2022年06月15日

建築家になりたい君へ 隈研吾(くま・けんご)

建築家になりたい君へ 隈研吾(くま・けんご) 河出書房新社(かわでしょぼうしんしゃ)

 2021年5月放送分『出川哲朗の充電バイクの旅 今年も新緑の高知横断! 進め龍馬歴史街道スペシャル』の番組で、隈研吾さんが設計した『雲の上の図書館』の映像を見たことがあります。
 樹木とか森を基調にした建物です。(高知県梼原町(ゆすはらちょう))
 著者の作品として、東京にあるオリンピックの新国立競技場があります。(オリンピックスタジアム)

 タイトル『建築家になりたい君へ』を見て、いろいろ考えたことがあります。
 建築家の話ではありませんが、以前自分は、高層ビルの大きな病院で、入退院手術を繰り返したことがあります。
 『雇用』という面での考察です。
 入院していて気づいたのですが、ビルの点検管理会社の社員が、チームをつくって、毎日、ビルのどこかを点検する作業をしていました。メンテナンスです。(手入れ。維持、管理、保守、保全、修理、点検)
 高層ビルなので、毎日少しずつ場所を変えながら少人数のグループをつくって作業をするわけです。1年365日管理が必要です。各フロアー(階)を順番に回ります。
 いい仕事だなと思ったのです。安定しています。ビルが建っている限り、仕事がなくなることはありません。
 学歴の話になるのですが、たとえば、高校を卒業して、大企業や公共団体のような大きな組織に就職して「世のため、人のため」と思いながら、地味な仕事で、コツコツ働いて、さらに、職場結婚をして、夫婦で子育てをしながらずっと働いて、なんなら、こどもさんも同じような関連組織で働いて、大金持ちにはなれないかもしれませんが、一族で仲良く地道に暮らしていく。
 目立つことはないかもしれませんが、収入面で、人生の勝ち組になれるひとつのパターンがあります。有名大学を卒業する必要はありません。

 就職で実績のある工業高校を卒業すると、製造業を中心にして、大企業部門からの就職のお誘いがありそうです。
 昔、日本でバブル経済が崩壊した時に、つぶれる会社の人材を受け入れてもらうための転職活動があったわけですが、兵隊(平社員)はいるけれど、課長(管理職)はいらないという受け手側からの通告があった記憶です。組織にとっては、最前線で働く兵隊は必ず必要なのです。
 思うに、生涯賃金の多い少ないは、基本的には、雇用期間次第です。たいていは、人生を通じて、無職だった期間が少ない人が、生涯賃金の合計額が多くなります。

 建築家の場合はどうなのかは、わかりません。これからこの本を読んでみますが、建築家は、アーチスト(芸術家)と通じる部分もあるような印象があります。建築家で食べていくためには、万人に好かれる『個性』が求められそうです。(このあとに読んだ「はじめに」の部分に著者の思いが書いてありました。建築家は、一風変わった人に見られがちですが違いますというものでした。建築家は「神様」でも「変人」でもない。いい建築家であるためには、普通の人の普通の生活を広く知っていなければならない。普通人イコール建築家です。過去には奇抜な人が建築家でいたこともありますが、現在はチームで動いて構造物という作品を仕上げるから、普通の人格をもっていることが求められますというように受け止めました。普通の人が普通に使って、快適な建物を作品としてつくるのです。共感しました)

 まず、全体を把握するために、1ページずつ最後まで全部めくってみました。
 第3章にアフリカ旅行のことがあるそうです。
 若い時は、外へ冒険したほうがいい。
 『学歴』よりも『経験』です。ペーパーテストの高得点よりも、企業が欲しいのは、日常生活を送るための生活能力です。ある程度、読み書き計算、パソコン操作、英会話ができればいい。車の運転ができて、地理に明るくて、ちゃんと乗車券類の買い方を知っているほうが役立ちます。
 ずばぬけて高い能力はいりません。男でも女でも家事(炊事、洗濯、料理、片付け、買い物、家計の管理など)ができて、ほどほどに他人、とくにお年寄りと雑談ができて、総合力で、中の上くらいならそれでいい。
 加えて、強い意思と順応力がいります。組織にも顧客にも変な人はいます。パワハラやセクハラをする人、いじめが好きな人や、いやなクレーマーもいます。
 お金を稼いで自活していくためには、イヤなことを乗り越えていくんだというガッツがいります。困難を乗り越えていく能力をつけるためにお金の自己投資も必要です。ケチに徹して、使わないお金をためこんでも心身の病気になったらがっかりです。
 使わない貯金は、お金がないのといっしょです。すっからかんになってはいけませんが、自分なりに、自分は貯金がこれぐらいあれば大丈夫だというラインの目安をもったほうがいい。
 自分が生き続けていくために、ストレス解消や能力開発のための自己投資は必要です。

