2023年10月03日
出川哲朗の充電バイクの旅 福島県から宮城県
出川哲朗の充電させてもらえませんか? 福島県から宮城県 テレビ東京
行くぞ“奥州街道”116キロ!福島の“東北のお伊勢さま”からゴールは宮城の名湯“遠刈田温泉”なんですが村上佳菜子が超天然でケンコバはドシャ降り!ヤバイよヤバイよSP
村上佳菜子さんは、初夏の頃、いとうあさこさんとかたせ梨乃さんの5万円旅で映像を見ました。旅先は、長崎県で、島原半島を巡っておられました。村上佳菜子さんは旅番組への出演がお好きな方のようです。今回は、髪の色がオレンジ色になっていました。まあタレントさんですから違和感はありません。
村上佳菜子さんは、オリンピックのフィギュアスケート選手であり、名古屋市出身の方なので、身近に感じます。中区の出身中学である前津中学(まえづちゅうがく)の前の道路を以前は用事があって何度か歩いて通りました。学校の玄関には同じくオリンピックフィギュアスケート選手だった伊藤みどりさんのパネル写真が飾ってありました。今もあるかどうかはわかりません。
番組を見ていて、村上佳菜子さんが、1941年(昭和16年)出版高村幸太郎作品『智恵子抄(ちえこしょう。詩集です)』に出ている高村千恵子さん(たかむら・ちえこさん)の生家(せいか。生まれた家)をたまたま訪問するのですが、『生家(せいか)』を『なまいえ』と間違えて読んでおられました。そして、その間違いに気づくまでにしばらく時間がかかっていました。
同じような間違いを太川陽介さんの路線バス対決旅青森県編のときに、同じく名古屋市出身のオリンピックフィギュアスケート選手の安藤美姫さん(あんどう・みきさん)がしていました。バスの中で地図を見ながら小説家の『太宰治記念館(だざいおさむきねんかん)』を『たいこうじきねんかん』と読んで、なんだろうこれは?とお話しされていました。
なんというか、フィギュアスケート選手の世界と文学の世界との間には距離があるのだなあという感想をもったのでした。
放送は、二週に分けての2回放送です。
関東地区で7月に放送されたものが、2か月遅れの9月に中部地区で放送です。ずいぶん前の撮影映像です。これからは、関東地区で放送された最近の番組は、TVer(ティーバー)で観るつもりです。
今回後半ゲストのケンコバさんは、先日『東野&岡村の旅猿』でお見かけしました。広島県の旅でした。旅猿と充電バイクの旅は、つながりがあるように思えます。(さらにその後、ケンコバさんがBS放送で、ビジネスホテルを紹介する旅番組に出ているシーンをたまたま見ました。小さな居酒屋で焼き肉を自分で焼いて食べておられました。ひとり酒です。あちこちでがんばって働いておられます)
福島市の人口:27万5000人ぐらい。県庁所在地ですが、都市部の自治体と比較すると少ない人口です。映像では、田んぼや、里山の間をアスファルトの舗装道路が走っています。走っている車両の量は少ない。バイクは初めてですという村上佳菜子さんでも安心して運転ができる道路状況です。
おいしいものとして、①ソースカツどん ②円盤餃子(えんばんぎょうざ)がでてきました。
ボリュームがあります。おいしくておなかいっぱいになれそうでした。後半の番組では、③うーめん(温かい麺(めん))が登場しました。奈良のにゅうめんに似ています。雨に濡れてずぶ濡れで体が冷えていたので、体も心も温まったようすが伝わってきました。
安達ケ原の鬼婆(あだちがはらのおにばばあ)というところの見学がありました。ちょっと怖い雰囲気でした。刃物で人を殺して食べちゃうそうです。奈良時代ぐらいのころのお話なのでもうずいぶん昔のことです。
雨が降ってきたので、遠い温泉地の旅館ホテルをあきらめて駅前ホテルに宿泊しました。無理はしないほうがいい。どちらかといえばハプニングを求める番組ですが、病気やけがをしないように気をつけたほうがいい。視聴者は、危険な行為は望んでいません。
(つづく)
後半はゲストが村上佳菜子さんからケンドーコバヤシさんに変わって、どしゃぶりの雨の中を電動バイクで走って行きます。お気の毒でした。
天気が悪いからといって、ロケ日を変更することはなかなかできないのでしょう。ロケは、本当に運頼みの面があります。
ケンドーコバヤシさんが、色紙にサインをしたときに、ほかの芸人さんのギャクを書いていました。
だれだか紹介はなかったので調べました
『あ~い とぅいまてぇ~ん』は、「ですよ。」という人でした。最初、なになにですよのなになにが、何かのミスで抜けているのかと思ったら、お名前が「ですよ。」でした。ラップ風の漫談が芸だそうです。
『やっちまったな~』これは、クールポコというコンビだったと観ていて思い出しました。
白石市、蔵王あたりのいなか風景が心落ち着きます。太川さんとえびすさんの路線バス乗り継ぎ人情旅でも通過した場所でした。なつかしい。ふたりとゲストさんは、そのあたりの町役場でルートを教えてもらっていました。
