熊太郎の旅と映画と読書感想文
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熊太郎
2007-05-07T11:32:08+09:00
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これはのみのぴこ 谷川俊太郎・作 和田誠・絵
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e154086.html
これはのみのぴこ 谷川俊太郎・作 和田誠・絵 サンリード 『これはのみのぴこ』というのは、『これは、のみの、ぴこ』という意味で、さらに、『これは、蚤(のみ)のぴこ』という、蚤の名前が、『ぴこ』ということなのです。 こどもさん向けの絵本です。1979年(昭和54年)にできたお話です。(1回目の本読み) 今の子どもは、『蚤(のみ)』を知らないのではないか。(わたしでさえ、わたしがこどものころに、一度だけしか「蚤(のみ)」を見たことがありません。とても小さくてぴょーんとはねます) ねこの名前が、『ごえもん(五右衛門)』です。 こどものころ、近所の家にあった五右衛門ぶろに一度だけ入ったことがあります。 お釜が熱いので、板を踏んづけて沈ませながら入りました。恐ろしかった記憶が今も残っています。 石川五右衛門のことです。有名な大泥棒です。1590年頃の人物。関ヶ原の合戦が1600年です。 捕まって、かまゆでの刑に処せられたのですが、同時に、こどもであった息子もお釜に入れられたとだれかから聞きました。お湯が湧きだした最初は、熱くなるお湯からこどもをかばって、お湯の上にこどもを持ち上げていたのですが、お釜の底は鉄で、だんだんお湯が熱くなると、五右衛門は自分のこどもを自分の足の下にしいたと聞きました。こどもは死んじゃいます。残酷です。その話が、ほんとか、どうかは知りません。そんなふうにだれかに聞きました。おとなから聞いた覚えです。最後は、五右衛門もお釜の中で死んじゃうんです。ふろに入れてあったのは、わたしが思うお湯ではなく、油だったという話もあります。ちょっと思い出しました。小学校低学年の時に、学校の先生から聞いた話でした。 この絵本に出てくるねこに、『五右衛門』と名づけたということは、そのねこは、どろぼうねこだったのかもしれません。 ひとつ思い出しました。小学生の時に、石川くんという男の子がいて、石川五右衛門とからかわれていました。気が強い子だったので、『五右衛門』と呼ばれるとかなり怒っていました。 絵本では、だんだん文章が長くなっていきます。 そういう連鎖か。落語の『寿限無(じゅげむ。ながーいお名前)』みたいです。 左のページは、長い文章、右のページが絵です。 さいごはどうなるのだろう。 ずーっと話が続いて、「おしまい」でした。 谷川俊太郎さん・文:1931年(昭和6年)生まれ。92歳 和田誠さん・絵:2019年(令和元年)83歳没。料理愛好家平野レミさんのだんなさんで、テレビ番組徹子の部屋で、平野レミさんがゲストのときに、だんなさんのことが毎回紹介されます。(2回目の本読み) 文章は、ぜーんぶ、ひらがなです。 ところどころのページで、ちっちゃなのみを絵の中でさがす楽しみがあります。ちびっこと読み手でさがしましょう。のみは、どーこだ?(のみの)ぴこ→(ねこの)ごえもん→あきら→あきらくんのおかあさん→おだんごやさん→ぎんこういん→おすもうさん→かしゅ(歌手)→どろぼう→やおやさん→しちょう(市長)→はいしゃさん(歯医者さん)→ほるんのせんせい(ホルン(管楽器)の先生)→(ねこの)しゃるる→のみのぷち(蚤のぷち) のみから始まってのみで終わる。物語づくりの基本パターンです。そして、よーく見ると、のみの名前が、最初と最後で違うのです。のみの名前は、『ぴこ』で始まって、最後の、のみの名前は、『ぷち』で終わっています。オチですな。(お話の締め。結末) 世の中には、いろいろなものがあるということを、ちびっこに教える絵本です。 ちびっこに音読させると、読み方の練習にもなるでしょう。
これはのみのぴこ 谷川俊太郎・作 和田誠・絵 サンリード
『これはのみのぴこ』というのは、『これは、のみの、ぴこ』という意味で、さらに、『これは、蚤(のみ)のぴこ』という、蚤の名前が、『ぴこ』ということなのです。
こどもさん向けの絵本です。1979年(昭和54年)にできたお話です。
(1回目の本読み)
今の子どもは、『蚤(のみ)』を知らないのではないか。(わたしでさえ、わたしがこどものころに、一度だけしか「蚤(のみ)」を見たことがありません。とても小さくてぴょーんとはねます)
ねこの名前が、『ごえもん(五右衛門)』です。
こどものころ、近所の家にあった五右衛門ぶろに一度だけ入ったことがあります。
お釜が熱いので、板を踏んづけて沈ませながら入りました。恐ろしかった記憶が今も残っています。
石川五右衛門のことです。有名な大泥棒です。1590年頃の人物。関ヶ原の合戦が1600年です。
捕まって、かまゆでの刑に処せられたのですが、同時に、こどもであった息子もお釜に入れられたとだれかから聞きました。お湯が湧きだした最初は、熱くなるお湯からこどもをかばって、お湯の上にこどもを持ち上げていたのですが、お釜の底は鉄で、だんだんお湯が熱くなると、五右衛門は自分のこどもを自分の足の下にしいたと聞きました。こどもは死んじゃいます。残酷です。その話が、ほんとか、どうかは知りません。そんなふうにだれかに聞きました。おとなから聞いた覚えです。最後は、五右衛門もお釜の中で死んじゃうんです。ふろに入れてあったのは、わたしが思うお湯ではなく、油だったという話もあります。ちょっと思い出しました。小学校低学年の時に、学校の先生から聞いた話でした。
この絵本に出てくるねこに、『五右衛門』と名づけたということは、そのねこは、どろぼうねこだったのかもしれません。
ひとつ思い出しました。小学生の時に、石川くんという男の子がいて、石川五右衛門とからかわれていました。気が強い子だったので、『五右衛門』と呼ばれるとかなり怒っていました。
絵本では、だんだん文章が長くなっていきます。
そういう連鎖か。落語の『寿限無(じゅげむ。ながーいお名前)』みたいです。
左のページは、長い文章、右のページが絵です。
さいごはどうなるのだろう。
ずーっと話が続いて、「おしまい」でした。
谷川俊太郎さん・文:1931年(昭和6年)生まれ。92歳
和田誠さん・絵:2019年(令和元年)83歳没。料理愛好家平野レミさんのだんなさんで、テレビ番組徹子の部屋で、平野レミさんがゲストのときに、だんなさんのことが毎回紹介されます。
(2回目の本読み)
文章は、ぜーんぶ、ひらがなです。
ところどころのページで、ちっちゃなのみを絵の中でさがす楽しみがあります。ちびっこと読み手でさがしましょう。のみは、どーこだ?
(のみの)ぴこ→(ねこの)ごえもん→あきら→あきらくんのおかあさん→おだんごやさん→ぎんこういん→おすもうさん→かしゅ(歌手)→どろぼう→やおやさん→しちょう(市長)→はいしゃさん(歯医者さん)→ほるんのせんせい(ホルン(管楽器)の先生)→(ねこの)しゃるる→のみのぷち(蚤のぷち)
のみから始まってのみで終わる。物語づくりの基本パターンです。
そして、よーく見ると、のみの名前が、最初と最後で違うのです。のみの名前は、『ぴこ』で始まって、最後の、のみの名前は、『ぷち』で終わっています。オチですな。(お話の締め。結末)
世の中には、いろいろなものがあるということを、ちびっこに教える絵本です。
ちびっこに音読させると、読み方の練習にもなるでしょう。]]>
読書感想文
熊太郎
2024-03-29T07:32:30+09:00
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母親からの小包はなぜこんなにダサいのか 原田ひ香
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母親からの小包はなぜこんなにダサいのか 原田ひ香 中央公論新社 短編が、第一話から第六話まであります。『第一話 上京物語』 読み終えて、自分が若かったころを思い出しました。 詳細は異なりますが、自分は18歳になって実家を出てひとり暮らしを始めました。雰囲気は小説に書いてあるこんな内容の感じでした。半世紀ぐらい前は、学校を出ると、住み込みで職人技を覚える仕事をしたり、会社の独身寮に入ったり、学生なら学生寮や下宿(げしゅく)に入る人が多かった。今ほど、住宅事情が充実していませんでした。 中学や高校を出るなり、大学を出るなりしたら、一時期でもいいからひとり暮らしを体験しておいたほうが、その後に人生に役立ちます。 衣食住の基本的なやりかたとか、社会での契約のしかた、人づきあいのしかたなどを学ぶのです。 たまに、生まれてからずーっと家にいて、おとなになってからも親と同居を続けていますという人をみると、う~むとうなってしまいます。 結婚して他人である配偶者との生活が始まると、夫婦として、いろいろうまくいかないことがありそうです。親にめんどうをみてもらう中学生ぐらいの衣食住に関する暮らし方の意識と知識のまま夫婦生活がスタートすると、いずれゆきづまりそうです。夫婦ゲンカが絶えない混乱の夫婦生活になるでしょう。 またいらぬことを書いてしまいますが、こどもにやらせるべきことをこどもにやらせないで、親や学校の先生がこどもより先にこどものことをやってしまっているせいなのか、学校を卒業して社会に出てくる新人をみて、とほうにくれたことがあります。どうやったらこういう人間ができあがるのだろうかということです。いつでもどこでもだれかが自分の世話をタダでしてくれると思いこんでいる。自分はいつでもどこでもお客さまという扱いをしてもらえるものだと思いこんでいる。自分の思いどおりにならないことがあると、相手のほうに責任があるとして相手を責める(せめる)。そんな新人を相手にすると、もうあなたの顔は二度と見たくないから、もうここには来ないでくれという気持ちになります。自立心とか、自活するんだという心意気が感じられないのです。 さて、こちらのお話です。 吉川美羽(よしかわ・みう):岩手県盛岡市に実家がある。反対する母親を押し切って、東京の短大英文科に進学した。将来ライター、カメラマンなどになりたい。親からの援助と自分の資金30万円ぐらいをもって、杉並区高円寺(こうえんじ)にあるアパートを借りた。人生の節目をへて、新たなスタートです。(最初は孤独感を味わうことになります。人にだまされないように注意してね。まあ、だまされて痛い目にあうことも人生経験ですが。それからアルコールは飲みすぎないほうがいいよ) 吉川小百合(よしかわ・さゆり):吉川美羽の母親。娘に対して過干渉です。『地元岩手第一主義の人』。ご本人も若い頃は東京にあこがれたけれど、東京で暮らしたことはない。東京に遊びには何度も行ったらしい。 吉川美羽の兄:東京の広告会社で働いている。妹の美羽がアパートを借りるまで、妹を同居させた。 吉川美羽の父:農家の三男坊。地元の国立大学を出て、盛岡市の信用金庫に就職した。役員候補。吉川美羽の妻小百合は美羽にパパのような男と結婚してほしいと願っている。娘の結婚相手は、『堅い職場』で働いている男性希望です。 町田:相場不動産の社員。吉川美羽にアパートを紹介した。美羽の母親ぐらいの年齢の女性。 相場:相場不動産の社長。杖をついた老人(男性) 小坂:コサカアパートの家主。コサカアパートの部屋は、四戸ある。 金髪店長:リサイクルショップの店長 美枝子:吉川美羽の母小百合の友人(じっさいはライバル)。東京のタワーマンションに住んでいる。お金があるらしい。ブランド品も集めている。美人。48歳。長男修介、次男修一、いずれも慶応大学関連の学校に通学している。美枝子さんは、自己顕示欲のかたまりです。タワーマンションの高い位置にある部屋から人や街を見下ろして、自己満足をされています。 佳乃:美羽の短大の女子学生。岩手県花巻市出身。 高円寺(こうえんじ)のあたりは、鉄道で何度か通過したことがあるので親しみが湧きます。 文化・芸能に興味がある人たちが住んでいるというイメージがあります。 南部せんべい:青森県八戸(はちのへ)地域発祥のおせんべい おかあさんは、かなり、娘の人生について干渉しすぎです。 親が心配するほど、娘は男性にもてないということはあります。 話の内容は、おもしろい。 大学というところは、レジャーセンター(遊びにいくところ)なのか。 『……東京というものがなんだか、怖く感じられたのだ。巨大なブラックホールみたいになんでも引き寄せて吸いこんで……』 読んでいて、自分が18歳だったころを思い出します。 老後を迎えて、よくやってこれた。いつだって、一生懸命だった。これでいい。あれで良かった。これで良かった。歳をとった今、そう思います。 人生の体験について考えました。 最近は、冠婚葬祭を軽くすませることが多くなりました。 結婚式を挙げないカップルも多い。 思うに、結婚式のやりかたを体験していないと、自分のこどもが結婚式を挙げるときに、結婚式の挙げ方(あげかた)を、親がわからないということがあります。ほかの儀式についても同様です。人生の節目にある儀式を軽くみる傾向を、人のありかたとして、それでいいのだろうかと心配しています。お葬式も同様です。(この本の最後のお話にそういうことが出てきます。ふつう、親が死んだときには、葬祭場の部屋で、棺桶に入った親といっしょに一夜を過ごします。お通夜です(おつや)。この話の娘さんは、ホテルを借りてホテルで過ごしました。びっくりです) この本は、親の『子離れ』の話だろうか。『第二話 ママはキャリアウーマン』 かなりいい内容でした。今年読んで良かった一冊になりました。第一話との関連はありません。 以前読んだ別の本のタイトルを思い出しました。『母が重くてたまらない 信田さよ子(のぶたさよこ) 春秋社』。娘にとって、あなたはこうしなさいと強制してくる母親は悩みの種なのです。 新井莉奈(あらい・りな):新婚さん。主婦。夫の北海道への転勤で、札幌市から車で1時間ぐらいのところに住み始めた。こどもはいない。 新井大樹:新井莉奈の夫。大手損害保険会社勤務。20代。大卒。係長。北海道の支社へ転勤。将来出世するための転勤と受け取れます。会社の借り上げ住宅(社宅代わり)に住んでいる。 新井大樹は、職場のことでいろいろとストレスがたまっている。妻の就労については、働いてもいいし、働かなくてもいい、本人次第と思っている。 松永敬子:新井莉奈の母親。離婚後、母子家庭で娘を育て上げた。夫と離婚してから必死に働いて、起業して今はお金持ち。東京住まい。 渡辺:新井大樹の会社の社員。新井大樹にとっては、年上の部下。新井大樹はやりにくい。 母親には自負があります。(じふ:自信、誇り)。自分は、女手一人(おんなでひとり)で、働いて、娘を一人前に育てた。母親は娘に、女性の自立として、結婚後の就労を強要します。 娘には、負い目(おいめ)があります。一生懸命働いて自分を育ててくれたことには母に感謝している。されど、自分がこどものころ、母親は仕事に追われて、日常生活は、殺伐とした(さつばつとした)雰囲気だった。こどもの自分は、母親にほったらかしにされて、かぎっ子でさびしい思いをした。暗い家庭だった。自分は、そんな家庭にはしたくないので、結婚しても働きたくない。主婦一本でやっていきたい。夫や、いつかできるであろうこどものために働きたくない。 読んでいて思い出したことがあります。主婦の人には怒られるかもしれません。 『主婦』という人は、組織で働く人間の苦悩を知らないと思ったことがあります。 勤め人には、自分が自由に使える時間があまりありません。主婦にはあります。主婦の仕事もあるでしょうが、自分で自分の時間をコントロールできる権利があります。勤め人と違って、時間を使う自由度が格段に違います。 読んでいて、母親の娘に対する束縛(そくばく。行動の自由を奪う。強制)が厳しい。 渋面(じゅうめん):不愉快そうな顔つき。 『本当に好きな人と結婚できるチャンスは、人生に何度もないよ』(一般的に、そのとおりです) 『家庭をおろそかにしてまで、働く必要なんてない。』(ケースバイケースです。食べていけなければ、こどもを犠牲にしてまで働かなければならないこともあります) 北海道の郷土料理が、みんなを救います。北海道の赤飯(せきはん。甘納豆が入っている)、それから、いももち。 食事はだいじです。食事内容が、会話のネタになります。無難な話題です。(ぶなん:あたりさわりがない。問題にならない。無事(ぶじ)) 『損か得か』にこだわると、『文化』からは距離が遠くなります。人生のおもしろさからは、離れていきます。 実(じつ)の娘なら、母親に対して、母親の自分に対する強制的な態度が、イヤならイヤとちゃんと言えばいい。 不満があったら、言わなきゃわかりあえません。 沈黙は、了解と受け取られてしまいます。 イヤなことがあっても、やらねばならないこと、やるべきことをやるのが大人(おとな)です。やりたいことだけをやって、やりたくないことをやらないのはこどもです。 こどもに対して、こどもの人生を決めようとする強制的な親に読んでほしい一編(いっぺん)です。 ラジオでお昼に流れている番組、『テレホン人生相談』みたいな内容でした。今年読んで良かった一冊になりました。 この話の場合、母親は、いくらお金があっても、哀れ(あわれ)な人です。 『第三話 疑似家族』 読み終えての感想です。 昔よく言われていた、『結婚と恋愛は違う』という内容の話です。結婚は、似た者同士で結婚したほうがいい。 お話の中では、理想に近づく形で終わっていますが、自分は、つくり話だと感じました。お金持ちの家の青年が性格もいい人として書いてありますが、そういうことはないと思います。お金の苦労をしたことがない人に、お金がない苦労がどんなにつらいものかはわかりません。お金持ちである彼と彼の親族は、きっと貧しい女性とその親族を見くだします。人には、人を差別したがる性質があります。 石井愛華(いしい・あいか):28歳。人材派遣会社勤務。群馬県出身。両親は愛華が小学生の頃に離婚して、父親は家を出て行ったまま行方知れずとなっている。こどものころは、親から虐待を受けていた。 愛華は、お金の無心(むしん。貸してくれとねだる。返してはくれない)をしてくる母親から逃げて都内で身を隠しながらひとり暮らしをしている。お金がないので、一生懸命働いている。親が今どこでどうしているのか知らない。 石井愛華は、野々村幸多と同棲している。彼に同棲を頼まれた。石井愛華は、ほんのでき心から同棲することになった野々村幸多にウソをついている。自分は、幸せな家庭に育った娘だとウソをついている。 石井愛華の信条(心構え)は、『自分を守れるのは自分しかいない』(そのとおりです) 石井愛華には、輝かしい経歴も家柄もない。大学通学のための奨学金はキャバ嬢をやって全額返済した。 野々村幸多(ののむら・こうた):商事会社勤務。お金持ちのお坊ちゃん。父親は、東証一部上場企業の役員、母親は主婦をしながら点字のボランティア活動をしている。東京都豊島区高級住宅地である目白(めじろ)に実家がある。有名な私立学校に通っていた。家族仲は良い。野々村は、恵比寿でひとり暮らしをしていたが、石井愛華を気に入って、彼女を家に招き入れて同棲している。野々村は、石井愛華と結婚したい意思がある。男三人兄弟。野々村幸多の親戚は、医者や学者、弁護士などです。野々村は、石井愛華のほんとうの素性を知らない。(すじょう。生まれ育ち) 楓(かえで):石井愛華の親友である女性。東北出身。 都築めぐみ:群馬県居住。農家で、農作物のネット販売をしている。夫は役所勤めで農作業を兼業している。娘は29歳で、東京都墨田区にある金融会社勤務、息子は高校生。夫の母親と同居している。 小料理屋喜楽(きらく)の60代のおかみ。おかみの仲介で、若いふたりが知り合った。 母親からという設定で(実はウソ)、石井愛華にお米とサツマイモが送られてきます。(都築めぐみからのネット販売です) 石井愛華の同棲相手である野々村の笑顔があります。石井愛華の母親と家庭について誤解しています。石井愛華のウソにだまされています。 ラタトュイユ:フランスニースの郷土料理。夏野菜の煮込み料理。 ご笑納(しょうのう):っまらないものですが、笑ってお受け取りください。(贈り物を渡すときの言葉) 読んでいる途中で意味がわからなくなります。石井愛華がウソをついているからです。タイトル、『疑似家族』に通じるものがあります。 積極的に愛華に結婚を迫る野々村幸多ですが、石井愛華は、自分の本当の家柄のことを野々村幸多に言えません。 身分が違うと、結婚話がしづらいということはあります。いくら財産がある相手でも、自分の親も含めた親戚づきあいがつらい。人生は気楽が一番です。結婚は、同じような人間同士がいっしょになるのが最適です。似た者同士です。 石井愛華にとって、小包を送ってくれる優しい親はいない。 122ページ、読んでいてせつなくなる。(胸が痛む) 石井愛華に、ちゃんとしたアドバイスをしてくれる人が現れます。良かった。 人生において、結婚できるチャンスは、そう何回もあるとは思えません。 この物語のふたりの結婚はむずかしい。結婚できたとしても、結婚生活を継続していくためには、このパターンの場合、男が、女をしっかり守るという強い意識をもっていなければなりません。もし苦難を克服できたらすごいことです。『第四話 お母さんの小包、お作りします』 初めて短編同士がつながりました。 第三話で登場した群馬県の農家都築めぐみさん宅の状況です。 どこの家でもうまくいかないことがいろいろあります。 東京に出た娘さんが妻子ある男性と不倫をして捨てられて、お金まで吸い取られて仕事を辞めて、10年ぶりに群馬の実家へ本格的に帰ってきました。(数年に1回の帰省はあった) 都築めぐみ:都築宅の母親。『ありんこ農場』を名乗って、お母さんの小包をつくって(中身は米ほか農作物)、ネットやラインで受け付けて配送している。 めぐみの夫:地元の役所勤務で、仕事の合間に農作業をしている。 都築さとみ:長女。東京へ行くと、親の反対を振り切って大学進学で上京して、東京で就職したのに仕事を辞めて帰郷した。28歳ぐらいか。 都築隆:長男。高校生 祖母:認知症が始まっている。アルツハイマー型認知症。症状は軽い。 亜美:都築さとみの小学校の時の友だち。思春期は、不良グループに所属していた。父親がいない。母親は美容師。自宅の近くのアパートを3万円で借りて暮らしている。ユニクロは高くて買えない。古着屋を利用している。コメダ珈琲(コーヒー)も高くて入れない。マックの100円コーヒーを飲んでいる。 友ちゃん:同じく、さとみの幼馴(おさな)なじみ。 お宝市場:リサイクルショップ 駒田:都築さとみをだましたテレビディレクター。チビで、デブでハゲだそうです。妻子あり。詐欺師のような男。めぐみの貯金を吸い上げた。貢がせた(みつがせた)。めぐみを自分の借金の保証人にした。 『24歳から5年間妻子ある男と付き合ってしまった』(ばかだなあ。そんな男に、『誠実』という言葉はありません) 読みながら考えたことです。 人間はなんのために生きているのか。 人間は、遊ぶために生きている。 遊ぶために働いている。 人生を楽しむために働こう。 水沢うどん:群馬県渋沢市伊香保町の名物料理 一筆箋(いっぴつせん):小型の便箋(びんせん)。短文を書く。 ロム専(ろむせん):読むだけで書き込みをしない人。Read Only Member 読んでいると、さみしくなってくるような内容でした。 テレビ局の番組とか、SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)の弊害(へいがい。有害なこと)が書いてあります。 う~む。つくってある話です。現実ではありません。『第五話 北の国から』 北海道に、もしかしたら亡くなった父親の母親(主人公にとっての祖母)がいるのではないかという話です。 亡くなった父親の両親は、離婚している。父親は祖父が引き取って育てた。祖母の所在は不明という設定です。 亡くなった父親(脳出血で急逝(きゅうせい。突然亡くなった))に毎年1回昆布が送られてきていたという経過があります。相手の名前は、槇恵子さんです。(まき・けいこ) 両親を失って、天涯孤独の身になった24歳の内藤拓也(広島県出身。東京の会社の独身寮住まい。18歳で上京、専門学校卒業後東京で就職)が、恋人の奈瑞菜(なずな。世田谷区下北沢居住。実家は千葉の稲毛(いなげ))と北海道羅臼(らうす)にいる槇恵子を訪ねます。 名古屋とか、千葉市稲毛区とか、昨年夏に訪れた下北沢とか、自分にとって土地勘のある場所が物語に出てきたので、親しみを感じました。 親戚はいても親戚づきあいをしてこなかったので、少し遠縁の親戚とは交流がない内藤拓也です。 係累(けいるい):親族のつながり。とくに、夫婦・親子兄弟姉妹 小包を送る話ですが、相手のことを思って、力いっぱい、たくさんの物を箱に入れて送るということはあります。自分たち夫婦にも、こどもたちや孫たちにそうやって大量の物を送った体験があります。歳月が流れて、そのときのことを思い出すと、たぶん迷惑だっただろうなあと今になって気づきます。でも、あれはあれで良かったと思います。人間とはそういうものなのです。気持ちがだいじです。 昆布の送り主は、内藤拓也くんの祖母ではありませんでした。 こういうことってあるのだろうなあ。年に1回だけのお世話になった方へのあいさつの物を送る交流です。(年賀状ということもあります)。お互いに会うことはないけれど、切りたくない人間関係ってあります。こちらの話の場合は、若い頃にかなわなかった恋の継続維持です。好き同士でも、結婚できず、それぞれが所帯をもつということはあります。『第六話 最後の小包』 主人公は24歳の若い女性なのですが、読んでいて、その女性がキライになりました。 彼女の脳みその中は、反抗期にある中学二年生女子の思考です。まわりにいる人間たちがみんな敵という感じ方と考え方です。(まわりにいる人たちは、その女性にかなり気を使っています。その女性を攻撃などしていません) 主人公女性の気持ちはわかりますが、自分の言いたい事だけ言って、自分がやるべきことを人にやらせています。(実母の葬儀一式)。そして、イヤならイヤとまわりの人に話をすべきなのに、説明もしません。勝手に腹を立てて、無言で、その場を去っています。とんでもない人です。 イヤでもやるべきことはやるのが、おとなです。やらないのは、こどもです。 主人公の女性は、中学二年生の頭脳のまま、見た目だけ24歳のおとなに成長した人です。 後藤弓香(ごとうゆみか):24歳。食品会社大阪支店勤務。本店は東京都内にある。中一のときに父母別居。父親が家を出て行った。その後、父母離婚。父の不倫が離婚の原因。父は、部下に手をつけた。母はその後再婚して、二度目の夫(元高校教師。定年退職して70歳ぐらい)と千葉県の房総半島で暮らしていた。その母が肺炎で急死した。継父の親族は後藤弓香をきらっていないのに、後藤弓香は、継父の親族たちをきらい、終始失礼で無礼(ぶれい)な態度を継父の親族たちにとった。東京杉並区内に、昔の家族三人で暮らしていたころの母親名義の分譲マンションがあるが今は空き家になっている。 平原正夫:後藤弓香の母親の再婚相手。70歳ぐらい。元高校教師。前妻も教師だったがすでに病死している。こどもはふたり。長男と長女がいて、長男夫婦に孫がひとりいる。 後藤弓香は、気持ちがカッカきて自分ひとりで興奮状態になるけれど、あきらめたほうがいい。人生は流されたほうが楽なときもあります。 がんこを貫いても(つらぬいても)、ひとりぼっちになってしまうだけです。 重松清作品『卒業』を思い出します。継父・継母がからんだこどものお話です。苦悩から、卒業するのです。名作です。 意地を張って馬鹿(ばか)だから、後藤弓香は、母親の死に目に立ち会うことができませんでした。親不孝者です。 人生経験がないから勝手です。後藤弓香は、葬式の段取りも知りません。結婚式の段取りも知らないでしょう。 人生は、知識よりも体験が重要です。 年齢に応じたやるべきことをやって体験を積んでおいた方が、のちのちの人生で楽ができます。 喪主(もしゅ)なんて、だれがやってもいいと思いますが、妻が死んだら、ふつうは夫が喪主です。 自分が喪主をやりたいなら、そのことを継父に言えばいい。 だまっていて、怒りの対象になる相手がいないところで文句を言うのは卑怯者です。(ひきょうもの。勇気がない。臆病者(おくびょうもの)。いやしい。どうどうとしていない) 池知智春(いけち・ともはる):後藤弓香の元カレ。高校生のときに父親を亡くしている。 物語の中で、後藤弓香を見て、この人は、クズだと思いました。 そんな後藤弓香に、母が亡くなってから、母が亡くなる直前に、娘にあてて送った小包が届きました。後藤弓香は、ばかたれです。改心しなさい。(かいしん。心を入れ替える)。心ある親はいつだって、こどものことを心配しているのです。
母親からの小包はなぜこんなにダサいのか 原田ひ香 中央公論新社
短編が、第一話から第六話まであります。
『第一話 上京物語』
読み終えて、自分が若かったころを思い出しました。
詳細は異なりますが、自分は18歳になって実家を出てひとり暮らしを始めました。雰囲気は小説に書いてあるこんな内容の感じでした。半世紀ぐらい前は、学校を出ると、住み込みで職人技を覚える仕事をしたり、会社の独身寮に入ったり、学生なら学生寮や下宿(げしゅく)に入る人が多かった。今ほど、住宅事情が充実していませんでした。
中学や高校を出るなり、大学を出るなりしたら、一時期でもいいからひとり暮らしを体験しておいたほうが、その後に人生に役立ちます。
衣食住の基本的なやりかたとか、社会での契約のしかた、人づきあいのしかたなどを学ぶのです。
たまに、生まれてからずーっと家にいて、おとなになってからも親と同居を続けていますという人をみると、う~むとうなってしまいます。
結婚して他人である配偶者との生活が始まると、夫婦として、いろいろうまくいかないことがありそうです。親にめんどうをみてもらう中学生ぐらいの衣食住に関する暮らし方の意識と知識のまま夫婦生活がスタートすると、いずれゆきづまりそうです。夫婦ゲンカが絶えない混乱の夫婦生活になるでしょう。
またいらぬことを書いてしまいますが、こどもにやらせるべきことをこどもにやらせないで、親や学校の先生がこどもより先にこどものことをやってしまっているせいなのか、学校を卒業して社会に出てくる新人をみて、とほうにくれたことがあります。どうやったらこういう人間ができあがるのだろうかということです。いつでもどこでもだれかが自分の世話をタダでしてくれると思いこんでいる。自分はいつでもどこでもお客さまという扱いをしてもらえるものだと思いこんでいる。自分の思いどおりにならないことがあると、相手のほうに責任があるとして相手を責める(せめる)。そんな新人を相手にすると、もうあなたの顔は二度と見たくないから、もうここには来ないでくれという気持ちになります。自立心とか、自活するんだという心意気が感じられないのです。
さて、こちらのお話です。
吉川美羽(よしかわ・みう):岩手県盛岡市に実家がある。反対する母親を押し切って、東京の短大英文科に進学した。将来ライター、カメラマンなどになりたい。親からの援助と自分の資金30万円ぐらいをもって、杉並区高円寺(こうえんじ)にあるアパートを借りた。人生の節目をへて、新たなスタートです。(最初は孤独感を味わうことになります。人にだまされないように注意してね。まあ、だまされて痛い目にあうことも人生経験ですが。それからアルコールは飲みすぎないほうがいいよ)
吉川小百合(よしかわ・さゆり):吉川美羽の母親。娘に対して過干渉です。『地元岩手第一主義の人』。ご本人も若い頃は東京にあこがれたけれど、東京で暮らしたことはない。東京に遊びには何度も行ったらしい。
吉川美羽の兄:東京の広告会社で働いている。妹の美羽がアパートを借りるまで、妹を同居させた。
吉川美羽の父:農家の三男坊。地元の国立大学を出て、盛岡市の信用金庫に就職した。役員候補。吉川美羽の妻小百合は美羽にパパのような男と結婚してほしいと願っている。娘の結婚相手は、『堅い職場』で働いている男性希望です。
町田:相場不動産の社員。吉川美羽にアパートを紹介した。美羽の母親ぐらいの年齢の女性。
相場:相場不動産の社長。杖をついた老人(男性)
小坂:コサカアパートの家主。コサカアパートの部屋は、四戸ある。
金髪店長:リサイクルショップの店長
美枝子:吉川美羽の母小百合の友人(じっさいはライバル)。東京のタワーマンションに住んでいる。お金があるらしい。ブランド品も集めている。美人。48歳。長男修介、次男修一、いずれも慶応大学関連の学校に通学している。美枝子さんは、自己顕示欲のかたまりです。タワーマンションの高い位置にある部屋から人や街を見下ろして、自己満足をされています。
佳乃:美羽の短大の女子学生。岩手県花巻市出身。
高円寺(こうえんじ)のあたりは、鉄道で何度か通過したことがあるので親しみが湧きます。
文化・芸能に興味がある人たちが住んでいるというイメージがあります。
南部せんべい:青森県八戸(はちのへ)地域発祥のおせんべい
おかあさんは、かなり、娘の人生について干渉しすぎです。
親が心配するほど、娘は男性にもてないということはあります。
話の内容は、おもしろい。
大学というところは、レジャーセンター(遊びにいくところ)なのか。
『……東京というものがなんだか、怖く感じられたのだ。巨大なブラックホールみたいになんでも引き寄せて吸いこんで……』
読んでいて、自分が18歳だったころを思い出します。
老後を迎えて、よくやってこれた。いつだって、一生懸命だった。これでいい。あれで良かった。これで良かった。歳をとった今、そう思います。
人生の体験について考えました。
最近は、冠婚葬祭を軽くすませることが多くなりました。
結婚式を挙げないカップルも多い。
思うに、結婚式のやりかたを体験していないと、自分のこどもが結婚式を挙げるときに、結婚式の挙げ方(あげかた)を、親がわからないということがあります。ほかの儀式についても同様です。人生の節目にある儀式を軽くみる傾向を、人のありかたとして、それでいいのだろうかと心配しています。お葬式も同様です。(この本の最後のお話にそういうことが出てきます。ふつう、親が死んだときには、葬祭場の部屋で、棺桶に入った親といっしょに一夜を過ごします。お通夜です(おつや)。この話の娘さんは、ホテルを借りてホテルで過ごしました。びっくりです)
この本は、親の『子離れ』の話だろうか。
『第二話 ママはキャリアウーマン』
かなりいい内容でした。今年読んで良かった一冊になりました。第一話との関連はありません。
以前読んだ別の本のタイトルを思い出しました。『母が重くてたまらない 信田さよ子(のぶたさよこ) 春秋社』。娘にとって、あなたはこうしなさいと強制してくる母親は悩みの種なのです。
新井莉奈(あらい・りな):新婚さん。主婦。夫の北海道への転勤で、札幌市から車で1時間ぐらいのところに住み始めた。こどもはいない。
新井大樹:新井莉奈の夫。大手損害保険会社勤務。20代。大卒。係長。北海道の支社へ転勤。将来出世するための転勤と受け取れます。会社の借り上げ住宅(社宅代わり)に住んでいる。
新井大樹は、職場のことでいろいろとストレスがたまっている。妻の就労については、働いてもいいし、働かなくてもいい、本人次第と思っている。
松永敬子:新井莉奈の母親。離婚後、母子家庭で娘を育て上げた。夫と離婚してから必死に働いて、起業して今はお金持ち。東京住まい。
渡辺:新井大樹の会社の社員。新井大樹にとっては、年上の部下。新井大樹はやりにくい。
母親には自負があります。(じふ:自信、誇り)。自分は、女手一人(おんなでひとり)で、働いて、娘を一人前に育てた。母親は娘に、女性の自立として、結婚後の就労を強要します。
娘には、負い目(おいめ)があります。一生懸命働いて自分を育ててくれたことには母に感謝している。されど、自分がこどものころ、母親は仕事に追われて、日常生活は、殺伐とした(さつばつとした)雰囲気だった。こどもの自分は、母親にほったらかしにされて、かぎっ子でさびしい思いをした。暗い家庭だった。自分は、そんな家庭にはしたくないので、結婚しても働きたくない。主婦一本でやっていきたい。夫や、いつかできるであろうこどものために働きたくない。
読んでいて思い出したことがあります。主婦の人には怒られるかもしれません。
『主婦』という人は、組織で働く人間の苦悩を知らないと思ったことがあります。
勤め人には、自分が自由に使える時間があまりありません。主婦にはあります。主婦の仕事もあるでしょうが、自分で自分の時間をコントロールできる権利があります。勤め人と違って、時間を使う自由度が格段に違います。
読んでいて、母親の娘に対する束縛(そくばく。行動の自由を奪う。強制)が厳しい。
渋面(じゅうめん):不愉快そうな顔つき。
『本当に好きな人と結婚できるチャンスは、人生に何度もないよ』(一般的に、そのとおりです)
『家庭をおろそかにしてまで、働く必要なんてない。』(ケースバイケースです。食べていけなければ、こどもを犠牲にしてまで働かなければならないこともあります)
北海道の郷土料理が、みんなを救います。北海道の赤飯(せきはん。甘納豆が入っている)、それから、いももち。
食事はだいじです。食事内容が、会話のネタになります。無難な話題です。(ぶなん:あたりさわりがない。問題にならない。無事(ぶじ))
『損か得か』にこだわると、『文化』からは距離が遠くなります。人生のおもしろさからは、離れていきます。
実(じつ)の娘なら、母親に対して、母親の自分に対する強制的な態度が、イヤならイヤとちゃんと言えばいい。
不満があったら、言わなきゃわかりあえません。
沈黙は、了解と受け取られてしまいます。
イヤなことがあっても、やらねばならないこと、やるべきことをやるのが大人(おとな)です。やりたいことだけをやって、やりたくないことをやらないのはこどもです。
こどもに対して、こどもの人生を決めようとする強制的な親に読んでほしい一編(いっぺん)です。
ラジオでお昼に流れている番組、『テレホン人生相談』みたいな内容でした。今年読んで良かった一冊になりました。
この話の場合、母親は、いくらお金があっても、哀れ(あわれ)な人です。
『第三話 疑似家族』
読み終えての感想です。
昔よく言われていた、『結婚と恋愛は違う』という内容の話です。結婚は、似た者同士で結婚したほうがいい。
お話の中では、理想に近づく形で終わっていますが、自分は、つくり話だと感じました。お金持ちの家の青年が性格もいい人として書いてありますが、そういうことはないと思います。お金の苦労をしたことがない人に、お金がない苦労がどんなにつらいものかはわかりません。お金持ちである彼と彼の親族は、きっと貧しい女性とその親族を見くだします。人には、人を差別したがる性質があります。
石井愛華(いしい・あいか):28歳。人材派遣会社勤務。群馬県出身。両親は愛華が小学生の頃に離婚して、父親は家を出て行ったまま行方知れずとなっている。こどものころは、親から虐待を受けていた。
愛華は、お金の無心(むしん。貸してくれとねだる。返してはくれない)をしてくる母親から逃げて都内で身を隠しながらひとり暮らしをしている。お金がないので、一生懸命働いている。親が今どこでどうしているのか知らない。
石井愛華は、野々村幸多と同棲している。彼に同棲を頼まれた。石井愛華は、ほんのでき心から同棲することになった野々村幸多にウソをついている。自分は、幸せな家庭に育った娘だとウソをついている。
石井愛華の信条(心構え)は、『自分を守れるのは自分しかいない』(そのとおりです)
石井愛華には、輝かしい経歴も家柄もない。大学通学のための奨学金はキャバ嬢をやって全額返済した。
野々村幸多(ののむら・こうた):商事会社勤務。お金持ちのお坊ちゃん。父親は、東証一部上場企業の役員、母親は主婦をしながら点字のボランティア活動をしている。東京都豊島区高級住宅地である目白(めじろ)に実家がある。有名な私立学校に通っていた。家族仲は良い。野々村は、恵比寿でひとり暮らしをしていたが、石井愛華を気に入って、彼女を家に招き入れて同棲している。野々村は、石井愛華と結婚したい意思がある。男三人兄弟。野々村幸多の親戚は、医者や学者、弁護士などです。野々村は、石井愛華のほんとうの素性を知らない。(すじょう。生まれ育ち)
楓(かえで):石井愛華の親友である女性。東北出身。
都築めぐみ:群馬県居住。農家で、農作物のネット販売をしている。夫は役所勤めで農作業を兼業している。娘は29歳で、東京都墨田区にある金融会社勤務、息子は高校生。夫の母親と同居している。
小料理屋喜楽(きらく)の60代のおかみ。おかみの仲介で、若いふたりが知り合った。
母親からという設定で(実はウソ)、石井愛華にお米とサツマイモが送られてきます。(都築めぐみからのネット販売です)
石井愛華の同棲相手である野々村の笑顔があります。石井愛華の母親と家庭について誤解しています。石井愛華のウソにだまされています。
ラタトュイユ:フランスニースの郷土料理。夏野菜の煮込み料理。
ご笑納(しょうのう):っまらないものですが、笑ってお受け取りください。(贈り物を渡すときの言葉)
読んでいる途中で意味がわからなくなります。石井愛華がウソをついているからです。タイトル、『疑似家族』に通じるものがあります。
積極的に愛華に結婚を迫る野々村幸多ですが、石井愛華は、自分の本当の家柄のことを野々村幸多に言えません。
身分が違うと、結婚話がしづらいということはあります。いくら財産がある相手でも、自分の親も含めた親戚づきあいがつらい。人生は気楽が一番です。結婚は、同じような人間同士がいっしょになるのが最適です。似た者同士です。
石井愛華にとって、小包を送ってくれる優しい親はいない。
122ページ、読んでいてせつなくなる。(胸が痛む)
石井愛華に、ちゃんとしたアドバイスをしてくれる人が現れます。良かった。
人生において、結婚できるチャンスは、そう何回もあるとは思えません。
この物語のふたりの結婚はむずかしい。結婚できたとしても、結婚生活を継続していくためには、このパターンの場合、男が、女をしっかり守るという強い意識をもっていなければなりません。もし苦難を克服できたらすごいことです。
『第四話 お母さんの小包、お作りします』
初めて短編同士がつながりました。
第三話で登場した群馬県の農家都築めぐみさん宅の状況です。
どこの家でもうまくいかないことがいろいろあります。
東京に出た娘さんが妻子ある男性と不倫をして捨てられて、お金まで吸い取られて仕事を辞めて、10年ぶりに群馬の実家へ本格的に帰ってきました。(数年に1回の帰省はあった)
都築めぐみ:都築宅の母親。『ありんこ農場』を名乗って、お母さんの小包をつくって(中身は米ほか農作物)、ネットやラインで受け付けて配送している。
めぐみの夫:地元の役所勤務で、仕事の合間に農作業をしている。
都築さとみ:長女。東京へ行くと、親の反対を振り切って大学進学で上京して、東京で就職したのに仕事を辞めて帰郷した。28歳ぐらいか。
都築隆:長男。高校生
祖母:認知症が始まっている。アルツハイマー型認知症。症状は軽い。
亜美:都築さとみの小学校の時の友だち。思春期は、不良グループに所属していた。父親がいない。母親は美容師。自宅の近くのアパートを3万円で借りて暮らしている。ユニクロは高くて買えない。古着屋を利用している。コメダ珈琲(コーヒー)も高くて入れない。マックの100円コーヒーを飲んでいる。
友ちゃん:同じく、さとみの幼馴(おさな)なじみ。
お宝市場:リサイクルショップ
駒田:都築さとみをだましたテレビディレクター。チビで、デブでハゲだそうです。妻子あり。詐欺師のような男。めぐみの貯金を吸い上げた。貢がせた(みつがせた)。めぐみを自分の借金の保証人にした。
『24歳から5年間妻子ある男と付き合ってしまった』(ばかだなあ。そんな男に、『誠実』という言葉はありません)
読みながら考えたことです。
人間はなんのために生きているのか。
人間は、遊ぶために生きている。
遊ぶために働いている。
人生を楽しむために働こう。
水沢うどん:群馬県渋沢市伊香保町の名物料理
一筆箋(いっぴつせん):小型の便箋(びんせん)。短文を書く。
ロム専(ろむせん):読むだけで書き込みをしない人。Read Only Member
読んでいると、さみしくなってくるような内容でした。
テレビ局の番組とか、SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)の弊害(へいがい。有害なこと)が書いてあります。
う~む。つくってある話です。現実ではありません。
『第五話 北の国から』
北海道に、もしかしたら亡くなった父親の母親(主人公にとっての祖母)がいるのではないかという話です。
亡くなった父親の両親は、離婚している。父親は祖父が引き取って育てた。祖母の所在は不明という設定です。
亡くなった父親(脳出血で急逝(きゅうせい。突然亡くなった))に毎年1回昆布が送られてきていたという経過があります。相手の名前は、槇恵子さんです。(まき・けいこ)
両親を失って、天涯孤独の身になった24歳の内藤拓也(広島県出身。東京の会社の独身寮住まい。18歳で上京、専門学校卒業後東京で就職)が、恋人の奈瑞菜(なずな。世田谷区下北沢居住。実家は千葉の稲毛(いなげ))と北海道羅臼(らうす)にいる槇恵子を訪ねます。
名古屋とか、千葉市稲毛区とか、昨年夏に訪れた下北沢とか、自分にとって土地勘のある場所が物語に出てきたので、親しみを感じました。
親戚はいても親戚づきあいをしてこなかったので、少し遠縁の親戚とは交流がない内藤拓也です。
係累(けいるい):親族のつながり。とくに、夫婦・親子兄弟姉妹
小包を送る話ですが、相手のことを思って、力いっぱい、たくさんの物を箱に入れて送るということはあります。自分たち夫婦にも、こどもたちや孫たちにそうやって大量の物を送った体験があります。歳月が流れて、そのときのことを思い出すと、たぶん迷惑だっただろうなあと今になって気づきます。でも、あれはあれで良かったと思います。人間とはそういうものなのです。気持ちがだいじです。
昆布の送り主は、内藤拓也くんの祖母ではありませんでした。
こういうことってあるのだろうなあ。年に1回だけのお世話になった方へのあいさつの物を送る交流です。(年賀状ということもあります)。お互いに会うことはないけれど、切りたくない人間関係ってあります。こちらの話の場合は、若い頃にかなわなかった恋の継続維持です。好き同士でも、結婚できず、それぞれが所帯をもつということはあります。
『第六話 最後の小包』
主人公は24歳の若い女性なのですが、読んでいて、その女性がキライになりました。
彼女の脳みその中は、反抗期にある中学二年生女子の思考です。まわりにいる人間たちがみんな敵という感じ方と考え方です。(まわりにいる人たちは、その女性にかなり気を使っています。その女性を攻撃などしていません)
主人公女性の気持ちはわかりますが、自分の言いたい事だけ言って、自分がやるべきことを人にやらせています。(実母の葬儀一式)。そして、イヤならイヤとまわりの人に話をすべきなのに、説明もしません。勝手に腹を立てて、無言で、その場を去っています。とんでもない人です。
イヤでもやるべきことはやるのが、おとなです。やらないのは、こどもです。
主人公の女性は、中学二年生の頭脳のまま、見た目だけ24歳のおとなに成長した人です。
後藤弓香(ごとうゆみか):24歳。食品会社大阪支店勤務。本店は東京都内にある。中一のときに父母別居。父親が家を出て行った。その後、父母離婚。父の不倫が離婚の原因。父は、部下に手をつけた。母はその後再婚して、二度目の夫(元高校教師。定年退職して70歳ぐらい)と千葉県の房総半島で暮らしていた。その母が肺炎で急死した。継父の親族は後藤弓香をきらっていないのに、後藤弓香は、継父の親族たちをきらい、終始失礼で無礼(ぶれい)な態度を継父の親族たちにとった。東京杉並区内に、昔の家族三人で暮らしていたころの母親名義の分譲マンションがあるが今は空き家になっている。
平原正夫:後藤弓香の母親の再婚相手。70歳ぐらい。元高校教師。前妻も教師だったがすでに病死している。こどもはふたり。長男と長女がいて、長男夫婦に孫がひとりいる。
後藤弓香は、気持ちがカッカきて自分ひとりで興奮状態になるけれど、あきらめたほうがいい。人生は流されたほうが楽なときもあります。
がんこを貫いても(つらぬいても)、ひとりぼっちになってしまうだけです。
重松清作品『卒業』を思い出します。継父・継母がからんだこどものお話です。苦悩から、卒業するのです。名作です。
意地を張って馬鹿(ばか)だから、後藤弓香は、母親の死に目に立ち会うことができませんでした。親不孝者です。
人生経験がないから勝手です。後藤弓香は、葬式の段取りも知りません。結婚式の段取りも知らないでしょう。
人生は、知識よりも体験が重要です。
年齢に応じたやるべきことをやって体験を積んでおいた方が、のちのちの人生で楽ができます。
喪主(もしゅ)なんて、だれがやってもいいと思いますが、妻が死んだら、ふつうは夫が喪主です。
自分が喪主をやりたいなら、そのことを継父に言えばいい。
だまっていて、怒りの対象になる相手がいないところで文句を言うのは卑怯者です。(ひきょうもの。勇気がない。臆病者(おくびょうもの)。いやしい。どうどうとしていない)
池知智春(いけち・ともはる):後藤弓香の元カレ。高校生のときに父親を亡くしている。
物語の中で、後藤弓香を見て、この人は、クズだと思いました。
そんな後藤弓香に、母が亡くなってから、母が亡くなる直前に、娘にあてて送った小包が届きました。後藤弓香は、ばかたれです。改心しなさい。(かいしん。心を入れ替える)。心ある親はいつだって、こどものことを心配しているのです。]]>
読書感想文
熊太郎
2024-03-27T07:19:02+09:00
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もうじきたべられるぼく はせがわゆうじ・作
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e154063.html
もうじきたべられるぼく はせがわゆうじ・作 中央公論新社 たべられるのは牛くんです。 おぼろげな色調の絵が渋い。(地味だが味わい深い) 最初の絵にある文句が、『ぼくはうしだから もうじきたべられるのだそうだ。』 この一行を見て、思い出す文学作品と邦画があります。 『食堂かたつむり 小川糸 ポプラ社』 『ブタがいた教室(DVD) 日活㈱』 小説、『食堂かたつむり』小川糸著では、言葉を失ったシェフの倫子(りんこ)さんが、エルメスと名付けた豚ちゃんを愛情込めて育てて、最後に自分でエルメスを捌(さば)いて食べます。 『ブタがいた教室』は、実話の映画化です。本は、『豚のPちゃんと32人の小学生 命の授業900日 ミネルバ書房』です。その本をもとにつくられた映画、『ブタがいた教室』では、小学生26人がPちゃんと名付けた豚を同じく愛情を込めて育てたのですが、倫子さんのようにはいきません。食肉にすることがそうそう簡単にはできません。こどもたちは、迫真の演技でした。 絵本では、牛の擬人化があります。 牛は、お肉になる前にお母さんに会いたい。 ありえない流れです。 牛に感情をもたせます。 牛は、列車に乗って、母親がいる牧場を目指します。 絵本です。 母と子がいます。親子です。 どうして、母子は同じ牧場にいないのだろう。(読み手であるへんくつなおとなのわたしです。偏屈:性格が素直ではない) お肉になるのは、黒毛和牛です。絵本の絵は、乳牛です。(ヘンです) う~む。つっこみどころが多そうな絵本です。 ペットになる愛玩動物と、人間が食べる食材になる商業用動物がいる。 メッセージは、牛肉を食べないということではなく、食材になる生き物に感謝するということだろうか。 牛の親子の愛情シーンというのは、イメージがわきません。 牛の母は、牛の息子のことなんか考えてはいないでしょう。 自分がお肉になると母親に言ったら、母親は悲しむだろうと考えて、牛君は、母親に会わずに帰ろうとします。電車にのって、帰ろうとします。 (感情に流され過ぎではなかろうか。ふつう、こどもがお肉になる前に、親が先にお肉になるのではなかろうか) 母牛が息子牛に気づいて、息子牛が乗った列車を、ものすごい勢いで走りながら追いかけてきます。 (ああやっぱり)『……ぼくをたべた人が 自分のいのちを 大切にしてくれたらいいな。』 お話は終わりました。 (本づくりとして)う~ん。どうかなあ。もっと自信をもってほしい。 強気でいかないとメンタルがつぶれてしまいます。(心が折れる。メンタル:精神。精神力) 悲しみではなく、人間に向かって、お~れを食べるのなら、最高においしく食べてくれ! ぐらいの気概がほしい。(きがい:強い気持ち)
もうじきたべられるぼく はせがわゆうじ・作 中央公論新社
たべられるのは牛くんです。
おぼろげな色調の絵が渋い。(地味だが味わい深い)
最初の絵にある文句が、『ぼくはうしだから もうじきたべられるのだそうだ。』
この一行を見て、思い出す文学作品と邦画があります。
『食堂かたつむり 小川糸 ポプラ社』
『ブタがいた教室(DVD) 日活㈱』
小説、『食堂かたつむり』小川糸著では、言葉を失ったシェフの倫子(りんこ)さんが、エルメスと名付けた豚ちゃんを愛情込めて育てて、最後に自分でエルメスを捌(さば)いて食べます。
『ブタがいた教室』は、実話の映画化です。本は、『豚のPちゃんと32人の小学生 命の授業900日 ミネルバ書房』です。その本をもとにつくられた映画、『ブタがいた教室』では、小学生26人がPちゃんと名付けた豚を同じく愛情を込めて育てたのですが、倫子さんのようにはいきません。食肉にすることがそうそう簡単にはできません。こどもたちは、迫真の演技でした。
絵本では、牛の擬人化があります。
牛は、お肉になる前にお母さんに会いたい。
ありえない流れです。
牛に感情をもたせます。
牛は、列車に乗って、母親がいる牧場を目指します。
絵本です。
母と子がいます。親子です。
どうして、母子は同じ牧場にいないのだろう。(読み手であるへんくつなおとなのわたしです。偏屈:性格が素直ではない)
お肉になるのは、黒毛和牛です。絵本の絵は、乳牛です。(ヘンです)
う~む。つっこみどころが多そうな絵本です。
ペットになる愛玩動物と、人間が食べる食材になる商業用動物がいる。
メッセージは、牛肉を食べないということではなく、食材になる生き物に感謝するということだろうか。
牛の親子の愛情シーンというのは、イメージがわきません。
牛の母は、牛の息子のことなんか考えてはいないでしょう。
自分がお肉になると母親に言ったら、母親は悲しむだろうと考えて、牛君は、母親に会わずに帰ろうとします。電車にのって、帰ろうとします。
(感情に流され過ぎではなかろうか。ふつう、こどもがお肉になる前に、親が先にお肉になるのではなかろうか)
母牛が息子牛に気づいて、息子牛が乗った列車を、ものすごい勢いで走りながら追いかけてきます。
(ああやっぱり)『……ぼくをたべた人が 自分のいのちを 大切にしてくれたらいいな。』
お話は終わりました。
(本づくりとして)う~ん。どうかなあ。もっと自信をもってほしい。
強気でいかないとメンタルがつぶれてしまいます。(心が折れる。メンタル:精神。精神力)
悲しみではなく、人間に向かって、お~れを食べるのなら、最高においしく食べてくれ! ぐらいの気概がほしい。(きがい:強い気持ち)]]>
読書感想文
熊太郎
2024-03-26T06:45:24+09:00
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ぼくの死体をよろしくたのむ 川上弘美
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e154031.html
ぼくの死体をよろしくたのむ 川上弘美 新潮文庫 短い文章が18本並んでいます。短編集です。そのうちのひとつが、本のタイトルと同じです。 この作家さんで、以前読んだ本があります。『神様 川上弘美 中公文庫』でした。この世にない世界という世界観、この世にない空間、人間(のようなもの)を書く人だという記憶が残っています。『鍵』 男の後ろ姿に惚れた(ほれた)。 男は、筋肉質の体で、右の手のひらに、ダンベルを持って歩いていた。男の後ろ姿を見て恋をした。男は神社の境内に住むホームレスだった。 語り手は32歳の未婚女性です。これまでに男性とつきあったことはあるけれど、『好き』という言葉を言われたことも言ったこともないそうです。(つまり、恋ではなかった。なんとなくなりゆき。男女の体の関係はあった) そんな話が続きます。 読んでいて、不思議な感覚が自分に広がります。語っている女性の実体が感じられないのです。 恋した相手であるホームレスの男の年齢は、65歳です。 詩的な内容でした。『大聖堂』 大聖堂というのは、語り手の知人の部屋にある本のタイトルです。本棚の飾り目的だけの本です。異性が来た時に本をみせびらかして、自分に惚れ(ほれ)させるのです。その部屋の住人がどこかで拾ってきた(ひろってきた)本だそうです。 これもまた、不思議な設定です。 アパートがあります。家賃は格安ですが、条件として、大家が提供する動物のいずれかを飼って世話をしなければならないのです。動物を死なせると賃貸借契約は打ち切りです。(動物の自然死はOK。事故死は状況次第(しだい)) 語り手は、男子大学生です。 アパートの家賃は、2万円で、二階建て、二階が大家宅で、一階に4部屋あります。 作者の文章書きの特徴として、ひらがな表記があります。『案外→あんがい』とか、『関する→かんする』とか。 語り手の男子大学生は、中学時代いじめにあっていた。 男子大学生は、動物を選びましたが、この世に存在する動物ではないようです。四つ足で、背中に小さな羽がある。オコジョとかテンに似ている。 動物の分類としての名称がない動物です。大学生は、その動物に『つばさ』と名付けて可愛がります。 アパートには、住人がいます。 1号室:カーヴァー(最初不明だった住人に大学生が付けた仮想の名前。カーヴァーは、アメリカの小説家でアル中)。この部屋の住人は、アルコールの瓶と缶のゴミを大量に出す。(あとで、二十代の若くてきれいな女性だということが判明します) 2号室:ウェストミンスター(1号室に同じ。不明)。三十代ぐらいの男らしい。 3号室:主人公の大学生 4号室:河合。男性。フェレットを飼っている。 読み終えました。なんだかわからない。表現したい言葉は、『虚無(きょむ。からっぽ)』だろうか。『ずっと雨が降っていたような気がしたけれど』 静香:語り手の若い女性。同じものをふたつ買う女性です。同じブラウスを二枚買いました。コーヒーカップとかも同じものをふたつ買うのです。そして、買ったあと、ひとつは、壊すのです。ブラウスは、布を切ってバラバラにしました。静香は、アパートでひとり暮らしをしている。 慶太:静香の兄。親に対して、自分は死んだ兄の代わりではないと思っている。実家で暮らしている。 草太(そうた):慶太の上の兄。2歳のときに死んだ。慶太は草太が死んでから10年後に生まれた。静香はその翌年に生まれた。 繰り返しになりますが、同じものをふたつ買う若い女性です。同じブラウスを2枚買いました。『喪失(そうしつ。失う)』に備えるためにふたつ買うのです。だけど、自分で、もう片方を壊すなりして喪失するのです。語り手の女性は、変な人です。 慶太は、草太の代わりに生まれたということで、両親が慶太を可愛がった。 静香は、慶太の陰に隠れて、『二の次(にのつぎ)』扱いであった。 こういった事情が、本編に反映されています。(同じものをふたつ手に入れて、ひとつを壊してなくす) 読んでいて、静香は、よく言えば、『繊細(せんさい。傷つきやすい)』、悪く言えば、『めんどくさい人』です。 静香に光月(みつき)というカレシができますが、もうひとり、光月と同じスペアがほしい。(でも、壊すんだ) 短い文章にたくさんの情報を入れてくる作者さんです。 不気味で怖い(こわい)ショートストーリーでした。 『欲しいものは、なに?』に対して、『快楽』という返事があります。 殺人の匂いが(においが)します。『二人でお茶を』 いとこ同士の女性のお話でした。ふたりはいっしょに暮しています。 相手のいとこは、外国暮らしが長くて、帰国後も、国籍は日本人だけど、頭の中は外国人の考え方の人です。日本人のあれこれを不思議に思う人です。 外国暮らしが長かったいとこのファッションは奇抜です。そして、いとこはお金持ちです。ケチりません。豪華な食事、部屋の暖房もしっかり入れます。 相手のいとこの年齢は43歳、名前は、トーコさん。5歳から40歳まで外国暮らし。離婚歴1回ですが、話が始まってから結婚して、また離婚します。外国では×1(バツイチ)とか×2とか言わないらしい。(そのような表現は外国では、人権侵害にあたるそうです)。〇1とか〇2とかは言うらしい。(本当かどうかはわかりません) この物語を語るのは、トーコさんと同い年のミワさんですが、彼女も離婚歴1回で、今はひとり者です。 なんだかんだと話は進んでいきます。おもしろい。 珍味佳肴(ちんみかこう):めったに食べられないおいしいごちそう。 ふたりの関係です。 お互いにキライじゃないけれど、好きとは言いにくい。 いっしょに暮していて、楽しいとは思う。 天性のものを感じる作者の文章です。『銀座 午後二時、歌舞伎座あたり』 タイトルの場所は、以前散策をしたことがあります。歌舞伎座内の見学もしました。そんなことを思い出しながらの読書が始まります。 不思議な話でした。宇宙人みたいな人間の姿をしたものが現れるのです。 体長は15cmぐらい。髪は薄茶色、白いシャツにジーンズをはいているのです。 人間の顔をしています。 生きています。しゃべります。東京武蔵野(むさしの)の集落で暮らしていたそうです。天敵が猫だそうです。 結婚相手がなかなか見つからない女性が出てきます。叔母の紹介でお見合いを重ねています。両親はすでに亡くなっています。女性は40歳で、地味な外見で、趣味は読書です。周囲からは、かわいそうという目で見られているそうです。 その女性、歌舞伎座あたりで、背の高い男性とぶつかったときに、さきほどの小さな人間みたいなものに、ふたりが出会います。 女性にとって背の高い男性は当たり(結婚相手にしたい)なのです。 星新一氏のショートショートを読むようでもあります。 偶然出会った男女は、宇宙人みたいな男の願いをききます。彼の恋人を猫から救い出すのです。 寧子(やすこ):女性のお名前です。 ななお:男の名前ですが、苗字か下の名前かは、わかりません。ななおは、寧子の質問に、もうあなたと会うことはないと首を振りました。『当たりだったのに』寧子の気持ちです。 男と女の出会いの話でした。 それでもまだ寧子は、男との再会をあきらめてはいません。『なくしたものは』 女ふたり、男ひとりの三角関係の話です。女たちは女子短大生です。 『起きたらすぐに、おまじないを唱える』から始まります。 語り手を変えながら進行していくショートストーリーです。 作者は、狭い世界のことを深く書く人です。 「なりちゃん(女子。成田)」の語り:自分となるちゃん(鳴海)は、女子短大の同級生。成田は、顔はかわいくないが、色気はあるそうです。 「なるちゃん(女子。鳴海)」の語り:なりちゃん(成田)は、ともだちだけど、いっしょにいるといらいらする。でもいっしょにいたい。鳴海の顔はかわいい。色気はない。うるさいことは言わない。高校時代から、渚(なぎさ。男)と付き合いがある。 「渚(男です。鳴海のカレシのようなものだが、渚は鳴海を恋人とは思っていない。成田とも会って付き合いがある)」:渚は、鳴海を気楽な遊び友だちだと思っている。渚は、両親と弟と4人家族で実家に住んでいる。愛犬の小太郎(実はメスだった。母親が性別を間違えて付けた名前)が3年前に死んだことをいまだに引きずっている。小太郎を思い出すと泣けてくる。ラブ:ラブラドールレトリバーという犬種だった。(だけど、犬のほうは、渚をきらっています) 91ページ、奇想天外です。(きそうてんがい。思いもよらない。奇抜(きばつ))。今度は、死んだ犬の霊(小太郎)がしゃべります。世界一好きだったのが、飼われていた家のお母さんで、次が満(みつる。渚の弟)、その次がお父さんで、ビリが渚。お母さんと満が、自分の食事や散歩の世話をしてくれた。父は仕事だからしかたがない。渚は、わたしを避けていたと主張があります。 自分が相手を思っているほど、相手は自分のことを思ってくれてはいないということはよくあります。逆に迷惑に思われていたりもします。 こちらの短編は楽しい小品です。(しょうひん。ちょっとした作品) 「満(みつる。渚の弟):家を出ることを考えている。父も兄もキライ。母もキライになった。母は兄が好きだ。兄の顔は父に似ているから、母は兄が好きだ。父も兄も顔がキレイだ。自分は背が低い。もっさりしている。見た目はかっこよくない。女にもてたことがない。いちばん好いてくれたのは(すいてくれたのは)、メス犬の小太郎だった。満は、考古学者のような仕事をする人になりたいそうです。 「(たぶん思うに)邪馬台国の卑弥呼の霊魂」が語ります:小太郎の霊魂と語り合います。 成田は渚をつまらない男だと評価しています。当たっています。まあ、いろいろあります。 独特な雰囲気がある文章です。『儀式』 天罰を与える儀式を行う女性がいます。見た目はおばさんです。 女性は、昼夜逆転の生活を送っています。 夕方6時半ごろ起きて食べる食事が女性にとっては朝食です。 新聞を読んで(夕刊、朝方に朝刊を読んでから寝る)、記事の切り抜きのようなことをして、天罰を与える人物を選び出すのです。 天罰にはランクがあるらしく、レベル一(いち)とかレベル三とかの記述があります。 天罰を与える仕事をしているのかと思いましたが不確かです。 天罰は一日十件を限度にしているそうです。 儀式は、長い衣を着て行います。 生活費には困らない精神の病(やまい)がある人だろうか。『バタフライ・エフェクト』 蝶がでてきます。英語で、バタフライです。バタフライ・エフェクトは、『バタフライ効果』で、最初は小さなことが、やがておおごとになるということです。 ふたりの手帳に、それぞれの手書きで、見ず知らずの相手の氏名が書き込まれているのを、ふたりが発見します。でも、ふたりとも自分で書いた記憶がありません。 二階堂理沙(にかいどう・りさ):27歳未婚。自分の字で手帳の9月1日(未来の日付)に、『後藤光史(ごとう・こうじ)』の氏名が書いてあります。 後藤光司:ひとり暮らしを始めて5年が経過している。恋人と暮らしたい。二階堂理沙と同様に、後藤光司の手帳の9月1日のページに、二階堂理沙の氏名が書いてあります。自分の筆跡なのに、書いた記憶がありません。 そんな話です。 ミステリーです。 人と人の縁が素材です。 あれこれあって、ふたりは、五年後に出会うそうです。 そうか。不思議なストーリーでした。『二百十日(にひゃくとうか。立春(りっしゅん。2月2日ころ)から数えて210日目。9月1日ころ。台風警戒日)』 あたし:女性。40歳。離婚歴あり。ひとり暮らしをしている。こどもは好きじゃない。こどもは、嫌い。出産経験はない。職業は、『カウンセラー』 萩原の叔母(おば):萩原は、新潟の地名 萩原の叔父(おじ):病気で死にかけている。寝たきり状態にある。 るか:こども。男の子。小学生ぐらいだが、学校は行っていないそうです。少し、魔法を使えるらしい。人型のぬいぐるみをひとつもっている。魔法で、時間の流れを変えることができる。変身もできる。ちょっとだけだけど。 このパターン、『寄居虫女(ヤドカリオンナ) 櫛木理宇(くしきりう) 角川書店』(ホラー作品)に似ていますが、その後の展開は違っていました。 出窓のところに置いてあった人型の人形が落ちた。 叔父が亡くなった。 叔父は、死ぬ前に、大事な人に会いに来たらしい。『お金は大切』 お金で人を買うお話です。 『僕』が女性に買われます。以前類似の本を読みました。『余命一年、男をかう 吉川トリコ 講談社』、がんの宣告を受けた未婚女性がホストと期間限定で契約するのです。四十歳独身女性である、あと一年ぐらいで、がんで死んでしまうらしき片倉唯(かたくら・ゆい)が、病院待合所で、偶然出会ったホストクラブのホスト(片倉唯よりだいぶ年下)瀬名吉高(せな・よしたか)ひとりに、気持ちを入れ込む内容になっています。お金はある。寿命はない。そんな設定でした。 さて、こちらの短編の話です。 買われた若い男のほうの話です。 別れたカノジョの知人女性から、お金を払うから(12万円)、自分と一緒にいてくれと頼まれるのです。 変わった女性です。午前0時にワルツを踊り出します。お金をもらう男もいっしょに踊ります。ふたりは、朝まで踊り続けます。男は、女性と一体化するような体感を味わいます。 さらに、時が経過します。若かった男は四十歳にまでなりましたが未婚です。 そして、12万円を返せという話になるのです。 でも、男は言います。『払えません』 呪い(のろい)の話でした。『ルル秋桜(こすもす)』 死体の話です。 本物ではなく、人が寝ている写真を切り抜いて、緑色の缶の中に入れてあります。それぞれに名前が付けてあります。また、変な少女が主人公として出てきました。 う~む。ホラー(恐怖話)か。 ひとみ:主人公少女。死んだ祖父に似ている。祖父は少し変わった人だった。ひとみは、祖父の生まれ変わりみたいな雰囲気があります。 みのり:ひとみの1歳年上の姉。見た目がきれい。顔が母親に似ている。かわいがられている。 隼人:ハーフ、母子家庭の男の子 杏子(あんこ):ひとみの親友。おとな。絵画教室の先生。ちょっと不気味な女性。 ごうもん(拷問)の話が出ます。 先日観た阿部サダヲさん主演映画、『死刑にいたる病(やまい)』を思い出しました。 こちらの短編話は、なかなか独特です。 標準ではない、少数派の意見があります。 生まれつきそうなのです。(標準ではない) ひとみにとって、姉のみのりは、不快なライバルです。 あとさき長い人生を考えて、『絶望』という悲しみに浸る(ひたる)少数派の気持ちを表現してありました。 (変わり者と言われる人にとって)ちょっぴり喜びがあったりもします。共感してくれる人の登場です。『憎い二人』 旅行のお話です。しゃべるのは、女三人旅の女性です。くみちゃん(語り手)とマコちん、すずです。三人とも、もうすぐ三十歳になる。 なんとなく、同じルートをたどるのが、男ふたりの旅人です。(同性愛者ではないかとの疑惑がありますが、純粋な友人同士です。30歳過ぎのメガネの男と40歳すぎの目つきがきつい男です) 新幹線で、東京からとある温泉地へ向かいます。 スカジャン:背中に大きなししゅうがあるスタジアムジャンパーのような上着。30歳過ぎメガネの男が来ている。描かれている絵が、ナスカの地上絵に似ている。 モッズコート:米軍で使用されていた上着。40歳過ぎの男が来ている。 『友だち、わたしも、ほしいな』 読み終えて、う~む。なんだかわかりませんでした。『ぼくの死体をよろしくたのむ』 黒河内璃莉香(くろこうち・りりか):ミステリー作家。この短編の語り手女性の亡父親の知り合い。年に2回語り手の女性と会う。父の遺言にそうしてくれと書いてあった。語り手が中学生のときから続いている。 黒河内璃莉香は、男を変えながら恋愛を続けた。 黒河内璃莉香は、語り手女性の父親にたくさんお金を貸した。父親とは、同級生になる。 語り手である女性の父親は弱い人間だった。 父親は、何度か自殺未遂をして、最後に自殺で死んだ。 父が黒河内璃莉香にあてた遺言がある。 父の死体と晴美とさくらをよろしくたのむ。(語り手の母親と語り手本人の名前です) 味わいがある内容の文章です。 実は、語り手女性にも自殺願望があります。 黒河内璃莉香の問いに、『死にません』が良かった。 娘を死なせないための父親の遺言なのか。『いいラクダを得る』 わたしたちは、中華料理屋に集合する。夢見という名前の女性の語りです。 大学生の集まりです。男子大学生の父親が自営している中華料理店です。 サークルの名称が、『逆光サークル』です。時代に逆行することを行って楽しむ。 第二外国語のアラビア語のクラスで知り合いになった。 メンバーは、5人です。 なんだか、大学生たちが、ヒマをもてあましているような内容です。 日文(にちぶん):大学で、日本文学の略。 偶蹄目(ぐうていもく):この物語では、ラクダのこと。草食、ヒズメあり。哺乳類。 サヨナラ。一時的な(大学での)付き合いということか。『土曜日には映画を見に』 日曜日のお昼は、そうめんを食べるということが、最後まで貫かれます。 人生を表現してあります。 男にもてない、デートにだれも誘ってくれない市役所勤務の35歳未婚女性が、伯母さん(おばさん)の紹介で、47歳の未婚男性とお見合いをします。男性は、マンガオタクです。仕事はダンボール製造会社の総務課長です。太っています。丸顔で眉毛(まゆげ)が濃い。汗っかきで、早口です。 女友だちに男性の写真を見せたら、みんなが沈黙しました。忍び笑いをしました。 『今なら、まだやめられるのよ』 伯母からそう言われますが、女性は結婚します。 長い時間が経過して、後半に、現在の話になることが、この作家さんの文章づくりの特徴です。 ふたりに、こどもはできません。 男性は定年を迎えました。ふたりは、ふたりの両親を見送りました。(逝去された) 女性も定年退職しました。 ふたりは、淡々と老後を送ります。 日曜日には、そうめんを食べます。(にゅうめん。あたためたそうめん) 結婚は、見た目の良しあし(顔やスタイル)でするものではなくて、性格の相性が合う人とするものという含みがあります。(ふくみ) 結婚と恋愛は違います。結婚においては、まず経済力がなければ、結婚生活は続けられません。『スミレ』 こちらも不思議なお話です。 実年齢と精神年齢の話があります。未来のことなのか、宿舎にいるときは、精神年齢に応じた顔かたちに変化します。 精神年齢で入る宿舎があります。宿舎にいるときは、精神年齢で動きます。 精神年齢18歳、実年齢53歳:市役所勤務の女性(この短編での語り手) 精神年齢33歳、実年齢14歳:村松(男子) ふたりは、恋愛中だそうです。 精神年齢15歳、実年齢非公開:女性。殿山(とのやま)さん。 殿山さんが、村松さんを好きになった。 『時間』というものが、意味のない世界にいる。 語り手の女性は、仕事のストレスで、精神年齢が18歳から40歳になります。外見が40歳に変化して、宿舎にいられなくなりました。 そして、今は53歳になって、これからは、ゆっくり生きて行くそうです。 う~む。そうですか。おだいじにとしか言いようがありません。『無人島から』 とらお:弟。ふみちゃんと同棲していたが、ふみちゃんはアパートを出て行った。 みはる:姉(この短編の語り手)。自宅アパートはあるけれど、(フロなしアパート)、親族宅を転々としている。 恒子:ふたりの母親。わたしを「おかあさん」とよばないでくださいという発言があります。「恒子さん」と呼んでください。 新吉:ふたりの父親。山師だった。(やまし)。山の中を歩き回って、金属の鉱脈を見つけてお金につなげる。(わたしは、若い頃、父親が山師だったという人と親しかったことがあります。その人から、自分がこどもの頃は、ものすごい貧乏生活を味わったと話を聴(き)きました。おもしろおかしくてちょっぴり悲しいお話でした) パイレックスの皿:耐熱ガラスの皿 お笑いコンビ麒麟の田村さんの、『ホームレス中学生』みたいです。 とらおが二十歳になったとき、両親がこどもふたりに言いました。 『家族、今月でおしまいにするから』 たしか、田村さんのほうは、オヤジさんが、『解散!』と言った記憶です。 こちらのお宅の方は、戸建ての自宅を売却してしまいました。家を売ったお金をこどもたちにも分配しました。だから、とらおは、大学の授業料を払えます。アパートも借りることができました。 家族って何だろう。 なるべくいっしょにいるものという概念を否定する斬新な(ざんしんな)作品でした。『廊下』 男と別れた話です。 男はバイオリンを弾きます。 朝香(あさか):語り手の女性。30歳で飛夫と出会い付き合い始めた。飛夫と1年間同棲した。 飛夫(とびお):朝香の年下のカレシ、20歳で、朝香と付き合い始めた。 摩耶(まや):朝香の祖母。85歳ぐらいで亡くなる。 山田:祖母である摩耶のカレシ。祖母より10歳年下。 飛夫は、1年前にわたしの前から姿を消した。 飛夫は、『ちょっと、時計台に行ってくる』と言って、家を出たまま、帰ってこなかった。 タイムトラベルものです。 中性脂肪値:空腹時30~149mg/dL 辛気くさい(しんきくさい):じれったい。重苦しい。 時間が経ちます。(たちます)。10年後に飛びます。 幻視が見えます。 死んだ人と会う話です。 『もう、ここに来るのは、やめなさい。時は戻らないのよ』(過去を変えることはできません) 認知症の人の脳内にある世界を表現してあるのだろうか。 少女の頃の朝香さんが出てきます。 う~む。この本の全体をとおして、独特な世界観がありました。
ぼくの死体をよろしくたのむ 川上弘美 新潮文庫
短い文章が18本並んでいます。短編集です。そのうちのひとつが、本のタイトルと同じです。
この作家さんで、以前読んだ本があります。『神様 川上弘美 中公文庫』でした。この世にない世界という世界観、この世にない空間、人間(のようなもの)を書く人だという記憶が残っています。
『鍵』
男の後ろ姿に惚れた(ほれた)。
男は、筋肉質の体で、右の手のひらに、ダンベルを持って歩いていた。男の後ろ姿を見て恋をした。男は神社の境内に住むホームレスだった。
語り手は32歳の未婚女性です。これまでに男性とつきあったことはあるけれど、『好き』という言葉を言われたことも言ったこともないそうです。(つまり、恋ではなかった。なんとなくなりゆき。男女の体の関係はあった)
そんな話が続きます。
読んでいて、不思議な感覚が自分に広がります。語っている女性の実体が感じられないのです。
恋した相手であるホームレスの男の年齢は、65歳です。
詩的な内容でした。
『大聖堂』
大聖堂というのは、語り手の知人の部屋にある本のタイトルです。本棚の飾り目的だけの本です。異性が来た時に本をみせびらかして、自分に惚れ(ほれ)させるのです。その部屋の住人がどこかで拾ってきた(ひろってきた)本だそうです。
これもまた、不思議な設定です。
アパートがあります。家賃は格安ですが、条件として、大家が提供する動物のいずれかを飼って世話をしなければならないのです。動物を死なせると賃貸借契約は打ち切りです。(動物の自然死はOK。事故死は状況次第(しだい))
語り手は、男子大学生です。
アパートの家賃は、2万円で、二階建て、二階が大家宅で、一階に4部屋あります。
作者の文章書きの特徴として、ひらがな表記があります。『案外→あんがい』とか、『関する→かんする』とか。
語り手の男子大学生は、中学時代いじめにあっていた。
男子大学生は、動物を選びましたが、この世に存在する動物ではないようです。四つ足で、背中に小さな羽がある。オコジョとかテンに似ている。
動物の分類としての名称がない動物です。大学生は、その動物に『つばさ』と名付けて可愛がります。
アパートには、住人がいます。
1号室:カーヴァー(最初不明だった住人に大学生が付けた仮想の名前。カーヴァーは、アメリカの小説家でアル中)。この部屋の住人は、アルコールの瓶と缶のゴミを大量に出す。(あとで、二十代の若くてきれいな女性だということが判明します)
2号室:ウェストミンスター(1号室に同じ。不明)。三十代ぐらいの男らしい。
3号室:主人公の大学生
4号室:河合。男性。フェレットを飼っている。
読み終えました。なんだかわからない。表現したい言葉は、『虚無(きょむ。からっぽ)』だろうか。
『ずっと雨が降っていたような気がしたけれど』
静香:語り手の若い女性。同じものをふたつ買う女性です。同じブラウスを二枚買いました。コーヒーカップとかも同じものをふたつ買うのです。そして、買ったあと、ひとつは、壊すのです。ブラウスは、布を切ってバラバラにしました。静香は、アパートでひとり暮らしをしている。
慶太:静香の兄。親に対して、自分は死んだ兄の代わりではないと思っている。実家で暮らしている。
草太(そうた):慶太の上の兄。2歳のときに死んだ。慶太は草太が死んでから10年後に生まれた。静香はその翌年に生まれた。
繰り返しになりますが、同じものをふたつ買う若い女性です。同じブラウスを2枚買いました。『喪失(そうしつ。失う)』に備えるためにふたつ買うのです。だけど、自分で、もう片方を壊すなりして喪失するのです。語り手の女性は、変な人です。
慶太は、草太の代わりに生まれたということで、両親が慶太を可愛がった。
静香は、慶太の陰に隠れて、『二の次(にのつぎ)』扱いであった。
こういった事情が、本編に反映されています。(同じものをふたつ手に入れて、ひとつを壊してなくす)
読んでいて、静香は、よく言えば、『繊細(せんさい。傷つきやすい)』、悪く言えば、『めんどくさい人』です。
静香に光月(みつき)というカレシができますが、もうひとり、光月と同じスペアがほしい。(でも、壊すんだ)
短い文章にたくさんの情報を入れてくる作者さんです。
不気味で怖い(こわい)ショートストーリーでした。
『欲しいものは、なに?』に対して、『快楽』という返事があります。
殺人の匂いが(においが)します。
『二人でお茶を』
いとこ同士の女性のお話でした。ふたりはいっしょに暮しています。
相手のいとこは、外国暮らしが長くて、帰国後も、国籍は日本人だけど、頭の中は外国人の考え方の人です。日本人のあれこれを不思議に思う人です。
外国暮らしが長かったいとこのファッションは奇抜です。そして、いとこはお金持ちです。ケチりません。豪華な食事、部屋の暖房もしっかり入れます。
相手のいとこの年齢は43歳、名前は、トーコさん。5歳から40歳まで外国暮らし。離婚歴1回ですが、話が始まってから結婚して、また離婚します。外国では×1(バツイチ)とか×2とか言わないらしい。(そのような表現は外国では、人権侵害にあたるそうです)。〇1とか〇2とかは言うらしい。(本当かどうかはわかりません)
この物語を語るのは、トーコさんと同い年のミワさんですが、彼女も離婚歴1回で、今はひとり者です。
なんだかんだと話は進んでいきます。おもしろい。
珍味佳肴(ちんみかこう):めったに食べられないおいしいごちそう。
ふたりの関係です。
お互いにキライじゃないけれど、好きとは言いにくい。
いっしょに暮していて、楽しいとは思う。
天性のものを感じる作者の文章です。
『銀座 午後二時、歌舞伎座あたり』
タイトルの場所は、以前散策をしたことがあります。歌舞伎座内の見学もしました。そんなことを思い出しながらの読書が始まります。
不思議な話でした。宇宙人みたいな人間の姿をしたものが現れるのです。
体長は15cmぐらい。髪は薄茶色、白いシャツにジーンズをはいているのです。
人間の顔をしています。
生きています。しゃべります。東京武蔵野(むさしの)の集落で暮らしていたそうです。天敵が猫だそうです。
結婚相手がなかなか見つからない女性が出てきます。叔母の紹介でお見合いを重ねています。両親はすでに亡くなっています。女性は40歳で、地味な外見で、趣味は読書です。周囲からは、かわいそうという目で見られているそうです。
その女性、歌舞伎座あたりで、背の高い男性とぶつかったときに、さきほどの小さな人間みたいなものに、ふたりが出会います。
女性にとって背の高い男性は当たり(結婚相手にしたい)なのです。
星新一氏のショートショートを読むようでもあります。
偶然出会った男女は、宇宙人みたいな男の願いをききます。彼の恋人を猫から救い出すのです。
寧子(やすこ):女性のお名前です。
ななお:男の名前ですが、苗字か下の名前かは、わかりません。ななおは、寧子の質問に、もうあなたと会うことはないと首を振りました。『当たりだったのに』寧子の気持ちです。
男と女の出会いの話でした。
それでもまだ寧子は、男との再会をあきらめてはいません。
『なくしたものは』
女ふたり、男ひとりの三角関係の話です。女たちは女子短大生です。
『起きたらすぐに、おまじないを唱える』から始まります。
語り手を変えながら進行していくショートストーリーです。
作者は、狭い世界のことを深く書く人です。
「なりちゃん(女子。成田)」の語り:自分となるちゃん(鳴海)は、女子短大の同級生。成田は、顔はかわいくないが、色気はあるそうです。
「なるちゃん(女子。鳴海)」の語り:なりちゃん(成田)は、ともだちだけど、いっしょにいるといらいらする。でもいっしょにいたい。鳴海の顔はかわいい。色気はない。うるさいことは言わない。高校時代から、渚(なぎさ。男)と付き合いがある。
「渚(男です。鳴海のカレシのようなものだが、渚は鳴海を恋人とは思っていない。成田とも会って付き合いがある)」:渚は、鳴海を気楽な遊び友だちだと思っている。渚は、両親と弟と4人家族で実家に住んでいる。愛犬の小太郎(実はメスだった。母親が性別を間違えて付けた名前)が3年前に死んだことをいまだに引きずっている。小太郎を思い出すと泣けてくる。ラブ:ラブラドールレトリバーという犬種だった。(だけど、犬のほうは、渚をきらっています)
91ページ、奇想天外です。(きそうてんがい。思いもよらない。奇抜(きばつ))。今度は、死んだ犬の霊(小太郎)がしゃべります。世界一好きだったのが、飼われていた家のお母さんで、次が満(みつる。渚の弟)、その次がお父さんで、ビリが渚。お母さんと満が、自分の食事や散歩の世話をしてくれた。父は仕事だからしかたがない。渚は、わたしを避けていたと主張があります。
自分が相手を思っているほど、相手は自分のことを思ってくれてはいないということはよくあります。逆に迷惑に思われていたりもします。
こちらの短編は楽しい小品です。(しょうひん。ちょっとした作品)
