2021年12月28日

2021年今年観て良かった映画など

2021年今年観て良かった映画など

(再鑑賞)シンドラーのリスト アメリカ映画DVD 1994年日本公開
 ゲットー(ユダヤ人を集めた区域)のことを知る日本人の数は少ないと思います。
 途中、白黒映像の中で、そこだけ赤い服を着た少女が登場します。ゲットーの中で身を隠そうとします。以前読んだ「マルカの長い旅」を思い出します。実話であり悲惨なこどもさんの体験物語がありました。
 人間の血がいっぱい流れるシーンがあるから白黒映像にしてあるのだろうと考えました。

星の王子ニューヨークへ行く アメリカ映画DVD 1988年公開
 有名な映画のようですが観るのは初めてです。もう30年以上前の映画ですが、自分にとっては新作です。今年観て良かった一本になりました。
 アフリカにあるザムンダ王国の21歳になるアキーム王子が主人公です。彼は、なかなかいいやつです。お坊ちゃま暮らしで育てられたようですが、しっかりしていてまじめです。王子の風格があります。かっこいい。

相棒 シーズン12
「最終話 プロテクト<スペシャル>」
 東京拘置所に三人殺しの死刑囚老人が収監されていて、彼には三人のこどもがいて、長男も収監されていたけれど出所して、次男は悪徳弁護士で、三男はまっとうな人間という設定に、今は亡き小野田官房長とか甲斐享父子がからんできます。父親と息子のうまくいかない親子関係が表現されていました。

(再鑑賞)ショーシャンクの空に アメリカ映画DVD 1995年日本公開
 浮気をした妻とその相手の男性に何発も銃弾を撃ち込んで殺した犯人ということで刑務所に入れられた主人公のアンディです。しかし、そのことは冤罪(えんざい。無実の罪)です。時代は1947年からスタートします。

朝が来る 日本映画DVD 2020年公開
 小説は何度か読み返しました。感動の名作です。テレビドラマを少しだけ観ましたが、小説を読んだほうがよかった。今回は映画です。
 養母役を演じられた永作博美さんは好きな女優さんです。幼稚園での園児同士のいさかいから始まります。親の責任もからんできます。重苦しい出だしです。(子どもの言うことを信じることで養母の栗原佐都子さんは救われます)

みをつくし料理帖 邦画DVD 2020年公開
 「澪標(みおつくし):通行する船の目標となる標識」
 女性同士の友情を描いた味わいのある日本映画でした。
 気持ちが落ち着く江戸時代です。

百万円と苦虫女 邦画 2008年公開 fuluフールー動画配信サービス
 苦虫:にがむし。にがにがしい。不愉快。いい映画でした。今年観て良かった一本です。
 蒼井優さんの熱演があります。21歳の姉と12歳の弟の姉弟愛(きょうだいあい)が大きな柱です。お互いに支え合います。

此の岸のこと(このきしのこと) 邦画 動画配信サービス 2012年公開
 30分ぐらいの短編映画です。老老介護のすえに夫婦が心中するのです。手こぎボートから湖への入水自殺です。
 車いすのおばあさんがいます。リアルです。一部のシーンは、今年相次いで亡くなった身内の老夫婦の姿を思い出しました。自分たち夫婦の未来の姿と重なりもします。


 コロナ禍のためにここ二年間ぐらい映画館から足が遠ざかっています。
 感染拡大の第六波が予想されているので、自粛はまだ続きそうです。
 マスクのいらない生活が待ち遠しい。  

Posted by 熊太郎 at 07:19Comments(0)TrackBack(0)熊太郎の語り

2021年12月27日

2021年 今年読んで良かった本

2021年 今年読んで良かった本

三十女は分が悪い 壇蜜 中央公論新社
 おもに人生相談に対して壇蜜さんが答えた内容の集約集です。
 返答は、あたりさわりのない平板な解答パターンが続きます。
 第3章までの相談部分は軽い内容です。第4章「私の30代までをプレイバック」の部分は濃密な内容です。

ふしぎなえ 安野光雅(あんのみつまさ) 福音館書店
 表紙をながめています。
 魔法使いののようなかっこうをした男の人たち4人です。
 サンタクロースのようにエントツに向かって、壁や屋根を登って行きます。
 おそろいの赤い帽子とえり巻きです。そうか。煙突そうじの人たちか。

ふしぎなナイフ 中村牧江・林健造・さく 福田隆義・え 福音館書店
 フォークとナイフのナイフです。
 ナイフの絵がリアルで、最初は怖い。
 ページをめくりはじめるとおもしろくなります。
 だんだん内容がふくらんで、どんどんおもしろくなります。そして、楽しい。
 アイデア出しの教示書です。
 きれいなナイフの絵が続きます。

パパ、お月さまとって! エリック=カール・さく もりひさし・やく
 こどもさん向けの絵本です。
 まずは、全体を1ページずつめくってみました。なんというか、すごい絵本です。
 しかけがある絵本です。ダイナミックです。
 1986年が初版です。
 アメリカの田舎町でしょう。夜空も地上も広い。
 なんていう長いハシゴなんだ。

(再読)坊ちゃん 夏目漱石 集英社文庫
 昨年読んだ本の中で、夏目漱石作品は発表された当時はいい評価をされなかったが、何十年間もの時を経て高評価されるに至った。逆に坊ちゃんが発表されたころにちやほやされた小説家は、今はもう消滅して名も残っていないというような文章をみました。優れた作品は年月をくぐりぬけても不死鳥のように生き残るのでしょう。
 本棚の整理をしていたらこの本が出てきたので読んでみることにしました。

少年と犬 馳星周(はせ・せいしゅう) 文藝春秋
 短編6本の連作です。
「男と犬」
 2011年3月11日に発生した東日本大震災から半年が経過していますから同年9月でしょう。コンビニの前に飼い主不明の犬がいます。姿かたちのイメージは、オオカミです。誇り高い。かっこいい。シェパードの雑種らしい。

ムンジャクンジュは毛虫じゃない 岡田淳 偕成社文庫
 三人の小学五年生が相談して付けた名前です。ムンジャクンジュは、虫のようなあるいは、小動物のような生き物で、最初は米粒ほどの大きさだったのですが、58ページの今は、ハトぐらいまで大きく育ちました。そして、ムーンとか、クーンと鳴くところからムンで、毛むくじゃらだからジャクンジュだそうです。

