2022年06月15日
建築家になりたい君へ 隈研吾(くま・けんご)
建築家になりたい君へ 隈研吾(くま・けんご) 河出書房新社(かわでしょぼうしんしゃ)
2021年5月放送分『出川哲朗の充電バイクの旅 今年も新緑の高知横断! 進め龍馬歴史街道スペシャル』の番組で、隈研吾さんが設計した『雲の上の図書館』の映像を見たことがあります。
樹木とか森を基調にした建物です。(高知県梼原町(ゆすはらちょう))
著者の作品として、東京にあるオリンピックの新国立競技場があります。(オリンピックスタジアム)
タイトル『建築家になりたい君へ』を見て、いろいろ考えたことがあります。
建築家の話ではありませんが、以前自分は、高層ビルの大きな病院で、入退院手術を繰り返したことがあります。
『雇用』という面での考察です。
入院していて気づいたのですが、ビルの点検管理会社の社員が、チームをつくって、毎日、ビルのどこかを点検する作業をしていました。メンテナンスです。(手入れ。維持、管理、保守、保全、修理、点検)
高層ビルなので、毎日少しずつ場所を変えながら少人数のグループをつくって作業をするわけです。1年365日管理が必要です。各フロアー(階)を順番に回ります。
いい仕事だなと思ったのです。安定しています。ビルが建っている限り、仕事がなくなることはありません。
学歴の話になるのですが、たとえば、高校を卒業して、大企業や公共団体のような大きな組織に就職して「世のため、人のため」と思いながら、地味な仕事で、コツコツ働いて、さらに、職場結婚をして、夫婦で子育てをしながらずっと働いて、なんなら、こどもさんも同じような関連組織で働いて、大金持ちにはなれないかもしれませんが、一族で仲良く地道に暮らしていく。
目立つことはないかもしれませんが、収入面で、人生の勝ち組になれるひとつのパターンがあります。有名大学を卒業する必要はありません。
就職で実績のある工業高校を卒業すると、製造業を中心にして、大企業部門からの就職のお誘いがありそうです。
昔、日本でバブル経済が崩壊した時に、つぶれる会社の人材を受け入れてもらうための転職活動があったわけですが、兵隊(平社員)はいるけれど、課長(管理職)はいらないという受け手側からの通告があった記憶です。組織にとっては、最前線で働く兵隊は必ず必要なのです。
思うに、生涯賃金の多い少ないは、基本的には、雇用期間次第です。たいていは、人生を通じて、無職だった期間が少ない人が、生涯賃金の合計額が多くなります。
建築家の場合はどうなのかは、わかりません。これからこの本を読んでみますが、建築家は、アーチスト(芸術家)と通じる部分もあるような印象があります。建築家で食べていくためには、万人に好かれる『個性』が求められそうです。(このあとに読んだ「はじめに」の部分に著者の思いが書いてありました。建築家は、一風変わった人に見られがちですが違いますというものでした。建築家は「神様」でも「変人」でもない。いい建築家であるためには、普通の人の普通の生活を広く知っていなければならない。普通人イコール建築家です。過去には奇抜な人が建築家でいたこともありますが、現在はチームで動いて構造物という作品を仕上げるから、普通の人格をもっていることが求められますというように受け止めました。普通の人が普通に使って、快適な建物を作品としてつくるのです。共感しました)
まず、全体を把握するために、1ページずつ最後まで全部めくってみました。
第3章にアフリカ旅行のことがあるそうです。
若い時は、外へ冒険したほうがいい。
『学歴』よりも『経験』です。ペーパーテストの高得点よりも、企業が欲しいのは、日常生活を送るための生活能力です。ある程度、読み書き計算、パソコン操作、英会話ができればいい。車の運転ができて、地理に明るくて、ちゃんと乗車券類の買い方を知っているほうが役立ちます。
ずばぬけて高い能力はいりません。男でも女でも家事(炊事、洗濯、料理、片付け、買い物、家計の管理など)ができて、ほどほどに他人、とくにお年寄りと雑談ができて、総合力で、中の上くらいならそれでいい。
加えて、強い意思と順応力がいります。組織にも顧客にも変な人はいます。パワハラやセクハラをする人、いじめが好きな人や、いやなクレーマーもいます。
お金を稼いで自活していくためには、イヤなことを乗り越えていくんだというガッツがいります。困難を乗り越えていく能力をつけるためにお金の自己投資も必要です。ケチに徹して、使わないお金をためこんでも心身の病気になったらがっかりです。
使わない貯金は、お金がないのといっしょです。すっからかんになってはいけませんが、自分なりに、自分は貯金がこれぐらいあれば大丈夫だというラインの目安をもったほうがいい。
自分が生き続けていくために、ストレス解消や能力開発のための自己投資は必要です。
この本は、著者がご自分で書かれたのだろうか。聞き取りをしてライターが書いたのだろうか。編集者が付いて仕上げたのだろうか。いろいろ考えるこれからこの本を読む前の今です。(このあと36ページまで読んで、ご本人がご自身で書いている文章であると確信しました)
124ページの白黒写真を見てびっくりしました。
旧帝国ホテルの玄関先が映っています。
今年4月に愛知県の犬山市にある明治村で、帝国ホテルの玄関を見学しました。東京から同村に移築されています。渋沢栄一氏が建設発起人のうちのひとりとしてからんでいます。
219ページ『おわりに』で、コロナ禍(か。災難)についてふれてあります。
(つづく)
〇登場する建物として
東京にある代々木競技場(丹下健三設計):1964年(昭和39年)に小学4年生の著者がこの構造物を見て、将来、建築家になることを決めたそうです。
伊豆の風呂小屋:依頼があっての初めての建築作品
竹の家:中国での初めての建築作品
国立競技場:2020東京オリンピックでの著者の建築設計作品
自分との類似体験があります。
1964年以前の日本のこどもたちは、自然に囲まれた野山や田畑の中で遊んでいました。
たいていの家は、祖先をたどると農家でした。
そのころの生活体験が、著者の場合は、将来の作品につながっています。
ぼろい家に住んでいたからこそ、国立代々木競技場を見て感動が生まれ、夢をもつことにつながっています。
著者の場合、著者よりも45歳も年上の父親の教育が、将来自活できる人間になるための良い子育てにつながっています。
父親は、デザインや建築が大好きだった。著者の建築家になりたいという夢に父親は反対しなかった。父親からのアドバイスとして『建築の実物をたくさん見ろ』
たくさん見るとか、たくさんやるということは、なにをやるにしても必要なことです。以前読んだ天才に関する本には、とにかく大量の作品をつくる。そのなかのいくつかが高く評価されているとありました。天才は駄作の数も多いのです。
もうひとつが『設計会議(親子会議、家族会議)』をするという父親の教えがあります。チームで活動するときは、毎日打合せが必要です。毎朝、その日一日の行動プランを確認する。検討事項が生まれたら、随時その場で打ち合わせをする。いい仕事を仕上げるためには必要なことです。
心に響いた文章などです。
『宗教建築は太古の昔から、高さで人々を圧倒するというワザを多用してきた……』
『(僕は逆に)2020年の東京オリンピックのスタジアムは、低さをテーマにするべきだと考えました……』
『建築以外のことにも興味をもつ。映画、音楽、スポーツ、グルメ……(ことにシェフはセンスがいい)』
(つづく)
服装の話があります。建築家としての存在をアピールするための服装をする。
それから、海外に行く仕事が多い。移動のことを考えて、荷物をできるだけ少なくしたい。荷物を減らすために服装について熟考(じゅっこう)する。
基本的には、Tシャツにしたそうです。Tシャツの上にジャケットをはおる。ショルダーバッグひとつで海外旅行をする。大きなトランクはアウト(だめ)
『所有を求めない人生は、とても気楽です』とあります。
本を読んでいるわたし自身は、旅行に行く時、荷物が多いです。万が一に備えてたくさんもっていきます。家族には笑われます。少しでも隈研吾先生を見習いたい。
『まちづくり』という言葉があります。
どういうわけか、若い人は『まちづくりの仕事』という言葉にあこがれをもちます。
まちづくりの仕事は、そんなふうに思うほど、きれいな仕事ではありません。
誤解と錯覚があります。
困難な人間関係の調整があります。
地元民は、変化を嫌います。
開発の仕事には、お金とか利権がからみます。どろどろとしたものがあります。
立ち退き(たちのき)は反対だし、ビル建設にも反対です。
若い人は、事象にある事実を正確に把握して、イメージで誤解しないようにして、仕事の中身について、しっかり考えたほうがいい。
考えが浅いと『こんなはずじゃなかった』という失敗につながります。
45ページにいい言葉があります。『どんなに厳しいクライアント(顧客)も父よりはましに思えます』基本的に、クライアントは厳しいのです。
中学・高校をカトリック系の学校ですごされたので、宗教の影響を受けておられます。
神さまについて考える。
戦争体験者の神父さんです。
邦画『ビルマの竪琴(たてごと)』を、この本を読んでいて思い出します。
『水島! 日本へ帰ろう!』です。水島上等兵は日本へ帰ることを拒みました。(こばみました)ビルマ(その後、ミヤンマー)で戦争の犠牲になった人たちを悼む(いたむ。死を悲しむ)ことを決心したからです。
『人間は原罪を背負っている』これが、キーワードです。人間には『悪』の部分があるのです。建築をしていくうえで、住民に迷惑をかけるから、反対運動が起きたり、自然を破壊したりするという『悪』があるのです。
本では、罪人であるから、できるだけ明るく、楽しく、まわりの人を幸せにしなければならないと強調されています。
ネパールのポカラ:ヒマラヤ山脈が見える山間部の街。人口42万6000人ぐらい。
建築のマイナス面について語られています。
建築をつくることは『罪』なのです。
日が当たらなくなる。美しい景色がだいなしになる。気温が上昇する。ビル風が吹く。建築資材の原材料が二酸化炭素を増加させる。なんだか、いいところがありません。
マイナスもあるけれど、プラスもあって、プラスの面のほうが多いと考える。
ものごとには、必ず、二面性があります。いいところもあれば、そうでないところがあります。100%完璧ということは、たいてい、ありません。いつも、どこのラインで、線引きをするかで、人は悩みます。わたしは、60%でよしとしています。人生は、60点で、十分生きていけます。
この本は、学ぶべきところがある本です。
まだ、55ページ付近をうろうろしながら読んでいますが、今年読んで良かった本です。
同じ時代を生きてきた年配者のふりかえりがあります。共感する点が多い。
これで良かったと、これまでの自分の考えを追認できる本です。
1970年の大阪万博における派手な建築物を否定されています。
『勝つ建築』の時代は、大阪万博のときがピークで、大阪万博のときに終わったのです。
『勝つ建築』は、力尽きたのです。万博のテーマ『人類の進歩と調和』は苦しいテーマ設定だと解説があります。進歩と調和の同時達成は、無理なのです。
著者は『負ける建築』を目指します。
メタボリズム:自然界にいる生き物との共生
『勝つ建築』に対する失望を正直に書いてあるので、びっくりしました。率直な本です。
アフリカのサバンナ地方に関する記述が出て来て、実際に現地を訪問して、集落を回りながら住民から聞き取り調査をされています。家の中にも入って、たくさんの家の調査をされています。
すごい。ある意味『命がけ』です。命の危険がありそうですが、もしかしたら運が良かったのかもしれません。人間が成功するためには、運の良さが必要です。
1977年(昭和52年)に日本を出発されています。
フランスの詩人アルチュール・ランボー:1854年-1891年。37歳没。15歳で詩を書き始め、20歳で詩作をやめた。アフリカに渡り、商人として砂漠を旅した。フランスマルセイユの病院で癌により病死した。
あこがれる人、目標とする人の存在があります。
考え方として『20世紀における資本主義では、巨大で豪華な建物を建てることで建設業界は潤っていた。政治もそこにからんでいた。当時の学生たちは、そこに異議申し立てをした。』と読み取りました。建築の世界にも社会問題があるのです。
大量生産、大量廃棄への反発もあります。そのとき地上にいる世代が幸せな思いができればいいというような考えが、その時代の人たちにあったように思えるのです。
あとの時代を生きる子孫のことも気にかけてほしい。
産業革命に反対した人たちがいます。
衛生面で公害の発生とかがあります。
日本人は、狭い畳部屋で、家族全員が、食事をして、ふとんを敷いて寝たり、起きてふとんをたたんで押し入れにしまったり、折り畳み式のちゃぶ台(小さな食事用座卓)を利用して食事をしたり、やぐらこたつの上で勉強をしたり、ゲームをして余暇を過ごしたりするという狭い場所を最大限に活用するというコンパクトな生活をしていた。みんなで同時に同じことをする共同生活をしていた。
生活様式に変化が生まれて、家屋の間取りにおいては、日本では、なんとか(部屋数)LDK(リビング、ダイニング・キッチン)パターンという間取りの構造になってから、家族でいっしょにという共同行動がくずれて、個別化の生活になった。家庭内別居とか、引きこもりが可能になった。個食という言葉も生まれた。(個食:家族そろって食事をしない)
<本を読んでいて、思考の方法に、教えがあります>
こどもは、個室で鶏舎のニワトリのように、問題集を与えられて、テストの点取り虫になった。
こどもから自然とのふれあいがなくなった。祖父母との交流も少なくなった。親戚づきあいも薄くなった。こどもは、資本主義の組織で働くためのアンドロイドロボット的なものになった。こどもは、いざ、社会に出ると、人づきあいができない人間になった。脳みその中は、いつまでもこどものままで、おとなになれない人間ができあがった。というところまで、部屋の間取りから始まった考察が至ります。
フレキシビリティ:変化に対する柔軟性、融通性。増築、改修、間取りの変化がやりやすい。
80ページに写真がある『赤レンガの東京駅』が2012年(平成24年)に復元されたものだとは知りませんでした。昔からあるものをリフォームしたものだと思っていました。空襲で三階部分が失われていたそうです。
アーツ・アンド・クラフツ運動:粗悪な大量生産を批判し、職人の手仕事に立ち戻ることを主張したデザイン運動とあります。うーむ。ロボット化される手法を昔の職人手仕事作業に戻そうということだろうか。未来のために昔のやり方を進めていくのです。
建築家関係の人たちのようすを読んでいると、いわゆる『オタク(ファン、マニア)』で、その道にはずばぬけて詳しいけれど、人間関係の付き合いとか、日常の雑談、交渉時の説明は、にがてな人がほとんどという印象をもちました。学者タイプの人が多そうです。研究者です。
求められているのは『与えられた問題を解く能力』ではなく『問題をつくる立場での能力』であることがわかります。
建築は『長い仕事』であるとあります。設計1年、工事2年、たいてい3年かかる。一時的な物の売り買いとは異なります。だから、メンバーとは、楽しくやっていきたいそうです。
均質空間論:人間の多様性、尊厳を否定して、人間を均質なオフィスに閉じ込める20世紀のシステムとあります。
自分も『人間の標準化』という感想をもっています。教育においては、同じ言動をするロボットのような人間を大量生産したいのです。むかしの兵隊養成所を思い浮かべます。さからうと鉄拳制裁(暴力で言うことをきかせる)があるのです。
説得するときは『相手の身になって考え、相手の立場を尊重しながら話す』とあります。
いつだったか、旅先の駅前で、スマホに向かって怒鳴っている男性がいました。『それは、あなたの考えであって、わたしの考えではない。上司を出しなさい!』とわめいていました。相手の言うことを理解しようとしなければ、どこまでも平行線です。戦争になります。
104ページまできました。
著者は、今度は、アメリカ合衆国で学びます。
設計の仕事:基本設計-実施設計-現場管理という分類があるそうです。
1945年(昭和20年)-1985年(昭和60年)見た目のきれいさ、豪華さ優先の建築。世界の経済が、ヨーロッパからアメリカ合衆国に移った。アメリカ合衆国の時代がやってきたです。
著者は、コロンビア大学で学ばれています。ニューヨークに大学本部があります。
アメリカ合衆国の大学では、仲良しごっこの慣れあいの雰囲気はなかったと読み取れる文章です。先生同士は、建築に関する考え方の違いから仲が悪い。日本とは違う。
読んでいると、日本の大学で学ぶべきことがあるのだろうかというところまで考えが及びます。
日本の企業や組織は、中味よりも、派閥とか、出身地、知人・友人・親族などの縁故関係で利益を共有するイメージがあります。(このあたりについては、195ページあたりに、時代の変化で、濃厚な師弟関係は消える傾向にあると記述があります。手配師のようなボスの存在が必要なくなって、当事者同士の交渉がネット社会で実現されたことが理由です)
建築の住民説明会は、日本では、行政の担当やクライアント(建築会社)の社員が行う。ヨーロッパやアメリカ合衆国では、建築家が話すことを求められることが多いそうです。
コネティカット:フィリップ・ジョンソン(アメリカ合衆国の神様のような建築家)の自宅があったところ。著者がインタビューで訪れています。アメリカ合衆国の北東部にある州。
岡倉天心(おかくら・てんしん):1863年(江戸時代)-1913年(大正2年)50歳没。思想家。美術評論家。出版として『茶の本』
モダニズム:新しい感覚・流行を好む。
ポストモダニズム建築:合理的、機能性優先に反対するデザインの建築
学ぶことで知る。
著者は、アメリカ合衆国に行って初めて、日本の伝統建築に感心をもち始めます。
127ページに浮世絵のことが出てきます。先日読んだ読書感想文コンクール課題図書の『江戸のジャーナリスト 葛飾北斎(かつしか・ほくさい) 千野境子(ちの・けいこ) 国土社』を思い出しました。
アメリカ合衆国で手に入れた畳2枚のことが書いてあります。
『美』は、大量でなくても完成できることがわかります。
1986年(昭和61年)に著者は自分の設計事務所を立ち上げたそうです。
バブル経済だったころの記憶です。バブル経済は、1991年(平成3年)ころに破たんしました。
中古マンションがものすごい勢いで値上がりして、賃貸マンション暮らしをしていたわたしたち夫婦は、もう一生自分の家は買えないとあきらめたことがありました。
されど、その後、地価は暴落しました。モノの値段というものは、株式と同じで、上がれば下がるし、下がれば上がるものだと悟りました。あきらめることはないのです。コツコツ地道に長く続ければ、きっといいことがあるのです。
1980年代後半に、コンクリートの打ちっぱなしがいいとされた時代がありました。
本では、一時的なブームだったとされています。
著者は本のなかでときおり『信頼関係』に触れて、信頼関係が大事だと強調されています。建築主(施主)と建築設計士との間の信頼関係です。
建築設計者は、案外、建築主の言うことを聞かないというようなことが書いてあります。
なるほどと思いました。
自分は、15年ぐらい前に、当時住んでいたマンションの近くにあった雑木林が宅地造成されて、住宅建築用の土地が売り出されたときに、そのうちの一画にある土地を買って、いわゆる注文住宅を建てました。
文房具店で売っている青い線の細かい枠があるグラフ用紙に鉛筆で、住宅会社が示してくれた参考例を参考にしながら、自分なりにこういう間取りがいいなと図面を描きました。
その後、住宅会社の建築設計士と相談を重ねながら家を建てたのですが、建築設計士がこちらの意向をきいてくれないことがいくつかありました。
お金を出すのはこちらのほうだから、すべてこちらの言うことを聞いてくれるものだと思っていたのでびっくりしました。
ただ、どうしても自分の意向を主張しなければならないような内容ではなかったので、設計士の思うデザインで家が建ちました。
できあがった家について、とくに不満はありませんが、交渉経過が不思議でした。
今回この本を読んで、建築設計士の建築物に託す思いが理解できました。
建築家にとって建物は『芸術作品』なのです。
エキセントリック:ふつうじゃない。個性的。
第6章 予算ゼロの建築「石の美術館」という項目まできました。
ドラマ『北の国から』を思い出す項目です。
お金がなくてすってんてんになった黒板五郎(田中邦衛たなかくにえ)さんは、地面に落ちている石で家をつくることを思いつき、石の家を完成させました。(昔、観光で北海道の富良野を(ふらのを)訪れて、現地でドラマの撮影で使用された石の家を見たことがあります)
著者と施主(建築主)が、栃木県内で、完成までに5年かけて、現実に「石の美術館」という建物を建てた経過が書いてあります。黒板五郎と理由は同じです。お金がありませんでした。
読んでいて思ったのは、お金が無い時はないなりに、今とは違うやり方をして、新境地を開拓していくということでした。
この文章の冒頭付近で書いた四国の梼原町(ゆすはらちょう)と著者のご縁が書いてあります。
著者は、同町内に6つの建物を建てたそうです。
30年間の長い付き合いです。
『建築家は長距離走者』とたとえ話をされています。
長距離走者は、とても孤独なものと表現されています。孤独に耐える精神力が必要だそうです。
コツとして『その場で返事をしない(即答はしない。ひと晩考える)』
良き言葉として『地元の人はシャイ(恥ずかしがり屋)なので、酒を飲まないと本音を聞けない』
考え方として『お金じゃない』というときがあります。予算内におさめるためにすさまじい節約をするインドネシア人スタッフがいます。
ディテール:細かな点
1999年に縁あって、中国とつながりが生まれています。
万里の長城のそばでのプロジェクトに参加されています。
北京の北に位置する万里の長城は見学したことがあるので、その時のことを思い出しながら文章を読みました。
いなかでした。不思議な構造の古い公衆トイレがあった記憶が残っています。ただ、くっきりとした記憶ではなく、今となってはぼんやりしたものです。なにか、不思議な位置に小便器が設置されていた覚えです。壁と壁が合わさる角部分(かどぶぶん)だったような気がします。
中国でのプロジェクトの完成のほうは、5か月の予定だったけれど、結局4年かかったそうです。いいものを仕上げるためには時間がかかります。作品は『竹の長城』です。
184ページに北京にある『胡同(ふーとん)』という地区の写真があります。
中国の昔の古い住居の集まりでした。
自分が見学した時は、土ぼこりが空気中を舞うようなようすで、いろいろな国の外国人観光客がぶらりぶらりと散策をしておられました。
著者の会社では、外国人スタッフが多い。
東京事務所、パリ事務所、北京事務所、上海事務所で、スタッフは300人ぐらいです。
いい仕事をするためには、国籍は関係ないし、男女の性別も関係ありません。
日本人だけだと、楽しい雰囲気が生まれないそうです。お互いに陰で悪口を言いあったり、いじめがあったりが、日本におけるたいていの職場のようすです。
張芸謀(チャン・イーモウ):中国人映画監督。「初恋のきた道」は以前見たことがあります。
2020東京オリンピックのときのスタジアム建築騒ぎのことが書いてあります。当初のコンペで選ばれた案が否定されたという経過です。
『老害』のような考察があります。
日本独特なのかもしれない年功序列制度です。
先日読んだ『赤めだか 立川談春 扶桑社文庫』を思い出しました。立川談春さんの師匠である立川談志さんが、落語協会の古いやり方に反発して反乱を起こすのです。
日本ではやれないから世界へ飛び出すと著者は書かれています。以前ノーベル賞を受賞された日本人の方も同じことをおっしゃっていました。
著者は、日本には、閉鎖的な村的システムがあると分析されています。
自分が思うに、たいていの日本人には、大局観(たいきょくかん。広い全体のことを考える)はありません。自分の身の回り2.5メートルの範囲内の世界で、金勘定をしながら、損か得かの暮らしをしています。
コスパ:費用対効果。コストとパフォーマンス(結果)
最後にコロナ禍(か。災難)について書いてあります。
人類に対する警告だそうです。
ロシアとウクライナの戦争も始まってしまいました。
自分は、社会システムや制度の急激な変化とか、思いがけないほどの巨大な自然災害を体験してきた世代としては、もしかしたら、生きているうちに日本が当事者となる戦争を体験することになるのではないだろうかという不安をもち始めています。
コロナを節目として、従来のやり方にしばられない自由な発想を著者はアドバイスとして読者に送っておられます。
2021年5月放送分『出川哲朗の充電バイクの旅 今年も新緑の高知横断! 進め龍馬歴史街道スペシャル』の番組で、隈研吾さんが設計した『雲の上の図書館』の映像を見たことがあります。
樹木とか森を基調にした建物です。(高知県梼原町(ゆすはらちょう))
著者の作品として、東京にあるオリンピックの新国立競技場があります。(オリンピックスタジアム)
タイトル『建築家になりたい君へ』を見て、いろいろ考えたことがあります。
建築家の話ではありませんが、以前自分は、高層ビルの大きな病院で、入退院手術を繰り返したことがあります。
『雇用』という面での考察です。
入院していて気づいたのですが、ビルの点検管理会社の社員が、チームをつくって、毎日、ビルのどこかを点検する作業をしていました。メンテナンスです。(手入れ。維持、管理、保守、保全、修理、点検)
高層ビルなので、毎日少しずつ場所を変えながら少人数のグループをつくって作業をするわけです。1年365日管理が必要です。各フロアー(階)を順番に回ります。
いい仕事だなと思ったのです。安定しています。ビルが建っている限り、仕事がなくなることはありません。
学歴の話になるのですが、たとえば、高校を卒業して、大企業や公共団体のような大きな組織に就職して「世のため、人のため」と思いながら、地味な仕事で、コツコツ働いて、さらに、職場結婚をして、夫婦で子育てをしながらずっと働いて、なんなら、こどもさんも同じような関連組織で働いて、大金持ちにはなれないかもしれませんが、一族で仲良く地道に暮らしていく。
目立つことはないかもしれませんが、収入面で、人生の勝ち組になれるひとつのパターンがあります。有名大学を卒業する必要はありません。
就職で実績のある工業高校を卒業すると、製造業を中心にして、大企業部門からの就職のお誘いがありそうです。
昔、日本でバブル経済が崩壊した時に、つぶれる会社の人材を受け入れてもらうための転職活動があったわけですが、兵隊(平社員)はいるけれど、課長(管理職)はいらないという受け手側からの通告があった記憶です。組織にとっては、最前線で働く兵隊は必ず必要なのです。
思うに、生涯賃金の多い少ないは、基本的には、雇用期間次第です。たいていは、人生を通じて、無職だった期間が少ない人が、生涯賃金の合計額が多くなります。
建築家の場合はどうなのかは、わかりません。これからこの本を読んでみますが、建築家は、アーチスト(芸術家)と通じる部分もあるような印象があります。建築家で食べていくためには、万人に好かれる『個性』が求められそうです。(このあとに読んだ「はじめに」の部分に著者の思いが書いてありました。建築家は、一風変わった人に見られがちですが違いますというものでした。建築家は「神様」でも「変人」でもない。いい建築家であるためには、普通の人の普通の生活を広く知っていなければならない。普通人イコール建築家です。過去には奇抜な人が建築家でいたこともありますが、現在はチームで動いて構造物という作品を仕上げるから、普通の人格をもっていることが求められますというように受け止めました。普通の人が普通に使って、快適な建物を作品としてつくるのです。共感しました)
まず、全体を把握するために、1ページずつ最後まで全部めくってみました。
第3章にアフリカ旅行のことがあるそうです。
若い時は、外へ冒険したほうがいい。
