2022年05月25日
風の神送れよ 熊谷千世子
風の神送れよ 熊谷千世子(くまがい・ちせこ) くまおり純・絵 小峰書店
(本の帯情報から)
コロナ禍(コロナか。新型ウィルスコロナのわざわい。災難。不幸な出来事)と関係あり。
場所は、長野県南部、天竜川上流域(自分が行ったことがあるのは、飯田市とか、駒ケ根市とか伊那市があります。天竜川の川下りも体験があります。駒ケ根の千畳敷カールという雪が積もった場所、桜の名所である高遠城(たかとおじょう)の城跡にも行きました)
400年間続いている『コト八日行事(ことようかぎょうじ)』がある。疫病神(えきびょうかみ。厄災(やくさい。ふりかかってくる不幸な出来事)や伝染病をもたらすよくない神)である『コトの神』(風の神ともいう)をおはらいする。やくばらい:不幸の原因となるものを取り除く。
やくばらいの儀式をこどもたちが二日間かけて行うのが『コト八日行事』だそうです。
なかなかややこしそうです。
コト:神事(しんじ。神さまをまつる儀式) 八日:12月8日と2月8日が行事を行う日。
地理的には、伊那谷(いなだに)と呼ばれる地域で、中央高速道路沿いの山にはさまれた地域です。そして、天竜川が北から南へと流れています。
2010年にドライブで伊那谷地方(いなだにちほう)を訪れた時の記録が残っていたので、ここに落としておきます。
長野県の伊那地方(いなちほう)は、地図で言うと右が南アルプス(赤石山脈)、左が中央アルプス(木曽山脈)にはさまれた盆地なのですが、現地を実際に見てみると、ひらたい土地が広がっており、どことなく北海道の風景に似ています。
農林業の地域であろうと察します。地元の若者たちは、高校を卒業すると東京方面の関東地方に出て行く人が多かろうと推察しました。地元では仕事がなかなか見つからなさそうです。
走っている車のほとんどは長野県の松本ナンバーで、松本市はかなり北に位置していると思っていたので意外でした。
(本のカバーの裏に書いてある情報から)
流行病(はやりやまい):流行する病気。今回の物語の話題となる病気は、新型コロナウィルスによる発熱、呼吸困難、体調不良か。
昔は、治療薬、予防薬がなかったので、神さまに祈るしかなかった。
まずは、全体を1ページずつめくって、最後までいってみます。
途中、目についたことをメモします。
『コト念仏』コトの神を集めるときにとなえる念仏らしい。コトの神は、災難を連れてくる悪い神らしいから、集めて、だいじょうぶだろうか。
どうも、悪い神である『コトの神』を地区内にある各家から集めて、『ほうげん坂』という場所から村の外へ送り出すようです。節分の『鬼は外(そと)、福は内(うち)』みたいなものですな。儀式は、二日間かかるそうです。中学生ひとり、小学生8人、合計9人の地元のこどもたちで儀式を行います。
『コト念仏記録』これまで儀式に参加したこどもさんの字で書いてあるそうです。記録をとっておくことは大事です。いつどこでだれがなにをどうした。日記とか日誌みたいなものです。あとあと証拠になります。(読んでいくと、どうも儀式を行うためのマニュアル(手引き)のようです)
コト八日行事:2月7日と8日
場所は地区として『宇野原・うのはら・天竜川をはさんだ南側の斜面の高台にある。道路は静岡県に続いている。三十三体の観音像あり。
宇野原(うのはら。集落の名称):人口194人。家屋が63軒(本の中では、数が多いと表現されているのですが、都会に行くと、100メートル四方の区域に1000人ぐらいが暮らしていたりするので、多いという実感が湧きませんでした。都会には高層住宅ビルがたくさん建っています)
小学生が8人。中学生がひとり。合計9人。
東谷凌(ひがしだに・りょう):中学1年生。「コト八日行事」における頭取役。銀行の頭取(とうどり。組織でトップの役職)かと最初は勘違いしました。儀式の取りまとめ役でしょう。「神坂田(かみさかた)」というところに住んでいる。
杉浦優斗(ゆうと):この物語の主人公。小学6年生。背が高い。父親は車の部品をつくる工場で働いている。「明栄産業」という会社で働いている。
杉浦柊(しゅう):優斗の弟。小学3年生。
柚月(ゆづき):小学5年生。5年前、父親が事故死した。女子児童。
柚月の祖父が、土屋淳之介68歳で現在入院している。林業従事者らしく、木を切り倒しているときに木にはさまれて、腰と右足を骨折して、事故直後は意識不明だった。祖父は信心深く誠実な人。
