2022年05月25日

風の神送れよ 熊谷千世子

風の神送れよ 熊谷千世子(くまがい・ちせこ) くまおり純・絵 小峰書店

(本の帯情報から)
 コロナ禍(コロナか。新型ウィルスコロナのわざわい。災難。不幸な出来事)と関係あり。
 場所は、長野県南部、天竜川上流域(自分が行ったことがあるのは、飯田市とか、駒ケ根市とか伊那市があります。天竜川の川下りも体験があります。駒ケ根の千畳敷カールという雪が積もった場所、桜の名所である高遠城(たかとおじょう)の城跡にも行きました)

 400年間続いている『コト八日行事(ことようかぎょうじ)』がある。疫病神(えきびょうかみ。厄災(やくさい。ふりかかってくる不幸な出来事)や伝染病をもたらすよくない神)である『コトの神』(風の神ともいう)をおはらいする。やくばらい:不幸の原因となるものを取り除く。
 やくばらいの儀式をこどもたちが二日間かけて行うのが『コト八日行事』だそうです。
 なかなかややこしそうです。
 コト:神事(しんじ。神さまをまつる儀式) 八日:12月8日と2月8日が行事を行う日。
 地理的には、伊那谷(いなだに)と呼ばれる地域で、中央高速道路沿いの山にはさまれた地域です。そして、天竜川が北から南へと流れています。

 2010年にドライブで伊那谷地方(いなだにちほう)を訪れた時の記録が残っていたので、ここに落としておきます。
 長野県の伊那地方(いなちほう)は、地図で言うと右が南アルプス(赤石山脈)、左が中央アルプス(木曽山脈)にはさまれた盆地なのですが、現地を実際に見てみると、ひらたい土地が広がっており、どことなく北海道の風景に似ています。
 農林業の地域であろうと察します。地元の若者たちは、高校を卒業すると東京方面の関東地方に出て行く人が多かろうと推察しました。地元では仕事がなかなか見つからなさそうです。
 走っている車のほとんどは長野県の松本ナンバーで、松本市はかなり北に位置していると思っていたので意外でした。

(本のカバーの裏に書いてある情報から)
 流行病(はやりやまい):流行する病気。今回の物語の話題となる病気は、新型コロナウィルスによる発熱、呼吸困難、体調不良か。
 昔は、治療薬、予防薬がなかったので、神さまに祈るしかなかった。

 まずは、全体を1ページずつめくって、最後までいってみます。
 途中、目についたことをメモします。
 『コト念仏』コトの神を集めるときにとなえる念仏らしい。コトの神は、災難を連れてくる悪い神らしいから、集めて、だいじょうぶだろうか。
 どうも、悪い神である『コトの神』を地区内にある各家から集めて、『ほうげん坂』という場所から村の外へ送り出すようです。節分の『鬼は外(そと)、福は内(うち)』みたいなものですな。儀式は、二日間かかるそうです。中学生ひとり、小学生8人、合計9人の地元のこどもたちで儀式を行います。
 
 『コト念仏記録』これまで儀式に参加したこどもさんの字で書いてあるそうです。記録をとっておくことは大事です。いつどこでだれがなにをどうした。日記とか日誌みたいなものです。あとあと証拠になります。(読んでいくと、どうも儀式を行うためのマニュアル(手引き)のようです)

 コト八日行事:2月7日と8日
 場所は地区として『宇野原・うのはら・天竜川をはさんだ南側の斜面の高台にある。道路は静岡県に続いている。三十三体の観音像あり。
 宇野原(うのはら。集落の名称):人口194人。家屋が63軒(本の中では、数が多いと表現されているのですが、都会に行くと、100メートル四方の区域に1000人ぐらいが暮らしていたりするので、多いという実感が湧きませんでした。都会には高層住宅ビルがたくさん建っています)

 小学生が8人。中学生がひとり。合計9人。
 東谷凌(ひがしだに・りょう):中学1年生。「コト八日行事」における頭取役。銀行の頭取(とうどり。組織でトップの役職)かと最初は勘違いしました。儀式の取りまとめ役でしょう。「神坂田(かみさかた)」というところに住んでいる。

 杉浦優斗(ゆうと):この物語の主人公。小学6年生。背が高い。父親は車の部品をつくる工場で働いている。「明栄産業」という会社で働いている。

 杉浦柊(しゅう):優斗の弟。小学3年生。

 柚月(ゆづき):小学5年生。5年前、父親が事故死した。女子児童。
 柚月の祖父が、土屋淳之介68歳で現在入院している。林業従事者らしく、木を切り倒しているときに木にはさまれて、腰と右足を骨折して、事故直後は意識不明だった。祖父は信心深く誠実な人。
 『コト八日行事(ことようかぎょうじ)』では、儀式の会計を担当している。
 読んでいての難点として、柚月(ゆづき)が、氏名のみょうじなのか、下の名前なのか、最初の内はわからず、とまどいました。たぶん下の名前なのでしょう。

 葉菜(はな):柚月(ゆづき)の妹。この子の年齢と学年がわかりません。

 小林宇希(こばやし・うき):神奈川県内からの転校生。5年生。わけありの様子。長めの髪。やせている。色白、無口、ふわふわ歩く。どうもこの子の言葉には、虚無感があります。(むなしい。無気力)物語に深く関わるのだろうかと推測しましたが、とくにからんできませんでした。母子で祖父を頼ってきた。父親は飲食店経営で神奈川に残っている。どうも飲食店のコロナ対応があるようです。

 高橋雄三:土屋淳之介の知り合い。柚月の祖父である土屋淳之介の知り合い。神奈川県から小学校に転校してきた小林宇希(こばやし・うき)の祖父。

 佳奈:小学4年生

 波留(はる):この子のことがよくわかりません。年齢とか、学年とか、性別とか、どこの家の子なのかとか。波留は、みょうじなのか、下の名前なのか。たぶん下の名前なのでしょう。全般的にですが、同じ名前の人がこの国にいることに気を使っているのか、わかりにくい名前を意図的に設定してあるようですが、読みにくくて読み手への配慮になっていません。

 儀式『コト八日行事』での役割の新兵(しんぺい。初めて参加する新人という意味)として、柊(しゅう)、航(わたる)、芽衣(めい)の3人。全員が小学3年生か。

 自治会長が、白木屋さん。(行事のお世話役)
 先生が、笹原先生。

 柴犬(しばいぬ)の名前が「フウ」タイトル行事の風(かぜ)からとっているのでしょう。

 幻の道祖神(まぼろしのどうそじん):道祖神は、村の外からくる悪霊を排除して、村を守る神。

 『享保』『天保』:江戸時代の年号

 『スペイン風邪』:世界的に流行したウィルス感染拡大する病気。1918年(大正7年)から1920年(大正9年)に大流行した。

 174ページにある仏教の念仏は、般若心経(はんにゃしんぎょう)だろうかと思って調べました。(違うようです)

(つづく)

 二回目の本読みを終了しました。
 うーむ。わかりにくかった。
 登場人物の『個』の性質が、集団との関わりをもつ部分がわかりにくかった。
 宗教を扱っているので『神』が抽象的です。(実態が目に見えない)
 なにかをするという動機付けと物語の中での受け手の理解がむずかしい。
 読み手も感情移入が、しにくい世界です。

 自分には合わない物語でした。

 以下、読書の経過です。読みながらの感想になります。

 朝寝坊するこどもは、あまり聞いたことがありません。いそうで、いません。こどもは早起きです。

 厄病神(やくびょうがみ)、貧乏神を追い払うお話でしょう。

 お話は、10月からスタートして、2月が『コト八日行事』という儀式の本番です。
 二日間かけて、厄払いをする。(やくばらい。災難を避けるために祈る)一日目の午後にスタートして夜まで。二日目は早朝から儀式を行う。
 こどもたちが集団になって、集落内の家をたずねて、念仏をとなえる。
 雪が降る時期のこの地域です。
 こどもさんたちだけでやる行事のように書いてあります。表向きはそうでしょう。おとなが関わり合いにならない行事はじっさいにはありません。義務教育期間中のこどもたちです。

 自分の記憶を呼び起こしてみると、自分が小学校一年生のときに、父方の実家(農家)で暮らしていたのですが、家の敷地の角にお地蔵さんがあって、お地蔵さんにちなんだ儀式を祖母たちに言われるがまま、こどもたちでやった記憶があります。ごほうびが、新聞紙に包まれたお菓子でした。

 神さまの「おはからい」:ものごとがうまく運ぶように神さまが手配してくださった。

 ところどろこに『新型コロナウィルス感染拡大による災難』のことが書いてあります。
 無理に関連づけてあるような印象があります。
 コロナに打ち勝つのか、コロナと共存するのかというのも、病気相手の話であり、あいまいで、不確かなことです。神さまのことと重ねて、抽象的でぼんやりとしたお話でした。