『学歴』よりも『経験』です。ペーパーテストの高得点よりも、企業が欲しいのは、日常生活を送るための生活能力です。ある程度、読み書き計算、パソコン操作、英会話ができればいい。車の運転ができて、地理に明るくて、ちゃんと乗車券類の買い方を知っているほうが役立ちます。
ずばぬけて高い能力はいりません。男でも女でも家事(炊事、洗濯、料理、片付け、買い物、家計の管理など)ができて、ほどほどに他人、とくにお年寄りと雑談ができて、総合力で、中の上くらいならそれでいい。
加えて、強い意思と順応力がいります。組織にも顧客にも変な人はいます。パワハラやセクハラをする人、いじめが好きな人や、いやなクレーマーもいます。
お金を稼いで自活していくためには、イヤなことを乗り越えていくんだというガッツがいります。困難を乗り越えていく能力をつけるためにお金の自己投資も必要です。ケチに徹して、使わないお金をためこんでも心身の病気になったらがっかりです。
使わない貯金は、お金がないのといっしょです。すっからかんになってはいけませんが、自分なりに、自分は貯金がこれぐらいあれば大丈夫だというラインの目安をもったほうがいい。
自分が生き続けていくために、ストレス解消や能力開発のための自己投資は必要です。
この本は、著者がご自分で書かれたのだろうか。聞き取りをしてライターが書いたのだろうか。編集者が付いて仕上げたのだろうか。いろいろ考えるこれからこの本を読む前の今です。(このあと36ページまで読んで、ご本人がご自身で書いている文章であると確信しました)
124ページの白黒写真を見てびっくりしました。
旧帝国ホテルの玄関先が映っています。
今年4月に愛知県の犬山市にある明治村で、帝国ホテルの玄関を見学しました。東京から同村に移築されています。渋沢栄一氏が建設発起人のうちのひとりとしてからんでいます。
219ページ『おわりに』で、コロナ禍(か。災難)についてふれてあります。
(つづく)
〇登場する建物として
東京にある代々木競技場(丹下健三設計):1964年(昭和39年)に小学4年生の著者がこの構造物を見て、将来、建築家になることを決めたそうです。
伊豆の風呂小屋:依頼があっての初めての建築作品
竹の家:中国での初めての建築作品
国立競技場:2020東京オリンピックでの著者の建築設計作品
自分との類似体験があります。
1964年以前の日本のこどもたちは、自然に囲まれた野山や田畑の中で遊んでいました。
たいていの家は、祖先をたどると農家でした。
そのころの生活体験が、著者の場合は、将来の作品につながっています。
ぼろい家に住んでいたからこそ、国立代々木競技場を見て感動が生まれ、夢をもつことにつながっています。
著者の場合、著者よりも45歳も年上の父親の教育が、将来自活できる人間になるための良い子育てにつながっています。
父親は、デザインや建築が大好きだった。著者の建築家になりたいという夢に父親は反対しなかった。父親からのアドバイスとして『建築の実物をたくさん見ろ』
たくさん見るとか、たくさんやるということは、なにをやるにしても必要なことです。以前読んだ天才に関する本には、とにかく大量の作品をつくる。そのなかのいくつかが高く評価されているとありました。天才は駄作の数も多いのです。
もうひとつが『設計会議(親子会議、家族会議)』をするという父親の教えがあります。チームで活動するときは、毎日打合せが必要です。毎朝、その日一日の行動プランを確認する。検討事項が生まれたら、随時その場で打ち合わせをする。いい仕事を仕上げるためには必要なことです。
心に響いた文章などです。
『宗教建築は太古の昔から、高さで人々を圧倒するというワザを多用してきた……』
『(僕は逆に)2020年の東京オリンピックのスタジアムは、低さをテーマにするべきだと考えました……』
『建築以外のことにも興味をもつ。映画、音楽、スポーツ、グルメ……(ことにシェフはセンスがいい)』
(つづく)
服装の話があります。建築家としての存在をアピールするための服装をする。
それから、海外に行く仕事が多い。移動のことを考えて、荷物をできるだけ少なくしたい。荷物を減らすために服装について熟考(じゅっこう)する。
基本的には、Tシャツにしたそうです。Tシャツの上にジャケットをはおる。ショルダーバッグひとつで海外旅行をする。大きなトランクはアウト(だめ)
『所有を求めない人生は、とても気楽です』とあります。
本を読んでいるわたし自身は、旅行に行く時、荷物が多いです。万が一に備えてたくさんもっていきます。家族には笑われます。少しでも隈研吾先生を見習いたい。
『まちづくり』という言葉があります。
どういうわけか、若い人は『まちづくりの仕事』という言葉にあこがれをもちます。
まちづくりの仕事は、そんなふうに思うほど、きれいな仕事ではありません。
誤解と錯覚があります。
困難な人間関係の調整があります。
地元民は、変化を嫌います。
開発の仕事には、お金とか利権がからみます。どろどろとしたものがあります。
立ち退き(たちのき)は反対だし、ビル建設にも反対です。
若い人は、事象にある事実を正確に把握して、イメージで誤解しないようにして、仕事の中身について、しっかり考えたほうがいい。
考えが浅いと『こんなはずじゃなかった』という失敗につながります。
45ページにいい言葉があります。『どんなに厳しいクライアント(顧客)も父よりはましに思えます』基本的に、クライアントは厳しいのです。
中学・高校をカトリック系の学校ですごされたので、宗教の影響を受けておられます。
神さまについて考える。
戦争体験者の神父さんです。
邦画『ビルマの竪琴(たてごと)』を、この本を読んでいて思い出します。
『水島! 日本へ帰ろう!』です。水島上等兵は日本へ帰ることを拒みました。(こばみました)ビルマ(その後、ミヤンマー)で戦争の犠牲になった人たちを悼む(いたむ。死を悲しむ)ことを決心したからです。
『人間は原罪を背負っている』これが、キーワードです。人間には『悪』の部分があるのです。建築をしていくうえで、住民に迷惑をかけるから、反対運動が起きたり、自然を破壊したりするという『悪』があるのです。
本では、罪人であるから、できるだけ明るく、楽しく、まわりの人を幸せにしなければならないと強調されています。
ネパールのポカラ:ヒマラヤ山脈が見える山間部の街。人口42万6000人ぐらい。
建築のマイナス面について語られています。
建築をつくることは『罪』なのです。
日が当たらなくなる。美しい景色がだいなしになる。気温が上昇する。ビル風が吹く。建築資材の原材料が二酸化炭素を増加させる。なんだか、いいところがありません。
マイナスもあるけれど、プラスもあって、プラスの面のほうが多いと考える。
ものごとには、必ず、二面性があります。いいところもあれば、そうでないところがあります。100%完璧ということは、たいてい、ありません。いつも、どこのラインで、線引きをするかで、人は悩みます。わたしは、60%でよしとしています。人生は、60点で、十分生きていけます。
この本は、学ぶべきところがある本です。
まだ、55ページ付近をうろうろしながら読んでいますが、今年読んで良かった本です。
同じ時代を生きてきた年配者のふりかえりがあります。共感する点が多い。
これで良かったと、これまでの自分の考えを追認できる本です。
1970年の大阪万博における派手な建築物を否定されています。
『勝つ建築』の時代は、大阪万博のときがピークで、大阪万博のときに終わったのです。
『勝つ建築』は、力尽きたのです。万博のテーマ『人類の進歩と調和』は苦しいテーマ設定だと解説があります。進歩と調和の同時達成は、無理なのです。
著者は『負ける建築』を目指します。
メタボリズム:自然界にいる生き物との共生
『勝つ建築』に対する失望を正直に書いてあるので、びっくりしました。率直な本です。
アフリカのサバンナ地方に関する記述が出て来て、実際に現地を訪問して、集落を回りながら住民から聞き取り調査をされています。家の中にも入って、たくさんの家の調査をされています。
すごい。ある意味『命がけ』です。命の危険がありそうですが、もしかしたら運が良かったのかもしれません。人間が成功するためには、運の良さが必要です。
1977年(昭和52年)に日本を出発されています。
フランスの詩人アルチュール・ランボー:1854年-1891年。37歳没。15歳で詩を書き始め、20歳で詩作をやめた。アフリカに渡り、商人として砂漠を旅した。フランスマルセイユの病院で癌により病死した。
あこがれる人、目標とする人の存在があります。
考え方として『20世紀における資本主義では、巨大で豪華な建物を建てることで建設業界は潤っていた。政治もそこにからんでいた。当時の学生たちは、そこに異議申し立てをした。』と読み取りました。建築の世界にも社会問題があるのです。
大量生産、大量廃棄への反発もあります。そのとき地上にいる世代が幸せな思いができればいいというような考えが、その時代の人たちにあったように思えるのです。
あとの時代を生きる子孫のことも気にかけてほしい。
産業革命に反対した人たちがいます。
衛生面で公害の発生とかがあります。
日本人は、狭い畳部屋で、家族全員が、食事をして、ふとんを敷いて寝たり、起きてふとんをたたんで押し入れにしまったり、折り畳み式のちゃぶ台(小さな食事用座卓)を利用して食事をしたり、やぐらこたつの上で勉強をしたり、ゲームをして余暇を過ごしたりするという狭い場所を最大限に活用するというコンパクトな生活をしていた。みんなで同時に同じことをする共同生活をしていた。
生活様式に変化が生まれて、家屋の間取りにおいては、日本では、なんとか(部屋数)LDK(リビング、ダイニング・キッチン)パターンという間取りの構造になってから、家族でいっしょにという共同行動がくずれて、個別化の生活になった。家庭内別居とか、引きこもりが可能になった。個食という言葉も生まれた。(個食:家族そろって食事をしない)
<本を読んでいて、思考の方法に、教えがあります>
こどもは、個室で鶏舎のニワトリのように、問題集を与えられて、テストの点取り虫になった。
こどもから自然とのふれあいがなくなった。祖父母との交流も少なくなった。親戚づきあいも薄くなった。こどもは、資本主義の組織で働くためのアンドロイドロボット的なものになった。こどもは、いざ、社会に出ると、人づきあいができない人間になった。脳みその中は、いつまでもこどものままで、おとなになれない人間ができあがった。というところまで、部屋の間取りから始まった考察が至ります。
フレキシビリティ:変化に対する柔軟性、融通性。増築、改修、間取りの変化がやりやすい。
80ページに写真がある『赤レンガの東京駅』が2012年(平成24年)に復元されたものだとは知りませんでした。昔からあるものをリフォームしたものだと思っていました。空襲で三階部分が失われていたそうです。
アーツ・アンド・クラフツ運動:粗悪な大量生産を批判し、職人の手仕事に立ち戻ることを主張したデザイン運動とあります。うーむ。ロボット化される手法を昔の職人手仕事作業に戻そうということだろうか。未来のために昔のやり方を進めていくのです。
建築家関係の人たちのようすを読んでいると、いわゆる『オタク(ファン、マニア)』で、その道にはずばぬけて詳しいけれど、人間関係の付き合いとか、日常の雑談、交渉時の説明は、にがてな人がほとんどという印象をもちました。学者タイプの人が多そうです。研究者です。
求められているのは『与えられた問題を解く能力』ではなく『問題をつくる立場での能力』であることがわかります。
建築は『長い仕事』であるとあります。設計1年、工事2年、たいてい3年かかる。一時的な物の売り買いとは異なります。だから、メンバーとは、楽しくやっていきたいそうです。
均質空間論:人間の多様性、尊厳を否定して、人間を均質なオフィスに閉じ込める20世紀のシステムとあります。
自分も『人間の標準化』という感想をもっています。教育においては、同じ言動をするロボットのような人間を大量生産したいのです。むかしの兵隊養成所を思い浮かべます。さからうと鉄拳制裁(暴力で言うことをきかせる)があるのです。
説得するときは『相手の身になって考え、相手の立場を尊重しながら話す』とあります。
いつだったか、旅先の駅前で、スマホに向かって怒鳴っている男性がいました。『それは、あなたの考えであって、わたしの考えではない。上司を出しなさい!』とわめいていました。相手の言うことを理解しようとしなければ、どこまでも平行線です。戦争になります。
104ページまできました。
著者は、今度は、アメリカ合衆国で学びます。
設計の仕事:基本設計-実施設計-現場管理という分類があるそうです。
1945年(昭和20年)-1985年(昭和60年)見た目のきれいさ、豪華さ優先の建築。世界の経済が、ヨーロッパからアメリカ合衆国に移った。アメリカ合衆国の時代がやってきたです。
著者は、コロンビア大学で学ばれています。ニューヨークに大学本部があります。
アメリカ合衆国の大学では、仲良しごっこの慣れあいの雰囲気はなかったと読み取れる文章です。先生同士は、建築に関する考え方の違いから仲が悪い。日本とは違う。
読んでいると、日本の大学で学ぶべきことがあるのだろうかというところまで考えが及びます。
日本の企業や組織は、中味よりも、派閥とか、出身地、知人・友人・親族などの縁故関係で利益を共有するイメージがあります。(このあたりについては、195ページあたりに、時代の変化で、濃厚な師弟関係は消える傾向にあると記述があります。手配師のようなボスの存在が必要なくなって、当事者同士の交渉がネット社会で実現されたことが理由です)
建築の住民説明会は、日本では、行政の担当やクライアント(建築会社)の社員が行う。ヨーロッパやアメリカ合衆国では、建築家が話すことを求められることが多いそうです。
コネティカット:フィリップ・ジョンソン(アメリカ合衆国の神様のような建築家)の自宅があったところ。著者がインタビューで訪れています。アメリカ合衆国の北東部にある州。
岡倉天心(おかくら・てんしん):1863年(江戸時代)-1913年(大正2年)50歳没。思想家。美術評論家。出版として『茶の本』
モダニズム:新しい感覚・流行を好む。
ポストモダニズム建築:合理的、機能性優先に反対するデザインの建築
学ぶことで知る。
著者は、アメリカ合衆国に行って初めて、日本の伝統建築に感心をもち始めます。
127ページに浮世絵のことが出てきます。先日読んだ読書感想文コンクール課題図書の『江戸のジャーナリスト 葛飾北斎(かつしか・ほくさい) 千野境子(ちの・けいこ) 国土社』を思い出しました。
アメリカ合衆国で手に入れた畳2枚のことが書いてあります。
『美』は、大量でなくても完成できることがわかります。
1986年(昭和61年)に著者は自分の設計事務所を立ち上げたそうです。
バブル経済だったころの記憶です。バブル経済は、1991年(平成3年)ころに破たんしました。
中古マンションがものすごい勢いで値上がりして、賃貸マンション暮らしをしていたわたしたち夫婦は、もう一生自分の家は買えないとあきらめたことがありました。
されど、その後、地価は暴落しました。モノの値段というものは、株式と同じで、上がれば下がるし、下がれば上がるものだと悟りました。あきらめることはないのです。コツコツ地道に長く続ければ、きっといいことがあるのです。
1980年代後半に、コンクリートの打ちっぱなしがいいとされた時代がありました。
本では、一時的なブームだったとされています。
著者は本のなかでときおり『信頼関係』に触れて、信頼関係が大事だと強調されています。建築主(施主)と建築設計士との間の信頼関係です。
建築設計者は、案外、建築主の言うことを聞かないというようなことが書いてあります。
なるほどと思いました。
自分は、15年ぐらい前に、当時住んでいたマンションの近くにあった雑木林が宅地造成されて、住宅建築用の土地が売り出されたときに、そのうちの一画にある土地を買って、いわゆる注文住宅を建てました。
文房具店で売っている青い線の細かい枠があるグラフ用紙に鉛筆で、住宅会社が示してくれた参考例を参考にしながら、自分なりにこういう間取りがいいなと図面を描きました。
その後、住宅会社の建築設計士と相談を重ねながら家を建てたのですが、建築設計士がこちらの意向をきいてくれないことがいくつかありました。
お金を出すのはこちらのほうだから、すべてこちらの言うことを聞いてくれるものだと思っていたのでびっくりしました。
ただ、どうしても自分の意向を主張しなければならないような内容ではなかったので、設計士の思うデザインで家が建ちました。
できあがった家について、とくに不満はありませんが、交渉経過が不思議でした。
今回この本を読んで、建築設計士の建築物に託す思いが理解できました。
建築家にとって建物は『芸術作品』なのです。
エキセントリック:ふつうじゃない。個性的。
第6章 予算ゼロの建築「石の美術館」という項目まできました。
ドラマ『北の国から』を思い出す項目です。
お金がなくてすってんてんになった黒板五郎(田中邦衛たなかくにえ)さんは、地面に落ちている石で家をつくることを思いつき、石の家を完成させました。(昔、観光で北海道の富良野を(ふらのを)訪れて、現地でドラマの撮影で使用された石の家を見たことがあります)
著者と施主(建築主)が、栃木県内で、完成までに5年かけて、現実に「石の美術館」という建物を建てた経過が書いてあります。黒板五郎と理由は同じです。お金がありませんでした。
読んでいて思ったのは、お金が無い時はないなりに、今とは違うやり方をして、新境地を開拓していくということでした。
この文章の冒頭付近で書いた四国の梼原町(ゆすはらちょう)と著者のご縁が書いてあります。
著者は、同町内に6つの建物を建てたそうです。
30年間の長い付き合いです。
『建築家は長距離走者』とたとえ話をされています。
長距離走者は、とても孤独なものと表現されています。孤独に耐える精神力が必要だそうです。
コツとして『その場で返事をしない(即答はしない。ひと晩考える)』
良き言葉として『地元の人はシャイ(恥ずかしがり屋)なので、酒を飲まないと本音を聞けない』
考え方として『お金じゃない』というときがあります。予算内におさめるためにすさまじい節約をするインドネシア人スタッフがいます。
ディテール:細かな点
1999年に縁あって、中国とつながりが生まれています。
万里の長城のそばでのプロジェクトに参加されています。
北京の北に位置する万里の長城は見学したことがあるので、その時のことを思い出しながら文章を読みました。
いなかでした。不思議な構造の古い公衆トイレがあった記憶が残っています。ただ、くっきりとした記憶ではなく、今となってはぼんやりしたものです。なにか、不思議な位置に小便器が設置されていた覚えです。壁と壁が合わさる角部分(かどぶぶん)だったような気がします。
中国でのプロジェクトの完成のほうは、5か月の予定だったけれど、結局4年かかったそうです。いいものを仕上げるためには時間がかかります。作品は『竹の長城』です。
184ページに北京にある『胡同(ふーとん)』という地区の写真があります。
中国の昔の古い住居の集まりでした。
自分が見学した時は、土ぼこりが空気中を舞うようなようすで、いろいろな国の外国人観光客がぶらりぶらりと散策をしておられました。
著者の会社では、外国人スタッフが多い。
東京事務所、パリ事務所、北京事務所、上海事務所で、スタッフは300人ぐらいです。
いい仕事をするためには、国籍は関係ないし、男女の性別も関係ありません。
日本人だけだと、楽しい雰囲気が生まれないそうです。お互いに陰で悪口を言いあったり、いじめがあったりが、日本におけるたいていの職場のようすです。
張芸謀(チャン・イーモウ):中国人映画監督。「初恋のきた道」は以前見たことがあります。
2020東京オリンピックのときのスタジアム建築騒ぎのことが書いてあります。当初のコンペで選ばれた案が否定されたという経過です。
『老害』のような考察があります。
日本独特なのかもしれない年功序列制度です。
先日読んだ『赤めだか 立川談春 扶桑社文庫』を思い出しました。立川談春さんの師匠である立川談志さんが、落語協会の古いやり方に反発して反乱を起こすのです。
日本ではやれないから世界へ飛び出すと著者は書かれています。以前ノーベル賞を受賞された日本人の方も同じことをおっしゃっていました。
著者は、日本には、閉鎖的な村的システムがあると分析されています。
自分が思うに、たいていの日本人には、大局観(たいきょくかん。広い全体のことを考える)はありません。自分の身の回り2.5メートルの範囲内の世界で、金勘定をしながら、損か得かの暮らしをしています。
コスパ:費用対効果。コストとパフォーマンス(結果)
最後にコロナ禍(か。災難)について書いてあります。
人類に対する警告だそうです。
ロシアとウクライナの戦争も始まってしまいました。
自分は、社会システムや制度の急激な変化とか、思いがけないほどの巨大な自然災害を体験してきた世代としては、もしかしたら、生きているうちに日本が当事者となる戦争を体験することになるのではないだろうかという不安をもち始めています。
コロナを節目として、従来のやり方にしばられない自由な発想を著者はアドバイスとして読者に送っておられます。
2022年06月13日
その扉をたたく音 瀬尾まいこ
その扉をたたく音 瀬尾まいこ(せお・まいこ) 集英社
読み始めました。
なんだか、さえない男性主人公です。
ギター弾き29歳無職の宮路(みやじ)が、老人ホームでなにかをしています。
自称ミュージシャンの施設入所高齢者慰問です。
自称ミュージシャンですから、年寄り向けの曲の演奏はしません。
自分のために演奏する人です。
大学を卒業して無職のまま7年が過ぎていたというのは、自慢にはなりません。
一般的には、音楽でメシは食えません。
楽器の演奏よりも、読み書き計算、パソコン操作、車の運転、営業、接客、企画立案実行の能力をもたねば働けません。合わせて、自己の健康管理(心のもちようも含めて)、仕事の管理を始めとした人間関係のコントロールもしていかねばなりません。なにせ金勘定が基本です。自分のお金の管理ができない人は、会社や組織のお金の管理はできません。身の回りの整理整とんもできなければなりません。
音楽だけで食べていける人は、音楽だけでしか食べていけなかったりもします。365日、24時間すべて、音楽のために時間を費やす人です。
芸術家というのは、これしかできないから打ち込むしかないのです。本人も気づいていて、逃げ場のない世界で必死に生きています。
宮路は、11月27日が30歳の誕生日だそうです。
宮路は思いやりのない人です。相手に、オレの音楽を聴かせてやっているという態度が伝わってきます。
グリーン・ディの曲:アメリカ合衆国のパンク・ロックバンドの曲を施設入所している高齢者に聴かせます。
音楽演奏者で生活していくことにあきらめがつかない自分なのに、あきらめない自分(ネバー・ギブアップ精神だぞと)のことを立派だとまわりに自慢したい人です。
どうやって生活しているのだろう。親の財産を食いつぶしているのだろうという予測しかありません。典型的なダメ人間です。
世の中には、五体満足で口が達者でも働けない人がいくらかいます。自慢話を聞かされても、過去になにかをやり遂げたという実績がない人なのです。そのことが判明すると、それまでそばにいた人は離れていきます。
サックスホーンのいい音色を(ねいろを)聴かせてくれるのが、老人ホーム男性職員の渡部(入所者からこうちゃんと呼ばれている。58ページに25歳とあります。祖母とふたり暮らしをしていると72ページに書いてあります)です。
されど彼は、音楽療法士というわけではありません。
演奏するのは、年寄り相手ですから、こどものころに学校で合唱した『ふるさと』のような日本童謡のような曲、あとは演歌です。
いいかげんそうな自称ギタリストの宮路が、老人ホーム職員の渡部をサックス演奏の神様だと、この本の読者に訴えるのです。
金曜日の午後2時30分が、老人ホームでのレクレーションの日時です。
レクレーション:休養と元気回復のための娯楽
宮路のひとり語りが続きます。
宮路は勝手に老人ホームを訪問しますが、たいていは、呼んでもいない部外者の訪問を老人ホームは断ります。なにかの事件の犯人になるかもしれませんから。
玄関は、認知症の高齢者がいつのまにか外へ出ていかないように施錠してあります。
読んでいて、施設には入りたくないと思う。
自分の希望は、在宅介護でお世話を受けながら、あの世に逝きたい。(いきたい)
(つづく)
半分ぐらい、102ページまで読みました。
渡部のサックスのうまさの話は、まだ盛り上がってきません。
主人公の宮路29歳無職自称ギタリストは、老人ホーム入所者である水木静江の息子という立場で施設へ出入りします。(ありえません。他人です。でも、施設は知っていて許容しています)
ほかに出てきたのが以下のメンバーです。
スタッフとして、前田、遠山
入所者として、12月2日が誕生日の今中のおじいさん。宮地からウクレレを習う本庄さん(本人は、ウクレレを小さなギターだと思い込んでいる)、3月が誕生日の八坂(やさか)のおばあさん、10月26日が誕生日の内田のおばあさん。
老人ホームの名称は『そよかぜ荘』です。3階建て。1階が事務室。デイサービス空間。2階が入所者10人。3階が自分のことを自分でできない入所者が6人。
親から毎月20万円の仕送りをもらっているひとり暮らしの主人公宮路29歳自称ギタリストです。
親は、土地持ち不動産収入有りなのか。それとも大企業の創始者とか、幹部社員とか、あるいは、医師とか弁護士とか、いずれにしても、親から見てやっかい者の息子だから、そばに置いておきたくないのでしょう。まあ、世間体も気になります。みっともない息子とは別居して、金だけは援助する親のパターンです。
働かなくても生活ができるということは、不幸ではないけれど、幸福ともいえません。
人間というものは、オギャーと生まれた途端、たくさんの資産がくっついてくるベイビーと、逆に借金がくっついてくるベイビーがいます。これを『親ガチャ』というのでしょう。
ただ、そのときに資産があっても、ぼーっとしていると、いつか資産は消えていきます。
慰問のコントで、定期預金をする話が出ますが、いまどき定期預金に利子はつかないのも同然ですから、新規で定期預金をする人はあまりいないと思います。投資信託か株式投資のたぐいが多い。
人のことを『ぼんくら』と呼ぶのはどうかと思いました。ふつうだったらけんかになります。
ぼんくら:まぬけ。人間のレベルが低い。まあ、主人公の宮路は、ぼんくらですが。(こんな人間とはかかわりあいになりたくない)
くわえて、老齢の女性を『ばあさん、ばあさん』と呼ぶのもいやな気持になりました。「ぼんくら」にしても「ばあさん」にしても、どちらにしても人を見下しています。(みくだしています)
季節は7月です。11月27日の30歳の誕生日に向けて、ぼんくらの宮路は、なにかを成し遂げたいらしい。30歳まで音楽をやって、芽が出なければ音楽で食べていく夢をあきらめるらしい。
彼女いない歴7年だそうです。あわせて、アルバイトの経験もないそうです。(こういう人っているのだろうなあ。男でも女でも)
宮路が高校1年生になったとき、父親が10万円のギターを宮路に買ってくれた。
ちょっと気になったセリフとして『あんまり男子で吹奏楽部入るやつっていなかったなと思って』(そうなのか。意外です。自分が中学生だった時はけっこう男子生徒が吹奏楽部にいました)
お金の面において、ギター弾きの主人公宮路とサックス吹きの渡部は正反対の家庭環境にあります。そのふたりがくっつくとは思い難い。
ペグ:ギターの弦をギターに取り付ける時に使用する糸巻きのような小さな器具
音階として:ABCDEFGは、ラ(A)シ(B)ド(C)レ(D)ミ(E)ファ(F)ソ(G)に対応する。
上を向いて歩こう:坂本九さんが歌っていた。
老後のことについて考える本だろうか。
入所者のみなさんは、金銭的には裕福そうです。金はある。使い切れないというコメントがあります。