「満(みつる。渚の弟):家を出ることを考えている。父も兄もキライ。母もキライになった。母は兄が好きだ。兄の顔は父に似ているから、母は兄が好きだ。父も兄も顔がキレイだ。自分は背が低い。もっさりしている。見た目はかっこよくない。女にもてたことがない。いちばん好いてくれたのは(すいてくれたのは)、メス犬の小太郎だった。満は、考古学者のような仕事をする人になりたいそうです。
「(たぶん思うに)邪馬台国の卑弥呼の霊魂」が語ります:小太郎の霊魂と語り合います。
成田は渚をつまらない男だと評価しています。当たっています。まあ、いろいろあります。
独特な雰囲気がある文章です。
『儀式』
天罰を与える儀式を行う女性がいます。見た目はおばさんです。
女性は、昼夜逆転の生活を送っています。
夕方6時半ごろ起きて食べる食事が女性にとっては朝食です。
新聞を読んで(夕刊、朝方に朝刊を読んでから寝る)、記事の切り抜きのようなことをして、天罰を与える人物を選び出すのです。
天罰にはランクがあるらしく、レベル一(いち)とかレベル三とかの記述があります。
天罰を与える仕事をしているのかと思いましたが不確かです。
天罰は一日十件を限度にしているそうです。
儀式は、長い衣を着て行います。
生活費には困らない精神の病(やまい)がある人だろうか。
『バタフライ・エフェクト』
蝶がでてきます。英語で、バタフライです。バタフライ・エフェクトは、『バタフライ効果』で、最初は小さなことが、やがておおごとになるということです。
ふたりの手帳に、それぞれの手書きで、見ず知らずの相手の氏名が書き込まれているのを、ふたりが発見します。でも、ふたりとも自分で書いた記憶がありません。
二階堂理沙(にかいどう・りさ):27歳未婚。自分の字で手帳の9月1日(未来の日付)に、『後藤光史(ごとう・こうじ)』の氏名が書いてあります。
後藤光司:ひとり暮らしを始めて5年が経過している。恋人と暮らしたい。二階堂理沙と同様に、後藤光司の手帳の9月1日のページに、二階堂理沙の氏名が書いてあります。自分の筆跡なのに、書いた記憶がありません。
そんな話です。
ミステリーです。
人と人の縁が素材です。
あれこれあって、ふたりは、五年後に出会うそうです。
そうか。不思議なストーリーでした。
『二百十日(にひゃくとうか。立春(りっしゅん。2月2日ころ)から数えて210日目。9月1日ころ。台風警戒日)』
あたし:女性。40歳。離婚歴あり。ひとり暮らしをしている。こどもは好きじゃない。こどもは、嫌い。出産経験はない。職業は、『カウンセラー』
萩原の叔母(おば):萩原は、新潟の地名
萩原の叔父(おじ):病気で死にかけている。寝たきり状態にある。
るか:こども。男の子。小学生ぐらいだが、学校は行っていないそうです。少し、魔法を使えるらしい。人型のぬいぐるみをひとつもっている。魔法で、時間の流れを変えることができる。変身もできる。ちょっとだけだけど。
このパターン、『寄居虫女(ヤドカリオンナ) 櫛木理宇(くしきりう) 角川書店』(ホラー作品)に似ていますが、その後の展開は違っていました。
出窓のところに置いてあった人型の人形が落ちた。
叔父が亡くなった。
叔父は、死ぬ前に、大事な人に会いに来たらしい。
『お金は大切』
お金で人を買うお話です。
『僕』が女性に買われます。以前類似の本を読みました。『余命一年、男をかう 吉川トリコ 講談社』、がんの宣告を受けた未婚女性がホストと期間限定で契約するのです。四十歳独身女性である、あと一年ぐらいで、がんで死んでしまうらしき片倉唯(かたくら・ゆい)が、病院待合所で、偶然出会ったホストクラブのホスト(片倉唯よりだいぶ年下)瀬名吉高(せな・よしたか)ひとりに、気持ちを入れ込む内容になっています。お金はある。寿命はない。そんな設定でした。
さて、こちらの短編の話です。
買われた若い男のほうの話です。
別れたカノジョの知人女性から、お金を払うから(12万円)、自分と一緒にいてくれと頼まれるのです。
変わった女性です。午前0時にワルツを踊り出します。お金をもらう男もいっしょに踊ります。ふたりは、朝まで踊り続けます。男は、女性と一体化するような体感を味わいます。
さらに、時が経過します。若かった男は四十歳にまでなりましたが未婚です。
そして、12万円を返せという話になるのです。
でも、男は言います。『払えません』
呪い(のろい)の話でした。
『ルル秋桜(こすもす)』
死体の話です。
本物ではなく、人が寝ている写真を切り抜いて、緑色の缶の中に入れてあります。それぞれに名前が付けてあります。また、変な少女が主人公として出てきました。
う~む。ホラー(恐怖話)か。
ひとみ:主人公少女。死んだ祖父に似ている。祖父は少し変わった人だった。ひとみは、祖父の生まれ変わりみたいな雰囲気があります。
みのり:ひとみの1歳年上の姉。見た目がきれい。顔が母親に似ている。かわいがられている。
隼人:ハーフ、母子家庭の男の子
杏子(あんこ):ひとみの親友。おとな。絵画教室の先生。ちょっと不気味な女性。
ごうもん(拷問)の話が出ます。
先日観た阿部サダヲさん主演映画、『死刑にいたる病(やまい)』を思い出しました。
こちらの短編話は、なかなか独特です。
標準ではない、少数派の意見があります。
生まれつきそうなのです。(標準ではない)
ひとみにとって、姉のみのりは、不快なライバルです。
あとさき長い人生を考えて、『絶望』という悲しみに浸る(ひたる)少数派の気持ちを表現してありました。
(変わり者と言われる人にとって)ちょっぴり喜びがあったりもします。共感してくれる人の登場です。
『憎い二人』
旅行のお話です。しゃべるのは、女三人旅の女性です。くみちゃん(語り手)とマコちん、すずです。三人とも、もうすぐ三十歳になる。
なんとなく、同じルートをたどるのが、男ふたりの旅人です。(同性愛者ではないかとの疑惑がありますが、純粋な友人同士です。30歳過ぎのメガネの男と40歳すぎの目つきがきつい男です)
新幹線で、東京からとある温泉地へ向かいます。
スカジャン:背中に大きなししゅうがあるスタジアムジャンパーのような上着。30歳過ぎメガネの男が来ている。描かれている絵が、ナスカの地上絵に似ている。
モッズコート:米軍で使用されていた上着。40歳過ぎの男が来ている。
『友だち、わたしも、ほしいな』
読み終えて、う~む。なんだかわかりませんでした。
『ぼくの死体をよろしくたのむ』
黒河内璃莉香(くろこうち・りりか):ミステリー作家。この短編の語り手女性の亡父親の知り合い。年に2回語り手の女性と会う。父の遺言にそうしてくれと書いてあった。語り手が中学生のときから続いている。
黒河内璃莉香は、男を変えながら恋愛を続けた。
黒河内璃莉香は、語り手女性の父親にたくさんお金を貸した。父親とは、同級生になる。
語り手である女性の父親は弱い人間だった。
父親は、何度か自殺未遂をして、最後に自殺で死んだ。
父が黒河内璃莉香にあてた遺言がある。
父の死体と晴美とさくらをよろしくたのむ。(語り手の母親と語り手本人の名前です)
味わいがある内容の文章です。
実は、語り手女性にも自殺願望があります。
黒河内璃莉香の問いに、『死にません』が良かった。
娘を死なせないための父親の遺言なのか。
『いいラクダを得る』
わたしたちは、中華料理屋に集合する。夢見という名前の女性の語りです。
大学生の集まりです。男子大学生の父親が自営している中華料理店です。
サークルの名称が、『逆光サークル』です。時代に逆行することを行って楽しむ。
第二外国語のアラビア語のクラスで知り合いになった。
メンバーは、5人です。
なんだか、大学生たちが、ヒマをもてあましているような内容です。
日文(にちぶん):大学で、日本文学の略。
偶蹄目(ぐうていもく):この物語では、ラクダのこと。草食、ヒズメあり。哺乳類。
サヨナラ。一時的な(大学での)付き合いということか。
『土曜日には映画を見に』
日曜日のお昼は、そうめんを食べるということが、最後まで貫かれます。
人生を表現してあります。
男にもてない、デートにだれも誘ってくれない市役所勤務の35歳未婚女性が、伯母さん(おばさん)の紹介で、47歳の未婚男性とお見合いをします。男性は、マンガオタクです。仕事はダンボール製造会社の総務課長です。太っています。丸顔で眉毛(まゆげ)が濃い。汗っかきで、早口です。
女友だちに男性の写真を見せたら、みんなが沈黙しました。忍び笑いをしました。
『今なら、まだやめられるのよ』
伯母からそう言われますが、女性は結婚します。
長い時間が経過して、後半に、現在の話になることが、この作家さんの文章づくりの特徴です。
ふたりに、こどもはできません。
男性は定年を迎えました。ふたりは、ふたりの両親を見送りました。(逝去された)
女性も定年退職しました。
ふたりは、淡々と老後を送ります。
日曜日には、そうめんを食べます。(にゅうめん。あたためたそうめん)
結婚は、見た目の良しあし(顔やスタイル)でするものではなくて、性格の相性が合う人とするものという含みがあります。(ふくみ)
結婚と恋愛は違います。結婚においては、まず経済力がなければ、結婚生活は続けられません。
『スミレ』
こちらも不思議なお話です。
実年齢と精神年齢の話があります。未来のことなのか、宿舎にいるときは、精神年齢に応じた顔かたちに変化します。
精神年齢で入る宿舎があります。宿舎にいるときは、精神年齢で動きます。
精神年齢18歳、実年齢53歳:市役所勤務の女性(この短編での語り手)
精神年齢33歳、実年齢14歳:村松(男子)
ふたりは、恋愛中だそうです。
精神年齢15歳、実年齢非公開:女性。殿山(とのやま)さん。
殿山さんが、村松さんを好きになった。
『時間』というものが、意味のない世界にいる。
語り手の女性は、仕事のストレスで、精神年齢が18歳から40歳になります。外見が40歳に変化して、宿舎にいられなくなりました。
そして、今は53歳になって、これからは、ゆっくり生きて行くそうです。
う~む。そうですか。おだいじにとしか言いようがありません。
『無人島から』
とらお:弟。ふみちゃんと同棲していたが、ふみちゃんはアパートを出て行った。
みはる:姉(この短編の語り手)。自宅アパートはあるけれど、(フロなしアパート)、親族宅を転々としている。
恒子:ふたりの母親。わたしを「おかあさん」とよばないでくださいという発言があります。「恒子さん」と呼んでください。
新吉:ふたりの父親。山師だった。(やまし)。山の中を歩き回って、金属の鉱脈を見つけてお金につなげる。(わたしは、若い頃、父親が山師だったという人と親しかったことがあります。その人から、自分がこどもの頃は、ものすごい貧乏生活を味わったと話を聴(き)きました。おもしろおかしくてちょっぴり悲しいお話でした)
パイレックスの皿:耐熱ガラスの皿
お笑いコンビ麒麟の田村さんの、『ホームレス中学生』みたいです。
とらおが二十歳になったとき、両親がこどもふたりに言いました。
『家族、今月でおしまいにするから』
たしか、田村さんのほうは、オヤジさんが、『解散!』と言った記憶です。
こちらのお宅の方は、戸建ての自宅を売却してしまいました。家を売ったお金をこどもたちにも分配しました。だから、とらおは、大学の授業料を払えます。アパートも借りることができました。
家族って何だろう。
なるべくいっしょにいるものという概念を否定する斬新な(ざんしんな)作品でした。
『廊下』
男と別れた話です。
男はバイオリンを弾きます。
朝香(あさか):語り手の女性。30歳で飛夫と出会い付き合い始めた。飛夫と1年間同棲した。
飛夫(とびお):朝香の年下のカレシ、20歳で、朝香と付き合い始めた。
摩耶(まや):朝香の祖母。85歳ぐらいで亡くなる。
山田:祖母である摩耶のカレシ。祖母より10歳年下。
飛夫は、1年前にわたしの前から姿を消した。
飛夫は、『ちょっと、時計台に行ってくる』と言って、家を出たまま、帰ってこなかった。
タイムトラベルものです。
中性脂肪値:空腹時30~149mg/dL
辛気くさい(しんきくさい):じれったい。重苦しい。
時間が経ちます。(たちます)。10年後に飛びます。
幻視が見えます。
死んだ人と会う話です。
『もう、ここに来るのは、やめなさい。時は戻らないのよ』(過去を変えることはできません)
認知症の人の脳内にある世界を表現してあるのだろうか。
少女の頃の朝香さんが出てきます。
う~む。この本の全体をとおして、独特な世界観がありました。]]>
読書感想文
熊太郎
2024-03-21T07:09:30+09:00
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青空のむこう アレックス・シアラー 金原瑞人・訳
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e153997.html
青空のむこう アレックス・シアラー 金原瑞人(かねはら・みずひと)・訳 求龍堂(きゅうりゅうどう) 死んでしまった少年の話らしい。 イギリスの小説家の児童文学作品です。児童冒険小説というジャンルのようです。 日本語訳者は、先日読んだ、『アンソーシャルディスタンス』の作者金原ひとみさん(「蛇にピアス」で芥川賞を受賞された)のお父さんです。これから読む本が家のダンボール箱に入れてあるのですが、たまたま偶然、こちらのお父さんの本にあたりました。 ハリー・デクランド:交通事故死した少年。サッカーが好き。10歳から12歳ぐらいに見える。死ぬ前に姉のエギーとけんかをしていたことを、死んでから後悔している。とても後悔している。捨てゼリフを姉にぶつけて家を出て、そのあと交通事故にあって死んでしまった。自転車に乗っていて、10トントラックにひかれた。 『…… お姉ちゃんなんか大嫌い! …… 帰ってくるもんか。もう二度と会いたくない』、姉のエギーが、『じゃあ帰ってこないで』と言い返したのがこの世の姉との会話の最後だった。(つらい話です。現実でも起きることです。家から出かける時は、ケンカしないほうがいい。本当に、それが最後になることがありえます)エギー・デクランド:ハリーの姉。ハリーより3歳年上。本名は、エグランティーン・デグランド。エギーは愛称。みんなは、『ティナ』と呼んでいた。ハリーとエギーのパパとママジェリー・ドンキンス:ハリーの同級生。でかい。太い。いじめっこ。プレハブ小屋で、ハリーを殴った。(なぐった)ピート・サルマス:ハリーの親友オリビア・マスターソン:女子。ハリーの同級生オルト:猫アーサー:150年前の死者。葬儀屋だった。死んだ母親を探している。みすぼらしい服を着ている。つぎはぎだらけ。大きなシルクハットをかぶっている。死んでから歳をとっていない。<死者の国>では、人は歳をとらない。アーサーは、施設で育った。母親はアーサーを産んだときに死んでしまった。父親は不明。スタンさん:50年前に死んだ老人。幽霊。愛犬ウィンストンを探している。ウグ:原始人。「死者の国」をさまよっている。「うぐっ」しか言えない。グラムリーのおばあちゃん:あの世の人。少年ハリーが生きていたころの記憶にある女性。おばあちゃんはハリーを覚えていない。ハリーがまだあかちゃんぐらの幼かったころに亡くなったらしい。タイトル『青空のむこう』には、死後の世界があるということだろうか。(14ページにそれらしき記述があります)読み始めます。1 受付-The Desk 『…… ママはまだ生きている。ぼくが先に死んじゃったんだ』(自転車に乗っていて、トラックにひかれたらしい) <家> <この世> <あの世> <死者の国・入り口> <現在地> <彼方の青い世界へ(かなたのあおいせかいへ)> <死者の国> <太陽は傾いているのに(かたむいているのに)、沈むことはない。> 男児のこども言葉で、話が続きます。 自分がまだ小学校低学年、少年だった時に読んだマンガ本のようでもあります。 『…… 登録を待つ人たちの列がえんえんとつづいていた。犬や猫もいる……』 チャールズ・ディケンズ:イギリスの小説家。1812年-1870年。58歳没。 <彼方の青い世界(かなたのあおいせかい)>2 死者の国-The Other Lands 良書です。まだ途中ですが、今年読んで良かった一冊でした。 今一度、会いたい。ハリーは、姉や家族や友人に会いたい。3 生者の国-To The Land of The Living 洋画『ゴースト ニューヨークの幻(まぼろし)』を思い出します。 死んだ少年ハリーのひとり語りが続きます。児童文学ですから読みやすい。日本語訳も読みやすい。 ノーマンおじさん、ベリル大おばさん ハリーが、150年前に死んだアーサーと、幽霊(ゴースト)の状態で、自分がいた現世(げんせい。人が生きている時代の空間)へ行きます。 現世で、知っている人たちを見て、知っている人たちに話しかけて、相手は気づいてくれなくて、それなりにハリーの気持ちがへこみます。 現世へは、崖から落ちるように転落していきます。 『助けて! だれか、助けて! 死んじゃう!』(きみは、もう死んでいる) 『ぼくたちは落ちているんじゃなかった。飛んでいた。』(素敵な文章です)4 下の世界 Back Down トゥルーリー:死んでいる人の霊 現世では、死んでいるのに死にきれない人の霊が複数ただよっています。 『悪魔』のことが出てきます。 わたしが思うに、まずもって、『悪魔』というものは存在しない。 人間が勝手に、『悪魔』をつくりだした。 自分が悪いのに、悪魔のせいにする。 以前、外国人の殺人犯が、殺人の動機は、悪魔がそうさせたと述べていてびっくりしました。日本人にはない発想と文化です。5 学校 School 自殺した人の言葉に思えるセリフがあります。 『死ぬと疲れることはないんだ。』 ハリーのクラスメートとして、テリー、ダン、ドナ、サイモン、ジェリー・ドンキンス(いじめっこ)、ピート・サルマス ダイヤモンド先生:背が高く、口ひげが長い。 この本は、「死んじゃだめだ」と訴えているのだろうか。 ハリーは、さみしい思いをします。 転校していったクラスメートとして、フラン、チャズ、トレバー ハリーには、これから死にそうな人がわかる能力があります。 ダイヤモンド先生が、死にそうです。先生自身であるご本人は、まだ気づいていません。6 コート掛け The Peg ハリーの近所の人たちで、ハリーのお葬式に来てくれた人たちとして、チャーリーおじさん、ペグおばさん。 ハリーの教室で、ハリーのコート掛けが、ボブ・アンダーソンになっていた。ハリーはボブを知らないから、新しく来た転校生だろうとのこと。 校長が、ハレント先生。 ハリーのクラスは、五Bだから、ハリーは、アメリカ合衆国の小学校の学年で、5年生で、年齢は、10歳ぐらいでしょう。 入学は9月です。7 教室 In Class 幽霊になったハリーが、自分がいた教室を訪れます。 マーティーナ:図工が得意 グレアム・ペスト:字がじょうず。 オリビア・マスターソン:ハリーのことが好きだった。 ティリー:オリビアの友だち ペトラ:クラスメート スロッギー先生 『人が死んでも、ほかの人の人生はつづく(死んだ人の人生は終わっている。いなくなったらおしまい)』8 ジェリー Jelly ハリーと仲が悪かった。J・ドンキンスの作文が紹介されます。 ハリーは、太っているぼくを(ドンキンスを)ばかにし続けていた。ハリーにばかにされて、ぼくは、ハリーがキライになった。 ときどきハリーと仲直りをして友だちになりたいと思うことがあった。でも、ハリーは死んでしまった。後悔している。ごめんよ、ハリー。 洋画、『ゴースト ニューヨークの幻(まぼろし)』のように、幽霊が念力のようなものを使って、ドンキンスが持っていたボールペンを動かします。ハリーの念力です。 人間は簡単に死んでしまいます。 病気、事故、自然災害、事件などで命を落とします。 わたしも長い間生きてきて、死にそうになったことが複数回あります。たぶん、だれしも口にはしないけれど、そういうことってあると思います。 人間が生き続けていくためには、『運(うん)』が必要です。たとえば、あと5分ずれていたら、あんな事故にはあわなかったのにということはあります。めぐりあわせです。 読みながら、志(こころざし)なかばで死んでいった、自分の人生で出会った早世(そうせい。平均寿命よりも早く亡くなった。若くして亡くなった)した人たちを思い出しました。 突然がんの宣告をうけて、泣きながら亡くなっていった人も複数います。しかたがないのです。それが、現実です。 アーサーがハリーに言います。『あんまり期待するな。人にあまり期待しないことだ。そうすれば、がっかりすることもない』 オーク:樹木の種類。ブナ科コナラ族の木 命を考える本です。今生きている自分のことを考える本です。そして、自分のまわりにいる人たちに思いやりをもつことを学ぶ本です。9 映画館 The Cinema 映画館の座席に幽霊たちがいっぱい座って映画を観ています。満席です。 どこもいくところがないと、人間も幽霊も映画館に行くようです。 フレイザー:ハリーのママの友だち。 ゲームボーイ:任天堂 ドリームキャスト:セガ。SEGA プレイステーション:ソニー ノーマン・ティール:デイブ・ティールの兄。デイブ・ティールは、ハリーの学校の上級生で、兄のノーマン・ティールは、卒業して旅行会社に就職したばかり。 ハリーがノーマンに話しかけたら返事が返ってきたのでびっくりしました。ノーマンは最近突然高熱が出て病死したそうです。 スタン:スーツを着た幽霊。70歳ぐらい。 ウィンストン:スタンが飼っていた犬(だと思ったら、別の犬だった) <死者の国への近道>が現れました。虹のアーチ(橋)です。10 家 Home ゆうれいのハリーは自宅に行って、両親と姉を見ます。三人とも、ハリーを失って気持ちが落ち込んでいます。 ここまで読んできて、一冊、電子書籍を思い出しました。『週刊文春 シリーズ昭和④哀悼篇 昭和の遺書 魂の記録 生きる意味を教えてくれる91人の「最期の言葉」 文春ムック 平成29年12月11日発行 2017年11月27日電子版発行 Kindle Unlimited 電子書籍』 胸にぐっとくるものがありました。 キャンディーズのスーちゃんの気持ちがせつなかった。そして、川島なお美さんもがんで亡くなりました。『田中好子』 歌手キャンディーズメンバー 2011年4月21日(平成23年) 55歳没 乳がん もっと生きていたかったという思いが切々と伝わってきました。『川島なおみ』 女優 2015年9月24日(平成27年) 54歳没 胆管がん だんなさんに向けて、再婚はしないでねとお願いされています。 重松清小説作品『その日の前に』では、がんで余命宣告を受けた奥さんが、『(わたしのことは)忘れてもいいよ』と言葉を遺して亡くなります。『忘れないで』ではなくて、遺される(のこされる)ご主人のこれから先の幸せのために『忘れてもいいよ』(再婚してもいいよ)と表現したとわたしは受け止めました。そして『忘れてね(再婚してください)』ではないのです。妻は、本当は、自分のことを夫に忘れてほしくないのです。 ハリーは、自分のお墓も見に行きます。ていねいに整備されているお墓です。ご家族がお墓の世話をされています。 ハリーの言葉で、ハリーのお墓の世話をしているパパのことが語られます。10歳ぐらいの年齢の男子で、パパが好きな息子というのはなかなかいません。もう反抗期の入口にいます。 『それから三人は、さびしそうな顔で座っていた……』 パパとママと三歳年上の姉です。 モノポリー:ボードゲーム。すごろく。不動産ゲーム スクラブル:ボードゲーム。盤上に、アルファベットを並べて、単語をつくって得点を競う トリヴィア:雑学を競うゲーム 読んでいて、涙がこぼれそうです。 『ママ、かっこいい墓石をありがとう……』 突然ですが、児童虐待について考えました。 どうして自分のこどもを虐待して殺すのか。 わけがわからない。 こどもを虐待する親は、気が狂っています。(くるっています)11 二階 Upstairs オルト:飼い猫ですが、動物は、幽霊が見えています。オルトはハリーを認識します。オルトの名前の由来は、パソコンのキーボードの『Alt(オルトキー)「どっちか」という意味』からきているそうです。パパが名付けました。12 エギー Eggy ハリーの姉エギーとの再会(ハリーはゆうれいですが)は、せつない気持ちにさせてくれます。(せつない:悲しくて胸がしめつけられる) 『(家族写真に)ぼくがいた。家族と一緒に。もう二度と四人が一緒になることはない。』 (僕には使命がある)自分が交通事故で死ぬ直前に、口喧嘩(くちげんか)をした姉と話して、お互いを許さなくちゃいけない。 このあと、ハリーは、困難を成し遂げます。(なしとげます) 『文字』のありがたみが伝わってきました。 『だけどぼくのやり残したことは、今、終わった。ごめんねって言うことができた……』 <彼方の(かなたの)青い世界へ旅立つことができる。> メンバーが、それぞれいい人だったから、ハリーはこう思える。(思うことができる)13 彼方の青い世界 The Great Blue Yonder(向こうという意味) さわやかな終わり方でした。 良かった。 主人公の年齢から、自分が小学二年生のころの給食の時間を思い出しました。 給食を食べているときに、校内放送で、短い物語の朗読がされていました。彦一とんちばなしだったことを覚えています。 当時は、給食を食べるためと、校内放送の物語を楽しみに聴く(きく)ためだけに小学校へ行っていました。勉強の成績はぼろぼろで、通知表には2と3がたくさん並んでいました。それでもなんとか生きてきて、老後を迎えることができました。この物語を読みながら、そんなことを考えました。 物語の中で、長い間お母さんを探し続けていたゆうれいのアーサーは、ゆうれいのお母さんにようやく会うことができました。 いいお話でした。
青空のむこう アレックス・シアラー 金原瑞人(かねはら・みずひと)・訳 求龍堂(きゅうりゅうどう)
死んでしまった少年の話らしい。
イギリスの小説家の児童文学作品です。児童冒険小説というジャンルのようです。
日本語訳者は、先日読んだ、『アンソーシャルディスタンス』の作者金原ひとみさん(「蛇にピアス」で芥川賞を受賞された)のお父さんです。これから読む本が家のダンボール箱に入れてあるのですが、たまたま偶然、こちらのお父さんの本にあたりました。
ハリー・デクランド:交通事故死した少年。サッカーが好き。10歳から12歳ぐらいに見える。死ぬ前に姉のエギーとけんかをしていたことを、死んでから後悔している。とても後悔している。捨てゼリフを姉にぶつけて家を出て、そのあと交通事故にあって死んでしまった。自転車に乗っていて、10トントラックにひかれた。
『…… お姉ちゃんなんか大嫌い! …… 帰ってくるもんか。もう二度と会いたくない』、姉のエギーが、『じゃあ帰ってこないで』と言い返したのがこの世の姉との会話の最後だった。(つらい話です。現実でも起きることです。家から出かける時は、ケンカしないほうがいい。本当に、それが最後になることがありえます)
エギー・デクランド:ハリーの姉。ハリーより3歳年上。本名は、エグランティーン・デグランド。エギーは愛称。みんなは、『ティナ』と呼んでいた。
ハリーとエギーのパパとママ
ジェリー・ドンキンス:ハリーの同級生。でかい。太い。いじめっこ。プレハブ小屋で、ハリーを殴った。(なぐった)
ピート・サルマス:ハリーの親友
オリビア・マスターソン:女子。ハリーの同級生
オルト:猫
アーサー:150年前の死者。葬儀屋だった。死んだ母親を探している。みすぼらしい服を着ている。つぎはぎだらけ。大きなシルクハットをかぶっている。死んでから歳をとっていない。<死者の国>では、人は歳をとらない。アーサーは、施設で育った。母親はアーサーを産んだときに死んでしまった。父親は不明。
スタンさん:50年前に死んだ老人。幽霊。愛犬ウィンストンを探している。
ウグ:原始人。「死者の国」をさまよっている。「うぐっ」しか言えない。
グラムリーのおばあちゃん:あの世の人。少年ハリーが生きていたころの記憶にある女性。おばあちゃんはハリーを覚えていない。ハリーがまだあかちゃんぐらの幼かったころに亡くなったらしい。
タイトル『青空のむこう』には、死後の世界があるということだろうか。(14ページにそれらしき記述があります)
読み始めます。
1 受付-The Desk
『…… ママはまだ生きている。ぼくが先に死んじゃったんだ』(自転車に乗っていて、トラックにひかれたらしい)
<家> <この世> <あの世> <死者の国・入り口> <現在地> <彼方の青い世界へ(かなたのあおいせかいへ)> <死者の国> <太陽は傾いているのに(かたむいているのに)、沈むことはない。>
男児のこども言葉で、話が続きます。
自分がまだ小学校低学年、少年だった時に読んだマンガ本のようでもあります。
『…… 登録を待つ人たちの列がえんえんとつづいていた。犬や猫もいる……』
チャールズ・ディケンズ:イギリスの小説家。1812年-1870年。58歳没。
<彼方の青い世界(かなたのあおいせかい)>
2 死者の国-The Other Lands
良書です。まだ途中ですが、今年読んで良かった一冊でした。
今一度、会いたい。ハリーは、姉や家族や友人に会いたい。
3 生者の国-To The Land of The Living
洋画『ゴースト ニューヨークの幻(まぼろし)』を思い出します。
死んだ少年ハリーのひとり語りが続きます。児童文学ですから読みやすい。日本語訳も読みやすい。
ノーマンおじさん、ベリル大おばさん
ハリーが、150年前に死んだアーサーと、幽霊(ゴースト)の状態で、自分がいた現世(げんせい。人が生きている時代の空間)へ行きます。
現世で、知っている人たちを見て、知っている人たちに話しかけて、相手は気づいてくれなくて、それなりにハリーの気持ちがへこみます。
現世へは、崖から落ちるように転落していきます。
『助けて! だれか、助けて! 死んじゃう!』(きみは、もう死んでいる)
『ぼくたちは落ちているんじゃなかった。飛んでいた。』(素敵な文章です)
4 下の世界 Back Down
トゥルーリー:死んでいる人の霊
現世では、死んでいるのに死にきれない人の霊が複数ただよっています。
『悪魔』のことが出てきます。
わたしが思うに、まずもって、『悪魔』というものは存在しない。
人間が勝手に、『悪魔』をつくりだした。
自分が悪いのに、悪魔のせいにする。
以前、外国人の殺人犯が、殺人の動機は、悪魔がそうさせたと述べていてびっくりしました。日本人にはない発想と文化です。
5 学校 School
自殺した人の言葉に思えるセリフがあります。
『死ぬと疲れることはないんだ。』
ハリーのクラスメートとして、テリー、ダン、ドナ、サイモン、ジェリー・ドンキンス(いじめっこ)、ピート・サルマス
ダイヤモンド先生:背が高く、口ひげが長い。
この本は、「死んじゃだめだ」と訴えているのだろうか。
ハリーは、さみしい思いをします。
転校していったクラスメートとして、フラン、チャズ、トレバー
ハリーには、これから死にそうな人がわかる能力があります。
ダイヤモンド先生が、死にそうです。先生自身であるご本人は、まだ気づいていません。
6 コート掛け The Peg
ハリーの近所の人たちで、ハリーのお葬式に来てくれた人たちとして、チャーリーおじさん、ペグおばさん。
ハリーの教室で、ハリーのコート掛けが、ボブ・アンダーソンになっていた。ハリーはボブを知らないから、新しく来た転校生だろうとのこと。
校長が、ハレント先生。
ハリーのクラスは、五Bだから、ハリーは、アメリカ合衆国の小学校の学年で、5年生で、年齢は、10歳ぐらいでしょう。
入学は9月です。
7 教室 In Class
幽霊になったハリーが、自分がいた教室を訪れます。
マーティーナ:図工が得意
グレアム・ペスト:字がじょうず。
オリビア・マスターソン:ハリーのことが好きだった。
ティリー:オリビアの友だち
ペトラ:クラスメート
スロッギー先生
『人が死んでも、ほかの人の人生はつづく(死んだ人の人生は終わっている。いなくなったらおしまい)』
8 ジェリー Jelly
ハリーと仲が悪かった。J・ドンキンスの作文が紹介されます。
ハリーは、太っているぼくを(ドンキンスを)ばかにし続けていた。ハリーにばかにされて、ぼくは、ハリーがキライになった。
ときどきハリーと仲直りをして友だちになりたいと思うことがあった。でも、ハリーは死んでしまった。後悔している。ごめんよ、ハリー。
洋画、『ゴースト ニューヨークの幻(まぼろし)』のように、幽霊が念力のようなものを使って、ドンキンスが持っていたボールペンを動かします。ハリーの念力です。
人間は簡単に死んでしまいます。
病気、事故、自然災害、事件などで命を落とします。
わたしも長い間生きてきて、死にそうになったことが複数回あります。たぶん、だれしも口にはしないけれど、そういうことってあると思います。
人間が生き続けていくためには、『運(うん)』が必要です。たとえば、あと5分ずれていたら、あんな事故にはあわなかったのにということはあります。めぐりあわせです。
読みながら、志(こころざし)なかばで死んでいった、自分の人生で出会った早世(そうせい。平均寿命よりも早く亡くなった。若くして亡くなった)した人たちを思い出しました。
突然がんの宣告をうけて、泣きながら亡くなっていった人も複数います。しかたがないのです。それが、現実です。
アーサーがハリーに言います。『あんまり期待するな。人にあまり期待しないことだ。そうすれば、がっかりすることもない』
オーク:樹木の種類。ブナ科コナラ族の木
命を考える本です。今生きている自分のことを考える本です。そして、自分のまわりにいる人たちに思いやりをもつことを学ぶ本です。
9 映画館 The Cinema
映画館の座席に幽霊たちがいっぱい座って映画を観ています。満席です。
どこもいくところがないと、人間も幽霊も映画館に行くようです。
フレイザー:ハリーのママの友だち。
ゲームボーイ:任天堂
ドリームキャスト:セガ。SEGA
プレイステーション:ソニー
ノーマン・ティール:デイブ・ティールの兄。デイブ・ティールは、ハリーの学校の上級生で、兄のノーマン・ティールは、卒業して旅行会社に就職したばかり。
ハリーがノーマンに話しかけたら返事が返ってきたのでびっくりしました。ノーマンは最近突然高熱が出て病死したそうです。
スタン:スーツを着た幽霊。70歳ぐらい。
ウィンストン:スタンが飼っていた犬(だと思ったら、別の犬だった)
<死者の国への近道>が現れました。虹のアーチ(橋)です。
10 家 Home
ゆうれいのハリーは自宅に行って、両親と姉を見ます。三人とも、ハリーを失って気持ちが落ち込んでいます。
ここまで読んできて、一冊、電子書籍を思い出しました。
『週刊文春 シリーズ昭和④哀悼篇 昭和の遺書 魂の記録 生きる意味を教えてくれる91人の「最期の言葉」 文春ムック 平成29年12月11日発行 2017年11月27日電子版発行 Kindle Unlimited 電子書籍』
胸にぐっとくるものがありました。
キャンディーズのスーちゃんの気持ちがせつなかった。そして、川島なお美さんもがんで亡くなりました。
『田中好子』 歌手キャンディーズメンバー 2011年4月21日(平成23年) 55歳没 乳がん
もっと生きていたかったという思いが切々と伝わってきました。
『川島なおみ』 女優 2015年9月24日(平成27年) 54歳没 胆管がん
だんなさんに向けて、再婚はしないでねとお願いされています。
重松清小説作品『その日の前に』では、がんで余命宣告を受けた奥さんが、『(わたしのことは)忘れてもいいよ』と言葉を遺して亡くなります。『忘れないで』ではなくて、遺される(のこされる)ご主人のこれから先の幸せのために『忘れてもいいよ』(再婚してもいいよ)と表現したとわたしは受け止めました。そして『忘れてね(再婚してください)』ではないのです。妻は、本当は、自分のことを夫に忘れてほしくないのです。
ハリーは、自分のお墓も見に行きます。ていねいに整備されているお墓です。ご家族がお墓の世話をされています。
ハリーの言葉で、ハリーのお墓の世話をしているパパのことが語られます。10歳ぐらいの年齢の男子で、パパが好きな息子というのはなかなかいません。もう反抗期の入口にいます。
『それから三人は、さびしそうな顔で座っていた……』
パパとママと三歳年上の姉です。
モノポリー:ボードゲーム。すごろく。不動産ゲーム
スクラブル:ボードゲーム。盤上に、アルファベットを並べて、単語をつくって得点を競う
トリヴィア:雑学を競うゲーム
読んでいて、涙がこぼれそうです。
『ママ、かっこいい墓石をありがとう……』
突然ですが、児童虐待について考えました。
どうして自分のこどもを虐待して殺すのか。
わけがわからない。
こどもを虐待する親は、気が狂っています。(くるっています)
11 二階 Upstairs
オルト:飼い猫ですが、動物は、幽霊が見えています。オルトはハリーを認識します。オルトの名前の由来は、パソコンのキーボードの『Alt(オルトキー)「どっちか」という意味』からきているそうです。パパが名付けました。
12 エギー Eggy
ハリーの姉エギーとの再会(ハリーはゆうれいですが)は、せつない気持ちにさせてくれます。(せつない:悲しくて胸がしめつけられる)
『(家族写真に)ぼくがいた。家族と一緒に。もう二度と四人が一緒になることはない。』
(僕には使命がある)自分が交通事故で死ぬ直前に、口喧嘩(くちげんか)をした姉と話して、お互いを許さなくちゃいけない。
このあと、ハリーは、困難を成し遂げます。(なしとげます)
『文字』のありがたみが伝わってきました。
『だけどぼくのやり残したことは、今、終わった。ごめんねって言うことができた……』
<彼方の(かなたの)青い世界へ旅立つことができる。>
メンバーが、それぞれいい人だったから、ハリーはこう思える。(思うことができる)
13 彼方の青い世界 The Great Blue Yonder(向こうという意味)
さわやかな終わり方でした。
良かった。
主人公の年齢から、自分が小学二年生のころの給食の時間を思い出しました。
給食を食べているときに、校内放送で、短い物語の朗読がされていました。彦一とんちばなしだったことを覚えています。
当時は、給食を食べるためと、校内放送の物語を楽しみに聴く(きく)ためだけに小学校へ行っていました。勉強の成績はぼろぼろで、通知表には2と3がたくさん並んでいました。それでもなんとか生きてきて、老後を迎えることができました。この物語を読みながら、そんなことを考えました。
物語の中で、長い間お母さんを探し続けていたゆうれいのアーサーは、ゆうれいのお母さんにようやく会うことができました。
いいお話でした。]]>
読書感想文
熊太郎
2024-03-15T07:09:55+09:00
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沈黙のパレード 東野圭吾 文春文庫
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e153936.html
沈黙のパレード 東野圭吾 文春文庫 映画のほうは、先日、動画配信サービスで観ました。 出川哲朗さんの充電バイクの旅にゲストで出ていたずん飯尾和樹さんが、劇中で、殺された娘さんの父親役を好演されていました。なかなか良かった。 もう筋書きは知っているので、文章を楽しみながらの読書になります。東野圭吾さんの文章は読みやすいので、スムーズにページが進んでいきます。 並木祐太郎・真智子夫婦とこどもさん:犠牲者が長女沙織当時19歳(頭蓋骨陥没で発見される)、次女が夏美三歳歳下です。 戸島修作(とじま・しゅうさく):並木雄太郎の幼馴染で親友。白髪混じりの五分刈り頭(1.5センチぐらい)。 宮沢摩耶(みやざわ・まや):大型書店『宮沢書店』の跡継ぎ娘。三十代前半。町内会の理事。パレードの実行委員長。 新倉直紀・留美夫婦:代々医者の家で、資産家。音楽家。歌手を目指していた並木沙織の歌の先生。 高垣智也:殺された並木沙織の交際相手。 草薙:容疑者を捕らえたものの、証拠不十分で無罪にしてしまった刑事 間宮:警察の管理官 内海薫:女性刑事 多々良:捜査一課。昔は、管理官をしていた。今は課長の次の位のポストの人 岸谷:警視庁警部補。40歳前後。穏やか(おだやか)。武藤の上司 武藤警部補:色黒。顔の彫りが深い。北国生まれ。岸谷の部下 湯川学:帝都大学で物理を教えている教授 本橋優奈ちゃん事件(もとはし・ゆうなちゃん):12歳の少女が行方不明になって殺された。19年ぐらい前の出来事です。山中で骨が発見された。 蓮沼寛一:ふたつの殺人事件の犯人。犯行を完全否認して無罪になった。(この点が、理不尽(りふじん。人の道の道理に合わないこと)として強調されます。被害者家族、そして、映画や本を観る者に、怨み(うらみ)とか、復讐心が芽生えます。無罪確定の代償として、刑事補償金1000万円以上を要求して受け取ったもよう。(本当は有罪なのに)。父親は警察官で、息子の寛一は、父親を見て、自白しなければ罪に問われにくいことを学んだようすがある。本人が黙秘権を行使した動機に、死んだ父親の言動があります。 蓮沼芳恵:蓮沼寛一の継母。高齢で死去。ごみ屋敷で暮らしていた。年金生活者だった。 冤罪(無実の罪)というのがありますが、本件事件の場合は、冤罪の反対で、犯人なのに、証拠不十分で無罪になっています。殺人事件の犯人がのうのうと暮らしています。(のうのう:心配なくのんびりと) 映画を観ましたが、小説は、やはり、情報をち密に書いてあります。 死体遺棄の時効を過ぎているから逮捕できない。(遺棄行為から3年) キクノ・ストリート・パレード:もともとは、静岡県にある菊野商店街秋祭りパレード。コンテスト形式で全国から参加がある。(仮想のイベントです)。参加者は、予選を経て、10月に行事を開催している。 被害者の父親の言葉として、『犯人扱い? 俺はあんたを犯人だと思っているよ』 増村英治:70歳前後の男。小柄。蓮沼寛一の同居人。傷害致死の前科あり。 映画を観て、もう中身がわかっているので、読んでいても、なんとはなしにつまらない。 映画の台本を読んでいるような感じです。 原作に忠実に映画がつくられていることがわかります。 『検察審査会』について書いてあります。 自分の印象としては、検察審査会は、正義の味方という位置づけの組織ではないというものです。 検察審査会の話し合いで、不起訴になった事件を起訴できたとしても、やっぱり不起訴になることが多いような印象があります。 この制度は、無念を晴らしたい人へのあきらめへの時間稼ぎにしか思えないのです。 もう昔の話ですが、知っている人が検察審査会のメンバーに選ばれたことがあります。メンバーは、衆議院選挙の有権者の名簿から選挙管理委員会のくじ引きで選ばれるのです。なんとなく、裁判員制度に似ています。ご指名があるのです。あなたはクジにあたったのです、よろしくと。 ユダの窓:推理小説。密室が素材(そざい)。 森元:自動車修理工場の自営業者 磁気物理学研究部門の第一研究室・第二研究室の磁気物理学研究部門主幹室 23年前の事件:本橋優奈ちゃん事件(12歳の少女が行方不明になり4年後山中にて、遺骨で発見された)。事件は、東京都足立区内で起きた。 クミコ:並木沙織の同級生 ヤマダ:腹痛を訴えた女性 沢内幸江(さわうち・さちえ):本橋優奈の父親である亡本橋誠二の妹 本橋由美子:本橋優奈の母親。旧姓藤原。本橋優奈が不明になって1か月後に自殺した。24歳で、32歳の本橋誠二と結婚した。本橋誠二は歳をとったあと亡くなっている。 岡野勇:増村英治が6歳のときに離婚した生き別れの父親。 (おそらく岡野)貴美子:増村英治の母親。貴美子は再婚している。 島岡:鑑識課員主任 拘る:こだわる。 塚本:高垣智也の上司。課長。 田中:高垣智也の後輩。 佐藤:高垣智也の会社の新人女子社員。 349ページ付近を読んでいて思ったことです。 証拠不十分で無罪になった容疑者に復讐しても、死んだ被害者は生き返ってはこない。 割り切れるか、割り切れないかで、生きている人の未来が変わってきます。(わりきる=あきらめる) ブラフ:はったり。うそに近いことを言って、相手の言動をおびきだすための手段。 『…… 懸命に沈黙を続けてくれている人たちに顔向けができません』 『…… この男は人間ではない。人間の皮を被った(かぶった)邪悪な生き物だと思った。』 『国が裁いて(さばいて)くれないならこの手で……』、それから、家族のことは考えなくていいから(復讐、仇討ち(あだうち))をやってくれという流れになっていきます。なんだか、大石内蔵助(おおいしくらのすけ)、赤穂藩(あこおはん)の忠臣蔵(ちゅうしんぐら)のようでもある。 黙っていた人が、今度は、ウソを並べる。愛する人をかばうためにウソを並べる。 『…… だから最後まで彼は黙秘を続けられたのです』 良心の呵責(かしゃく):悪いことをした自分について、良心から自分を責めて悩むこと。(全部を読み終えてびっくりしたこと) 読み終えたとき、おかしいと思いました。 映画の最後に出てくる犯人と、小説の最後に出てくる犯人が違うのです。 (こんなことがあるのだろうか) 小説は、読み終えたばかりなので、本当は人を殺していて有罪なのに、黙秘権を行使して、証拠不十分で無罪になった犯人を殺害したのは、Aという人物であることは確実だと納得がいきましたが、映画でのその人物は、Bという人物だった記憶なのです。 もう一度、動画配信サービスで映画を観ました。 わかりました。 わたしの勘違いでした。 犯人を憎んでいる人が複数いるので、AもBも眼鏡をかけていたことから、人間を勘違いしていました。そうかと、腑に落ちました。(ふにおちる。はらにおちる。納得する) ただ、また老化(加齢)を実感することになりました。アルツハイマー型認知症の新薬であるエーザイのレカネマブを、さきざき投与してもらわなければならなくなるかもしれないと心配になりました。トホホ…… 最近物忘れや勘違いや錯覚、記憶力の衰えが著しくなりました。(いちじるしくなりました) 映画では、事故が起きたときに、すぐに救急車を呼べば、こんなにおおごとにはならなかった出来事です。 救急車のピーポー音が聞こえてきたことが、紛らわしい(まぎらわしい)勘違いです。(劇中の関係者にとって) とはいえ、『うまくできている推理小説』です。たいしたものです。 映像を観ながら、映像に出ているのは、役者であり、本物の警察職員ではないという感想をもちました。 こちらの映画には、女優の檀れいさんが出ておられました。 二年前、長野県松本市を旅した時に、たまたま市内で檀れいさんをお見かけしました。たいへんおきれいな方で、輝いておられました。旅は思い出の一里塚です。(いちりづか。めじるし。ランドマーク。江戸時代に4キロおきぐらいに街道に置かれためじるし)
沈黙のパレード 東野圭吾 文春文庫
映画のほうは、先日、動画配信サービスで観ました。
出川哲朗さんの充電バイクの旅にゲストで出ていたずん飯尾和樹さんが、劇中で、殺された娘さんの父親役を好演されていました。なかなか良かった。
もう筋書きは知っているので、文章を楽しみながらの読書になります。東野圭吾さんの文章は読みやすいので、スムーズにページが進んでいきます。
並木祐太郎・真智子夫婦とこどもさん:犠牲者が長女沙織当時19歳(頭蓋骨陥没で発見される)、次女が夏美三歳歳下です。
戸島修作(とじま・しゅうさく):並木雄太郎の幼馴染で親友。白髪混じりの五分刈り頭(1.5センチぐらい)。
宮沢摩耶(みやざわ・まや):大型書店『宮沢書店』の跡継ぎ娘。三十代前半。町内会の理事。パレードの実行委員長。
新倉直紀・留美夫婦:代々医者の家で、資産家。音楽家。歌手を目指していた並木沙織の歌の先生。
高垣智也:殺された並木沙織の交際相手。
草薙:容疑者を捕らえたものの、証拠不十分で無罪にしてしまった刑事
間宮:警察の管理官
内海薫:女性刑事
多々良:捜査一課。昔は、管理官をしていた。今は課長の次の位のポストの人
岸谷:警視庁警部補。40歳前後。穏やか(おだやか)。武藤の上司
武藤警部補:色黒。顔の彫りが深い。北国生まれ。岸谷の部下
湯川学:帝都大学で物理を教えている教授
本橋優奈ちゃん事件(もとはし・ゆうなちゃん):12歳の少女が行方不明になって殺された。19年ぐらい前の出来事です。山中で骨が発見された。
蓮沼寛一:ふたつの殺人事件の犯人。犯行を完全否認して無罪になった。(この点が、理不尽(りふじん。人の道の道理に合わないこと)として強調されます。被害者家族、そして、映画や本を観る者に、怨み(うらみ)とか、復讐心が芽生えます。無罪確定の代償として、刑事補償金1000万円以上を要求して受け取ったもよう。(本当は有罪なのに)。父親は警察官で、息子の寛一は、父親を見て、自白しなければ罪に問われにくいことを学んだようすがある。本人が黙秘権を行使した動機に、死んだ父親の言動があります。
蓮沼芳恵:蓮沼寛一の継母。高齢で死去。ごみ屋敷で暮らしていた。年金生活者だった。
冤罪(無実の罪)というのがありますが、本件事件の場合は、冤罪の反対で、犯人なのに、証拠不十分で無罪になっています。殺人事件の犯人がのうのうと暮らしています。(のうのう:心配なくのんびりと)
映画を観ましたが、小説は、やはり、情報をち密に書いてあります。
死体遺棄の時効を過ぎているから逮捕できない。(遺棄行為から3年)
キクノ・ストリート・パレード:もともとは、静岡県にある菊野商店街秋祭りパレード。コンテスト形式で全国から参加がある。(仮想のイベントです)。参加者は、予選を経て、10月に行事を開催している。
被害者の父親の言葉として、『犯人扱い? 俺はあんたを犯人だと思っているよ』
増村英治:70歳前後の男。小柄。蓮沼寛一の同居人。傷害致死の前科あり。
映画を観て、もう中身がわかっているので、読んでいても、なんとはなしにつまらない。
映画の台本を読んでいるような感じです。
原作に忠実に映画がつくられていることがわかります。
『検察審査会』について書いてあります。
自分の印象としては、検察審査会は、正義の味方という位置づけの組織ではないというものです。
検察審査会の話し合いで、不起訴になった事件を起訴できたとしても、やっぱり不起訴になることが多いような印象があります。
この制度は、無念を晴らしたい人へのあきらめへの時間稼ぎにしか思えないのです。
もう昔の話ですが、知っている人が検察審査会のメンバーに選ばれたことがあります。メンバーは、衆議院選挙の有権者の名簿から選挙管理委員会のくじ引きで選ばれるのです。なんとなく、裁判員制度に似ています。ご指名があるのです。あなたはクジにあたったのです、よろしくと。
ユダの窓:推理小説。密室が素材(そざい)。
森元:自動車修理工場の自営業者
磁気物理学研究部門の第一研究室・第二研究室の磁気物理学研究部門主幹室
23年前の事件:本橋優奈ちゃん事件(12歳の少女が行方不明になり4年後山中にて、遺骨で発見された)。事件は、東京都足立区内で起きた。
クミコ:並木沙織の同級生
ヤマダ:腹痛を訴えた女性
沢内幸江(さわうち・さちえ):本橋優奈の父親である亡本橋誠二の妹
本橋由美子:本橋優奈の母親。旧姓藤原。本橋優奈が不明になって1か月後に自殺した。24歳で、32歳の本橋誠二と結婚した。本橋誠二は歳をとったあと亡くなっている。
岡野勇:増村英治が6歳のときに離婚した生き別れの父親。
(おそらく岡野)貴美子:増村英治の母親。貴美子は再婚している。
島岡:鑑識課員主任
拘る:こだわる。
塚本:高垣智也の上司。課長。
田中:高垣智也の後輩。
佐藤:高垣智也の会社の新人女子社員。
349ページ付近を読んでいて思ったことです。
証拠不十分で無罪になった容疑者に復讐しても、死んだ被害者は生き返ってはこない。
割り切れるか、割り切れないかで、生きている人の未来が変わってきます。(わりきる=あきらめる)
ブラフ:はったり。うそに近いことを言って、相手の言動をおびきだすための手段。
『…… 懸命に沈黙を続けてくれている人たちに顔向けができません』
『…… この男は人間ではない。人間の皮を被った(かぶった)邪悪な生き物だと思った。』
『国が裁いて(さばいて)くれないならこの手で……』、それから、家族のことは考えなくていいから(復讐、仇討ち(あだうち))をやってくれという流れになっていきます。なんだか、大石内蔵助(おおいしくらのすけ)、赤穂藩(あこおはん)の忠臣蔵(ちゅうしんぐら)のようでもある。
黙っていた人が、今度は、ウソを並べる。愛する人をかばうためにウソを並べる。
『…… だから最後まで彼は黙秘を続けられたのです』
良心の呵責(かしゃく):悪いことをした自分について、良心から自分を責めて悩むこと。
(全部を読み終えてびっくりしたこと)
読み終えたとき、おかしいと思いました。
映画の最後に出てくる犯人と、小説の最後に出てくる犯人が違うのです。
(こんなことがあるのだろうか)
小説は、読み終えたばかりなので、本当は人を殺していて有罪なのに、黙秘権を行使して、証拠不十分で無罪になった犯人を殺害したのは、Aという人物であることは確実だと納得がいきましたが、映画でのその人物は、Bという人物だった記憶なのです。
もう一度、動画配信サービスで映画を観ました。
わかりました。
わたしの勘違いでした。
犯人を憎んでいる人が複数いるので、AもBも眼鏡をかけていたことから、人間を勘違いしていました。そうかと、腑に落ちました。(ふにおちる。はらにおちる。納得する)
ただ、また老化(加齢)を実感することになりました。アルツハイマー型認知症の新薬であるエーザイのレカネマブを、さきざき投与してもらわなければならなくなるかもしれないと心配になりました。トホホ…… 最近物忘れや勘違いや錯覚、記憶力の衰えが著しくなりました。(いちじるしくなりました)
映画では、事故が起きたときに、すぐに救急車を呼べば、こんなにおおごとにはならなかった出来事です。
救急車のピーポー音が聞こえてきたことが、紛らわしい(まぎらわしい)勘違いです。(劇中の関係者にとって)
とはいえ、『うまくできている推理小説』です。たいしたものです。
映像を観ながら、映像に出ているのは、役者であり、本物の警察職員ではないという感想をもちました。
こちらの映画には、女優の檀れいさんが出ておられました。
二年前、長野県松本市を旅した時に、たまたま市内で檀れいさんをお見かけしました。たいへんおきれいな方で、輝いておられました。旅は思い出の一里塚です。(いちりづか。めじるし。ランドマーク。江戸時代に4キロおきぐらいに街道に置かれためじるし)]]>
読書感想文
熊太郎
2024-03-06T06:40:56+09:00
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アンソーシャル ディスタンス 金原ひとみ
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e153890.html
アンソーシャル ディスタンス 金原ひとみ(かねはら・ひとみ) 新潮社 本の帯に、『ずっとそうだった、コロナは世間に似ている』と書いてあります。文章の意味はわかりませんが、コロナ禍が関係しているから、「アンソーシャル ディスタンス」なのでしょう。「新型コロナウィルス感染症拡大防止対策として、対人距離の確保(をしない)」と読み取れます。アンソーシャルで、否定形ですから。 いったいコロナ禍(か)ってなんだったのだろう。発生地の中国は何の補償もしてくれない。まわりも補償を求めない…… まるで、そんなことは、なかったかのごとく過ぎ去ってしまっています。 短編5本です。『ストロングゼロ』 飲み物だろうか? ストロングゼロ:調べました。チューハイだそうです。(わたしは飲んだことはありません)ラ・カンテーヌ:レストランらしい。昼食を食べに行くところ。セナ:彼氏はSE(システム・エンジニア)(私)ミナ:桝本美奈。主人公OL(オフィスレディ)。出版社の新書編集部勤務と読みとれます。彼氏はイケメンであればいい。人間の中身にあまりこだわりはなさげです。行成(ゆきなり。元バンドマン。今はフリーター、ミナのヒモ状態あわせて、うつ状態)。ミナは行成と3年間同棲していますが、ほかの男とも寝ます。イケメンならだれでもOKみたいです。吉崎:セナとミナの同僚OL。面食い(めんくい)。裕翔(ゆうと):吉崎の彼氏だが、ミナの彼氏でもある。ふたまたかけていたが、三週間前に吉崎と別れたもよう松郷(まつごう)職場でミナの向かいの席に座っているのが、真中(まなか)さん。販売担当部署の三瀬さん。奥滋さん(おくしげさん)のトークショー:奥滋美津子×村松勝トークショー 社食の話から始まりました。(会社の食堂) 彼氏の話が出ます。なんというか、「カレシ」とか「カノジョ」とか、所有物のような扱い、形だけの付き合い相手、言い方に、そんな軽いイメージがあります。(読み終えました) アルコール依存症になっている若いOLさんのお話でした。 女性が読む短編集でのようです。女心を表現してある作品群のようです。 ちょっとわたしは、場違いです。少し、流し読みをするような感じで読みました。 怯む:ひるむ。 校了(こうりょう):印刷してもよい状態になる。校正終了の略。 スマホで、ストラテジーゲーム:戦略。策略。ゲームで与えられたミッションをクリアする。 文章に勢いがあります。すさまじいパワーです。文字数が大量です。 よきフレーズ(言い回し)として、『(男にとって女であるわたしは)自動販売機のような存在なのかもしれない……』、男にごはんを用意して与えている。男は鳥かごのなかにいる鳥のようなもの。 読んでいる自分は、相当まじめなのでしょう。読んでいて、主人公女性のミナがだらしなく思えます。 本人は悩んでいるようなのですが、同情する気持ちにはなれません。ミナは、はっきりしない人です。自分の未来に向かって、自分がどうなりたいのかの志(こころざし)がない人です。アル中の人です。たくさんStrong Zero(ストロングゼロ)というチューハイを飲みます。しょっちゅう飲みます。 新書:新刊の書物。気楽に読める教養ものや小説。 仕事のようすが書いてあるのですが、なんでもかんでもメールです。昔はちゃんと相手に会って話したり、電話したりで口頭で会話をしたものです。なんだかなあという気分で読んでいます。無言で接客する人が増えました。人間じゃなくて、AIロボットのようです。(人工知能ロボット人間)。人間が、人間ではない、人間のようなものになっています。 リマインド:思い起こさせる。 ミナは、アルコールに依存するけれど、男にも依存する。男から、『まだ飲むの?』と問われてしまいます。とうぜん、まだ飲み続けます。心の病気です。 複数の男と交渉をもっているので、そのうち、男の名前を言い間違えます。めちゃくちゃですな。 アルコール依存症ですから、夢と現実が交錯(こうさく。入り混じる)します。 同僚からは、『…… 酒臭いよ』と言われてしまいます。 わたしは長いこと生きてきて、アル中の人を何人か見たことがありますが、アル中の人は、体力があるうちは、威勢(いせい。元気。勢い)がいいのですが、体力が落ちてくるとぼろぼろになります。思うに、アル中の人は、内臓がぐちゃぐちゃになって、排尿・排便のコントロールが自分でできなくなって、オムツをつけて、汚物まみれで死んでいくイメージがあります。苦しい死に方です。 アイラ島のウィスキー:スコットランドの島。ウィスキーが有名。 得る(える)ものはなく、失うものばかりのアル中の女性の話でした。『デバッガー(Debugger。コンピュータープログラムの不具合を探し出して、修正する作業をする人)』 読み終えましたが、自分には、合わない小説です。この本は、まじめさとか、一生懸命さがない女性が主人公になる短編群です。 35歳のOLが、同じ職場の24歳の男性とカップルになってのあれやこれやです。 まわりの同世代が、結婚して、出産して、子育てをしての中で、取り残された女性です。自分で自覚があります。自分は、時間が止まっているという表現があります。 かといって、仕事で大成功しているようすはありません。 主人公の女性は、理由はあいまいですが、美容整形に多額のお金をつぎ込みだします。 そして、整形の結果がうまくいきません。あせります。そんな流れのお話でした。森川愛菜(もりかわ・まな):27歳のときに3年間付き合った男と別れて3年がたった。付き合い始める前、その男は複数の女性と付き合っていた。アイドルとか、元モデルの美人とか、おまえよりレベルが高い女性だったと言われたとあります。(こんなところで、まじめな話で申し訳ないのですが、同時に複数の異性と付き合うような人間とは距離を置いたほうがいいです。誠実な人ではありません。ただ、この話の場合、森川愛菜も同時に複数の男と関係をもつ女性なのです)優花(ゆうか):同僚OL。かなり年上の既婚男性と不倫をしている。不倫相手の男性は、離婚したいができない状況にあるらしい。秘書課で働いている。大山くん:24歳。森川愛菜よりも8歳年下だが、森川愛菜との結婚を真剣に考えている。森川愛菜とつきあっている。いっぽう、同期の山岡という24歳の女性が、大山に好意をもっている。 ブリオッシュ:フランスの菓子パン 失礼かもしれませんが、読み手の自分からみれば、くだらない世界のことが書いてあります。セクハラ、モラハラの会社内のようすです。女性蔑視のようすです。(べっし。女性を下に見る) この短編を読んで共感する女性もいるだろうなあ。 高学歴の人たちが働いている会社に見えます。 以前考えたことがあります。結婚しない。こどもがいない。孫もいない。そして、高齢の親を亡くして、年寄りのひとり暮らしになるって、どんな感じなんだろうなあと。 子どものいない夫婦、孫のいない夫婦の友だちがいるので、雑談の中でそんな話をしたことがあります。彼らの返事は、『わからない(子どもや孫がいることの実感が湧かない)』というものでした。 結論としては、未婚であれば、18歳ぐらいの意識のまま、心身が老いた状態になるというものでした。結婚生活の苦労とか、子育ての苦痛とか、高齢の親や義父母の介護などの苦悩体験がなければ、家族関係のあれやこれやがあったという人生を実感することはないのです。 こちらの短編の主人公女性のようすと重なります。 大山くんが言います。 『ペンギンになりたいなあ』(飼育員にエサをもらって生きていけるのはサイコーなこと。飼育員=8歳年上女性の主人公だろうか。年上女性に養ってもらいたい) 哀しい(かなしい)話です。 自分としては、やはり、年齢に応じたポジション(人生の立ち位置)にいたい。(このあとの短編、『コンスキエンティア(Conscientia。意識。共犯関係。良心)』115ページに関連する文章があります。計画的に人生を送る人は、コントロールフリーク(仕切り屋)だと、見くだすように表現されています)(う~む。そうかなあ。若い時にはわからないのです。50年も経つと、顔も体もだれしもが心身ともにヨロヨロになります。健康優良児的なイケメンとか美人ではいられません。労働者としての現役リタイアの時期が近づいてきたら、老後の備えは大事です) 病気でもないのに、美容整形外科という医療機関に行く。 働いたお金を、『自分の顔』につぎ込む。(結婚しない。こどももいないとなると、働いていれば、たくさんお金が残るからかけられる費用なのでしょう) 小説に出てくるどの恋愛も、顔とかスタイルとか、見た目だけの愛情です。性格とか、資質とか、気が合うとか、そういった基準がありません。 ボトックス:シワ対策のために、薬を注射する。(この物語では、主人公が思ったような効果がえられません。失敗して、10歳ぐらい老けて(ふけて)見えるようになります。35歳が45歳に見える。みじめです) なんだか、大山くんという男も変な男です。(年上女性のヒモになりたい。結婚が永久就職のようです) 主人公女性の言葉です。 『…… 私は一体、誰と恋愛していていたのだろう。そもそもこれは恋愛だったのだろうか……』(うーむ。35歳ならまだやり直しができますと励ましたいけれど。うーむ。なんともいいがたい)『コンスキエンティア(Conscientia。意識。共犯関係。良心)』 主人公 小路茜音(しょうじ・あかね)。30歳。不倫中(相手はひとりとは限らない)。夫:奏(そう)。31歳。無気力。妻のヒモ状態。(この本では、ヒモみたいな男がよく出てきます) 由梨江:小路茜音の友人。デキ婚。育休中。 龍太:由梨江の弟。小路茜音の不倫相手のひとり。 宗岡 美梨(みり):小路茜音の同僚 原田悦司(はらだ・えつし):51歳ぐらい。有名服飾デザイナー。小路茜音の新しい不倫相手の男性になるであろう人。 お化粧をしているようすから話が始まります。 自分は男なので、男の生活とはあまり縁のないお化粧の内容について、細かい記述が続くのですが、理解できないので、流し読みをします。 お化粧をする女性が読むとピッタリくるのでしょう。 表向きだけの仲良し夫婦です。中身はありません。すでに夫婦関係は破たんしています。 『今考えなければならないのは、離婚のことだ……』(でも離婚しません) 外資系化粧品メーカーのBA:ビューティーアドバイザー 夫は、朝4時に二十連投で、妻のラインにメッセージを送ります。(異常です。妻は女ともだちの家で普通に寝ていました) 主人公の母親は、現実を知っています。『あなたの(娘の)結婚生活は続かない。』 娘は、ブルドーザーみたいな勢いで結婚したけれど、今は離婚したいそうです。 ラインのラリー(連投)が異常です。ラインの着信音が続きます。 こんなことで、悩まなければならないのだろうか。 依存しあう夫婦です。 自立とか自活という言葉がありません。 ふたりの肉体的な交渉は、『何か人間ではない生き物に犯されたような気分だった。』そうです。 腐れ縁です。 外連味(けれんみ):はったり、ごまかし。 なんだか、虚しい(むなしい。中身がない)暮らしぶりです。 何のために生きているのだろう。 夢がありません。 妻も夫も、心を病んでいます。(やんでいます)。 夫婦は、夫婦になる努力をしないと夫婦にはなれません。 親子も同様です。 書き手は何を表現したいのだろうか? 『虚無(きょむ。なにもない。むなしい)』と『孤立感』。人間のもつ闇(やみ)でしょう。 NTR:寝取られ。パートナーが奪われる。 厨二病(ちゅうにびょう):『中二病』が、ネット上で、『厨二病』に変化した。思春期のありがちな背伸び行為・言動。 ナチョス:メキシコ料理。薄いパンに具材をのせて食べる。 DV:夫婦間の暴力があります。夫から妻に対するものです。まあ、めちゃくちゃですなあ。 読み終えました。 なんだろう。主人公の身になってみると、『自分』という人間が、失われていく感覚があります。 『アンソーシャル ディスタンス Unsocial Distance 社会的距離がない。非社会的距離』 読み終えました。これまでの作品を含めて、途中で、もう読むのをやめようかと思う読書が続いています。 エロい下ネタ記述が続きます。高校生の頃に読んだ村上龍作品『限りなく透明に近いブルー』を思い出しました。 荒廃した若い男女の関係です。 なんというか、人間って、そんなものではないのです。内容は、受け止め方にもよりますが、読者を喜ばせようとするためのつくり話です。 人間の体というのは、だれしもが病気をもっています。健康優良児タイプの体は少ない。夢のような行為の体験なんて、やっぱり夢なのです。それぞれいろいろハンデをかかえていて、お互いに人に見られたくないところをさらけだして、助けあっているのが愛情の現状です。行為そのものについては、人間って、どうしてこんなことをするのだろうかと思うこともあるのです。子孫を継続させるための行為です。愛情の確認だったら抱き合うだけで十分だという人も多いのです。一定の線を超えると異常な性癖になります。 まあ、物語の流れに沿って、感想を書いてみます。 女性の指輪のことが書いてあり、なにか意味がありそうでした。 小嶺沙南(「こみね・さな」でいいのでしょう):10歳、13歳で自殺企図あり。リストカットあり。16歳で脱法ドラッグを使用して、高校を中退した。大検に合格後大学に進学した。幸希(こうき):小嶺沙南とカップルの男性。小嶺のゼミの1年先輩。小嶺を妊娠させて、堕胎させた。 まあ、このふたりに家庭を築けるわけがないというカップルです。 松永絢斗(まつなが・けんと):小嶺沙南に言い寄る男 ハンザップ:音楽バンド 妊娠したこどもを強制的に体の外に出して命を奪います。 平然とカップルはその行為を医療機関で行います。 読んでいてイヤな気持ちになってきます。赤ちゃんの命の大切さというものはない。 目的も目標もない生活です。 親への隠し事はありです。(堕胎(だたい)のこと) 中身のない男です。 命をモノ扱いする男と女です。こんな人はこどもをつくらないでほしい。 なんでもネットで買うのか。(さだまさしさんの歌を思い出しました。『買い物ぐらい体動かせ』です。たしか、『関白失脚』という歌で、歌詞では、テレホンショッピングでした) ペシミズム:悲観主義。世界は不幸と非合理に満ちている。それ以外にない。 HILDE:会社名。幸希が内定をもらった。パソコンメーカー。 スマホ、メール、飲もうよ!(アルコールを)、スマプラ(スマホで楽しむ音楽・映像)、ネット、ゼミ、フラペチーノ(スターバックスの冷たいドリンク)、希死念慮(きしねんりょ。自殺プランづくり)、ライブハウス、メンヘラ、イヤホン、iPhone、ウォーターサーバー…… 読んでいて、しゃらくせぇ、とか、ばかばかしいという気分になります。(案外そういう気分になるのは、作者の術中にはまっているのかもしれません) 人工的な世界の中にいる若い人たちに見えます。 心が病んでいます。(やんでいます) 暗い内容です。 光が見えない。光を見たい。 大学まで行って、何を学んだのだろうこの人たちは。 法学部を出て、法律を守らない政治家みたいなものか。 脳みその中にある誠実さは、幼児よりも低い。 男女が交互に自分の心理状況を語る形式の文章です。 母親と息子の関係はゆるい。母親も息子と似たようなものか。 『俺の中でもう母親は関係ない人だから』 重ねて、エロい言葉がたくさん出てくるのですが、生物の生態系の話を読んでいるようでもあります。人間の体は、書いてあるようには動けないのです。現実と夢にはへだたりがあるのです。世の中は誤解と錯覚でできあがっていると、だれかが言っていました。 なぜ死にたいのだろう。そして、なぜ死なないのだろう。(小説家太宰治(だざい・おさむ)氏を思い出します)。彼は死にたいと言いつつ死にたくなかった。女に導かれて水の中で死んだ。本当は死ぬつもりではなかったとも思えます。 こちらの作品は、背景とか底辺に太宰治氏の意思が置かれているのだろうか。 惰性(だせい。これまでの流れ)で生きていく人たちのお話でした。 『テクノブレイク(Technobreak。過度な自分の行為による突然死)』 まあ、過激なタイトルが続きます。 短編集の最後の作品になりました。がんばって読みます。 (読み終えました。この短編部分の感想を書く前に、この本全体の感想を書いてみます) いくつもある〇〇文学賞のたぐいにおいて選ばれるためには、文壇で、これまでにない文章の書き方、これまでに見たこともないストーリーの展開があるという『個性』が必要だと思います。 奇抜さを狙った文章書きです。(なかなか書けないやりかたです) 著者は、若い頃、そのことに気づいてチャレンジして成功を収めた。(おさめた)。以来、こういう文体と内容で創作活動を続けることを決心した。(2004年(平成16年)芥川賞受賞「蛇にピアス」) そんなふうに思いました。 本を読み終えたあとからのことですが、作者が、翻訳家の金原瑞人(かねはら・みずひと)さんの娘さんだということを知りました。金原瑞人さんは、ていねいで、繊細で、読みやすい翻訳をされる方です。 これまでに、児童文学作品、『ジョン万次郎 「海を渡ったサムライ魂」 マーギー・プロイス 金原瑞人訳 集英社』と『墓場の少年 ノーボディ・オーエンズの奇妙な生活 ニール・ゲイマン 金原瑞人・訳 角川書店』を読んだことがあります。(では、この短編「テクノブレイク」のほうの感想です) 大学生たちがいます。そのうち卒業して就職します。 ナナちゃん ミナミン 人間の位置がわかる位置情報アプリケーション「ゼンリー」(誰かと繋がって(つながって)いたい欲望を満たすためのアプリです) 芽衣(めい):主人公若い女性。 遼(りょう):ポジティブな男(積極的)。芽衣と付き合っていましたが、もともと性格が合わないのに付き合っていたことが災いして別れます。大手商社に勤務しています。 蓮二(れんじ):遼と別れたあとの芽衣の新しい彼氏。まあ、体の相性がいいらしい。そのうち、コロナ禍が始まります。体を重ねるよりも、マスクが最優先の生活です。ふたりの関係が崩れ始めます。体の関係が中心の付き合い(愛情)は、コロナ禍で、ダメになりそうです。移る(感染する)病気の扱いはむずかしい。 安岡(やすおか) 谷原:蓮二の会社の同僚。 まあ、エロい話が続きます。男も女もサル(えてこう)状態です。壊れます。 あからさまな表現ばかりで、読むことが苦痛なので、流し読みです。 濃厚接触者、自宅待機、消毒作業、感染発覚…… (そんな言葉が街中にあふれた時期がありました) 芽衣は、心の病気です。 ネットとか、LINE(ライン)とか、ウーバーイーツとか、スマホ、DVDプレーヤー、グーグルフォトに同期とか、ゴースト機能とか、シェルターとか、デジタルの言葉が満ちる世界での生活は、本来の人間の生活からは距離があります。 でかいゴキブリが出てきました。ゴキブリは、なにかをゴキブリにたとえてあるのかもしれません。 チャーハンとか、フライパンも出てきました。なんだか、不潔そうです。 この女性は(芽衣は)、人間なのか? 疑問が浮かびます。こういう人っているのかなあ? 読み終えて思うのは、こういう小説を必要とする人は、いるのだろうなあ。(2024年3月8日金曜日追加記載) 後日たまたま読んだ本が、金原ひとみさんのお父さんの翻訳本でした。 とても良かった。 心が温まりました。(あたたまりました) 以下は感想の一部です。『青空のむこう アレックス・シアラー 金原瑞人(かねはら・みずひと)・訳 求龍堂(きゅうりゅうどう)』 死んでしまった少年の話です。少年はゆうれいになります。 イギリスの小説家の児童文学作品です。 日本語訳者は、先日読んだ、『アンソーシャルディスタンス』の作者金原ひとみさん(「蛇にピアス」で芥川賞を受賞された)のお父さんです。 これから読む本が家のダンボール箱に入れてあるのですが、たまたま偶然、こちらのお父さんの本にあたりました。ハリー・デクランド:交通事故死した少年。サッカーが好き。11歳ぐらい。交通事故で死ぬ前に、姉のエギーとけんかをしていたことを、死んでから後悔している。とても後悔している。捨てゼリフを姉にぶつけて家を出て、そのあと交通事故で死んでしまった。 自転車に乗っていて、10トントラックにひかれた。 『…… お姉ちゃんなんか大嫌い! …… 帰ってくるもんか。もう二度と会いたくない』、姉のエギーが、『じゃあ帰ってこないで』と言い返したのが、この世の姉との最後のやりとりだった。(つらい話です。現実でも起きることです。家から出かける時は、ケンカはしないほうがいい。本当に、それが最後になることがあります)。
アンソーシャル ディスタンス 金原ひとみ(かねはら・ひとみ) 新潮社
本の帯に、『ずっとそうだった、コロナは世間に似ている』と書いてあります。文章の意味はわかりませんが、コロナ禍が関係しているから、「アンソーシャル ディスタンス」なのでしょう。「新型コロナウィルス感染症拡大防止対策として、対人距離の確保(をしない)」と読み取れます。アンソーシャルで、否定形ですから。
いったいコロナ禍(か)ってなんだったのだろう。発生地の中国は何の補償もしてくれない。まわりも補償を求めない…… まるで、そんなことは、なかったかのごとく過ぎ去ってしまっています。
短編5本です。
『ストロングゼロ』
飲み物だろうか? ストロングゼロ:調べました。チューハイだそうです。(わたしは飲んだことはありません)
ラ・カンテーヌ:レストランらしい。昼食を食べに行くところ。
セナ:彼氏はSE(システム・エンジニア)
(私)ミナ:桝本美奈。主人公OL(オフィスレディ)。出版社の新書編集部勤務と読みとれます。彼氏はイケメンであればいい。人間の中身にあまりこだわりはなさげです。
行成(ゆきなり。元バンドマン。今はフリーター、ミナのヒモ状態あわせて、うつ状態)。ミナは行成と3年間同棲していますが、ほかの男とも寝ます。イケメンならだれでもOKみたいです。
吉崎:セナとミナの同僚OL。面食い(めんくい)。
裕翔(ゆうと):吉崎の彼氏だが、ミナの彼氏でもある。ふたまたかけていたが、三週間前に吉崎と別れたもよう
松郷(まつごう)
職場でミナの向かいの席に座っているのが、真中(まなか)さん。
販売担当部署の三瀬さん。
奥滋さん(おくしげさん)のトークショー:奥滋美津子×村松勝トークショー
社食の話から始まりました。(会社の食堂)
彼氏の話が出ます。なんというか、「カレシ」とか「カノジョ」とか、所有物のような扱い、形だけの付き合い相手、言い方に、そんな軽いイメージがあります。
(読み終えました)
アルコール依存症になっている若いOLさんのお話でした。
女性が読む短編集でのようです。女心を表現してある作品群のようです。
ちょっとわたしは、場違いです。少し、流し読みをするような感じで読みました。
怯む:ひるむ。
校了(こうりょう):印刷してもよい状態になる。校正終了の略。
スマホで、ストラテジーゲーム:戦略。策略。ゲームで与えられたミッションをクリアする。
文章に勢いがあります。すさまじいパワーです。文字数が大量です。
よきフレーズ(言い回し)として、『(男にとって女であるわたしは)自動販売機のような存在なのかもしれない……』、男にごはんを用意して与えている。男は鳥かごのなかにいる鳥のようなもの。
読んでいる自分は、相当まじめなのでしょう。読んでいて、主人公女性のミナがだらしなく思えます。
本人は悩んでいるようなのですが、同情する気持ちにはなれません。ミナは、はっきりしない人です。自分の未来に向かって、自分がどうなりたいのかの志(こころざし)がない人です。アル中の人です。たくさんStrong Zero(ストロングゼロ)というチューハイを飲みます。しょっちゅう飲みます。
新書:新刊の書物。気楽に読める教養ものや小説。
仕事のようすが書いてあるのですが、なんでもかんでもメールです。昔はちゃんと相手に会って話したり、電話したりで口頭で会話をしたものです。なんだかなあという気分で読んでいます。無言で接客する人が増えました。人間じゃなくて、AIロボットのようです。(人工知能ロボット人間)。人間が、人間ではない、人間のようなものになっています。
リマインド:思い起こさせる。
ミナは、アルコールに依存するけれど、男にも依存する。男から、『まだ飲むの?』と問われてしまいます。とうぜん、まだ飲み続けます。心の病気です。
複数の男と交渉をもっているので、そのうち、男の名前を言い間違えます。めちゃくちゃですな。
アルコール依存症ですから、夢と現実が交錯(こうさく。入り混じる)します。
同僚からは、『…… 酒臭いよ』と言われてしまいます。
わたしは長いこと生きてきて、アル中の人を何人か見たことがありますが、アル中の人は、体力があるうちは、威勢(いせい。元気。勢い)がいいのですが、体力が落ちてくるとぼろぼろになります。思うに、アル中の人は、内臓がぐちゃぐちゃになって、排尿・排便のコントロールが自分でできなくなって、オムツをつけて、汚物まみれで死んでいくイメージがあります。苦しい死に方です。
アイラ島のウィスキー:スコットランドの島。ウィスキーが有名。
得る(える)ものはなく、失うものばかりのアル中の女性の話でした。
『デバッガー(Debugger。コンピュータープログラムの不具合を探し出して、修正する作業をする人)』
読み終えましたが、自分には、合わない小説です。この本は、まじめさとか、一生懸命さがない女性が主人公になる短編群です。
35歳のOLが、同じ職場の24歳の男性とカップルになってのあれやこれやです。
まわりの同世代が、結婚して、出産して、子育てをしての中で、取り残された女性です。自分で自覚があります。自分は、時間が止まっているという表現があります。
かといって、仕事で大成功しているようすはありません。
主人公の女性は、理由はあいまいですが、美容整形に多額のお金をつぎ込みだします。
そして、整形の結果がうまくいきません。あせります。そんな流れのお話でした。
森川愛菜(もりかわ・まな):27歳のときに3年間付き合った男と別れて3年がたった。付き合い始める前、その男は複数の女性と付き合っていた。アイドルとか、元モデルの美人とか、おまえよりレベルが高い女性だったと言われたとあります。(こんなところで、まじめな話で申し訳ないのですが、同時に複数の異性と付き合うような人間とは距離を置いたほうがいいです。誠実な人ではありません。ただ、この話の場合、森川愛菜も同時に複数の男と関係をもつ女性なのです)
優花(ゆうか):同僚OL。かなり年上の既婚男性と不倫をしている。不倫相手の男性は、離婚したいができない状況にあるらしい。秘書課で働いている。
大山くん:24歳。森川愛菜よりも8歳年下だが、森川愛菜との結婚を真剣に考えている。森川愛菜とつきあっている。いっぽう、同期の山岡という24歳の女性が、大山に好意をもっている。
ブリオッシュ:フランスの菓子パン
失礼かもしれませんが、読み手の自分からみれば、くだらない世界のことが書いてあります。セクハラ、モラハラの会社内のようすです。女性蔑視のようすです。(べっし。女性を下に見る)
この短編を読んで共感する女性もいるだろうなあ。
高学歴の人たちが働いている会社に見えます。
以前考えたことがあります。結婚しない。こどもがいない。孫もいない。そして、高齢の親を亡くして、年寄りのひとり暮らしになるって、どんな感じなんだろうなあと。
子どものいない夫婦、孫のいない夫婦の友だちがいるので、雑談の中でそんな話をしたことがあります。彼らの返事は、『わからない(子どもや孫がいることの実感が湧かない)』というものでした。
結論としては、未婚であれば、18歳ぐらいの意識のまま、心身が老いた状態になるというものでした。結婚生活の苦労とか、子育ての苦痛とか、高齢の親や義父母の介護などの苦悩体験がなければ、家族関係のあれやこれやがあったという人生を実感することはないのです。
こちらの短編の主人公女性のようすと重なります。
大山くんが言います。
『ペンギンになりたいなあ』(飼育員にエサをもらって生きていけるのはサイコーなこと。飼育員=8歳年上女性の主人公だろうか。年上女性に養ってもらいたい)
哀しい(かなしい)話です。
自分としては、やはり、年齢に応じたポジション(人生の立ち位置)にいたい。(このあとの短編、『コンスキエンティア(Conscientia。意識。共犯関係。良心)』115ページに関連する文章があります。計画的に人生を送る人は、コントロールフリーク(仕切り屋)だと、見くだすように表現されています)(う~む。そうかなあ。若い時にはわからないのです。50年も経つと、顔も体もだれしもが心身ともにヨロヨロになります。健康優良児的なイケメンとか美人ではいられません。労働者としての現役リタイアの時期が近づいてきたら、老後の備えは大事です)
病気でもないのに、美容整形外科という医療機関に行く。
働いたお金を、『自分の顔』につぎ込む。(結婚しない。こどももいないとなると、働いていれば、たくさんお金が残るからかけられる費用なのでしょう)
小説に出てくるどの恋愛も、顔とかスタイルとか、見た目だけの愛情です。性格とか、資質とか、気が合うとか、そういった基準がありません。
ボトックス:シワ対策のために、薬を注射する。(この物語では、主人公が思ったような効果がえられません。失敗して、10歳ぐらい老けて(ふけて)見えるようになります。35歳が45歳に見える。みじめです)
なんだか、大山くんという男も変な男です。(年上女性のヒモになりたい。結婚が永久就職のようです)
主人公女性の言葉です。
『…… 私は一体、誰と恋愛していていたのだろう。そもそもこれは恋愛だったのだろうか……』
(うーむ。35歳ならまだやり直しができますと励ましたいけれど。うーむ。なんともいいがたい)
『コンスキエンティア(Conscientia。意識。共犯関係。良心)』
主人公 小路茜音(しょうじ・あかね)。30歳。不倫中(相手はひとりとは限らない)。
夫:奏(そう)。31歳。無気力。妻のヒモ状態。(この本では、ヒモみたいな男がよく出てきます)
由梨江:小路茜音の友人。デキ婚。育休中。
龍太:由梨江の弟。小路茜音の不倫相手のひとり。
宗岡
美梨(みり):小路茜音の同僚
原田悦司(はらだ・えつし):51歳ぐらい。有名服飾デザイナー。小路茜音の新しい不倫相手の男性になるであろう人。
お化粧をしているようすから話が始まります。
自分は男なので、男の生活とはあまり縁のないお化粧の内容について、細かい記述が続くのですが、理解できないので、流し読みをします。
お化粧をする女性が読むとピッタリくるのでしょう。
表向きだけの仲良し夫婦です。中身はありません。すでに夫婦関係は破たんしています。
『今考えなければならないのは、離婚のことだ……』(でも離婚しません)
外資系化粧品メーカーのBA:ビューティーアドバイザー
夫は、朝4時に二十連投で、妻のラインにメッセージを送ります。(異常です。妻は女ともだちの家で普通に寝ていました)
主人公の母親は、現実を知っています。『あなたの(娘の)結婚生活は続かない。』
娘は、ブルドーザーみたいな勢いで結婚したけれど、今は離婚したいそうです。
ラインのラリー(連投)が異常です。ラインの着信音が続きます。
こんなことで、悩まなければならないのだろうか。
依存しあう夫婦です。
自立とか自活という言葉がありません。
ふたりの肉体的な交渉は、『何か人間ではない生き物に犯されたような気分だった。』そうです。
腐れ縁です。
外連味(けれんみ):はったり、ごまかし。
なんだか、虚しい(むなしい。中身がない)暮らしぶりです。
何のために生きているのだろう。
夢がありません。
妻も夫も、心を病んでいます。(やんでいます)。
夫婦は、夫婦になる努力をしないと夫婦にはなれません。
親子も同様です。
書き手は何を表現したいのだろうか?
