2023年10月13日

クマにあったらどうするか 姉崎等 聞き書き・片山龍峯

クマにあったらどうするか アイヌ民族最後の狩人 姉崎等 聞き書き・片山龍峯(かたやま・たつみね) 筑摩書房

 なにかの記事でいい本だと紹介があり、取り寄せたのですが、勘違いして既読本の本棚に置きっぱなしになっていたのを、部屋の片付けをしていて気づき、そそくさと読んでみました。
 (家には本がたくさんあるので、孫には図書館みたいだと言われています。この先、老化であまり出歩くことができない体になったら、毎日、本の再読を楽しみにしようと思っています)

 本をつくったおふたりはすでに亡くなっています。
 こちらは文庫本ですが、単行本は、2002年(平成14年)に発行されています。

 クマを捕らえる北海道で猟師をしている姉崎等さんという方の語りを、片山龍峯さんが書き取りをしています。
 姉崎等さんは、クマの毛皮を収入とするために猟師の道に入られています。
 本のはじめの部分を読むと、近年(1990年)、ヒグマを保護するために、春のヒグマ猟は禁止されています。

 2023年(令和5年)の今は、熊が人里まで降りてきて、人間にとっての脅威となっています。
 原因はクマの食べ物の減少で、人間の生活が山奥へと広がるにつれて、野生動物は住む場所を失っています。

 話ははずれますが、私の筆名である『熊太郎』は、私が高校生のときに決めたものです。もう半世紀ぐらい前のことです。長らく、苗字は付けませんでした。大きくて強いものにあこがれていました。
 それが私にとっては、『熊』でした。その後ずいぶんたってから『進藤』という苗字を付けました。前向きな姿勢でいたかったからです。

 さて本の方です。
 姉崎さん:アイヌ民族最後のクマ撃ち猟師だそうです。
 ヒグマを『カムイ』と言う。カムイ=神さま
 昔「カムイ伝」というマンガがあった記憶です。
 
 姉崎さんの言葉として、『クマは自分の師匠だと本気で思っています』
 クマの足跡を追ううちに、クマが考えていることがわかるようになった。クマから教えられることがたくさんあったそうです。
 クマは山を合理的に歩くそうです。
 人間は山の頂上をめざして歩く。クマは、頂上は目指さない。クマは山の7合目あたりから次の山に移動する。楽な移動ができる。
 人間は岩場を登るときにピッケルを使う。(小型のつるはし)
 クマは岩場を登るときに自身の爪を使う。

 ふと思ったことです。
 銃でクマを撃ちとったあと、クマをどうやって運ぶのだろう。姉崎さんには人間の相棒がいないそうです。(相棒は、狩猟犬であるアイヌ犬だそうです)
 
 クマが食べているものは、人間が食べてもだいじょうぶ。

 繰り返しになりますが、この本は、2002年(平成14年)に単行本が発行されています。もう20年ぐらい前です。クマ猟の内容は1990年ぐらいまでのヒグマ猟のやりかたのことで、戦前、戦後から続いて、今から30年ぐらい前の出来事です。

 姉崎等さんのことです。1923年(大正12年)7月1日北海道鵡川村(むかわむら。現在むかわ町、恐竜で有名。むかわ竜。苫小牧市(とまこまいし)の東)生まれ。(今から100年ぐらい前にお生まれの方です)。3歳の時に千歳(ちとせ)に移る。
 父親は、福島から来て屯田兵(とんでんへい。明治時代に北海道の警備と開拓にあたった兵隊。1904年に廃止(明治37年))をしていた。
 父は亡先妻との間に女の子が4人できて、うち2人は親戚に預けられ、残り2人が父親についてきた。
 父親は炭焼きをしていた。大雨の自然災害にあい、倒産した。8歳のときに蘭越(らんこし。蘭越町)にあるアイヌ民族の集落に移った。(先日、出川哲朗の充電させてもらえませんかでニセコあたりの映像が映ったのですが、そのあたりです)。
 父親の後妻である姉崎さんの母親がアイヌ民族だったそうです。
 姉崎さんが12歳のときに、父親が72歳で死去した。
 父親の後妻の母親(自分の実親)と自分、異母妹2人の4人家族で、ご本人は学校にはあまり行かなかった。12歳という年齢のときから働いていた。狩猟少年だった。
 釣った魚を旅館に売りに行っていた。
 川魚のヤマメ、イタチ・野ウサギ猟をした。罠を仕掛けて捕らえた。自然が豊かだったのでたくさんとれた。ほかにシイタケがとれた。発電所の人が買ってくれた。
 (思えば昔は、義務教育期間だからといってこどもが働かないということはありませんでした。とくに農家のこどもは稲作作業で働いていました)

