2022年01月24日

しんぱいなことがありすぎます! 工藤純子・作 吉田尚令・絵

しんぱいなことがありすぎます! 工藤純子・作 吉田尚令(よしだ・ひさのり)・絵 金の星社

 なかなかいい本です。
 今年読んで良かった1冊でした。
 小学1年生向けの本です。孫にプレゼントします。

 出てくるのは、ともに小学1年生の「ももっち(もも)」と「かずま」です。
 ももっちは心配性(悲観的)で、かずまは大物です。(おおもの。鈍感。おおらか。気にしない。楽天的)

 絵が優しい。

 学校に行く時に、なにか忘れ物をしないかと心配するももです。
 いる物もいらない物も、全部をランドセルにつめこみます。
 いっぽう、教科書類は、学校に全部置きっぱなしにしてあるので、忘れ物はしないよと、がっはっはーと笑うかずまです。
 ランドセルには筆箱しか入っていません。(だいじょうぶ。それでも、十分この世は生きていけるよ(おじいさんである自分からの声援です))

 そのあとも、かずまのおおらかさが光ります。

 ももにとってのピンチ(危機)は、かずまにとっては、ピンチではありません。
 お笑いのときもあります。

 かずまは、お笑いコンビ「オードリー」の春日俊彰さんみたいです。(かすが・としあきさん。先日読んだ相方の若林正恭さん(わかばやし・まさやすさん)の本に、漫才の台本書きをする若林正恭さんが好きな芸術家岡本太郎さんの大阪万博展示物「太陽の塔」をイメージして、春日俊彰さんのキャラクターをつくったと書いてありました)

 学校帰りに、ももの顔が、川岸に設置してある柵(さく)の間にはさまって、ぬけなくなってしまいました。
 ももは、絶体絶命のピンチです。
 かずまは、うろたえません。
 堂々としています。
 ここからお話は、オードリーの漫才のようになっていきます。
 
 ふたりともが心配性だったら、この世はこの先真っ暗です。
 ふたりともが楽天家だったら、さきざき崩壊家庭になってしまうかも。
 ひとりひとりが違うから、互いに足りないところを補い合って、カップルはうまく回っていくのだと思いたい作品でした。  

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2022年01月22日

とりがいるよ 風木一人(かぜき・かずひと)

とりがいるよ 風木一人(かぜき・かずひと) 角川書店

 まだ、ひよっこのような幼児向けの絵本です。
 二歳半から三歳ぐらいの年齢に読んであげるのが良さそうです。
 ちびっこの外見が、いちばん可愛い時期です。
 これからオムツがはずれそうなころです。
 さて、絵本です。
 とりさんがいっぱいいます。
 右向きに歩いています。

 「むれ」という本に似ています。(「むれ」 ひろたあきら 角川書店)
 「むれ」のほうが、おとなっぽい。「むれ」のほうが哲学的でもあります。
 「とりがいるよ」は、精神的に、純粋にちびっこ向けです。

 こちらの絵本は、ほとんどが同じ姿形(すがたかたち)をしている「むれ」のなかのひとりぼっちとは違って、集団のなかに仲間(親友)のような存在が出てきます。
 起点を出発して経過したあとの、発想の枝分かれがあります。
 個体の違いが示されます。
 一体だけではなく、複数で示されます。
 いろんな形のとりは、いろんな姿の人間でもあります。
 個体には個性があります。
 まったく同じ個性はありません。
 
 最後のオチは、ほかになかったかなあ。
 飛ばない方がいい。
 みんなで輪をつくってほしかった。

 読み手とちびっこが、お話をしながら読む絵本です。  

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2022年01月21日

ドラえもん 第31巻~第35巻 藤子・F・不二雄

ドラえもん 第31巻~第35巻 藤子・F・不二雄 てんとう虫コミックス 小学館

 ユリゲラーのスプーン曲げとか(1970年代ころ)、Mr.マリック(1989年、平成元年のころ)のことが頭に浮かぶマンガの素材でした。(超能力とか超魔術とか)