 生活センター:公民館のようなものだろうか。地域の住民が集まって会合やイベントを開く場所。

 神さまはいるのかいないのかという論争があるのですが、わたしは「いる」と思って生活しています。神さまは目には見えませんが、祖先や自然の神さまに守られているという実感はあります。たとえば、運がいいとか悪いとかは、時間の経過の中で決まっていくものですが、ほんの数分ずれるだけで、幸運が訪れたり、不幸にみまわれたりすることがあります。
 そして『祈り』には、わざわいをさけてくれる力があるという実感があります。
 神さまという存在は、本当はいないのでしょうが、たぶんいるだろうと思って生活していくほうが、幸福がそばにいてくれるような気がします。いないと思うと、幸せが遠ざかっていくような気がします。

 37ページから、冬になりました。学校はもうすぐ冬休みだそうです。

 『航(わたる)』が、読んでいて、すんなり「わたる」と読めず、読みづらかった。全部にふりがなをふってもらうか、読みやすいほかの名前のほうがよかった。

 地域活動の結束を保つために『行事』とか『祭り』は大切です。

 儀式には、直径50センチほどの和太鼓を使用する。
 
 寺社総代:信者、檀家の代表者

 こどもさんには、わからないであろう言葉がいくつも出てきます。

 気に入った文章として『どこを見ても山ばかりだ。その合間を縫うようにして(ぬうようにして)、民家の屋根が見える……道ばたの石や古い桜の木のひとつひとつに、神様はいるのかもしれない』

 鈍色(にびいろ):濃い灰色

 念仏と歌で、それぞれの家に住み着いているらしき厄病神(やくびょうがみ)『コトの神』を家の外におびきだす。

 のりをつくる:自分がまだ小学一年生ぐらいのころは、七輪(しちりん。燃料は、たしか練炭(れんたん)という円柱形の炭でした)にかけた鍋で、冷たくなった飯(めし)をどろどろになるまで煮詰めて(につめて)のりをつくっていました。

 神さまに関する儀式のお話は、『卑弥呼(ひみこ)』の時代を思い出します。卑弥呼が魏(ぎ。中国大陸にあった国)に使いを送ったのが、ふみだいくにせずが語呂合わせですから、西暦239年のことです。『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』に書いてあります。

 おだちん:お金とか物とか。働いたことへの報酬(ほうしゅう)。行事のおだちんは、一軒あたり2000円のようです。けっこう高い。おだちんの食べ物として『コトウボタモチ』があります。

 一番星:久しぶりに聞いた単語です。こどものころは、「いちばんぼーし、みーつけた」と言ってました。日が暮れてきて、最初に見える星です。輝きが強い『金星』であることが多い。自分は小学生の頃、金星に願いをかけることが多かったです。

 軍配(ぐんばい):いまどきのお子さんは知らない言葉かもしれません。おすもうのとき、行司(ぎょうじ。審判役)が持っていて、勝った力士に軍配を向けます。

 甲野山(かんのやま。神坂田地区のシンボル):架空の名称の山のようです。おじいさんふたりが、神さま出会ったことがある場所だそうです。
 『白狐魔記(しらこまき) 斉藤洋 偕成社』シリーズを思い出しました。白いキツネと(この本では)白い柴犬(しばいぬ)で違いがあるのですが、神さまというものは、白い生き物にのりうつるということになっているのかも。

 邪念(じゃねん):悪いことをたくらんでいる心。

 背負子(しょいこ):自分が高校生の頃にクラブ活動で、コンクリートブロックを背負子に太くて平らなゴムバンドでくくりつけて、公園の階段を登ったり下りたりする訓練をしていたことを思い出しました。今やったら、たぶん持ち上げることすら断念することでしょう。腰痛とかぎっくり腰になりそうです。
 
 墓誌(ぼし):石碑。墓石の隣に立てられて説明が彫ってある。先祖の名前。没年など。

 印象に残った文章として『けっしてうしろを見てはならない』『こんばんコト申します(歌舞伎のようです)』

 いなかゆえに、都会では考えられないようなプライバシー(人に知られたくない個人や家庭のこと)が行事を通じてあからさまにさらされてしまします。

 幣束(へいそく):神さまへのおそなえもの。竹または木で紙をはさんである。

 アクシデントが発生して、主人公の杉浦優斗(ゆうと)ががんばります。
 ピンチに負けずにがんばる話です。

 絆創膏(ばんそうこう):ばんそうこうは、今は使わない言葉になりました。バンドエイドのほうが身近です。

 うーむ。こどもさんがこの物語を読んで感想文を書くのは、たいへんでしょう。  

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2022年05月24日

ハッピー ☆ アイスクリーム 加藤千恵

ハッピー ☆ アイスクリーム 加藤千恵 集英社文庫

 リミックスバージョン:既存の作品を編集して新たな作品をつくりだす。

 ショートショートのような短い作品に、短歌が織り交ぜてあります。
 2000年ごろ、作者が17歳、女子高校生ころの作品です。
 時が過ぎるのは早い。
 内容は恋愛ものです。

『また雨がふる』
 このタイトル部分を、雨が降る電車の中で読みました。
 名古屋市内にある千種(ちくさ)という駅から長野駅に向かう特急しなの号の車内でした。長野市にある善光寺参りが夫婦旅の目的でした。乗り換えなしで長野駅まで3時間ぐらいです。
 小説の雨の話と車窓の外の雨の光景がマッチしてなかなかいい雰囲気で本を読めました。
 三角関係の状態で、女子高生の好きな相手が、自分の友だちの彼氏です。よくある設定です。まあ、まだ高校生の世界しか体験がない17歳ころの恋愛というのは、自然消滅していくことが多いので、失恋しても気にすることないのに、若いから、いろいろ気にします。
 なんだか、悲しくなる話の流れでした。

『十八歳で夏』
 16歳とか17歳というのは、長い人生の入口にもたどりついていないような年齢です。
 受動的な若者が多い。
 だれかになにかしてほしい。あるいは、いつでもどこでもだれかが自分のめんどうをみてくれるにちがいないという立場に、自分の身を置こうとする。
 予備校でのお話です。大学進学へのこだわりがあります。
 大学に行かないと幸せの約束がなされないのかという疑問が主人公にもあります。
 現実の実態をみていると、大学を出ても働いていない人はいるし、年配の人だと義務教育だけでもちゃんと生活してきた人もいるし、高卒でも金銭的に豊かな人もいます。
 自分は、大学生は、合法的な失業者だと思ったことが何度もあります。目的がなく進学してもむだな時間とお金の消費です。

 人を判断するものさしのひとつとして、たばこを吸う人にいい人はいない。
 21歳の自称ミュージシャンで喫煙者は危うい。(あやうい)
 そんな人に、ほのかな恋心を抱く(いだく)登場人物の女子高生です。
 だまされないでほしい。
 
『不幸な場所』
 両親が不仲で夫婦ゲンカばかり、こどもである女子高校生は、親に嫌気(いやけ)がさしています。
 夫婦仲が悪い両親のこどもになると、こどもは苦労します。
 たいてい夫婦は、お金のことでケンカになります。家事の分担とか子育ての方向性でぶつかることもあります。浮気とか不倫もあるのでしょう。
 夫婦だけでなく、双方の親きょうだいを含めた親族関係がからんでくると、こじれてけっこうつらい。人生は忍耐とあきらめだけど、開き直って喜劇に変えれば、笑顔になれるはずです。(参考として、先日読んだ本が『バカのすすめ 林家木久扇(はやしや・きくおう) ダイヤモンド社』でした。困難を「笑い」で克服します)

 作品中のおもしろかった表現として「『たかだか』は、数学の先生のあだ名だ。(「たかだか」を連発するから)」
 
『いつか離す手』
 アリー:(有田という男子の愛称:主人公女子高生の小杉さんが恋する相手です。(女子高生の小杉さんは、大学生の男に、都合のいいように体をもてあそばれる立場です。女子高生本人は恋に恋しているから、男にだまされていることに気づけません。人を信じすぎてはいけません)
 女子高生は本気の恋、あるいは愛をもっていますが、相手の男子大学生の気持ちは、うそん気(うそんき)です。(本気じゃない)
 女性は体を男性に安売りすると、むなしい結末が待っているというような暗示があります。
 それとも、それもまた人生なのか。

『Today is the day.』
 ひとりの女子高生の心の中の世界です。
 やわらかい。
 読みながら考えたことです。
 民法の改正で、女性の結婚可能年齢が16歳から18歳に引き上げられました。
 作品中では、16歳の女子高生である主人公が、失恋したので、高校を辞めて働こうとしています。
 されど、16歳の人間を正式に雇ってくれるところは見つかりません。どこも断られます。
 法律を含めて、社会では、女性を保護する(守る)ための18歳制限なのでしょう。
 されど、18歳を過ぎたら、自己責任が重くのしかかる生活が始まります。
 『自由』との引き換えです。テレビ番組『チコちゃんに叱られる』のように、ぼーっとしていると、転落してしまいます。

