2022年05月21日
りんごの木を植えて 大谷美和子
りんごの木を植えて 大谷美和子・作 白石ゆか・絵 ポプラ社
リンゴの木で思い出す本は『リンゴが教えてくれたこと 木村秋則 日経プレミアシリーズ』『奇跡のリンゴ 石川拓治 NHK製作班』です。いいお話でした。
青森県のリンゴ農家である木村明憲さんがたいへんなご苦労をされたのち、目標のリンゴを育てることができます。その本とこの本が、関連があるのだろうかという先入観をもちました。(読み終えて、関連はありませんでした)
本の帯に『大好きなおじいちゃんといっしょに過ごした(すごした)日々……』とあります。ということは、もうおじいちゃんは、天国の人になってしまったのでしょう。これから、おじいちゃんの立場である自分が本を読み始めます。とりあえず、自分は、まだ生きています。
主人公は『みずほ』という名前の女子です。みずは、小学5年生です。
昭和時代の昔話だろうか。読む前からいろんな先入観をもちます。(ああではないだろうか、こうではないだろうかという予測)
読み始めました。
ふたつの世界がありそうです。
二世帯住宅です。みずほの家族四人とおじいちゃんは、いっしょの家に住んでいても別世帯です。(ずいぶんあとのページでわかりますが、お名前は「山中」さんというお宅です。二世帯住宅であることは、お話とはほとんど関係ありませんでした)
とりあえず、最後のページまで、ページをめくってみます。1回目の本読みです。目で文字を追って流し読みです。
一戸建ての一階がおじいちゃんとおばあちゃんの家。二階がみずほの四人家族の家になっています。
おじいちゃんはがんこ者だそうです。あわせて、癌(がん)になっているようです。
病気です。『余命(よめい。あとどれくらいの期間、生きていられるか)』という文字が見えたので、おじいちゃんの死は近いようです。
おじいちゃんは、絵を描くことが好きなのでしょう。
53ページに絵を描いている風景の絵があります。
おじいちゃんの命とリンゴの木がつながるのでしょう。どうやって、つながるのだろう。
自分は、死ぬ方のおじいちゃんの立場で、この本を読みます。
作者のあとがきを先に読みました。
(あとがき)
でだしに、長生きをしていると、自分の親しい人のほうが先に天国に行ってしまいます。
そんなことが書いてあります。
自分が思うに、自分が30歳ぐらいだったころに60歳前後だった人たちは、もうお亡くなりになりました。
人間ですから、人づきあいでトラブルはつきものです。
あのときの対立とかケンカはなんだったのだろうかと最近思い出すのです。
みんな最後は死んで、この世から消えていなくなってしまうのだから、お互いにできるだけ、仲良くしたほうが、人生が楽しいのにと思うのです。人をうらんだり、憎んだり(にくんだり)することは心が疲れます。
あとがきに『人は死んでも生き続ける』という文章があります。
わたしの父親は、わたしが中学生のときに40歳で病死しました。
その後、わたしが歳をとってきて、父親のことでびっくりしたのは、父は自分が死んだ後も、遺族厚生年金で、妻(わたしの母親)や、わたしたち子どもを何十年間も養って(やしなって)くれたのです。
父は、死んでもなお、妻子を食べさせてくれたのです(生活の糧(かて。収入)を提供してくれた)
父親には感謝しかありません。
マルティン・ルター:ドイツの神学者。1483年(日本は、室町時代。応仁の乱が1477年まで)-1546年(日本では、1543年に種子島に鉄砲伝来)62歳没。宗教改革の中心人物。ローマ・カトリック教会から分離して、「プロテスタント」という新しい宗派を誕生させた。
作者は信仰があられる方のようです。(あとで、わかりましたが、登場人物である祖母が、60ページにキリスト教会に行く記述があります。さらに154ページに「ああベツレヘムよ、などかひとり星のみにおいて ふかく眠る」という文章があります。キリスト教の讃美歌です。ベツレヘムは、イエス・キリストの生誕地)