 日本での恐竜化石の発見:1978年。岩手県。こちらのマンガでは、恐竜の化石は、まだ日本では見つかっていないという設定でお話がつくってあります。

 『アバレちゃん』は『アラレちゃん』でしょう。なつかしい。『Dr.スランプ アラレちゃん』テレビは1981年(昭和56年)から1986年(昭和61年)でした。
 『島山あらら先生』は『鳥山明先生のこと』でしょう。
 漫画家の願望が、ドラえもんのポケットから出てくる道具になっています。『アシスタントマシーン』

 改造チョコQというのが出てきます。このころ、小さな車のおもちゃでチョロQというのがはやっていたことを思い出しました。
 
 『超巨大スクリーン立体テレビ』本物みたいに見えるテレビです。
 テレビ番組「アメトーク」の家電芸人を思い出しました。
 高価で大きな画面のテレビは、映像がきめこまやかなので、くっきりと映り、人間が立体的に見えるそうです。
 目の前に本物の人間がいるように見えるとうコメントがありました。

 小学生へのおこづかいの話が出ます。おこずかいではありませんが、お正月に、うちに来た、ちびっこたちにお年玉をあげました。
 硬貨の勉強ができるように、1円玉、5円玉、10円玉、50円玉、100円玉、500円玉を袋に全部入れて、各自に、年齢分のお年玉をあげました。
 ちびっこたちは、金額よりも、硬貨の数がたくさん入っていてうれしいと笑顔でした。もうかった気分になれたようです。

 『なんでも空港』は、紙を広げると空港になります。紙飛行機がたくさん着陸してきます。素敵でした。昆虫や鳥、おばけのQ太郎まで着陸してきて驚きました。

 『だるまおとしハンマー』「だるまおとし」がヒントになっているマンガです。うちにも「だるまおとし」があります。けっこうちびっこにはうけます。

 『絵本入りこみぐつ』内容は秀逸です。絵本の中に入ることができるのです。のび太が、浦島太郎とかシンデレラ姫のお話のなかに入っていきます。

 一万円札の絵が出ています。しばらくしたら渋沢栄一さんの絵柄に変わります。(2024年度から。令和6年度)すでに、新札の印刷は始まっているようです。
 マンガでは、昔は、ラーメンが30円で外食できたときがあったとか、おやつが一銭で買えた。壱厘(いちりん)という貨幣単位もあったと、パパとママがお話をしています。
 貨幣価値が小さいというのは、中国の北京に旅した時に感じたことがあります。滞在中に使ったおみやげ代などは、日本円にすると数千円分で、一万円はかからなかった記憶です。
 
 ジャイアン、スネ夫、静香と、そのほかの登場人物も含めて、どうもそれぞれモデルになるような人がいたのではなかろうかというのが自分の推測です。
 ジャイアンの『剛田武』からタレントの『剛力彩芽(ごうりきあやめ)』さんを思い浮かべてしまいました。
 
 のび太としずかちゃんの関係は、山里亮太さんと蒼井優さんのようにも見えます。

 『フィーバー!! ジャイアンF・C(ファンクラブ。剛田タケシファンクラブです)』は、洋画『サタデーナイトフィーバー』からきているタイトルなのでしょう。1977年のアメリカ映画です。こちらのコミック本は1985年(昭和60年)の初版です。
 
 のび太のママが、石油がいずれなくなってしまうという話をします。
 マンガのその時代から、30年以上の時が流れて、現在、石油はまだあると思うのですが、脱炭素(炭素が発生する石炭や石油の化石燃料を使わない)社会への移行が求められています。
 第33巻の最後付近にも、地球環境保護の訴えが素材になったマンガがあります。カーボンニュートラル(酸素と炭酸ガスの排出量と吸収量を同じくする)のことが書いてあります。
 先見の明があるマンガです。このころは、まだなかった言葉『SDGs(持続可能な開発目標)』の意識があります。マンガでは、樹木が怒って(いかって)人間に抗議します。環境保護活動家のグレタ・トゥーンベリさんみたいです。

 マンガを読んでいると、のび太という少年はなまけ者です。
 親近感が湧きますが、あきれて、嫌気がさすこともあります。
 
 1910年、明治43年5月20日に、のび太のひいおじいさんである野比のび吉さんが書いた日記があります。内容は、「ハレー彗星(すいせい)」のことです。このときは肉眼で見えたそうです。
 1986年2月にも地球に近づいていますが、見えにくい位置にあったそうです。
 次は、2061年夏に来るそうです。年齢的に、もうわたしは観ることはできません。