されど、入所者に会いに来る家族や友人などはいない。
会話形式の文章で、話を進めていくスタイルです。
セットリスト:なんの曲を演奏するか決めるためのリストだそうです。一覧表。
102ページに書いてある絵のことは、このあとどんな伏線になるのだろう。(渡部が中学生の時にもらった絵。鉛筆画。リボンが風になびいているような絵。
(つづく)
読み終えました。
うーむ。高校生向けの読書感想文コンクールの課題図書なのですが、どうなのかなあ。
現代の高校生の生活に密着していないような内容でした。
29歳無職独身男性主人公宮路が老人ホームにいるのが場違いです。
29歳は、若い世代といるべき年齢です。とくに、いるとしたら、ちびっこたちと一緒です。
自分が29歳のときは、すでに乳幼児をかかえて、お金がなかったので、夫婦共働きでこどもたちを保育園に預けての送り迎えで、必死になって働いていました。ちいさい子って、病気ばっかりするんです。こどもが熱を出すと、どちらが仕事を休むかで夫婦げんかばかりしていました。
それにくらべて、この小説の主人公の宮路は、だめなやつです。
あわせて、読者にとって魅力的な主人公の個性設定ではありません。
お金があっても働いていない人は、社会では一人前には見られません。
伏線として、102ページの『鉛筆画「駅伝のたすき」』(渡部が中学卒業の時に駅伝部顧問の美術教師からもらった。
それからもうひとつ『タオル』がありました。
ウクレレ練習好きの本庄さんが認知症になったあたりの話は、いきなりの出来事で無理があり、筋立てとして、ぎくしゃくしていました。
シッカロール:ベビーパウダー。あせも、おむつかぶれ、ただれなどに使用する。
お金がある家に生まれた宮路の境遇について話があります。
お金でふりまわされる友人関係です。みんなのお財布的な存在です。たかられます。(金銭を要求される)
122ページに『だから俺は、できるだけ目立たないように過ごした……』とあります。悲しいことです。
登場する文学作品や楽曲は相当古いものです。今の高校生たちにはなじみがないので、読んでいてピンとくるか心配です。心に響かないのではないか。高齢者ならわかると思いますが、読者は、西暦2000年を過ぎてから生まれた人たちです。
あわせて、外国曲もわかりません。
渡部の天才的なサックス演奏だという披露が、読み始めた時は期待しましたが、結局ありませんでした。
91歳である水木のおばあさんに関して、いろいろと出来事やコメントがあります。
たぶん、この老人ホームに入所している人たちみんなに共通することとして、お金はありますが、見舞いに来てくれる友人も知人も親族もいません。
(水木おばあさんのセリフ)『もうすぐ死ぬのに貯金してどうすんだよ』
水木のおばあさんが本を買ってきてくれと宮路に頼みます。わたしなら『バカのすすめ 林家木久扇(はやしや・きくおう) ダイヤモンド社』と『水を縫う(みずをぬう) 寺地はるな 集英社』を買ってもっていきます。
(水木おばあさんのコメント)『(宮路はへたくそのくせにうぬぼれているとして)へたくそなギターに野太い声……ぞっとしたよ。みんながしらけているのに……』(宮路には、実際は音楽演奏も歌も下手くそなのに、自分はできていると思い込んでいる錯覚があります)
(水木おばあさんのコメント)『(自分が)老人ホームに入った時点で人生は終わった……』
後悔しない人生ってあるのだろうか。水木おばあさんは、自分の人生を後悔しているのではなかろうか。水木おばあさんは、宮路に、わたしみたいになるなと言いたいのではなかろうか。
ウクレレのコード(和音わおん)として、Cmシーマイナー B7ビーセブン
坂本九『心の瞳』知らない曲だったので、YouTubeで聴きました。御巣鷹の尾根(群馬県おすたかの尾根)への日航機墜落事故を思い出してしまいます。
自分は、リアルタイムでニュース放送を聞いていました。
1985年8月12日でした。ちょうど帰省していた九州の実家のテレビで見ました。
坂本九さんが乗客で亡くなって驚きと悲しみがありました。
読み終えて思ったことです。
29歳はまだまだです。
人生は長い。昔のフォークソングにあったように『きみのゆく道は果てしなく遠い』のです。
30歳から先、病気やけがや事故や事件など、次々とトラブルが訪れるのを乗り越えていかなきゃなりません。必ずトラブルは起きます。つきものです。トラブルは、日常生活にセットでついてきます。
世の中には、いつまでもこどもの世界にいる人と、早い年齢から、こどもの世界を抜ける人とがいるのでしょう。
タイトルの『その扉をたたく音』のメッセージは、扉をたたいてあげるから、いい歳(とし)してるんだから、いつまでもこどもの世界にいないで、こどもの世界を抜け出して、さっさと、おとなの世界に来なさい! というお叱りなのでしょう。
(その後)
本を読んで、上の感想を書いてから1週間ぐらいがたちました。
作者の意図(いと。おもわく。伝えたかったことのプラン)したことではないのかもしれませんが、亡くなった水木のおばあさんは、次のことも宮路に伝えたかったのだろうと新たな発想が生まれました。水木のおばあさんの「老人ホームに入ったとき、自分の人生は終わった」に続く言葉です。
『いま、お金がたくさんあっても自分は幸せじゃない。お金がたくさんあっても、使わなければないのと同じだ。節約に徹して、お金を使わなかったのは、心に不安があったからだ。自分を支えてくれるのは「人」ではなく「お金」だと信じるしかなかったからだ。宮路、おまえは、そんな人生を送るな』というアドバイスになるのです。
そうすると、音楽が好きなら音楽の仕事を続けて人間関係を広めよ。なにも演奏者だけが音楽の仕事じゃない。ほかにも音楽に関連する仕事はあるだろ。
夢を追え。そして、ちゃんとしろ。働いて、結婚して、家庭をもて。こどもを育てろ。お金を使え。自分のまわりに家族をもて。
思考は、そこまで広がりました。
読み始めました。
なんだか、さえない男性主人公です。
ギター弾き29歳無職の宮路(みやじ)が、老人ホームでなにかをしています。
自称ミュージシャンの施設入所高齢者慰問です。
自称ミュージシャンですから、年寄り向けの曲の演奏はしません。
自分のために演奏する人です。
大学を卒業して無職のまま7年が過ぎていたというのは、自慢にはなりません。
一般的には、音楽でメシは食えません。
楽器の演奏よりも、読み書き計算、パソコン操作、車の運転、営業、接客、企画立案実行の能力をもたねば働けません。合わせて、自己の健康管理(心のもちようも含めて)、仕事の管理を始めとした人間関係のコントロールもしていかねばなりません。なにせ金勘定が基本です。自分のお金の管理ができない人は、会社や組織のお金の管理はできません。身の回りの整理整とんもできなければなりません。
音楽だけで食べていける人は、音楽だけでしか食べていけなかったりもします。365日、24時間すべて、音楽のために時間を費やす人です。
芸術家というのは、これしかできないから打ち込むしかないのです。本人も気づいていて、逃げ場のない世界で必死に生きています。
宮路は、11月27日が30歳の誕生日だそうです。
宮路は思いやりのない人です。相手に、オレの音楽を聴かせてやっているという態度が伝わってきます。
グリーン・ディの曲:アメリカ合衆国のパンク・ロックバンドの曲を施設入所している高齢者に聴かせます。
音楽演奏者で生活していくことにあきらめがつかない自分なのに、あきらめない自分(ネバー・ギブアップ精神だぞと)のことを立派だとまわりに自慢したい人です。
どうやって生活しているのだろう。親の財産を食いつぶしているのだろうという予測しかありません。典型的なダメ人間です。
世の中には、五体満足で口が達者でも働けない人がいくらかいます。自慢話を聞かされても、過去になにかをやり遂げたという実績がない人なのです。そのことが判明すると、それまでそばにいた人は離れていきます。
サックスホーンのいい音色を(ねいろを)聴かせてくれるのが、老人ホーム男性職員の渡部(入所者からこうちゃんと呼ばれている。58ページに25歳とあります。祖母とふたり暮らしをしていると72ページに書いてあります)です。
されど彼は、音楽療法士というわけではありません。
演奏するのは、年寄り相手ですから、こどものころに学校で合唱した『ふるさと』のような日本童謡のような曲、あとは演歌です。
いいかげんそうな自称ギタリストの宮路が、老人ホーム職員の渡部をサックス演奏の神様だと、この本の読者に訴えるのです。
金曜日の午後2時30分が、老人ホームでのレクレーションの日時です。
レクレーション:休養と元気回復のための娯楽
宮路のひとり語りが続きます。
宮路は勝手に老人ホームを訪問しますが、たいていは、呼んでもいない部外者の訪問を老人ホームは断ります。なにかの事件の犯人になるかもしれませんから。
玄関は、認知症の高齢者がいつのまにか外へ出ていかないように施錠してあります。
読んでいて、施設には入りたくないと思う。
自分の希望は、在宅介護でお世話を受けながら、あの世に逝きたい。(いきたい)
(つづく)
半分ぐらい、102ページまで読みました。
渡部のサックスのうまさの話は、まだ盛り上がってきません。
主人公の宮路29歳無職自称ギタリストは、老人ホーム入所者である水木静江の息子という立場で施設へ出入りします。(ありえません。他人です。でも、施設は知っていて許容しています)
ほかに出てきたのが以下のメンバーです。
スタッフとして、前田、遠山
入所者として、12月2日が誕生日の今中のおじいさん。宮地からウクレレを習う本庄さん(本人は、ウクレレを小さなギターだと思い込んでいる)、3月が誕生日の八坂(やさか)のおばあさん、10月26日が誕生日の内田のおばあさん。
老人ホームの名称は『そよかぜ荘』です。3階建て。1階が事務室。デイサービス空間。2階が入所者10人。3階が自分のことを自分でできない入所者が6人。
親から毎月20万円の仕送りをもらっているひとり暮らしの主人公宮路29歳自称ギタリストです。
親は、土地持ち不動産収入有りなのか。それとも大企業の創始者とか、幹部社員とか、あるいは、医師とか弁護士とか、いずれにしても、親から見てやっかい者の息子だから、そばに置いておきたくないのでしょう。まあ、世間体も気になります。みっともない息子とは別居して、金だけは援助する親のパターンです。
働かなくても生活ができるということは、不幸ではないけれど、幸福ともいえません。
人間というものは、オギャーと生まれた途端、たくさんの資産がくっついてくるベイビーと、逆に借金がくっついてくるベイビーがいます。これを『親ガチャ』というのでしょう。
ただ、そのときに資産があっても、ぼーっとしていると、いつか資産は消えていきます。
慰問のコントで、定期預金をする話が出ますが、いまどき定期預金に利子はつかないのも同然ですから、新規で定期預金をする人はあまりいないと思います。投資信託か株式投資のたぐいが多い。
人のことを『ぼんくら』と呼ぶのはどうかと思いました。ふつうだったらけんかになります。
ぼんくら:まぬけ。人間のレベルが低い。まあ、主人公の宮路は、ぼんくらですが。(こんな人間とはかかわりあいになりたくない)
くわえて、老齢の女性を『ばあさん、ばあさん』と呼ぶのもいやな気持になりました。「ぼんくら」にしても「ばあさん」にしても、どちらにしても人を見下しています。(みくだしています)
季節は7月です。11月27日の30歳の誕生日に向けて、ぼんくらの宮路は、なにかを成し遂げたいらしい。30歳まで音楽をやって、芽が出なければ音楽で食べていく夢をあきらめるらしい。
彼女いない歴7年だそうです。あわせて、アルバイトの経験もないそうです。(こういう人っているのだろうなあ。男でも女でも)
宮路が高校1年生になったとき、父親が10万円のギターを宮路に買ってくれた。
ちょっと気になったセリフとして『あんまり男子で吹奏楽部入るやつっていなかったなと思って』(そうなのか。意外です。自分が中学生だった時はけっこう男子生徒が吹奏楽部にいました)
お金の面において、ギター弾きの主人公宮路とサックス吹きの渡部は正反対の家庭環境にあります。そのふたりがくっつくとは思い難い。
ペグ:ギターの弦をギターに取り付ける時に使用する糸巻きのような小さな器具
音階として:ABCDEFGは、ラ(A)シ(B)ド(C)レ(D)ミ(E)ファ(F)ソ(G)に対応する。
上を向いて歩こう:坂本九さんが歌っていた。
老後のことについて考える本だろうか。
入所者のみなさんは、金銭的には裕福そうです。金はある。使い切れないというコメントがあります。
されど、入所者に会いに来る家族や友人などはいない。
会話形式の文章で、話を進めていくスタイルです。
セットリスト:なんの曲を演奏するか決めるためのリストだそうです。一覧表。
102ページに書いてある絵のことは、このあとどんな伏線になるのだろう。(渡部が中学生の時にもらった絵。鉛筆画。リボンが風になびいているような絵。
(つづく)
読み終えました。
うーむ。高校生向けの読書感想文コンクールの課題図書なのですが、どうなのかなあ。
現代の高校生の生活に密着していないような内容でした。
29歳無職独身男性主人公宮路が老人ホームにいるのが場違いです。
29歳は、若い世代といるべき年齢です。とくに、いるとしたら、ちびっこたちと一緒です。
自分が29歳のときは、すでに乳幼児をかかえて、お金がなかったので、夫婦共働きでこどもたちを保育園に預けての送り迎えで、必死になって働いていました。ちいさい子って、病気ばっかりするんです。こどもが熱を出すと、どちらが仕事を休むかで夫婦げんかばかりしていました。
それにくらべて、この小説の主人公の宮路は、だめなやつです。
あわせて、読者にとって魅力的な主人公の個性設定ではありません。
お金があっても働いていない人は、社会では一人前には見られません。
伏線として、102ページの『鉛筆画「駅伝のたすき」』(渡部が中学卒業の時に駅伝部顧問の美術教師からもらった。
それからもうひとつ『タオル』がありました。
ウクレレ練習好きの本庄さんが認知症になったあたりの話は、いきなりの出来事で無理があり、筋立てとして、ぎくしゃくしていました。
シッカロール:ベビーパウダー。あせも、おむつかぶれ、ただれなどに使用する。
お金がある家に生まれた宮路の境遇について話があります。
お金でふりまわされる友人関係です。みんなのお財布的な存在です。たかられます。(金銭を要求される)
122ページに『だから俺は、できるだけ目立たないように過ごした……』とあります。悲しいことです。
登場する文学作品や楽曲は相当古いものです。今の高校生たちにはなじみがないので、読んでいてピンとくるか心配です。心に響かないのではないか。高齢者ならわかると思いますが、読者は、西暦2000年を過ぎてから生まれた人たちです。
あわせて、外国曲もわかりません。
渡部の天才的なサックス演奏だという披露が、読み始めた時は期待しましたが、結局ありませんでした。
91歳である水木のおばあさんに関して、いろいろと出来事やコメントがあります。
たぶん、この老人ホームに入所している人たちみんなに共通することとして、お金はありますが、見舞いに来てくれる友人も知人も親族もいません。
(水木おばあさんのセリフ)『もうすぐ死ぬのに貯金してどうすんだよ』
水木のおばあさんが本を買ってきてくれと宮路に頼みます。わたしなら『バカのすすめ 林家木久扇(はやしや・きくおう) ダイヤモンド社』と『水を縫う(みずをぬう) 寺地はるな 集英社』を買ってもっていきます。
(水木おばあさんのコメント)『(宮路はへたくそのくせにうぬぼれているとして)へたくそなギターに野太い声……ぞっとしたよ。みんながしらけているのに……』(宮路には、実際は音楽演奏も歌も下手くそなのに、自分はできていると思い込んでいる錯覚があります)
(水木おばあさんのコメント)『(自分が)老人ホームに入った時点で人生は終わった……』
後悔しない人生ってあるのだろうか。水木おばあさんは、自分の人生を後悔しているのではなかろうか。水木おばあさんは、宮路に、わたしみたいになるなと言いたいのではなかろうか。
ウクレレのコード(和音わおん)として、Cmシーマイナー B7ビーセブン
坂本九『心の瞳』知らない曲だったので、YouTubeで聴きました。御巣鷹の尾根(群馬県おすたかの尾根)への日航機墜落事故を思い出してしまいます。
自分は、リアルタイムでニュース放送を聞いていました。
1985年8月12日でした。ちょうど帰省していた九州の実家のテレビで見ました。
坂本九さんが乗客で亡くなって驚きと悲しみがありました。
読み終えて思ったことです。
29歳はまだまだです。
人生は長い。昔のフォークソングにあったように『きみのゆく道は果てしなく遠い』のです。
30歳から先、病気やけがや事故や事件など、次々とトラブルが訪れるのを乗り越えていかなきゃなりません。必ずトラブルは起きます。つきものです。トラブルは、日常生活にセットでついてきます。
世の中には、いつまでもこどもの世界にいる人と、早い年齢から、こどもの世界を抜ける人とがいるのでしょう。
タイトルの『その扉をたたく音』のメッセージは、扉をたたいてあげるから、いい歳(とし)してるんだから、いつまでもこどもの世界にいないで、こどもの世界を抜け出して、さっさと、おとなの世界に来なさい! というお叱りなのでしょう。
(その後)
本を読んで、上の感想を書いてから1週間ぐらいがたちました。
作者の意図(いと。おもわく。伝えたかったことのプラン)したことではないのかもしれませんが、亡くなった水木のおばあさんは、次のことも宮路に伝えたかったのだろうと新たな発想が生まれました。水木のおばあさんの「老人ホームに入ったとき、自分の人生は終わった」に続く言葉です。
『いま、お金がたくさんあっても自分は幸せじゃない。お金がたくさんあっても、使わなければないのと同じだ。節約に徹して、お金を使わなかったのは、心に不安があったからだ。自分を支えてくれるのは「人」ではなく「お金」だと信じるしかなかったからだ。宮路、おまえは、そんな人生を送るな』というアドバイスになるのです。
そうすると、音楽が好きなら音楽の仕事を続けて人間関係を広めよ。なにも演奏者だけが音楽の仕事じゃない。ほかにも音楽に関連する仕事はあるだろ。
夢を追え。そして、ちゃんとしろ。働いて、結婚して、家庭をもて。こどもを育てろ。お金を使え。自分のまわりに家族をもて。
思考は、そこまで広がりました。
2022年06月01日
セカイを科学せよ! 安田夏菜
セカイを科学せよ! 安田夏菜(やすだ・かな) 講談社
35ページまで読んだところで感想を書き始めます。
レアケース(あまり事例がないことがら)の話という印象を受けます。
日本人だけれど、ハーフなので、外国人の外見(がいけん)をしている。
外国人に見えるけれど、ほとんど日本育ちで、外国語はしゃべれない。
そんなことで、いろいろと困っている。
そんな中学生たちのお話のようです。
じっさいには、自分は、ハーフと呼ばれる人と会ったことがありません。テレビで見るだけです。
あまりない事例を主題にもってきている本が読書感想文の課題図書に選ばれる傾向にはあります。なにか、趣旨があるのでしょう。
14ページに両親の国籍が異なる夫婦に生まれたこどもの気持ちが書いてあります。自分は何者(ナニモノ)なのだろうという疑問と悩みがあります。
自分たちの世代は『ハーフ』とか『クォーター(4分の1)』と聞きましたが、今は『ダブル』とか『ミックス』とも言うようです。いずれも差別言葉になるのだろうか。相手を差別しているという実感はありません。
ふと、本のカバーを見たら、登場人物のことが書いてありました。
中学校の話です。本の中身のことも含めて、まとめて書いてみます。
堤中学校(つつみちゅうがっこう) 科学部電脳班(活動場所はパソコンルーム。校舎の3階にある) 3年生2人 2年生3人のところへ、山口アビゲイル華奈が転校して入部して、2年生が4人になります。
パソコンのタイピングとか操作を練習するクラブらしい。
本のカバーをめくると、裏表紙に登場人物の絵が描いてあります。なかなかいい。左手に虫メガネを持っているのが、山口アビゲイル華奈(はな)でしょう(アメリカ黒人系女子中学生)、山口アビゲイル華奈の右側で右手を上げているのが、藤堂ミハイル(ロシア系美男子王子さまのような顔)です。そのふたりの下で、やめてよ!言っているようなポーズをとっているのが、水野梨々花(みずの・りりか。藤堂ミハイルの幼なじみ)ですな。
藤堂ミハイル:中学2年生男子。父親は日本人、母親はロシア人(ロシアのウクライナ侵攻による戦争中の今、これを読むのはなにかしら微妙な気持ちになります)外見はイケメンでかっこいい。女子から王子さまとも呼ばれる中学2年生男子です。白人系の外国人に見られる。でも、顔はいいけれど、女子には無愛想(ぶあいそう)です。ねくらでクヨクヨしているタイプだそうです。
モスクワにロシア人のおじさんがいる。
自分は、日本人だと思っている。
おだやかで優しかった兄の話が出ますが、過去形です。(亡くなったのだろうか(読み続けて、どうも引きこもりに近いみたいです))(102ページに兄の名前が「ユーリー」で出てきます。藤堂ミハイルより4歳半ぐらい年上の兄はロシアの人になったようです。ロシアのウクライナ侵攻で戦争になっている今この本を読むと複雑な思いにかられます。二重国籍の人はたしか、二十歳になる頃ぐらいまでに、どちらかの国籍を選択するという国籍法の規定があったと思います。どちらかといえば和風の顔立ちをした植物が大好きだったお兄さんだそうです)
山口アビゲイル華奈(やまぐち・あびげいる・はな):中学2年生女子。転校生。藤堂ミハイルのクラスに入る。イメージとして、プロテニスプレーヤーの大坂なおみさんの容貌(ようぼう。姿形(すがたかたち))です。(たぶんアフリカ系アメリカ黒人の父親)と日本人母親のハーフ、肌はコーヒー色。がっちり体形。この子が、虫が好きなのです。変わっています。
以前、太川陽介さんと村井美樹さんの路線バスと鉄道の対決旅で、村井美樹さんチームに参加した女性タレント井上咲楽さん(いのうえ・さくらさん)の言動と重なる部分があります。(昆虫食が好きな人です。この本の設定にはないでしょうが、虫が大好きというところはよく似ています。ただ、食べるのが好きなのが井上咲楽さんです(61ページに虫を食べるような話が出て来ておやッと思いましたが、カナヘビがワラジムシを食べる話でした。だけど、山口アビゲイル華奈さんは、人間が食べるなら油で揚げると(あげる)のがいいと提案します))
『蟲(むし)』が好きだそうです。蟲は、昆虫以外の生きものを含むそうです。(クモ、ヘビ、カエルなど)
科学部生物班という所属に入ります。(活動場所は、理科準備室)たったひとりの班員です。
山口アビゲイル華奈の母方祖母は日本人で、高校の理科の先生だったそうです。そういえば、高校の授業科目で『生物』がありました。
水野梨々花(みずの・りりか):藤堂ミハイルと幼なじみだか、とくべつ恋人関係があるわけではなさそうです。水野梨々花は、地道な努力は嫌いで、派手なパフォーマンス(演技、披露)は好きな性格だそうです。和風美人顔だそうです。なんだか、この物語の登場人物はみんなかっこいい。マンガっぽい雰囲気ありです。
鎌田仁(かまた・じん):2年生男子。難関高校を目指して進学塾に通っている。つねに勉学優先。
大橋涼(おおはし・りょう):3年生男子。クラブ活動である科学部電脳班の部長。ツーブロックの頭髪(段差がある髪型)で、長身の優男(やさおとこ。上品ですらりとしているやさしげな男)
平尾杏美(ひらお・あずみ):3年生女子。クラブ活動である科学部電脳班の副部長。まじめだが、ふまじめな部員に愛想をつかしている。(あきれて、いやになっている)キノコみたいなショートヘアーで、メガネをかけている。
武田芽久(たけだ・めぐ):2年2組の新米担任教師。
笹本希実(ささもと・のぞみ):科学部電脳班所属の新一年生の新部員
北村ユーマ:アイドル出身の若手俳優。彼のペットがハエトリグモだそうです。
いわゆる物語の区切りである『章』が、蟲(むし)の名前です。
カミキリムシ→カナヘビ(これは、ヘビでしょう)→ワラジムシ(これは、微生物ではなかろうか(微生物ではありませんでした。ダンゴムシに似た虫でした))→カ(血を吸います)→ハエトリグモ(益虫えきちゅうだろうか)→ミジンコ(これも微生物ではなかろうか)→ミジンコの研究(ミジンコが好きなのね)→終章として、山口アビゲイル華奈(やまぐちアビゲイルはな。これは、人間です)
Ⅰ カミキリムシ(昆虫網甲虫目カミキリムシ科)
藤堂ミハイルのひとり語りで、物語が進んでいきます。
ときに、藤堂ミハイルの言葉が、愚痴に(ぐちに)聞こえて、読むのがイヤな気分になるときがあります。なにをぐずぐず文句ばっかり言っているんだと、読んでいて、あまりいい気持がしないのです。
29ページまで、読んできて、おもしろい。
自分も小学生の頃、林へカミキリムシを捕まえに行って、何匹も捕まえました。噛まれて痛い思いも体験しました。たしか、ゴマダラカミキリでした。
そうか、山口アビゲイル華奈は、蟲(むし)が好きで、藤堂ミハイルは、隠れ虫好き人間で、ふたりの間にラブが芽生えるのだな。この物語は。たぶん……(最後まで読んで、ラブらしき恋は芽生えませんでした)
(つづく)
Ⅱ カナヘビ(爬虫網有鱗目カナヘビ科)
いい感じの表現として『山口さんはボッチにもかかわらず、機嫌良さそうにしていた……(マイペースです。仲間はずれにされても、へこみません)』
カナヘビ:ネットで調べました。しっぽの長いトカゲですな。
山口アビゲイル華奈さんの意識は、蟲(むし)への愛情ですが、さらに、人類愛にまで達するものがあります。生き物を大切にしょうです。されど、いいわいいわのかわいがりではなく、弱肉強食の食物連鎖を受け入れる厳しさもあります。命に感謝しようです。
生きものの分類階級として、
カイモンコーモクカーゾクシュ!
界・門・網・目・科・属・種
Ⅲ ワラジムシ(軟甲網等脚目ワラジムシ科)
ワラジムシ:ネットで調べました。ダンゴムシみたいですが、ダンゴムシではない。体の前後がとんがっている。足が14本もある。
ちなみに、藤堂ミハイルは、幼稚園の時にダンゴムシが大好きだったそうです。
ほう、そうなのかと納得させられた山口アビゲイル華奈の言葉です。
『カナヘビは人間みたいに、毎日食べなくていいの。三日か四日に一回くらい』
『(カナヘビにワラジムシを食べさせたあと)はい、ワラジムシの命は、カナヘビの体にお引越ししました』
読んでいて思ったことです。
今、自分がつくって推敲している(すいこう。見直し)しているこどもさん向けの短い物語作品『へんてこりんとはなんだろう』とこの物語の本題、主題、趣旨、メッセージが重なります。
へんてこりん=個性で、各自が生まれ持った自分の根っこである『個性』を生かしながらまっすぐに生きていきましょうというのがつくり手からのメッセージです。自分の根っこである『個性』を否定せずに肯定(こうてい。そのとおりだと思う)して前進すれば道は開かれるのです。
Ⅳ(よん) カ(昆虫網ハエ目カ科)
山口アビゲイル華奈が、理科準備室に蚊の幼虫であるボウフラを持ち込みます。当然、騒動がもちあがります。
されど、読んでいると、ボウフラが可愛く思えてくるのです。錯覚でしょうか。心優しい人は、ボウフラに愛着を抱くでしょう。
オニボウフラ:蚊のさなぎだそうです。
なるほどとうなったのが、蚊の能力の高さです。
熱感知センサーと二酸化炭素センサーと汗の成分を感知するセンサーが備わっているそうです。みっつのセンサーを駆使して、人間の手のひらから逃げ回り、しぶとく人間の血を吸うのです。そして、産卵をして、命を次世代へとつなぐのです。たいしたものです。たいした根性です。
蚊を嫌うのは、人間の都合で、人間の勝手なのです。
山口アビゲイル華奈の理屈です。
正解です。同意します。
話はなんだか、山口アビゲイル華奈への「いじめ」の方向へと移っていきます。
ルーペが見つかりません。(山口アビゲイル華奈の亡くなった日本人母方祖母の形見)
自分も昔、職場で大事なものを上司に隠されて、くそったれと思ったことを思い出しました。もういちど、くそったれです。いじめ、ハンターイ!