あとがきには、マルティン・ルターの言葉として『今日、わたしはリンゴの木を植える』と書いてあります。(80ページに「たとえあした、世界が滅亡しようともきょうわたしはりんごの木を植える」と記述があります)
さて、本文を読み始めます。
一戸建ての同じ間取りの一階に祖父母が住んでいます。祖父はもうすぐ80歳です。
家は、祖父母の娘の実家です。二世帯用に建て替えました。
二階では、祖父母の娘さん夫婦と「みずほ(小学校五年生女子)」と「義人(中学校2年生男子サッカー部所属)」が暮らしています。
祖父母の娘さんは、介護施設で働いていて、ケアマネジャー(介護支援専門員)をしているそうです。(介護が必要な高齢者のために介護保険法等に基づいて介護プラン(計画)をつくる仕事)
娘さんの夫は会社員です。
「いっしょごはん」という習慣があるそうです。
夏休みの最初の土曜日が、その月の「いっしょごはん」ですから話は始まります。
みずほの親友が、クラスメートの『咲(さき)』です。
祖父は、5年前に大腸がんで手術したそうです。
人工肛門というものを装着すると思うのですが、とくにそのことには触れられていません。
祖父は絵を描くことが好きで、スケッチの「さつき会」とか通学路に花を植える「花咲かせ隊」というグループに所属しているそうです。
祖父は、神戸に住む林さんという中学の同級生と親しい。林さんは、美術の教師です。
物語では、祖父の大腸癌が肺に転移していることが判明したという流れになっていきます。
祖父と中学二年生の義人は、ふたりともプロ野球阪神タイガースのファンで、甲子園に応援に行きたいそうです。(自分も小学生だった息子と全国高校野球大会を見に何度も甲子園に行きました。年齢的に、この物語の祖父と中学生の孫もすでに甲子園に行っていてもおかしくないのにな、という感想をもちました。その後、読み続けていたら祖父と孫の義人がプロ野球の応援で、甲子園に行った話が出てきました)
物語は「説明」が続きます。
設定として、むずかしいものがいくつかあります。
80代の高齢者だと、「祖父母と孫」の関係ではなく、たいていは「ひいおじいさんとひいおばあさんとひ孫」の関係になります。50代から60代で、祖父母になる人が多いです。
家族構成やお話の成り行きが、20年から30年前ぐらいの家族生活の風景です。
今のこどもたちには、身近に感じられないかもしれません。
祖父が亡くなる心配があるのですが、日本人男性の平均寿命は、今は81歳ぐらいですから、もうすぐ80歳は、天寿をまっとうする年齢です。
自分だったら、(自分の人生において)やることはやった。あとは楽にぽっくり逝きたい(いきたい。天国へいきたい。苦しまずに死にたい)と思う年齢です。
祖父のがんこな性格について話があります。
自分の実感としては、がんこというより、むしろ、ぼんやりぼけてきます。
リラックスして、気がぬけたようになります。時間や曜日の感覚が薄れてきます。
お持たせ(おもたせ):てみやげをていねいに言う言葉。
スカパン:スカートとパンツを合わせた造語。いっけんスカートに見えるパンツ。
最期のとき(さいご。死ぬ時)に、家で死にたいというような記述が出てきます。
わたしも家で死ぬつもりです。(さきは、どうなるかわかりませんが……)
高齢者介護の話が出てきます。
身につまされます。身近な話です。
読んでいて、ヤングケアラーという言葉が頭に浮かびましたが、このお話のばあいは、該当しませんでした。三世代の大家族です。
祖父について、肺癌による余命のようなお話が出てきます。
祖父は、今年80歳です。
さっきも書きましたが、日本人男子の平均寿命はだいたい81歳です。
さて、どう考えるか。
まわりが考えるというよりも、本人が考えることです。
祖母の理屈は、読み手には強制的で、無理やり納得させる強さがあります。
『死』は終わりではなく、継続だという理屈です。