 姉崎さんはこどものころから働き続けて、17歳で自分たち家族が住むための家を建てています。知り合いを頼って家の建築をした。お金がない分は、相手の家に行って農業を手伝い、労働で対価を支払った。

 札幌で彫刻の仕事をした。(この時代にみやげ物としてかなりの収益を得ることができたそうです)
 姉崎さんは、酒もたばこもやらなかったのでお金が貯まったということはあります。お金がないという人の話を聞くと、たいてい、大酒飲みだったり、ヘビースモーカーだったりします。

 この時代の生活が、このあと読んでいるとよく伝わってきます。日本人が大正時代から昭和時代にかけて生きてきた歴史書であり、読むことで、読み手は疑似体験ができます。良書です。今年読んで良かった一冊にこの本を加えておきます。

 時代的に兵役があります。
 昭和18年21歳のときに軍隊に入って、樺太で(からふと)の国境付近で3年間ぐらいソ連軍と戦っておられます。実戦も体験されています。戦後1年間、ソ連の捕虜になって道路修復の仕事をされています。帰国したらお母さんは亡くなっていたそうです。妹は結婚して家を出て行っていたそうです。

 昭和23年、25歳のときにアイヌ女性と結婚されています。アイヌ女性といっても、アイヌ語はできなくて狩猟をする家の娘さんでもなかったそうです。奥さんは、結核で医療費が高かったそうです。

 生活費を稼ぐために千歳(ちとせ)にある米軍基地で働いた。夜になると山へ入ってイタチ猟をした。毛皮が高価に売れたそうです。イタチは竹筒のワナでとる。その日のうちに川をむいて板にはりつけるという加工をする。そういうことが書いてあります。生活費を得るためです。お金がなければ暮らしは始まらないのです。

 思い出すに、この終戦後のころには、まだ国民健康保険とか国民年金とか、全国的なそういう制度はできていなかった記憶です。

 自然の幸を(さちを)有効活用して生活していきます。
 サケが川をのぼってきます。
 ヤマメもいます。お金になります。
 夏は「釣り」、秋は「イタチ猟」、雪が降りだしたら「ノウサギ猟」、鉄砲を持つようになってからは「リス猟」だそうです。ノウサギは、針金でつくったワナで捕まえる。
 わたしにとっては未知の世界です。読みながら疑似体験ができます。
 リスの肉はおいしいそうです。リスは木の実を食べるからお肉がおいしくなるそうです。イタチはネズミを食べるから臭い。だから食べないけれど、年寄りは食べていたそうです。
 食べ物だったらなんでも売れる戦後の時代だったそうです。

(つづく)

 お金のための野生動物や魚、シイタケ狩りの狩猟です。時代は戦後の昭和20年代ぐらいです。
 ムジナ(エゾタヌキ)が一時期高額で毛皮として売れたそうです。食用でもあります。鉄砲ではなく、アイヌ犬が噛んで捕まえるそうです。人間とアイヌ犬との信頼関係づくりについて熱く語っておられます。犬と意思疎通ができるようになるそうです。
 
 貧乏暮らしから脱出するのに20年かかった。ようやく人並みの生活ができるようになったとあります。
 昭和30年頃までは、クマの毛皮は2万円もしなくて安かった。高度経済成長が続くにつれて、昭和46年にはクマの毛皮に70万円とか80万円の値が付くようになった。
 
