縦するプロペラ機が墜落して死去されました。
オリビア・ニュートン=ジョン:2022年73歳没。がんで死去されました。
歳をとってくると自分や人の寿命が気になりだします。
途中保護司さんたちとのにぎやかな交流がありました。
刑務所出所者の世話をする人たちで、地域でのふれあい活動にも熱心な方々だと思います。なかなか、なり手がいない職でしょう。
山崎育三郎さんが、番組中、屋内でも帽子をかぶるのは、ヘルメットで髪型がかなり乱れていたからだと推測しました。
前半のゲスト山崎育三郎さんと別れたあと、琵琶湖のほとりで、24時間テレビの中継場所で、準備をしている宮川大輔さんとか、みやぞんさん、ロッチの中岡さんと偶然出会いました。縁があります。
次回のゲストは、松陰寺太勇(しょういんじ・たゆう)さんです。
(つづく)
後半のゲストは、ぺこぱの松陰寺太勇さんですが、わたしはあまり知らない方です。
映像を観ていてわかったのは、お笑いコンビの相方がシュウペイという人で、シュウペイさんのギャグが、『シュウペイでーす』で、腕を交差して人差し指を立てる動作をする。
松陰寺太雄さんのほうは、読み方が難しいお名前で「しょういんじ・たゆう」さんで、ギャグが、『ロンリネース、時を戻そう』だと思います。(時は戻りませんが…… 非情ですが、過去を変えることはできません)
お名前の読みが言いにくいのですが、しょういんじ・たいゆうさんは、充電バイクのバッテリーの充電依頼のためのしゃべり方がおじょうずでした。ほかのシーンでもしゃべりかたがじょうずで感心しました。ただ、どうしてあんな変なお化粧をしているのか不思議でした。化粧で好感度が下がりそうです。
出川哲朗さんと熊谷ディレクターが、大学生の剣道部合宿所になっている旅館に、飛び込みで宿泊されたことに驚かされました。度胸と心の広さがたいしたものです。
実際のロケ時間はとても長いのに、映像は短時間で編集されています。スタッフのご苦労が伝わってきます。
彦根城とか琵琶湖にかかる橋は自分も行ったことがあるのでなつかしい。
琵琶湖大橋はたしか、路線バスと鉄道の競争対決番組で太川陽介さんと村井美樹さんたちが歩いて渡っていました。
湖岸に山影が見える琵琶湖の風景がきれいです。
湖のまわりには、へいたんな平野が広がります。だいたいが、田んぼが続く景色です。
充電バイクで移動しながら、ソフトボールをやって、ゲートボールのまねごとをおじいさん・おばあさんたちとやって、すき焼きを食べて、お堀である水路巡りをして、なかなか忙しい。安土城のそばも通りました。
充電メンバーが、5年前に訪れた食堂での偶然な再訪問もありました。
まあ、いきなり、民家に来て、充電させてくださいとお願いして騒ぎを起こす番組内容です。
頼まれた和菓子屋さんもびっくりされたことでしょう。
さらにマイアミビーチという浜辺で、淡水湖の琵琶湖ではありますが、ふたりは水に入っておおぜいのこどもたちと水遊びをされました。
そのあと、キムチも食べて、なんとあわただしい。
ちびっこたちとの記念撮影では、『でがわさまーー』という掛け声を始めて聞きました。
ゴールの西教寺(さいきょうじ)というお寺は、ライトアップで神秘的な演出がなされていました。
極楽への入り口を通って極楽の世界へ行くそうです。
明智光秀のお墓もあって、琵琶湖の南にある地域は、日本史の郷(さと)であることがわかりました。
走るぞ!絶景の琵琶湖畔をグルッと123キロ!名将のお城&絶品グルメが“目白押し”で初登場!山崎育三郎とペコパが大感激!哲朗がタジタジでヤバいよヤバいよSP
山崎育三郎さんは、毎週日曜日夜の『おしゃれクリップ』で、井桁弘恵さん(いげた・ひろえさん)とゲストを迎えてのおしゃべりを楽しみに見ています。
山崎育三郎さんは、細くてかっこいい。野球少年です。出演するドラマの番組宣伝のために今回はこの企画に参加されたようです。
たまたま充電バイクで通りかかった地元の少年野球チームとのバッティング勝負、山崎育三郎さんがピッチャーとして、出川哲朗さんと勝負のシーンがありました。
参加してくれた野球少年たちのうち、小学二年生のピッチャーが、個性があってなかなか良かった。
山崎育三郎さんがピッチャーをやったときに、守備をしていたこどもたちが、山崎育三郎さんに気を使って、リラックスして投げてくれればいい。打たれてもいい。自分たちがしっかり守るからと声かけをしていたシーンが良かった。
試合のあと、『球場で歌うのは甲子園以来だけど(高校野球の開会式にて)』と言いながら、山崎育三郎さんが、朗々と(ろうろうと)『栄冠は君に輝く』を独唱されました。見事な声量でした。
歌詞の言葉が古いので、今のこどもたちにどこまで理解されたかわかりませんが、熱い心情は伝わったと思います。
『栄冠は君に輝く』を作曲された古関裕而(こせきゆうじ)さんを主人公にしたNHK朝ドラ『エール』を思い出しました。
古関裕而さんは福島県出身であり、前回自分が観た充電バイクの番組で、立ち寄りはしませんでしたが、出川さんが、スケーターだった村上佳菜子さんと福島を巡った番組の回がありました。
ロケの途中で、山崎育三郎さんのことを知らないおじさんがご自宅で充電させてくれたのですが、タレントさんを知らないという、まあ、そういう人も多いと思います。
出川さんは全国区の超有名人ですが、テレビをあまり見ない人は、芸能人のすべての人を知っているわけでもありません。
わたしも働いているときは20年間ぐらい、テレビはニュースと天気予報ぐらいしか見ませんでした。リタイアした今は、過去にこんないい番組があったのかと感心しながら、知らずに通り過ぎた20年間ぐらいをさかのぼる作業をするようにテレビを観ています。
竹生島(ちくぶじま)も黒壁スクエアの長浜市も、このあと琵琶湖を南下しながらの彦根あたりも通過するのでしょうが、わたしも何度か訪れたことがあるので、映像に出てくる風景を見るのが楽しみです。
あいにく西教寺というところは知りませんが、今回のゴールに指定されています。TVerで見ることができることを知ったので、関東地区のみなさんと同じぐらいの時期にこちらの番組を見ることができます。地元のテレビ局だと2か月遅れぐらいの放送になってしまいます。
竹生島(ちくぶじま)の島内ロケ映像を見ていて、もう忘れていた景色が脳内に復活しました。ああ、あの場所に自分も立っていたことがあると、風景がよみがえりました。
鮎食堂(あゆしょうどう)というところで出てきた座敷童(ざしきわらし)みたいな女の子がかわいかった。
山崎育三郎さんは、電動バイクに乗りながら『カントリーロード』を歌います。この歌を歌っていたジョン・デンバーさんもオリビア・ニュートン=ジョンさんももうお亡くなりになりました。さみしいものです。
ジョン・デンバー:1997年(平成9年)53歳没。自分が操縦するプロペラ機が墜落して死去されました。
オリビア・ニュートン=ジョン:2022年73歳没。がんで死去されました。
歳をとってくると自分や人の寿命が気になりだします。
途中保護司さんたちとのにぎやかな交流がありました。
