2022年01月19日
出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記 宮崎伸治
出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記 こうして私は職業的な「死」を迎えた 宮崎伸治 三五館シンシャ フォレスト出版
外国語で書かれた小説ほかを日本語に訳して本や出版物にする。
自分は『翻訳家』という立場の人も職も知りません。
なんとなく思うに、オリジナルで自分が作品を創作するわけではないので、職業としては不安定な感じがします。
本や文章を一冊分翻訳したけれど、依頼してきた相手が約束を破って、金銭の支払いをしてくれないということがありそうです。
前書きや目次を読んだら、やっぱり、さきほど書いたようなことがあるそうです。
同時期にもうひとつ職をもっていないと生活の維持に不安があります。ダブルワークが必須です。(読み続けていたら68ページで、やはりその件が出てきました)
それでも、著者にも収入や待遇面で、いい時代があったそうです。
なんというか、最近、こどもの貧困のことが問題視されているのですが、こどものときに貧乏だったからといって、一生貧乏であるということが決定したわけではありません。
ひとりの同じ人間でも、人生の時期によって、がっぽがっぽと儲かるときもあるし、どん底の貧困を味わうこともあります。
今、貧乏だからといって、悲観することはないし、今、お金がたくさんあるからといって、いつまでもお金持ちでいられると安心してもいけないのです。
わたしは、人生は結局プラスマイナス0(ゼロ)でよしだと思っています。
ふり幅の上下が大きい人生はけっこう苦しい。(いい時と悪い時の幅(はば))
さて、読み始めます。
ゴーストライター:世の中には、本人になりかわって別の人が書いた文章が存在して通用しているということを知っています。自分は、猜疑的(さいぎてき。疑って。だまされないように気をつけて)な目で文章を読むことがあります。
出版界のお話ですが、なんでもお金の世界です。お金になるかならないかが判断基準です。需要があることが大事なのです。(需要:商品購入意欲・要求・要望)
自力で出版までもっていけないと相手の要求を飲まざるを得ない弱い立場にいることになります。
タイトルは思い出せませんが、洋画で楽曲を発表する手段がなくて(レコード会社に断られ続けて)音楽歌唱グループが音楽販売事業で行き詰まっていたのですが、ネット社会になって、ネットで音楽を流して収入を得られることで救われて、ヒット曲を出して成功したというものがありました。
最近はインターネットの活用で、出版も同様に出版社を通さずにできるようです。
外国語の本を全部訳したのに、一部分しか使ってもらえない。
その一部分同士をくっつけて、違う文章の固まりにしてしまう。
信じられないような行為と出版社側からの要求です。
原作者の著作権はどうなっているのかはわかりませんが、なにかしらクレームをつけられそうです。
ひどい編集者が出てきますが、編集者も上層部の指示で動いているので、上司に言わされているのでしょう。
出版社から翻訳家に『印税をカットさせてくれ』と言われて、翻訳家が『嫌だ』と断ったらどうなるのだろうか。次からの仕事がなくなりそうです。
翻訳家は弱い立場です。
なんだか、相手(出版社の社員、編集者)に、翻訳家がばかにされていそうな印税交渉負けです。
関連するイメージとして、本人の責任はまったくないのに、共演した別の役者の不祥事(薬物とか不倫とか)で、自分が出演した映画が上映されなくなった役者の立場のようです。
お金だけのためにその仕事をしたのではないという強い気持ちが伝わってきます。
時間をかけて労力をつぎこんでつくりあげた『作品』は、自分のこどものように大切なものという気持ちが理解できます。
理不尽とか不条理という言葉がまかりとおる世界があります。
経営が思わしくないのでしょう。読んでいて、出版業界は金回りが悪いという印象をもちました。
バブル経済が崩壊して、電子図書の手法が始まってのころからなのでしょう。
1995年、Windows95が出てから以降の経済界の流れです。
読んでいると、出版社で働く人たちは、期限にルーズです。相手(翻訳家)には期限厳守を求めますが、自分たちはルーズ(怠惰。たいだ)です。
当時は、企画倒れの企画ばかりを立てていたのだろうか。
著者は、文章を書くことを仕事にしている人なので、どうしても文章が長くなります。
読むのがちょっとしんどい。
もめごとは、最後はお金で和解するのだろうなあと思いながら読んでいました。そのとおりになりました。会社は、和解金は会社の運営に必要だった経費として、会社のお金として経理で落とすのだろうなあと想像しました。会社にとっては痛くはないのではないか。
