2022年05月18日

バカのすすめ 林家木久扇(はやしや・きくおう)

バカのすすめ 林家木久扇(はやしや・きくおう) ダイヤモンド社

 人生では、ときに、バカにならないとやれないこともあります。
 バカになればできることがあります。
 理屈ではないのです。
 やるしかないのです。
 ばかになってやると、たいてい、うまくいきます。

 林家木久扇(はやしや・きくおう):1937年(昭和12年)生まれ。本を書いたときは84歳と自己紹介をされています。落語家。木久蔵ラーメン創始者(1982年(昭和57年創設))。
 1969年(昭和44年)から『笑点』メンバーで、わたしが小学生のときから『笑点』で笑いを誘っておられます。すごいなあ。「いやーんばかん、うっふん(アメリカ合衆国の曲であるセントルイス・ブルースのメロディで)」とか鞍馬天狗(くらまてんぐ)の真似で「杉作、ニホンの夜明けは近い!」とか、忠臣蔵(ちゅうしんぐら)の『おのおのがた』など、おバカなキャラクターで人気者になられました。志村けんさんのようなお人です。

 自伝形式の内容です。第5章まであります。第5章に『ばか』の分類があります。
 思うに、本物の『ばか』は、善人でなければなりません。あわせて、人に優しい人でなければなりません。他人からうらまれてはいけないのです。

 先日、立川談春さんの自伝的エッセイ集『赤めだか』を読みました。
 故立川談志さんのことが書いてありました。
 『笑点』は、立川談志さんがつくりました。
 シンプルな大喜利(おおぎり)ですが、出ている落語家さんたちは、天才です。毎回楽しみに観て家族で大笑いしています。新人の桂宮治さんも大活躍です。
 立川談志さんは偉大です。日本人にお笑いの財産を遺してお亡くなりになりました。
 感謝いたします。

 「全国ラーメン党」がらみで、暴れん坊の漫才師横山やすしさんとのことも書いてあります。凶暴な人でしたが、いい人でもありました。真っ正直で、まっすぐな人でした。(104ページ付近に横山やすしさんとの荒れた出来事が書いてあります。すさまじいです)
 林家木久扇さんだったから、うまく歯車がかみ合ったともいえるでしょう。
 名前を変える前につくった木久蔵ラーメンは『まずい』と言いふらされて、(本当は麺のプロがつくったちゃんとしたラーメンだからまずくはない)、それなら、どんな味だろうか、まあ一度食べてみるかという購買意欲を引き出すという逆転の発想が新鮮でした。

 なつかしいお名前がたくさん出てきます。
 五代目 三遊亭圓楽(さんゆうてい・えんらく):2009年(平成21年)76歳没 星の王子さま
 四代目 三遊亭小圓遊(さんゆうてい・こえんゆう):1980年(昭和55年)43歳没 キザ
 桂歌丸:2018年(平成30年)81歳没 ハゲ(笑点において、禿げで笑いのネタを売った)

 当時の思い出がある人がこの本を読むと、とても楽しい気分になれます。
 
 笑点に出始めた当時は、まだ、木久蔵さんのキャラクター(個性設定)ができていなかった。
 『与太郎(よたろう。役に立たない愚か者)』で売ることになったがうまくできなかったというようなことが書いてあります。

 やはり『運』がある人です。
 けっこう苦労もされていますが、克服されています。
 2000年に胃がんで、胃を3分の2切除されています。
 2014年が喉頭がんです。

 36ページに第二次世界大戦のとき、小学校一年生の時の東京大空襲体験が書いてあります。
 一連の空襲で約10万人の人たちが亡くなったそうです。悲惨です。
 夜空にはアメリカの爆撃機、空襲警報が鳴って、大火災が発生して、夜なのに空が明るい。
 自分も若い頃に、空襲体験者の話を聞いたことがあります。爆弾が落ちてくる中をぴょんぴょん飛び跳ねながら逃げたということでした。驚いたのは、空襲が終わったあと、落ちていた爆弾を拾った。今、庭にその爆弾があるよということを聞いて爆弾を見せてもらいました。爆弾の中身はからっぽで空洞でしたが、何本もありました。また、その人だけではなくて、その人の近所に住む別の複数の人たちの家の庭にも大小いろいろな形の爆弾があって、たいそうびっくりしました。みなさん、たくましい。人間はばかになって、開き直れば強い。悲劇が喜劇にすら転換します。大切なことは、生きていることです。
 37ページに『何が起きても、あの空襲のときに比べたら、こんなものは何でもないという思いがあったから、(癌になったとき精神的に)落ち込まずに済んだ』とご本人の言葉があります。