刑務所出所者の世話をする人たちで、地域でのふれあい活動にも熱心な方々だと思います。なかなか、なり手がいない職でしょう。
山崎育三郎さんが、番組中、屋内でも帽子をかぶるのは、ヘルメットで髪型がかなり乱れていたからだと推測しました。
前半のゲスト山崎育三郎さんと別れたあと、琵琶湖のほとりで、24時間テレビの中継場所で、準備をしている宮川大輔さんとか、みやぞんさん、ロッチの中岡さんと偶然出会いました。縁があります。
次回のゲストは、松陰寺太勇(しょういんじ・たゆう)さんです。
(つづく)
後半のゲストは、ぺこぱの松陰寺太勇さんですが、わたしはあまり知らない方です。
映像を観ていてわかったのは、お笑いコンビの相方がシュウペイという人で、シュウペイさんのギャグが、『シュウペイでーす』で、腕を交差して人差し指を立てる動作をする。
松陰寺太雄さんのほうは、読み方が難しいお名前で「しょういんじ・たゆう」さんで、ギャグが、『ロンリネース、時を戻そう』だと思います。(時は戻りませんが…… 非情ですが、過去を変えることはできません)
お名前の読みが言いにくいのですが、しょういんじ・たいゆうさんは、充電バイクのバッテリーの充電依頼のためのしゃべり方がおじょうずでした。ほかのシーンでもしゃべりかたがじょうずで感心しました。ただ、どうしてあんな変なお化粧をしているのか不思議でした。化粧で好感度が下がりそうです。
出川哲朗さんと熊谷ディレクターが、大学生の剣道部合宿所になっている旅館に、飛び込みで宿泊されたことに驚かされました。度胸と心の広さがたいしたものです。
実際のロケ時間はとても長いのに、映像は短時間で編集されています。スタッフのご苦労が伝わってきます。
彦根城とか琵琶湖にかかる橋は自分も行ったことがあるのでなつかしい。
琵琶湖大橋はたしか、路線バスと鉄道の競争対決番組で太川陽介さんと村井美樹さんたちが歩いて渡っていました。
湖岸に山影が見える琵琶湖の風景がきれいです。
湖のまわりには、へいたんな平野が広がります。だいたいが、田んぼが続く景色です。
充電バイクで移動しながら、ソフトボールをやって、ゲートボールのまねごとをおじいさん・おばあさんたちとやって、すき焼きを食べて、お堀である水路巡りをして、なかなか忙しい。安土城のそばも通りました。
充電メンバーが、5年前に訪れた食堂での偶然な再訪問もありました。
まあ、いきなり、民家に来て、充電させてくださいとお願いして騒ぎを起こす番組内容です。
頼まれた和菓子屋さんもびっくりされたことでしょう。
さらにマイアミビーチという浜辺で、淡水湖の琵琶湖ではありますが、ふたりは水に入っておおぜいのこどもたちと水遊びをされました。
そのあと、キムチも食べて、なんとあわただしい。
ちびっこたちとの記念撮影では、『でがわさまーー』という掛け声を始めて聞きました。
ゴールの西教寺(さいきょうじ)というお寺は、ライトアップで神秘的な演出がなされていました。
極楽への入り口を通って極楽の世界へ行くそうです。
明智光秀のお墓もあって、琵琶湖の南にある地域は、日本史の郷(さと)であることがわかりました。
2023年10月11日
あさえと ちいさいいもうと 筒井頼子・作 林明子・絵
あさえと ちいさいいもうと 筒井頼子(つつい・よりこ)さく 林明子え 福音館書店
読み終えてしばらくして思ったことです。
いまどきの『ヤングケアラー』のようです。
兄弟姉妹における長男、長女の立場を語る絵本です。
こどものころは、長男、長女が、弟、妹のめんどうをみるのです。
上のポジションにいる人は、がまんを強いられます。(しいられます)
長男、長女の立場であることのつらさが表現されています。
さて、読みながらの感想です。
姉が『あさえ』で、5歳ぐらいの女の子に見える絵です。
妹が『あや』で、2歳か3歳ぐらいに見えます。
おかあさんが、銀行へ行って帰ってくるまで、ふたりでお留守番なのですが、2歳児ぐらいのあやが、じっとしているわけがありません。いつのまにか家を出て、どこかへ行ってしまいました。さあ、たいへん!です。
2歳児は、自分の思いどおりにならないとすぐ泣きます。親でも困り果てることがあります。(感想を書き終えて数日たったこととして:なんだか、最近ニュースで話題になった“こどもだけの留守番”は虐待に当たるという条例制定の件みたいで、不思議な気持ちになりました)
下の子が、事故にあったり、人に連れ去られたりしたら、家族各自の人生が狂います。
兄弟姉妹の関係があると、こういう体験があったりもします。
ひとりっ子の人は知ることがない体験です。
とにかく、あさえは、留守番中に家からいなくなった妹のあやを探し出さなければなりません。
でもなかなか見つかりません。
どうしよう(本来は、こどもふたりだけにして用事で家を出て行った母親の責任です)
緊張の時間帯が流れます。
よかった。
妹のあやは、近くの公園にいました。
最後の絵がいい。
妹をぎゅっと抱きしめる姉でした。
安心しました。
1982年(昭和57年)初版の絵本です。
いつもながら安心できる林明子さんの絵です。
『こんとあき 林明子 福音館書店』は、名作です。思い出しました。
読み終えてしばらくして思ったことです。
いまどきの『ヤングケアラー』のようです。
兄弟姉妹における長男、長女の立場を語る絵本です。
こどものころは、長男、長女が、弟、妹のめんどうをみるのです。
上のポジションにいる人は、がまんを強いられます。(しいられます)
長男、長女の立場であることのつらさが表現されています。
さて、読みながらの感想です。
姉が『あさえ』で、5歳ぐらいの女の子に見える絵です。
妹が『あや』で、2歳か3歳ぐらいに見えます。
おかあさんが、銀行へ行って帰ってくるまで、ふたりでお留守番なのですが、2歳児ぐらいのあやが、じっとしているわけがありません。いつのまにか家を出て、どこかへ行ってしまいました。さあ、たいへん!です。
2歳児は、自分の思いどおりにならないとすぐ泣きます。親でも困り果てることがあります。(感想を書き終えて数日たったこととして:なんだか、最近ニュースで話題になった“こどもだけの留守番”は虐待に当たるという条例制定の件みたいで、不思議な気持ちになりました)
下の子が、事故にあったり、人に連れ去られたりしたら、家族各自の人生が狂います。
兄弟姉妹の関係があると、こういう体験があったりもします。
ひとりっ子の人は知ることがない体験です。
とにかく、あさえは、留守番中に家からいなくなった妹のあやを探し出さなければなりません。
でもなかなか見つかりません。
どうしよう(本来は、こどもふたりだけにして用事で家を出て行った母親の責任です)
緊張の時間帯が流れます。
よかった。
妹のあやは、近くの公園にいました。
最後の絵がいい。
妹をぎゅっと抱きしめる姉でした。
安心しました。
1982年(昭和57年)初版の絵本です。
いつもながら安心できる林明子さんの絵です。
『こんとあき 林明子 福音館書店』は、名作です。思い出しました。