『虚無(きょむ。なにもない。むなしい)』と『孤立感』。人間のもつ闇(やみ)でしょう。
NTR:寝取られ。パートナーが奪われる。
厨二病(ちゅうにびょう):『中二病』が、ネット上で、『厨二病』に変化した。思春期のありがちな背伸び行為・言動。
ナチョス:メキシコ料理。薄いパンに具材をのせて食べる。
DV:夫婦間の暴力があります。夫から妻に対するものです。まあ、めちゃくちゃですなあ。
読み終えました。
なんだろう。主人公の身になってみると、『自分』という人間が、失われていく感覚があります。
『アンソーシャル ディスタンス Unsocial Distance 社会的距離がない。非社会的距離』
読み終えました。これまでの作品を含めて、途中で、もう読むのをやめようかと思う読書が続いています。
エロい下ネタ記述が続きます。高校生の頃に読んだ村上龍作品『限りなく透明に近いブルー』を思い出しました。
荒廃した若い男女の関係です。
なんというか、人間って、そんなものではないのです。内容は、受け止め方にもよりますが、読者を喜ばせようとするためのつくり話です。
人間の体というのは、だれしもが病気をもっています。健康優良児タイプの体は少ない。夢のような行為の体験なんて、やっぱり夢なのです。それぞれいろいろハンデをかかえていて、お互いに人に見られたくないところをさらけだして、助けあっているのが愛情の現状です。行為そのものについては、人間って、どうしてこんなことをするのだろうかと思うこともあるのです。子孫を継続させるための行為です。愛情の確認だったら抱き合うだけで十分だという人も多いのです。一定の線を超えると異常な性癖になります。
まあ、物語の流れに沿って、感想を書いてみます。
女性の指輪のことが書いてあり、なにか意味がありそうでした。
小嶺沙南(「こみね・さな」でいいのでしょう):10歳、13歳で自殺企図あり。リストカットあり。16歳で脱法ドラッグを使用して、高校を中退した。大検に合格後大学に進学した。
幸希(こうき):小嶺沙南とカップルの男性。小嶺のゼミの1年先輩。小嶺を妊娠させて、堕胎させた。
まあ、このふたりに家庭を築けるわけがないというカップルです。
松永絢斗(まつなが・けんと):小嶺沙南に言い寄る男
ハンザップ:音楽バンド
妊娠したこどもを強制的に体の外に出して命を奪います。
平然とカップルはその行為を医療機関で行います。
読んでいてイヤな気持ちになってきます。赤ちゃんの命の大切さというものはない。
目的も目標もない生活です。
親への隠し事はありです。(堕胎(だたい)のこと)
中身のない男です。
命をモノ扱いする男と女です。こんな人はこどもをつくらないでほしい。
なんでもネットで買うのか。(さだまさしさんの歌を思い出しました。『買い物ぐらい体動かせ』です。たしか、『関白失脚』という歌で、歌詞では、テレホンショッピングでした)
ペシミズム:悲観主義。世界は不幸と非合理に満ちている。それ以外にない。
HILDE:会社名。幸希が内定をもらった。パソコンメーカー。
スマホ、メール、飲もうよ!(アルコールを)、スマプラ(スマホで楽しむ音楽・映像)、ネット、ゼミ、フラペチーノ(スターバックスの冷たいドリンク)、希死念慮(きしねんりょ。自殺プランづくり)、ライブハウス、メンヘラ、イヤホン、iPhone、ウォーターサーバー……
読んでいて、しゃらくせぇ、とか、ばかばかしいという気分になります。(案外そういう気分になるのは、作者の術中にはまっているのかもしれません)
人工的な世界の中にいる若い人たちに見えます。
心が病んでいます。(やんでいます)
暗い内容です。
光が見えない。光を見たい。
大学まで行って、何を学んだのだろうこの人たちは。
法学部を出て、法律を守らない政治家みたいなものか。
脳みその中にある誠実さは、幼児よりも低い。
男女が交互に自分の心理状況を語る形式の文章です。
母親と息子の関係はゆるい。母親も息子と似たようなものか。
『俺の中でもう母親は関係ない人だから』
重ねて、エロい言葉がたくさん出てくるのですが、生物の生態系の話を読んでいるようでもあります。人間の体は、書いてあるようには動けないのです。現実と夢にはへだたりがあるのです。世の中は誤解と錯覚でできあがっていると、だれかが言っていました。
なぜ死にたいのだろう。そして、なぜ死なないのだろう。(小説家太宰治(だざい・おさむ)氏を思い出します)。彼は死にたいと言いつつ死にたくなかった。女に導かれて水の中で死んだ。本当は死ぬつもりではなかったとも思えます。
こちらの作品は、背景とか底辺に太宰治氏の意思が置かれているのだろうか。
惰性(だせい。これまでの流れ)で生きていく人たちのお話でした。
『テクノブレイク(Technobreak。過度な自分の行為による突然死)』
まあ、過激なタイトルが続きます。
短編集の最後の作品になりました。がんばって読みます。
(読み終えました。この短編部分の感想を書く前に、この本全体の感想を書いてみます)
いくつもある〇〇文学賞のたぐいにおいて選ばれるためには、文壇で、これまでにない文章の書き方、これまでに見たこともないストーリーの展開があるという『個性』が必要だと思います。
奇抜さを狙った文章書きです。(なかなか書けないやりかたです)
著者は、若い頃、そのことに気づいてチャレンジして成功を収めた。(おさめた)。以来、こういう文体と内容で創作活動を続けることを決心した。(2004年(平成16年)芥川賞受賞「蛇にピアス」)
そんなふうに思いました。
本を読み終えたあとからのことですが、作者が、翻訳家の金原瑞人(かねはら・みずひと)さんの娘さんだということを知りました。金原瑞人さんは、ていねいで、繊細で、読みやすい翻訳をされる方です。
これまでに、児童文学作品、『ジョン万次郎 「海を渡ったサムライ魂」 マーギー・プロイス 金原瑞人訳 集英社』と『墓場の少年 ノーボディ・オーエンズの奇妙な生活 ニール・ゲイマン 金原瑞人・訳 角川書店』を読んだことがあります。
(では、この短編「テクノブレイク」のほうの感想です)
大学生たちがいます。そのうち卒業して就職します。
ナナちゃん
ミナミン
人間の位置がわかる位置情報アプリケーション「ゼンリー」(誰かと繋がって(つながって)いたい欲望を満たすためのアプリです)
芽衣(めい):主人公若い女性。
遼(りょう):ポジティブな男(積極的)。芽衣と付き合っていましたが、もともと性格が合わないのに付き合っていたことが災いして別れます。大手商社に勤務しています。
蓮二(れんじ):遼と別れたあとの芽衣の新しい彼氏。まあ、体の相性がいいらしい。そのうち、コロナ禍が始まります。体を重ねるよりも、マスクが最優先の生活です。ふたりの関係が崩れ始めます。体の関係が中心の付き合い(愛情)は、コロナ禍で、ダメになりそうです。移る(感染する)病気の扱いはむずかしい。
安岡(やすおか)
谷原:蓮二の会社の同僚。
まあ、エロい話が続きます。男も女もサル(えてこう)状態です。壊れます。
あからさまな表現ばかりで、読むことが苦痛なので、流し読みです。
濃厚接触者、自宅待機、消毒作業、感染発覚…… (そんな言葉が街中にあふれた時期がありました)
芽衣は、心の病気です。
ネットとか、LINE(ライン)とか、ウーバーイーツとか、スマホ、DVDプレーヤー、グーグルフォトに同期とか、ゴースト機能とか、シェルターとか、デジタルの言葉が満ちる世界での生活は、本来の人間の生活からは距離があります。
でかいゴキブリが出てきました。ゴキブリは、なにかをゴキブリにたとえてあるのかもしれません。
チャーハンとか、フライパンも出てきました。なんだか、不潔そうです。
この女性は(芽衣は)、人間なのか?
疑問が浮かびます。こういう人っているのかなあ?
読み終えて思うのは、こういう小説を必要とする人は、いるのだろうなあ。
(2024年3月8日金曜日追加記載)
後日たまたま読んだ本が、金原ひとみさんのお父さんの翻訳本でした。
とても良かった。
心が温まりました。(あたたまりました)
以下は感想の一部です。
『青空のむこう アレックス・シアラー 金原瑞人(かねはら・みずひと)・訳 求龍堂(きゅうりゅうどう)』
死んでしまった少年の話です。少年はゆうれいになります。
イギリスの小説家の児童文学作品です。
日本語訳者は、先日読んだ、『アンソーシャルディスタンス』の作者金原ひとみさん(「蛇にピアス」で芥川賞を受賞された)のお父さんです。
これから読む本が家のダンボール箱に入れてあるのですが、たまたま偶然、こちらのお父さんの本にあたりました。
ハリー・デクランド:交通事故死した少年。サッカーが好き。11歳ぐらい。交通事故で死ぬ前に、姉のエギーとけんかをしていたことを、死んでから後悔している。とても後悔している。捨てゼリフを姉にぶつけて家を出て、そのあと交通事故で死んでしまった。
自転車に乗っていて、10トントラックにひかれた。
『…… お姉ちゃんなんか大嫌い! …… 帰ってくるもんか。もう二度と会いたくない』、姉のエギーが、『じゃあ帰ってこないで』と言い返したのが、この世の姉との最後のやりとりだった。(つらい話です。現実でも起きることです。家から出かける時は、ケンカはしないほうがいい。本当に、それが最後になることがあります)。]]>
読書感想文
熊太郎
2024-02-29T07:58:57+09:00
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大丈夫な人 カン・ファギル 小山内園子・訳
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e153836.html
大丈夫な人 カン・ファギル 小山内園子(おさない・そのこ)・訳 白水社 韓国人女性作家の短編集です。 9本の短編作品がおさめられています。『湖――別の人』 う~む。1回読みましたが、なんだかよくわからない。ジニョン:若い女性。物語の語り手。首に首を絞められた痣(あざ)がある。25歳のとき付き合っていた男に首を絞められた。(しめられた)。現在32歳。12歳からこれまで、アンジン市の近郊で暮らしている。パンツのポケットにピンセットが入れてある。(護身用?)。口癖は、『わかりません』。ミニョン:若い女性で、ジニョンの友だち。酒癖が悪い。だから、酒は飲まない。性暴力の被害者。今、意識不明で、入院して3週間がたつ。 湖のそばで遺体に近い状態でジョギング中の男性に発見された。(物語では、事故と表現される)。意識を失う直前の言葉が、『湖に、置いてきたの。湖に(だけど、周囲の人間にとっては、彼女がそ湖に、何を置いてきたのかがわからない)(釘抜きみたいなもの)(ヘアピンみたいな形)(重い。動かせない)』。事故にあう前、ミニョンの細い腕に青くて丸い痣(あざ)があった。イハン:若い男性。ミニョンの恋人。性暴力の加害者らしい。(監視カメラの映像あり)。身長190cm。ミジャ婆(ばあ):湖のほとりにいる高齢者女性。水辺で洗濯をしている。ミジャ婆は、家にいたくない。頭皮がはげている。夫から暴力を受けている。夫が、髪をつかんで引き回している。 長いページ数ではないので、もう一度ゆっくり最初からページをめくってみます。 翻訳もの(ほんやくもの)なので、ちょっとした読みにくさはあります。 ミニョンに対する性暴力の加害者であることが疑われるイハンとジニョンが湖に向かっているところから始まります。ミニョンが湖に置いてきたものを探します。 韓国は、男尊女卑の国で、女性差別、女性蔑視(べっし)がきついとほかの本で読んだことがあります。この本の題材もそういったものかもしれません。『今日バスで、変な男を見たんだ』 バスの中で、ひとりごとのように大きな声をあげる男がいた。乗客も運転手も知らないふりだった。 二号さん(セカンド):この言葉の意味がわかりません。日本だと、妾(めかけ)とか、愛人とか、第二婦人となりますが、この物語では、13歳(韓国では小学生らしい)のミニョンに対して、同級生男子が、『おい、おまえだって二号(セカンド)さんだろ?』と声をかけています。『次女』ではないと思います。 韓国の男性は、女性を自分の所有物だと思っているから、女性に対して、謝罪はしないのだろうか。 肝心なことを隠しながら物語は進みます。 別の名もなき女性が男に付きまとわれる話が出ます。 二度目の読書が終わりました。内容は、詩的です。なんだろう。男に対する抗議を抽象的なイメージで表現してある作品だろうか。わかりません。感覚的です。具体的になにがどうしたのかの説明がありません。(う~む。この先の短編を読めばわかるのだろうか)『ニコラ幼稚園――尊い人』 う~む。この短編群は、ホラー小説(恐怖)という位置づけらしい。人間の心の奥に潜む『悪魔』を呼び起こすのです。闇から悪魔をおびきだすのです。 教育キチガイママが登場してきます。こどもの教育に関して、過干渉な母親です。こどもに無理に勉強をさせているという噂(うわさ)がある。 妻(母):ミホ。自分が、8歳のこどものころ、字を読めなかった。 夫(父):存在感がありません。 ミヌ:男児。有名私立幼稚園である『ニコラ幼稚園(1947年設立)』の入園に関して、補欠の2番目。入園受付日の9日前から並んだ。入園は、先着順が基本らしい。ミヌは本をたくさん読む。ミヌはその後、一人が退園したので、繰り上げ当選になった。 ジノの母親:この人が、悪を運んでくるらしい。 場所は、『アンジン』というところです。架空の地名のようです。 この幼稚園に入れると、未来は、ソウルの大学に進学して、公務員、実業家、学者になれるらしい。『ニコラ幼稚園を出ると出世する』。 初代園長は、日本留学して帰国した女性で、自分の女性の子孫だけが幼稚園を運営できるとした遺言を遺した。(のこした)。ニコラ財団がある。 日本では、少子化でこどもの数が減ったので、親の子に対する過干渉が増加しました。 自分の親の世代は、兄弟姉妹が7~8人いても不思議ではない家族構成でした。まんなかあたりのこどもは、祖父母との交流は薄いし、先祖のお墓参りの習慣もあまりなかった。いっぽう末っ子は案外大事にされました。 ニコラ:ヨーロッパ系の男性名(宗教と関係があるのだろうか。わかりません) 園長:40代なかばの女性。 噂(うわさ):ニコラ幼稚園を悪く言う噂。54ページ付近まで読んできて、具体的になにということは書かれていない。(その後:園長が奇抜な洋服を着る(薄着)ことがあることから、園長の人としての人格が疑われていることがわかります) ヤン・スルギ:嘘つき女。手首に赤い火傷(やけど)のような痕(あと)がある。熱した丸い焼きごてをあてられたような形をしているような痕(あと)がある。 国民学校一年生のときの思い出として、(今でいう小学一年生ぐらいです)担任のチン先生によると:ヤン・スルギは、同級生だった。父親がアンジンの警察署長だった。 ハングルを学ぶ。できないと、先生が、自分の左の手首を自分で痛めつける。棒で、自分の左手首を叩く(たたく)。 第10期卒園生の女(ニコラ幼稚園で働いている) う~む。何が起きているのかがわかりません。むずかしい。『大丈夫な人』 本のタイトルになっている作品です。ホラーなのでしょう。映画の台本のようでもあります。 結婚を控えたカップルですが、女性の側に不安な心があります。男性が二重人格、二面性があります。もっとも、韓国社会というところは、女性は男性の所有物という思想が下地にあるのではないかと察せられる作品です。ゆえに、女性蔑視、女性差別に対する抗議が作品に内在されていると感じられる作品でした。 男に従う。頭脳優秀でお金をもっている男に従っていれば、女は、『大丈夫な人』になれるのです。『大丈夫な人』でいられるために、女は、男から暴力を振るわれても、暴言を吐かれても、がまんしなければならないのです。 男には変な性癖があった。鹿を捌く(さばく。内臓等を処理する)動画シーンが好きだった。夫となる男は、動物を殺して処理するシーンに快感を得るタイプの人間である。 男には、鹿も女も同様に見えているようすであった。 男は弁護士であり、米国での暮らしも長期間体験していた。大学までアメリカ合衆国だった。 女は、平凡な家庭の娘で、弟二人がいた。一般的な暮らしで、裕福ではなかった。 『私は、ひたすら大丈夫な人になりたかった……』 男は、『屠畜場(とちくじょう。家畜を解体して肉にする)』が好きだった。 恐怖小説(ホラー映画のワンシーンみたいです)現実味がありません。 ミンジュ(若い女性)の命が、男に奪われるのではないかという恐怖があります。 変な男だけれど、(女が)生きていくために、男に従うことにした。『大丈夫な人』になるために。『虫たち』 三人の女性が戸建てで同居して、ホラーのような状態になるという短編でした。場所はソウル市内です。 イェヨン:女性。家の家主。両親が突然他界した。その後、部屋貸し収入で暮らしている。自分は、戸建ての2階に住んでいる。借家人は1階の部屋に住んでいる。 (私:語り手)スジ:若い女性。短大生。1階の部屋を借りている。 ヒジン:若い女性。1階の部屋を借りている。 家の中に不潔な部分がある。臭いもする。虫もいる。 三人の女性は、月に1回ぐらい、いっしょに食事をする。 庭付き一戸建て。部屋は、5室ある。2階に2部屋ある。2階は家主のイェヨンが使用している。 1階にヒジンとスジの部屋がある。台所と納戸、テラスと鍵のかかった部屋がある。 読んでいると、韓国の女性は、気性が激しいのだろうかと思ってしまいます。スジとスジの妹、母親もからんでの対立があります。こどもに対する不公平な扱いがあります。 ヒジンは、恋人からドメスティック・バイオレンス(暴力)を受けていた。顔に青あざがある。 家主のイェヨンがふたりに、どちらかひとりにこの家を出て行ってほしいと言う。 イェヨンとヒジンは仲がいい。 イェヨンには、奇行があります。(奇妙な言動。魚の頭を15個一列に並べてあった) 読みながら情景を思い浮かべようとするけれど、非現実的でわかりにくいです。ホラー(恐怖、嫌悪)です。『あなたに似た歌』 こちらの短編も読み終えましたが意味をとれませんでした。 中年の母親がいる。末期がんの29歳の娘スジンがいる。スジンは、2年前に卵巣がんが見つかった。ステージ4(体内でがんが転移している状態をいう)。娘は、小説家になりたい。11歳のときに父が死んだ。 母親は、趣味の教室で声楽を習っている。ソプラノを担当している。発表会に出たい。夫は交通事故死している。ある日の早朝に、夫は、飲酒運転の車にひかれた。 母親は、若い頃、市の合唱団員だった。夫の死後、保険外交員をしていた。 文化センター声楽講座の男性講師がいる。発表会に出る生徒は、金次第で決める。うまいへたは二の次という決め方をする。お金でポスト(地位。立場)を買う。 母と娘は、アンジン市に住んでいる。 母が運転して、娘が助手席に座って、アンジン最古の建物に向かっている。そこは、宣教師の私邸だった。今は、文化センターの教室代わりに使用されている。『生涯教育センター』という。 次から次へと文章で情報の提供があります。把握することがたいへんです。 ときおり、『母さんに似た』という文章が出てきます。がんになったことも、母さんに似たような含みがあります。 『何事も確認しなければ気が済まない人の話を聞いたことがある。』(社交辞令(その場しのぎのほめことば)を信じない。表は良くても、裏で悪いことをしているだろうと推測する。なにかたくらんでいるのだろうと思う) 末期がんの患者が車を運転していることが不思議でした。(妄想なのか) 最後にちいさなこどもの姿が出てくるのですが、意味がわからない。『部屋』 こちらの作品も、う~むでした。わからない。 私:ジェイン スヨン:ジェインの女ともだち。 主の女:家主。首の左が長いそうです。(?です) 教試院(こうしいん):もともとは、朝鮮半島の大学入試、公務員試験を受験する人が缶詰になって勉強する宿泊施設だった。現在は、大学生、地方出身者、日雇い労働者の安価な簡易宿所。 チョンセの家。 貧困について書いてあるようです。 『風船が割れるように都市は爆発した』 韓国映画『パラサイト 半地下の家族』みたいな雰囲気があります。 『(半地下の)ここから窓のある部屋に移ろうとすれば、二年は軽くかかる……』 設定が、SF(サイエンスフィクション)だろうか、未来都市の話だろうか。 浮腫んでいる:むくんでいる。 醤油煮(ジャンジョリム):韓国料理 サンチュ:レタスの一種 お金のことで、スヨンの体が病気になるのか、スヨンの体が肥大化して、変形、硬化していきます。ホラー(恐怖)話なのかなあ。よくわかりません。 むずかしい。何が書いてあるのかわかりません。『雪だるま』 (僕)ギチェ:11歳 社会福祉士:女性 ギチェの兄:17歳。兄は、弟ギチェに暴力を振るってギチェを置き去りにした。兄本人は、11歳のときに骨折・打撲で入院した。13歳のときに交通事故に遭った。母親が、兄を殴って、車の後ろに押し込んだ。 兄は将来なにかを研究する人になりたい。兄はコンビニで働いていたが、店主にだまされて、多額の借金を負った。 ウニョン なにやらぶっそうな話が始まりました。 ギチェは、本人が言うには、『閉じ込められている』 ギチェと兄には共通の夏の思い出がある。 キーワードは、『大丈夫だって。』という言葉のようです。 兄による弟への暴力があります。 父は母に暴力を振るっていたらしい。 両親は離婚した。母は父の借金を肩代わりした。(かわりに払う。人の債務を代わって引き受ける) 古紙回収のおばあさん 古物商の店主のおじさん:背が高くて、顔が真っ黒で、目つきが鋭い。(するどい) 兄のカノジョ(美容師):弟の髪を切って、丸坊主にしてしまった。 どこからどこまでが本当で、なにがウソなのかわかりません。映像化すると、けっこう怖いホラー(恐怖)になるのでしょう。 ときおり、『虫』が姿を現します。虫はなにかを暗示しているのですが、わたしにはわかりません。 (僕)は、捨てられる。兄から暴力を振るわれて、耳を乱暴に引っ張られたり、背中を蹴(け)られたりする。おまえが、オレの負担になっているという趣旨で弟は兄から怒鳴られる。 貧しさ、暴力、ホラー(恐怖)、狂気の世界です。 廃品をお金に変える。 社会福祉士と最後に会ったのは、22歳のときだった。 主人公の記憶をたどる文章です。 主人公はこどものころ、部屋の中で、死体みたいにころがっているところを発見された。タイトルにある、『雪だるま』の幻視があります。 親を頼れないこどもの悲劇があります。『グル・マリクが記憶していること』 読み終えましたが、あいかわらず何が書いてあるのかを理解できません。グル・マリク:インド人男性。インドでは、低い階級の人間。韓国に滞在していたが、インドに帰国して、火事で亡くなった。タニ・カーン:インド人女性。グル・マリクと同じインドの村で、同じ日に生まれた。タニ・カーンは若いけれど、現地の60歳男性と婚約して結婚した。夫からDV(ドメスティック・バイオレンス。暴力)を受けた。グル・マリクとふたりで韓国に逃げた。その後、ふたりはインドへ強制送還されたような雰囲気があります。彼女:韓国人。ハングル(韓国の言語)を教えるボランティア。教育学の大学院卒業。国語教師になりたかったが、採用試験に何度か落ちてあきらめた。韓国人彼女のカップル相手の男:二十歳。(韓国は、満年齢ではなく、数え年で表記してあると、本のうしろの訳者あとがきにありました)。ラム:インドの男性。健やか(すこやか)で、裕福な、高い階層の男。 グル・マリクと韓国人男女三人は知り合いです。 グル・マリクが、韓国人女性に遺品を送っていた。遺品が韓国人女性に送られてきたのですが、届かないので、女性と男性が荷物を探しに業者がいる『地域の保管センター』行くようすが書いてあります。なかなかイメージしにくい文章の内容でした。 韓国の街中風景の記述を読んでいると、おととし2022年10月29日、ハロウィンのときに起きた事故を思い出します。群衆雪崩(ぐんしゅうなだれ)事故による圧死者多数です。154人も亡くなっています。 インドのカースト制(身分制度)のことがからんでいます。女性差別もあります。 あの人たち:インド人タニ・カーンから見て都市(韓国ソウル)に住む人たちのこと。やがて、『友人たち』と呼び始める。 グリ・マリクは、『出入国管理事務所』にいたことがある。 グリ・マリクの理解できない言葉として、『必要ない、と、代わりはいる』 (グリ・マリクの遺品がどうして、韓国にいる女性のところへ送られてきたのかが不可解です) 何のために自分は生きているのかを自問する内容です。 裕福な男が言うには、自分は、人を助けるために生きていると思っていたが、人から必要とされる人間になりたいという承認欲求があった。自分を自慢したかった。そんなふうに意味をとれます。 現実のことではない、脳内にある風景を再現してあるようです。<あまりにもわかりにくいので、うしろにあった「訳者あとがき」を読んでみました> 女性の日常について書いてある。女性の日常は、スリラーだ。(ぞっとするような感覚を与える) なにゆえスリラーかというと、女性は常に男性から差別を受けているからである。 女性蔑視(じょせいべっし:みくだしてばかにする)がある。男性は不満があると女性に暴力を振るう。乱暴な言動をする。だから、スリラーでありホラー(恐怖)なのです。 人間の奥底にひそむ暗い感情が、文章で表現してある。女の感情もあるし、男の感情もある。 インド社会には、階級と差別が、世の中の制度として存在している。 強い立場の者が、弱い立場の物から搾取する。(さくしゅ:利用して、利益をしぼりとる) 身近に、不安、悪意、卑下(ひげ。見くだし)、怒り(いかり)、諦め(あきらめ)がある。 短編『部屋』は女性同士の同性愛について書いてあるそうです。『手』 最後の短編作品になりました。ここまで、チンプンカンプンで、文字を追って来ただけです。 嫁と姑(しゅうとめ。夫の母親)の諍い(いさかい。対立)話です。 読み始めて、昔のことを思い出しました。 ナゴヤドームに小学生だった息子とプロ野球の試合を観に行ったときに、自分たちの前の席におばあさんがふたり座っていました。ふたりのおばあさんは、試合の経過はそっちのけで、お嫁さんの悪口ばかりを延々としゃべり続けていてあきれました。ふたりは、球場へなにをしに来たんだろう? 招待券でももらったのでしょう。しかし、話題がお嫁さんの悪口しかないなんて、なんて、狭くて息苦しい世界で暮らしている人たちだろうかと、かわいそうになりました。 さて、お話のほうです。(私)キム・ミヨン:女教師。夫はインドネシアに単身赴任中。ミナという保育園に通う女児がいる。ミナの養育のために夫の母親の実家で、母親と自分と娘の三人で暮らしている。とてもいなかの環境で、担任しているクラスには児童が7人しかいない。姑(しゅうとめ)と同居したことを後悔している。キム・ミヨンの姑(しゅうとめ。夫の母親):かなり、きつい人です。キム・ミヨンを責めます。言葉遣いが乱暴で、差別用語もポンポンしゃべります。孫娘のミナが祖母の真似をして、差別用語をしゃべります。デジン:キム・ミヨンの教え子。いじめられている。ヨンジャ婆(ばあ)の孫。ヨンウ:キム・ミヨンの教え子。いじめっこ。体が大きく学力優秀。表向きはいいこどもだが、実は悪人タイプの個性をもつ。陰で、陰湿にデジンをいじめぬいている。里長(さとちょう。韓国行政区の最小単位の末端の長だそうです)の孫。 短編のタイトル『手(ソン)』は、『悪鬼(あっき。人間たちに悪をばらまく。性別は女)』のことです。 主人公の助教師キム・ミヨンは、姑さん(しゅうとめさん)に攻撃されて、さらに、村組織の中で、教え子たちと村人たちにいじめられて、精神状態がおかしくなります。ホラー(恐怖)です。幻聴が聞こえるようになります。(「パンッ」という音が聞こえる。火の熱で、竹が、はじけるような音) 狭い村組織には、社会的な法令意外に、掟(おきて。その場所だけでの決まり事(ごと))があります。よそ者は嫌われます。排他的です。だれかをいじめて、うさばらしをする空気があったりもします。人間はむずかしいし、人間なんてそんなものです。 村の風習として:味噌玉麹(みそだまこうじ。蒸した大豆を成形して麹菌を生やす)をつくる。 開発時代:韓国における経済成長至上主義の時代。1960年~70年代(日本だと、昭和35年から40年代) 差別用語として、『あいのこ』。 本の中では、おばあさんはつくりばなしをします。実際にはないことを、まるで本当にあったかのように話します。 わたしは、以前、そういう高齢者女性を実際に見たことがあります。ウソつきおばあさんです。おばあさんの被害者妄想(もうそう)話を聞いた人は、おばあさんのつくり話を全部信じて、無実の人を攻撃したりもします。 でもおばあさんの話は、全部ウソなのです。そんなことはありません。おかしいですとおばあさんに申し立てても、おばあさんは、ますますウソを重ねていくのです。 どうしようもありません。おばあさんの話を聞いておばあさんの味方をした近所のおじいさんは、自分が被害者になるまで、だまされ続けます。コワイコワイです。(恐い(こわい)) 焚口(たきぐち):釜戸(かまど)、ストーブ、ボイラーなどの燃料を入れて火をつける口。 ちょっと自分にはむずかしい本でした。
大丈夫な人 カン・ファギル 小山内園子(おさない・そのこ)・訳 白水社
韓国人女性作家の短編集です。
9本の短編作品がおさめられています。
『湖――別の人』
う~む。1回読みましたが、なんだかよくわからない。
ジニョン:若い女性。物語の語り手。首に首を絞められた痣(あざ)がある。25歳のとき付き合っていた男に首を絞められた。(しめられた)。現在32歳。12歳からこれまで、アンジン市の近郊で暮らしている。パンツのポケットにピンセットが入れてある。(護身用?)。口癖は、『わかりません』。
ミニョン:若い女性で、ジニョンの友だち。酒癖が悪い。だから、酒は飲まない。性暴力の被害者。今、意識不明で、入院して3週間がたつ。
湖のそばで遺体に近い状態でジョギング中の男性に発見された。(物語では、事故と表現される)。意識を失う直前の言葉が、『湖に、置いてきたの。湖に(だけど、周囲の人間にとっては、彼女がそ湖に、何を置いてきたのかがわからない)(釘抜きみたいなもの)(ヘアピンみたいな形)(重い。動かせない)』。事故にあう前、ミニョンの細い腕に青くて丸い痣(あざ)があった。
イハン:若い男性。ミニョンの恋人。性暴力の加害者らしい。(監視カメラの映像あり)。身長190cm。
ミジャ婆(ばあ):湖のほとりにいる高齢者女性。水辺で洗濯をしている。ミジャ婆は、家にいたくない。頭皮がはげている。夫から暴力を受けている。夫が、髪をつかんで引き回している。
長いページ数ではないので、もう一度ゆっくり最初からページをめくってみます。
翻訳もの(ほんやくもの)なので、ちょっとした読みにくさはあります。
ミニョンに対する性暴力の加害者であることが疑われるイハンとジニョンが湖に向かっているところから始まります。ミニョンが湖に置いてきたものを探します。
韓国は、男尊女卑の国で、女性差別、女性蔑視(べっし)がきついとほかの本で読んだことがあります。この本の題材もそういったものかもしれません。
『今日バスで、変な男を見たんだ』
バスの中で、ひとりごとのように大きな声をあげる男がいた。乗客も運転手も知らないふりだった。
二号さん(セカンド):この言葉の意味がわかりません。日本だと、妾(めかけ)とか、愛人とか、第二婦人となりますが、この物語では、13歳(韓国では小学生らしい)のミニョンに対して、同級生男子が、『おい、おまえだって二号(セカンド)さんだろ?』と声をかけています。『次女』ではないと思います。
韓国の男性は、女性を自分の所有物だと思っているから、女性に対して、謝罪はしないのだろうか。
肝心なことを隠しながら物語は進みます。
別の名もなき女性が男に付きまとわれる話が出ます。
二度目の読書が終わりました。内容は、詩的です。なんだろう。男に対する抗議を抽象的なイメージで表現してある作品だろうか。わかりません。感覚的です。具体的になにがどうしたのかの説明がありません。(う~む。この先の短編を読めばわかるのだろうか)
『ニコラ幼稚園――尊い人』
う~む。この短編群は、ホラー小説(恐怖)という位置づけらしい。人間の心の奥に潜む『悪魔』を呼び起こすのです。闇から悪魔をおびきだすのです。
教育キチガイママが登場してきます。こどもの教育に関して、過干渉な母親です。こどもに無理に勉強をさせているという噂(うわさ)がある。
妻(母):ミホ。自分が、8歳のこどものころ、字を読めなかった。
夫(父):存在感がありません。
ミヌ:男児。有名私立幼稚園である『ニコラ幼稚園(1947年設立)』の入園に関して、補欠の2番目。入園受付日の9日前から並んだ。入園は、先着順が基本らしい。ミヌは本をたくさん読む。ミヌはその後、一人が退園したので、繰り上げ当選になった。
ジノの母親:この人が、悪を運んでくるらしい。
場所は、『アンジン』というところです。架空の地名のようです。
この幼稚園に入れると、未来は、ソウルの大学に進学して、公務員、実業家、学者になれるらしい。『ニコラ幼稚園を出ると出世する』。
初代園長は、日本留学して帰国した女性で、自分の女性の子孫だけが幼稚園を運営できるとした遺言を遺した。(のこした)。ニコラ財団がある。
日本では、少子化でこどもの数が減ったので、親の子に対する過干渉が増加しました。
自分の親の世代は、兄弟姉妹が7~8人いても不思議ではない家族構成でした。まんなかあたりのこどもは、祖父母との交流は薄いし、先祖のお墓参りの習慣もあまりなかった。いっぽう末っ子は案外大事にされました。
ニコラ:ヨーロッパ系の男性名(宗教と関係があるのだろうか。わかりません)
園長:40代なかばの女性。
噂(うわさ):ニコラ幼稚園を悪く言う噂。54ページ付近まで読んできて、具体的になにということは書かれていない。(その後:園長が奇抜な洋服を着る(薄着)ことがあることから、園長の人としての人格が疑われていることがわかります)
ヤン・スルギ:嘘つき女。手首に赤い火傷(やけど)のような痕(あと)がある。熱した丸い焼きごてをあてられたような形をしているような痕(あと)がある。
国民学校一年生のときの思い出として、(今でいう小学一年生ぐらいです)担任のチン先生によると:ヤン・スルギは、同級生だった。父親がアンジンの警察署長だった。
ハングルを学ぶ。できないと、先生が、自分の左の手首を自分で痛めつける。棒で、自分の左手首を叩く(たたく)。
第10期卒園生の女(ニコラ幼稚園で働いている)
う~む。何が起きているのかがわかりません。むずかしい。
『大丈夫な人』
本のタイトルになっている作品です。ホラーなのでしょう。映画の台本のようでもあります。
結婚を控えたカップルですが、女性の側に不安な心があります。男性が二重人格、二面性があります。もっとも、韓国社会というところは、女性は男性の所有物という思想が下地にあるのではないかと察せられる作品です。ゆえに、女性蔑視、女性差別に対する抗議が作品に内在されていると感じられる作品でした。
男に従う。頭脳優秀でお金をもっている男に従っていれば、女は、『大丈夫な人』になれるのです。『大丈夫な人』でいられるために、女は、男から暴力を振るわれても、暴言を吐かれても、がまんしなければならないのです。
男には変な性癖があった。鹿を捌く(さばく。内臓等を処理する)動画シーンが好きだった。夫となる男は、動物を殺して処理するシーンに快感を得るタイプの人間である。
男には、鹿も女も同様に見えているようすであった。
男は弁護士であり、米国での暮らしも長期間体験していた。大学までアメリカ合衆国だった。
女は、平凡な家庭の娘で、弟二人がいた。一般的な暮らしで、裕福ではなかった。
『私は、ひたすら大丈夫な人になりたかった……』
男は、『屠畜場(とちくじょう。家畜を解体して肉にする)』が好きだった。
恐怖小説(ホラー映画のワンシーンみたいです)現実味がありません。
ミンジュ(若い女性)の命が、男に奪われるのではないかという恐怖があります。
変な男だけれど、(女が)生きていくために、男に従うことにした。『大丈夫な人』になるために。
『虫たち』
三人の女性が戸建てで同居して、ホラーのような状態になるという短編でした。場所はソウル市内です。
イェヨン:女性。家の家主。両親が突然他界した。その後、部屋貸し収入で暮らしている。自分は、戸建ての2階に住んでいる。借家人は1階の部屋に住んでいる。
(私:語り手)スジ:若い女性。短大生。1階の部屋を借りている。
ヒジン:若い女性。1階の部屋を借りている。
家の中に不潔な部分がある。臭いもする。虫もいる。
三人の女性は、月に1回ぐらい、いっしょに食事をする。
庭付き一戸建て。部屋は、5室ある。2階に2部屋ある。2階は家主のイェヨンが使用している。
1階にヒジンとスジの部屋がある。台所と納戸、テラスと鍵のかかった部屋がある。
読んでいると、韓国の女性は、気性が激しいのだろうかと思ってしまいます。スジとスジの妹、母親もからんでの対立があります。こどもに対する不公平な扱いがあります。
ヒジンは、恋人からドメスティック・バイオレンス(暴力)を受けていた。顔に青あざがある。
家主のイェヨンがふたりに、どちらかひとりにこの家を出て行ってほしいと言う。
イェヨンとヒジンは仲がいい。
イェヨンには、奇行があります。(奇妙な言動。魚の頭を15個一列に並べてあった)
読みながら情景を思い浮かべようとするけれど、非現実的でわかりにくいです。ホラー(恐怖、嫌悪)です。
『あなたに似た歌』
こちらの短編も読み終えましたが意味をとれませんでした。
中年の母親がいる。末期がんの29歳の娘スジンがいる。スジンは、2年前に卵巣がんが見つかった。ステージ4(体内でがんが転移している状態をいう)。娘は、小説家になりたい。11歳のときに父が死んだ。
母親は、趣味の教室で声楽を習っている。ソプラノを担当している。発表会に出たい。夫は交通事故死している。ある日の早朝に、夫は、飲酒運転の車にひかれた。
母親は、若い頃、市の合唱団員だった。夫の死後、保険外交員をしていた。
文化センター声楽講座の男性講師がいる。発表会に出る生徒は、金次第で決める。うまいへたは二の次という決め方をする。お金でポスト(地位。立場)を買う。
母と娘は、アンジン市に住んでいる。
母が運転して、娘が助手席に座って、アンジン最古の建物に向かっている。そこは、宣教師の私邸だった。今は、文化センターの教室代わりに使用されている。『生涯教育センター』という。
次から次へと文章で情報の提供があります。把握することがたいへんです。
ときおり、『母さんに似た』という文章が出てきます。がんになったことも、母さんに似たような含みがあります。
『何事も確認しなければ気が済まない人の話を聞いたことがある。』(社交辞令(その場しのぎのほめことば)を信じない。表は良くても、裏で悪いことをしているだろうと推測する。なにかたくらんでいるのだろうと思う)
末期がんの患者が車を運転していることが不思議でした。(妄想なのか)
最後にちいさなこどもの姿が出てくるのですが、意味がわからない。
『部屋』
こちらの作品も、う~むでした。わからない。
私:ジェイン
スヨン:ジェインの女ともだち。
主の女:家主。首の左が長いそうです。(?です)
教試院(こうしいん):もともとは、朝鮮半島の大学入試、公務員試験を受験する人が缶詰になって勉強する宿泊施設だった。現在は、大学生、地方出身者、日雇い労働者の安価な簡易宿所。
チョンセの家。
貧困について書いてあるようです。
『風船が割れるように都市は爆発した』
韓国映画『パラサイト 半地下の家族』みたいな雰囲気があります。
『(半地下の)ここから窓のある部屋に移ろうとすれば、二年は軽くかかる……』
設定が、SF(サイエンスフィクション)だろうか、未来都市の話だろうか。
浮腫んでいる:むくんでいる。
醤油煮(ジャンジョリム):韓国料理
サンチュ:レタスの一種
お金のことで、スヨンの体が病気になるのか、スヨンの体が肥大化して、変形、硬化していきます。ホラー(恐怖)話なのかなあ。よくわかりません。
むずかしい。何が書いてあるのかわかりません。
『雪だるま』
(僕)ギチェ:11歳
社会福祉士:女性
ギチェの兄:17歳。兄は、弟ギチェに暴力を振るってギチェを置き去りにした。兄本人は、11歳のときに骨折・打撲で入院した。13歳のときに交通事故に遭った。母親が、兄を殴って、車の後ろに押し込んだ。
兄は将来なにかを研究する人になりたい。兄はコンビニで働いていたが、店主にだまされて、多額の借金を負った。
ウニョン
なにやらぶっそうな話が始まりました。
ギチェは、本人が言うには、『閉じ込められている』
ギチェと兄には共通の夏の思い出がある。
キーワードは、『大丈夫だって。』という言葉のようです。
兄による弟への暴力があります。
父は母に暴力を振るっていたらしい。
両親は離婚した。母は父の借金を肩代わりした。(かわりに払う。人の債務を代わって引き受ける)
古紙回収のおばあさん
古物商の店主のおじさん:背が高くて、顔が真っ黒で、目つきが鋭い。(するどい)
兄のカノジョ(美容師):弟の髪を切って、丸坊主にしてしまった。
どこからどこまでが本当で、なにがウソなのかわかりません。映像化すると、けっこう怖いホラー(恐怖)になるのでしょう。
ときおり、『虫』が姿を現します。虫はなにかを暗示しているのですが、わたしにはわかりません。
(僕)は、捨てられる。兄から暴力を振るわれて、耳を乱暴に引っ張られたり、背中を蹴(け)られたりする。おまえが、オレの負担になっているという趣旨で弟は兄から怒鳴られる。
貧しさ、暴力、ホラー(恐怖)、狂気の世界です。
廃品をお金に変える。
社会福祉士と最後に会ったのは、22歳のときだった。
主人公の記憶をたどる文章です。
主人公はこどものころ、部屋の中で、死体みたいにころがっているところを発見された。タイトルにある、『雪だるま』の幻視があります。
親を頼れないこどもの悲劇があります。
『グル・マリクが記憶していること』
読み終えましたが、あいかわらず何が書いてあるのかを理解できません。
グル・マリク:インド人男性。インドでは、低い階級の人間。韓国に滞在していたが、インドに帰国して、火事で亡くなった。
タニ・カーン:インド人女性。グル・マリクと同じインドの村で、同じ日に生まれた。タニ・カーンは若いけれど、現地の60歳男性と婚約して結婚した。夫からDV(ドメスティック・バイオレンス。暴力)を受けた。グル・マリクとふたりで韓国に逃げた。その後、ふたりはインドへ強制送還されたような雰囲気があります。
彼女:韓国人。ハングル(韓国の言語)を教えるボランティア。教育学の大学院卒業。国語教師になりたかったが、採用試験に何度か落ちてあきらめた。
韓国人彼女のカップル相手の男:二十歳。(韓国は、満年齢ではなく、数え年で表記してあると、本のうしろの訳者あとがきにありました)。
ラム:インドの男性。健やか(すこやか)で、裕福な、高い階層の男。
グル・マリクと韓国人男女三人は知り合いです。
グル・マリクが、韓国人女性に遺品を送っていた。遺品が韓国人女性に送られてきたのですが、届かないので、女性と男性が荷物を探しに業者がいる『地域の保管センター』行くようすが書いてあります。なかなかイメージしにくい文章の内容でした。
韓国の街中風景の記述を読んでいると、おととし2022年10月29日、ハロウィンのときに起きた事故を思い出します。群衆雪崩(ぐんしゅうなだれ)事故による圧死者多数です。154人も亡くなっています。
インドのカースト制(身分制度)のことがからんでいます。女性差別もあります。
あの人たち:インド人タニ・カーンから見て都市(韓国ソウル)に住む人たちのこと。やがて、『友人たち』と呼び始める。
グリ・マリクは、『出入国管理事務所』にいたことがある。
グリ・マリクの理解できない言葉として、『必要ない、と、代わりはいる』
(グリ・マリクの遺品がどうして、韓国にいる女性のところへ送られてきたのかが不可解です)
何のために自分は生きているのかを自問する内容です。
裕福な男が言うには、自分は、人を助けるために生きていると思っていたが、人から必要とされる人間になりたいという承認欲求があった。自分を自慢したかった。そんなふうに意味をとれます。
現実のことではない、脳内にある風景を再現してあるようです。
<あまりにもわかりにくいので、うしろにあった「訳者あとがき」を読んでみました>
女性の日常について書いてある。女性の日常は、スリラーだ。(ぞっとするような感覚を与える)
なにゆえスリラーかというと、女性は常に男性から差別を受けているからである。
女性蔑視(じょせいべっし:みくだしてばかにする)がある。男性は不満があると女性に暴力を振るう。乱暴な言動をする。だから、スリラーでありホラー(恐怖)なのです。
人間の奥底にひそむ暗い感情が、文章で表現してある。女の感情もあるし、男の感情もある。
インド社会には、階級と差別が、世の中の制度として存在している。
強い立場の者が、弱い立場の物から搾取する。(さくしゅ:利用して、利益をしぼりとる)
身近に、不安、悪意、卑下(ひげ。見くだし)、怒り(いかり)、諦め(あきらめ)がある。
短編『部屋』は女性同士の同性愛について書いてあるそうです。
『手』
最後の短編作品になりました。ここまで、チンプンカンプンで、文字を追って来ただけです。
嫁と姑(しゅうとめ。夫の母親)の諍い(いさかい。対立)話です。
読み始めて、昔のことを思い出しました。
ナゴヤドームに小学生だった息子とプロ野球の試合を観に行ったときに、自分たちの前の席におばあさんがふたり座っていました。ふたりのおばあさんは、試合の経過はそっちのけで、お嫁さんの悪口ばかりを延々としゃべり続けていてあきれました。ふたりは、球場へなにをしに来たんだろう? 招待券でももらったのでしょう。しかし、話題がお嫁さんの悪口しかないなんて、なんて、狭くて息苦しい世界で暮らしている人たちだろうかと、かわいそうになりました。
さて、お話のほうです。
(私)キム・ミヨン:女教師。夫はインドネシアに単身赴任中。ミナという保育園に通う女児がいる。ミナの養育のために夫の母親の実家で、母親と自分と娘の三人で暮らしている。とてもいなかの環境で、担任しているクラスには児童が7人しかいない。姑(しゅうとめ)と同居したことを後悔している。
キム・ミヨンの姑(しゅうとめ。夫の母親):かなり、きつい人です。キム・ミヨンを責めます。言葉遣いが乱暴で、差別用語もポンポンしゃべります。孫娘のミナが祖母の真似をして、差別用語をしゃべります。
デジン:キム・ミヨンの教え子。いじめられている。ヨンジャ婆(ばあ)の孫。
ヨンウ:キム・ミヨンの教え子。いじめっこ。体が大きく学力優秀。表向きはいいこどもだが、実は悪人タイプの個性をもつ。陰で、陰湿にデジンをいじめぬいている。里長(さとちょう。韓国行政区の最小単位の末端の長だそうです)の孫。
短編のタイトル『手(ソン)』は、『悪鬼(あっき。人間たちに悪をばらまく。性別は女)』のことです。
主人公の助教師キム・ミヨンは、姑さん(しゅうとめさん)に攻撃されて、さらに、村組織の中で、教え子たちと村人たちにいじめられて、精神状態がおかしくなります。ホラー(恐怖)です。幻聴が聞こえるようになります。(「パンッ」という音が聞こえる。火の熱で、竹が、はじけるような音)
狭い村組織には、社会的な法令意外に、掟(おきて。その場所だけでの決まり事(ごと))があります。よそ者は嫌われます。排他的です。だれかをいじめて、うさばらしをする空気があったりもします。人間はむずかしいし、人間なんてそんなものです。
村の風習として:味噌玉麹(みそだまこうじ。蒸した大豆を成形して麹菌を生やす)をつくる。
開発時代:韓国における経済成長至上主義の時代。1960年~70年代(日本だと、昭和35年から40年代)
差別用語として、『あいのこ』。
本の中では、おばあさんはつくりばなしをします。実際にはないことを、まるで本当にあったかのように話します。
わたしは、以前、そういう高齢者女性を実際に見たことがあります。ウソつきおばあさんです。おばあさんの被害者妄想(もうそう)話を聞いた人は、おばあさんのつくり話を全部信じて、無実の人を攻撃したりもします。
でもおばあさんの話は、全部ウソなのです。そんなことはありません。おかしいですとおばあさんに申し立てても、おばあさんは、ますますウソを重ねていくのです。
どうしようもありません。おばあさんの話を聞いておばあさんの味方をした近所のおじいさんは、自分が被害者になるまで、だまされ続けます。コワイコワイです。(恐い(こわい))
焚口(たきぐち):釜戸(かまど)、ストーブ、ボイラーなどの燃料を入れて火をつける口。
ちょっと自分にはむずかしい本でした。]]>
読書感想文
熊太郎
2024-02-21T08:26:22+09:00
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本と鍵の季節 米澤穂信
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e153790.html
本と鍵の季節 米澤穂信(よねざわ・ほのぶ) 集英社文庫 本と鍵ですから、とりあえず、本がからんでくるお話でしょう。 短編6本です。文芸誌に掲載されたものがおさめられています。 単行本は、2018年(平成30年)の発行です。『913』 まずは、18ページまで読みました。 図書館の話です。 913は、本の分類番号です。『日本の小説』を表す番号だそうです。 (僕) 堀川次郎:高校二年生。図書委員。童顔。母親似。 松倉詩門(まつくら・しもん 男子):高校二年生 図書委員 背が高いイケメン。スポーツマン。皮肉屋(人の成功を素直に喜ばない。嫉妬心(しっとしん)あり。自分を見てほしい)(どうも、この子が、名探偵コナンの役を担う(になう。担当するポスト)らしい) 浦上麻里:高校三年生 元図書委員(受験がある三年生なので図書委員を引退した) ダン・シモンズの『ハイペリオン』:アメリカ合衆国の作家。1948年生まれ。75歳。SF作品(サイエンス・フィクション) 開かずの金庫を開けるそうな。ダイヤル式の鍵番号がわからないそうな。913ではなかろうか。(ちがっていました) 奇妙な文章として、『浦上先輩を見たのは今日が初めてだ。』 高校二年生の図書委員が、高校三年生の元図書委員の顔と名前を知らないわけがないと思うのです。 ここまで読んで、これは、推理小説だと理解しました。そういえば、作者は推理小説作家です。 作者は、読者をだまそうとしている。 金庫に鍵をかけたまま死んだご老人がいる。 人間が入れるぐらいの大きな金庫らしい。 ご老人は富裕層らしい。 『おじいさんの遺した(のこした)開かずの金庫』 江戸川乱歩の短編『黒手組(くろてぐみ)』 浦上麻里がおとなになればわかることがある。 開かずの金庫を開けることができる。 お茶の味に覚えがある。 情報を探す。 疑問がある。なぜ、鍵を開ける業者を呼ばないのか。(業者を呼ぶとまずい事情がある) 『笑顔』は、要注意です。 笑顔で近づいてくる人間は要注意です。下心があります。あなたのお金が狙われている。女性なら体を狙われている。(ねらわれている)。要注意です。 人間とは本来ぶあいそうなものなのです。 見た目にだまされてはいけない。美人でもイケメンでも要警戒です。 もともと、異性にもてるタイプではない人は要注意です。 物語には書かれていませんが、そのような警告を含んだ作品です。 なにもかもがウソでできていることもあります。信用とか信頼を築くには時間がかかります。 なるほど。うまい。 『ロックオンロッカー』 美容院での推理です。松倉詩門と堀川次郎が美容院へ行きます。 出てくるのは、次の人たちです。 近藤:美容院の店員 船下(ふなした):美容院の店長 前野:美容院の店員 高校二年 一組の瀬野:美女だが性格が悪い。図書委員。 素材は、『盗難事件』です。 松倉詩門の細かな考察が続きます。 お客さんの手荷物を保管するロッカーがあるらしい。ロッカーが40人分あるそうです。(わたしはそのようなところには行ったことがありません。床屋、理容室に行きます) カットクロス:髪をカットするときに、体を包むようにかける布類 パセリコーラ:パセリが入ったコーラだろうか。わたしにはわかりません。 まろび出る:ころがるようにして出てくる。 推理話の小品(しょうひん:ちょっとした作品)でした。 この短編部分を読んだあと、たまたま理容室へ行きました。安価が売りのチェーン店で、座席が8席あります。 店内に入ったら、フィリピン人の女性が迎え入れてくれたのでびっくりしました。 席に案内されてあれやこれややりとりをして、その後、複数の店員に頭の世話をやってもらいました。 フィリピン人女性は日本語でしゃべるのですが、イントネーションがマッチしていないので、一瞬何を言われているのかがわかりませんが、時間がたつと理解できます。 少子高齢化で労働力不足がいわれています。出産率を上げることは、もう無理です。自分の体験だと少子高齢化は、40年ぐらい前から言われてきました。無理なものは無理だともうあきらめて、別の方法を発想したほうがい。できないことに、お金や労力や時間を費やしてもしかたがありません。ムダです。 これからは、日本人を助けてもらうために、外国人に頼ったほうがいい。東南アジアの人たち、中近東の人たち、中南米、アフリカの人たちに助けてほしい。もちろん欧米の人たちでもいい。 平日のお昼時なので、来ているのはおじいさんのお客さんばかりです。 自分のお隣のおじいさんが、散髪が終わったあと、『サンキュー ベリ マッチ』とお礼を言いました。フィリピン人女性店員は笑顔で嬉しそうでした。『金曜に彼は何をしたのか』 植田登(植田・のぼる) 高校一年生 図書委員 小さなメガネをかけている。 植田昇(うえだ・しょう) 高校二年生 植田登の兄 不良少年 生徒指導部の横瀬先生 この本は、高校という狭い世界(空間)における推理小説です。高校生向きの内容です。 高校の図書室と高校の近くでの出来事です。 人間の心情を描く小説ではなく、推理を楽しむ小説です。 天地印:図書館の本に押すはんこ 教室に青い鳥が飛び込んできた。(伏線になります) 植田昇が、学校の窓ガラスを割って、テスト問題を盗もうとしたらしい。(冤罪(えんざい。無実の罪)の可能性あり) メンバーは、植田昇の兄植田昇の無実を証明したい。 ほう。そう考えるのか。 そういう終わり方をするのか。予想もできませんでした。『ない本』 不確かな自殺話です。 自殺した高校三年生 香田勇。 長谷川 高校三年生。 自殺した香田勇が最後に読んでいた本を見つける作業です。その本に遺書がはさみこまれているらしい。 ショウペンハウエル(ショーペンハウワー)の『自殺について』:ドイツの哲学者。1788年(日本は江戸時代。アメリカの独立戦争とかフランス革命の頃)-1860年(日本では、桜田門外の変。勝海舟、福沢諭吉が渡米した頃)。72歳没。『自殺について』:生きることを促す本。 以前自殺のしかたを書いた本を読んだことがあります。ぶっそうな内容ですが、趣旨は自殺をやめようというメッセージでした。 別の本では、お名前を忘れてしまいましたが、女性作家が、『人生においてとりかえしがつかないことは、「殺人と自殺です」』と言っていました。 『完全自殺マニュアル 鶴見済(つるみ・わたる) 太田出版』 以下は、感想メモの一部です。 著者は、2歳年上である兄の家庭内暴力によって、家族関係を破壊されています。著者は精神科受診歴ありです。かなり悩み苦しんでおられます。ゆえに、この『完全自殺マニュアル』なのです。 つくり笑いかもしれない笑顔の奥に『心の闇』が隠れている。二重人格みたいな人がいます。 自殺されると、残された家族の心には深い傷跡が残ります。ご遺族の後悔という心の傷は、自ら(みずから)が死ぬまで永遠に消えません。自殺した事実を認めたくない遺族もいます。認めると自分の心が崩壊するからです。 呻吟する(しんぎんする):苦しんでうめくこと。呻く(うめく)。 高校生三人が自殺した高校生が最後に読んでいた本を探すのですが、本の題名がわかりません。目撃情報はあるも本の題名まではわからない。本の特徴をピックアップして推理するのです。本の形状やら、バーコードなどです。 図書館の貸出簿の閲覧(えつらん):原則禁止。思想の自由を侵害しない。(ふと、中国やロシアには思想の自由がないことを思い浮かべました) 金科玉条(きんかぎょくじょう):金や玉のように立派な法律。大切な従うべききまりごと。 花色木綿(はないろもめん):はなだ色(明るい薄い青)に染めた木綿(もめん)。主に裏地に使用する。(この部分が推理のヒント。伏線になります) そうなのか。(前提崩し(ぜんていくずし)) よかったセリフとして、『どうも俺は人を信じるのが苦手だ(にがてだ)……』『昔話を聞かせておくれよ』 語り手である『僕』の堀川次郎と名探偵コナン役の松倉詩門がふたりで昔話をします。松倉詩門の父親はなにかを(宝物)を隠して行方をくらまし死亡したらしい。 松倉詩門が公立高校学費の滞納で学校事務室に呼び出された。 藪から棒(やぶからぼう):突然に、だしぬけに。藪から棒が飛び出してくる。 『物語の基本は、復讐と宝探し』 宝探しをテーマにして、昔話をする。 松倉詩門の父親は自営業者で、いろいろあって、宝物(現金)をどこかに隠して突然星になってしまった。(亡くなった)。息子である松倉詩門は、父親が隠した現金を見つけたい。でも見つからない。父親がいなくなってから6年が経過している。引っ越しもした。 岡目八目(おかめはちもく):当事者よりも、横で見ている第三者のほうがよくわかるということ。囲碁からきている。 佐野:喫茶店の店主。夜はアルコールの店になる。バーになる。 インク・スポッツ:アメリカ合衆国のボーカルグループ。(ハーモニーを奏でる(かなでる))。1930年~1940年代に活躍した。(昭和5年~昭和15年) 松倉詩門の死去した父親の手帳が残っている。 1月2日 古河(こが。茨城県古河市(こがし)) アイサツ 4月3日 上高地 ハイキング 5月21日 ハイシャ 8月1日 熱海 海水浴 8月16日 古河 8月17日から18日、那須 8月19日 父、死去 11月30日 松倉詩門の誕生日 12月12日 松倉詩門の弟松倉礼門(まつくら・れいもん。タバコに敏感。匂いに敏感)の誕生日 愛車はカローラだった。 キャンプはバンを借りた。(車内はタバコ臭かった) ふたりは、バンを探し始めますが、松倉詩門の母親に聞いてはいけないとか、6年前にあったバンを探すとか、ちょっと奇妙です。いくら放置してあったとしても、自動車税の納付とか、貸し駐車場の料金滞納とか、いろいろ不自然です。(なのに、発見されました)(次の章、『友よ、知るなかれ』で真相が明らかになります) 快哉(かいさい):気分いい。痛快なこと。 あにはからんや:意外なことには。思いがけず。 詩門、礼門、父親の名前で、五分の三。 紙製のブックカバーがついている文庫本。松本清張の『ゼロの焦点』 稀覯本(きこうぼん):部数が少なく珍しい本。 502号室の鍵 フェルミ推定:わからないものを概算する。 おためごかし:人のためにするように見せかけて、自分のためにすること。 雪冤(せつえん):無実を明らかにして潔白を示すこと。『友よ 知るなかれ』 市立図書館が出てきます。 『詩経(しきょう):中国最古の詩歌全集。紀元前11世紀から同7世紀のもの』、『礼記(らいき):儒教の経典(きょうてん)。紀元前51年のもの』、『書経(しょきょう):中国古代の歴史書。紀元前659年以降成立』、『易経(えききょう):古代中国の書物。儒教の経典』、『春秋(しゅんじゅう):古代中国の歴史書。紀元前722年から同481年』、『五経(ごきょう):儒学の経書(けいしょ)の総称』 印旛重郎(いんば・じゅうろう):自営業者 344ページあたり。わびしさがあります。お金がないことのわびしさです。 貯蓄はいくらあったらいいのだろうかと考える読書です。 自分も若い頃考えたことがあります。 たくさん貯蓄があっても使わなければないのと同じです。 億単位から始まって、だんだん減らしていく。 たくさんあると、仕事を辞めることを考えてしまいそうです。 少なければ、仕事を辞めることを思いつきません。 こちらの物語では、『お金はあるけれど、それは使わないお金』という定義(ていぎ:内容の決めごと)で話があります。 言質(げんち):のちに証拠となる言葉。 この物語のような状況で、堀川次郎と松倉詩門の友情は成立するのだろうか。(しないと思います)
本と鍵の季節 米澤穂信(よねざわ・ほのぶ) 集英社文庫
本と鍵ですから、とりあえず、本がからんでくるお話でしょう。
短編6本です。文芸誌に掲載されたものがおさめられています。
単行本は、2018年(平成30年)の発行です。
『913』
まずは、18ページまで読みました。
図書館の話です。
913は、本の分類番号です。『日本の小説』を表す番号だそうです。
(僕) 堀川次郎:高校二年生。図書委員。童顔。母親似。
松倉詩門(まつくら・しもん 男子):高校二年生 図書委員 背が高いイケメン。スポーツマン。皮肉屋(人の成功を素直に喜ばない。嫉妬心(しっとしん)あり。自分を見てほしい)(どうも、この子が、名探偵コナンの役を担う(になう。担当するポスト)らしい)
浦上麻里:高校三年生 元図書委員(受験がある三年生なので図書委員を引退した)
ダン・シモンズの『ハイペリオン』:アメリカ合衆国の作家。1948年生まれ。75歳。SF作品(サイエンス・フィクション)
開かずの金庫を開けるそうな。ダイヤル式の鍵番号がわからないそうな。913ではなかろうか。(ちがっていました)
奇妙な文章として、『浦上先輩を見たのは今日が初めてだ。』 高校二年生の図書委員が、高校三年生の元図書委員の顔と名前を知らないわけがないと思うのです。
ここまで読んで、これは、推理小説だと理解しました。そういえば、作者は推理小説作家です。
作者は、読者をだまそうとしている。
金庫に鍵をかけたまま死んだご老人がいる。
人間が入れるぐらいの大きな金庫らしい。
ご老人は富裕層らしい。
『おじいさんの遺した(のこした)開かずの金庫』
江戸川乱歩の短編『黒手組(くろてぐみ)』
浦上麻里がおとなになればわかることがある。
開かずの金庫を開けることができる。
お茶の味に覚えがある。
情報を探す。
疑問がある。なぜ、鍵を開ける業者を呼ばないのか。(業者を呼ぶとまずい事情がある)
『笑顔』は、要注意です。
笑顔で近づいてくる人間は要注意です。下心があります。あなたのお金が狙われている。女性なら体を狙われている。(ねらわれている)。要注意です。
人間とは本来ぶあいそうなものなのです。
見た目にだまされてはいけない。美人でもイケメンでも要警戒です。
もともと、異性にもてるタイプではない人は要注意です。
物語には書かれていませんが、そのような警告を含んだ作品です。
なにもかもがウソでできていることもあります。信用とか信頼を築くには時間がかかります。
なるほど。うまい。
『ロックオンロッカー』
美容院での推理です。松倉詩門と堀川次郎が美容院へ行きます。
出てくるのは、次の人たちです。
近藤:美容院の店員
船下(ふなした):美容院の店長
前野:美容院の店員
高校二年 一組の瀬野:美女だが性格が悪い。図書委員。
素材は、『盗難事件』です。
松倉詩門の細かな考察が続きます。
お客さんの手荷物を保管するロッカーがあるらしい。ロッカーが40人分あるそうです。(わたしはそのようなところには行ったことがありません。床屋、理容室に行きます)
カットクロス:髪をカットするときに、体を包むようにかける布類
パセリコーラ:パセリが入ったコーラだろうか。わたしにはわかりません。
まろび出る:ころがるようにして出てくる。
推理話の小品(しょうひん:ちょっとした作品)でした。
この短編部分を読んだあと、たまたま理容室へ行きました。安価が売りのチェーン店で、座席が8席あります。
店内に入ったら、フィリピン人の女性が迎え入れてくれたのでびっくりしました。
席に案内されてあれやこれややりとりをして、その後、複数の店員に頭の世話をやってもらいました。
フィリピン人女性は日本語でしゃべるのですが、イントネーションがマッチしていないので、一瞬何を言われているのかがわかりませんが、時間がたつと理解できます。
少子高齢化で労働力不足がいわれています。出産率を上げることは、もう無理です。自分の体験だと少子高齢化は、40年ぐらい前から言われてきました。無理なものは無理だともうあきらめて、別の方法を発想したほうがい。できないことに、お金や労力や時間を費やしてもしかたがありません。ムダです。
これからは、日本人を助けてもらうために、外国人に頼ったほうがいい。東南アジアの人たち、中近東の人たち、中南米、アフリカの人たちに助けてほしい。もちろん欧米の人たちでもいい。
平日のお昼時なので、来ているのはおじいさんのお客さんばかりです。
自分のお隣のおじいさんが、散髪が終わったあと、『サンキュー ベリ マッチ』とお礼を言いました。フィリピン人女性店員は笑顔で嬉しそうでした。
『金曜に彼は何をしたのか』
植田登(植田・のぼる) 高校一年生 図書委員 小さなメガネをかけている。
植田昇(うえだ・しょう) 高校二年生 植田登の兄 不良少年
生徒指導部の横瀬先生
この本は、高校という狭い世界(空間)における推理小説です。高校生向きの内容です。
高校の図書室と高校の近くでの出来事です。
人間の心情を描く小説ではなく、推理を楽しむ小説です。
天地印:図書館の本に押すはんこ
教室に青い鳥が飛び込んできた。(伏線になります)
植田昇が、学校の窓ガラスを割って、テスト問題を盗もうとしたらしい。(冤罪(えんざい。無実の罪)の可能性あり)
メンバーは、植田昇の兄植田昇の無実を証明したい。
ほう。そう考えるのか。
そういう終わり方をするのか。予想もできませんでした。
『ない本』
不確かな自殺話です。
自殺した高校三年生 香田勇。
長谷川 高校三年生。
自殺した香田勇が最後に読んでいた本を見つける作業です。その本に遺書がはさみこまれているらしい。
ショウペンハウエル(ショーペンハウワー)の『自殺について』:ドイツの哲学者。1788年(日本は江戸時代。アメリカの独立戦争とかフランス革命の頃)-1860年(日本では、桜田門外の変。勝海舟、福沢諭吉が渡米した頃)。72歳没。『自殺について』:生きることを促す本。
以前自殺のしかたを書いた本を読んだことがあります。ぶっそうな内容ですが、趣旨は自殺をやめようというメッセージでした。
別の本では、お名前を忘れてしまいましたが、女性作家が、『人生においてとりかえしがつかないことは、「殺人と自殺です」』と言っていました。
『完全自殺マニュアル 鶴見済(つるみ・わたる) 太田出版』
以下は、感想メモの一部です。
著者は、2歳年上である兄の家庭内暴力によって、家族関係を破壊されています。著者は精神科受診歴ありです。かなり悩み苦しんでおられます。ゆえに、この『完全自殺マニュアル』なのです。
つくり笑いかもしれない笑顔の奥に『心の闇』が隠れている。二重人格みたいな人がいます。
自殺されると、残された家族の心には深い傷跡が残ります。ご遺族の後悔という心の傷は、自ら(みずから)が死ぬまで永遠に消えません。自殺した事実を認めたくない遺族もいます。認めると自分の心が崩壊するからです。
呻吟する(しんぎんする):苦しんでうめくこと。呻く(うめく)。
高校生三人が自殺した高校生が最後に読んでいた本を探すのですが、本の題名がわかりません。目撃情報はあるも本の題名まではわからない。本の特徴をピックアップして推理するのです。本の形状やら、バーコードなどです。
図書館の貸出簿の閲覧(えつらん):原則禁止。思想の自由を侵害しない。(ふと、中国やロシアには思想の自由がないことを思い浮かべました)
金科玉条(きんかぎょくじょう):金や玉のように立派な法律。大切な従うべききまりごと。
花色木綿(はないろもめん):はなだ色(明るい薄い青)に染めた木綿(もめん)。主に裏地に使用する。(この部分が推理のヒント。伏線になります)
そうなのか。(前提崩し(ぜんていくずし))
よかったセリフとして、『どうも俺は人を信じるのが苦手だ(にがてだ)……』
『昔話を聞かせておくれよ』
語り手である『僕』の堀川次郎と名探偵コナン役の松倉詩門がふたりで昔話をします。松倉詩門の父親はなにかを(宝物)を隠して行方をくらまし死亡したらしい。
松倉詩門が公立高校学費の滞納で学校事務室に呼び出された。
藪から棒(やぶからぼう):突然に、だしぬけに。藪から棒が飛び出してくる。
『物語の基本は、復讐と宝探し』
宝探しをテーマにして、昔話をする。
松倉詩門の父親は自営業者で、いろいろあって、宝物(現金)をどこかに隠して突然星になってしまった。(亡くなった)。息子である松倉詩門は、父親が隠した現金を見つけたい。でも見つからない。父親がいなくなってから6年が経過している。引っ越しもした。
岡目八目(おかめはちもく):当事者よりも、横で見ている第三者のほうがよくわかるということ。囲碁からきている。
佐野:喫茶店の店主。夜はアルコールの店になる。バーになる。
インク・スポッツ:アメリカ合衆国のボーカルグループ。(ハーモニーを奏でる(かなでる))。1930年~1940年代に活躍した。(昭和5年~昭和15年)
松倉詩門の死去した父親の手帳が残っている。
1月2日 古河(こが。茨城県古河市(こがし)) アイサツ
4月3日 上高地 ハイキング
5月21日 ハイシャ
8月1日 熱海 海水浴
8月16日 古河
8月17日から18日、那須
8月19日 父、死去
11月30日 松倉詩門の誕生日
12月12日 松倉詩門の弟松倉礼門(まつくら・れいもん。タバコに敏感。匂いに敏感)の誕生日
愛車はカローラだった。
キャンプはバンを借りた。(車内はタバコ臭かった)
ふたりは、バンを探し始めますが、松倉詩門の母親に聞いてはいけないとか、6年前にあったバンを探すとか、ちょっと奇妙です。いくら放置してあったとしても、自動車税の納付とか、貸し駐車場の料金滞納とか、いろいろ不自然です。(なのに、発見されました)(次の章、『友よ、知るなかれ』で真相が明らかになります)
快哉(かいさい):気分いい。痛快なこと。
あにはからんや:意外なことには。思いがけず。
詩門、礼門、父親の名前で、五分の三。
紙製のブックカバーがついている文庫本。松本清張の『ゼロの焦点』
稀覯本(きこうぼん):部数が少なく珍しい本。
502号室の鍵
フェルミ推定:わからないものを概算する。
おためごかし:人のためにするように見せかけて、自分のためにすること。
雪冤(せつえん):無実を明らかにして潔白を示すこと。
『友よ 知るなかれ』
市立図書館が出てきます。
『詩経(しきょう):中国最古の詩歌全集。紀元前11世紀から同7世紀のもの』、『礼記(らいき):儒教の経典(きょうてん)。紀元前51年のもの』、『書経(しょきょう):中国古代の歴史書。紀元前659年以降成立』、『易経(えききょう):古代中国の書物。儒教の経典』、『春秋(しゅんじゅう):古代中国の歴史書。紀元前722年から同481年』、『五経(ごきょう):儒学の経書(けいしょ)の総称』
印旛重郎(いんば・じゅうろう):自営業者