 本の後半部は『短歌』です。
 自分が気に入った一首です。(いっしゅ:短歌のいち作品)
 『世界中の本や音楽買い占めてなんとか夜を乗り切らなくちゃ』  

Posted by 熊太郎 at 07:40Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2022年05月23日

ねにもつタイプ 岸本佐知子

ねにもつタイプ 岸本佐知子 ちくま文庫

 翻訳家、エッセイストの方です。
 書評の評判がいいので、読んでみることにした一冊です。
 ねにもつタイプ:いつまでもうらみます。忘れません。
 今年2月、ロシア侵攻の被害にあったウクライナ人女性のインタビュー時の言葉を思い出しました。『(今回のことは)絶対に忘れません。(今回のことは)絶対に許しません』
 単行本は、2007年(平成19年)に発行されています。

 52本のエッセイです。(自由に気ままに書いてある)
 ただ、読み始めてしばらくして感じたことですが、エッセイというよりも物語として仕上げてある作品群です。

 内容は、うらみつらみというよりも、細かい観察です。(つらみは、「つらい」の意味)
 独特です。
 最初の作品では、幼稚園児だったころの自分の思考について書いてあります。
 凡人とはかけ離れて超越した世界観をおもちです。文章もうまい。
 芸術家に分類される脳みそをおもちです。
 一般的な会社員OLさんには向かない性格・人格・能力者でしょう。
 事務職仕事や接客業は、にがてそうです。

 フリース:ポリエステルでつくられた柔らかい起毛仕上げの繊維素材。
 ゴブラン織り:こどものころの昔のミシンに関する記述で出てきた言葉です。つづれ織り。花、絵画調の柄など。
 ミシンに関する文章による状況の描写は細かい。
 まるで、ミシンが宇宙に飛び出していくような発想です。

 ここまで読んで感じたことです。
 人生という、始まりから終わりまでの間に『時間』という空間がある。
 時間という空間の中に、千差万別で無数の人間の個性がある。
 個性にはどれひとつまったく同じものはない。
 てんでばらばらなのに「個性」は、仲間を求めて、あるいは、仲間を意識して、同じであろうとする。
 (同じグループに属しようとする)
 それが人間。
 絵本作品ひろたあきら『むれ』角川書店が、自分の考察の下地にあります。
 みんな違うのに、同じでいたいとする、現実社会でのお互いの誤解とか錯覚があります。

 『気がつかない星人』は『気がきかない星人』でもあると記述があります。
 発達障害の人をいっているようです。
 レトリック:たくみな言い回し。じっさいは違うのにその場をやりすごすための社交辞令のようなものか。
 自分は相手を友だちだと思っていても、相手は自分を友だちだと思ってくれていないということはよくあります。恋愛も同じでしょう。愛していても愛されていない。みせかけだけのお付き合いがあります。

 横浜マリンタワーがらみの記述があります。
 自分も妻と妻の父と三人でいっしょに、横浜マリンタワーの展望室から、午後9時過ぎの夜景を見たことがあります。
 港周辺の灯りが、きれいでした。
 昨年秋に90歳の義父を見送りました。
 読みながら、そんなことを思い出しました。

 因業(いんごう):いこじ。がんこもの。

(つづく)
 
 42ページに「五十円切手を二十枚ください」とあります。
 消費税が導入されたこともあって、2022年の今は、はがきにはる切手は、63円になりました。
 (記事は2006年以前に書かれています)

 思い出話が多い。
 幼稚園のとき。小学生のとき。高校、社会人になったばかりの頃など。
 思い出がたくさんあるのでしょう。

 つま:刺身や吸い物のつけあわせ。

 自分がしでかしたミスを認めたくなく、自分の都合のいいように、自分の責任ではないという理屈をつくる作業があります。
 外国人が犯罪行為で捕まったときに「悪魔がそうさせた」と主張するのに似ています。悪魔が悪いと悪魔のせいにします。

 夜中、眠っているときにみる夢のような空想記述が続きます。
 著者の不思議な個性が見えます。
 なんでも文章にできる器用さがあります。

 国会近くに所在する国会図書館を一般人も利用できることは知りませんでした。
 そこの食堂のカレーが『一口食べると、そのまずさが病み付き(やみつき)になって……』と書いてあります。そんなこと書いていいのだろうか。出版されているからいいのでしょう。

 お侍(サムライ)の「ちょんまげ」は、なぜあんなヘアスタイルになったのかという疑問が提示されています。答は明示されていません。NHKテレビ番組『チコちゃんに𠮟られる』で、問題として出題することができます。

 109ページまで読んできて、内容が新鮮です。
 これまでに、このような独創的な内容のエッセイを読んだことがありません。
 好き嫌いが分かれるかもしれませんが、自分は好みです。
 今年読んで良かった一冊になりました。

 奥付(おくづけ):本の末尾の掲載。著者、編集者、発行者、発行年月日等

 お財布に買い物をしたあとのレシートを大量に、まるで札束のごとく入れている人を複数知っています。
 自分は、家計簿におおまかに記録したあと、レシートはごみ箱に入れています。
 むだとも思えるレシートをお財布に入れていることが疑問で理由をたずねたことがありますが、明確な返答はありませんでした。入れておきたいから入れておくのです。心の病(やまい)かと思いました。
 このエッセイの128ページに、著者が同様にレシートをためる人だということが書いてあります。いろいろその理由が書いてあります。空想が列挙されています。

 著者は翻訳家です。以前読んだ本を思い出しました。不安定な職業です。『出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記 こうして私は職業的な「死」を迎えた 宮崎伸治 三五館シンシャ フォレスト出版』でした。
 一般的な会社員や公務員などの仕事をしていると、その仕事でしか見ることができない世界を見ることができたり、体験したり、知ることができたりします。いわゆる役得(やくとく)のようなものです。
 著者は、一般的な仕事も体験しておいたほうが、翻訳の仕事をするうえで役に立つとアドバイスを送られています。
 『退職すること』は、いろんなことを放棄することにつながります。仕事で先日うちに来た業者の若い人に、最近の人はすぐ(仕事を)辞めるからやめちゃだめだよと少しアドバイスしておきました。
 本の中で書いてあった記憶に残った文節として『会社員時代、やってもやっても残業が終わらない時に……』
 
 エッセイの内容は、想像力、あわせて、創造力の固まりです。凡人のなせることではありません。
 うーむとうなる表現がたくさん出てきます。『黒紐だと(くろひもだと)思ったらアリの行列だった』というような文章があります。

 べぼや:はかなくきえたるあとかた

 名作『アルプスの少女ハイジ』の内容を知らなかったというコメントには驚きました。

 著者の思考が支離滅裂で驚かされますが、虚構なので『安全』です。

 まずい食べ物を、おいしそうにたべることが好き。

 百ポンドの赤ん坊:1ポンドは、約453グラム。45.3キログラムのベイビーか。今、翻訳している本に登場してくるそうです。  

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2022年05月21日

りんごの木を植えて 大谷美和子

りんごの木を植えて 大谷美和子・作 白石ゆか・絵 ポプラ社

 リンゴの木で思い出す本は『リンゴが教えてくれたこと 木村秋則 日経プレミアシリーズ』『奇跡のリンゴ 石川拓治 NHK製作班』です。いいお話でした。
 青森県のリンゴ農家である木村明憲さんがたいへんなご苦労をされたのち、目標のリンゴを育てることができます。その本とこの本が、関連があるのだろうかという先入観をもちました。(読み終えて、関連はありませんでした)

 本の帯に『大好きなおじいちゃんといっしょに過ごした(すごした)日々……』とあります。ということは、もうおじいちゃんは、天国の人になってしまったのでしょう。これから、おじいちゃんの立場である自分が本を読み始めます。とりあえず、自分は、まだ生きています。

 主人公は『みずほ』という名前の女子です。みずは、小学5年生です。
 昭和時代の昔話だろうか。読む前からいろんな先入観をもちます。(ああではないだろうか、こうではないだろうかという予測)
 
 読み始めました。
 ふたつの世界がありそうです。
 二世帯住宅です。みずほの家族四人とおじいちゃんは、いっしょの家に住んでいても別世帯です。(ずいぶんあとのページでわかりますが、お名前は「山中」さんというお宅です。二世帯住宅であることは、お話とはほとんど関係ありませんでした)

 とりあえず、最後のページまで、ページをめくってみます。1回目の本読みです。目で文字を追って流し読みです。
 一戸建ての一階がおじいちゃんとおばあちゃんの家。二階がみずほの四人家族の家になっています。