下流志向 学ばない子どもたち働かない若者たち 内田樹(うちだ・たつる) 講談社文庫
 「まえがき」を読んでいて考えたことです。この本は、こどもが勉強しなくなった。若者が働かなくなったという内容が書いてあるようです。本の発行は、2007年ですから、今から13年ぐらい前です。その当時の小中学生、大学生たちはいまごろ、二十代から三十代でしょう。

シルバー川柳10 スクワット しゃがんだままで 立てません ポプラ社
 本屋で、この本のカバーをみて、「スクワット しゃがんだままで 立てません」を読んで、思わず吹き出しました。そのとおりです。笑いました。そして、購入しました。

おじさんのかさ 佐野洋子 講談社
 傘をもっているけれど、雨がふっても使用しないかさのお話です。
 愉快です。見せ傘というのでしょうか。お財布の中の「見せ札、見せ金(みせさつ。みせがね。見せるだけで使わない紙幣)」みたいです。人に見せて自慢するだけの傘だろうかという先入観をもちながら読み始めました。

図書館の神さま 瀬尾まいこ(せお・まいこ) ちくま文庫
 冒頭の「清(きよ)。私の名前だ」を読んだ瞬間に先日読んだ夏目漱石作品「坊ちゃん」が頭に浮かびました。坊ちゃんの家で働いていた女中さんのお名前です。そして次の瞬間、「両親が『坊ちゃん』に傾倒していたわけではない」と文章が続きます。やられたという感じがして、次の読みに入ります。

シュリーマン旅行記 清国・日本 石井和子・訳 講談社学術文庫
 世界史のトロイの遺跡からこの本に来ました。詳しいことは知りません。
 シュリーマン:1822年-1890年 68歳没 ドイツの考古学者 実業家 ギリシャ神話に出てくる都市トロイアの遺跡を発見した。トロイアの考古遺跡:現在のトルコ共和国。1870年発掘開始。日本への訪問は、1865年。当時43歳。明治元年が1868年。

ぼくのくれよん 長新太(ちょう・しんた) 講談社
 大きなくれよんが出てきます。ネコぐらいの大きさのくれよんです。おもしろい。
 「だいだいいろ」というくれよんの表示は、昭和時代を思い出させてくれます。
 絵本は1993年の発行ですから、平成5年です。

まんげつのよるに 木村裕一・作 あべ弘士・絵 講談社
 シリーズ「あらしのよるに」の第7話でこれが最終話です。
 第6話で雪崩に飲み込まれたオオカミのガブはどうなったのか心配です。
 ガブは物語の主人公ですから必ず生きているはずです。
 ほら生きていました。よかった。
 えッ?! なんとそれはヤギのメイの夢でした。

おれはねこだぜ 佐野洋子 講談社
 おとなびたちょっと反抗期であるようなねこの絵です。
 心がひねくれたようなねこの好物は、お魚のさばだそうです。
 ねこのぼうしに何かがぶちあたりました。
 えッ?!
 おもしろい! ネタバレになるので、何が飛んできたのかはここには書きません。
 ページをめくって、ますますおもしろくなりました。こどもさんにうけるでしょう。

きょうりゅうのかいかた くさのだいすけ・文 やぶうちまさゆき・絵 岩波書店
 1983年(昭和58年)初版の絵本です。
 読み終えてみて、昭和時代の匂いが伝わってきて、なつかしさにつつまれました。登場人物たちが来ている服を見てそう思いました。

妻が椎茸だったころ 中島京子 講談社
 タイトルが奇抜で引く思いがあったのですが、この方の作品で以前読んだ「長いお別れ」が傑作だったので、この本も読んでみることにしました。一作、一作の内容が、濃密だという印象をもっています。
 短編が五本並べてあります。最初の一本を読み終えて、これは、スリラーだと気づきました。ぞっとする読後感が残ります。

ふうせんねこ せなけいこ 福音館書店
 「おこっているぞー」のねこです。
 かなりおこっています。
 ますますおこっています。
 おこっているけれど、可愛い。
 ねこの動作は、乳幼児の動作と共通しています。

逆ソクラテス 伊坂幸太郎 集英社
 ソクラテス:アテネ出身の古代ギリシャの哲学者。紀元前469年頃-紀元前399年。71歳。服毒自殺による死刑。名言を多数残しています。「無知の知」「生きるために食べよ。食べるために生きるな」「 本をよく読むことで自分を成長させていきなさい。本は著者がとても苦労して身に付けたことを、たやすく手に入れさせてくれる」「一番大切なことは、単に生きることではなく善く生きることである」「悪法もまた法なり」本人の著書は残っていないが、弟子のプラトンがソクラテスの言葉を残している。

自転しながら公転する 山本文緒 新潮社
 58ページあたりを読み終えたところで感想を書き始めてみます。全体で、478ページある作品です。男性の自分が読むのには場違いかなと感じながら読んでいます。恋愛小説のようです。
 冒頭は、ベトナムでベトナムの恋人と結婚式を挙げる直前シーンから始まります。その後、過去の出来事にシーンは移ります。世界的に、地球規模で動くから、自分が自転しながら、太陽のまわりを公転するという意味合いのタイトルに思えます。

学問のすすめ 福沢諭吉 斎藤孝・現代語訳 ちくま新書
 有名な本ですが読むのは初めてです。福沢諭吉:1835年(天保5年)-1901年(明治34年)66歳没 慶応義塾大学の創設者 著述家、啓蒙思想家、教育者
 学問のすすめ:1880年(明治13年)出版。内容は、1872年(明治5年)-1876年(明治9年)に発行された17編を合本したもの。

水を縫う(みずをぬう) 寺地はるな 集英社
 第一章から第六章まであります。第一章を読み終えて、ぼんやりと本のカバーをながめていました。男子高校生が木製椅子のそばに立って横を向いています。(そうか、裁縫好きの男子高校生が水を縫うという設定なのか。男子高校生の足もとには水たまりのようなものが広がっており、下のほうには針と糸の絵があります。糸は赤い糸ですから縁結びの糸でしょう。なお男子高校生はオカマではありません)

宇宙への秘密の鍵 作・ルーシー&スティーヴン・ホーキング 訳・さくまゆみこ 岩崎書店
 クリスマスのプレゼントにコンピューターがほしかったのに、ペットのブタがプレゼントだったというところで、そのブタちゃんがブタ小屋から消えてしまったというところから始まりました。
 ブタの飼い主は、ジョージ少年です。まだ読み始めたところなので、年齢はわかりません。

