2022年05月17日

ぼくの弱虫をなおすには K・L・ゴーイング

ぼくの弱虫をなおすには K・L・ゴーイング 久保陽子・訳 早川世詩男・絵 徳間書店

 本のカバーを見て、帯を読んで、なかなかむずかしそうなおはなしだという印象をもちました。
 「人種差別」とあります。アメリカ合衆国ですから、白人と黒人のことでしょう。
 日本のいなかで一生を送ると、黒人を一度も見ずに一生を終えることがあります。
 だから、肌の色の違いで、人間を区別するということがピンとこないこともあります。
 わたしは、60年以上生きてきましたが、黒人の人を実際に見た回数は数回しかありません。今、思い出してみると、小学生のときに1回、十代のときに1回(このときは相手から名刺をもらいました)、そのあとは、見たというよりも、海外旅行とか、国内旅行で回っているときに、相手も観光客で、家族連れの黒人旅行者を見たことがあるぐらいです。親しく会話をしたことはありません。
 なにが言いたいかというと、小学生に黒人とか白人の話をしても、彼らの中で、黒人とのお付き合いに、深く関わりをもつ人数は少ないだろうということです。
 この本のこどもに対する提供を否定はしません。
 そういった事実はあるであろうということです。

 1976年アメリカ合衆国ジョージア州が舞台だそうです。
 これまた、ずいぶん昔の話です。46年前です。
 現代を生きる年齢の数が少ないちびっこたちに、このお話は、有益なのだろうか。
 攻撃的ですいません。正直な気持ちを書きました。

 最初に248ページにある「訳者あとがき」から読みました。
 原作は、2005年(平成17年)に出版されたそうです。
 小学4年生から5年生になる少年少女たちの物語だそうです。アメリカ合衆国の新学期はたしか9月ぐらいでした。そのつもりで読んでみます。
 (本文を読むと、学年の区切りになる夏休み?前の修了式から始まります。なんだか、日本でいうところの卒業式みたいな修了式です。そうすると、この話は、ひと夏の出来事となるのでしょう。おそらく)さらに(114ページに、6月1日と日付があります。アメリカ合衆国は、6月から8月まで小学校はお休みなのでしょう)
 洋画の『スタンド・バイ・ミー(ぼくのそばにいて。ぼくの心が折れないように、ぼくの気持ちを支えてください)』をなんとなく思い出しました。
 
 白人少年として、ゲイブリエル・アレン・キング:チビで体重40キロぐらい。白人の上級生にいじめられている。(白人なのに? 白人が黒人をいじめるパターンではないようです)性格は内向きでおとなしい。貧しいトレーラー暮らしとあります。トレーラー:トラックの後ろにつけて引っ張って移動する貨物室のようなもの。そこが家ですから、親は、地面に建っている家をもっていないのでしょう。つまり、貧しいというです。

 さきほどのゲイブリエル・アレン・キンの親友として、同級生黒人女子であるフリータ・ウィルソン。彼女は、父親がキリスト教の牧師で、裕福な家庭とあります。(正義感が強く、相手が上級生男子でもこぶしをあげて向かっていきます。黒人差別に対する敵意は強いでしょう)
 フリータ・ウィルソンの兄がテランス。背が高い。怖い雰囲気がある。黒人差別を受けて、反発心が心の底にある。
 
 白人少年のゲイブリエル・アレン・キングをいじめるのが、貧乏な白人1年上級生であるデユーク・エバンズ。体が大きい。暴力的。家はトレーラー住まい。
 もうひとりのいじめっこが、フランキー・カーメン、ふたりとも6年生。
【読み終えてのことですが、本のカバーにかいてある前知識の情報と内容が一致しません。白人少年ふたりが、主人公たちふたりをいじめるシーンはほとんどありません。いじめっこ少年の白人である父親が黒人の少女フリータ・ウィルソンにつらくあたります】

 黒人よりも貧しい白人は、(ふつうは、白人が黒人を差別していじめるのに)かなり、気持ちがへこんでいるというアメリカ映画がらみの文章を以前読んだことがあります。
 自分が下に見ていた人間よりも自分のほうが下になってしまったというショックがあるということでした。

(本文を読み始めました)

 4年生(もうすぐ主人公は、5年生になりますが)の担任の先生が、マレー先生。(日本とは学期の区切りの時期が違うので、日本人のこどもさんが読んでもわかりにくいような気がします)

 主人公の小学4年生が終わる1976年(昭和51年)夏のスタートです。
 小学4年生までは、東校舎で過ごして、5年生から、6年生のいじめっこ貧乏な白人であるデューク・エバンズとフランキー・カーメンがいる西校舎へ移るそうで、いじめられる小柄で気弱な主人公男子ゲイブリエル・アレン・キングは、5年生になることを拒否します。(義務教育はですから拒否はできません。最初はピンときませんでしたが、読み進めていてわかったのですが、ゲイブリエル・アレン・キングは進級しないようにするためにいわゆる登校拒否児になることを選択しようとしていると理解しました)

 出てくる児童の名前として、タイラー・ザック、アンドリュー・ウーマック、フリータ・ウィルソン、リサ・ローレンス、アン・マリー・クドロー。

 主人公のゲイブリエル・アレン・キングの父親の名前が、アレン・キングで、親子で同じような名前です。
 親友黒人女子フリータ・ウィルソンの兄が、テランスで、18歳です。
 
 アメリカ合衆国の独立200周年について書いてあります。ジョージア州の州知事だった民主党のジミー・カーター大統領のことが書いてあります。1924年(大正13年)生まれの97歳。現在もご存命中です。1977年-1981年アメリカ合衆国第39代大統領(そういうことがあったことを思い出しました。ご存命に驚きました)

 『学校』という狭い社会の話です。

 36ページにある『ホロウェル・トレーラーパーク』という文字を見たときに、先日読んだ、ノーベル文学賞受賞作家ジョン・スタインベック作品『怒りの葡萄(ぶどう)』を思い出しました。アメリカ合衆国中南部の貧しい農民がアメリカ合衆国西海岸カリフォルニア州での農作業雇用をめざしてトレーラーで移動する物語でした。

(つづく)

 246ページあるうちの149ページまで読みました。
 貧困白人の小学6年生になるというデューク・エバンズとフランキー・カーメンによる小学5年生になる白人ゲイブリエル・アレン・キングと牧師の娘黒人フリータ・ウィルソンに対するいじめの記述はほとんどありません。

 ゲイブリエル・アレン・キングとフリータ・ウィルソンは、マニュアル(手引き)に従うように、それぞれの「怖いもの(こわいもの)」を紙に書きだして、ひとつずつ克服するチャレンジを続けていきます。『こわいものリスト』です。リストの言葉の意味は、「一覧表」です。
 この本を読んでいる自分から、登場人物ふたりへのアドバイスがあります。
 『度胸(どきょう。こわいものしらず)』のつけかたです。
 ひとつは、下腹(したばら)にぐっと力を入れて、「やるぞ! やれるぞ!」と、自分に強い暗示をかけます。(暗示:自分に催眠術をかけるような感じ)気持ちを強くもって、なんがなんでもやるぞ!と意思を固めて相手やことがらに向かっていきます。「ばかになってやるぞ!」と思い込みます。
 もうひとつは、服のポケットの中に、自分が信じる神さまや仏さまのお守りを入れておきます。いざというときには、お守りに手を当てて、「お守りくださーい!」と心の中で叫びながら、突っ込んでいきます。たいてい、成功します。

 ニガー:白人が黒人をさげすむときに使う単語。使ってはいけません。いじめっこ白人のこどもであるデューク・エバンズの父親が黒人に向けて使います。父親は、とんでもないやつです。
 洋画『グリーンブック(アメリカ合衆国で使用する「黒人専用ホテル」の案内ガイドブック)』でその言葉が使われたシーンを観た記憶が残っています。主役の裕福な黒人ピアニスト男性が、白人に「ニガー」と呼ばれて、激高していました。(げきこう。かなり怒っていた)

 政治的な話が出てくることに、こどもさん向けの本であり、違和感があります。
 1976年(昭和51年)のアメリカ合衆国大統領選挙です。民主党のジミー・カーターと共和党のジェラルド・フォードのたたかいです。この部分を読むこどもさんは、ピンとくるだろうか。
 ウォーターゲート事件の共和党ニクソン大統領が前任者です。(たしか、盗聴事件)
 物語の中にぽつぽつおとなの世界が出てくるのですが、児童文学にあって、ピンときません。わかりにくいです。
 
