2023年10月24日
神様 川上弘美
神様 川上弘美 中公文庫
短編9本です。
最初の作品『神様』を読み終えて変な感じです。
登場人物が人間ではないのです。
『くま』と書いてあります。最初男性かと思ったら、最後まで『くま(熊)』なのです。なんだろう。
そのような表現を使った目的をさぐるための読書です。あとの作品も同様のパターンでしょう。
単行本は、1998年(平成10年)の発行です。
『神様』
高層集合住宅の305号室に引っ越してきたのが『くま』です。最初は人間の男性と思われましたが、その後の記述を見ると動物の熊なのです。熊ですが、人間のようにしゃべります。
語り手は、305号室からみっつ隣の部屋といいますから、302号室か308号室の女性らしき人物がくまとお近づきになり、ふたりで近所の川辺を散歩します。
鴫(しぎ):野鳥。渡り鳥
くま:雄(オス)の成熟したくまで、からだがとても大きい。引っ越してきて、ご近所あいさつで、お蕎麦(そば)とはがきを10枚ずつ配った。
詩的です。くまは、人間ではない。熊でしょう。(もう一歩踏み込んで、神様の化身です)
偶然ですが、この本を読む前に読み終えた本が、『クマにあったらどうするか アイヌ民族最後の狩人 姉崎等 聞き書き・片山龍峯(かたやま・たつみね) 筑摩書房』でした。北海道居住のクマ撃ち猟師の人からのインタビュー内容をまとめた本でした。こちらの短編小説で「くま」が登場して、読書の縁を感じました。
邪気(じゃき):素直。悪気がない。
なんとも不思議な小説です。
『くま』は、神様なのです。
さきほど書いた『クマにあったらどうするか アイヌ民族最後の狩人 姉崎等 聞き書き・片山龍峯(かたやま・たつみね) 筑摩書房』では、クマは神様で、『アイヌ人にとって、ヒグマはキムンカムイ(山の神)として敬う(うやまう)存在である。』と書いてありました。
『夏休み』
梨の木のあるところに、白い毛が生えているかたまりの生き物が三匹いるという話です。
夏休みのアルバイトで、女子が原田さんという人の梨園(なしえん)で、梨の実をもぎとる作業をしています。
三体の生き物はいてもいいのです。いるのがあたりまえのように農園経営者の原田さんが言います。
そのうちの二体は良く動き、残る一体は、ひっこみじあんなのです。
(なんのこっちゃいな?)
三体の生き物の好物は梨の果実です。原田さんは、売り物にならない地面に落ちて傷んだ(いたんだ)梨を三匹の白い生き物たちに食べさせます。
アルバイト女子は、元気がない一体の生き物に気持ちをそそぐのです。弱きものの味方という気分です。
瘤:こぶ
三体はやがて瘤になりました。梨の木の白い瘤(こぶ)になったそうです。(木の盛り上がった部分)
そして、アルバイト女子は、その瘤に吸い込まれそうになったのです。
民話『かぐや姫』のようでもある。あるいは、自殺企図者の心理のようでもある。
『花野』
花野とは。はなの。花が咲き乱れている野原のこと。
かるかや:刈萱。山野に自生するイネ科の植物
5年前に交通事故で死んだ叔父が花野に立っていた。(もしかして、叔父を見ている人も死んでいるのか?)