ヒュースケン日本日記 1855-61 青木枝朗(あおき・しろう)・訳 岩波文庫
 ヘンリー・ヒュースケン:1832年-1861年 オランダ人 タウンゼント・ハリス配下のオランダ語通訳兼書記官 英語をオランダ語に訳して、日本人とはオランダ語で意思疎通をはかった。 1856年24歳のときに来日し、1861年1月14日、29歳のときアメリカ合衆国公使館となっていた善福寺への帰路、薩摩藩士に殺害された。

パンどろぼう 柴田ケイコ 角川書店
 食パンのお顔が不気味です。
 でも、読み終わったあとで、今年読んで良かった一冊だと思った次第です。
 こどもさん向けの絵本です。

めっきらもっきら どおんどん 長谷川摂子(はせがわ・せつこ)作 ふりや なな画 福音館書店
 ゆうれいのおはなしだろうか。表紙に不気味な黒い影の絵が描いてあります。オオカミのようにも見えるし、ヘビのようにも見えます。

きょだいなきょだいな 長谷川摂子(はせがわ・せつこ)・作 降矢なな(ふりや・なな)・絵 福音館書店
 ページを開いて、いきなりびっくりしました。巨大なピアノがどーんと出てきました。圧倒されます。
 次のページをめくって、おもしろい展開に愉快になりました。このピアノはかなり巨大です。

ちくわのわーさん 岡田よしたか ブロンズ新社
 2011年発行の楽しい絵本です。ちくわのわーさんは、おもしろいけれど、見た目は、かわいくはない。ちくわのわーさんの動きは、まるで、生きているようです。ちくわのわーさんは、かなり大きなちくわです。

現代語訳 論語と算盤 渋沢栄一 守屋淳・訳 ちくま新書
 大河ドラマは観ています。ただ、いままでのところ徳川慶喜さんのドラマになっているような。
 されど、渋沢栄一さんは偉大です。
 渋沢栄一:1840年(天保11年)-1931年(昭和6年)91歳没 1968年が明治元年 豪農、武士、官僚、実業家、慈善家

いきもの最強バラエティー ウソナンデス Gakken
 ホオジロザメが人間を喰うのが世界に広まったのは、洋画「ジョーズ」の影響だろうか。ホオジロザメにとっては、災難だった。
 読んでいて、世の中は、誤解と錯覚で成り立っていると再確認できました。
 ハイエナは悪者扱いされるけれど、本当は、良質なチームワークをもつ狩人なのです。

大きい1年生と小さな2年生 古田足日(ふるた・たるひ)・作 中山正美・絵 偕成社
 1970年(昭和45年)の作品で、もう50年ぐらい前の作品ですが、よく読まれています。
 ただし、自分が読むのは初めてです。小学生のころって、たしかに、背丈(せたけ)にこだわりがありました。背は成長するにつれて伸びて、最終的には、背の高い、低いは人生においてあまり関係ないことがわかるのですが、そのことに気づくまでは悩んだりもします。

スモールワールズ 一穂ミチ(いちほみち) 講談社
 短編6本です。どういうわけか、タイトル「スモールワールズ」という作品はありません。全体で、「小さい世界(複数)」ということなのか。
「ネオンテトラ」
 ネオンテトラとは? 調べました。「(アマゾン川で発見された)熱帯魚」だそうです。ネオンサインのような模様。青と赤の縦じま。4ページぐらい読んで、ああ、自分には合わないと肌で感じました。流し読みにしようか。若い人向けの作品だとピンときました。

こちらあみ子 今村夏子 ちくま文庫
 別の本で紹介されていたので興味をもち取り寄せて読み始めました。
 「あみ子」変わった名前です。どういう意味なのだろう? 本のカバーには、次のとおりあります。
 あみ子:風変りな女の子。優しい父。一緒に登下校してくれる兄(その後不良になる。こーちゃん。孝太)。母親は妊娠中で、書道教室の先生をしている。(その後やる気がなくなる)。(あみ子さんが所属するのは田中家です)。あみ子のあこがれる男子同級生が、のり君

三日間の幸福 三秋 縋(みあき すがる) メディアワークス文庫
 ショートショートの連作だろうか。短い文章が、15本あります。
「十年後の約束」「終わりの始まり」
 二十歳になった男子クスノキは、寿命(あと30年と3か月あったらしい。50歳で死去だったのか)をブックオフで本を売るように査定を受けて、買取り店で売ってしまいました。30年分を売却したのであと三か月しか生きられないであろうという設定です。作者は顛末(てんまつ。オチ)をどうもっていくのだろうが、目下(もっか)の読書の興味です。

スマホ脳 アンデシュ・ハンセン 久山葉子・訳 新潮新書
 読み始める前の心構えとして、スマホの良くないところについて書いてある本であろう。
 街で、ながらスマホをしながら歩いている人を見ると危険を感じます。
 一度ぶつかりそうになったことがあります。
 以降、ながらスマホをしている人には、近づかないようにしています。  

Posted by 熊太郎 at 07:21Comments(0)TrackBack(0)熊太郎の語り

2021年12月24日

世界一孤独な日本のオジサン 岡本純子

世界一孤独な日本のオジサン 岡本純子 角川新書

 自分はオジサンなので、なにやらさびしくなるようなタイトルです。
 読む前の予想として、なんでもマニュアル(手順を示した手引き)で整理整とんするのだろうか。
 分析と問題提起、そして対策です。
 そっとしておいてほしいという願望と、老後はどうしようという思いが重なります。
 両親や兄弟姉妹がいて、彼らの子孫がいて、自分の配偶者や子どもや孫がいれば、オジサンであっても孤独とはなりません。(たいていは)
 
 おしゃべり下手とあります。
 それでも、歳をとると、勝手に口が動いて、ずらずらと言葉が流れ出るということはあります。
 自分の頭で考えなくても、口からすらすらと話がこぼれるということが老化のひとつだという実感があります。
 いらんことまで言ってしまいます。
 
 恵まれているけれど、不幸感でおおいつくされているのが日本だそうです。
 それは、人によりけりだし、気持ちのもちようだと思うこともあります。
 日本は高齢者が世界一不幸な国だそうです。
 そんなこともないと思いたい。
 思うに著者は「世界一」とか「日本一」とかいう言葉が好きなようです。

