2022年01月29日

ママがもうこの世界にいなくても 遠藤和(えんどう・のどか)

ママがもうこの世界にいなくても 私の命の日記 遠藤和(えんどう・のどか) 小学館

 結婚出産後、若くして癌(がん)で亡くなった女性のお話として話題になっている本です。
 読んでみます。
 (読み始めてから気づいたのですが、テレビ番組でとりあげられたそうです。自分は観たことはありません)

 ことがらの内容から思い出すのは、重松清作品『その日の前に』です。
 病気で余命宣告を受けた奥さんが、ご主人に言葉を残します。『(わたしのことは)忘れてもいいよ』「忘れていいよ」ではなくて、「忘れてもいいよ」が、つらい。本当は、忘れてほしくない。だけど、忘れてほしい。先に逝く(いく)者は、あとに残る者の幸せを願います。
 あわせて同作者の『卒業』も名作です。親を病気で亡くして育ったこどもさんと継父・継母との関係においての苦悩が描かれています。こどもは、亡くなった実親のことが忘れられません。継父・継母は配偶者の連れ子に全力を尽くすのですが報われません(むくわれません)。

 これから読む本は、日記形式の本です。思い出すもう一冊は、20歳で人生を思い詰めて京都市内の電車に飛び込み自殺をして亡くなった栃木県出身の高野悦子さん(たかのえつこさん)の日記『二十歳の原点(にじゅっさいのげんてん)』です。学生運動が盛んだった昭和40年代のお話です。1969年(昭和44年)20歳没。

 それからもう一冊が『112日間のママ 清水健 小学館』です。奥さんが出産後、癌で亡くなられています。最後に、親子三人で記念の沖縄県竹富島へ旅行をされています。こどもさんが、生後112日の時にママは亡くなりました。

 太川陽介さんと路線バスの乗り継ぎ旅をしているえびすよしかずさんは、前妻(51歳のとき)を病気で亡くして号泣されたあと、寂しさに耐えられず再婚して幸せに暮らしておられます。
 後妻さんの娘さんを我が子のように育て、孫も授かって(さずかって)います。人間は強く生きることができます。(「ひとりぼっちを笑うな」蛭子能収(えびすよしかず)角川書店)

 一般的に、人は、小中学校高校に通っている頃は、教室にいる全員がこれからもずっと生き続けると思いこんでいます。
 ところが、五十代になって、同窓会の名簿をみると、同級生や先輩後輩だった人間が、何人も亡くなっていることに気づきます。病気や事故や自然災害や事件など、この世は危険がいっぱいです。
 自分が歳をとってわかったのですが、自分自身も病気や事故などで、何度か死にそうな目にあって、老齢を迎えたという実感があります。生き続けるためには『幸運』が必要なのです。

 人は亡くなる前に、この世に自分が存在していた証拠を遺したい(のこしたい)と思います。遺しておきたいものは、こどもであったり、孫であったり、ときに、『本』であったりもします。なにかしら、作品をこの世に遺して(のこして)おきたいのです。
 これから読む本では、亡くなった女性は、日記を遺し、本を遺し、こどもさんをこの世に遺されました。命はつながれたのです。

 遠藤和(のどか)さん。のんちゃん:癌のため24歳で死去。両親と妹ふたり。6歳年上の夫とあかちゃんあり。
 2016年10月4日(平成28年)のちに夫婦となるふたりの出会いあり(本人19歳)
 2018年(平成30年)癌が発覚(21歳)
 2019年(令和元年)結婚(22歳)
 2020年7月9日(令和2年)ご夫婦に、娘さん誕生。27週。帝王切開。体重1001g。(通常の誕生は40週ぐらい)(23歳)
 2021年9月8日(令和3年)死去。(24歳)
 『はじめに』は、ご主人による重い内容の出だしです。

 2020年7月5日から日記が始まっています。
 おなかの中にあった赤ちゃんの頭だと思っていた固まりが、2.5kgのがんの腫瘍だったとあります。驚きです。お生まれになったお子さんの体重は1kgぐらいです。

 ウメ:飼い猫の名前。
 三人で、川の字になって寝る。
 抗ガン剤の影響で、髪が抜けてくる。
 ケモ:悪性腫瘍に対する化学療法のこと。
 12月21日が結婚記念日

 本のつくりとして、日記の記録を、どうして時系列で並べなかったのだろう。
 わかりにくいです。情報提供と情報整理が本の内容として不足しています。
 あわせて、自分の読解力が弱いので、読んでいても、いつ、どこで、だれが、なにをしているのかをイメージできない読書になっています。明瞭ではない部分が多いので、何度も読み返しながらチェックをしています。
 本は、以下の順番で記述されています。

