2023年10月25日

オアシス 韓国映画 2002年

オアシス 韓国映画 2002年 Hulu(フールー)

 電子書籍の週刊誌で、いい映画だと紹介されていたので観てみました。
 なかなか良かった。

 若い脳性まひの障害者女性と刑務所を出所して来た前科三犯(さんぱん)の若者との恋愛話でした。
 標準からはずれたふたりです。いろいろもめます。

 オアシスというのは、障害者女性の部屋にかかっているタペストリー(布絵)のタイトルです。
 インドの景色です。ゾウがいて、インド人の少年がいて、頭にかごをのせたインド人若い女性が描かれています。
 オアシスですから、砂漠の水場でしょう。ほっと一息できる場所という意味合いをもった映画なのでしょう。

 韓国の風景は日本に似ています。とくに地下鉄であろうプラットホームの風景は、名古屋の鶴舞線とか名城線、桜通線(さくらどおりせん)のホームに似ていました。

 ロケ地は、貧しい公営集合住宅のような光景ですが、日本にも似た景色があります。

 刑務所から出てきたばかりで、バスから降りてきた主人公若者男性の姿からは、高倉健さんの『幸せの黄色いハンカチ』のシーンが思い出されました。
 二十年前ぐらいの撮影ロケです。最近は、コインを入れる公衆電話は日本も韓国も減ったことでしょう。
 
 男は、刑務所から出所してきてさっそく弟に迷惑をかけます。東野圭吾作品『手紙』が思い出されます。
 こちらの映画では、元服役囚の親族がたくさん出てきます。
 弟『オレの人生をじゃましないでくれ』
 別の家族の女性『あなたがいないときは安心して暮らせたわ』
 
 28歳である主人公若者男性の言動を観ていると、生まれたところからやりなおしたほうがいいとすら思えます。かなりひどい。まずは絵本の読み聞かせからスタートです。読み書きができてから計算と、人間形成の順番があります。
 主人公には、母がいて、兄がいて、兄嫁がいて、弟がいます。
 主人公は、家族から拒否されます。
 兄の言葉『おまえも大人になれ! 好き勝手に生きてはだめだ。(自分の)行動に責任をもって、社会に適応しろ』(観ていて同感です)
 主人公は、人の話をききません。自分の言いたいことだけ言います。こどもです。いつも体を揺らして、貧乏ゆすりをしているろくでなしです。

 いっぽう脳性麻痺障害者女性も親族から疎外(そがい。のけもの)にされています。ひとりだけ老朽化した集合住宅の部屋をあてがわれて生活しています。
 実は不正があります。障害者福祉の施策を悪用して、親族はきれいで立派な障害者のための住宅で暮らしています。
 役所の人が来て、現場確認の調査があるときだけ、障害者の女性をボロ家から立派な障害者向けの家に連れてきます。
 女性は脳性麻痺の障害者で言葉をうまく発音できません。顔はゆがんでいます。手も曲がっています。
 いつもいるボロい部屋では、お隣の夫婦が障害者の身内からお金(月2万円ぐらい)をもらって、食事を障害者に与えています。
 この件だけではなく、ほかにも不正があります。後半に、どんでん返しです。信頼関係が崩れます。いい人だと思っていた人は、本当は、悪人なのです。実は、主人公の若者男性は善人なのです。

 脳性麻痺の障害者を演じる女優さんは熱演です。ほんとうは、美人ですが、みにくくなるように終始、顔をゆがめています。
 刑務所出所の男性は、だらしない役ですが、男優さんはいい役をもらいました。女優さんは障害者の役を演じているのですが、男優さんも障害者に見えます。男優さんの役も知的にボーダーラインではなかろうか。(たとえば知能指数が、100が普通なら80ぐらいとか)

 女優さんの演技を観ていて思い出した本があります。見た目は障害者でも脳内は健常者なのです。
 『跳びはねる思考 東田直樹 イースト・プレス』常識の枠を破って、世界観が広がる本です。会話ができない自閉症である著者が自らは意識をもっていることを証明しています。その知能レベルは高い。22歳同年齢の健常者以上です。奇跡を感じます。驚きました。
 
 もうひとつイタリア映画『道 フェデリコ・フェリーニ作品』も思い出しました。
 第二次世界大戦で敗戦国となったイタリア国は戦争を仕掛けた侵略国でもあります。当時のイタリア国民の立場になってみないと惨めな気持は理解できません。どん底の貧困暮らしがあります。知的障害があるジェルソミーナを旅芸人の親方であるザンパノに1万リラで売った母親は、ママという悪魔です。

 社会から捨てられたふたりです。ふたりは、男と女です。恋愛感情はあります。
 じょうずにつくってあります。話も映像もじょうずにつくってあります。
 (映画は、加工されているということを暗示しているシーンがあります。映像とストーリーと俳優の技量で観ている人の感情を揺り動かす)
 
 障害者女性と付き合いたい動機:女性に気があって、付き合いたいと思った。(好きだと思ったから)

 こんなふうでも(ふたりとも)、生きていかなければならない。
 (貧困の中に真実があるという背景だろうか)
 喜劇的な部分もあります。
 
 障害者女性は、電話はできる。
 『聞きたいことがあって電話しました』
 女性を『姫』と呼び、男性を『将軍』と呼び合う。
 今の障害の状態でも、あなたを気に入ったという若者の返答です。『(あなたは)可愛い(かわいい)』

 アメリカ映画『カッコーの巣の上で』
 精神病院入院病棟が扱われています。みんなで魚釣りに行くあたりが心温まる喜劇で笑えました。こちらの『オアシス』では、若者が障害者女性を車いすに乗せて食事に出かけます。行った先で、まあ、周囲から拒否されます。
 偽善者の健常者がいっぱいいます。
 フランス映画も思い出しました。『最強のふたり』パラグライダー事故で首から下の神経を失った車椅子の大富豪フィリップと親族関係に恵まれず貧民街で育った黒人男性ドリスとの心あたたまる喜劇でした。

 こちらの『オアシス』を観終わって、2時間ぐらいがたって、ようやく、若者のラストシーンあたりの異常な行動の理由がわかりました。(彼女の住居の横にある木に登って、のこぎりで枝を1本ずつ切り落としていくのです。木の下には警察や近所の人たちが集まっています)
 障害者の彼女が、木の枝の影が、部屋の中の壁で揺れて、怖がっていたのです。(こわがっていたのです)
 『(オアシスの絵にかぶさる)木の枝の影が怖い(こわい)』影について、さらに深い意味があるのかもしれません。

 映画は、1時間12分を経過したあたりから不思議な映像が出始めます。不思議ですが、『楽しい』。
 若者は、気持ちが、『純』です。どんな状態・状況にあっても、人生を楽しもうという前向きな意欲が表現されています。
 妄想・幻想の世界ではあります。
 マニュアル化された標準の世界ではなくて、自分の脳みその中にある素直な感情を優先させて生きていることを楽しむ。

 宗教でいうところの『ムチの時間』のようなシーンが出てきます。韓国の人は宗教にしばられた生活をみな送っているのだろうか。牧師も何度か出てきました。
 韓国では、標準ではないものを除外したいという意識が人にあるのだろうか。いろいろ考えさせられます。

 うわべだけが整った親族の誕生日会です。母親の誕生日を祝います。
 善人の顔をしている人たちは不正をしている。若者は考えが足りないところを利用されて、善人の顔をしている人が行う不正のために利用されている。
 
 不思議な展開です。自由自在です。

 内容は暗くとも、人生を楽しむという前向きな映画でした。