もうたぶんその上司は、天国へ召されているぐらいの年齢ですからこの世にはいないでしょう。
それはさておき、山口アビゲイル華奈の大事なルーペはどこへ隠されたのか。探さねばなりません。
セイタカアワダチソウという黄色い花を咲かせる日本では迷惑だとされている植物の話が出ます。雑草ですから生命力は強い。
昔、若い頃、職場で仲が良かった同世代の同僚から、自分たちは貧乏人の部類に入る人間だけれど、ふたりで雑草のように、強くたくましく生きて働いて行こう!と提案されて賛同したことがあります。踏まれても踏まれても立ち上がる雑草魂でがんばろうということです。ふたりともがんばりすぎて、体を壊して、歳をとってしまいました。
ロシアの北方領土占有とか、ウクライナの文字も出てきます。
読んでいて、現実の出来事と重なって、ビミョーな雰囲気になります。
藤堂ミハイルの兄であるユーリーは、ロシア軍で働くと主張しています。
バイリンガル:幼児期に覚えた2か国語を話せる人。
Ⅴ(ご) ハエトリグモ(クモ網クモ目ハエトリグモ科)
山口アビゲイル華奈のいい言葉があります。『自力で、全力で泣き止みました(なきやみました)』そうだ! がんばれ!!
ピレスロイド:殺虫剤の成分
山口アビゲイル華奈の優しいおばあちゃんの話があります。(おばあちゃんは高校の理科の先生だった)
キーワード(鍵になる言葉)は『三十七兆個の細胞』(意味は自分で本を読んで理解してください)
戦争なんかやめようというメッセージが含まれています。
ワラダン:ワラジムシとダンゴムシの曲
便所バエとチョウバエ:昔、建物管理の仕事をしていたときに、トイレとか下水溝に発生するチョウバエの数を確認して(捕虫器を設置する)、衛生管理に気をつけていたことを思い出しました。
山口アビゲイル華奈を嫌う人がいます。たぶん複数います。虫が嫌いだから彼女が嫌いということもあります。ハーフだからどうこうとなると問題があります。見た目で標準規格からはずれた者を除外するのは根拠のない差別です。
山口アビゲイル華奈のひとりクラブ科学部生物班の活動を停止しなさいと教頭先生から圧力がかかります。
背の高いやせたおばさんに見える女性校長もからんできます。
ふたりとも意地悪です。
こんな先生がいるとは思えません。
いばっている先生はよく見かけます。
校長から条件が提示されました。
『科学とは、物事の本質について考察して、その考えの正確さをデータや論理で検証すること』だそうです。何かテーマを決めて研究・検証した結果を校長に示しなさいということなのでしょう。
Ⅵ(ろく) ミジンコ(さいきゃく網双殻目ミジンコ科)
ちょっとややこしい話になります。
山口アビゲイル華奈のアフリカ系アメリカ人でシステムエンジニア(SE)の父親は、結婚していて妻子もいたのに山口アビゲイル華奈の母親と付き合って山口アビゲイル華奈が生まれて、さらに、今回、山口アビゲイル華奈の母親は山口アビゲイル華奈の実父以外の男性と結婚したのです。本では『まま父』と書いてあります。まま母は聞いたことがありますが、まま父は初めて聞きました。
そのいわゆる継父(けいふ)が、虫がにがてなのです。
そして、山口アビゲイル華奈は実父と会ったことがありません。
そこからさらに、メスだけで子孫を遺す(のこす)生き物がいるお話につながっていきます。ミジンコです。『単為生殖(たんいせいしょく)』
たしか、ミミズもそんなふうだった記憶です。1匹の体の中にオスとメスの部分がある。『雌雄同体(しゆうどうたい)』
ハリウッドスターの『ウィル・スミス』が出てきます。
なんというか、この本には、予知能力があります。
2021年10月の発行ですが、ロシアとウクライナの記事がありますし、ウィル・スミスは、米国アカデミー賞の授賞式で平手打ちの暴力トラブルを起こしています。
さらに、藤堂ミハイルの兄がホームセンターで働いていて、その後やめています。地方自治体から誤って振込みされた多額の新型コロナウィルス対策臨時特別給付金を返還せずに、ネットカジノで使ってしまった事件を思い出します。犯人がホームセンターで働いていました。
偶然とはいえびっくりしました。
山口アビゲイル華奈の悲しい生い立ちの話があります。
人生はバラ色ではありません。
たしか邦画『男はつらいよ』に出てくるフーテンの寅さんも腹違い(はらちがい。母親違い)の寅さんが(とらさんが)、異母妹のさくらさんとからみます。
昔は、異母兄弟というのはよく聞きました。養子とか養女とか、お妾さん(おめかけさん)ということもよくありました。複雑な生い立ちをもつこどもがいました。異母兄弟姉妹というのは、仲が悪いというわけでなく、じっさいは、仲がいい人が多いという印象をもった記憶があります。
今は、こどもの数自体が減りました。
K W H M カナヘビ ワラジムシ ハエトリグモ ミジンコ
山口アビゲイル華奈は、研究のテーマをミジンコにしました。単為生殖だからだそうです。彼女は父親なしの母方家系の母子家庭です。
仮説を立てる。仮説は、仮定であって、理論的に成立している内容です。
ミジンコの心拍数を調べる。
仮説の主題として『ミジンコの心拍数は、1分間に300回ぐらい』
部員たちは、そのことを証明するために一生懸命になります。
お金がないからお金はかけられません。
お金がなくても知恵があれば、実行できるときもあります。
192ページまで読んできて、逆境に負けずに気持ちを強くもって生きていこうという作者からのメッセージがだんだん弱くなっていく文脈になってきた感覚が自分にあります。
理由は、理屈っぽいからです。
感動を生むには、理屈よりも感情優先のほうがいい。
虫=自分たちの存在(二重国籍のハーフ)
世間から、異質なものとされる。
標準からはずれた存在。
どちらかといえば、いやがれる存在。例として、植物のホテイアオイとかセイタカアワダチソウとか。
セアカゴケグモとか、カミツキガメとか、ヒアリもそう。
いわゆる外来種。
外来種は、雑種なのか。
山口アビゲイル華奈から提示があります。人間はひとつなのです。『哺乳網霊長目ヒト科ヒト属ホモ・サピエンス種』
クラウド(クラウド・コンピューティング):インターネットを通じて、サービスを利用する。ソフトウェアの利用。データの保存、共有。コミュニケーションのツール(道具)など。
(つづく)
読み終えました。
最後の方の章は、Ⅶ(しち)として、「ミジンコの研究」、最終章として「山口アビゲイル華奈(はな)」でした。
なんというか、最後のほうに向かって、尻すぼみでした。
前半でばらまいた伏線(種たね)の回収がうまくいっておらず、わかりにくいまとめになっています。
① 国籍差別問題「主に(おもに)見た目で判断されて誤解される」 ②二重国籍者の意識問題「自分はナニモノ」 ③虫に関する科学のこと。検証と研究
それらが、うまくかみ合わさっていません。
お話がわかりにくい。
事実を最初は隠してあとから出すよりも、初めから明らかにして進行していくほうがわかりやすかった。
中学生は、まだ、中学生です。
一般的には人生体験が少ないので、読んでもなんのことか実感が湧かないでしょう。
スマホを活用できている。あるいは、利用している中学生の数が多いとは思えません。お金がかかる話です。見ためだけができているように見えるだけです。
おとなでも同様で、大部分の人は、キーボードを見ないでタッチタイピングすることはできないし、ワードやエクセル、パワーポイントを使いこなせる人はそれほど多くはありません。
グリセリン:アルコールの一種。粘りがあるので、今回の実験で使いやすい。自分はお店で売っているのを見たことがありませんが、ネットで買えるようです。お化粧に使うことができるようです。
シチー:ロシア料理。キャベツを下地にしたスープ
USB:ユニバーサル・シリアル・バス。パソコン本体と機器をつなぐ規格。USBケーブルがある。
パソコンのそばに液体(麦茶)を置く行為は、自分には信じられません。
パソコンが水をかぶれば処理していたデータはパーになって、パソコンもパーになります。
以前、パソコンのそばにコーヒーカップを置いていた人がカップを倒して、パソコンにコーヒーがぶちまけられて、パソコンがだめになったことがありました。いろいろとびっくりしました。
ペリメニ:ロシア料理。水餃子(すいぎょうざ)に似ている。
キンカメ:キンキラに光カメムシ。そういえば、去年の今ごろに、カメムシの本を読みました。『わたしたちのカメムシずかん やっかいものが宝ものになった話 鈴木海花(すずき・かいか)・文 はた こうしろう・絵 福音館』でした。岩手県の小学生たちが、自分たちの町にいるカメムシの種類などを調べて図鑑をつくるのです。読書メモをふりかえって読むと『カメムシもまた地球にすむ家族なのです。』という自分のコメントが残っていました。
アビゲイル:アビゲイルの解説は無理やりなこじつけのような気がしました。アビゲイル=父の喜び。山口アビゲイル華奈の出生に関する父親の喜びが「アビゲイル」です。
既婚者の男(山口アビゲイル華奈の生物学上の父親)が、愛人との間にこどもができたとして、既婚の父親は、子の誕生を喜ぶだろうか。いいえです。たいてい、妊娠判明の時点から、すさまじくもめます。
わたしは、自分が結婚して妻が妊娠して、こどもが生まれる直前ぐらいに『こんな自分でも親になれるのだ』という深くて大きな喜びを体感しました。とてもうれしかった。最初のこどもでしたから、一生に1回しか味わうことができない大切な喜びだと感じました。
だから、自分は、できちゃった婚というのは、もったいないと思うのです。一生に1回しか味わえない喜びを味わえなくなるのです。
こどもができたから男が責任をとるような形で結婚するのはいいのだろうか。
こどもにとっても迷惑だと思うのです。こどもができたからではなくて、ちゃんと当事者(男女)同士が愛情を確認し合って結婚したほうがいい。それから生活を安定させて、こどもに誕生してもらったほうがいい。
先日車を運転していて、たまたまラジオから流れてきた人生相談の内容です。できちゃった婚をした女性から、夫婦関係がうまくいっていない。別れようかどうしようか迷っているというものでした。
『本質を追求する』ということで終わりを迎えているお話でした。
むずかしい。いいこともあればそうでないこともある。
本質に背を向けて、今を楽しむという生き方もあります。
なにが幸せな状態なのかを自分で決めて楽しむ。
ロシアのことわざがときおり出ます。
ピロシキ:東ヨーロッパ地方の総菜パン(そうざいぱん。中に調理済みの食品が入っている)調理パン。
18ページ『飢えは叔母さんではないから、ピロシキをくれたりしない』(困った時は自分でなんとかしろ)
87ページ『言葉はスズメではないから、飛び立ったら捕まえられない』(一度口に出した言葉は取り消せない。言葉には注意しろ)そうだろうか。いくらでも言い直しをする人はいますし、そんなこと言ったことないとしらばっくれる人もいます。(知らないふりをする)
218ページ『おでこより高いところに耳は生えてこない』(だれにでも限界はある)
キャラバン:砂漠を進む商人の関係者一団。キャラバン隊。
『犬が吠え(ほえ)、風が伝える。それでもキャラバンは進む』(人の言うことは気にするな。ただ前を見て進め)うーむ。そうかもしれない。ただ、人が離れていきます。
いずれのことわざも極端すぎるような気がします。物事には二面性があり、バランスのとりかたが大事です。
35ページまで読んだところで感想を書き始めます。
レアケース(あまり事例がないことがら)の話という印象を受けます。
日本人だけれど、ハーフなので、外国人の外見(がいけん)をしている。
外国人に見えるけれど、ほとんど日本育ちで、外国語はしゃべれない。
そんなことで、いろいろと困っている。
そんな中学生たちのお話のようです。
じっさいには、自分は、ハーフと呼ばれる人と会ったことがありません。テレビで見るだけです。
あまりない事例を主題にもってきている本が読書感想文の課題図書に選ばれる傾向にはあります。なにか、趣旨があるのでしょう。
14ページに両親の国籍が異なる夫婦に生まれたこどもの気持ちが書いてあります。自分は何者(ナニモノ)なのだろうという疑問と悩みがあります。
自分たちの世代は『ハーフ』とか『クォーター(4分の1)』と聞きましたが、今は『ダブル』とか『ミックス』とも言うようです。いずれも差別言葉になるのだろうか。相手を差別しているという実感はありません。
ふと、本のカバーを見たら、登場人物のことが書いてありました。
中学校の話です。本の中身のことも含めて、まとめて書いてみます。
堤中学校(つつみちゅうがっこう) 科学部電脳班(活動場所はパソコンルーム。校舎の3階にある) 3年生2人 2年生3人のところへ、山口アビゲイル華奈が転校して入部して、2年生が4人になります。
パソコンのタイピングとか操作を練習するクラブらしい。
本のカバーをめくると、裏表紙に登場人物の絵が描いてあります。なかなかいい。左手に虫メガネを持っているのが、山口アビゲイル華奈(はな)でしょう(アメリカ黒人系女子中学生)、山口アビゲイル華奈の右側で右手を上げているのが、藤堂ミハイル(ロシア系美男子王子さまのような顔)です。そのふたりの下で、やめてよ!言っているようなポーズをとっているのが、水野梨々花(みずの・りりか。藤堂ミハイルの幼なじみ)ですな。
藤堂ミハイル:中学2年生男子。父親は日本人、母親はロシア人(ロシアのウクライナ侵攻による戦争中の今、これを読むのはなにかしら微妙な気持ちになります)外見はイケメンでかっこいい。女子から王子さまとも呼ばれる中学2年生男子です。白人系の外国人に見られる。でも、顔はいいけれど、女子には無愛想(ぶあいそう)です。ねくらでクヨクヨしているタイプだそうです。
モスクワにロシア人のおじさんがいる。
自分は、日本人だと思っている。
おだやかで優しかった兄の話が出ますが、過去形です。(亡くなったのだろうか(読み続けて、どうも引きこもりに近いみたいです))(102ページに兄の名前が「ユーリー」で出てきます。藤堂ミハイルより4歳半ぐらい年上の兄はロシアの人になったようです。ロシアのウクライナ侵攻で戦争になっている今この本を読むと複雑な思いにかられます。二重国籍の人はたしか、二十歳になる頃ぐらいまでに、どちらかの国籍を選択するという国籍法の規定があったと思います。どちらかといえば和風の顔立ちをした植物が大好きだったお兄さんだそうです)
山口アビゲイル華奈(やまぐち・あびげいる・はな):中学2年生女子。転校生。藤堂ミハイルのクラスに入る。イメージとして、プロテニスプレーヤーの大坂なおみさんの容貌(ようぼう。姿形(すがたかたち))です。(たぶんアフリカ系アメリカ黒人の父親)と日本人母親のハーフ、肌はコーヒー色。がっちり体形。この子が、虫が好きなのです。変わっています。
以前、太川陽介さんと村井美樹さんの路線バスと鉄道の対決旅で、村井美樹さんチームに参加した女性タレント井上咲楽さん(いのうえ・さくらさん)の言動と重なる部分があります。(昆虫食が好きな人です。この本の設定にはないでしょうが、虫が大好きというところはよく似ています。ただ、食べるのが好きなのが井上咲楽さんです(61ページに虫を食べるような話が出て来ておやッと思いましたが、カナヘビがワラジムシを食べる話でした。だけど、山口アビゲイル華奈さんは、人間が食べるなら油で揚げると(あげる)のがいいと提案します))
『蟲(むし)』が好きだそうです。蟲は、昆虫以外の生きものを含むそうです。(クモ、ヘビ、カエルなど)
科学部生物班という所属に入ります。(活動場所は、理科準備室)たったひとりの班員です。
山口アビゲイル華奈の母方祖母は日本人で、高校の理科の先生だったそうです。そういえば、高校の授業科目で『生物』がありました。
水野梨々花(みずの・りりか):藤堂ミハイルと幼なじみだか、とくべつ恋人関係があるわけではなさそうです。水野梨々花は、地道な努力は嫌いで、派手なパフォーマンス(演技、披露)は好きな性格だそうです。和風美人顔だそうです。なんだか、この物語の登場人物はみんなかっこいい。マンガっぽい雰囲気ありです。
鎌田仁(かまた・じん):2年生男子。難関高校を目指して進学塾に通っている。つねに勉学優先。
大橋涼(おおはし・りょう):3年生男子。クラブ活動である科学部電脳班の部長。ツーブロックの頭髪(段差がある髪型)で、長身の優男(やさおとこ。上品ですらりとしているやさしげな男)
平尾杏美(ひらお・あずみ):3年生女子。クラブ活動である科学部電脳班の副部長。まじめだが、ふまじめな部員に愛想をつかしている。(あきれて、いやになっている)キノコみたいなショートヘアーで、メガネをかけている。
武田芽久(たけだ・めぐ):2年2組の新米担任教師。
笹本希実(ささもと・のぞみ):科学部電脳班所属の新一年生の新部員
北村ユーマ:アイドル出身の若手俳優。彼のペットがハエトリグモだそうです。
いわゆる物語の区切りである『章』が、蟲(むし)の名前です。
カミキリムシ→カナヘビ(これは、ヘビでしょう)→ワラジムシ(これは、微生物ではなかろうか(微生物ではありませんでした。ダンゴムシに似た虫でした))→カ(血を吸います)→ハエトリグモ(益虫えきちゅうだろうか)→ミジンコ(これも微生物ではなかろうか)→ミジンコの研究(ミジンコが好きなのね)→終章として、山口アビゲイル華奈(やまぐちアビゲイルはな。これは、人間です)
Ⅰ カミキリムシ(昆虫網甲虫目カミキリムシ科)
藤堂ミハイルのひとり語りで、物語が進んでいきます。
ときに、藤堂ミハイルの言葉が、愚痴に(ぐちに)聞こえて、読むのがイヤな気分になるときがあります。なにをぐずぐず文句ばっかり言っているんだと、読んでいて、あまりいい気持がしないのです。
29ページまで、読んできて、おもしろい。
自分も小学生の頃、林へカミキリムシを捕まえに行って、何匹も捕まえました。噛まれて痛い思いも体験しました。たしか、ゴマダラカミキリでした。
そうか、山口アビゲイル華奈は、蟲(むし)が好きで、藤堂ミハイルは、隠れ虫好き人間で、ふたりの間にラブが芽生えるのだな。この物語は。たぶん……(最後まで読んで、ラブらしき恋は芽生えませんでした)
(つづく)
Ⅱ カナヘビ(爬虫網有鱗目カナヘビ科)
いい感じの表現として『山口さんはボッチにもかかわらず、機嫌良さそうにしていた……(マイペースです。仲間はずれにされても、へこみません)』
カナヘビ:ネットで調べました。しっぽの長いトカゲですな。
山口アビゲイル華奈さんの意識は、蟲(むし)への愛情ですが、さらに、人類愛にまで達するものがあります。生き物を大切にしょうです。されど、いいわいいわのかわいがりではなく、弱肉強食の食物連鎖を受け入れる厳しさもあります。命に感謝しようです。
生きものの分類階級として、
カイモンコーモクカーゾクシュ!
界・門・網・目・科・属・種
Ⅲ ワラジムシ(軟甲網等脚目ワラジムシ科)
ワラジムシ:ネットで調べました。ダンゴムシみたいですが、ダンゴムシではない。体の前後がとんがっている。足が14本もある。
ちなみに、藤堂ミハイルは、幼稚園の時にダンゴムシが大好きだったそうです。
ほう、そうなのかと納得させられた山口アビゲイル華奈の言葉です。
『カナヘビは人間みたいに、毎日食べなくていいの。三日か四日に一回くらい』
『(カナヘビにワラジムシを食べさせたあと)はい、ワラジムシの命は、カナヘビの体にお引越ししました』
読んでいて思ったことです。
今、自分がつくって推敲している(すいこう。見直し)しているこどもさん向けの短い物語作品『へんてこりんとはなんだろう』とこの物語の本題、主題、趣旨、メッセージが重なります。
へんてこりん=個性で、各自が生まれ持った自分の根っこである『個性』を生かしながらまっすぐに生きていきましょうというのがつくり手からのメッセージです。自分の根っこである『個性』を否定せずに肯定(こうてい。そのとおりだと思う)して前進すれば道は開かれるのです。
Ⅳ(よん) カ(昆虫網ハエ目カ科)
山口アビゲイル華奈が、理科準備室に蚊の幼虫であるボウフラを持ち込みます。当然、騒動がもちあがります。
されど、読んでいると、ボウフラが可愛く思えてくるのです。錯覚でしょうか。心優しい人は、ボウフラに愛着を抱くでしょう。
オニボウフラ:蚊のさなぎだそうです。
なるほどとうなったのが、蚊の能力の高さです。
熱感知センサーと二酸化炭素センサーと汗の成分を感知するセンサーが備わっているそうです。みっつのセンサーを駆使して、人間の手のひらから逃げ回り、しぶとく人間の血を吸うのです。そして、産卵をして、命を次世代へとつなぐのです。たいしたものです。たいした根性です。
蚊を嫌うのは、人間の都合で、人間の勝手なのです。
山口アビゲイル華奈の理屈です。
正解です。同意します。
話はなんだか、山口アビゲイル華奈への「いじめ」の方向へと移っていきます。
ルーペが見つかりません。(山口アビゲイル華奈の亡くなった日本人母方祖母の形見)
自分も昔、職場で大事なものを上司に隠されて、くそったれと思ったことを思い出しました。もういちど、くそったれです。いじめ、ハンターイ!
もうたぶんその上司は、天国へ召されているぐらいの年齢ですからこの世にはいないでしょう。
それはさておき、山口アビゲイル華奈の大事なルーペはどこへ隠されたのか。探さねばなりません。
セイタカアワダチソウという黄色い花を咲かせる日本では迷惑だとされている植物の話が出ます。雑草ですから生命力は強い。
昔、若い頃、職場で仲が良かった同世代の同僚から、自分たちは貧乏人の部類に入る人間だけれど、ふたりで雑草のように、強くたくましく生きて働いて行こう!と提案されて賛同したことがあります。踏まれても踏まれても立ち上がる雑草魂でがんばろうということです。ふたりともがんばりすぎて、体を壊して、歳をとってしまいました。
ロシアの北方領土占有とか、ウクライナの文字も出てきます。
読んでいて、現実の出来事と重なって、ビミョーな雰囲気になります。
藤堂ミハイルの兄であるユーリーは、ロシア軍で働くと主張しています。
バイリンガル:幼児期に覚えた2か国語を話せる人。
Ⅴ(ご) ハエトリグモ(クモ網クモ目ハエトリグモ科)
山口アビゲイル華奈のいい言葉があります。『自力で、全力で泣き止みました(なきやみました)』そうだ! がんばれ!!