なんというか、自分は、何人かの身内の高齢者を葬儀場や斎場(火葬場)にて『お疲れさまでした』で見送ってきました。
本人にとっては『死』は終りだと思います。
継続だと考えるのは、残った人間たちの気持ちです。
77ページに『人間の持ち時間』の話が出ます。
自分も共感します。
人間にとって大切なものは『自分が自由に使える時間』です。
幸せな気持ちになるために、自分が大切にしている人といっしょに過ごす時間を、できるだけ長くほしい。
あとからやろうと思っていると、思いがけず体を壊してやれなくなってしまいます。
少し無理してでも、自分がしたいことで、今できることは、すみやかにやりたい。
りんごの木を植える話が出ます。
りんごとは、後世につないでいく自分の志(こころざし)でしょう。
たいていは、子や孫や後輩を育てて、夢をつないでいきます。
りんごは、死ぬ間際に植えるものではないのでしょう。
生きている間じゅう、しょっちゅう植えて、かつ、育てていくのです。
7歳の孫娘のピアノレッスンの付き添いに75歳ぐらいの祖父が付き添いをするという行為がピンときませんでした。たぶんそのころに祖父は大腸がんになって治療している体調です。祖父の年齢設定が高すぎると感じるのです。75歳ぐらいだと、介護されるほうの立場にいる男性も多い。
最近、70歳まで働きましょうというような新聞記事を見ることがありますが、無理です。個人差がありますが、自分のまわりにいる同世代を見渡すと、40代後半から、何人かはすでに癌で亡くなっていますし、体の一部を切除して障害者になっている人もいます。
男子の寿命としては、60代から70代始めくらいの年齢で終わる人もいます。
長寿社会といっても、75歳まで生きられない人もまま多いのです。
孫娘の祖父に関する思い出話がでます。
孫娘のピアノレッスンは続かずやめてしまいます。
祖父の立場としては、孫娘を責めたくない。
祖父母の立場というものは、孫にとっては、逃げ込む場所であってほしい。
家族とか親族関係の交流が希薄になっている昨今です。
コロナ禍もあってか、結婚式も葬儀も簡素になりました。
社会では、高齢者との付き合いがないまま社会人になって、とまどっている新人社員が多いような印象があります。
年寄りがどんなものなのかわからない。されど、クライアント(顧客)は、年寄りが多いのが現実です。うまく接遇できないとメンタル病になってしまいます。
とかく、お年寄りは、予想どおりの行動をしてくれません。
ていねいに書いてある文章が続きます。
時間がけっこう早く過ぎていきます。
夏休みから始まったこのお話は、100ページ手前で、年を越して、三学期の冬です。
春を迎えたのでしょう。
みずほは、6年生になっています。
梅雨が来て、親友の咲(さき)が京都の祖母の葬儀に出て学校を休みます。
祖母は、70歳だったそうです。やはり早くに亡くなっています。
みずほと祖父の会話文は、実際は、このように会話はしないだろうなあというような会話文です。
たいてい、じいちゃんもばあちゃんも、孫の名前を呼び捨てにはしません。
語尾に「ちゃん」とか「くん」を付けます。
命令とか指示もしないと思います。
人は、自分の名前を呼び捨てで呼んでくる人を尊敬はしません。
自分が歳をとって、経験を積んできて、気づいたことがあります。
年寄りというのは、単体でいなくなるのではなく、世代の固まりという集団でいなくなります。
ひとりが亡くなって、訃報(ふほう。葬儀などのお知らせ)を送ると、返事がなくて、相手方のご親族から実は亡くなりましたという連絡をいただくことがままあります。
ひとつの時代を築いてきた集団が、同じような時期に、天国へと召されていきます。
小学生のこどもさんに、生き死にの話はむずかしい。
小学生は、これから生きるという芽生えの時期です。
死ぬ話はなかなかしにくい。
祖父の主治医が、宮崎ドクターです。大柄な体格だそうです。
祖父の具合が悪いのか、訪問看護の医師と看護師の自宅訪問があります。