『コト八日行事(ことようかぎょうじ)』では、儀式の会計を担当している。
読んでいての難点として、柚月(ゆづき)が、氏名のみょうじなのか、下の名前なのか、最初の内はわからず、とまどいました。たぶん下の名前なのでしょう。
葉菜(はな):柚月(ゆづき)の妹。この子の年齢と学年がわかりません。
小林宇希(こばやし・うき):神奈川県内からの転校生。5年生。わけありの様子。長めの髪。やせている。色白、無口、ふわふわ歩く。どうもこの子の言葉には、虚無感があります。(むなしい。無気力)物語に深く関わるのだろうかと推測しましたが、とくにからんできませんでした。母子で祖父を頼ってきた。父親は飲食店経営で神奈川に残っている。どうも飲食店のコロナ対応があるようです。
高橋雄三:土屋淳之介の知り合い。柚月の祖父である土屋淳之介の知り合い。神奈川県から小学校に転校してきた小林宇希(こばやし・うき)の祖父。
佳奈:小学4年生
波留(はる):この子のことがよくわかりません。年齢とか、学年とか、性別とか、どこの家の子なのかとか。波留は、みょうじなのか、下の名前なのか。たぶん下の名前なのでしょう。全般的にですが、同じ名前の人がこの国にいることに気を使っているのか、わかりにくい名前を意図的に設定してあるようですが、読みにくくて読み手への配慮になっていません。
儀式『コト八日行事』での役割の新兵(しんぺい。初めて参加する新人という意味)として、柊(しゅう)、航(わたる)、芽衣(めい)の3人。全員が小学3年生か。
自治会長が、白木屋さん。(行事のお世話役)
先生が、笹原先生。
柴犬(しばいぬ)の名前が「フウ」タイトル行事の風(かぜ)からとっているのでしょう。
幻の道祖神(まぼろしのどうそじん):道祖神は、村の外からくる悪霊を排除して、村を守る神。
『享保』『天保』:江戸時代の年号
『スペイン風邪』:世界的に流行したウィルス感染拡大する病気。1918年(大正7年)から1920年(大正9年)に大流行した。
174ページにある仏教の念仏は、般若心経(はんにゃしんぎょう)だろうかと思って調べました。(違うようです)
(つづく)
二回目の本読みを終了しました。
うーむ。わかりにくかった。
登場人物の『個』の性質が、集団との関わりをもつ部分がわかりにくかった。
宗教を扱っているので『神』が抽象的です。(実態が目に見えない)
なにかをするという動機付けと物語の中での受け手の理解がむずかしい。
読み手も感情移入が、しにくい世界です。
自分には合わない物語でした。
以下、読書の経過です。読みながらの感想になります。
朝寝坊するこどもは、あまり聞いたことがありません。いそうで、いません。こどもは早起きです。
厄病神(やくびょうがみ)、貧乏神を追い払うお話でしょう。
お話は、10月からスタートして、2月が『コト八日行事』という儀式の本番です。
二日間かけて、厄払いをする。(やくばらい。災難を避けるために祈る)一日目の午後にスタートして夜まで。二日目は早朝から儀式を行う。
こどもたちが集団になって、集落内の家をたずねて、念仏をとなえる。
雪が降る時期のこの地域です。
こどもさんたちだけでやる行事のように書いてあります。表向きはそうでしょう。おとなが関わり合いにならない行事はじっさいにはありません。義務教育期間中のこどもたちです。
自分の記憶を呼び起こしてみると、自分が小学校一年生のときに、父方の実家(農家)で暮らしていたのですが、家の敷地の角にお地蔵さんがあって、お地蔵さんにちなんだ儀式を祖母たちに言われるがまま、こどもたちでやった記憶があります。ごほうびが、新聞紙に包まれたお菓子でした。
神さまの「おはからい」:ものごとがうまく運ぶように神さまが手配してくださった。
ところどろこに『新型コロナウィルス感染拡大による災難』のことが書いてあります。
無理に関連づけてあるような印象があります。
コロナに打ち勝つのか、コロナと共存するのかというのも、病気相手の話であり、あいまいで、不確かなことです。神さまのことと重ねて、抽象的でぼんやりとしたお話でした。
生活センター:公民館のようなものだろうか。地域の住民が集まって会合やイベントを開く場所。