 しずかちゃんの入浴シーンが多すぎるような。
 のび太の願望と妄想が強いのでしょう。

 マンガのタイトル『いやになったらヒューズをとばせ』のリズムが、ヒットした邦画『カメラを止めるな!』と似ているという感想をもちました。
 タイトル『ガッコー仮面登場』を見て、むかし『けっこう仮面』(1975年、昭和50年ころ)というお色気マンガがあったことを思い出しました。
 さらに、昭和30年代の『月光仮面』も思い出しました。もうとうの昔に忘れていました。
 ドラえもんを読むことは、認知症予防、老化防止・抑制になります。過去の記憶を取り戻すことができるのです。

 『エスキーモ・エキス』夏の熱い時期に飲むと体が冷える飲み物です。なかなかいいアイデアです。

 マンガのコミック本『ガラスのカメ』は『ガラスの仮面』のことでしょう。北島マヤと月影先生、劇団オンディーヌの姫川亜弓だった記憶です。二十代のころ、内臓の病気で三か月間ぐらい入院した時に毎日ベッドで読んでいました。
 
 マンガでは、指人形劇で遊びます。自分も小学生の時にそんな遊びをしていました。

 144ページに、のび太の長いセリフがあります。いつかはドラえもんと別れるときがくる。別れを予知しています。のび太は、それまでに自分はしっかりした人間にならなければならないと自分に言い聞かせます。

 171ページの魚釣りをしている渓谷の絵を見て、長野県にある「寝覚めの床(ねざめのとこ)」を思い出しました。浦島太郎伝説がある場所です。

 1986年(昭和61年)ころは携帯電話がまだなかったので、マンガの中では、ママが、魚釣りに行ったパパに連絡をとれません。

 『ききがきタイプライター』は、話をすると文章が印刷されて出てきます。話したことが文章になる。今なら現実にあるのでしょう。

 『自動ふりこみお年玉通帳』お年玉が手渡しではなく、通帳に振り込まれます。キャッシュレス、電子マネーの時代になりました。実現はしないほうがいいと思います。お年玉のありがたみがなくなります。

 『全チャンネル壁掛けテレビ』以前、テレビで、ふたつの番組が画面に出るシステムがあったとおもいますが、今では見かけなくなりました。同時にふたつの番組を観るのは無理です。

 『さか道レバー』自分で板を使って工作した車にドラえもんのレバーをつけて遊びます。読んでいて気づいたことです。ドラえもんの世界は、ピーターパンの世界と同じです。みんな、ずっとこどもの世界にいるのです。おとなになりたくない。

 しずかちゃんの良かったセリフとして『勉強相手としては、のび太さんは適当じゃないのよね』のび太をみていると、宿題をやっても間違いの答ばかりのようで、宿題をやる意味がないのです。

 民話『鶴の恩返し』に出てくる男性の名前が『与ひょう(よひょう)』という名前であることをこちらのマンガで知りました。

 パパの会社が週休二日制になったという話が出ています。いまでこそ、週休二日制が当たり前のことになりましたが、日本では、大昔から週休二日制であったわけではありません。
 1992年(平成4年)ごろから職場は、完全週休二日制になりました。(それまでは、時々週休二日制の移行期間がありました)
 仕事のほうは、休みが増えた分、平日の勤務時間が長くなりました。それまでよりも始業時刻が早まって、終業時刻が遅くなりました。
 共働きでこどもたちを保育園に預けていた我が家は、平日は、かえって、忙しく、あわただしくなった実感がありました。
 休日は疲れ果てて親子そろって倒れるように寝込んでいました。まだ育児休業制度もスタートしたばかりの時期でした。
 今の若い人たちは子育て制度に恵まれています。もっともわたしたちの先輩であった共働き世帯の方々は、わたしたちよりも、もっとご苦労されていました。  

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2022年01月20日

出川哲朗の充電バイクの旅 竹島から久能山東照宮 

出川哲朗の充電バイクの旅 愛知県蒲郡市竹島から静岡市久能山東照宮 テレビ番組

 竹島も久能山東照宮(くのうざんとうしょうぐう)も何度か訪れたことがある場所なので、楽しみにして観ました。
 東照宮は、海岸側にある長い階段をあがるのだろうか、あるいは、山側になる日本平のロープウェイを利用するのだろうかと考えていましたが、番組では、長い階段がある海岸側で、時間切れのようすもあって、階段は登らず、ふもとでゴールでした。それでいいと思います。
 東照宮の職員さんが、夜8時過ぎだというのに、お迎えで出川さんたちを待っていてくださって胸が熱くなりました。
 