ピレスロイド:殺虫剤の成分
山口アビゲイル華奈の優しいおばあちゃんの話があります。(おばあちゃんは高校の理科の先生だった)
キーワード(鍵になる言葉)は『三十七兆個の細胞』(意味は自分で本を読んで理解してください)
戦争なんかやめようというメッセージが含まれています。
ワラダン:ワラジムシとダンゴムシの曲
便所バエとチョウバエ:昔、建物管理の仕事をしていたときに、トイレとか下水溝に発生するチョウバエの数を確認して(捕虫器を設置する)、衛生管理に気をつけていたことを思い出しました。
山口アビゲイル華奈を嫌う人がいます。たぶん複数います。虫が嫌いだから彼女が嫌いということもあります。ハーフだからどうこうとなると問題があります。見た目で標準規格からはずれた者を除外するのは根拠のない差別です。
山口アビゲイル華奈のひとりクラブ科学部生物班の活動を停止しなさいと教頭先生から圧力がかかります。
背の高いやせたおばさんに見える女性校長もからんできます。
ふたりとも意地悪です。
こんな先生がいるとは思えません。
いばっている先生はよく見かけます。
校長から条件が提示されました。
『科学とは、物事の本質について考察して、その考えの正確さをデータや論理で検証すること』だそうです。何かテーマを決めて研究・検証した結果を校長に示しなさいということなのでしょう。
Ⅵ(ろく) ミジンコ(さいきゃく網双殻目ミジンコ科)
ちょっとややこしい話になります。
山口アビゲイル華奈のアフリカ系アメリカ人でシステムエンジニア(SE)の父親は、結婚していて妻子もいたのに山口アビゲイル華奈の母親と付き合って山口アビゲイル華奈が生まれて、さらに、今回、山口アビゲイル華奈の母親は山口アビゲイル華奈の実父以外の男性と結婚したのです。本では『まま父』と書いてあります。まま母は聞いたことがありますが、まま父は初めて聞きました。
そのいわゆる継父(けいふ)が、虫がにがてなのです。
そして、山口アビゲイル華奈は実父と会ったことがありません。
そこからさらに、メスだけで子孫を遺す(のこす)生き物がいるお話につながっていきます。ミジンコです。『単為生殖(たんいせいしょく)』
たしか、ミミズもそんなふうだった記憶です。1匹の体の中にオスとメスの部分がある。『雌雄同体(しゆうどうたい)』
ハリウッドスターの『ウィル・スミス』が出てきます。
なんというか、この本には、予知能力があります。
2021年10月の発行ですが、ロシアとウクライナの記事がありますし、ウィル・スミスは、米国アカデミー賞の授賞式で平手打ちの暴力トラブルを起こしています。
さらに、藤堂ミハイルの兄がホームセンターで働いていて、その後やめています。地方自治体から誤って振込みされた多額の新型コロナウィルス対策臨時特別給付金を返還せずに、ネットカジノで使ってしまった事件を思い出します。犯人がホームセンターで働いていました。
偶然とはいえびっくりしました。
山口アビゲイル華奈の悲しい生い立ちの話があります。
人生はバラ色ではありません。
たしか邦画『男はつらいよ』に出てくるフーテンの寅さんも腹違い(はらちがい。母親違い)の寅さんが(とらさんが)、異母妹のさくらさんとからみます。
昔は、異母兄弟というのはよく聞きました。養子とか養女とか、お妾さん(おめかけさん)ということもよくありました。複雑な生い立ちをもつこどもがいました。異母兄弟姉妹というのは、仲が悪いというわけでなく、じっさいは、仲がいい人が多いという印象をもった記憶があります。
今は、こどもの数自体が減りました。
K W H M カナヘビ ワラジムシ ハエトリグモ ミジンコ
山口アビゲイル華奈は、研究のテーマをミジンコにしました。単為生殖だからだそうです。彼女は父親なしの母方家系の母子家庭です。
仮説を立てる。仮説は、仮定であって、理論的に成立している内容です。
ミジンコの心拍数を調べる。
仮説の主題として『ミジンコの心拍数は、1分間に300回ぐらい』
部員たちは、そのことを証明するために一生懸命になります。
お金がないからお金はかけられません。
お金がなくても知恵があれば、実行できるときもあります。
192ページまで読んできて、逆境に負けずに気持ちを強くもって生きていこうという作者からのメッセージがだんだん弱くなっていく文脈になってきた感覚が自分にあります。
理由は、理屈っぽいからです。
感動を生むには、理屈よりも感情優先のほうがいい。
虫=自分たちの存在(二重国籍のハーフ)
世間から、異質なものとされる。
標準からはずれた存在。
どちらかといえば、いやがれる存在。例として、植物のホテイアオイとかセイタカアワダチソウとか。
セアカゴケグモとか、カミツキガメとか、ヒアリもそう。
いわゆる外来種。
外来種は、雑種なのか。
山口アビゲイル華奈から提示があります。人間はひとつなのです。『哺乳網霊長目ヒト科ヒト属ホモ・サピエンス種』
クラウド(クラウド・コンピューティング):インターネットを通じて、サービスを利用する。ソフトウェアの利用。データの保存、共有。コミュニケーションのツール(道具)など。
(つづく)
読み終えました。
最後の方の章は、Ⅶ(しち)として、「ミジンコの研究」、最終章として「山口アビゲイル華奈(はな)」でした。
なんというか、最後のほうに向かって、尻すぼみでした。
前半でばらまいた伏線(種たね)の回収がうまくいっておらず、わかりにくいまとめになっています。
① 国籍差別問題「主に(おもに)見た目で判断されて誤解される」 ②二重国籍者の意識問題「自分はナニモノ」 ③虫に関する科学のこと。検証と研究
それらが、うまくかみ合わさっていません。
お話がわかりにくい。
事実を最初は隠してあとから出すよりも、初めから明らかにして進行していくほうがわかりやすかった。
中学生は、まだ、中学生です。
一般的には人生体験が少ないので、読んでもなんのことか実感が湧かないでしょう。
スマホを活用できている。あるいは、利用している中学生の数が多いとは思えません。お金がかかる話です。見ためだけができているように見えるだけです。
おとなでも同様で、大部分の人は、キーボードを見ないでタッチタイピングすることはできないし、ワードやエクセル、パワーポイントを使いこなせる人はそれほど多くはありません。
グリセリン:アルコールの一種。粘りがあるので、今回の実験で使いやすい。自分はお店で売っているのを見たことがありませんが、ネットで買えるようです。お化粧に使うことができるようです。
シチー:ロシア料理。キャベツを下地にしたスープ
USB:ユニバーサル・シリアル・バス。パソコン本体と機器をつなぐ規格。USBケーブルがある。
パソコンのそばに液体(麦茶)を置く行為は、自分には信じられません。
パソコンが水をかぶれば処理していたデータはパーになって、パソコンもパーになります。
以前、パソコンのそばにコーヒーカップを置いていた人がカップを倒して、パソコンにコーヒーがぶちまけられて、パソコンがだめになったことがありました。いろいろとびっくりしました。
ペリメニ:ロシア料理。水餃子(すいぎょうざ)に似ている。
キンカメ:キンキラに光カメムシ。そういえば、去年の今ごろに、カメムシの本を読みました。『わたしたちのカメムシずかん やっかいものが宝ものになった話 鈴木海花(すずき・かいか)・文 はた こうしろう・絵 福音館』でした。岩手県の小学生たちが、自分たちの町にいるカメムシの種類などを調べて図鑑をつくるのです。読書メモをふりかえって読むと『カメムシもまた地球にすむ家族なのです。』という自分のコメントが残っていました。
アビゲイル:アビゲイルの解説は無理やりなこじつけのような気がしました。アビゲイル=父の喜び。山口アビゲイル華奈の出生に関する父親の喜びが「アビゲイル」です。
既婚者の男(山口アビゲイル華奈の生物学上の父親)が、愛人との間にこどもができたとして、既婚の父親は、子の誕生を喜ぶだろうか。いいえです。たいてい、妊娠判明の時点から、すさまじくもめます。
わたしは、自分が結婚して妻が妊娠して、こどもが生まれる直前ぐらいに『こんな自分でも親になれるのだ』という深くて大きな喜びを体感しました。とてもうれしかった。最初のこどもでしたから、一生に1回しか味わうことができない大切な喜びだと感じました。
だから、自分は、できちゃった婚というのは、もったいないと思うのです。一生に1回しか味わえない喜びを味わえなくなるのです。
こどもができたから男が責任をとるような形で結婚するのはいいのだろうか。
こどもにとっても迷惑だと思うのです。こどもができたからではなくて、ちゃんと当事者(男女)同士が愛情を確認し合って結婚したほうがいい。それから生活を安定させて、こどもに誕生してもらったほうがいい。
先日車を運転していて、たまたまラジオから流れてきた人生相談の内容です。できちゃった婚をした女性から、夫婦関係がうまくいっていない。別れようかどうしようか迷っているというものでした。
『本質を追求する』ということで終わりを迎えているお話でした。
むずかしい。いいこともあればそうでないこともある。
本質に背を向けて、今を楽しむという生き方もあります。
なにが幸せな状態なのかを自分で決めて楽しむ。
ロシアのことわざがときおり出ます。
ピロシキ:東ヨーロッパ地方の総菜パン(そうざいぱん。中に調理済みの食品が入っている)調理パン。
18ページ『飢えは叔母さんではないから、ピロシキをくれたりしない』(困った時は自分でなんとかしろ)
87ページ『言葉はスズメではないから、飛び立ったら捕まえられない』(一度口に出した言葉は取り消せない。言葉には注意しろ)そうだろうか。いくらでも言い直しをする人はいますし、そんなこと言ったことないとしらばっくれる人もいます。(知らないふりをする)
218ページ『おでこより高いところに耳は生えてこない』(だれにでも限界はある)
キャラバン:砂漠を進む商人の関係者一団。キャラバン隊。
『犬が吠え(ほえ)、風が伝える。それでもキャラバンは進む』(人の言うことは気にするな。ただ前を見て進め)うーむ。そうかもしれない。ただ、人が離れていきます。
いずれのことわざも極端すぎるような気がします。物事には二面性があり、バランスのとりかたが大事です。
2022年05月31日
海を見た日 M・G・ヘネシー
海を見た日 M・G・ヘネシー/作 杉田七重(すぎた・ななえ)/訳 すずき出版
本のカバーにある文を読むと、孤児を扱った内容のようです。
ずいぶん、日常生活から離れた話題だなという第一印象でした。
非常に少ないケースについてのお話を読書感想文の課題図書にすることの是非(ぜひ。適切なのかそうでないのか)について、しばし思いにふけました。今回このパターンの選択で選ばれた本が多い。
ちょっと手間がかかる本に見えます。
自分は、物心(ものごころ)がついたこどものころから本読みが好きですが、読解力(どっかいりょく。本の内容を正しく把握して理解する)はたいしたことはありません。勘違いもけっこう多い。
力不足なので、メモをしたり、読み返したりして、ていねいに読むことを心がけています。
この本は読みこめるだろうか。ちょっと心配になってきました。
読書感想文を書くということは、とてもむずかしいことです。
だれもがすいすいと書けるわけではありません。むしろ、きちんと文章をかける人(こどもさんはとくに)のほうが少ない。
されど、本を読むことで、心が救われるということはあります。心の支えとなってくれる本との出会いもあります。そんなチャンスを失わないように、本のガイドブックとなるような文章をこどもたちに提供したいと思っています。
登場人物たちが、ひとりずつ、かわるがわる、一人称で自分語りをしながら、物語が進行していくシステムです。(まず、全体を1ページずつゆっくりめくりながら、最後のページまで到達してみました)。
ひとり語りのリレーパターンです。
アメリカ合衆国内の話です。
孤児たちが里親に預けられています。(作者あとがきに、ロサンゼルスの福祉制度で3万人ぐらいのこどもたちが里親制度を利用しているとありました)
役所もからんでいます。(ケースワーカー:ひとつひとつの事例のアドバイザー(助言者。支援者。良き方向へコントロールしてくれる人)のようなもの)
以下、ひとりのアメリカ合衆国への移民であるロシア人女性里親に預けられている孤児たちなどです。
クエンティン:男の子。もうすぐ11歳(237ページ)アスペルガー症候群がある。人と話すことがむずかしい。どう行動すればいいのか本人がわからなくなることがある。機械仕掛けの人形みたいな動きをする。ロボットのよう。
『ベビー・バック・リブ、ベビー・バック・リブ、ベビー・バック・リブ』としゃべる。ベビー・バックは、CM(シーエム。コマーシャル)に出てくるロースの骨付き肉のこと。あとは『ママ』と言う。『ママに会いたい』学校では、特別支援の先生が必要となる。『うち』『幌馬車隊』ともつぶやく。(ママの名前は227ページに『エマ・ノックス』とあります)
同じく里子(さとご)である同部屋のヴィクから『Q』と呼ばれる。
クエンティンは、服を着たまま、靴をはいたまま、二段ベッドの下で夜寝る二段ベッドの上には、ヴィクが寝ているが、ヴィクはいつもなにかぶつぶつしゃべっている。自分はスパイだ。活動中だという架空の空想物語を語り続けている。
クエンティンの家は『トーランス(カリフォルニア州ロサンゼルスにある都市。ロスアンジェルス群で一番安全な町らしい)メープル通り619番地』にある。母親が病気で、こどもの養育ができないらしい。(母親は、人を閉じ込めておく施設のようなところにいるらしい(トーランス・メモリアルという名称の病院でした))
ヴィク(ヴィクトリオ・キンテロ):11歳。小学5年生。里親のところにヴィクを迎えに来るかもしれない親の存在あり。
ヴィクは、自分は、アメリカ合衆国政府のもとで、8歳以下のスパイグループ(DEEC。デルタ・エリート・イーグル・コープス)に属してスパイとして(秘密情報を自分の組織に流す)働いていると思い込んでいる。上司の名前が、バクスター司令官。
父親は南米エルサルバドル出身で、現在は同国の刑務所で収監されている。(しゅうかん。入れられている)という設定で、ヴィクの頭の中で父親の存在がある。
エルサルバドルの公用語はスペイン語。
ヴィクは、ローガン通り小学校に通っている。(理由はわかりませんが、小学校には、中学二年生までが在学しているそうです)
薬を服用している。(ADHD:注意欠陥・多動性障害)
クエンティンをクエンティンのママに会わせるという強い意思をもつ。
ナヴェイア(ミス・パーカー(名字みょうじ)):のっぽの黒人の女の子。13歳。中学2年生。ヤングケアラーみたいに、自分の年下の孤児たち(血縁関係はない)のめんどうをみている。自分も孤児。ヴィクとマーラのめんどうをジェイダとみている。11年間で7軒引越した。(里親が変わった)
大学に行きたい希望が強い。大学に行くために、今はいろいろと我慢している。
将来の希望として、大学に入るまで里親ミセス・Kの家に居たい。奨学金をもらって、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)に入学したい。医師になりたい(お金で苦労する生活とはさよならしたいからという理由もある)
高校は、ベルモント・ハイスクールに通うつもりである。
将来は自分の家を持つ。猫を飼う。
2歳で母が死去。父は不明。自分のことは自分でやるしかないと思っている。
去年の10月に今の里親ミセス・Kのところに来た。
代数(だいすう):数学の一分野(いちぶんや)。数の代わりに文字を使う。a、b、c、dとか、xとか、yとか。
パルクール:スポーツの種目? 走る、跳ぶ、登る。
ジェイダ:女子。弟あり。ナヴェイアの相棒。
マーラ:里子の小さな女の子。8歳(112ページに記事あり)ラテンアメリカ系の人種。目が大きい。黒い巻き毛がもじゃもじゃ。髪の毛が伸びている。ヴィクとは違う学校に通っている。静かな女の子。あまりしゃべらない。しゃべるときはスペイン語でしゃべる。
ブエノ?(スペイン語で、元気?)
以下、スペイン語です。
ドンデ・バイス?(どこへ行くの?)
マーラは、去年の9月に今の里親ミセス・Kのところに来た。
アズール(青色) アマリージョ(黄色) ロッホ(赤色)
数の1、2、3が、ウノ、ドス、トレス。
ドーラ:ドーラと一緒に大冒険の映画に出てくるおかっぱ頭(マッシュルームカット)の女の子。
ラ・エクスプロラドラ:冒険者
メ・グスタ・ドーラ・タンビエン:わたしもドーラが好き。
ノルテ:北
ラ・プラヤ:ビーチ(海の砂浜)
ポニス:子馬のポニー。マーラは、ポニーに乗りたい。
ポル・ファボール:お願い!
ピングイノス:ペンギン
ガ・ファス・デ・ソル:サングラス
ケ・パサ?:どうしたの?
テ・キエロ・ミ・ヴィクトリオ:愛してるわ、わたしのヴィクトリオ。
ミ・ファミリア:オレの家族
ミセス・K:ロシアからの移民。こどもたちの里親女性でロシア人。養母。正式な名は、ミセス・クズネツオフだが、言いにくいので、ミセス・Kとこどもたちには呼ばれている。けっこう歳をとっている。
クエンティンが言うには「への字口(くち)の女の人」
ロサンゼルス滞在歴20年。雇われ仕事をしている。勤務時間が不規則で長そう。
夫は亡くなった。夫の好物がミートローフだった。
こどもがほしかったが、夫との間に、こどもができなかった。こどもが好きだから里親になることを申し込んだ。
アリーヤー:孤児ではない。両親あり。美人。人気者。豪邸に住んでいる。家に巨大スクリーンのテレビがある。ケースワーカーのミズ・ジュディと仲良し。
ミズ・ジュディ:ケースワーカーになったばかり。クエンティンが言うには「くちピンクの人」
数ページ読んで、ふと思う。
親がいても、ひどい親のときがあって、そんな親ならいないほうがましというときもある。
ミセス・コルボーン:学校の用務員
マリオ:以前、里子としていた少年。14歳だった。ヴィックと同室だった。
レッドバインズ:赤いキャンディ。
ミスター・ペプルス:クエンティンが飼っていたペット、たぶん犬の名前。
(つづく)
タイトル『海を見た日』は、生まれて初めて海を見た日のことをいうのだろうか。(読み終えた時にわかったのですが、284ページに訳者のあとがきがあり、そこで原題の説明がなされています)
カバーにある英文タイトルらしきもの『The Echo Park Castaways』は、読み始めたいまのところ意味をとれません。エコーパークというのは場所の固有名詞「エコー公園」だろうか。Castawaysは、「捨て子」という意味にとりました。(18ページに、「このあたりエコーパーク」という文章が出てきました)エコーパークという地域に住む里親に預けられているこどもたちというのが、原題書名の意味なのでしょう。エコーパークは、ロサンゼルスの貧困地帯に属するそうです。(あとでわかりますが、夜はぶっそうです。酒とケンカ、カーレースで車がスピンしているそうです)
カバーには、浜辺を歩く4人の少年少女の姿があります。
後ろから二番目を歩いている背の低い髪の毛もじゃもじゃの女の子が、マーラでしょう。
一番後ろを歩く女の子が、のっぽの黒人の女の子であるナヴェイアでしょう。
さらにその前を歩く男子ふたりが、クエンティンとヴィクでしょう。どちらがだれということはわかりません。
ロサンゼルスのフォスターケア制度:里親制度。虐待する親からの分離。親が養育できないこどもの受け入れ。一時的な預かり。
五月のメモリアルデーまでは、白い服とか白いズボンは着てはいけないそうです。なんのこっちゃいな。(クエンティンの語りです)
五月のメモリアルデーとは何?:5月31日アメリカ合衆国戦没者追悼記念日。5月の最終月曜日が祝日になる。
(上を書いてからその後付け足した記事として:たまたまきょうがメモリアルデーであることを知りました。日本時間は5月31日火曜日朝です。アメリカ合衆国は、時差があるので、日本の5月30日夜から31日朝にかけてが、5月30日の昼間です。「米国株式市場は、本日はメモリアルデーなので休場です」という記事をたまたま目にしました)
セフォラ:フランスの化粧品・香水店
ヨーダ:映画「スター・ウォーズ」に登場する人物。
44ページ『裕福な家に生まれれば、安楽な人生が送れる』→裕福な家が永久に裕福であるという保障はありません。ぼーっとしていたら、財産はなくなってしまいます。
里親の分析・批評があります。
里親になるのは、①宗教にのめりこんでいる人 ②金目当ての人(役所から養育費が支給されるようです。だから、こどもを複数預かる。今だと、ひとり13万円ぐらい支給される) ③こどもが好きな人
ミュージカル「アニー」の原作:小さな孤児アニー
ウェルカムセンター:ちょっとよくわかりませんが、日本で言うところの「児童相談所」だろうかと想像しました。(279ページの作者あとがきに説明があります。ロサンゼルスにあった施設の名称だそうです。問題があって、2016年に閉鎖されたそうです。こどもを長期間とめおいたことがいけなかったそうです)
児童家庭サービス:これも役所の組織っぽい。
児童家庭センター:これも役所か。
49ページ付近を読んでいます。
悲しい思いをしているこどもたちの独り言(ひとりごと)が聞こえてきます。
だれかに聞いて欲しいのだろう。
読者に向けて、ぶつぶつつぶやいています。
ミス・マネーペニー:スパイ映画『007シリーズ』に登場する女性。
この物語をよりよく理解するためには、洋画『スター・ウォーズ』を観たことがある体験が必要です。
75ページ付近を読んでいます。
なかなか悲惨な状況が続きます。
オレゴン・トレイル:シュミレーション・ゲーム(仮想体験ゲーム)。アメリカ合衆国の西部開拓時代を素材にしたコンピューターゲーム。
2012年に映画館で観た洋画『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』を思い出します。脳に障害がある少年の物語でした。オスカー・シェル10歳が主人公という自分の鑑賞記録が残っています。
スロッピージョー:料理の名前。ひき肉にトマトソースとスパイスに味付けがしてある。
CIA(シーアイエー):アメリカ合衆国中央情報局。アメリカ合衆国の安全保障のために情報を収集・処理・分析する組織。
ドゥカティ:イタリアのオートバイメーカー
クエンティン、ヴィク、マーラ、ナヴェイアの4人は、クエンティンの母親が入院している病院をめざすことになりました。
路線バス、そして、地下鉄に乗ります。
グリンチ:アメリカ合衆国の児童向け絵本のキャラクター。緑色の体と顔をしている。
ドーラといっしょに大冒険:アメリカ合衆国の冒険映画。
ヒル・アンド・ファースト:地名。
ピットブル:犬。闘犬みたいで怖そうな犬(物語の中ではホームレスといっしょにいる犬。犬の名前が「ガス」)
(読みながらですが、知らない言葉が次々と出てきます。読づらくて、意味を調べることが大変なのですが、意味がわかるとお話の内容が見えてきて楽しい気分になります)
イングルウッド:ロサンゼルス南西部にある都市。
ホームレス:住居の無い人
マリポサ/ナッシュ駅:ロサンゼルスメトロの駅。ナッシュストリートとマリポサアベニューにある。
(つづく)
277ページあるうちの243ページまで読みました。
なかなかいい。
クライマックスは盛り上がります。(ここに内容は書きません)
外国作品です。映画化されるといいなと思いました。
まだ読み終えていませんが、今年読んで良かった一冊です。
結末はこれから読みます。
レドンドビーチ:ロサンゼルスにあるビーチ(砂浜海岸)
パブリック・リレーションズ:企業、団体、個人が、世論の支持を得られるように行う活動。
リヴィエラ・ヴィレッジ露天市:ビーチにある市場
チュロス:揚げ菓子。スペイン、ポルトガル、モロッコ、キューバなど、ラテンアメリカ各国で食べられている。
マカロニチーズ:ゆでたマカロニをチーズソースでからめたもの。
ジオード(晶洞石しょうどうせき):水晶にある空洞。
心に響いた言葉として、
(ナヴェイア)『わたしたちは、ひとりでやっていかないといけないの。だれもわたしたちのことはいらない……』
(ナヴェイアがヴィクに向かって)『それに、少なくともあんたの父親は生きている。わたしのお母さんは死んでいて、お父さんはだれかもわからない……』
(ナヴェイアがヴィクに言ってはいけなかった言葉として)『ねぇ、ヴィク、妄想(もうそう)の世界でずっと生きていくことはできないんだよ』
(クエンティンの笑いながら叫んだ言葉)『オナカスッキリ! ナヤミスッキリ!』
(ナヴェイア)『これが海。わたしの生きる世界に、こんなにも、こんなにも美しいものがあった……』
(ナヴェイア)『わたしたちのあいだをへだててた壁に、大きな突破口があいたような。』
(ヴィク)『かあちゃんはオレが赤ん坊のときに死んだ……(死んだ原因は出産時の難産にあるらしい)』そのあとの、亡き母を思うヴィクの語りにしんみりきます。(心にしみる)そして、6歳すぎの頃、父親も姿を消します。(ヴィクはそれから、仮想の世界で生きることにしたのです)
(ナヴィア)本当の親子じゃないから、里親の名前のスペル(アルファベットのつづり)を知らない。ほかに3人いる里子の誕生日も知らないというショックと嘆き。
(ナヴィア)『考え方を変えたの』
(ヴィク)『だれかに体を乗っ取られたような気がしたから……』
(ヴィク)『(里親の)ミセス・Kもすごくさみしいにちがいない。友だちや親戚もいない……』
(ヴィク)『“もっといいところ”なんてない。みんなここがいいんだ』
スター・ウォーズのタトゥイーンの宇宙港モス・アイズリーの酒場:そういうシーンがありました。
クエンティンが背負うリュックの隠しポケットの中から、病院で入院しているママが入れてくれた<緊急事態のときにつかう5ドル>が出てきました。
邦画『ALWAYS 三丁目の夕日』に似たようなシーンがありました。思い出すと泣けます。薬師丸ひろ子さんが演じるおかあさんが、小学生の息子である一平のセーターのひじつぎあてに、お守りを忍ばせてくれたシーンがありました。お守りの中には、いざというときに使うお金が入っていました。一平はそのお金でピンチを克服しました。
ヴィクは生まれてから一度も海を観たことがありません。(ゆえに、海を見た時に感動します)
集団の動きをコントロールしてきたナヴェイアの気持ちに変化が生まれます。『抑制、抑圧、否定』から『許容、許可、だめをやめる』です。
これはこうしなければならないというしばりをときます。
心にゆとりが生まれます。ふだんは、追われているような気分で生活をしていました。
気分がおだやかでリラックスしています。
海を見て、心が広くなりました。
ナヴェイアも海を見るのは生まれて初めてです。『これが、海』という頭の中での考えがあります。
(旅先で、美しい景色を見ると、今までがんばって生きてきて良かったと思うことがあります)
R2-D2:スター・ウォーズに出てくるロボットキャラクター。さまざまな機能を兼ね備えた優秀なロボット。キャタピラー付きの三本足で移動する。親友が人型ロボットのC-3PO(シースリーピーオー)
レイア姫:スター・ウォーズに出てくる女性キャラクター。
里子だったシルヴィアとアーニャは、ハイスクール入学と同時に里子の契約が切れた。
ナヴェイアはそのことを知らなかった。ナヴェイアの精神状態は不安定になります。
215ページからのヴィクの語りは、胸に深く刺さる内容です。
6歳の時、父親と一緒にガレージ(車庫)で暮らしていたから始まります。人間扱いされていない父子の生活がありました。血縁関係がある親族からも冷たくされます。
自分の読書歴を振り返ってみると、貧しきアメリカ合衆国の人たちはみな、カリフォルニア州を目指して移動します。
カリフォルニア州の豊かさを求めるのです。
『怒りの葡萄』スタインベック作品がありました。
シピティオ:トラブルメーカー(トラブルをつくる人)
スパニエル犬(けん):鳥猟犬(とりをとる猟犬りょうけん)の種類
ブラックパンサー:アメリカ合衆国の映画
読んでいて、クエンティンのママは自殺なのかと思いました。(違いました。本を読んでください)
親も里子(さとご)だった。
貧困の連鎖があります。
虐待された親は、自分の子を虐待する。
ふつう、親になると、自分が育てられたように子を育てます。
親のやり方がわからないという親は多い。
『ニューファミリー』をつくる。
自分が恵まれないこども時代を送るこどもは、自分がおとなになって、ちゃんとした自分の家族をつくろうと思い努力する。
ちゃんとやってくれない親に期待しても報われない。(むくわれない。いい結果にはつながらない)
親に捨てられた子は、親をすてるぐらいの気持ちでやっていけばいい。
そこまで思わせてくれる説得力があります。
(映画化されるといいな。邦画でもいい。日本人に置き換えてもいい)
『物語』が必要なこどもたちがいます。
恵まれない環境を一時的にでも忘れるために架空の世界へ逃げ込むための『物語』が必要なのです。
みんなは、みんなで、課題を克服しました。
仲良く暮らす。
協力して生活する。
血がつながっていなくても『家族』になる。
こどもには『未来』がある。
やりかたしだいで『未来』は明るくも暗くもなる。
作者からは、強いメッセージが発信されています。
血がつながっていなくても『家族になろうよ』です。
読み終えて、達成感と爽快感(そうかいかん)がありました。
中学生が本の内容を理解するには人生体験不足でしょう。
<役者あとがきから心に響いた文節として>
「house(ハウス)」と区別して「home(ホーム)」
ホームは、家族とともに安心して暮らし、くつろぎを与えてくれる場。
もうすぐ11歳になる男子であるクエンティンは、自閉症とされています。
同じく自閉症の青年の本を読んだことを思い出しました。
『跳びはねる思考 東田直樹 イースト・プレス』『自閉症の僕が跳びはねる理由 東田直樹 エスコアール』この二冊を思い出しました。
見た目は障害者なのですが、脳の中身は普通なのです。
読んだ時の自分のコメントが残っています。
<常識の枠を破って、世界観が広がる本です。会話ができない自閉症である著者が自らは意識をもっていることを証明しています。その知能レベルは高い。22歳同年齢の健常者以上です。奇跡を感じます。驚きました。
彼が使用しているのは、1枚のペーパーのような文字盤でした。アルファベットを指でさして意思表示をするのです。シンプルです。文字による会話の最後に必ず「おわり」が入ります。読書の途中からその「おわり」の部分は意識して読まないようにしました。そのほうが読みやすい。
こどもの頃は、つらくて苦しいことばかりだったとあります。挨拶は苦手でできない。
行動を自分でコントロールできない。フラッシュバック(突然過去の嫌だったことが脳によみがえる)で、体が勝手に跳びはねる。
ストレス解消法は乗り物に乗ること。時間と空間の感覚の旅ができるそうです。悲しいとか、つらいとかいう感情から解放されるそうです。
家族からの声かけは、光そのものだった。自身は、別の世界から現実の出来事を見ているような感覚がある。
カラオケが好き。会話はできなくてもカラオケはできる自閉症患者さんはいるそうです。彼は、音楽と文学の重要性を説きます。
心に残ったフレーズとして、「明日に希望を求めるのではなく、今日のやり直しを明日行う。」それから、「僕が流した涙と同じくらい、家族も泣いてくれた。」心優しい人です。類似集団にレッテルを張るのではなく、ひとりの個人としてみる。>
以前施設入所中の障害者多数を殺傷する事件がありましたが、東田直樹さんの本を読むと本当のことがわかるのです。(障害者の心の中にある風景と気持ち)
<原稿は、筆談、パソコンで作成されています。障害者が何を考えながら生活を送っているのかがわかる本です。病気で、意識、認識なく生きているという見方は間違っていることがわかります。書中にある言葉、見かけだけで判断しないでくださいが、胸に突き刺さります。何のために人としてこの世に生まれたのだろうという言葉も重い。感情がないのではなく、感情はある。知能が低いのではなく、知能はある。>
本のカバーにある文を読むと、孤児を扱った内容のようです。
ずいぶん、日常生活から離れた話題だなという第一印象でした。
非常に少ないケースについてのお話を読書感想文の課題図書にすることの是非(ぜひ。適切なのかそうでないのか)について、しばし思いにふけました。今回このパターンの選択で選ばれた本が多い。
ちょっと手間がかかる本に見えます。
自分は、物心(ものごころ)がついたこどものころから本読みが好きですが、読解力(どっかいりょく。本の内容を正しく把握して理解する)はたいしたことはありません。勘違いもけっこう多い。
力不足なので、メモをしたり、読み返したりして、ていねいに読むことを心がけています。
この本は読みこめるだろうか。ちょっと心配になってきました。
読書感想文を書くということは、とてもむずかしいことです。
だれもがすいすいと書けるわけではありません。むしろ、きちんと文章をかける人(こどもさんはとくに)のほうが少ない。
されど、本を読むことで、心が救われるということはあります。心の支えとなってくれる本との出会いもあります。そんなチャンスを失わないように、本のガイドブックとなるような文章をこどもたちに提供したいと思っています。
登場人物たちが、ひとりずつ、かわるがわる、一人称で自分語りをしながら、物語が進行していくシステムです。(まず、全体を1ページずつゆっくりめくりながら、最後のページまで到達してみました)。
ひとり語りのリレーパターンです。
アメリカ合衆国内の話です。
孤児たちが里親に預けられています。(作者あとがきに、ロサンゼルスの福祉制度で3万人ぐらいのこどもたちが里親制度を利用しているとありました)
役所もからんでいます。(ケースワーカー:ひとつひとつの事例のアドバイザー(助言者。支援者。良き方向へコントロールしてくれる人)のようなもの)
以下、ひとりのアメリカ合衆国への移民であるロシア人女性里親に預けられている孤児たちなどです。
クエンティン:男の子。もうすぐ11歳(237ページ)アスペルガー症候群がある。人と話すことがむずかしい。どう行動すればいいのか本人がわからなくなることがある。機械仕掛けの人形みたいな動きをする。ロボットのよう。
『ベビー・バック・リブ、ベビー・バック・リブ、ベビー・バック・リブ』としゃべる。ベビー・バックは、CM(シーエム。コマーシャル)に出てくるロースの骨付き肉のこと。あとは『ママ』と言う。『ママに会いたい』学校では、特別支援の先生が必要となる。『うち』『幌馬車隊』ともつぶやく。(ママの名前は227ページに『エマ・ノックス』とあります)
同じく里子(さとご)である同部屋のヴィクから『Q』と呼ばれる。
クエンティンは、服を着たまま、靴をはいたまま、二段ベッドの下で夜寝る二段ベッドの上には、ヴィクが寝ているが、ヴィクはいつもなにかぶつぶつしゃべっている。自分はスパイだ。活動中だという架空の空想物語を語り続けている。
クエンティンの家は『トーランス(カリフォルニア州ロサンゼルスにある都市。ロスアンジェルス群で一番安全な町らしい)メープル通り619番地』にある。母親が病気で、こどもの養育ができないらしい。(母親は、人を閉じ込めておく施設のようなところにいるらしい(トーランス・メモリアルという名称の病院でした))
ヴィク(ヴィクトリオ・キンテロ):11歳。小学5年生。里親のところにヴィクを迎えに来るかもしれない親の存在あり。
ヴィクは、自分は、アメリカ合衆国政府のもとで、8歳以下のスパイグループ(DEEC。デルタ・エリート・イーグル・コープス)に属してスパイとして(秘密情報を自分の組織に流す)働いていると思い込んでいる。上司の名前が、バクスター司令官。
父親は南米エルサルバドル出身で、現在は同国の刑務所で収監されている。(しゅうかん。入れられている)という設定で、ヴィクの頭の中で父親の存在がある。
エルサルバドルの公用語はスペイン語。
ヴィクは、ローガン通り小学校に通っている。(理由はわかりませんが、小学校には、中学二年生までが在学しているそうです)
薬を服用している。(ADHD:注意欠陥・多動性障害)
クエンティンをクエンティンのママに会わせるという強い意思をもつ。
ナヴェイア(ミス・パーカー(名字みょうじ)):のっぽの黒人の女の子。13歳。中学2年生。ヤングケアラーみたいに、自分の年下の孤児たち(血縁関係はない)のめんどうをみている。自分も孤児。ヴィクとマーラのめんどうをジェイダとみている。11年間で7軒引越した。(里親が変わった)
大学に行きたい希望が強い。大学に行くために、今はいろいろと我慢している。
将来の希望として、大学に入るまで里親ミセス・Kの家に居たい。奨学金をもらって、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)に入学したい。医師になりたい(お金で苦労する生活とはさよならしたいからという理由もある)
高校は、ベルモント・ハイスクールに通うつもりである。
将来は自分の家を持つ。猫を飼う。
2歳で母が死去。父は不明。自分のことは自分でやるしかないと思っている。
去年の10月に今の里親ミセス・Kのところに来た。
代数(だいすう):数学の一分野(いちぶんや)。数の代わりに文字を使う。a、b、c、dとか、xとか、yとか。
パルクール:スポーツの種目? 走る、跳ぶ、登る。
ジェイダ:女子。弟あり。ナヴェイアの相棒。
マーラ:里子の小さな女の子。8歳(112ページに記事あり)ラテンアメリカ系の人種。目が大きい。黒い巻き毛がもじゃもじゃ。髪の毛が伸びている。ヴィクとは違う学校に通っている。静かな女の子。あまりしゃべらない。しゃべるときはスペイン語でしゃべる。
ブエノ?(スペイン語で、元気?)