 狩猟の様子は、読み手にとっては過酷に見えますが、姉崎さんにとっては自然な移動行動です。苦にされていません。
 ふつうの人はヒグマから逃げますが、姉崎さんはヒグマを追いかけます。
 これまでに、ひとりで40頭、集団で20頭を仕留めたそうです。
 アイヌ人差別があるようです。
 姉崎さんはハーフ(和人の父とアイヌの母)なのですが、人に言うときは『アイヌのクマ撃ちです』と名乗るそうです。和人というとなんやかんやと説明を求められるので、アイヌと言えばすっきりするそうです。

 クマ撃ちは、よっぽど必要なときしか鉄砲は撃たない。必要最小限しか撃たない。
 狩猟で移動しながら、たまに、エゾライチョウを食べる。おいしいそうです。
 登山者のようです。
 クマの肉は食べない。クマ肉だけ食べると腸が消化してくれないそうです。
 米五升と味噌(みそ)、塩を持って山に長期間入る。
 連れている犬も、米を食べる。
 箸は(はしは)持って行かない。木の幹からつくる。
 食事は、朝と夕の一日二回。狩猟は10日間ぐらい。山を歩き続ける。
 非常食はハム。非常食だから食べない。食べずに持ち帰る。
 酒は飲まない。酒はもっていくが、山の神と火の神に祈る儀式で使う。山の神から山を使う許可を得る。無事を祈る。
 
 誤射がある。仲間に撃たれることがある。
 黒い服は着ない。白い服を着る。黒い服を着るとクマと間違われて誤射されることがある。
 尻が濡れないように腰にクマの毛皮やシカの毛皮をぶらさげると猟師に間違われて狙われることがあるから要注意だそうです。
 村田銃(明治時代につくられた国産銃。薩摩藩の村田という人がつくった)を20年間ぐらい使ったあと、ライフル銃を使用している。弾は(たまは)30発あれば十分だそうです。
 ナイフや鉈(ナタ)がリュックの中にある。すごく切れる刃物となっている。
 マッチが大事。マッチを濡らすとたいへんなことになるので、濡らさないように完全包装している。ライターは役に立たない。極寒、強風下では、ライターでは、火がつかない。
 クワ(杖つえ)が必需品。銃を撃つ時に支えになる。さきっぽが、ふたまたに分かれている。クワを使うことで雪道や雪坂を速く移動できる。ナナカマドでクワをつくる。
 凍傷をさけるために、川に落ちて長靴に水が入ったときは、水を抜かない。水は人肌で温かくなる。靴下をしぼってはくと足が凍傷になってしまう。

 (今まで知らなかった世界が、本を読むことで、疑似体験できます)

(つづく)

 クマ撃ちのために山に入って10日間を過ごすのですが、寝る場所のつくり方について書いてあります。
 ご本人いわく簡単だという『仮小屋』から、トドマツを窪地で切り倒して、窪地にトドマツの葉っぱを敷いて寝る簡単なものまであります。大工さんのようです。
 気象情報を慎重に聴く。ラジオの天気予報が大事。山の天気は変わりやすい。雲に見える部分は霧雨状態になっている。いろいろ悪天候の時のことが書いてあります。
 余談ですが、最近の若い人はラジオを聞かなくなりました。昼間聞いているのは年配の人間ばかりで、ラジオからは40年ぐらい前にはやった歌が毎日流れています。人生を2回体験しているみたいで不思議な感じがします。

 動物の生態について詳しく書かれています。
 動物も山で道に迷う。キツネも迷う。
 足跡に関する記述が興味深い。
 人間の判断を狂わせるために、数頭いても足跡は一頭に見えるように、あとからのものは、まえのものの足跡を踏んでいくそうです。ほかにもいろいろパターンが書いてあります。

 兵隊では、軍用犬教育担当だった。
 シェパードを教育していた。
 犬との信頼関係の築き方が書いてあります。
 犬が犬を教えることがあるそうです。いろいろと知らなかった世界を教えてくれる本です。

 クマには知恵があります。
 読んでいると『カラス』の知恵のようだと類推します。動物は賢い。
 生存競争が厳しい。クマは人間に撃たれないようにいろいろ工夫をして行動しています。
 クマは人間の行動をじっくり観察して対応を考えている。