 おじいちゃんはがんこ者だそうです。あわせて、癌(がん)になっているようです。
 病気です。『余命(よめい。あとどれくらいの期間、生きていられるか)』という文字が見えたので、おじいちゃんの死は近いようです。

 おじいちゃんは、絵を描くことが好きなのでしょう。
 53ページに絵を描いている風景の絵があります。

 おじいちゃんの命とリンゴの木がつながるのでしょう。どうやって、つながるのだろう。
 自分は、死ぬ方のおじいちゃんの立場で、この本を読みます。

 作者のあとがきを先に読みました。
(あとがき)
 でだしに、長生きをしていると、自分の親しい人のほうが先に天国に行ってしまいます。
 そんなことが書いてあります。
 自分が思うに、自分が30歳ぐらいだったころに60歳前後だった人たちは、もうお亡くなりになりました。
 人間ですから、人づきあいでトラブルはつきものです。
 あのときの対立とかケンカはなんだったのだろうかと最近思い出すのです。
 みんな最後は死んで、この世から消えていなくなってしまうのだから、お互いにできるだけ、仲良くしたほうが、人生が楽しいのにと思うのです。人をうらんだり、憎んだり(にくんだり)することは心が疲れます。

 あとがきに『人は死んでも生き続ける』という文章があります。
 わたしの父親は、わたしが中学生のときに40歳で病死しました。
 その後、わたしが歳をとってきて、父親のことでびっくりしたのは、父は自分が死んだ後も、遺族厚生年金で、妻(わたしの母親)や、わたしたち子どもを何十年間も養って(やしなって)くれたのです。
 父は、死んでもなお、妻子を食べさせてくれたのです(生活の糧(かて。収入)を提供してくれた)
 父親には感謝しかありません。

 マルティン・ルター:ドイツの神学者。1483年(日本は、室町時代。応仁の乱が1477年まで)-1546年(日本では、1543年に種子島に鉄砲伝来)62歳没。宗教改革の中心人物。ローマ・カトリック教会から分離して、「プロテスタント」という新しい宗派を誕生させた。
 作者は信仰があられる方のようです。(あとで、わかりましたが、登場人物である祖母が、60ページにキリスト教会に行く記述があります。さらに154ページに「ああベツレヘムよ、などかひとり星のみにおいて ふかく眠る」という文章があります。キリスト教の讃美歌です。ベツレヘムは、イエス・キリストの生誕地)
 あとがきには、マルティン・ルターの言葉として『今日、わたしはリンゴの木を植える』と書いてあります。(80ページに「たとえあした、世界が滅亡しようともきょうわたしはりんごの木を植える」と記述があります)
 
 さて、本文を読み始めます。

 一戸建ての同じ間取りの一階に祖父母が住んでいます。祖父はもうすぐ80歳です。
 家は、祖父母の娘の実家です。二世帯用に建て替えました。
 二階では、祖父母の娘さん夫婦と「みずほ(小学校五年生女子)」と「義人(中学校2年生男子サッカー部所属)」が暮らしています。
 祖父母の娘さんは、介護施設で働いていて、ケアマネジャー(介護支援専門員)をしているそうです。(介護が必要な高齢者のために介護保険法等に基づいて介護プラン(計画)をつくる仕事)
 娘さんの夫は会社員です。
 「いっしょごはん」という習慣があるそうです。
 夏休みの最初の土曜日が、その月の「いっしょごはん」ですから話は始まります。

 みずほの親友が、クラスメートの『咲(さき)』です。
 
 祖父は、5年前に大腸がんで手術したそうです。
 人工肛門というものを装着すると思うのですが、とくにそのことには触れられていません。
 祖父は絵を描くことが好きで、スケッチの「さつき会」とか通学路に花を植える「花咲かせ隊」というグループに所属しているそうです。
 祖父は、神戸に住む林さんという中学の同級生と親しい。林さんは、美術の教師です。
 物語では、祖父の大腸癌が肺に転移していることが判明したという流れになっていきます。
 
 祖父と中学二年生の義人は、ふたりともプロ野球阪神タイガースのファンで、甲子園に応援に行きたいそうです。(自分も小学生だった息子と全国高校野球大会を見に何度も甲子園に行きました。年齢的に、この物語の祖父と中学生の孫もすでに甲子園に行っていてもおかしくないのにな、という感想をもちました。その後、読み続けていたら祖父と孫の義人がプロ野球の応援で、甲子園に行った話が出てきました)

 物語は「説明」が続きます。
 設定として、むずかしいものがいくつかあります。
 80代の高齢者だと、「祖父母と孫」の関係ではなく、たいていは「ひいおじいさんとひいおばあさんとひ孫」の関係になります。50代から60代で、祖父母になる人が多いです。
 家族構成やお話の成り行きが、20年から30年前ぐらいの家族生活の風景です。
 今のこどもたちには、身近に感じられないかもしれません。

 祖父が亡くなる心配があるのですが、日本人男性の平均寿命は、今は81歳ぐらいですから、もうすぐ80歳は、天寿をまっとうする年齢です。
 自分だったら、(自分の人生において)やることはやった。あとは楽にぽっくり逝きたい(いきたい。天国へいきたい。苦しまずに死にたい)と思う年齢です。

 祖父のがんこな性格について話があります。
 自分の実感としては、がんこというより、むしろ、ぼんやりぼけてきます。
 リラックスして、気がぬけたようになります。時間や曜日の感覚が薄れてきます。

 お持たせ(おもたせ):てみやげをていねいに言う言葉。
 スカパン:スカートとパンツを合わせた造語。いっけんスカートに見えるパンツ。
 
 最期のとき(さいご。死ぬ時)に、家で死にたいというような記述が出てきます。
 わたしも家で死ぬつもりです。(さきは、どうなるかわかりませんが……)
 高齢者介護の話が出てきます。
 身につまされます。身近な話です。
 読んでいて、ヤングケアラーという言葉が頭に浮かびましたが、このお話のばあいは、該当しませんでした。三世代の大家族です。

 祖父について、肺癌による余命のようなお話が出てきます。
 祖父は、今年80歳です。
 さっきも書きましたが、日本人男子の平均寿命はだいたい81歳です。
 さて、どう考えるか。
 まわりが考えるというよりも、本人が考えることです。
 祖母の理屈は、読み手には強制的で、無理やり納得させる強さがあります。
 『死』は終わりではなく、継続だという理屈です。
 なんというか、自分は、何人かの身内の高齢者を葬儀場や斎場(火葬場)にて『お疲れさまでした』で見送ってきました。
 本人にとっては『死』は終りだと思います。
 継続だと考えるのは、残った人間たちの気持ちです。

 77ページに『人間の持ち時間』の話が出ます。
 自分も共感します。
 人間にとって大切なものは『自分が自由に使える時間』です。
 幸せな気持ちになるために、自分が大切にしている人といっしょに過ごす時間を、できるだけ長くほしい。
 あとからやろうと思っていると、思いがけず体を壊してやれなくなってしまいます。
 少し無理してでも、自分がしたいことで、今できることは、すみやかにやりたい。

 りんごの木を植える話が出ます。
 りんごとは、後世につないでいく自分の志(こころざし)でしょう。
 たいていは、子や孫や後輩を育てて、夢をつないでいきます。
 りんごは、死ぬ間際に植えるものではないのでしょう。
 生きている間じゅう、しょっちゅう植えて、かつ、育てていくのです。

 7歳の孫娘のピアノレッスンの付き添いに75歳ぐらいの祖父が付き添いをするという行為がピンときませんでした。たぶんそのころに祖父は大腸がんになって治療している体調です。祖父の年齢設定が高すぎると感じるのです。75歳ぐらいだと、介護されるほうの立場にいる男性も多い。
 最近、70歳まで働きましょうというような新聞記事を見ることがありますが、無理です。個人差がありますが、自分のまわりにいる同世代を見渡すと、40代後半から、何人かはすでに癌で亡くなっていますし、体の一部を切除して障害者になっている人もいます。
 男子の寿命としては、60代から70代始めくらいの年齢で終わる人もいます。
 長寿社会といっても、75歳まで生きられない人もまま多いのです。

 孫娘の祖父に関する思い出話がでます。
 孫娘のピアノレッスンは続かずやめてしまいます。
 祖父の立場としては、孫娘を責めたくない。
 祖父母の立場というものは、孫にとっては、逃げ込む場所であってほしい。
 家族とか親族関係の交流が希薄になっている昨今です。
 コロナ禍もあってか、結婚式も葬儀も簡素になりました。
 社会では、高齢者との付き合いがないまま社会人になって、とまどっている新人社員が多いような印象があります。
 年寄りがどんなものなのかわからない。されど、クライアント(顧客)は、年寄りが多いのが現実です。うまく接遇できないとメンタル病になってしまいます。
 とかく、お年寄りは、予想どおりの行動をしてくれません。

