2023年10月06日
三姉妹 韓国映画
三姉妹 韓国映画 2022年 hulu(フールー) 1時間54分
電子書籍の週刊誌を見ていて小説家の角田光代さんが推薦している映画ということで観てみました。
まず思ったのは、韓国の庶民というのは、大半がこのような苦しげな暮らしを送っているのだろうかということでした。だとしたらたいへんな思いをされています。同情というよりも理解をせねばと思いました。
自分はそこまで読み取れませんでしたが、ほかの方の感想を読んでみると、韓国人女性がかかえる悩みが表現されているようです。男尊女卑とか、男女差別、高齢者優遇思想、男性優遇思想です。男の戸主を中心とした「家制度」のようなもの。戦前、戦後まもなくの日本に似ています。
韓国の男女差別に関する本は以前2冊読みました。
『82年生まれ、キム・ジヨン チョ・ナムジュ 訳 齋藤真理子 筑摩書房』
『私たちにはことばが必要だ -フェミニストは黙らない- イ・ミンギョン著 すんみ・小山内園子 訳 タバブックス』日本にも男女格差がありますが、韓国はさらに厳しい。
こちらの映画の内容は、今は老いた父親に、アルコール依存とこどもたちへの虐待があって、両親とこどもたち、そして孫たちの家族関係が壊れていきます。
そこにキリスト教系だと思いますが宗教活動がからんできて複雑で難解です。生活が宗教にしばられています。人生における時間と労力とお金を宗教に捧げる生活は異様です。
長女 チョン・ヒスク 離婚母子。年頃の娘がいる。長女自身は、癌の宣告を受けている。謝り癖がついている。どういうわけか、別れた夫の借金を返済している。いつも人に気持ちを譲ってばかりいる。
二女 ミヨン 気が強い。三女には優しい。大学教授の夫には厳しい(夫が浮気をしているから。夫にお金の援助をたくさんしたから) 長男と長女がいる。熱心な宗教信者。聖歌隊で指揮者をしている。
三女 ミオク アルコール依存症の劇作家。脚本を書くのでしょう。ただ、映像を見た限り、あんなふうでは、劇の脚本は書けません。柄が悪い。青果会社の社長と結婚した。夫の連れ子がいる。連れ子は、高校生男子。ミオクは継母にあたる。男子の実母はいる。
三人の下に弟がいるのですが、ややこしい話です。長女と弟は、二女と三女から見ると異母姉と異母弟です。父親は、まだこどもだった異母姉と異母弟を虐待していたのです。
二女と三女は、異母姉と異母弟が父親に虐待されていた時間帯に、家を飛び出して逃げていたのです。(映像だけではわかりにくかった)
観ていていろいろ思ったことを書き並べてみます。
父親の誕生日祝いに三姉妹のファミリーが集まるという設定なのですが、父親の誕生日を祝うことってあまり聞きません。日本だと、60歳の還暦とか、長寿の年齢ならあるかもしれませんがかなり特別な時期です。韓国は年功序列がきついのかもしれません。年上の人間を敬いなさい(うやまいなさい)です。(家族に暴力を振るうような父親でも)父親は敬いなさいとか、男尊女卑とかが韓国社会の常識とされているように感じられました。
食べ物の『ホヤ』の話が何度か出てきます。わたしがソウルに行ったとき、南大門市場(なんでむんいちば)というところでホヤが売られていたことを思い出しました。ハサミでホヤを切るような覚えです。
映画では、伏線として、過去の記憶にある海辺の食堂があります。二女と三女は、なかなかその店舗名を思い出せません。
宗教二世が悩む本を読んだことがあります。そんな内容のことが、こちらの映像でも流れました。
『信仰から解放されない子どもたち #宗教2世に信教の自由を 横道誠 編・著 明石書店』『「神様」のいる家で育ちました ~宗教2世な私たち~ 菊池真理子 文藝春秋』それから、芦田 愛菜さん主演で映画になった作品として『星の子 今村夏子 朝日新聞出版』がありました。文藝春秋
こちらの映画を観ていてのことです。
食事の前にお祈りがあります。二女の娘スウン(小学校三年生ぐらい)がお祈りをしないことに二女は激怒します。(わたしが思うに、食事の前にお祈りはしなくていいと思う。母親はお祈りのことよりも、こどもさんにしっかりおいしいものをはらいっぱい食べさせてあげることを考えたほうがいい。それが母親の役割であり愛情です)
映画の前半で、家族がかかえている問題点が、どんどん提示されていきます。
だれもかれもが幸せそうには見えません。
それなのに、表面上は幸せ家族を演じている家もあります。うわべだけの家族仲良しです。体裁(ていさい。見た目)だけを整える社会生活です。
偽善者がいっぱいいます。いい人のふりをしています。
とくに二女はAIロボット(エ―アイロボット。人工知能)みたいです。宗教の教義が脳にプログラムされていて異様で異常な言動です。こういう人、じっさいにいるのかなあ。
教会には、偽りの平和があります。人間を苦しめる宗教って何だろう。あなたには、悪霊がいるから教会においでと誘われてバプテスマ(洗礼)行為(プールの中に沈む)を受けた長女です。
1万ウォン=1000円ぐらい