 オジサンとおばちゃんの比較があります。
 圧倒的にオジサンが不利です。
 なんだかオジサンはいないほうがいいみたいな文脈に思えます。
 『威張る、文句を言う、キレる』本人に自覚はありません。(女子のクレーマーもけっこうきついのに)
 
 『夫が逝くと妻は解放されたと思い、逆だと夫はしぼむように生気を失っていく』とあります。
 自分のことは自分でやりましょう。
 男は妻に自分の身の回りの世話をさせてはいけません。
 逆に妻にサービスするべきなのです。
 読んでいて共感した部分でした。
 
 近所づきあいというのはむずかしい。
 一定の距離が必要です。
 外から見ると健全そうでも、中に入ればうまくいっていないことがあるのが、たいていの家庭の事情です。
 知られたくないことを世間にさらしても幸せにはつながらないし、お悩み事の解決にもなりません。

 日本の内閣官房に孤独・孤立対策室という所属があることをネットで知りました。
 ひとりぼっちは集まれということだろうか。

 『孤独』が病気とは思えません。
 本では、高齢者は孤独だと定義されていますが、若かったひとり暮らし独身のころのほうが、孤独感が強かった覚えがあります。
 早く結婚したかった。こどもをつくって、家族のメンバーを増やしたかった。(ただ、結婚後、やっぱりひとり暮らしのほうが気楽で良かったと感じたことは何度かありました)

 『孤独死』というけれど、人間はいつどこで死んでもたいていはひとりで死にます。
 本人が死んだあと、まわりにいる人がこの人は孤独死をしたと判断するだけです。

 字数が多い本です。

 ニコチンとアルコールは人を幸せにはしてくれない。
 薬物の服用も同様です。
 
 形態が変わりました。
 婚姻届けを出す前から同居を開始するカップルが増えました。
 結婚式を挙げない。実態は夫婦だけれど戸籍の届は出さない。
 法令にしばられないカップルですから、別離は安易にできます。

 ひとり暮らしの割合が出ていますが、自分の実感としては、いなか暮らしの人も含めて、日本国全世帯の半分以上がひとり暮らしをしているような気がします。
 あるいは、同居者がいても実態は各自のひとり暮らしとか。

 人生で一番ハッピーなのは、外国では、退職後、日本は、十代のころだそうです。
 お金を稼ぐ時期は苦痛の連続です。しかたがありません。
 あまりあてにならない年齢別幸福度のグラフでした。
 働いているときは自分が自分のために使える時間が少なかった。
 リタイア後は時間ができたので幸福感があります。考えてみれば、人生の長さ=時間です。

 働けるうちは働きたいという発言は、世間体(せけんてい)を考えてのものです。
 だれだって、気を使って働くのは嫌です。

 日本のサラリーマンは忙しすぎるという文節には実感があります。
 最近は働き方改革で時短が言われるようになりましたが、サービス残業や休日・時間外夜間等の急な呼び出し出勤は普通のことでした。みかえりが昇進や昇給でした。されど、日本は勤務時間が短くなって、これからどうやって仕事を回していくのだろうか。

 たしかに本に書いてあるとおり、女性がパイロットや科学者、技術者、大型バスやトラックの運転手とか電車運転士をするようになりましたが、男子がキャビンアテンダントとかバスガイドは聞きません。ただ、それでも男性が多い職場はまだたくさんあります。

 読んでいると、よそとの比較が多い文脈です。
 そして、日本のオジサンのほうがだめなのです。
 読んで自分の生き方を考える本です。
 働いているときは、忙しいことに価値があるように内外からの視線で見えました。
 年金生活者になって、賃金獲得労働から離れると、忙しいことに価値はないことに気づきます。

(つづく)

 先日読んだ同著者の『世界最高の話し方』と対応が重なる部分があります。
 ほめることです。
 お世辞、社交辞令、おべっか、二枚舌はだめなのですという記述です。
 実体験としては、仕事上なら使うでしょうが、リタイアしたあとでは不要なやりかたです。
 もう媚びを売る(相手の機嫌を取る)必要はないのです。

 男は女子から『すごい』『ありがとう』『こんなの初めてと』と言われると嬉しいそうです。
 簡単に手玉にとられそうです。(思いどおりにあやつられる)

 仕事が楽しいと思うことはありませんでした。
 ひたすら生活費を稼ぐために耐えるのでした。
 欧米人は仕事を楽しいと考えるそうです。
 なにか意識のすれ違いがあります。

 外国の孤独防止施策、事例は、読んでも参考にはなりませんでした。
 
 なにかしら、徹底的にオジサンが叩かれている感じでした。
 そっとしておいてほしい。
 ストレスのはけ口にされたような読後感が残りました。
 リタイア後のオジサンは、ひとりでも特段悩んではいません。  

Posted by 熊太郎 at 06:48Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2021年12月23日

70歳が老化の分かれ道 和田秀樹

70歳が老化の分かれ道 和田秀樹 詩想社新書

 自分はまだ70歳より手前です。
 これからさき、健康で長生きして、人生最後のステージを楽しみたいので、老化を防止するためにはどうすればいいのかということには興味があります。
 老化防止・抑止として、自分なりに心がけているやりかたは、めんどうくさくてもやるべきことはやる。時間がかかってもいいからゆっくりやるということです。
 
 リタイアして数年が経過しました。
 暮らし方はずいぶん変わりました。
 だいぶ新しい生活リズムに慣れてきました。
 仕事優先で、二十年間ぐらいニュースと天気予報ぐらいしか見ていなかったテレビをゆっくり楽しめるようになりました。
 最近『期限』に対する考え方が変わりました。働いていた頃は、いついつまでに、なになにを、きちんと最高の状態でやり遂げなければならないという、せっぱつまった不安感と恐怖感に追われていました。
 今は、すべてのことの期限は、自分の命が尽きる瞬間だと思うようになりました。もう急がなくていいのです。あせらなくていいのです。ずいぶん気持ちの持ちようが楽になりました。

 親たちを葬儀で見送って、次は自分の順番がいつかはくると覚悟はしております。
 できることなら認知症にならずに自分の意識で自分の死を受け入れたいのですが、これからさき、どうなるのかはわかりません。

 この本に何が書いてあるのかこれから読むのが楽しみです。
 著者は、精神科医となっています。
 これまでの読書メモを調べたら同著者の本を過去に二冊読んだことがあるのを見つけました。
 『家族がボケる前に読む本 和田秀樹 健康人新書』と『「つらいことから逃げない」生き方 和田秀樹 新講社』です。