 名言がいっぱい書いてあります。
 『孫といっしょにピーナツをひたすら割った』(ご自身のYou Tubeチャンネルで)
 これまでに出版した本の数は、70冊だそうです。立派な作家さんです。
 『気配りは、大きな武器になるんです。』
 芸名を募集して応募があったのは『林家加山雄三』『林家木造二階建て』『林家馬鹿蔵』ひどいのですが、笑えます。
 『噺家(はなしか。落語家のこと)という職業は、ノンキそうに見えて、けっこう厳しい職業です……言葉という形のないもので笑いの空気を創って(つくって)……』
 『食糧難の時代に育ったぼくにとってトンカツは最高のごちそう……(自分も、誕生日に祖母がお祝いだと言ってつくってくれたのがトンカツでおいしかった記憶が残っています)』
 『自分なりに一生懸命この道を歩いてきました』

 上下の波がある人生です。
 ばかで得したことはいっぱいあるが、損したこともいっぱいあるそうです。
 スペインにラーメン店を出して、7000万円の赤字です。(赤字を払えるということがすごい)
 細かい経過が書いてあります。
 タイでゾウを買ったけれど、輸入できなかった話があります。
 結果は悲惨だったけれど、経過では、わくわくして幸せ気分に満ちていたそうです。人生を楽しめましたとあります。

 うつ病対策の本を読むよりも、この本を読んだほうが、沈んでいる気分が晴れます。
 邦画『男はつらいよ』の寅さん(渥美清さん演じる)を見ていると、あんなにいいかげんでも世間で生きていけるなら、自分だってやれそうだという安心感と自信を与えてもらえるような、林家木久扇さんの個性です。個性は、えびすよしかずさんとも似ています。

 工業高校の食品化学科を出ているので食べ物には詳しい。ラーメンづくりの基礎になっています。

 中国北京にラーメン店を出店するために、故田中角栄首相に田中邸の応接室で、田中角栄首相ご本人に、じかに会って協力依頼の話をして了解をとりつけています。すごい。

 師匠が八代目林家正蔵さん(はやしや・しょうぞう):林家彦六。1895年(明治28年。日清戦争が明治27年)-1982年(昭和57年)86歳没 笑点メンバーである林家木久扇(はやしや・きくおう) 三遊亭好楽(さんゆうてい・こうらく)の師匠

 1960年(昭和35年)落語家四代目桂三木助師匠に弟子入り。23歳。師匠が亡くなる。
 1961年(昭和36年)林家正蔵の弟子になる。林家木久蔵を名乗る。

 読んでいて、思うのです。
 人生に失敗はつきもの。
 あれはあれで良かったと思うしかありません。
 すんだことを変えることはできません。

(ちょっとわき道へずれるお話)
 この本を読んでいる途中で気づいたことがあります。
 動画配信サービスで、過去の「笑点」を見ることができることを知り、夕食時の時間帯に楽しみ始めました。
 ことに、昨年2021年は、笑点が始まってから55周年記念ということで、笑点の歴史に触れる話題がよく紹介されます。
 この本の内容とも重なって、おもしろさが増幅されます。

(「笑点」という番組名の由来を知りたくなりました)
 小説家三浦綾子作品『氷点(ひょうてん)』からきているそうです。1966年(昭和41年)「笑点」開始当時ヒットしていたドラマで、映画化もされています。


 では、感想文に戻ります。
 学校寄席という活動があったことを初めて知りました。
 昔は、小中学校で、いろいろな芸のようなものを見ました。楽しかった。

 出世するためには「自分を支援してくださるよき人との出会い運」が必要です。
 そんなお話が続きます。

 清水崑(しみず・こん):長崎市出身の漫画家。1912年(大正元年)-1974年(昭和49年)61歳没 カッパの絵、新聞の政治漫画。林家木久扇(はやしや・きくおう)さんにプレゼントした名言として『ひとり高く! 孤高であれ! お前さん、群れなさんなよ!』が紹介されています。