80歳近い祖父と12歳ぐらいの小学6年生女児みずほのふたりが、祖父の運転するマイカーでスケッチ日帰り旅に出かけます(祖父の病状と年齢を理由にして、ちょっと考えにくい設定です)
女児がそのことを楽しいとか喜ぶとかいうことも想像しにくい。
善人しか出てこないお話です。
きれいごとで固めてある内容でもあります。
年下の人間は、年長者の意向に従って生きなさいとう圧迫感があります。
「形式」という世界に閉じ込められる不安があります。
うーむ。小学生が読む本ではありませぬ。
高齢者が読む本だと感じました。
シフォンケーキ:スポンジケーキの一種。
お花でつなぐ物語でもありました。
122ページ「ヒガンバナ(秋、9月下旬でしょう)」144ページ「ソメイヨシノ(桜 4月)」146ページ「サザンカ キンモクセイ(10月末)」162ページ「スイセン(祖父の80歳の誕生日 11月 花屋で購入)」173ページ「セイヨウカラシナ(アブラナ科の草 黄色い花 菜の花 祖父の描いた絵 琵琶湖が現地)」174ページ「カラー(サトイモ科白い花 祖父は白い花が好き。祖母は水色のガクアジサイが好き) そして、マーガレット」185ページ「フクジュソウ」
野上先生:祖父が中学生だったときの美術の先生。祖父の親友の林さんと祖父は美術部員だった。野上先生は現在97歳です。超高齢すぎて、読んでいて、現実の実態と物語の中身に乖離(かいり。距離感。へだたり)を感じました。
写真館で親族そろって記念写真を撮られています。
自分も歳をとってきたので、親族記念写真撮影は、人生において、大事な行為だと思っています。
写真館でなくても、場所はどこでもいいから、みんながそろった写真を撮って残しておいたほうがいい。
とくに、互いに遠方に住んでいると、同じメンバーが全員そろうという機会がもうないかもしれないという今どきのご時世です。一期一会なのです。(いちごいちえ。そのとき限りの出会い)
読んでいて、壷井榮さんの名作『二十四の瞳(にじゅうしのひとみ)』の最後付近のシーンを思い出しました。
昭和初期だったと思いますが、小学一年生の時に撮った記念の集合写真を第二次世界大戦後に同窓会で見るのです。
兵隊にいって戦死した子どもさんもいますし、家庭が貧乏で、行方がわからなくなった女の子も写真の中に姿があります。
戦場で戦って、敵の攻撃で目玉を失って、目が見えなくなった、たしか、ソンキ(岡田磯吉。豆腐屋の息子)という若者が、盲目になって写真は見えないのに、写真を指でさしながら、同級生のだれが、どんな表情をして写っているのかをくわしく語ってくれました。読んでいて、涙があふれます。反戦小説でした。
読んでいる本のなかでは、祖父とのお別れが近づいてきたようです。
祖父は肺癌治療を受けています。
亡き人が使っていた靴をどうするかという話が出てきます。
むずかしい。
今どきだと、最終的には、画像データにして記憶媒体に残しておくのでしょう。
画像をこんどいつ見るかはわかりませんが……
はっきりとは書いてありませんが、祖父は、11月25日に満80歳の誕生日を迎えたあと、まもなく亡くなっています。
親族が集合しての記念撮影は、誕生日の9日前ですから、11月16日に撮ったのでしょう。
集合写真は、11月23日頃にできあがっています。
そのあと、翌年の2月らしき記事が出てきますので、小学6年生のかえではまもなく、小学校を卒業して中学生になるのでしょう。
『栄光のみ国』というのは、天国のことでしょう。自分はキリスト教徒ではないのでよくわかりませんが、信仰をつらぬきとおしたごほうびとして、亡くなったあと、神さまから永遠の命を与えられて、ご先祖さまたちと幸せに暮らすというイメージがあります。
お礼肥え(おれいごえ):がんばって咲いたあとの草花などに、消耗した体力回復のために化学肥料などを与える。
長い感想になってしましました。
最後まで読んでくださった方に感謝いたします。
