2022年01月31日
ドラえもん 第36巻から第40巻 藤子・F・不二雄
ドラえもん 第36巻から第40巻 藤子・F・不二雄 てんとう虫コミックス 小学館
先日テレビ番組でドラえもんが放映されていることを知り録画して鑑賞しました。
昔よりも絵がきれいです。
声優さんはすべて昔の方から変更されているようです。違和感はありません。
テレビマンガの内容素材は、コミック本で読んだなかで出てきていたような未来の道具です。
2020年が、連載を開始して50周年だということは、最近知りました。
これからもドラえもんはこどもたちの心で生き続けるのでしょう。
このところの数冊を見ていて気づくのは、しずかちゃんの裸のシーンが増えてきていることです。ときに、ドラえもんがエロ漫画路線になってはいないかという気分になるときがあります。のび太も男ですから色気づいてきます。
ドラえもんは、基本的には、お笑いを求める児童向けのギャグマンガなのでしょう。
健全一筋では、人間の本質には近づけないということはあります。
男がすけべなら、じつは女子もそうなのです。だから思春期に恋が芽生えるのです。
マンガで出てくる『スペースウォーズ』は『スターウォーズ』のことでしょう。1977年公開から始まっています。こちらのマンガは、1986年初版です。
『ノストラダムスの大予言』は、1999年7月に人類が滅亡するというものでした。1973年発行で大ブームになりました。当然、迷信でした(根拠のない話)。
第36巻の168ページに美男子のジャイアンが出てきました。かっこいい。人は見た目で印象がずいぶん変わります。
『魔女っ子ノブちゃん』は『魔女っ子メグちゃん』でしょう。1974年(昭和49年)から1975年(昭和50年)がテレビでの放映だったそうです。
スネ夫の言葉です。『世の中でものをいうのはお金だよ。それに頭とルックスさ』
歳をとると頭の中はぼやけて、見た目も弱々しくなります。お金があっても心身を壊したらお金を自己管理することができなくなります。お金や見た目の輝きは一定の時期しかありません。
のび太は、どういうわけか、ママから庭の草取りを何度も言いつけられます。
『リフトストック』という項目のところを読んでいました。(地面の傾斜を変えられる)
昔、滑り台に乗ってクイズに答える「アップダウンクイズ」という番組があったことを思い出しました。1963年(昭和38年)から1985(昭和60年)年放送でした。
ドラえもんのマンガは、認知症予防、記憶の復活に役立ちます。
『ドッキリビデオ』は、昔の番組『ドッキリカメラ』とか、今の番組『モニタリング』みたいな内容のマンガでした。
『名犬ラッキー』は『名犬ラッシー』でしょう。白黒テレビで見たことがあります。ラッシーは、コリー犬でした。
『かぐやロボット』の項目では、人工細胞を増殖させることで、ロボットをつくるわけですが、『iPS細胞』(2006年、平成18年に誕生した細胞)のイメージがありました。
テレビ番組を録画するVHSテープが出てきました。
我が家にはまだ使用可能なVHS録画再生デッキが残っていて、もう三十年ぐらい前にこどもたちに見せていたアンパンマンのビデオを数年前まで孫たちに見せていました。
今は、アンパンマンを卒業して、動画配信サービスで、ポケモンとか妖怪ウォッチなんかを見ています。
『ねながらケース』眠っている間に自分の希望がかないます。いい道具だなあと思いつつも、のび太の他力本願なところが少々いやになってきています。(自分は努力しないで、人にやってもらうことを期待する)
しずかちゃんのいい言葉があります。『電灯も車もテレビもスーパーマーケットもべんりな物が一つもなかった時代でも、人類はちゃあんとくらしてきたのよ……』
『顔か力かIQか』頭が良くて、スポーツマンで、美男子で、そうなりたいのび太がいます。「体力指数」「かっこよさ指数」「知能指数」をあやつる『いいとこ選択しボード』という道具が出てきます。のび太が、りりしい男子になります。マンガのなかなら何でもできるのです。
川口さんという人と、道具としての『レポーター』が出てきます。なんとか探検隊という番組がありました。川口浩探検隊でした。梨本勝さんというレポーターさんもいました。おふたりとも癌で亡くなってしまいました。仕事に命を捧げた(ささげた)人たちでした。
映像ばかりの仮想空間が出てきます。『環境ビデオ』読んでいて、映像展示が多かった愛知万博の外国館を思い出しました。
スネ夫の弟で、「スネツグ」が登場しました。スネツグは、養子にいったそうです。ニューヨークのおじさんが養父でいっしょに住んでいるそうです。昔は、兄弟がたくさんだったこともあり、養子縁組をする人が多かった。男の子がいない家やこどもがいない家は、家の後継ぎを求めていました。
タケコプターを付けて、みんなが空中を飛んでいます。
昭和時代のこどもたちの姿に見えます。
『人間貯金箱製造機』いま日本では、金融機関が小銭を受け入れるのに手数料をとることが問題視されています。硬貨を預けるときに手数料がいる。枚数に応じてですが、金額によっては、手数料のほうが預けるお金よりも高くなります。
お客さんにとっては、不思議な現象です。キャッシュレスとか電子マネーとか、ほんとうに人間にとっていいことなのだろうか。
ジャイアンの妹がジャイ子です。妹思いの兄です。漫画家をめざすジャイ子には、モデルとなる女性が実在していたと、自分は思っています。
先日テレビ番組でドラえもんが放映されていることを知り録画して鑑賞しました。
昔よりも絵がきれいです。
声優さんはすべて昔の方から変更されているようです。違和感はありません。
テレビマンガの内容素材は、コミック本で読んだなかで出てきていたような未来の道具です。
2020年が、連載を開始して50周年だということは、最近知りました。
これからもドラえもんはこどもたちの心で生き続けるのでしょう。
このところの数冊を見ていて気づくのは、しずかちゃんの裸のシーンが増えてきていることです。ときに、ドラえもんがエロ漫画路線になってはいないかという気分になるときがあります。のび太も男ですから色気づいてきます。
ドラえもんは、基本的には、お笑いを求める児童向けのギャグマンガなのでしょう。
健全一筋では、人間の本質には近づけないということはあります。
男がすけべなら、じつは女子もそうなのです。だから思春期に恋が芽生えるのです。
マンガで出てくる『スペースウォーズ』は『スターウォーズ』のことでしょう。1977年公開から始まっています。こちらのマンガは、1986年初版です。
『ノストラダムスの大予言』は、1999年7月に人類が滅亡するというものでした。1973年発行で大ブームになりました。当然、迷信でした(根拠のない話)。
第36巻の168ページに美男子のジャイアンが出てきました。かっこいい。人は見た目で印象がずいぶん変わります。
『魔女っ子ノブちゃん』は『魔女っ子メグちゃん』でしょう。1974年(昭和49年)から1975年(昭和50年)がテレビでの放映だったそうです。
スネ夫の言葉です。『世の中でものをいうのはお金だよ。それに頭とルックスさ』
歳をとると頭の中はぼやけて、見た目も弱々しくなります。お金があっても心身を壊したらお金を自己管理することができなくなります。お金や見た目の輝きは一定の時期しかありません。
のび太は、どういうわけか、ママから庭の草取りを何度も言いつけられます。
『リフトストック』という項目のところを読んでいました。(地面の傾斜を変えられる)
昔、滑り台に乗ってクイズに答える「アップダウンクイズ」という番組があったことを思い出しました。1963年(昭和38年)から1985(昭和60年)年放送でした。
ドラえもんのマンガは、認知症予防、記憶の復活に役立ちます。
『ドッキリビデオ』は、昔の番組『ドッキリカメラ』とか、今の番組『モニタリング』みたいな内容のマンガでした。
『名犬ラッキー』は『名犬ラッシー』でしょう。白黒テレビで見たことがあります。ラッシーは、コリー犬でした。
『かぐやロボット』の項目では、人工細胞を増殖させることで、ロボットをつくるわけですが、『iPS細胞』(2006年、平成18年に誕生した細胞)のイメージがありました。
テレビ番組を録画するVHSテープが出てきました。
我が家にはまだ使用可能なVHS録画再生デッキが残っていて、もう三十年ぐらい前にこどもたちに見せていたアンパンマンのビデオを数年前まで孫たちに見せていました。
今は、アンパンマンを卒業して、動画配信サービスで、ポケモンとか妖怪ウォッチなんかを見ています。
『ねながらケース』眠っている間に自分の希望がかないます。いい道具だなあと思いつつも、のび太の他力本願なところが少々いやになってきています。(自分は努力しないで、人にやってもらうことを期待する)
しずかちゃんのいい言葉があります。『電灯も車もテレビもスーパーマーケットもべんりな物が一つもなかった時代でも、人類はちゃあんとくらしてきたのよ……』
『顔か力かIQか』頭が良くて、スポーツマンで、美男子で、そうなりたいのび太がいます。「体力指数」「かっこよさ指数」「知能指数」をあやつる『いいとこ選択しボード』という道具が出てきます。のび太が、りりしい男子になります。マンガのなかなら何でもできるのです。
川口さんという人と、道具としての『レポーター』が出てきます。なんとか探検隊という番組がありました。川口浩探検隊でした。梨本勝さんというレポーターさんもいました。おふたりとも癌で亡くなってしまいました。仕事に命を捧げた(ささげた)人たちでした。
映像ばかりの仮想空間が出てきます。『環境ビデオ』読んでいて、映像展示が多かった愛知万博の外国館を思い出しました。
スネ夫の弟で、「スネツグ」が登場しました。スネツグは、養子にいったそうです。ニューヨークのおじさんが養父でいっしょに住んでいるそうです。昔は、兄弟がたくさんだったこともあり、養子縁組をする人が多かった。男の子がいない家やこどもがいない家は、家の後継ぎを求めていました。
タケコプターを付けて、みんなが空中を飛んでいます。
昭和時代のこどもたちの姿に見えます。
『人間貯金箱製造機』いま日本では、金融機関が小銭を受け入れるのに手数料をとることが問題視されています。硬貨を預けるときに手数料がいる。枚数に応じてですが、金額によっては、手数料のほうが預けるお金よりも高くなります。
お客さんにとっては、不思議な現象です。キャッシュレスとか電子マネーとか、ほんとうに人間にとっていいことなのだろうか。
ジャイアンの妹がジャイ子です。妹思いの兄です。漫画家をめざすジャイ子には、モデルとなる女性が実在していたと、自分は思っています。
2022年01月29日
ママがもうこの世界にいなくても 遠藤和(えんどう・のどか)
ママがもうこの世界にいなくても 私の命の日記 遠藤和(えんどう・のどか) 小学館
結婚出産後、若くして癌(がん)で亡くなった女性のお話として話題になっている本です。
読んでみます。
(読み始めてから気づいたのですが、テレビ番組でとりあげられたそうです。自分は観たことはありません)
ことがらの内容から思い出すのは、重松清作品『その日の前に』です。
病気で余命宣告を受けた奥さんが、ご主人に言葉を残します。『(わたしのことは)忘れてもいいよ』「忘れていいよ」ではなくて、「忘れてもいいよ」が、つらい。本当は、忘れてほしくない。だけど、忘れてほしい。先に逝く(いく)者は、あとに残る者の幸せを願います。
あわせて同作者の『卒業』も名作です。親を病気で亡くして育ったこどもさんと継父・継母との関係においての苦悩が描かれています。こどもは、亡くなった実親のことが忘れられません。継父・継母は配偶者の連れ子に全力を尽くすのですが報われません(むくわれません)。