以下、スペイン語です。
ドンデ・バイス?(どこへ行くの?)
マーラは、去年の9月に今の里親ミセス・Kのところに来た。
アズール(青色) アマリージョ(黄色) ロッホ(赤色)
数の1、2、3が、ウノ、ドス、トレス。
ドーラ:ドーラと一緒に大冒険の映画に出てくるおかっぱ頭(マッシュルームカット)の女の子。
ラ・エクスプロラドラ:冒険者
メ・グスタ・ドーラ・タンビエン:わたしもドーラが好き。
ノルテ:北
ラ・プラヤ:ビーチ(海の砂浜)
ポニス:子馬のポニー。マーラは、ポニーに乗りたい。
ポル・ファボール:お願い!
ピングイノス:ペンギン
ガ・ファス・デ・ソル:サングラス
ケ・パサ?:どうしたの?
テ・キエロ・ミ・ヴィクトリオ:愛してるわ、わたしのヴィクトリオ。
ミ・ファミリア:オレの家族
ミセス・K:ロシアからの移民。こどもたちの里親女性でロシア人。養母。正式な名は、ミセス・クズネツオフだが、言いにくいので、ミセス・Kとこどもたちには呼ばれている。けっこう歳をとっている。
クエンティンが言うには「への字口(くち)の女の人」
ロサンゼルス滞在歴20年。雇われ仕事をしている。勤務時間が不規則で長そう。
夫は亡くなった。夫の好物がミートローフだった。
こどもがほしかったが、夫との間に、こどもができなかった。こどもが好きだから里親になることを申し込んだ。
アリーヤー:孤児ではない。両親あり。美人。人気者。豪邸に住んでいる。家に巨大スクリーンのテレビがある。ケースワーカーのミズ・ジュディと仲良し。
ミズ・ジュディ:ケースワーカーになったばかり。クエンティンが言うには「くちピンクの人」
数ページ読んで、ふと思う。
親がいても、ひどい親のときがあって、そんな親ならいないほうがましというときもある。
ミセス・コルボーン:学校の用務員
マリオ:以前、里子としていた少年。14歳だった。ヴィックと同室だった。
レッドバインズ:赤いキャンディ。
ミスター・ペプルス:クエンティンが飼っていたペット、たぶん犬の名前。
(つづく)
タイトル『海を見た日』は、生まれて初めて海を見た日のことをいうのだろうか。(読み終えた時にわかったのですが、284ページに訳者のあとがきがあり、そこで原題の説明がなされています)
カバーにある英文タイトルらしきもの『The Echo Park Castaways』は、読み始めたいまのところ意味をとれません。エコーパークというのは場所の固有名詞「エコー公園」だろうか。Castawaysは、「捨て子」という意味にとりました。(18ページに、「このあたりエコーパーク」という文章が出てきました)エコーパークという地域に住む里親に預けられているこどもたちというのが、原題書名の意味なのでしょう。エコーパークは、ロサンゼルスの貧困地帯に属するそうです。(あとでわかりますが、夜はぶっそうです。酒とケンカ、カーレースで車がスピンしているそうです)
カバーには、浜辺を歩く4人の少年少女の姿があります。
後ろから二番目を歩いている背の低い髪の毛もじゃもじゃの女の子が、マーラでしょう。
一番後ろを歩く女の子が、のっぽの黒人の女の子であるナヴェイアでしょう。
さらにその前を歩く男子ふたりが、クエンティンとヴィクでしょう。どちらがだれということはわかりません。
ロサンゼルスのフォスターケア制度:里親制度。虐待する親からの分離。親が養育できないこどもの受け入れ。一時的な預かり。
五月のメモリアルデーまでは、白い服とか白いズボンは着てはいけないそうです。なんのこっちゃいな。(クエンティンの語りです)
五月のメモリアルデーとは何?:5月31日アメリカ合衆国戦没者追悼記念日。5月の最終月曜日が祝日になる。
(上を書いてからその後付け足した記事として:たまたまきょうがメモリアルデーであることを知りました。日本時間は5月31日火曜日朝です。アメリカ合衆国は、時差があるので、日本の5月30日夜から31日朝にかけてが、5月30日の昼間です。「米国株式市場は、本日はメモリアルデーなので休場です」という記事をたまたま目にしました)
セフォラ:フランスの化粧品・香水店
ヨーダ:映画「スター・ウォーズ」に登場する人物。
44ページ『裕福な家に生まれれば、安楽な人生が送れる』→裕福な家が永久に裕福であるという保障はありません。ぼーっとしていたら、財産はなくなってしまいます。
里親の分析・批評があります。
里親になるのは、①宗教にのめりこんでいる人 ②金目当ての人(役所から養育費が支給されるようです。だから、こどもを複数預かる。今だと、ひとり13万円ぐらい支給される) ③こどもが好きな人
ミュージカル「アニー」の原作:小さな孤児アニー
ウェルカムセンター:ちょっとよくわかりませんが、日本で言うところの「児童相談所」だろうかと想像しました。(279ページの作者あとがきに説明があります。ロサンゼルスにあった施設の名称だそうです。問題があって、2016年に閉鎖されたそうです。こどもを長期間とめおいたことがいけなかったそうです)
児童家庭サービス:これも役所の組織っぽい。
児童家庭センター:これも役所か。
49ページ付近を読んでいます。
悲しい思いをしているこどもたちの独り言(ひとりごと)が聞こえてきます。
だれかに聞いて欲しいのだろう。
読者に向けて、ぶつぶつつぶやいています。
ミス・マネーペニー:スパイ映画『007シリーズ』に登場する女性。
この物語をよりよく理解するためには、洋画『スター・ウォーズ』を観たことがある体験が必要です。
75ページ付近を読んでいます。
なかなか悲惨な状況が続きます。
オレゴン・トレイル:シュミレーション・ゲーム(仮想体験ゲーム)。アメリカ合衆国の西部開拓時代を素材にしたコンピューターゲーム。
2012年に映画館で観た洋画『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』を思い出します。脳に障害がある少年の物語でした。オスカー・シェル10歳が主人公という自分の鑑賞記録が残っています。
スロッピージョー:料理の名前。ひき肉にトマトソースとスパイスに味付けがしてある。
CIA(シーアイエー):アメリカ合衆国中央情報局。アメリカ合衆国の安全保障のために情報を収集・処理・分析する組織。
ドゥカティ:イタリアのオートバイメーカー
クエンティン、ヴィク、マーラ、ナヴェイアの4人は、クエンティンの母親が入院している病院をめざすことになりました。
路線バス、そして、地下鉄に乗ります。
グリンチ:アメリカ合衆国の児童向け絵本のキャラクター。緑色の体と顔をしている。
ドーラといっしょに大冒険:アメリカ合衆国の冒険映画。
ヒル・アンド・ファースト:地名。
ピットブル:犬。闘犬みたいで怖そうな犬(物語の中ではホームレスといっしょにいる犬。犬の名前が「ガス」)
(読みながらですが、知らない言葉が次々と出てきます。読づらくて、意味を調べることが大変なのですが、意味がわかるとお話の内容が見えてきて楽しい気分になります)
イングルウッド:ロサンゼルス南西部にある都市。
ホームレス:住居の無い人
マリポサ/ナッシュ駅:ロサンゼルスメトロの駅。ナッシュストリートとマリポサアベニューにある。
(つづく)
277ページあるうちの243ページまで読みました。
なかなかいい。
クライマックスは盛り上がります。(ここに内容は書きません)
外国作品です。映画化されるといいなと思いました。
まだ読み終えていませんが、今年読んで良かった一冊です。
結末はこれから読みます。
レドンドビーチ:ロサンゼルスにあるビーチ(砂浜海岸)
パブリック・リレーションズ:企業、団体、個人が、世論の支持を得られるように行う活動。
リヴィエラ・ヴィレッジ露天市:ビーチにある市場
チュロス:揚げ菓子。スペイン、ポルトガル、モロッコ、キューバなど、ラテンアメリカ各国で食べられている。
マカロニチーズ:ゆでたマカロニをチーズソースでからめたもの。
ジオード(晶洞石しょうどうせき):水晶にある空洞。
心に響いた言葉として、
(ナヴェイア)『わたしたちは、ひとりでやっていかないといけないの。だれもわたしたちのことはいらない……』
(ナヴェイアがヴィクに向かって)『それに、少なくともあんたの父親は生きている。わたしのお母さんは死んでいて、お父さんはだれかもわからない……』
(ナヴェイアがヴィクに言ってはいけなかった言葉として)『ねぇ、ヴィク、妄想(もうそう)の世界でずっと生きていくことはできないんだよ』
(クエンティンの笑いながら叫んだ言葉)『オナカスッキリ! ナヤミスッキリ!』
(ナヴェイア)『これが海。わたしの生きる世界に、こんなにも、こんなにも美しいものがあった……』
(ナヴェイア)『わたしたちのあいだをへだててた壁に、大きな突破口があいたような。』
(ヴィク)『かあちゃんはオレが赤ん坊のときに死んだ……(死んだ原因は出産時の難産にあるらしい)』そのあとの、亡き母を思うヴィクの語りにしんみりきます。(心にしみる)そして、6歳すぎの頃、父親も姿を消します。(ヴィクはそれから、仮想の世界で生きることにしたのです)
(ナヴィア)本当の親子じゃないから、里親の名前のスペル(アルファベットのつづり)を知らない。ほかに3人いる里子の誕生日も知らないというショックと嘆き。
(ナヴィア)『考え方を変えたの』
(ヴィク)『だれかに体を乗っ取られたような気がしたから……』
(ヴィク)『(里親の)ミセス・Kもすごくさみしいにちがいない。友だちや親戚もいない……』
(ヴィク)『“もっといいところ”なんてない。みんなここがいいんだ』
スター・ウォーズのタトゥイーンの宇宙港モス・アイズリーの酒場:そういうシーンがありました。
クエンティンが背負うリュックの隠しポケットの中から、病院で入院しているママが入れてくれた<緊急事態のときにつかう5ドル>が出てきました。
邦画『ALWAYS 三丁目の夕日』に似たようなシーンがありました。思い出すと泣けます。薬師丸ひろ子さんが演じるおかあさんが、小学生の息子である一平のセーターのひじつぎあてに、お守りを忍ばせてくれたシーンがありました。お守りの中には、いざというときに使うお金が入っていました。一平はそのお金でピンチを克服しました。
ヴィクは生まれてから一度も海を観たことがありません。(ゆえに、海を見た時に感動します)
集団の動きをコントロールしてきたナヴェイアの気持ちに変化が生まれます。『抑制、抑圧、否定』から『許容、許可、だめをやめる』です。
これはこうしなければならないというしばりをときます。
心にゆとりが生まれます。ふだんは、追われているような気分で生活をしていました。
気分がおだやかでリラックスしています。
海を見て、心が広くなりました。
ナヴェイアも海を見るのは生まれて初めてです。『これが、海』という頭の中での考えがあります。
(旅先で、美しい景色を見ると、今までがんばって生きてきて良かったと思うことがあります)
R2-D2:スター・ウォーズに出てくるロボットキャラクター。さまざまな機能を兼ね備えた優秀なロボット。キャタピラー付きの三本足で移動する。親友が人型ロボットのC-3PO(シースリーピーオー)
レイア姫:スター・ウォーズに出てくる女性キャラクター。
里子だったシルヴィアとアーニャは、ハイスクール入学と同時に里子の契約が切れた。
ナヴェイアはそのことを知らなかった。ナヴェイアの精神状態は不安定になります。
215ページからのヴィクの語りは、胸に深く刺さる内容です。
6歳の時、父親と一緒にガレージ(車庫)で暮らしていたから始まります。人間扱いされていない父子の生活がありました。血縁関係がある親族からも冷たくされます。
自分の読書歴を振り返ってみると、貧しきアメリカ合衆国の人たちはみな、カリフォルニア州を目指して移動します。
カリフォルニア州の豊かさを求めるのです。
『怒りの葡萄』スタインベック作品がありました。
シピティオ:トラブルメーカー(トラブルをつくる人)
スパニエル犬(けん):鳥猟犬(とりをとる猟犬りょうけん)の種類
ブラックパンサー:アメリカ合衆国の映画
読んでいて、クエンティンのママは自殺なのかと思いました。(違いました。本を読んでください)
親も里子(さとご)だった。
貧困の連鎖があります。
虐待された親は、自分の子を虐待する。
ふつう、親になると、自分が育てられたように子を育てます。
親のやり方がわからないという親は多い。
『ニューファミリー』をつくる。
自分が恵まれないこども時代を送るこどもは、自分がおとなになって、ちゃんとした自分の家族をつくろうと思い努力する。
ちゃんとやってくれない親に期待しても報われない。(むくわれない。いい結果にはつながらない)
親に捨てられた子は、親をすてるぐらいの気持ちでやっていけばいい。
そこまで思わせてくれる説得力があります。
(映画化されるといいな。邦画でもいい。日本人に置き換えてもいい)
『物語』が必要なこどもたちがいます。
恵まれない環境を一時的にでも忘れるために架空の世界へ逃げ込むための『物語』が必要なのです。
みんなは、みんなで、課題を克服しました。
仲良く暮らす。
協力して生活する。
血がつながっていなくても『家族』になる。
こどもには『未来』がある。
やりかたしだいで『未来』は明るくも暗くもなる。
作者からは、強いメッセージが発信されています。
血がつながっていなくても『家族になろうよ』です。
読み終えて、達成感と爽快感(そうかいかん)がありました。
中学生が本の内容を理解するには人生体験不足でしょう。
<役者あとがきから心に響いた文節として>
「house(ハウス)」と区別して「home(ホーム)」
ホームは、家族とともに安心して暮らし、くつろぎを与えてくれる場。
もうすぐ11歳になる男子であるクエンティンは、自閉症とされています。
同じく自閉症の青年の本を読んだことを思い出しました。
『跳びはねる思考 東田直樹 イースト・プレス』『自閉症の僕が跳びはねる理由 東田直樹 エスコアール』この二冊を思い出しました。
見た目は障害者なのですが、脳の中身は普通なのです。
読んだ時の自分のコメントが残っています。
<常識の枠を破って、世界観が広がる本です。会話ができない自閉症である著者が自らは意識をもっていることを証明しています。その知能レベルは高い。22歳同年齢の健常者以上です。奇跡を感じます。驚きました。
彼が使用しているのは、1枚のペーパーのような文字盤でした。アルファベットを指でさして意思表示をするのです。シンプルです。文字による会話の最後に必ず「おわり」が入ります。読書の途中からその「おわり」の部分は意識して読まないようにしました。そのほうが読みやすい。
こどもの頃は、つらくて苦しいことばかりだったとあります。挨拶は苦手でできない。
行動を自分でコントロールできない。フラッシュバック(突然過去の嫌だったことが脳によみがえる)で、体が勝手に跳びはねる。
ストレス解消法は乗り物に乗ること。時間と空間の感覚の旅ができるそうです。悲しいとか、つらいとかいう感情から解放されるそうです。
家族からの声かけは、光そのものだった。自身は、別の世界から現実の出来事を見ているような感覚がある。
カラオケが好き。会話はできなくてもカラオケはできる自閉症患者さんはいるそうです。彼は、音楽と文学の重要性を説きます。
心に残ったフレーズとして、「明日に希望を求めるのではなく、今日のやり直しを明日行う。」それから、「僕が流した涙と同じくらい、家族も泣いてくれた。」心優しい人です。類似集団にレッテルを張るのではなく、ひとりの個人としてみる。>
以前施設入所中の障害者多数を殺傷する事件がありましたが、東田直樹さんの本を読むと本当のことがわかるのです。(障害者の心の中にある風景と気持ち)
<原稿は、筆談、パソコンで作成されています。障害者が何を考えながら生活を送っているのかがわかる本です。病気で、意識、認識なく生きているという見方は間違っていることがわかります。書中にある言葉、見かけだけで判断しないでくださいが、胸に突き刺さります。何のために人としてこの世に生まれたのだろうという言葉も重い。感情がないのではなく、感情はある。知能が低いのではなく、知能はある。>
2022年05月30日
江戸のジャーナリスト 葛飾北斎 千野境子
江戸のジャーナリスト 葛飾北斎(かつしか・ほくさい) 千野境子(ちの・けいこ) 国土社
ジャーナリスト:社会問題について分析・研究・調査をして、なんらかのメッセージを発表する人。新聞・雑誌記者、編集者、放送記者、解説者など。
葛飾北斎(かつしか・ほくさい):浮世絵師。1760年-1849年。88歳没。(本書の冒頭では「九十歳」と記されています。太陰暦とか太陽暦の違いがあるのでしょう。あるいは数え年の関係かもしれません。生まれた時に1歳からスタートして、元旦のたびに1歳プラスしていく)
ペリーの来航1853年。明治維新1868年。1760年~1840年イギリスの産業革命。
1774年杉田玄白の「解体新書」。1821年ナポレオン51歳没。
1812年がナポレオンのロシア遠征。1789年ワシントン氏がアメリカ大統領就任。
東洲斎写楽(とうしゅうさい・しゃらく、浮世絵師。1763年-1820年)
ベートーベン1827年56歳没。1782年-1788年天明の大飢饉。
1787年-1793年寛政の改革。老中松平定信。1783年浅間山噴火。
1798年本居宣長(もとおり・のりなが)「古事記伝」。1802年十返舎一九(じっぺんしゃいっく)「東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)」
1807年イギリスがインド帝国をつくる。1808年間宮林蔵が樺太探検で間宮海峡を発見する。
1849年ショパン39歳没。1821年伊能忠敬(いのう・ただたか)の日本地図完成(本人は1818年没)。1837年大塩平八郎の乱。
1840年アヘン戦争(清国対イギリス)。1842年南京条約(なんきんじょうやく)香港島をイギリスに割譲(かつじょう)。
1842年滝沢馬琴(たきざわ・ばきん)「南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん)」
1830年-1843年天保の改革。老中水野忠邦。1828年シーボルト事件(帰国時に日本地図を国外に持ち出そうとした。たぶん軍事的秘密に該当する禁止行為でしょう)
葛飾北斎『富嶽三十六景(ふがくひゃっけい。富士山の絵が36枚)』1831年-1834年。
歌川広重(うたがわ・ひろしげ)『東海道五十三次(とうかいどう53つぎ。次は宿場のことでしょう。浮世絵木版画』1833年。
1835年福沢諭吉誕生。1901年(明治34年)66歳没 学問のすすめ 慶応大学設立
1838年大隈重信誕生。1922年(大正11年)83歳没 早稲田大学設立
ポールセザンヌ 1839年-1906年 67歳没 フランスの画家
ルノアール 1841年-1919年 78歳没 フランスの画家
ゴッホ 1853年-1890年 37歳没 オランダの画家
マネ:1832年-1883年 51歳没 フランスの画家
モネ:1840年-1926年 86歳没 フランスの画家
シスレー:1839年-1899年 59歳没 フランス生まれのイギリス人画家
ピサロ:1830年-1903年 73歳没 フランスの画家
ドガ:1834年-1917年 83歳没 フランスの画家
葛飾北斎の影響を受けたという印象派の画家たちは、当時まだ三十代ぐらいだったそうです。フランスの画家たちが、日本の浮世絵師葛飾北斎の絵を真似たのです。
フランスやオランダのどの画家の絵も美しい。
当時の美術界は印象派を受け入れなかったそうです。
当時は、写真のような写実的な絵が好まれたのかと考えました。
行政が文化を圧迫する。
法律と芸術は対立の構図になることもあるのでしょう。
アール・ヌーボー:19世紀末から20世紀初頭、ヨーロッパで開花した国際的な美術運動。「新しい芸術」
ゴッホに妹さんがいたことは初めて知りました。
歌川広重:1797年-1858年 61歳ころ没 浮世絵『東海道五十三次』
喜多川歌麿(きたがわ・うたまろ):1753年-1806年 53歳ころ没 浮世絵美人画
シーボルト:1796年-1866年 70歳没 ドイツの医師、博物学者 長崎出島のオランダ商館の医師 1823年-1830年日本に滞在。(本人が27歳から34歳ぐらい)1859年再来日(本人が63歳ぐらい)、1862年帰国(66歳ぐらい)
10年ぐらいに前に読んだ本があります。『江戸参府紀行 ジーボルト 東洋文庫87 平凡社』
1840年 遠山の金さんが江戸町奉行になる。
以上は、時代背景がわかりやすくなるように、熊太郎作成の歴史ノート(鉛筆等の手書きで何十枚も書きためているノート)から拾ってみました。
この本の最後にも参考年表がついていました。
読み手の年齢によって感じ方が違ってくると思いますが、現在60代の自分からみると、葛飾北斎没後170年以上と本には書いてありますが、自分には100年ぐらい前のことのように思えます。自分が小学生のころに明治100年という祝い事があった記憶です。(明治100年は1968年(昭和43年)です)
大英博物館:イギリスロンドンにあります。いつか訪れてみたい。
葛飾北斎という人は、ヨーロッパの画家に斬新な画風で大きなショックと影響を与えたすごい人です。世界規模の有名な日本人です。肉筆画の天才芸術家です。ときに気が狂っているのではないかと思われるほど創作に打ち込んでいたに違いありません。(14ページに「画狂人(がきょうじん)」とあります。奇人、変人、謎の人でもあります)
この本では、ジャーナリストという扱いをされているようです。
どういうことだろう。
葛飾北斎の伝記(人生の記録)が始まるようです。
読みながら、感想を書き足していきます。
長野県の小布施(おぶせ)というところに葛飾北斎の美術館があるそうです。
自分は、先日、長野市にある善光寺にお参りに行ってきました。
小布施は、長野駅前にあった長野電鉄に乗って30分ほどで行けるそうです。
『北斎館』という美術館があるそうです。ずいぶんむかしに、愛知県から新潟県にバス旅行をしたおりに、小布施あたりでなにかを見学した覚えがありますがもうおぼろげな記憶です。思い出せません。
1842年葛飾北斎は83歳のときに小布施を訪れた。1844年85歳のときに『龍図』『鳳凰図』、そして、86歳で(数え年)『男浪図』『女浪図』を制作した。
80代に芸術の集大成のような結集があります。すごい。
本の内容は細かい話が続きます。
読んでいて、気に入った文節などです。
『……葛飾北斎という絵師の、冷めた(さめた)眼差し(まなざし)……』
葛飾北斎は、人間を観察して絵にする。
人間の多様性(個性)を否定しないと読み取れます。
そのあたりが本のタイトル「ジャーナリスト」につながるのでしょう。人を分析して、なんらかのメッセージを発する。
ものの見方として『鳥瞰図(ちょうかんず。空を飛ぶ鳥の目で見えた光景を図にする)』
もうひとつが『虫の目』で、細かいところをしっかり見る。
滝沢馬琴(たきざわ・ばきん):1767年-1848年。81歳没。読み本(よみほん)作者。『曲亭馬琴(きょくてい・ばきん)』
経歴を拾って整理します。
1760年9月23日 現在の東京都墨田区亀沢で出生。
幼名は『時太郎』だった。6歳から絵を描くことに気持ちを集中させる資質、気質あり。
1778年。浮世絵師として一歩を踏み出す。数え年19歳で、人気浮世絵師の勝川春章(かちがわしゅんしょう)に弟子入りをする。歌舞伎役者の似顔絵、美人画、相撲絵、挿絵(さしえ)など。勝川春朗と名のる。三十代なかばまで続く。そのころ、娘阿栄(おえい。雅号は『応為(おうい)』誕生。
1794年か1795年、数えで35歳のときに、二代目俵屋宗理(たわらや・そうり)となる。光琳画法(こうりんがほう)の師匠であった。
私淑(ししゅく):師と仰ぐ人を慕いひそかに真似をして学ぶ。
地本問屋(じほんどんや):江戸で出版された本の問屋(とんや)
喜多川歌麿(きたがわ・うたまろ):1753年-1806年。浮世絵師。53歳ころ没。美人画
蔦屋重三郎(つたや・じゅうざぶろう):1750年-1797年。江戸時代の版元(はんもと。出版をする人)
1798年。俵屋宗理の名を門人(もんじん。同じ師匠の弟子。門下生(もんかせい))に譲った。(ゆずった)
次の雅号(がごう。本名ではない上品で美しく品格があるような呼び名)が『北斎辰政(ほくさい・ときまさ)』
1806年。雅号を『葛飾北斎』とする。47歳。
源為朝(みなもとのためとも):源頼朝(みなもとのよりとも)、源義経(みなもと・よしつね)のおじさん。
化政文化(かせいぶんか):江戸時代後期の文化。浮世絵、滑稽本(こっけいぼん。おもしろおかしい本)、川柳(せんりゅう。ユーモア短歌)、歌舞伎(かぶき)。町人文化。
1811年。52歳のころ、親友滝沢馬琴と仕事のやり方で話が合わず絶交する。
1812年。『北斎漫画(ほくさいまんが。絵本のようなもの)』の製作が名古屋でスタート。大きな達磨(だるま)を書いた話が書いてあります。たぶん、名古屋市中区にある本願寺名古屋別院というお寺さんでのことだと思います。
72歳で『富嶽三十六景』を作成した。
75歳で『富嶽百景』を作成した。
なんというか、老齢、高齢になって、ふつうは、技量や能力が衰えると思うのですが、葛飾北斎は逆に傑出した作品を生み出しています。天才です。