リンゴの木で思い出す本は『リンゴが教えてくれたこと 木村秋則 日経プレミアシリーズ』『奇跡のリンゴ 石川拓治 NHK製作班』です。いいお話でした。
青森県のリンゴ農家である木村明憲さんがたいへんなご苦労をされたのち、目標のリンゴを育てることができます。その本とこの本が、関連があるのだろうかという先入観をもちました。(読み終えて、関連はありませんでした)
本の帯に『大好きなおじいちゃんといっしょに過ごした(すごした)日々……』とあります。ということは、もうおじいちゃんは、天国の人になってしまったのでしょう。これから、おじいちゃんの立場である自分が本を読み始めます。とりあえず、自分は、まだ生きています。
主人公は『みずほ』という名前の女子です。みずは、小学5年生です。
昭和時代の昔話だろうか。読む前からいろんな先入観をもちます。(ああではないだろうか、こうではないだろうかという予測)
読み始めました。
ふたつの世界がありそうです。
二世帯住宅です。みずほの家族四人とおじいちゃんは、いっしょの家に住んでいても別世帯です。(ずいぶんあとのページでわかりますが、お名前は「山中」さんというお宅です。二世帯住宅であることは、お話とはほとんど関係ありませんでした)
とりあえず、最後のページまで、ページをめくってみます。1回目の本読みです。目で文字を追って流し読みです。
一戸建ての一階がおじいちゃんとおばあちゃんの家。二階がみずほの四人家族の家になっています。
おじいちゃんはがんこ者だそうです。あわせて、癌(がん)になっているようです。
病気です。『余命(よめい。あとどれくらいの期間、生きていられるか)』という文字が見えたので、おじいちゃんの死は近いようです。
おじいちゃんは、絵を描くことが好きなのでしょう。
53ページに絵を描いている風景の絵があります。
おじいちゃんの命とリンゴの木がつながるのでしょう。どうやって、つながるのだろう。
自分は、死ぬ方のおじいちゃんの立場で、この本を読みます。
作者のあとがきを先に読みました。
(あとがき)
でだしに、長生きをしていると、自分の親しい人のほうが先に天国に行ってしまいます。
そんなことが書いてあります。
自分が思うに、自分が30歳ぐらいだったころに60歳前後だった人たちは、もうお亡くなりになりました。
人間ですから、人づきあいでトラブルはつきものです。
あのときの対立とかケンカはなんだったのだろうかと最近思い出すのです。
みんな最後は死んで、この世から消えていなくなってしまうのだから、お互いにできるだけ、仲良くしたほうが、人生が楽しいのにと思うのです。人をうらんだり、憎んだり(にくんだり)することは心が疲れます。
あとがきに『人は死んでも生き続ける』という文章があります。
わたしの父親は、わたしが中学生のときに40歳で病死しました。
その後、わたしが歳をとってきて、父親のことでびっくりしたのは、父は自分が死んだ後も、遺族厚生年金で、妻(わたしの母親)や、わたしたち子どもを何十年間も養って(やしなって)くれたのです。
父は、死んでもなお、妻子を食べさせてくれたのです(生活の糧(かて。収入)を提供してくれた)
父親には感謝しかありません。
マルティン・ルター:ドイツの神学者。1483年(日本は、室町時代。応仁の乱が1477年まで)-1546年(日本では、1543年に種子島に鉄砲伝来)62歳没。宗教改革の中心人物。ローマ・カトリック教会から分離して、「プロテスタント」という新しい宗派を誕生させた。
作者は信仰があられる方のようです。(あとで、わかりましたが、登場人物である祖母が、60ページにキリスト教会に行く記述があります。さらに154ページに「ああベツレヘムよ、などかひとり星のみにおいて ふかく眠る」という文章があります。キリスト教の讃美歌です。ベツレヘムは、イエス・キリストの生誕地)