 マルコムX(エックス):人の名前です。黒人解放運動家で、演説中に暗殺されました。アメリカ映画で観ました。

 自分が小学校4年生の時によんだ『トムソーヤーの冒険』みたいな雰囲気がある内容です。
 
 ゲイブリエル・アレン・キングは、虫の「クモ」が苦手だそうです。
 自分がこどものころおとなから、クモはご先祖さまの生まれ変わりだから殺してはいけないと教わりました。祖先がクモに化身して(けしんして)子孫はどうしているだろうかとようすを見に来ている。守り神のようなものだと教わりました。だからこわくはありません。
 自分が小学校低学年のころは、虫捕り網はクモの巣でつくっていました。針金をまるくして、竹にくくりつけて、針金のまるいわっかのところをクモの巣につっこんで、その部分を網にしていました。チョウチョとかトンボとか、クモの巣でつくった網のベタベタ部分によくくっつきました。貧乏人の知恵です。

 ムカデがこわいという話も出ます。
 ムカデはこわいです。たぶんこどもころに刺された体験が自分にはあります。ものすごく痛くて腫(は)れました。詳しいことは覚えていません。ショックが大きくて、記憶が飛んでいるのでしょう。ムカデには気をつけましょう。自分は、見つけたら踏んづけて殺します。ごめんねムカデちゃん。

 『白人市民会議』白人は、白人だけで群れたがる。群れて、人種差別をしたがる白人もいる。
 ゲイブリエル・アレン・キングのおとうさんは白人ですが、そういうことに対して拒否反応があります。

 白人が行く教会は、ホロウェルにある。
 黒人が行く教会は、ロックフォードにある。牧師は歌でお説教をする。聖歌隊は体を揺らしながら聖歌を歌う。(アメリカ映画で観たことがあります。タイトルをいますぐは思い出せません。大柄な黒人女性が主役でした)
 白人と黒人は、別々の教会に行く。

 ペカンの木:クルミ科の落葉高木。ナッツ(実)がとれる。

 芽キャベツ(めきゃべつ):キャベツの変種。直径3cmから4cmの小さなキャベツ。

 黒人女子のフリータ・ウィルソンが母親から禁止されていること。
 ①大通りで遊ぶこと
 ②デュークの家のトレーラーに近づくこと
 ③マッチに火をつけること

 ああ、自分が小学三年生のときに、木造長屋の縁側の下で、何かにマッチで火をつけていたら、オヤジに「火事になるじゃないか」とこっぴどく叱られてたたかれた覚えがよみがえりました。こどもの火遊びは大火事の原因になります。気をつけましょう。

 主人公の少年と少女は、クモにジミーという名前を付けました。
 邦画『ブタがいた教室』を思い出しました。いい映画でした。小学生たちと学校で飼い始めたブタが主役です。食用のブタに名前を付けると愛情が湧いて食べることがつらくなるのです。
 
 ムカデのほうにもフリータ・ウィルソンが「ドジー」という名前を付けました。でも、いろいろあってドジーは、死んじゃいました。
 ふたりで、ムカデのお葬式をやります。

 アメリカ合衆国独立200周年:1975年4月1日(昭和50年)-1976年7月4日(昭和51年)

 都市伝説のような話です。(事実ではないことが事実のように伝えられる)デュークの母親の遺体が、トレーラーハウスの中に隠されているらしい。
 ゲイブリエル・アレン・キングとフリータ・ウィルソンが禁じられているデュークのトレーラーへ行きます。デュークの母親は生きていました。どういうことだろう。引きこもりの母親とは思えません。

 ドーベルマン:凶暴そうな犬。猟犬でしょう。

 花火大会も白人と黒人は別々だそうです。
 ホロウェルの花火大会:白人だけ。
 ロックフォードの花火大会:黒人が行く。

 ターザンごっこみたいな話が出ます。(つるにぶらさがって、木からおりる)

(つづく)

 読み終わりました。

 抑圧とたたかう。(抑圧(よくあつ):自分たちを押さえつけるもの。だれかを無理やりおさえつけることと163ページに書いてあります。肌の色、母国語、宗教などを理由に他人の自由を制限すること)

 洞察力(どうさつりょく):よく見ること。本当はなんなのか。真実はなんなのかとよく考えること。悪い目的をめざしてつくられたウソの情報にだまされないこと。そそのかされないこと。

 KKK(クー。クラックス・クラン):黒人を暴力で攻撃する白人の団体。白いシーツを頭からかぶって目のところだけ穴が開いていて不気味な集団。いじめっこの父親が所属しているらしい。

 気に入らない者を暴力で排除しようとする人たちがいます。
 アメリカ合衆国がかかえる悩みがあります。人種差別。あわせて、銃社会が思いつきました。(銃の所有が許される)
 資本主義社会は、『自分たち』と『あいつら』に分かれるシステムです。選挙では、意見や考え方が異なるふたつ以上のグループができあがります。国民の集団がふたつ以上のグループに分かれて対立します。

 読んでいて、演劇の脚本のようでもあります。

 奴隷解放を訴えたエブラハム・リンカーンの時代からアメリカ合衆国の人種差別意識の根っこは現在も変わっていないと受け止めました。人間という生き物は愚かです。(おろかです)
 世代が変われば、また最初からです。戦争を含めて、悲劇の伝承が薄くなっていきます。

 主人公のゲイブリエル・アレン・キングは弱気で、ドラえもんののび太みたいです。

 胸に響いた言葉などとして、
 (5年生にならないというゲイブリエルに対して決裂の意味で、フリータ・ウィルソンが)『ゲイブリエルはこれから、ひとりで強くなって』
 (ゲイブリエルの気持ちとして)『牛に相談したって、仕方ないんだ』
 フリータの兄テレンスのセリフ『一生ここでうだうだしてるわけにはいかないからな。自分でチャンスをつかみにいくのも大事なんだよ』(家を出て働く決心をした)
 (ゲイブリエルのセリフとして)『ぼく、五年生になるよ』『フリータ。君はぼくの親友だよ』
 
 ジミー・カーターが来るかもしれないという『集会』とは、どのような集会なのか。
 参加者として、ロバーツ町長、ジョーダン牧師、アレン・キング(ゲイブリエルの父親)、司会者がフリータの牧師をしている父親です。
 アメリカ合衆国は、白人だけの国ではありませんと訴える。
 アメリカ合衆国は、すべての人種の人々が、自由を手にしている国だから、人権を尊重してくださいとメッセージを発信する。
 とくに、暴力で黒人を差別する集団に属する人たちに対して、人権を尊重してくださいとお願いする。

 1865年:リンカーン大統領による「奴隷解放宣言」
 参考までに、明治維新が1868年(明治元年)です。
 読書の参考にしてください。本作の理解はかなりむずかしい。  

Posted by 熊太郎 at 06:49Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2022年05月16日

みんなのためいき図鑑 村上しいこ

みんなのためいき図鑑 村上しいこ・作 中田いくみ・絵 童心社

 本のカバーに書いてあることを読んで思ったことです。
 カバーには『あーあ、みんなのためにと思ってやったことなのに……』と書いてあります。
 よかれと思ってやったことが、かえって、迷惑がられることがよくあります。
 だったら、もう何もしないと思うのですが、ついついて、口が出て、手が出てしまいます。
 だから、相手は、イヤな時は、イヤだとはっきり意思表示をしてくれれば、口も手もひっこめるのに、だまっている人が多いのが世の中です。直接文句を言わずに、陰で悪口を言うのです。しゃべらない人はにがてです。とかくこの世はむずかしい。

 熊太郎おじいさんは、ときおり独特な本の読み方をします。
 同じ本を何回も読みます

「1回目の本読み ゆっくり全体のページをめくって、さいごのページまで到達します。全部読んだような気になれます」
 ページをめくりながら、紙にメモをしていきます。とくに、登場してくる人物の名前と特徴をメモします。
 気になったことが書いてあるページには、ふせんをはります。気になった理由をふせんにメモすることもあります。
 