 出川哲朗さんは、ほかの回のときも含めて、中部地方の観光地のことをご存じありません。
 タレントさんとはそういうものなのでしょう。
 スタッフが段取りをして、タレントが実行する。
 タレント自身が企画した旅行ではないので、一度行ったことがある場所でも忘れたりしているシーンをたまに見かけます。

 竹島の風景は、江の島の風景に似ています。
 島を一周します。
  土方ディレクター(ひじかたディレクター)は、バス旅のえびすよしかずさんタイプで笑わせてくれます。
 同ディレクターから、竹島にある神社5つに毎回お賽銭(おさいせん)を出すのは嫌だというような発言があります。

 竹島に続く橋の岸側には水族館があって、昔は、4歳のお嬢さんと家族三人で世界一周をしたヨット、エリカ号が展示されていました。
 以前、偉業を成し遂げられた長江裕明さんの講演会を聴いたことがありますが、ご病気で2009年に60歳でお亡くなりになりました。

 最初のゲストは、貴乃花元親方でした。
 ガンコなところが災いして、すもう界を去ることになったと自分は思っています。
 以前、たしか千原ジュニアとタクシーを利用した紀伊半島を横切る別の旅番組に出て『どうしてなにをやっても、うまくいかないんだー』と大声をあげて嘆いておられました。
 どうしてと言われると、ガンコだからですと答えたくなるのです。
 昔はガンコなことが美徳としてとらえられていました。
 自分もガンコなところがありましたが、歳をとって反省しました。
 ガンコでいると、人が離れていきます。幸せも遠ざかっていきます。
 先日読んだ本にいい文節がありました。『マイクを相手に渡す』(「世界最高の話し方」 岡本純子 東洋経済新報社)
 あわせて、自分の言葉として、相手に『おまかせします』と言えるようになったら、幸せが近づいてきます。

 こちらの番組では、貴乃花親方とのパターゴルフの時間帯が長かった。
 なんだか番組放映時間4時間を埋めるための無駄な時間帯に思えたのですが、最後にディレクターの土方さん(ひじかたさん)が優勝してしまったので、出川哲朗さんが番組として成立しないという趣旨で怒っていましたが笑えました。

 二人目のゲストの三村さんは、最近自分は知ったのですが、モヤモヤさまぁーずとか、内村さまぁーずとか、番組がおもしろいです。地上波とか動画配信サービスを観て楽しんでいます。
 
 三人目のゲストのいとうあさこさんは、何回か旅番組で見ましたが、女三人組ぐらいでつるんで、お酒やビールばっかり飲んでいるので、自分はもういいかと番組は見なくなりました。

 貴乃花親方と三村さんの時は快晴で、いとうあさこさんの時は雨ふりで、天気というものは、個人が生まれながらにもつ運・不運に左右されていると自分は思っています。迷信ですけど。(合理的な根拠がない)

 出川哲朗さんとちびっこたちとの触れ合いシーンがいつも楽しみです。
 今回は、静岡県でお茶農家をされている94歳のお元気なおばあちゃんも出てきて、ご長寿にあやかりたいと思いました。(良い影響を受けて、同じようになる)
 『お茶の力』で、みんなが集まります。おばあさんが『ありがとう。いい思い出になった』とおっしゃいました。
 去年の晩秋に、コロナ禍がひと息ついたとき、自分の親族が集まったのですが、自分の父と母のふたりから始まって、孫、ひ孫まで、こんなにおおぜいの血族・姻族が誕生したと、両親に対して尊敬の気持ちが湧きました。

 料理の味の紹介として、八丁味噌(はっちょうみそ。赤みそ)を使用した菜飯(なめし)と田楽(でんがく)、うなぎのかばやき、三ケ日みかん、お茶と続きました。わたしもうなぎが好物です。
 番組で出ていたカレーとナンのインド料理店の料理もおいしそうでした。