神さまはいるのかいないのかという論争があるのですが、わたしは「いる」と思って生活しています。神さまは目には見えませんが、祖先や自然の神さまに守られているという実感はあります。たとえば、運がいいとか悪いとかは、時間の経過の中で決まっていくものですが、ほんの数分ずれるだけで、幸運が訪れたり、不幸にみまわれたりすることがあります。
そして『祈り』には、わざわいをさけてくれる力があるという実感があります。
神さまという存在は、本当はいないのでしょうが、たぶんいるだろうと思って生活していくほうが、幸福がそばにいてくれるような気がします。いないと思うと、幸せが遠ざかっていくような気がします。
37ページから、冬になりました。学校はもうすぐ冬休みだそうです。
『航(わたる)』が、読んでいて、すんなり「わたる」と読めず、読みづらかった。全部にふりがなをふってもらうか、読みやすいほかの名前のほうがよかった。
地域活動の結束を保つために『行事』とか『祭り』は大切です。
儀式には、直径50センチほどの和太鼓を使用する。
寺社総代:信者、檀家の代表者
こどもさんには、わからないであろう言葉がいくつも出てきます。
気に入った文章として『どこを見ても山ばかりだ。その合間を縫うようにして(ぬうようにして)、民家の屋根が見える……道ばたの石や古い桜の木のひとつひとつに、神様はいるのかもしれない』
鈍色(にびいろ):濃い灰色
念仏と歌で、それぞれの家に住み着いているらしき厄病神(やくびょうがみ)『コトの神』を家の外におびきだす。
のりをつくる:自分がまだ小学一年生ぐらいのころは、七輪(しちりん。燃料は、たしか練炭(れんたん)という円柱形の炭でした)にかけた鍋で、冷たくなった飯(めし)をどろどろになるまで煮詰めて(につめて)のりをつくっていました。
神さまに関する儀式のお話は、『卑弥呼(ひみこ)』の時代を思い出します。卑弥呼が魏(ぎ。中国大陸にあった国)に使いを送ったのが、ふみだいくにせずが語呂合わせですから、西暦239年のことです。『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』に書いてあります。
おだちん:お金とか物とか。働いたことへの報酬(ほうしゅう)。行事のおだちんは、一軒あたり2000円のようです。けっこう高い。おだちんの食べ物として『コトウボタモチ』があります。
一番星:久しぶりに聞いた単語です。こどものころは、「いちばんぼーし、みーつけた」と言ってました。日が暮れてきて、最初に見える星です。輝きが強い『金星』であることが多い。自分は小学生の頃、金星に願いをかけることが多かったです。
軍配(ぐんばい):いまどきのお子さんは知らない言葉かもしれません。おすもうのとき、行司(ぎょうじ。審判役)が持っていて、勝った力士に軍配を向けます。
甲野山(かんのやま。神坂田地区のシンボル):架空の名称の山のようです。おじいさんふたりが、神さま出会ったことがある場所だそうです。
『白狐魔記(しらこまき) 斉藤洋 偕成社』シリーズを思い出しました。白いキツネと(この本では)白い柴犬(しばいぬ)で違いがあるのですが、神さまというものは、白い生き物にのりうつるということになっているのかも。
邪念(じゃねん):悪いことをたくらんでいる心。
背負子(しょいこ):自分が高校生の頃にクラブ活動で、コンクリートブロックを背負子に太くて平らなゴムバンドでくくりつけて、公園の階段を登ったり下りたりする訓練をしていたことを思い出しました。今やったら、たぶん持ち上げることすら断念することでしょう。腰痛とかぎっくり腰になりそうです。
墓誌(ぼし):石碑。墓石の隣に立てられて説明が彫ってある。先祖の名前。没年など。
印象に残った文章として『けっしてうしろを見てはならない』『こんばんコト申します(歌舞伎のようです)』
いなかゆえに、都会では考えられないようなプライバシー(人に知られたくない個人や家庭のこと)が行事を通じてあからさまにさらされてしまします。
幣束(へいそく):神さまへのおそなえもの。竹または木で紙をはさんである。
アクシデントが発生して、主人公の杉浦優斗(ゆうと)ががんばります。
ピンチに負けずにがんばる話です。
絆創膏(ばんそうこう):ばんそうこうは、今は使わない言葉になりました。バンドエイドのほうが身近です。
うーむ。こどもさんがこの物語を読んで感想文を書くのは、たいへんでしょう。