(つづく)

 まえがき、目次と見てきて、これは本当だろうか?という気になる文節に出くわします。『コレステロールが高めの人や太めの人のほうが高齢になってからの死亡率が低い』『運転免許は返納してはいけない。実は、高齢ドライバーは危なくない』『長生きしたければダイエットをしてはいけない』『血圧、血糖値はコントロールしすぎない』
 
 七十代を上手に過ごさないと八十代で困ったことになる。
 『気持ちが若く、いろいろなことを続ける』『良好な栄養状態を保つ』が大事とあります。
 最終的には『歳をとってやさしくなることが、幸せへの近道』とあります。

 できることなら自宅で眠るように死にたいというのがたいていの人の希望でしょう。ぽっくり。ころりです。
 今年は高齢の親族たちをあの世へと見送りましたが、最後は本人も、死ぬのも大変だと言っていました。人間というものは、逝(い)きたくても簡単には逝けないこともあるのです。

 孫が祖父母に『長生きしてね』と声をかけていたのは、1970年代から1980年代ぐらいまでの記憶です。日本人は長生きになりました。そのころは、六十代はもうおじいさん扱いでした。役職者の定年が五十五歳でした。お年寄りはたいてい七十代後半で亡くなっていた記憶です。
 
 ストレプトマイシン:抗生物質。結核の治療薬。最近に効く薬。微生物がつくる化学物質。
 医学の進歩で、体が若くなったというよりも死ななくなったという状態だそうです。
 脳の老化を止めたり、脳を再生したりすることはできないそうです。
 アルツハイマーとかパーキンソンという言葉が近づいてきます。

 以前、テレビ番組「徹子の部屋」で、タキミカさんという90歳の女性の出演を見て驚愕したことがあります。とても超高齢者には見えません。運動の先生でした。加えて、徹子さんもすごい。88歳です。自分が三十代のころに徹子さんの講演会に行ったことがあります。機関銃のように90分間をしゃべり続ける人でびっくりしました。
 
 自分は五十代になったとき、もういつ癌の宣告を受けてもおかしくない年齢になったという自覚がありました。
 いくら長寿国日本になったとはいえ、自分に長寿の恩恵があることが確実なわけではありません。

 歳をとっても、働けるうちは働いたほうがいいと書いてあります。
 自分が定年退職時に考えたことは『通勤』の習慣を残しておきたいということでした。
 またいつなんどき、働かなければならなくなった時に、『通勤』の習慣を体が覚えていたら楽できる。
 『通勤』にはものすごいエネルギーを費やします。『通勤』ができれば、仕事の継続はできます。長年体で覚え込んだのが『通勤』です。ラッシュアワーのなかでも前へ進めます。頭で何も考えなくても体が反応してくれます。
 毎朝通勤するつもりで三十分間ぐらい近所を散歩することにしました。
 歩くことが、良好な体調維持に役立っていることと近所の人たちや知らない人たちと朝のあいさつができることがメリットになっています。
 仕事場に行かなくなったので、人との会話が家族や親族、ごく親しい友人に限られるようになりました。そんななかで、他人とあいさつを交わすとほっと安心できます。
 けっこう朝早くから活動している人たちが多いことに気づきました。犬と散歩、ジョギング、ラジオ体操の集団、太極拳のグループ、それから、こどもたちの集団登校、ご近所のサラリーマンさんたちの出勤風景、燃えるゴミ、不燃ごみ、資源ごみなどのごみ出しの場面などであいさつをかわすこともあります。集団登校のこどもたちも積極的にあいさつを返してくれます。

 著者は地域での社会活動も勧めておられます。好きな趣味の集まりもあるのでしょう。
 わたしはもう人間関係がらみのストレスをかかえたくないのでそこまでは御免です。最近は血縁関係のある親族とのつきあいを大切にしています。

 著者のご意見に賛同できない部分がいくつかあります。『運転免許は返納してはいけない』車の運転は続けることを推奨されています。とくにいなかでは、車を手放すと、その後、脳の活動が低下してしまうというような説明が添えられています。
 自分よりも若い他人をけがさせると大変なことが起こります。高齢者本人だけが責められるのではなく、子どもや兄弟姉妹一族まで社会的制裁を受けて責められることになります。親族の人生の流れを変えてしまうこともあるでしょう。被害者家族の怒りはすさまじい。
 脳の活動の低下防止は、車の運転以外の手段でやってほしい。
 『高齢者運転は危なくない』と書いてありますが、自分は、ゆっくりでしたが、高齢者の逆走運転を見たことがあります。運転している本人には自分が間違えているという意識はないようでした。助手席の同乗者が気づいてUターンをしていました。複数車線とか、工事中の現場が危ない。
 近所でアクセルとブレーキの踏み間違いをしたあとの現場も見たことがあります。高齢者が運転する車のそばは危険がいっぱいです。近づかないほうがいい。

 『肉を食べる』
 これは試したい。
 たんぱく質をとりましょうというアドバイスがあります。
 セロトニン:血管の緊張を調節する神経伝達物質。幸福感をもたらすそうです。お肉を食べると増えるそうです。合わせて、太陽光線を浴びるとセロトニンがつくられるそうです。そういえば、朝日を浴びながらの朝の散歩は気持ちがいい。
 
 よくわからないのですが『長生きしたければダイエットをしてはいけない』とあります。
 肥満体の人を見ると、ああ、あの人は、長生きはできないと判断しています。だから自分もやせなければとダイエットに励んでいます。BMIが25から30くらいの人が長生きできると書いてありますが、肥満体に入ります。本当にいいのだろうか。長生きしている人はみなさんやせているように思えます。

 がんの予防は免疫機能を維持することとあります。
 おいしいものを食べると免疫機能が低下しないそうです。そうしよう。
 お酒は控えたほうがいいそうです。
 退職してからはストレスがなくなったので、飲酒することはほとんどなくなりました。胃腸が痛くなるほどアルコールを飲むのはもう御免です。

(つづく)

 全体を読み終えました。
 お肉を食べる。おいしいものを食べる。
 嫌な人とは付き合わない。
 以上はそのようにしてみようという気持ちになりました。
 七十歳になったらというよりも、今からです。
 そのほかの薬の服用の仕方とか、検診の受け方などは、各個人の判断でしょう。
 意外だったのは、医師である著者自身でも検査結果で健康数値が出ているわけではないということでした。医師の寿命は一般の人の平均寿命より短いとあとに記述がありました。