 この本は、著者がご自分で書かれたのだろうか。聞き取りをしてライターが書いたのだろうか。編集者が付いて仕上げたのだろうか。いろいろ考えるこれからこの本を読む前の今です。(このあと36ページまで読んで、ご本人がご自身で書いている文章であると確信しました)

 124ページの白黒写真を見てびっくりしました。
 旧帝国ホテルの玄関先が映っています。
 今年4月に愛知県の犬山市にある明治村で、帝国ホテルの玄関を見学しました。東京から同村に移築されています。渋沢栄一氏が建設発起人のうちのひとりとしてからんでいます。

 219ページ『おわりに』で、コロナ禍(か。災難)についてふれてあります。

(つづく)

〇登場する建物として
 東京にある代々木競技場(丹下健三設計):1964年(昭和39年)に小学4年生の著者がこの構造物を見て、将来、建築家になることを決めたそうです。
 伊豆の風呂小屋:依頼があっての初めての建築作品
 竹の家:中国での初めての建築作品
 国立競技場:2020東京オリンピックでの著者の建築設計作品
  
 自分との類似体験があります。
 1964年以前の日本のこどもたちは、自然に囲まれた野山や田畑の中で遊んでいました。
 たいていの家は、祖先をたどると農家でした。
 そのころの生活体験が、著者の場合は、将来の作品につながっています。
 ぼろい家に住んでいたからこそ、国立代々木競技場を見て感動が生まれ、夢をもつことにつながっています。
 著者の場合、著者よりも45歳も年上の父親の教育が、将来自活できる人間になるための良い子育てにつながっています。
 父親は、デザインや建築が大好きだった。著者の建築家になりたいという夢に父親は反対しなかった。父親からのアドバイスとして『建築の実物をたくさん見ろ』
 たくさん見るとか、たくさんやるということは、なにをやるにしても必要なことです。以前読んだ天才に関する本には、とにかく大量の作品をつくる。そのなかのいくつかが高く評価されているとありました。天才は駄作の数も多いのです。
 もうひとつが『設計会議(親子会議、家族会議)』をするという父親の教えがあります。チームで活動するときは、毎日打合せが必要です。毎朝、その日一日の行動プランを確認する。検討事項が生まれたら、随時その場で打ち合わせをする。いい仕事を仕上げるためには必要なことです。
 
 心に響いた文章などです。
 『宗教建築は太古の昔から、高さで人々を圧倒するというワザを多用してきた……』
 『(僕は逆に)2020年の東京オリンピックのスタジアムは、低さをテーマにするべきだと考えました……』
 『建築以外のことにも興味をもつ。映画、音楽、スポーツ、グルメ……(ことにシェフはセンスがいい)』

(つづく)
 
 服装の話があります。建築家としての存在をアピールするための服装をする。
 それから、海外に行く仕事が多い。移動のことを考えて、荷物をできるだけ少なくしたい。荷物を減らすために服装について熟考(じゅっこう)する。
 基本的には、Tシャツにしたそうです。Tシャツの上にジャケットをはおる。ショルダーバッグひとつで海外旅行をする。大きなトランクはアウト(だめ)
 『所有を求めない人生は、とても気楽です』とあります。
 本を読んでいるわたし自身は、旅行に行く時、荷物が多いです。万が一に備えてたくさんもっていきます。家族には笑われます。少しでも隈研吾先生を見習いたい。

 『まちづくり』という言葉があります。
 どういうわけか、若い人は『まちづくりの仕事』という言葉にあこがれをもちます。
 まちづくりの仕事は、そんなふうに思うほど、きれいな仕事ではありません。
 誤解と錯覚があります。
 困難な人間関係の調整があります。
 地元民は、変化を嫌います。
 開発の仕事には、お金とか利権がからみます。どろどろとしたものがあります。
 立ち退き(たちのき)は反対だし、ビル建設にも反対です。
 若い人は、事象にある事実を正確に把握して、イメージで誤解しないようにして、仕事の中身について、しっかり考えたほうがいい。
 考えが浅いと『こんなはずじゃなかった』という失敗につながります。
 45ページにいい言葉があります。『どんなに厳しいクライアント(顧客)も父よりはましに思えます』基本的に、クライアントは厳しいのです。