 では、ページをめくりはじめます。
 タイトルに『図鑑』と書いてありますが、この本は図鑑ではないことはわかります。

 出てくる人たちとして、4年1組五班のメンバーがいます。(主役の集団です)

 ぼく:田之上嵐太(たのうえ・らんた):愛称が『たのちん』この物語は、「ぼく」である田之上嵐太のひとり語りで進行していきます。

 星合小雪(ほしあい・こゆき):絵を描くことが好きだけど、愛菜(まな)にコンクールで負けたことがあるそうな。人に対して、きつい性格です。

 宮村孝四郎:愛称が『コーシロー』

 新開七保(しんかい・ななほ):星合小雪よりは、きつくはないそうです。でも、性格がきつい部類だそうです。
 
 加世堂ゆら(かせどう・ゆら):保健室登校と書いてあります。熊太郎おじいさんのこども時代には、保健室登校というような登校方法はありませんでした。登校拒否児なのだろうか。保健室なら行けるということか。とにかく、出席日数は確保しようという手段なのか。考え出すと賛否両論出てきそうです。

 階田リナ先生(かいだ・りな先生):一組の担任の先生。
 保健室の岡安先生:保健師さんだろうか。
 みつる:4年一組一班。親が大学の先生。
 愛菜(まな):絵を描く(かく)ことがじょうずらしい。みょうじは、出てこなかったような。4年1組二班。
 
 尾崎れん:一組のクラスメイト。
 小石川さら:一組のクラスメイト。

 目次は、1から9まであります。小さなお話が9つ集まって、ひとつの物語になっています。
 物語は、150ページまでで終わっていて、151ページからは『みんなのためいき図鑑』という別の固まりになっています。(あとから、この部分が、この本でいうところの『図鑑』の部分だとわかりました。

 この物語は、自分たちで、なにかを題材にしながら、図鑑をつくろうという物語なのでしょう。

 この本に出てくる小学生たちは、小学校4年生で、組は一組で、班ごとに分かれて、なにかをつくって、発表したのでしょう。

 9ページで『おしごと図鑑』という言葉が目に入りました。仕事の分類と内容を図鑑にするのだろうか。
 タイトルの『ためいき図鑑』から、考えられることは、ためいきというのは、楽しい時とか、うれしいときに出るものではなくて、がっかりしたとき、ざんねんだったとき、あきらめたとき、気持ちが沈んだときに出るものなので、ためいきが出るときの状態を図鑑にしたものではなかろうかという発想が生まれます。
 ちらっと読むと、一班は、みんなの親の仕事を調べて図鑑としてまとめるようなことが書いてあります。
 一班は『おしごと図鑑』、二班は『ペット図鑑』、三班は『病気図鑑』、四班は『?(本の10ページにはまだ書いてありません)』
 
 20ページに「2 ためいきこぞう」と書いてあります。
 ためいきこぞうとは、なんじゃろな。
 そういう「こぞう」が出てくるのだろうか。楽しみです。
 24ページに民話みたいな絵が描いてあります。地面の上にしゃがんでいるのが「ためいきこぞう」だろうか、されど、こぞうのうしろに、しっぽがついたおばけみたいなものがおぶさっています。なんじゃろな。

 49ページ「4 こたえようがない」という項目です。
 トラブル発生か。

 57ページで、気になるセリフにぶつかりました。
 「あのな、おならには、ロウハイブツノセイブンっていうのがはいって、それはからだに毒やねん」
 おならという単語には、読み手である自分の目が敏感に反応します。

 62ページの絵には、お母さんが、食事時のおかずが並んだテーブルで「はぁーあ」と大きなためいきをつくシーンが絵にしてあります。

 本のページをかるくめくり続けます。
 150ページ、物語のラストの言葉がかっこいい。
 『ぼくは、きょうもためいきといっしょに、生きている。』
 
 151ページからが、『みんなのためいき図鑑』です。
 つくったのは、4年1組 5班 加世堂ゆら(かせどう・ゆら) 新開七保(しんかい・ななほ) 田之上嵐太(たのうえ・らんた) 星合小雪(ほしあい・こゆき) 宮村孝四郎(みやむら・こうしろう)と書いてあります。
 162ページには、アンケート結果があります。アンケートをとったわけですな。
 さて、1回目の本読みが終わりました。
 推理はどの程度あたっていたでしょうか。
 2回目の本読みで確認します。

「2回目の本読み ざーっと目をとおしていきます。気になったところには、ふせんをはって、ふせんにメモをします」
 やはり、5つの班ごとに『なになに図鑑』というのをつくる企画です。
 8ページの絵を見ながら、どの絵の人が、だれなのかというのを考えました。
 鉛筆をノートにぎゅっと押し付けて怒っているのが、星合小雪(ほしあい・こゆき)です。
 星合小雪の右側で頭を書きながら、にが笑いをしているのが、宮村孝四郎でしょう。
 宮村孝四郎の右下にいる男子が、主人公のたのちんこと、田之上嵐太(たのうえ・らんた)でしょう。
 田之上嵐太の左下に頭だけ見えているのが、新開七保(しんかい・ななほ)ですな。
 この絵にはいませんが、同じ五班のメンバーで、保健室登校をしている加世堂ゆら(かせどう・ゆら)がいます。

 13ページに、星合小雪さんのセリフがあります。感心しません。
 自分たちは塾で忙しいから、図鑑の内容はたのちんが考えなさいと指示を出します。
 『考えること』は、いつだって、どこでだってできます。今すぐにでもできます。あとからやろうと思っていては、いつまでたっても始まりません。
 
 14ページまで読んで、ふと、思う。
 この物語に『ためいき』という単語が何回でてくるか、カウントしてみよう。(数を数えてみよう)おもしろそうだ。数えたくなりました。【最終的な結果は次のとおりでした。最初の物語に出てくる数が181回。次の『みんなのためいき図鑑』に出てくる数が37回で、合計が218回でした。たぶん回数が多いだろうと思ってかんじょうしはじめましたが、かなりの数でした。なお、1回かぞえただけで、みなおしはしていません。間違っていないかの確認はしていません。する気もありません。間違っていてもかまわないのです。合っているかいないかということはどうでもいいことです。コツコツと積み上げるように数えるという作業が楽しかった。まあ、少しずつ貯金がたまっていくような感じです】

 保健室登校をしている加世堂ゆら(かせどう・ゆら)さんが、マンガのような絵を描きました。『ためいきこぞう』というキャラクターで、まるで、田之上嵐太がモデルのようです。田之上嵐太と同じく、ためいきこぞうだから、たのちんだそうです。
 そしてなんと、実写化みたいに、絵の中から、ためいきこぞうが出てきました。紙で体ができているそうな。体は小さいので、一寸法師(いっすんぼうし。一寸は約3センチ)のようです。ためいきこぞうの立場は、ドラえもんのようでもあります。これからおもしろいことになりそうです。
 ためいきこぞうは、けっこう、なまいきです。『おれや。ためいきこぞうや』さらに関西弁です。『たのちんがいうてたやん』
 ためいきこぞうは、だれでも見ることができます。
 
 『ためいき図鑑』の絵を、星合小雪に書いてもらうか、加世堂ゆらに(かせどう・ゆら)書いてもらうかで、バトル(争い)が始まるようです。
 田之上嵐太(たのうえ・らんた)は、保健室登校をしている加世堂ゆら(かせどう・ゆら)に教室登校に戻ってほしいという希望をもっています。
 きっかけづくりのために、『ためいき図鑑』の絵を、加世堂ゆら(かせどう・ゆら)に描かせてあげたい。
 だけど、星合小雪が、さきに自分が描くと申し出したこともあり、絵は、加世堂ゆらには描かせない。自分が描くと主張します。
 みんなは、いま、四年生ですが、三年生の時までは、星合小雪と加世堂ゆらは親しい友だち関係があったそうです。
 加世堂ゆらが、自分の母との関係が悪くなって、学校へ行くことをいやがるようになったのですが、心配した星合小雪の好意を加世堂ゆらが裏切った過去があるそうです。
 男の子たちはそういったことを知りません。男にとっては、女同士の戦いは怖い。
 ふたりの女子の気持ちのすれ違いは、なかなか、すんなりもとには戻りそうもありません。
 