これから読む本は、日記形式の本です。思い出すもう一冊は、20歳で人生を思い詰めて京都市内の電車に飛び込み自殺をして亡くなった栃木県出身の高野悦子さん(たかのえつこさん)の日記『二十歳の原点(にじゅっさいのげんてん)』です。学生運動が盛んだった昭和40年代のお話です。1969年(昭和44年)20歳没。
それからもう一冊が『112日間のママ 清水健 小学館』です。奥さんが出産後、癌で亡くなられています。最後に、親子三人で記念の沖縄県竹富島へ旅行をされています。こどもさんが、生後112日の時にママは亡くなりました。
太川陽介さんと路線バスの乗り継ぎ旅をしているえびすよしかずさんは、前妻(51歳のとき)を病気で亡くして号泣されたあと、寂しさに耐えられず再婚して幸せに暮らしておられます。
後妻さんの娘さんを我が子のように育て、孫も授かって(さずかって)います。人間は強く生きることができます。(「ひとりぼっちを笑うな」蛭子能収(えびすよしかず)角川書店)
一般的に、人は、小中学校高校に通っている頃は、教室にいる全員がこれからもずっと生き続けると思いこんでいます。
ところが、五十代になって、同窓会の名簿をみると、同級生や先輩後輩だった人間が、何人も亡くなっていることに気づきます。病気や事故や自然災害や事件など、この世は危険がいっぱいです。
自分が歳をとってわかったのですが、自分自身も病気や事故などで、何度か死にそうな目にあって、老齢を迎えたという実感があります。生き続けるためには『幸運』が必要なのです。
人は亡くなる前に、この世に自分が存在していた証拠を遺したい(のこしたい)と思います。遺しておきたいものは、こどもであったり、孫であったり、ときに、『本』であったりもします。なにかしら、作品をこの世に遺して(のこして)おきたいのです。
これから読む本では、亡くなった女性は、日記を遺し、本を遺し、こどもさんをこの世に遺されました。命はつながれたのです。
遠藤和(のどか)さん。のんちゃん:癌のため24歳で死去。両親と妹ふたり。6歳年上の夫とあかちゃんあり。
2016年10月4日(平成28年)のちに夫婦となるふたりの出会いあり(本人19歳)
2018年(平成30年)癌が発覚(21歳)
2019年(令和元年)結婚(22歳)
2020年7月9日(令和2年)ご夫婦に、娘さん誕生。27週。帝王切開。体重1001g。(通常の誕生は40週ぐらい)(23歳)
2021年9月8日(令和3年)死去。(24歳)
『はじめに』は、ご主人による重い内容の出だしです。
2020年7月5日から日記が始まっています。
おなかの中にあった赤ちゃんの頭だと思っていた固まりが、2.5kgのがんの腫瘍だったとあります。驚きです。お生まれになったお子さんの体重は1kgぐらいです。
ウメ:飼い猫の名前。
三人で、川の字になって寝る。
抗ガン剤の影響で、髪が抜けてくる。
ケモ:悪性腫瘍に対する化学療法のこと。
12月21日が結婚記念日
本のつくりとして、日記の記録を、どうして時系列で並べなかったのだろう。
わかりにくいです。情報提供と情報整理が本の内容として不足しています。
あわせて、自分の読解力が弱いので、読んでいても、いつ、どこで、だれが、なにをしているのかをイメージできない読書になっています。明瞭ではない部分が多いので、何度も読み返しながらチェックをしています。
本は、以下の順番で記述されています。
1 2020年7月-2021年3月(23歳)(読み手の推測として、おそらく)余命三年のうち二年半が経過。青森の実家に居住。7月9日子誕生→夫の東京転勤が決定。著者のご家族一同も本人夫婦に遅れて、東京へ移住予定となる。
県病:青森県立中央病院。本書内での表記は、「県病」ではなく、正式名称のほうが読み手にはわかりやすかった。
善知鳥神社(うとうじんじゃ):青森県庁の北にある神社。本書中では、出てくるたびにふりがながほしい。
ラザニア:シート状の広くて平打ちのパスタ料理
2 2021年4月-同年7月(24歳)4月4日にご夫婦とお子さんの三人は、青森県から東京都内へ引越しをされた。しかし、病状が悪化して、4月9日に青森県へ帰郷して入院・手術を受けた。(日記だけでは、わかりにくいのですが、ご本人が入院中は、あかちゃんである娘さんは、奥さんの青森の実家にいたようです)4月29日に、ご本人と赤ちゃんと猫のウメと妹さんで東京へ戻っています。
5月17日に都内の病院、がんセンターというところへ入院されているようです。(この部分も不明瞭)5月27日退院。東京都内の自宅へ帰宅。妹さんが赤ちゃんの世話をしている。
メリディアン:MR画像誘導放射線治療装置
渋谷のプロント:カフェ、パスタ店
6月30日入院、抗がん剤治療をして、7月3日退院。7月10日赤ちゃんの初めての言葉を聞く。『パッパァ』
3 2021年8月(24歳)
著者による長い作文があります。これまでのふりかえりです。
翌月の9月8日に亡くなっています。
ご家族に対する感謝の内容です。
4 2016年9月-2017年9月(19歳から20歳)
2017年9月24日に、結婚申し込みと青森県内での同棲開始の話が出ました。
5 2018年8月-同年12月(21歳)
青森県内居住。9月5日両親に癌の告知あり。続いて本人に告知あり。9月6日退院。
6 2018年12月-2019年12月(21歳から22歳)
7 2019年12月-2020年7月(22歳から23歳)
2019年12月21日青森市役所に婚姻届を提出しました。同日が結婚式だったようです。(日記の記述から読み取って察するのです)
『結婚式より、お葬式のほうが、正直リアルだった』
2020年
1月27日:妊娠していることが判明しました。
2月5日:結婚式のようすが、テレビで放送されました。
7月9日:帝王切開でお子さんが誕生しました。
8 2021年7月-同年9月(24歳)
7月14日入院。同月16日退院。7月24日入院。8月11日退院。このあと入院したように思える記述なのですが明瞭ではありません。8月24日退院。
訪看(ほうかん):訪問看護。療養中の自宅に定期的(隔日)に看護師さんが来て、面談とか処置をしてくれるそうです。(喉(のど)につまったたんをとるなど)
2021年8月29日:最後の日記。こどもさんのようすがかわいい。
同年9月4日:ウメ(飼い猫)がベッドに近づかなくなった。
同年9月8日:妹さんの言葉として、お姉ちゃんは動かなかった。お姉ちゃんは、じっとしていた。
東京都内のご自宅で亡くなっています。
身内には、見送る覚悟がいります。
ご遺体は、東京の自宅からご実家のある青森県へ移送されて、葬儀が営まれています。
最後まで読んできて、今年読んで良かった一冊でした。
心に残った一行(いちぎょう)です。
『治る保証のないつらい治療を続けるより、緩和ケア病棟に移って穏やかに過ごすほうがいいのかな。答が出せない』
素直な時系列の順番としては、「4」から始まって→「5」→「6」→「7」→「1」→「2」→「3」→「8」です。
一度目の読書は、日記を流し読み気味に読み続けました。
『日常』が、積み重ねられていきます。
人により寿命の長短はありますが、命が尽きる日まで、同じような繰り返しの日々が経過していきます。
やがて、変化の兆しが見えてきて、大なり小なりのハプニングが起きます。
生後数か月のあかちゃんは、身長が61cmぐらい。体重が7.2kgです。
そういえば、自分自身も娘が誕生した年に3か月間ぐらい内臓の病気で入院していたことがあります。娘はまだ生まれて間もない姿で、一度だけ病院の大部屋に来てくれました。ベッドの上でおちゃんこして可愛らしかった。
60ページの著者の言葉『治らなくてもいいから、共存したい』は、身につまされます。(他人事(たにんごと)ではなく思われる)
叫びがあります。『痛い。もう、こんな身体(からだ)やめたい』
文字を書くことで、生き続けられるということはあります。
チューブだらけです。体に管(くだ)やストマ(人工肛門)や胃婁(いろう。人工的な栄養補給)の器具が取り付けられて、サイボーグ(人造人間)のようになっていきます。
『死ぬことはそんなに怖くないけれど……』本当にそうだろうか。
心は揺れ動きます。
『今度は、のんがみんなのこと守るからね』
『生きたい』
(5月20日)『なんとか生きている』
『インスタ』について書いてあります。
自分は『インスタグラム』というものがどういうものか知りません。
著者は、インスタのコメントに対して腹を立てておられます。
さらし者になっているような感じがあります。
だんだん痛々しい内容の日記になっていきます。
気の毒で、しっかり読めません。
体がどんどん壊れていきます。
まわりにいる親族の年齢層はまだ若い。夫、両親、妹たち。
著者を見送る心の準備が必要になります。
著者の言葉として『生き続ける努力と、死んだあとの準備』死んだあと、今はあかちゃんの娘さんが残ります。
何年も会っていなかった知人からの『会いたい』に対して、強い抗議があります。人は、非情なことを要求してきます。本人は、会いたくない。チューブだらけの姿を見られたくない。
杏雲堂病院:きょううんどうびょういん。字を読めませんでした。東京お茶の水駅南。地図を見たら、以前観光で訪れたことがある「ニコライ堂」の近くにありました。
身体障害者手帳をもらうと記述があります。
『1リットルの涙 木藤亜也(きとう・あや) 幻冬舎文庫』の一節を思い出しました。(1988年。昭和63年。病気のため24歳でご逝去(ごせいきょ))
書いてあったこととして、『Dr.に病気を治してと訴える。生徒手帳と身体障害者手帳をもらう。修学旅行先で気持ちの悪いものを見るように見つめられる。ついに歩けなくなる。自分は何のために生きているのか。結婚したい。自分にできることは、自分の死体を医学に役立ててもらうことだけ』
何枚かの家族写真が掲載されています。
どちらかといえば、家族のうちうちで共有してとっておきたい思い出です。
著者は亡くなってしまいましたが、あとに残る家族には未来があります。いろいろな未来のパターンがあります。
過去を変えることはできません。過去は過去として心の奥底に沈めて、今生きているメンバーが幸せになる未来を考えていかねばなりません。
本にして世間に出すのなら、出版する側としては、読み手へのメッセージが必要です。
医療、福祉、家族・夫婦の助け合い、心の支え、宗教もあるような気がします。
いろいろと積極的なご本人でした。
若いこともあって前向きです。
書中で、お名前の『和』の表記をすんなり『のどか』さんと読めませんでした。文字が出てくるたびにふりがながほしい。
ご主人は、のんさんの兄のような存在です。
19歳ぐらいのころの、のんさんは、まだこどもっぽい。
2017年3月20日に二十歳(はたち)を迎えられています。
函太郎:かんたろう。回転寿司店
大曲(おおまがり):秋田県にあった市。現在は大仙市(だいせんし)8月に花火大会が開催される。
病気に予兆があります。
18歳のときからみぞおちの左が痛かった。
自分もみぞおちの右が痛い時期が長らくありました。(胃かいようでした)
早期発見は大事です。
叫びに似た願いがあります。『心まで病気にしないでほしい』
ご両親にとって、孫が産まれることは嬉しいことです。
本人の言葉です。『お母さんみたいに、ママになりたい』
以前、抗がん剤を使用している人の映像をテレビ番組で観たことがあります。
病気の若い女性は、ぼんやりとされていました。
体がだるくなって、力が入らなくなって、ぼーっとしているような感じなのだろうと推測しました。
考える力も弱くなって、ふわふわした感覚なのでしょう。
こちらの本では、本人の言葉として、10kgやせてしまった。
抗がん剤使用中は、つらいことが多すぎて、生きるのでせいいっぱいだった。人生で一番「しょうがない」って言葉を聞いた年だった。(12月31日の日記)
腎ろう(じんろう):胃婁(いろう)は聞いたことがありますが、腎ろうは初めて知りました。尿の流れをチューブで確保する。