1 2020年7月-2021年3月(23歳)(読み手の推測として、おそらく)余命三年のうち二年半が経過。青森の実家に居住。7月9日子誕生→夫の東京転勤が決定。著者のご家族一同も本人夫婦に遅れて、東京へ移住予定となる。
 県病:青森県立中央病院。本書内での表記は、「県病」ではなく、正式名称のほうが読み手にはわかりやすかった。
 善知鳥神社(うとうじんじゃ):青森県庁の北にある神社。本書中では、出てくるたびにふりがながほしい。
 ラザニア:シート状の広くて平打ちのパスタ料理
   
2 2021年4月-同年7月(24歳)4月4日にご夫婦とお子さんの三人は、青森県から東京都内へ引越しをされた。しかし、病状が悪化して、4月9日に青森県へ帰郷して入院・手術を受けた。(日記だけでは、わかりにくいのですが、ご本人が入院中は、あかちゃんである娘さんは、奥さんの青森の実家にいたようです)4月29日に、ご本人と赤ちゃんと猫のウメと妹さんで東京へ戻っています。
 5月17日に都内の病院、がんセンターというところへ入院されているようです。(この部分も不明瞭)5月27日退院。東京都内の自宅へ帰宅。妹さんが赤ちゃんの世話をしている。
 メリディアン:MR画像誘導放射線治療装置
 渋谷のプロント:カフェ、パスタ店
 6月30日入院、抗がん剤治療をして、7月3日退院。7月10日赤ちゃんの初めての言葉を聞く。『パッパァ』

3 2021年8月(24歳)
 著者による長い作文があります。これまでのふりかえりです。
 翌月の9月8日に亡くなっています。
 ご家族に対する感謝の内容です。

4 2016年9月-2017年9月(19歳から20歳)
 2017年9月24日に、結婚申し込みと青森県内での同棲開始の話が出ました。

5 2018年8月-同年12月(21歳)
 青森県内居住。9月5日両親に癌の告知あり。続いて本人に告知あり。9月6日退院。

6 2018年12月-2019年12月(21歳から22歳)

7 2019年12月-2020年7月(22歳から23歳)
  2019年12月21日青森市役所に婚姻届を提出しました。同日が結婚式だったようです。(日記の記述から読み取って察するのです)
  『結婚式より、お葬式のほうが、正直リアルだった』
  2020年
  1月27日:妊娠していることが判明しました。
  2月5日:結婚式のようすが、テレビで放送されました。
  7月9日:帝王切開でお子さんが誕生しました。

8 2021年7月-同年9月(24歳)
 7月14日入院。同月16日退院。7月24日入院。8月11日退院。このあと入院したように思える記述なのですが明瞭ではありません。8月24日退院。
 訪看(ほうかん):訪問看護。療養中の自宅に定期的(隔日)に看護師さんが来て、面談とか処置をしてくれるそうです。(喉(のど)につまったたんをとるなど)
 2021年8月29日:最後の日記。こどもさんのようすがかわいい。
 同年9月4日:ウメ(飼い猫)がベッドに近づかなくなった。
 同年9月8日:妹さんの言葉として、お姉ちゃんは動かなかった。お姉ちゃんは、じっとしていた。
 東京都内のご自宅で亡くなっています。
 身内には、見送る覚悟がいります。
 ご遺体は、東京の自宅からご実家のある青森県へ移送されて、葬儀が営まれています。

 最後まで読んできて、今年読んで良かった一冊でした。

 心に残った一行(いちぎょう)です。
 『治る保証のないつらい治療を続けるより、緩和ケア病棟に移って穏やかに過ごすほうがいいのかな。答が出せない』

 素直な時系列の順番としては、「4」から始まって→「5」→「6」→「7」→「1」→「2」→「3」→「8」です。

 一度目の読書は、日記を流し読み気味に読み続けました。
 『日常』が、積み重ねられていきます。
 人により寿命の長短はありますが、命が尽きる日まで、同じような繰り返しの日々が経過していきます。
 やがて、変化の兆しが見えてきて、大なり小なりのハプニングが起きます。
 
 生後数か月のあかちゃんは、身長が61cmぐらい。体重が7.2kgです。
 そういえば、自分自身も娘が誕生した年に3か月間ぐらい内臓の病気で入院していたことがあります。娘はまだ生まれて間もない姿で、一度だけ病院の大部屋に来てくれました。ベッドの上でおちゃんこして可愛らしかった。
 60ページの著者の言葉『治らなくてもいいから、共存したい』は、身につまされます。(他人事(たにんごと)ではなく思われる)
 