 絵が描きたいのなら、分担して、ふたりで描けばいいのにと自分は考えましたが、そのあとのページで、星合小雪に否定されました。自分が描く。加世堂ゆらには描かせないそうです。
 ワケワケすれば平和にまとまるのに。どこの世界でも、ひとりじめは、もめるのよ。
 ゆずらないものどうしが、ぶつかたっときにケンカが起こります。
 どちらもけがをします。

 なんだか、だんだん、昔の『道徳(どうとく。人はどうあるべきかを考える。学ぶ)』という教科の内容のようになってきました。

 みんな、絵を描くのが好きなのね。

 話し合いがつかないと、たいていは、じゃんけんとか、くじ引きになると思うのですが、星合小雪はそれでは受け付けてくれそうもありません。
 加世堂ゆらは、話の経過を聞いたら、身を引くのではないだろうか。

 おならの話です。
 おならの話は、宮村孝四郎のおじいちゃんの口ぐせです。
 おならは、がまんしないほうがいい。からだに毒だから、がまんしないほうがいい。
 
 加世堂ゆらのおかあさんは、いわゆる『毒親(どくおや。こどもにとって良くない親)』です。束縛(そくばく。押しつけ 強制して相手の自由をうばう)、過干渉(なにかとさしずする。やりすぎ)があります。度をこえて関与する)です。加世堂ゆらにとって、母親がしんどいのです。だから、登校拒否に至った原因があります。(母親に直接文句を言う勇気がなくて、友だち関係が不登校の理由とうそを言った)
 子育てができない。子育てがにがて。子育てに向いていない。そういう親っています。ひとりの親でもパーフェクト(完全にいい親)という人は少ない。毒親の部分を、多かれ少なかれもっています。
 こどもは、それが嫌で、14歳ぐらいから反抗期を迎え、やがて、自分のことは自分でやる。自分でできると主張して自立、自活して、家を出ていきます。鳥のヒナの旅立ちのようなものです。
 親とは別れる時がきます。こどもは、親に嫌なところがあっても、自分が巣立てるまではがまんして力をつけます。

 ためフェス:ためいきこぞうたちのお祭り(フェスティバル)おもしろそう。

 いつもちゃんとしている親は、こどもにとっては、迷惑です。
 だらしないところが多少あるぐらいで、ちょうどいい。

 いじわるだと思われている星合小雪の言い分は、当たっているし、正しいことです。
 加世堂ゆらもだまっていてはだめです。だまっていたらわかりません。自分はだまっていて、相手にさっしほしいと願っても、願いはかないません。しゃべらないと何を考えているのかは、相手にはわかりません。
 
 『一生保健室にいたらいいよ』と言われたらつらい。
 つらいけれど、うぉーって叫んで、保健室から教室になぐりこむぐらいの強い気持ちがほしい。
 
 128ページにいい言葉が書いてあります。
 『ねがい』
 
 そして、ついに、田之上嵐太からこういう言葉が出ます。
 『ちょっとは、むりしてよ』

 これまで読んできた小学校低学年・中学年対象の読書感想文課題図書の中で、一番おもしろかった。
 なかなか良かったです。  

Posted by 熊太郎 at 07:20Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2022年05月12日

チョコレートタッチ パトリック・スキーン・キャトリング

チョコレートタッチ パトリック・スキーン・キャトリング作 佐藤淑子(さとう・よしこ)・訳 伊津野果地(いづの・かじ)・絵 文研出版

 チョコレートが大好きなジョン・ミダスという男の子のお話です。小学校1年生か、2年生ぐらいに見えます。
 ジョン・ミダスはお菓子が大好きです。おこづかいは、お菓子を買うために消えていきます。
 これから、ジョン・スミスが、チョコレートを食べたあと、なにもかもがチョコレート味になるという不思議なお話が始まります。

 登場する人たちはつぎのとおりです。
 ジョン・ミダスのおもしろいお話をしてくれるパパと、優しくてしっかり者のママ
 ジョン・ミダスのいもうとメアリー
 ジョン・ミダスの同級生女子として、スーザン・バターカップ:金髪。ピンクのほっぺ。青い瞳。おはじきコレクションがあります。ほかの女子児童として、ベティ、エレンがいます。たぶん男子児童として、ティモシー、ロビンがいます。
 男女合計20人のクラスメンバーです。
 ジョン・ミダスの上級生として、スパイダー・ウィルソン、小学3年生か4年生ぐらいに見えます。
 ジョン・ミダスの学校の先生が、担任が、プリムソール先生。女性の先生です。音楽担当が、クウェイバー先生。
 お医者さんとして、クレイニアム先生。

 鼻の頭に赤いぽつぽつができたジョン・ミダスです。
 お菓子の食べ過ぎです。
 ごはんを食べなきゃ。
 バランスのとれた食事をしないと病気になってしまいますよ。

 ジョン・ミダスは、道で25セント硬貨を拾いました。日本円だと31円ぐらいの価値です。
 でもその硬貨は本物のお金ではなさそうです。
 片面に太った男の子の絵、もう片面に「J.M」とかいてあるそうです。(J.Mは、ジョン・ミダスの氏名の頭文字(かしらもじ)なのでしょう)

 ジョン・ミダスが偶然知らないお菓子屋さんに立ち寄ります。
 なんだか、浦島太郎が竜宮城をたずねた雰囲気に似ています。
 これは夢だろうか。
 店のご主人が、ジョン・ミダスにおいしいてチョコレートを提供してくれました。
 
 帰宅したジョン・ミダスが、お店のご主人からもらった、たったひとつぶのチョコレートを食べます。

 ひと晩あけて、朝です。
 チューブに入っている歯磨き粉の味が、チョコレート味になっています。
 オレンジジュースもチョコレート味がします。
 ベーコンエッグとトーストとバターとマーマレードがチョコレート味です。
 皮のてぶくろまでチョコレート味です。
 どうしちゃったの?
 ジョン・ミダスが食べた時だけ、チョコレート味がするようです。

 スーザン・バターカップがもっていた1ドル硬貨もチョコレート味がします。
 なんと、ジョン・ミダスは、その1ドルコインをかじって、一部分を食べてしまいました。1ドルコインは、三日月の形に変わってしまいました。

 ジョン・ミダスが学校で飲む水までチョコレート味に変わってしまいました。
 どうしたことでしょう。
 鉛筆の芯(しん)までチョコレート味です。
 そして、鉛筆の木の部分までチョコレートになってしまいました。
 夢でもみているのだろうか。
 「魔法」だそうです。
 外国では「魔法」という言葉がよく使われます。日本では使われません。

 学校でのお昼ご飯は、学校の食堂で食べます。
 食事は学校が用意してくれます。
 野菜サラダとかくだものとか、牛乳、チキン、ハム、ポテトチップス、レタスなどです。サクランボもあります。赤いトマトもあります。なんでもいろいろ食べましょう。お菓子だけではだめですよという教えがあるのでしょう。ロールパンもついています。
 でもジョン・ミダスが食べようとすると、なにもかもがチョコレート味に変化してしまいます。

 国語の時間では、ジョン・ミダスに「強欲」「消化率」「消化不良」「胃酸過多」「不健康」「節制」などの言葉が投げかけられます。
 健康志向でいきましょうというメッセージがあるのでしょう。

 学校の楽団で、スーザン・バターカップは、バイオリンを弾き、ジョン・ミダスはトランペットを吹きます。
 こんどは、トランペットがチョコレートになってしまいます。困りました。
 ジョン・ミダスは、だんだんチョコレートが嫌いになってきました。

 リンゴを浮かべたバケツの水がチョコレートになります。なってこった。
 
 ジョン・ミダスは、病院でクレイニアム先生に診てもらって、お薬をもらいました。
 なんと、お薬までチョコレートに変わってしまいました。
 クレイニアム先生が『チョコレート病(その後、クレイニアム病という病名で決定)』と病名を付けました。徹底的な検査が必要だそうです。

 かわいそうなことは次々と起こります。
 ジョン・ミダスはがママのほっぺたにキスをしたら、ママがチョコレートの像になってしまいました。
 魔法という言葉がさきほど出てきました。
 魔法の力(ちから)『チョコレートタッチ』という言葉が出てきました。ジョン・ミダスの唇(くちびる)がふれたものは、チョコレートになってしまうのです。タッチはふれるということです。
 そして、ジョン・ミダスが25セント硬貨でチョコレートの箱を買ったお店が再び姿を現したのです。
 