ポート:本体とカテーテル(管くだ)を皮膚の下に埋める。
体重は30kg台。
かなり、しんどい。
結婚出産後、若くして癌(がん)で亡くなった女性のお話として話題になっている本です。
読んでみます。
(読み始めてから気づいたのですが、テレビ番組でとりあげられたそうです。自分は観たことはありません)
ことがらの内容から思い出すのは、重松清作品『その日の前に』です。
病気で余命宣告を受けた奥さんが、ご主人に言葉を残します。『(わたしのことは)忘れてもいいよ』「忘れていいよ」ではなくて、「忘れてもいいよ」が、つらい。本当は、忘れてほしくない。だけど、忘れてほしい。先に逝く(いく)者は、あとに残る者の幸せを願います。
あわせて同作者の『卒業』も名作です。親を病気で亡くして育ったこどもさんと継父・継母との関係においての苦悩が描かれています。こどもは、亡くなった実親のことが忘れられません。継父・継母は配偶者の連れ子に全力を尽くすのですが報われません(むくわれません)。
これから読む本は、日記形式の本です。思い出すもう一冊は、20歳で人生を思い詰めて京都市内の電車に飛び込み自殺をして亡くなった栃木県出身の高野悦子さん(たかのえつこさん)の日記『二十歳の原点(にじゅっさいのげんてん)』です。学生運動が盛んだった昭和40年代のお話です。1969年(昭和44年)20歳没。
それからもう一冊が『112日間のママ 清水健 小学館』です。奥さんが出産後、癌で亡くなられています。最後に、親子三人で記念の沖縄県竹富島へ旅行をされています。こどもさんが、生後112日の時にママは亡くなりました。
太川陽介さんと路線バスの乗り継ぎ旅をしているえびすよしかずさんは、前妻(51歳のとき)を病気で亡くして号泣されたあと、寂しさに耐えられず再婚して幸せに暮らしておられます。
後妻さんの娘さんを我が子のように育て、孫も授かって(さずかって)います。人間は強く生きることができます。(「ひとりぼっちを笑うな」蛭子能収(えびすよしかず)角川書店)
一般的に、人は、小中学校高校に通っている頃は、教室にいる全員がこれからもずっと生き続けると思いこんでいます。
ところが、五十代になって、同窓会の名簿をみると、同級生や先輩後輩だった人間が、何人も亡くなっていることに気づきます。病気や事故や自然災害や事件など、この世は危険がいっぱいです。
自分が歳をとってわかったのですが、自分自身も病気や事故などで、何度か死にそうな目にあって、老齢を迎えたという実感があります。生き続けるためには『幸運』が必要なのです。
人は亡くなる前に、この世に自分が存在していた証拠を遺したい(のこしたい)と思います。遺しておきたいものは、こどもであったり、孫であったり、ときに、『本』であったりもします。なにかしら、作品をこの世に遺して(のこして)おきたいのです。
これから読む本では、亡くなった女性は、日記を遺し、本を遺し、こどもさんをこの世に遺されました。命はつながれたのです。
遠藤和(のどか)さん。のんちゃん:癌のため24歳で死去。両親と妹ふたり。6歳年上の夫とあかちゃんあり。
2016年10月4日(平成28年)のちに夫婦となるふたりの出会いあり(本人19歳)
2018年(平成30年)癌が発覚(21歳)
2019年(令和元年)結婚(22歳)
2020年7月9日(令和2年)ご夫婦に、娘さん誕生。27週。帝王切開。体重1001g。(通常の誕生は40週ぐらい)(23歳)
2021年9月8日(令和3年)死去。(24歳)
『はじめに』は、ご主人による重い内容の出だしです。
2020年7月5日から日記が始まっています。
おなかの中にあった赤ちゃんの頭だと思っていた固まりが、2.5kgのがんの腫瘍だったとあります。驚きです。お生まれになったお子さんの体重は1kgぐらいです。
ウメ:飼い猫の名前。
三人で、川の字になって寝る。
抗ガン剤の影響で、髪が抜けてくる。
ケモ:悪性腫瘍に対する化学療法のこと。
12月21日が結婚記念日
本のつくりとして、日記の記録を、どうして時系列で並べなかったのだろう。
わかりにくいです。情報提供と情報整理が本の内容として不足しています。
あわせて、自分の読解力が弱いので、読んでいても、いつ、どこで、だれが、なにをしているのかをイメージできない読書になっています。明瞭ではない部分が多いので、何度も読み返しながらチェックをしています。
本は、以下の順番で記述されています。
1 2020年7月-2021年3月(23歳)(読み手の推測として、おそらく)余命三年のうち二年半が経過。青森の実家に居住。7月9日子誕生→夫の東京転勤が決定。著者のご家族一同も本人夫婦に遅れて、東京へ移住予定となる。
県病:青森県立中央病院。本書内での表記は、「県病」ではなく、正式名称のほうが読み手にはわかりやすかった。
善知鳥神社(うとうじんじゃ):青森県庁の北にある神社。本書中では、出てくるたびにふりがながほしい。
ラザニア:シート状の広くて平打ちのパスタ料理
2 2021年4月-同年7月(24歳)4月4日にご夫婦とお子さんの三人は、青森県から東京都内へ引越しをされた。しかし、病状が悪化して、4月9日に青森県へ帰郷して入院・手術を受けた。(日記だけでは、わかりにくいのですが、ご本人が入院中は、あかちゃんである娘さんは、奥さんの青森の実家にいたようです)4月29日に、ご本人と赤ちゃんと猫のウメと妹さんで東京へ戻っています。
5月17日に都内の病院、がんセンターというところへ入院されているようです。(この部分も不明瞭)5月27日退院。東京都内の自宅へ帰宅。妹さんが赤ちゃんの世話をしている。
メリディアン:MR画像誘導放射線治療装置
渋谷のプロント:カフェ、パスタ店
6月30日入院、抗がん剤治療をして、7月3日退院。7月10日赤ちゃんの初めての言葉を聞く。『パッパァ』
3 2021年8月(24歳)
著者による長い作文があります。これまでのふりかえりです。
翌月の9月8日に亡くなっています。
ご家族に対する感謝の内容です。
4 2016年9月-2017年9月(19歳から20歳)
2017年9月24日に、結婚申し込みと青森県内での同棲開始の話が出ました。
5 2018年8月-同年12月(21歳)
青森県内居住。9月5日両親に癌の告知あり。続いて本人に告知あり。9月6日退院。
6 2018年12月-2019年12月(21歳から22歳)
7 2019年12月-2020年7月(22歳から23歳)
2019年12月21日青森市役所に婚姻届を提出しました。同日が結婚式だったようです。(日記の記述から読み取って察するのです)
『結婚式より、お葬式のほうが、正直リアルだった』
2020年
1月27日:妊娠していることが判明しました。
2月5日:結婚式のようすが、テレビで放送されました。
7月9日:帝王切開でお子さんが誕生しました。
8 2021年7月-同年9月(24歳)
7月14日入院。同月16日退院。7月24日入院。8月11日退院。このあと入院したように思える記述なのですが明瞭ではありません。8月24日退院。
訪看(ほうかん):訪問看護。療養中の自宅に定期的(隔日)に看護師さんが来て、面談とか処置をしてくれるそうです。(喉(のど)につまったたんをとるなど)
2021年8月29日:最後の日記。こどもさんのようすがかわいい。
同年9月4日:ウメ(飼い猫)がベッドに近づかなくなった。
同年9月8日:妹さんの言葉として、お姉ちゃんは動かなかった。お姉ちゃんは、じっとしていた。
東京都内のご自宅で亡くなっています。
身内には、見送る覚悟がいります。
ご遺体は、東京の自宅からご実家のある青森県へ移送されて、葬儀が営まれています。
最後まで読んできて、今年読んで良かった一冊でした。
心に残った一行(いちぎょう)です。
『治る保証のないつらい治療を続けるより、緩和ケア病棟に移って穏やかに過ごすほうがいいのかな。答が出せない』
素直な時系列の順番としては、「4」から始まって→「5」→「6」→「7」→「1」→「2」→「3」→「8」です。
一度目の読書は、日記を流し読み気味に読み続けました。
『日常』が、積み重ねられていきます。
人により寿命の長短はありますが、命が尽きる日まで、同じような繰り返しの日々が経過していきます。
やがて、変化の兆しが見えてきて、大なり小なりのハプニングが起きます。
生後数か月のあかちゃんは、身長が61cmぐらい。体重が7.2kgです。
そういえば、自分自身も娘が誕生した年に3か月間ぐらい内臓の病気で入院していたことがあります。娘はまだ生まれて間もない姿で、一度だけ病院の大部屋に来てくれました。ベッドの上でおちゃんこして可愛らしかった。
60ページの著者の言葉『治らなくてもいいから、共存したい』は、身につまされます。(他人事(たにんごと)ではなく思われる)
叫びがあります。『痛い。もう、こんな身体(からだ)やめたい』
文字を書くことで、生き続けられるということはあります。
チューブだらけです。体に管(くだ)やストマ(人工肛門)や胃婁(いろう。人工的な栄養補給)の器具が取り付けられて、サイボーグ(人造人間)のようになっていきます。
『死ぬことはそんなに怖くないけれど……』本当にそうだろうか。
心は揺れ動きます。
『今度は、のんがみんなのこと守るからね』
『生きたい』
(5月20日)『なんとか生きている』
『インスタ』について書いてあります。
自分は『インスタグラム』というものがどういうものか知りません。
著者は、インスタのコメントに対して腹を立てておられます。
さらし者になっているような感じがあります。
だんだん痛々しい内容の日記になっていきます。
気の毒で、しっかり読めません。
体がどんどん壊れていきます。
まわりにいる親族の年齢層はまだ若い。夫、両親、妹たち。
著者を見送る心の準備が必要になります。
著者の言葉として『生き続ける努力と、死んだあとの準備』死んだあと、今はあかちゃんの娘さんが残ります。
何年も会っていなかった知人からの『会いたい』に対して、強い抗議があります。人は、非情なことを要求してきます。本人は、会いたくない。チューブだらけの姿を見られたくない。
杏雲堂病院:きょううんどうびょういん。字を読めませんでした。東京お茶の水駅南。地図を見たら、以前観光で訪れたことがある「ニコライ堂」の近くにありました。
身体障害者手帳をもらうと記述があります。
『1リットルの涙 木藤亜也(きとう・あや) 幻冬舎文庫』の一節を思い出しました。(1988年。昭和63年。病気のため24歳でご逝去(ごせいきょ))
書いてあったこととして、『Dr.に病気を治してと訴える。生徒手帳と身体障害者手帳をもらう。修学旅行先で気持ちの悪いものを見るように見つめられる。ついに歩けなくなる。自分は何のために生きているのか。結婚したい。自分にできることは、自分の死体を医学に役立ててもらうことだけ』
何枚かの家族写真が掲載されています。
どちらかといえば、家族のうちうちで共有してとっておきたい思い出です。
著者は亡くなってしまいましたが、あとに残る家族には未来があります。いろいろな未来のパターンがあります。
過去を変えることはできません。過去は過去として心の奥底に沈めて、今生きているメンバーが幸せになる未来を考えていかねばなりません。
本にして世間に出すのなら、出版する側としては、読み手へのメッセージが必要です。
医療、福祉、家族・夫婦の助け合い、心の支え、宗教もあるような気がします。
いろいろと積極的なご本人でした。
若いこともあって前向きです。
書中で、お名前の『和』の表記をすんなり『のどか』さんと読めませんでした。文字が出てくるたびにふりがながほしい。
ご主人は、のんさんの兄のような存在です。
19歳ぐらいのころの、のんさんは、まだこどもっぽい。
2017年3月20日に二十歳(はたち)を迎えられています。
函太郎:かんたろう。回転寿司店
大曲(おおまがり):秋田県にあった市。現在は大仙市(だいせんし)8月に花火大会が開催される。
