2025年01月09日

母と暮らせば 邦画 2015年

母と暮らせば 邦画 2015年(平成27年) 2時間10分 動画配信サービス

監督:山田洋二
俳優:吉永小百合、二宮和也、黒木華、橋爪功、加藤健一、浅野忠信、小林念侍、本田望結(ほんだ・みゆ)

 長崎原爆を扱った長崎を舞台にした映画でした。
 反戦映画です。家族の映画でもあります。

 白黒映像でスタートして、1945年8月9日午前11時2分に、長崎市上空から原子爆弾が投下されます。
 長崎市は何度か訪れたことがあります。資料館で原子爆弾の模型も見学しました。こんな程度の大きさの爆弾で、何万人もの人たちが死んで、被爆した人たちの未来の人生を変えてしまうなんて、ひどいことをする人がいるものだと恐れおののきました。そのころわたしはまだ18歳でした。

 映画は、むずかしい状況設定です。死んだはずの人が、(遺骨が見つからないのです)、この世に現れました。
 原子爆弾の爆発で、瞬間的にあの世行きになった長崎医科大学生の二宮和也さんが、亡霊になって、助産師(当時は、産婆さん(さんばさん)と呼んだと思います)おかあさんの吉永小百合さんの元へ戻ってきます。
 そういえば、わたしたちきょうだいは、産婆さんの手によって、自宅で生まれました。わたしは、きょうだいが家で生まれたときのようすの記憶が少しですが脳みそに残っています。
 
 理屈っぽい言葉のやりとりが続きます。
 反戦のメッセージです。
 父は結核で死んだ。(吉永小百合さんのだんなさんです)
 兄はビルマで戦死した。
 ぼくは、原爆で死んだ。
 状況説明のセリフが続きます。終戦時から三年間ぐらいの昔話です。

 九州弁の質がとてもいい。
 わたしも九州で数年間暮らしたことがあるので、映画で流れる九州弁が自然な響きであるので、ずいぶん感心しました。
 『奥さんおらす?(奥さんはおられますか?)』(「おらす」という方言を、何十年ぶりかで耳にしました。びっくりしました)

 ちょっと変な立ち位置ですが、死んだ者から見た、『レクイエム(鎮魂曲(ちんこんきょく)。亡くなった人を悼む。死者の霊をなぐさめる)』です。
 
 言葉数が多い。舞台劇を観ているようです
 静かに淡々と人生を思う映画です。
 つくった話だから、現実とは違うものがあります。
 復員局で、父親の戦死を確認した小学二年生の女の子がいます。おとながつくった小学二年生像です。わたしが、小学二年生のときは、もっとぼんやりしていました。映画のようにはやれません。

 幻想(幻視)の世界があります。
 人の命を虫けらのように殺してしまう暴君(ぼうくん。独裁者、権力者)がいます。

 美談です。
 戦後法律を守ってヤミ米を買わずに餓死した裁判官の話が出ます。去年前半の朝ドラ、『虎に翼』でも紹介されていました。がんちゃんが演じていました。(岩田剛典さん(いわたたかのりさん))。そのドラマでも、原爆被害者に関する裁判が扱われていました。

 黒木華(くろき・はる)さんが、吉永小百合さんを抱きしめたシーンが良かった。
 吉永さんのセリフです。
 『幸せにならんばよ(幸せになりなさい)』(九州弁の響きが温かい)

 『(カップルの写真を(亡くなった二宮さんが写っている))引き出しに、なおしとくね(写真を引き出しにしまっておくね)』(なおす→しまうとか、片付けるとか)

 この世では、いつまでも過去を引きずる生き方をする人と、過去を変えることはできないからと、あきらめる人がいます。
 人それぞれで、どちらかの生き方を選んで、人は自分の人生を送ります。

 宗教的でもある映画でした。
 神さま……
 どうして人は、爆弾の犠牲にならなければならないのですかと問う人がいます。

 人はだれしも、『死』を迎えるときが来る。
 観念的な映画でした。観念的:抽象的、現実的ではない。
 最後は、さわやかに終わりました。