行くぞ“奥州街道”116キロ!福島の“東北のお伊勢さま”からゴールは宮城の名湯“遠刈田温泉”なんですが村上佳菜子が超天然でケンコバはドシャ降り!ヤバイよヤバイよSP
村上佳菜子さんは、初夏の頃、いとうあさこさんとかたせ梨乃さんの5万円旅で映像を見ました。旅先は、長崎県で、島原半島を巡っておられました。村上佳菜子さんは旅番組への出演がお好きな方のようです。今回は、髪の色がオレンジ色になっていました。まあタレントさんですから違和感はありません。
村上佳菜子さんは、オリンピックのフィギュアスケート選手であり、名古屋市出身の方なので、身近に感じます。中区の出身中学である前津中学(まえづちゅうがく)の前の道路を以前は用事があって何度か歩いて通りました。学校の玄関には同じくオリンピックフィギュアスケート選手だった伊藤みどりさんのパネル写真が飾ってありました。今もあるかどうかはわかりません。
番組を見ていて、村上佳菜子さんが、1941年(昭和16年)出版高村幸太郎作品『智恵子抄(ちえこしょう。詩集です)』に出ている高村千恵子さん(たかむら・ちえこさん)の生家(せいか。生まれた家)をたまたま訪問するのですが、『生家(せいか)』を『なまいえ』と間違えて読んでおられました。そして、その間違いに気づくまでにしばらく時間がかかっていました。
同じような間違いを太川陽介さんの路線バス対決旅青森県編のときに、同じく名古屋市出身のオリンピックフィギュアスケート選手の安藤美姫さん(あんどう・みきさん)がしていました。バスの中で地図を見ながら小説家の『太宰治記念館(だざいおさむきねんかん)』を『たいこうじきねんかん』と読んで、なんだろうこれは?とお話しされていました。
なんというか、フィギュアスケート選手の世界と文学の世界との間には距離があるのだなあという感想をもったのでした。
放送は、二週に分けての2回放送です。
関東地区で7月に放送されたものが、2か月遅れの9月に中部地区で放送です。ずいぶん前の撮影映像です。これからは、関東地区で放送された最近の番組は、TVer(ティーバー)で観るつもりです。
今回後半ゲストのケンコバさんは、先日『東野&岡村の旅猿』でお見かけしました。広島県の旅でした。旅猿と充電バイクの旅は、つながりがあるように思えます。(さらにその後、ケンコバさんがBS放送で、ビジネスホテルを紹介する旅番組に出ているシーンをたまたま見ました。小さな居酒屋で焼き肉を自分で焼いて食べておられました。ひとり酒です。あちこちでがんばって働いておられます)
福島市の人口:27万5000人ぐらい。県庁所在地ですが、都市部の自治体と比較すると少ない人口です。映像では、田んぼや、里山の間をアスファルトの舗装道路が走っています。走っている車両の量は少ない。バイクは初めてですという村上佳菜子さんでも安心して運転ができる道路状況です。
おいしいものとして、①ソースカツどん ②円盤餃子(えんばんぎょうざ)がでてきました。
ボリュームがあります。おいしくておなかいっぱいになれそうでした。後半の番組では、③うーめん(温かい麺(めん))が登場しました。奈良のにゅうめんに似ています。雨に濡れてずぶ濡れで体が冷えていたので、体も心も温まったようすが伝わってきました。
安達ケ原の鬼婆(あだちがはらのおにばばあ)というところの見学がありました。ちょっと怖い雰囲気でした。刃物で人を殺して食べちゃうそうです。奈良時代ぐらいのころのお話なのでもうずいぶん昔のことです。
雨が降ってきたので、遠い温泉地の旅館ホテルをあきらめて駅前ホテルに宿泊しました。無理はしないほうがいい。どちらかといえばハプニングを求める番組ですが、病気やけがをしないように気をつけたほうがいい。視聴者は、危険な行為は望んでいません。
(つづく)
後半はゲストが村上佳菜子さんからケンドーコバヤシさんに変わって、どしゃぶりの雨の中を電動バイクで走って行きます。お気の毒でした。
天気が悪いからといって、ロケ日を変更することはなかなかできないのでしょう。ロケは、本当に運頼みの面があります。
ケンドーコバヤシさんが、色紙にサインをしたときに、ほかの芸人さんのギャクを書いていました。
だれだか紹介はなかったので調べました
『あ~い とぅいまてぇ~ん』は、「ですよ。」という人でした。最初、なになにですよのなになにが、何かのミスで抜けているのかと思ったら、お名前が「ですよ。」でした。ラップ風の漫談が芸だそうです。
『やっちまったな~』これは、クールポコというコンビだったと観ていて思い出しました。
白石市、蔵王あたりのいなか風景が心落ち着きます。太川さんとえびすさんの路線バス乗り継ぎ人情旅でも通過した場所でした。なつかしい。ふたりとゲストさんは、そのあたりの町役場でルートを教えてもらっていました。