 中学・高校をカトリック系の学校ですごされたので、宗教の影響を受けておられます。
 神さまについて考える。
 戦争体験者の神父さんです。
 邦画『ビルマの竪琴(たてごと)』を、この本を読んでいて思い出します。
 『水島! 日本へ帰ろう!』です。水島上等兵は日本へ帰ることを拒みました。(こばみました)ビルマ(その後、ミヤンマー)で戦争の犠牲になった人たちを悼む(いたむ。死を悲しむ)ことを決心したからです。
 
 『人間は原罪を背負っている』これが、キーワードです。人間には『悪』の部分があるのです。建築をしていくうえで、住民に迷惑をかけるから、反対運動が起きたり、自然を破壊したりするという『悪』があるのです。
 本では、罪人であるから、できるだけ明るく、楽しく、まわりの人を幸せにしなければならないと強調されています。

 ネパールのポカラ:ヒマラヤ山脈が見える山間部の街。人口42万6000人ぐらい。

 建築のマイナス面について語られています。
 建築をつくることは『罪』なのです。
 日が当たらなくなる。美しい景色がだいなしになる。気温が上昇する。ビル風が吹く。建築資材の原材料が二酸化炭素を増加させる。なんだか、いいところがありません。
 マイナスもあるけれど、プラスもあって、プラスの面のほうが多いと考える。
 ものごとには、必ず、二面性があります。いいところもあれば、そうでないところがあります。100%完璧ということは、たいてい、ありません。いつも、どこのラインで、線引きをするかで、人は悩みます。わたしは、60%でよしとしています。人生は、60点で、十分生きていけます。

 この本は、学ぶべきところがある本です。
 まだ、55ページ付近をうろうろしながら読んでいますが、今年読んで良かった本です。
 同じ時代を生きてきた年配者のふりかえりがあります。共感する点が多い。
 これで良かったと、これまでの自分の考えを追認できる本です。

 1970年の大阪万博における派手な建築物を否定されています。
 『勝つ建築』の時代は、大阪万博のときがピークで、大阪万博のときに終わったのです。
 『勝つ建築』は、力尽きたのです。万博のテーマ『人類の進歩と調和』は苦しいテーマ設定だと解説があります。進歩と調和の同時達成は、無理なのです。
 著者は『負ける建築』を目指します。

 メタボリズム:自然界にいる生き物との共生

 『勝つ建築』に対する失望を正直に書いてあるので、びっくりしました。率直な本です。

 アフリカのサバンナ地方に関する記述が出て来て、実際に現地を訪問して、集落を回りながら住民から聞き取り調査をされています。家の中にも入って、たくさんの家の調査をされています。
 すごい。ある意味『命がけ』です。命の危険がありそうですが、もしかしたら運が良かったのかもしれません。人間が成功するためには、運の良さが必要です。
 1977年(昭和52年)に日本を出発されています。

 フランスの詩人アルチュール・ランボー:1854年-1891年。37歳没。15歳で詩を書き始め、20歳で詩作をやめた。アフリカに渡り、商人として砂漠を旅した。フランスマルセイユの病院で癌により病死した。
 あこがれる人、目標とする人の存在があります。

 考え方として『20世紀における資本主義では、巨大で豪華な建物を建てることで建設業界は潤っていた。政治もそこにからんでいた。当時の学生たちは、そこに異議申し立てをした。』と読み取りました。建築の世界にも社会問題があるのです。
 大量生産、大量廃棄への反発もあります。そのとき地上にいる世代が幸せな思いができればいいというような考えが、その時代の人たちにあったように思えるのです。
 あとの時代を生きる子孫のことも気にかけてほしい。

 産業革命に反対した人たちがいます。
 衛生面で公害の発生とかがあります。
 日本人は、狭い畳部屋で、家族全員が、食事をして、ふとんを敷いて寝たり、起きてふとんをたたんで押し入れにしまったり、折り畳み式のちゃぶ台(小さな食事用座卓)を利用して食事をしたり、やぐらこたつの上で勉強をしたり、ゲームをして余暇を過ごしたりするという狭い場所を最大限に活用するというコンパクトな生活をしていた。みんなで同時に同じことをする共同生活をしていた。
 生活様式に変化が生まれて、家屋の間取りにおいては、日本では、なんとか(部屋数)LDK(リビング、ダイニング・キッチン)パターンという間取りの構造になってから、家族でいっしょにという共同行動がくずれて、個別化の生活になった。家庭内別居とか、引きこもりが可能になった。個食という言葉も生まれた。(個食:家族そろって食事をしない)
 <本を読んでいて、思考の方法に、教えがあります>
 こどもは、個室で鶏舎のニワトリのように、問題集を与えられて、テストの点取り虫になった。
 こどもから自然とのふれあいがなくなった。祖父母との交流も少なくなった。親戚づきあいも薄くなった。こどもは、資本主義の組織で働くためのアンドロイドロボット的なものになった。こどもは、いざ、社会に出ると、人づきあいができない人間になった。脳みその中は、いつまでもこどものままで、おとなになれない人間ができあがった。というところまで、部屋の間取りから始まった考察が至ります。