 ラジオの「とんち教室」のことが書いてありますが、わたしは知りません。関連して「ものしり博士」というテレビ番組をこどものころに楽しみに見ていたことを思い出しました。

 ちょっと事情がよくわからないのですが、94ページに『(三代目桂三木助さんのことだと思いますが……)師匠がお亡くなりになったのは、1956年(昭和31)年1月でした』とあります。お師匠の三代目桂三木助師匠がお亡くなりになったのは、1961年1月16日(昭和36年)なので、不思議でした。

 東京日本橋の雑貨問屋に生まれて、東京大空襲で店をなくして、両親が離婚されて、父親が次女を連れて行って、母親が林家木久扇さんと長女と二男を引き取って母子家庭で苦労されています。
 林家木久扇さんは、小学校4年生から高校を卒業するまで新聞配達を続けておられます。学費は全部自分で稼いでいましたとあります。
 自分も父親が中学一年になった時に病死して、中学二年から高校を卒業するまで新聞配達を続けて、バイト賃と奨学金で学費と給食費と修学旅行の積立金を払っていました。
 昔は、そんなこどもがたくさんいました。
 この本は、今年読んで良かった一冊になりました。

 99ページには、義父の遺骨を入れた白木の箱を電車の網棚に忘れたという出来事が描かれています。
 自分も中学一年のときに類似の体験があります。父親が死んで、栃木県から熊本県のおやじの実家まで、親族一同で移動したのですが、途中の東京山手線の車内の網棚に火葬したあとの親父の遺骨箱を置き忘れてしまい、どたばた騒ぎがありました。あんがい、うっかり、そういうことって、あちこちであるような気がします。

 林家木久扇さんのお母さんは、こどもを責めないいいお母さんでした。
 1989年(平成元年)に76歳でお亡くなりになっています。
 100ページ付近まで読んで、しみじみとした気持ちになりました。

 横山やすしさんも三遊亭小圓遊(さんゆうてい・こえんゆう)さんも、お酒飲みです。おふたりともお亡くなりになっています。
 気迫満々のお酒飲みです。アルコール依存があったようにみうけられます。
 林家木久扇さんは、けっこう苦労されています。
 不条理(常識はずれ)、不合理(理屈に合わない)な世界を忍耐と努力、そしてばかになりきることでのりきっておられます。
 暴れん坊であっても、芸人は、繊細(せんさい。感情や感覚が細かい)な人が多い。
 仕事を続けていくために飲むお酒です。アルコールがガソリンです。アルコールで命を削りながら働いて稼いでいたのです。古い言葉ですが、モーレツ社員に似ています。

 嵐寛寿郎(あらし・かんじゅうろう):1902年(明治35年)-1980年(昭和55年)77歳没 映画俳優 映画プロデューサー
 戦前に活躍されたスターたちのお名前がずらりと並びます。チャールズ・チャップリンとかバスター・キートンの名もあります。洋画を参考にして、日本の映画がつくられています。「模倣(もほう。まね)」は、創作のひとつの手法です。

 大河内傅次郎(おおこうち・でんじろう):1898年(明治31年)-1962年(昭和37年)64歳没。以前、京都嵯峨野(さがの)の地を訪れた時に、偶然ですが、大河内山荘を観光したことがあります。山道みたいな田舎道を歩いていて、たまたま見つけました。最初は、京都市の公の施設(おおやけのしせつ)だと思って入ったら映画俳優さんのお宅でした。鉄道の嵐山の駅から、ご自宅まで、馬に乗って通勤されていたというようなことが資料に書いてあった記憶が残っています。たいへんなお金持ちだったと書いてあった覚えです。
 丹下左膳(たんげ・さぜん)九州の人だったのでなまったのでしょうが『セイハタンゲ、ナハシャゼン』が決まり文句でした。