 「よくばり」とか「わがまま」を戒めて(いましめて。人として、してはいけないことだと教える)「思いやりのある人」になりなさというメッセージをもった物語でした  

Posted by 熊太郎 at 07:17Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2022年05月11日

この世界からサイがいなくなってしまう 味田村太郎

この世界からサイがいなくなってしまう アフリカでサイを守る人たち 味田村太郎(みたむら・たろう) 学研プラス

 本題ではありませんが、この本を読んでいた同時期に、少年ジャンプコミック『ヒカルの碁』を読んでいて『サイ』というタイトル文字を見ると、ヒカルの碁に登場する進藤ヒカルの師匠である『藤原佐為(ふじわらのさい)』を思い浮かべてしますのです。
 こちらの本のサイは、動物のサイです。

「1回目の読書」
 実用書のような本を読むときの自分独自の本の読み方があります。複数回読みます。
 まず、1回目は、文章をあまり読まずに、ページをゆっくりとめくりながら、全体に目を通します。この本は全部で119ページあります。全部のページをめくり終わると、全部を読んだような気分になれて、リラックスできます。そのあとで、また2回目の本読みをします。

 ときどき小学校低学年や幼稚園の孫たちといく場所に、名古屋市内にある東山動物園があります。
 東山動物園には、二種類のサイがいます。正面玄関入って右側に『インドサイ』小柄な体格をしています。
 それから、正面から奥に向かって、かなり距離が離れていますが、左側の丘に『クロサイ』がいます。カバとコビトカバの間にある園庭にいます。大柄な体格をしています。

 本のページをめくります。動物たちの写真がいっぱいあります。
 シマウマ、ゾウ、ライオン、キリン、シロサイの写真があります。
 アフリカまで行かなくても動物園で見学することができるのはありがたい。

 サイの種類が写真付きで説明されています。
 ジャワサイ、スマトラサイ、インドサイ、シロサイ、クロサイ。
 シロサイとクロサイがアフリカにいて、あとはアジアにいるそうです。
 体長は、4メートルいくかいかないかぐらいですから、軽自動かコンパクトカークラスの乗用車ぐらいの長さです。(2回目の本読みをしたときに、13ページにそのようなことが書いてあるのに気づきました)

 『サイがいなくなってしまう』と書いてあります。
 たぶん、人間が原因なのでしょう。
 地球の自然にとっては、人間は迷惑な存在です。
 人間は自分たちの便利な生活をつくるために、これまでに、自然界の動植物にたくさん迷惑をかけてきました。

 26ページに『サイのふんにかくされたなぞ』という項目が出てきます。
 フンを分析して研究することで、いろいろなことがわかりそうです。

 48ページには『孤児院にいる子どもサイたち』という説明がつけられた写真があります。
 サイにもパパ・ママがいないひとりぼっちがいるようです。

 95ページには、『ブラックマンバ』というグループの集合写真があります。
 全員が女性です。たぶん、サイを守るグループなのでしょう。(2回目の本読みで、女性たちだけの自然保護官チームであることがわかりました。レンジャーと呼ぶそうです。救助隊のイメージがあります。仕事ですから、法律の根拠があると思います)

 118ページに日曜日NHK夜7時半からやっている『ダーウィンが来た! 生きもの新伝説 ~残念じゃない! 人気者サイの秘密~』と書いてあります。自分は、たいてい、8時からの大河ドラマを見る前に「ダーウィンが来た」を見ています。
 
 2017年に『ざんねんないきもの事典 今泉忠明監修 高橋書店』は、読んだことがあります。自分の読書の記録をみると、(サイは絶滅の危機にある)とメモが残っていました。
 気になることとして、絶滅の危機にある動物がいるけれど、人間も滅びるときはあると自分で書き残してあります。
 人間を滅ぼすのは、人間です。
 戦争をすることが、人類が滅びる理由です。
 人間は戦争をして互いに殺し合って絶滅するのです。
 おそろしいことです。

「2回目の本読み」
 2回目は、ざーっと目をとおしながら、速読します。
 気になったところには、ふせんをぺたぺたとはって、メモ書きをすることもあります。
 
 南アフリカ共和国の草原(乾期と雨期があるサバンナ)にある動物保護区のお話です。クルーガー国立公園内だそうです。日本だと気候は四季です。春夏秋冬です。
 南半球は北半球とは季節が反対なので、今ごろは、これから冬に向かうころでしょう。

 写真にあるサイの姿は、ヨロイとカブトを身に着けた武士のようです。
 恐竜のトリケラトプスにも似ています。
 19ページで、大昔(3400万年前ぐらい)のサイの仲間が紹介されています。体高が7メートル、体重が20トン(乗用車20台近く)というのは巨大です。何を食べていたのだろう。たくさん食べないとおなかがぺこぺこになりそうです。
 名前は、ケプカサイ、パラケラテリウム、ヒラキウス(福岡県で化石が見つかった)だそうです。
 
 サイのツノを加工して、商品にして高額で売る人間たちがいるようです。密猟者です。
 また、サイのツノが、薬の原料にもなると考えられているそうですが、薬としての効果はないそうです。効果がなくても売り買いができるのなら、お金が欲しい人間はサイを捕まえます。
 だから、サイの数が減少しているのでしょう。
 この本には、サイを殺して金もうけをする人間たちを取り締まる立場の人たちについて書いてあります。
 自然環境を守って維持することは、人間にとっても利益のあることです。
 住み心地の良い空気と水のバランスを守らないと人間の体にも悪い影響がありそうです。
 地球温暖化の防止が今一番の話題になっています。
 ガソリン車をやめて、電気自動車に転換するのです。

 著者の仕事は、記者だそうです。
 
 南アフリカには、世界の80%のサイが生息しているそうです。知りませんでした。

 サイのフン(うんこ)に関するところを読んでいます。
 メスとオスがラブラブになるために、フンがしてあるそうです。
 種の保存です。こどもをつくって、サイという動物を、のちのちまで生かし続けるという生き物の本能(生まれながら身についている性質)があります。
 
 サイが妊娠してから出産までにかかる期間は、16か月もかかるそうです。(1年が12か月)
 とても長い。

 親が密猟で殺されたりすると、生まれて間もないこどものサイたちは、ひとりでは生きていけないので、サイを助けるメンバーが(レンジャーという自然保護官。クルーガー国立公園には約550人のレンジャーがいる)関わって、こどもサイをサイの孤児院へ連れて行くそうです。
 されど、毎年500頭前後のサイが、密猟者の犠牲になっているそうです。

 人間のお金もうけのために、サイの命が失われていきます。
 このことの背景には、貧しい社会があります。
 アフリカの人たちは、長い間、ヨーロッパの国々の人たちに支配されていたという歴史があります。
 サイをつかまえてお金を稼ぐことをやめてもらうために、密猟をする人たちにちゃんとした仕事を用意する必要性があります。
 密猟者がいなくなる社会システムをつくることが大事です。
 貧困をなくすか、減らすのです。
 そのためには、教育が必要です。
 読み書き計算から始めて、命と自然の大切さを学ばねばなりません。
 
 サイをペットのように飼うことはできません。
 保護区では、もともといる場所を囲うようにして、サイたちを守っているのだろうと考えました。
 
 絶滅の危機にある『キタシロサイ』というサイをIPS細胞の技術を使って、子どもを誕生させるチャレンジがされているそうです。

 104ページに『男性が社会の中心』とあります。
 全世界で、女性差別が行われてきました。
 男社会はだめです。すぐに戦争になります。
 女社会で、平和な世界にしてほしい。
 UNEP(ユネップ。国連環境計画)の「地球大賞」にブラックマンバが表彰されたそうです。そういう組織も賞も知りませんでした。
 それから、マンバというのは、アフリカ大陸最強の毒ヘビのことだと、どこかのページに書いてありました。ブラックだから、黒い毒ヘビなのでしょう。怖そうです(こわそうです)。でも、写真の女性のみなさんは、やさしい笑顔をされています。
 