病気に予兆があります。
18歳のときからみぞおちの左が痛かった。
自分もみぞおちの右が痛い時期が長らくありました。(胃かいようでした)
早期発見は大事です。
叫びに似た願いがあります。『心まで病気にしないでほしい』
ご両親にとって、孫が産まれることは嬉しいことです。
本人の言葉です。『お母さんみたいに、ママになりたい』
以前、抗がん剤を使用している人の映像をテレビ番組で観たことがあります。
病気の若い女性は、ぼんやりとされていました。
体がだるくなって、力が入らなくなって、ぼーっとしているような感じなのだろうと推測しました。
考える力も弱くなって、ふわふわした感覚なのでしょう。
こちらの本では、本人の言葉として、10kgやせてしまった。
抗がん剤使用中は、つらいことが多すぎて、生きるのでせいいっぱいだった。人生で一番「しょうがない」って言葉を聞いた年だった。(12月31日の日記)
腎ろう(じんろう):胃婁(いろう)は聞いたことがありますが、腎ろうは初めて知りました。尿の流れをチューブで確保する。
ポート:本体とカテーテル(管くだ)を皮膚の下に埋める。
体重は30kg台。
かなり、しんどい。
2022年01月28日
ワケあり!?なるほど語源辞典
ワケあり!?なるほど語源辞典 監修・冨樫純一 絵・さがわゆめこ 編者・グラフィオ 金の星社
子どもさん向けだろうと思って読み始めましたが、小学校低学年にはむずかしすぎそうです。
51ページまで読んだところで、感想を書き始めます。全体は、143ページです。
言葉の語源です。本のカバーには『おまる』『うぐいす』『からだ』などが書いてあり、なにやら楽しそうです。
もくじを見ます。
第1章 人・体・生き物編
第2章 身近なコトバ編
第3章 伝統文化・宗教編
第4章 ことわざ・慣用句・外来語編
『体(からだ)』は、「からっぽだ」から体になった。わたしは、体は借り物だという意識をもっています。魂が(たましいが)体を借りているのです。
死んだら魂は体から抜けると解釈しています。ゆえに、遺体である死体の中には、もうその人はいないと感じています。抜け殻(がら)なのです。
『はは(母)』の発音は、大昔は『ぱぱ』だったそうです。パパは英語です。「はは」ではなく、「かあちゃん」が庶民の言葉のような気がします。
『いぬ』の語源です。犬は昔、「インイン」と鳴いていたそうな。ゆえに「いぬ」になったそうな。ふーむ。
『きゅうり』は、黄色く熟するから黄色い瓜で「きゅうり」だそうです。昔は、黄色くなってから食べていたのか。今は、緑色のときに食べます。
『さめ』は、「小さい目」という意味だそうです。なるほど。おもしろい。海のギャング「サメ」です。「シャチ」の語源はなんだろう。本には書いてありません。
『ねこ』は、よく寝る子だから「ねこ」なるほど。
昆虫や小動物、植物の語源がたくさん書いてあります。
さて、第2章を読みます。
小学校低学年のこどもでも興味をもって読める部分があります。
『ありがとう』は、有ることが難い(かたい。むずかしい)なかなかないことだ。だから、神さまに感謝するのだ。ゆえに「ありがとう」という流れだそうです。そうか。ありがたい言葉です。
『生きる』は、息をするから「生きる」という説明の文脈です。案外生きることは簡単なのかもしれない。息をし続ければ生き続けることができるのです。
思い悩むことがあったとしても息をし続ければいいのです。
『すばらしい』は『みすぼらしい』を嫌味(いやみ。相手に対していじわるで)で言った言葉だそうです。みすぼらしい、みすぼらしい、すぼらしい、すばらしい。意外でした。
触れた時に爪が痛いから『冷たい』なるほど。
『さようなら』さようならば。それじゃ。さらば。あばよ。さようならばよ。ごきげんよう。おさらば。それなら。そんなら。別れの言葉はいろいろあります。おもしろい。
『勉強』は中国から伝わってきた言葉で、いやいや努力することだそうです。自分が思うに、勉強とは、ひとりでコツコツ孤独にやるものです。飲食店や公共スペースの人がいっぱいいるところで人に囲まれて、テーブルの上に勉強道具を広げている学生さんたちは勉強しているふりをしているのです。
『おまる』小さい子にうけそうです。(うける:喜ぶ)おまるとは、『くそまる』ということ。くそはうんこで、まるは行為を表す。ふたつ合わせて、排便という意味だそうです。「うんこをする」くそまる。くそまる。おまる。と変化した。古事記や日本書紀に書いてあるそうです。人間の行為の基本です。食べて出す。
なかなかいい本です。
今年読んで良かった一冊になりました。
『世界』は仏教用語だそうです。『世』が、過去・現在・未来の時間。『界』が東西南北上下の空間。なるほど。納得しました。
テレビ番組『チコちゃんに叱られる』の問題になりそうなことがたくさん掲載されています。
47都道府県の由来は、おもしろみはありませんが、知識習得としての勉強にはなりました。
全体をとおして『万葉集』『古事記』『日本書紀』が起源とか説明の根拠です。「言葉」は、奈良・平安時代と江戸時代に発達した。枕草子とか源氏物語とか。
江戸時代をつくった徳川家康さんは偉大です。
小学校低学年の孫たちにはむずかしそうですが、いちおうこの本を与えてみます。
案外、興味をもってくれるかも。
『芝居(しばい)』芝の上に居てやるから芝居。なるほど。案外、単純な成り立ちの言葉もあります。
『だいじょうぶ』は、中国語からきた言葉だそうです。対立ばかりせず、隣国の人たちとは仲良くしたい。
『土壇場(どたんば)』は、斬首場(ざんしゅじょう。死刑を執行する所)だそうです。恐ろしい。死んじゃいます。
『ばか』は、サンスクリット語(ヒンドゥー教の言語)で「モハ(無知)」が変化したそうです。モハ、モハ、モハ、バカ。『瓦(かわら)』もまたサンスクリット語で、「カパーラ」カパーラ、カパーラ、カワラ。
遠い昔から国際交流は盛んだったとわかります。
『市松模様(いちまつもよう)』は、歌舞伎からきている。
鬼滅の刃の模様も市松模様ではなかろうか。
落語の『オチ』は、締めくくりの部分。
第4章はちょっとむずかしい。ことわざ・慣用句・外来語編です。
『青二才(あおにさい)』青は青い果実。二才はお魚の二才魚で、どちらも未熟という意味だそうです。
『頭隠して尻隠さず』が、鳥のキジのことだとは知りませんでした。サルのことだろうと思っていました。「見ざる聞かざる言わざる」からそう思ったのです。
『いたちごっこ』いたちごっこ、ねずみごっこと言って、延々と相手をつねるこどもの遊びだそうです。知らないことばかりです。
『うちあわせ(打合せ)』は、雅楽からきている。
『そりがあわない』は、日本刀の刃(やいば)と鞘(さや)の組み合わせからきている。なるほど。
『たぬきねいり』は、たぬきが寝たふりをする。(死んだふりをする)クマに会った時は、人間が死んだふりをする。
『つきとすっぽん』月もすっぽんも丸いけれど、ぜんぜん違う。
『W.C』というトイレをさす言葉は、日本でしか使われていないそうです。ウオーター・クローゼット(便所、手洗い場)
『トラベル』今では旅行は慰安ですが、昔は拷問のようなものだったそうです。トラベルの語源は拷問するときの器具だそうです。怖い。昔の旅行は、徒歩によるもで、かつ、盗賊や獣がいて危険だった。
『ハイジャック』「ハーイ、ジャック!」と乗務員に声をかけて、拳銃を向けて、航空機を乗っ取るところからきたそうな。本当だろうか。
『マニア』は、ギリシャ語で「狂気」。いまでは、良い意味で使われています。
『ミシン』は、機械「マシーン」からきている。なるほど。
ほかにもたくさん解説があります。
読んでいて楽しかった。
子どもさん向けだろうと思って読み始めましたが、小学校低学年にはむずかしすぎそうです。
51ページまで読んだところで、感想を書き始めます。全体は、143ページです。
言葉の語源です。本のカバーには『おまる』『うぐいす』『からだ』などが書いてあり、なにやら楽しそうです。
もくじを見ます。
第1章 人・体・生き物編
第2章 身近なコトバ編
第3章 伝統文化・宗教編
第4章 ことわざ・慣用句・外来語編
『体(からだ)』は、「からっぽだ」から体になった。わたしは、体は借り物だという意識をもっています。魂が(たましいが)体を借りているのです。
死んだら魂は体から抜けると解釈しています。ゆえに、遺体である死体の中には、もうその人はいないと感じています。抜け殻(がら)なのです。
『はは(母)』の発音は、大昔は『ぱぱ』だったそうです。パパは英語です。「はは」ではなく、「かあちゃん」が庶民の言葉のような気がします。
『いぬ』の語源です。犬は昔、「インイン」と鳴いていたそうな。ゆえに「いぬ」になったそうな。ふーむ。
『きゅうり』は、黄色く熟するから黄色い瓜で「きゅうり」だそうです。昔は、黄色くなってから食べていたのか。今は、緑色のときに食べます。
『さめ』は、「小さい目」という意味だそうです。なるほど。おもしろい。海のギャング「サメ」です。「シャチ」の語源はなんだろう。本には書いてありません。
『ねこ』は、よく寝る子だから「ねこ」なるほど。
昆虫や小動物、植物の語源がたくさん書いてあります。
さて、第2章を読みます。
小学校低学年のこどもでも興味をもって読める部分があります。
『ありがとう』は、有ることが難い(かたい。むずかしい)なかなかないことだ。だから、神さまに感謝するのだ。ゆえに「ありがとう」という流れだそうです。そうか。ありがたい言葉です。
『生きる』は、息をするから「生きる」という説明の文脈です。案外生きることは簡単なのかもしれない。息をし続ければ生き続けることができるのです。
思い悩むことがあったとしても息をし続ければいいのです。
『すばらしい』は『みすぼらしい』を嫌味(いやみ。相手に対していじわるで)で言った言葉だそうです。みすぼらしい、みすぼらしい、すぼらしい、すばらしい。意外でした。
触れた時に爪が痛いから『冷たい』なるほど。
『さようなら』さようならば。それじゃ。さらば。あばよ。さようならばよ。ごきげんよう。おさらば。それなら。そんなら。別れの言葉はいろいろあります。おもしろい。
『勉強』は中国から伝わってきた言葉で、いやいや努力することだそうです。自分が思うに、勉強とは、ひとりでコツコツ孤独にやるものです。飲食店や公共スペースの人がいっぱいいるところで人に囲まれて、テーブルの上に勉強道具を広げている学生さんたちは勉強しているふりをしているのです。
『おまる』小さい子にうけそうです。(うける:喜ぶ)おまるとは、『くそまる』ということ。くそはうんこで、まるは行為を表す。ふたつ合わせて、排便という意味だそうです。「うんこをする」くそまる。くそまる。おまる。と変化した。古事記や日本書紀に書いてあるそうです。人間の行為の基本です。食べて出す。
なかなかいい本です。
今年読んで良かった一冊になりました。
『世界』は仏教用語だそうです。『世』が、過去・現在・未来の時間。『界』が東西南北上下の空間。なるほど。納得しました。
テレビ番組『チコちゃんに叱られる』の問題になりそうなことがたくさん掲載されています。
47都道府県の由来は、おもしろみはありませんが、知識習得としての勉強にはなりました。
全体をとおして『万葉集』『古事記』『日本書紀』が起源とか説明の根拠です。「言葉」は、奈良・平安時代と江戸時代に発達した。枕草子とか源氏物語とか。
江戸時代をつくった徳川家康さんは偉大です。
小学校低学年の孫たちにはむずかしそうですが、いちおうこの本を与えてみます。
案外、興味をもってくれるかも。
『芝居(しばい)』芝の上に居てやるから芝居。なるほど。案外、単純な成り立ちの言葉もあります。
『だいじょうぶ』は、中国語からきた言葉だそうです。対立ばかりせず、隣国の人たちとは仲良くしたい。
『土壇場(どたんば)』は、斬首場(ざんしゅじょう。死刑を執行する所)だそうです。恐ろしい。死んじゃいます。