叔父のひとり娘が、華子です。35歳です。
叔父の妻が、万里子です。
ネコのクロは15歳で死んだ。
係累:けいるい。親、妻子など。めんどうをみなければならない家族
叔父はときおりこの世によみがえるらしい。
結婚していない語り手のことを心配しています。(叔父の娘の華子も未婚です)
叔父は、人生に秩序がないと嘆いています。
叔父は、生き還りたい(いきかえりたい)。
相撲観戦と政治に関心がある叔父です。
現生に出てくるときのシーンの(場所)は、いつも花野です。
2年ぶりに花野での再会があります。
深紅(しんく)の彼岸花が咲いています。(ヒガンバナ)
今回が最後だそうです。
ふたりの最後の午餐(ごさん)です。(昼ごはん)。あわび、海鼠(ナマコ)、葛切り(くずきり)、ざくろ、そら豆。
う~む。信仰小説のようです。
わたしは、錯覚だと思う。
『河童玉』
尻子玉:しりこだま。かっぱが好んで引き抜くとされた肛門のところにある玉
河童(かっぱ)の話でしたが、作者のいいたいことがわかりませんでした。自分の読解力がないとも思えないのですが、しかたがありません。
語り手と失恋の病があるウテナという女性がお寺さんに精進料理を食べに行ったら、お酒に酔ってうとうとしてしまった。そこへ、お庭の池から河童が出てきて、自分の相談にのってほしいと乞われ(こわれ)、ふたりはカッパの世界へ招待された。
河童がいうには、最近、300年間付き合っている恋人かっぱとうまくエッチができないから、なにかアドバイスをしてくれとのこと。どうも男河童が不能になっているらしい。そんな流れでした。『天然の力』がうまく働かないと表現があります。
愛恋の相談:あいれんの相談。愛して恋こがれることの相談
閨(ねや):寝室での夫婦仲のこと。
胡瓜:キュウリ
ウテナの河童に対するアドバイスは、『ダメなときはダメ』というものでした。『あきらめなさい』です。
河童の恋人女性いわく:河童玉をためしたがだめだった。
河童玉:河童界に伝わる聖石(せいせき。ひじりいし)。直径三尺(約90cmから100cm)の丸い石。石の上に座ると病が治る。
ウテナと語り手も河童石に座ってみました。
河童の元気は回復しませんでしたが、ウテナの失恋の病は治ったそうな。
『クリスマス』
ふーむ。「アラジンと魔法のランプ」みたいなお話です。
前作河童の話で出てきたウテナが、語り手であるたぶん女性に日曜青空市で買った壺を預けたのです。その壺をこすると女性が出てくるのです。
螺鈿:らでん。貝の内側を加工して、その貝を漆器の内側に貼り付けたもの。
ウテナにしても、語り手にしても、幽霊か妖精のようです。
ベンケイソウ:赤やピンクの花を咲かせる草
布巾:ふきん
『ご主人さまあ』と言いながら、壺から若い小柄な女性が出てくる。名前を『コスミスミコ』という。
なんだか、こども向けマンガの「すみっコぐらし」みたいです。
季節は12月、冷蔵庫から食材がなくなります。(食材を盗んだ犯人は、コスミスミコです)
コスミスミコは、『はいい』と答えます。なんだか、お笑いタレントのやす子さんみたいです。
コスミスミコは美形です。ゆえに男が寄ってきます。
でも、コスミスミコは、痴情のもつれで命を落としたらしい。
なんだかんだとありまして、語り手とコスミスミコでクリスマスイブの夜に繰り出すのです。深酒をして、ぐでんぐでんに酔っ払います。
シェア:料理を複数で分ける。分配する。
なんというか、失恋した若い女性の妄想だと受け取りました。
『星の光は昔の光』
えび男:首がえびのように曲がっている。うなじが、細くて白い。高校生ぐらいに思えます。400mトラックを走っているときに、『ぼくだけが動いていない』という感覚をもっている。えび男は、304号室に住んでいる。語り手の隣の隣の部屋である。
この短編集の最初に出てきたくまは、305号室に住んでいる。父母と3人で住んでいる。