70代からが人生の本番です。勇気をもらいました。
江戸時代以降の人々の識字率(読み書き)の高さに関する記述が、自分には意外でした。
自分がこどものころには、読み書きができないお年寄りをときおり見かけました。
バスターミナルで迷っている人がいたら、字が読めない人かもしれないから、声をかけて案内してあげなさいと中学校の先生に言われたことがあります。
本は、おとなには、読みやすい文章です。
中学生には、歴史とか絵画の下地がないとわからないかもしれません。
葛飾北斎は、2回結婚して、2回死別しています。2回目の死別が69歳の時でした。(1828年)
それぞれ1男2女。
1回目の結婚:長男富之助。早世したもよう。長女は子どもを遺して死去した。その孫が問題児で北斎を悩ませた。次女は夭折(ようせつ。若いうちに死去)
2回目の結婚:次男(長男)養子に出す。三女(長女)お栄(おえい)雅号が『応為(おうい)』の天才肌の絵師(小説がドラマか映画で見た記憶があります)四女は早世したらしい。
家がごみ屋敷なのは、葛飾北斎に発達障害の部分があったのかもしれません。自分の興味があることは、何時間でもやる。興味が無いことはいっさいやらないという気質です。
江戸時代の平均寿命が三十歳前後だそうです。幼児の死亡率が高かった。
葛飾北斎は生涯で引っ越しをした回数が93回だそうです。
自分も引っ越しが多かったのですが、これまでに18回ぐらいです。
葛飾北斎と自分は似たところがあるのかもしれません。
葛飾北斎は、お酒はたしなまないが、ごく親しい人とはのむ。
以前読んだ脳科学の本に書いてあってことを思い出しました。天才はとにかく大量の製作物を長時間かけて多数つくる。大量につくった作品の中に光る一作がある。
江戸時代の『宵越しの金はもたない(よいごしのかねはもたない。お金はその日のうちに使い切る』の意味がわかりまし。江戸時代に銀行はない。家に大金をおいておくのはぶっそうだった。火事も多かったから紙幣は燃えるとパーになった。タンス預金はアウト。
幣衣(へいい):痛んで破れた衣類。
飯島虚心(いいじま・きょしん):明治時代の浮世絵研究者。美術史家。1841年-1901年(明治34年)享年61歳没。(きょうねん。天からさずかった命。数え年)
90年の生涯で生み出した作品が3万点以上だそうです。
漫画家の手塚治虫さんと葛飾北斎さんが重なるのです。
ふたりとも仕事人間です。
絵を描くことに集中した人生でした。
参勤交代制度のメリットが書いてあります。
人間の血管のように、体全体に血液(国全体の情報)が循環するのです。国外の情報(オランダを通じて)も行き交います。
葛飾北斎の絵が行き着く先には、ヨーロッパがあります。日本文化がフランスまで到達して交流が始まります。葛飾北斎がフランスの絵画界に良い影響を与えます。葛飾北斎が外交官のように思えます。ゆえにこの本のタイトル江戸のジャーナリストということになるのでしょう。絵を使っての日本の情報発信者兼外国の情報仕入れ者です。国際交流の架け橋のような存在です。
以前読んだ『キャパとゲルダ マーク・アロンソン&マリナ・ブドーズ・著 原田勝・訳 あすなろ書房』に出ていた戦争報道写真家のロバート・キャパとゲルダ・タロー(女性)の姿と葛飾北斎のイメージが重なります。
葛飾北斎は情報発信の鬼です。今だったらSNS(ソーシャルメディア・ネットワーク・システム)を自由自在に使いこなして、情報発信をすることでしょう。
葛飾北斎は、朝鮮半島からの交流使節団とも関わりをもっています。(朝鮮半島との交流は、古代、卑弥呼のっ時代とか大和朝廷の時代から付き合いがあったと思うのです)
琉球との関わりも出てきます。(沖縄県)
江戸時代に江戸に住んでいた人たちは胸がワクワクするようなことが次々とあったに違いありません。
葛飾北斎が、学者さんのように思えてきました。あくなき探求心があるのです。(飽きることがない。いつまでも)好奇心が強い。前向きで、とりあえず、やってみる。新し物好きです。エッチング(銅版画)への挑戦があります。自分は中学生のとき、冬になるとエッチングで枯れ木をほって版画にしていました。
カピタン:オランダの東インド会社が日本に商館の長。最高責任者。
狂歌本(きょうかぼん):社会風刺(ふうし。遠回しな批判)、こっけい(笑い)、皮肉(非難)を集めた江戸時代の本。
葛飾北斎の『東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)』:1804年-1818年
東海道五十三次という作品は、歌川広重だけのものだと思っていました。(歌川広重は、葛飾北斎より30歳以上年下)
旅行ガイドブックという位置づけの本で、複数の人たちが浮世絵を書いているそうです。
「マンガ」の力は大きい。
こどもさんにマンガを禁じる親ごさんがいますが、禁止しないほうがいい。
まんがに心を支えられるということは現実にあります。
平和な世の中です。
平和な時代に、文化が盛んになります。
名古屋と葛飾北斎の関わりが出てきます。
製造業の街である愛知県を始めとした中部地区です。文化・芸能は東京や大阪にかないません。
葛飾北斎の話で名古屋が出てくるのは意外でした。
1779年のこととして、ロシアとの接触があります。
ロシアが北海道はロシアのものだと主張する意識がかいま見える歴史上の出来事です。
イギリスも北海道に姿を現します。
熊太郎専用の歴史ノートを見ると、1843年から1852年に、イギリス、フランス、オランダ、アメリカ合衆国が来航して江戸幕府に開国、通商を求めています。ペリーの来航が1853年です。
オランダのライデンという地名が出ます。
アムステルダムの南西にあって、日本の博物館があるそうです。日本博物館シーボルトハウスとありました。
(ふと、日本はいつから「日本」になったのだろうかという疑問が生じました。調べたら西暦700年前後からだそうです。中国から見て、太陽が昇るところ(東側)だから日本なのだろうかと考えました)
『画狂老人卍(がきょうろうじんまんじ)』葛飾北斎自身がそう名のったそうです。すごい表現です。
版画から肉筆画へと変わっていったそうです。
『西瓜と包丁(すいかとほうちょう)』美しい絵です。
『椿と鮭の切り身』身近にあるものをなにげなく描写する。
ピカソ:1881年-1973年 91歳没
ピカソと葛飾北斎の絵画制作にかける情熱は似ていた。
芸術家にはスポンサー(資金等の援助者)が必要です。
芸術家は、収入面で不安定な職業です。
芸術家本人はお金に無頓着です。(むとんちゃく。関心がない。執着しない)
145ページにある葛飾北斎のスポンサー(支援者)だった長野県小布施(おぶせ)の大金持ちだった高井鴻山(たかい・こうざん 1806年-1883年)の漢詩が心にしみました。
漢詩では、葛飾北斎という人物は、うちに半年ほど滞在した。別れも告げずに立ち去った。くるときもふらりとやってきた。立ち去るときもなにも言い残していかなかった。自分の思うままに八十余年生きてきた人だ。貧乏とか富とか(とみ)名声とか、本人は気に留めていない。お金があろうがなかろうが、世間に媚びない(こびない。ごまをすらない。気に入られるようにごきげんをとらない)。ただひたすら絵を描くことが己の使命と思っている。そのようなことが書いてあるそうです。そうなりたいものです。
落款(らっかん):署名。印影。
ロシア人の関わり
セルゲイ・キターエフ:1864年-1927年 美術収集家
ベアタ・ヴォロノワ:1926年―2017年 学芸員
なになに人だからこういうふうだという先入観や決めつけはやめなければなりません。
ひとりひとりが個性をもった個人で、地球人です。
とにかく大量に作品をつくる。
長時間創作に打ち込む
さすれば、いい作品ができる。たぶん駄作もたくさん生まれる。
歴史の記録書を読むようでした。
人心というのは時代背景に押されて変化していく。
江戸時代の優秀な浮世絵は、明治維新後の外国文化こそ良きものという風潮に押されて衰退化していきます。
されど、本物は時代を越えて復活します。
ジャーナリスト:社会問題について分析・研究・調査をして、なんらかのメッセージを発表する人。新聞・雑誌記者、編集者、放送記者、解説者など。
葛飾北斎(かつしか・ほくさい):浮世絵師。1760年-1849年。88歳没。(本書の冒頭では「九十歳」と記されています。太陰暦とか太陽暦の違いがあるのでしょう。あるいは数え年の関係かもしれません。生まれた時に1歳からスタートして、元旦のたびに1歳プラスしていく)
ペリーの来航1853年。明治維新1868年。1760年~1840年イギリスの産業革命。
1774年杉田玄白の「解体新書」。1821年ナポレオン51歳没。
1812年がナポレオンのロシア遠征。1789年ワシントン氏がアメリカ大統領就任。
東洲斎写楽(とうしゅうさい・しゃらく、浮世絵師。1763年-1820年)
ベートーベン1827年56歳没。1782年-1788年天明の大飢饉。
1787年-1793年寛政の改革。老中松平定信。1783年浅間山噴火。
1798年本居宣長(もとおり・のりなが)「古事記伝」。1802年十返舎一九(じっぺんしゃいっく)「東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)」
1807年イギリスがインド帝国をつくる。1808年間宮林蔵が樺太探検で間宮海峡を発見する。
1849年ショパン39歳没。1821年伊能忠敬(いのう・ただたか)の日本地図完成(本人は1818年没)。1837年大塩平八郎の乱。
1840年アヘン戦争(清国対イギリス)。1842年南京条約(なんきんじょうやく)香港島をイギリスに割譲(かつじょう)。
1842年滝沢馬琴(たきざわ・ばきん)「南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん)」
1830年-1843年天保の改革。老中水野忠邦。1828年シーボルト事件(帰国時に日本地図を国外に持ち出そうとした。たぶん軍事的秘密に該当する禁止行為でしょう)
葛飾北斎『富嶽三十六景(ふがくひゃっけい。富士山の絵が36枚)』1831年-1834年。
歌川広重(うたがわ・ひろしげ)『東海道五十三次(とうかいどう53つぎ。次は宿場のことでしょう。浮世絵木版画』1833年。
1835年福沢諭吉誕生。1901年(明治34年)66歳没 学問のすすめ 慶応大学設立
1838年大隈重信誕生。1922年(大正11年)83歳没 早稲田大学設立
ポールセザンヌ 1839年-1906年 67歳没 フランスの画家
ルノアール 1841年-1919年 78歳没 フランスの画家
ゴッホ 1853年-1890年 37歳没 オランダの画家
マネ:1832年-1883年 51歳没 フランスの画家
モネ:1840年-1926年 86歳没 フランスの画家
シスレー:1839年-1899年 59歳没 フランス生まれのイギリス人画家
ピサロ:1830年-1903年 73歳没 フランスの画家
ドガ:1834年-1917年 83歳没 フランスの画家
葛飾北斎の影響を受けたという印象派の画家たちは、当時まだ三十代ぐらいだったそうです。フランスの画家たちが、日本の浮世絵師葛飾北斎の絵を真似たのです。
フランスやオランダのどの画家の絵も美しい。
当時の美術界は印象派を受け入れなかったそうです。
当時は、写真のような写実的な絵が好まれたのかと考えました。
行政が文化を圧迫する。
法律と芸術は対立の構図になることもあるのでしょう。
アール・ヌーボー:19世紀末から20世紀初頭、ヨーロッパで開花した国際的な美術運動。「新しい芸術」
ゴッホに妹さんがいたことは初めて知りました。
歌川広重:1797年-1858年 61歳ころ没 浮世絵『東海道五十三次』
喜多川歌麿(きたがわ・うたまろ):1753年-1806年 53歳ころ没 浮世絵美人画
シーボルト:1796年-1866年 70歳没 ドイツの医師、博物学者 長崎出島のオランダ商館の医師 1823年-1830年日本に滞在。(本人が27歳から34歳ぐらい)1859年再来日(本人が63歳ぐらい)、1862年帰国(66歳ぐらい)
10年ぐらいに前に読んだ本があります。『江戸参府紀行 ジーボルト 東洋文庫87 平凡社』
1840年 遠山の金さんが江戸町奉行になる。
以上は、時代背景がわかりやすくなるように、熊太郎作成の歴史ノート(鉛筆等の手書きで何十枚も書きためているノート)から拾ってみました。
この本の最後にも参考年表がついていました。
読み手の年齢によって感じ方が違ってくると思いますが、現在60代の自分からみると、葛飾北斎没後170年以上と本には書いてありますが、自分には100年ぐらい前のことのように思えます。自分が小学生のころに明治100年という祝い事があった記憶です。(明治100年は1968年(昭和43年)です)
大英博物館:イギリスロンドンにあります。いつか訪れてみたい。
葛飾北斎という人は、ヨーロッパの画家に斬新な画風で大きなショックと影響を与えたすごい人です。世界規模の有名な日本人です。肉筆画の天才芸術家です。ときに気が狂っているのではないかと思われるほど創作に打ち込んでいたに違いありません。(14ページに「画狂人(がきょうじん)」とあります。奇人、変人、謎の人でもあります)
この本では、ジャーナリストという扱いをされているようです。
どういうことだろう。
葛飾北斎の伝記(人生の記録)が始まるようです。
読みながら、感想を書き足していきます。
長野県の小布施(おぶせ)というところに葛飾北斎の美術館があるそうです。
自分は、先日、長野市にある善光寺にお参りに行ってきました。
小布施は、長野駅前にあった長野電鉄に乗って30分ほどで行けるそうです。
『北斎館』という美術館があるそうです。ずいぶんむかしに、愛知県から新潟県にバス旅行をしたおりに、小布施あたりでなにかを見学した覚えがありますがもうおぼろげな記憶です。思い出せません。
1842年葛飾北斎は83歳のときに小布施を訪れた。1844年85歳のときに『龍図』『鳳凰図』、そして、86歳で(数え年)『男浪図』『女浪図』を制作した。
80代に芸術の集大成のような結集があります。すごい。
本の内容は細かい話が続きます。
読んでいて、気に入った文節などです。
『……葛飾北斎という絵師の、冷めた(さめた)眼差し(まなざし)……』
葛飾北斎は、人間を観察して絵にする。
人間の多様性(個性)を否定しないと読み取れます。
そのあたりが本のタイトル「ジャーナリスト」につながるのでしょう。人を分析して、なんらかのメッセージを発する。
ものの見方として『鳥瞰図(ちょうかんず。空を飛ぶ鳥の目で見えた光景を図にする)』
もうひとつが『虫の目』で、細かいところをしっかり見る。
滝沢馬琴(たきざわ・ばきん):1767年-1848年。81歳没。読み本(よみほん)作者。『曲亭馬琴(きょくてい・ばきん)』
経歴を拾って整理します。
1760年9月23日 現在の東京都墨田区亀沢で出生。
幼名は『時太郎』だった。6歳から絵を描くことに気持ちを集中させる資質、気質あり。
1778年。浮世絵師として一歩を踏み出す。数え年19歳で、人気浮世絵師の勝川春章(かちがわしゅんしょう)に弟子入りをする。歌舞伎役者の似顔絵、美人画、相撲絵、挿絵(さしえ)など。勝川春朗と名のる。三十代なかばまで続く。そのころ、娘阿栄(おえい。雅号は『応為(おうい)』誕生。
1794年か1795年、数えで35歳のときに、二代目俵屋宗理(たわらや・そうり)となる。光琳画法(こうりんがほう)の師匠であった。
私淑(ししゅく):師と仰ぐ人を慕いひそかに真似をして学ぶ。
地本問屋(じほんどんや):江戸で出版された本の問屋(とんや)
喜多川歌麿(きたがわ・うたまろ):1753年-1806年。浮世絵師。53歳ころ没。美人画
蔦屋重三郎(つたや・じゅうざぶろう):1750年-1797年。江戸時代の版元(はんもと。出版をする人)
1798年。俵屋宗理の名を門人(もんじん。同じ師匠の弟子。門下生(もんかせい))に譲った。(ゆずった)
次の雅号(がごう。本名ではない上品で美しく品格があるような呼び名)が『北斎辰政(ほくさい・ときまさ)』
1806年。雅号を『葛飾北斎』とする。47歳。
源為朝(みなもとのためとも):源頼朝(みなもとのよりとも)、源義経(みなもと・よしつね)のおじさん。
化政文化(かせいぶんか):江戸時代後期の文化。浮世絵、滑稽本(こっけいぼん。おもしろおかしい本)、川柳(せんりゅう。ユーモア短歌)、歌舞伎(かぶき)。町人文化。
1811年。52歳のころ、親友滝沢馬琴と仕事のやり方で話が合わず絶交する。
1812年。『北斎漫画(ほくさいまんが。絵本のようなもの)』の製作が名古屋でスタート。大きな達磨(だるま)を書いた話が書いてあります。たぶん、名古屋市中区にある本願寺名古屋別院というお寺さんでのことだと思います。
72歳で『富嶽三十六景』を作成した。
75歳で『富嶽百景』を作成した。
なんというか、老齢、高齢になって、ふつうは、技量や能力が衰えると思うのですが、葛飾北斎は逆に傑出した作品を生み出しています。天才です。
70代からが人生の本番です。勇気をもらいました。
江戸時代以降の人々の識字率(読み書き)の高さに関する記述が、自分には意外でした。
自分がこどものころには、読み書きができないお年寄りをときおり見かけました。
バスターミナルで迷っている人がいたら、字が読めない人かもしれないから、声をかけて案内してあげなさいと中学校の先生に言われたことがあります。
本は、おとなには、読みやすい文章です。
中学生には、歴史とか絵画の下地がないとわからないかもしれません。
葛飾北斎は、2回結婚して、2回死別しています。2回目の死別が69歳の時でした。(1828年)
それぞれ1男2女。
1回目の結婚:長男富之助。早世したもよう。長女は子どもを遺して死去した。その孫が問題児で北斎を悩ませた。次女は夭折(ようせつ。若いうちに死去)
2回目の結婚:次男(長男)養子に出す。三女(長女)お栄(おえい)雅号が『応為(おうい)』の天才肌の絵師(小説がドラマか映画で見た記憶があります)四女は早世したらしい。
家がごみ屋敷なのは、葛飾北斎に発達障害の部分があったのかもしれません。自分の興味があることは、何時間でもやる。興味が無いことはいっさいやらないという気質です。
江戸時代の平均寿命が三十歳前後だそうです。幼児の死亡率が高かった。
葛飾北斎は生涯で引っ越しをした回数が93回だそうです。
自分も引っ越しが多かったのですが、これまでに18回ぐらいです。
葛飾北斎と自分は似たところがあるのかもしれません。
葛飾北斎は、お酒はたしなまないが、ごく親しい人とはのむ。
以前読んだ脳科学の本に書いてあってことを思い出しました。天才はとにかく大量の製作物を長時間かけて多数つくる。大量につくった作品の中に光る一作がある。
江戸時代の『宵越しの金はもたない(よいごしのかねはもたない。お金はその日のうちに使い切る』の意味がわかりまし。江戸時代に銀行はない。家に大金をおいておくのはぶっそうだった。火事も多かったから紙幣は燃えるとパーになった。タンス預金はアウト。
幣衣(へいい):痛んで破れた衣類。
飯島虚心(いいじま・きょしん):明治時代の浮世絵研究者。美術史家。1841年-1901年(明治34年)享年61歳没。(きょうねん。天からさずかった命。数え年)
90年の生涯で生み出した作品が3万点以上だそうです。
漫画家の手塚治虫さんと葛飾北斎さんが重なるのです。
ふたりとも仕事人間です。
絵を描くことに集中した人生でした。
参勤交代制度のメリットが書いてあります。
人間の血管のように、体全体に血液(国全体の情報)が循環するのです。国外の情報(オランダを通じて)も行き交います。
葛飾北斎の絵が行き着く先には、ヨーロッパがあります。日本文化がフランスまで到達して交流が始まります。葛飾北斎がフランスの絵画界に良い影響を与えます。葛飾北斎が外交官のように思えます。ゆえにこの本のタイトル江戸のジャーナリストということになるのでしょう。絵を使っての日本の情報発信者兼外国の情報仕入れ者です。国際交流の架け橋のような存在です。
以前読んだ『キャパとゲルダ マーク・アロンソン&マリナ・ブドーズ・著 原田勝・訳 あすなろ書房』に出ていた戦争報道写真家のロバート・キャパとゲルダ・タロー(女性)の姿と葛飾北斎のイメージが重なります。
葛飾北斎は情報発信の鬼です。今だったらSNS(ソーシャルメディア・ネットワーク・システム)を自由自在に使いこなして、情報発信をすることでしょう。
葛飾北斎は、朝鮮半島からの交流使節団とも関わりをもっています。(朝鮮半島との交流は、古代、卑弥呼のっ時代とか大和朝廷の時代から付き合いがあったと思うのです)
琉球との関わりも出てきます。(沖縄県)
江戸時代に江戸に住んでいた人たちは胸がワクワクするようなことが次々とあったに違いありません。
葛飾北斎が、学者さんのように思えてきました。あくなき探求心があるのです。(飽きることがない。いつまでも)好奇心が強い。前向きで、とりあえず、やってみる。新し物好きです。エッチング(銅版画)への挑戦があります。自分は中学生のとき、冬になるとエッチングで枯れ木をほって版画にしていました。
カピタン:オランダの東インド会社が日本に商館の長。最高責任者。
狂歌本(きょうかぼん):社会風刺(ふうし。遠回しな批判)、こっけい(笑い)、皮肉(非難)を集めた江戸時代の本。
葛飾北斎の『東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)』:1804年-1818年
東海道五十三次という作品は、歌川広重だけのものだと思っていました。(歌川広重は、葛飾北斎より30歳以上年下)
旅行ガイドブックという位置づけの本で、複数の人たちが浮世絵を書いているそうです。
「マンガ」の力は大きい。
こどもさんにマンガを禁じる親ごさんがいますが、禁止しないほうがいい。
まんがに心を支えられるということは現実にあります。
平和な世の中です。
平和な時代に、文化が盛んになります。
名古屋と葛飾北斎の関わりが出てきます。
製造業の街である愛知県を始めとした中部地区です。文化・芸能は東京や大阪にかないません。
葛飾北斎の話で名古屋が出てくるのは意外でした。
1779年のこととして、ロシアとの接触があります。
ロシアが北海道はロシアのものだと主張する意識がかいま見える歴史上の出来事です。
イギリスも北海道に姿を現します。
熊太郎専用の歴史ノートを見ると、1843年から1852年に、イギリス、フランス、オランダ、アメリカ合衆国が来航して江戸幕府に開国、通商を求めています。ペリーの来航が1853年です。
オランダのライデンという地名が出ます。
アムステルダムの南西にあって、日本の博物館があるそうです。日本博物館シーボルトハウスとありました。
(ふと、日本はいつから「日本」になったのだろうかという疑問が生じました。調べたら西暦700年前後からだそうです。中国から見て、太陽が昇るところ(東側)だから日本なのだろうかと考えました)
『画狂老人卍(がきょうろうじんまんじ)』葛飾北斎自身がそう名のったそうです。すごい表現です。
版画から肉筆画へと変わっていったそうです。
『西瓜と包丁(すいかとほうちょう)』美しい絵です。
『椿と鮭の切り身』身近にあるものをなにげなく描写する。
ピカソ:1881年-1973年 91歳没
ピカソと葛飾北斎の絵画制作にかける情熱は似ていた。
芸術家にはスポンサー(資金等の援助者)が必要です。
芸術家は、収入面で不安定な職業です。
芸術家本人はお金に無頓着です。(むとんちゃく。関心がない。執着しない)
145ページにある葛飾北斎のスポンサー(支援者)だった長野県小布施(おぶせ)の大金持ちだった高井鴻山(たかい・こうざん 1806年-1883年)の漢詩が心にしみました。
漢詩では、葛飾北斎という人物は、うちに半年ほど滞在した。別れも告げずに立ち去った。くるときもふらりとやってきた。立ち去るときもなにも言い残していかなかった。自分の思うままに八十余年生きてきた人だ。貧乏とか富とか(とみ)名声とか、本人は気に留めていない。お金があろうがなかろうが、世間に媚びない(こびない。ごまをすらない。気に入られるようにごきげんをとらない)。ただひたすら絵を描くことが己の使命と思っている。そのようなことが書いてあるそうです。そうなりたいものです。
落款(らっかん):署名。印影。
ロシア人の関わり
セルゲイ・キターエフ:1864年-1927年 美術収集家
ベアタ・ヴォロノワ:1926年―2017年 学芸員
なになに人だからこういうふうだという先入観や決めつけはやめなければなりません。
ひとりひとりが個性をもった個人で、地球人です。
とにかく大量に作品をつくる。
長時間創作に打ち込む
さすれば、いい作品ができる。たぶん駄作もたくさん生まれる。
歴史の記録書を読むようでした。
人心というのは時代背景に押されて変化していく。
江戸時代の優秀な浮世絵は、明治維新後の外国文化こそ良きものという風潮に押されて衰退化していきます。
されど、本物は時代を越えて復活します。
2022年05月26日
奇跡 林真理子
奇跡 林真理子 講談社
実録物(じつろくもの)の不倫物語だろうか。
前知識なしで読み始めました。