 ステント:金属製の網状の筒。血管の中を広げる。
 カテーテル:柔らかい管(くだ)。
 
 医師のアドバイスもありますが、まずは、自分の親族で長寿だった人、現在も健在で長寿の人の暮らしぶりを参考にして自分の長命に生かしたい。

 本に書いてある長生きした人が小太りだとは思えないのです。
 ただ、無理な食事制限でやせることは命を縮めることになる気がします。
 
 がんには二種類あって、転移するものと転移しないものとがある。転移しないものであれば、手術は70代以上であるならしないほうがいい。がんの進行は遅い。手術による体力低下は著しいそうです。参考にさせてもらいます。

 うつ病、アルコール依存、ギャンブル依存、ゲーム依存などについて書いてあります。先日読んだ「スマホ脳」のスマホ依存も含まれてくるのでしょう。

 病院のベッド上で全身に管(くだ)を付けられて死んでいくのは不幸なことではないと書いてあります。新しい解釈だと受け止めました。本人は意識がないので、だいじょうぶだというような理由です。わたしは嫌です。体は動かせなくても意識はあるような気がするのです。まわりにいる人たちの会話の内容は聞かれているような気がするのです。

 読んでいると、何が正しいのかわからなくなってくるときがあります。
 自分で判断していきます。
 『医学』は、完ぺきではない。今だ、発展途上であることは理解できました。
 
 『定年後の喪失感』について書いてあります。
 職場で英雄だった人についてのものでしょう。
 下っ端(したっぱ)にいた人間にとっては、解放感があるのみです。

 夫が死んでせいせいしたという妻の気持ちは、男である自分にはわかりません。そういわれないようにがんばろうとは思います。火葬場の棺桶の中で『惜しい人を亡くした。長い間、お疲れさまでした』とみなさんから声をかけられてこの世を去りたい。  

Posted by 熊太郎 at 07:00Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2021年12月22日

スマホ脳 アンデシュ・ハンセン

スマホ脳 アンデシュ・ハンセン 久山葉子・訳 新潮新書

 読み始める前の心構えとして、スマホの良くないところについて書いてある本であろう。

 街で、ながらスマホをしながら歩いている人を見ると危険を感じます。
 一度ぶつかりそうになったことがあります。
 以降、ながらスマホをしている人には、近づかないようにしています。
 
 今年あったニュースで、スマホを見たまま、線路の踏切内に立っていた若い女性が列車にはねられて死亡するという事故がありました。
 どうも本人は、自分は、踏切の遮断機の外にいると誤解していたようです。
 まわりにいた人たちもみんなスマホを見ていて、彼女のことに気づけなかったそうです。
 異常です。

 著者は、1974年生まれのスェーデン人精神科医です。
 日本とは事情が異なる点もあります。
 スェーデンの人口は一千万人ぐらい。国民の9人のうちの1人はうつ状態で、薬を服用しているそうです。
 自分が若い頃は、北欧の福祉施策はすばらしいというような評価がたびたび出ていましたが、どうもそうでもないようです。この世は誤解と錯覚で成り立っています。
 スウェーデンでは、心の不調で精神科の受診者が増加しているそうです。スマホがひとつの要因になっているそうです。

 スマホのために病人にはなりたくありません。

 急速なデジタル化に人心がついていけていないという趣旨で記述があります。
 人によりけりなのでしょう。
 日本では、スマホやパソコンをもたない人たちもたくさんいます。
 日本人、一億二千六百万人のうちのどれぐらいかはわかりませんが、自分自身が日常生活を送っていて、デジタル機器を使いこなせている集団が大きいとは思えません。

 『睡眠と運動が必要』
 
 インフォデミック:ネット上のうわさやデマが社会に混乱をもたらす。

 文脈から、一般人は『だれかの金もうけの餌食になっている』と読み取れます。

 目次を見て、目を引く項目として『人類はスマホなしで歴史を作ってきた』『スマホは私達の最新のドラッグである』『バカになっていく子供たち』
 昔テレビで観たドキュメンタリーを思い出しました。
 南の島国で、手で持つ銛(もり)を使って集団による捕鯨をしていた民族に、国際的な組織が捕鯨船をプレゼントした。おもしろいようにたくさんのクジラがとれるようになって、部族は大喜びをした。
 手間と時間をかけて一頭のクジラをみんなで協力して仕留めるという地域集団の生活のリズムがなくなった。ある者は、富を得て働かなくなった。クジラの数も減少してきた。
 部族は、捕鯨船を無用なものとして海岸に放置した。捕鯨船は朽ち果てた姿で残っている。
 部族は、またもとのように日にちをかけて、一頭のクジラをみんなで捕獲する狩猟方法に戻った。
 記憶にあるストーリーは以上でした。

 『進化』とは、今の状況に適応していくことだが、人間は、進化できていない。
 黒いクマが、北極に移動してから白いクマに進化した経過が書いてあります。1万年から10万年かかっているそうです。興味深い。

 ADHD(注意欠如・多動性障害):常に周囲を確認する。異常なほど活発。すぐに他のことに気を取られる。
 
 世界の平均寿命は、女性が75歳。男性が70歳。(日本は、女性が87歳。男性が81歳)

 世間では、事務処理の手法が急速に変化しました。
 自分がこどものころは、そろばん、ガリ版、習字の世界でした。電卓もありませんでした。
 それが、いまでは、パソコンによる入力処理、電子マネーの利用にまで発達しました。
 人にやってもらっていたことが自分でやるようになりました。
 銀行ATMも昔はなかった。出始めの頃は、自分で出し入れするのなら、人件費がいらないのだからみかえりがほしいという声がありました。
 もういまでは、コンビニやスーパーも自分で支払い処理をするように変化しました。
 ついていくのがたいへんです。
 思えばこどものころ、コンビニもスマホもパソコンもありませんでした。
 昭和五十年代後半に見た大きなカバンのような携帯電話は、仕事用であり、携帯電話は普及しても、仕事だけのために使うものだと思い込んでいました。