344ページあたり。わびしさがあります。お金がないことのわびしさです。
貯蓄はいくらあったらいいのだろうかと考える読書です。
自分も若い頃考えたことがあります。
たくさん貯蓄があっても使わなければないのと同じです。
億単位から始まって、だんだん減らしていく。
たくさんあると、仕事を辞めることを考えてしまいそうです。
少なければ、仕事を辞めることを思いつきません。
こちらの物語では、『お金はあるけれど、それは使わないお金』という定義(ていぎ:内容の決めごと)で話があります。
言質(げんち):のちに証拠となる言葉。
この物語のような状況で、堀川次郎と松倉詩門の友情は成立するのだろうか。(しないと思います)]]>
読書感想文
熊太郎
2024-02-14T07:24:36+09:00
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古くて新しい仕事 島田潤一郎
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e153748.html
古くて新しい仕事 島田潤一郎 新潮社1章『はじめに』の部分に強い決意表明があります。 33歳で、『夏葉社(四国高知県での思い出が社名の由来です)』を立ち上げた。ひとり出版社です。 求職活動をしたが、どこも採用してくれなかった。50社連続不採用だった。 どこかの会社の正社員になりたかった。経営者になりたいと思ったことはなかった。 自分には、協調性がない。集中力もない。キャリア(就労経験)も学歴(大卒ですがふつうの大学だそうです)もない。 自営業を始めることにした。ぼくは、今の自分の仕事が好きだ。大好きだとあります。 読み始めます。2章『だれかのための仕事』 動機とはなんだろう。 わたしは、動機とはあとづけで理屈がついてくるものと思っています。 動機とはただひとこと、『やりたいからやる』。それだけです。 極端な話、以前読んだ殺人事件の記事に、動機は、『人を殺してみたかった』とありました。犯人は頭脳優秀な女子大学生でした。相手はだれでもいいのです。そういう脳みそをもった人がいるのです。何十億もある脳みその中には、異様なつくりをした脳みそもあるのです。 仕事をする動機とはなんだろう。そのことの考察が本にあります。 著者をとりまく環境として、身の回りにいた若い友人・知人が早くに亡くなったという特徴があります。いとこの男性や大学の友人です。 生きていると、命がふるいにかけられるように、まわりにいる親族や友人が亡くなっていきます。病気や事故、自然災害や事件にまきこまれたりすることがあります。人の命は案外はかない。自分が長いこと生きてきての実感として、たいていの人は、あからさまには話しませんが、何度か死にそうになった体験をもっていると思います。わたしも複数回、死にそうになったことがあります。『運』に感謝しています。だから人は神仏に祈るのだと思います。 著者は、死んだ人との語らいをずっと続ける人です。なかなかできることではありません。 血族を亡くした場合の自分なりの考えです。 亡くなった人の血は自分の中にある。神さまも自分の心の中にいる。神さまは、自分の体の外にはいない。亡くなった人も神さまも自分の体の中にある。だからさみしいと思うことはない。自信をもって進めばよい。 『人生でもっとも大切なのは、人から必要とされることだ。』 『仕事でもっとも大切なのは、人から必要とされることだ。』 『ぼくはひとりで出版社をやってみようと思った』 (2009年9月(平成21年)、ぼくは「株式会社夏葉社」という出版社を立ち上げた) その後の努力がすごい。全国の本屋を営業で回られています。 本音が正直に書いてあります。 会社は創業後の一、二年がいちばんきつい→商売というものは、一年目は、たいてい赤字が当たり前です。 こどもを亡くした親の思いがつづられています。 朝、起きるときが一番恐い(こわい)とあります。毎朝、目を覚ますと同時に、息子の不在を確認する。どこを探しても息子はいない…… 読んでいて、せつなく、胸が苦しくなります。親にとってのこどもというものは、勉強なんかできなくてもいい。生きていてくれればいいと思えます。 3章『小さな声のする方へ』 アイロニー:皮肉、反語 レンブラント:現在のオランダの画家。1606年(関ヶ原の合戦が1600年。江戸幕府開府1603年)-1669年。63歳没 ニッチ:すきま。大手の会社が狙わないような商売の領域。 共感することとして、おおげさな売り方はやめたほうがいい。本の帯などに大傑作とか、ものすごく泣けましたとか、大笑いできましたとありますが、読んでみるとそうでもないのです。ウソはいけません。 本にある良かった言葉の紹介として、『(本の寿命は)きみの人生より長く生きる。』 それから、『本は勝者のための空間ではなく、敗者のための空間なんじゃないかな……』 あとは、『悲しいことは、みんなで分配しなくちゃね』 さらに、『ぼくが息子に望むのは、立身出世ではなく、社会的な成功でもなく、身の回りの人を助けられる人になってほしいということだ……』 著者の心構えの趣旨として、つくった本が売れるのをずっと待つ。売れないときは、アルバイトをすればいい。(コンビニの店員とか) 読み終えて、思ったことです。 いろんな人がいるんだなあ。 競争主義社会だけしか知らない人が読んだら、目からうろこがおちます。(急に物事の実態が見えるようになる)
古くて新しい仕事 島田潤一郎 新潮社
1章『はじめに』の部分に強い決意表明があります。
33歳で、『夏葉社(四国高知県での思い出が社名の由来です)』を立ち上げた。ひとり出版社です。
求職活動をしたが、どこも採用してくれなかった。50社連続不採用だった。
どこかの会社の正社員になりたかった。経営者になりたいと思ったことはなかった。
自分には、協調性がない。集中力もない。キャリア(就労経験)も学歴(大卒ですがふつうの大学だそうです)もない。
自営業を始めることにした。ぼくは、今の自分の仕事が好きだ。大好きだとあります。
読み始めます。
2章『だれかのための仕事』
動機とはなんだろう。
わたしは、動機とはあとづけで理屈がついてくるものと思っています。
動機とはただひとこと、『やりたいからやる』。それだけです。
極端な話、以前読んだ殺人事件の記事に、動機は、『人を殺してみたかった』とありました。犯人は頭脳優秀な女子大学生でした。相手はだれでもいいのです。そういう脳みそをもった人がいるのです。何十億もある脳みその中には、異様なつくりをした脳みそもあるのです。
仕事をする動機とはなんだろう。そのことの考察が本にあります。
著者をとりまく環境として、身の回りにいた若い友人・知人が早くに亡くなったという特徴があります。いとこの男性や大学の友人です。
生きていると、命がふるいにかけられるように、まわりにいる親族や友人が亡くなっていきます。病気や事故、自然災害や事件にまきこまれたりすることがあります。人の命は案外はかない。自分が長いこと生きてきての実感として、たいていの人は、あからさまには話しませんが、何度か死にそうになった体験をもっていると思います。わたしも複数回、死にそうになったことがあります。『運』に感謝しています。だから人は神仏に祈るのだと思います。
著者は、死んだ人との語らいをずっと続ける人です。なかなかできることではありません。
血族を亡くした場合の自分なりの考えです。
亡くなった人の血は自分の中にある。神さまも自分の心の中にいる。神さまは、自分の体の外にはいない。亡くなった人も神さまも自分の体の中にある。だからさみしいと思うことはない。自信をもって進めばよい。
『人生でもっとも大切なのは、人から必要とされることだ。』
『仕事でもっとも大切なのは、人から必要とされることだ。』
『ぼくはひとりで出版社をやってみようと思った』
(2009年9月(平成21年)、ぼくは「株式会社夏葉社」という出版社を立ち上げた)
その後の努力がすごい。全国の本屋を営業で回られています。
本音が正直に書いてあります。
会社は創業後の一、二年がいちばんきつい→商売というものは、一年目は、たいてい赤字が当たり前です。
こどもを亡くした親の思いがつづられています。
朝、起きるときが一番恐い(こわい)とあります。毎朝、目を覚ますと同時に、息子の不在を確認する。どこを探しても息子はいない……
読んでいて、せつなく、胸が苦しくなります。親にとってのこどもというものは、勉強なんかできなくてもいい。生きていてくれればいいと思えます。
3章『小さな声のする方へ』
アイロニー:皮肉、反語
レンブラント:現在のオランダの画家。1606年(関ヶ原の合戦が1600年。江戸幕府開府1603年)-1669年。63歳没
ニッチ:すきま。大手の会社が狙わないような商売の領域。
共感することとして、おおげさな売り方はやめたほうがいい。本の帯などに大傑作とか、ものすごく泣けましたとか、大笑いできましたとありますが、読んでみるとそうでもないのです。ウソはいけません。
本にある良かった言葉の紹介として、『(本の寿命は)きみの人生より長く生きる。』
それから、『本は勝者のための空間ではなく、敗者のための空間なんじゃないかな……』
あとは、『悲しいことは、みんなで分配しなくちゃね』
さらに、『ぼくが息子に望むのは、立身出世ではなく、社会的な成功でもなく、身の回りの人を助けられる人になってほしいということだ……』
著者の心構えの趣旨として、つくった本が売れるのをずっと待つ。売れないときは、アルバイトをすればいい。(コンビニの店員とか)
読み終えて、思ったことです。
いろんな人がいるんだなあ。
競争主義社会だけしか知らない人が読んだら、目からうろこがおちます。(急に物事の実態が見えるようになる)]]>
読書感想文
熊太郎
2024-02-09T07:39:54+09:00
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本屋で待つ 佐藤友則 島田潤一郎
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e153734.html
本屋で待つ 佐藤友則 島田潤一郎 夏葉社 1章から3章まであります。『1章』 八戸ノ里(やえのさと):大阪の鶴橋駅から近鉄奈良線で5駅だそうです。わたしは知らない場所です。グーグルマップを見ました。近鉄奈良線を利用して、大阪堺市に行ったことがあるので、近くを通ったかもしれません。 この部分は、佐藤友則さんという方が語るようです。1976年広島生まれとあります。本の発行は2022年です。 パチンコ、マージャン、もともと行きたくなかったその駅の近くにあった大阪商業大学は中退されたそうです。 読み始めて、元気が出るような内容ではありません。書きにくいけれど、だらしがない人です。 広島のいいとこの坊ちゃんで、「いい子」を演じていた。実家を離れて、パチンコ、タバコ、アルコール漬けです。よくある転落パターンです。 大学で、単位の選択をよく知らなくて、ほかの学部の授業に出ていて、必須の単位を取得できず留年したという話にはびっくりしました。 大学では友だちもおらず、パチンコを朝から晩までしておられたようです。ご両親は、『しょうがない』と中退を認められています。 21歳の著者は、あたりまえのことがやれない人でした。ご自身で、『半端者』と自分を表現されています。親というものは、こどもに関しては、あきらめることが仕事のときがあります。よき選択です。 途中、名古屋市北区黒川駅あたりの書店の話が出てきます。自分もそのあたりの土地勘があるのですが、本に書いてある書店のことは知りません。西暦2000年前後当時のことが書いてあります。自分は仕事に没頭していたころなので縁がなかったのでしょう。TUTAYAに関連する屋号のようです。 佐藤さんは、大学を中退して、帰郷後、家を出て修行をして、岡山のご実家の本屋(佐藤商店。新聞販売店も兼任)を継がれるのですがうまくいきません。時代の変化が主な要因です。 インターネットによる書籍購入可能な時代が始まったからです。『情報』も本ではなく、インターネットで詳しくわかるようになってしまいました。本が売れなくなりました。出版不況です。 32ページに書いてある書店の店員としてのお客さんを見る観察眼に感心しました。そうか、よく見ておられます。(つづく) 本屋運営の悲惨な状態の体験記です。 ウィー東城店(とうじょうてん。広島県庄原市内。佐藤さんが、ご実家佐藤商店を継いだあとのお店) 地方書店では、いまも昔も、毎週、毎月刊行される雑誌とコミックが生命線だそうです。 『たらいの水』:たらいの中の水を自分のもとにかき集めようとしても、水は集まらない。逆に水は逃げていく。けれど、水を自分の反対方向に押し出すと、水は自分のもとに戻ってくる。二宮尊徳が伝えた話だそうです。まず、相手に差し出す。(サービスする)。すると、幸せが自分に戻ってくる。(なるほど) 文章では、せつないほどの努力話が続きます。 本の販売以外の仕事もやります。写真の現像や焼き増しの窓口。 お客さんとの『信頼』が大事。 いなかの店は、基本的に、『万屋(よろずや)』だそうです。コンビニに似ています。 すごいなーー 壊れたラジオの修理まで受けています。お年寄りの代わりに、コールセンターに電話をして相談します。 お客さんから、年賀状のあて名書きを受ける。自前で印刷機を購入する。 いなかだからできる商売ともいえます。 本屋の中で、エステを始める。(妹さんが担当) 本屋には、あらゆるジャンルの本が並んでいるから、いろんな店部分が本屋の中にあっても違和感はない。文具、CD、化粧品、食べ物、洋服、絵、宝石、不動産、やろうと思えばなにをやってもいい。 美容室を始める。(美容師の奥さんが担当) たいしたものです。『2章』 本屋でこども相手に手品をする。手品でこどもをひきつけて、親にゆっくり本をながめて選んでもらう。 『複合化の時代』を本屋の中に構築する。 書店経営者が読むのに適した本です。 2章を読み終えて、今年読んで良かった一冊になりました。『発見』があります。 人口7000人ぐらいの町の本屋さんががんばります。人の育成です。ひきこもり、登校拒否のこどもたちをアルバイトや店員で採用して、そのうちのひとりは店長になれるまで能力を伸ばします。 町の本屋をしながら、雑貨や化粧品も販売し、英語を母国語とする人たち向けの日本語の教科書を外国人向けにネット販売もし(自分たちで教科書をつくる)、エステや美容院、洗濯のコインランドリーも設置して経営します。たいしたものです。 人を育てる。秘訣として、相手を変えようと思わない。『自分という存在のままでいいんだよ』『(そのままで働ける)そういう場所が社会にはちゃんとあるんだよ』ということを教える。 自分たちのペースで積極的に仕事をしてもらう。 読んでいて、どちらかといえば、自分は、書いてあることの反対のルートで人生を送ってきた人間です。 学校を卒業して、就職して、結婚して、子育てをして、自分の家を手に入れて、子を自立させて、孫ができて、定年を迎えて、老いて、静かに暮らして、死んでいく。 『標準』という枠の中から出ないようにしてきました。努力と忍耐、根性の昭和時代型人生です。疑問の余地もありませんでした。 こちらの本では、『標準』という枠(わく)がしんどいと感じるこどもたちを雇用して一人前にしていく経過が書いてあります。不登校だったこどもたちです。 高校に入学した高校一年生の女の子が学校に行けなくなってしまった。その女の子の姉の発案で母親から雇用を頼まれて受けた。『いらっしゃいませ』と言うところから始まっています。道は遠い。でも、少しずつ慣れてきます。 女の子が、登校拒否だったので、修学旅行に行っていないと聞き、店員6人で東京ディズニーランドに行ったそうです。楽しかったそうです。 さらに、小学校5年生から小学校も中学校も行けなくなった高校2年生(通信制)の男の子を雇用します。 場数(ばかず)を踏ませる。分厚い経験を積ませる。根気よく、長い目で育てる。慣れさせるために、金と時間を使う。先日読んだ本を思い出しました。『とんこつQ&A 今村夏子 講談社』 主人公の女性である今川さんは最初接客ができなかった。『いらっしゃいませ』が言えなかった。メモ用紙に書いた『いらっしゃいませ』を読むことで言えるようになった。克服した。同様に、いろいろな言葉をメモして読むことで接客接遇ができるようになった。 妹尾:読みは、「せのお」。みょうじです。不登校のひきこもりだった。午前4時まで部屋でゲームをやっていた。本屋で働くようになって、午前9時から働けるようになった。(その後、午前7時から働いています)。立派です。 もうひとり、中学三年生のときに学校に行けなくなった男の子を雇用した。 まるで、本屋が、社会福祉・教育現場です。 再生とか、再起があります。 ふつう、だれしも、『標準』の枠の中にいようと努力します。 枠から出ることに、勇気がいります。集団からはずれるという勇気があるということは、すごいことだと評価するのです。 枠をはずれる事例として、『離婚』が例示されます。結婚しない『未婚』も出てきます。さらに、こどもがいるのがあたりまえという考えも例示されます。こどもは学校に通うのがあたりまえと続きます。『基準(標準ともいえる)』からはずれるのには、強い決断がいります。 会社は、利益の追求だけではやっていけない。 会社で働く人間にとって、よりよい組織にならなければ、会社の寿命が縮んでしまう。(ちぢんでしまう) 『本屋はなにかに困ったり、悩んだりしている人が集まる場所でもある。』 訪日観光客への販売を目的として、フランスの博覧会に参加して、自分たちでつくった日本語の教科書をPRする。 パン屋まで始まりました。 いなかで、広い敷地があるからできる事業の拡大です。 先祖代々引き継いできた財産があります。 こまねずみ:小型で真っ白なねずみ。輪を描いて走り回る。 週休二日制への転換のことが書いてあります。自分にも覚えがありますが、自分が働き始めたころは週休二日制ではありませんでした。週休二日制になったら楽になるかと思ったらそうでもありませんでした。土曜日の分の労働時間が平日に上乗せされて、平日はとても窮屈な労働になってしまいました。土日の休みは疲れて家で寝ていることが多かった。『3章』 こちらの章では、本屋で働く社員さんたちのコメントが続きます。もとは、登校拒否とかひきこもりだった人たちもいます。本音が書いてあります。 最初の女性は、2005年から2010年、15歳、16歳あたりの話です。 いったん離職されたあと、結婚、出産を経て帰郷されて、本屋の敷地でパン屋を開いておられます。ご本人が中学生のときに、その本屋で買ったパンづくりの本がパン職人になるきっかけになっています。 全校生徒が12人しかいない小さな学校が廃校になって、転校した学校で学校に行けなくなった男の子が出てきます。『きみは仲間じゃないだろう』という扱いを受けて、いやになって保健室登校をしていたそうです。小学校は保健室通いで、中学校は1回も行けなかったそうです。通信制の高校に入って、母親の努力で、高校二年生のころから、こちらの本屋でアルバイトを始めたそうです。彼はだんだん自信がついて、みんなとフランスにいって、博覧会で、外国人向けの日本語教科書販売の宣伝活動をして、『なんとかなる』と思えるようになります。 もうひとり中学校で保健室登校だった男子が出てきます。愛媛県から岡山県に転校してきて、新しい中学校になじめずつまずいています。 なんとか高校へ行き、高校のメンバーに中学時代の人間がいなかったことから落ち着き、広島の大学へ進学されています。なにせ、人間関係がうまくやれない人です。ご自身で、『ぼく、メンタルは豆腐なんだな』とつぶやかれています。 本屋だけがアルバイトが続いた。もともと、こちらの本屋を利用していた。 自分は、正社員としての就労は無理だし、結婚もあきらめていた。(その後、彼は正社員の「店長」になり、結婚もされています) 『自分の役割はみんなを幸せにすることなんだ』 迷ったときは、あの先輩だったら、どうするかと考える。(わたしにも同じ体験があります。ちゃんと答えは出ます。間違いは起きません) (いらぬことかもしれませんが、ちょっと自分の考えをここに書いてみます。メンタルの病気かなと思っても、安易(あんい。簡単)に精神科クリニックを受診するのは思いとどまったほうがいいです。受診すると薬漬けにされて病気が完成してしまうような恐怖があります。通院が永遠に続くような恐ろしさがあります。まずはいろいろ工夫して、薬を飲まなくても克服できないか葛藤したほうがいい。(かっとう:気持ちのぶつかりあい)。もし、通院し始めても、なるべく早く切り上げたほうがいい。以前、精神障害者手帳を申請して取得しましょうみたいなことが書いてある本を読んだことがありますが、病名をもらったり、精神障害者手帳をもらったりすることがまるで、幸せなことのように感じられる文脈でした。病名や手帳をもらうことで、自分がもつ未来へのああなりたい、こうなりたいという夢とか、ああしたい、こうしたいという希望が遠ざかっていきます。病気が完成していない人にとって良くない取引です。本当の「親切」なのか疑問でした。病名とか手帳という働けないことを保証してくれる証拠が欲しいのでしょうが、自分が望むものではなく、周囲が困り果てて段取りするのが一般的です) 192ページに、佐藤友則さんのあとがきがあります。 ずーっと読んできて不思議だったことに、本の表紙カバーにある島田潤一郎さんの名前が出てこないのです。(この本を出版した出版社の経営者です) この本は、佐藤友則さんや従業員さんの語りを島田さんが聞き取りをして、島田さんが、文章化してある本であるということが最後のほうでわかりました。 魂(たましい)がこもった文章だと思いながら読みました。 大事なことは、『待つこと』と結んであります。 静かに待つことは案外むずかしい。 人の話をゆっくり聴く。 待てない人は、相手の想いを聴けていない。 いつも静かに黙っている人は、深い想いをかかえている。 広島県福山市新市町大字戸手:佐藤さんの曽祖父が、明治22年に戸手(とで)から油木町(ゆきちょう)に来て商売を始めた。お店の呼び名として、『とでや』。 油木町(ゆきちょう):現在の広島県神石郡(じんせきぐん)神石高原町(じんせきこうげんちょう)。「佐藤商店」本店所在地。 東城町(とうじょうちょう):広島県庄原市(しょうばらし)東城町(とうじょうちょう)支店「ウィー東城店」の所在地 三次市(みよしし):広島県みよしし 津山市:岡山県津山市
本屋で待つ 佐藤友則 島田潤一郎 夏葉社
1章から3章まであります。
『1章』
八戸ノ里(やえのさと):大阪の鶴橋駅から近鉄奈良線で5駅だそうです。わたしは知らない場所です。グーグルマップを見ました。近鉄奈良線を利用して、大阪堺市に行ったことがあるので、近くを通ったかもしれません。
この部分は、佐藤友則さんという方が語るようです。1976年広島生まれとあります。本の発行は2022年です。
パチンコ、マージャン、もともと行きたくなかったその駅の近くにあった大阪商業大学は中退されたそうです。
読み始めて、元気が出るような内容ではありません。書きにくいけれど、だらしがない人です。
広島のいいとこの坊ちゃんで、「いい子」を演じていた。実家を離れて、パチンコ、タバコ、アルコール漬けです。よくある転落パターンです。
大学で、単位の選択をよく知らなくて、ほかの学部の授業に出ていて、必須の単位を取得できず留年したという話にはびっくりしました。
大学では友だちもおらず、パチンコを朝から晩までしておられたようです。ご両親は、『しょうがない』と中退を認められています。
21歳の著者は、あたりまえのことがやれない人でした。ご自身で、『半端者』と自分を表現されています。親というものは、こどもに関しては、あきらめることが仕事のときがあります。よき選択です。
途中、名古屋市北区黒川駅あたりの書店の話が出てきます。自分もそのあたりの土地勘があるのですが、本に書いてある書店のことは知りません。西暦2000年前後当時のことが書いてあります。自分は仕事に没頭していたころなので縁がなかったのでしょう。TUTAYAに関連する屋号のようです。
佐藤さんは、大学を中退して、帰郷後、家を出て修行をして、岡山のご実家の本屋(佐藤商店。新聞販売店も兼任)を継がれるのですがうまくいきません。時代の変化が主な要因です。
インターネットによる書籍購入可能な時代が始まったからです。『情報』も本ではなく、インターネットで詳しくわかるようになってしまいました。本が売れなくなりました。出版不況です。
32ページに書いてある書店の店員としてのお客さんを見る観察眼に感心しました。そうか、よく見ておられます。
(つづく)
本屋運営の悲惨な状態の体験記です。
ウィー東城店(とうじょうてん。広島県庄原市内。佐藤さんが、ご実家佐藤商店を継いだあとのお店)
地方書店では、いまも昔も、毎週、毎月刊行される雑誌とコミックが生命線だそうです。
『たらいの水』:たらいの中の水を自分のもとにかき集めようとしても、水は集まらない。逆に水は逃げていく。けれど、水を自分の反対方向に押し出すと、水は自分のもとに戻ってくる。二宮尊徳が伝えた話だそうです。まず、相手に差し出す。(サービスする)。すると、幸せが自分に戻ってくる。(なるほど)
文章では、せつないほどの努力話が続きます。
本の販売以外の仕事もやります。写真の現像や焼き増しの窓口。
お客さんとの『信頼』が大事。
いなかの店は、基本的に、『万屋(よろずや)』だそうです。コンビニに似ています。
すごいなーー 壊れたラジオの修理まで受けています。お年寄りの代わりに、コールセンターに電話をして相談します。
お客さんから、年賀状のあて名書きを受ける。自前で印刷機を購入する。
いなかだからできる商売ともいえます。
本屋の中で、エステを始める。(妹さんが担当)
本屋には、あらゆるジャンルの本が並んでいるから、いろんな店部分が本屋の中にあっても違和感はない。文具、CD、化粧品、食べ物、洋服、絵、宝石、不動産、やろうと思えばなにをやってもいい。
美容室を始める。(美容師の奥さんが担当)
たいしたものです。
『2章』
本屋でこども相手に手品をする。手品でこどもをひきつけて、親にゆっくり本をながめて選んでもらう。
『複合化の時代』を本屋の中に構築する。
書店経営者が読むのに適した本です。
2章を読み終えて、今年読んで良かった一冊になりました。『発見』があります。
人口7000人ぐらいの町の本屋さんががんばります。人の育成です。ひきこもり、登校拒否のこどもたちをアルバイトや店員で採用して、そのうちのひとりは店長になれるまで能力を伸ばします。
町の本屋をしながら、雑貨や化粧品も販売し、英語を母国語とする人たち向けの日本語の教科書を外国人向けにネット販売もし(自分たちで教科書をつくる)、エステや美容院、洗濯のコインランドリーも設置して経営します。たいしたものです。
人を育てる。秘訣として、相手を変えようと思わない。『自分という存在のままでいいんだよ』『(そのままで働ける)そういう場所が社会にはちゃんとあるんだよ』ということを教える。
自分たちのペースで積極的に仕事をしてもらう。
読んでいて、どちらかといえば、自分は、書いてあることの反対のルートで人生を送ってきた人間です。
学校を卒業して、就職して、結婚して、子育てをして、自分の家を手に入れて、子を自立させて、孫ができて、定年を迎えて、老いて、静かに暮らして、死んでいく。
『標準』という枠の中から出ないようにしてきました。努力と忍耐、根性の昭和時代型人生です。疑問の余地もありませんでした。
こちらの本では、『標準』という枠(わく)がしんどいと感じるこどもたちを雇用して一人前にしていく経過が書いてあります。不登校だったこどもたちです。
高校に入学した高校一年生の女の子が学校に行けなくなってしまった。その女の子の姉の発案で母親から雇用を頼まれて受けた。『いらっしゃいませ』と言うところから始まっています。道は遠い。でも、少しずつ慣れてきます。
女の子が、登校拒否だったので、修学旅行に行っていないと聞き、店員6人で東京ディズニーランドに行ったそうです。楽しかったそうです。
さらに、小学校5年生から小学校も中学校も行けなくなった高校2年生(通信制)の男の子を雇用します。
場数(ばかず)を踏ませる。分厚い経験を積ませる。根気よく、長い目で育てる。慣れさせるために、金と時間を使う。先日読んだ本を思い出しました。『とんこつQ&A 今村夏子 講談社』 主人公の女性である今川さんは最初接客ができなかった。『いらっしゃいませ』が言えなかった。メモ用紙に書いた『いらっしゃいませ』を読むことで言えるようになった。克服した。同様に、いろいろな言葉をメモして読むことで接客接遇ができるようになった。
妹尾:読みは、「せのお」。みょうじです。不登校のひきこもりだった。午前4時まで部屋でゲームをやっていた。本屋で働くようになって、午前9時から働けるようになった。(その後、午前7時から働いています)。立派です。
もうひとり、中学三年生のときに学校に行けなくなった男の子を雇用した。
まるで、本屋が、社会福祉・教育現場です。
再生とか、再起があります。
ふつう、だれしも、『標準』の枠の中にいようと努力します。
枠から出ることに、勇気がいります。集団からはずれるという勇気があるということは、すごいことだと評価するのです。
枠をはずれる事例として、『離婚』が例示されます。結婚しない『未婚』も出てきます。さらに、こどもがいるのがあたりまえという考えも例示されます。こどもは学校に通うのがあたりまえと続きます。『基準(標準ともいえる)』からはずれるのには、強い決断がいります。
会社は、利益の追求だけではやっていけない。
会社で働く人間にとって、よりよい組織にならなければ、会社の寿命が縮んでしまう。(ちぢんでしまう)
『本屋はなにかに困ったり、悩んだりしている人が集まる場所でもある。』
訪日観光客への販売を目的として、フランスの博覧会に参加して、自分たちでつくった日本語の教科書をPRする。
パン屋まで始まりました。
いなかで、広い敷地があるからできる事業の拡大です。
先祖代々引き継いできた財産があります。
こまねずみ:小型で真っ白なねずみ。輪を描いて走り回る。
週休二日制への転換のことが書いてあります。自分にも覚えがありますが、自分が働き始めたころは週休二日制ではありませんでした。週休二日制になったら楽になるかと思ったらそうでもありませんでした。土曜日の分の労働時間が平日に上乗せされて、平日はとても窮屈な労働になってしまいました。土日の休みは疲れて家で寝ていることが多かった。
『3章』
こちらの章では、本屋で働く社員さんたちのコメントが続きます。もとは、登校拒否とかひきこもりだった人たちもいます。本音が書いてあります。
最初の女性は、2005年から2010年、15歳、16歳あたりの話です。
いったん離職されたあと、結婚、出産を経て帰郷されて、本屋の敷地でパン屋を開いておられます。ご本人が中学生のときに、その本屋で買ったパンづくりの本がパン職人になるきっかけになっています。
全校生徒が12人しかいない小さな学校が廃校になって、転校した学校で学校に行けなくなった男の子が出てきます。『きみは仲間じゃないだろう』という扱いを受けて、いやになって保健室登校をしていたそうです。小学校は保健室通いで、中学校は1回も行けなかったそうです。通信制の高校に入って、母親の努力で、高校二年生のころから、こちらの本屋でアルバイトを始めたそうです。彼はだんだん自信がついて、みんなとフランスにいって、博覧会で、外国人向けの日本語教科書販売の宣伝活動をして、『なんとかなる』と思えるようになります。
もうひとり中学校で保健室登校だった男子が出てきます。愛媛県から岡山県に転校してきて、新しい中学校になじめずつまずいています。
なんとか高校へ行き、高校のメンバーに中学時代の人間がいなかったことから落ち着き、広島の大学へ進学されています。なにせ、人間関係がうまくやれない人です。ご自身で、『ぼく、メンタルは豆腐なんだな』とつぶやかれています。
本屋だけがアルバイトが続いた。もともと、こちらの本屋を利用していた。
自分は、正社員としての就労は無理だし、結婚もあきらめていた。(その後、彼は正社員の「店長」になり、結婚もされています)
『自分の役割はみんなを幸せにすることなんだ』
迷ったときは、あの先輩だったら、どうするかと考える。(わたしにも同じ体験があります。ちゃんと答えは出ます。間違いは起きません)
(いらぬことかもしれませんが、ちょっと自分の考えをここに書いてみます。メンタルの病気かなと思っても、安易(あんい。簡単)に精神科クリニックを受診するのは思いとどまったほうがいいです。受診すると薬漬けにされて病気が完成してしまうような恐怖があります。通院が永遠に続くような恐ろしさがあります。まずはいろいろ工夫して、薬を飲まなくても克服できないか葛藤したほうがいい。(かっとう:気持ちのぶつかりあい)。もし、通院し始めても、なるべく早く切り上げたほうがいい。以前、精神障害者手帳を申請して取得しましょうみたいなことが書いてある本を読んだことがありますが、病名をもらったり、精神障害者手帳をもらったりすることがまるで、幸せなことのように感じられる文脈でした。病名や手帳をもらうことで、自分がもつ未来へのああなりたい、こうなりたいという夢とか、ああしたい、こうしたいという希望が遠ざかっていきます。病気が完成していない人にとって良くない取引です。本当の「親切」なのか疑問でした。病名とか手帳という働けないことを保証してくれる証拠が欲しいのでしょうが、自分が望むものではなく、周囲が困り果てて段取りするのが一般的です)
192ページに、佐藤友則さんのあとがきがあります。
ずーっと読んできて不思議だったことに、本の表紙カバーにある島田潤一郎さんの名前が出てこないのです。(この本を出版した出版社の経営者です)
この本は、佐藤友則さんや従業員さんの語りを島田さんが聞き取りをして、島田さんが、文章化してある本であるということが最後のほうでわかりました。
魂(たましい)がこもった文章だと思いながら読みました。
大事なことは、『待つこと』と結んであります。
静かに待つことは案外むずかしい。
人の話をゆっくり聴く。
待てない人は、相手の想いを聴けていない。
いつも静かに黙っている人は、深い想いをかかえている。
広島県福山市新市町大字戸手:佐藤さんの曽祖父が、明治22年に戸手(とで)から油木町(ゆきちょう)に来て商売を始めた。お店の呼び名として、『とでや』。
油木町(ゆきちょう):現在の広島県神石郡(じんせきぐん)神石高原町(じんせきこうげんちょう)。「佐藤商店」本店所在地。
東城町(とうじょうちょう):広島県庄原市(しょうばらし)東城町(とうじょうちょう)支店「ウィー東城店」の所在地
三次市(みよしし):広島県みよしし
津山市:岡山県津山市]]>
読書感想文
熊太郎
2024-02-07T07:41:41+09:00
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電車の中で本を読む 島田潤一郎
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e153705.html
電車の中で本を読む 島田潤一郎 青春出版社 誠実で良心的な本です。書いた人の人柄が伝わってきます。 まだ、第一章の終わり54ページまで読んだところですが感想を書き始めます。 苦しい人生を、本に救われるということはあります。 『第一章 高知から本を思う』 四国高知での出来事が書いてあります。熊太郎じいさんは、19歳の時に高知市内へ行ったことがあります。友だち5人、車2台テント持参で、野宿をしながら四国を半周しました。そのときのことを思い出しながら読みました。 内容は高知新聞社が発行する『K+』という冊子に掲載されてきた内容を一冊の本にしてあるようです。 石井桃子:児童文学者。2008年(平成20年)101歳没 文学とは、『新しいことを書こうとする、その姿勢こそ……』(そうか、それまでにない文体とか内容を新たに創造する。開拓するということか) 高知県室戸にいると、スマホを見ない。生活するのにスマホはいらない。東京のように情報に追いかけられることがない。(ほんの十数年前、日本人の日常生活にスマートフォンはなかった) 本は、人や家族などの時間を表現し、それを本の中に閉じ込めるとあります。(なるほど。同感です) 血縁関係が豊かな著者です。祖父母、叔父叔母、いとこ、そして、両親。 親戚づきあいは大事です。助け合いの基本組織です。家族は小さな社会でもあります。『第二章 本との出会い』 著者は古い物が好きです。古本、中古レコード、名画座、骨董屋さんなど。 寺田寅彦(てらだ・とらひこ):物理学者、随筆家、俳人。1935年(昭和33年)57歳没 衒学的(げんがくてき):知識があることを必要以上に見せびらかす。教養をひけらかす。 穂村弘(ほむら・ひろし):歌人。61歳 橙書店(だいだいしょてん):熊本市内にある書店 睪意(ひっきょう):結論としては。『第三章 子どもと本』 ちいさなお子さんがおふたりおられるそうです。 長男と長女さんです。2017年4月の時点で、ご長男が2歳、ご長女が生誕後半年ぐらいです。うちの孫ぐらいの誕生年です。今は、小学校低学年です。先日耳元で小さな声で、『(お年玉を)いちおくえんちょうだ~い』とささやかれました。紙に、『いちおくえん』と書いて渡すわと言い返したら、『にせさつは、いらーーん』とおこられました。 子育ての苦労が書いてあります。子育てと高齢者介護の苦労は、体験してみないとわかりません。 子育ては、ぜんぜん思いどおりにならないことばかりです。まずは、とにかく、生きていればいい。病気やケガの予防に気をつけていても一瞬でケガをしたり火傷(やけど)をしたりします。『子育ては、気が遠くなるほどの忍耐の積み重ね』です。ただ、それも10年間ぐらいで楽になります。こどもはいつまでもこどもではいられないのです。 結婚生活、子育てに向かない人はいます。こどもを育てていくうえで、親戚づきあいや近所づきあいは必要です。冠婚葬祭も地域活動も学校活動にも顔を出します。親は集団の中で最低限の役割分担はこなします。イヤでもやれば、知り合いができて、いいこともあります。 こちらの本では、『(子育てに向かない人は)それはたとえば、友人たちを「敵か、味方か」に二種類でしか見られないような人間です』とあります。商売敵(しょうばいがたき)というライバルがいる『仕事』ではそうであっても、私生活ではそう思考しないほうがいい。(敵か味方か)。まずは、『譲る(ゆずる)』気持ちが大切です。相手にしてあげた『親切』は自分に返ってきます。情けは人のためならず。(自分のためなのです) 『ことばのしっぽ 「こどもの詩」50周年精選集 読売新聞生活部監修 中央公論新社』の部分を読んでいて、洋画を一本思い出しました。以下、感想メモの一部です。 『ちいさな哲学者たち フランス映画 2010年公開』 4歳児から5歳児の幼稚園のこどもたちに先生が哲学の授業をします。けっこう、探求心が深い。 テロのニュース、青少年がネット漬けになっているニュースから始まります。 映画を観ている人へのアナウンスとして、わたしたちは哲学をします。幼稚園に哲学の時間帯があります。こどもは熟考します。こどもたちの多民族に驚かされます。肌の色はさまざま、国籍もいろいろ、アジア、アフリカ、ヨーロッパなど。 テーマは、「愛情(の種類、ありよう)」「死とは」「友情」「結婚」「性」など、心の根っこに関することです。 『哲学とは?』と問われた幼児が「自分に質問すること」と答えます。正解はあってないようなものですが、大事なことは「考えること」です。 同性愛は可能か、同性は結婚できないか『結婚の法則とはなにか』にまで話が届きます。園児は答えます。同性でも好きだけど恋じゃないという答えが女児から返ってきました。そして、あやまらないと(謝罪)恋は続かないということをこどもが導き出します。 死ぬということはどういうことなのか。自殺はいけないという意見も出ます。 お祈りとは、神さまと話すことだそうです。 物の定義、人間と動物の違い。男と女の違い。肌の色の違い。 混血とはどういうことという質問にこどもさんが、白と黒が混じって、コーヒー色になることと答えます。ぼくは白人になりたいという声も出ます。体が小さいのは病気という考えに対して、パパには障害があるという声が出ます。パパは足を動かせないけれど本は読める。わたしはパパを愛していると言葉があります。 さて、こちらの本では、小学校6年生の男の子が、ゲームを買いたいと言っていたのが、ニワトリが欲しいと言い出して、ニワトリを買って、育てて、卵を産ませて、近所の人に卵を販売して、最後は、ニワトリを自分でさばいて、肉として食べたという本、『ニワトリと卵と、息子の思春期 繁延あづさ(しげのぶあづさ)・著 婦人之友社』という本の紹介文が良かった。 昔読んだ、『食堂かたつむり 小川糸 ポプラ社』を思い出します。主人公は、倫子さん25歳、不倫で生まれたこどもだから倫子、りんこ、そして愛称はりんごちゃんで始まります。 彼女は言葉を発することができない。『食堂かたつむり』というのは、りんごちゃんがひとりで営業する食堂の名称をいいます。そして、お客さまは、1日にひと組限定となっています。 りんごちゃんの妹分がエルメスさんで、彼女は豚さんです。最終的に、倫子さんは、エルメスをさばいて料理して食べます。倫子さんの行為には、食べられる生き物への『感謝』があります。 そういえば、自分自身も中学生のときに小鳥のジュウシマツをたくさん繁殖させて、デパートや個人のペットショップにジュウシマツを売りに行っていました。一羽120円から140円ぐらいで引き取ってもらえました。お店で販売するときは、一羽780円ぐらいだった記憶です。うちは貧乏な母子家庭だったので、お金が欲しかったことを思い出しました。『第四章 本から得られること』 スマートフォンをやめる。ガラ携に戻したそうです。スマホに時間を奪われる。スマホが子育ての弊害になることが理由です。ごもっともです。スマホが登場したのは、2000年代始めのころでした。スマホがなくても人は生きていました。 煩悩(ぼんのう):心をむだにかき乱すもの。 微に入り細を穿つ(びにいりさいをうがつ):きわめて細かな点まで気を配る。 確かに、マンガには力があります。 くじけそうな若い人の心を支えてくれます。 ポピュリズム:政治変革を目指して、既存の権力層を批判する。156ページに書いてある、『ウヨウ』は、『ウヨク』のことだろうと思いました。 オルタナティブな社会:従来とは異なる社会 煩いごと:わずらいごと。うるさいこととも読む。この本では、「わずらいごと」思い悩む。心配事。 良かった文節として、『…… 本も音楽も映画もない人生なんて、味気ないものに違いありません。』 191ページに群馬県の桐生(きりゅう)が出てきます。先日観た番組、『出川哲朗の充電させてもらえませんか?』でテレビ放映されていたルート上にあります。本のページにある桐生駅は熊太郎も鉄道の乗り換えで利用したことがあります。 読み終えました。 以下は、この本に掲載されていた書籍で、熊太郎が読んだことがある本です。・さよならのあとで ヘンリー・スコット・ホランド・著 高橋和枝・絵 夏葉社・バベル九朔(バベルきゅうさく) 万城目学(まきめ・まなぶ) 角川文庫 ほか、万城目学作品を数冊読みました。先日直木賞を受賞されました。おめでとうございます。・キャプテン ちばあきお 集英社 もうひとつ『プレイボール』二十代はじめのころは漫画をよく読みました。結婚してこどもができてからは忙しくて読まなくなりました。
電車の中で本を読む 島田潤一郎 青春出版社
誠実で良心的な本です。書いた人の人柄が伝わってきます。
まだ、第一章の終わり54ページまで読んだところですが感想を書き始めます。
苦しい人生を、本に救われるということはあります。
『第一章 高知から本を思う』
四国高知での出来事が書いてあります。熊太郎じいさんは、19歳の時に高知市内へ行ったことがあります。友だち5人、車2台テント持参で、野宿をしながら四国を半周しました。そのときのことを思い出しながら読みました。
内容は高知新聞社が発行する『K+』という冊子に掲載されてきた内容を一冊の本にしてあるようです。
石井桃子:児童文学者。2008年(平成20年)101歳没
文学とは、『新しいことを書こうとする、その姿勢こそ……』(そうか、それまでにない文体とか内容を新たに創造する。開拓するということか)
高知県室戸にいると、スマホを見ない。生活するのにスマホはいらない。東京のように情報に追いかけられることがない。(ほんの十数年前、日本人の日常生活にスマートフォンはなかった)
本は、人や家族などの時間を表現し、それを本の中に閉じ込めるとあります。(なるほど。同感です)
血縁関係が豊かな著者です。祖父母、叔父叔母、いとこ、そして、両親。
親戚づきあいは大事です。助け合いの基本組織です。家族は小さな社会でもあります。
『第二章 本との出会い』
著者は古い物が好きです。古本、中古レコード、名画座、骨董屋さんなど。
寺田寅彦(てらだ・とらひこ):物理学者、随筆家、俳人。1935年(昭和33年)57歳没
衒学的(げんがくてき):知識があることを必要以上に見せびらかす。教養をひけらかす。
穂村弘(ほむら・ひろし):歌人。61歳
橙書店(だいだいしょてん):熊本市内にある書店
睪意(ひっきょう):結論としては。
『第三章 子どもと本』
ちいさなお子さんがおふたりおられるそうです。
長男と長女さんです。2017年4月の時点で、ご長男が2歳、ご長女が生誕後半年ぐらいです。うちの孫ぐらいの誕生年です。今は、小学校低学年です。先日耳元で小さな声で、『(お年玉を)いちおくえんちょうだ~い』とささやかれました。紙に、『いちおくえん』と書いて渡すわと言い返したら、『にせさつは、いらーーん』とおこられました。
子育ての苦労が書いてあります。子育てと高齢者介護の苦労は、体験してみないとわかりません。
子育ては、ぜんぜん思いどおりにならないことばかりです。まずは、とにかく、生きていればいい。病気やケガの予防に気をつけていても一瞬でケガをしたり火傷(やけど)をしたりします。『子育ては、気が遠くなるほどの忍耐の積み重ね』です。ただ、それも10年間ぐらいで楽になります。こどもはいつまでもこどもではいられないのです。
結婚生活、子育てに向かない人はいます。こどもを育てていくうえで、親戚づきあいや近所づきあいは必要です。冠婚葬祭も地域活動も学校活動にも顔を出します。親は集団の中で最低限の役割分担はこなします。イヤでもやれば、知り合いができて、いいこともあります。
こちらの本では、『(子育てに向かない人は)それはたとえば、友人たちを「敵か、味方か」に二種類でしか見られないような人間です』とあります。商売敵(しょうばいがたき)というライバルがいる『仕事』ではそうであっても、私生活ではそう思考しないほうがいい。(敵か味方か)。まずは、『譲る(ゆずる)』気持ちが大切です。相手にしてあげた『親切』は自分に返ってきます。情けは人のためならず。(自分のためなのです)
『ことばのしっぽ 「こどもの詩」50周年精選集 読売新聞生活部監修 中央公論新社』の部分を読んでいて、洋画を一本思い出しました。以下、感想メモの一部です。
『ちいさな哲学者たち フランス映画 2010年公開』
4歳児から5歳児の幼稚園のこどもたちに先生が哲学の授業をします。けっこう、探求心が深い。 テロのニュース、青少年がネット漬けになっているニュースから始まります。
映画を観ている人へのアナウンスとして、わたしたちは哲学をします。幼稚園に哲学の時間帯があります。こどもは熟考します。こどもたちの多民族に驚かされます。肌の色はさまざま、国籍もいろいろ、アジア、アフリカ、ヨーロッパなど。
テーマは、「愛情(の種類、ありよう)」「死とは」「友情」「結婚」「性」など、心の根っこに関することです。
『哲学とは?』と問われた幼児が「自分に質問すること」と答えます。正解はあってないようなものですが、大事なことは「考えること」です。
同性愛は可能か、同性は結婚できないか『結婚の法則とはなにか』にまで話が届きます。園児は答えます。同性でも好きだけど恋じゃないという答えが女児から返ってきました。そして、あやまらないと(謝罪)恋は続かないということをこどもが導き出します。
死ぬということはどういうことなのか。自殺はいけないという意見も出ます。
お祈りとは、神さまと話すことだそうです。
物の定義、人間と動物の違い。男と女の違い。肌の色の違い。
混血とはどういうことという質問にこどもさんが、白と黒が混じって、コーヒー色になることと答えます。ぼくは白人になりたいという声も出ます。体が小さいのは病気という考えに対して、パパには障害があるという声が出ます。パパは足を動かせないけれど本は読める。わたしはパパを愛していると言葉があります。
さて、こちらの本では、小学校6年生の男の子が、ゲームを買いたいと言っていたのが、ニワトリが欲しいと言い出して、ニワトリを買って、育てて、卵を産ませて、近所の人に卵を販売して、最後は、ニワトリを自分でさばいて、肉として食べたという本、『ニワトリと卵と、息子の思春期 繁延あづさ(しげのぶあづさ)・著 婦人之友社』という本の紹介文が良かった。
昔読んだ、『食堂かたつむり 小川糸 ポプラ社』を思い出します。主人公は、倫子さん25歳、不倫で生まれたこどもだから倫子、りんこ、そして愛称はりんごちゃんで始まります。
彼女は言葉を発することができない。『食堂かたつむり』というのは、りんごちゃんがひとりで営業する食堂の名称をいいます。そして、お客さまは、1日にひと組限定となっています。
りんごちゃんの妹分がエルメスさんで、彼女は豚さんです。最終的に、倫子さんは、エルメスをさばいて料理して食べます。倫子さんの行為には、食べられる生き物への『感謝』があります。
そういえば、自分自身も中学生のときに小鳥のジュウシマツをたくさん繁殖させて、デパートや個人のペットショップにジュウシマツを売りに行っていました。一羽120円から140円ぐらいで引き取ってもらえました。お店で販売するときは、一羽780円ぐらいだった記憶です。うちは貧乏な母子家庭だったので、お金が欲しかったことを思い出しました。
『第四章 本から得られること』
スマートフォンをやめる。ガラ携に戻したそうです。スマホに時間を奪われる。スマホが子育ての弊害になることが理由です。ごもっともです。スマホが登場したのは、2000年代始めのころでした。スマホがなくても人は生きていました。
煩悩(ぼんのう):心をむだにかき乱すもの。
微に入り細を穿つ(びにいりさいをうがつ):きわめて細かな点まで気を配る。
確かに、マンガには力があります。
くじけそうな若い人の心を支えてくれます。
ポピュリズム:政治変革を目指して、既存の権力層を批判する。156ページに書いてある、『ウヨウ』は、『ウヨク』のことだろうと思いました。
オルタナティブな社会:従来とは異なる社会
煩いごと:わずらいごと。うるさいこととも読む。この本では、「わずらいごと」思い悩む。心配事。
良かった文節として、『…… 本も音楽も映画もない人生なんて、味気ないものに違いありません。』
191ページに群馬県の桐生(きりゅう)が出てきます。先日観た番組、『出川哲朗の充電させてもらえませんか?』でテレビ放映されていたルート上にあります。本のページにある桐生駅は熊太郎も鉄道の乗り換えで利用したことがあります。
読み終えました。
以下は、この本に掲載されていた書籍で、熊太郎が読んだことがある本です。
・さよならのあとで ヘンリー・スコット・ホランド・著 高橋和枝・絵 夏葉社
・バベル九朔(バベルきゅうさく) 万城目学(まきめ・まなぶ) 角川文庫 ほか、万城目学作品を数冊読みました。先日直木賞を受賞されました。おめでとうございます。
・キャプテン ちばあきお 集英社 もうひとつ『プレイボール』二十代はじめのころは漫画をよく読みました。結婚してこどもができてからは忙しくて読まなくなりました。]]>
読書感想文
熊太郎
2024-02-03T07:12:08+09:00
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月と散文 又吉直樹
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e153617.html
月と散文 又吉直樹 KADOKAWA エッセイ集です。どこかに掲載していた文章をまとめてあるようです。 『はじめに』に、小学生の時に書いた作文が笑われたとあります。なぜかというと、ひとつの作文の中に、『はずかしかったです。』という文節が大量に書かれていたからだそうです。なるほど。笑えます。リフレインのように(くりかえし)、『はずかしかったです。』と書かれていれば、読み手には自然と笑いが生まれてきます。 きれいな文章を書いても、きれいですねで終わるのです。きれいな文章を書ける人は、そこそこいるので目立たないのです。その人にしか書けない個性的な文章を書けるとアーチスト(創造者)になれるのです。 タイトルにある、『月』にこだわりがありそうです。文章書きでいうところの、『章』が、【満月】、そして、【二日月】となっています。タイトルの散文は、『エッセイ』です。 ふと、思い出しました。以前、『二日月』という児童文学を読んだことがあります。読書メモを探したら出てきたので、感想の一部を載せてみます。 『二日月(ふつかづき) いとうみく・作 丸山ゆき・絵 そうえん社』 障害者差別解消をめざした作品です。 主人公夏木杏(なつき・あん)小学校4年生に、障害児の妹が生まれます。両親、とくに母親が妹の芽生(めい)にかかりっきりになります。母親に相手にしてもらえなくなった杏は母親の愛情不足のストレスに陥ります。そこを、克服していかねばなりません。同級生の磯部真由が支えになってくれます。 二日月というのは、つごもり(月隠:月の光がまったく見えなくなる頃)、新月(細い月)のあとに見える月で、作中では、最初、見えなかったものが、少しずつ見えてきて満ちてくるというたとえ話になっています。『満月』 たくさんエッセイがあります。読みながら、だらだらと感想を落としてみます。 書いてあることとして、テレビを見ていて、番組の内容よりも、出ている人の姿かたちについて家族と雑談することはよくあります。エッセイでは、コメンテーターのネクタイが派手かどうかというようなやりとりがあります。 日本には、1億2300万人ぐらいの人が住んでいるわけで、すべての人が、今起こっている時事問題や事柄に対応できるわけでもありません。関係者の方々であんばいようやってくださいとなるのが世の常です。 そんなぼんやりとした日常の中で、テレビを見ていると、テレビに出ている人の肌つやとか、頭髪のこととか、洋服のセンスとか、モノの値段とか、報道やバラエティの趣旨とは離れたところで雑談になるのです。 又吉さんは、不完全な人間である自分について、この先もひとり語りを続けていきます。自分の立場は、『太陽』ではない。『月』なのですというメッセージがあるのでしょう。 大阪出身で、18歳の時に漫才師になるために東京へ進出します。 友だちの、『たっちゃん』とコンビを組んでいっしょに東京へ出ましたが、うまくいきません。解散します。 なかなかの文章です。手紙があります。31歳の又吉さんが、18歳の又吉さんにあてた手紙です。 文章は、ひとごと(他人事たにんごと)を聞いているようでもあります。 又吉直樹さんという臆病な(おくびょうな)人間の性質が、じょうずに表現されています。 人にだまされます。 だれしもそうなのでしょうが、善良な若い人は社会に出て、簡単に人にだまされます。 わたしは、学校で先生から、そんないいかげんなふうでは、社会に出たらやっていけないぞとよく指導されました。 ところが、じっさいに社会に出てみたら、いいかげんな人がたくさんいました。自分が得をするためには、人をだまして利益を得る人がいました。きれいごとだけを教えていたらこどもの心は壊れます。 本では、車の運転免許を持っていない話が出ます。 どういうわけか、運転免許証をもっていても運転はできませんという若い人が増えました。 関係先回りをするときに、会社の車を先輩や役付きが運転して、新人が同乗するという奇妙な光景が生まれました。 52ページまで読みました。 又吉直樹さんは、お笑いをやっているけれど、暗い性格の人です。明石家さんまさんとは正反対です。(つづく) 三鷹や吉祥寺の地名が出てきます。昨年2回現地を散策したので親しみを感じます。 世代が違うので感覚が異なることもあります。 又吉さんは、1989年(昭和64年・平成元年)のとき小学二年生8歳で昭和が終わっています。そのとき自分は、もうおとなでこどもをかかえて共働きの子育てで、忙しい毎日を送っていました。 読んでいるとなんだか気持ちがさみしくなってくる文章です。『太陽』ではなく、タイトルにあるとおり『月』です。 67ページあたり、高校の同級生龍三さんとの嚙み合わない会話というところがおもしろい。いい関係です。会話において、龍三さんは、けして、『否定』をしません。たいしたものです。 著者は、芥川賞を受賞した人ですが、こどものころに、家には本はなかったとあります。 小学校中学年のときに、教科書の物語を読むことが好きになった。そこから本好きが始まります。 本を読むことはかっこいいことではなかった。変人として扱われた。高校のとき、父親から本を読むのはおかしいと言われた。ケンカが強いほうが大事だという考えの父親だった。社会人になってからも、芸人のくせに本を読むのは変人だというような扱いをまわりにいた人間たちから受けた。 (この部分を読んで、自分と類似体験があるなと思い出したことがあります。小学校5年生ぐらいのとき父親に、『そろばんを習いに行きたい』と言ったら、『そろばんなんかやらんでもいい。柔道を習いに行け!』と言われて、話にならんと思いました) 古書店まわりが好きだという話が出ます。 孤独だった若い頃は、古書店と自動販売機が心のよりどころだったそうです。一日なにもやることがなかった。 小説を書き始めて失望したこととして、『芸人が小説を書いた』と反応があったこと。差別されていると感じた。『芸人』が下に見られている。『芸人のくせに』とばかにされている。 1997年(平成9年)元旦。著者は高校1年生16歳で、同級生4人で、初日の出を見に、大阪寝屋川から海遊館(かいゆうかん)がある築港(ちっこう)めざして、自転車で午前2時に出発します。なんだかんだとあって、自転車をこいで、何時間もかけて海にたどりつき、印象的な初日の出を見たあと、ケンカ別れみたいになります。(しんどくて、著者だけが電車で帰った)。そのときの友だち3人に送った著者のあいさつ、『チャオ(さよならの意味)』が、いまだにみんなとの思い出話で出るそうです。 (自分はその部分を読んで、「なぜ、みんなは、初日の出を見たいと思ったのだろう」と思いました。なぜ、自分は中高生の頃、元旦の初日の出を見たいと思わなかったのだろう。思い出してみると、中学一年のとき、オヤジが心臓の病気で急死して、うちは貧乏な母子家庭になってしまいました。中学二年生の秋から新聞朝刊の配達を始めて、高校卒業まで続けました。朝、新聞配達を終えるころ、季節の時間帯によりけりですが、日の出をよく見ていました。だから、自分には、朝日を見たいという欲求がないのだとわかりました)(つづく) ハウリン・ウルフ:アメリカ合衆国の黒人ブルース・シンガー。1976年(昭和51年)65歳没 112ページまできました。なんだろう。小学生のころの話ばかりでつまらなくなってきました。 社会に出るとふつう、学校であったことは過去のことになり、忘れてしまいます。 又吉さんの場合は、逆に、小学生時代の過去が色濃くなっています。不思議です。 そういえば、同じく関西出身の芸人チャンス大城さんの本もそうでした。『僕の心臓は右にある 大城文章(おおしろ・ふみあき) 朝日新聞出版』(かなりおもしろいです) 芸人は、過去にこだわるのだろうか。 少年時代の孤独話が続きます。 こどもの頃、大阪の狭い住宅に家族5人で暮らしていた。(父(作業員)、母(働いていた)、長姉、次姉、自分)。家では、自分が好きな、「孤独」の状態になれなかった。 又吉さんは変わった小学生だったようです。先生が苦労されています。 どうでもいいことで考え込む。(寒い時になぜ半そでを着てはいけないのか) 教室の片隅でひとりになることが好き。 ひとりで近所を歩いたり、走ったりすることが好き。 小学6年生のときの門限は夜の8時30分だった。夜の公園にひとりでいた。8時30分過ぎても家に帰らないこともあった。親が探しに来た。ときに、公園で、ひとりで不安なこともあった。 小学校では忘れ物をする。宿題を提出することを放棄する。親に通知表を見せない。先生から見て何を考えているのかわからないこどもと言われた。問題児だった。 不愛想だった。「好きなことしか出来ないこどもだった」。ノートに絵を描いていた。小学校の授業中、勝手に教室を出て行くこともあった。みんなが又吉さんを校内で探したことがあった。 学校の黄色い帽子にマジックで絵を描いてかぶる。教室にあるストーブの位置を教室のまんなかに置いたほうが平等だと提案する。黒板の横に立って授業を受けたいと申し出る。 『標準』になれないこどもだった又吉さんがいます。サラリーマンにはなれません。本人が自認するように、芸人になるしかありません。事務職や営業職、接客接遇、電話応対、どれもできそうにありません。 市役所がイヤだという話が出ます。 べつだん市役所でイヤな目にあったということではありません。むしろ職員は親切だと書いてあります。 行政書類での手続きがにがてだそうです。 読んでいると、社会人として、家庭人として、やっていけるようには思えない資質と性格、言動です。たいそうな収入はあるのでしょうが、適切に、的確に、ちゃんと生活できているのだろうかと心配になります。 健康保険とか、年金とか、福祉や介護の手続きもいります。若い時は、こどもがいれば、市役所に子育ての相談にも行かねばなりません。だれかが、又吉さんの代わりに行政事務手続きをやらないと、お金があっても苦労しそうです。歳をとってくると、困りそうです。 芸能界の人って、介護保険で軽くなる費用を実費で払う人がいるようでびっくりします。凡人なら家計が破たんします。かっこつけないほうがいい。同じ人間です。日常生活に違いはありません。たまたま仕事が芸能人なだけです。(つづく) 158ページ、うまいなあ。一行(いちぎょう)あけて、又吉さんと証明写真撮影機との会話が始まります。 宮沢和史(みやざわ・かずふみ):シンガーソングライター。元THE BOOMのボーカル 小学校時代父親のことを作文で書いて、寝屋川市の代表として大きな会場で読んだ経験があることから始まって、お父さんとお母さんとの物語が大きく流れていきます。 お父さんは沖縄県名護市出身で、大阪に渡った。(読んでいて、熊本県出身の自分の父親と重なるところが多々ありました) 父親は競輪選手になるために大阪に来たが、本気だったようすがありません。自転車は好きだった。 カチャーシー:沖縄の踊り。沖縄民謡に合わせて、頭上で手を左右に振る。 又吉さんは、こどものころ、カチャーシーを踊って笑われて、笑いをとることの喜びを知りました。 又吉さんのお父さんの行動や言葉を読むと、40歳で病気で死んだ自分の父親と似ているなあと思います。 又吉さんのお母さんは、鹿児島県奄美群島の加計呂麻村出身で(かけろまむら)、看護師になって大阪府寝屋川市内のアパートで暮らし始めて、お隣に住んでいた又吉さんの父親と故郷が近い点で話が合って結婚されたそうです。 186ページに、お父さんのご臨終(ごりんじゅう。亡くなるとき)のようすがあります。 ご両親の個性が遺伝して、又吉直樹さんができあがっているということを確認できる文章でした。リリー・フランキーさんの名作、『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』を思い出します。 霊供膳(りょうぐぜん):お供えする小型のお膳。お供えのあと遺族が食べる。 『二日月』 こちらのかたまりの部分の内容は、それほど良くありませんでした。 順に感想を記してみます。 コロナ禍の時期も関係していると思いますが、閉塞的です。(へいそくてき:閉(と)ざされている。とじこもっている) 芸人3人でのシェア(家の中の空間を分け合う)生活からひとり暮らしにした。人が集まれるようリビングには24人ぐらいが座れるようにした。でも、だれも来ない。コロナ禍が始まる前から、だれも来ない。 家にいても、話し相手がいない。(話し相手がほしいから結婚するということはあります) だからなのか、細かなことに関する考察が続きます。 (わたしは利用したことがありませんが、ウーバーイーツとか出前館とか)料理を自宅に届けてもらうサービスを多用している話が出ます。自分の世代では、相手から商品を手渡しで受け取らないことを不可解に思えるのですが、受け取るときには対面しないそうです。配達員は、ドアの前に料理を置いて、写真を撮って帰っていく。そのようすを又吉さんはドアのノゾキ穴からずーっと観察しているそうです。(配達員が来る前から来るのを待っている)いろんな動きをする配達員について書いてあります。 又吉さんは、孤独な人です。孤独がイヤなのではなく、むしろ、ひとりでいたい人です。 知らない人と会話をしない人です。知らない人と会話をしたくない人です。 会話がにがてな人です。独特です。 又吉さんは喫茶店で原稿を見たり書いたりしているようです。 帰るときに、間違えて、お店のメニューを原稿といっしょにカバンに入れてしまったそうです。それも1枚ではなく、2枚(のメニュー)をカバンに入れたそうです。お店から返してほしいと事務所を通じて連絡があります。自分が2枚メニューをもってきてしまったことに気づかず、1枚だけ返して、帰宅してから2週間後、メニューが、もう1枚カバンにあることに気づきます。相当変わっています。(そんなことがあるのか) 又吉さんは手間がかかる人です。 じっとしているようで、脳みその中は、活発に活動している人です。(なんというか、なんとか障害の気配でもあるのだろうか) ご本人の言葉です。『私は無口だが脳がしつこいほどお喋りで(おしゃべりで)、なかなか黙ってくれない……』 虫メガネの焦点を目的物にゆっくり近づけていくような文章が続きます。広がりはありません。一点に集中していきます。読んでいて、だんだん飽きてきた228ページあたりです。 文字数はとても多い。 貶す(けなす):悪口を言う。 お笑いコンビとして取材を受けているときに、インタビュアーに、『マタキチさん』と声をかけられることがよくあった。(芥川賞受賞前でしょう)『マタヨシです』と言えなかった。相方の綾部さんが訂正してくれるが、綾部さんは、又吉さんのことをふだん、『マタキチ』と呼んでいる。ややこしい。 この本の前半の、『満月』ほどの中身はないので、流し読みに入った251ページ付近です。 サルゴリラ児玉:お笑いコンビ。児玉智洋(こだま・ともひろ) 妄想が、大量の文字でつづられています。読む意欲が湧かなかったので、ゆっくりページをめくって本を閉じました。異様な面をおもちの方です。 (しばらくたってから本を再び広げて)314ページ、『散文 #64号』で、文章が落ち着きました。北九州での朗読会について書いてあります。 328ページ、『なにか言い残したことはないか?』 自分が臨終(りんじゅう。死ぬとき。死にぎわ)のときのことです。 人生の最後に何を言うかです。 (わたしはたぶん、家族に、『ありがとう』と感謝の気持ちを伝えます。ふと、家族がいない人はどうなのだろうかと思いつきました。無言もありかと思いました。心の中で自分自身になにかを言って人生を終わるのです) 又吉さんの場合は、『いやぁ、やり切ったなぁ』だそうですが、それではだめらしく、相手から、『やりきったよな。それで、なにか言い残したいことは?』と問われて困りそうなので、問いかけてほしくないそうです。 334ページ、『私は車の運転免許を持っていないので……』(運転免許がないと自分で好きなところに行ける楽しみがありませんね) ところどころ、漫才の台本のようでもありました。 356ページ、全部読み終えました。 細かい意識と思考をもちながら、すごく狭い世界の中で生きている人という印象をもちました。 前半と後半につながりがないので、2冊の本を読んだような気分でした。
月と散文 又吉直樹 KADOKAWA
エッセイ集です。どこかに掲載していた文章をまとめてあるようです。
『はじめに』に、小学生の時に書いた作文が笑われたとあります。なぜかというと、ひとつの作文の中に、『はずかしかったです。』という文節が大量に書かれていたからだそうです。なるほど。笑えます。リフレインのように(くりかえし)、『はずかしかったです。』と書かれていれば、読み手には自然と笑いが生まれてきます。
きれいな文章を書いても、きれいですねで終わるのです。きれいな文章を書ける人は、そこそこいるので目立たないのです。その人にしか書けない個性的な文章を書けるとアーチスト(創造者)になれるのです。
タイトルにある、『月』にこだわりがありそうです。文章書きでいうところの、『章』が、【満月】、そして、【二日月】となっています。タイトルの散文は、『エッセイ』です。
ふと、思い出しました。以前、『二日月』という児童文学を読んだことがあります。読書メモを探したら出てきたので、感想の一部を載せてみます。
『二日月(ふつかづき) いとうみく・作 丸山ゆき・絵 そうえん社』
障害者差別解消をめざした作品です。
主人公夏木杏(なつき・あん)小学校4年生に、障害児の妹が生まれます。両親、とくに母親が妹の芽生(めい)にかかりっきりになります。母親に相手にしてもらえなくなった杏は母親の愛情不足のストレスに陥ります。そこを、克服していかねばなりません。同級生の磯部真由が支えになってくれます。
二日月というのは、つごもり(月隠:月の光がまったく見えなくなる頃)、新月(細い月)のあとに見える月で、作中では、最初、見えなかったものが、少しずつ見えてきて満ちてくるというたとえ話になっています。
『満月』
たくさんエッセイがあります。読みながら、だらだらと感想を落としてみます。
書いてあることとして、テレビを見ていて、番組の内容よりも、出ている人の姿かたちについて家族と雑談することはよくあります。エッセイでは、コメンテーターのネクタイが派手かどうかというようなやりとりがあります。
日本には、1億2300万人ぐらいの人が住んでいるわけで、すべての人が、今起こっている時事問題や事柄に対応できるわけでもありません。関係者の方々であんばいようやってくださいとなるのが世の常です。
そんなぼんやりとした日常の中で、テレビを見ていると、テレビに出ている人の肌つやとか、頭髪のこととか、洋服のセンスとか、モノの値段とか、報道やバラエティの趣旨とは離れたところで雑談になるのです。