2023年10月10日
定本 本屋図鑑 夏葉社
定本 本屋図鑑 本屋図鑑編集部・編 徳地直美・絵 夏葉社
わたしの実用書の読み方です。
最初に1回目の本読みがあります。
1ページずつすべてのページをゆっくりめくりながら、なにが書いてあるか見当をつけます。この本は全体で400ページあります。盛りだくさんです。
古いものを追う企画にみえます。
消えていくものです。(町の本屋)
1995年、ウィンドウズ95が発表されて以降、物の流通が大きく変化していきました。
ネットで注文、配達、電子書籍の登場です。
町の本屋がたくさんなくなりました。
憩いの場であった町の本屋です。
こちらの本に、そんな本屋の紹介が盛りだくさんです。全国47都道府県を回っておられます。
取材は、2012年(平成24年)11月から2013年(平成25年)6月の約半年間と2020年(令和2年)以降です。
9月29日金曜日午前4時、ワールドカップラグビー日本対サモア戦を見ながらこの本のページをめくり始めました。(結果は日本のぎりぎり勝利でした。サモアも強かった)(その後:10月9日朝のこと。昨夜、アルゼンチンに惜敗しました。残念。またの機会を期待しましょう)
さて、本の方は、手づくり感が満載です。
書店の姿を描いた絵がいい。絵がたくさんあります。写真より絵のほうが、つくり手の気持ちが伝わってきます。
ちびっこアイドル、ドラえもん、のび太君、しずかちゃん、スネ夫君、ジャイアンの顔も出てきます。
空間の広がりがある絵です。
全国を巡る取材力があります。
本屋巡りを理由にした旅の本でもあります。
241ページに初めて写真が出てきました。書店内のようすです。本棚の前で、店員さんがお客さんに本の説明をしています。その後何枚かの写真が登場します。味わいがあります。
消えていくもの、衰退したものとして、『炭坑』があります。わたしが中学生ぐらいまでのころに全国から次々と炭坑が消えていきました。
今の時代は、本屋が消えていく時代です。
ガソリンスタンドも減りました。石炭が否定されて、ガソリンが否定されて、産業は順番に変化していきます。
(2回目の本読み)
日本にある本屋の76店舗の記録です。
リブロ:中規模書店チェーン。その後合併して「リブロプラス」になっている。
ページの絵に、書店の陳列棚の絵があるのですが、わたしの自宅の本箱にある本や同じ作者の絵があって、うれしい気分になれました。
ろう(耳が聞こえない)の写真家斉藤陽道(さいとう・はるみち)さんとか『ヒロシマ消えたかぞく 指田和(さしだ・かず 女性) 写真・鈴木六郎 ポプラ社』とか『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え 岸見一郎 古賀史健 ダイヤモンド社』とか、ショーン・タンの世界という本があります。うちの本棚にあるのは、『アライバル ショーン・タン 河出書房新社』とか、和田誠さんの絵だと星新一作品が思い出されます。
今年は4月から9月末まで、NHKBSの再放送でじぇじぇじぇの『あまちゃん』を観ていたのですが、この本の中にある本棚の絵には『はしれさんてつ、きぼうをのせて』という本とさんてつの本が置いてあります。岩手県を走る三陸鉄道です。
本屋の紹介内容はそれほど長い文章ではありません。コンパクトにまとめられています。
起承転結にのせた文章です。ちょっと短いかなとも感じられます。情報についての物足りなさがあります。基本的に2ページで絵ものせてひとつの書店紹介です。
大学を中退して、本屋へ通うようになり、本読みに没頭して、本屋を志した書店経営者の方がおられます。こちらの本の出版社の経営者の方と似ています。
児童書の特徴として、本のサイズがさまざまであることが紹介されています。わたしは、絵本は、絵画集の面もあると思っています。
住宅地図の価格は、40年ぐらい前は今よりもずいぶん安価だった覚えがありますが、今は高価になりました。理由はわかりませんが、情報量の増加と買い手の減少があるのかもしれません。
昔は注文して配達してもらうということがよくありました。
本の販売だけでは食べていけないので、文房具やしゃれたおしゃれ雑貨の販売もする。
ちびっこたちに絵本の読み聞かせ会を定期的に開催してくれる本屋さんもあります。
名言があります。『本は過去のことも未来のことも教えてくれる……』疑似体験ができることが本読みの楽しみです。
こちらの本を読む楽しみのひとつがイラストの絵をながめることです。
本屋経営は派手(はで)ではない。
地味に息長くやっていくもの。
長い歴史をもつ本屋がいくつか出てきます。地方に多い。
できるならたくさんの本を置ける広いスペースがほしい。
配達は、『文化』を届ける。
おとなが満足するための絵本よりも、こどもが楽しむための絵本が売れてほしい。
保育園では、毎朝15分、絵本の時間がある。それ以外、いつでも自由に絵本を読んでいい。
(絵本読みは、こどもが成長してからの犯罪行為防止に役立つとわたしは思っています)
身近に本がある環境をつくる。
災害の被災地の本屋さんも訪ねます。『…… 人間が死ぬのは自然なことですよ』
人は簡単に死にます。病気、事故、事件、自然災害、最近だと戦争、人のまわりには危険がいっぱいです。
(この本の240ページあたりにそんなことが書いてあります)
本に掲載があるけれど、今現在で閉店されたお店も多い。
時流ですからなかなか流れにはさからえません。
イラストの絵はち密です。スマホで写真を撮っておいてあとから書名・作家名などを書き込んでおられるのかもしれません。そうではないにしても根気がいる作業です。
ジュリスト:法律家。雑誌名
全国を旅するような内容の本です。読んでいて思うことは、東北地方の人は、人生において、九州地方へ行くことはほとんどないだろう。その逆で、九州地方の人が、東北地方へ行くこともほとんどないだろう。
傑作なページがあります。
230ページあたりです。
広島県に住む女子中学生の作文です。
中学校に入学して、念願の図書委員に4人をじゃんけんで負かしてなった。
ところが、その中学校にある図書室が開かない。
毎日、開かない。
図書室が、図書室として機能していない。
(そんな学校図書室があるのかと驚いて笑ってしまいました)
図書室を開けるところから始まるのです。
図書室を開けたけれど、だれも来ない。
利用客は自分だけ。
その後、彼女はがんばります。
『図書室愛』がさく裂します。
中学3年間のことが書いてあります。
おもしろかった。
本が好きなのです。
女子中学生の言葉で、『人ってすぐ死んじゃうんだ』と書いてあります。(本当にそうです。五十代になって同窓会名簿を見たら、同級生や先輩後輩のなかで何人もの方が亡くなっていました。今学校で、教室にいるメンバー全員が超高齢者になれるまで生きていられるわけではないのです。病気や事故、事件や自然災害、そして戦争、人間のまわりには危険がいっぱいです)
『私の人生の目標は「やりたいことは全部やってから死ぬ」』と宣言してあります。すばらしい!