 姉崎さんは、『自分がクマなら、こうする』と考えるそうです。ゆえにクマが師匠なのです。自分がクマになりきって、山での狩猟や移動を行っているそうです。

 エサのある森林が減ってきている。
 いろいろうまくいていない植林などの施策について書いてあります。ミズナラをやめてマツなどの針葉樹林にしたからエサがなくなった。
 
 2002年(平成14年)発行の本を文庫化してあるのですが、記述に『……クマというのはそんなにすぐ襲ってくる動物ではないと私が言うのは証明できると思います。』とあります。書いてあることは1990年ぐらいまでの実例をもとにしてあるので、30年ぐらいの時が流れて、今年はクマが人を襲う事例が多発しています。自然環境の状態がクマにとっては悪くなって、食べるものが山になくなって、クマの気性も荒くなってしまったのだろうかと思いを巡らせながら読んでいます。

 クマは日当たりがいいところに寝っころがって過ごすことが好きだそうです。
 寝る場所が3つあって、午前、午後、その後と、太陽の位置が移動するごとに寝っころがる場所が圧迫されているそうです。

 タヌキは、竹藪(たけやぶ)の中が好き。

 野生動物たちは、どんぐりを食べる。クマの主食はドングリだそうです。

 クマにも性格がある。性格がいいクマと性格が悪いクマがいる。クマの顔つきでわかるそうです。

 クマはヘビを嫌う。

 クマの瞬間走行スピードは60kmに達する。相当速い。

 イヨマンテ:クマ祭り

 アイヌ人にとって、ヒグマはキムンカムイ(山の神)として敬う存在である。
 カラスのいるところにはクマがいる。カラスはクマが捕まえた動物のおこぼれを狙っている。
 
 カラスの葬式:カラスたちは、死骸から少しずつ離れていく。きっぱりとは離れない。

 エカシ:おじいさん

 クマを中心においたアイヌ民族の信仰があります。
 自分たちの気持ちを納得させて安心する行為に思えました。

 210ページ、本のタイトルもなっている『第五章 クマにあったらどうするか』です。
 ヒグマは、オスの成獣が体重200kgぐらい、大きいものは400kgになるようなものもいる。
 されど、ヒグマは自分より小さい人間を恐れている。ただし、一度人間を襲って、人間が弱いということを知ったクマは自信をもって人間に対して狂暴になるというような流れでお話があります。
 おもしろいのは、クマに出会ったら(人間が)死んだふりをするという話があるのですが、姉崎さんの話では、猟師に会ったクマは、弾に撃たれて死んだふりをすることがあるそうです。言い伝えとは逆のパターンです。クマは死んだふりをして、近づいた猟師にいきなりとびかかるのです。
 クマには知恵があって、かなり頭がいい。カラスぐらいの知能があるそうです。

 さて、クマに出会ったら人間はどうしたらいいかの話です。
 逃げてはいけない。逃げることは一番ダメ。クマに背を向けてはいけない。棒立ちに立つ。(姉崎さんは棒立ちでクマをにらみつけた経験が何度もあるそうです)クマの目をにらみつけて、ウォーとクマを威嚇する大きな声を出す。その繰り返し。クマは立ち上がるが、人を襲うために立ち上がるのではなく、自分の周囲の安全を確認するために立ち上がる。クマは安全な方向を見極めて自分の逃げ道にする。
 クマの目をにらみ続ける。クマよりも人間のほうが弱いとクマに思わせてはいけない。

 ほかにも、クマはヘビが苦手なので、ヘビのように見えるものを使って追い払うという手法が紹介されています。長いものをふりまわして追い払う。ベルトでもいいそうです。

 クマから逃げるのではなく、逆に、クマを追いかけるぐらいの気迫をもつ。(なんだか、人生のあり方にも通じるものがあります。困難にぶつかっても乗り越えて克服するのです)
 クマは、見た目は大きくても臆病な動物だから人間を恐れて逃げていくそうです。
 