あとがきには、マルティン・ルターの言葉として『今日、わたしはリンゴの木を植える』と書いてあります。(80ページに「たとえあした、世界が滅亡しようともきょうわたしはりんごの木を植える」と記述があります)
さて、本文を読み始めます。
一戸建ての同じ間取りの一階に祖父母が住んでいます。祖父はもうすぐ80歳です。
家は、祖父母の娘の実家です。二世帯用に建て替えました。
二階では、祖父母の娘さん夫婦と「みずほ(小学校五年生女子)」と「義人(中学校2年生男子サッカー部所属)」が暮らしています。
祖父母の娘さんは、介護施設で働いていて、ケアマネジャー(介護支援専門員)をしているそうです。(介護が必要な高齢者のために介護保険法等に基づいて介護プラン(計画)をつくる仕事)
娘さんの夫は会社員です。
「いっしょごはん」という習慣があるそうです。
夏休みの最初の土曜日が、その月の「いっしょごはん」ですから話は始まります。
みずほの親友が、クラスメートの『咲(さき)』です。
祖父は、5年前に大腸がんで手術したそうです。
人工肛門というものを装着すると思うのですが、とくにそのことには触れられていません。
祖父は絵を描くことが好きで、スケッチの「さつき会」とか通学路に花を植える「花咲かせ隊」というグループに所属しているそうです。
祖父は、神戸に住む林さんという中学の同級生と親しい。林さんは、美術の教師です。
物語では、祖父の大腸癌が肺に転移していることが判明したという流れになっていきます。
祖父と中学二年生の義人は、ふたりともプロ野球阪神タイガースのファンで、甲子園に応援に行きたいそうです。(自分も小学生だった息子と全国高校野球大会を見に何度も甲子園に行きました。年齢的に、この物語の祖父と中学生の孫もすでに甲子園に行っていてもおかしくないのにな、という感想をもちました。その後、読み続けていたら祖父と孫の義人がプロ野球の応援で、甲子園に行った話が出てきました)
物語は「説明」が続きます。
設定として、むずかしいものがいくつかあります。
80代の高齢者だと、「祖父母と孫」の関係ではなく、たいていは「ひいおじいさんとひいおばあさんとひ孫」の関係になります。50代から60代で、祖父母になる人が多いです。
家族構成やお話の成り行きが、20年から30年前ぐらいの家族生活の風景です。
今のこどもたちには、身近に感じられないかもしれません。
祖父が亡くなる心配があるのですが、日本人男性の平均寿命は、今は81歳ぐらいですから、もうすぐ80歳は、天寿をまっとうする年齢です。
自分だったら、(自分の人生において)やることはやった。あとは楽にぽっくり逝きたい(いきたい。天国へいきたい。苦しまずに死にたい)と思う年齢です。
祖父のがんこな性格について話があります。
自分の実感としては、がんこというより、むしろ、ぼんやりぼけてきます。
リラックスして、気がぬけたようになります。時間や曜日の感覚が薄れてきます。
お持たせ(おもたせ):てみやげをていねいに言う言葉。
スカパン:スカートとパンツを合わせた造語。いっけんスカートに見えるパンツ。
最期のとき(さいご。死ぬ時)に、家で死にたいというような記述が出てきます。
わたしも家で死ぬつもりです。(さきは、どうなるかわかりませんが……)
高齢者介護の話が出てきます。
身につまされます。身近な話です。
読んでいて、ヤングケアラーという言葉が頭に浮かびましたが、このお話のばあいは、該当しませんでした。三世代の大家族です。
祖父について、肺癌による余命のようなお話が出てきます。
祖父は、今年80歳です。
さっきも書きましたが、日本人男子の平均寿命はだいたい81歳です。
さて、どう考えるか。
まわりが考えるというよりも、本人が考えることです。
祖母の理屈は、読み手には強制的で、無理やり納得させる強さがあります。
『死』は終わりではなく、継続だという理屈です。
なんというか、自分は、何人かの身内の高齢者を葬儀場や斎場(火葬場)にて『お疲れさまでした』で見送ってきました。