 さいごのほうのページにある『センザンコウ』という動物が、世界で大流行しているコロナウィルスに関係があるかもしれないそうです。写真を見ると、全身にウロコのようなものがあるトカゲみたいな生き物に見えます。不気味です。
 野生動物をきちんと管理しないと、人間にとって不幸な病気が流行するのでしょう。

 最後に、英語でサイのことは『rhino ライノ (複数形だとsが単語の最後に付きます)』というそうです。30ページと31ページにそんなことが書いてありました。  

Posted by 熊太郎 at 06:35Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2022年05月07日

赤めだか 立川談春

赤めだか 立川談春 扶桑社文庫

 有名なお話のようですが知りません。
 書評のページを巡っていて出会ったので取り寄せました。
 まずは、タイトルの『赤めだか』の意味をとれません。「赤いめだか」という魚が、実際にいるのだろうか。

 読み始めます。
 エッセイ集です。(心のおもむくままに書きつづる)10本あります。
 意外に文字数の多い本です。

 この本を読んだあとで、林家木久扇(はやしや・きくおう)さんの『バカのすすめ』ダイヤモンド社を読むつもりで手元においてあります。
 笑点を楽しみに観ていますが、笑点メンバーは天才の集まりだと思うのです。お笑いの泉です。

 二十代のころに落語を聴いたことがあります。
 ビルの中にある小さなホールでした。
 テレビでしか見たことがなかったので、落語というものは、一話が15分程度のものだと思っていました。
 たしか、一本が45分以上ありました。驚きました。そんな長いお話を暗記できているなんて、なんというずば抜けた記憶力と演技力をもった頭脳であろうかとびっくりしました。たしか、同じ人で、二本の落語を聴いた覚えがあります。途中に休憩がありました。
 職場の先輩に誘われていきました。今思うと、たぶん先輩は彼女を誘ったけれど断られたか、都合が悪くなったかで、まだ若かったわたしを誘ったのでしょう。

 著者は、1966年生まれの方です。あいにく、自分は存じ上げません。これからこの本を読んでいろいろ知ります。

『これはやめとくかと談志は云った(いった)。』
 著者は、競艇選手になりたかったそうです。こどものころ、身近に競艇を知る環境がありました。
 背が高すぎて、体格的に試験に合格できなかったそうです。
 ふつう、背が低くて悩むのですが、いろいろあります。
 サラリーマン的な職業人は、著者のまわりにはいなかったそうです。職人ばかりだった。
 普通の会社員はけっこうつらいのです。会社のためにロボットのように働くのです。
 
 著者は当然、立川談志さんを尊敬されておられます。
 自分は、立川談志さんが、むかしむかしの笑点の司会者をしておられたところしか知りません。自分はまだこどもでした。その後、ご本人が、国会議員になられた姿をテレビでちらりと見ました。
 著者は、昭和59年3月に立川談志師匠のお弟子さんになられたそうです。1984年でした。(立川談志一門の落語協会脱会が、1983年(昭和58年)で、立川流を創設しています)

 もうずいぶん昔の話ですが、黒柳徹子さんのお名前が出てきます。黒柳徹子さんは、たいしたお方です。自分は、毎日のように『徹子の部屋』を見ています。三十代のころに黒柳徹子さんの講演会に行ったことがあります。90分間、機関銃のようにしゃべられたので、びっくりしました。

『新聞配達少年と修行のカタチ』
 ここまで読んできて、ああ、故立川談志さん(2011年75歳癌のため死去。本書は、2008年単行本として発行)とお弟子さんたちとの実際にあった出来事をエッセイ(気ままに書き記した記録)にまとめてある本だと納得しました。一人前の落語家になるまでの修行日記、修行日誌です。
 タイトルの『赤めだか』の意味が書いてあります。赤いのは金魚です。成長できない金魚だから、いつまでたっても「めだか」扱いなのです。お弟子さんのことを意味しています。いくら餌をやっても育たないのです。(いくら練習をつけてやっても落語家としての能力が育たない)エピソード(ことがら)のもととなった立川談秋さんのことが書いてあります。(談秋:だんしゅうさんは、廃業されています)
 
 落語家が生きていく(食べて生活していく)システムがわかりやすく書いてあります。
 
 組織として、落語協会、落語芸術協会があります。

 お弟子さんたちは、立川談志さんのことを『イエモト』と呼んでいたことがわかる記述です。
 
 入門時の年齢として、立川談春17歳、談秋27歳、談々29歳。

 文脈は、落語を聴いているかのような文章です。

 『修業とは矛盾に耐えることだ』
 矛盾(むじゅん):つじつまがあわないこと。理屈が通らないこと。いきどおり(怒りとかあきらめ)を感じること。

 そこまでして、落語家になった理由はなんだろう。
 理由は、金(カネ。稼ぎ(かせぎ))ではないのでしょう。
 年収1000万円の高収入だったのに、サラリーマンを辞めて落語家になった笑点の新メンバー『桂宮治(かつら・みやじ)』さんの顔が頭に浮かびました。

『談志の初稽古、師弟の想い』
 この本を読みながら、同時期に、マンガコミック『ヒカルの碁』を読んでいるのですが、そちらも、囲碁の師弟関係が描いてあります。
 落語とも共通する部分があると感じながら、両方の本を読み続けています。

 立川談志:1935年(昭和10年)-2011年(平成23年)75歳没
 立川談春:1966年(昭和41年)-
 著者の立川談春さんが、17歳の時に、立川談志さんは48歳です。
 談春さんは談志さんに『坊や』と呼ばれていた。
 同時期に本に出てくるのが、以下の方たちです。
 立川志の輔:1954年(昭和29年)-立川談春さんの1年半先輩。立川談春さんからみて、志の輔兄さん。年齢はひとまわり上(12歳上)番組「ためしてガッテン」が今春で終わってしまいました。
 立川志らく:1963年(昭和38年)-立川談春さんより3歳年上。談春さんより後輩だけど先に真打になられたので、自分よりも先輩の立場にある人という微妙な扱いのことが、最後のほうにある談春さんのエッセイに書いてありました。

 道灌(どうかん):落語の演目。室町時代後期の武将「太田道灌」雨具を借りようと一軒のあばら家に立ち寄った話。

 良き言葉として『型をつくるには稽古(けいこ)しかないんだ』『談志の弟子になれたということで満足している奴等ばかりだ。』

『青天の霹靂(へきれき)、築地魚河岸修行(つきじうおがししゅぎょう)』
 築地(つきじ)と聞いて、なにやらしばらく前に、不祥事を起こしたお笑いコンビのタレントさんを思い出してしまいました。このエッセイに築地で働こうとしたきっかけがあるのだろうか。
 師匠である立川談志さんの指令で、弟子たちが、東京築地市場で一年間働かされます。
 落語となんの関係があるのだろうかと思い悩みますが、弟子たちは、破門にされたくないので従いました。著者は18歳です。
 読んでみると、早朝から正午ぐらいまで働いて、月5万円のバイト賃をもらって、退職の時には、50万円をもらって、市場の人たちの人情に触れて、心が成長して、けっこういい体験になっています。
 昭和59年ごろ(1984年)のことですから、バブル景気が始まる前で、日本経済が右肩上がりで元気が良かった時代です。
 いっぽう、その後入門してきた立川志らくさんが、談志師匠の指令である築地市場で働くことを断って、さらに、ならば破門だという話も拒否して、立川談志一門で生き残ったということも、またすごいエピソードでした。
 立川志らくさんの言葉として『私は、自分のしたくないことは、絶対にしたくないんです。師匠はわかってくれました』とあります。たいしたものです。

『己の嫉妬と一門の元旦』
 この部分を書いている前夜、たまたま、千鳥の『相席食堂』に、立川志らくさんが、ひとり旅のゲストとして出ておられました。
 まじめな人で、落語を深く、強く愛しておられることがよく伝わってきました。
 ただ、人とのコミュニケーションはにがてなようすでした。
 芸能人やタレントさんたちは、意外に人見知りな人が多い。芸名の人物(自分とは別の仕事用の個性)を演じるということは得意な人たちです。
 この「己の嫉妬と一門の元旦(おのれのしっとといちもんのがんたん)」という項目のエッセイでは、立川談春さんの立川志らくさんに対する嫉妬(やきもち。立川志らくさんが、立川談志さんから落語で高評価をもらっている)が書いてあります。されど、時期としては、立川談春さんが、19歳のころ、立川志らくさんが、22歳ぐらいのころですから、もうずいぶん昔のお話です。
 立川談志さんの良き言葉として『負けるケンカはするな』
 立川志らくさんの落語に関する高い能力が紹介されます。立川志らくさんは、生活していくために落語に没頭するしかなかったそうです。夫婦で貧乏暮らしを体験されています。
 夫の立川志らくさんが22歳で、奥さんが20歳で、お金がなくて、米粒なしの麦飯を食べていたとあります。(わたしは、小学校一年生ぐらいまで、半分米、半分麦の麦ごはんを食べていました。この部分を読んでいて思い出しました)