 笑点のメンバー紹介があります。
 春風亭昇太さん:桂歌丸さんを継いで、6代目司会者。この部分を読んでいて、テレビのときは、たくさん回答した答えを取捨選択して録画後に編集してあることを初めて知りました。

 三遊亭小遊三さん(さんゆうてい・こゆうざ):75歳という年齢で、明治大学卒でご立派です。この世代で大学に行ける人は少なかった。
 
 六代目三遊亭圓楽さん:現在ご病気でお休み中です。無理をしないで養生してほしい。養生:ようじょう。治療に専念。

 林家たい平さん:三遊亭小遊三(山梨県大月)VS林家たい平(埼玉県秩父)ネタ

 林家こん平:2020年没。77歳没。こどものころに観ていた笑点で、とても元気がいい人だと思ったことがあります。「チャーザー村(新潟県千谷沢村)」出身を強調されていました。
 
 三遊亭好楽(さんゆうてい・こうらく):75歳。林家木久扇さんとお師匠が同じ林家正蔵師匠で、兄弟弟子であることをこの本を読んで知りました。入門は、林家木久扇さんの5年あとだそうです。

 山田隆夫さん:座布団運びの役です。就労期間はとても長い。たいしたものです。1984年(昭和59年))からざぶとん運びの役です。
 
 林家木久扇さんが天国へと見送った司会者さんたち。(そう思うと84歳の林家木久扇さん、88歳の黒柳徹子さんはすごい人たちです)
 七代目立川談志さん(2011年11月 平成23年 75歳没 天才でもあったけれど努力家でもあった。一日中落語のこと考えていた人。敵も味方も多い人だった)→前田武彦さん(2011年8月 83歳没)→三波信介さん(1982年 昭和57年 52歳没)→五代目三遊亭圓楽さん(2009年 平成21年 76歳没)→桂歌丸さん(2018年 平成30年 81歳没 「お酒は飲まなかったけれど薬はたくさん飲んでいた」という部分で笑いました)
 みなさん、笑点で観た記憶があります。なつかしい。

 笑点がここまでくるまで、順風満帆(じゅんぷうまんぱん。物事がすんなりうまくいく)ではなかったそうです。内乱、内紛も多かったようです。お互いに言いたいことを言い合って、妥協点を見つけて折り合いをつけていくのがおとなの社会です。

 林家木久扇師匠は至ってまじめな方です。
 林家木久扇という個性(人物)を演じておられます。落語の「与太郎(よたろう。ばかの役)」を演じている。
 以前、高田純次さんの本を読んだ時にも同じことが書いてありました。自分は「高田純次」を演じている。仕事で、自分と所属する会社の関係者が食べていくために演じている。ときに苦しいと書いてありました。
 そもそも人は、職場で、立場に応じて、自分とは少し違った個性(人物)を演じて、収入を得るのでしょう。

 第五章は、小噺(こばなし)のようなショートコントっぽい内容や、バカの分類・分析の話が続きます。
 
 人間の業(ごう):善悪の判断を理性でコントロールできない心の動き。してはいけないことでもしてしまう積極的な欲望。
 『落語とは人間の業の肯定である』七代目立川談志師匠の言葉だそうです。

 戦争体験者としての林家木久扇さんの言葉『ラジオでは毎日「日本軍は連戦連勝!」って威勢のいいことを言っていましたからね。』
 ニセ情報で国民の意志をコントロールする。現在のロシアのようすと似ています。
 歴史は世代を変えて繰り返されるのです。

 ふと思い調べました。
 NHKテレビ放送の開始は、昭和28年(1953年)でした。
 
 そういえば、最近の放送では、林家木久扇師匠は、健康上、ざぶとんの上に座ることができないようで、ざぶとんの山のうしろでイスに座っているお姿を見かけます。
 読み進めていくと、216ページにそのへんの事情が描いてありました。
 ご自宅の玄関先で転倒されて「左大腿骨骨折」をされたそうです。救急搬送されて入院されています。
 おだいにしてください。
 最後の言葉が身にしみました。『人生はいいことばっかりではありません。…… 一度しかない人生、バカになって、楽しくしぶとく笑って生きていきましょう』
 共感しました。
 中身の濃い一冊でした。
 今年読んで良かった一冊でした。

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