本人にとっては『死』は終りだと思います。
継続だと考えるのは、残った人間たちの気持ちです。
77ページに『人間の持ち時間』の話が出ます。
自分も共感します。
人間にとって大切なものは『自分が自由に使える時間』です。
幸せな気持ちになるために、自分が大切にしている人といっしょに過ごす時間を、できるだけ長くほしい。
あとからやろうと思っていると、思いがけず体を壊してやれなくなってしまいます。
少し無理してでも、自分がしたいことで、今できることは、すみやかにやりたい。
りんごの木を植える話が出ます。
りんごとは、後世につないでいく自分の志(こころざし)でしょう。
たいていは、子や孫や後輩を育てて、夢をつないでいきます。
りんごは、死ぬ間際に植えるものではないのでしょう。
生きている間じゅう、しょっちゅう植えて、かつ、育てていくのです。
7歳の孫娘のピアノレッスンの付き添いに75歳ぐらいの祖父が付き添いをするという行為がピンときませんでした。たぶんそのころに祖父は大腸がんになって治療している体調です。祖父の年齢設定が高すぎると感じるのです。75歳ぐらいだと、介護されるほうの立場にいる男性も多い。
最近、70歳まで働きましょうというような新聞記事を見ることがありますが、無理です。個人差がありますが、自分のまわりにいる同世代を見渡すと、40代後半から、何人かはすでに癌で亡くなっていますし、体の一部を切除して障害者になっている人もいます。
男子の寿命としては、60代から70代始めくらいの年齢で終わる人もいます。
長寿社会といっても、75歳まで生きられない人もまま多いのです。
孫娘の祖父に関する思い出話がでます。
孫娘のピアノレッスンは続かずやめてしまいます。
祖父の立場としては、孫娘を責めたくない。
祖父母の立場というものは、孫にとっては、逃げ込む場所であってほしい。
家族とか親族関係の交流が希薄になっている昨今です。
コロナ禍もあってか、結婚式も葬儀も簡素になりました。
社会では、高齢者との付き合いがないまま社会人になって、とまどっている新人社員が多いような印象があります。
年寄りがどんなものなのかわからない。されど、クライアント(顧客)は、年寄りが多いのが現実です。うまく接遇できないとメンタル病になってしまいます。
とかく、お年寄りは、予想どおりの行動をしてくれません。
ていねいに書いてある文章が続きます。
時間がけっこう早く過ぎていきます。
夏休みから始まったこのお話は、100ページ手前で、年を越して、三学期の冬です。
春を迎えたのでしょう。
みずほは、6年生になっています。
梅雨が来て、親友の咲(さき)が京都の祖母の葬儀に出て学校を休みます。
祖母は、70歳だったそうです。やはり早くに亡くなっています。
みずほと祖父の会話文は、実際は、このように会話はしないだろうなあというような会話文です。
たいてい、じいちゃんもばあちゃんも、孫の名前を呼び捨てにはしません。
語尾に「ちゃん」とか「くん」を付けます。
命令とか指示もしないと思います。
人は、自分の名前を呼び捨てで呼んでくる人を尊敬はしません。
自分が歳をとって、経験を積んできて、気づいたことがあります。
年寄りというのは、単体でいなくなるのではなく、世代の固まりという集団でいなくなります。
ひとりが亡くなって、訃報(ふほう。葬儀などのお知らせ)を送ると、返事がなくて、相手方のご親族から実は亡くなりましたという連絡をいただくことがままあります。
ひとつの時代を築いてきた集団が、同じような時期に、天国へと召されていきます。
小学生のこどもさんに、生き死にの話はむずかしい。
小学生は、これから生きるという芽生えの時期です。
死ぬ話はなかなかしにくい。
祖父の主治医が、宮崎ドクターです。大柄な体格だそうです。
祖父の具合が悪いのか、訪問看護の医師と看護師の自宅訪問があります。