たいしたものです。びっくりしました。今年読んで良かった一冊です。
戦後からの書店の歴史経過があります。
戦争は、文化の範囲を狭くします。
大きな百科事典がありました。月賦払いの文学全集もありました。日本の文学とか、世界の文学とか、わたしは小学生のころ、父親に頼んで、毎月450円か500円で、『世界の文学』というシリーズの本を書店に頼んでいました。家に配達されていました。
全国共通図書券があって、2005年に図書カードができました。
大きな老舗(しにせ)の書店が倒産していきます。
電子的な情報が広がります。
「鬼滅の刃(きめつのやいば)」のことが書いてあります。
(つづく)
『第九章 本屋さんの五十年』から写真のページが始まりました。昔の写真です。空犬太郎さんとう方のお名前が書いてあります。
写真を見ながら、小学館の小学生向け雑誌を思い出しました。
雑誌には付録が付いています。
今年の夏は、『小学一年生』だったか、『小学0年生』だったか、どっちだったか思い出せませんが、孫たちは、付録で、『コンビニ店舗』と『ポケモンのボーリング』に夢中になっていました。
ボーリングのほうは、紙の手づくり程度の小さなものなのですが、それを使用したボーリングゲームでかなり盛り上がりました。
その場にいた親族5人が板の間で、紙でつくったボーリングのボールを、同じく紙でつくったポケモンのピンに向けて順番に投げて大騒ぎをして楽しみました。
なんというか、こどもというものは、超豪華な遊び道具でなくても、楽しく遊べるものなのです。
昭和30年代から40年代、50年代(1955年~1985年)ぐらいの写真です。
写真をながめながら、自分もこの写真の中の世界で暮らしていたという実感がわきます。
シュリンク:本のビニールカバー。1980年代から(昭和55年代)
CVS:コンビニエンスストアー(本屋や雑誌の販売で流通に変化が生まれた)
1975年(昭和50年)当時と現在を比較すると、15歳未満人口が1000万人ぐらい減っているそうです。本や雑誌を買ったり読んだりする少年や少女が減るわけです。
スマホで育児。スマホで本読み。(絵本は絵本のままで読んだほうがいいと思います)
345ページから『十章 本屋原論 笈入建志(おいり・けんじ)』とあります。
『本には二種類ある。すぐに役立つ本(実用書。マニュアル本)といつか役に立つかもしれない本がある』から始まります。
現代の特徴である、電子情報による情報の無料化についての記述があります。
出版の仕組みを中心にして分析は続き、本屋にとっては、利潤を得るうえで不利なことがわかります。
『本を愛する人ほど、いま世間で売れている本のみで埋め尽くされた本屋では満足できない……』とあります。ゆえに、ネットで注文するという手法になっているとわたしは考えます。
本屋を経営するためには、『見渡す力』が必要だと強調されています。同感です。『世界の縮図を目指す』と思考されています。
子どもさんを中心に考える。住んでいる身近に本屋があったほうがいい。マンガコミックに熱中するのは自然な育ちの法則です。
付録部分では、本屋の一年と本屋の一日が紹介されています。
あとがきでは、(本屋の)図鑑のような本をつくりたかったと、この本をつくった動機が語られています。
『本屋図鑑編集部』という4人のチームでつくられた本です。
わたしの実用書の読み方です。
最初に1回目の本読みがあります。
1ページずつすべてのページをゆっくりめくりながら、なにが書いてあるか見当をつけます。この本は全体で400ページあります。盛りだくさんです。
古いものを追う企画にみえます。
消えていくものです。(町の本屋)
1995年、ウィンドウズ95が発表されて以降、物の流通が大きく変化していきました。
ネットで注文、配達、電子書籍の登場です。
町の本屋がたくさんなくなりました。
憩いの場であった町の本屋です。
こちらの本に、そんな本屋の紹介が盛りだくさんです。全国47都道府県を回っておられます。
取材は、2012年(平成24年)11月から2013年(平成25年)6月の約半年間と2020年(令和2年)以降です。
9月29日金曜日午前4時、ワールドカップラグビー日本対サモア戦を見ながらこの本のページをめくり始めました。(結果は日本のぎりぎり勝利でした。サモアも強かった)(その後:10月9日朝のこと。昨夜、アルゼンチンに惜敗しました。残念。またの機会を期待しましょう)
さて、本の方は、手づくり感が満載です。
書店の姿を描いた絵がいい。絵がたくさんあります。写真より絵のほうが、つくり手の気持ちが伝わってきます。
ちびっこアイドル、ドラえもん、のび太君、しずかちゃん、スネ夫君、ジャイアンの顔も出てきます。
空間の広がりがある絵です。
全国を巡る取材力があります。
本屋巡りを理由にした旅の本でもあります。
241ページに初めて写真が出てきました。書店内のようすです。本棚の前で、店員さんがお客さんに本の説明をしています。その後何枚かの写真が登場します。味わいがあります。
消えていくもの、衰退したものとして、『炭坑』があります。わたしが中学生ぐらいまでのころに全国から次々と炭坑が消えていきました。