 この本では、変化による人間の思考、感情、経験をつかさどる脳の働きに着目します。
 狭い世界を深く追求します。

 決断を下すのは、感情であるとあります。
 考えてみれば、感情のあとに後付けの理屈があるということはあります。

 人の性質として、人は、ストレス(負の感情)を好むそうです。

 SNSは便利な反面、ドラッグ(幸福感を感じた後に死す毒薬)の一面をもっている。
 SNS:ソーシャル・ネットワーク・システム。SNSを使ったことがきっかけで命を落とす人がいます。犯罪に巻き込まれる人もいます。メンタルの病気になる人もいます。
 本では、SNSをつくった人たちは、危険性に気づいていて、自分のこどもには、機器を使用させなかったとあります。
 SNSは、一部の人たちが富豪になるために開発された製品のようなものという位置づけで、脳に与える影響についての説明があります。
 SNSは、脳の中枢を煽る(あおる。挑発する)

 第一章で問題提起をして、第二章で、脳の働きに関する考察があります。

 強いストレス(パワハラなど)にさらされると精神状態が悪くなる。

 賭け事に負けても、もう一回やれば勝てるような気がするから、ギャンブル依存症になっていく。スマホにも類似の性質がある。スマホを手に取ることが中毒になる。

 フェイスブックやインスタグラムに「いいね」がつくのは、意味はない。企業の金もうけに利用されているだけ。
 ヘビーユーザー:怒りっぽく、攻撃的な積極性あり。活動的。競争心が強い。自分を強いストレスにさらしている。

 『スクリーン』という言葉がたびたび出てきますが、機器の画面とかモニターのことだと思って読んでいます。
 
 スマホやパソコンは集中力を奪う。
 手書きメモのほうが記憶に残る。
 仕事をしていたころ、手書きで封筒のあて名書きをしていたら、若い人に、パソコンであて名シールを打ち出せますよと、ばかにしたように言われたことがあります。自分としては、手書きをしながら相手の名前を暗記しているのだと話しましたが、冷ややかな視線を感じました。若い人たちの働き方をみて、もうこれから日本の経済力は衰退していくばかりだと感じました。
 この本では『デジタル性健忘』と定義されて説明があります。

 自己管理による自分自身の行動に対するコントロールが大切なのでしょう。
 
 画面が発するブルーライトの悪影響について書いてあります。
 ホルモンの働きにブレーキがかかって睡眠に悪影響が出るそうです。
 電子書籍もよくないようです。
 
 脳の働きとして、人は悪口を言うことが好きという文脈があります。
 意識の基本は後ろ向きなのでしょう。

 『孤独だと病気になって早死にする危険性がある』
 『ナルシズムという伝染病』自己愛。自己陶酔症。
 『スマホやSNSは、できるだけ人間を依存させるよう巧妙に開発されている』
 『既存の社会機能を壊してしまった』
 SNSの活用を推進しましょうというような世の中の流れのなかで、この本では、厳しい警鐘が示されています。

 法律や警察組織がなかった大昔には、狩猟採取民のうちの10%から15%が別の人間に殺されていたとあります。貧富の差が生まれる農業社会になってからは、20%ぐらいが殺されていたそうです。人類が『自分たち』と『あいつら』を分類するようになった。

 今年読んで良かった一冊になりました。これまで良いこととされていたことを、そうではないと示してくれた良書です。
 フェイスブックの情報は正確な情報ではないと指摘があります。トランプ大統領がしきりにフェイクニュースと叫んでいたことを思い出しました。(嘘のニュース)

 こどもたちひとりひとりにタブレットを配布することが流行していますが、こどもたちにとっていいことなのだろうか。タブレットを配布する人間たちにとって都合のいいことなのではないか。そんなことを考えながら読んでいたら、アップル社を創業したスティーブ・ジョブズ氏の言葉が出てきました。『うちでは、こどもたちがデジタル機器を使う時間を制限している』
 そういえば、スマホではありませんが、昔グァム島へ旅行をしたときに、大型スーパー店のベンチで日本人のこどもたちがたくさん集まって、うつむいたままゲームボーイという機器を操作していました。買い物をしている親たちを待っているのでしょうが、異様な光景に見えました。海外まで来てすることなのだろうか。

 スマホが危険なものなのに世の中に蔓延している(まんえんしている)。
 スマホが、飽きられる時がくるのだろうか。
 大部分の人にとって、スマホは害にしかならないとあります。
 しっかり睡眠をとって、適度な運動をするほうが心身の健康には良いそうです。
 この本を読んでいると、人類は、自分で自分を追い込んで滅亡するのではなかろうかという不安に襲われます。
 スマホの過剰使用で、若者の精神状態が悪くなっているそうです。親が忠告してもきかないでしょう。親も同様に中毒状態になっていたりもします。

 スマホに頼って、記憶することを怠るようになっている人類の知能指数は下がってきているそうです。記憶に加えて考えることもやめている。スマホに相談して、スマホの指示に従う脳になっている。
 人間は人間としての大切なものを失いかけているとあります。
 集中力とか思考力です。
 まずは、各自が自分の未来を選択するのでしょう。
 スマホの使用時間を減らす。
 やることとしては簡単なことです。  

Posted by 熊太郎 at 07:16Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2021年12月21日

完全版 社会人大学人見知り学部 卒業見込 若林正恭

完全版 社会人大学人見知り学部 卒業見込 若林正恭 角川文庫

 お笑いコンビ「オードリー」の春日さんじゃないほうの人が書いた本です。
 平成27年、2015年初版の文庫ですが、36版とよく売れて読まれています。

 テレビ番組「しくじり先生」で見かけます。
 テレビ番組「モニタリング」で見かけたころは、まだ名前が春日さんほど知られていなくて、ロケ先で苦労されていました。
 M1グランプリ2008年準優勝でした。

 『オードリー』はアメリカ女優のオードリー・ヘプバーンからとったのだろうと思いながら読み始めました。あとで、調べたらやはりそうでした。

 だいたいは、雑誌に掲載された短いエッセイを集めた本になっています。
 平成22年、2010年からのものです。東日本大震災の前の年です。

 冒頭は、自分は三十歳で社会に出たというものです。それまでの十年間ぐらいは、若手芸人としての下積み時代です。

 タレントというのは、見るのとやるのとではまったく違うのでしょう。
 やるときは、『仕事』です。無料奉仕の慈善事業ではありません。
 人に見られる『個性』を演じます。

 お客さんが『若様』と書かれたウチワを持っている。
 
 テレビでは、同じ人が同じ話を何度もしています。
 割り切ってやるのがタレントの仕事です。
 一般人は、同じ質問を繰り返されると変な気持ちになります。
 以前、事故にあった小学生女子が、(テレビ局各局のレポーターが)どうしてなんども同じ質問ばかりするのかとあきれていたシーンを思い出しました。