80歳近い祖父と12歳ぐらいの小学6年生女児みずほのふたりが、祖父の運転するマイカーでスケッチ日帰り旅に出かけます(祖父の病状と年齢を理由にして、ちょっと考えにくい設定です)
女児がそのことを楽しいとか喜ぶとかいうことも想像しにくい。
善人しか出てこないお話です。
きれいごとで固めてある内容でもあります。
年下の人間は、年長者の意向に従って生きなさいとう圧迫感があります。
「形式」という世界に閉じ込められる不安があります。
うーむ。小学生が読む本ではありませぬ。
高齢者が読む本だと感じました。
シフォンケーキ:スポンジケーキの一種。
お花でつなぐ物語でもありました。
122ページ「ヒガンバナ(秋、9月下旬でしょう)」144ページ「ソメイヨシノ(桜 4月)」146ページ「サザンカ キンモクセイ(10月末)」162ページ「スイセン(祖父の80歳の誕生日 11月 花屋で購入)」173ページ「セイヨウカラシナ(アブラナ科の草 黄色い花 菜の花 祖父の描いた絵 琵琶湖が現地)」174ページ「カラー(サトイモ科白い花 祖父は白い花が好き。祖母は水色のガクアジサイが好き) そして、マーガレット」185ページ「フクジュソウ」
野上先生:祖父が中学生だったときの美術の先生。祖父の親友の林さんと祖父は美術部員だった。野上先生は現在97歳です。超高齢すぎて、読んでいて、現実の実態と物語の中身に乖離(かいり。距離感。へだたり)を感じました。
写真館で親族そろって記念写真を撮られています。
自分も歳をとってきたので、親族記念写真撮影は、人生において、大事な行為だと思っています。
写真館でなくても、場所はどこでもいいから、みんながそろった写真を撮って残しておいたほうがいい。
とくに、互いに遠方に住んでいると、同じメンバーが全員そろうという機会がもうないかもしれないという今どきのご時世です。一期一会なのです。(いちごいちえ。そのとき限りの出会い)
読んでいて、壷井榮さんの名作『二十四の瞳(にじゅうしのひとみ)』の最後付近のシーンを思い出しました。
昭和初期だったと思いますが、小学一年生の時に撮った記念の集合写真を第二次世界大戦後に同窓会で見るのです。
兵隊にいって戦死した子どもさんもいますし、家庭が貧乏で、行方がわからなくなった女の子も写真の中に姿があります。
戦場で戦って、敵の攻撃で目玉を失って、目が見えなくなった、たしか、ソンキ(岡田磯吉。豆腐屋の息子)という若者が、盲目になって写真は見えないのに、写真を指でさしながら、同級生のだれが、どんな表情をして写っているのかをくわしく語ってくれました。読んでいて、涙があふれます。反戦小説でした。
読んでいる本のなかでは、祖父とのお別れが近づいてきたようです。
祖父は肺癌治療を受けています。
亡き人が使っていた靴をどうするかという話が出てきます。
むずかしい。
今どきだと、最終的には、画像データにして記憶媒体に残しておくのでしょう。
画像をこんどいつ見るかはわかりませんが……
はっきりとは書いてありませんが、祖父は、11月25日に満80歳の誕生日を迎えたあと、まもなく亡くなっています。
親族が集合しての記念撮影は、誕生日の9日前ですから、11月16日に撮ったのでしょう。
集合写真は、11月23日頃にできあがっています。
そのあと、翌年の2月らしき記事が出てきますので、小学6年生のかえではまもなく、小学校を卒業して中学生になるのでしょう。
『栄光のみ国』というのは、天国のことでしょう。自分はキリスト教徒ではないのでよくわかりませんが、信仰をつらぬきとおしたごほうびとして、亡くなったあと、神さまから永遠の命を与えられて、ご先祖さまたちと幸せに暮らすというイメージがあります。
お礼肥え(おれいごえ):がんばって咲いたあとの草花などに、消耗した体力回復のために化学肥料などを与える。
長い感想になってしましました。
最後まで読んでくださった方に感謝いたします。
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