今の時代は、本屋が消えていく時代です。
ガソリンスタンドも減りました。石炭が否定されて、ガソリンが否定されて、産業は順番に変化していきます。
(2回目の本読み)
日本にある本屋の76店舗の記録です。
リブロ:中規模書店チェーン。その後合併して「リブロプラス」になっている。
ページの絵に、書店の陳列棚の絵があるのですが、わたしの自宅の本箱にある本や同じ作者の絵があって、うれしい気分になれました。
ろう(耳が聞こえない)の写真家斉藤陽道(さいとう・はるみち)さんとか『ヒロシマ消えたかぞく 指田和(さしだ・かず 女性) 写真・鈴木六郎 ポプラ社』とか『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え 岸見一郎 古賀史健 ダイヤモンド社』とか、ショーン・タンの世界という本があります。うちの本棚にあるのは、『アライバル ショーン・タン 河出書房新社』とか、和田誠さんの絵だと星新一作品が思い出されます。
今年は4月から9月末まで、NHKBSの再放送でじぇじぇじぇの『あまちゃん』を観ていたのですが、この本の中にある本棚の絵には『はしれさんてつ、きぼうをのせて』という本とさんてつの本が置いてあります。岩手県を走る三陸鉄道です。
本屋の紹介内容はそれほど長い文章ではありません。コンパクトにまとめられています。
起承転結にのせた文章です。ちょっと短いかなとも感じられます。情報についての物足りなさがあります。基本的に2ページで絵ものせてひとつの書店紹介です。
大学を中退して、本屋へ通うようになり、本読みに没頭して、本屋を志した書店経営者の方がおられます。こちらの本の出版社の経営者の方と似ています。
児童書の特徴として、本のサイズがさまざまであることが紹介されています。わたしは、絵本は、絵画集の面もあると思っています。
住宅地図の価格は、40年ぐらい前は今よりもずいぶん安価だった覚えがありますが、今は高価になりました。理由はわかりませんが、情報量の増加と買い手の減少があるのかもしれません。
昔は注文して配達してもらうということがよくありました。
本の販売だけでは食べていけないので、文房具やしゃれたおしゃれ雑貨の販売もする。
ちびっこたちに絵本の読み聞かせ会を定期的に開催してくれる本屋さんもあります。
名言があります。『本は過去のことも未来のことも教えてくれる……』疑似体験ができることが本読みの楽しみです。
こちらの本を読む楽しみのひとつがイラストの絵をながめることです。
本屋経営は派手(はで)ではない。
地味に息長くやっていくもの。
長い歴史をもつ本屋がいくつか出てきます。地方に多い。
できるならたくさんの本を置ける広いスペースがほしい。
配達は、『文化』を届ける。
おとなが満足するための絵本よりも、こどもが楽しむための絵本が売れてほしい。
保育園では、毎朝15分、絵本の時間がある。それ以外、いつでも自由に絵本を読んでいい。
(絵本読みは、こどもが成長してからの犯罪行為防止に役立つとわたしは思っています)
身近に本がある環境をつくる。
災害の被災地の本屋さんも訪ねます。『…… 人間が死ぬのは自然なことですよ』
人は簡単に死にます。病気、事故、事件、自然災害、最近だと戦争、人のまわりには危険がいっぱいです。
(この本の240ページあたりにそんなことが書いてあります)
本に掲載があるけれど、今現在で閉店されたお店も多い。
時流ですからなかなか流れにはさからえません。
イラストの絵はち密です。スマホで写真を撮っておいてあとから書名・作家名などを書き込んでおられるのかもしれません。そうではないにしても根気がいる作業です。
ジュリスト:法律家。雑誌名
全国を旅するような内容の本です。読んでいて思うことは、東北地方の人は、人生において、九州地方へ行くことはほとんどないだろう。その逆で、九州地方の人が、東北地方へ行くこともほとんどないだろう。
傑作なページがあります。
230ページあたりです。
広島県に住む女子中学生の作文です。
中学校に入学して、念願の図書委員に4人をじゃんけんで負かしてなった。
ところが、その中学校にある図書室が開かない。
毎日、開かない。
図書室が、図書室として機能していない。
(そんな学校図書室があるのかと驚いて笑ってしまいました)
図書室を開けるところから始まるのです。
図書室を開けたけれど、だれも来ない。
利用客は自分だけ。
その後、彼女はがんばります。
『図書室愛』がさく裂します。
中学3年間のことが書いてあります。
おもしろかった。
本が好きなのです。
女子中学生の言葉で、『人ってすぐ死んじゃうんだ』と書いてあります。(本当にそうです。五十代になって同窓会名簿を見たら、同級生や先輩後輩のなかで何人もの方が亡くなっていました。今学校で、教室にいるメンバー全員が超高齢者になれるまで生きていられるわけではないのです。病気や事故、事件や自然災害、そして戦争、人間のまわりには危険がいっぱいです)
『私の人生の目標は「やりたいことは全部やってから死ぬ」』と宣言してあります。すばらしい!