どうしてあんなに電話(スマホ)ばっかりするのだろう。どうして、用事の最中なのに電話に出て長話をするのだろう。一般的には電話には出ません。あとからかけます。
三女は二女に電話攻撃を続けます。三女は明らかに心の病です。正常ではありません。劇の脚本を書けるような能力があるとは思えません。なお、わたしが思うに、こういう暴れる役(あばれるやく)は、役(やく)としては案外、演じやすい。感情表現が激しいから動きを入れやすい。
二女が三女にぺこぺこする理由が途中まで理解できませんでした。ふたりは、こどものころの苦労を共有した同志なのです。異母姉と異母弟とは関係のありかたが薄いのです。
教会に「10分の1献金」:収入の10%を宗教団体に寄付するわけですな。けっこうな額です。教会の建物・水光熱費の維持費とか人件費になるのでしょう。
『父なる神よ』『主よ』(わたしにとっては、そういうものは、どちらも存在しません)
教徒は洗脳されている。(心や気持ちを意図的にコントロールされている)
伏線として、冒頭のシーンがあります。
こどもの二女と三女が夜の道を駆けています(かけています)。逃げているのです。危機を脱するために助けを求めているのです。だけど、だれも助けてくれませんでした。助けを求められたおとなたちは、こどもの声を聞き流しました。(それは、韓国社会の慣例なのだろうか。虐待する父親であっても、親は親という考え)
どうすればみんなに嫌われないの? という質問があります。
ひとつは、相手に負担をかけないことです。
もうひとつは、相手の言うことを否定しないことです。
みっつめは、相手に『ありがとう』という言える人であることです。
三女のアル中は治らないと思う。老いたときに、おむつを付けて糞尿まみれになって苦しみながら死んでいくパターンの暮らしです。内臓がぐちゃぐちゃになって、自分でうんこ・しっこのコントロールをできなくなります。
韓国というところは、大学教授のポストはお金で買うのか。(5000万ウォン 500万円ぐらい)
見ていると、女性から見て、結婚は「地獄」かなあと思ってしまいます。
最後近くは、コメディのようになってきます。笑いが生まれるのです。
暴力では解決しない。
あたりまえのことをあたりまえにやらないから壊れます。
終わり付近、三人姉妹の笑顔があります。
海辺での写真撮影です。
観ていて思ったのは、50年後、おそらく三人ともこの世にはいない。
ゆえに、これからはいい人生を過ごしてほしい。
電子書籍の週刊誌を見ていて小説家の角田光代さんが推薦している映画ということで観てみました。
まず思ったのは、韓国の庶民というのは、大半がこのような苦しげな暮らしを送っているのだろうかということでした。だとしたらたいへんな思いをされています。同情というよりも理解をせねばと思いました。
自分はそこまで読み取れませんでしたが、ほかの方の感想を読んでみると、韓国人女性がかかえる悩みが表現されているようです。男尊女卑とか、男女差別、高齢者優遇思想、男性優遇思想です。男の戸主を中心とした「家制度」のようなもの。戦前、戦後まもなくの日本に似ています。
韓国の男女差別に関する本は以前2冊読みました。
『82年生まれ、キム・ジヨン チョ・ナムジュ 訳 齋藤真理子 筑摩書房』
『私たちにはことばが必要だ -フェミニストは黙らない- イ・ミンギョン著 すんみ・小山内園子 訳 タバブックス』日本にも男女格差がありますが、韓国はさらに厳しい。
こちらの映画の内容は、今は老いた父親に、アルコール依存とこどもたちへの虐待があって、両親とこどもたち、そして孫たちの家族関係が壊れていきます。
そこにキリスト教系だと思いますが宗教活動がからんできて複雑で難解です。生活が宗教にしばられています。人生における時間と労力とお金を宗教に捧げる生活は異様です。
長女 チョン・ヒスク 離婚母子。年頃の娘がいる。長女自身は、癌の宣告を受けている。謝り癖がついている。どういうわけか、別れた夫の借金を返済している。いつも人に気持ちを譲ってばかりいる。
二女 ミヨン 気が強い。三女には優しい。大学教授の夫には厳しい(夫が浮気をしているから。夫にお金の援助をたくさんしたから) 長男と長女がいる。熱心な宗教信者。聖歌隊で指揮者をしている。
三女 ミオク アルコール依存症の劇作家。脚本を書くのでしょう。ただ、映像を見た限り、あんなふうでは、劇の脚本は書けません。柄が悪い。青果会社の社長と結婚した。夫の連れ子がいる。連れ子は、高校生男子。ミオクは継母にあたる。男子の実母はいる。
三人の下に弟がいるのですが、ややこしい話です。長女と弟は、二女と三女から見ると異母姉と異母弟です。父親は、まだこどもだった異母姉と異母弟を虐待していたのです。
二女と三女は、異母姉と異母弟が父親に虐待されていた時間帯に、家を飛び出して逃げていたのです。(映像だけではわかりにくかった)
観ていていろいろ思ったことを書き並べてみます。