 芸能界での成功経過話です。
 風呂なしのアパートから風呂付のマンションに引っ越しました。『漫才で風呂を勝ち取った』実感がこもっています。

 されど、芸人は消耗品扱いです。

 仕事のときの自分とプライベートのときの自分を分けて生活していく。ただ、たいていの職業人はそのようにしています。働くときのポスト(自分の立ち位置。役職など)を演じています。

 『無趣味のすすめ』村上龍は読んだことがあります。若林さんの場合は、趣味は仕事なのか。

 東京築地生まれ育ちというのは、都会のどまんなかであり驚きました。
 書く習慣がある人です。本を出すには必須の生活習慣です。

 下積み時代は、お金がないので、一日二食とあります。
 自分にもそういう若い時代があったことを思い出しました。昼食に行くふりをして、職場のまわりをぐるりと散歩して戻って、おなかをすかせながら働いていました。だからとてもやせていました。

 ジェンガ:テーブルゲーム。たくさんの直方体でできたタワー。タワーを壊さないように、パーツ(直方体)を抜き取り最上段に積み上げる。

 祖母とのふたり暮らしを体験されています。
 孫がごみとして捨てた服を、祖母が回収して祖母自身が着る。
 夫婦でも似たようなことがあります。
 ごみの捨て方でよくケンカしましたが、いまは折れて妥協できるようになりました。

 十年間、売れない著者を待ったご両親とおばあさんの寛大さに胸を打たれました。
 おばあちゃん、ありがとうとあります。

 『がんばってください』ではなく『応援しています』
 『幸せだから笑うのではない。笑っているから幸せになる』
 
 一話が2分間ほどで読めます。限られた文字数で感情表現をすることは、お笑いの台本づくりと共通する部分があるのでしょう。
 
 ダイエットに挑戦。一日の摂取カロリーが1900キロカロリー以内で、一か月で6kgもやせたそうです。すごい。

 127ページ、ここまで読んで『若様』という愛称は、『殿様』みたいなもので、見た目が、若殿様に見えるからだろうと勘違いしていたことに気づきました。みょうじが『若林』なので『若様』なのでしょう。

 お笑い芸人はテレビ局の人間から『商品』『消耗品』扱いされているのではなかろうかという疑問があります。
 競い合う大会を開催することはいいのですが、優勝者となった瞬間、以後一年間休みなしの労働環境におかれるというような待遇は、ごほうびを通り越して、拷問のようなものです。収入は増加するのでしょうが、心身を壊したら、もともこもありません。健康があってこその幸せです。異常なことはやめましょう。テレビ局関係者の頭の中はどうかしているのではないかと感じられる時があります。感覚がマヒしていて、異常さに気づけないのでしょう。契約により権利義務関係が発生して、お金を出すのだから何を指示してもいいのだと思い上がっている層が組織の中にいるようです。

 『考えすぎ』と言われる性格だそうです。
 仕事には、きめこまかな打ち合わせが必要です。
 何回も意思疎通のための会話のキャッチボールをします。
 日本特有の『察する文化(なにも言わなくてもわかる)』には否定的です。めんどうくさいから言わないだけとしか思えません。
 アルコールを飲まないと本音を言えないというのは、いいようでよくありません。
 仕事がらみの酒席はだれしも嫌なものです。
 
 お金がなかったころの女性との付き合いとかの表現が絶品です。
 著者にとって絶対に戻りたくない二十代があります。
 
 相方の春日さんのことが出てきます。
 若林正恭さんは、芸術家の岡本太郎さんが好きで万博の『太陽の塔』が好きなので、春日さんがギャグをするときの姿勢に取り入れたそうです。なるほど。
 春日さんは努力をしない人だそうです。嫌気がさすときもあったけれど、自分はもっていない偉大な面があるそうです。そういうことって、友人関係とか、夫婦関係、恋人関係でもあります。100点満点のものなどないのです。ひとつでも尊敬できるところがあれば、ほかの嫌なところはがまんできるということはあります。お互いさまということもあります。

 徐に:おもむろに。読めませんでした。

 人から見て困難なことでも、これしかやれないからこれを職業にしているということはあります。

 芸人さんの世界だからなのか、発達障害みたいな状態の人も出てきます。
 一芸には秀でているけれど、ほかのことができません。
 ネタを大量生産することができる人がいます。しかしながら、彼はパソコンを使いこなせません。鉛筆と紙でしか台本書き処理ができません。パソコンやスマホがまだなかった時代だったら、彼の夢は花開いていたでしょう。成功するためには『運』がいります。生まれてくる時代がもっと早かったら良かったのに。

 いいとか悪いとかではなく、世の中にはいろいろな人の生き方がある。
 平凡な人生を送る者として思うのは、お笑いタレントさんたちの大半は、いつまでも少年少女の気持ちをもちながら人生を送っていく人たちなのだろうということです。

 男も女も同じには、共感しました。

 なぜお笑いを辞めることができないのか。
 ステージで演じているときに、40人から50人ぐらいの観客集団が起こす瞬間的な大爆笑が、演じる者の快感につながるそうです。『笑い中毒』があって、忘れられないそうです。

 弄り方:いじくりかた。読めませんでした。

 良き言葉として『この世に存在する理由はふたつある。ひとつは、何かをしているから存在していいということ。二つ目は、生まれてきたら、なんの理由も無くこの世界に存在していいということ』

 もうひとつ『君はなんでも俯瞰(ふかん。見下ろす。飛んでいる鳥の視界)で見てしまうから楽しめないんだよ』
 趣味が散歩しかなかったころのことです。

 『最期まであがいた者にのみ、次につながる挑戦が約束されているはずだ』
 (先日見た、昔の太川陽介さんとえびすよしかずさんとゲストの野村真美さんの路線バス乗り継ぎの旅みたいです。静岡県御殿場から新潟県直江津までの再放送でした。困難を克服されてゴールしています)

 後半になるにつれて記述内容がだんだんつまらなくなってきました。
 ネタ切れ、マンネリ、慣れか。
 334ページあたりで、若い不安定な気持ちの時期からの「卒業」があります。
 
 著者同様に、あそこに何年かのちの自分が座っているという未来を、若い時に抱いたことが自分にもあります。

 「あとがき」は、なくてもよかったかな。  

Posted by 熊太郎 at 07:42Comments(0)TrackBack(0)読書感想文