『ばか』は、サンスクリット語(ヒンドゥー教の言語)で「モハ(無知)」が変化したそうです。モハ、モハ、モハ、バカ。『瓦(かわら)』もまたサンスクリット語で、「カパーラ」カパーラ、カパーラ、カワラ。
遠い昔から国際交流は盛んだったとわかります。
『市松模様(いちまつもよう)』は、歌舞伎からきている。
鬼滅の刃の模様も市松模様ではなかろうか。
落語の『オチ』は、締めくくりの部分。
第4章はちょっとむずかしい。ことわざ・慣用句・外来語編です。
『青二才(あおにさい)』青は青い果実。二才はお魚の二才魚で、どちらも未熟という意味だそうです。
『頭隠して尻隠さず』が、鳥のキジのことだとは知りませんでした。サルのことだろうと思っていました。「見ざる聞かざる言わざる」からそう思ったのです。
『いたちごっこ』いたちごっこ、ねずみごっこと言って、延々と相手をつねるこどもの遊びだそうです。知らないことばかりです。
『うちあわせ(打合せ)』は、雅楽からきている。
『そりがあわない』は、日本刀の刃(やいば)と鞘(さや)の組み合わせからきている。なるほど。
『たぬきねいり』は、たぬきが寝たふりをする。(死んだふりをする)クマに会った時は、人間が死んだふりをする。
『つきとすっぽん』月もすっぽんも丸いけれど、ぜんぜん違う。
『W.C』というトイレをさす言葉は、日本でしか使われていないそうです。ウオーター・クローゼット(便所、手洗い場)
『トラベル』今では旅行は慰安ですが、昔は拷問のようなものだったそうです。トラベルの語源は拷問するときの器具だそうです。怖い。昔の旅行は、徒歩によるもで、かつ、盗賊や獣がいて危険だった。
『ハイジャック』「ハーイ、ジャック!」と乗務員に声をかけて、拳銃を向けて、航空機を乗っ取るところからきたそうな。本当だろうか。
『マニア』は、ギリシャ語で「狂気」。いまでは、良い意味で使われています。
『ミシン』は、機械「マシーン」からきている。なるほど。
ほかにもたくさん解説があります。
読んでいて楽しかった。
2022年01月27日
太川&えびすの路線バス乗り継ぎの旅 名古屋から能登半島
太川&えびすのローカル路線バス乗り継ぎの旅 第14弾 名古屋から能登半島最北端の岬 2013年4月放送分の再放送 BSテレ東
2013年(平成25年)リアルタイム放送の時は、家族が見ていた自宅の居間にあるテレビで、ちらりと10分程度見ただけです。名古屋市内にある市役所交差点付近の映像でした。
今回の再放送ではじめてきちんと最初から最後まで見ました。
見慣れた場所の映像もあります。
なかなか良かった。
ゲストは、森下千里さんです。
映像を観て、十年ぐらい前にこの方といっしょに写真におさまったことがあるのを思い出しました。
知り合いから、タレントさんがいるので、一緒に写真を撮りましょうとお誘いを受けて、知り合いふたりと自分と森下千里さんの4人で横並びになって、かしこまったような姿で記念写真を撮ってもらいました。森下千里さんは、背が高くて、やせていて、すらりとした女性でした。
その時は、森高千里さんという歌を歌う人は聞いたことがあるけれど、森下千里さんという人は知らないなあと思いました。あとで調べたら、レースクイーンとかグラビアギャルとかで、お色気系で売っているタレントさんだと知りました。
現在は芸能界を引退されているようです。昨年あった衆議院選挙のときに、東北で立候補されて落選されています。波乱の人生を歩んでおられるようです。
今回テレビで観た路線バスの旅では、前向きな姿勢で、ガンガンがんばる人でした。
三人のチャレンジは、成功しました。
名古屋駅前から石川県能登半島のさきっぽまで、路線バスというか、地域バス(コミュニティバス)のおかげで、乗り継いでたどり着くことができました。たいしたものです。とてもまねできません。
名古屋駅前は、昔の駅前風景です。現在は、映像にある当時の建物が取り壊されて新しいビルが建ち、駅前の顔が変わっています。
旅の途中、無料の地域バスに乗った三人です。
無料と聞いてえびすさんが『よそ者でも無料?』(無料です。たぶん、乗車料金の収納事務が発生すると、人件費とか経費がかかってめんどうな負担になるのでしょう)
愛知県小牧市内で乗り合わせた奥様方もあれから十年ぐらいが経過していますので、お元気でしょうかと気になります。みんな十歳ぐらい歳をとりました。映像での地元のおばちゃんたちとのあれやこれやが楽しい。車内ではずむような会話がありました。満開の桜並木の風景も良かった。
時間のロスがありましたが、最終的にチャレンジは成功しました。しかもこの当時の最速時間で能登半島の最北端に到着しました。(午後1時40分)
えびすよしかずさんは、当時65歳と番組内で発言しています。
えびすさん語録として『雀荘(じゃんそう)で役満(やくまん)をあがった瞬間に死にたい。(太川陽介さんに向かって)俺が死んでも(路線バスの旅は)続けてね』えびすさんは死んではいませんが、認知症になってしまいました。
名鉄バスのバス停で、テイクアウトのカレーを食べる三人さんです。
名古屋駅から岐阜駅まで、電車なら20分から30分ぐらいだと思うのですが、三人は路線バスを乗り継いで、半日ぐらいかけて岐阜駅にたどりつきます。そもそも車なら一日で能登半島まで行けると思うのですが、路線バスだと四日間かかります。スピードじゃない旅です。達成感を味わうための旅です。観ていると、この世は『金』だけで動いているのではないと思えてくるのです。(効率優先の資本主義に反発したくなるのです)
森下千里さんの男性のタイプをたずねるえびすよしかずさんです。『サムライみたいな人』『じゃ、オレは真逆だ』
えびすよしかずさんとか、『男はつらいよ』の渥美清さんが演じるフーテンの寅さんは『だめな大人』という個性です。映像を観た男は、あれでいいのなら、自分だってできるとか、自分でもだいじょうぶだろうという安心感と勇気と自信をもちます。えびすさんも寅さんも未来への希望の光なのです。
相手の気持ちを考えずに、相手が怒りそうなことを平気で言うえびすよしかずさんです。『(エーザイの薬博物館を見学にと勧められて)おもしろそうじゃない』『(旅館への宿泊について)旅館はいやだ。旅館はとんでもないところがある』
この当時は、現在の太川陽介さんが出ている競争形式旅番組と違って、バス乗りかえの長い待ち時間を使って地元の観光をしています。
えびすよしかずさんは、太川陽介さんのような熱血まじめタイプが苦手でしょうし、逆に太川陽介さんは、えびすよしかずさんのようなだらしない人は嫌だろうとわかります。絶妙なコンビでした。間に入るゲストの女性は気苦労が多かったことでしょう。
富山駅前風景では、先日テレビのブラタモリで観た薬売りの像が映っていました。ブラタモリで流れた雪をかぶった立山連峰の景色をいつか観たい。
新潟県に住む6歳の男の子から太川陽介さんへのお手紙が良かった。子どもさんは今ごろ15歳ぐらいに成長していると思います。太川陽介さんもこどもさんに返事を書いたと言っていました。太川陽介さんは、手紙をお守り代わりにしてがんばったのでゴールできたと喜んでおられました。
富山県氷見市(ひみし)のバス停で、『笑ゥせぇるすまん』の藻黒福蔵(もぐろふくぞう)の背中の映像がチラリと見えました。今、ドラえもんのコミックを順番に読んでいるのですが、藤子不二雄さんの相方の安孫子元雄(あびこもとお)さんの作品なので縁を感じました。
能登半島の漁村の海岸風景の映像を観ながら、自分が幼児期に暮らした漁村の風景を思い出しました。
森下千里さんの『さようなら富山、こんにちは石川』という言葉が良かった。
最後のバス停の名称が『狼煙(のろし)』
ゴール達成の狼煙が上がったみたいでした。(煙の合図あいず)
おめでとうございました。
2013年(平成25年)リアルタイム放送の時は、家族が見ていた自宅の居間にあるテレビで、ちらりと10分程度見ただけです。名古屋市内にある市役所交差点付近の映像でした。
今回の再放送ではじめてきちんと最初から最後まで見ました。
見慣れた場所の映像もあります。
なかなか良かった。
ゲストは、森下千里さんです。
映像を観て、十年ぐらい前にこの方といっしょに写真におさまったことがあるのを思い出しました。
知り合いから、タレントさんがいるので、一緒に写真を撮りましょうとお誘いを受けて、知り合いふたりと自分と森下千里さんの4人で横並びになって、かしこまったような姿で記念写真を撮ってもらいました。森下千里さんは、背が高くて、やせていて、すらりとした女性でした。
その時は、森高千里さんという歌を歌う人は聞いたことがあるけれど、森下千里さんという人は知らないなあと思いました。あとで調べたら、レースクイーンとかグラビアギャルとかで、お色気系で売っているタレントさんだと知りました。
現在は芸能界を引退されているようです。昨年あった衆議院選挙のときに、東北で立候補されて落選されています。波乱の人生を歩んでおられるようです。
今回テレビで観た路線バスの旅では、前向きな姿勢で、ガンガンがんばる人でした。
三人のチャレンジは、成功しました。
名古屋駅前から石川県能登半島のさきっぽまで、路線バスというか、地域バス(コミュニティバス)のおかげで、乗り継いでたどり着くことができました。たいしたものです。とてもまねできません。
名古屋駅前は、昔の駅前風景です。現在は、映像にある当時の建物が取り壊されて新しいビルが建ち、駅前の顔が変わっています。
旅の途中、無料の地域バスに乗った三人です。
無料と聞いてえびすさんが『よそ者でも無料?』(無料です。たぶん、乗車料金の収納事務が発生すると、人件費とか経費がかかってめんどうな負担になるのでしょう)
愛知県小牧市内で乗り合わせた奥様方もあれから十年ぐらいが経過していますので、お元気でしょうかと気になります。みんな十歳ぐらい歳をとりました。映像での地元のおばちゃんたちとのあれやこれやが楽しい。車内ではずむような会話がありました。満開の桜並木の風景も良かった。
時間のロスがありましたが、最終的にチャレンジは成功しました。しかもこの当時の最速時間で能登半島の最北端に到着しました。(午後1時40分)
えびすよしかずさんは、当時65歳と番組内で発言しています。
えびすさん語録として『雀荘(じゃんそう)で役満(やくまん)をあがった瞬間に死にたい。(太川陽介さんに向かって)俺が死んでも(路線バスの旅は)続けてね』えびすさんは死んではいませんが、認知症になってしまいました。
名鉄バスのバス停で、テイクアウトのカレーを食べる三人さんです。
名古屋駅から岐阜駅まで、電車なら20分から30分ぐらいだと思うのですが、三人は路線バスを乗り継いで、半日ぐらいかけて岐阜駅にたどりつきます。そもそも車なら一日で能登半島まで行けると思うのですが、路線バスだと四日間かかります。スピードじゃない旅です。達成感を味わうための旅です。観ていると、この世は『金』だけで動いているのではないと思えてくるのです。(効率優先の資本主義に反発したくなるのです)
森下千里さんの男性のタイプをたずねるえびすよしかずさんです。『サムライみたいな人』『じゃ、オレは真逆だ』
えびすよしかずさんとか、『男はつらいよ』の渥美清さんが演じるフーテンの寅さんは『だめな大人』という個性です。映像を観た男は、あれでいいのなら、自分だってできるとか、自分でもだいじょうぶだろうという安心感と勇気と自信をもちます。えびすさんも寅さんも未来への希望の光なのです。
相手の気持ちを考えずに、相手が怒りそうなことを平気で言うえびすよしかずさんです。『(エーザイの薬博物館を見学にと勧められて)おもしろそうじゃない』『(旅館への宿泊について)旅館はいやだ。旅館はとんでもないところがある』
この当時は、現在の太川陽介さんが出ている競争形式旅番組と違って、バス乗りかえの長い待ち時間を使って地元の観光をしています。