 叫びがあります。『痛い。もう、こんな身体(からだ)やめたい』
 文字を書くことで、生き続けられるということはあります。
 チューブだらけです。体に管(くだ)やストマ(人工肛門)や胃婁(いろう。人工的な栄養補給)の器具が取り付けられて、サイボーグ(人造人間)のようになっていきます。
 『死ぬことはそんなに怖くないけれど……』本当にそうだろうか。
 心は揺れ動きます。
 『今度は、のんがみんなのこと守るからね』
 『生きたい』
 (5月20日)『なんとか生きている』
 
 『インスタ』について書いてあります。
 自分は『インスタグラム』というものがどういうものか知りません。
 著者は、インスタのコメントに対して腹を立てておられます。
 さらし者になっているような感じがあります。

 だんだん痛々しい内容の日記になっていきます。
 気の毒で、しっかり読めません。
 体がどんどん壊れていきます。
 
 まわりにいる親族の年齢層はまだ若い。夫、両親、妹たち。
 著者を見送る心の準備が必要になります。
 著者の言葉として『生き続ける努力と、死んだあとの準備』死んだあと、今はあかちゃんの娘さんが残ります。
 何年も会っていなかった知人からの『会いたい』に対して、強い抗議があります。人は、非情なことを要求してきます。本人は、会いたくない。チューブだらけの姿を見られたくない。

 杏雲堂病院:きょううんどうびょういん。字を読めませんでした。東京お茶の水駅南。地図を見たら、以前観光で訪れたことがある「ニコライ堂」の近くにありました。
 
 身体障害者手帳をもらうと記述があります。
 『1リットルの涙 木藤亜也(きとう・あや) 幻冬舎文庫』の一節を思い出しました。(1988年。昭和63年。病気のため24歳でご逝去(ごせいきょ))
 書いてあったこととして、『Dr.に病気を治してと訴える。生徒手帳と身体障害者手帳をもらう。修学旅行先で気持ちの悪いものを見るように見つめられる。ついに歩けなくなる。自分は何のために生きているのか。結婚したい。自分にできることは、自分の死体を医学に役立ててもらうことだけ』

 何枚かの家族写真が掲載されています。
 どちらかといえば、家族のうちうちで共有してとっておきたい思い出です。
 著者は亡くなってしまいましたが、あとに残る家族には未来があります。いろいろな未来のパターンがあります。
 過去を変えることはできません。過去は過去として心の奥底に沈めて、今生きているメンバーが幸せになる未来を考えていかねばなりません。
 本にして世間に出すのなら、出版する側としては、読み手へのメッセージが必要です。
 医療、福祉、家族・夫婦の助け合い、心の支え、宗教もあるような気がします。

 いろいろと積極的なご本人でした。
 若いこともあって前向きです。
 
 書中で、お名前の『和』の表記をすんなり『のどか』さんと読めませんでした。文字が出てくるたびにふりがながほしい。
 ご主人は、のんさんの兄のような存在です。
 19歳ぐらいのころの、のんさんは、まだこどもっぽい。
 2017年3月20日に二十歳(はたち)を迎えられています。
 
 函太郎:かんたろう。回転寿司店
 大曲(おおまがり):秋田県にあった市。現在は大仙市(だいせんし)8月に花火大会が開催される。
 
 病気に予兆があります。
 18歳のときからみぞおちの左が痛かった。
 自分もみぞおちの右が痛い時期が長らくありました。(胃かいようでした)
 早期発見は大事です。
 
 叫びに似た願いがあります。『心まで病気にしないでほしい』

 ご両親にとって、孫が産まれることは嬉しいことです。
 本人の言葉です。『お母さんみたいに、ママになりたい』
 
 以前、抗がん剤を使用している人の映像をテレビ番組で観たことがあります。
 病気の若い女性は、ぼんやりとされていました。
 体がだるくなって、力が入らなくなって、ぼーっとしているような感じなのだろうと推測しました。
 考える力も弱くなって、ふわふわした感覚なのでしょう。
 こちらの本では、本人の言葉として、10kgやせてしまった。
 抗がん剤使用中は、つらいことが多すぎて、生きるのでせいいっぱいだった。人生で一番「しょうがない」って言葉を聞いた年だった。(12月31日の日記)

 腎ろう(じんろう):胃婁(いろう)は聞いたことがありますが、腎ろうは初めて知りました。尿の流れをチューブで確保する。
 ポート:本体とカテーテル(管くだ)を皮膚の下に埋める。
 体重は30kg台。
 かなり、しんどい。  

Posted by 熊太郎 at 07:58Comments(0)TrackBack(0)読書感想文