又吉さんは、不完全な人間である自分について、この先もひとり語りを続けていきます。自分の立場は、『太陽』ではない。『月』なのですというメッセージがあるのでしょう。
大阪出身で、18歳の時に漫才師になるために東京へ進出します。
友だちの、『たっちゃん』とコンビを組んでいっしょに東京へ出ましたが、うまくいきません。解散します。
なかなかの文章です。手紙があります。31歳の又吉さんが、18歳の又吉さんにあてた手紙です。
文章は、ひとごと(他人事たにんごと)を聞いているようでもあります。
又吉直樹さんという臆病な(おくびょうな)人間の性質が、じょうずに表現されています。
人にだまされます。
だれしもそうなのでしょうが、善良な若い人は社会に出て、簡単に人にだまされます。
わたしは、学校で先生から、そんないいかげんなふうでは、社会に出たらやっていけないぞとよく指導されました。
ところが、じっさいに社会に出てみたら、いいかげんな人がたくさんいました。自分が得をするためには、人をだまして利益を得る人がいました。きれいごとだけを教えていたらこどもの心は壊れます。
本では、車の運転免許を持っていない話が出ます。
どういうわけか、運転免許証をもっていても運転はできませんという若い人が増えました。
関係先回りをするときに、会社の車を先輩や役付きが運転して、新人が同乗するという奇妙な光景が生まれました。
52ページまで読みました。
又吉直樹さんは、お笑いをやっているけれど、暗い性格の人です。明石家さんまさんとは正反対です。
(つづく)
三鷹や吉祥寺の地名が出てきます。昨年2回現地を散策したので親しみを感じます。
世代が違うので感覚が異なることもあります。
又吉さんは、1989年(昭和64年・平成元年)のとき小学二年生8歳で昭和が終わっています。そのとき自分は、もうおとなでこどもをかかえて共働きの子育てで、忙しい毎日を送っていました。
読んでいるとなんだか気持ちがさみしくなってくる文章です。『太陽』ではなく、タイトルにあるとおり『月』です。
67ページあたり、高校の同級生龍三さんとの嚙み合わない会話というところがおもしろい。いい関係です。会話において、龍三さんは、けして、『否定』をしません。たいしたものです。
著者は、芥川賞を受賞した人ですが、こどものころに、家には本はなかったとあります。
小学校中学年のときに、教科書の物語を読むことが好きになった。そこから本好きが始まります。
本を読むことはかっこいいことではなかった。変人として扱われた。高校のとき、父親から本を読むのはおかしいと言われた。ケンカが強いほうが大事だという考えの父親だった。社会人になってからも、芸人のくせに本を読むのは変人だというような扱いをまわりにいた人間たちから受けた。
(この部分を読んで、自分と類似体験があるなと思い出したことがあります。小学校5年生ぐらいのとき父親に、『そろばんを習いに行きたい』と言ったら、『そろばんなんかやらんでもいい。柔道を習いに行け!』と言われて、話にならんと思いました)
古書店まわりが好きだという話が出ます。
孤独だった若い頃は、古書店と自動販売機が心のよりどころだったそうです。一日なにもやることがなかった。
小説を書き始めて失望したこととして、『芸人が小説を書いた』と反応があったこと。差別されていると感じた。『芸人』が下に見られている。『芸人のくせに』とばかにされている。
1997年(平成9年)元旦。著者は高校1年生16歳で、同級生4人で、初日の出を見に、大阪寝屋川から海遊館(かいゆうかん)がある築港(ちっこう)めざして、自転車で午前2時に出発します。なんだかんだとあって、自転車をこいで、何時間もかけて海にたどりつき、印象的な初日の出を見たあと、ケンカ別れみたいになります。(しんどくて、著者だけが電車で帰った)。そのときの友だち3人に送った著者のあいさつ、『チャオ(さよならの意味)』が、いまだにみんなとの思い出話で出るそうです。
(自分はその部分を読んで、「なぜ、みんなは、初日の出を見たいと思ったのだろう」と思いました。なぜ、自分は中高生の頃、元旦の初日の出を見たいと思わなかったのだろう。思い出してみると、中学一年のとき、オヤジが心臓の病気で急死して、うちは貧乏な母子家庭になってしまいました。中学二年生の秋から新聞朝刊の配達を始めて、高校卒業まで続けました。朝、新聞配達を終えるころ、季節の時間帯によりけりですが、日の出をよく見ていました。だから、自分には、朝日を見たいという欲求がないのだとわかりました)
(つづく)
ハウリン・ウルフ:アメリカ合衆国の黒人ブルース・シンガー。1976年(昭和51年)65歳没
112ページまできました。なんだろう。小学生のころの話ばかりでつまらなくなってきました。
社会に出るとふつう、学校であったことは過去のことになり、忘れてしまいます。
又吉さんの場合は、逆に、小学生時代の過去が色濃くなっています。不思議です。
そういえば、同じく関西出身の芸人チャンス大城さんの本もそうでした。『僕の心臓は右にある 大城文章(おおしろ・ふみあき) 朝日新聞出版』(かなりおもしろいです)
芸人は、過去にこだわるのだろうか。
少年時代の孤独話が続きます。
こどもの頃、大阪の狭い住宅に家族5人で暮らしていた。(父(作業員)、母(働いていた)、長姉、次姉、自分)。家では、自分が好きな、「孤独」の状態になれなかった。
又吉さんは変わった小学生だったようです。先生が苦労されています。
どうでもいいことで考え込む。(寒い時になぜ半そでを着てはいけないのか)
教室の片隅でひとりになることが好き。
ひとりで近所を歩いたり、走ったりすることが好き。
小学6年生のときの門限は夜の8時30分だった。夜の公園にひとりでいた。8時30分過ぎても家に帰らないこともあった。親が探しに来た。ときに、公園で、ひとりで不安なこともあった。
小学校では忘れ物をする。宿題を提出することを放棄する。親に通知表を見せない。先生から見て何を考えているのかわからないこどもと言われた。問題児だった。
不愛想だった。「好きなことしか出来ないこどもだった」。ノートに絵を描いていた。小学校の授業中、勝手に教室を出て行くこともあった。みんなが又吉さんを校内で探したことがあった。
学校の黄色い帽子にマジックで絵を描いてかぶる。教室にあるストーブの位置を教室のまんなかに置いたほうが平等だと提案する。黒板の横に立って授業を受けたいと申し出る。
『標準』になれないこどもだった又吉さんがいます。サラリーマンにはなれません。本人が自認するように、芸人になるしかありません。事務職や営業職、接客接遇、電話応対、どれもできそうにありません。
市役所がイヤだという話が出ます。
べつだん市役所でイヤな目にあったということではありません。むしろ職員は親切だと書いてあります。
行政書類での手続きがにがてだそうです。
読んでいると、社会人として、家庭人として、やっていけるようには思えない資質と性格、言動です。たいそうな収入はあるのでしょうが、適切に、的確に、ちゃんと生活できているのだろうかと心配になります。
健康保険とか、年金とか、福祉や介護の手続きもいります。若い時は、こどもがいれば、市役所に子育ての相談にも行かねばなりません。だれかが、又吉さんの代わりに行政事務手続きをやらないと、お金があっても苦労しそうです。歳をとってくると、困りそうです。
芸能界の人って、介護保険で軽くなる費用を実費で払う人がいるようでびっくりします。凡人なら家計が破たんします。かっこつけないほうがいい。同じ人間です。日常生活に違いはありません。たまたま仕事が芸能人なだけです。
(つづく)
158ページ、うまいなあ。一行(いちぎょう)あけて、又吉さんと証明写真撮影機との会話が始まります。
宮沢和史(みやざわ・かずふみ):シンガーソングライター。元THE BOOMのボーカル
小学校時代父親のことを作文で書いて、寝屋川市の代表として大きな会場で読んだ経験があることから始まって、お父さんとお母さんとの物語が大きく流れていきます。
お父さんは沖縄県名護市出身で、大阪に渡った。(読んでいて、熊本県出身の自分の父親と重なるところが多々ありました)
父親は競輪選手になるために大阪に来たが、本気だったようすがありません。自転車は好きだった。
カチャーシー:沖縄の踊り。沖縄民謡に合わせて、頭上で手を左右に振る。
又吉さんは、こどものころ、カチャーシーを踊って笑われて、笑いをとることの喜びを知りました。
又吉さんのお父さんの行動や言葉を読むと、40歳で病気で死んだ自分の父親と似ているなあと思います。
又吉さんのお母さんは、鹿児島県奄美群島の加計呂麻村出身で(かけろまむら)、看護師になって大阪府寝屋川市内のアパートで暮らし始めて、お隣に住んでいた又吉さんの父親と故郷が近い点で話が合って結婚されたそうです。
186ページに、お父さんのご臨終(ごりんじゅう。亡くなるとき)のようすがあります。
ご両親の個性が遺伝して、又吉直樹さんができあがっているということを確認できる文章でした。リリー・フランキーさんの名作、『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』を思い出します。
霊供膳(りょうぐぜん):お供えする小型のお膳。お供えのあと遺族が食べる。
『二日月』
こちらのかたまりの部分の内容は、それほど良くありませんでした。
順に感想を記してみます。
コロナ禍の時期も関係していると思いますが、閉塞的です。(へいそくてき:閉(と)ざされている。とじこもっている)
芸人3人でのシェア(家の中の空間を分け合う)生活からひとり暮らしにした。人が集まれるようリビングには24人ぐらいが座れるようにした。でも、だれも来ない。コロナ禍が始まる前から、だれも来ない。
家にいても、話し相手がいない。(話し相手がほしいから結婚するということはあります)
だからなのか、細かなことに関する考察が続きます。
(わたしは利用したことがありませんが、ウーバーイーツとか出前館とか)料理を自宅に届けてもらうサービスを多用している話が出ます。自分の世代では、相手から商品を手渡しで受け取らないことを不可解に思えるのですが、受け取るときには対面しないそうです。配達員は、ドアの前に料理を置いて、写真を撮って帰っていく。そのようすを又吉さんはドアのノゾキ穴からずーっと観察しているそうです。(配達員が来る前から来るのを待っている)いろんな動きをする配達員について書いてあります。
又吉さんは、孤独な人です。孤独がイヤなのではなく、むしろ、ひとりでいたい人です。
知らない人と会話をしない人です。知らない人と会話をしたくない人です。
会話がにがてな人です。独特です。
又吉さんは喫茶店で原稿を見たり書いたりしているようです。
帰るときに、間違えて、お店のメニューを原稿といっしょにカバンに入れてしまったそうです。それも1枚ではなく、2枚(のメニュー)をカバンに入れたそうです。お店から返してほしいと事務所を通じて連絡があります。自分が2枚メニューをもってきてしまったことに気づかず、1枚だけ返して、帰宅してから2週間後、メニューが、もう1枚カバンにあることに気づきます。相当変わっています。(そんなことがあるのか)
又吉さんは手間がかかる人です。
じっとしているようで、脳みその中は、活発に活動している人です。(なんというか、なんとか障害の気配でもあるのだろうか)
ご本人の言葉です。『私は無口だが脳がしつこいほどお喋りで(おしゃべりで)、なかなか黙ってくれない……』
虫メガネの焦点を目的物にゆっくり近づけていくような文章が続きます。広がりはありません。一点に集中していきます。読んでいて、だんだん飽きてきた228ページあたりです。
文字数はとても多い。
貶す(けなす):悪口を言う。
お笑いコンビとして取材を受けているときに、インタビュアーに、『マタキチさん』と声をかけられることがよくあった。(芥川賞受賞前でしょう)『マタヨシです』と言えなかった。相方の綾部さんが訂正してくれるが、綾部さんは、又吉さんのことをふだん、『マタキチ』と呼んでいる。ややこしい。
この本の前半の、『満月』ほどの中身はないので、流し読みに入った251ページ付近です。
サルゴリラ児玉:お笑いコンビ。児玉智洋(こだま・ともひろ)
妄想が、大量の文字でつづられています。読む意欲が湧かなかったので、ゆっくりページをめくって本を閉じました。異様な面をおもちの方です。
(しばらくたってから本を再び広げて)314ページ、『散文 #64号』で、文章が落ち着きました。北九州での朗読会について書いてあります。
328ページ、『なにか言い残したことはないか?』 自分が臨終(りんじゅう。死ぬとき。死にぎわ)のときのことです。
人生の最後に何を言うかです。
(わたしはたぶん、家族に、『ありがとう』と感謝の気持ちを伝えます。ふと、家族がいない人はどうなのだろうかと思いつきました。無言もありかと思いました。心の中で自分自身になにかを言って人生を終わるのです)
又吉さんの場合は、『いやぁ、やり切ったなぁ』だそうですが、それではだめらしく、相手から、『やりきったよな。それで、なにか言い残したいことは?』と問われて困りそうなので、問いかけてほしくないそうです。
334ページ、『私は車の運転免許を持っていないので……』(運転免許がないと自分で好きなところに行ける楽しみがありませんね)
ところどころ、漫才の台本のようでもありました。
356ページ、全部読み終えました。
細かい意識と思考をもちながら、すごく狭い世界の中で生きている人という印象をもちました。
前半と後半につながりがないので、2冊の本を読んだような気分でした。]]>
読書感想文
熊太郎
2024-01-23T07:50:54+09:00
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日々憶測(ひびおくそく) ヨシタケシンスケ
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e153612.html
日々憶測(ひびおくそく) ヨシタケシンスケ 光村図書 想像だが、誤解がともなうのが、『憶測』です。(憶測:いいかげんな推測) 絵本のようなつくりの本です。 ヨシタケシンスケさんが、絵の中にある通り(とおり)を歩いています。憶測が始まるのです。 9ページで、人間の思考を図にしてあります。 『世界は誤解と錯覚で成り立っている』 昔読んだ本にそう書いてありました。 世界各地を女ひとりで旅をした著者の経験談でした。 アフリカの森で道に迷い、怖い一夜をすごしたあと、現地住民の集落に着いた。襲われるのではないかと恐怖心でいっぱいだったが、現実は違っていた。とても心優しい人たちで親切にしてもらったという記録の記述がありました。 相手を自分に危害を加えてくる怖い(こわい)者として、誤解して恐れて、相手を攻撃して排除したいという気持ちが生まれるときに、自分の側に、誤解と錯覚が生じるのです。 この地球上の世の中で暮らしている大半の人たちは、善良ないい人なのです。 この本は、気持ちがへこみそうな人を励ますことを目的にした本です。 おもしろい。 いろんな人がいます。 ホッと息抜きができる本です。 なるほど、いい本です。 タイトル『どれが何』 「先日入ったお店のトイレは、どれが「流す」のボタンなのかが、しばらくわかりませんでした。」とあります。 新幹線のトイレで、ボタン式開閉ドアを思い出しました。ボタンを押して、ドアの開閉をするのです。いなか暮らしの年寄りには操作がむずかしい。 昔見た、太川陽介さんとえびすよしかずさんの路線バス乗り継ぎ人情旅の番組で、えびすさんが、どこかにあったボタン式トイレにボタンを押してドアを開けて入ったあと、トイレから出ることができないと大声を出し始めて、結局トイレの中でボタンを押さず、力づくでドアをこじあけてトイレから出てきたシーンがあったと思います。 20ページには、ジェット旅客機に登場しているキャビンアテンダントの話が出てきます。 先日の羽田空港でのジェット機炎上事故を思い出します。乗客全員助かって、本当に良かった。CAさんお疲れさまでした。 『選ぶのが苦手なので、いつもつい「一般的なプラン」を聞いてしまいます。』つまり、『…… みなさんフツーどうされてます?』 自分のことを人に決めさせようとする人っています。うまくいかなかったときは、アドバイスした人を責めるのです。卑怯者(ひきょうもの)です。 けっこうページ数があります。(140ページぐらいです) おもしろい。クスッと笑ってしまう。 『空(から)のペットボトルを(おそらく無意識に)リズミカルにへこませながら歩いているおじさんがいました。』とあります。以前どこかで読んだ記事に、ペットボトルを押して、ペッコペッコという音をさせると、熊がその音を嫌がると書いてありました。去年は野生の熊の被害が多かったのですが、熊よけの方法のひとつになるそうです。たしかに、熊はその音は、奇妙でイヤだろうなあ。 宿泊したホテルに備え付けてある歯ブラシのブラシの横に誤ってチューブの歯磨き粉を出してしまったとあります。おもしろい。ありそうです。 60ページ、ここまで読んできて、おもしろい。漫才のネタ集のようでもあります。 65ページから1冊の絵本みたいな書きかたになりました。 タイトルは、『よみきかせロボ メデタシー』です。 ちびっこたちに絵本の読み聞かせをするロボットが出てきます。 こどもたちは、おとなになって、絵本を読まなくなりました。 少子化のせいか、こどもがいなくなってしまいました。 そんなお話ですが、最後は同好の友ができるのです。 94ページには、『時空間移動』があります。 洋画、『バックトゥザフューチャー』シリーズを思い出しました。いい映画でした。 96ページ、見開き2ページの展望シーンの絵がいい感じです。 先月鹿児島市に行ったときにながめた場所、城山公園展望広場を思い出しました。この絵のように、海(鹿児島湾)と山(桜島)がきれいに見えました。絵のように、市街地も見えました。 トイレットペーパーとボックス型ティッシュペーパーを比較して、男女の恋は、ボックス型のように、『突然終わる』というたとえが良かった。 ヨシタケシンスケさんは、日常生活を送りながら、作品のネタ探しのために事象を常に観察しています。そして、おそらく、分析もされています。学者さんのようです。そんなお姿が目に浮かびます。 ハゲとか育毛の話が出てきます。 熊太郎は歳を取りましたが、ハゲてはいません。友人・知人はみんなハゲています。 以前、どうして自分の頭はハゲないのだろうかと思ったことがあります。(理容店でそんな話をしたら、ハゲの人は、ハゲていることでとても悩んでいるので、そういうことは、ハゲている人の前では話さないほうがいいと勧められました。自分で思うに、母方祖父がハゲておらず(父方祖父はハゲていました)、全部真っ白な、白髪頭でした。自分は、母方祖父からの遺伝でハゲていないのでしょう) コロナ禍がありましたので、『マスク』の話も出てきます。 119ページの、『ものは言いよう』が良かった。 本当は失敗しているのに、失敗していないかのごとく案内をするのです。 『(料理、食べ物)できたてをお持ちしますので少々お待ちいただけますか?』(ほんとうは、つくるのが遅れている) 絵の内容とは直接関係がないのですが、絵を見ていて思ったこととして、『安全確保のために、三密になる場所は、なるべく避けた方がいい。(密閉、密集、密接) 『文字のゆくえ』 お店の看板の一文字がとれてしまうのです。『せん魚』の『ん』がとれてしまったことの絵が描いてあります。 先日読み終えた本を思い出しました。 『とんこつQ&A』 今村夏子 講談社 街の大衆食堂の店舗名が、『とんこつ』ですが、とんこつラーメンの提供はしていません。 本来の店舗名は、『敦煌(とんこう。中国の都市名)』だったのですが、店名『とんこう』の、『う』の上にある点の部分がはずれて、『とんこつ』となったそうな。 メニューに、しょうゆラーメンはあるけれど、とんこつラーメンはないそうです。 全部を読み終えて、人間にとって大事なものって何だろうなあと考えました。 『人生という与えられた時間』を楽しむことだと思いました。 時間は限られています。今年は、中村メイ子さんと八代亜紀さんの訃報を聞き、若い頃から知っているおふたりでしたので、しみじみくるものがありました。
日々憶測(ひびおくそく) ヨシタケシンスケ 光村図書
想像だが、誤解がともなうのが、『憶測』です。(憶測:いいかげんな推測)
絵本のようなつくりの本です。
ヨシタケシンスケさんが、絵の中にある通り(とおり)を歩いています。憶測が始まるのです。
9ページで、人間の思考を図にしてあります。
『世界は誤解と錯覚で成り立っている』
昔読んだ本にそう書いてありました。
世界各地を女ひとりで旅をした著者の経験談でした。
アフリカの森で道に迷い、怖い一夜をすごしたあと、現地住民の集落に着いた。襲われるのではないかと恐怖心でいっぱいだったが、現実は違っていた。とても心優しい人たちで親切にしてもらったという記録の記述がありました。
相手を自分に危害を加えてくる怖い(こわい)者として、誤解して恐れて、相手を攻撃して排除したいという気持ちが生まれるときに、自分の側に、誤解と錯覚が生じるのです。
この地球上の世の中で暮らしている大半の人たちは、善良ないい人なのです。
この本は、気持ちがへこみそうな人を励ますことを目的にした本です。
おもしろい。
いろんな人がいます。
ホッと息抜きができる本です。
なるほど、いい本です。
タイトル『どれが何』
「先日入ったお店のトイレは、どれが「流す」のボタンなのかが、しばらくわかりませんでした。」とあります。
新幹線のトイレで、ボタン式開閉ドアを思い出しました。ボタンを押して、ドアの開閉をするのです。いなか暮らしの年寄りには操作がむずかしい。
昔見た、太川陽介さんとえびすよしかずさんの路線バス乗り継ぎ人情旅の番組で、えびすさんが、どこかにあったボタン式トイレにボタンを押してドアを開けて入ったあと、トイレから出ることができないと大声を出し始めて、結局トイレの中でボタンを押さず、力づくでドアをこじあけてトイレから出てきたシーンがあったと思います。
20ページには、ジェット旅客機に登場しているキャビンアテンダントの話が出てきます。
先日の羽田空港でのジェット機炎上事故を思い出します。乗客全員助かって、本当に良かった。CAさんお疲れさまでした。
『選ぶのが苦手なので、いつもつい「一般的なプラン」を聞いてしまいます。』つまり、『…… みなさんフツーどうされてます?』
自分のことを人に決めさせようとする人っています。うまくいかなかったときは、アドバイスした人を責めるのです。卑怯者(ひきょうもの)です。
けっこうページ数があります。(140ページぐらいです)
おもしろい。クスッと笑ってしまう。
『空(から)のペットボトルを(おそらく無意識に)リズミカルにへこませながら歩いているおじさんがいました。』とあります。以前どこかで読んだ記事に、ペットボトルを押して、ペッコペッコという音をさせると、熊がその音を嫌がると書いてありました。去年は野生の熊の被害が多かったのですが、熊よけの方法のひとつになるそうです。たしかに、熊はその音は、奇妙でイヤだろうなあ。
宿泊したホテルに備え付けてある歯ブラシのブラシの横に誤ってチューブの歯磨き粉を出してしまったとあります。おもしろい。ありそうです。
60ページ、ここまで読んできて、おもしろい。漫才のネタ集のようでもあります。
65ページから1冊の絵本みたいな書きかたになりました。
タイトルは、『よみきかせロボ メデタシー』です。
ちびっこたちに絵本の読み聞かせをするロボットが出てきます。
こどもたちは、おとなになって、絵本を読まなくなりました。
少子化のせいか、こどもがいなくなってしまいました。
そんなお話ですが、最後は同好の友ができるのです。
94ページには、『時空間移動』があります。
洋画、『バックトゥザフューチャー』シリーズを思い出しました。いい映画でした。
96ページ、見開き2ページの展望シーンの絵がいい感じです。
先月鹿児島市に行ったときにながめた場所、城山公園展望広場を思い出しました。この絵のように、海(鹿児島湾)と山(桜島)がきれいに見えました。絵のように、市街地も見えました。
トイレットペーパーとボックス型ティッシュペーパーを比較して、男女の恋は、ボックス型のように、『突然終わる』というたとえが良かった。
ヨシタケシンスケさんは、日常生活を送りながら、作品のネタ探しのために事象を常に観察しています。そして、おそらく、分析もされています。学者さんのようです。そんなお姿が目に浮かびます。
ハゲとか育毛の話が出てきます。
熊太郎は歳を取りましたが、ハゲてはいません。友人・知人はみんなハゲています。
以前、どうして自分の頭はハゲないのだろうかと思ったことがあります。(理容店でそんな話をしたら、ハゲの人は、ハゲていることでとても悩んでいるので、そういうことは、ハゲている人の前では話さないほうがいいと勧められました。自分で思うに、母方祖父がハゲておらず(父方祖父はハゲていました)、全部真っ白な、白髪頭でした。自分は、母方祖父からの遺伝でハゲていないのでしょう)
コロナ禍がありましたので、『マスク』の話も出てきます。
119ページの、『ものは言いよう』が良かった。
本当は失敗しているのに、失敗していないかのごとく案内をするのです。
『(料理、食べ物)できたてをお持ちしますので少々お待ちいただけますか?』(ほんとうは、つくるのが遅れている)
絵の内容とは直接関係がないのですが、絵を見ていて思ったこととして、『安全確保のために、三密になる場所は、なるべく避けた方がいい。(密閉、密集、密接)
『文字のゆくえ』
お店の看板の一文字がとれてしまうのです。『せん魚』の『ん』がとれてしまったことの絵が描いてあります。
先日読み終えた本を思い出しました。
『とんこつQ&A』 今村夏子 講談社
街の大衆食堂の店舗名が、『とんこつ』ですが、とんこつラーメンの提供はしていません。
本来の店舗名は、『敦煌(とんこう。中国の都市名)』だったのですが、店名『とんこう』の、『う』の上にある点の部分がはずれて、『とんこつ』となったそうな。
メニューに、しょうゆラーメンはあるけれど、とんこつラーメンはないそうです。
全部を読み終えて、人間にとって大事なものって何だろうなあと考えました。
『人生という与えられた時間』を楽しむことだと思いました。
時間は限られています。今年は、中村メイ子さんと八代亜紀さんの訃報を聞き、若い頃から知っているおふたりでしたので、しみじみくるものがありました。]]>
読書感想文
熊太郎
2024-01-22T07:28:23+09:00
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古本食堂 原田ひ香
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e153587.html
古本食堂 原田ひ香 角川春樹事務所 6本の話があります。それぞれ関連があるのでしょう。 第一話から最終話までです。 2021年に(令和3年)発表されています。 短編に、『古本食堂』という作品はありません。『第一話 「お弁当づくり ハッと驚く秘訣集」 小林カツ代著と三百年前のお寿司』 第一話を読み終えたところです。女性向けの本です。人間関係を把握するのに時間がかかるのですが、内容はいい本です。人間関係がややこしく、話の語り手が途中で変わるのでわかりにくいのですが、理解できると、なかなか味わいのあるいい作品であることがわかります。作品に、『良心(道徳的な正しい心の動き)』があります。 第一話は、お弁当づくりに疲れた若いママ(こどもさんはまだ幼児)が探しているお弁当の作り方の本についてです。ママは、毎朝5時30分に起きてお弁当をつくっていましたが疲れ果てて、とほうにくれています。 鷹島珊瑚(たかしま・さんご):女性。愛称が、「さんちゃん」。三人きょうだい(長兄、次兄、自分)。北海道で、介護ヘルパーをしていた。帯広市内の8階建てのマンションに両親と住んでいた。両親が亡くなって、縁あって東京神田に出て、亡くなった親族(次兄)から古本屋『鷹島古書店』を引き継いだ。(鷹島古書店は1年近く店を閉めていた。次兄の財産は、3階建てのビル1棟。1階が、鷹島書店で午前9時に開店する。2階と3階が、翻訳書中心の辻堂出版で、その会社に貸している) 鷹島珊瑚にとっての長兄:鷹島統一郎。統一郎の妻が、「米子」。ふたりともすでに他界した。統一郎のひとり息子が、「光太郎」、光太郎の娘が、「美希喜(みきき。大学生、その後大学院生)」 鷹島珊瑚にとっての次兄:鷹島滋郎(珊瑚より6歳年上で珊瑚が生まれたときに名前を両親に提案した。鷹島滋郎は、東京大学大学院中退)。鷹島滋郎は、鷹島珊瑚の家族に対して、帯広のマンションの手配をしてくれた。次兄である滋郎は、珊瑚にとって、重要な人物である。東京神田で古本屋をしていたが病気で急死した。その古本屋を妹の東山珊瑚が引き継いだ。相続である。鷹島滋郎の相続人は、鷹島珊瑚と亡鷹島統一郎のひとり息子である鷹島光太郎である。鷹島滋郎の現金・有価証券類は鷹島統一郎が相続した。固定資産であるビルは、鷹島珊瑚が相続した。鷹島光太郎の妻鷹島芽衣子(たかしまめいこ。鷹島美希喜(みきき)の母)は、リアリストである。(現実主義者) 鈴子:北海道帯広市内に住んでいる介護ヘルパーで東山珊瑚の仕事仲間だった。鈴子の夫は定年後まもなくで病気で死去されたようです。 山本和子:帯広市居住、東山珊瑚の小学校の時からの友だち。 東山:今のところ不明な帯広市の人物。鷹島珊瑚が好きな男性のようです。ヘルパーの仕事がらみの関係のようです。鷹島珊瑚が帯広から東京に行くとき、見送りに来た仲間の中にいた。 古本屋の店内光景からスタートです。 アガサ・クリスティ:イギリスの推理作家。1890年(日本だと明治23年)-1976年(日本だと昭和51年)85歳没。「オリエント急行の殺人」「そして誰もいなくなった」ほか。 丸谷才一(まるや・さいいち):小説家、文芸評論家。1925年(大正14年)-2012年(平成24年)87歳没。 わたしは、帯広市は2度車で通過したことがありますが、ガソリンスタンドで給油をした記憶しか残っておらず、碁盤の目の市街地で、整然とした街のつくりだったと思います。そんなことを思い出しながら読書が始まりました。この本によると、帯広市は、雪は少ないそうです。 菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ):1008年-1059年?平安時代。更級日記(さらしなにっき)の作者。更級日記を読んだことがあります。読書メモが残っていました。その一部です。 『更級日記 菅原孝標(すがわらのたかすえ)の女(娘) 平塚武二 童心社 「更級(さらしな)」とは地名です。姥捨て山の慣習(年老いたおばあさんを食いぶちを減らすために山へ捨てにいく。)がある土地とあります。夫を亡くした作者は晩年「死」を意識し始めます。内容は日記というよりも人生の回想記です。最終章では仏さまが迎えにくる夢をみておられます。心素直に書かれた情感のこもった名作です。枕草子とか徒然草の陰に隠れていますが、完成度は同等かそれ以上です。これまで読んだ古典の中で、いちばんよかった。訳者の力量もあるのでしょう。読みやすくて、わかりやすい。』 鷹島美希喜(みきき):O女子大学(オー女子大学)日本文学科入学、その後大学院生。鷹島珊瑚、鷹島滋郎の親族。古本屋を営んでいた鷹島滋郎が大叔父(おおおじ。親の叔父(おじ)。祖父母のきょうだい)にあたる。美希喜の父親が、「光太郎」で、「統一郎の息子」。母はリアリスト(現実主義者)だか、両親とも放任主義。 (再掲ですが)鷹島光太郎の妻鷹島芽衣子(たかしまめいこ。鷹島美希喜(みきき)の母。49歳)は、リアリストである。(現実主義者)。鷹島芽衣子は、叔母の鷹島珊瑚に変な男がついて、億単位の財産を男にもっていかれるのではないかと心配している。鷹島芽衣子は、しっかりしている。要領がいい。少し見栄っ張り。 後藤田先生(ごとうだせんせい):O女子大学国文科の教授 鷹島家の人々のキャラクター(個性):のんびりとしている。夢のようなことばかりを考えている。現実的ではない。物思いにふけりがち。つかみどころがない。 ブックエンドカフェ:鷹島古書店ビルのお隣にある喫茶店。田村美波という女性が経営している。鷹島滋郎の時代から商店仲間としての付き合いがある。 沼田:鷹島古書店のお隣にある『汐留書店(しおどめしょてん)』の店主 そうか、なるほどと思ったこととして、泥棒よけのために、閉店後レジの中はからっぽにして、引き出しを開けておく。(泥棒がレジをこわさないように) 忠臣蔵(ちゅうしんぐら。1703年1月30日(旧暦12月14日)吉良邸討ち入り(きらていうちいり):先月(2023年12月。BSの連続ドラマ番組を観ていました。松平健さんが大石内蔵助(おおいし・くらのすけ)を演じておられました。いつか、『マツケンサンバ』をステージ上の演舞でじかに観て(みて)みたい) 小林カツ代:料理研究家、エッセイスト。1937年(昭和12年)-2014年(平成26年)76歳没 ほのぼのとしている内容です。 最後の気になる文章として、『古書高価買取』の金属製で立派な看板がなくなっている。『第二話 「極限の民族」本多勝一と日本一のビーフカレー』 第二話を読み終えての感想です。読み手によって好みが分かれる作品です。味わいはありますが、理解するのに手間がかかるため、読み手は読み疲れてしまいます。 登場人物の各自がその存在をはっきり書いていないので(たぶん意図的に)、どういう人物なのかメモをしながら整理して理解する手間がかかります。それから、味わいある事象のできあがりぐあいが、『まわりくどい(うざいとも表現できます)』。『いい感覚』を押し付けられているような圧迫感があります。ほんとうにそうだろうかという反発するような疑問をもつ部分もあります。 鷹島滋郎の借家:東京都杉並区高円寺にある。駅から徒歩12分。築50年の建物に滋郎は20年以上住んでいた。1階が水回りと倉庫。2階が荷物置き場と寝室。4K家賃10万円。 どういうわけか、食器が二人分ある。(女性の存在がうかがえる) 寝室が、ゴッホのアルルの黄色い家に似ている。(たまたま数日前にゴッホの映画を観ました。『永遠の門 ゴッホの見た未来 洋画 2018年』映像に黄色い家が出ていました。 同上の家の大家(おおや):平塚さん。90歳近いおじいさん。高円寺駅から歩いて20分以上かかる家に住んでいる。妻は8年前に死去。囲碁が好きで、鷹島滋郎は囲碁友だちだった。 加納先生:鷹島美希喜の大学の先生。近現代文学担当 辻堂誠:辻堂出版社の社長。鷹島珊瑚より年上、鷹島滋郎より年下。身長180cmぐらい。元大手出版社勤務 花村建文(はなむら・たけふみ。愛称けんぶん):辻堂出版社の社員。30歳ぐらい。眉毛が黒々としていて太い。 本多勝一(ほんだ・かついち):新聞記者、ジャーナリスト、作家。1932年生まれ(昭和7年)。91歳。作品として、『極限の民族』 筆まめ:めんどうがらずに、よく手紙を書く人 太宰治(だざい・おさむ):小説家。1909年(明治42年)-1948年(昭和23年)38歳。入水心中死(じゅすいしんじゅうし) 細雪(ささめゆき):谷崎潤一郎作品。大阪旧家の4姉妹の日常生活。1936年(昭和11年)から1941年(昭和16年)までの話。谷崎潤一郎は、1965年(昭和40年)79歳没。 杉浦日向子(すぎうら・ひなこ):漫画家、江戸風俗研究家、エッセイスト。2005年46歳没 円地文子(えんち・ふみこ):小説家。1986年(昭和61年)81歳没 カレーのボンディ:欧風カレーのお店 店子(たなこ):借家人 バックヤード:倉庫や作業場所、台所など。 フルーティ:くだものの風味がある。 カンバセーション・ピース:著者保坂和志。新潮社 ポアロ:エルキュール・ポアロ。アガサ・クリスティの推理小説に出てくる名探偵 ファイアー:FIRE。ファイナンシャル・インディペンデンス・リタイア・アーリー。経済的に自立して、早めに退職してのんびり暮らす。投資で稼ぐ。 『第三話 「十七歳の地図」橋口譲二著と揚げたてピロシキ』 鈴子、和子:鷹島珊瑚の北海道帯広での介護ヘルパー仲間 ミキコ:帯広市内の喫茶店『時計』でアルバイトをしている。 東山権三郎(ひがしやま・ごんざぶろう):帯広市の住人。東山権三郎の奥さんの世話をするために鷹島珊瑚が介護ヘルパーとして東山宅を訪問していた。奥さんは亡くなった。 沼田浩三(ぬまた・こうぞう):東京神田汐留書店経営者(鷹島古書店のお隣) 橋口譲二:写真家。1949年生まれ(昭和24年) 更科蕎麦(さらしなそば):江戸蕎麦の御三家のひとつ。『更科』『砂場』『籔』 古典の文章の解読・解釈がむずかしい。 岡本かの子:昭和初期の小説家。1939年(昭和14年)49歳没。芸術家岡本太郎の母親 平野レミ:料理愛好家。76歳 グリヤーシ:豚肉料理 ピロシキ:東欧料理の惣菜パン 東山さんの奥さんが亡くなって半年ぐらい過ぎて鷹島珊瑚の次兄である鷹島滋郎さんが亡くなった。 司馬遼太郎(しば・りょうたろう):小説家。1996年(平成8年)72歳没 塩野七生(しおの・ななみ):歴史作家、小説家、女性。86歳 池波正太郎:時代小説作家。1990年(平成2年)67歳没 東山権三郎さんから鷹島珊瑚さんに告白がありました。『第四話 「お伽草子(おとぎぞうし)」とあつあつカレーパン』 銀座のバー『さんざし(可憐な(かれん)白い花のこと)』のママ:白髪の一部を紫に染めている。紫色のメガネをかけている。自称CEOの妻(最高経営責任者の妻)のつもり。 北沢書店:おしゃれなバーやクラブに飾るようなディスプレイ用の洋書を売っている。 戸越銀座(とごしぎんざ):東京都品川区内。五反田、大崎の南に位置する。(先日テレビ番組『モヤモヤさまぁ~ず2』のロケ先ということで戸越銀座がちらりと放送されました。同番組は放送曜日が変わってから愛知県の地上波では放送されなくなったので、動画配信サービスを利用して見ています。東京地区あたりの散策番組ですからしかたがありません)。戸越銀座にある『キッチンさくら』で働く女が関係あるのではないか。『さんざし』のママいわく、『子持ちの不倫の女』大学生の息子がいる。ほんの少し小麦色の肌にこぢんまりとした目鼻立ちをしている。名前は、「タカコ」という。50歳ぐらいだが、40代に見える。 国文学研究資料館:戸越銀座にあった博物館(2008年に立川市に移転した) 本田奏人(ほんだ・かなと):小説家志望者。イケメン。 ナチュラルボーン:天性、生まれながらの、生まれつき。 後藤田先生:指導教員 藤岡作太郎:国文学者。1910年(明治43年)39歳没。心臓麻痺による。 秋山虔(あきやま・けん):文学者。2015年(平成27年)91歳没。源氏物語の成立論。源氏物語の研究者。紫式部の作家論。 校注者(こうちゅうしゃ):古典などの文章を校訂(こうてい。ほかの本と比べる)して、注釈を加える人。 穿鑿(せんさく):細かい点まで根ほり葉ほり調べること。 御伽草子 ちくま文庫 谷崎潤一郎が訳した、『三人法師』 室町時代の成立 鷹島滋郎の資質・性格として、優しいから、はっきり断らないとあります。ずるい人です。自分で決定・決心をしない人です。いいかげんな人にも思えます。鷹島滋郎のルックスがいいから人格まで美化してあります。誤解があります。『第五話 「馬車が買いたい!」鹿島茂著と池波正太郎が愛した焼きそば』 鹿島茂:フランス文学者、文芸評論家。74歳 本病(ほんびょう):作品をつくったときのコロナ禍が背景にあるのだろうか。本を介してうつる病気だそうです。 ウォッカトニック:ウォッカ、ライム・ジュース、トニック・ウォーター(炭酸水にあれこれ入れた清涼飲料水) アイリッシュ・ウィスキー:アイルランド、北アイルランドの穀物を原料としたウィスキー 村上春樹:小説家。74歳 焚書(ふんしょ):書物を焼き捨てること。 文壇バー:文壇の関係者が集まるバー(お酒を提供する飲食店)。東京銀座、神田神保町に多かった。「ミロンガ」「ラドリオ」 狂牛病:牛の疾病。脳細胞が壊れる。2000年代前半に話題になった。 ドナルド・キーン:アメリカ人日本文学者。2019年(平成31年)96歳没 鷹島珊瑚が鷹島古書店を引き継いで半年が経過しています。 宇野千代:小説家、随筆家。1996年(平成8年)98歳没 丸谷才一(まるや・さいいち):小説家、文芸評論家。2012年(平成24年)87歳没 粗熱(あらねつ):料理ができたてあつあつの状態をいう。 読んでいての感想ですが、鷹島珊瑚が東山権三郎を好きだとは思えないのです。自分から積極的に東山権三郎にアプローチ(接近)するようすがあまりありません。東山権三郎からアタック(押してくる)されたら、そうなってもいいかなぐらいの愛情です。 目論見(もくろみ):企て(くわだて) 堤中納言物語(つつみちゅうなごんものがたり):平安時代後期に成立した短編物語集 プロット:物語の筋、仕組み。企て(くわだて) うたかた:水面に浮かぶ泡(あわ)のこと。はかなさを表現する言葉 こちらの本は、古典が好きな人が読む本です。 今年のNHK大河番組『光る君へ』と重なる部分もあります。 武田百合子:随筆家。1993年(平成5年)67歳没 三島由紀夫:小説家。1970年(昭和45年)45歳没 遠藤周作:小説家。1996年(平成8年)73歳没 吉行淳之介:小説家。1994年(平成6年)70歳没 バルザック:フランスの小説家。1850年(日本は幕末。1868年が明治維新)51歳没 ヴィクトル・ユーゴー:フランスの詩人、小説家。1885年(日本では明治18年)83歳没。『レ・ミゼラブル』の著者。「ああ無情」 はっきりとは書いてありませんが、東山権三郎は、俳優の高倉健さんに似ているらしい。『最終話 「輝く日の宮」 丸谷才一著と文豪たちが愛したビール』 最後のお話になりました。 古典の知識、近代文学の知識が下地にないとなかなかすんなり理解できない作品です。あわせて、古書店の知識もあったほうがいい。 そういった点で、自分の好みの本ではありませんでした。少女が読む本です。 辻堂社長 NCIS:ネイビー犯罪捜査班。アメリカ合衆国のテレビドラマ。アメリカ海軍、アメリカ海兵隊がからんだ事件を捜査する。犯罪捜査ドラマ。 マーク・ハーモン:アメリカ合衆国の俳優。72歳。NCISに出演している。 玉能小櫛(たまのうおぐし):『源氏物語玉の小櫛』 国学者本居宣長(もとおりのりなが)による『源氏物語』の注釈書。(説明、解釈書)以前三重県松阪市にある本居宣長記念館を見学したことがあります。古事記を翻訳した人です。そのときの感想メモが残っています。2011年(平成23年)3月の記録です。 『地震列島と化した日本の紀伊半島を南下して、渋滞を抜け出してたどり着いたのは三重県松阪市でした。地元出身の人、本居宣長という人はよく知りません。江戸時代中期の学者さんのようです。古事記とか、源氏物語を訳した人という紹介です。千年間、翻訳できなかった物語を訳した人となっています。記念館で資料を見ました。几帳面で、根気強い方だったという印象をもちました。奥さんが旅好きで、旅に出たまま家に帰ってこないという嘆きが面白かった。本居宣長さんが学習や研究に励んだ場所、鈴屋というお店の2階の写真を撮ってみました。』 源氏物語をそこで書いたという京都の廬山寺(ろざんじ)というところも見学したことがあります。2009年(平成21年)11月の感想メモが残っています。お寺さんは、京都御所の東にありました。 『廬山寺(紫式部邸址(あと) 1000年ぐらい前、紫式部さんはこの地で「源氏物語」を書き連(つら)ねた。日本で最初の女流作家ではなかろうか。お寺さんの展示をみていると南北朝時代がついきのうのことのように思われる。縁側に腰かけて、紅葉した樹木と、白い石庭と今は眠りについている桔梗(ききょう)の苗をながめました。』 今年始まったNHK大河ドラマ『光る君へ』との縁を感じました。初回から紫式部の母親が父親の上司の息子に刺殺されて不穏な動きです。父親がこどもの紫式部に言ったのは、『忘れろ』。母親は病気で急死したことにするそうです。なんとも理不尽な。不条理があります。 東山権三郎についてです。男の立場からいうと、こんなかっこいい男の人は現実にはいません。この世にこういう人がいたらいいなという少女の空想と夢です。星の王子さまと、白馬に乗った王子さまです。(ふと、昔、三遊亭円楽さん(昔の)が、日曜夕方のテレビ番組『笑点』で、ご自分のことを、『星の王子さま』と言っておられたのを思い出しました) 物見遊山(ものみゆさん):いろいろなところを見物しながら遊ぶ、散策すること。気晴らしをする。 むげ(無下)にはしたくない:むだにしたくない。ないがしろにしたくない。 夏目漱石:小説家。1916年(大正5年)49歳没 竹久夢二:画家、詩人。1934年(昭和9年)49歳没 数奇者(すきもの):執心な人物(あるものに気持ちが惹かれ(ひかれ)そのことが心から離れない) 小山清:小説家。1965年(昭和40年)53歳没。太宰治の門人(もんじん。弟子(でし))。作品『落穂拾ひ』 和泉式部日記(いずみしきぶにっき):平安時代中期の歌人和泉式部が記した日記。1008年ころの作品 輪(わ):作品を、時代を超えてつないでいくもの。古本屋と学者は、輪の存在となる。子孫が引き継いでいく。 よこしまな気持ち:正しくない。道をはずれた。 田辺聖子:小説家、随筆家。2019年(令和元年)91歳没。作品『新源氏物語』 東京神田神保町あたり、古書店街を紹介する本です。旅の本でもあります。 吉田健一:文芸評論家。父は吉田茂。1977年(昭和52年)65歳没。 佐倉井大我(さくらい・たいが):鷹島滋郎の関係者。男性。 先日洋画『君の名前で僕を呼んで』を観ました。17歳の少年が、24歳の男子大学院生を愛する映画でした。前知識なしで観たのでびっくりしました。そしてこちらの本を読んでまたびっくりしました。偶然ですが、男同士、同性愛の話が続きました。 映画と本と、同じテーマが続きました。 『愛の形って、いろいろあると思いませんか』 『察する(さっする。言わなくてもわかる)』世界を書いた小説でした。察するときは、自分の都合のいいほうに解釈するのです。 でも、現実は違います。 誤解や錯覚を解消するために、人間はしゃべらないとお互いのことを理解できません。 自分の脳みその中にあることを正しい(うそはつかない)言葉に変えて相手に伝える努力をしないと自分の気持ちは伝わらないし、相手もそうしてくれないと相手の正直な気持ちはわかりません。 本は、食堂併設の古本屋にしましょうというところで終了します。タイトルどおりの、『古本食堂』です。
古本食堂 原田ひ香 角川春樹事務所
6本の話があります。それぞれ関連があるのでしょう。
第一話から最終話までです。
2021年に(令和3年)発表されています。
短編に、『古本食堂』という作品はありません。
『第一話 「お弁当づくり ハッと驚く秘訣集」 小林カツ代著と三百年前のお寿司』
第一話を読み終えたところです。女性向けの本です。人間関係を把握するのに時間がかかるのですが、内容はいい本です。人間関係がややこしく、話の語り手が途中で変わるのでわかりにくいのですが、理解できると、なかなか味わいのあるいい作品であることがわかります。作品に、『良心(道徳的な正しい心の動き)』があります。
第一話は、お弁当づくりに疲れた若いママ(こどもさんはまだ幼児)が探しているお弁当の作り方の本についてです。ママは、毎朝5時30分に起きてお弁当をつくっていましたが疲れ果てて、とほうにくれています。
鷹島珊瑚(たかしま・さんご):女性。愛称が、「さんちゃん」。三人きょうだい(長兄、次兄、自分)。北海道で、介護ヘルパーをしていた。帯広市内の8階建てのマンションに両親と住んでいた。両親が亡くなって、縁あって東京神田に出て、亡くなった親族(次兄)から古本屋『鷹島古書店』を引き継いだ。(鷹島古書店は1年近く店を閉めていた。次兄の財産は、3階建てのビル1棟。1階が、鷹島書店で午前9時に開店する。2階と3階が、翻訳書中心の辻堂出版で、その会社に貸している)
鷹島珊瑚にとっての長兄:鷹島統一郎。統一郎の妻が、「米子」。ふたりともすでに他界した。統一郎のひとり息子が、「光太郎」、光太郎の娘が、「美希喜(みきき。大学生、その後大学院生)」
鷹島珊瑚にとっての次兄:鷹島滋郎(珊瑚より6歳年上で珊瑚が生まれたときに名前を両親に提案した。鷹島滋郎は、東京大学大学院中退)。鷹島滋郎は、鷹島珊瑚の家族に対して、帯広のマンションの手配をしてくれた。次兄である滋郎は、珊瑚にとって、重要な人物である。東京神田で古本屋をしていたが病気で急死した。その古本屋を妹の東山珊瑚が引き継いだ。相続である。鷹島滋郎の相続人は、鷹島珊瑚と亡鷹島統一郎のひとり息子である鷹島光太郎である。鷹島滋郎の現金・有価証券類は鷹島統一郎が相続した。固定資産であるビルは、鷹島珊瑚が相続した。鷹島光太郎の妻鷹島芽衣子(たかしまめいこ。鷹島美希喜(みきき)の母)は、リアリストである。(現実主義者)
鈴子:北海道帯広市内に住んでいる介護ヘルパーで東山珊瑚の仕事仲間だった。鈴子の夫は定年後まもなくで病気で死去されたようです。
山本和子:帯広市居住、東山珊瑚の小学校の時からの友だち。
東山:今のところ不明な帯広市の人物。鷹島珊瑚が好きな男性のようです。ヘルパーの仕事がらみの関係のようです。鷹島珊瑚が帯広から東京に行くとき、見送りに来た仲間の中にいた。
古本屋の店内光景からスタートです。
アガサ・クリスティ:イギリスの推理作家。1890年(日本だと明治23年)-1976年(日本だと昭和51年)85歳没。「オリエント急行の殺人」「そして誰もいなくなった」ほか。
丸谷才一(まるや・さいいち):小説家、文芸評論家。1925年(大正14年)-2012年(平成24年)87歳没。
わたしは、帯広市は2度車で通過したことがありますが、ガソリンスタンドで給油をした記憶しか残っておらず、碁盤の目の市街地で、整然とした街のつくりだったと思います。そんなことを思い出しながら読書が始まりました。この本によると、帯広市は、雪は少ないそうです。
菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ):1008年-1059年?平安時代。更級日記(さらしなにっき)の作者。更級日記を読んだことがあります。読書メモが残っていました。その一部です。
『更級日記 菅原孝標(すがわらのたかすえ)の女(娘) 平塚武二 童心社
「更級(さらしな)」とは地名です。姥捨て山の慣習(年老いたおばあさんを食いぶちを減らすために山へ捨てにいく。)がある土地とあります。夫を亡くした作者は晩年「死」を意識し始めます。内容は日記というよりも人生の回想記です。最終章では仏さまが迎えにくる夢をみておられます。心素直に書かれた情感のこもった名作です。枕草子とか徒然草の陰に隠れていますが、完成度は同等かそれ以上です。これまで読んだ古典の中で、いちばんよかった。訳者の力量もあるのでしょう。読みやすくて、わかりやすい。』
鷹島美希喜(みきき):O女子大学(オー女子大学)日本文学科入学、その後大学院生。鷹島珊瑚、鷹島滋郎の親族。古本屋を営んでいた鷹島滋郎が大叔父(おおおじ。親の叔父(おじ)。祖父母のきょうだい)にあたる。美希喜の父親が、「光太郎」で、「統一郎の息子」。母はリアリスト(現実主義者)だか、両親とも放任主義。
(再掲ですが)鷹島光太郎の妻鷹島芽衣子(たかしまめいこ。鷹島美希喜(みきき)の母。49歳)は、リアリストである。(現実主義者)。鷹島芽衣子は、叔母の鷹島珊瑚に変な男がついて、億単位の財産を男にもっていかれるのではないかと心配している。鷹島芽衣子は、しっかりしている。要領がいい。少し見栄っ張り。
後藤田先生(ごとうだせんせい):O女子大学国文科の教授
鷹島家の人々のキャラクター(個性):のんびりとしている。夢のようなことばかりを考えている。現実的ではない。物思いにふけりがち。つかみどころがない。
ブックエンドカフェ:鷹島古書店ビルのお隣にある喫茶店。田村美波という女性が経営している。鷹島滋郎の時代から商店仲間としての付き合いがある。
沼田:鷹島古書店のお隣にある『汐留書店(しおどめしょてん)』の店主
そうか、なるほどと思ったこととして、泥棒よけのために、閉店後レジの中はからっぽにして、引き出しを開けておく。(泥棒がレジをこわさないように)
忠臣蔵(ちゅうしんぐら。1703年1月30日(旧暦12月14日)吉良邸討ち入り(きらていうちいり):先月(2023年12月。BSの連続ドラマ番組を観ていました。松平健さんが大石内蔵助(おおいし・くらのすけ)を演じておられました。いつか、『マツケンサンバ』をステージ上の演舞でじかに観て(みて)みたい)
小林カツ代:料理研究家、エッセイスト。1937年(昭和12年)-2014年(平成26年)76歳没
ほのぼのとしている内容です。
最後の気になる文章として、『古書高価買取』の金属製で立派な看板がなくなっている。
『第二話 「極限の民族」本多勝一と日本一のビーフカレー』
第二話を読み終えての感想です。読み手によって好みが分かれる作品です。味わいはありますが、理解するのに手間がかかるため、読み手は読み疲れてしまいます。
登場人物の各自がその存在をはっきり書いていないので(たぶん意図的に)、どういう人物なのかメモをしながら整理して理解する手間がかかります。それから、味わいある事象のできあがりぐあいが、『まわりくどい(うざいとも表現できます)』。『いい感覚』を押し付けられているような圧迫感があります。ほんとうにそうだろうかという反発するような疑問をもつ部分もあります。
鷹島滋郎の借家:東京都杉並区高円寺にある。駅から徒歩12分。築50年の建物に滋郎は20年以上住んでいた。1階が水回りと倉庫。2階が荷物置き場と寝室。4K家賃10万円。
どういうわけか、食器が二人分ある。(女性の存在がうかがえる)
寝室が、ゴッホのアルルの黄色い家に似ている。(たまたま数日前にゴッホの映画を観ました。『永遠の門 ゴッホの見た未来 洋画 2018年』映像に黄色い家が出ていました。
同上の家の大家(おおや):平塚さん。90歳近いおじいさん。高円寺駅から歩いて20分以上かかる家に住んでいる。妻は8年前に死去。囲碁が好きで、鷹島滋郎は囲碁友だちだった。
加納先生:鷹島美希喜の大学の先生。近現代文学担当
辻堂誠:辻堂出版社の社長。鷹島珊瑚より年上、鷹島滋郎より年下。身長180cmぐらい。元大手出版社勤務
花村建文(はなむら・たけふみ。愛称けんぶん):辻堂出版社の社員。30歳ぐらい。眉毛が黒々としていて太い。
本多勝一(ほんだ・かついち):新聞記者、ジャーナリスト、作家。1932年生まれ(昭和7年)。91歳。作品として、『極限の民族』
筆まめ:めんどうがらずに、よく手紙を書く人
太宰治(だざい・おさむ):小説家。1909年(明治42年)-1948年(昭和23年)38歳。入水心中死(じゅすいしんじゅうし)
細雪(ささめゆき):谷崎潤一郎作品。大阪旧家の4姉妹の日常生活。1936年(昭和11年)から1941年(昭和16年)までの話。谷崎潤一郎は、1965年(昭和40年)79歳没。
杉浦日向子(すぎうら・ひなこ):漫画家、江戸風俗研究家、エッセイスト。2005年46歳没
円地文子(えんち・ふみこ):小説家。1986年(昭和61年)81歳没
カレーのボンディ:欧風カレーのお店
店子(たなこ):借家人
バックヤード:倉庫や作業場所、台所など。
フルーティ:くだものの風味がある。
カンバセーション・ピース:著者保坂和志。新潮社
ポアロ:エルキュール・ポアロ。アガサ・クリスティの推理小説に出てくる名探偵
ファイアー:FIRE。ファイナンシャル・インディペンデンス・リタイア・アーリー。経済的に自立して、早めに退職してのんびり暮らす。投資で稼ぐ。
『第三話 「十七歳の地図」橋口譲二著と揚げたてピロシキ』
鈴子、和子:鷹島珊瑚の北海道帯広での介護ヘルパー仲間
ミキコ:帯広市内の喫茶店『時計』でアルバイトをしている。
東山権三郎(ひがしやま・ごんざぶろう):帯広市の住人。東山権三郎の奥さんの世話をするために鷹島珊瑚が介護ヘルパーとして東山宅を訪問していた。奥さんは亡くなった。
沼田浩三(ぬまた・こうぞう):東京神田汐留書店経営者(鷹島古書店のお隣)
橋口譲二:写真家。1949年生まれ(昭和24年)
更科蕎麦(さらしなそば):江戸蕎麦の御三家のひとつ。『更科』『砂場』『籔』
古典の文章の解読・解釈がむずかしい。
岡本かの子:昭和初期の小説家。1939年(昭和14年)49歳没。芸術家岡本太郎の母親
平野レミ:料理愛好家。76歳
グリヤーシ:豚肉料理
ピロシキ:東欧料理の惣菜パン
東山さんの奥さんが亡くなって半年ぐらい過ぎて鷹島珊瑚の次兄である鷹島滋郎さんが亡くなった。
司馬遼太郎(しば・りょうたろう):小説家。1996年(平成8年)72歳没
塩野七生(しおの・ななみ):歴史作家、小説家、女性。86歳
池波正太郎:時代小説作家。1990年(平成2年)67歳没
東山権三郎さんから鷹島珊瑚さんに告白がありました。
『第四話 「お伽草子(おとぎぞうし)」とあつあつカレーパン』
銀座のバー『さんざし(可憐な(かれん)白い花のこと)』のママ:白髪の一部を紫に染めている。紫色のメガネをかけている。自称CEOの妻(最高経営責任者の妻)のつもり。
北沢書店:おしゃれなバーやクラブに飾るようなディスプレイ用の洋書を売っている。
戸越銀座(とごしぎんざ):東京都品川区内。五反田、大崎の南に位置する。(先日テレビ番組『モヤモヤさまぁ~ず2』のロケ先ということで戸越銀座がちらりと放送されました。同番組は放送曜日が変わってから愛知県の地上波では放送されなくなったので、動画配信サービスを利用して見ています。東京地区あたりの散策番組ですからしかたがありません)。戸越銀座にある『キッチンさくら』で働く女が関係あるのではないか。『さんざし』のママいわく、『子持ちの不倫の女』大学生の息子がいる。ほんの少し小麦色の肌にこぢんまりとした目鼻立ちをしている。名前は、「タカコ」という。50歳ぐらいだが、40代に見える。
国文学研究資料館:戸越銀座にあった博物館(2008年に立川市に移転した)
本田奏人(ほんだ・かなと):小説家志望者。イケメン。
ナチュラルボーン:天性、生まれながらの、生まれつき。
後藤田先生:指導教員
藤岡作太郎:国文学者。1910年(明治43年)39歳没。心臓麻痺による。
秋山虔(あきやま・けん):文学者。2015年(平成27年)91歳没。源氏物語の成立論。源氏物語の研究者。紫式部の作家論。
校注者(こうちゅうしゃ):古典などの文章を校訂(こうてい。ほかの本と比べる)して、注釈を加える人。
穿鑿(せんさく):細かい点まで根ほり葉ほり調べること。
御伽草子 ちくま文庫 谷崎潤一郎が訳した、『三人法師』 室町時代の成立
鷹島滋郎の資質・性格として、優しいから、はっきり断らないとあります。ずるい人です。自分で決定・決心をしない人です。いいかげんな人にも思えます。鷹島滋郎のルックスがいいから人格まで美化してあります。誤解があります。
『第五話 「馬車が買いたい!」鹿島茂著と池波正太郎が愛した焼きそば』
鹿島茂:フランス文学者、文芸評論家。74歳
本病(ほんびょう):作品をつくったときのコロナ禍が背景にあるのだろうか。本を介してうつる病気だそうです。
ウォッカトニック:ウォッカ、ライム・ジュース、トニック・ウォーター(炭酸水にあれこれ入れた清涼飲料水)
アイリッシュ・ウィスキー:アイルランド、北アイルランドの穀物を原料としたウィスキー
村上春樹:小説家。74歳
焚書(ふんしょ):書物を焼き捨てること。
文壇バー:文壇の関係者が集まるバー(お酒を提供する飲食店)。東京銀座、神田神保町に多かった。「ミロンガ」「ラドリオ」
狂牛病:牛の疾病。脳細胞が壊れる。2000年代前半に話題になった。
ドナルド・キーン:アメリカ人日本文学者。2019年(平成31年)96歳没
鷹島珊瑚が鷹島古書店を引き継いで半年が経過しています。
宇野千代:小説家、随筆家。1996年(平成8年)98歳没
丸谷才一(まるや・さいいち):小説家、文芸評論家。2012年(平成24年)87歳没
粗熱(あらねつ):料理ができたてあつあつの状態をいう。
読んでいての感想ですが、鷹島珊瑚が東山権三郎を好きだとは思えないのです。自分から積極的に東山権三郎にアプローチ(接近)するようすがあまりありません。東山権三郎からアタック(押してくる)されたら、そうなってもいいかなぐらいの愛情です。
目論見(もくろみ):企て(くわだて)
堤中納言物語(つつみちゅうなごんものがたり):平安時代後期に成立した短編物語集
プロット:物語の筋、仕組み。企て(くわだて)
うたかた:水面に浮かぶ泡(あわ)のこと。はかなさを表現する言葉
こちらの本は、古典が好きな人が読む本です。
今年のNHK大河番組『光る君へ』と重なる部分もあります。
武田百合子:随筆家。1993年(平成5年)67歳没
三島由紀夫:小説家。1970年(昭和45年)45歳没
遠藤周作:小説家。1996年(平成8年)73歳没
吉行淳之介:小説家。1994年(平成6年)70歳没
バルザック:フランスの小説家。1850年(日本は幕末。1868年が明治維新)51歳没
ヴィクトル・ユーゴー:フランスの詩人、小説家。1885年(日本では明治18年)83歳没。『レ・ミゼラブル』の著者。「ああ無情」
はっきりとは書いてありませんが、東山権三郎は、俳優の高倉健さんに似ているらしい。
『最終話 「輝く日の宮」 丸谷才一著と文豪たちが愛したビール』
最後のお話になりました。
古典の知識、近代文学の知識が下地にないとなかなかすんなり理解できない作品です。あわせて、古書店の知識もあったほうがいい。
そういった点で、自分の好みの本ではありませんでした。少女が読む本です。
辻堂社長
NCIS:ネイビー犯罪捜査班。アメリカ合衆国のテレビドラマ。アメリカ海軍、アメリカ海兵隊がからんだ事件を捜査する。犯罪捜査ドラマ。
マーク・ハーモン:アメリカ合衆国の俳優。72歳。NCISに出演している。
玉能小櫛(たまのうおぐし):『源氏物語玉の小櫛』 国学者本居宣長(もとおりのりなが)による『源氏物語』の注釈書。(説明、解釈書)以前三重県松阪市にある本居宣長記念館を見学したことがあります。古事記を翻訳した人です。そのときの感想メモが残っています。2011年(平成23年)3月の記録です。
『地震列島と化した日本の紀伊半島を南下して、渋滞を抜け出してたどり着いたのは三重県松阪市でした。地元出身の人、本居宣長という人はよく知りません。江戸時代中期の学者さんのようです。古事記とか、源氏物語を訳した人という紹介です。千年間、翻訳できなかった物語を訳した人となっています。記念館で資料を見ました。几帳面で、根気強い方だったという印象をもちました。奥さんが旅好きで、旅に出たまま家に帰ってこないという嘆きが面白かった。本居宣長さんが学習や研究に励んだ場所、鈴屋というお店の2階の写真を撮ってみました。』
源氏物語をそこで書いたという京都の廬山寺(ろざんじ)というところも見学したことがあります。2009年(平成21年)11月の感想メモが残っています。お寺さんは、京都御所の東にありました。
『廬山寺(紫式部邸址(あと) 1000年ぐらい前、紫式部さんはこの地で「源氏物語」を書き連(つら)ねた。日本で最初の女流作家ではなかろうか。お寺さんの展示をみていると南北朝時代がついきのうのことのように思われる。縁側に腰かけて、紅葉した樹木と、白い石庭と今は眠りについている桔梗(ききょう)の苗をながめました。』
今年始まったNHK大河ドラマ『光る君へ』との縁を感じました。初回から紫式部の母親が父親の上司の息子に刺殺されて不穏な動きです。父親がこどもの紫式部に言ったのは、『忘れろ』。母親は病気で急死したことにするそうです。なんとも理不尽な。不条理があります。
東山権三郎についてです。男の立場からいうと、こんなかっこいい男の人は現実にはいません。この世にこういう人がいたらいいなという少女の空想と夢です。星の王子さまと、白馬に乗った王子さまです。(ふと、昔、三遊亭円楽さん(昔の)が、日曜夕方のテレビ番組『笑点』で、ご自分のことを、『星の王子さま』と言っておられたのを思い出しました)
物見遊山(ものみゆさん):いろいろなところを見物しながら遊ぶ、散策すること。気晴らしをする。
むげ(無下)にはしたくない:むだにしたくない。ないがしろにしたくない。
夏目漱石:小説家。1916年(大正5年)49歳没
竹久夢二:画家、詩人。1934年(昭和9年)49歳没
数奇者(すきもの):執心な人物(あるものに気持ちが惹かれ(ひかれ)そのことが心から離れない)
小山清:小説家。1965年(昭和40年)53歳没。太宰治の門人(もんじん。弟子(でし))。作品『落穂拾ひ』
和泉式部日記(いずみしきぶにっき):平安時代中期の歌人和泉式部が記した日記。1008年ころの作品
輪(わ):作品を、時代を超えてつないでいくもの。古本屋と学者は、輪の存在となる。子孫が引き継いでいく。
よこしまな気持ち:正しくない。道をはずれた。
田辺聖子:小説家、随筆家。2019年(令和元年)91歳没。作品『新源氏物語』
東京神田神保町あたり、古書店街を紹介する本です。旅の本でもあります。
吉田健一:文芸評論家。父は吉田茂。1977年(昭和52年)65歳没。
佐倉井大我(さくらい・たいが):鷹島滋郎の関係者。男性。
先日洋画『君の名前で僕を呼んで』を観ました。17歳の少年が、24歳の男子大学院生を愛する映画でした。前知識なしで観たのでびっくりしました。そしてこちらの本を読んでまたびっくりしました。偶然ですが、男同士、同性愛の話が続きました。
映画と本と、同じテーマが続きました。
『愛の形って、いろいろあると思いませんか』
『察する(さっする。言わなくてもわかる)』世界を書いた小説でした。察するときは、自分の都合のいいほうに解釈するのです。
でも、現実は違います。
誤解や錯覚を解消するために、人間はしゃべらないとお互いのことを理解できません。
自分の脳みその中にあることを正しい(うそはつかない)言葉に変えて相手に伝える努力をしないと自分の気持ちは伝わらないし、相手もそうしてくれないと相手の正直な気持ちはわかりません。
本は、食堂併設の古本屋にしましょうというところで終了します。タイトルどおりの、『古本食堂』です。]]>
読書感想文
熊太郎
2024-01-17T07:24:38+09:00
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地図と拳(ちずとこぶし) 小川哲(おがわ・さとし)