(本の帯情報から)
コロナ禍(コロナか。新型ウィルスコロナのわざわい。災難。不幸な出来事)と関係あり。
場所は、長野県南部、天竜川上流域(自分が行ったことがあるのは、飯田市とか、駒ケ根市とか伊那市があります。天竜川の川下りも体験があります。駒ケ根の千畳敷カールという雪が積もった場所、桜の名所である高遠城(たかとおじょう)の城跡にも行きました)
400年間続いている『コト八日行事(ことようかぎょうじ)』がある。疫病神(えきびょうかみ。厄災(やくさい。ふりかかってくる不幸な出来事)や伝染病をもたらすよくない神)である『コトの神』(風の神ともいう)をおはらいする。やくばらい:不幸の原因となるものを取り除く。
やくばらいの儀式をこどもたちが二日間かけて行うのが『コト八日行事』だそうです。
なかなかややこしそうです。
コト:神事(しんじ。神さまをまつる儀式) 八日:12月8日と2月8日が行事を行う日。
地理的には、伊那谷(いなだに)と呼ばれる地域で、中央高速道路沿いの山にはさまれた地域です。そして、天竜川が北から南へと流れています。
2010年にドライブで伊那谷地方(いなだにちほう)を訪れた時の記録が残っていたので、ここに落としておきます。
長野県の伊那地方(いなちほう)は、地図で言うと右が南アルプス(赤石山脈)、左が中央アルプス(木曽山脈)にはさまれた盆地なのですが、現地を実際に見てみると、ひらたい土地が広がっており、どことなく北海道の風景に似ています。
農林業の地域であろうと察します。地元の若者たちは、高校を卒業すると東京方面の関東地方に出て行く人が多かろうと推察しました。地元では仕事がなかなか見つからなさそうです。
走っている車のほとんどは長野県の松本ナンバーで、松本市はかなり北に位置していると思っていたので意外でした。
(本のカバーの裏に書いてある情報から)
流行病(はやりやまい):流行する病気。今回の物語の話題となる病気は、新型コロナウィルスによる発熱、呼吸困難、体調不良か。
昔は、治療薬、予防薬がなかったので、神さまに祈るしかなかった。
まずは、全体を1ページずつめくって、最後までいってみます。
途中、目についたことをメモします。
『コト念仏』コトの神を集めるときにとなえる念仏らしい。コトの神は、災難を連れてくる悪い神らしいから、集めて、だいじょうぶだろうか。
どうも、悪い神である『コトの神』を地区内にある各家から集めて、『ほうげん坂』という場所から村の外へ送り出すようです。節分の『鬼は外(そと)、福は内(うち)』みたいなものですな。儀式は、二日間かかるそうです。中学生ひとり、小学生8人、合計9人の地元のこどもたちで儀式を行います。
『コト念仏記録』これまで儀式に参加したこどもさんの字で書いてあるそうです。記録をとっておくことは大事です。いつどこでだれがなにをどうした。日記とか日誌みたいなものです。あとあと証拠になります。(読んでいくと、どうも儀式を行うためのマニュアル(手引き)のようです)
コト八日行事:2月7日と8日
場所は地区として『宇野原・うのはら・天竜川をはさんだ南側の斜面の高台にある。道路は静岡県に続いている。三十三体の観音像あり。
宇野原(うのはら。集落の名称):人口194人。家屋が63軒(本の中では、数が多いと表現されているのですが、都会に行くと、100メートル四方の区域に1000人ぐらいが暮らしていたりするので、多いという実感が湧きませんでした。都会には高層住宅ビルがたくさん建っています)
小学生が8人。中学生がひとり。合計9人。
東谷凌(ひがしだに・りょう):中学1年生。「コト八日行事」における頭取役。銀行の頭取(とうどり。組織でトップの役職)かと最初は勘違いしました。儀式の取りまとめ役でしょう。「神坂田(かみさかた)」というところに住んでいる。
杉浦優斗(ゆうと):この物語の主人公。小学6年生。背が高い。父親は車の部品をつくる工場で働いている。「明栄産業」という会社で働いている。
杉浦柊(しゅう):優斗の弟。小学3年生。
柚月(ゆづき):小学5年生。5年前、父親が事故死した。女子児童。
柚月の祖父が、土屋淳之介68歳で現在入院している。林業従事者らしく、木を切り倒しているときに木にはさまれて、腰と右足を骨折して、事故直後は意識不明だった。祖父は信心深く誠実な人。