たいしたものです。びっくりしました。今年読んで良かった一冊です。
戦後からの書店の歴史経過があります。
戦争は、文化の範囲を狭くします。
大きな百科事典がありました。月賦払いの文学全集もありました。日本の文学とか、世界の文学とか、わたしは小学生のころ、父親に頼んで、毎月450円か500円で、『世界の文学』というシリーズの本を書店に頼んでいました。家に配達されていました。
全国共通図書券があって、2005年に図書カードができました。
大きな老舗(しにせ)の書店が倒産していきます。
電子的な情報が広がります。
「鬼滅の刃(きめつのやいば)」のことが書いてあります。
(つづく)
『第九章 本屋さんの五十年』から写真のページが始まりました。昔の写真です。空犬太郎さんとう方のお名前が書いてあります。
写真を見ながら、小学館の小学生向け雑誌を思い出しました。
雑誌には付録が付いています。
今年の夏は、『小学一年生』だったか、『小学0年生』だったか、どっちだったか思い出せませんが、孫たちは、付録で、『コンビニ店舗』と『ポケモンのボーリング』に夢中になっていました。
ボーリングのほうは、紙の手づくり程度の小さなものなのですが、それを使用したボーリングゲームでかなり盛り上がりました。
その場にいた親族5人が板の間で、紙でつくったボーリングのボールを、同じく紙でつくったポケモンのピンに向けて順番に投げて大騒ぎをして楽しみました。
なんというか、こどもというものは、超豪華な遊び道具でなくても、楽しく遊べるものなのです。
昭和30年代から40年代、50年代(1955年~1985年)ぐらいの写真です。
写真をながめながら、自分もこの写真の中の世界で暮らしていたという実感がわきます。
シュリンク:本のビニールカバー。1980年代から(昭和55年代)
CVS:コンビニエンスストアー(本屋や雑誌の販売で流通に変化が生まれた)
1975年(昭和50年)当時と現在を比較すると、15歳未満人口が1000万人ぐらい減っているそうです。本や雑誌を買ったり読んだりする少年や少女が減るわけです。
スマホで育児。スマホで本読み。(絵本は絵本のままで読んだほうがいいと思います)
345ページから『十章 本屋原論 笈入建志(おいり・けんじ)』とあります。
『本には二種類ある。すぐに役立つ本(実用書。マニュアル本)といつか役に立つかもしれない本がある』から始まります。
現代の特徴である、電子情報による情報の無料化についての記述があります。
出版の仕組みを中心にして分析は続き、本屋にとっては、利潤を得るうえで不利なことがわかります。
『本を愛する人ほど、いま世間で売れている本のみで埋め尽くされた本屋では満足できない……』とあります。ゆえに、ネットで注文するという手法になっているとわたしは考えます。
本屋を経営するためには、『見渡す力』が必要だと強調されています。同感です。『世界の縮図を目指す』と思考されています。
子どもさんを中心に考える。住んでいる身近に本屋があったほうがいい。マンガコミックに熱中するのは自然な育ちの法則です。
付録部分では、本屋の一年と本屋の一日が紹介されています。
あとがきでは、(本屋の)図鑑のような本をつくりたかったと、この本をつくった動機が語られています。
『本屋図鑑編集部』という4人のチームでつくられた本です。
2023年10月06日
三姉妹 韓国映画
三姉妹 韓国映画 2022年 hulu(フールー) 1時間54分
電子書籍の週刊誌を見ていて小説家の角田光代さんが推薦している映画ということで観てみました。
まず思ったのは、韓国の庶民というのは、大半がこのような苦しげな暮らしを送っているのだろうかということでした。だとしたらたいへんな思いをされています。同情というよりも理解をせねばと思いました。
自分はそこまで読み取れませんでしたが、ほかの方の感想を読んでみると、韓国人女性がかかえる悩みが表現されているようです。男尊女卑とか、男女差別、高齢者優遇思想、男性優遇思想です。男の戸主を中心とした「家制度」のようなもの。戦前、戦後まもなくの日本に似ています。
韓国の男女差別に関する本は以前2冊読みました。
『82年生まれ、キム・ジヨン チョ・ナムジュ 訳 齋藤真理子 筑摩書房』
『私たちにはことばが必要だ -フェミニストは黙らない- イ・ミンギョン著 すんみ・小山内園子 訳 タバブックス』日本にも男女格差がありますが、韓国はさらに厳しい。
こちらの映画の内容は、今は老いた父親に、アルコール依存とこどもたちへの虐待があって、両親とこどもたち、そして孫たちの家族関係が壊れていきます。
そこにキリスト教系だと思いますが宗教活動がからんできて複雑で難解です。生活が宗教にしばられています。人生における時間と労力とお金を宗教に捧げる生活は異様です。
長女 チョン・ヒスク 離婚母子。年頃の娘がいる。長女自身は、癌の宣告を受けている。謝り癖がついている。どういうわけか、別れた夫の借金を返済している。いつも人に気持ちを譲ってばかりいる。
二女 ミヨン 気が強い。三女には優しい。大学教授の夫には厳しい(夫が浮気をしているから。夫にお金の援助をたくさんしたから) 長男と長女がいる。熱心な宗教信者。聖歌隊で指揮者をしている。
三女 ミオク アルコール依存症の劇作家。脚本を書くのでしょう。ただ、映像を見た限り、あんなふうでは、劇の脚本は書けません。柄が悪い。青果会社の社長と結婚した。夫の連れ子がいる。連れ子は、高校生男子。ミオクは継母にあたる。男子の実母はいる。
三人の下に弟がいるのですが、ややこしい話です。長女と弟は、二女と三女から見ると異母姉と異母弟です。父親は、まだこどもだった異母姉と異母弟を虐待していたのです。
二女と三女は、異母姉と異母弟が父親に虐待されていた時間帯に、家を飛び出して逃げていたのです。(映像だけではわかりにくかった)
観ていていろいろ思ったことを書き並べてみます。
父親の誕生日祝いに三姉妹のファミリーが集まるという設定なのですが、父親の誕生日を祝うことってあまり聞きません。日本だと、60歳の還暦とか、長寿の年齢ならあるかもしれませんがかなり特別な時期です。韓国は年功序列がきついのかもしれません。年上の人間を敬いなさい(うやまいなさい)です。(家族に暴力を振るうような父親でも)父親は敬いなさいとか、男尊女卑とかが韓国社会の常識とされているように感じられました。
食べ物の『ホヤ』の話が何度か出てきます。わたしがソウルに行ったとき、南大門市場(なんでむんいちば)というところでホヤが売られていたことを思い出しました。ハサミでホヤを切るような覚えです。
映画では、伏線として、過去の記憶にある海辺の食堂があります。二女と三女は、なかなかその店舗名を思い出せません。
宗教二世が悩む本を読んだことがあります。そんな内容のことが、こちらの映像でも流れました。
『信仰から解放されない子どもたち #宗教2世に信教の自由を 横道誠 編・著 明石書店』『「神様」のいる家で育ちました ~宗教2世な私たち~ 菊池真理子 文藝春秋』それから、芦田 愛菜さん主演で映画になった作品として『星の子 今村夏子 朝日新聞出版』がありました。文藝春秋