えびすよしかずさんは、太川陽介さんのような熱血まじめタイプが苦手でしょうし、逆に太川陽介さんは、えびすよしかずさんのようなだらしない人は嫌だろうとわかります。絶妙なコンビでした。間に入るゲストの女性は気苦労が多かったことでしょう。
富山駅前風景では、先日テレビのブラタモリで観た薬売りの像が映っていました。ブラタモリで流れた雪をかぶった立山連峰の景色をいつか観たい。
新潟県に住む6歳の男の子から太川陽介さんへのお手紙が良かった。子どもさんは今ごろ15歳ぐらいに成長していると思います。太川陽介さんもこどもさんに返事を書いたと言っていました。太川陽介さんは、手紙をお守り代わりにしてがんばったのでゴールできたと喜んでおられました。
富山県氷見市(ひみし)のバス停で、『笑ゥせぇるすまん』の藻黒福蔵(もぐろふくぞう)の背中の映像がチラリと見えました。今、ドラえもんのコミックを順番に読んでいるのですが、藤子不二雄さんの相方の安孫子元雄(あびこもとお)さんの作品なので縁を感じました。
能登半島の漁村の海岸風景の映像を観ながら、自分が幼児期に暮らした漁村の風景を思い出しました。
森下千里さんの『さようなら富山、こんにちは石川』という言葉が良かった。
最後のバス停の名称が『狼煙(のろし)』
ゴール達成の狼煙が上がったみたいでした。(煙の合図あいず)
おめでとうございました。
2022年01月26日
アラフォー ウーバーイーツ配達員ヘロヘロ日記 渡辺雅史
アラフォー ウーバーイーツ配達員ヘロヘロ日記 渡辺雅史 ワニブックス
これまで、職業体験の本を読み継いできました。以下、三五館シンシャとフォレスト出版で、『電気メーター検針員』『出版翻訳家』『タクシードライバー』『夫婦で住み込みのマンション管理員』『非正規介護職員』『ケアマネジャー』『交通誘導員(警備員)』『派遣添乗員(旅行)』
それから、『コンビニ店員』(コンビニのレジから見た日本人 竹内稔 商業界)
今回は、ウーバーイーツの配達員という職について読んでみることにしました。ウーバーイーツを利用したことはありません。
これまで、何冊かの労働体験本を読んで気づいたことがあります。書いた人の何人かは、ライター志望者であり、ライターの人だったりしました。(ライター(文筆仕事)だけでは生活ができない)
今回の著者も物書きの方です。
著者によるこれまで、3年4か月の体験記です。本の中では46歳です。
びっくりしたのは、自前の自転車で配達するのではなく、シェアという借りる電動自転車です。
あわせて、40代肥満体形です。びゅんびゅんと自転車をこぐ姿をイメージできません。
まえがきは、自虐的に『こんな人生にならないために……』というメッセージです。
ページのデザインとか、文字のレイアウトがこっています。
ウーバーイーツというのは『組織』という集団の中で、上司や部下、同僚たちとチームワークで働けない人がする職だとピンときました。
物書きの方なので、文字数が多くて、くどい面があります。
スマホでアプリケーションソフトをダウンロードして登録したあと、パートナーセンターへ行けば、配達労働活動が開始できるそうです。
サラリーマンの雇用契約とは異なります。個人事業主です。確定申告とか、国民健康保険、国民年金への加入など、きちょうめんさが要求されると思うのですが、実態は自分にはわかりません。
ウーバーイーツという会社がある。アメリカの会社ですが、日本版もある。
本によれば、配達員への支払いは、週払いとなっている。月曜日から日曜日の分が、翌週の水曜日に支払われる。(口座振り込み)
読んでいて、自分は利用することはないだろうと思いました。外食はほとんどしません。それから配達料を払うのが惜しい。必要なら自分で商品を買いに行きます。
説明書を読んでいるような文脈です。
これからウーバーイーツの配達員をしてみようと思っている人には便利な実用書です。
「読み物」として読もうとすると、人間ドラマの物語の部分が少ないので、物足りない。
ちょっと良かった文章として『コロナ前22時以降の注文でよく届けていたのが病院だ……』
フリーランス:会社や団体に所属しない。個人で仕事を請け負う。
「名古屋に出稼ぎに行ってみた」という記事があります。
名古屋市という旅先で、レンタル自転車を借りてでも仕事ができるということに驚きました。
地理は、スマホのアプリで間に合うのでしょう。
名古屋市の道路が広いのは、第二次世界大戦中に空襲で広い範囲が焼失して、戦後復興をするときに、市民の安全と快適空間の確保と経済発展を目的として、道路を広くする都市計画のプランがつくられて実行されたと教わったことがあります。
国内大手自動車メーカーがあるのは、名古屋市からは離れた位置にある市なので、著者が推測するような大手自動車メーカーと名古屋市内の広い道路との関連はないと思います。
以前、アフリカひとり旅をした女性が書いた旅行記で読んだ『世界は、誤解と錯覚で成り立っている』という言葉を思い出します。
戦後まもなくの日本の自動車産業は、黎明期(れいめいき。夜明けの時期)でした。
自動車とかバイクの構造を調べるために、アメリカ合衆国に視察に行って、工場見学をしたけれど、カメラが高額で持参できず、みんなで、ノートに鉛筆で構造図を書いて、手書きで部品の名称や機能のメモを書き入れて資料にしたという話を聞いたことがあります。
もうひとつ名古屋のことが書いてあります。
名古屋人は『ケチ』というものです。人によりけりだと思うのですが、まあ、ケチというよりも、一般的に、日本中、戦争体験者は『節約』とか『もったいない』精神が徹底しています。
細部では、名古屋の『値引き交渉』は、他の地区よりも厳しいと思います。個人事業主をしている人などは、だいたいの原価を知っているので強気で攻めます。
関連して、製造業の町です。文化とか芸術面ではおもしろみはありませんが、地道に生活していくのには適しています。
東京は、たまに観光で訪れるだけでいい。不動産価格が異常に高いし、人が多すぎます。
さて本のほうです。76ページ付近まできました。
お話の中身に、人生の潤いが(うるおい。落ち着きのある感情の動き。ゆとり)がありません。『記録』になっています。日誌を読むようです。
ひとつの項目の文字数が少ないので物足りない。
スマホのスクリーンショット:自分はやりかたを知らないので、練習してみました。ウーバーイーツだと、収入証明のために必要なときがあったそうです。
チップがもらえるそうです。
外国人のお客さんからは自然にもらえるそうです。
読んでいると、学歴は関係ない職だと思えてきます。スマホの操作技術は必要です。
一般的な若いサラリーマンだと、月に手取りが18万円ぐらいの人が多いと思うのですが、手取り金額だけでいうと、ウーバーイーツをしたほうがもうかりそうです。
されど、労働の自由度は高いけれど、報酬の金額が100円単位で、ほかの仕事のほうが最終的には稼げると思ってしまいます。
働いていると、学生や若いにいちゃんたちが、年長のまじめな労働者をばかにした態度をすることがあります。そんな記述があります。
人間は感情の生きものです。相手が親切であれば、年長者も親切でお返しします。相手が、年長者の人格を否定するような態度でくれば、年長者も相手を冷遇します。
労働者として使い物にならない大卒新人を何人も見ました。育てようという気にもなれませんでした。
ダンジョン:ゲームの地下牢。城の地下につくられた地下室や監獄のこと。
タワーマンションのことが書いてあります。マンションの入口から部屋までが時間がかかると思うのです。不便です。自分は住みたいとは思いません。
配達員は、マンションの中で、迷子になるそうです。タワーマンションはダンジョン(監獄)なのか。
おばかなお客さんもままおられます。
脳内にある世界が狭い。
どうして自分で買いに行かないのだろう。お金がもったいない。お金の無駄遣いに思えます(年長者のぼやきです)
人に会いたくないのか(コロナ対策という口実)
これからもこの傾向は続くのか(日本国の経済力が衰退することが予想される)
自分のことを自分でやらずに、お金を出して人にやらせる。(お金が貯まらない)
矜持(きょうじ):自分はちゃんとやっているから立派だと思う自信、プライド、誇り。
良かった言葉として『世の中には善人も悪人もいる』
外国人大学留学生にアルバイトの時間制限があることは知りませんでした。週28時間。
(つづく)
読み終えました。
本の構成として、読み手の食いつきがいい(読みたくなる気持ちが湧く)第三章を最初にもってきて、第一章、第二章の部分を続けたほうが良かった。
食事で、ごちそうを最初に食べるか、最後に食べるのかという選択なのですが、本作品の「ごちそうはあとから方式」だと、読み始めてしばらくの間は退屈です。
人によっては、最初のほうで読み飽きて、あとを読むことをやめてしまう可能性があります。
第三章がおもしろいのですから、第三章を最初にもってきて、あとは尻すぼみでもかまわないと思います。
ウーバーイーツ配達員は、研修とか会議とか、入社式とか退職辞令伝達式などの、会社であれば普通にあるようなシステムや儀式がありません。前任者からの引き継ぎさえありません。
不思議な仕事のシステムです。
配達員が自在に敷地内に入ってくることが防犯上怖い。
配達員に『プロ』はいないし、求められてもできないとあります。
おかしなお客さんがいます。
少ない金額でそこまで要求するかという理屈はあります。
自分も若い頃お客さんに対して、200円ちょっとの支払いで、どれだけ大きなサービスを求めてくるのかと腹が立ったことがあります。
お客さまは神さまなんかじゃない。売り手も買い手も同等で平等です。そんなふうに心の中で叫んでいました。
コロナ禍のことが書いてあります。
コロナ禍もいつかは終息します。どう変化するのだろうか。興味が湧きます。予想してもそのとおりにならないのが世の中の流れです。
このシステムを経営する場合、配達員側ではなく、配達を依頼する店側の要望とか都合が最初に来る検討するべき事項になると思います。
第三章に書いてある店側の事情や実態話の内容がおもしろい。
日本人よりもインド人のほうが、心が優しい。
テレビ番組で、初期の頃の『東野&岡村の旅猿』を思い出しました。出川哲朗さんも含めて、彼らのインド旅行は、抱腹絶倒でした。
日本人はインド人を見下しているようなところがあるけれど、インド人のほうが優秀なのではないか。
ラッシー:インドのヨーグルトベースのドリンク
中華料理店の中国人も心優しい。
一杯のお茶がとてもおいしい。
日本人の接客サービスは、お金を払っている人に向けた「おもてなし」とあります。(あたっています)
お金第一主義という欧米系の資本主義は行き詰まりの時期を迎えているのではないか。
日本人のおかしなところが書いてあります。
無関係な他人には笑顔で接し、支え合うべき身内には罵声(ばせい)を浴びせる女子がいます。
たてまえと本音を使い分けるのです。他人から良く見られることにこだわります。世間体です。
日本人はなにかを誤解しています。
これまで、職業体験の本を読み継いできました。以下、三五館シンシャとフォレスト出版で、『電気メーター検針員』『出版翻訳家』『タクシードライバー』『夫婦で住み込みのマンション管理員』『非正規介護職員』『ケアマネジャー』『交通誘導員(警備員)』『派遣添乗員(旅行)』
それから、『コンビニ店員』(コンビニのレジから見た日本人 竹内稔 商業界)
今回は、ウーバーイーツの配達員という職について読んでみることにしました。ウーバーイーツを利用したことはありません。
これまで、何冊かの労働体験本を読んで気づいたことがあります。書いた人の何人かは、ライター志望者であり、ライターの人だったりしました。(ライター(文筆仕事)だけでは生活ができない)
今回の著者も物書きの方です。
著者によるこれまで、3年4か月の体験記です。本の中では46歳です。