 ていねいに書いてある文章が続きます。

 時間がけっこう早く過ぎていきます。
 夏休みから始まったこのお話は、100ページ手前で、年を越して、三学期の冬です。
 
 春を迎えたのでしょう。
 みずほは、6年生になっています。
 梅雨が来て、親友の咲(さき)が京都の祖母の葬儀に出て学校を休みます。
 祖母は、70歳だったそうです。やはり早くに亡くなっています。

 みずほと祖父の会話文は、実際は、このように会話はしないだろうなあというような会話文です。
 たいてい、じいちゃんもばあちゃんも、孫の名前を呼び捨てにはしません。
 語尾に「ちゃん」とか「くん」を付けます。
 命令とか指示もしないと思います。
 人は、自分の名前を呼び捨てで呼んでくる人を尊敬はしません。

 自分が歳をとって、経験を積んできて、気づいたことがあります。
 年寄りというのは、単体でいなくなるのではなく、世代の固まりという集団でいなくなります。
 ひとりが亡くなって、訃報(ふほう。葬儀などのお知らせ)を送ると、返事がなくて、相手方のご親族から実は亡くなりましたという連絡をいただくことがままあります。
 ひとつの時代を築いてきた集団が、同じような時期に、天国へと召されていきます。

 小学生のこどもさんに、生き死にの話はむずかしい。
 小学生は、これから生きるという芽生えの時期です。
 死ぬ話はなかなかしにくい。

 祖父の主治医が、宮崎ドクターです。大柄な体格だそうです。
 祖父の具合が悪いのか、訪問看護の医師と看護師の自宅訪問があります。

 80歳近い祖父と12歳ぐらいの小学6年生女児みずほのふたりが、祖父の運転するマイカーでスケッチ日帰り旅に出かけます(祖父の病状と年齢を理由にして、ちょっと考えにくい設定です)
 女児がそのことを楽しいとか喜ぶとかいうことも想像しにくい。

 善人しか出てこないお話です。
 きれいごとで固めてある内容でもあります。
 年下の人間は、年長者の意向に従って生きなさいとう圧迫感があります。
 「形式」という世界に閉じ込められる不安があります。
 うーむ。小学生が読む本ではありませぬ。
 高齢者が読む本だと感じました。

 シフォンケーキ:スポンジケーキの一種。

 お花でつなぐ物語でもありました。
 122ページ「ヒガンバナ(秋、9月下旬でしょう)」144ページ「ソメイヨシノ(桜 4月)」146ページ「サザンカ キンモクセイ(10月末)」162ページ「スイセン(祖父の80歳の誕生日 11月 花屋で購入)」173ページ「セイヨウカラシナ(アブラナ科の草 黄色い花 菜の花 祖父の描いた絵 琵琶湖が現地)」174ページ「カラー(サトイモ科白い花 祖父は白い花が好き。祖母は水色のガクアジサイが好き) そして、マーガレット」185ページ「フクジュソウ」

 野上先生:祖父が中学生だったときの美術の先生。祖父の親友の林さんと祖父は美術部員だった。野上先生は現在97歳です。超高齢すぎて、読んでいて、現実の実態と物語の中身に乖離(かいり。距離感。へだたり)を感じました。

 写真館で親族そろって記念写真を撮られています。
 自分も歳をとってきたので、親族記念写真撮影は、人生において、大事な行為だと思っています。
 写真館でなくても、場所はどこでもいいから、みんながそろった写真を撮って残しておいたほうがいい。
 とくに、互いに遠方に住んでいると、同じメンバーが全員そろうという機会がもうないかもしれないという今どきのご時世です。一期一会なのです。(いちごいちえ。そのとき限りの出会い)
 読んでいて、壷井榮さんの名作『二十四の瞳(にじゅうしのひとみ)』の最後付近のシーンを思い出しました。
 昭和初期だったと思いますが、小学一年生の時に撮った記念の集合写真を第二次世界大戦後に同窓会で見るのです。
 兵隊にいって戦死した子どもさんもいますし、家庭が貧乏で、行方がわからなくなった女の子も写真の中に姿があります。
 戦場で戦って、敵の攻撃で目玉を失って、目が見えなくなった、たしか、ソンキ(岡田磯吉。豆腐屋の息子)という若者が、盲目になって写真は見えないのに、写真を指でさしながら、同級生のだれが、どんな表情をして写っているのかをくわしく語ってくれました。読んでいて、涙があふれます。反戦小説でした。

 読んでいる本のなかでは、祖父とのお別れが近づいてきたようです。
 祖父は肺癌治療を受けています。
 
 亡き人が使っていた靴をどうするかという話が出てきます。
 むずかしい。
 今どきだと、最終的には、画像データにして記憶媒体に残しておくのでしょう。
 画像をこんどいつ見るかはわかりませんが……

 はっきりとは書いてありませんが、祖父は、11月25日に満80歳の誕生日を迎えたあと、まもなく亡くなっています。
 親族が集合しての記念撮影は、誕生日の9日前ですから、11月16日に撮ったのでしょう。
 集合写真は、11月23日頃にできあがっています。

 そのあと、翌年の2月らしき記事が出てきますので、小学6年生のかえではまもなく、小学校を卒業して中学生になるのでしょう。

 『栄光のみ国』というのは、天国のことでしょう。自分はキリスト教徒ではないのでよくわかりませんが、信仰をつらぬきとおしたごほうびとして、亡くなったあと、神さまから永遠の命を与えられて、ご先祖さまたちと幸せに暮らすというイメージがあります。

 お礼肥え(おれいごえ):がんばって咲いたあとの草花などに、消耗した体力回復のために化学肥料などを与える。

 長い感想になってしましました。
 最後まで読んでくださった方に感謝いたします。  

Posted by 熊太郎 at 07:18Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2022年05月19日

捨てないパン屋の挑戦 しあわせのレシピ 井出留美

捨てないパン屋の挑戦 しあわせのレシピ 井出留美 あかね書房

 「捨てない」→ホームレス(住居の無い人)にあげるパンだろうかという発想をもちながら読み始めました。(読み始めてしばらくして、どうも違うようだと気づきました。ものを大事にして全部活用するという意味だろうか。自然環境に配慮して生活しましょうというようなことが書いてあるようです)

 文章を書いた人は、井出留美さんという人ですが、書いてある内容は、パン職人である田村陽至さん(たむら・ようじさん)のことです。
 井出留美さんが、田村さんのお話を聞いて、伝記のように仕上げてあるのでしょう。(伝記:個人の経歴と業績を記録した作品)

 『まき窯(がま)』へのこだわりがあるようです。
 ガスでも電気でもない燃料です。
 樹木の保存と関連がありそうです。(あとでわかったこととして、東南アジアの自然林を守りましょうとか、まきにする木は、あとから再び枝が出てくるように切りますとかいう話が出ます(再生可能な燃料))
 いろいろ予想しながら読み始める読書になりました。

 『いのち』へのこだわりがあります。
 パン生地(きじ。パンの形になる前の状態)は、生きているのです。
 パンづくりの手順が書いてあります。
 まき窯を熱くする。その間に翌日のパンをつくるための仕込み(準備)作業をする。
 うち粉(手や台に粉がくっつかないようにする。強力粉、薄力粉、かたくり粉など)をまいた台の上でまるめた生地をつくる。生地は、しばらくそのままにしてから冷蔵庫に入れる。
 熱くなったまき窯の焼床(やきどこ)に、前日こしらえた生地に、切れ目を入れて並べる。
 パンに焼き色がついたら、取り出して棚に並べる。

 読みながら感想をつぎたしていきます。
 精神的なもの、気持ちなどを重視した内容になるようです。
 心をこめて、パンを焼いて仕上げるのです。

 <捨てないパン屋>という鍵をにぎる文節(ぶんせつ。フレーズ)が出てきました。

 パン職人の田村陽至さんは、最初はパンが嫌いだった。
 意外です。
 ふと思うのです。
 職場で、仕事の割り当てをされるときに、その仕事は自分には合わないからいやだなあと思うことがあります。
 だけど、やってみたら、あんがい自分に合っていたということもあります。
 やってみなければわからないのです。

 田村陽至さんのご実家は広島でパン屋さんだそうです。
 こどものころの田村陽至さんは、虫が好きで探検家になりたかったそうです。
 たぶん昭和40年代から50年代の都市開発による田畑や里山の宅地化を体験されているのでしょう。虫や小動物が近所から姿を消しましたとあります。

 地球の自然保護を目的とした環境活動家であるスェーデンのグレタ・トゥーンベリさんを思い出しました。(このあと23ページに、グレタ・:トゥーンベリさんの記事が出てきました)