えび男は、曇りの日に饒舌(じょうぜつ。おしゃべり)になる。えび男は内向的な性格である。えびは、ハンバーグが好きだ。
『ニンゲンフシン』という言葉が何度か出てきます。えび男の母親は、ニンゲンフシンだそうです。
えび男がつくった『箱庭』がある。牛三頭、子豚一匹がいる。すすきの穂と椿の枝がある。
(この本は、文学作品として評価が高い作品群です。されどわたしは、ここまで読んできて、理解ができないので、ほかの方の書評を拾ってみました。得体のしれない生き物たちは、『感情』なのだそうです。そうか、そう考えるとわかるような気がします)
リゲル:オリオン座にある星
星の光は昔の光:文章中に明記はありませんが、昔、科学雑誌で、星の光は、かなり時間をかけた光年を隔てて地球に届くので、地球に届いたときの星の光は、ずいぶん昔の光であるという解説を読んだことを思い出しました。
『むかしのひかりいまいずこ』は、滝廉太郎の『荒城の月』からきているのでしょう。
『春立つ』
立春でしょう。2月の初めです。2月4日が多い。
『猫屋』という居酒屋がある。猫が6匹いる。店主の女性の名前は、『カナエ』という。カナエは客に、日本酒よりも焼酎(しょうちゅう)を勧めてくる。
ヤツガシラ:里芋の一種
カナエはどこかわからないけれど、斜面をどんどん落ちて行って、落ちた先で男と暮らす。男はそのうちいなくなる。
現れては、いなくなるものを表現してある作品群です。
狎れた鬼:なれたおに。親しくなりすぎて礼儀を失する。
琴線(きんせん):人の心の奥に秘められた真情(しんじょう。偽らない心(いつわらないこころ))
雪が降る地方から、雪が降らない地方へ引っ越してきて、再び雪の降る地方へ引っ越していく。
ここまで読んできて思ったことです。
『継続できないもの』のはかなさ、ひ弱さが表現してあります。(わたしにとっては、望まない生き方です。継続こそが自分の信条に従った生き方です)
『離さない』
人魚の話です。
出てくるものが、『感情』という考察があったのですが、すべてがそうとも思えません。『夢』ともいえます。『空想遊び』の文章作品群ではなかろうか。
エノモトという人が、南方の海で人間の体の三分の一ぐらいの体格の人魚をつかまえてきて、自宅の浴槽で生かしています。エサは鯵(あじ)です。
エノモトの部屋番が、402号ですから、真下に住むという語り手の部屋番は第一話の話から考えて、302号でしょう。
人魚ではありませんが、わたしが若かった頃、公営集合住宅の浴槽で、太刀魚(たちうお。ひらべったくて細長い)を泳がせていた中国人の年配女性がいました。びっくりしました。中国人女性自身が食べたり、訪ねてきた人にプレゼントしたりするのです。公営住宅のお風呂が生け簀(いけす)になっていました。(外国の人は浴槽に入浴せずシャワーですます習慣があるようです)
この短編を読んでいて思い出しました。
なんというか、エノモトも、語り手も、人魚にとりつかれてしまうのです。人魚のそばから離れることが困難になります。
ふたりとも気が狂いそうになります。
桜の花びらが飛び交い(かい)ます。
奇怪な(きっかい)小説です。
読み手のわたしにとっては、具体性がありません。
『草上の昼食(そうじょうのちゅうしょく)』
そんなタイトルのヨーロッパ絵画があったような気がします。
マネの絵画です。すっぱだかの女の人が、ピクニックの林の中でこっちを向いているのです。ランチタイムです。男の人たちは服を着ています。
さて、こちらの短編です。
のんびりした雰囲気があります。
最初のお話で登場した、『くま』が故郷に帰るそうです。
しおどきだそうです。
語り手と、得体のしれない生き物は一体という形で表現してあるとして、次の段階を理解するためには、再読するのがいいのでしょう。(当分その気にはなれそうもありませんが……)