 電動バイクはYAMAHA社製(ヤマハ)で、巡る静岡地方はYAMAHA王国であり、バイクとか楽器製品が多い。
 先日、近所で、郵便局の配達員さんが、赤い電動バイクで配達をされていたのを見かけて、ちょっと驚きました。電気自動車、電動バイクで二酸化炭素の排出量を減らして、地球の自然環境を守るのです。
 
 メンバーは、電動バイクで、けっこう長い距離を移動されています。出川哲朗さんの体力と精神力がすごい。ゲストの方は一日程度ですが、一日だけでも疲労感は大きいでしょう。
 スタッフのみなさんは、かなり疲れていることでしょう。たいしたものです。いいものをつくろうという動機が苦痛を克服させてくれます。

 山のふもとから東照宮まで登る階段が、1159段もあります。
 自分は一度だけ階段を登ったことがあります。もうこりごりです。
 東照宮で働く人は毎日上り下りされているとしたらこれまたたいしたものです。
 久能山東照宮には徳川家康さんのお墓があるのですが(各地にいくつかあります)、昨年の大河ドラマでの、北大路欣也さんが演じる徳川家康さんが『こんばんは、徳川家康です』と番組内であいさつされていたシーンが思い浮かびました。  

2022年01月19日

出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記 宮崎伸治

出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記 こうして私は職業的な「死」を迎えた 宮崎伸治 三五館シンシャ フォレスト出版

 外国語で書かれた小説ほかを日本語に訳して本や出版物にする。
 自分は『翻訳家』という立場の人も職も知りません。
 なんとなく思うに、オリジナルで自分が作品を創作するわけではないので、職業としては不安定な感じがします。
 本や文章を一冊分翻訳したけれど、依頼してきた相手が約束を破って、金銭の支払いをしてくれないということがありそうです。

 前書きや目次を読んだら、やっぱり、さきほど書いたようなことがあるそうです。
 同時期にもうひとつ職をもっていないと生活の維持に不安があります。ダブルワークが必須です。(読み続けていたら68ページで、やはりその件が出てきました)

 それでも、著者にも収入や待遇面で、いい時代があったそうです。
 なんというか、最近、こどもの貧困のことが問題視されているのですが、こどものときに貧乏だったからといって、一生貧乏であるということが決定したわけではありません。
 ひとりの同じ人間でも、人生の時期によって、がっぽがっぽと儲かるときもあるし、どん底の貧困を味わうこともあります。
 今、貧乏だからといって、悲観することはないし、今、お金がたくさんあるからといって、いつまでもお金持ちでいられると安心してもいけないのです。
 わたしは、人生は結局プラスマイナス0(ゼロ)でよしだと思っています。
 ふり幅の上下が大きい人生はけっこう苦しい。(いい時と悪い時の幅(はば))

 さて、読み始めます。

 ゴーストライター:世の中には、本人になりかわって別の人が書いた文章が存在して通用しているということを知っています。自分は、猜疑的(さいぎてき。疑って。だまされないように気をつけて)な目で文章を読むことがあります。

 出版界のお話ですが、なんでもお金の世界です。お金になるかならないかが判断基準です。需要があることが大事なのです。(需要:商品購入意欲・要求・要望)

 自力で出版までもっていけないと相手の要求を飲まざるを得ない弱い立場にいることになります。

 タイトルは思い出せませんが、洋画で楽曲を発表する手段がなくて(レコード会社に断られ続けて)音楽歌唱グループが音楽販売事業で行き詰まっていたのですが、ネット社会になって、ネットで音楽を流して収入を得られることで救われて、ヒット曲を出して成功したというものがありました。
 最近はインターネットの活用で、出版も同様に出版社を通さずにできるようです。
 