(つづく)

 62ページまで読みました。
 ちょっとわかりにくいです。
 田村陽至さんの体が地球上を転々と移動しています。
 言葉でエピソードをつなげるよりも、箇条書きの形式で並べていただいたほうがわかりやすい。
 (なんど読みかえしてもぼんやりしていて、経歴がよくわからない部分もありました)

 『第4章 さすらいの旅』の冒頭にある絵が、江戸時代の旅人の姿としてある「旅がらす」の男性の絵でびっくりしました。
 三度笠(さんどがさ)というのでしょうか、竹や草で編んだ大きな傘をかぶって、背中にはふろしき風のマントをはおって歩く姿です。
 今の時代に、発想が古すぎるのではなかろうか。

(つづく)
 
 65ページに『「ほんもの」のパンをつくろう』とありますが、そのままでは誤解を生みそうな表現です。では、ほかのパン屋さんがつくっているパンはニセモノなのかと言いがかりをつけられそうです。
 自分は、なにかと気になる年配の読者です。

 醗酵(はっこう):微生物が、パン生地をふくらませてくれる。「イースト」はパン酵母(こうぼ。菌(きん)の種類)のひとつ。「イースト」は、工場で大量につくる。
 天然酵母(てんねんこうぼ)は、もともと自然界にいるもの。
 素材へのこだわりは、こだわらない業者や関係者に敵対視されそうです。
 説得力があるようでないような記述が続きます。
 どちらのパンにするのかを決めるのは、消費者です。
 
 「ブドウだね(種)」「ルヴァンだね(種 フランス語で発酵種)」

 まき窯でパンを焼くときは、自分の判断で焼き具合を考えながら焼く。
 ガスオーブンでパンを焼くときは、温度とタイマーを設定するだけで焼ける。

 売れ残ったパンを捨てることが、この本のタイトル「捨てないパン屋の挑戦」と結びつくことが、75ページ付近まで読んでわかりました。
 おいしいパンをつくって、売れ残らないパンにするということがメッセージとしての要点なのでしょう。食材をムダにしない。
 「本日は売り切れました」と看板を表示するのです。完売御礼(かんばいおんれい)です。(本では、このあと、買ったあとも長持ちするパンの記述がありました)

 消費期限:5日以内もつ食べものに表示する。
 賞味期限:おいしさの期限を表示する。

(120ページまで読みましたが、田村陽至さんの経歴に関する時系列の経過がわかりにくいので整理します)
 広島県広島市内にある祖父の代からのパン屋に後継ぎ候補の長男として生まれる。しかし本人にパン屋をやるというその気なし。
 大学で、環境生物学を学ぶ。
 大学卒業後:東京のパン屋『ルヴァン』をのぞく。自分で焼いたパンをその場で売る方式のパン屋だった。国産小麦粉と天然酵母を使用。(化学肥料や農薬を使用しない。工場で大量生産するイースト菌(酵母)を使用しない)
 長野県乗鞍高原にあるパン屋『ル・コパン』をたずねる。まき窯でパンを焼いていた。国産の小麦粉とヤマブドウからつくった天然酵母、乗鞍高原の天然水を使用するパン屋。
 父親の紹介で、石川県金沢市にあるパン屋に弟子入りして修行する。
 フランスのパリ市にあるパン屋『ポワラーヌ』に興味をもつ。
 そこでは、「カンパーニュ」というパンが焼かれていた。
 「カンパーニュ」は、菓子パンではなく、主食としてのパンであった。フランス産の最高級小麦、天然の塩と酵母を使用して、まき窯で焼く。
 夏、渓流釣りに行ったさきで、乗鞍高原の『ル・コパン』に立ち寄る。
 自分もまねて、ル・コパンのブドウとクルミのパンをつくってみるが、うまくいかない。
 パンの焼き方に理由があることに気づく。
 あわせて、「ショートニング」という食用油脂の使用が体によくないことに気づく。
 田村陽至さんいわく、プラスチックのようなものだということだそうです。
 ショートニングの原料は、東南アジアにあるアブラヤシからとれるパーム油。
 パーム油のために現地の自然が、大規模に破壊されている。

 石川県金沢市のパン屋を飛び出す。

 北海道:自然体験学校で、山ガイドの研修を受講して、山ガイドの見習いをした。(登山道を案内しながら登山をする仕事)
 クラフト作家:手づくりで、工芸品、民芸品をつくる仕事。

 沖縄県:自然体験学校を手伝う。乗馬、カヤック(手こぎボート)の体験コーナー、マングローブ林(水中から生えている樹木)、サンゴ礁の海の自然ガイドなどがあった。
 田村陽至さんは、体験乗馬の客集めをやった。

 田村陽至さんは、仕事場の上司の指示でモンゴルへ行く。
 夏休みにモンゴルに来る大学生のツアーの世話だそうです。
 (今年は、お笑いコンビオードリーの若林正恭さんの『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬 文春文庫』を読みました。モンゴルへ旅したときのことが書いてあります。モンゴルでは、15歳以下のこどもも働いていると書いてありました)
 
 この本の54ページにあるヒツジを解体して、料理して、食べる話は、感情的なショックが強い。
 感受性の強い人だと気分が悪くなるかもしれません。
 食べることは、命をいただくことという強調があります。
 だから、命をむだにはできないのです。

 (ホームページの情報として、2004年 平成16年)モンゴルから帰国後、広島市内にある実家のパン屋を引き継ぐ。
 店舗名が『ドリアン』まき窯で焼く天然酵母のパンが売りゼリフです。
 父親や職人たちとパンづくりをする。
 食パン、菓子パン、天然酵母パンの混在販売がゆきづまる。
 まき窯焼きに苦労する。
 パンが売れ残って廃棄するようになる。
 販売を「まき窯で焼く天然酵母パン」一本に絞る。(しぼる)
 店は赤字になる。

 田村陽至さんは、2008年(平成20年)夏、フランス、サンピエール村にあるパン屋「フーニル・ド・セードル」に修行に行きます。
 その後、広島にあたらしいお店『ブーランジェリー・ドリアン』を開店しています。

 有機栽培(ゆうきさいばい):化学肥料や農薬を使用しない農業。たい肥でつくった土を使用する。たい肥:家畜の糞尿を混ぜることが多い。

 キーワード(物事のポイントをつかむためのきっかけとなる言葉)として『買いものは投票』
 フランスは有機栽培でつくった小麦の自給率が高いから小麦の価格が安い。
 逆に日本は有機栽培をしてつくる小麦の自給率が低いから有機栽培でつくった小麦の価格が高い。連動してパンの価格も高くなる。
 フランスでは、一日三食の主食がパンだから大量のパンをつくる。
 日本のようにお米が主食ではありません。
 有機栽培でつくる日本の小麦の生産量が増えれば、価格は下がるという理屈でしょう。
 有機栽培でつくった国産の小麦をたくさんの人に買ってほしい。

 ポストハーベスト:小麦が長持ちするようにする農薬。海外から船で輸入するときに時間がかかるので使用している。

 115ページのワインがらみの話は、小学生には理解しにくい。
 小学生にはアルコール、飲酒のことはわからないと思います。

 いわゆる「正義(せいぎ。今回の場合、お金のことを考えずに、損をしてもいいから自分の信じることをしようとする)」を貫こうとすると(つらぬこうとすると)、物事(ものごと)がうまく進んでいかなくなります。
 田村陽至さんの有機栽培を使ったパンを売る新しいお店は、それまでお店で働いていた人もお客さんも失ってしまいました。残ったのは、田村陽至さんと未来の奥さんだけです。

 いったんお店『ブーランジェリー・ドリアン』を閉める。(休業)
 (ホームページ情報として 2012年 平成24年)夫婦でフランスのサンピエール村へパンづくりの修行に行く。
 日本で、フランス式のまき窯を使用することにする。今までより短い時間でたくさんパンを焼ける。
 フランス北西部ブルターニュ地方を視察して、パンづくりを手伝い学ぶ。
 フランスは、おおらか、見た目に神経質にはならない。味が同じならいい。むだにしないという意識は高い。お金をたくさんもっていることが「豊か」ではない。必要以上のお金はいらない。家族と過ごす時間を大切にする。いっしょに飲食を楽しむ。
 マルシェ:フランス語で市場(いちば)
 フランスは農業国。

 田村陽至ご夫妻は、オーストリア国首都ウィーンの名店『グラッガ―』で研修を受講する。
 一日の労働時間が、朝8時から午後2時まで。そのうち昼休みが1時間含まれる。
 5時間労働制。一日に10時間以上働くまき窯担当職人は、週休三日制になっている。