『弟子の食欲とハワイの夜』
 この部分は、愉快で、秀逸です。今年読んで良かった一冊になりました。
 立川談志さんの個性とわたしの亡父の言動とか行動が重なりました。うちの親父(おやじ)は40歳で病死してしまいましたが、ふたりの豪快で大胆な言動が似ています。同じぐらいの年齢層だからということもあるのでしょう。人目は気にしないし、自分がやりたいことをやりたいようにやってしまいます。
 変則的な話です。立川談志さんは、家族のためによかれと思って、練馬区に大きな家を購入したのですが、家族は不便だからと言って引っ越しを嫌がり、代わりに十人ぐらいの弟子たちがその家に出入りしています。そのことがらみのエピソードが列記されています。
 立川談志さんが落語協会を脱会して、立川流をつくったことも書いてあります。弟子たちへの影響は大きかった。
 貧乏でもたくましいメンバーたちです。心が洗われます。お金がないからといって、クヨクヨするな!と今どきの若い人たちに言いたい。
 
 心に響く言葉がいくつかありました。読んで納得します。
 『近頃の……親なんていうのは、信じられないような甘ちゃんで、子供より先に親を修行させた方がいいんじゃないか……』
 『馬鹿息子に限って高学歴な場合が多い……最後はケツ割るんだけどね(辞めて逃げていく)』
 『君の青春を徳俵(とくだわら。すもうの言葉)にかけてみないか』すもう部屋にスカウトされたことがあるというお弟子さんがらみのお話。
 
 バブル景気最高潮のときによくあった話ですが、みんなでハワイ旅行へ行かれています。
 まあ本に書いてある内容はドタバタ騒ぎで笑いました。
 以前読んだ、リリー・フランキーさんの小説作品『東京タワー』でも、親族旅行でハワイに行ったら、たしか、リリー・フランキーさんのおかあさんたちが、ワイキキにある高級ホテルのプールで、スーパーマーケットのポリ袋を水泳キャップがわりに、頭にかぶって泳いでいたら、まわりの人たちが引いていたというような記述があったのを思い出しました。
 こちらの本でも立川談志さんたちの似たような体験が記されています。ももひき姿で、海に入っておられます。

『高田文夫と雪夜の牛丼』
 高田文夫:1948年(昭和23年)- 放送作家、タレント
 
 カラオケの話が出ます。なつかしい曲ばかりです。「いちご白書をもう一度」「見上げてごらん夜の星を」「わかってください」「恋(松山千春)」「おゆき(内藤国雄)」
 
 落語家の『勉強会』というものがどういうものかわからないのですが、お客さんたちの前で落語を発表する会のようです。
 立川談志さんから、前座(立川談春さんと立川志らくさん)の勉強会は認めないと言われます。
 勉強会というものは、二つ目になってからでないとやれないそうです。
 発表する場が無ければ、けいこにも力が入らない気がするのですが、上下関係のしきたりがあるのでしょう。
 176ページの夜中のウンコの話には笑いました。おもしろい。

『生涯一度の寿限無と五万円の大勝負』
 エッセイにある冒頭の文章です。『17(才)で入門した春に、目標をひとつだけ決めた。22才までに二ツ目になる』(格付けとして「見習い」→「前座」→「二ツ目」→「真打(しんうち)」)
 思うに、落語家になるということは、大学受験に合格するよりもむずかしい。
 著者は、高校を中退して立川談志一門に入門しています。中学卒で入門する人もいるでしょう。
 「二ツ目」になるためには、とりあえず、落語を五十席(せき。作品数)覚えて、じょうずにしゃべることができるようにならねばならないそうです。
 あの長い話を暗記して五十もしゃべることができるということに驚くのですが、本物の落語家は、20年ぐらいかけて、150から200ぐらいの話ができるようになるそうです。
 とてもまねできません。その道の天才、秀才です。
 職人仕事は、学歴を排除します。
 いい言葉として『目標は誓いに変わった』
 入門しても辞めていく人の数は多い。

 さらにいい言葉として『唄や踊りが嫌いだという奴に伝統芸能をやる資格はない』

 お金がない著者のギャンブルの話がありますが、人生というものは、プラスマイナス0(ゼロ)でよしという気分になれます。強欲になってはいけません。

 著者の記憶力がすごい。文章作成能力もすごい。
 226ページ付近の記述には、感嘆しました。(すばらしさに感心しました)

 根田(ねた)として『包丁』(作品名)
 自分が、ずいぶん前に買った落語の本『決定版 はじめての落語101 講談社』というのを今、本棚から出して見ているのですが、この本にはありません。残念。

 人生には「お祭り」が必要です。
 毎日どんちゃん騒ぎをするのではなく、たまにお祭り騒ぎをして、思い出をつくるのです。

『揺らぐ談志と弟子の罪 立川流後輩達に告ぐ』
 『修業とは、矛盾に耐えることです(矛盾:つじつまがあわないこと。理屈にあわないこと)』『修業はつらいよ、上の者が白いと云えば(いえば)黒いもんでも白いんだよ……』
 弟子もたいへんですが、師匠もたいへんです。
 落語界の組織のことが書いてあります。『〇〇一門(いちもん)」と書いてあります。相撲部屋に似ていると理解しました。『〇〇部屋』です。日本伝統の社会です。

 落語の格付けアップの試験は、落とすための試験ではない。能力が基準に達していればだれでも昇格できる。
 実力がないのに、受験を繰り返す人に悩まされている。どうにもこうにも力がないのに、挑戦を繰り返している。あきらめてほしいのに、あきらめてくれない。もはや、病気のようです。落語が、素人(しろうと。未経験者)以下の技術のお弟子さんもいるそうです。

 『立川談志(イエモト)は、(たぶん情(じょう)があつく、気持ちが)揺らぐ人だった』

 エッセイの最後のほうは、立川談志師匠の病死が近づいているというような含みをもった文章でした。

『誰も知らない小さんと談志 -小さん、米朝、ふたりの人間国宝』
 なかなか思いお話でした。
 組織の役職者は、組織を背負って話をします。役付きの立場で話をします。
 自分の本音ではしゃべりません。与えられた役割をロボットのようになって実行します。
 自分の本音と組織の目標とか対応が一致しないとか、反対であるということは、よくあります。組織と自分を守るために耐えるしかありません。
 立川談志さんが、落語協会の真打の選考のあり方に反発して、同協会を脱会した。(自分の弟子を、自信をもって送り出したら落とされた(年功序列とかあるようです))
 当時の落語協会会長が、立川談志さんの師匠である柳家小さん師匠です。柳家小さん師匠は、落語協会の会長の立場があるので、弟子である立川談志さんを破門しました。(はもん:師弟の関係を絶って一門から追放する)
 立川談志師匠の弟子である立川談春さんは、真打(しんうち。落語家の高位の格付け)になるにあたって、互いに対立した、そして今も対立しているらしき、立川談志師匠と柳家小さん師匠というおふたりの協力が必要です。
 時は流れて、おふたりともお年寄りになられています。おふたりの本音は和解です。(世間に公表しなくてもいい和解です)
 
 富久の久蔵(とみきゅうのきゅうぞう):「富久(とみ)」が古典落語の演目。久蔵は登場人物。

 著者の立川談春さんは、さだまさしさんとのんで、アドバイスをもらっています。
 『……談春にしかできないことは、きっとあるんだ……』

 包丁:古典落語の演目。

 1997年(平成9年)真打昇進した著者立川談春は31歳。立川談志61歳。柳家小さん82歳。落語協会の脱会騒ぎ1983年(昭和58年)