 外国語の本を全部訳したのに、一部分しか使ってもらえない。
 その一部分同士をくっつけて、違う文章の固まりにしてしまう。
 信じられないような行為と出版社側からの要求です。
 原作者の著作権はどうなっているのかはわかりませんが、なにかしらクレームをつけられそうです。
 ひどい編集者が出てきますが、編集者も上層部の指示で動いているので、上司に言わされているのでしょう。
 出版社から翻訳家に『印税をカットさせてくれ』と言われて、翻訳家が『嫌だ』と断ったらどうなるのだろうか。次からの仕事がなくなりそうです。
 翻訳家は弱い立場です。
 なんだか、相手(出版社の社員、編集者)に、翻訳家がばかにされていそうな印税交渉負けです。
 関連するイメージとして、本人の責任はまったくないのに、共演した別の役者の不祥事(薬物とか不倫とか)で、自分が出演した映画が上映されなくなった役者の立場のようです。
 お金だけのためにその仕事をしたのではないという強い気持ちが伝わってきます。
 時間をかけて労力をつぎこんでつくりあげた『作品』は、自分のこどものように大切なものという気持ちが理解できます。
 理不尽とか不条理という言葉がまかりとおる世界があります。
 経営が思わしくないのでしょう。読んでいて、出版業界は金回りが悪いという印象をもちました。
 バブル経済が崩壊して、電子図書の手法が始まってのころからなのでしょう。
 1995年、Windows95が出てから以降の経済界の流れです。
 読んでいると、出版社で働く人たちは、期限にルーズです。相手(翻訳家)には期限厳守を求めますが、自分たちはルーズ(怠惰。たいだ)です。
 当時は、企画倒れの企画ばかりを立てていたのだろうか。
 
 著者は、文章を書くことを仕事にしている人なので、どうしても文章が長くなります。
 読むのがちょっとしんどい。
 
 もめごとは、最後はお金で和解するのだろうなあと思いながら読んでいました。そのとおりになりました。会社は、和解金は会社の運営に必要だった経費として、会社のお金として経理で落とすのだろうなあと想像しました。会社にとっては痛くはないのではないか。
 作家としては、紛争に勝っても次の仕事の依頼はないのでしょう。
 作家はけっこう不利な立場です。

 出版社というところは、次の仕事の段階にいくのに、待たされる期間が、数か月から年単位で、とても長い。あげくの果てに、印税率ダウンとか出版停止では、翻訳家も関係者も何のために働いているのかわかりません。

 組織によっては、この人あるいは、この人たちは、頭がおかしいのではないかというところがあります。常識の正常値を保つ感覚が崩れていて、おかしい状態が『平常』として、錯覚で成立している世界に浸かって(つかって)満足されている人がいます。中毒と麻痺状態です。(まひ)。常人は発狂します。
 
 内部告発本のような様相になってきました。
 やましい出版社があります。(してはいけないことをして心にひっかかりがあるけれど知らぬ顔をしている)
 言動がおかしな外国人原作者もいます。

 翻訳家の生活のいいところが、年金生活者に似ていました。
 自由度の高い生活を送ることができるとあります。
 ①時間にしばられない。
 ②通勤しなくていい。
 ③人間関係がわずらわしくない。組織には変な人がいる。変な人と付き合うわずらわしさがない。(著者はそう書いていますが、読んでいると、翻訳家の場合、あてはまらないような状態があります)
 
 『社長』を簡単に信用してはいけないという教訓話があります。(著者の失敗をもとにした教え)

 日吉ミミさんは、なつかしい。
 調べたら2011年に癌で亡くなっていました。64歳でした。

 推理ドラマ『刑事コロンボ』は、こどものころは好きでよく見ていましたが、おとなになってからはつまらなく感じました。
 コロンボの人物像が狡猾だからです。(こうかつ。ずるがしこい。相手(犯人)に油断させてボロを出させる手法で相手を追い込んでいきます)

 「警察」の話が出てきます。
 「警察」には、期待しないほうがいい。
 テレビドラマや映画の中と現実は違います。
 事後処理をする組織です。

 出版業界というのは、嘘で構築された世界なのかと読んでいてあきれてきます。
 お金のためなら犯罪行為でもやるのです。
 不信感が芽生えます。
 外国絵本の翻訳もそうなのだろうか。

 「差し止め請求訴訟」というのが、けっこう効果の力があるということがわかりました。

 出版業界は、トラブルが多いとあります。
 作家は、出版社との交渉記録をきちんと残しておいた方がいい。
 録音も必要かと思うほど出版社側の態度はひどいものです。
 
 よく出てくる単語として『放置プレー』があります。作家から働きかけても反応が返ってきません。
 いかなる事情があるのか、出版社側の人間の手記を読んでみたい。
 本が売れない。本をつくれない。
 『出版社』という会社はもう終わっているようです。
 それでも、一定数の人たちは、電子図書ではなく、紙の本が必要な人がいます。その人たちのために『出版社』は残る。幼児向けの絵本とか童話は残りそうな気がします。
 さらに、自費出版をしたいという素人の需要は多い。