梨園の妻(りえんのつま)とは、なんのことだろう。梨園は「歌舞伎の世界」で、歌舞伎役者と結婚した女性を梨園の妻というそうです。例として、三田寛子さん、藤原紀香さん、故小林真央さん。
正式な夫(歌舞伎役者)とのあいだに、3歳の長男(貴博。初代「清之助」)もいるというのに、33歳の人妻が、52歳の写真家(フランスのパリと東京を往復する生活している男性)といい仲になります。とりあえず、35ページまで読みました。
(つづく)
テレビ番組『徹子の部屋』にときおり、歌舞伎役者さんのこどもたちがゲストで登場します。かわいい。
未来の歌舞伎役者となる運命として生まれてきて、たいへんでしょうが、そういう立場(後継ぎ)で生まれてくるお子さんはけっこう多い。運命を受け入れて、健やかに(すこやかに)育ってほしい。
歌舞伎役者の妻は、ふつうの奥さんとは思えない生活です。
家に家事をしてくれるお手伝いさんがいます。
男から見て、家庭に『妻』という存在はいらないのではないか。
凡人とは暮らし方が違います。
この本では、奥さんが浮気をしますが、現実社会では、だんなさんのほうが愛人をつくるパターンが多い。(このあと、読んでいったら、だんなさんも浮気をしていました。芸能界にいる夫婦の暮らし方の基本的なありようがおかしい)
ノンフィクション(実際にあったこと)のようなことが書いてありますが、自分は知らない芸能の世界です。実名で書いてあるとありますが、名前を読んでもわかりません。
田原博子:1997年27歳(既婚状態)のときに田原桂一(当時46歳。1951年京都生まれ)と出会う。6年後再会して、恋に燃え上がる。ふーむ。年齢差が19歳もあるのう。ふたりとも頭の中は少年少女なのか。田原桂一氏には離婚歴があるようです。
自分には理解しがたい世界です。
お金に余裕がある人たちです。
凡人は低賃金で生活費を稼ぐために、必死になって長時間労働に耐えながら働いています。
少し前に動画配信サービスで観た邦画『青春の門』で、杉田かおるさんの良かったセリフとして『結婚して、こどもを産んで育てて、人間ってそんなもんとちがうやろか』がありました。
凡人はふつう結婚するときに<この人とペアを組んで、苦しいことやつらいことがあったとしても、長い人生をこの人といっしょにがんばっていこう>と決心して、じっさいそのように生活していきます。相手にイヤなところがあったとしても、いいところもあるわけで、お互い(おたがい)そんなふうだから、互いをいたわりあって、優しくしあって毎日を送っていきます。喜怒哀楽を共有しながら思い出づくりをしつつ老いていきます。そして、最後がお葬式です。
本文に『愛しあった男と女』とあります。
愛し合うということは、苦労を共にして、たまにふたりで、幸せ気分を味わうことです。
怒られるかもしれませんが、この設定の場合、男の初期動機は、若い女性の体が目的だったのではなかろうか。
女性の33歳はまだ若い。男性は52歳ぐらいです。
女性のほうは、男には、お金がある。見た目がかっこいい。強引なところにひかれるということがあるのでしょう。まあからだの関係に溺れるということもあるのでしょう。
読んでいるとなんだか、金持ちの道楽のようです。(時間つぶしの遊び)
一部の女性というものは、そういうものだろうか。
快楽に溺れることで幸福感が芽生える。
男から見て、彼氏はいいかげんな男にしか見えない。
だんなと息子はどうなるんだ。(だけど、だんなも浮気をしている。なんだかむちゃくちゃです)
一芸に秀でた(ひいでた)人は、どこか変なところがあるに違いない。
まわりにいる人間がフォローしなければならない。(尻ぬぐい)
(つづく)
現実に存在する人たちのお話です。
ちょっとスキャンダラスです。いいのだろうか。(恥部をさらけだして名誉をけなす)
主人公である1970年千葉県香取市生まれ田原博子さん(作中では清十郎の元妻。同じく作中では貴博という名の初代清之助の母。舅(しゅうと。夫の父)が作中では清左衛門)から著者が聞き取りをしてつくった本なのでしょう。
女性ご本人が離婚されているから書けることでもあるのでしょう。
著者と田原博子さんは、こどもさんがらみのママ友であったというような記事もあります。
田原博子さんの再婚相手が、田原桂一さん(写真家、建築プロデューサー)という家系図のメモができあがりました。
田原桂一さんは、2017年(平成29年)に65歳で肺がんのためお亡くなりになっています。(81ページにそのころ三人で暮らしていた。田原さんが亡くなったとき、息子さんは17歳だったとあります。13年間3人で暮らされたそうです。本の中では息子さんは現在21歳です)
1995年 結婚
2000年 長男誕生
2002年 別居(夫の浮気が原因でしょう)
2013年 博子氏が歌舞伎役者と離婚。
2014年 田原桂一氏と結婚。
2016年 田原桂一氏の離婚した前妻が死去。
2017年 田原桂一氏死去。65歳。亡くなるまでの13年間、博子氏の長男も含めて三人で暮らす。
主人公女性の出身地である水郷の里千葉県香取市は、テレビの旅番組で何度も観ました。歴史ある情緒ただよういい風景の街だと感じました。
主人公は、いいところのお嬢さんとしてお生まれになっています。
文章を読んでいると、親や祖父母の愛情に満たされていなかったお子さんに思えます。
お金が一番優先という生活です。
名誉とプライド(誇り)が大事なのです。
アバンギャルド:革新的、先駆け。すでにあるものを否定して新しいものをつくり出して表現する。
親ががんこだと、こどもの心は壊れます。
両親は、がんこな人たちです。
娘は『商品』なのだろうか。
(全部を読み終えて思ったことです。娘さんもがんこです。親子そろってがんこなのは、親子だからでしょう)
主人公女性は、自分の家にいることがいやだったのではないか。
実家もそうだし、嫁ぎ先の婚家もそうなのでしょう。
実家にも婚家にも『自由』がありません。
いい娘、いい妻、いい母、いい嫁を演じられない。
主人公女性個人だけのことではなく、女性が社会で生きるときのむずかしさという女性問題を扱った作品という受け止め方をした55ページ付近です。
男が主人公女性を束縛(そくばく)から解放したという構図ですが、体(からだ)目当てという下心もなきにしもあらずの部分はあります。本音として、男女の関係は体の関係がベースということもあります。
東京會舘(とうきょうかいかん):大正11年創業。宴会場、結婚式場、レストランなどを経営する企業。
2004年、主人公は34歳です。
カルティエ:フランスの高級宝飾ブランド。宝石商の王
ドン・ペリニヨン:フランスで生産されるシャンパンの銘柄。『ドンペリ』
ディレクション:制作現場の総指揮・管理
宥める(なだめる):怒りや不安をやわらげ、穏やかになるようにする。
コモ湖:イタリア。ミラノの北、スイスの南。中学生のころに学校で習ったイタリアの北部にミラノ、トリノ、ジェノバという工業地帯があるということを思い出しました。
主人公女性の家庭が崩壊していきます。
夫も浮気をしているわけです。最悪です。
みんなストレスがたまっているのね。
歌舞伎役者の浮気はOKなのか。むかしは、そういう時代がありました。
歌舞伎界というのはいじめがある世界なのだろうか。まあ、どこでもあるのだけれど。
アンジュノワール:フランス語。黒い天使。田原桂一氏が関わったお店(総指揮、管理)。東京港区南青山骨董通り(こっとうどおり)にあった。
地頭(じあたま):生まれつきの頭の良さ。
歌舞伎界の家族は、日常生活を世間にさらされるような不自由な生活を送られています。
時間の流れがけっこう早い。
息子の清之助さんが14歳になりました。
セルリアンタワー能楽堂:渋谷駅から徒歩5分の位置にある。
2004年(平成16年)
木村伊兵衛賞:木村伊兵衛氏は、写真家。1901年(明治34年)-1974年(昭和49年)72歳没。賞の主催は朝日新聞社。新人写真家が賞の対象者。
鍵を握る田原桂一氏の言葉として『祈るというのは、光をとらえる行為なんですよ』
ちょっと自分にはピンとこない言葉です。写真家のセンス(感覚)なのでしょう。
ノエル:フランス語で、クリスマス。
アパレルメーカー:アパレル(衣料品)の企画、製造、卸し(おろし)、販売を行う会社
この本に書いてある恋愛ごとは、もう終わったことです。(過去のこと)
しあわせって、どういう状態にあることをいうのだろうと考えこんでしまいました。
最低限のこととして言えることは『生きていること』です。
物もお金も豊かです。
住んでいる家も広いという生活です。
でも、住んでいるのは、夫とは別居中の妻と夫の間に生まれた長男、妻の彼氏の三人です。
凡人には体験できない世界があります。
自家用ジェット機があります。
クルーズ船もあります。
ヨーロッパで過ごす期間も長い。
ワインと料理をおいしくいただく。
長男は母親の彼氏を「おじちゃん」と呼びます。
読み手の頭の中が壊れそうです。
うーむ。意識がついていけません。
それぞれの人生です。
血はつながってはいないけれど、妻の連れ子には優しい父親役を果たしている妻の彼氏です。母親よりも19歳年上の彼氏は、こどもから見れば、父というよりも祖父に近い年齢の男性です。
こどもにとっては、妻子の経済生活を維持してくれる必要な存在です。
こどもを守ってくれる保護者が必要です。
2010年(平成22年)になりました。
田原桂一氏は、パリを引き上げて帰国しました。
病気で亡くなるまであと7年です。
互いのあきらめ→落ち着き→静寂(せいじゃく。静かでひっそりしたようす)。法律上の主人公夫婦の関係の変化です。愛情の無い者同士がいっしょにいてもしかたがない。
主人公女性の両親は世間体(せけんてい)を気にします。
両親を責めることはできません。
よくある話です。
結婚するときはよく考えたほうがいい。
この人でいいのかとよく考えたほうがいい。
2013年(平成25年)になりました。主人公女性は離婚して、彼氏と再婚しました。女性の長男は中学二年生です。
2014年(平成26年)長男が15歳になる年(とし)です。どういうわけか『元服(げんぷく。奈良時代以降の儀式。成人扱いとなる)』ということにこだわっておられます。やはり歌舞伎界の人です。一般人は、元服にはこだわりません。
肺がんで歳若くして亡くなった彼氏のヘビースモーカーぶりについて書いてあります。
喫煙は自殺行為です。
今、同時進行で読んでいる本が『江戸のジャーナリスト 葛飾北斎 千野境子(ちの・けいこ) 国土社』です。葛飾北斎は数え九十歳まで生きました。できるだけたくさんの絵を描きたかったので、健康に気をつけていたそうです。飲酒はほとんどしなかったとあります。葛飾北斎師匠を見習ってほしい。
結婚披露パーティーの雰囲気部分を読みながら、なんともいえない虚無感がありました。(きょむ。なにもない)
利害関係者の集まりです。
ランバン:フランスのファッションブランド
ペニンシュラ:東京有楽町駅の近くにあるホテル
2016年(平成28年)-2017年(平成29年)終章へと向かいます。
写真家としては『光』にこだわる彼氏という印象をもちました。『白』と『黒』の世界です。
田中泯(たなか・みん):舞踏家。1945年(昭和20年)77歳(こないだの日曜日に大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に登場されたのでびっくりしました)
レッド・ブッダ・シアター:イギリスの実験芸術集団。主宰者は、ツトム・ヤマシタ。1947年生まれ。75歳。
オプジーボ:がん治療薬
決めゼリフの『桂一と博子は、“無敵”ですから』は、けっこうつらい。
ふたりは、なにものかといつも闘っていた。
本のタイトル『奇跡』は、内容とマッチ(合致)していないような読後感をもちました。
自分がタイトルを付けるなら『めぐり逢い』あるいは『めぐり逢い紡いで(めぐりあいつむいで)』です。
昔、大塚博堂さん(おおつか・はくどうさん)とか、布施明さんが歌っていた『めぐり逢い紡いで(めぐりあいつむいで)』という歌唱が頭の中に流れた読後感でした。大塚博堂さんもご病気で亡くなってしまいました。(1981年。昭和56年。37歳没 脳内出血)
ミシュラン:フランスのタイヤメーカー。ミュシュランガイドブックを発行している。
感情はアウトオブコントロール(58ページ):制御不能。手がつけられない。
後半になるにつれて、雰囲気をつくりあげていく文脈になりました。
物足りなさが残る読後感になりました。
2012年に読んだ同作者の『下流の宴(かりゅうのうたげ)』は、緻密(ちみつ。こまかい)でいい作品でした。読み終えて、つい比較してしまいました。
実録物(じつろくもの)の不倫物語だろうか。
前知識なしで読み始めました。
梨園の妻(りえんのつま)とは、なんのことだろう。梨園は「歌舞伎の世界」で、歌舞伎役者と結婚した女性を梨園の妻というそうです。例として、三田寛子さん、藤原紀香さん、故小林真央さん。
正式な夫(歌舞伎役者)とのあいだに、3歳の長男(貴博。初代「清之助」)もいるというのに、33歳の人妻が、52歳の写真家(フランスのパリと東京を往復する生活している男性)といい仲になります。とりあえず、35ページまで読みました。
(つづく)
テレビ番組『徹子の部屋』にときおり、歌舞伎役者さんのこどもたちがゲストで登場します。かわいい。
未来の歌舞伎役者となる運命として生まれてきて、たいへんでしょうが、そういう立場(後継ぎ)で生まれてくるお子さんはけっこう多い。運命を受け入れて、健やかに(すこやかに)育ってほしい。
歌舞伎役者の妻は、ふつうの奥さんとは思えない生活です。
家に家事をしてくれるお手伝いさんがいます。
男から見て、家庭に『妻』という存在はいらないのではないか。
凡人とは暮らし方が違います。
この本では、奥さんが浮気をしますが、現実社会では、だんなさんのほうが愛人をつくるパターンが多い。(このあと、読んでいったら、だんなさんも浮気をしていました。芸能界にいる夫婦の暮らし方の基本的なありようがおかしい)
ノンフィクション(実際にあったこと)のようなことが書いてありますが、自分は知らない芸能の世界です。実名で書いてあるとありますが、名前を読んでもわかりません。
田原博子:1997年27歳(既婚状態)のときに田原桂一(当時46歳。1951年京都生まれ)と出会う。6年後再会して、恋に燃え上がる。ふーむ。年齢差が19歳もあるのう。ふたりとも頭の中は少年少女なのか。田原桂一氏には離婚歴があるようです。
自分には理解しがたい世界です。
お金に余裕がある人たちです。
凡人は低賃金で生活費を稼ぐために、必死になって長時間労働に耐えながら働いています。
少し前に動画配信サービスで観た邦画『青春の門』で、杉田かおるさんの良かったセリフとして『結婚して、こどもを産んで育てて、人間ってそんなもんとちがうやろか』がありました。
凡人はふつう結婚するときに<この人とペアを組んで、苦しいことやつらいことがあったとしても、長い人生をこの人といっしょにがんばっていこう>と決心して、じっさいそのように生活していきます。相手にイヤなところがあったとしても、いいところもあるわけで、お互い(おたがい)そんなふうだから、互いをいたわりあって、優しくしあって毎日を送っていきます。喜怒哀楽を共有しながら思い出づくりをしつつ老いていきます。そして、最後がお葬式です。
本文に『愛しあった男と女』とあります。
愛し合うということは、苦労を共にして、たまにふたりで、幸せ気分を味わうことです。
怒られるかもしれませんが、この設定の場合、男の初期動機は、若い女性の体が目的だったのではなかろうか。
女性の33歳はまだ若い。男性は52歳ぐらいです。
女性のほうは、男には、お金がある。見た目がかっこいい。強引なところにひかれるということがあるのでしょう。まあからだの関係に溺れるということもあるのでしょう。
読んでいるとなんだか、金持ちの道楽のようです。(時間つぶしの遊び)
一部の女性というものは、そういうものだろうか。
快楽に溺れることで幸福感が芽生える。
男から見て、彼氏はいいかげんな男にしか見えない。
だんなと息子はどうなるんだ。(だけど、だんなも浮気をしている。なんだかむちゃくちゃです)
一芸に秀でた(ひいでた)人は、どこか変なところがあるに違いない。
まわりにいる人間がフォローしなければならない。(尻ぬぐい)
(つづく)
現実に存在する人たちのお話です。
ちょっとスキャンダラスです。いいのだろうか。(恥部をさらけだして名誉をけなす)
主人公である1970年千葉県香取市生まれ田原博子さん(作中では清十郎の元妻。同じく作中では貴博という名の初代清之助の母。舅(しゅうと。夫の父)が作中では清左衛門)から著者が聞き取りをしてつくった本なのでしょう。
女性ご本人が離婚されているから書けることでもあるのでしょう。
著者と田原博子さんは、こどもさんがらみのママ友であったというような記事もあります。
田原博子さんの再婚相手が、田原桂一さん(写真家、建築プロデューサー)という家系図のメモができあがりました。
田原桂一さんは、2017年(平成29年)に65歳で肺がんのためお亡くなりになっています。(81ページにそのころ三人で暮らしていた。田原さんが亡くなったとき、息子さんは17歳だったとあります。13年間3人で暮らされたそうです。本の中では息子さんは現在21歳です)
1995年 結婚
2000年 長男誕生
2002年 別居(夫の浮気が原因でしょう)
2013年 博子氏が歌舞伎役者と離婚。
2014年 田原桂一氏と結婚。
2016年 田原桂一氏の離婚した前妻が死去。
2017年 田原桂一氏死去。65歳。亡くなるまでの13年間、博子氏の長男も含めて三人で暮らす。
主人公女性の出身地である水郷の里千葉県香取市は、テレビの旅番組で何度も観ました。歴史ある情緒ただよういい風景の街だと感じました。
主人公は、いいところのお嬢さんとしてお生まれになっています。
文章を読んでいると、親や祖父母の愛情に満たされていなかったお子さんに思えます。
お金が一番優先という生活です。
名誉とプライド(誇り)が大事なのです。
アバンギャルド:革新的、先駆け。すでにあるものを否定して新しいものをつくり出して表現する。
親ががんこだと、こどもの心は壊れます。
両親は、がんこな人たちです。
娘は『商品』なのだろうか。
(全部を読み終えて思ったことです。娘さんもがんこです。親子そろってがんこなのは、親子だからでしょう)
主人公女性は、自分の家にいることがいやだったのではないか。
実家もそうだし、嫁ぎ先の婚家もそうなのでしょう。
実家にも婚家にも『自由』がありません。
いい娘、いい妻、いい母、いい嫁を演じられない。
主人公女性個人だけのことではなく、女性が社会で生きるときのむずかしさという女性問題を扱った作品という受け止め方をした55ページ付近です。
男が主人公女性を束縛(そくばく)から解放したという構図ですが、体(からだ)目当てという下心もなきにしもあらずの部分はあります。本音として、男女の関係は体の関係がベースということもあります。
東京會舘(とうきょうかいかん):大正11年創業。宴会場、結婚式場、レストランなどを経営する企業。
2004年、主人公は34歳です。
カルティエ:フランスの高級宝飾ブランド。宝石商の王
ドン・ペリニヨン:フランスで生産されるシャンパンの銘柄。『ドンペリ』
ディレクション:制作現場の総指揮・管理
宥める(なだめる):怒りや不安をやわらげ、穏やかになるようにする。
コモ湖:イタリア。ミラノの北、スイスの南。中学生のころに学校で習ったイタリアの北部にミラノ、トリノ、ジェノバという工業地帯があるということを思い出しました。
主人公女性の家庭が崩壊していきます。
夫も浮気をしているわけです。最悪です。
みんなストレスがたまっているのね。
歌舞伎役者の浮気はOKなのか。むかしは、そういう時代がありました。
歌舞伎界というのはいじめがある世界なのだろうか。まあ、どこでもあるのだけれど。
アンジュノワール:フランス語。黒い天使。田原桂一氏が関わったお店(総指揮、管理)。東京港区南青山骨董通り(こっとうどおり)にあった。
地頭(じあたま):生まれつきの頭の良さ。
歌舞伎界の家族は、日常生活を世間にさらされるような不自由な生活を送られています。
時間の流れがけっこう早い。
息子の清之助さんが14歳になりました。
セルリアンタワー能楽堂:渋谷駅から徒歩5分の位置にある。
2004年(平成16年)
木村伊兵衛賞:木村伊兵衛氏は、写真家。1901年(明治34年)-1974年(昭和49年)72歳没。賞の主催は朝日新聞社。新人写真家が賞の対象者。
鍵を握る田原桂一氏の言葉として『祈るというのは、光をとらえる行為なんですよ』
ちょっと自分にはピンとこない言葉です。写真家のセンス(感覚)なのでしょう。
ノエル:フランス語で、クリスマス。
アパレルメーカー:アパレル(衣料品)の企画、製造、卸し(おろし)、販売を行う会社
この本に書いてある恋愛ごとは、もう終わったことです。(過去のこと)
しあわせって、どういう状態にあることをいうのだろうと考えこんでしまいました。
最低限のこととして言えることは『生きていること』です。
物もお金も豊かです。
住んでいる家も広いという生活です。
でも、住んでいるのは、夫とは別居中の妻と夫の間に生まれた長男、妻の彼氏の三人です。
凡人には体験できない世界があります。
自家用ジェット機があります。
クルーズ船もあります。
ヨーロッパで過ごす期間も長い。
ワインと料理をおいしくいただく。
長男は母親の彼氏を「おじちゃん」と呼びます。
読み手の頭の中が壊れそうです。
うーむ。意識がついていけません。
それぞれの人生です。
血はつながってはいないけれど、妻の連れ子には優しい父親役を果たしている妻の彼氏です。母親よりも19歳年上の彼氏は、こどもから見れば、父というよりも祖父に近い年齢の男性です。
こどもにとっては、妻子の経済生活を維持してくれる必要な存在です。
こどもを守ってくれる保護者が必要です。
2010年(平成22年)になりました。
田原桂一氏は、パリを引き上げて帰国しました。
病気で亡くなるまであと7年です。
互いのあきらめ→落ち着き→静寂(せいじゃく。静かでひっそりしたようす)。法律上の主人公夫婦の関係の変化です。愛情の無い者同士がいっしょにいてもしかたがない。
主人公女性の両親は世間体(せけんてい)を気にします。
両親を責めることはできません。
よくある話です。
結婚するときはよく考えたほうがいい。
この人でいいのかとよく考えたほうがいい。
2013年(平成25年)になりました。主人公女性は離婚して、彼氏と再婚しました。女性の長男は中学二年生です。
2014年(平成26年)長男が15歳になる年(とし)です。どういうわけか『元服(げんぷく。奈良時代以降の儀式。成人扱いとなる)』ということにこだわっておられます。やはり歌舞伎界の人です。一般人は、元服にはこだわりません。
肺がんで歳若くして亡くなった彼氏のヘビースモーカーぶりについて書いてあります。
喫煙は自殺行為です。
今、同時進行で読んでいる本が『江戸のジャーナリスト 葛飾北斎 千野境子(ちの・けいこ) 国土社』です。葛飾北斎は数え九十歳まで生きました。できるだけたくさんの絵を描きたかったので、健康に気をつけていたそうです。飲酒はほとんどしなかったとあります。葛飾北斎師匠を見習ってほしい。
結婚披露パーティーの雰囲気部分を読みながら、なんともいえない虚無感がありました。(きょむ。なにもない)
利害関係者の集まりです。
ランバン:フランスのファッションブランド
ペニンシュラ:東京有楽町駅の近くにあるホテル
2016年(平成28年)-2017年(平成29年)終章へと向かいます。
写真家としては『光』にこだわる彼氏という印象をもちました。『白』と『黒』の世界です。
田中泯(たなか・みん):舞踏家。1945年(昭和20年)77歳(こないだの日曜日に大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に登場されたのでびっくりしました)
レッド・ブッダ・シアター:イギリスの実験芸術集団。主宰者は、ツトム・ヤマシタ。1947年生まれ。75歳。
オプジーボ:がん治療薬
決めゼリフの『桂一と博子は、“無敵”ですから』は、けっこうつらい。
ふたりは、なにものかといつも闘っていた。
本のタイトル『奇跡』は、内容とマッチ(合致)していないような読後感をもちました。
自分がタイトルを付けるなら『めぐり逢い』あるいは『めぐり逢い紡いで(めぐりあいつむいで)』です。
昔、大塚博堂さん(おおつか・はくどうさん)とか、布施明さんが歌っていた『めぐり逢い紡いで(めぐりあいつむいで)』という歌唱が頭の中に流れた読後感でした。大塚博堂さんもご病気で亡くなってしまいました。(1981年。昭和56年。37歳没 脳内出血)
ミシュラン:フランスのタイヤメーカー。ミュシュランガイドブックを発行している。
感情はアウトオブコントロール(58ページ):制御不能。手がつけられない。
後半になるにつれて、雰囲気をつくりあげていく文脈になりました。
物足りなさが残る読後感になりました。
2012年に読んだ同作者の『下流の宴(かりゅうのうたげ)』は、緻密(ちみつ。こまかい)でいい作品でした。読み終えて、つい比較してしまいました。