びっくりしたのは、自前の自転車で配達するのではなく、シェアという借りる電動自転車です。
あわせて、40代肥満体形です。びゅんびゅんと自転車をこぐ姿をイメージできません。
まえがきは、自虐的に『こんな人生にならないために……』というメッセージです。
ページのデザインとか、文字のレイアウトがこっています。
ウーバーイーツというのは『組織』という集団の中で、上司や部下、同僚たちとチームワークで働けない人がする職だとピンときました。
物書きの方なので、文字数が多くて、くどい面があります。
スマホでアプリケーションソフトをダウンロードして登録したあと、パートナーセンターへ行けば、配達労働活動が開始できるそうです。
サラリーマンの雇用契約とは異なります。個人事業主です。確定申告とか、国民健康保険、国民年金への加入など、きちょうめんさが要求されると思うのですが、実態は自分にはわかりません。
ウーバーイーツという会社がある。アメリカの会社ですが、日本版もある。
本によれば、配達員への支払いは、週払いとなっている。月曜日から日曜日の分が、翌週の水曜日に支払われる。(口座振り込み)
読んでいて、自分は利用することはないだろうと思いました。外食はほとんどしません。それから配達料を払うのが惜しい。必要なら自分で商品を買いに行きます。
説明書を読んでいるような文脈です。
これからウーバーイーツの配達員をしてみようと思っている人には便利な実用書です。
「読み物」として読もうとすると、人間ドラマの物語の部分が少ないので、物足りない。
ちょっと良かった文章として『コロナ前22時以降の注文でよく届けていたのが病院だ……』
フリーランス:会社や団体に所属しない。個人で仕事を請け負う。
「名古屋に出稼ぎに行ってみた」という記事があります。
名古屋市という旅先で、レンタル自転車を借りてでも仕事ができるということに驚きました。
地理は、スマホのアプリで間に合うのでしょう。
名古屋市の道路が広いのは、第二次世界大戦中に空襲で広い範囲が焼失して、戦後復興をするときに、市民の安全と快適空間の確保と経済発展を目的として、道路を広くする都市計画のプランがつくられて実行されたと教わったことがあります。
国内大手自動車メーカーがあるのは、名古屋市からは離れた位置にある市なので、著者が推測するような大手自動車メーカーと名古屋市内の広い道路との関連はないと思います。
以前、アフリカひとり旅をした女性が書いた旅行記で読んだ『世界は、誤解と錯覚で成り立っている』という言葉を思い出します。
戦後まもなくの日本の自動車産業は、黎明期(れいめいき。夜明けの時期)でした。
自動車とかバイクの構造を調べるために、アメリカ合衆国に視察に行って、工場見学をしたけれど、カメラが高額で持参できず、みんなで、ノートに鉛筆で構造図を書いて、手書きで部品の名称や機能のメモを書き入れて資料にしたという話を聞いたことがあります。
もうひとつ名古屋のことが書いてあります。
名古屋人は『ケチ』というものです。人によりけりだと思うのですが、まあ、ケチというよりも、一般的に、日本中、戦争体験者は『節約』とか『もったいない』精神が徹底しています。
細部では、名古屋の『値引き交渉』は、他の地区よりも厳しいと思います。個人事業主をしている人などは、だいたいの原価を知っているので強気で攻めます。
関連して、製造業の町です。文化とか芸術面ではおもしろみはありませんが、地道に生活していくのには適しています。
東京は、たまに観光で訪れるだけでいい。不動産価格が異常に高いし、人が多すぎます。
さて本のほうです。76ページ付近まできました。
お話の中身に、人生の潤いが(うるおい。落ち着きのある感情の動き。ゆとり)がありません。『記録』になっています。日誌を読むようです。
ひとつの項目の文字数が少ないので物足りない。
スマホのスクリーンショット:自分はやりかたを知らないので、練習してみました。ウーバーイーツだと、収入証明のために必要なときがあったそうです。
チップがもらえるそうです。
外国人のお客さんからは自然にもらえるそうです。
読んでいると、学歴は関係ない職だと思えてきます。スマホの操作技術は必要です。
一般的な若いサラリーマンだと、月に手取りが18万円ぐらいの人が多いと思うのですが、手取り金額だけでいうと、ウーバーイーツをしたほうがもうかりそうです。
されど、労働の自由度は高いけれど、報酬の金額が100円単位で、ほかの仕事のほうが最終的には稼げると思ってしまいます。
働いていると、学生や若いにいちゃんたちが、年長のまじめな労働者をばかにした態度をすることがあります。そんな記述があります。
人間は感情の生きものです。相手が親切であれば、年長者も親切でお返しします。相手が、年長者の人格を否定するような態度でくれば、年長者も相手を冷遇します。
労働者として使い物にならない大卒新人を何人も見ました。育てようという気にもなれませんでした。
ダンジョン:ゲームの地下牢。城の地下につくられた地下室や監獄のこと。
タワーマンションのことが書いてあります。マンションの入口から部屋までが時間がかかると思うのです。不便です。自分は住みたいとは思いません。
配達員は、マンションの中で、迷子になるそうです。タワーマンションはダンジョン(監獄)なのか。
おばかなお客さんもままおられます。
脳内にある世界が狭い。
どうして自分で買いに行かないのだろう。お金がもったいない。お金の無駄遣いに思えます(年長者のぼやきです)
人に会いたくないのか(コロナ対策という口実)
これからもこの傾向は続くのか(日本国の経済力が衰退することが予想される)
自分のことを自分でやらずに、お金を出して人にやらせる。(お金が貯まらない)
矜持(きょうじ):自分はちゃんとやっているから立派だと思う自信、プライド、誇り。
良かった言葉として『世の中には善人も悪人もいる』
外国人大学留学生にアルバイトの時間制限があることは知りませんでした。週28時間。
(つづく)
読み終えました。
本の構成として、読み手の食いつきがいい(読みたくなる気持ちが湧く)第三章を最初にもってきて、第一章、第二章の部分を続けたほうが良かった。
食事で、ごちそうを最初に食べるか、最後に食べるのかという選択なのですが、本作品の「ごちそうはあとから方式」だと、読み始めてしばらくの間は退屈です。
人によっては、最初のほうで読み飽きて、あとを読むことをやめてしまう可能性があります。
第三章がおもしろいのですから、第三章を最初にもってきて、あとは尻すぼみでもかまわないと思います。
ウーバーイーツ配達員は、研修とか会議とか、入社式とか退職辞令伝達式などの、会社であれば普通にあるようなシステムや儀式がありません。前任者からの引き継ぎさえありません。
不思議な仕事のシステムです。
配達員が自在に敷地内に入ってくることが防犯上怖い。
配達員に『プロ』はいないし、求められてもできないとあります。
おかしなお客さんがいます。
少ない金額でそこまで要求するかという理屈はあります。
自分も若い頃お客さんに対して、200円ちょっとの支払いで、どれだけ大きなサービスを求めてくるのかと腹が立ったことがあります。
お客さまは神さまなんかじゃない。売り手も買い手も同等で平等です。そんなふうに心の中で叫んでいました。
コロナ禍のことが書いてあります。
コロナ禍もいつかは終息します。どう変化するのだろうか。興味が湧きます。予想してもそのとおりにならないのが世の中の流れです。
このシステムを経営する場合、配達員側ではなく、配達を依頼する店側の要望とか都合が最初に来る検討するべき事項になると思います。
第三章に書いてある店側の事情や実態話の内容がおもしろい。
日本人よりもインド人のほうが、心が優しい。
テレビ番組で、初期の頃の『東野&岡村の旅猿』を思い出しました。出川哲朗さんも含めて、彼らのインド旅行は、抱腹絶倒でした。
日本人はインド人を見下しているようなところがあるけれど、インド人のほうが優秀なのではないか。
ラッシー:インドのヨーグルトベースのドリンク
中華料理店の中国人も心優しい。
一杯のお茶がとてもおいしい。
日本人の接客サービスは、お金を払っている人に向けた「おもてなし」とあります。(あたっています)
お金第一主義という欧米系の資本主義は行き詰まりの時期を迎えているのではないか。
日本人のおかしなところが書いてあります。
無関係な他人には笑顔で接し、支え合うべき身内には罵声(ばせい)を浴びせる女子がいます。
たてまえと本音を使い分けるのです。他人から良く見られることにこだわります。世間体です。
日本人はなにかを誤解しています。
2022年01月25日
メーター検針員テゲテゲ日記 川島徹
メーター検針員テゲテゲ日記 川島徹 三五館シンシャ フォレスト出版
電力会社の下請けで、電気メーターの数値を記録するお仕事です。
たまに女性職員さんの姿を見かけます。
制服を着て、電子ボックスみたいな小型の機器に数値を入力して、プリンターで結果が出て、郵便ポストに投函されていきます。
コンピューター管理が進んで、いずれはなくなる職だと記事を読んだことがあります。
こちらの本では、鹿児島県にお住まいの年配男性の体験記が書いてあります。検針員を退職されてから、十年ぐらいが経過しています。
『(お金のためだけではなくて)だれかのためになっている』ということが働く支えです。世のため人のために勤労があるのです。
戦争ドラマ『コンバット』はなつかしい。
家にテレビがなかったので、友だちの家でドラマを友だちと見ていました。(1962年から1967年の放送。昭和37年から昭和42年。自分たちは、白黒テレビで見ていました)
関連して『ローハイド』という西部劇のようなカウボーイたちの番組があったこともかすかに思い出しました。
500ルーメン:光の束の範囲。明るさ。自分は「ルクス」のほうが身近です。
メーター数値検査のやり方とか、やりやすさ、むずかしさで、鹿児島特有の地形とか町の成り立ちがけっこう影響してきます。
天文館:鹿児島市内にある繁華街、飲食街、飲み屋街がある地域らしい。検針はやりやすいそうです。
それなりの苦労がありますが、この仕事の場合は、毎日の接客業務の苦しさ、つらさはないと感じながら読み進めています。
組織内部の人間関係、とくに上司との関係が従業員のストレスになっています。
文章が読みにくいと感じるのはなぜだろう。
文章の末尾の雰囲気から、文章が、自分の心に向けて書いてあると感じました。内向きな書き方の文章なのです。
メッセージが、自分に対するもので(自分の気持ちを納得させるため)、外部に対するものではないので、読み手としての自分は読みにくいことに気づきました。(その後、改善されていきました)
従業員である人間は、大きな機械の中にある一個の歯車の扱いです。上層部から下部に対する非人間的な対応があります。
あわせて、人間は商品扱いです。
資本主義のよくないところです。
使用する者と使用される者との上下関係があります。
関係者が読むと怒られそうなことも書いてあります。
ひどい目に遭った(あった)ので、仕返しのための復讐劇の一面がありますが、十年が経過しており時効なのでしょう。
関係者は退職したり、もしかしたらすでに亡くなっていたりする方もいるのでしょう。
結局、一番長生きをした人が、人生の成功者ではなかろうかと思えるのです。
魂がった:たまがった。九州の方言。驚いた。
検針は、ときに命がけになります。
台風で暴風雨の中での検針、高所の検針、さすがに、「大雨暴風警報」発令時は、検針はやってはいけないというようなルールがあると思うのですが、わかりません。
対象者のお宅は、ひとりで生活している人が多い。高齢者です。
もしかしたら、家の中で亡くなっているかもしれない。
ありそうな話です。
ペットの犬も飼育を放棄されています。
首輪と鎖でつながれたまま放置されています。
動物を虐待する人もいれば、本には書いてありませんが、こどもや年寄りを虐待する人もいます。