 権限をもつ担当者が、横のつながりをもたないのはつらい。
 仕事の幅が狭くなります。
 
 本人訴訟:弁護士を頼まずに自分で訴訟手続きをやること。

 読んでいて、出版社で働く人は、本づくりの知識はあっても、法令の知識は疎い(うとい。知識や理解が不十分)と感じられました。

 後半部は、すさまじい交渉経過です。
 聖書に書いてあるという『自分で復讐しないで、むしろ、神の怒りに任せなさい(まかせなさい)』には、同感で共感します。いわゆる「ちゃんとやらない人には、神さま仏さまのばちがあたる」のです。

 トラウマ:精神的外傷。心の傷。苦痛だった瞬間を思い出す。フラッシュバック。

 239ページまで読んで、『お疲れさまでした』という言葉しか出てきません。

 著者は、翻訳家を辞めて、警備員をされているそうです。
 同じ出版社で発行されている『交通誘導員ヨレヨレ日記 柏耕一 三五館シンシャ フォレスト出版』を読んだのは、おととしのことでした。おふたりともゴールが同じになっています。

 最近読んだ何冊かの本の影響もあって、近頃の自分の頭の中には『資本主義が限界の時期を迎えている。脳内に残っているこれまでのやり方を塗りつぶそう』という意識が広がっています。この本に書いてある内容と重なります。お金もうけ第一主義では、もたない世の中になっているのです。自分にとって損か得かで物事を判断してきたことが、ゆきづまってきています。
 利潤の追求を最優先目標として若い頃に教わった効率最優先主義『速く、安く、正確かつ楽に仕事を進める』を終わりにしよう。
 ゆっくり、ていねいに、いいものを仕上げて後世に残す。
 もう、もうからなくてもいい。地球の自然環境保護と人間の心身の健康維持が大事なのです。

 著者は、宗教に頼るほど、追い詰められました。  

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2022年01月18日

ドラえもん 第26巻から第30巻 藤子・F・不二雄

ドラえもん 第26巻から第30巻 藤子・F・不二雄 てんとう虫コミックス 小学館

 『ウルトラセブン』ではなくて、『ウルトラセブンイレブン』がおもしろい。
 そういえば、このころからコンビニエンスストアが全国に広がっていった記憶です。
 1983年。昭和58年ごろです。
 
 カップラーメンも出てきました。
 カップラーメンが本格的に大型化・高級化したのは、1980年代後半ぐらいという記憶です。
 
 作者の藤子・F・不二雄さんがお亡くなりになったのは、1996年9月、62歳のことでした。ふと、フーテンの寅さんこと「男はつらいよ」の渥美清さんの笑顔が頭に浮かびました。1996年8月に68歳で亡くなっています。惜しい人たちを早くに亡くしてしまいました。

 ユニコーン(一角獣。馬のおでこに角が一本生えている)が出てきました。
 うちにも1枚ユニコーンの絵が壁にかかっています。ブルーの背景に白馬のユニコーンです。幸運をもたらしてくれる神さまだと自分で勝手に解釈しています。

 たぶん、いなかから都会に出稼ぎに来て、そのまま田舎に帰らず、公園で寝泊まりするホームレスになってというようなイメージのお話があります。
 地方に住んでいた頃、自分の父親も出稼ぎをしていました。
 時は流れて、出稼ぎをしなくてもすむような、いい世の中になったと思います。

 空き地がなくなって、マンションが建ちます。
 そういう時期がありました。
 昔は、家の前の道が、こどもにとって、安全な遊び場だったりもしました。
 最近、資本主義は自然を破壊するという本を読みました。
 ドラえもんは、地上の遊び場(空き地)が減ったので、地面に穴をほって、地底に広い空間をつくって、そこで遊ぶことを考えました。