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地図と拳(ちずとこぶし) 小川哲(おがわ・さとし) 集英社 かなり分厚い本です。小説部分は、625ページあります。評判良く、評価が高い小説です。満州(まんしゅう)のことが書いてあるらしい。満州:中国東北部の旧称。1932年(昭和7年)日本が介在して建国。1945年(昭和20年終戦)まで存在した。 2023年10月22日日曜日から読み始めます。読み終えるまでに時間がかかりそうです。(翌年1月8日月曜日に読み終えました。少しずつ読み進めました) THE MAP AND THE FIST 地図と拳 英語のタイトルが表示されています。 序章があった、第十七章、そして終章までです。 時代は、1899年夏(明治32年)から始まって、1955年春(昭和30年)までです。 日露戦争が、1904年(明治37年)。18か月続いた。 『序章』の部分を読み終えました。 読み手たちの興味を惹くように(ひくように)、ずるい仕掛けがしてあると感じましたが、小説ですからそれはそれでいい。 松花江(スンガリー):河川の名称。アムール川の最大の支流 ロシア兵が出てきます。 高木:両親は薩摩出身。亡父は西南戦争で没した。形見は小刀。仕事は、間諜(かんちょう。スパイ)。参謀本部からの特別任務を受けている。お茶の販売目的で満州地域に入る。(鹿児島はお茶の名所なのでお茶なのだろうと推測します)。役職は、「大尉」 細川:21歳大学生。中国語とロシア語の通訳。高木に雇われている。亡母が薩摩出身。顔色が悪い。腕は細い。丸眼鏡。体力に乏しい。胆力がない。(度胸)。父親は貿易商をしている。 苦力(クーリー):アジア系の移民(中国・インド)。出稼ぎ労働者。下層階級 作物が育つ土・燃えない土・燃える土:燃える土は石炭を含んでいる。 王(ワン):中国人。山西省出身(北京の西)。現在は、奉天(ほうてん)の東にある李家鎮村(リージャジェン村)に住んでいる。東北(トンペイ)に移住した。 船の目的地は、『ハルビン』 死の符牒(ふちょう):隠語、記号、合言葉(あいことば) 長衫(チャンシャン):中国の女性の衣装『第一章 千九百一年、冬 (明治34年)』 奉天義和団の馬宇霆(マーユウテイン)。奉天義和団:宗教的秘密結社。白蓮教(びゃくれんきょう)。外国勢力に対抗した中国の団体。 李大網(リーダーガン):李老師の表記もあり。李家鎮(リージャジエン)の王様。元役人。集落の主 神拳会(しんきょかい):農民中心の自衛組織。拳法を使う。 賈二昆(クーアールクン):人物名。神拳会の師範 タイトルの意味はなんだろう。『地図と拳』。日露戦争(1904年 明治37年開戦)から第二次世界大戦(1945年 昭和20年終戦)までの50年間を描く。国家と武力だろうか。まだわかりません。 洋鬼子(ヤンクイズ):西洋人 二毛子(アルマオズ):西洋かぶれの中国人。キリスト教徒、西洋人から雇われた人間、西洋人と中国人のハーフ 魔尼教(まにきょう):ペルシャ起源の宗教 鬼子:鬼のような人間ということだろうか。ロシア鬼子とあります。〇〇人ということのようです。日本鬼子(リーベンクイヅ)、ドイツ鬼子、フランス鬼子、イギリス鬼子、ロシア鬼子とあります。 (中国の人たちがロシアと戦おうとしています。キリスト教との闘いでもあります。この当時のキリスト教の伝道師の真の目的は、領土を奪うことではなかったのか) 凶星(ションシン):星占い。悪い影響を与える天体 禍々しい(まがまがしい):不愉快で、癪に触って(しゃくにさわって)、我慢できない。 (読んでいると、この当時から、中国は欧米やロシアに土地を侵略されていたことがわかります。国土を守るのもたいへんです) 白乾児酒(バイカンアルジュウ):コーリャンを原料とした蒸留酒 桃源郷(とうげんきょう):理想郷 娘娘廟(ニャンニャンミャオ):道教の女神を祭る社(やしろ。建物) イヴァン・ミハイロヴィッチ・クラスニコフ:ロシア人宣教師。もともとは測量士。父親は地図職人。地図職人の前は画家だった。父が描いた若い頃の母親の肖像画のタイトルが、『冬の森』。母は、クラスニコフ宣教師が6歳のときに肺炎で亡くなった。兄弟姉妹はいない。実家は、モスクワ郊外にある集合住宅の二階。16歳から寄宿舎で生活した。それまでは、父と一緒のベッドで寝ていた。暗闇が怖かった。(こわかった)。書中では、がんこな宗教者の態度があります。儀式にこだわる。 劉神父:登場して間もなく殺された。 林銘伝(リンミンチユエン):中国人通訳(ロシア語)。ハルビンで奴隷売買をしていた。中国人をロシア人に売っていた。阿片(アヘン)を吸い遊女を買っていた。 匪賊(ひぞく):盗賊。徒党を組んで、略罰や殺人行為を行う集団 拳匪(けんぴ):義和団の異名。拳、棒術で暴力を振るう集団 鶏冠山(ジークアンシャン):中国大連市の北東。日露戦争の重要な戦場だった。 皇帝ニコライ二世 財務省ウイッテ大臣 参謀本部 アントネンコ大尉 白ヒゲの男 ケルベズ四等文官 極東軍 マドリトーフ少佐 この物語は、イヴァン・ミハイロヴィッチ・クラスニコフ宣教師を軸にして進行していくようです。 彼は5年前、1896年(日本だと明治29年)に満州のことを聞いた。ロシアが、測量をして地図をつくりに行く。(いずれ支配するために)満州にロシアからシベリア鉄道を敷く。地図が都市を生む。測量隊の一員として、イヴァン・ミハイロヴィッチ・クラスニコフ宣教師も参加することになった。 満州の人間は、『地図』というものを理解できなかった。 満州の人間は、世界も神も知らなかった。針の穴から家の天井をのぞくぐらいの視界しかなかった。 イヴァン・ミハイロヴィッチ・クラスニコフ宣教師は、1898年の暮れ(明治31年)満州を訪れた。 羅宋帽(ルオソンマロ):ボルシチ帽(帽子ぼうし)。ロシアから中国に伝わった。ラクダの毛を二重にしてできている。ひさしはない。 馬掛(マークア):中国の清の時代に男性が着用した服。腰までの丈(たけ)、長袖が少し短い。前をヒモで組まれたボタンで留める。 孟(もん):林銘伝(リンミンチユエン。通訳)の親戚。妻はロシア系キリスト教の信徒。孟も通訳 龍擡頭(ロンタイトウ):龍が目覚める日のこと。(旧暦2月2日。2023年は、3月11日月曜日だった) イヴァン・ミハイロヴィッチ・クラスニコフ宣教師を捕らえた中国人の若者が死んでいると思っていたら息があった。 イヴァン・ミハイロヴィッチ・クラスニコフ宣教師は、通訳の林(リン)がやめるように強く説得したのにもかかわらず、自分たちを拘束して敵に引き渡そうとしたその中国人の若者を助けます。(宗教が下地になって、加害者である人間を許そうとなるのですが、読み手の自分は拒否的な心理になります。ありえません。被害者は命を奪おうとした加害者を絶対許しません。設定がおかしい。あるいは宗教の教えが矛盾(むじゅん。食い違い。理屈に合わない)しています) 『……、これは自分と神との問題だ。』という言葉があります。意味をとれません。そもそも神はいません。(もうこの先読んでもしかたがない。読書をやめうようか……)まだ60ページすぎあたりです。クラスニコフ宣教師と通訳の林は、再びその若い男に拘束されてしまいます。(その後、事態は変化します。男は、クラスニコフ宣教師たちをロシア軍に引き渡したい。李大網(リーダーガン)がふたりを助けたいそうです。 告解(こっかい):カトリック教会。神の許しを得る儀式 楊亮康(ヤンリンコン):クラスニコフ宣教師をかつて殴ろうとした男。昔は青島口(チンタオ)で商船の船長をしていたが、海賊がらみで仕事をやめて中国東北部へ生活を移した。そこが、李家鎮(リージャジェン)だった。 楊日綱(ヤンリーガン):楊亮康(ヤンリンコン)の息子。ロシア人に投げかけた言葉として、『自分たちだけが正しいと思わないでください』 情報が混乱していて、何を信じたらいいのかわからない状態です。『第二章 千九百一年、冬 (明治34年)』 青島口:チンタオ 海賊の被害が出た。役人は無実の者を海賊だとして捕まえて朝廷に報告していた。 楊亮康(ヤンリンコン)は人にだまされます。人にだまされて不幸に落とされるところから、たいてい、物語は始まります。焰星(イエンシン):こちらの物語では、『国家』のこと。日清戦争で中国が負けた記事があります。(1894年(明治27年)) 夷狄(いてき):外国人 ロシア人は、『神』を正義だとし、『拳』を悪として、中国の広い大地を奪おうとしている。 劉春光(ウチェングアン):滄州(そうしゅう。都市名。天津市(てんしんし)の南。)出身の形意拳の使い手 白蓮教(びゃくれんきょう):中国、浄土信仰の一派 神拳会(シェンチユエン):李大網(リーダーガン)が名付けた武術 なんだか、少年マンガのシーンのようになってきました。拳法(けんぽう。拳(こぶし))で相手に勝つ。拳には魂や霊気が備わっていて、強力な破壊ができる波動のような動きがあるというものです。 「硬気功(鋼の精神(はがねのせいしん))」「金房子罩(金属の房子を罩った(かぶった))」「熱力(金属のこと。さらに外国人のこと)」「土木反転(土は東北の民、木が「清朝(国家)、金属(外国人。銃)によって、土が押しつぶされている」)」「排刀一の芸(戦争のこと)」 銃に対して、鉄の拳で対抗するというように読み取れます。 孫悟空(ソンウーコン):楊日綱(ヤンリーガン)は自分に孫悟空という神が乗り移ったと悟りました。馬賊の頭(かしら)になって、名は、孫行者(ソンシンジヨオ)となります。『第三章 千九百一年(明治34年)、冬』 田(テイエン):支那人の役人 義和団の反乱:1900年(明治33年)-1901年(明治34年)。清朝末期の動乱(どうらん。世の中が乱れる)。外国人キリスト教宣教師と地元地域の人間が対立した。土地を巡る争いがあった。清軍と義和団は欧米列国と戦争になり清国が負けた。 高粱(コーリャン):イネ科の一年草。背の高いモロコシ 寛城子(クワンチヨンツ):長春市 コサック騎兵:ウクライナやロシアに存在していた軍事共同体 洋人(ヤンレン):西洋人。欧米人 周天佑(チョウテイエンヨウ):謎の登場人物。老害化した父親を事故死のように死なせた。 吝嗇(りんしょく):ケチ 科挙(かきょ):官僚登用試験。公務員試験 洪秀全(ホンシユウチユエン):清代の宗教家。革命家 小米(シヤオミー):もみがらを取り除く処理の途中で、砕けて粉のようになった米 老許(ラオシユウ):年寄りということか。 遼陽:中国遼寧省に位置する都市 説話人(シユウホワレン):物語を語る芸人 大足女:ていそく纏足(足を小さく見せる処理)をしていない女性 小褂子(シヤオクワツ):中国服。上着 熱力(ルオリー):本質。熱は命。人間は熱。熱がなくなったときが人間の死。熱をつくるのが、食糧と石炭。内側から発生する熱と外側で発生する熱 八卦の理(はっけのことわり):中国伝来の占い。八種類の形。理は、物事の道筋 ロシアの宣撫工作員(せんぶこうさくいん):被占領地の住民が従うよう、住民への援助を行う仕事を担当する。 大俄国木材公司司総管(ターウーグオムーツアイゴンスーツオングアン):ヤンリーガン楊日網の役職『第四章 千九百五年(明治38年)、冬』 日露戦争の真っ最中です。 沙河(シヤーホー):川の名称。ロシア陸軍と日本陸軍の戦場 卜者:ぼくしゃ。占いをする人 城廠:読みは、「じょうしょう」でいいと思います。意味は、屋根だけの建物で、戦地の砦(とりで)だろうと思います。 谷津(やず):日本軍司令部の人間 旅順が陥落した。(ロシアが負けた) 于洪屯(ユウホントウン):中国遼寧省瀋陽市西部の地名 円匙(えんぴ):小型のシャベル 従卒(じゅうそつ):将校の身の回りの世話をする兵員。この本では、「間島隊員」 兵卒(へいそつ):最下級の軍人。この本では、「矢部隊員」 伏線の『軍刀』が出てきます。高木大尉にとっての西南戦争で死んだ父親の形見です。高木大尉が満州に来て6年が経過しています。 兵站(へいたん):物資の補給・輸送担当。この本では、「兵站司令官福田(のちに大尉)」 日露戦争における戦場での激しい殺人描写があります。 主人公だと思っていた人物が絶命してしまいました。 この物語は、群像劇なのだろうか。 時代の流れの中で、悲しくも消えていった人たちの姿を浮かび上がらせるという手法だろうか。(つづく) 以夷制夷(いいせいい):外国を利用して、自国のために他国をおさえる。 梁山泊(りょうざんぱく):豪傑や野心家が集まる場所のたとえ。山東省に会った沼地の地名。盗賊や反乱軍の本拠地だった。「水滸伝(すいこでん。シエイシユウチユエン)」の主人公たちが立てこもった場所 靉陽辺門(あいようへんもん):日露戦争の戦地。中国遼寧省瀋陽市。このあたりで、輸送隊が誘拐された。 士官学校:士官(将校)を養成する学校(現在の防衛大学) 庇われている:かばわれている。 支那語の通訳:福田と細川、岡田 加藤少尉 黄(ホアン):支那人の密偵(みってい。スパイ) 花田総統 新開嶺:遼寧省か吉林省(きつりんしょう)の地名 便帽児(ビエンマオアル):中国で、ふだんかぶる帽子(儀礼用や軍用ではない) 奉天(ほうてん):現在の瀋陽市。奉天は、満州当時の地名 富順(フーシュン):瀋陽市にある地名 興安:中国東北部にある地名 団錬:中国の地元住民による自警組織 馬賊:馬の機動力を利用する盗賊集団 天門槍(テンメンチャン):団錬や馬賊が使う武器 射線:射撃の時の銃の向きの延長線 輜重車(しちょうしゃ):軍需品の輸送・補給に用いた車両。馬で引く木造の荷馬車 いろいろ意味を調べないと中身を理解できそうもない読書です。コツコツと少しずつ前に進んでいきます。(つづく) 鍵を握るのは燃料となる『石炭』です。李家鎮(リージャジエン)には、石炭の鉱床がある。将来、炭鉱都市になりうる。(通訳細川の話として)石炭都市になったら地名を『仙桃城(シエンタオチヨン)』にしたい。仙桃は果実で、食べると不死身になれる。 尾形少佐 相手への恨み(うらみ)が、相手の戦死で、憎む者の気持ちが消化(あるいは、消火、昇華(高度な状態に抜ける))される。『第五章 千九百九年、冬(明治42年)』 オケアノス:ギリシア神話に登場する海の神。万物の始まりとされる。(こちらの物語では、満州をオケアノスとして、『万物の始まり』になりえるかと問います。 果実:成果物。利益、金銭その他のもの。 ホメロス:古代ギリシアの詩人。紀元前8世紀末ころの人物らしい。 アレクサンドロス大王:古代に王 プラトン:古代ギリシアの哲学者。紀元前427年ころ―327年。ソクラテスの弟子 須野(すの):南満州鉄道株式会社、通称「満鉄」に報告書としての資料を提出する。東京本郷に住んでいる。大学の気象学研究者。 元木教授:須野の同僚 神託書(しんたくしょ):神の言葉、神の意思 新井:満鉄の歴史地理調査部所属 黄海(こうかい)にあるとされる青龍島(チンロンタオ):存在しない。 地図の話が出ます。歴史とか人物とかです。この物語の肝(きも。大事な部分)になるところでしょう。 まだ文字のなかった古代からです。地面に、獲物がいる場所を書く。雨で流れる。また書く。めんどうなので、今度は、石を掘って地図とする…… そのような流れです。 徴税のために地図を作成する。領土を広げるために地図をつくる。 マルコ・ポーロ―の『東方見聞録』が出てきます。読んだことがあります。 そのときの感想メモが残っています。 『全訳 マルコ・ポーロー東方見聞録 青木和夫訳 校倉書房』 初めて読みました。誤解がありました。マルコ・ポーローは冒険家で単独にてシルクロードを歩いた人ではありませんでした。時は日本の鎌倉時代、マルコはまだ15歳、父親と叔父と一緒に商売の旅にイタリアヴェニスからスタートしています。再びヴェニスに戻ってきたのは25年後、マルコは40歳に達しています。 記述の中にあるのはまるで映画の中の風景です。アジアの様子です。王がいて、一夫多妻制で、世襲です。支配する者の権力は強大です。一族内の権力闘争があって、毒殺がある。日本も同時期に同様な形態の社会がありました。国は発展して堕落の経過をたどり侵略や内戦によりやがて滅びていく。タルタル人、サラセン人、ジェノア人、アルメニア人、ジョルジャ人、トリシン人、カタイ人は今の何人なのかわからない。ドイツ人、フランス人、ユダヤ人、トルコ人はわかる。キリスト教、マホメットの宗教があって、偶像崇拝の宗教がある。 ここまで読んで、こちらの小説で宗教家が出てくるのですが、思うに、西洋人はまず、キリスト教という宗教で現地の人間を精神的に感化して(洗脳して。マインドコントロールして。感情・意識を操作誘導して)、その国の領土を手に入れる(植民地化する)という手法をとっていた。ゆえに、江戸幕府は、キリスト教を禁止したと考察できます。 古代ギリシア人:地中海の地図を作製した。 古代ローマのプトレマイオス:球体の地球を平面に描写した。 紙の上に『世界』を表現する。 宣教師たちは、測量技術を使って、地図をつくるようになった。 日本の伊能忠敬さん(いのう・ただたかさん)を思い出しました。 1745年-1818年 73歳没 1800年から1816年の17年間、日本各地を歩いて測量をした。本人56歳から測量が始まっています。 物語のポイントとして、『実在しない「青龍島(チンロンタオ)」が地図に描かれている』こと。 インバネス:男子用のコート。肩から胸にかけて、もう一枚布(ケープ)が付いている。(満鉄の通訳細川が着用していた) 高木慶子:寡婦(かふ。夫を亡くした女性)、長男正男5歳、その後須野と再婚して明男(あけお)が誕生する。亡高木大尉の妻。満鉄の職員になった須野(すの)と再婚する。スノ・アケオ:反対から読んで「アケオノス」(万物の始まり) そうか…… という物語の仕組みが判明します。途切れたと思った糸が再びつながりました。 慧深(けいしん):1400年前の支那人僧侶。アメリカ大陸に渡った。扶桑(ふそう):神木(しんぼく)。ハイビスカス 『満州の地図をつくって、日本の夢を書きこむ。満州に国家をつくる』(満州はまだだれものもでもなかった。清が滅び、中華民国が誕生していたが、満州の統治はできていなかった) 日本橋三越:先月10月のとある日に、建物の前を歩いたので、作中に出てきた名称を身近に感じます。 ニライカナイ:沖縄地方の話。海のかなたや海底に理想郷があって、そこをニライカナイという。信仰のひとつ。 青龍島:チンロンタオ『第六章 千九百二十三年、秋(大正12年)』 関東大震災発災の年です。記述にも出てきます。 須野明男(すの・あけお):独特です。まだ、11歳です。伏線として、高橋大尉の軍刀。 懐中時計を与えられて、秒針の動きから時間の経過に強い興味と執着心をもつ。 9歳で温度計を与えられて、温度に異常なまでの興味を示す。狂気すら感じられます。 時計がなくても現在の時刻がわかるようになる。温度計がなくても、今の温度がわかるようになる。 11歳で風力計を与えられて、風力計がなくても風力がわかるようになる。 市谷台:いちがやだい。東京新宿区内。登場人物の男の子が通う士官学校がある。(熊太郎はたまたま先日、市ヶ谷にあるJICAジャイカ地球広場を見学したばかりなので、読んでいて縁を感じました。そばに防衛省の広い施設があります。『第7章 千九百二十八年、夏(昭和3年)』 福田主計大佐 山井大尉(やまのいたいい) 京都帝国大学教授 一木教授(いちききょうじゅ) 三井物産 棚橋部長:背の高い白髪の男 松浦商会 横山(ヘアスタイルは、「震災刈り(七三分けなどの短いほうをより短く刈り込む) 満州にある関西商船が間借りしている三階建ての建物 ファサード:建物正面から見た外観 『日華青年和合の会』 『仙桃城炭鉱準備掛』(虹色の都市にする夢がある。満州民族、漢民族、日本人、ロシア人、朝鮮人、モンゴル人、国家や民族、文化の壁を越えて、みんなで手をとりあって生活する。新国家の建設が目標ですとあります。「最後の一色(221ページ)」とありますが、その一色は「死者」を表す。この土地の人のために、これまでに亡くなった人たちの霊魂を指す) 孫文。革命軍を率いる:1866年(日本では江戸時代末期)-1925年(大正14年)58歳没。中華民国の政治家、革命家 張作霖(ちょうさくりん):1875年(日本だと明治8年)-1928年(昭和3年)53歳没。中華民国の政治家。 蒋介石(しょうかいせき):1887年(日本だと明治20年)-1975年(昭和50年)87歳没。中華民国の政治家。初代中華民国総統。 土匪(どひ。土着の非正規武装集団。盗賊の類(たぐい))、政匪、商匪、学匪 跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ):いろいろな妖怪が夜中にうろつきまわること。 関東軍:大日本帝国陸軍のひとつ。日露戦争後、日本がロシアから引き継いだ土地を担当した。 炭鉱のことが出てきます。一時期は隆盛をきわめましたが、石油へのエネルギー革命で、急速に衰退化しました。以前、福岡県の飯塚市で歴史資料館の展示を見学しましたが、150年間ぐらいの経済活動だった記憶です。江戸時代末期から1970年代だったと思います。『第八章 千九百三十二年、春(昭和7年)』 林銘伝(リンミンチユエン):60歳過ぎの男性。肉体労働者。日本人のための野球場をつくっている。元クラスニコフ神父のロシア語と中国語の中国人通訳。老林:ラオリン。「老」は、年長者に対する親しみがこめられている。若い頃は、ハルビンで奴隷売買をしていた。中国人をロシア人に売っていた。阿片(アヘン)を吸い遊女を買っていた。 仙桃城(シエンタオチヨン):地名。李家鎮(リージヤジエン)の変更後の地名 鶏冠山(ジークアリシヤン):山の名称 クラスニコフ神父:物語の初めの頃に登場したロシア人キリスト教会の神父。聖ヨハネ教会担当。聖ヨハネ教会は、教会とは名ばかりの粗末な小屋 東州河(トンチヨウホー):川の名称 孟(モン):林銘伝(リンミンチユエン)の親戚。通訳。孟の妻がロシアキリスト教の信徒 時代は少しずつ前に進んでいます。 奉天紅槍会(ほうてんホンチアンホエイ)の許春橋(シュウチユンチヤオ) 赤銃会(チーチヨンホエイ)の孫丞琳(ソンチヨンリン)。愛称が、孫百八姐(ソンバイパージエ)。孫悟空ソンウーコン(孫行者ソンシンジヨオ)の末子だが、父親の孫悟空を嫌っている。強く孫悟空を憎んでいる。(実は、孫悟空は父親ではない)。女性でダンサーをしている。 炭鉱で働いていた陳昌済(チエンチヤンジー) 先生:中国語の場合、日本語の「先生」の意味ではない。〇〇さんの「さん」という意味になる。 溥儀(プーイ):愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)1906年(日本だと明治39年)-1967年(昭和42年)61歳没。中華圏最後の皇帝。ラストエンペラー。満州国の皇帝として即位。 東州路(トンチヨウルー):道路の名称かと思いましたが、区域ではなかろうかと判断しています。 石本:須野明男(すの・あけお)と同室者。女好き。 笠岡教授:東京帝国大学工学部建築学科担当。笠岡研究所担当 1932年(昭和7年)の設定です。満州国がこの年に成立して、終戦の1945年(昭和20年)まで続きます。 五色旗(ごしょくき):黄色を下地にして左上に、上から赤・藍・白・黒の旗。満州国の国旗 都邑計画(とゆうけいかく):都市計画。「邑」は、「村」のこと。 山査子(さんざし):落葉低木 満鉄の村越 張文貴(チヤウエンクイ):こども、男児。弟がふたりいる。須野明男(すの・あけお)が写真を撮る。その写真がきっと伏線になると予想します。隣に住むのが、「江(ジャン)」さん。 三国志:サングオジー 仙人(シエンレン):西方人(アジアから見て西の人) 古田:日本人警官。中年。優しい。 安井憲兵少尉 小明(シヤオン):須野明男(すの・あけお)のダンスの相手をした女性 トラブルが発生して荒れます。 下達(かたつ):上層部の命令を伝えること。 揶揄い:からかい 淡々と冷徹に、日本兵が中国人庶民を集めて大量虐殺をしたことが書いてあります。 イスラエルによるパレスチナガザ地区攻撃のようでもあります。 やらなければ、やられるという恐怖にかられているのです。 戦争の痛ましさがあります。 みせしめをしても、復讐心は消えるばかりか倍増します。 戦争は空しい(むなしい)。だれが戦争を主導しているのか。『第九章 千九百三十二年、秋(昭和7年)』 安井:守備隊の憲兵。少尉 考古学者:いまのところ氏名不明 加納伍長(ごちょう):ニックネームは「将軍」 奉天紅槍会の許春橋(シユウチユンチヤオ) 甘粕(あまかす)民政部警務司長 読んでいて思い出す一冊があります。 赤塚不二夫さんの自伝です。 『これでいいのだ 赤塚不二夫自叙伝 文春文庫』 『戦中編(満州1)』 現在の北京市(ぺきんし)北東部にある古北口(こほくこう)生まれ。本籍は新潟市だそうです。 著者の父親が、特務警察官です。日本と対立する中国のゲリラ対策対応が業務のようです。ずいぶん危険そうな職業です。髭(ひげ)を生やして(はやして)いた。怖い人というイメージだったとあります。 黄河文明のことが少し書いてあります。 五族協和:満州、蒙古、回(イスラム教徒)、蔵(チベット民族)、漢民族 ひとり殺せば、何人でも殺せるようになるのか。 へんな話ですが、昔タクシーの運転手と話をしたときに、運転手が、浮気というものは、最初はためらうけれど、一度やってしまうと、何度でもやれるようになると聞いたことがあります。浮気でなくてもほかの罪悪感をもつようなことでも同様でしょう。基本的に人間なんてそんなものなのです。 『…… 上官の命令は、陛下の命令と同じだと教えられていた……』洗脳による意識操作(マインドコントロール)があります。他者の考えにだまされたり、依存したりしちゃだめです。自分の脳みそで考えなければだめです。 アナキスト:国家や宗教などの権威と権力を否定する。個人の合意で個人の自由が重視される社会を理想とする思想の人 邵康(シヤオカン):日本人による虐殺の生き残り。日本人に両親と祖母、ふたりの妹を殺された。兄は戦死した。 宋其昌(ソンチーチヤン) 韓(ハン):門番 王経緯(ワンジンウエイ):奉天抗日軍の連絡役を名乗る男(実は相手をだまして捕まえようとする組織の人間) ロシアの言葉として、『キノコと名乗ったからには籠に入れ』(一度手をつけたら、最後までやり遂げなさいという教え) 耳に痛い言葉として、『日本人たちは、暴力によって他人を支配できると考えている。偽国家を作り、偽の法を作り、偽の王の力でこの地を征服しようとしている……』 ロシア人キリスト教神父に抗議があります。『あなたの言うように祈ったところで、何も起こりませんでした…… 戦うことでしか、私たちの意思を示すことはできません』(神よーーと 祈っても、戦争はなくならないのです) 須野正男:須野の長男。工兵として満州へ行く。工兵(軍人。技術的作業担当) 須野明男(すの・あけお):須野の次男。二十歳 張学良(ちょうがくりょう):1901年(日本だと明治34年)-2001年。ハワイホノルルにて100歳没。軍人、政治家。張作霖の長男。張作霖(ちょうさくりん):1875年(日本だと明治8年)-1928年(昭和3年)53歳没。中華民国の政治家。 犬養毅(いぬかいつよし)首相:1855年(江戸時代末期)-1932年(昭和7年)76歳没。五・一五事件で暗殺された。反乱目的で武装した陸海軍の将校たちが内閣総理大臣官邸で殺害した。 小明(シヤオミン):なになにちゃん、なになに君。細川が須野明男を呼ぶ時の言葉。 細川が満鉄を辞める。空席となった仙桃城工事事務所長の後任に、松浦商会の取締役で、「日華青年和合の会」の若手強硬派だった横山という三十代の男がなった。ロシアの大学を出たとびぬけた頭脳をもつ男だった。ただし、細川は横山を支持していなかった。 石原参謀(さんぼう) 319ページまで読みました。淡々と話が進んでいきます。山場があるようでありません。不思議です。今日は12月2日土曜日です。寒くなりました。『第十章 一九三四年、夏(昭和9年)』 石本:須野明男の友人。東横線『代官山駅』の近くに住んでいる。 中川:石本と同じアパート、二階の手前の部屋に住んでいる。石本いわく、中川は千年に一度の秀才らしい。同潤会に就職した。石本と同じ高校の三年先輩。 コンター:等高線、輪郭線 フラット:集合住宅 同潤会(どうじゅんかい):財団法人。日本で初めての住宅供給組織。大正13年設立。大正12年の関東大震災の義援金で設立された。 リムスキー=コルサコフの『シェラザード』:1888年完成の交響組曲 ポール・ヴァレリーが『エウパリノス』の中で言っていた:フランスの詩人・小説家(1871-1945 73歳没)。代表作が、「エウパリノス」建築と音楽。哲学と舞踏論ほか。 エベネザー・ハワードの『明日の田園都市』:近代都市計画の祖。イギリスの社会改良家、都市計画家。1850-1928。78歳没。明日の田園都市は著作品。モダン(現代的、当世風)な都市計画の提唱者。レッチワースは、ハワードが手がけたロンドンの北にある田園都市 岸田先生、辰野金吾:建築家。辰野金吾氏は、日銀本店、東京駅、奈良ホテルなどをつくった。 笠岡教授:専門は防災 ル・コルビュジエ:スイス生まれでフランスで活躍した建築家。フランス語の論文として、「輝く都市」 伏線として、『アカシア』:『抽象的な都市生命学』 満州国三周年記念日の翌週、戦争構造学研究所記念祝賀会 千里眼ビルディング:正式名称は、東亜ビルディング。仙桃駅直結のビルディング。孫悟空の会社東亜公司が経営する。公司(こうし):中国で会社のこと。 仙桃城工事事務所長 横山 駐在員 村越 ファサード:建物の正面から見た外観 335ページ。戦争構造学研究所長の細川が、『地図と拳』というタイトルで講演を始めます。 地図は二人組でつくる。(測量) イギリス人のメイソンとディクソン(アメリカ合衆国ペンシルベニア植民地とメリーランド植民地の境界線) ルイスとクラーク(アメリカ合衆国西海岸) カッシーニ親子(フランス。木星を使って経度の計測に成功した) キムとラマ(英領インド) 漢人シーとホー(古代の天文学者) ブーゲとコンダミン(フランス人。ペルーで測量) 三角測量を用いて測量する。 趣旨として、『国家とは、すなわり地図である。…… 大日本帝国は、台湾を手に入れ、朝鮮を手に入れた。』 もうひとつ、拳(こぶし)の趣旨として、『この世から「拳」はなくならない。地図があるから、「拳」はなくならない。世界は狭すぎる。人類が住める場所は狭い。だから人類は戦争をする。居住可能な土地を求めて戦う。東欧を統治する者は、ハートランド(ユーラシア大陸)を支配する。ハートランドを支配する者は、世界島(アフリカ大陸)を支配する。世界島を統治するものは全世界を支配する。(中国の政策一帯一路のようです)』 ユーラシアの東方にドイツがある。西方に日本がある。 昭和9年のことですが、戦争構造学研究所長の細川の頭の中には10年後の世界のことがあります。 今田:政治活動家。東京上野不忍池(しのばずのいけ)の近くにあるアパートに住んでいる。偽名が今田で、本名は、『鴨田直志(かもだ・なおし)』らしい。 K:今田が属する政治活動団体のトップ 石本が考える須野明男があります。 石本は、須野明男の都市計画能力に嫉妬しています。ライバル視です。 石本は、自分の代わりに須野明男の対抗馬として、中川を立てます。 革命:資本主義を共産主義に変える。 議会制度の否定:資本家にとって優位な制度だから。 ブルジョワ階級:資本家 プロレタリアート:賃金労働者階級。労働者、農民 石本は、共産党の末端組織「細胞」の活動に取り組み始めます。 石本は、『青年建築家同盟』を立ち上げます。建築を通じて世界を変える。考え方は共産主義的です。資本主義を否定する。戦争のない平和で平等な世界を実現する。機関紙が、『青春』 本のなかの時代は昭和10年(1935年)です。昭和ひとけたから10年あたりが、熊太郎の親世代が生まれたあたりです。昨年12月に九州に住む実母に会ってきました。もう90歳ぐらいです。耳は聞こえにくいようですが、おしゃべりは尽きません。いろいろ叱られるばかりです。黒柳徹子さんの世代です。戦争体験者はご苦労をされています。 仲間として、木内、須野明男、石本、中川、班長という肩書の人 須野明男は、昭和10年(1935年)に東京帝国大学を卒業した。まだ、ラジオはあるけれど、テレビはない時代です。昭和16年(1941年)12月から太平洋戦争に突入です。 美濃部達吉の天皇機関説:1873年(明治6年)-1948年(昭和23年)75歳没。法学者。天皇に主権があるとはしない。天皇は周囲の進言を受けながら国を統治する役割を果たす。(こちらの物語の中では、人民が「機関」の意味をとれず、「機関車」とか「機関銃」と理解しています) 干城(かんじょう):国を守る軍人 大元帥(だいげんすい):天皇 股肱(ここう):部下 埒があかない(らちがあかない):ものごとがいつまでたっても進まない。「埒(らち)」は、囲い。 イデオロギー:政治思想、社会思想 瓦解(がかい):一部の崩れから全部が崩れること。 青年建築家同盟:多い時で50人超え。大学教授、課長級の人物、若手建築家の集団。その後減少して、14人。編集長石本 赤:共産主義者、社会主義者 酒保(しゅほ):飲食物の売店(軍関係) 軍隊です。鉄拳制裁があります。(殴る(なぐる)) コミンテルン:国際共産主義運動の指導組織 美人局(つつもたせ):女を使って男をだまして男から金銭をせしめる。 拐帯(かいたい):預かっているお金を持ち逃げすること。 シンパ:共産主義への共鳴者。影で援助する。 ファシズム:労働階級を権力で押さえる。外国を侵略する。独裁主義。反対派を弾圧する。 橋本:2年兵。薬莢をなくした。やっきょう:鉄砲の発射薬を詰める容器。発射後、銃から排出される。 白澤:内務班の職員 転向:共産主義、社会主義をやめる。その思想を捨てる。 特務曹長(とくむそうちょう):陸軍の准士官。少尉と曹長の間。 償勤兵:軍法上の罪を犯した(おかした)兵員という意味だろうか。たとえば、脱走兵。 不寝番:夜通し寝ない出番をする人。役目 読んでいて、話の話題が小さいような気がします。370ページあたりです。 内閣総理大臣:須野正男(須野明男の兄)。明朗快活な好男子。中尉として満州に滞在中。 日本銀行総裁:石本 海軍大臣:赤石 仮想内閣→仮想閣議。昭和12年(1937年)5月初めのこと。 須野:須野明男の父。満鉄の仙桃城工事事務所の工科長。工科は、工業に関する学問。学科。 陸軍大臣:滝本 丸眼鏡の男:戦争構造学研究所の細川 仮想内閣で未来を推測する。 地政学研究班が導き出した『塘沽事変(とうこじへん)』をもとにして、日本政府の対応を考える。(仮想の塘沽事変(とうこじへん)が、現実の北支事変になる。盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)1937年(昭和12年)7月7日) 国民党の蒋介石(しょうかいせき)と共産党の周恩来(しゅうおんらい)。 デュナミス:ギリシア哲学用語。『現状から発展する可能性のある選択のこと』未来の予想です。戦争になるかならないか。どちらが勝利するかなどです。 タングステン:金属。洗車の装甲、砲弾、対戦車弾に使われている。 須野明男:歩兵として、満州に来た。司令部勤務で、仙桃城の派出所で都市計画や建築に携わる。 須野正男:陸軍の命令で、北支へ行った。 『第十一章 一九三七年、秋(昭和12年)』 中川:昭和12年8月下旬赤紙(召集令状)を受け取った。盧溝橋事件が、7月7日だった。日本人はロシア人が敵だと思っていた。中国人が敵になってしまった。『K』は、中川だった。 多胡(たご):バイオリン弾き 銃の音についてです。 ドン:自分が銃を撃った時の音です。 パン:相手が銃を撃った時の音です。 ヒュン:相手が撃った銃弾が自分のそばをかすめて通過する音です。 塘沽沖(とうこおき):天津の南東にあたる。 天津(てんしん):北京の南南東に位置する国家中心都市 王口鎮(ワンコウジエン):天津の南南西にある土地。天津市の管轄 子牙河(ズーヤホー):河川 八貫:3.75kg×8=30kg 沙河橋鎮(シヤーホーチヤオジエン):天津市の南南西に位置する土地 海松色(みるいろ):海藻のようなくすんだ濃い黄緑色 微発(ちょうはつ):軍需物資を人民から強制的に取り立てる。 献県城(シエンシエンチヨン):天津の南南西に位置する土地 歩兵の役割:『行軍(こうぐん。軍隊が隊列を整えて移動すること)』と『突撃(喊声(喚き声)をあげて前進すること)』突撃とは、阿呆になり(あおうほうになり)、ただの機械になること。 孫丞琳(ソンチヨンリン):女性。孫悟空(ソンウーコン(孫行者(ソンシンジヨオ)))の娘。愛称『孫百八姐(ソンバイパージエ)』赤銃会(チーチヨンホエイ)のメンバー 小島:仙桃城守備隊第二中隊長 許春橋(シユウチユンチヤオ):奉天紅槍会。炭鉱襲撃の英雄 安井:守備隊の配属憲兵 宋其昌(ソンチーチヤン):守備隊に通訳としてもぐりこんだ。 八路軍(パールー):中国共産党軍。以前は、仙桃城紅軍((シエンタオチヨンホンジユン) 永陵街(ヨンリンジエ):仙桃城の東に位置する土地 邵康(シヤオカン):日本人による虐殺の生き残り。日本人に両親と祖母、ふたりの妹を殺された。兄は戦死した。 父親である孫悟空から娘である孫丞琳(ソンチヨンリン)への教えとして、『王は予言者に反論できなければならない』があります。予言者が王を支配していた。予言者だけが、お文字を読めた。 予言者のいいなりになってはいけない。王は、学ばなければならない。(権力者になる立場の人間は、学ばなければならない) 歴史や学問は、『声』によって、後世に伝えられてきた。師匠の教えを弟子が引き継いだ。 文字は、金勘定をするために生まれた。文字は、物語をつくために生まれたのではない。 最初に文字を使ってできた物語が、『聖書』だった。 ロシア人のクラスニコフ宣教師は、宣教師の職を失って、老人のホームレスのようにやつれはてています。彼は、地図をつくっている。 孫丞琳(ソンチヨンリン)と須野明男は再会しますが、孫丞琳(ソンチヨンリン)は須野明男を覚えていません。ふたりが以前会ったのは、1932年(昭和7年)3月2日、午後10時11分です。日本が経営する炭鉱が現地中国人グループに襲撃される直前でした。 中川 水島 戦争の悲惨さが、日本軍の中国における『行軍』行為として表現されています。 『戦争』は、人間を、『獣(けもの)』に変えます。この付近のシーンでは、日本軍の兵隊は、加害者です。侵略者です。 山岳地帯の鞍部(あんぶ):山の尾根のくぼんだところ。 展望哨(てんぼうしょう):遠くを見渡す見張り。 擲弾筒(てきだんとう):手りゅう弾を遠くに飛ばすための小型の火器 血路(けつろ):敵の囲みを破って逃げる道 山縣元帥(やまがたげんすい):山縣有朋(やまがた・ありとも)。長州藩。高杉晋作と奇兵隊を率いた。(たかすぎしんさくと、きへいたいをひきいた)。陸軍大将 日本男児の気象を示す:気質 414ページ付近を読んでいて、一冊の絵本のことを思い出しました。『百年の家 絵/ロベルト・インノチェンティ 作/J.パトリック・ルイス 訳/長田弘(おさだ・ひろし) 講談社』戦争がからんでいます。 アリストテレスの言葉があります。『よい人間とは何か。』アリストテレスは答えます。『「思慮(しりょ)である。注意深く、ものごとを様々な側面から考える。他人の立場を慮る(おもんばかる。相手のことを考えて相手のためになる仕事をする)』 平常時は建築の天才といわれた中川は、戦争で歩兵となり、中国大陸で銃撃戦を行い、自分はもう人間ではない。修羅(しゅら。バケモノ。インドの鬼の神)になったと悲しくなるのです。『第十二章 一九三八年、冬(昭和13年)』 安井:憲兵中佐。須賀明男からカメラを取り上げた。 横山所長:今は奉天にいる。 ジュール・ブルデ:フランスの建築家 本多静六(ほんだ・せいろく):1866年(江戸時代末期。明治維新が1868年)-1952年(昭和27年)。85歳没。林学者。造園家。株式投資家。「公園の父」。投資で得た巨万の富を匿名で教育機関、公共機関に寄附した。日比谷公園を設計した。 1889年万国博覧会:明治22年フランスパリにて。第4回パリ万博 『光とは命である』『建築家は光を利用する』『闇とは想像力である』 ル・コルビュジエ:建築家。スイス生まれフランスで活躍した。 須野明男は、公園をつくることを決心する。 南京陥落:1938年(昭和13年)12月13日 近衛内閣(このえないかく):内閣総理大臣近衛文麿(このえ・ふみまろ)。第1次から第3次。 黄宝林(ホアンパオリン):別名として『黄司令(ホアンスーリン)』と呼ぶ。反日活動組織のトップ。常に砂時計を使用していて、自分自身の行動の時間の管理をしている。日本人に対する強烈な復讐心をもっている。 飛龍(フェイロン):軍馬の名前 牌布(パイプウ):布。ラシャ。毛織物 輜重係(しちょうかかり):軍隊で兵站(へいたん。物資に関しての支援担当)担当。手荷物係 『一切行動聴指揮(どんなときも指揮に従って行動せよ』『一切繳獲要帰公(得たものはすべてみんなのもの)』 『わたしたちの土地を取り戻しましょう』 惹句(じゃっく):キャッチフレーズ 須野明男のプランとして、『李家鎮公園(リージヤンエン公園)』の計画案 『燃えない土』は、コンクリートとの相性が良かった。 ゲニウス・ロキ:ローマ神話における土地の守護精霊。地霊。モニュメント(記念碑)は、公園に潜む魂を立ち上がらせるものでなければならない。 普請(ふしん):土木・建築工事 公共事業 アーキテクチャ:建築物。建築学。当初は、「造家(ぞうか)」という訳語だった。『第十三章 一九三九年、夏(昭和14年)』 安井:憲兵中佐。この時点で激怒している。自分の『仙桃城再開発計画』をつぶされたことで怒っている。ヤブ医者の誤った治療で、7歳の弟が死んだときよりも怒っている。(おこっている)。計画の中止は中国人によるものではなく、日本人によるものだと判断している。しかし、表向きは中国人が悪いことになっている。満州で日本人が快適に暮らすことができる官舎をつくる予定だった。 治安課長:司令部から来た。 甘粕元司長(あまかすもとしちょう) 永陸街(エンリンジエ):地名 南清輪船公司(ナンチンルンチユアンゴンスー):船舶会社 不要停止!(プーヤオテインジイ):止まるな! 便衣兵:一般市民の服装をした兵員。民間人に変装している。 放下武器!(フアンシアウーチー):武器を捨てろ! 大旬子鎮(ターシユンヅジエン):地名。『偽機関銃作戦』を中国側の作戦として行う。 石本は仙桃城で2年間を過ごしていた。今は、昭和13年の冬。日支戦争は続いていた。 戸島製作所の鷺島(さぎしま)開発部長 大連中試の中村社長 仙桃城東精油工場の白鳥工場長 燃料廠(ねんりょうしょう。屋根だけで壁のない建物)の高島海軍中佐 石炭から石油へのエネルギーの変化の話があります。 この当時の判断として、『日米開戦の確率はそれほど高くはない』 中川は戦死した。『第十四章 一九三九年、冬(昭和14年)』 城島源造(じょうしま・げんぞう):生まれつき恐怖心という感情が薄い。軍人になるとすぐ死んでしまうので、14歳で泥棒になった。おとなになって、『忍びの源』という名で呼ばれる大泥棒になった。満州で活動している。 男(おそらく細川)に頼まれて、書類の盗みをしている。仙桃城東精油工場から盗み出して、代わりの書類を置いて、そのあと、本物の書類を元の位置に戻している。憲兵安井の部屋からも盗みを依頼されたがあまりに危険なので断った。 掏摸:すり 虎臥(こが):虎が大地に伏せている。さらに、「竜跳虎臥(りゅうちょうこが):筆勢のこと。竜が跳ぶ、虎が伏せるような筆の勢い。 仙台に輸入されたプレス機:トランスファープレス機 煤都:読みは、「ばいと」か。石炭の煤(すす)。黒煙が立ち上る都市 『超高層の建築を実現するため、絶対に必要だった技術とは何だろうか?』→『エレベーターと空調機の発明だよ……』 昭和14年のこととして、赤石は、戦争において、日本の敗北を予言しています。 石本は、満州に残っている。 ノモンハン事件:モンゴルハルハ川付近。1939年(昭和14年)5月-9月。満州国とモンゴル人民共和国の境界線を巡って起きた衝突紛争。モンゴルを衛星国にしていたソビエト連邦と日本の紛争。ソ連とモンゴルが国境を維持した。 フランスがドイツに降伏した日:1940年(昭和15年)6月22日 隷下(れいか):指揮下 『「では、また」とここのまま別れたら、もう二度と正男と会うことができないような気がしていたのだった……』 8年6か月ぶりに、ダンスホールに行く。 タイガー・ラグ:ジャズ曲。1917年の曲 『昭和15年9月:ドイツはイギリスを空襲していた。日本軍は相変わらず支那と戦っていた……』 太平洋戦争の開戦が、(1941年)昭和16年12月8日ですが、登場人物たちは、日本の敗戦を予想しています。『戦争は始まっていなかったが、始まる前から終わっていたのである』『第十五章 一九四一年、冬(昭和16年)』 須野明男の新しい職場:ソ連国境付近の永久要塞『虎頭要塞』虎頭鎮(フートウジエンにある。ソ連のシベリア鉄道が近い) 満州事変:昭和6年 橋頭堡(きょうとうほ):橋を守るための砦(とりで) 掩体(かんそくようえんたい):格納庫。射撃しやすくするための設備。敵の銃弾から守る設備 『建築はだれのものか→利用者のものである』須野明男は利用者にとってメリットのある建築物をつくりたいけれど、戦時中のため、強大な兵器のような建築物しかつくれないことに憤りを感じている。 ベトン:コンクリートのこと。フランス語 やるべきこととして、『巨大な不要物(満州国のこと)に使う建材を節約すること』 6月、ナチス・ドイツが不可侵条約を破ってソ連に侵攻した。 昭和18年4月、須野明男は、仙桃城に帰還する。兵舎の設計をする。 『誰かを殺すための施設を作ることは、建築家の仕事ではない。』 1941年(昭和16年)12月8日ハワイ真珠湾攻撃のあと、中国の組織は、日本軍が米軍に負けることを確信した。中国も同様に日本軍に勝つことを確信した。『勝利する未来が確定した。』とあります。 褲子(クーヅ):パンツ(ズボン) 戦争が人間を鬼に変えていきます。『第十六章 一九四四年、冬(昭和19年)』 町野寿雄(まちの・ひさお):5歳のとき、父親が奉天で戦っていた。敵の銃弾に倒れて戦死した。現在、軍人。 仙桃城(シエンタオチヨン)という都市にある千里眼ビルディング(せんりがんビルディング)の8階で、孫悟空(ソンウーコン)は、5年間暮らしている。(ひっそりと隠れている) 海賊 バーソロミュー・シャープ:1702年52歳ぐらい没。イギリスの海賊。航海日誌を残した。 『昭和19年の冬は過去に例がないほど雪が降っていた。(満州にて)……』 笠岡教授が、雪解け水いっせい流れ出しによる洪水、水害を心配していた。 須野明男は、工事事務所に残っていた。 太平洋戦争は、『転進(戦地は南方へ。満州は置き去りにされた)』→『玉砕(ぎょくさい)という名の全滅』→日本本土へ空襲開始 ナチス・ドイツは近々滅びる。 『青龍島はなぜ地図に描かれたのだろうか(空想の場所。この世に存在しない)』 ガバヌーア・ケンブル・ウォレン将軍: 地図はキリスト教のためにつくられた。(権力者は、宗教を下地にして、人民の思想を管理し、領土を増やそうと試みたと受け取りました)。そのあと、船乗りのためにつくられた。(これも領土拡大目的でしょう) なぜありもしない架空の島、『青龍島(青龍によって守護された理想郷)』が、昔の地図に存在したのか。 青龍島の北部の形は、モスクワ川の形からきている。 青龍島を描いたのは、ロシア人であろう。モスクワに縁があるロシア人であろう。 そのことを調べるために、旧サンクトペテルブルグ(現在のレニングラード)に行く。建設局の人の話を聞く。(戦争が終わって平和になるまでは行けない) 仙桃城が襲われる。 町野寿雄軍曹の右肩は銃弾が貫通する。 『1 撃つ時はなるべく敵に近づくな。相手の顔が見えないきゅおりで撃て。 2 怖くなったら俺の(上司の))顔を思い浮かべろ。俺に命令されたから撃つんだと自分に言い聞かせろ。 3 一人になるな』、『戦場では、銃弾を命中させることよりもずっと、引き金を引くことのほうが難しい……』 鹵獲(ろかく):戦場で敵の武器、弾薬、資材をぶんどること。 橋本:工兵(土木・建築・鉄道・通信担当の兵員) 『建築とは何か』:建築とは避難所である。人間は建築によって守られる。 国家とは、暴力から人間を守るためのもの。国家も建築といえる。 国家の図面を引くのも建築家の仕事だ。 もうひとつ。 『建築とは、「時間」だ』『第十七章 一九四五年、夏(昭和20年)』 今日は、1月8日(月曜日・祝日・成人の日)です。ようやくこの物語を読み終えました。記録を見ると、読み始めは、昨年10月22日(日曜日)でした。毎日少しずつ読み続けてきての達成感があります。 嫌われ者の憲兵中佐安井です。 八月十五日、天皇陛下の敗北宣言がラジオから流れても信じません。偽情報だと言い張ります。興奮して暴れる安井を止める人間を殺そうとまでします。 『一億玉砕にうよる本土決戦は、米国を倒すための唯一の作戦である……(終戦後、日本にとって米国は一番の友好国になりました)』 ソ連が中立条約を破って満州へ進軍を始めたのが、終戦直前、昭和二十年八月九日(長崎原爆投下の日)でした。(ソ連は自分たちが利益を得るためには手段を選ばない国です。国のあり方として、何かが貧しい) 『陛下から賜った(たまわった)貴重な建築資材を盗むことが、愛国精神だと?』(洗脳されています。ふつうに考えて、おかしなことを言っています。人間の脳みそは思想教育によってここまで意思をコントロールされてしまうのか。人間の心は弱い) 本土と通化:日本国本土と満州国のこと。 ハラショー:ロシア語。「わかった」「良い」「了解」 新京:満州国の首都。現在の長春市 村越:満鉄の職員 アール・デコ風:欧米で1910年代から1930年代に流行った(はやった)装飾美術。例として、エンパイアステートビルディング。 村越と石本は、満州に残る。 ハイラル:内モンゴル自治区にある都市 『…… 建築をします』 『建築とは時間です。建築は人間の過去を担保します』(建築物を見ると人は過去を思い出すことができる。建築物が時間を繋ぐ(つなぐ)) (シーンは、最初のシーンに戻るようなパターンです。なかなかうまい)『終章 一九五五年、春(昭和30年)』 読み終えて、建築の本でした。 戦争が背景にあるものの、建築家が建築物に気持ちを入れ込む本でした。 隈研吾さんの本を思い出しました。『建築家になりたい君へ 隈研吾(くま・けんご) 河出書房新社(かわでしょぼうしんしゃ)』 クラスニコフ神父の話が出ます。彼はすでに他界しています。 青龍島とクラスニコフ神父がつながります。 『地平線の向こうにも世界があることを知らなかったあなたへ(あなたは、満州仙桃城の地域(李家鎮)に住む中国人たちのことです。彼らが信じていた島が、「青龍島(理想郷、楽園)」です)』(住民に広い世界があることを知ってほしい) 青龍島をこれからつくる。都市をつくる。 読む前の予想に反して、淡々と静かに流れる歴史物語でした。読み終えて、すがすがしさが残りました。 かなりの長文になってしまいました。この文章全体を読める人は少ないでしょう。感想というより、内容を理解するための読書メモになりました。 気づきがありました。太平洋戦争は始まる前から、軍の関係者には、日米のどちらが勝つかわかっていたのです。それでも、権力者たちは、無理やりに、勝てもしない戦いを米国に挑んでいったのです。死ななくてもいい人がたくさん死んでいきました。それが良かったのか悪かったのかは自分にはわかりません。戦争にならなかったとしても、日本が植民地化されていたということもあるのかもしれません。人間がやることは完ぺきではないということは理解できました。
地図と拳(ちずとこぶし) 小川哲(おがわ・さとし) 集英社
かなり分厚い本です。小説部分は、625ページあります。評判良く、評価が高い小説です。満州(まんしゅう)のことが書いてあるらしい。満州:中国東北部の旧称。1932年(昭和7年)日本が介在して建国。1945年(昭和20年終戦)まで存在した。
2023年10月22日日曜日から読み始めます。読み終えるまでに時間がかかりそうです。(翌年1月8日月曜日に読み終えました。少しずつ読み進めました)
THE MAP AND THE FIST 地図と拳 英語のタイトルが表示されています。
序章があった、第十七章、そして終章までです。
時代は、1899年夏(明治32年)から始まって、1955年春(昭和30年)までです。
日露戦争が、1904年(明治37年)。18か月続いた。
『序章』の部分を読み終えました。
読み手たちの興味を惹くように(ひくように)、ずるい仕掛けがしてあると感じましたが、小説ですからそれはそれでいい。
松花江(スンガリー):河川の名称。アムール川の最大の支流
ロシア兵が出てきます。
高木:両親は薩摩出身。亡父は西南戦争で没した。形見は小刀。仕事は、間諜(かんちょう。スパイ)。参謀本部からの特別任務を受けている。お茶の販売目的で満州地域に入る。(鹿児島はお茶の名所なのでお茶なのだろうと推測します)。役職は、「大尉」
細川:21歳大学生。中国語とロシア語の通訳。高木に雇われている。亡母が薩摩出身。顔色が悪い。腕は細い。丸眼鏡。体力に乏しい。胆力がない。(度胸)。父親は貿易商をしている。
苦力(クーリー):アジア系の移民(中国・インド)。出稼ぎ労働者。下層階級
作物が育つ土・燃えない土・燃える土:燃える土は石炭を含んでいる。
王(ワン):中国人。山西省出身(北京の西)。現在は、奉天(ほうてん)の東にある李家鎮村(リージャジェン村)に住んでいる。東北(トンペイ)に移住した。
船の目的地は、『ハルビン』
死の符牒(ふちょう):隠語、記号、合言葉(あいことば)
長衫(チャンシャン):中国の女性の衣装
『第一章 千九百一年、冬 (明治34年)』
奉天義和団の馬宇霆(マーユウテイン)。奉天義和団:宗教的秘密結社。白蓮教(びゃくれんきょう)。外国勢力に対抗した中国の団体。
李大網(リーダーガン):李老師の表記もあり。李家鎮(リージャジエン)の王様。元役人。集落の主
神拳会(しんきょかい):農民中心の自衛組織。拳法を使う。
賈二昆(クーアールクン):人物名。神拳会の師範
タイトルの意味はなんだろう。『地図と拳』。日露戦争(1904年 明治37年開戦)から第二次世界大戦(1945年 昭和20年終戦)までの50年間を描く。国家と武力だろうか。まだわかりません。
洋鬼子(ヤンクイズ):西洋人
二毛子(アルマオズ):西洋かぶれの中国人。キリスト教徒、西洋人から雇われた人間、西洋人と中国人のハーフ
魔尼教(まにきょう):ペルシャ起源の宗教
鬼子:鬼のような人間ということだろうか。ロシア鬼子とあります。〇〇人ということのようです。日本鬼子(リーベンクイヅ)、ドイツ鬼子、フランス鬼子、イギリス鬼子、ロシア鬼子とあります。
(中国の人たちがロシアと戦おうとしています。キリスト教との闘いでもあります。この当時のキリスト教の伝道師の真の目的は、領土を奪うことではなかったのか)
凶星(ションシン):星占い。悪い影響を与える天体
禍々しい(まがまがしい):不愉快で、癪に触って(しゃくにさわって)、我慢できない。
(読んでいると、この当時から、中国は欧米やロシアに土地を侵略されていたことがわかります。国土を守るのもたいへんです)
白乾児酒(バイカンアルジュウ):コーリャンを原料とした蒸留酒
桃源郷(とうげんきょう):理想郷
娘娘廟(ニャンニャンミャオ):道教の女神を祭る社(やしろ。建物)
イヴァン・ミハイロヴィッチ・クラスニコフ:ロシア人宣教師。もともとは測量士。父親は地図職人。地図職人の前は画家だった。父が描いた若い頃の母親の肖像画のタイトルが、『冬の森』。母は、クラスニコフ宣教師が6歳のときに肺炎で亡くなった。兄弟姉妹はいない。実家は、モスクワ郊外にある集合住宅の二階。16歳から寄宿舎で生活した。それまでは、父と一緒のベッドで寝ていた。暗闇が怖かった。(こわかった)。書中では、がんこな宗教者の態度があります。儀式にこだわる。
劉神父:登場して間もなく殺された。
林銘伝(リンミンチユエン):中国人通訳(ロシア語)。ハルビンで奴隷売買をしていた。中国人をロシア人に売っていた。阿片(アヘン)を吸い遊女を買っていた。
匪賊(ひぞく):盗賊。徒党を組んで、略罰や殺人行為を行う集団
拳匪(けんぴ):義和団の異名。拳、棒術で暴力を振るう集団
鶏冠山(ジークアンシャン):中国大連市の北東。日露戦争の重要な戦場だった。
皇帝ニコライ二世
財務省ウイッテ大臣
参謀本部 アントネンコ大尉 白ヒゲの男
ケルベズ四等文官
極東軍 マドリトーフ少佐
この物語は、イヴァン・ミハイロヴィッチ・クラスニコフ宣教師を軸にして進行していくようです。
彼は5年前、1896年(日本だと明治29年)に満州のことを聞いた。ロシアが、測量をして地図をつくりに行く。(いずれ支配するために)満州にロシアからシベリア鉄道を敷く。地図が都市を生む。測量隊の一員として、イヴァン・ミハイロヴィッチ・クラスニコフ宣教師も参加することになった。
満州の人間は、『地図』というものを理解できなかった。
満州の人間は、世界も神も知らなかった。針の穴から家の天井をのぞくぐらいの視界しかなかった。
イヴァン・ミハイロヴィッチ・クラスニコフ宣教師は、1898年の暮れ(明治31年)満州を訪れた。
羅宋帽(ルオソンマロ):ボルシチ帽(帽子ぼうし)。ロシアから中国に伝わった。ラクダの毛を二重にしてできている。ひさしはない。
馬掛(マークア):中国の清の時代に男性が着用した服。腰までの丈(たけ)、長袖が少し短い。前をヒモで組まれたボタンで留める。
孟(もん):林銘伝(リンミンチユエン。通訳)の親戚。妻はロシア系キリスト教の信徒。孟も通訳
龍擡頭(ロンタイトウ):龍が目覚める日のこと。(旧暦2月2日。2023年は、3月11日月曜日だった)
イヴァン・ミハイロヴィッチ・クラスニコフ宣教師を捕らえた中国人の若者が死んでいると思っていたら息があった。
イヴァン・ミハイロヴィッチ・クラスニコフ宣教師は、通訳の林(リン)がやめるように強く説得したのにもかかわらず、自分たちを拘束して敵に引き渡そうとしたその中国人の若者を助けます。(宗教が下地になって、加害者である人間を許そうとなるのですが、読み手の自分は拒否的な心理になります。ありえません。被害者は命を奪おうとした加害者を絶対許しません。設定がおかしい。あるいは宗教の教えが矛盾(むじゅん。食い違い。理屈に合わない)しています)
『……、これは自分と神との問題だ。』という言葉があります。意味をとれません。そもそも神はいません。(もうこの先読んでもしかたがない。読書をやめうようか……)まだ60ページすぎあたりです。クラスニコフ宣教師と通訳の林は、再びその若い男に拘束されてしまいます。(その後、事態は変化します。男は、クラスニコフ宣教師たちをロシア軍に引き渡したい。李大網(リーダーガン)がふたりを助けたいそうです。
告解(こっかい):カトリック教会。神の許しを得る儀式
楊亮康(ヤンリンコン):クラスニコフ宣教師をかつて殴ろうとした男。昔は青島口(チンタオ)で商船の船長をしていたが、海賊がらみで仕事をやめて中国東北部へ生活を移した。そこが、李家鎮(リージャジェン)だった。
楊日綱(ヤンリーガン):楊亮康(ヤンリンコン)の息子。ロシア人に投げかけた言葉として、『自分たちだけが正しいと思わないでください』
情報が混乱していて、何を信じたらいいのかわからない状態です。
『第二章 千九百一年、冬 (明治34年)』
青島口:チンタオ
海賊の被害が出た。役人は無実の者を海賊だとして捕まえて朝廷に報告していた。
楊亮康(ヤンリンコン)は人にだまされます。人にだまされて不幸に落とされるところから、たいてい、物語は始まります。
焰星(イエンシン):こちらの物語では、『国家』のこと。日清戦争で中国が負けた記事があります。(1894年(明治27年))
夷狄(いてき):外国人
ロシア人は、『神』を正義だとし、『拳』を悪として、中国の広い大地を奪おうとしている。
劉春光(ウチェングアン):滄州(そうしゅう。都市名。天津市(てんしんし)の南。)出身の形意拳の使い手
白蓮教(びゃくれんきょう):中国、浄土信仰の一派
神拳会(シェンチユエン):李大網(リーダーガン)が名付けた武術
なんだか、少年マンガのシーンのようになってきました。拳法(けんぽう。拳(こぶし))で相手に勝つ。拳には魂や霊気が備わっていて、強力な破壊ができる波動のような動きがあるというものです。
「硬気功(鋼の精神(はがねのせいしん))」「金房子罩(金属の房子を罩った(かぶった))」「熱力(金属のこと。さらに外国人のこと)」「土木反転(土は東北の民、木が「清朝(国家)、金属(外国人。銃)によって、土が押しつぶされている」)」「排刀一の芸(戦争のこと)」
銃に対して、鉄の拳で対抗するというように読み取れます。
孫悟空(ソンウーコン):楊日綱(ヤンリーガン)は自分に孫悟空という神が乗り移ったと悟りました。馬賊の頭(かしら)になって、名は、孫行者(ソンシンジヨオ)となります。
『第三章 千九百一年(明治34年)、冬』
田(テイエン):支那人の役人
義和団の反乱:1900年(明治33年)-1901年(明治34年)。清朝末期の動乱(どうらん。世の中が乱れる)。外国人キリスト教宣教師と地元地域の人間が対立した。土地を巡る争いがあった。清軍と義和団は欧米列国と戦争になり清国が負けた。
高粱(コーリャン):イネ科の一年草。背の高いモロコシ
寛城子(クワンチヨンツ):長春市
コサック騎兵:ウクライナやロシアに存在していた軍事共同体
洋人(ヤンレン):西洋人。欧米人
周天佑(チョウテイエンヨウ):謎の登場人物。老害化した父親を事故死のように死なせた。
吝嗇(りんしょく):ケチ
科挙(かきょ):官僚登用試験。公務員試験
洪秀全(ホンシユウチユエン):清代の宗教家。革命家
小米(シヤオミー):もみがらを取り除く処理の途中で、砕けて粉のようになった米
老許(ラオシユウ):年寄りということか。
遼陽:中国遼寧省に位置する都市
説話人(シユウホワレン):物語を語る芸人
大足女:ていそく纏足(足を小さく見せる処理)をしていない女性
小褂子(シヤオクワツ):中国服。上着
熱力(ルオリー):本質。熱は命。人間は熱。熱がなくなったときが人間の死。熱をつくるのが、食糧と石炭。内側から発生する熱と外側で発生する熱
八卦の理(はっけのことわり):中国伝来の占い。八種類の形。理は、物事の道筋
ロシアの宣撫工作員(せんぶこうさくいん):被占領地の住民が従うよう、住民への援助を行う仕事を担当する。
大俄国木材公司司総管(ターウーグオムーツアイゴンスーツオングアン):ヤンリーガン楊日網の役職
『第四章 千九百五年(明治38年)、冬』
日露戦争の真っ最中です。
沙河(シヤーホー):川の名称。ロシア陸軍と日本陸軍の戦場
卜者:ぼくしゃ。占いをする人
城廠:読みは、「じょうしょう」でいいと思います。意味は、屋根だけの建物で、戦地の砦(とりで)だろうと思います。
谷津(やず):日本軍司令部の人間
旅順が陥落した。(ロシアが負けた)
于洪屯(ユウホントウン):中国遼寧省瀋陽市西部の地名
円匙(えんぴ):小型のシャベル
従卒(じゅうそつ):将校の身の回りの世話をする兵員。この本では、「間島隊員」
兵卒(へいそつ):最下級の軍人。この本では、「矢部隊員」
伏線の『軍刀』が出てきます。高木大尉にとっての西南戦争で死んだ父親の形見です。高木大尉が満州に来て6年が経過しています。
兵站(へいたん):物資の補給・輸送担当。この本では、「兵站司令官福田(のちに大尉)」
日露戦争における戦場での激しい殺人描写があります。
主人公だと思っていた人物が絶命してしまいました。
この物語は、群像劇なのだろうか。
時代の流れの中で、悲しくも消えていった人たちの姿を浮かび上がらせるという手法だろうか。
(つづく)
以夷制夷(いいせいい):外国を利用して、自国のために他国をおさえる。
梁山泊(りょうざんぱく):豪傑や野心家が集まる場所のたとえ。山東省に会った沼地の地名。盗賊や反乱軍の本拠地だった。「水滸伝(すいこでん。シエイシユウチユエン)」の主人公たちが立てこもった場所
靉陽辺門(あいようへんもん):日露戦争の戦地。中国遼寧省瀋陽市。このあたりで、輸送隊が誘拐された。
士官学校:士官(将校)を養成する学校(現在の防衛大学)
庇われている:かばわれている。
支那語の通訳:福田と細川、岡田
加藤少尉
黄(ホアン):支那人の密偵(みってい。スパイ)
花田総統
新開嶺:遼寧省か吉林省(きつりんしょう)の地名
便帽児(ビエンマオアル):中国で、ふだんかぶる帽子(儀礼用や軍用ではない)
奉天(ほうてん):現在の瀋陽市。奉天は、満州当時の地名
富順(フーシュン):瀋陽市にある地名
興安:中国東北部にある地名
団錬:中国の地元住民による自警組織
馬賊:馬の機動力を利用する盗賊集団
天門槍(テンメンチャン):団錬や馬賊が使う武器
射線:射撃の時の銃の向きの延長線
輜重車(しちょうしゃ):軍需品の輸送・補給に用いた車両。馬で引く木造の荷馬車
いろいろ意味を調べないと中身を理解できそうもない読書です。コツコツと少しずつ前に進んでいきます。
(つづく)
鍵を握るのは燃料となる『石炭』です。李家鎮(リージャジエン)には、石炭の鉱床がある。将来、炭鉱都市になりうる。(通訳細川の話として)石炭都市になったら地名を『仙桃城(シエンタオチヨン)』にしたい。仙桃は果実で、食べると不死身になれる。
尾形少佐
相手への恨み(うらみ)が、相手の戦死で、憎む者の気持ちが消化(あるいは、消火、昇華(高度な状態に抜ける))される。
『第五章 千九百九年、冬(明治42年)』
オケアノス:ギリシア神話に登場する海の神。万物の始まりとされる。(こちらの物語では、満州をオケアノスとして、『万物の始まり』になりえるかと問います。
果実:成果物。利益、金銭その他のもの。
ホメロス:古代ギリシアの詩人。紀元前8世紀末ころの人物らしい。
アレクサンドロス大王:古代に王
プラトン:古代ギリシアの哲学者。紀元前427年ころ―327年。ソクラテスの弟子
須野(すの):南満州鉄道株式会社、通称「満鉄」に報告書としての資料を提出する。東京本郷に住んでいる。大学の気象学研究者。
元木教授:須野の同僚
神託書(しんたくしょ):神の言葉、神の意思
新井:満鉄の歴史地理調査部所属
黄海(こうかい)にあるとされる青龍島(チンロンタオ):存在しない。
地図の話が出ます。歴史とか人物とかです。この物語の肝(きも。大事な部分)になるところでしょう。
まだ文字のなかった古代からです。地面に、獲物がいる場所を書く。雨で流れる。また書く。めんどうなので、今度は、石を掘って地図とする…… そのような流れです。
徴税のために地図を作成する。領土を広げるために地図をつくる。
マルコ・ポーロ―の『東方見聞録』が出てきます。読んだことがあります。
そのときの感想メモが残っています。
『全訳 マルコ・ポーロー東方見聞録 青木和夫訳 校倉書房』
初めて読みました。誤解がありました。マルコ・ポーローは冒険家で単独にてシルクロードを歩いた人ではありませんでした。時は日本の鎌倉時代、マルコはまだ15歳、父親と叔父と一緒に商売の旅にイタリアヴェニスからスタートしています。再びヴェニスに戻ってきたのは25年後、マルコは40歳に達しています。
記述の中にあるのはまるで映画の中の風景です。アジアの様子です。王がいて、一夫多妻制で、世襲です。支配する者の権力は強大です。一族内の権力闘争があって、毒殺がある。日本も同時期に同様な形態の社会がありました。国は発展して堕落の経過をたどり侵略や内戦によりやがて滅びていく。タルタル人、サラセン人、ジェノア人、アルメニア人、ジョルジャ人、トリシン人、カタイ人は今の何人なのかわからない。ドイツ人、フランス人、ユダヤ人、トルコ人はわかる。キリスト教、マホメットの宗教があって、偶像崇拝の宗教がある。
ここまで読んで、こちらの小説で宗教家が出てくるのですが、思うに、西洋人はまず、キリスト教という宗教で現地の人間を精神的に感化して(洗脳して。マインドコントロールして。感情・意識を操作誘導して)、その国の領土を手に入れる(植民地化する)という手法をとっていた。ゆえに、江戸幕府は、キリスト教を禁止したと考察できます。
古代ギリシア人:地中海の地図を作製した。
古代ローマのプトレマイオス:球体の地球を平面に描写した。
紙の上に『世界』を表現する。
宣教師たちは、測量技術を使って、地図をつくるようになった。
日本の伊能忠敬さん(いのう・ただたかさん)を思い出しました。
1745年-1818年 73歳没 1800年から1816年の17年間、日本各地を歩いて測量をした。本人56歳から測量が始まっています。
物語のポイントとして、『実在しない「青龍島(チンロンタオ)」が地図に描かれている』こと。
インバネス:男子用のコート。肩から胸にかけて、もう一枚布(ケープ)が付いている。(満鉄の通訳細川が着用していた)
高木慶子:寡婦(かふ。夫を亡くした女性)、長男正男5歳、その後須野と再婚して明男(あけお)が誕生する。亡高木大尉の妻。満鉄の職員になった須野(すの)と再婚する。スノ・アケオ:反対から読んで「アケオノス」(万物の始まり)
そうか…… という物語の仕組みが判明します。途切れたと思った糸が再びつながりました。
慧深(けいしん):1400年前の支那人僧侶。アメリカ大陸に渡った。
扶桑(ふそう):神木(しんぼく)。ハイビスカス
『満州の地図をつくって、日本の夢を書きこむ。満州に国家をつくる』(満州はまだだれものもでもなかった。清が滅び、中華民国が誕生していたが、満州の統治はできていなかった)
日本橋三越:先月10月のとある日に、建物の前を歩いたので、作中に出てきた名称を身近に感じます。
ニライカナイ:沖縄地方の話。海のかなたや海底に理想郷があって、そこをニライカナイという。信仰のひとつ。
青龍島:チンロンタオ
『第六章 千九百二十三年、秋(大正12年)』
関東大震災発災の年です。記述にも出てきます。
須野明男(すの・あけお):独特です。まだ、11歳です。伏線として、高橋大尉の軍刀。
懐中時計を与えられて、秒針の動きから時間の経過に強い興味と執着心をもつ。
9歳で温度計を与えられて、温度に異常なまでの興味を示す。狂気すら感じられます。
時計がなくても現在の時刻がわかるようになる。温度計がなくても、今の温度がわかるようになる。
11歳で風力計を与えられて、風力計がなくても風力がわかるようになる。
市谷台:いちがやだい。東京新宿区内。登場人物の男の子が通う士官学校がある。(熊太郎はたまたま先日、市ヶ谷にあるJICAジャイカ地球広場を見学したばかりなので、読んでいて縁を感じました。そばに防衛省の広い施設があります。
『第7章 千九百二十八年、夏(昭和3年)』
福田主計大佐
山井大尉(やまのいたいい)
京都帝国大学教授 一木教授(いちききょうじゅ)
三井物産 棚橋部長:背の高い白髪の男
松浦商会 横山(ヘアスタイルは、「震災刈り(七三分けなどの短いほうをより短く刈り込む)
満州にある関西商船が間借りしている三階建ての建物
ファサード:建物正面から見た外観
『日華青年和合の会』
『仙桃城炭鉱準備掛』(虹色の都市にする夢がある。満州民族、漢民族、日本人、ロシア人、朝鮮人、モンゴル人、国家や民族、文化の壁を越えて、みんなで手をとりあって生活する。新国家の建設が目標ですとあります。「最後の一色(221ページ)」とありますが、その一色は「死者」を表す。この土地の人のために、これまでに亡くなった人たちの霊魂を指す)
孫文。革命軍を率いる:1866年(日本では江戸時代末期)-1925年(大正14年)58歳没。中華民国の政治家、革命家
張作霖(ちょうさくりん):1875年(日本だと明治8年)-1928年(昭和3年)53歳没。中華民国の政治家。
蒋介石(しょうかいせき):1887年(日本だと明治20年)-1975年(昭和50年)87歳没。中華民国の政治家。初代中華民国総統。
土匪(どひ。土着の非正規武装集団。盗賊の類(たぐい))、政匪、商匪、学匪
跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ):いろいろな妖怪が夜中にうろつきまわること。
関東軍:大日本帝国陸軍のひとつ。日露戦争後、日本がロシアから引き継いだ土地を担当した。
炭鉱のことが出てきます。一時期は隆盛をきわめましたが、石油へのエネルギー革命で、急速に衰退化しました。以前、福岡県の飯塚市で歴史資料館の展示を見学しましたが、150年間ぐらいの経済活動だった記憶です。江戸時代末期から1970年代だったと思います。
『第八章 千九百三十二年、春(昭和7年)』
林銘伝(リンミンチユエン):60歳過ぎの男性。肉体労働者。日本人のための野球場をつくっている。元クラスニコフ神父のロシア語と中国語の中国人通訳。老林:ラオリン。「老」は、年長者に対する親しみがこめられている。若い頃は、ハルビンで奴隷売買をしていた。中国人をロシア人に売っていた。阿片(アヘン)を吸い遊女を買っていた。
仙桃城(シエンタオチヨン):地名。李家鎮(リージヤジエン)の変更後の地名
鶏冠山(ジークアリシヤン):山の名称
クラスニコフ神父:物語の初めの頃に登場したロシア人キリスト教会の神父。聖ヨハネ教会担当。聖ヨハネ教会は、教会とは名ばかりの粗末な小屋
東州河(トンチヨウホー):川の名称
孟(モン):林銘伝(リンミンチユエン)の親戚。通訳。孟の妻がロシアキリスト教の信徒
時代は少しずつ前に進んでいます。
奉天紅槍会(ほうてんホンチアンホエイ)の許春橋(シュウチユンチヤオ)
赤銃会(チーチヨンホエイ)の孫丞琳(ソンチヨンリン)。愛称が、孫百八姐(ソンバイパージエ)。孫悟空ソンウーコン(孫行者ソンシンジヨオ)の末子だが、父親の孫悟空を嫌っている。強く孫悟空を憎んでいる。(実は、孫悟空は父親ではない)。女性でダンサーをしている。
炭鉱で働いていた陳昌済(チエンチヤンジー)
先生:中国語の場合、日本語の「先生」の意味ではない。〇〇さんの「さん」という意味になる。
溥儀(プーイ):愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)1906年(日本だと明治39年)-1967年(昭和42年)61歳没。中華圏最後の皇帝。ラストエンペラー。満州国の皇帝として即位。
東州路(トンチヨウルー):道路の名称かと思いましたが、区域ではなかろうかと判断しています。
石本:須野明男(すの・あけお)と同室者。女好き。
笠岡教授:東京帝国大学工学部建築学科担当。笠岡研究所担当
1932年(昭和7年)の設定です。満州国がこの年に成立して、終戦の1945年(昭和20年)まで続きます。
五色旗(ごしょくき):黄色を下地にして左上に、上から赤・藍・白・黒の旗。満州国の国旗
都邑計画(とゆうけいかく):都市計画。「邑」は、「村」のこと。
山査子(さんざし):落葉低木
満鉄の村越
張文貴(チヤウエンクイ):こども、男児。弟がふたりいる。須野明男(すの・あけお)が写真を撮る。その写真がきっと伏線になると予想します。隣に住むのが、「江(ジャン)」さん。
三国志:サングオジー
仙人(シエンレン):西方人(アジアから見て西の人)
古田:日本人警官。中年。優しい。
安井憲兵少尉
小明(シヤオン):須野明男(すの・あけお)のダンスの相手をした女性
トラブルが発生して荒れます。
下達(かたつ):上層部の命令を伝えること。
揶揄い:からかい
淡々と冷徹に、日本兵が中国人庶民を集めて大量虐殺をしたことが書いてあります。