『コト八日行事(ことようかぎょうじ)』では、儀式の会計を担当している。
読んでいての難点として、柚月(ゆづき)が、氏名のみょうじなのか、下の名前なのか、最初の内はわからず、とまどいました。たぶん下の名前なのでしょう。
葉菜(はな):柚月(ゆづき)の妹。この子の年齢と学年がわかりません。
小林宇希(こばやし・うき):神奈川県内からの転校生。5年生。わけありの様子。長めの髪。やせている。色白、無口、ふわふわ歩く。どうもこの子の言葉には、虚無感があります。(むなしい。無気力)物語に深く関わるのだろうかと推測しましたが、とくにからんできませんでした。母子で祖父を頼ってきた。父親は飲食店経営で神奈川に残っている。どうも飲食店のコロナ対応があるようです。
高橋雄三:土屋淳之介の知り合い。柚月の祖父である土屋淳之介の知り合い。神奈川県から小学校に転校してきた小林宇希(こばやし・うき)の祖父。
佳奈:小学4年生
波留(はる):この子のことがよくわかりません。年齢とか、学年とか、性別とか、どこの家の子なのかとか。波留は、みょうじなのか、下の名前なのか。たぶん下の名前なのでしょう。全般的にですが、同じ名前の人がこの国にいることに気を使っているのか、わかりにくい名前を意図的に設定してあるようですが、読みにくくて読み手への配慮になっていません。
儀式『コト八日行事』での役割の新兵(しんぺい。初めて参加する新人という意味)として、柊(しゅう)、航(わたる)、芽衣(めい)の3人。全員が小学3年生か。
自治会長が、白木屋さん。(行事のお世話役)
先生が、笹原先生。
柴犬(しばいぬ)の名前が「フウ」タイトル行事の風(かぜ)からとっているのでしょう。
幻の道祖神(まぼろしのどうそじん):道祖神は、村の外からくる悪霊を排除して、村を守る神。
『享保』『天保』:江戸時代の年号
『スペイン風邪』:世界的に流行したウィルス感染拡大する病気。1918年(大正7年)から1920年(大正9年)に大流行した。
174ページにある仏教の念仏は、般若心経(はんにゃしんぎょう)だろうかと思って調べました。(違うようです)
(つづく)
二回目の本読みを終了しました。
うーむ。わかりにくかった。
登場人物の『個』の性質が、集団との関わりをもつ部分がわかりにくかった。
宗教を扱っているので『神』が抽象的です。(実態が目に見えない)
なにかをするという動機付けと物語の中での受け手の理解がむずかしい。
読み手も感情移入が、しにくい世界です。
自分には合わない物語でした。
以下、読書の経過です。読みながらの感想になります。
朝寝坊するこどもは、あまり聞いたことがありません。いそうで、いません。こどもは早起きです。
厄病神(やくびょうがみ)、貧乏神を追い払うお話でしょう。
お話は、10月からスタートして、2月が『コト八日行事』という儀式の本番です。
二日間かけて、厄払いをする。(やくばらい。災難を避けるために祈る)一日目の午後にスタートして夜まで。二日目は早朝から儀式を行う。
こどもたちが集団になって、集落内の家をたずねて、念仏をとなえる。
雪が降る時期のこの地域です。
こどもさんたちだけでやる行事のように書いてあります。表向きはそうでしょう。おとなが関わり合いにならない行事はじっさいにはありません。義務教育期間中のこどもたちです。
自分の記憶を呼び起こしてみると、自分が小学校一年生のときに、父方の実家(農家)で暮らしていたのですが、家の敷地の角にお地蔵さんがあって、お地蔵さんにちなんだ儀式を祖母たちに言われるがまま、こどもたちでやった記憶があります。ごほうびが、新聞紙に包まれたお菓子でした。
神さまの「おはからい」:ものごとがうまく運ぶように神さまが手配してくださった。
ところどろこに『新型コロナウィルス感染拡大による災難』のことが書いてあります。
無理に関連づけてあるような印象があります。
コロナに打ち勝つのか、コロナと共存するのかというのも、病気相手の話であり、あいまいで、不確かなことです。神さまのことと重ねて、抽象的でぼんやりとしたお話でした。
生活センター:公民館のようなものだろうか。地域の住民が集まって会合やイベントを開く場所。
神さまはいるのかいないのかという論争があるのですが、わたしは「いる」と思って生活しています。神さまは目には見えませんが、祖先や自然の神さまに守られているという実感はあります。たとえば、運がいいとか悪いとかは、時間の経過の中で決まっていくものですが、ほんの数分ずれるだけで、幸運が訪れたり、不幸にみまわれたりすることがあります。