作家としては、紛争に勝っても次の仕事の依頼はないのでしょう。
作家はけっこう不利な立場です。
出版社というところは、次の仕事の段階にいくのに、待たされる期間が、数か月から年単位で、とても長い。あげくの果てに、印税率ダウンとか出版停止では、翻訳家も関係者も何のために働いているのかわかりません。
組織によっては、この人あるいは、この人たちは、頭がおかしいのではないかというところがあります。常識の正常値を保つ感覚が崩れていて、おかしい状態が『平常』として、錯覚で成立している世界に浸かって(つかって)満足されている人がいます。中毒と麻痺状態です。(まひ)。常人は発狂します。
内部告発本のような様相になってきました。
やましい出版社があります。(してはいけないことをして心にひっかかりがあるけれど知らぬ顔をしている)
言動がおかしな外国人原作者もいます。
翻訳家の生活のいいところが、年金生活者に似ていました。
自由度の高い生活を送ることができるとあります。
①時間にしばられない。
②通勤しなくていい。
③人間関係がわずらわしくない。組織には変な人がいる。変な人と付き合うわずらわしさがない。(著者はそう書いていますが、読んでいると、翻訳家の場合、あてはまらないような状態があります)
『社長』を簡単に信用してはいけないという教訓話があります。(著者の失敗をもとにした教え)
日吉ミミさんは、なつかしい。
調べたら2011年に癌で亡くなっていました。64歳でした。
推理ドラマ『刑事コロンボ』は、こどものころは好きでよく見ていましたが、おとなになってからはつまらなく感じました。
コロンボの人物像が狡猾だからです。(こうかつ。ずるがしこい。相手(犯人)に油断させてボロを出させる手法で相手を追い込んでいきます)
「警察」の話が出てきます。
「警察」には、期待しないほうがいい。
テレビドラマや映画の中と現実は違います。
事後処理をする組織です。
出版業界というのは、嘘で構築された世界なのかと読んでいてあきれてきます。
お金のためなら犯罪行為でもやるのです。
不信感が芽生えます。
外国絵本の翻訳もそうなのだろうか。
「差し止め請求訴訟」というのが、けっこう効果の力があるということがわかりました。
出版業界は、トラブルが多いとあります。
作家は、出版社との交渉記録をきちんと残しておいた方がいい。
録音も必要かと思うほど出版社側の態度はひどいものです。
よく出てくる単語として『放置プレー』があります。作家から働きかけても反応が返ってきません。
いかなる事情があるのか、出版社側の人間の手記を読んでみたい。
本が売れない。本をつくれない。
『出版社』という会社はもう終わっているようです。
それでも、一定数の人たちは、電子図書ではなく、紙の本が必要な人がいます。その人たちのために『出版社』は残る。幼児向けの絵本とか童話は残りそうな気がします。
さらに、自費出版をしたいという素人の需要は多い。
権限をもつ担当者が、横のつながりをもたないのはつらい。
仕事の幅が狭くなります。
本人訴訟:弁護士を頼まずに自分で訴訟手続きをやること。
読んでいて、出版社で働く人は、本づくりの知識はあっても、法令の知識は疎い(うとい。知識や理解が不十分)と感じられました。
後半部は、すさまじい交渉経過です。
聖書に書いてあるという『自分で復讐しないで、むしろ、神の怒りに任せなさい(まかせなさい)』には、同感で共感します。いわゆる「ちゃんとやらない人には、神さま仏さまのばちがあたる」のです。
トラウマ:精神的外傷。心の傷。苦痛だった瞬間を思い出す。フラッシュバック。
239ページまで読んで、『お疲れさまでした』という言葉しか出てきません。
著者は、翻訳家を辞めて、警備員をされているそうです。
同じ出版社で発行されている『交通誘導員ヨレヨレ日記 柏耕一 三五館シンシャ フォレスト出版』を読んだのは、おととしのことでした。おふたりともゴールが同じになっています。
最近読んだ何冊かの本の影響もあって、近頃の自分の頭の中には『資本主義が限界の時期を迎えている。脳内に残っているこれまでのやり方を塗りつぶそう』という意識が広がっています。この本に書いてある内容と重なります。お金もうけ第一主義では、もたない世の中になっているのです。自分にとって損か得かで物事を判断してきたことが、ゆきづまってきています。
利潤の追求を最優先目標として若い頃に教わった効率最優先主義『速く、安く、正確かつ楽に仕事を進める』を終わりにしよう。
ゆっくり、ていねいに、いいものを仕上げて後世に残す。