くまと語り手のお別れです。
『熊の神様』とあります。どうして、そこだけ漢字の熊なのだろう。なにか意味があるはずです。
熊の神さまは熊に似たもの。人の神様は人に似たもの。(わかったような、わからぬような)
(あとがきから)
作品『神様』は、作者が子育て中に2時間で書き上げた作品だそうです。1998年(平成10年)の日付になっています。
(絵本作家佐野洋子さんの解説から)
夢の中のものに関する記述で、夢の中だから肉体がないとあります。
佐野洋子さんもお亡くなりになってしまいました。(2010年(平成22年)72歳没)
形あるものはやがて消えていき、形なきものになるのです。この短編集と重なる感情情景があります。
短編9本です。
最初の作品『神様』を読み終えて変な感じです。
登場人物が人間ではないのです。
『くま』と書いてあります。最初男性かと思ったら、最後まで『くま(熊)』なのです。なんだろう。
そのような表現を使った目的をさぐるための読書です。あとの作品も同様のパターンでしょう。
単行本は、1998年(平成10年)の発行です。
『神様』
高層集合住宅の305号室に引っ越してきたのが『くま』です。最初は人間の男性と思われましたが、その後の記述を見ると動物の熊なのです。熊ですが、人間のようにしゃべります。
語り手は、305号室からみっつ隣の部屋といいますから、302号室か308号室の女性らしき人物がくまとお近づきになり、ふたりで近所の川辺を散歩します。
鴫(しぎ):野鳥。渡り鳥
くま:雄(オス)の成熟したくまで、からだがとても大きい。引っ越してきて、ご近所あいさつで、お蕎麦(そば)とはがきを10枚ずつ配った。
詩的です。くまは、人間ではない。熊でしょう。(もう一歩踏み込んで、神様の化身です)
偶然ですが、この本を読む前に読み終えた本が、『クマにあったらどうするか アイヌ民族最後の狩人 姉崎等 聞き書き・片山龍峯(かたやま・たつみね) 筑摩書房』でした。北海道居住のクマ撃ち猟師の人からのインタビュー内容をまとめた本でした。こちらの短編小説で「くま」が登場して、読書の縁を感じました。
邪気(じゃき):素直。悪気がない。
なんとも不思議な小説です。
『くま』は、神様なのです。
さきほど書いた『クマにあったらどうするか アイヌ民族最後の狩人 姉崎等 聞き書き・片山龍峯(かたやま・たつみね) 筑摩書房』では、クマは神様で、『アイヌ人にとって、ヒグマはキムンカムイ(山の神)として敬う(うやまう)存在である。』と書いてありました。
『夏休み』
梨の木のあるところに、白い毛が生えているかたまりの生き物が三匹いるという話です。
夏休みのアルバイトで、女子が原田さんという人の梨園(なしえん)で、梨の実をもぎとる作業をしています。
三体の生き物はいてもいいのです。いるのがあたりまえのように農園経営者の原田さんが言います。
そのうちの二体は良く動き、残る一体は、ひっこみじあんなのです。
(なんのこっちゃいな?)
三体の生き物の好物は梨の果実です。原田さんは、売り物にならない地面に落ちて傷んだ(いたんだ)梨を三匹の白い生き物たちに食べさせます。
アルバイト女子は、元気がない一体の生き物に気持ちをそそぐのです。弱きものの味方という気分です。
瘤:こぶ
三体はやがて瘤になりました。梨の木の白い瘤(こぶ)になったそうです。(木の盛り上がった部分)
そして、アルバイト女子は、その瘤に吸い込まれそうになったのです。
民話『かぐや姫』のようでもある。あるいは、自殺企図者の心理のようでもある。
『花野』
花野とは。はなの。花が咲き乱れている野原のこと。
かるかや:刈萱。山野に自生するイネ科の植物
5年前に交通事故で死んだ叔父が花野に立っていた。(もしかして、叔父を見ている人も死んでいるのか?)