 (2015年)フランスから帰国してパン屋『ブーランジェリー・ドリアン』を再開した。
 つくったパンが完売するようになったのでしょう。
 『<捨てないパン屋>になることができました』とページに文章があります。

 シンプルな生活で『時間』というゆとりを手に入れる。
 人生の大半を消費した自分も心がけます。

 本を読んで記憶に残ったことです。食べ物を捨てないようにして大切に扱うというメッセージが主題なのでしょうが、むしろ、働き方改革の面のお話のほうが強めに書かれていました。
 過去の日本人の働き方を否定する内容ですが、今の時代背景には合っている理屈です。
 過去の日本人は、家族や自分の人生を犠牲にしながら会社や組織のために長時間労働で働き続けていました。職場の上司や同僚・部下が家族のようなものでした。組織の維持に貢献した見返りに、賃金と社会保障がありました。
 これからは、個々が自分の未来を思い描いて、自分と家族の時間を大切にしながら人生を過ごしていくようになるのでしょう。
 メリットもあれば、デメリットもあると思います。ここには書きません。自分で考えてください。  

Posted by 熊太郎 at 06:09Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2022年05月18日

バカのすすめ 林家木久扇(はやしや・きくおう)

バカのすすめ 林家木久扇(はやしや・きくおう) ダイヤモンド社

 人生では、ときに、バカにならないとやれないこともあります。
 バカになればできることがあります。
 理屈ではないのです。
 やるしかないのです。
 ばかになってやると、たいてい、うまくいきます。

 林家木久扇(はやしや・きくおう):1937年(昭和12年)生まれ。本を書いたときは84歳と自己紹介をされています。落語家。木久蔵ラーメン創始者(1982年(昭和57年創設))。
 1969年(昭和44年)から『笑点』メンバーで、わたしが小学生のときから『笑点』で笑いを誘っておられます。すごいなあ。「いやーんばかん、うっふん(アメリカ合衆国の曲であるセントルイス・ブルースのメロディで)」とか鞍馬天狗(くらまてんぐ)の真似で「杉作、ニホンの夜明けは近い!」とか、忠臣蔵(ちゅうしんぐら)の『おのおのがた』など、おバカなキャラクターで人気者になられました。志村けんさんのようなお人です。

 自伝形式の内容です。第5章まであります。第5章に『ばか』の分類があります。
 思うに、本物の『ばか』は、善人でなければなりません。あわせて、人に優しい人でなければなりません。他人からうらまれてはいけないのです。

 先日、立川談春さんの自伝的エッセイ集『赤めだか』を読みました。
 故立川談志さんのことが書いてありました。
 『笑点』は、立川談志さんがつくりました。
 シンプルな大喜利(おおぎり)ですが、出ている落語家さんたちは、天才です。毎回楽しみに観て家族で大笑いしています。新人の桂宮治さんも大活躍です。
 立川談志さんは偉大です。日本人にお笑いの財産を遺してお亡くなりになりました。
 感謝いたします。

 「全国ラーメン党」がらみで、暴れん坊の漫才師横山やすしさんとのことも書いてあります。凶暴な人でしたが、いい人でもありました。真っ正直で、まっすぐな人でした。(104ページ付近に横山やすしさんとの荒れた出来事が書いてあります。すさまじいです)
 林家木久扇さんだったから、うまく歯車がかみ合ったともいえるでしょう。
 名前を変える前につくった木久蔵ラーメンは『まずい』と言いふらされて、(本当は麺のプロがつくったちゃんとしたラーメンだからまずくはない)、それなら、どんな味だろうか、まあ一度食べてみるかという購買意欲を引き出すという逆転の発想が新鮮でした。

 なつかしいお名前がたくさん出てきます。
 五代目 三遊亭圓楽(さんゆうてい・えんらく):2009年(平成21年)76歳没 星の王子さま
 四代目 三遊亭小圓遊(さんゆうてい・こえんゆう):1980年(昭和55年)43歳没 キザ
 桂歌丸:2018年(平成30年)81歳没 ハゲ(笑点において、禿げで笑いのネタを売った)

 当時の思い出がある人がこの本を読むと、とても楽しい気分になれます。
 
 笑点に出始めた当時は、まだ、木久蔵さんのキャラクター(個性設定)ができていなかった。
 『与太郎(よたろう。役に立たない愚か者)』で売ることになったがうまくできなかったというようなことが書いてあります。

 やはり『運』がある人です。
 けっこう苦労もされていますが、克服されています。
 2000年に胃がんで、胃を3分の2切除されています。
 2014年が喉頭がんです。

 36ページに第二次世界大戦のとき、小学校一年生の時の東京大空襲体験が書いてあります。
 一連の空襲で約10万人の人たちが亡くなったそうです。悲惨です。
 夜空にはアメリカの爆撃機、空襲警報が鳴って、大火災が発生して、夜なのに空が明るい。
 自分も若い頃に、空襲体験者の話を聞いたことがあります。爆弾が落ちてくる中をぴょんぴょん飛び跳ねながら逃げたということでした。驚いたのは、空襲が終わったあと、落ちていた爆弾を拾った。今、庭にその爆弾があるよということを聞いて爆弾を見せてもらいました。爆弾の中身はからっぽで空洞でしたが、何本もありました。また、その人だけではなくて、その人の近所に住む別の複数の人たちの家の庭にも大小いろいろな形の爆弾があって、たいそうびっくりしました。みなさん、たくましい。人間はばかになって、開き直れば強い。悲劇が喜劇にすら転換します。大切なことは、生きていることです。
 37ページに『何が起きても、あの空襲のときに比べたら、こんなものは何でもないという思いがあったから、(癌になったとき精神的に)落ち込まずに済んだ』とご本人の言葉があります。

 名言がいっぱい書いてあります。
 『孫といっしょにピーナツをひたすら割った』(ご自身のYou Tubeチャンネルで)
 これまでに出版した本の数は、70冊だそうです。立派な作家さんです。
 『気配りは、大きな武器になるんです。』
 芸名を募集して応募があったのは『林家加山雄三』『林家木造二階建て』『林家馬鹿蔵』ひどいのですが、笑えます。
 『噺家(はなしか。落語家のこと)という職業は、ノンキそうに見えて、けっこう厳しい職業です……言葉という形のないもので笑いの空気を創って(つくって)……』
 『食糧難の時代に育ったぼくにとってトンカツは最高のごちそう……(自分も、誕生日に祖母がお祝いだと言ってつくってくれたのがトンカツでおいしかった記憶が残っています)』
 『自分なりに一生懸命この道を歩いてきました』

 上下の波がある人生です。
 ばかで得したことはいっぱいあるが、損したこともいっぱいあるそうです。
 スペインにラーメン店を出して、7000万円の赤字です。(赤字を払えるということがすごい)
 細かい経過が書いてあります。
 タイでゾウを買ったけれど、輸入できなかった話があります。
 結果は悲惨だったけれど、経過では、わくわくして幸せ気分に満ちていたそうです。人生を楽しめましたとあります。

 うつ病対策の本を読むよりも、この本を読んだほうが、沈んでいる気分が晴れます。
 邦画『男はつらいよ』の寅さん(渥美清さん演じる)を見ていると、あんなにいいかげんでも世間で生きていけるなら、自分だってやれそうだという安心感と自信を与えてもらえるような、林家木久扇さんの個性です。個性は、えびすよしかずさんとも似ています。

 工業高校の食品化学科を出ているので食べ物には詳しい。ラーメンづくりの基礎になっています。

 中国北京にラーメン店を出店するために、故田中角栄首相に田中邸の応接室で、田中角栄首相ご本人に、じかに会って協力依頼の話をして了解をとりつけています。すごい。

 師匠が八代目林家正蔵さん(はやしや・しょうぞう):林家彦六。1895年(明治28年。日清戦争が明治27年)-1982年(昭和57年)86歳没 笑点メンバーである林家木久扇(はやしや・きくおう) 三遊亭好楽(さんゆうてい・こうらく)の師匠

 1960年(昭和35年)落語家四代目桂三木助師匠に弟子入り。23歳。師匠が亡くなる。
 1961年(昭和36年)林家正蔵の弟子になる。林家木久蔵を名乗る。

 読んでいて、思うのです。
 人生に失敗はつきもの。
 あれはあれで良かったと思うしかありません。
 すんだことを変えることはできません。

(ちょっとわき道へずれるお話)
 この本を読んでいる途中で気づいたことがあります。
 動画配信サービスで、過去の「笑点」を見ることができることを知り、夕食時の時間帯に楽しみ始めました。
 ことに、昨年2021年は、笑点が始まってから55周年記念ということで、笑点の歴史に触れる話題がよく紹介されます。
 この本の内容とも重なって、おもしろさが増幅されます。