なにかしら、人間の底辺の生活を見るようです。
検針場所で背後から、突然大型犬に吠えたてられて(ほえたてられて)、自分も瞬間的に犬になって吠え返して難を逃れたということが書いてあります。これをM1グランプリでの漫才のネタにできないだろうかと思いつきました。
いい文章があります。『親がやさしいと子どもは素直に育つ。(親が)厳しすぎたり、夫婦仲が悪いと子どもの気持ちはゆがんでしまうが、皮肉なことに芸術家はそうした環境から出てくることが多い気がする』あたっています。
もうひとつ『(労働条件が)底辺すぎる。これ以下はないと思えば、なんでもやれる』
そして『まぁ、この仕事もね。食うためには仕方ないからね』
東京にある外国資本の日本支社で、高給待遇の役付きで働いていた著者です。
物書きになりたいという夢があって、退社されて、鹿児島に帰郷されています。
時間はかかりましたが、この本を出版されたので、堂々と作家を名乗れます。
いい会社を辞めてからの経過話を読んでいると、読み手である自分の胸に、しみじみと伝わってくるものがあります。
ふだん、街中で、一流大学を目指して塾通いをしているこどもたちの集団を見ると、きみたちの未来に何があるのかと問いたくなることがあります。
学歴にとらわれず、自分の好きなことをして稼ぐことができたら、なかなかいい人生です。
書き手の力量として、ふつうの人は、自分が体験したことしか書けません。ホンモノの作家は、体験したことがないことも書けます。ちょっと詐欺的(さぎてき)でもあります。
細かなお金の話がけっこうきつい。電話代を自己負担する何十円、何百円の不満があります。
検針1件40円、月10万円の収入ですから、細かい金額でも働くほうにとって自己負担させられることは、死活問題なのです。
検針途中で出くわした犬とかヘビとかカエルの話は、生き物が、検針員の立場と重なる部分もあり、味わい深いものがありました。みな、死と向き合っていたのです。
検針をするときの機器のパスワードが機器本体に貼り付けてあったというエピソードには目を丸くしました。まさか、本体にパスワードが張り付けてあるとは思わないから、それは、パスワードだと思われないからいいのだという断定的な上司の屁理屈(へりくつ。無理なこじつけ)にもびっくりしました。
読んでいて、金もうけ第一主義の資本主義が、ゆきづまりを迎えているという感想をもちました。
普通の常識をもつ人間が、労働環境についていけないところまで、仕事のしかたが変わりました。
理不尽、不条理、理屈が通らない。それでもその場しのぎで乗り切って、働いて給料をもらいます。
検針員の立場は、権力関係において、負ける立場です。資本主義では、組織の上層部にいる一部の人間が儲かって、指示を受ける側の人間は(低賃金で)奴隷のような扱いを受けて働きます。無理な労働の見返りに、社会保障が充実していればいいのですが、検針は、大手電力会社からの委託契約で、雇用関係も検針員がひとり社長のような立場で、発生した予定外の費用は、自腹を切らされることが多く、不安定な立場です。
読んでいると、主婦からのクレームがあります。昔、自分自身も、「主婦」という立場の人は、組織に所属して働くことの苦労をまったくご存じないと嘆いたことがあるのを思い出しました。
テゲテゲやらんな:宮崎、鹿児島の方言。肯定的に、適当でいいよ。だいたいでいいよ。反対の意味で、いいかげんとかだらしないと言うときも使うそうです。
オートロックマンション訪問時の苦痛が書いてあります。
ふと、昔の出来事を思い出しました。オートロック付きのマンションに住んでいたことがあります。ある日、敷地の奥の植え込みにある壁、廊下との境界にある1m50cmほどの高さがある壁にしがみついて、壁をまたがるようにして登っているおばあさんがいました。
不審者だと思ったら、上階に住むマンションの居住者でした。
オートロックって、防犯上の意味があるのだろうかと疑問をもちました。
最終的には、作家を目指して転職した著者は夢をかなえています。
読み終えてみれば、この本は、作家を目指している人のためのアドバイス書物でした。
まあ『作家』というものは、自己申告の自称で社会的に通用するものであり、収入の有無は問われないのでしょう。自称『作家』で無収入の年金生活者というのも、優雅でけっこういいポジションだと思います。
電力会社の下請けで、電気メーターの数値を記録するお仕事です。
たまに女性職員さんの姿を見かけます。
制服を着て、電子ボックスみたいな小型の機器に数値を入力して、プリンターで結果が出て、郵便ポストに投函されていきます。
コンピューター管理が進んで、いずれはなくなる職だと記事を読んだことがあります。
こちらの本では、鹿児島県にお住まいの年配男性の体験記が書いてあります。検針員を退職されてから、十年ぐらいが経過しています。
『(お金のためだけではなくて)だれかのためになっている』ということが働く支えです。世のため人のために勤労があるのです。
戦争ドラマ『コンバット』はなつかしい。
家にテレビがなかったので、友だちの家でドラマを友だちと見ていました。(1962年から1967年の放送。昭和37年から昭和42年。自分たちは、白黒テレビで見ていました)
関連して『ローハイド』という西部劇のようなカウボーイたちの番組があったこともかすかに思い出しました。
500ルーメン:光の束の範囲。明るさ。自分は「ルクス」のほうが身近です。
メーター数値検査のやり方とか、やりやすさ、むずかしさで、鹿児島特有の地形とか町の成り立ちがけっこう影響してきます。
天文館:鹿児島市内にある繁華街、飲食街、飲み屋街がある地域らしい。検針はやりやすいそうです。
それなりの苦労がありますが、この仕事の場合は、毎日の接客業務の苦しさ、つらさはないと感じながら読み進めています。
組織内部の人間関係、とくに上司との関係が従業員のストレスになっています。
文章が読みにくいと感じるのはなぜだろう。
文章の末尾の雰囲気から、文章が、自分の心に向けて書いてあると感じました。内向きな書き方の文章なのです。
メッセージが、自分に対するもので(自分の気持ちを納得させるため)、外部に対するものではないので、読み手としての自分は読みにくいことに気づきました。(その後、改善されていきました)
従業員である人間は、大きな機械の中にある一個の歯車の扱いです。上層部から下部に対する非人間的な対応があります。
あわせて、人間は商品扱いです。
資本主義のよくないところです。
使用する者と使用される者との上下関係があります。
関係者が読むと怒られそうなことも書いてあります。
ひどい目に遭った(あった)ので、仕返しのための復讐劇の一面がありますが、十年が経過しており時効なのでしょう。
関係者は退職したり、もしかしたらすでに亡くなっていたりする方もいるのでしょう。
結局、一番長生きをした人が、人生の成功者ではなかろうかと思えるのです。
魂がった:たまがった。九州の方言。驚いた。
検針は、ときに命がけになります。
台風で暴風雨の中での検針、高所の検針、さすがに、「大雨暴風警報」発令時は、検針はやってはいけないというようなルールがあると思うのですが、わかりません。
対象者のお宅は、ひとりで生活している人が多い。高齢者です。
もしかしたら、家の中で亡くなっているかもしれない。
ありそうな話です。
ペットの犬も飼育を放棄されています。
首輪と鎖でつながれたまま放置されています。
動物を虐待する人もいれば、本には書いてありませんが、こどもや年寄りを虐待する人もいます。
なにかしら、人間の底辺の生活を見るようです。
検針場所で背後から、突然大型犬に吠えたてられて(ほえたてられて)、自分も瞬間的に犬になって吠え返して難を逃れたということが書いてあります。これをM1グランプリでの漫才のネタにできないだろうかと思いつきました。
いい文章があります。『親がやさしいと子どもは素直に育つ。(親が)厳しすぎたり、夫婦仲が悪いと子どもの気持ちはゆがんでしまうが、皮肉なことに芸術家はそうした環境から出てくることが多い気がする』あたっています。
もうひとつ『(労働条件が)底辺すぎる。これ以下はないと思えば、なんでもやれる』
そして『まぁ、この仕事もね。食うためには仕方ないからね』
東京にある外国資本の日本支社で、高給待遇の役付きで働いていた著者です。
物書きになりたいという夢があって、退社されて、鹿児島に帰郷されています。
時間はかかりましたが、この本を出版されたので、堂々と作家を名乗れます。
いい会社を辞めてからの経過話を読んでいると、読み手である自分の胸に、しみじみと伝わってくるものがあります。
ふだん、街中で、一流大学を目指して塾通いをしているこどもたちの集団を見ると、きみたちの未来に何があるのかと問いたくなることがあります。
学歴にとらわれず、自分の好きなことをして稼ぐことができたら、なかなかいい人生です。
書き手の力量として、ふつうの人は、自分が体験したことしか書けません。ホンモノの作家は、体験したことがないことも書けます。ちょっと詐欺的(さぎてき)でもあります。
細かなお金の話がけっこうきつい。電話代を自己負担する何十円、何百円の不満があります。
検針1件40円、月10万円の収入ですから、細かい金額でも働くほうにとって自己負担させられることは、死活問題なのです。
検針途中で出くわした犬とかヘビとかカエルの話は、生き物が、検針員の立場と重なる部分もあり、味わい深いものがありました。みな、死と向き合っていたのです。
検針をするときの機器のパスワードが機器本体に貼り付けてあったというエピソードには目を丸くしました。まさか、本体にパスワードが張り付けてあるとは思わないから、それは、パスワードだと思われないからいいのだという断定的な上司の屁理屈(へりくつ。無理なこじつけ)にもびっくりしました。
読んでいて、金もうけ第一主義の資本主義が、ゆきづまりを迎えているという感想をもちました。
普通の常識をもつ人間が、労働環境についていけないところまで、仕事のしかたが変わりました。
理不尽、不条理、理屈が通らない。それでもその場しのぎで乗り切って、働いて給料をもらいます。
検針員の立場は、権力関係において、負ける立場です。資本主義では、組織の上層部にいる一部の人間が儲かって、指示を受ける側の人間は(低賃金で)奴隷のような扱いを受けて働きます。無理な労働の見返りに、社会保障が充実していればいいのですが、検針は、大手電力会社からの委託契約で、雇用関係も検針員がひとり社長のような立場で、発生した予定外の費用は、自腹を切らされることが多く、不安定な立場です。
読んでいると、主婦からのクレームがあります。昔、自分自身も、「主婦」という立場の人は、組織に所属して働くことの苦労をまったくご存じないと嘆いたことがあるのを思い出しました。
テゲテゲやらんな:宮崎、鹿児島の方言。肯定的に、適当でいいよ。だいたいでいいよ。反対の意味で、いいかげんとかだらしないと言うときも使うそうです。
オートロックマンション訪問時の苦痛が書いてあります。
ふと、昔の出来事を思い出しました。オートロック付きのマンションに住んでいたことがあります。ある日、敷地の奥の植え込みにある壁、廊下との境界にある1m50cmほどの高さがある壁にしがみついて、壁をまたがるようにして登っているおばあさんがいました。
不審者だと思ったら、上階に住むマンションの居住者でした。
オートロックって、防犯上の意味があるのだろうかと疑問をもちました。
最終的には、作家を目指して転職した著者は夢をかなえています。
読み終えてみれば、この本は、作家を目指している人のためのアドバイス書物でした。
まあ『作家』というものは、自己申告の自称で社会的に通用するものであり、収入の有無は問われないのでしょう。自称『作家』で無収入の年金生活者というのも、優雅でけっこういいポジションだと思います。