こちらの映画を観ていてのことです。
食事の前にお祈りがあります。二女の娘スウン(小学校三年生ぐらい)がお祈りをしないことに二女は激怒します。(わたしが思うに、食事の前にお祈りはしなくていいと思う。母親はお祈りのことよりも、こどもさんにしっかりおいしいものをはらいっぱい食べさせてあげることを考えたほうがいい。それが母親の役割であり愛情です)
映画の前半で、家族がかかえている問題点が、どんどん提示されていきます。
だれもかれもが幸せそうには見えません。
それなのに、表面上は幸せ家族を演じている家もあります。うわべだけの家族仲良しです。体裁(ていさい。見た目)だけを整える社会生活です。
偽善者がいっぱいいます。いい人のふりをしています。
とくに二女はAIロボット(エ―アイロボット。人工知能)みたいです。宗教の教義が脳にプログラムされていて異様で異常な言動です。こういう人、じっさいにいるのかなあ。
教会には、偽りの平和があります。人間を苦しめる宗教って何だろう。あなたには、悪霊がいるから教会においでと誘われてバプテスマ(洗礼)行為(プールの中に沈む)を受けた長女です。
1万ウォン=1000円ぐらい
どうしてあんなに電話(スマホ)ばっかりするのだろう。どうして、用事の最中なのに電話に出て長話をするのだろう。一般的には電話には出ません。あとからかけます。
三女は二女に電話攻撃を続けます。三女は明らかに心の病です。正常ではありません。劇の脚本を書けるような能力があるとは思えません。なお、わたしが思うに、こういう暴れる役(あばれるやく)は、役(やく)としては案外、演じやすい。感情表現が激しいから動きを入れやすい。
二女が三女にぺこぺこする理由が途中まで理解できませんでした。ふたりは、こどものころの苦労を共有した同志なのです。異母姉と異母弟とは関係のありかたが薄いのです。
教会に「10分の1献金」:収入の10%を宗教団体に寄付するわけですな。けっこうな額です。教会の建物・水光熱費の維持費とか人件費になるのでしょう。
『父なる神よ』『主よ』(わたしにとっては、そういうものは、どちらも存在しません)
教徒は洗脳されている。(心や気持ちを意図的にコントロールされている)
伏線として、冒頭のシーンがあります。
こどもの二女と三女が夜の道を駆けています(かけています)。逃げているのです。危機を脱するために助けを求めているのです。だけど、だれも助けてくれませんでした。助けを求められたおとなたちは、こどもの声を聞き流しました。(それは、韓国社会の慣例なのだろうか。虐待する父親であっても、親は親という考え)
どうすればみんなに嫌われないの? という質問があります。
ひとつは、相手に負担をかけないことです。
もうひとつは、相手の言うことを否定しないことです。
みっつめは、相手に『ありがとう』という言える人であることです。
三女のアル中は治らないと思う。老いたときに、おむつを付けて糞尿まみれになって苦しみながら死んでいくパターンの暮らしです。内臓がぐちゃぐちゃになって、自分でうんこ・しっこのコントロールをできなくなります。
韓国というところは、大学教授のポストはお金で買うのか。(5000万ウォン 500万円ぐらい)
見ていると、女性から見て、結婚は「地獄」かなあと思ってしまいます。
最後近くは、コメディのようになってきます。笑いが生まれるのです。
暴力では解決しない。
あたりまえのことをあたりまえにやらないから壊れます。
終わり付近、三人姉妹の笑顔があります。
海辺での写真撮影です。
観ていて思ったのは、50年後、おそらく三人ともこの世にはいない。
ゆえに、これからはいい人生を過ごしてほしい。
電子書籍の週刊誌を見ていて小説家の角田光代さんが推薦している映画ということで観てみました。
まず思ったのは、韓国の庶民というのは、大半がこのような苦しげな暮らしを送っているのだろうかということでした。だとしたらたいへんな思いをされています。同情というよりも理解をせねばと思いました。
自分はそこまで読み取れませんでしたが、ほかの方の感想を読んでみると、韓国人女性がかかえる悩みが表現されているようです。男尊女卑とか、男女差別、高齢者優遇思想、男性優遇思想です。男の戸主を中心とした「家制度」のようなもの。戦前、戦後まもなくの日本に似ています。
韓国の男女差別に関する本は以前2冊読みました。
『82年生まれ、キム・ジヨン チョ・ナムジュ 訳 齋藤真理子 筑摩書房』
『私たちにはことばが必要だ -フェミニストは黙らない- イ・ミンギョン著 すんみ・小山内園子 訳 タバブックス』日本にも男女格差がありますが、韓国はさらに厳しい。
こちらの映画の内容は、今は老いた父親に、アルコール依存とこどもたちへの虐待があって、両親とこどもたち、そして孫たちの家族関係が壊れていきます。
そこにキリスト教系だと思いますが宗教活動がからんできて複雑で難解です。生活が宗教にしばられています。人生における時間と労力とお金を宗教に捧げる生活は異様です。
長女 チョン・ヒスク 離婚母子。年頃の娘がいる。長女自身は、癌の宣告を受けている。謝り癖がついている。どういうわけか、別れた夫の借金を返済している。いつも人に気持ちを譲ってばかりいる。
二女 ミヨン 気が強い。三女には優しい。大学教授の夫には厳しい(夫が浮気をしているから。夫にお金の援助をたくさんしたから) 長男と長女がいる。熱心な宗教信者。聖歌隊で指揮者をしている。
三女 ミオク アルコール依存症の劇作家。脚本を書くのでしょう。ただ、映像を見た限り、あんなふうでは、劇の脚本は書けません。柄が悪い。青果会社の社長と結婚した。夫の連れ子がいる。連れ子は、高校生男子。ミオクは継母にあたる。男子の実母はいる。
三人の下に弟がいるのですが、ややこしい話です。長女と弟は、二女と三女から見ると異母姉と異母弟です。父親は、まだこどもだった異母姉と異母弟を虐待していたのです。
二女と三女は、異母姉と異母弟が父親に虐待されていた時間帯に、家を飛び出して逃げていたのです。(映像だけではわかりにくかった)
観ていていろいろ思ったことを書き並べてみます。
父親の誕生日祝いに三姉妹のファミリーが集まるという設定なのですが、父親の誕生日を祝うことってあまり聞きません。日本だと、60歳の還暦とか、長寿の年齢ならあるかもしれませんがかなり特別な時期です。韓国は年功序列がきついのかもしれません。年上の人間を敬いなさい(うやまいなさい)です。(家族に暴力を振るうような父親でも)父親は敬いなさいとか、男尊女卑とかが韓国社会の常識とされているように感じられました。
食べ物の『ホヤ』の話が何度か出てきます。わたしがソウルに行ったとき、南大門市場(なんでむんいちば)というところでホヤが売られていたことを思い出しました。ハサミでホヤを切るような覚えです。
映画では、伏線として、過去の記憶にある海辺の食堂があります。二女と三女は、なかなかその店舗名を思い出せません。
宗教二世が悩む本を読んだことがあります。そんな内容のことが、こちらの映像でも流れました。