(「笑点」という番組名の由来を知りたくなりました)
 小説家三浦綾子作品『氷点(ひょうてん)』からきているそうです。1966年(昭和41年)「笑点」開始当時ヒットしていたドラマで、映画化もされています。


 では、感想文に戻ります。
 学校寄席という活動があったことを初めて知りました。
 昔は、小中学校で、いろいろな芸のようなものを見ました。楽しかった。

 出世するためには「自分を支援してくださるよき人との出会い運」が必要です。
 そんなお話が続きます。

 清水崑(しみず・こん):長崎市出身の漫画家。1912年(大正元年)-1974年(昭和49年)61歳没 カッパの絵、新聞の政治漫画。林家木久扇(はやしや・きくおう)さんにプレゼントした名言として『ひとり高く! 孤高であれ! お前さん、群れなさんなよ!』が紹介されています。

 ラジオの「とんち教室」のことが書いてありますが、わたしは知りません。関連して「ものしり博士」というテレビ番組をこどものころに楽しみに見ていたことを思い出しました。

 ちょっと事情がよくわからないのですが、94ページに『(三代目桂三木助さんのことだと思いますが……)師匠がお亡くなりになったのは、1956年(昭和31)年1月でした』とあります。お師匠の三代目桂三木助師匠がお亡くなりになったのは、1961年1月16日(昭和36年)なので、不思議でした。

 東京日本橋の雑貨問屋に生まれて、東京大空襲で店をなくして、両親が離婚されて、父親が次女を連れて行って、母親が林家木久扇さんと長女と二男を引き取って母子家庭で苦労されています。
 林家木久扇さんは、小学校4年生から高校を卒業するまで新聞配達を続けておられます。学費は全部自分で稼いでいましたとあります。
 自分も父親が中学一年になった時に病死して、中学二年から高校を卒業するまで新聞配達を続けて、バイト賃と奨学金で学費と給食費と修学旅行の積立金を払っていました。
 昔は、そんなこどもがたくさんいました。
 この本は、今年読んで良かった一冊になりました。

 99ページには、義父の遺骨を入れた白木の箱を電車の網棚に忘れたという出来事が描かれています。
 自分も中学一年のときに類似の体験があります。父親が死んで、栃木県から熊本県のおやじの実家まで、親族一同で移動したのですが、途中の東京山手線の車内の網棚に火葬したあとの親父の遺骨箱を置き忘れてしまい、どたばた騒ぎがありました。あんがい、うっかり、そういうことって、あちこちであるような気がします。

 林家木久扇さんのお母さんは、こどもを責めないいいお母さんでした。
 1989年(平成元年)に76歳でお亡くなりになっています。
 100ページ付近まで読んで、しみじみとした気持ちになりました。

 横山やすしさんも三遊亭小圓遊(さんゆうてい・こえんゆう)さんも、お酒飲みです。おふたりともお亡くなりになっています。
 気迫満々のお酒飲みです。アルコール依存があったようにみうけられます。
 林家木久扇さんは、けっこう苦労されています。
 不条理(常識はずれ)、不合理(理屈に合わない)な世界を忍耐と努力、そしてばかになりきることでのりきっておられます。
 暴れん坊であっても、芸人は、繊細(せんさい。感情や感覚が細かい)な人が多い。
 仕事を続けていくために飲むお酒です。アルコールがガソリンです。アルコールで命を削りながら働いて稼いでいたのです。古い言葉ですが、モーレツ社員に似ています。

 嵐寛寿郎(あらし・かんじゅうろう):1902年(明治35年)-1980年(昭和55年)77歳没 映画俳優 映画プロデューサー
 戦前に活躍されたスターたちのお名前がずらりと並びます。チャールズ・チャップリンとかバスター・キートンの名もあります。洋画を参考にして、日本の映画がつくられています。「模倣(もほう。まね)」は、創作のひとつの手法です。

 大河内傅次郎(おおこうち・でんじろう):1898年(明治31年)-1962年(昭和37年)64歳没。以前、京都嵯峨野(さがの)の地を訪れた時に、偶然ですが、大河内山荘を観光したことがあります。山道みたいな田舎道を歩いていて、たまたま見つけました。最初は、京都市の公の施設(おおやけのしせつ)だと思って入ったら映画俳優さんのお宅でした。鉄道の嵐山の駅から、ご自宅まで、馬に乗って通勤されていたというようなことが資料に書いてあった記憶が残っています。たいへんなお金持ちだったと書いてあった覚えです。
 丹下左膳(たんげ・さぜん)九州の人だったのでなまったのでしょうが『セイハタンゲ、ナハシャゼン』が決まり文句でした。

 笑点のメンバー紹介があります。
 春風亭昇太さん:桂歌丸さんを継いで、6代目司会者。この部分を読んでいて、テレビのときは、たくさん回答した答えを取捨選択して録画後に編集してあることを初めて知りました。

 三遊亭小遊三さん(さんゆうてい・こゆうざ):75歳という年齢で、明治大学卒でご立派です。この世代で大学に行ける人は少なかった。
 
 六代目三遊亭圓楽さん:現在ご病気でお休み中です。無理をしないで養生してほしい。養生:ようじょう。治療に専念。

 林家たい平さん:三遊亭小遊三(山梨県大月)VS林家たい平(埼玉県秩父)ネタ

 林家こん平:2020年没。77歳没。こどものころに観ていた笑点で、とても元気がいい人だと思ったことがあります。「チャーザー村(新潟県千谷沢村)」出身を強調されていました。
 
 三遊亭好楽(さんゆうてい・こうらく):75歳。林家木久扇さんとお師匠が同じ林家正蔵師匠で、兄弟弟子であることをこの本を読んで知りました。入門は、林家木久扇さんの5年あとだそうです。

 山田隆夫さん:座布団運びの役です。就労期間はとても長い。たいしたものです。1984年(昭和59年))からざぶとん運びの役です。
 
 林家木久扇さんが天国へと見送った司会者さんたち。(そう思うと84歳の林家木久扇さん、88歳の黒柳徹子さんはすごい人たちです)
 七代目立川談志さん(2011年11月 平成23年 75歳没 天才でもあったけれど努力家でもあった。一日中落語のこと考えていた人。敵も味方も多い人だった)→前田武彦さん(2011年8月 83歳没)→三波信介さん(1982年 昭和57年 52歳没)→五代目三遊亭圓楽さん(2009年 平成21年 76歳没)→桂歌丸さん(2018年 平成30年 81歳没 「お酒は飲まなかったけれど薬はたくさん飲んでいた」という部分で笑いました)
 みなさん、笑点で観た記憶があります。なつかしい。

 笑点がここまでくるまで、順風満帆(じゅんぷうまんぱん。物事がすんなりうまくいく)ではなかったそうです。内乱、内紛も多かったようです。お互いに言いたいことを言い合って、妥協点を見つけて折り合いをつけていくのがおとなの社会です。

 林家木久扇師匠は至ってまじめな方です。
 林家木久扇という個性(人物)を演じておられます。落語の「与太郎(よたろう。ばかの役)」を演じている。
 以前、高田純次さんの本を読んだ時にも同じことが書いてありました。自分は「高田純次」を演じている。仕事で、自分と所属する会社の関係者が食べていくために演じている。ときに苦しいと書いてありました。
 そもそも人は、職場で、立場に応じて、自分とは少し違った個性(人物)を演じて、収入を得るのでしょう。

 第五章は、小噺(こばなし)のようなショートコントっぽい内容や、バカの分類・分析の話が続きます。
 
 人間の業(ごう):善悪の判断を理性でコントロールできない心の動き。してはいけないことでもしてしまう積極的な欲望。
 『落語とは人間の業の肯定である』七代目立川談志師匠の言葉だそうです。

 戦争体験者としての林家木久扇さんの言葉『ラジオでは毎日「日本軍は連戦連勝!」って威勢のいいことを言っていましたからね。』
 ニセ情報で国民の意志をコントロールする。現在のロシアのようすと似ています。
 歴史は世代を変えて繰り返されるのです。

 ふと思い調べました。
 NHKテレビ放送の開始は、昭和28年(1953年)でした。
 
 そういえば、最近の放送では、林家木久扇師匠は、健康上、ざぶとんの上に座ることができないようで、ざぶとんの山のうしろでイスに座っているお姿を見かけます。
 読み進めていくと、216ページにそのへんの事情が描いてありました。
 ご自宅の玄関先で転倒されて「左大腿骨骨折」をされたそうです。救急搬送されて入院されています。
 おだいにしてください。
 最後の言葉が身にしみました。『人生はいいことばっかりではありません。…… 一度しかない人生、バカになって、楽しくしぶとく笑って生きていきましょう』
 共感しました。
 中身の濃い一冊でした。
 今年読んで良かった一冊でした。  

Posted by 熊太郎 at 06:39Comments(0)TrackBack(0)読書感想文