もう、もうからなくてもいい。地球の自然環境保護と人間の心身の健康維持が大事なのです。
著者は、宗教に頼るほど、追い詰められました。
外国語で書かれた小説ほかを日本語に訳して本や出版物にする。
自分は『翻訳家』という立場の人も職も知りません。
なんとなく思うに、オリジナルで自分が作品を創作するわけではないので、職業としては不安定な感じがします。
本や文章を一冊分翻訳したけれど、依頼してきた相手が約束を破って、金銭の支払いをしてくれないということがありそうです。
前書きや目次を読んだら、やっぱり、さきほど書いたようなことがあるそうです。
同時期にもうひとつ職をもっていないと生活の維持に不安があります。ダブルワークが必須です。(読み続けていたら68ページで、やはりその件が出てきました)
それでも、著者にも収入や待遇面で、いい時代があったそうです。
なんというか、最近、こどもの貧困のことが問題視されているのですが、こどものときに貧乏だったからといって、一生貧乏であるということが決定したわけではありません。
ひとりの同じ人間でも、人生の時期によって、がっぽがっぽと儲かるときもあるし、どん底の貧困を味わうこともあります。
今、貧乏だからといって、悲観することはないし、今、お金がたくさんあるからといって、いつまでもお金持ちでいられると安心してもいけないのです。
わたしは、人生は結局プラスマイナス0(ゼロ)でよしだと思っています。
ふり幅の上下が大きい人生はけっこう苦しい。(いい時と悪い時の幅(はば))
さて、読み始めます。
ゴーストライター:世の中には、本人になりかわって別の人が書いた文章が存在して通用しているということを知っています。自分は、猜疑的(さいぎてき。疑って。だまされないように気をつけて)な目で文章を読むことがあります。
出版界のお話ですが、なんでもお金の世界です。お金になるかならないかが判断基準です。需要があることが大事なのです。(需要:商品購入意欲・要求・要望)
自力で出版までもっていけないと相手の要求を飲まざるを得ない弱い立場にいることになります。
タイトルは思い出せませんが、洋画で楽曲を発表する手段がなくて(レコード会社に断られ続けて)音楽歌唱グループが音楽販売事業で行き詰まっていたのですが、ネット社会になって、ネットで音楽を流して収入を得られることで救われて、ヒット曲を出して成功したというものがありました。
最近はインターネットの活用で、出版も同様に出版社を通さずにできるようです。
外国語の本を全部訳したのに、一部分しか使ってもらえない。
その一部分同士をくっつけて、違う文章の固まりにしてしまう。
信じられないような行為と出版社側からの要求です。
原作者の著作権はどうなっているのかはわかりませんが、なにかしらクレームをつけられそうです。
ひどい編集者が出てきますが、編集者も上層部の指示で動いているので、上司に言わされているのでしょう。
出版社から翻訳家に『印税をカットさせてくれ』と言われて、翻訳家が『嫌だ』と断ったらどうなるのだろうか。次からの仕事がなくなりそうです。
翻訳家は弱い立場です。
なんだか、相手(出版社の社員、編集者)に、翻訳家がばかにされていそうな印税交渉負けです。
関連するイメージとして、本人の責任はまったくないのに、共演した別の役者の不祥事(薬物とか不倫とか)で、自分が出演した映画が上映されなくなった役者の立場のようです。
お金だけのためにその仕事をしたのではないという強い気持ちが伝わってきます。
時間をかけて労力をつぎこんでつくりあげた『作品』は、自分のこどものように大切なものという気持ちが理解できます。
理不尽とか不条理という言葉がまかりとおる世界があります。
経営が思わしくないのでしょう。読んでいて、出版業界は金回りが悪いという印象をもちました。
バブル経済が崩壊して、電子図書の手法が始まってのころからなのでしょう。
1995年、Windows95が出てから以降の経済界の流れです。
読んでいると、出版社で働く人たちは、期限にルーズです。相手(翻訳家)には期限厳守を求めますが、自分たちはルーズ(怠惰。たいだ)です。
当時は、企画倒れの企画ばかりを立てていたのだろうか。
著者は、文章を書くことを仕事にしている人なので、どうしても文章が長くなります。
読むのがちょっとしんどい。
もめごとは、最後はお金で和解するのだろうなあと思いながら読んでいました。そのとおりになりました。会社は、和解金は会社の運営に必要だった経費として、会社のお金として経理で落とすのだろうなあと想像しました。会社にとっては痛くはないのではないか。
作家としては、紛争に勝っても次の仕事の依頼はないのでしょう。
作家はけっこう不利な立場です。