父親の誕生日祝いに三姉妹のファミリーが集まるという設定なのですが、父親の誕生日を祝うことってあまり聞きません。日本だと、60歳の還暦とか、長寿の年齢ならあるかもしれませんがかなり特別な時期です。韓国は年功序列がきついのかもしれません。年上の人間を敬いなさい(うやまいなさい)です。(家族に暴力を振るうような父親でも)父親は敬いなさいとか、男尊女卑とかが韓国社会の常識とされているように感じられました。
食べ物の『ホヤ』の話が何度か出てきます。わたしがソウルに行ったとき、南大門市場(なんでむんいちば)というところでホヤが売られていたことを思い出しました。ハサミでホヤを切るような覚えです。
映画では、伏線として、過去の記憶にある海辺の食堂があります。二女と三女は、なかなかその店舗名を思い出せません。
宗教二世が悩む本を読んだことがあります。そんな内容のことが、こちらの映像でも流れました。
『信仰から解放されない子どもたち #宗教2世に信教の自由を 横道誠 編・著 明石書店』『「神様」のいる家で育ちました ~宗教2世な私たち~ 菊池真理子 文藝春秋』それから、芦田 愛菜さん主演で映画になった作品として『星の子 今村夏子 朝日新聞出版』がありました。文藝春秋
こちらの映画を観ていてのことです。
食事の前にお祈りがあります。二女の娘スウン(小学校三年生ぐらい)がお祈りをしないことに二女は激怒します。(わたしが思うに、食事の前にお祈りはしなくていいと思う。母親はお祈りのことよりも、こどもさんにしっかりおいしいものをはらいっぱい食べさせてあげることを考えたほうがいい。それが母親の役割であり愛情です)
映画の前半で、家族がかかえている問題点が、どんどん提示されていきます。
だれもかれもが幸せそうには見えません。
それなのに、表面上は幸せ家族を演じている家もあります。うわべだけの家族仲良しです。体裁(ていさい。見た目)だけを整える社会生活です。
偽善者がいっぱいいます。いい人のふりをしています。
とくに二女はAIロボット(エ―アイロボット。人工知能)みたいです。宗教の教義が脳にプログラムされていて異様で異常な言動です。こういう人、じっさいにいるのかなあ。
教会には、偽りの平和があります。人間を苦しめる宗教って何だろう。あなたには、悪霊がいるから教会においでと誘われてバプテスマ(洗礼)行為(プールの中に沈む)を受けた長女です。
1万ウォン=1000円ぐらい
どうしてあんなに電話(スマホ)ばっかりするのだろう。どうして、用事の最中なのに電話に出て長話をするのだろう。一般的には電話には出ません。あとからかけます。
三女は二女に電話攻撃を続けます。三女は明らかに心の病です。正常ではありません。劇の脚本を書けるような能力があるとは思えません。なお、わたしが思うに、こういう暴れる役(あばれるやく)は、役(やく)としては案外、演じやすい。感情表現が激しいから動きを入れやすい。
二女が三女にぺこぺこする理由が途中まで理解できませんでした。ふたりは、こどものころの苦労を共有した同志なのです。異母姉と異母弟とは関係のありかたが薄いのです。
教会に「10分の1献金」:収入の10%を宗教団体に寄付するわけですな。けっこうな額です。教会の建物・水光熱費の維持費とか人件費になるのでしょう。
『父なる神よ』『主よ』(わたしにとっては、そういうものは、どちらも存在しません)
教徒は洗脳されている。(心や気持ちを意図的にコントロールされている)
伏線として、冒頭のシーンがあります。
こどもの二女と三女が夜の道を駆けています(かけています)。逃げているのです。危機を脱するために助けを求めているのです。だけど、だれも助けてくれませんでした。助けを求められたおとなたちは、こどもの声を聞き流しました。(それは、韓国社会の慣例なのだろうか。虐待する父親であっても、親は親という考え)
どうすればみんなに嫌われないの? という質問があります。
ひとつは、相手に負担をかけないことです。
もうひとつは、相手の言うことを否定しないことです。
みっつめは、相手に『ありがとう』という言える人であることです。
三女のアル中は治らないと思う。老いたときに、おむつを付けて糞尿まみれになって苦しみながら死んでいくパターンの暮らしです。内臓がぐちゃぐちゃになって、自分でうんこ・しっこのコントロールをできなくなります。
韓国というところは、大学教授のポストはお金で買うのか。(5000万ウォン 500万円ぐらい)
見ていると、女性から見て、結婚は「地獄」かなあと思ってしまいます。
最後近くは、コメディのようになってきます。笑いが生まれるのです。
暴力では解決しない。
あたりまえのことをあたりまえにやらないから壊れます。
終わり付近、三人姉妹の笑顔があります。
海辺での写真撮影です。
観ていて思ったのは、50年後、おそらく三人ともこの世にはいない。
ゆえに、これからはいい人生を過ごしてほしい。
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