叔父のひとり娘が、華子です。35歳です。
叔父の妻が、万里子です。
ネコのクロは15歳で死んだ。
係累:けいるい。親、妻子など。めんどうをみなければならない家族
叔父はときおりこの世によみがえるらしい。
結婚していない語り手のことを心配しています。(叔父の娘の華子も未婚です)
叔父は、人生に秩序がないと嘆いています。
叔父は、生き還りたい(いきかえりたい)。
相撲観戦と政治に関心がある叔父です。
現生に出てくるときのシーンの(場所)は、いつも花野です。
2年ぶりに花野での再会があります。
深紅(しんく)の彼岸花が咲いています。(ヒガンバナ)
今回が最後だそうです。
ふたりの最後の午餐(ごさん)です。(昼ごはん)。あわび、海鼠(ナマコ)、葛切り(くずきり)、ざくろ、そら豆。
う~む。信仰小説のようです。
わたしは、錯覚だと思う。
『河童玉』
尻子玉:しりこだま。かっぱが好んで引き抜くとされた肛門のところにある玉
河童(かっぱ)の話でしたが、作者のいいたいことがわかりませんでした。自分の読解力がないとも思えないのですが、しかたがありません。
語り手と失恋の病があるウテナという女性がお寺さんに精進料理を食べに行ったら、お酒に酔ってうとうとしてしまった。そこへ、お庭の池から河童が出てきて、自分の相談にのってほしいと乞われ(こわれ)、ふたりはカッパの世界へ招待された。
河童がいうには、最近、300年間付き合っている恋人かっぱとうまくエッチができないから、なにかアドバイスをしてくれとのこと。どうも男河童が不能になっているらしい。そんな流れでした。『天然の力』がうまく働かないと表現があります。
愛恋の相談:あいれんの相談。愛して恋こがれることの相談
閨(ねや):寝室での夫婦仲のこと。
胡瓜:キュウリ
ウテナの河童に対するアドバイスは、『ダメなときはダメ』というものでした。『あきらめなさい』です。
河童の恋人女性いわく:河童玉をためしたがだめだった。
河童玉:河童界に伝わる聖石(せいせき。ひじりいし)。直径三尺(約90cmから100cm)の丸い石。石の上に座ると病が治る。
ウテナと語り手も河童石に座ってみました。
河童の元気は回復しませんでしたが、ウテナの失恋の病は治ったそうな。
『クリスマス』
ふーむ。「アラジンと魔法のランプ」みたいなお話です。
前作河童の話で出てきたウテナが、語り手であるたぶん女性に日曜青空市で買った壺を預けたのです。その壺をこすると女性が出てくるのです。
螺鈿:らでん。貝の内側を加工して、その貝を漆器の内側に貼り付けたもの。
ウテナにしても、語り手にしても、幽霊か妖精のようです。
ベンケイソウ:赤やピンクの花を咲かせる草
布巾:ふきん
『ご主人さまあ』と言いながら、壺から若い小柄な女性が出てくる。名前を『コスミスミコ』という。
なんだか、こども向けマンガの「すみっコぐらし」みたいです。
季節は12月、冷蔵庫から食材がなくなります。(食材を盗んだ犯人は、コスミスミコです)
コスミスミコは、『はいい』と答えます。なんだか、お笑いタレントのやす子さんみたいです。
コスミスミコは美形です。ゆえに男が寄ってきます。
でも、コスミスミコは、痴情のもつれで命を落としたらしい。
なんだかんだとありまして、語り手とコスミスミコでクリスマスイブの夜に繰り出すのです。深酒をして、ぐでんぐでんに酔っ払います。
シェア:料理を複数で分ける。分配する。
なんというか、失恋した若い女性の妄想だと受け取りました。
『星の光は昔の光』
えび男:首がえびのように曲がっている。うなじが、細くて白い。高校生ぐらいに思えます。400mトラックを走っているときに、『ぼくだけが動いていない』という感覚をもっている。えび男は、304号室に住んでいる。語り手の隣の隣の部屋である。
この短編集の最初に出てきたくまは、305号室に住んでいる。父母と3人で住んでいる。
えび男は、曇りの日に饒舌(じょうぜつ。おしゃべり)になる。えび男は内向的な性格である。えびは、ハンバーグが好きだ。
『ニンゲンフシン』という言葉が何度か出てきます。えび男の母親は、ニンゲンフシンだそうです。
えび男がつくった『箱庭』がある。牛三頭、子豚一匹がいる。すすきの穂と椿の枝がある。