出版社というところは、次の仕事の段階にいくのに、待たされる期間が、数か月から年単位で、とても長い。あげくの果てに、印税率ダウンとか出版停止では、翻訳家も関係者も何のために働いているのかわかりません。
組織によっては、この人あるいは、この人たちは、頭がおかしいのではないかというところがあります。常識の正常値を保つ感覚が崩れていて、おかしい状態が『平常』として、錯覚で成立している世界に浸かって(つかって)満足されている人がいます。中毒と麻痺状態です。(まひ)。常人は発狂します。
内部告発本のような様相になってきました。
やましい出版社があります。(してはいけないことをして心にひっかかりがあるけれど知らぬ顔をしている)
言動がおかしな外国人原作者もいます。
翻訳家の生活のいいところが、年金生活者に似ていました。
自由度の高い生活を送ることができるとあります。
①時間にしばられない。
②通勤しなくていい。
③人間関係がわずらわしくない。組織には変な人がいる。変な人と付き合うわずらわしさがない。(著者はそう書いていますが、読んでいると、翻訳家の場合、あてはまらないような状態があります)
『社長』を簡単に信用してはいけないという教訓話があります。(著者の失敗をもとにした教え)
日吉ミミさんは、なつかしい。
調べたら2011年に癌で亡くなっていました。64歳でした。
推理ドラマ『刑事コロンボ』は、こどものころは好きでよく見ていましたが、おとなになってからはつまらなく感じました。
コロンボの人物像が狡猾だからです。(こうかつ。ずるがしこい。相手(犯人)に油断させてボロを出させる手法で相手を追い込んでいきます)
「警察」の話が出てきます。
「警察」には、期待しないほうがいい。
テレビドラマや映画の中と現実は違います。
事後処理をする組織です。
出版業界というのは、嘘で構築された世界なのかと読んでいてあきれてきます。
お金のためなら犯罪行為でもやるのです。
不信感が芽生えます。
外国絵本の翻訳もそうなのだろうか。
「差し止め請求訴訟」というのが、けっこう効果の力があるということがわかりました。
出版業界は、トラブルが多いとあります。
作家は、出版社との交渉記録をきちんと残しておいた方がいい。
録音も必要かと思うほど出版社側の態度はひどいものです。
よく出てくる単語として『放置プレー』があります。作家から働きかけても反応が返ってきません。
いかなる事情があるのか、出版社側の人間の手記を読んでみたい。
本が売れない。本をつくれない。
『出版社』という会社はもう終わっているようです。
それでも、一定数の人たちは、電子図書ではなく、紙の本が必要な人がいます。その人たちのために『出版社』は残る。幼児向けの絵本とか童話は残りそうな気がします。
さらに、自費出版をしたいという素人の需要は多い。
権限をもつ担当者が、横のつながりをもたないのはつらい。
仕事の幅が狭くなります。
本人訴訟:弁護士を頼まずに自分で訴訟手続きをやること。
読んでいて、出版社で働く人は、本づくりの知識はあっても、法令の知識は疎い(うとい。知識や理解が不十分)と感じられました。
後半部は、すさまじい交渉経過です。
聖書に書いてあるという『自分で復讐しないで、むしろ、神の怒りに任せなさい(まかせなさい)』には、同感で共感します。いわゆる「ちゃんとやらない人には、神さま仏さまのばちがあたる」のです。
トラウマ:精神的外傷。心の傷。苦痛だった瞬間を思い出す。フラッシュバック。
239ページまで読んで、『お疲れさまでした』という言葉しか出てきません。
著者は、翻訳家を辞めて、警備員をされているそうです。
同じ出版社で発行されている『交通誘導員ヨレヨレ日記 柏耕一 三五館シンシャ フォレスト出版』を読んだのは、おととしのことでした。おふたりともゴールが同じになっています。
最近読んだ何冊かの本の影響もあって、近頃の自分の頭の中には『資本主義が限界の時期を迎えている。脳内に残っているこれまでのやり方を塗りつぶそう』という意識が広がっています。この本に書いてある内容と重なります。お金もうけ第一主義では、もたない世の中になっているのです。自分にとって損か得かで物事を判断してきたことが、ゆきづまってきています。
利潤の追求を最優先目標として若い頃に教わった効率最優先主義『速く、安く、正確かつ楽に仕事を進める』を終わりにしよう。
ゆっくり、ていねいに、いいものを仕上げて後世に残す。
もう、もうからなくてもいい。地球の自然環境保護と人間の心身の健康維持が大事なのです。
著者は、宗教に頼るほど、追い詰められました。
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