 立ち向かう時に『棒』は使わない。たくさん枝がついた『柴(しば)』を使う。クマの鼻の前で振ったことがあるそうです。クマが嫌がったそうです。

 農機具のクワをひきずって逃げると、クマはクワを飛び越えてこない。なにか、物を引きずって逃げると引きずっている物をクマは飛び越えようとはしない。
 
 ベルトを振り回すのは有効。クマは、ベルトをクマがきらいなヘビと勘違いするようだ。

 ペットボトルを押してペコペコと音をさせるとクマは嫌がる。クマにとって、奇妙な音に聞こえるのだろうとのこと。

 クマが人間に対して、自分や自分たち(子グマ)の居場所を教えてくれることがある。人間に対する警告として、地面をドーンと叩いて大きな音をたてることがある。

 276ページに、クマと出会ったときの対処法が箇条書きで示されています。

 第六章です。クマが人を観察していることが書いてあります。クマは隠れない。クマは人に気づかれないようにそっと人の動きを観察しているそうです。襲うためではありません。自分たちが人間に危害を与えられるのではないかと人間を恐れているそうです。
 クマは肉食獣ではない。クマの体が大きいから人間はクマを恐れていますが、クマから見れば大きな木を道具で切り倒したり、鉄砲で鹿を撃ったりの行動、あとは、人間の数の多さに恐怖感をもっているそうです。クマは、人間はすごく強い生き物だという意識をもっているそうです。
 ただし、一度、人間が体力的に自分よりも非力であることを知ると、人間を恐れなくなるそうです。

 第7章です。クマとの共存の話です。
 1990年から春グマ猟が禁止となったそうです。個体数の減少が理由です。
 姉崎さんも職業としてのクマ猟をやめられています。
 ヒグマの数はとても減っているそうです。
 人間がクマの住む地域に入りだしたことがクマと人間の対立につながっている。
 人間が、キャンプ、バーベキューをやって、食べ物や飲食料が入っていた容器を放置する。クマが人間の食材の味を覚えて求めてくる。

 クマは隠れない。クマは人間を観察するために、位置的に上のほうから人間を観ている。(山の上から)隠れずに観ている。

 なんというか、人間の悪行について書いてあります。
 人間がいい思いをするために、樹木や生物を殺していく。化学薬品をばらまいていく。その結果、山が死んでいる。クマが生きていける環境が残されていない。人間がクマのエリアに入り込みすぎている。

 ルールをつくっても、クマは守るけれど、人間は守らない。守れない。

 体が大きなクマは非常に憶病で人間を恐れている。ゆえに、体が大きくなるまで育つことができた。人間のいるところへはおりてこなかった。山奥の一定のエリア内で暮らしていた。食べ物がなくなったから人里におりてくるようになった。ドングリができるナラの木が山にない。植林でマツのような針葉樹ばかりになってしまった。

 2歳ぐらいの子グマはかわいらしくて、人間と遊ぶそうです。すもうをとっても噛みついたり、爪をたてたりはしてこないそうです。

第8章
 姉崎さんは2000年で77歳です。
 北海道にある国立公園内の林道をパトロールする。
 『クマのエリアだからそこにクマがいるのはあたりまえ……(人間がクマのエリアに入りこんできて、クマがいる(からなんとかしろ)と騒ぎ立てる……』
 
 人間は、観光収入目当てに自然界に手を加えて、環境を変えてしまった。

 クマにおおいかぶさられて、大きな口を開かれたときの対処法が書いてあります。
 手でグーをつくって、クマの口の中に手を伸ばして口の中をかきまわす。舌を引っ張るとクマは驚いて逃げて行くそうです。かなり度胸がいりますが、死んでたまるかーーと思えばできるそうです。手の代わりに刃物や棒でもいいそうです。その体勢だとクマは前足で人間の頭に触れることができないそうです。なんともすさまじい話です。体験者が複数います。(案外、人間は強い)

(あとがきから)
 インタビューは、2000年(平成12年)から2002年(平成14年)、あしかけ3年、合計6回行われたそうです。
 姉崎さんは、2013年(平成25年)に享年90歳で亡くなった。
 聞き手の片山さんは、2004年(平成16年)にアメリカのダラスで病死された。62歳ぐらいだった。

 読み終えて思ったのは、クマは人間に狂暴な動物だと誤解されている。もしかしたら、猫よりも気が小さいかもしれない。体が大きいだけで、力持ちの乱暴者とレッテルを貼られている。(これはこうだという札(ふだ)をはられている)。とかく、人間界は、誤解と錯覚で成り立っている。

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