イスラエルによるパレスチナガザ地区攻撃のようでもあります。
やらなければ、やられるという恐怖にかられているのです。
戦争の痛ましさがあります。
みせしめをしても、復讐心は消えるばかりか倍増します。
戦争は空しい(むなしい)。だれが戦争を主導しているのか。
『第九章 千九百三十二年、秋(昭和7年)』
安井:守備隊の憲兵。少尉
考古学者:いまのところ氏名不明
加納伍長(ごちょう):ニックネームは「将軍」
奉天紅槍会の許春橋(シユウチユンチヤオ)
甘粕(あまかす)民政部警務司長
読んでいて思い出す一冊があります。
赤塚不二夫さんの自伝です。
『これでいいのだ 赤塚不二夫自叙伝 文春文庫』
『戦中編(満州1)』
現在の北京市(ぺきんし)北東部にある古北口(こほくこう)生まれ。本籍は新潟市だそうです。 著者の父親が、特務警察官です。日本と対立する中国のゲリラ対策対応が業務のようです。ずいぶん危険そうな職業です。髭(ひげ)を生やして(はやして)いた。怖い人というイメージだったとあります。
黄河文明のことが少し書いてあります。
五族協和:満州、蒙古、回(イスラム教徒)、蔵(チベット民族)、漢民族
ひとり殺せば、何人でも殺せるようになるのか。
へんな話ですが、昔タクシーの運転手と話をしたときに、運転手が、浮気というものは、最初はためらうけれど、一度やってしまうと、何度でもやれるようになると聞いたことがあります。浮気でなくてもほかの罪悪感をもつようなことでも同様でしょう。基本的に人間なんてそんなものなのです。
『…… 上官の命令は、陛下の命令と同じだと教えられていた……』洗脳による意識操作(マインドコントロール)があります。他者の考えにだまされたり、依存したりしちゃだめです。自分の脳みそで考えなければだめです。
アナキスト:国家や宗教などの権威と権力を否定する。個人の合意で個人の自由が重視される社会を理想とする思想の人
邵康(シヤオカン):日本人による虐殺の生き残り。日本人に両親と祖母、ふたりの妹を殺された。兄は戦死した。
宋其昌(ソンチーチヤン)
韓(ハン):門番
王経緯(ワンジンウエイ):奉天抗日軍の連絡役を名乗る男(実は相手をだまして捕まえようとする組織の人間)
ロシアの言葉として、『キノコと名乗ったからには籠に入れ』(一度手をつけたら、最後までやり遂げなさいという教え)
耳に痛い言葉として、『日本人たちは、暴力によって他人を支配できると考えている。偽国家を作り、偽の法を作り、偽の王の力でこの地を征服しようとしている……』
ロシア人キリスト教神父に抗議があります。『あなたの言うように祈ったところで、何も起こりませんでした…… 戦うことでしか、私たちの意思を示すことはできません』(神よーーと 祈っても、戦争はなくならないのです)
須野正男:須野の長男。工兵として満州へ行く。工兵(軍人。技術的作業担当)
須野明男(すの・あけお):須野の次男。二十歳
張学良(ちょうがくりょう):1901年(日本だと明治34年)-2001年。ハワイホノルルにて100歳没。軍人、政治家。張作霖の長男。張作霖(ちょうさくりん):1875年(日本だと明治8年)-1928年(昭和3年)53歳没。中華民国の政治家。
犬養毅(いぬかいつよし)首相:1855年(江戸時代末期)-1932年(昭和7年)76歳没。五・一五事件で暗殺された。反乱目的で武装した陸海軍の将校たちが内閣総理大臣官邸で殺害した。
小明(シヤオミン):なになにちゃん、なになに君。細川が須野明男を呼ぶ時の言葉。
細川が満鉄を辞める。空席となった仙桃城工事事務所長の後任に、松浦商会の取締役で、「日華青年和合の会」の若手強硬派だった横山という三十代の男がなった。ロシアの大学を出たとびぬけた頭脳をもつ男だった。ただし、細川は横山を支持していなかった。
石原参謀(さんぼう)
319ページまで読みました。淡々と話が進んでいきます。山場があるようでありません。不思議です。今日は12月2日土曜日です。寒くなりました。
『第十章 一九三四年、夏(昭和9年)』
石本:須野明男の友人。東横線『代官山駅』の近くに住んでいる。
中川:石本と同じアパート、二階の手前の部屋に住んでいる。石本いわく、中川は千年に一度の秀才らしい。同潤会に就職した。石本と同じ高校の三年先輩。
コンター:等高線、輪郭線
フラット:集合住宅
同潤会(どうじゅんかい):財団法人。日本で初めての住宅供給組織。大正13年設立。大正12年の関東大震災の義援金で設立された。
リムスキー=コルサコフの『シェラザード』:1888年完成の交響組曲
ポール・ヴァレリーが『エウパリノス』の中で言っていた:フランスの詩人・小説家(1871-1945 73歳没)。代表作が、「エウパリノス」建築と音楽。哲学と舞踏論ほか。
エベネザー・ハワードの『明日の田園都市』:近代都市計画の祖。イギリスの社会改良家、都市計画家。1850-1928。78歳没。明日の田園都市は著作品。モダン(現代的、当世風)な都市計画の提唱者。レッチワースは、ハワードが手がけたロンドンの北にある田園都市
岸田先生、辰野金吾:建築家。辰野金吾氏は、日銀本店、東京駅、奈良ホテルなどをつくった。
笠岡教授:専門は防災
ル・コルビュジエ:スイス生まれでフランスで活躍した建築家。フランス語の論文として、「輝く都市」
伏線として、『アカシア』:『抽象的な都市生命学』
満州国三周年記念日の翌週、戦争構造学研究所記念祝賀会
千里眼ビルディング:正式名称は、東亜ビルディング。仙桃駅直結のビルディング。孫悟空の会社東亜公司が経営する。公司(こうし):中国で会社のこと。
仙桃城工事事務所長 横山
駐在員 村越
ファサード:建物の正面から見た外観
335ページ。戦争構造学研究所長の細川が、『地図と拳』というタイトルで講演を始めます。
地図は二人組でつくる。(測量)
イギリス人のメイソンとディクソン(アメリカ合衆国ペンシルベニア植民地とメリーランド植民地の境界線)
ルイスとクラーク(アメリカ合衆国西海岸)
カッシーニ親子(フランス。木星を使って経度の計測に成功した)
キムとラマ(英領インド)
漢人シーとホー(古代の天文学者)
ブーゲとコンダミン(フランス人。ペルーで測量)
三角測量を用いて測量する。
趣旨として、『国家とは、すなわり地図である。…… 大日本帝国は、台湾を手に入れ、朝鮮を手に入れた。』
もうひとつ、拳(こぶし)の趣旨として、『この世から「拳」はなくならない。地図があるから、「拳」はなくならない。世界は狭すぎる。人類が住める場所は狭い。だから人類は戦争をする。居住可能な土地を求めて戦う。東欧を統治する者は、ハートランド(ユーラシア大陸)を支配する。ハートランドを支配する者は、世界島(アフリカ大陸)を支配する。世界島を統治するものは全世界を支配する。(中国の政策一帯一路のようです)』
ユーラシアの東方にドイツがある。西方に日本がある。
昭和9年のことですが、戦争構造学研究所長の細川の頭の中には10年後の世界のことがあります。
今田:政治活動家。東京上野不忍池(しのばずのいけ)の近くにあるアパートに住んでいる。偽名が今田で、本名は、『鴨田直志(かもだ・なおし)』らしい。
K:今田が属する政治活動団体のトップ
石本が考える須野明男があります。
石本は、須野明男の都市計画能力に嫉妬しています。ライバル視です。
石本は、自分の代わりに須野明男の対抗馬として、中川を立てます。
革命:資本主義を共産主義に変える。
議会制度の否定:資本家にとって優位な制度だから。
ブルジョワ階級:資本家
プロレタリアート:賃金労働者階級。労働者、農民
石本は、共産党の末端組織「細胞」の活動に取り組み始めます。
石本は、『青年建築家同盟』を立ち上げます。建築を通じて世界を変える。考え方は共産主義的です。資本主義を否定する。戦争のない平和で平等な世界を実現する。機関紙が、『青春』
本のなかの時代は昭和10年(1935年)です。昭和ひとけたから10年あたりが、熊太郎の親世代が生まれたあたりです。昨年12月に九州に住む実母に会ってきました。もう90歳ぐらいです。耳は聞こえにくいようですが、おしゃべりは尽きません。いろいろ叱られるばかりです。黒柳徹子さんの世代です。戦争体験者はご苦労をされています。
仲間として、木内、須野明男、石本、中川、班長という肩書の人
須野明男は、昭和10年(1935年)に東京帝国大学を卒業した。まだ、ラジオはあるけれど、テレビはない時代です。昭和16年(1941年)12月から太平洋戦争に突入です。
美濃部達吉の天皇機関説:1873年(明治6年)-1948年(昭和23年)75歳没。法学者。天皇に主権があるとはしない。天皇は周囲の進言を受けながら国を統治する役割を果たす。(こちらの物語の中では、人民が「機関」の意味をとれず、「機関車」とか「機関銃」と理解しています)
干城(かんじょう):国を守る軍人
大元帥(だいげんすい):天皇
股肱(ここう):部下
埒があかない(らちがあかない):ものごとがいつまでたっても進まない。「埒(らち)」は、囲い。
イデオロギー:政治思想、社会思想
瓦解(がかい):一部の崩れから全部が崩れること。
青年建築家同盟:多い時で50人超え。大学教授、課長級の人物、若手建築家の集団。その後減少して、14人。編集長石本
赤:共産主義者、社会主義者
酒保(しゅほ):飲食物の売店(軍関係)
軍隊です。鉄拳制裁があります。(殴る(なぐる))
コミンテルン:国際共産主義運動の指導組織
美人局(つつもたせ):女を使って男をだまして男から金銭をせしめる。
拐帯(かいたい):預かっているお金を持ち逃げすること。
シンパ:共産主義への共鳴者。影で援助する。
ファシズム:労働階級を権力で押さえる。外国を侵略する。独裁主義。反対派を弾圧する。
橋本:2年兵。薬莢をなくした。やっきょう:鉄砲の発射薬を詰める容器。発射後、銃から排出される。
白澤:内務班の職員
転向:共産主義、社会主義をやめる。その思想を捨てる。
特務曹長(とくむそうちょう):陸軍の准士官。少尉と曹長の間。
償勤兵:軍法上の罪を犯した(おかした)兵員という意味だろうか。たとえば、脱走兵。
不寝番:夜通し寝ない出番をする人。役目
読んでいて、話の話題が小さいような気がします。370ページあたりです。
内閣総理大臣:須野正男(須野明男の兄)。明朗快活な好男子。中尉として満州に滞在中。
日本銀行総裁:石本
海軍大臣:赤石
仮想内閣→仮想閣議。昭和12年(1937年)5月初めのこと。
須野:須野明男の父。満鉄の仙桃城工事事務所の工科長。工科は、工業に関する学問。学科。
陸軍大臣:滝本
丸眼鏡の男:戦争構造学研究所の細川
仮想内閣で未来を推測する。
地政学研究班が導き出した『塘沽事変(とうこじへん)』をもとにして、日本政府の対応を考える。(仮想の塘沽事変(とうこじへん)が、現実の北支事変になる。盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)1937年(昭和12年)7月7日)
国民党の蒋介石(しょうかいせき)と共産党の周恩来(しゅうおんらい)。
デュナミス:ギリシア哲学用語。『現状から発展する可能性のある選択のこと』未来の予想です。戦争になるかならないか。どちらが勝利するかなどです。
タングステン:金属。洗車の装甲、砲弾、対戦車弾に使われている。
須野明男:歩兵として、満州に来た。司令部勤務で、仙桃城の派出所で都市計画や建築に携わる。
須野正男:陸軍の命令で、北支へ行った。
『第十一章 一九三七年、秋(昭和12年)』
中川:昭和12年8月下旬赤紙(召集令状)を受け取った。盧溝橋事件が、7月7日だった。日本人はロシア人が敵だと思っていた。中国人が敵になってしまった。『K』は、中川だった。
多胡(たご):バイオリン弾き
銃の音についてです。
ドン:自分が銃を撃った時の音です。
パン:相手が銃を撃った時の音です。
ヒュン:相手が撃った銃弾が自分のそばをかすめて通過する音です。
塘沽沖(とうこおき):天津の南東にあたる。
天津(てんしん):北京の南南東に位置する国家中心都市
王口鎮(ワンコウジエン):天津の南南西にある土地。天津市の管轄
子牙河(ズーヤホー):河川
八貫:3.75kg×8=30kg
沙河橋鎮(シヤーホーチヤオジエン):天津市の南南西に位置する土地
海松色(みるいろ):海藻のようなくすんだ濃い黄緑色
微発(ちょうはつ):軍需物資を人民から強制的に取り立てる。
献県城(シエンシエンチヨン):天津の南南西に位置する土地
歩兵の役割:『行軍(こうぐん。軍隊が隊列を整えて移動すること)』と『突撃(喊声(喚き声)をあげて前進すること)』突撃とは、阿呆になり(あおうほうになり)、ただの機械になること。
孫丞琳(ソンチヨンリン):女性。孫悟空(ソンウーコン(孫行者(ソンシンジヨオ)))の娘。愛称『孫百八姐(ソンバイパージエ)』赤銃会(チーチヨンホエイ)のメンバー
小島:仙桃城守備隊第二中隊長
許春橋(シユウチユンチヤオ):奉天紅槍会。炭鉱襲撃の英雄
安井:守備隊の配属憲兵
宋其昌(ソンチーチヤン):守備隊に通訳としてもぐりこんだ。
八路軍(パールー):中国共産党軍。以前は、仙桃城紅軍((シエンタオチヨンホンジユン)
永陵街(ヨンリンジエ):仙桃城の東に位置する土地
邵康(シヤオカン):日本人による虐殺の生き残り。日本人に両親と祖母、ふたりの妹を殺された。兄は戦死した。
父親である孫悟空から娘である孫丞琳(ソンチヨンリン)への教えとして、『王は予言者に反論できなければならない』があります。予言者が王を支配していた。予言者だけが、お文字を読めた。
予言者のいいなりになってはいけない。王は、学ばなければならない。(権力者になる立場の人間は、学ばなければならない)
歴史や学問は、『声』によって、後世に伝えられてきた。師匠の教えを弟子が引き継いだ。
文字は、金勘定をするために生まれた。文字は、物語をつくために生まれたのではない。
最初に文字を使ってできた物語が、『聖書』だった。
ロシア人のクラスニコフ宣教師は、宣教師の職を失って、老人のホームレスのようにやつれはてています。彼は、地図をつくっている。
孫丞琳(ソンチヨンリン)と須野明男は再会しますが、孫丞琳(ソンチヨンリン)は須野明男を覚えていません。ふたりが以前会ったのは、1932年(昭和7年)3月2日、午後10時11分です。日本が経営する炭鉱が現地中国人グループに襲撃される直前でした。
中川
水島
戦争の悲惨さが、日本軍の中国における『行軍』行為として表現されています。
『戦争』は、人間を、『獣(けもの)』に変えます。この付近のシーンでは、日本軍の兵隊は、加害者です。侵略者です。
山岳地帯の鞍部(あんぶ):山の尾根のくぼんだところ。
展望哨(てんぼうしょう):遠くを見渡す見張り。
擲弾筒(てきだんとう):手りゅう弾を遠くに飛ばすための小型の火器
血路(けつろ):敵の囲みを破って逃げる道
山縣元帥(やまがたげんすい):山縣有朋(やまがた・ありとも)。長州藩。高杉晋作と奇兵隊を率いた。(たかすぎしんさくと、きへいたいをひきいた)。陸軍大将
日本男児の気象を示す:気質
414ページ付近を読んでいて、一冊の絵本のことを思い出しました。『百年の家 絵/ロベルト・インノチェンティ 作/J.パトリック・ルイス 訳/長田弘(おさだ・ひろし) 講談社』戦争がからんでいます。
アリストテレスの言葉があります。『よい人間とは何か。』アリストテレスは答えます。『「思慮(しりょ)である。注意深く、ものごとを様々な側面から考える。他人の立場を慮る(おもんばかる。相手のことを考えて相手のためになる仕事をする)』
平常時は建築の天才といわれた中川は、戦争で歩兵となり、中国大陸で銃撃戦を行い、自分はもう人間ではない。修羅(しゅら。バケモノ。インドの鬼の神)になったと悲しくなるのです。
『第十二章 一九三八年、冬(昭和13年)』
安井:憲兵中佐。須賀明男からカメラを取り上げた。
横山所長:今は奉天にいる。
ジュール・ブルデ:フランスの建築家
本多静六(ほんだ・せいろく):1866年(江戸時代末期。明治維新が1868年)-1952年(昭和27年)。85歳没。林学者。造園家。株式投資家。「公園の父」。投資で得た巨万の富を匿名で教育機関、公共機関に寄附した。日比谷公園を設計した。
1889年万国博覧会:明治22年フランスパリにて。第4回パリ万博
『光とは命である』『建築家は光を利用する』『闇とは想像力である』
ル・コルビュジエ:建築家。スイス生まれフランスで活躍した。
須野明男は、公園をつくることを決心する。
南京陥落:1938年(昭和13年)12月13日
近衛内閣(このえないかく):内閣総理大臣近衛文麿(このえ・ふみまろ)。第1次から第3次。
黄宝林(ホアンパオリン):別名として『黄司令(ホアンスーリン)』と呼ぶ。反日活動組織のトップ。常に砂時計を使用していて、自分自身の行動の時間の管理をしている。日本人に対する強烈な復讐心をもっている。
飛龍(フェイロン):軍馬の名前
牌布(パイプウ):布。ラシャ。毛織物
輜重係(しちょうかかり):軍隊で兵站(へいたん。物資に関しての支援担当)担当。手荷物係
『一切行動聴指揮(どんなときも指揮に従って行動せよ』『一切繳獲要帰公(得たものはすべてみんなのもの)』
『わたしたちの土地を取り戻しましょう』
惹句(じゃっく):キャッチフレーズ
須野明男のプランとして、『李家鎮公園(リージヤンエン公園)』の計画案
『燃えない土』は、コンクリートとの相性が良かった。
ゲニウス・ロキ:ローマ神話における土地の守護精霊。地霊。モニュメント(記念碑)は、公園に潜む魂を立ち上がらせるものでなければならない。
普請(ふしん):土木・建築工事 公共事業
アーキテクチャ:建築物。建築学。当初は、「造家(ぞうか)」という訳語だった。
『第十三章 一九三九年、夏(昭和14年)』
安井:憲兵中佐。この時点で激怒している。自分の『仙桃城再開発計画』をつぶされたことで怒っている。ヤブ医者の誤った治療で、7歳の弟が死んだときよりも怒っている。(おこっている)。計画の中止は中国人によるものではなく、日本人によるものだと判断している。しかし、表向きは中国人が悪いことになっている。満州で日本人が快適に暮らすことができる官舎をつくる予定だった。
治安課長:司令部から来た。
甘粕元司長(あまかすもとしちょう)
永陸街(エンリンジエ):地名
南清輪船公司(ナンチンルンチユアンゴンスー):船舶会社
不要停止!(プーヤオテインジイ):止まるな!
便衣兵:一般市民の服装をした兵員。民間人に変装している。
放下武器!(フアンシアウーチー):武器を捨てろ!
大旬子鎮(ターシユンヅジエン):地名。『偽機関銃作戦』を中国側の作戦として行う。
石本は仙桃城で2年間を過ごしていた。今は、昭和13年の冬。日支戦争は続いていた。
戸島製作所の鷺島(さぎしま)開発部長
大連中試の中村社長
仙桃城東精油工場の白鳥工場長
燃料廠(ねんりょうしょう。屋根だけで壁のない建物)の高島海軍中佐
石炭から石油へのエネルギーの変化の話があります。
この当時の判断として、『日米開戦の確率はそれほど高くはない』
中川は戦死した。
『第十四章 一九三九年、冬(昭和14年)』
城島源造(じょうしま・げんぞう):生まれつき恐怖心という感情が薄い。軍人になるとすぐ死んでしまうので、14歳で泥棒になった。おとなになって、『忍びの源』という名で呼ばれる大泥棒になった。満州で活動している。
男(おそらく細川)に頼まれて、書類の盗みをしている。仙桃城東精油工場から盗み出して、代わりの書類を置いて、そのあと、本物の書類を元の位置に戻している。憲兵安井の部屋からも盗みを依頼されたがあまりに危険なので断った。
掏摸:すり
虎臥(こが):虎が大地に伏せている。さらに、「竜跳虎臥(りゅうちょうこが):筆勢のこと。竜が跳ぶ、虎が伏せるような筆の勢い。
仙台に輸入されたプレス機:トランスファープレス機
煤都:読みは、「ばいと」か。石炭の煤(すす)。黒煙が立ち上る都市
『超高層の建築を実現するため、絶対に必要だった技術とは何だろうか?』→『エレベーターと空調機の発明だよ……』
昭和14年のこととして、赤石は、戦争において、日本の敗北を予言しています。
石本は、満州に残っている。
ノモンハン事件:モンゴルハルハ川付近。1939年(昭和14年)5月-9月。満州国とモンゴル人民共和国の境界線を巡って起きた衝突紛争。モンゴルを衛星国にしていたソビエト連邦と日本の紛争。ソ連とモンゴルが国境を維持した。
フランスがドイツに降伏した日:1940年(昭和15年)6月22日
隷下(れいか):指揮下
『「では、また」とここのまま別れたら、もう二度と正男と会うことができないような気がしていたのだった……』
8年6か月ぶりに、ダンスホールに行く。
タイガー・ラグ:ジャズ曲。1917年の曲
『昭和15年9月:ドイツはイギリスを空襲していた。日本軍は相変わらず支那と戦っていた……』
太平洋戦争の開戦が、(1941年)昭和16年12月8日ですが、登場人物たちは、日本の敗戦を予想しています。『戦争は始まっていなかったが、始まる前から終わっていたのである』
『第十五章 一九四一年、冬(昭和16年)』
須野明男の新しい職場:ソ連国境付近の永久要塞『虎頭要塞』虎頭鎮(フートウジエンにある。ソ連のシベリア鉄道が近い)
満州事変:昭和6年
橋頭堡(きょうとうほ):橋を守るための砦(とりで)
掩体(かんそくようえんたい):格納庫。射撃しやすくするための設備。敵の銃弾から守る設備
『建築はだれのものか→利用者のものである』須野明男は利用者にとってメリットのある建築物をつくりたいけれど、戦時中のため、強大な兵器のような建築物しかつくれないことに憤りを感じている。
ベトン:コンクリートのこと。フランス語
やるべきこととして、『巨大な不要物(満州国のこと)に使う建材を節約すること』
6月、ナチス・ドイツが不可侵条約を破ってソ連に侵攻した。
昭和18年4月、須野明男は、仙桃城に帰還する。兵舎の設計をする。
『誰かを殺すための施設を作ることは、建築家の仕事ではない。』
1941年(昭和16年)12月8日ハワイ真珠湾攻撃のあと、中国の組織は、日本軍が米軍に負けることを確信した。中国も同様に日本軍に勝つことを確信した。『勝利する未来が確定した。』とあります。
褲子(クーヅ):パンツ(ズボン)
戦争が人間を鬼に変えていきます。
『第十六章 一九四四年、冬(昭和19年)』
町野寿雄(まちの・ひさお):5歳のとき、父親が奉天で戦っていた。敵の銃弾に倒れて戦死した。現在、軍人。
仙桃城(シエンタオチヨン)という都市にある千里眼ビルディング(せんりがんビルディング)の8階で、孫悟空(ソンウーコン)は、5年間暮らしている。(ひっそりと隠れている)
海賊 バーソロミュー・シャープ:1702年52歳ぐらい没。イギリスの海賊。航海日誌を残した。
『昭和19年の冬は過去に例がないほど雪が降っていた。(満州にて)……』
笠岡教授が、雪解け水いっせい流れ出しによる洪水、水害を心配していた。
須野明男は、工事事務所に残っていた。
太平洋戦争は、『転進(戦地は南方へ。満州は置き去りにされた)』→『玉砕(ぎょくさい)という名の全滅』→日本本土へ空襲開始
ナチス・ドイツは近々滅びる。
『青龍島はなぜ地図に描かれたのだろうか(空想の場所。この世に存在しない)』
ガバヌーア・ケンブル・ウォレン将軍:
地図はキリスト教のためにつくられた。(権力者は、宗教を下地にして、人民の思想を管理し、領土を増やそうと試みたと受け取りました)。そのあと、船乗りのためにつくられた。(これも領土拡大目的でしょう)
なぜありもしない架空の島、『青龍島(青龍によって守護された理想郷)』が、昔の地図に存在したのか。
青龍島の北部の形は、モスクワ川の形からきている。
青龍島を描いたのは、ロシア人であろう。モスクワに縁があるロシア人であろう。
そのことを調べるために、旧サンクトペテルブルグ(現在のレニングラード)に行く。建設局の人の話を聞く。(戦争が終わって平和になるまでは行けない)
仙桃城が襲われる。
町野寿雄軍曹の右肩は銃弾が貫通する。
『1 撃つ時はなるべく敵に近づくな。相手の顔が見えないきゅおりで撃て。 2 怖くなったら俺の(上司の))顔を思い浮かべろ。俺に命令されたから撃つんだと自分に言い聞かせろ。 3 一人になるな』、『戦場では、銃弾を命中させることよりもずっと、引き金を引くことのほうが難しい……』
鹵獲(ろかく):戦場で敵の武器、弾薬、資材をぶんどること。
橋本:工兵(土木・建築・鉄道・通信担当の兵員)
『建築とは何か』:建築とは避難所である。人間は建築によって守られる。
国家とは、暴力から人間を守るためのもの。国家も建築といえる。
国家の図面を引くのも建築家の仕事だ。
もうひとつ。
『建築とは、「時間」だ』
『第十七章 一九四五年、夏(昭和20年)』
今日は、1月8日(月曜日・祝日・成人の日)です。ようやくこの物語を読み終えました。記録を見ると、読み始めは、昨年10月22日(日曜日)でした。毎日少しずつ読み続けてきての達成感があります。
嫌われ者の憲兵中佐安井です。
八月十五日、天皇陛下の敗北宣言がラジオから流れても信じません。偽情報だと言い張ります。興奮して暴れる安井を止める人間を殺そうとまでします。
『一億玉砕にうよる本土決戦は、米国を倒すための唯一の作戦である……(終戦後、日本にとって米国は一番の友好国になりました)』
ソ連が中立条約を破って満州へ進軍を始めたのが、終戦直前、昭和二十年八月九日(長崎原爆投下の日)でした。(ソ連は自分たちが利益を得るためには手段を選ばない国です。国のあり方として、何かが貧しい)
『陛下から賜った(たまわった)貴重な建築資材を盗むことが、愛国精神だと?』(洗脳されています。ふつうに考えて、おかしなことを言っています。人間の脳みそは思想教育によってここまで意思をコントロールされてしまうのか。人間の心は弱い)
本土と通化:日本国本土と満州国のこと。
ハラショー:ロシア語。「わかった」「良い」「了解」
新京:満州国の首都。現在の長春市
村越:満鉄の職員
アール・デコ風:欧米で1910年代から1930年代に流行った(はやった)装飾美術。例として、エンパイアステートビルディング。
村越と石本は、満州に残る。
ハイラル:内モンゴル自治区にある都市
『…… 建築をします』
『建築とは時間です。建築は人間の過去を担保します』(建築物を見ると人は過去を思い出すことができる。建築物が時間を繋ぐ(つなぐ))
(シーンは、最初のシーンに戻るようなパターンです。なかなかうまい)
『終章 一九五五年、春(昭和30年)』
読み終えて、建築の本でした。
戦争が背景にあるものの、建築家が建築物に気持ちを入れ込む本でした。
隈研吾さんの本を思い出しました。『建築家になりたい君へ 隈研吾(くま・けんご) 河出書房新社(かわでしょぼうしんしゃ)』
クラスニコフ神父の話が出ます。彼はすでに他界しています。
青龍島とクラスニコフ神父がつながります。
『地平線の向こうにも世界があることを知らなかったあなたへ(あなたは、満州仙桃城の地域(李家鎮)に住む中国人たちのことです。彼らが信じていた島が、「青龍島(理想郷、楽園)」です)』(住民に広い世界があることを知ってほしい)
青龍島をこれからつくる。都市をつくる。
読む前の予想に反して、淡々と静かに流れる歴史物語でした。読み終えて、すがすがしさが残りました。
かなりの長文になってしまいました。この文章全体を読める人は少ないでしょう。感想というより、内容を理解するための読書メモになりました。
気づきがありました。太平洋戦争は始まる前から、軍の関係者には、日米のどちらが勝つかわかっていたのです。それでも、権力者たちは、無理やりに、勝てもしない戦いを米国に挑んでいったのです。死ななくてもいい人がたくさん死んでいきました。それが良かったのか悪かったのかは自分にはわかりません。戦争にならなかったとしても、日本が植民地化されていたということもあるのかもしれません。人間がやることは完ぺきではないということは理解できました。]]>
読書感想文
熊太郎
2024-01-16T07:56:55+09:00
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とんこつQ&A 今村夏子
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e153538.html
とんこつQ&A 今村夏子 講談社 短編4本です。『とんこつQ&A』 街の大衆食堂の店舗名が、『とんこつ』ですが、とんこつラーメンの提供はしていません。 本来の店舗名は、『敦煌(とんこう。中国の都市名)』だったのですが、店名『とんこう』の、『う』の上にある点の部分がはずれて、『とんこつ』となったそうな。 メニューに、しょうゆラーメンはあるけれど、とんこつラーメンはないそうです。 店内には、4人がけのテーブルが3卓。テーブルの左手にカウンターがある。チャーハン、ギョーザ、天津飯(てんしんはん)、中華どんぶり、オムライス、カレーライス、ナポリタン、トーストとゆで卵のセットなどがある。 『Q&A(キューアンドエー)』は、よくある質問(クエスチョン)と答え(アンサー)のことです。大衆食堂でのお客さんからの質問とそれに対する店員としての答えという意味です。QAを書いたメモが、やがてノートにまで発展します。マニュアル本の完成です。(手引き) 大将:店主。店主もその息子も気が長い。優しい。人を責めない。攻撃しない。 ぼっちゃん:大将の息子。物語の最初では、10歳、小学校4年生から始まります。不登校児。その後7年が経過します。ぼっちゃんは、気持ちを立て直して高校へ進学しました。実母は、ぼっちゃんが5歳の時に、心臓の病気で亡くなっています。 わたし(今川という女性):2014年から(平成26年)『とんこつ』でパート仕事をして7年が経過している。ダブルワークで、『ドルフィン』という店で皿洗いもしている。年齢は明記されていませんが、30代なかば過ぎに思えます。 16ページまで読んできて、おもしろい。村田紗耶香(むらた・さやか)さんの芥川賞受賞作品『コンビニ人間』のようです。内容のつくりは似ています。 丘崎たま美:仕事が忙しいので、追加のパート募集に応募してきた女性。30代なかば。どんくさい。動かない。言われたことはするけれど、言われないと何時間も動かない。働かないが、休憩はとる。今川さんいわく、わたし以下の人間を初めて見た。 独特な書きぶりの文章です。 今川さんは最初接客ができなかった。『いらっしゃいませ』が言えなかった。メモ用紙に書いた『いらっしゃいませ』を読むことで言えるようになった。克服した。同様に、いろいろな言葉をメモして読むことで接客接遇ができるようになった。 今川さんは、とうてい接客業に向かない人です。それでも、稽古(けいこ。練習)を積んで、接客じょうずになっていきます。 坊ちゃんと大将が、今川さんに優しい。けして、叱ったり、否定したりしません。優しく励まします。(どうも父子は、今川さんを再婚相手として意識しているようすがあります) 大将も坊ちゃんも、今川さんの接客苦手を否定しないところがいい。(ほかに店で働いてくれる人のあてがないということも理由なのでしょう) 労働者として、労働者を演じて、労働による収入を得るというちゃんとした形が表現されています。 好みが分かれる作品かもしれません。 機械的な人間を表現してあります。 働くためには暗記力がいる。 今川さんは自分が買ったノートを使って、お手製の仕事のマニュアルノートを手書きで作成します。手引き『とんこつQ&A』です。お客さんとの会話のやりとりのしかたが書いてあります。 繰り返しの稽古(けいこ)をして、今川さんは接客のテクニックを身に着けていきます。ノートは見なくても会話のキャッチボールができるようになります。 亡きおかみさんの大阪弁のイントネーションも身に付けます。 喜怒哀楽の感情が薄い無言の人というのはじっさいにいます。なにか、脳みその病気なのかもしれません。別に怒って(おこって)いるわけでもない。自分で自分の意識をコントロールできない。人から指令されないと動けない。自分のことを自分で思考して判断して決断してやれない。しかたがないのです。 大将と坊ちゃんは、妻(母親)を病気で亡くしてさみしかった。 亡くなった奥さんの大阪弁にこだわりがあります。 店員ふたりに亡き奥さんの像を見ている大将と坊ちゃんです。 『とんこつQ&A 大阪版』のできあがりを待っている。まだ完成していない本を待っている人がいる。 言葉とか、方言にこだわる。研究する。 不思議な雰囲気をもつ短編です。現実ならありえない展開の内容です。 大事な言葉が、『ありがとう』 教育があります。 協力もあります。 舞台劇のシナリオのようでもあります。 空想の世界です。 現実にはない空想の世界を文章化してあります。 作者は、最後はどう決着をつけるのだろうか。今67ページ付近にいます。あと数ページで読み終わります。 優しい。心優しい。 開店記念日の8月30日に4人でささやかなお祝いをする。 内容はち密です。 海遊館(かいゆうかん。水族館。大阪にあります)の話が出ました。熊太郎は、たしか、3回訪れたことがあります。もうずいぶん前のことです。 すごい終わり方をしました。すばらしい終わり方です。 創作の醍醐味(だいごみ。やりがい。快楽)があります。『噓の道』 与田正:小学6年生男子。素行が悪い。幼稚園の時から嘘つき。主人公「僕」のひとつ上の姉のクラスメート。与田正には、4歳年下の弟がいる。ぼろいアパートに母子で住んでいる。父親は、昔はいた。 僕:小学5年生 僕の姉 僕の父 僕の母:町内会の役員、PTAの役員をしている。 リサ、マイ、ノグっちゃん、クミ:僕の姉の仲良しクラスメート せいこ先生:幼稚園の先生 白井君のお父さん:材木問屋の社長 有馬のお母さん:看護師 離婚体験者として:松本と橘(たちばな) 嘘つきの話です。 小学生たちです。 いじめがあります。 『僕』は、現在おとなです。だから小学校の時の思い出話です。 与田正は、幼稚園の時から嘘つきでした。 どうして嘘をつくのかは、最後まで語られません。 与田の世帯は、ひとつのところにじっとしていられない世帯だから、そのうちいなくなるだろう。 小学校で、与田正に対するおおがかりないじめと差別が発生します。教師もいじめの主導者のような行為をします。与田正に対してよかれと思ってした教師の行為が、さらなる陰湿ないじめに発展します。いやがらせをして快感を味わう小学生女子たちがいます。 かわいそうだから、『その一、話しかける。』『その二、悪口を言わない。』『その三、一緒に遊ぶ。』そのとおりにすることが、陰湿ないじめなのです。ほめ殺しのようなものです。 いじめの物語です。 ただ、被害者は、与田正だけにとどまりません。『僕の姉』にもふりかかってきます。 公民館で敬老の日のお祭りが開催される。 アクシデントが起きる。 おばあさんが左足首を骨折する。僕の姉が原因である。でも、僕の姉は責任を与田正のこととした。責任を与田正になすりつけた。与田正は無実なのに、与田正に罪をかぶせた。姉は悪人です。冤罪が発生しました。(えんざい:無罪なのに有罪とされた) 大衆の怖さ(こわさ)が表現してある作品です。 善人の顔をした悪人がたくさんいます。 社会的制裁は、法令による制裁よりも厳しい。僕の姉には、厳罰が待ち受けています。 なんだか暗いお話です。 ひきこもりになっているらしき姉と弟が、関りになっていた同級生たちの記憶から存在が消えているのです。 ひきこもりというものは、学校とつながりがあるうちはなにかと声をかけてくれますが、学校を卒業して、学校とのつながりがなくなると、永久にまわりとの交流が絶たれます。死ぬまで引きこもりが続くという厳しいものがあります。『良夫婦』 土橋友加里(どばし・ゆかり):主人公。妻。35歳。9時から4時まで和菓子製造工場で勤務している。元ヘルパー。甘いものは苦手(にがて)。 土橋幹也(どばし・みきや):主人公の夫。36歳。訪問介護事業所副所長。妻の元上司。両親はいずれも40代で死去した。妻と同じく、甘いものは苦手。 アンコ:メスの老犬。土橋家のペット。人間だと90歳ぐらい。土橋幹也の死んだ親から引き継いだペット。名前『アンコ』の由来はわからない。親も親の友人から譲り受けた犬で、譲られた時にすでに『アンコ』という名前だった。 横井先生:獣医 タム(たむら・ゆうと):公立N小学校5年生男児。学童保育所に通っている。二丁目に住んでいる。親から虐待を受けているおそれあり。老犬アンコと午後5時ころ話をしているような感じがあった。タムはたいてい空腹でいる。老犬アンコのエサを見て、おいしそうと言った。タムは、人に対する警戒心が強い。やせっぽちの少年。たまにからだにあざがある。(腕の内側) 伊藤敏郎:昔、土橋友加里が担当していた在宅高齢者 子どもに興味のない夫の言葉として、『子育てにお金を遣う(つかう)くらいなら老後の資金に回そう……』(ふ~む。体のめんどうは、他人にみてもらうつもりなのか) しかし、妻は、特別養子縁組制度について調べている。 189:電話番号。児童相談所虐待対応ダイヤル。「いちはやく」 児童相談所の建設反対運動:以前そんなニュースが東京で流れました。その話題にちなんだ作品なのでしょう。 いわゆる嫌悪施設(障害者施設とか高齢者施設、火葬場など)が近所にできると知ると反対する人たちがいるのですが、できてしまうととくにトラブルもなくそれまでの静かな環境は維持されるものだと自分は理解しています。そして案外、反対していた人やその関係者が、類似の施設利用者になることも未来ではありうるのです。(読み終えました) 庶民の心に潜む悪意について表現してあります。ぞわっと胸騒ぎするような後ろめたさがあります。読後感は良くありません。『イヤミス』というのでしょうか、読後イヤな気持ちになるミステリーのようです。 主人公はヒーローではありません。善人のようで善人でもありません。されど、こういう人って現実にいます。いい人ぶっている、いい人に見える、だけど違う。イヤな人なのです。善意をふるまっているようで、相手を落とし穴に落として、快楽を得る。加えて(くわえて)、自分を守る人です。自分のことを自分でやらず、人にやらせる、やってもらう人です。 こちらの作家さんは、人間がもつ心の闇を素材にして、文章作品を創作される方だと悟りました。 ダイヤル式鍵の番号:4122(よい夫婦) 友加里は自分の子どもがほしい。 疑似家族を体験したい。 子どもがいない人は、パチンコをして時間をつぶすのか。 夫婦は、タワーマンションが欲しい。 スイミー:絵本『スイミー ちいさな かしこい さかなの はなし レオ=レオニ 訳 谷川俊太郎 好学社』 友加里は、善人の顔をしているうそつき人間です。(最低人間) 同じようなことを繰り返すことが、そういう人間の人生ですというお話でした。『冷たい大根の煮物』 人にだまされてお金を失う話です。 木野:19歳。ひとり暮らしの女性。高卒後、プラスチック部品工場で働いている。非正規社員。だまされる人 芝山:おばちゃん。だます人。木野と同じ工場の異なる部署で働いている。非正規社員 じょうずにだまされて、1万円の貸し倒れになる木野さんです。 たいてい、だます人は、だましたあといなくなります。 最後はどうまとめるのだろう。 だまされたほうは、マイナスばかりでもない。プラスの遺産を木野さんに提供して行方をくらませた芝山さんです。 まあ、木野さんはお人よしでした。断れない人です。『お金の貸し借りはしません』と言える人にならなければ、まただまされるでしょう。 人間なんてそんなもの。だまされたり、だましたり…… 『冷たい大根の煮物はあれきり一度も食べていない』→だまされたことを思い出したくないのでしょう。
とんこつQ&A 今村夏子 講談社
短編4本です。
『とんこつQ&A』
街の大衆食堂の店舗名が、『とんこつ』ですが、とんこつラーメンの提供はしていません。
本来の店舗名は、『敦煌(とんこう。中国の都市名)』だったのですが、店名『とんこう』の、『う』の上にある点の部分がはずれて、『とんこつ』となったそうな。
メニューに、しょうゆラーメンはあるけれど、とんこつラーメンはないそうです。
店内には、4人がけのテーブルが3卓。テーブルの左手にカウンターがある。チャーハン、ギョーザ、天津飯(てんしんはん)、中華どんぶり、オムライス、カレーライス、ナポリタン、トーストとゆで卵のセットなどがある。
『Q&A(キューアンドエー)』は、よくある質問(クエスチョン)と答え(アンサー)のことです。大衆食堂でのお客さんからの質問とそれに対する店員としての答えという意味です。QAを書いたメモが、やがてノートにまで発展します。マニュアル本の完成です。(手引き)
大将:店主。店主もその息子も気が長い。優しい。人を責めない。攻撃しない。
ぼっちゃん:大将の息子。物語の最初では、10歳、小学校4年生から始まります。不登校児。その後7年が経過します。ぼっちゃんは、気持ちを立て直して高校へ進学しました。実母は、ぼっちゃんが5歳の時に、心臓の病気で亡くなっています。
わたし(今川という女性):2014年から(平成26年)『とんこつ』でパート仕事をして7年が経過している。ダブルワークで、『ドルフィン』という店で皿洗いもしている。年齢は明記されていませんが、30代なかば過ぎに思えます。
16ページまで読んできて、おもしろい。村田紗耶香(むらた・さやか)さんの芥川賞受賞作品『コンビニ人間』のようです。内容のつくりは似ています。
丘崎たま美:仕事が忙しいので、追加のパート募集に応募してきた女性。30代なかば。どんくさい。動かない。言われたことはするけれど、言われないと何時間も動かない。働かないが、休憩はとる。今川さんいわく、わたし以下の人間を初めて見た。
独特な書きぶりの文章です。
今川さんは最初接客ができなかった。『いらっしゃいませ』が言えなかった。メモ用紙に書いた『いらっしゃいませ』を読むことで言えるようになった。克服した。同様に、いろいろな言葉をメモして読むことで接客接遇ができるようになった。
今川さんは、とうてい接客業に向かない人です。それでも、稽古(けいこ。練習)を積んで、接客じょうずになっていきます。
坊ちゃんと大将が、今川さんに優しい。けして、叱ったり、否定したりしません。優しく励まします。(どうも父子は、今川さんを再婚相手として意識しているようすがあります)
大将も坊ちゃんも、今川さんの接客苦手を否定しないところがいい。(ほかに店で働いてくれる人のあてがないということも理由なのでしょう)
労働者として、労働者を演じて、労働による収入を得るというちゃんとした形が表現されています。
好みが分かれる作品かもしれません。
機械的な人間を表現してあります。
働くためには暗記力がいる。
今川さんは自分が買ったノートを使って、お手製の仕事のマニュアルノートを手書きで作成します。手引き『とんこつQ&A』です。お客さんとの会話のやりとりのしかたが書いてあります。
繰り返しの稽古(けいこ)をして、今川さんは接客のテクニックを身に着けていきます。ノートは見なくても会話のキャッチボールができるようになります。
亡きおかみさんの大阪弁のイントネーションも身に付けます。
喜怒哀楽の感情が薄い無言の人というのはじっさいにいます。なにか、脳みその病気なのかもしれません。別に怒って(おこって)いるわけでもない。自分で自分の意識をコントロールできない。人から指令されないと動けない。自分のことを自分で思考して判断して決断してやれない。しかたがないのです。
大将と坊ちゃんは、妻(母親)を病気で亡くしてさみしかった。
亡くなった奥さんの大阪弁にこだわりがあります。
店員ふたりに亡き奥さんの像を見ている大将と坊ちゃんです。
『とんこつQ&A 大阪版』のできあがりを待っている。まだ完成していない本を待っている人がいる。
言葉とか、方言にこだわる。研究する。
不思議な雰囲気をもつ短編です。現実ならありえない展開の内容です。
大事な言葉が、『ありがとう』
教育があります。
協力もあります。
舞台劇のシナリオのようでもあります。
空想の世界です。
現実にはない空想の世界を文章化してあります。
作者は、最後はどう決着をつけるのだろうか。今67ページ付近にいます。あと数ページで読み終わります。
優しい。心優しい。
開店記念日の8月30日に4人でささやかなお祝いをする。
内容はち密です。
海遊館(かいゆうかん。水族館。大阪にあります)の話が出ました。熊太郎は、たしか、3回訪れたことがあります。もうずいぶん前のことです。
すごい終わり方をしました。すばらしい終わり方です。
創作の醍醐味(だいごみ。やりがい。快楽)があります。
『噓の道』
与田正:小学6年生男子。素行が悪い。幼稚園の時から嘘つき。主人公「僕」のひとつ上の姉のクラスメート。与田正には、4歳年下の弟がいる。ぼろいアパートに母子で住んでいる。父親は、昔はいた。
僕:小学5年生
僕の姉
僕の父
僕の母:町内会の役員、PTAの役員をしている。
リサ、マイ、ノグっちゃん、クミ:僕の姉の仲良しクラスメート
せいこ先生:幼稚園の先生
白井君のお父さん:材木問屋の社長
有馬のお母さん:看護師
離婚体験者として:松本と橘(たちばな)
嘘つきの話です。
小学生たちです。
いじめがあります。
『僕』は、現在おとなです。だから小学校の時の思い出話です。
与田正は、幼稚園の時から嘘つきでした。
どうして嘘をつくのかは、最後まで語られません。
与田の世帯は、ひとつのところにじっとしていられない世帯だから、そのうちいなくなるだろう。
小学校で、与田正に対するおおがかりないじめと差別が発生します。教師もいじめの主導者のような行為をします。与田正に対してよかれと思ってした教師の行為が、さらなる陰湿ないじめに発展します。いやがらせをして快感を味わう小学生女子たちがいます。
かわいそうだから、『その一、話しかける。』『その二、悪口を言わない。』『その三、一緒に遊ぶ。』そのとおりにすることが、陰湿ないじめなのです。ほめ殺しのようなものです。
いじめの物語です。
ただ、被害者は、与田正だけにとどまりません。『僕の姉』にもふりかかってきます。
公民館で敬老の日のお祭りが開催される。
アクシデントが起きる。
おばあさんが左足首を骨折する。僕の姉が原因である。でも、僕の姉は責任を与田正のこととした。責任を与田正になすりつけた。与田正は無実なのに、与田正に罪をかぶせた。姉は悪人です。冤罪が発生しました。(えんざい:無罪なのに有罪とされた)
大衆の怖さ(こわさ)が表現してある作品です。
善人の顔をした悪人がたくさんいます。
社会的制裁は、法令による制裁よりも厳しい。僕の姉には、厳罰が待ち受けています。
なんだか暗いお話です。
ひきこもりになっているらしき姉と弟が、関りになっていた同級生たちの記憶から存在が消えているのです。
ひきこもりというものは、学校とつながりがあるうちはなにかと声をかけてくれますが、学校を卒業して、学校とのつながりがなくなると、永久にまわりとの交流が絶たれます。死ぬまで引きこもりが続くという厳しいものがあります。
『良夫婦』
土橋友加里(どばし・ゆかり):主人公。妻。35歳。9時から4時まで和菓子製造工場で勤務している。元ヘルパー。甘いものは苦手(にがて)。
土橋幹也(どばし・みきや):主人公の夫。36歳。訪問介護事業所副所長。妻の元上司。両親はいずれも40代で死去した。妻と同じく、甘いものは苦手。
アンコ:メスの老犬。土橋家のペット。人間だと90歳ぐらい。土橋幹也の死んだ親から引き継いだペット。名前『アンコ』の由来はわからない。親も親の友人から譲り受けた犬で、譲られた時にすでに『アンコ』という名前だった。
横井先生:獣医
タム(たむら・ゆうと):公立N小学校5年生男児。学童保育所に通っている。二丁目に住んでいる。親から虐待を受けているおそれあり。老犬アンコと午後5時ころ話をしているような感じがあった。タムはたいてい空腹でいる。老犬アンコのエサを見て、おいしそうと言った。タムは、人に対する警戒心が強い。やせっぽちの少年。たまにからだにあざがある。(腕の内側)
伊藤敏郎:昔、土橋友加里が担当していた在宅高齢者
子どもに興味のない夫の言葉として、『子育てにお金を遣う(つかう)くらいなら老後の資金に回そう……』(ふ~む。体のめんどうは、他人にみてもらうつもりなのか)
しかし、妻は、特別養子縁組制度について調べている。
189:電話番号。児童相談所虐待対応ダイヤル。「いちはやく」
児童相談所の建設反対運動:以前そんなニュースが東京で流れました。その話題にちなんだ作品なのでしょう。
いわゆる嫌悪施設(障害者施設とか高齢者施設、火葬場など)が近所にできると知ると反対する人たちがいるのですが、できてしまうととくにトラブルもなくそれまでの静かな環境は維持されるものだと自分は理解しています。そして案外、反対していた人やその関係者が、類似の施設利用者になることも未来ではありうるのです。
(読み終えました)
庶民の心に潜む悪意について表現してあります。ぞわっと胸騒ぎするような後ろめたさがあります。読後感は良くありません。『イヤミス』というのでしょうか、読後イヤな気持ちになるミステリーのようです。
主人公はヒーローではありません。善人のようで善人でもありません。されど、こういう人って現実にいます。いい人ぶっている、いい人に見える、だけど違う。イヤな人なのです。善意をふるまっているようで、相手を落とし穴に落として、快楽を得る。加えて(くわえて)、自分を守る人です。自分のことを自分でやらず、人にやらせる、やってもらう人です。
こちらの作家さんは、人間がもつ心の闇を素材にして、文章作品を創作される方だと悟りました。
ダイヤル式鍵の番号:4122(よい夫婦)
友加里は自分の子どもがほしい。
疑似家族を体験したい。
子どもがいない人は、パチンコをして時間をつぶすのか。
夫婦は、タワーマンションが欲しい。
スイミー:絵本『スイミー ちいさな かしこい さかなの はなし レオ=レオニ 訳 谷川俊太郎 好学社』
友加里は、善人の顔をしているうそつき人間です。(最低人間)
同じようなことを繰り返すことが、そういう人間の人生ですというお話でした。
『冷たい大根の煮物』
人にだまされてお金を失う話です。
木野:19歳。ひとり暮らしの女性。高卒後、プラスチック部品工場で働いている。非正規社員。だまされる人
芝山:おばちゃん。だます人。木野と同じ工場の異なる部署で働いている。非正規社員
じょうずにだまされて、1万円の貸し倒れになる木野さんです。
たいてい、だます人は、だましたあといなくなります。
最後はどうまとめるのだろう。
だまされたほうは、マイナスばかりでもない。プラスの遺産を木野さんに提供して行方をくらませた芝山さんです。
まあ、木野さんはお人よしでした。断れない人です。『お金の貸し借りはしません』と言える人にならなければ、まただまされるでしょう。
人間なんてそんなもの。だまされたり、だましたり……
『冷たい大根の煮物はあれきり一度も食べていない』→だまされたことを思い出したくないのでしょう。]]>
読書感想文
熊太郎
2024-01-09T06:50:24+09:00
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続 窓ぎわのトットちゃん 黒柳徹子
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続 窓ぎわのトットちゃん 黒柳徹子 講談社 最初の本、『窓ぎわのトットちゃん』は昔読んだことがあります。 それから、ご本人の講演を聴いたことがあります。場所は静岡県内でした。もう、35年ぐらい前のことです。テーマは忘れましたが、90分間、おそらくご本人の頭の中にひらめくままに、機関銃のようにおしゃべりをされて、聴いていて圧倒された覚えがあります。 ユニセフの活動についてのお話があった記憶です。ユニセフ:国連児童基金。黒柳徹子さんは、ユニセフの国際親善大使です。 テレビ番組『徹子の部屋』は、毎日楽しみに観ています。いろんな人がいるなあとゲストに興味があります。最近は、親の介護の話が多い。お笑い芸人さんが出ると、黒柳徹子さんは、芸をやらせてすべらせて、神妙な雰囲気になるという特徴があります。 テレビ番組アメトークで、そんな話題でトークショーがあったことを思い出します。黒柳徹子さんは、忖度(そんたく。相手に会わせて面白くなくても笑う)ということをされません。「それのどこがおもしろいの?」という質問が出たりもします。そこがおもしろい。 以前フワちゃんが出たときに、(乱暴な言葉づかいをする)フワちゃんが黒柳徹子さんの家に遊びに行きたいと言ったら、黒柳さんが即答で、『来ないで!』と言ったときがあって笑いました。 さて、読み始めます。最初は、『寒いし、眠いし、おなかがすいた』です。物語が始まるころのトットちゃんは、小学校低学年ぐらいです。 わたしの親の世代の方です。1933年(昭和8年)生まれ。90歳。わたしの実母も同じぐらいの生まれです。先日九州の実家まで行って会ってきました。ふたりを比較すると、黒柳徹子さんはかなりお元気です。びっくりします。私の実母は、耳は遠くなり、腰は曲がって圧迫骨折をしており、入院の空きベッド待ちでした。ただ、口は達者で元気です。(その後入院しました。ほっとしました) 23ページまで読んで、いろいろと驚かされました。 まだ、戦前のことですが、黒柳徹子さんは、欧米風の暮らしを送られていた上流階級のお嬢さまです。貧民の庶民とは違います。 第二次世界大戦が、1941年(昭和16年)から1945年(昭和20年)ですから、そのころ、黒柳徹子さんは、8歳から12歳です。 ペットはシェパード犬の『ロッキー』です。軍用犬で使うため、軍隊に連れていかれたらしい。突然いなくなったそうです。 トットちゃんのいわれ(由来):『徹子(てつこ)』をてつこと発音できず、自分自身で、『トット』と自分のことを言っていたから。 本の文章はしっかりしています。文章量もボリュームがあります。ここ数年で書かれた文章ではありません。前作から42年経過する中で書かれた文章です。 全体のつくりは、エッセイ(随筆)です。主に、思い出話です。 食事は、バナナ(わたしがこどものころの昭和30年代から40年代は、バナナは高価なくだものでした) 黒柳徹子さん宅の朝食は、パンとコーヒー(庶民は、ごはんにみそ汁、つけもの、卵料理でした) パンは、パン屋さんが、毎朝ご自宅に配達してくれたそうです。 黒柳徹子さんの夕食は牛肉。(庶民は鶏肉(とりにく)しか食べられなかった。あとは魚ばかりです) 寝るのはベッド(庶民は、ふとん) 庭付きの洋風一戸建て住まい(庶民は長屋) 遊んだのは、勝海舟の別荘だった空き家のお屋敷だったそうです。(西郷隆盛も来たことがあるそうです。先日鹿児島市を訪問した時に、バスの窓から西郷隆盛さんの大きな銅像を観ました) アイスクリームを食べて、銀座を散策する。三越デパートでおもちゃを買ってもらう。 猩紅熱(しょうこうねつ):感染症。発熱。喉痛、舌が赤くはれる。全身に赤い発疹(ほっしん)が出る。 徹子さんの父:ヴァイオリン奏者。昭和19年秋の終わりに、今の中国華北地方へ出征した。敗戦でシベリアの捕虜収容所に抑留された。(よくりゅう:強制的にその場におかれた)。昭和24年に帰国した。軍歌は演奏しない主義をもっていた。 徹子さんの母:エッセイスト黒柳朝(くろやなぎ・ちょう)。 徹子さん:長女。1933年生まれ。 弟:明兒(めいじ)さん。1944年(昭和19年)5月に敗血症で死去。はいけつしょう:細菌感染 下の弟:紀明さん。1940年生まれ。 妹:眞理(まり)さん。1944年生まれ。 品川とか、忠犬ハチ公像がある渋谷とか、自分も行ったことがある場所が本に出てくるので身近に感じられます。 1941年(昭和16年)当時、徹子さんは8歳ぐらいです。 青森で、電車の中で、りんごがらみで、地元のおじさんと仲良くなります。(それが縁で、その後、青森に疎開することになります。沼畑さんです) 本をツケ(後払い)で買う。 戦争は悪化しています。食べ物がほとんどありません。 出征兵士を日の丸の旗を振りながら、『バンザーイ』と見送るときに、スルメの足がもらえたそうです。(初耳です) 徹子さんは、スルメの足ほしさに、学校の授業中でも出征兵士を見送りに行かれたそうです。(学校を抜けだしても何も言われなかった。そういう時代だったそうです) のちに、するめ欲しさの行為を後悔されています。でも、まだ8歳ぐらいです。 家族をつなぐものとして音楽があります。 防空壕(ぼうくうごう)の話があります。 わたしも小学校低学年のときに、家の近くの里山の斜面に掘ってあった防空壕で近所のこどもたちと遊びました。防空壕の中はとても広かった記憶です。防空壕はその後封鎖されてしまいました。安全対策のためでしょう。 昭和20年(1945年)3月10日東京大空襲。約10万5400人が亡くなる。現在のパレスチナガザ地区の惨状が目に浮かびます。 63ページに、『パンダ』のことが出てきます。アメリカ帰りの伯父さんからもらった白黒のクマのぬいぐるみを防空壕へ連れていかれています。『トット疎開する(そかい。米軍の空襲から逃げるためにいなかへ避難する)』 なかなか苦労されています。たいへんな思いをされています。 東京上野駅から、青森の今でいう八戸市あたりまで、おそらく蒸気機関車で移動したであろう昭和20年のことですが、お母さんと弟、妹さんは列車に乗れましたが、黒柳さんは上野駅に置き去りになっています。黒柳さんは当時11歳ぐらいだと思いますが、夜の8時に出発する次の列車で、ひとりで青森をめざしておられます。ものすごい乗客の数です。でも、まわりにいる人たちが優しい。みんな苦労しています。戦争なんかしちゃいけないのです。 上野-福島-仙台-盛岡-尻内(八戸)のルートです。長い。時間がかかります。お母さんが書いてくれたルートのメモを手に握って移動です。 黒柳さんは、やむなく、列車の窓からおしっこをされています。ただ、負けていません。明るい。 列車が空襲で狙われるかもしれないので、灯火管制で、列車の中は真っ暗でした。 人は苦労をしながら気持ちが強くなっていくことがわかります。めそめそしていてもしょうがないのです。 黒柳さんが愛着をもっておられるパンダとの縁が書いてあります。アメリカへ行ったことがある叔父さんからのおみやげで熊のような動物のぬいぐるみをもらったそうです。そのときは、パンダということがわからなかったそうです。疎開するときにリュックに入っていた。心の支えだった。話し相手だったのでしょう。絵本『こんとあき 林明子 福音館書店』を思い出しました。 ちゃんとしたお米のおにぎりがありがたい。 現在90歳ぐらいをすぎた人たちの世代のご苦労がわかります。 宗教の話が出ます。キリスト教です。 青森県内にキリストのお墓があるらしい。昔、テレビで見たことがあります。まあ、本物ではないでしょう。なんだか、九州長崎、熊本の隠れキリシタンみたいな話です。 北千束(きたせんぞく:地名を読めませんでした。東京都大田区、黒柳さんの家があったところです。 疎開先は親族宅ではなく、たまたま旅先で知り合ったりんご農家のおじさんの家です。他人さまに家や仕事の世話をお願いします。夫が中国の戦地へ行って、母子家庭状態でこども3人連れて、徹子さんのおかあさんはころがりこみます。すごいなあ。たくましい。働いて、食べ物商売まで始めます。 リンゴ泥棒を見張る八畳の小屋での生活です。電気も水道もありません。もちろんテレビもありません。(テレビ放送開始は1953年(昭和28年)です)石油ランプと水は隣の製材所からもらいます。川がそばにあるので、川で洗濯できます) 家庭菜園をつくって、自分たちで自分たちが食べる野菜をつくります。 徹子さんが11歳か12歳ぐらい、弟の紀明さんが5歳、眞理(まり)さんが1歳ぐらいです。 青森県の方言の話がおもしろかった。 『おつるひとがしんでから乗ってけれ』路線バスのバスガール(車掌でしょう。切符を売る人がわたしがこどもの頃にもバスに乗っていました)の言葉です。死んでからのってくれと聞こえます。 正解は、『降りる人が済んでから乗ってください』です。 徹子さんは、ジョジョッコの絵を描く。 ジョジョッコ:青森の方言で、『人形』 北海道の滝川で暮らしていた母方の祖母については考えさせられました。亡くなった母方の祖父は開業医だったそうです。 祖母の気位が(きぐらい)が高いのです。祖母の実家の教えが、『ごはんを自分で炊かなくては(たかなくては)ならない家には、お嫁に出さない』嫁いだ家はお医者さんで、裕福な暮らしで、暇さえあれば聖書を読んでいた。看護師やお手伝いさんが、炊事や洗濯をやっていたそうです。(凡人には考えられない生活です。されど、考えてみると、例えばプロのピアニストだと一日中ピアノを弾(ひ)いているわけで、衣食住にかかわる生活の活動は、他人にやってもらっているのだろうと。芸術家のパトロン(出資者。援助者)みたいな存在があるのです)そういう暮らし方をする人もいます) 黒柳ファミリーが、青森大空襲を運よく避けられた話が出ます。 明石家さんまさんの話を思い出しました。1985年(昭和60年)夏、御巣鷹山(おすたかやま)に墜落した日航ジャンボ機に搭乗予定だったさんまさんは、たまたま仕事が早く終わって、1本前の飛行機に乗って命拾いをしたそうです。生き抜くためには、『運』がいります。『生きてるだけで丸儲け(まるもうけ)』が明石家さんまさんの座右の銘です。(ざゆうのめい:自分を励ますため、日ごろから心にとめている言葉)娘さんのお名前、『いまる IMALU (生きてるだけで・丸儲け)』につながっているそうです。お母さんの大竹しのぶさんの解釈が、『今を生きる』だそうです。 黒柳徹子さんのほうは、なにせ、母親のがんばりがすごい! とにかく働きます。 8月15日、終戦の日が訪れました。 徹子さんは、旗の台(はたのだい)というところにある『香蘭女学校(こうらんじょがっこう)』に進学します。私立の中学・高校なのでしょう。キリスト教のミッションスクールですが、校舎は、仏教のお寺さんの敷地にあるお寺の建物です。空襲で学校が焼け落ちたからです。『咲くはわが身のつとめなり(自分を咲かせる。昔は『結婚』することが女性のつとめだった)』 小学生の時の恋心と失恋のことが書いてあります。あこがれの相手はだいぶ年上の男性で教会関係者です。 サツマイモの茶巾絞り(ちゃきんしぼり):布で絞った和菓子 逆に中学生のときに知らない男子からラブレターをもらったことが書いてあります。手紙の出だしにあった『ふかしたてのサツマイモのようなあなたへ』という文章に怒って手紙を即破いたそうです。戦後の食糧難だったことを考えると悪気はなかったものとあとで気づいたとのこと。 蝋石(ろうせき):そういうものがあったことを思い出しました。こどもの遊びで、地面に絵や文字を描いていました。 『やさしい人間になるには教養を身に着けなくてはならないし、そのためには本を読むことが大事だと考えるようになった。』 16歳のときに占い師に手相を見てもらった。 見料(けんりょう):手相などをみてもらうときの料金 天眼鏡(てんがんきょう):やや大型の凸レンズ(とつれんず) 占い師による占いの結果です。『結婚は遅いです。とても遅いです』『お金には困りません』『あなたの名前は、津々浦々(つつうらうら)に広まります』(よくあたっています) チャプレン先生:牧師の先生。チャペル(教会)を守る人 太鼓橋(たいこばし):丸くそったアーチ橋 先日観ていた『徹子の部屋』で、昔の映像ですが、ゲストのこどもさんに、こどものころ将来何になりたかったか?と聞かれた徹子さんです。『スパイ』という答えに、こどもさんはとまどって、苦笑いをしていました。(にがわらい:どう反応していいのかわからない) こちらの本では、『小さい頃は、スパイとチンドン屋さんと駅で切符を売る人になりたかった』と書いてあります。 私立の女子中学生のときに、洋画『トスカ』を観て、オペラ歌手を目指すことにして、東洋音楽学校に入学されています。 学校に対するお金の寄付の話やら、徹子さんのお父さんがヴァイオリン演奏者で超有名人だったことがわかる話やらが書いてあります。 番組『徹子の部屋』のオープニング曲には、もともと歌詞があって、『コロラチューラ』という言葉が使用されていたと書いてあります。コロラチューラというのは、オペラでの歌い方だそうです。 お父さんがシベリアから復員してきます。昭和24年の年末です。5年ぶりの再会です。 弟紀明さんは9歳、妹眞理さんは5歳、徹子さんは、16歳ぐらいでしょう。 お父さんは、東京交響楽団にコンサートマスターとして迎えられ、ヴァイオリニストとして復帰されました。コンサートマスター:まとめ役 徹子さんは、人形劇『雪の女王』を観て、結婚を意識して、こどもさんむけに人形劇をやりたいと思うようになります。お母さんに新聞の求人欄でも見なさいと言われて観たのが、NHK専属俳優募集の記事で、それがきっかけになって、試験に合格して、NHKの劇団員になられています。 まだ、テレビ放送は始まっていません。テレビ放送は、1953年(昭和28年)から始まります。当時のNHKは、日比谷公園にある日比谷公会堂の近くにあったようです。 まあ、どたばたです。ぎりぎりに申し込んで、試験会場を間違えて、試験に遅刻して、それでも合格されています。才能ある人は、どういう状況に合っても世に出てきます。 徹子さんは、試験会場で試験官に、筆記試験の答えを教えていただけませんか?と声をかけています。(ちょっと考えられません)試験官の返事は、『いやです』でした。 徹子さんは当時、『若干名(じゃっかんめい。数人)』を、『わかぼしめい』と読んでおられます。 ここまで読んできて、今は、180ページにいます。(全体を読み終えました。253ページまでありました) 第二次世界大戦に重点を置いた内容でした。 もうすぐ、戦争を知らない世代の時代が日本に訪れます。 戦争の怖さを知らないから、戦争をしてもいいという意見が前面に出てきそうな気配があります。 相手が攻めてくるから対抗する。たくさんの人が死にます。 戦争をしなくてもいいように、共存できる知恵を絞る。『平和』をめざす姿勢をもたないと、戦火は再び開かれます。 徹子さんは、この本で、戦争反対を強く訴えられています。 この本は、終戦後の昭和時代を表した歴史書のようでもありました。『トット、女優になる』 徹子さんが、HNK専属東京放送劇団第五期生採用試験に合格したのが、昭和28年2月です。 2月1日からNHKのテレビ放送が始まっています。徹子さんは、養成期間を経て、昭和29年4月に正式採用されています。合格者は17人でした。 東京の地名がたくさん出てきます。 昨年、今年と、都内を散策したので、地理がだいたいわかります。記述内容が身近に感じられて心地よい。 なつかしい俳優さんたちのお名前が出てきますが、もうみなさん、天国へ旅立たれています。 同じ時代を生きてきた人が読んだら胸にじんとくるものがあります。 黒柳徹子さんが最終選考で残った理由は、個性的であったこと、それから、養成期間中、無遅刻無欠勤であったことと読み取れる部分があります。無遅刻無欠勤が、長年続くテレビ番組『徹子の部屋』につながっているのでしょう。『継続』があたりまえのこととして身についている人については、『継続』が苦痛にはなりません。 昭和29年ラジオドラマ『君の名は』に、通行人のがやがやの声として参加されています。いろいろうまくいかなかったことが書いてあります。 現在NHK朝ドラの素材になっておられる笠置シヅ子さんとの仕事も書いてあります。徹子さんの演技を否定する人もいます。でも、応援する人たちもたくさんいます。 ラジオドラマ『ヤン坊ニン坊トン坊』三匹の白い子ザルのお話に参加されます。 ほめ上手な先生がおられます。 叱ってつぶすのではなく、ほめて伸ばす。 いろんな人がいます。多少のことでめげないほうがいい。チャンスが逃げていきます。 結婚に関してです。お見合いを3回されています。脳外科医の方と結婚を考えられています。見合いではなく、恋愛をして結婚したいという理由で、結局断られています。 『紅白歌合戦』の司会者でドタバタしたことが書いてあります。 昭和33年第9回紅白歌合戦です。 徹子さんは25歳です。白組の司会者は、高橋圭三さんです。 場所は、『新宿コマ劇場』です。今はもうありません。熊太郎は若い頃にその劇場を見たことがあります。中に入ったことはありません。 徹子さんの紅白歌合戦にこめる気持ちが強い。 昭和40年代というのは、『命』よりも『仕事』を優先する時代だったというような表現があります。同感です。徹子さんは体を壊します。当時、『ストレス』とういう言葉は聞かなかった覚えです。『モーレツ』という言葉はよく聞きました。 『ブーフーウー』三匹の子ブタの兄弟のお話です。なつかしい。 渥美清さんが出てきます。 1996年に亡くなられて、もう27年がたちますが、BS放送では毎週土曜日に『男はつらいよ』が放送されています。(これを書いている)昨夜見ました。マドンナは栗原小巻さんで、タコ社長の娘が美保純さんでした。 向田邦子さんのお名前も出てきます。 先日、鹿児島市を訪れたおりに、城山展望台付近で、向田邦子さんが通っていた小学校のこどもさんたちが、かけっこをしていました。 徹子さんは向田さんのアパートに入りびたっていたそうです。 帝国劇場の劇に出演された。 今年帝国劇場でミュージカルを観たので身近に感じられました。 日本の歴史、東京の地理書を読むようです。 人間は、外見で、人間を判断するというようなことが書かれています。 変装のように俳優として化粧した徹子さんに気付かず、冷たい対応をする人たちがいます。 昭和46年10月、アメリカ合衆国ニューヨークへ女優としての演技を学ぶために留学されています。 あとがきにはやはり、戦争のことが書いてあります。戦争体験者の生々しい声があります。 全体を読み終えて、この本は、まだ続きがあると確信しました。 原稿はすでに手元にあられることでしょう。 徹子さんは職業柄きちょうめんな方だと思うのです。記録はしっかりとってあると思います。 もっともっと長生きしてください。
続 窓ぎわのトットちゃん 黒柳徹子 講談社
最初の本、『窓ぎわのトットちゃん』は昔読んだことがあります。
それから、ご本人の講演を聴いたことがあります。場所は静岡県内でした。もう、35年ぐらい前のことです。テーマは忘れましたが、90分間、おそらくご本人の頭の中にひらめくままに、機関銃のようにおしゃべりをされて、聴いていて圧倒された覚えがあります。
ユニセフの活動についてのお話があった記憶です。ユニセフ:国連児童基金。黒柳徹子さんは、ユニセフの国際親善大使です。
テレビ番組『徹子の部屋』は、毎日楽しみに観ています。いろんな人がいるなあとゲストに興味があります。最近は、親の介護の話が多い。お笑い芸人さんが出ると、黒柳徹子さんは、芸をやらせてすべらせて、神妙な雰囲気になるという特徴があります。
テレビ番組アメトークで、そんな話題でトークショーがあったことを思い出します。黒柳徹子さんは、忖度(そんたく。相手に会わせて面白くなくても笑う)ということをされません。「それのどこがおもしろいの?」という質問が出たりもします。そこがおもしろい。
以前フワちゃんが出たときに、(乱暴な言葉づかいをする)フワちゃんが黒柳徹子さんの家に遊びに行きたいと言ったら、黒柳さんが即答で、『来ないで!』と言ったときがあって笑いました。