 25年後の未来設定話が出てきました。
 マンガの中での25年後は、2008年です。
 もう現在から14年も前のことになってしまいました。

 『昆虫飛行機』飛行機は、トンボとか、しずかちゃんはアゲハチョウとか、ジャイアンはハエです。なかなか楽しい。
 ドラえもんのマンガでは、便利な道具を、のび太とドラえもんのふたりだけで独占的に使うのではなく、しずかちゃん、スネ夫君、ジャイアン、出木杉君(できすぎくん)のみんなと全員で楽しみます。ひとりじめしないのがいい。みんなで、にぎやかで、心がなごみます。
 
 気球に乗って、このマンガの当時、地球を長距離移動した人たちがいたことを、このマンガを読んでいて思い出しました。すっかり忘れていました。

 マンガに、ラジコン飛行機が出てきます。
 まだこどもだったころ、住んでいる地域には、原っぱとか広っぱがたくさんあって、十代後半ぐらいの青年たちが、ラジコンを使って飛行機を飛ばすのをそばで立って見ていました。いまどきは、ラジコン飛ばしの風景は見かけません。

 ジャイアンのパパらしき人が出てきます。大きなゴリラみたいです。もしかしたら、パパではなく、ママなのかもしれない。マンガの絵では、性別がよくわかりません。

 『瞬間プラモくみたて機』プラモデルは、ていねいにつくる作業が楽しみのひとつなので、瞬間的にできあがったらつまらないです。

 童話『泣いた赤鬼』みたいな話が、ジャイアンとスネ夫から出ます。『泣いた赤鬼』の話も最近は聞かなくなりました。友情をテーマにしたいい話です。

 『エスパー君』そういえば、『光速エスパー』という子ども向けの特撮番組がありました。1960年代後半でした。

 『自動買いとり機』ブックオススタイルでした。読んだ本を買い取ってくれます。リユースです。

 うさぎの話が出てきます。自分の親戚がうさぎを飼っています。愛らしくてかわいいです。動きがコミカルで、どたんと横になる姿を見せられると心がいやされます。

 のび太のいる世界は、ほとんどが学校で、学校というところは、狭い世界です。こどもの時代だけの世界です。
 おとなになると学校で何があったかは問われません。とりあえず卒業しておけば、おとなになってから苦労はありません。

 『空飛ぶうす手じゅうたん(うすでじゅうたん)』「M1グランプリ」漫才の台本に使えそうな内容です。ドラえもんとのび太のお笑いコンビです。

 『丸師丸広子』さんというのは、薬師丸ひろ子さんなのでしょう。『でめきんトリオ』が、たのきんトリオでしょう。『千葉県一』は、千葉真一さんでしょう。昨年夏にお亡くなりになってしまいました。

 『剛田ジャイ子』ジャイアンの妹。漫画家志望。ペンネームが、クリスチーネ剛田(ごうだ)。

 のび太の『朝食というのは朝のごはんでしょ』『昼食が昼ごはん、夕食が夜ごはん』『じゃ、日食というのは一日中食べているの?』に笑いました。太陽が月に隠れる日食です。

 登場人物のモデルとして、田原俊彦さん、松本伊代さん、伊藤つかささん、真田広之さんが登場します。みなさん、もういいお歳(とし)です。

 普通預金の通帳の絵が出てきました。
 今はもう預金通帳をつくるとお金を払わなければならないときもある時代になりました。
 預金通帳なしで、取引ができる状況もあります。
 マンガでは、のび太の貯金額は10円です。

 ばかばかしいほら話のジャンルに属する小話のときもあります。

 なつかしいダイヤル式黒電話が出てきます。
 されど、ドラえもんの力で、黒電話に、ファクス機能があったり、電子メール機能があったりと変化していきます。未来の電話システムを予言しています。藤子不二雄さんは偉大です。
 電話から商品を購入した後の「おつり」まで出てきます。現代のカード決済のようです。
 あわせて、いたずら電話、迷惑電話防止の方策も出てくるドラえもんの道具でした。このころ、しつこい無言電話などが社会問題になっていた記憶があります。今ではかけてきた相手の電話番号もわかるようになりました。

 マンガを読んでいると、昭和58年ころは、まだテレビ番組を録画できる機器が世に広がりつつあった時期で、のび太宅にはVHSテープで録画するビデオデッキはありません。

 マンガに出てきた『のびちゃんマン』は、響きからなんとなく弱そうです。  

Posted by 熊太郎 at 07:20Comments(0)TrackBack(0)読書感想文