そして『祈り』には、わざわいをさけてくれる力があるという実感があります。
神さまという存在は、本当はいないのでしょうが、たぶんいるだろうと思って生活していくほうが、幸福がそばにいてくれるような気がします。いないと思うと、幸せが遠ざかっていくような気がします。
37ページから、冬になりました。学校はもうすぐ冬休みだそうです。
『航(わたる)』が、読んでいて、すんなり「わたる」と読めず、読みづらかった。全部にふりがなをふってもらうか、読みやすいほかの名前のほうがよかった。
地域活動の結束を保つために『行事』とか『祭り』は大切です。
儀式には、直径50センチほどの和太鼓を使用する。
寺社総代:信者、檀家の代表者
こどもさんには、わからないであろう言葉がいくつも出てきます。
気に入った文章として『どこを見ても山ばかりだ。その合間を縫うようにして(ぬうようにして)、民家の屋根が見える……道ばたの石や古い桜の木のひとつひとつに、神様はいるのかもしれない』
鈍色(にびいろ):濃い灰色
念仏と歌で、それぞれの家に住み着いているらしき厄病神(やくびょうがみ)『コトの神』を家の外におびきだす。
のりをつくる:自分がまだ小学一年生ぐらいのころは、七輪(しちりん。燃料は、たしか練炭(れんたん)という円柱形の炭でした)にかけた鍋で、冷たくなった飯(めし)をどろどろになるまで煮詰めて(につめて)のりをつくっていました。
神さまに関する儀式のお話は、『卑弥呼(ひみこ)』の時代を思い出します。卑弥呼が魏(ぎ。中国大陸にあった国)に使いを送ったのが、ふみだいくにせずが語呂合わせですから、西暦239年のことです。『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』に書いてあります。
おだちん:お金とか物とか。働いたことへの報酬(ほうしゅう)。行事のおだちんは、一軒あたり2000円のようです。けっこう高い。おだちんの食べ物として『コトウボタモチ』があります。
一番星:久しぶりに聞いた単語です。こどものころは、「いちばんぼーし、みーつけた」と言ってました。日が暮れてきて、最初に見える星です。輝きが強い『金星』であることが多い。自分は小学生の頃、金星に願いをかけることが多かったです。
軍配(ぐんばい):いまどきのお子さんは知らない言葉かもしれません。おすもうのとき、行司(ぎょうじ。審判役)が持っていて、勝った力士に軍配を向けます。
甲野山(かんのやま。神坂田地区のシンボル):架空の名称の山のようです。おじいさんふたりが、神さま出会ったことがある場所だそうです。
『白狐魔記(しらこまき) 斉藤洋 偕成社』シリーズを思い出しました。白いキツネと(この本では)白い柴犬(しばいぬ)で違いがあるのですが、神さまというものは、白い生き物にのりうつるということになっているのかも。
邪念(じゃねん):悪いことをたくらんでいる心。
背負子(しょいこ):自分が高校生の頃にクラブ活動で、コンクリートブロックを背負子に太くて平らなゴムバンドでくくりつけて、公園の階段を登ったり下りたりする訓練をしていたことを思い出しました。今やったら、たぶん持ち上げることすら断念することでしょう。腰痛とかぎっくり腰になりそうです。
墓誌(ぼし):石碑。墓石の隣に立てられて説明が彫ってある。先祖の名前。没年など。
印象に残った文章として『けっしてうしろを見てはならない』『こんばんコト申します(歌舞伎のようです)』
いなかゆえに、都会では考えられないようなプライバシー(人に知られたくない個人や家庭のこと)が行事を通じてあからさまにさらされてしまします。
幣束(へいそく):神さまへのおそなえもの。竹または木で紙をはさんである。
アクシデントが発生して、主人公の杉浦優斗(ゆうと)ががんばります。
ピンチに負けずにがんばる話です。
絆創膏(ばんそうこう):ばんそうこうは、今は使わない言葉になりました。バンドエイドのほうが身近です。
うーむ。こどもさんがこの物語を読んで感想文を書くのは、たいへんでしょう。
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