さて、読み始めます。最初は、『寒いし、眠いし、おなかがすいた』です。物語が始まるころのトットちゃんは、小学校低学年ぐらいです。
わたしの親の世代の方です。1933年(昭和8年)生まれ。90歳。わたしの実母も同じぐらいの生まれです。先日九州の実家まで行って会ってきました。ふたりを比較すると、黒柳徹子さんはかなりお元気です。びっくりします。私の実母は、耳は遠くなり、腰は曲がって圧迫骨折をしており、入院の空きベッド待ちでした。ただ、口は達者で元気です。(その後入院しました。ほっとしました)
23ページまで読んで、いろいろと驚かされました。
まだ、戦前のことですが、黒柳徹子さんは、欧米風の暮らしを送られていた上流階級のお嬢さまです。貧民の庶民とは違います。
第二次世界大戦が、1941年(昭和16年)から1945年(昭和20年)ですから、そのころ、黒柳徹子さんは、8歳から12歳です。
ペットはシェパード犬の『ロッキー』です。軍用犬で使うため、軍隊に連れていかれたらしい。突然いなくなったそうです。
トットちゃんのいわれ(由来):『徹子(てつこ)』をてつこと発音できず、自分自身で、『トット』と自分のことを言っていたから。
本の文章はしっかりしています。文章量もボリュームがあります。ここ数年で書かれた文章ではありません。前作から42年経過する中で書かれた文章です。
全体のつくりは、エッセイ(随筆)です。主に、思い出話です。
食事は、バナナ(わたしがこどものころの昭和30年代から40年代は、バナナは高価なくだものでした)
黒柳徹子さん宅の朝食は、パンとコーヒー(庶民は、ごはんにみそ汁、つけもの、卵料理でした)
パンは、パン屋さんが、毎朝ご自宅に配達してくれたそうです。
黒柳徹子さんの夕食は牛肉。(庶民は鶏肉(とりにく)しか食べられなかった。あとは魚ばかりです)
寝るのはベッド(庶民は、ふとん)
庭付きの洋風一戸建て住まい(庶民は長屋)
遊んだのは、勝海舟の別荘だった空き家のお屋敷だったそうです。(西郷隆盛も来たことがあるそうです。先日鹿児島市を訪問した時に、バスの窓から西郷隆盛さんの大きな銅像を観ました)
アイスクリームを食べて、銀座を散策する。三越デパートでおもちゃを買ってもらう。
猩紅熱(しょうこうねつ):感染症。発熱。喉痛、舌が赤くはれる。全身に赤い発疹(ほっしん)が出る。
徹子さんの父:ヴァイオリン奏者。昭和19年秋の終わりに、今の中国華北地方へ出征した。敗戦でシベリアの捕虜収容所に抑留された。(よくりゅう:強制的にその場におかれた)。昭和24年に帰国した。軍歌は演奏しない主義をもっていた。
徹子さんの母:エッセイスト黒柳朝(くろやなぎ・ちょう)。
徹子さん:長女。1933年生まれ。
弟:明兒(めいじ)さん。1944年(昭和19年)5月に敗血症で死去。はいけつしょう:細菌感染
下の弟:紀明さん。1940年生まれ。
妹:眞理(まり)さん。1944年生まれ。
品川とか、忠犬ハチ公像がある渋谷とか、自分も行ったことがある場所が本に出てくるので身近に感じられます。
1941年(昭和16年)当時、徹子さんは8歳ぐらいです。
青森で、電車の中で、りんごがらみで、地元のおじさんと仲良くなります。(それが縁で、その後、青森に疎開することになります。沼畑さんです)
本をツケ(後払い)で買う。
戦争は悪化しています。食べ物がほとんどありません。
出征兵士を日の丸の旗を振りながら、『バンザーイ』と見送るときに、スルメの足がもらえたそうです。(初耳です)
徹子さんは、スルメの足ほしさに、学校の授業中でも出征兵士を見送りに行かれたそうです。(学校を抜けだしても何も言われなかった。そういう時代だったそうです)
のちに、するめ欲しさの行為を後悔されています。でも、まだ8歳ぐらいです。
家族をつなぐものとして音楽があります。
防空壕(ぼうくうごう)の話があります。
わたしも小学校低学年のときに、家の近くの里山の斜面に掘ってあった防空壕で近所のこどもたちと遊びました。防空壕の中はとても広かった記憶です。防空壕はその後封鎖されてしまいました。安全対策のためでしょう。
昭和20年(1945年)3月10日東京大空襲。約10万5400人が亡くなる。現在のパレスチナガザ地区の惨状が目に浮かびます。
63ページに、『パンダ』のことが出てきます。アメリカ帰りの伯父さんからもらった白黒のクマのぬいぐるみを防空壕へ連れていかれています。
『トット疎開する(そかい。米軍の空襲から逃げるためにいなかへ避難する)』
なかなか苦労されています。たいへんな思いをされています。
東京上野駅から、青森の今でいう八戸市あたりまで、おそらく蒸気機関車で移動したであろう昭和20年のことですが、お母さんと弟、妹さんは列車に乗れましたが、黒柳さんは上野駅に置き去りになっています。黒柳さんは当時11歳ぐらいだと思いますが、夜の8時に出発する次の列車で、ひとりで青森をめざしておられます。ものすごい乗客の数です。でも、まわりにいる人たちが優しい。みんな苦労しています。戦争なんかしちゃいけないのです。
上野-福島-仙台-盛岡-尻内(八戸)のルートです。長い。時間がかかります。お母さんが書いてくれたルートのメモを手に握って移動です。
黒柳さんは、やむなく、列車の窓からおしっこをされています。ただ、負けていません。明るい。
列車が空襲で狙われるかもしれないので、灯火管制で、列車の中は真っ暗でした。
人は苦労をしながら気持ちが強くなっていくことがわかります。めそめそしていてもしょうがないのです。
黒柳さんが愛着をもっておられるパンダとの縁が書いてあります。アメリカへ行ったことがある叔父さんからのおみやげで熊のような動物のぬいぐるみをもらったそうです。そのときは、パンダということがわからなかったそうです。疎開するときにリュックに入っていた。心の支えだった。話し相手だったのでしょう。絵本『こんとあき 林明子 福音館書店』を思い出しました。
ちゃんとしたお米のおにぎりがありがたい。
現在90歳ぐらいをすぎた人たちの世代のご苦労がわかります。
宗教の話が出ます。キリスト教です。
青森県内にキリストのお墓があるらしい。昔、テレビで見たことがあります。まあ、本物ではないでしょう。なんだか、九州長崎、熊本の隠れキリシタンみたいな話です。
北千束(きたせんぞく:地名を読めませんでした。東京都大田区、黒柳さんの家があったところです。
疎開先は親族宅ではなく、たまたま旅先で知り合ったりんご農家のおじさんの家です。他人さまに家や仕事の世話をお願いします。夫が中国の戦地へ行って、母子家庭状態でこども3人連れて、徹子さんのおかあさんはころがりこみます。すごいなあ。たくましい。働いて、食べ物商売まで始めます。
リンゴ泥棒を見張る八畳の小屋での生活です。電気も水道もありません。もちろんテレビもありません。(テレビ放送開始は1953年(昭和28年)です)石油ランプと水は隣の製材所からもらいます。川がそばにあるので、川で洗濯できます)
家庭菜園をつくって、自分たちで自分たちが食べる野菜をつくります。
徹子さんが11歳か12歳ぐらい、弟の紀明さんが5歳、眞理(まり)さんが1歳ぐらいです。
青森県の方言の話がおもしろかった。
『おつるひとがしんでから乗ってけれ』路線バスのバスガール(車掌でしょう。切符を売る人がわたしがこどもの頃にもバスに乗っていました)の言葉です。死んでからのってくれと聞こえます。
正解は、『降りる人が済んでから乗ってください』です。
徹子さんは、ジョジョッコの絵を描く。
ジョジョッコ:青森の方言で、『人形』
北海道の滝川で暮らしていた母方の祖母については考えさせられました。亡くなった母方の祖父は開業医だったそうです。
祖母の気位が(きぐらい)が高いのです。祖母の実家の教えが、『ごはんを自分で炊かなくては(たかなくては)ならない家には、お嫁に出さない』嫁いだ家はお医者さんで、裕福な暮らしで、暇さえあれば聖書を読んでいた。看護師やお手伝いさんが、炊事や洗濯をやっていたそうです。(凡人には考えられない生活です。されど、考えてみると、例えばプロのピアニストだと一日中ピアノを弾(ひ)いているわけで、衣食住にかかわる生活の活動は、他人にやってもらっているのだろうと。芸術家のパトロン(出資者。援助者)みたいな存在があるのです)そういう暮らし方をする人もいます)
黒柳ファミリーが、青森大空襲を運よく避けられた話が出ます。
明石家さんまさんの話を思い出しました。1985年(昭和60年)夏、御巣鷹山(おすたかやま)に墜落した日航ジャンボ機に搭乗予定だったさんまさんは、たまたま仕事が早く終わって、1本前の飛行機に乗って命拾いをしたそうです。生き抜くためには、『運』がいります。『生きてるだけで丸儲け(まるもうけ)』が明石家さんまさんの座右の銘です。(ざゆうのめい:自分を励ますため、日ごろから心にとめている言葉)娘さんのお名前、『いまる IMALU (生きてるだけで・丸儲け)』につながっているそうです。お母さんの大竹しのぶさんの解釈が、『今を生きる』だそうです。
黒柳徹子さんのほうは、なにせ、母親のがんばりがすごい! とにかく働きます。
8月15日、終戦の日が訪れました。
徹子さんは、旗の台(はたのだい)というところにある『香蘭女学校(こうらんじょがっこう)』に進学します。私立の中学・高校なのでしょう。キリスト教のミッションスクールですが、校舎は、仏教のお寺さんの敷地にあるお寺の建物です。空襲で学校が焼け落ちたからです。
『咲くはわが身のつとめなり(自分を咲かせる。昔は『結婚』することが女性のつとめだった)』
小学生の時の恋心と失恋のことが書いてあります。あこがれの相手はだいぶ年上の男性で教会関係者です。
サツマイモの茶巾絞り(ちゃきんしぼり):布で絞った和菓子
逆に中学生のときに知らない男子からラブレターをもらったことが書いてあります。手紙の出だしにあった『ふかしたてのサツマイモのようなあなたへ』という文章に怒って手紙を即破いたそうです。戦後の食糧難だったことを考えると悪気はなかったものとあとで気づいたとのこと。
蝋石(ろうせき):そういうものがあったことを思い出しました。こどもの遊びで、地面に絵や文字を描いていました。
『やさしい人間になるには教養を身に着けなくてはならないし、そのためには本を読むことが大事だと考えるようになった。』
16歳のときに占い師に手相を見てもらった。
見料(けんりょう):手相などをみてもらうときの料金
天眼鏡(てんがんきょう):やや大型の凸レンズ(とつれんず)
占い師による占いの結果です。『結婚は遅いです。とても遅いです』『お金には困りません』『あなたの名前は、津々浦々(つつうらうら)に広まります』(よくあたっています)
チャプレン先生:牧師の先生。チャペル(教会)を守る人
太鼓橋(たいこばし):丸くそったアーチ橋
先日観ていた『徹子の部屋』で、昔の映像ですが、ゲストのこどもさんに、こどものころ将来何になりたかったか?と聞かれた徹子さんです。『スパイ』という答えに、こどもさんはとまどって、苦笑いをしていました。(にがわらい:どう反応していいのかわからない)
こちらの本では、『小さい頃は、スパイとチンドン屋さんと駅で切符を売る人になりたかった』と書いてあります。
私立の女子中学生のときに、洋画『トスカ』を観て、オペラ歌手を目指すことにして、東洋音楽学校に入学されています。
学校に対するお金の寄付の話やら、徹子さんのお父さんがヴァイオリン演奏者で超有名人だったことがわかる話やらが書いてあります。
番組『徹子の部屋』のオープニング曲には、もともと歌詞があって、『コロラチューラ』という言葉が使用されていたと書いてあります。コロラチューラというのは、オペラでの歌い方だそうです。
お父さんがシベリアから復員してきます。昭和24年の年末です。5年ぶりの再会です。
弟紀明さんは9歳、妹眞理さんは5歳、徹子さんは、16歳ぐらいでしょう。
お父さんは、東京交響楽団にコンサートマスターとして迎えられ、ヴァイオリニストとして復帰されました。コンサートマスター:まとめ役
徹子さんは、人形劇『雪の女王』を観て、結婚を意識して、こどもさんむけに人形劇をやりたいと思うようになります。お母さんに新聞の求人欄でも見なさいと言われて観たのが、NHK専属俳優募集の記事で、それがきっかけになって、試験に合格して、NHKの劇団員になられています。
まだ、テレビ放送は始まっていません。テレビ放送は、1953年(昭和28年)から始まります。当時のNHKは、日比谷公園にある日比谷公会堂の近くにあったようです。
まあ、どたばたです。ぎりぎりに申し込んで、試験会場を間違えて、試験に遅刻して、それでも合格されています。才能ある人は、どういう状況に合っても世に出てきます。
徹子さんは、試験会場で試験官に、筆記試験の答えを教えていただけませんか?と声をかけています。(ちょっと考えられません)試験官の返事は、『いやです』でした。
徹子さんは当時、『若干名(じゃっかんめい。数人)』を、『わかぼしめい』と読んでおられます。
ここまで読んできて、今は、180ページにいます。
(全体を読み終えました。253ページまでありました)
第二次世界大戦に重点を置いた内容でした。
もうすぐ、戦争を知らない世代の時代が日本に訪れます。
戦争の怖さを知らないから、戦争をしてもいいという意見が前面に出てきそうな気配があります。
相手が攻めてくるから対抗する。たくさんの人が死にます。
戦争をしなくてもいいように、共存できる知恵を絞る。『平和』をめざす姿勢をもたないと、戦火は再び開かれます。
徹子さんは、この本で、戦争反対を強く訴えられています。
この本は、終戦後の昭和時代を表した歴史書のようでもありました。
『トット、女優になる』
徹子さんが、HNK専属東京放送劇団第五期生採用試験に合格したのが、昭和28年2月です。
2月1日からNHKのテレビ放送が始まっています。徹子さんは、養成期間を経て、昭和29年4月に正式採用されています。合格者は17人でした。
東京の地名がたくさん出てきます。
昨年、今年と、都内を散策したので、地理がだいたいわかります。記述内容が身近に感じられて心地よい。
なつかしい俳優さんたちのお名前が出てきますが、もうみなさん、天国へ旅立たれています。
同じ時代を生きてきた人が読んだら胸にじんとくるものがあります。
黒柳徹子さんが最終選考で残った理由は、個性的であったこと、それから、養成期間中、無遅刻無欠勤であったことと読み取れる部分があります。無遅刻無欠勤が、長年続くテレビ番組『徹子の部屋』につながっているのでしょう。『継続』があたりまえのこととして身についている人については、『継続』が苦痛にはなりません。
昭和29年ラジオドラマ『君の名は』に、通行人のがやがやの声として参加されています。いろいろうまくいかなかったことが書いてあります。
現在NHK朝ドラの素材になっておられる笠置シヅ子さんとの仕事も書いてあります。徹子さんの演技を否定する人もいます。でも、応援する人たちもたくさんいます。
ラジオドラマ『ヤン坊ニン坊トン坊』三匹の白い子ザルのお話に参加されます。
ほめ上手な先生がおられます。
叱ってつぶすのではなく、ほめて伸ばす。
いろんな人がいます。多少のことでめげないほうがいい。チャンスが逃げていきます。
結婚に関してです。お見合いを3回されています。脳外科医の方と結婚を考えられています。見合いではなく、恋愛をして結婚したいという理由で、結局断られています。
『紅白歌合戦』の司会者でドタバタしたことが書いてあります。
昭和33年第9回紅白歌合戦です。
徹子さんは25歳です。白組の司会者は、高橋圭三さんです。
場所は、『新宿コマ劇場』です。今はもうありません。熊太郎は若い頃にその劇場を見たことがあります。中に入ったことはありません。
徹子さんの紅白歌合戦にこめる気持ちが強い。
昭和40年代というのは、『命』よりも『仕事』を優先する時代だったというような表現があります。同感です。徹子さんは体を壊します。当時、『ストレス』とういう言葉は聞かなかった覚えです。『モーレツ』という言葉はよく聞きました。
『ブーフーウー』三匹の子ブタの兄弟のお話です。なつかしい。
渥美清さんが出てきます。
1996年に亡くなられて、もう27年がたちますが、BS放送では毎週土曜日に『男はつらいよ』が放送されています。(これを書いている)昨夜見ました。マドンナは栗原小巻さんで、タコ社長の娘が美保純さんでした。
向田邦子さんのお名前も出てきます。
先日、鹿児島市を訪れたおりに、城山展望台付近で、向田邦子さんが通っていた小学校のこどもさんたちが、かけっこをしていました。
徹子さんは向田さんのアパートに入りびたっていたそうです。
帝国劇場の劇に出演された。
今年帝国劇場でミュージカルを観たので身近に感じられました。
日本の歴史、東京の地理書を読むようです。
人間は、外見で、人間を判断するというようなことが書かれています。
変装のように俳優として化粧した徹子さんに気付かず、冷たい対応をする人たちがいます。
昭和46年10月、アメリカ合衆国ニューヨークへ女優としての演技を学ぶために留学されています。
あとがきにはやはり、戦争のことが書いてあります。戦争体験者の生々しい声があります。
全体を読み終えて、この本は、まだ続きがあると確信しました。
原稿はすでに手元にあられることでしょう。
徹子さんは職業柄きちょうめんな方だと思うのです。記録はしっかりとってあると思います。
もっともっと長生きしてください。]]>
読書感想文
熊太郎
2023-12-28T07:56:51+09:00
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その本は 又吉直樹 ヨシタケシンスケ
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e153421.html
その本は 又吉直樹 ヨシタケシンスケ ポプラ社 おもしろそうです。 王さまが、又吉直樹さんとヨシタケシンスケさんに指令を出します。 世界を回って、『めずらしい本』の話を集めてきて、わたしに教えてくれというパターンです。 この本自体は分厚いのですが、ページをめくると、児童文学のようでもあり、絵本のようでもあります。 絵は、ヨシタケシンスケさんの絵で色合いも人物絵もきれいです。 似顔絵です。本の中に、又吉直樹さんとヨシタケシンスケさんがおられます。 なにが始まるのだろう。 ふたりが一年後、珍しい本探しのための世界の旅から王宮に帰ってきました。 どうもふたりはいっしょに回ったのではなく、それぞれで回ったらしい。 『第1夜』 又吉直樹さんの姿が絵であります。 ①とんでもない速さで走っている本 ②ふたごの本 (う~む。意味がわからない) ③警察に追われている本 (本=人間なのか) ④『日本』という本 (クイズ、だじゃれ、なぞなぞなのか) 第1話を読み終えて:なんじゃらほい?!『第2夜』 ヨシタケシンスケさんの姿が絵であります。 こちらは、マンガのような絵がいっぱいです。 期間として『3ポーレは、800年間』のこと。 アイデア、発想があります。 幼児でないと理解できないことがある。(そういうことってあると思います) 『ソの本』は:『ファの本』と『ラの本』の間にある。(なるほど。こどもさんがこの部分を読むとどんな感想をもつのだろうかと興味が湧きました)『第3夜』 再び又吉直樹さんの登場です。 なかなかいい感じです。 『その本は、しおりを食べる……』(殺人事件に発展します) 『その本は、人を選ぶ。』(意味深い。本を読む人について書いてあります) 『その本は、かなり大きな声で笑うので真夜中は冷蔵庫で……』 『その本は、高いところから落とすと猫みたいに回転して……』 (おもしろいうなあ。『思考遊び』があります) 『…… やさしい本を食べると怪物はやさしくなるらしい』(う~む。たいしたものだと唸りました(うなりました))『第4夜』 ヨシタケシンスケさんの番です。 (いいなあ~) その本は:いつかぼくを救ってくれるはずだ。いつかぼくを大金持ちにしてくれるはずだ。いつかぼくは生まれ変わる。 その本は、私が5歳の時、書いたものだ…… (本づくりの楽しみがあります。人生の楽しみにつながります)『第5夜』 又吉直樹さんの番です。 意味深い。『本=人』ととらえる。 人間はやっぱり、見た目よりも中身です。 老化について考えることがあります。 長い間生きてきて、自分と同世代の人たちの若かった頃の見た目を覚えていて、語弊がありますが、(ごへい。誤解を生みそうになる)若い頃いくらかっこよくて、イケメンや、美人でも、50年ぐらいがたつと、見た目はどうしても『劣化』します。あんなにかっこよかったのにとか、あんなに素敵だったのに…… 歳(とし)をとってしまったということはあります。 本の55ページに、『その本は、「わかいころはモテた」がくちぐせです。』とあります。 『その本はボロボロである』(紙の本だからぼろぼろになれます。深くて、大きくて、広い感情が、文章にこめられています) 本をペットにたとえる。 『その本は、僕になついていて、いつも(僕の)右肩にのっている……』『第6夜』 ヨシタケシンスケさんの番です。 亡き父が自分の人生を書いた本があります。 人生をふりかえって思うに、『自分の人生は(これで)上出来だった。(じょうできだった)』 『第7夜』 又吉直樹さんの番です。 この部分はとても長かった。78ページから118ページまで続きます。 今年読んで良かった一冊になりました。 語るのが、小学5年生の岬真一で、彼のパートナーが、小学校に転校してきた女子である竹内春(たけうち・はる)です。 力作です。小学生同士の恋話ですが、『うまい!』 ふたりは将来絵本作家になりたいという共通の夢をもっています。 竹内春:おかっぱあたま。髪の毛がきれい。色白。切れ長の両目をしている。おとなっぽい。知的。声がよく通る。写真のような絵を描く。父親がアルコール依存症のDV男(暴力、暴言男)です。竹内春は父親を、『鬼』と呼びます。岬真一:感情が屈折している。絵が得意。岬真一は、『鬼』を金属バットでめちゃめちゃに叩きたい(たたきたい)。竹内春を守りたい。 ふたりの間で、マンガノートの交換が始まります。それはやがて、『交換日記』に発展します。 アイデアが尽きません。 湧き出る泉の水が尽きない(つきない)ようすに似ています。 『遊びなのか修行なのかわからなくなってきた』とあります。 『好きであることは間違いないだろうけど、それは自分よりも面白い絵を描ける人として惹かれていたり(ひかれていたり)、恐怖を感じている気持ちの方が強いのかもしれなかった』 明文堂:めいぶんどう。文房具店 『…… でも竹内と話していると一人のときよりも楽しいかもしれない……』 『イエスタディワンスモア カーペンターズ』(1973年(昭和48年)ころ、よくはやりました。洋楽曲です) 長い文章を続けて読みながら、(最後はたぶんふたりは別れるのだろうな)と思う。 そのとおりになりました。 絵本作家どうしはライバルになることはありません。友だちどうしになることはあります。 お酒のみと結婚すると、普通なら体験しなくてもいい苦労を体験することになります。 結婚相手を選ぶ時の物差し(ものさし。基準)です。何をする人かではなく、なにをしない人かという視点に立って相手の人を評価したほうが賢明(けんめい。かしこい)です。 大酒飲みはアウトです。喫煙者もやめたほうがいい。無用なトラブルに巻き込まれて苦労します。暴力・暴言をふるう人もダメです。 一見優しそうに見えても、家の中に入ると暴れる人っています。自分の思いどおりにならないと、机をたたいたり、椅子をけったりする人は危険です。 調子のいい噓つきも排除したい。ひとつ嘘をつく人は、いくらでも嘘をつきます。 相手を、よーく観察したほうがいい。人はたいてい、いいところもあれば、そうでないところももっています。ひとつでも尊敬できるところがあれば、ほかのいやなところはがまんできて、付き合いを続けることができるということはあります。 竹内春の言葉として、『鬼はお母さんのことを叩いたり怒鳴ったりします……』 30年に1回巡ってくるという流星群のことが出てきます。『第8夜』 この部分は、ヨシタケシンスケさんの語りで、人生の本について書いてありました。 ちょっとわかりにくかった。『第9夜』 この部分は、又吉直樹さんです。 『その本は、ゾンビが怖くなくなる方法について書かれている』(この部分を読んで考えたことです。自分も悪人になって悪の世界になじめば悪の世界にいるうちは生きていけるとも受け取れます) 文章を読むとマンガの絵が頭に浮かびます。 絵はありませんが、マンガの世界です。本を図書館の本棚に置くと、ゴゴゴゴゴゴーと地響きがして、大きな本棚が左右にわれて、床から光かがやく別の巨大な本棚があがってきて…… となるのです。 『その本は、まっしろである。』 病気で亡くなったお父さんが、生きていた時に撮影したビデオ映像が、その後成長した娘さんの結婚式で披露されます。 撮影されたのは、2009年4月8日に撮(と)られたものです。映像の中でお父さんが、『あいこ、結婚おめでとう!』とメッセージを送ります。(でも、おとうさんは、もうずーっと前に、天国に行かれています) わたしは読んでいて、遺言(ゆいごん)の『付言(ふげん)』を思い出しました。 わたしは今年の春、司法書士事務所の人に関り(かかわり)になってもらって、公証人役場で遺言の手続きをしました。 そのとき、司法書士事務所に、遺族(妻子)に読んでもらう『付言』を預けました。わたしが死んだあと、妻やこどもたちに手渡しされます。 わたしのメッセージを読む遺族の状態が、こちらの本のこの部分に書いてあると思いました。 本では、亡くなったお父さんが動画の中で、トランペットを吹きます。『ザ・ローズ』という曲です。純粋です。損得勘定の意識はありません。胸にジンときました。『第10夜』 ヨシタケシンスケさんの番です。 なるほどと思わせてくれる短文です。 邦画『転校生』のパターンで、本と人間が入れ替わります。 人間の意識をもった『本』は、病院への入院で体を動かせない状態になった人の心持ちに似ています。 『もしかしたら、ぼくはもともと本だったのかもしれない……』 すごい発想力です。 『第11夜』 又吉直樹さんの番です。 『その本は、夢のなかでしか読むことができない……』 こどもさんが、教室の中で、どうやって友だちをつくったらいいかの問いかけです。 わたしは、『ありがとう』と言えば、友だちができると思っています。『ありがとう』と言われて怒る(おこる)人はいません。いろいろ付け加えると、『あいづちをうつ。(人はたいてい、自分が言いたいことを言いたい。反対に、人の話は聞きたくないか、聞いているふりをしていて聞いていない。だから、きちんとした会話をしていなくてもだいじょうぶ。雑談は、発表ではありません)』『相手に負担をかけない。(相手を質問攻めしない。相手が話したことを否定しない)』『共通の話題をもつ』これぐらいあれば、雑談がなりたってともだちのような関係ができあがります。『第12夜』 『その本は、評判が悪かった…… ヒーローが負ける話だったからだ。』 だけど、それが励ましになった。なにもかもがうまくいかない人生だった。 亡き父親の話が出てきて、亡き父親の知り合いがいて、永い時を経て、一冊の本が、亡き父親の息子の気持ちを助けます。 わたしが思うに、奇跡というのは、奇跡ではなくて、『必然(ひつぜん。必ずそうなる)』なのです。確率が低くても、そうなるのです。 本と人との出会いについて書いてありました。『第13夜』 最後の夜になりました。 又吉直樹さんの番です。 『その本は、まだ生まれていません……』 小説家がその本を書いている途中なのです。 小説家はがんばっています。『エピローグ(最後の言葉)』 この本のからくり(仕組み)について書いてあります。 又吉直樹さんとヨシタケシンスケさんが登場します。 王さまへの報告に関する詳細です。 王さまはふたりの報告を聴(き)いたあと亡くなってしまいました。 オチがおもしろい。ここには書きません。 なかなかいい本でした。
その本は 又吉直樹 ヨシタケシンスケ ポプラ社
おもしろそうです。
王さまが、又吉直樹さんとヨシタケシンスケさんに指令を出します。
世界を回って、『めずらしい本』の話を集めてきて、わたしに教えてくれというパターンです。
この本自体は分厚いのですが、ページをめくると、児童文学のようでもあり、絵本のようでもあります。
絵は、ヨシタケシンスケさんの絵で色合いも人物絵もきれいです。
似顔絵です。本の中に、又吉直樹さんとヨシタケシンスケさんがおられます。
なにが始まるのだろう。
ふたりが一年後、珍しい本探しのための世界の旅から王宮に帰ってきました。
どうもふたりはいっしょに回ったのではなく、それぞれで回ったらしい。
『第1夜』
又吉直樹さんの姿が絵であります。
①とんでもない速さで走っている本
②ふたごの本
(う~む。意味がわからない)
③警察に追われている本
(本=人間なのか)
④『日本』という本
(クイズ、だじゃれ、なぞなぞなのか)
第1話を読み終えて:なんじゃらほい?!
『第2夜』
ヨシタケシンスケさんの姿が絵であります。
こちらは、マンガのような絵がいっぱいです。
期間として『3ポーレは、800年間』のこと。
アイデア、発想があります。
幼児でないと理解できないことがある。(そういうことってあると思います)
『ソの本』は:『ファの本』と『ラの本』の間にある。(なるほど。こどもさんがこの部分を読むとどんな感想をもつのだろうかと興味が湧きました)
『第3夜』
再び又吉直樹さんの登場です。
なかなかいい感じです。
『その本は、しおりを食べる……』(殺人事件に発展します)
『その本は、人を選ぶ。』(意味深い。本を読む人について書いてあります)
『その本は、かなり大きな声で笑うので真夜中は冷蔵庫で……』
『その本は、高いところから落とすと猫みたいに回転して……』
(おもしろいうなあ。『思考遊び』があります)
『…… やさしい本を食べると怪物はやさしくなるらしい』
(う~む。たいしたものだと唸りました(うなりました))
『第4夜』
ヨシタケシンスケさんの番です。
(いいなあ~)
その本は:いつかぼくを救ってくれるはずだ。いつかぼくを大金持ちにしてくれるはずだ。いつかぼくは生まれ変わる。
その本は、私が5歳の時、書いたものだ…… (本づくりの楽しみがあります。人生の楽しみにつながります)
『第5夜』
又吉直樹さんの番です。
意味深い。『本=人』ととらえる。
人間はやっぱり、見た目よりも中身です。
老化について考えることがあります。
長い間生きてきて、自分と同世代の人たちの若かった頃の見た目を覚えていて、語弊がありますが、(ごへい。誤解を生みそうになる)若い頃いくらかっこよくて、イケメンや、美人でも、50年ぐらいがたつと、見た目はどうしても『劣化』します。あんなにかっこよかったのにとか、あんなに素敵だったのに…… 歳(とし)をとってしまったということはあります。
本の55ページに、『その本は、「わかいころはモテた」がくちぐせです。』とあります。
『その本はボロボロである』(紙の本だからぼろぼろになれます。深くて、大きくて、広い感情が、文章にこめられています)
本をペットにたとえる。
『その本は、僕になついていて、いつも(僕の)右肩にのっている……』
『第6夜』
ヨシタケシンスケさんの番です。
亡き父が自分の人生を書いた本があります。
人生をふりかえって思うに、『自分の人生は(これで)上出来だった。(じょうできだった)』
『第7夜』
又吉直樹さんの番です。
この部分はとても長かった。78ページから118ページまで続きます。
今年読んで良かった一冊になりました。
語るのが、小学5年生の岬真一で、彼のパートナーが、小学校に転校してきた女子である竹内春(たけうち・はる)です。
力作です。小学生同士の恋話ですが、『うまい!』
ふたりは将来絵本作家になりたいという共通の夢をもっています。
竹内春:おかっぱあたま。髪の毛がきれい。色白。切れ長の両目をしている。おとなっぽい。知的。声がよく通る。写真のような絵を描く。父親がアルコール依存症のDV男(暴力、暴言男)です。竹内春は父親を、『鬼』と呼びます。
岬真一:感情が屈折している。絵が得意。岬真一は、『鬼』を金属バットでめちゃめちゃに叩きたい(たたきたい)。竹内春を守りたい。
ふたりの間で、マンガノートの交換が始まります。それはやがて、『交換日記』に発展します。
アイデアが尽きません。
湧き出る泉の水が尽きない(つきない)ようすに似ています。
『遊びなのか修行なのかわからなくなってきた』とあります。
『好きであることは間違いないだろうけど、それは自分よりも面白い絵を描ける人として惹かれていたり(ひかれていたり)、恐怖を感じている気持ちの方が強いのかもしれなかった』
明文堂:めいぶんどう。文房具店
『…… でも竹内と話していると一人のときよりも楽しいかもしれない……』
『イエスタディワンスモア カーペンターズ』(1973年(昭和48年)ころ、よくはやりました。洋楽曲です)
長い文章を続けて読みながら、(最後はたぶんふたりは別れるのだろうな)と思う。
そのとおりになりました。
絵本作家どうしはライバルになることはありません。友だちどうしになることはあります。
お酒のみと結婚すると、普通なら体験しなくてもいい苦労を体験することになります。
結婚相手を選ぶ時の物差し(ものさし。基準)です。何をする人かではなく、なにをしない人かという視点に立って相手の人を評価したほうが賢明(けんめい。かしこい)です。
大酒飲みはアウトです。喫煙者もやめたほうがいい。無用なトラブルに巻き込まれて苦労します。暴力・暴言をふるう人もダメです。
一見優しそうに見えても、家の中に入ると暴れる人っています。自分の思いどおりにならないと、机をたたいたり、椅子をけったりする人は危険です。
調子のいい噓つきも排除したい。ひとつ嘘をつく人は、いくらでも嘘をつきます。
相手を、よーく観察したほうがいい。人はたいてい、いいところもあれば、そうでないところももっています。ひとつでも尊敬できるところがあれば、ほかのいやなところはがまんできて、付き合いを続けることができるということはあります。
竹内春の言葉として、『鬼はお母さんのことを叩いたり怒鳴ったりします……』
30年に1回巡ってくるという流星群のことが出てきます。
『第8夜』
この部分は、ヨシタケシンスケさんの語りで、人生の本について書いてありました。
ちょっとわかりにくかった。
『第9夜』
この部分は、又吉直樹さんです。
『その本は、ゾンビが怖くなくなる方法について書かれている』(この部分を読んで考えたことです。自分も悪人になって悪の世界になじめば悪の世界にいるうちは生きていけるとも受け取れます)
文章を読むとマンガの絵が頭に浮かびます。
絵はありませんが、マンガの世界です。本を図書館の本棚に置くと、ゴゴゴゴゴゴーと地響きがして、大きな本棚が左右にわれて、床から光かがやく別の巨大な本棚があがってきて…… となるのです。
『その本は、まっしろである。』
病気で亡くなったお父さんが、生きていた時に撮影したビデオ映像が、その後成長した娘さんの結婚式で披露されます。
撮影されたのは、2009年4月8日に撮(と)られたものです。映像の中でお父さんが、『あいこ、結婚おめでとう!』とメッセージを送ります。(でも、おとうさんは、もうずーっと前に、天国に行かれています)
わたしは読んでいて、遺言(ゆいごん)の『付言(ふげん)』を思い出しました。
わたしは今年の春、司法書士事務所の人に関り(かかわり)になってもらって、公証人役場で遺言の手続きをしました。
そのとき、司法書士事務所に、遺族(妻子)に読んでもらう『付言』を預けました。わたしが死んだあと、妻やこどもたちに手渡しされます。
わたしのメッセージを読む遺族の状態が、こちらの本のこの部分に書いてあると思いました。
本では、亡くなったお父さんが動画の中で、トランペットを吹きます。『ザ・ローズ』という曲です。純粋です。損得勘定の意識はありません。胸にジンときました。
『第10夜』
ヨシタケシンスケさんの番です。
なるほどと思わせてくれる短文です。
邦画『転校生』のパターンで、本と人間が入れ替わります。
人間の意識をもった『本』は、病院への入院で体を動かせない状態になった人の心持ちに似ています。
『もしかしたら、ぼくはもともと本だったのかもしれない……』
すごい発想力です。
『第11夜』
又吉直樹さんの番です。
『その本は、夢のなかでしか読むことができない……』
こどもさんが、教室の中で、どうやって友だちをつくったらいいかの問いかけです。
わたしは、『ありがとう』と言えば、友だちができると思っています。『ありがとう』と言われて怒る(おこる)人はいません。いろいろ付け加えると、『あいづちをうつ。(人はたいてい、自分が言いたいことを言いたい。反対に、人の話は聞きたくないか、聞いているふりをしていて聞いていない。だから、きちんとした会話をしていなくてもだいじょうぶ。雑談は、発表ではありません)』『相手に負担をかけない。(相手を質問攻めしない。相手が話したことを否定しない)』『共通の話題をもつ』これぐらいあれば、雑談がなりたってともだちのような関係ができあがります。
『第12夜』
『その本は、評判が悪かった…… ヒーローが負ける話だったからだ。』
だけど、それが励ましになった。なにもかもがうまくいかない人生だった。
亡き父親の話が出てきて、亡き父親の知り合いがいて、永い時を経て、一冊の本が、亡き父親の息子の気持ちを助けます。
わたしが思うに、奇跡というのは、奇跡ではなくて、『必然(ひつぜん。必ずそうなる)』なのです。確率が低くても、そうなるのです。
本と人との出会いについて書いてありました。
『第13夜』
最後の夜になりました。
又吉直樹さんの番です。
『その本は、まだ生まれていません……』
小説家がその本を書いている途中なのです。
小説家はがんばっています。
『エピローグ(最後の言葉)』
この本のからくり(仕組み)について書いてあります。
又吉直樹さんとヨシタケシンスケさんが登場します。
王さまへの報告に関する詳細です。
王さまはふたりの報告を聴(き)いたあと亡くなってしまいました。
オチがおもしろい。ここには書きません。
なかなかいい本でした。]]>
読書感想文
熊太郎
2023-12-27T07:33:12+09:00
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歌うように、伝えたい 人生を中断した私の再生と希望 塩見三省
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e153308.html
歌うように、伝えたい 人生を中断した私の再生と希望 塩見三省(しおみ・さんせい) 角川春樹事務所 今年4月以降、NHKBSの再放送で、『あまちゃん』を見ていました。塩見三省さんは、岩手県三陸を舞台にして、小田勉さん(べんさん)を演じておられました。琥珀(こはく)をいつも大事そうに磨いておられました。 熊太郎『塩見三省さんは病気になって亡くなったねーー』 熊太郎の妻『そうだね。お気の毒だったねぇ』 調べたら塩見三省さんはご存命でした。失礼しました。 申し訳ないというお詫びの気持ちもこめて、塩見三省さんのエッセイ集を読み始めます。 2014年(平成26年)3月19日、病院に救急搬送されています。脳内出血です。左半身まひで、手足に障害が残っておられます。ご本人が66歳のときです。現在75歳であられます。この本は、ご本人が73歳のときに書かれていて、7年間マヒした左足をひきずって生きてきたと記されています。 明日は我が身かもしれません。身につまされます。 自分の体験だと、だいたい48歳ぐらいから体が壊れ始めます。元に戻りません。目が見にくくなります。体の関節が傷んで(いたんで)、わたしの場合、右肩が抜けたような状態が10年ぐらい前からずーっと続いています。頚椎症(けいついしょう)の後遺症みたいなものだと思います。いちおう整形外科は受診しました。 歯や皮膚も傷みます。(いたみます)。耳も聞こえにくくなります。 脳みそは理解力が落ちます。相手が何かを話していることはわかるのですが、何を話しているのかがわからないことがあります。 下半身に神経痛のような痛みが走ります。今年初夏に坐骨神経痛(ざこつしんけいつう)を患いました。(わずらいました) 全体的に右半身が悪くなっています。まだ使える左半身に頼りながら生活しています。指の先には湿り気がなくなり、本や新聞のページをめくることができません。 先日は、分別ごみをごみ集積場に出しに行ったとき、いっぱい落ちていたどんぐりを左足で踏んで、すってんころりとあおむけに転倒して、地面にお尻の左側を強く打ち付け、細い溝のコンクリート部分に右足のむこうずねをあてて、打撲(だぼく)とすりきずで、右足のすねに血がいっぱい出てしまいました。 歳をとるところびやすくなります。もう若い頃のように、無理がききません。自分の足元に何があるかよく注意して歩かねばと思い知らされました。 老齢者に、がんばれとか、あきらめるなとかいう言葉は禁句です。がんばったら死んじゃいます。 世の中では、高齢者の雇用延長とかの政策の話がありますが、どうしてそんな発想ができるのか不思議です。同世代ですでに病気で亡くなった人が何人もいます。 日本人全員が90歳ぐらいまで生きられるわけでないのです。東京国会議事堂付近で働いている人たちは、なにか、思い違いをされているのではなかろうか。73歳ぐらいで亡くなる方もけっこうおられます。余生を楽しめずに死んだら無念です。 余談が長くなってしまいました。 塩見三省さんは、脳内出血によって、自分の人生は中断せざるを得なくなったと記されています。 ただ、これで人生をすべてあきらめるわけにはいかない。 健康を失うことで、今まで見えていなかったことが見えるようになったということはあります。 やすらかに人生を終えたいのであれば、アルコールの大量飲酒はやめるべきだし、ニコチンもだめです。薬物依存もペケです。増えた体重はなかなか減ってはくれません。暴飲暴食はやめたほうがいい。体の健康も大事だし、心の健康も大事です。 塩見三省さんは、ドラマの共演者だった手術体験がある星野源さんに勧められて(2012年くも膜下出血(平成24年))、文章を書き始めたそうです。 書くことで、生きる希望が湧いてきたそうです。 iPad(アイパッド)で書くそうです。右手の人差し指一本で、一文字(ひともじ)ずつ打つそうです。脳みそは半分しか活動していないと書いてあります。書くことで、それまで白黒だった世界が、色彩のある世界に変わったそうです。『第1章 私の病との闘い 「人生が中断する」ということ、立ち直るということ』 かなり重いお話を、力強く書かれています。 脳内出血後、左半身が動きません。感覚がないのに、痛みがあります。痛みは脳で感じているらしい。塩見三省さんの右脳で出血がありました。 世間から見捨てられたように、病院のベッドで、『「一匹の虫」となって横たわり……』とあります。 熊太郎も別の病気ですが似たような入院体験があります。自分が入院数日後に思ったのは、『ここにいちゃいけない』ということでした。なんというか、自分が人間のゴミに思えました。語弊(ごへい)があるのかもしれませんが、(ごへい:誤解を招きやすい言い方)、病院は人間として使えない状態になった人を収容するところだと感じました。だからがんばって、退院して社会復帰せねばならぬと思いつつも思うように体が動いてくれないのです。 あわせて、医療関係者もいい人ばかりではありません。へんな人やいやな感じがする人もいます。なんだか、弱者という患者の立場でいると、医療関係者が横柄(おうへい)で威張っているように見えたこともありました。弱い者いじめです。(叱られるかもしれませんが本音(ほんね)です) 塩見三省さんは、病院側と対立されています。病後の生活のしかたについてです。 これまでなじみ親しんできた和風の生活を、バリアフリーに近い洋風の生活に変えることが嫌です。 生まれて初めて長期入院されたそうです。珍しいと思いますがそういう人って多いのかなあ。 人間は一生のうち必ず一度は入院を体験すると思います。熊太郎は内臓が壊れて、二十代のころに長期入院の体験があります。 救急搬送され、治療後のご本人のショックは大きい。 鏡で自分の姿を見て、『誰なんだ、この男は……。』と思われたそうです。 感覚のない左手を右手でよいしょと持ち上げて体にのせる。 リアルなマヒのようすや、リハビリのようすが書いてあります。鬼気迫ります。(ききせまります:おそろしい。身の毛もよだつ(毛がさか立つ)) ほかの患者さんのことも少し書いてあります。 交通信号の色はわかるけれど、『赤』で止まり、『青』で進むということがわからない。 テレビの世界をあきらめる。(役者の出演者として) 激しくて強い記述内容です。ぐっと胸をつかまれた気持ちになります。周囲の人たちも含めた闘病記です。 孤立していきます。 車の運転をやめて車を処分する。 相撲(すもう)のテレビ中継が、心のなぐさめになる。 杖(つえ)をついて歩く。転倒して迷惑をかけて心ない言葉を浴びせられたことがあるそうです。女性誌や週刊誌の記者に隠し撮りをされて心外な記事を書かれたこともあるそうです。(しんがい:不本意。残念)(開きなおって、こそこそ隠し撮りなんかしないで、堂々とわたしを撮りなさい。インタビューに応じましょうという姿勢を見せてもいいのではないかと熊太郎は思いました) 不様:ぶざま。みっともない。醜態(しゅうたい) 力がこもった文章が続きます。 徐々にテレビに復帰されていきます。朝の番組とかドラマとか。映画とか。 負けじ魂(だましい)があります。人に恵まれています。 『第2章 病と共に生きるとは 記憶 私の走馬灯(そうまとう)』 生まれてからの思い出の記(き)です。 本をまだ最後まで読んではいませんが、今年読んで良かった一冊です。 京都府綾部市がふるさと。 1965年頃(昭和40年頃)のことが書いてあります。 まだ十代です。 1966年(昭和41年)で京都の同志社大学生。18歳です。 当時は学生運動で、大学は全国的に荒れていました。 熊太郎が中学の修学旅行で歩いた京都嵐山や嵯峨野などの風景が書いてあります。あのころ、今ほど観光地化されていなかったような覚えです。歴史を学ぶ土地でした。 東京に来てからのことが書いてあります。熊太郎が今年訪れた吉祥寺(きちじょうじ)とか三鷹のことが書いてあって親近感をもちました。 有名な人たちのお名前がたくさん出てきます。演劇人の人たちです。塩見三省さんは、まだ二十代です。 1985年(昭和60年)にお母上が死去されています。 1971年(昭和46年)にイギリスロンドンからシベリア鉄道を使って、日本の横浜まで帰国されています。すごいなあ。途中、原野のなかにあるシベリアの駅で置き去りになりそうになっておられます。置き去りにされていたら、死んでいたかもしれません。そのときご本人はまだ23歳です。命をつなぐためには、『運(うん)』がいります。『第3章 あの人たちを想う いつまでも忘れないということ』 すでに亡くなられている方たちとの思い出話です。そして、いずれは、ご自身もそちらの世界へいくのだという流れのお話です。 もうずいぶん前の話もあります。この20年間ぐらいでおおぜいの芸能界の人たちが亡くなりました。自分も今年4年ぶりに開催された職場の同窓会で、この4年間に20人ぐらいの先輩たちが亡くなったことを知りました。 岸田今日子:2006年(平成18年)76歳没 文章が固いかなと感じます。リズムにのれない部分がある文章です。 役者さんのためか、セリフが入る文章で、脚本のような雰囲気の部分もあります。 つかこうへい:2010年(平成22年)62歳没 読んでいると、演劇人の人たちは、いい意味で、『演劇バカ』です。熱中しています。 だれのためにやるのか。自分たちのためにやる。表現する。自分たちの主張を表現する。 生涯現役で演技を続ける。 サラリーマンのように、9時から5時まで働く仕事ではない。いいかえれば、人生のすべての時間が役者という仕事の時間でもある。定年退職はない。 モドリ:悪人と思っていたが、実は善人だったという役柄 戯曲『熱海殺人事件』に関連した話として、宮崎勉の連続殺人事件:1988年(昭和63年)から1989年(平成元年)に起きた、4人の幼女・女児殺害事件。2008年死刑執行。45歳没 1980年代から90年代、2000年を過ぎても、ご本人は、がんがん働いておられます。 脳内出血を起こしたのは、働きすぎたからだろうか。 中村伸郎(なかむら・のぶお):1991年(平成3年)82歳没 別役実(べつやく・みのる):2020年(令和2年)82歳没 長岡輝子:2010年(平成22年)102歳没 ときおりページのあちこちに宮沢賢治の名前が出てきます。演劇人は、宮沢賢治作品から、いろいろ影響を受けているそうです。そういえば、この本の前に読んだ本『喫茶店で松本隆さんから聞いたこと 山下賢二 夏葉社』のページにも宮沢賢治さんの名前があった記憶です。 植木等:2007年(平成19年)80歳没 K君:演出家 自分が長生きしても、友だちがみんな先に逝ってしまって(いってしまって、亡くなって)、さみしいということはあります。 自分の体験だと、訃報(ふほう。死の知らせ)というものは、集団で発生します。同じ時代を生きた仲間が同じような時期に命尽きます。義父母の訃報を連絡したら、義父母の友人たちも最近亡くなったばかりだったというような体験があります。 大杉漣(おおすぎ・れん):塩見三省さんは、大杉さんを大杉さんの本名の『孝』で呼んでおられます。2018年(平成30年)66歳没『第4章 この人たちと生きる 生きることへの支えとして』 第4章は、存命の方たちとの交流です。 岸部一徳さん:日本橋の三越の前で待ち合わせをされたそうです。熊太郎は今年10月に日本橋三越前を歩いたので親近感が湧きました。 長嶋茂雄さん:リハビリをする病院が同じだったそうです。お言葉が力強い。『シオミさん、どーってことないよ』と言わんばかりのポジティブシンキングだったそうです。 三池崇史さん:映画監督の方です。 岩井俊二さん:同じく映画監督さんです。 ドンゴロスの背景:南京袋模様(もよう)の背景ということだろうか。 182ページまで読んできて、奥さんのことが出てこないことが不思議です。 たとえば、医療保険とか、介護保険とか、身体障害者制度の利用とか、衣食住の生活を送るうえで、避けて通れない手続きがあります。ご本人が自力でできることではありませんから、奥さんがたくさんの事務をなさっていたのでしょう。(本の後半247ページ「後書きとして…」で、ようやく奥さんへの感謝の言葉が出てきました) 細かく言うと、入院されていましたから、高額療養費の還付手続きとか、バリアフリーの部屋にするための介護保険を使った住宅改修とか、補装具や日常生活用具や手当を求める身体障害者手帳の申請とか、障害年金の手続きもあったかもしれません。医療・介護・年金制度に関する手続きが、いろいろあります。きっと奥さんがてんてこまいで手続きをされたのでしょう。ゆえに、ご本人は、もっと奥さんにお礼を言われたほうがいいと思います。最大の恩人は奥さんです。奥さんの貢献度は高い。 本全体を読み終えて感じたことです。 ご本人も含めて、まわりにいる方々も、演劇人の人たちは、少年、少女なのです。 十代の意識のまま、舞台や映画やドラマづくりにすべての力を注いでいる人たちです。 ゆえに、実社会での日常生活のにおいがしません。 特殊な世界です。そういう箱の中で人生を送られている。 虚構をつくる世界です。 演技で観ている人たちの心理を操作して感動してもらいます。 人に喜んでもらって収入を得ます。 マヒして動かなくなった左手の上に子役さんの小さな手が重なるシーンを撮影して映画ができあがる。祖父と孫の役柄です。動かない左手が感動を生む素材になります。 萩原健一(はぎわら・けんいち):2019年(平成31年)68歳没 ドライ、ランスルー:ドライは、カメラなしの最初から最後までのリハーサル。ランスルーは、本番どおりの通し稽古(けいこ)。最終確認。『第5章 夕暮れ時が一番好きだ 気持ちが良いのは少し寂しいくらいの時でもある』 病牀六尺(びょうしょうろくしゃく):正岡子規(まさおか・しき)の随筆集。病床にある著者の所感(しょかん。感想)1902年(明治35年)発表 役者の卵が障害者の役を演じるために障害者の動きを病院へ見学に来る。障害者にとっては、うれしいことではありません。 役者であるご本人に怒りが生まれています。 路線バスに乗ることが好き。奥さんと乗る。高い席から景色を見渡すのが好き。 東京ビッグサイトまで、行って帰っての半日バス旅が楽しみ。 元気なころは、海外旅行にも行かれて、バイクにも乗られて、そんな思い出話があります。 東京の街は、1980年代から(昭和55年)ずいぶん変化した。都市化が進んだ。思うに地方都市でもその頃は原野が広がる景色がありました。今はビルばかりです。 ふたつのことを同時にできなくなった。 歩きながら話すことができない。 読んでいると車いすの障害者になられた詩画作家星野富弘さんの本に書いてあったご本人の語りに似ていると感じます。『克服』があります。『第6章 静寂と修羅(しゅら) 北野武監督 生き残るということ』 映画監督北野武さんに敬意を表されています。尊敬の気持ちがとても強い。 作品『アウトレイジ ビヨンド』等への出演があります。 左半身不随後も映画出演のために目標をつくって努力する姿があります。リハビリです。 原稿を書き終えたらしき日付は、『2021年5月』(令和3年)となっています。 この本をつくるきっかけとなった小説家髙田郁(たかだ・かおる)さんの解説が最後にあります。 ご自身の作品『銀二貫』のテレビドラマ化で、塩見三省さんに出演してもらったそうです。 2014年2月3日、まだ、塩見三省さんがご病気になる前にお母さんといっしょに面談されたそうです。翌月である3月19日に、塩見三省さんは脳出血で倒れられています。 日記を書くことで慰められる。 先日読んだ『さみしい夜にはペンを持て 古賀史健(こが・ふみたけ) 絵・ならの ポプラ社』を思い出しました。ペンを持って日記を書くのです。学校に行きたくない中学生男子が、日記に救われます。 いい文章です。 『本は寡黙(かもく。言葉数が少ない)で、そして雄弁です。手に取って開かない限り、語りかけてはこない……』(追記 2023年12月18日月曜日夜のこと) たまたまテレビ番組表を見ていたら、塩見三省さんがゲストで登場している番組を放映していたので見ました。 NHKEテレの番組で、『ハートネットTV 私のリカバリー』というテーマでした。 放送を見ながら、自分がその時座っていた椅子の後ろにある本棚にこちらの本があり、本の40ページあたりに書いてある女子大生の入院患者さんと彼女のお母さんの話題がテレビで紹介されていました。縁を感じました。
歌うように、伝えたい 人生を中断した私の再生と希望 塩見三省(しおみ・さんせい) 角川春樹事務所
今年4月以降、NHKBSの再放送で、『あまちゃん』を見ていました。塩見三省さんは、岩手県三陸を舞台にして、小田勉さん(べんさん)を演じておられました。琥珀(こはく)をいつも大事そうに磨いておられました。
熊太郎『塩見三省さんは病気になって亡くなったねーー』
熊太郎の妻『そうだね。お気の毒だったねぇ』
調べたら塩見三省さんはご存命でした。失礼しました。
申し訳ないというお詫びの気持ちもこめて、塩見三省さんのエッセイ集を読み始めます。
2014年(平成26年)3月19日、病院に救急搬送されています。脳内出血です。左半身まひで、手足に障害が残っておられます。ご本人が66歳のときです。現在75歳であられます。この本は、ご本人が73歳のときに書かれていて、7年間マヒした左足をひきずって生きてきたと記されています。
明日は我が身かもしれません。身につまされます。
自分の体験だと、だいたい48歳ぐらいから体が壊れ始めます。元に戻りません。目が見にくくなります。体の関節が傷んで(いたんで)、わたしの場合、右肩が抜けたような状態が10年ぐらい前からずーっと続いています。頚椎症(けいついしょう)の後遺症みたいなものだと思います。いちおう整形外科は受診しました。
歯や皮膚も傷みます。(いたみます)。耳も聞こえにくくなります。
脳みそは理解力が落ちます。相手が何かを話していることはわかるのですが、何を話しているのかがわからないことがあります。
下半身に神経痛のような痛みが走ります。今年初夏に坐骨神経痛(ざこつしんけいつう)を患いました。(わずらいました)
全体的に右半身が悪くなっています。まだ使える左半身に頼りながら生活しています。指の先には湿り気がなくなり、本や新聞のページをめくることができません。
先日は、分別ごみをごみ集積場に出しに行ったとき、いっぱい落ちていたどんぐりを左足で踏んで、すってんころりとあおむけに転倒して、地面にお尻の左側を強く打ち付け、細い溝のコンクリート部分に右足のむこうずねをあてて、打撲(だぼく)とすりきずで、右足のすねに血がいっぱい出てしまいました。
歳をとるところびやすくなります。もう若い頃のように、無理がききません。自分の足元に何があるかよく注意して歩かねばと思い知らされました。
老齢者に、がんばれとか、あきらめるなとかいう言葉は禁句です。がんばったら死んじゃいます。
世の中では、高齢者の雇用延長とかの政策の話がありますが、どうしてそんな発想ができるのか不思議です。同世代ですでに病気で亡くなった人が何人もいます。
日本人全員が90歳ぐらいまで生きられるわけでないのです。東京国会議事堂付近で働いている人たちは、なにか、思い違いをされているのではなかろうか。73歳ぐらいで亡くなる方もけっこうおられます。余生を楽しめずに死んだら無念です。
余談が長くなってしまいました。
塩見三省さんは、脳内出血によって、自分の人生は中断せざるを得なくなったと記されています。
ただ、これで人生をすべてあきらめるわけにはいかない。
健康を失うことで、今まで見えていなかったことが見えるようになったということはあります。
やすらかに人生を終えたいのであれば、アルコールの大量飲酒はやめるべきだし、ニコチンもだめです。薬物依存もペケです。増えた体重はなかなか減ってはくれません。暴飲暴食はやめたほうがいい。体の健康も大事だし、心の健康も大事です。
塩見三省さんは、ドラマの共演者だった手術体験がある星野源さんに勧められて(2012年くも膜下出血(平成24年))、文章を書き始めたそうです。
書くことで、生きる希望が湧いてきたそうです。
iPad(アイパッド)で書くそうです。右手の人差し指一本で、一文字(ひともじ)ずつ打つそうです。脳みそは半分しか活動していないと書いてあります。書くことで、それまで白黒だった世界が、色彩のある世界に変わったそうです。
『第1章 私の病との闘い 「人生が中断する」ということ、立ち直るということ』
かなり重いお話を、力強く書かれています。
脳内出血後、左半身が動きません。感覚がないのに、痛みがあります。痛みは脳で感じているらしい。塩見三省さんの右脳で出血がありました。
世間から見捨てられたように、病院のベッドで、『「一匹の虫」となって横たわり……』とあります。
熊太郎も別の病気ですが似たような入院体験があります。自分が入院数日後に思ったのは、『ここにいちゃいけない』ということでした。なんというか、自分が人間のゴミに思えました。語弊(ごへい)があるのかもしれませんが、(ごへい:誤解を招きやすい言い方)、病院は人間として使えない状態になった人を収容するところだと感じました。だからがんばって、退院して社会復帰せねばならぬと思いつつも思うように体が動いてくれないのです。
あわせて、医療関係者もいい人ばかりではありません。へんな人やいやな感じがする人もいます。なんだか、弱者という患者の立場でいると、医療関係者が横柄(おうへい)で威張っているように見えたこともありました。弱い者いじめです。(叱られるかもしれませんが本音(ほんね)です)
塩見三省さんは、病院側と対立されています。病後の生活のしかたについてです。
これまでなじみ親しんできた和風の生活を、バリアフリーに近い洋風の生活に変えることが嫌です。
生まれて初めて長期入院されたそうです。珍しいと思いますがそういう人って多いのかなあ。
人間は一生のうち必ず一度は入院を体験すると思います。熊太郎は内臓が壊れて、二十代のころに長期入院の体験があります。
救急搬送され、治療後のご本人のショックは大きい。
鏡で自分の姿を見て、『誰なんだ、この男は……。』と思われたそうです。
感覚のない左手を右手でよいしょと持ち上げて体にのせる。
リアルなマヒのようすや、リハビリのようすが書いてあります。鬼気迫ります。(ききせまります:おそろしい。身の毛もよだつ(毛がさか立つ))
ほかの患者さんのことも少し書いてあります。
交通信号の色はわかるけれど、『赤』で止まり、『青』で進むということがわからない。
テレビの世界をあきらめる。(役者の出演者として)
激しくて強い記述内容です。ぐっと胸をつかまれた気持ちになります。周囲の人たちも含めた闘病記です。
孤立していきます。
車の運転をやめて車を処分する。
相撲(すもう)のテレビ中継が、心のなぐさめになる。
杖(つえ)をついて歩く。転倒して迷惑をかけて心ない言葉を浴びせられたことがあるそうです。女性誌や週刊誌の記者に隠し撮りをされて心外な記事を書かれたこともあるそうです。(しんがい:不本意。残念)(開きなおって、こそこそ隠し撮りなんかしないで、堂々とわたしを撮りなさい。インタビューに応じましょうという姿勢を見せてもいいのではないかと熊太郎は思いました)
不様:ぶざま。みっともない。醜態(しゅうたい)
力がこもった文章が続きます。
徐々にテレビに復帰されていきます。朝の番組とかドラマとか。映画とか。
負けじ魂(だましい)があります。人に恵まれています。
『第2章 病と共に生きるとは 記憶 私の走馬灯(そうまとう)』
生まれてからの思い出の記(き)です。
本をまだ最後まで読んではいませんが、今年読んで良かった一冊です。
京都府綾部市がふるさと。
1965年頃(昭和40年頃)のことが書いてあります。
まだ十代です。
1966年(昭和41年)で京都の同志社大学生。18歳です。
当時は学生運動で、大学は全国的に荒れていました。
熊太郎が中学の修学旅行で歩いた京都嵐山や嵯峨野などの風景が書いてあります。あのころ、今ほど観光地化されていなかったような覚えです。歴史を学ぶ土地でした。
東京に来てからのことが書いてあります。熊太郎が今年訪れた吉祥寺(きちじょうじ)とか三鷹のことが書いてあって親近感をもちました。
有名な人たちのお名前がたくさん出てきます。演劇人の人たちです。塩見三省さんは、まだ二十代です。
1985年(昭和60年)にお母上が死去されています。
1971年(昭和46年)にイギリスロンドンからシベリア鉄道を使って、日本の横浜まで帰国されています。すごいなあ。途中、原野のなかにあるシベリアの駅で置き去りになりそうになっておられます。置き去りにされていたら、死んでいたかもしれません。そのときご本人はまだ23歳です。命をつなぐためには、『運(うん)』がいります。
『第3章 あの人たちを想う いつまでも忘れないということ』
すでに亡くなられている方たちとの思い出話です。そして、いずれは、ご自身もそちらの世界へいくのだという流れのお話です。
もうずいぶん前の話もあります。この20年間ぐらいでおおぜいの芸能界の人たちが亡くなりました。自分も今年4年ぶりに開催された職場の同窓会で、この4年間に20人ぐらいの先輩たちが亡くなったことを知りました。
岸田今日子:2006年(平成18年)76歳没
文章が固いかなと感じます。リズムにのれない部分がある文章です。
役者さんのためか、セリフが入る文章で、脚本のような雰囲気の部分もあります。
つかこうへい:2010年(平成22年)62歳没
読んでいると、演劇人の人たちは、いい意味で、『演劇バカ』です。熱中しています。
だれのためにやるのか。自分たちのためにやる。表現する。自分たちの主張を表現する。
生涯現役で演技を続ける。
サラリーマンのように、9時から5時まで働く仕事ではない。いいかえれば、人生のすべての時間が役者という仕事の時間でもある。定年退職はない。
モドリ:悪人と思っていたが、実は善人だったという役柄
戯曲『熱海殺人事件』に関連した話として、宮崎勉の連続殺人事件:1988年(昭和63年)から1989年(平成元年)に起きた、4人の幼女・女児殺害事件。2008年死刑執行。45歳没
1980年代から90年代、2000年を過ぎても、ご本人は、がんがん働いておられます。
脳内出血を起こしたのは、働きすぎたからだろうか。
中村伸郎(なかむら・のぶお):1991年(平成3年)82歳没
別役実(べつやく・みのる):2020年(令和2年)82歳没
長岡輝子:2010年(平成22年)102歳没
ときおりページのあちこちに宮沢賢治の名前が出てきます。演劇人は、宮沢賢治作品から、いろいろ影響を受けているそうです。そういえば、この本の前に読んだ本『喫茶店で松本隆さんから聞いたこと 山下賢二 夏葉社』のページにも宮沢賢治さんの名前があった記憶です。
植木等:2007年(平成19年)80歳没
K君:演出家
自分が長生きしても、友だちがみんな先に逝ってしまって(いってしまって、亡くなって)、さみしいということはあります。
自分の体験だと、訃報(ふほう。死の知らせ)というものは、集団で発生します。同じ時代を生きた仲間が同じような時期に命尽きます。義父母の訃報を連絡したら、義父母の友人たちも最近亡くなったばかりだったというような体験があります。
大杉漣(おおすぎ・れん):塩見三省さんは、大杉さんを大杉さんの本名の『孝』で呼んでおられます。2018年(平成30年)66歳没
『第4章 この人たちと生きる 生きることへの支えとして』
第4章は、存命の方たちとの交流です。
岸部一徳さん:日本橋の三越の前で待ち合わせをされたそうです。熊太郎は今年10月に日本橋三越前を歩いたので親近感が湧きました。
長嶋茂雄さん:リハビリをする病院が同じだったそうです。お言葉が力強い。『シオミさん、どーってことないよ』と言わんばかりのポジティブシンキングだったそうです。
三池崇史さん:映画監督の方です。
岩井俊二さん:同じく映画監督さんです。
ドンゴロスの背景:南京袋模様(もよう)の背景ということだろうか。
182ページまで読んできて、奥さんのことが出てこないことが不思議です。
たとえば、医療保険とか、介護保険とか、身体障害者制度の利用とか、衣食住の生活を送るうえで、避けて通れない手続きがあります。ご本人が自力でできることではありませんから、奥さんがたくさんの事務をなさっていたのでしょう。(本の後半247ページ「後書きとして…」で、ようやく奥さんへの感謝の言葉が出てきました)
細かく言うと、入院されていましたから、高額療養費の還付手続きとか、バリアフリーの部屋にするための介護保険を使った住宅改修とか、補装具や日常生活用具や手当を求める身体障害者手帳の申請とか、障害年金の手続きもあったかもしれません。医療・介護・年金制度に関する手続きが、いろいろあります。きっと奥さんがてんてこまいで手続きをされたのでしょう。ゆえに、ご本人は、もっと奥さんにお礼を言われたほうがいいと思います。最大の恩人は奥さんです。奥さんの貢献度は高い。
本全体を読み終えて感じたことです。
ご本人も含めて、まわりにいる方々も、演劇人の人たちは、少年、少女なのです。
十代の意識のまま、舞台や映画やドラマづくりにすべての力を注いでいる人たちです。
ゆえに、実社会での日常生活のにおいがしません。
特殊な世界です。そういう箱の中で人生を送られている。
虚構をつくる世界です。
演技で観ている人たちの心理を操作して感動してもらいます。
人に喜んでもらって収入を得ます。
マヒして動かなくなった左手の上に子役さんの小さな手が重なるシーンを撮影して映画ができあがる。祖父と孫の役柄です。動かない左手が感動を生む素材になります。
萩原健一(はぎわら・けんいち):2019年(平成31年)68歳没
ドライ、ランスルー:ドライは、カメラなしの最初から最後までのリハーサル。ランスルーは、本番どおりの通し稽古(けいこ)。最終確認。
『第5章 夕暮れ時が一番好きだ 気持ちが良いのは少し寂しいくらいの時でもある』
病牀六尺(びょうしょうろくしゃく):正岡子規(まさおか・しき)の随筆集。病床にある著者の所感(しょかん。感想)1902年(明治35年)発表
役者の卵が障害者の役を演じるために障害者の動きを病院へ見学に来る。障害者にとっては、うれしいことではありません。
役者であるご本人に怒りが生まれています。
路線バスに乗ることが好き。奥さんと乗る。高い席から景色を見渡すのが好き。
東京ビッグサイトまで、行って帰っての半日バス旅が楽しみ。
元気なころは、海外旅行にも行かれて、バイクにも乗られて、そんな思い出話があります。
東京の街は、1980年代から(昭和55年)ずいぶん変化した。都市化が進んだ。思うに地方都市でもその頃は原野が広がる景色がありました。今はビルばかりです。
ふたつのことを同時にできなくなった。
歩きながら話すことができない。
読んでいると車いすの障害者になられた詩画作家星野富弘さんの本に書いてあったご本人の語りに似ていると感じます。『克服』があります。
『第6章 静寂と修羅(しゅら) 北野武監督 生き残るということ』
映画監督北野武さんに敬意を表されています。尊敬の気持ちがとても強い。
作品『アウトレイジ ビヨンド』等への出演があります。
左半身不随後も映画出演のために目標をつくって努力する姿があります。リハビリです。
原稿を書き終えたらしき日付は、『2021年5月』(令和3年)となっています。
この本をつくるきっかけとなった小説家髙田郁(たかだ・かおる)さんの解説が最後にあります。
ご自身の作品『銀二貫』のテレビドラマ化で、塩見三省さんに出演してもらったそうです。
2014年2月3日、まだ、塩見三省さんがご病気になる前にお母さんといっしょに面談されたそうです。翌月である3月19日に、塩見三省さんは脳出血で倒れられています。
日記を書くことで慰められる。
先日読んだ『さみしい夜にはペンを持て 古賀史健(こが・ふみたけ) 絵・ならの ポプラ社』を思い出しました。ペンを持って日記を書くのです。学校に行きたくない中学生男子が、日記に救われます。
いい文章です。
『本は寡黙(かもく。言葉数が少ない)で、そして雄弁です。手に取って開かない限り、語りかけてはこない……』
(追記 2023年12月18日月曜日夜のこと)
たまたまテレビ番組表を見ていたら、塩見三省さんがゲストで登場している番組を放映していたので見ました。
NHKEテレの番組で、『ハートネットTV 私のリカバリー』というテーマでした。
放送を見ながら、自分がその時座っていた椅子の後ろにある本棚にこちらの本があり、本の40ページあたりに書いてある女子大生の入院患者さんと彼女のお母さんの話題がテレビで紹介されていました。縁を感じました。]]>
読書感想文
熊太郎
2023-12-14T06:44:18+09:00