(この本の成り立ちとして)
 2005年(平成17年)から、扶桑社の文芸季刊誌「en-taxi(エンタクシー)」に、あしかけ三年間連載した。
 著者39歳ころの執筆。
 2008年(平成20年)単行本発行。
 2015年(平成27年)文庫発行  

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2022年05月06日

つくしちゃんとおねえちゃん いとうみく

つくしちゃんとおねえちゃん いとうみく・作 丹地陽子・絵 福音館書店

 おはなしが5つあります。
 全体をざーっとめくりました。
 絵本のようです。絵がいっぱいかいてあります。
 植物の『つくし』は最近みかけなくなりました。成長すると『スギナ』になると思っていましたがどうも違うようです。同じ植物で、最初につくしが出て、つくしが枯れると、スギナが顔を出すそうです。
 つくしは、朝の散歩道でさがせばあるのでしょうが、なかなか目につきません。老眼で、手元にあっても見えないことが多くなりました。記憶力とか認知力の低下があって、目の前に探しているものがあっても認識できない時があって、自分で自分にがっかりします。
 この絵本の「つくし」というのは、女の子のお名前で、たぶん、小さいお子さんなのでしょう。

 さて、読み始めます。

「いばりんぼう」
 文章と絵に、こどもの世界があります。
 自分がこどもだったときの世界が、本の中にあります。
 あまやどりのお話です。
 自分が小学校一年生のときに、母親が弟を連れて、傘をもって、小学校まで来てくれたことを思い出しました。
 登場するのは、おねえちゃん(4年生。10歳ぐらい)、お話をしてくれるのは、2年生(8歳ぐらい)の女の子です。
 おねえちゃんは、頭が良くて、本読みができて、ピアノの演奏ができるそうです。たいしたものです。おねえちゃんは、おこりっぽくて、いばりんぼうだから、プライドが高いのでしょう。(自尊心(じそんしん)。自分を大切にする心もち。人からばかにされたくないという気持ちが強い)
 おねちゃんは、右足に障害があるようです。少し右足をひきずって歩きます。早歩きや走ることはできないそうです。
 おねえちゃんのお名前が『かえで』であることがわかります。
 ほかに、いとこで6年生の『まーくん』とか、同じクラスで、つくしの隣の席に座っている『みつき』の名前が出てきます。主人公の名前は『つくし』です。

 つくしは、おねえちゃんのかえでに『ちび』といわれることがきらいです。
 家によって兄弟姉妹の関係をどう扱うかという違いがあります。上下関係か、同等かです。
 兄弟姉妹とかがいると、上をおにいさんとか、おねえさんと呼ばせる親と、ふたつの人格を同等とか公平にとらえて、お互いに名前とか愛称で呼ばせる親がいます。
 上下関係があるパターンとないパターンがあります。
 体格差があるので、小さいうちは、なにかと上のほうが有利ですが、やがて、同じになるか、体格で、下が上をぬくこともあります。
 究極をいうと、(きゅうきょく。とどのつまり、最終的には)、兄弟姉妹というものは、昔からライバル(敵)でもあります。成長するにつれてだんだん差が生まれてきます。なかなかむずかしい関係が生じたりもします。
 
「あと五分(ごふん)」
 朝の小学校への登校です。
 つくし姉妹は、いっしょに小学校へ行くようですが、右足が悪くてゆっくり歩く姉のほうが、先に家を出ます。
 つくしは、朝起きるの遅いので、家を出発する時刻も姉より遅くなってしまうのです。
 あわてておねえちゃんを追いかけるつくしです。
 読んでいて思ったことです。
 通学路には危険があるから、ゆっくりでいいよ。
 けがをしないように、交通事故にあわないように、小学生で一番大事なことは、生きていることです。死んだらだめです。ちこくしてもいいから、ぶじに学校まできてください。
 トラブル発生です。登校途中で、けしごむを落として見失ったつくしです。
 めげなくていい。けしごむぐらい、おじいさんが、また買ってあげるよ。

 兄弟姉妹の上の世代は、先駆者(せんくしゃ。知らない世界を切り開いていく人)です。
 下の子は、上の子の体験を知って、自分が上と同じことをするときには楽ができます。

 つくしは、おこられることをとても心配していますが、心配しなくていいんだよ。
 人から怒られたってかまわない。
 親も教師も、こどもが生きていてくれればいいと思っています。
 
「ドッジボール」
 絵がいっぱいあるので、絵本を読むような気分で読み続けています。
 物語には、つくしさんに、心のやさしい人になりなさいよというメッセージがふくまれています。
 おねえちゃんのように、がんばっている人を応援してくださいというメッセージもあります。
 右足が悪い人でもパラリンピックをめざすという道もあります。
 運動をできないとか、運動をしてはいけないとか、そういうことはありません。
 
 子育ての極意(ごくい。大事なこと。いい秘訣(ひけつ)、コツ、良きやり方)は『ほめる』ことです。
 ほめられると、うれしくなって、さらに努力します。
 けなすと、元気がなくなって、やる気も失ってしまいます。
 少しでもいいなと思うところがあったら、ほめましょう。

 れんしゅうしてもうまくなれないこともあります。
 がっかりします。
 自分には、これは向いていないなとわりきって、また別のことをやってみましょう。

「なみだ」
 フェルト:布(ぬの)、ヒツジやラクダなどの動物の毛が材料。化学繊維(かがくせんい)もあり。

 おねえちゃんのかえでは、ともだちの誕生日のプレゼントとして、手芸をしています。ネコのマスコットをつくっています。
 でも誕生日会から帰ってきたかえでは泣いています。自分がつくったプレゼントとみんなが持ちよったプレゼントを比較して、自分がつくったネコのマスコットは貧そう(ひんそう)だったようです。(ひんそう。びんぼうくさくて、みすぼらしい。みっともない)
 かえでは、とっても負けずぎらいで、プライドが高い。みじめな思いはしたくない。自分がハンデキャップを背負っていることで同情されたくない。ハンデキャップ:不利な条件。

 『比較』はむずかしい。喜ぶ人と悲しむ人が同時に現れる現象です。勝負に勝って喜ぶ人がいれば、勝負に負けて泣く人がいます。勝ったり負けたりが『勝負』です。同じ人でも勝つときもあれば負ける時もあります。全戦全勝とはいきません。

「ごめんなさい」
 町内のおまつりがあるそうです。
 かえでは、友だちと行くので、つくしをおいてきぼりにします。
 まあ、小学二年生なら、ひとりでおまつりにいけないこともないような気がします。
 お母さんも非協力的です。
 思えば、かんじんなときに、こどものそばにいてくれない親っています。
 親をあてにしないほうがいい。
 自分のことは自分でやったほうがいい。
 自分の力でやれると、自信がつきます。

 それでも最後は、かえでがつくしを助けてくれました。
 なにか、この物語の下地になる体験話があるのでしょう。

 最後の見開き2ページがおもしろかった。
 『おねえちゃんのばか』です。
 兄弟姉妹はぶつかったり離れたりしながらおとなになって、おとなになったら、たまにしか会わなくなったりもします。
 新しい相方(あいかた。恋人とか、夫婦とか)を見つけるのです。


(追記)
 昨夜見ていたテレビ番組『モニタリング』に、三組の兄弟姉妹が出ていました。
 弟や妹たちが、兄や姉をだますわけです。
 何も言わずにお金を貸してくれとか(かなりの大金です)、妹の誕生日のお願いとして、姉が嫌いなヘビをペットとして飼いたいとか、今、変な異性につきまとわれて困っているとか。
 ふつうなら、兄も姉も怒って、お金はなかなか貸さないし、イヤなことはイヤだと断わります。
 しかし、三組の兄も姉も、弟、妹思いの人たちで、びっくりしました。
 お金がある人たちだから、心に余裕があるのだろうとも思いました。
 あとは、プロスポーツ界、芸能界で働くということは、理屈ではなく、気持ちで働くということなのだろうと考察しました。
 兄、姉の覚悟と度胸はたいしたものでした。
 他人の友人・知人よりも血を分けた肉親との関係を重視したいということもあるのでしょう。信頼関係です。生まれてから長年、いっしょにがんばってきたのです。実績がある関係なのです。  

Posted by 熊太郎 at 07:13Comments(0)TrackBack(0)読書感想文