『信仰から解放されない子どもたち #宗教2世に信教の自由を 横道誠 編・著 明石書店』『「神様」のいる家で育ちました ~宗教2世な私たち~ 菊池真理子 文藝春秋』それから、芦田 愛菜さん主演で映画になった作品として『星の子 今村夏子 朝日新聞出版』がありました。文藝春秋
こちらの映画を観ていてのことです。
食事の前にお祈りがあります。二女の娘スウン(小学校三年生ぐらい)がお祈りをしないことに二女は激怒します。(わたしが思うに、食事の前にお祈りはしなくていいと思う。母親はお祈りのことよりも、こどもさんにしっかりおいしいものをはらいっぱい食べさせてあげることを考えたほうがいい。それが母親の役割であり愛情です)
映画の前半で、家族がかかえている問題点が、どんどん提示されていきます。
だれもかれもが幸せそうには見えません。
それなのに、表面上は幸せ家族を演じている家もあります。うわべだけの家族仲良しです。体裁(ていさい。見た目)だけを整える社会生活です。
偽善者がいっぱいいます。いい人のふりをしています。
とくに二女はAIロボット(エ―アイロボット。人工知能)みたいです。宗教の教義が脳にプログラムされていて異様で異常な言動です。こういう人、じっさいにいるのかなあ。
教会には、偽りの平和があります。人間を苦しめる宗教って何だろう。あなたには、悪霊がいるから教会においでと誘われてバプテスマ(洗礼)行為(プールの中に沈む)を受けた長女です。
1万ウォン=1000円ぐらい
どうしてあんなに電話(スマホ)ばっかりするのだろう。どうして、用事の最中なのに電話に出て長話をするのだろう。一般的には電話には出ません。あとからかけます。
三女は二女に電話攻撃を続けます。三女は明らかに心の病です。正常ではありません。劇の脚本を書けるような能力があるとは思えません。なお、わたしが思うに、こういう暴れる役(あばれるやく)は、役(やく)としては案外、演じやすい。感情表現が激しいから動きを入れやすい。
二女が三女にぺこぺこする理由が途中まで理解できませんでした。ふたりは、こどものころの苦労を共有した同志なのです。異母姉と異母弟とは関係のありかたが薄いのです。
教会に「10分の1献金」:収入の10%を宗教団体に寄付するわけですな。けっこうな額です。教会の建物・水光熱費の維持費とか人件費になるのでしょう。
『父なる神よ』『主よ』(わたしにとっては、そういうものは、どちらも存在しません)
教徒は洗脳されている。(心や気持ちを意図的にコントロールされている)
伏線として、冒頭のシーンがあります。
こどもの二女と三女が夜の道を駆けています(かけています)。逃げているのです。危機を脱するために助けを求めているのです。だけど、だれも助けてくれませんでした。助けを求められたおとなたちは、こどもの声を聞き流しました。(それは、韓国社会の慣例なのだろうか。虐待する父親であっても、親は親という考え)
どうすればみんなに嫌われないの? という質問があります。
ひとつは、相手に負担をかけないことです。
もうひとつは、相手の言うことを否定しないことです。
みっつめは、相手に『ありがとう』という言える人であることです。
三女のアル中は治らないと思う。老いたときに、おむつを付けて糞尿まみれになって苦しみながら死んでいくパターンの暮らしです。内臓がぐちゃぐちゃになって、自分でうんこ・しっこのコントロールをできなくなります。
韓国というところは、大学教授のポストはお金で買うのか。(5000万ウォン 500万円ぐらい)
見ていると、女性から見て、結婚は「地獄」かなあと思ってしまいます。
最後近くは、コメディのようになってきます。笑いが生まれるのです。
暴力では解決しない。
あたりまえのことをあたりまえにやらないから壊れます。
終わり付近、三人姉妹の笑顔があります。
海辺での写真撮影です。
観ていて思ったのは、50年後、おそらく三人ともこの世にはいない。
ゆえに、これからはいい人生を過ごしてほしい。
2023年10月05日
おやすみなさい おつきさま マーガレット・ワイズ・ブラウン
おやすみなさい おつきさま マーガレット・ワイズ・ブラウン作 クラメント・ハート絵 せた・ていじ 訳 評論社
絵は、反対色の構成です。緑と赤の反対色です。
昔懐かしいダイヤル式の黒電話機です。
この絵本は、アメリカ合衆国における1947年(日本では昭和22年)の作品で、日本では、1979年(昭和54年)に初版が出版されています。
作者は1910年生まれ(日本だと明治43年)で、1952年(昭和27年)に42歳で病気のために亡くなっておられます。
文章も絵も独特な表現です。
牝牛(めうし)が月の上を飛びこす。
三匹の熊が椅子に腰かけている。
文章の文字の色が「オレンジ色」だったりもします。
文章に圧力があります。『静かにおし!』(この言葉が伏線になって、あとでお話を引き締めます)
広い部屋に祖母と孫がいます。
ふたりは、人間ではありません。うさぎです。
まごうさぎは、ベッドで寝ています。
うとうとと、眠りに落ちるころの空想と幻想の世界が孫である、こどもうさぎの脳内にあります。
おやすみ おつきさまなのです。
あらゆるものに、神さまが宿っているというような文章の表現があります。
あるいは、あらゆるものに、命が宿っているという表現があります。
日本の神道(しんとう)のようです。八百万の神(やおよろずのかみ)です。存在するすべての物に神さまが宿っているのです。
うさぎのこどもの語りが続きます。なかなか眠りにつけないようすです。
『おやすみ だれかさん』
宗教的です。
『存在』について、考察する意味深い絵本でした。
絵は、反対色の構成です。緑と赤の反対色です。
昔懐かしいダイヤル式の黒電話機です。
この絵本は、アメリカ合衆国における1947年(日本では昭和22年)の作品で、日本では、1979年(昭和54年)に初版が出版されています。
作者は1910年生まれ(日本だと明治43年)で、1952年(昭和27年)に42歳で病気のために亡くなっておられます。
文章も絵も独特な表現です。
牝牛(めうし)が月の上を飛びこす。
三匹の熊が椅子に腰かけている。
文章の文字の色が「オレンジ色」だったりもします。
文章に圧力があります。『静かにおし!』(この言葉が伏線になって、あとでお話を引き締めます)
広い部屋に祖母と孫がいます。
ふたりは、人間ではありません。うさぎです。
まごうさぎは、ベッドで寝ています。
うとうとと、眠りに落ちるころの空想と幻想の世界が孫である、こどもうさぎの脳内にあります。
おやすみ おつきさまなのです。
あらゆるものに、神さまが宿っているというような文章の表現があります。
あるいは、あらゆるものに、命が宿っているという表現があります。
日本の神道(しんとう)のようです。八百万の神(やおよろずのかみ)です。存在するすべての物に神さまが宿っているのです。
うさぎのこどもの語りが続きます。なかなか眠りにつけないようすです。
『おやすみ だれかさん』
宗教的です。
『存在』について、考察する意味深い絵本でした。