(この本は、文学作品として評価が高い作品群です。されどわたしは、ここまで読んできて、理解ができないので、ほかの方の書評を拾ってみました。得体のしれない生き物たちは、『感情』なのだそうです。そうか、そう考えるとわかるような気がします)
リゲル:オリオン座にある星
星の光は昔の光:文章中に明記はありませんが、昔、科学雑誌で、星の光は、かなり時間をかけた光年を隔てて地球に届くので、地球に届いたときの星の光は、ずいぶん昔の光であるという解説を読んだことを思い出しました。
『むかしのひかりいまいずこ』は、滝廉太郎の『荒城の月』からきているのでしょう。
『春立つ』
立春でしょう。2月の初めです。2月4日が多い。
『猫屋』という居酒屋がある。猫が6匹いる。店主の女性の名前は、『カナエ』という。カナエは客に、日本酒よりも焼酎(しょうちゅう)を勧めてくる。
ヤツガシラ:里芋の一種
カナエはどこかわからないけれど、斜面をどんどん落ちて行って、落ちた先で男と暮らす。男はそのうちいなくなる。
現れては、いなくなるものを表現してある作品群です。
狎れた鬼:なれたおに。親しくなりすぎて礼儀を失する。
琴線(きんせん):人の心の奥に秘められた真情(しんじょう。偽らない心(いつわらないこころ))
雪が降る地方から、雪が降らない地方へ引っ越してきて、再び雪の降る地方へ引っ越していく。
ここまで読んできて思ったことです。
『継続できないもの』のはかなさ、ひ弱さが表現してあります。(わたしにとっては、望まない生き方です。継続こそが自分の信条に従った生き方です)
『離さない』
人魚の話です。
出てくるものが、『感情』という考察があったのですが、すべてがそうとも思えません。『夢』ともいえます。『空想遊び』の文章作品群ではなかろうか。
エノモトという人が、南方の海で人間の体の三分の一ぐらいの体格の人魚をつかまえてきて、自宅の浴槽で生かしています。エサは鯵(あじ)です。
エノモトの部屋番が、402号ですから、真下に住むという語り手の部屋番は第一話の話から考えて、302号でしょう。
人魚ではありませんが、わたしが若かった頃、公営集合住宅の浴槽で、太刀魚(たちうお。ひらべったくて細長い)を泳がせていた中国人の年配女性がいました。びっくりしました。中国人女性自身が食べたり、訪ねてきた人にプレゼントしたりするのです。公営住宅のお風呂が生け簀(いけす)になっていました。(外国の人は浴槽に入浴せずシャワーですます習慣があるようです)
この短編を読んでいて思い出しました。
なんというか、エノモトも、語り手も、人魚にとりつかれてしまうのです。人魚のそばから離れることが困難になります。
ふたりとも気が狂いそうになります。
桜の花びらが飛び交い(かい)ます。
奇怪な(きっかい)小説です。
読み手のわたしにとっては、具体性がありません。
『草上の昼食(そうじょうのちゅうしょく)』
そんなタイトルのヨーロッパ絵画があったような気がします。
マネの絵画です。すっぱだかの女の人が、ピクニックの林の中でこっちを向いているのです。ランチタイムです。男の人たちは服を着ています。
さて、こちらの短編です。
のんびりした雰囲気があります。
最初のお話で登場した、『くま』が故郷に帰るそうです。
しおどきだそうです。
語り手と、得体のしれない生き物は一体という形で表現してあるとして、次の段階を理解するためには、再読するのがいいのでしょう。(当分その気にはなれそうもありませんが……)
くまと語り手のお別れです。
『熊の神様』とあります。どうして、そこだけ漢字の熊なのだろう。なにか意味があるはずです。
熊の神さまは熊に似たもの。人の神様は人に似たもの。(わかったような、わからぬような)
(あとがきから)
作品『神様』は、作者が子育て中に2時間で書き上げた作品だそうです。1998年(平成10年)の日付になっています。
(絵本作家佐野洋子さんの解説から)
夢の中のものに関する記述で、夢の中だから肉体がないとあります。
佐野洋子さんもお亡くなりになってしまいました。(2010年(平成22年)72歳没)
形あるものはやがて消えていき、形なきものになるのです。この短編集と重なる感情情景があります。