 フレキシビリティ:変化に対する柔軟性、融通性。増築、改修、間取りの変化がやりやすい。

 80ページに写真がある『赤レンガの東京駅』が2012年(平成24年)に復元されたものだとは知りませんでした。昔からあるものをリフォームしたものだと思っていました。空襲で三階部分が失われていたそうです。

 アーツ・アンド・クラフツ運動:粗悪な大量生産を批判し、職人の手仕事に立ち戻ることを主張したデザイン運動とあります。うーむ。ロボット化される手法を昔の職人手仕事作業に戻そうということだろうか。未来のために昔のやり方を進めていくのです。

 建築家関係の人たちのようすを読んでいると、いわゆる『オタク(ファン、マニア)』で、その道にはずばぬけて詳しいけれど、人間関係の付き合いとか、日常の雑談、交渉時の説明は、にがてな人がほとんどという印象をもちました。学者タイプの人が多そうです。研究者です。

 求められているのは『与えられた問題を解く能力』ではなく『問題をつくる立場での能力』であることがわかります。

 建築は『長い仕事』であるとあります。設計1年、工事2年、たいてい3年かかる。一時的な物の売り買いとは異なります。だから、メンバーとは、楽しくやっていきたいそうです。

 均質空間論:人間の多様性、尊厳を否定して、人間を均質なオフィスに閉じ込める20世紀のシステムとあります。
 自分も『人間の標準化』という感想をもっています。教育においては、同じ言動をするロボットのような人間を大量生産したいのです。むかしの兵隊養成所を思い浮かべます。さからうと鉄拳制裁(暴力で言うことをきかせる)があるのです。
 
 説得するときは『相手の身になって考え、相手の立場を尊重しながら話す』とあります。
 いつだったか、旅先の駅前で、スマホに向かって怒鳴っている男性がいました。『それは、あなたの考えであって、わたしの考えではない。上司を出しなさい!』とわめいていました。相手の言うことを理解しようとしなければ、どこまでも平行線です。戦争になります。

 104ページまできました。
 著者は、今度は、アメリカ合衆国で学びます。
 設計の仕事:基本設計-実施設計-現場管理という分類があるそうです。
 
 1945年(昭和20年)-1985年(昭和60年)見た目のきれいさ、豪華さ優先の建築。世界の経済が、ヨーロッパからアメリカ合衆国に移った。アメリカ合衆国の時代がやってきたです。
 著者は、コロンビア大学で学ばれています。ニューヨークに大学本部があります。
 アメリカ合衆国の大学では、仲良しごっこの慣れあいの雰囲気はなかったと読み取れる文章です。先生同士は、建築に関する考え方の違いから仲が悪い。日本とは違う。
 読んでいると、日本の大学で学ぶべきことがあるのだろうかというところまで考えが及びます。
 日本の企業や組織は、中味よりも、派閥とか、出身地、知人・友人・親族などの縁故関係で利益を共有するイメージがあります。(このあたりについては、195ページあたりに、時代の変化で、濃厚な師弟関係は消える傾向にあると記述があります。手配師のようなボスの存在が必要なくなって、当事者同士の交渉がネット社会で実現されたことが理由です)
 建築の住民説明会は、日本では、行政の担当やクライアント(建築会社)の社員が行う。ヨーロッパやアメリカ合衆国では、建築家が話すことを求められることが多いそうです。

 コネティカット:フィリップ・ジョンソン(アメリカ合衆国の神様のような建築家)の自宅があったところ。著者がインタビューで訪れています。アメリカ合衆国の北東部にある州。

 岡倉天心(おかくら・てんしん):1863年(江戸時代)-1913年(大正2年)50歳没。思想家。美術評論家。出版として『茶の本』

 モダニズム:新しい感覚・流行を好む。
 ポストモダニズム建築:合理的、機能性優先に反対するデザインの建築

 学ぶことで知る。
 著者は、アメリカ合衆国に行って初めて、日本の伝統建築に感心をもち始めます。

 127ページに浮世絵のことが出てきます。先日読んだ読書感想文コンクール課題図書の『江戸のジャーナリスト 葛飾北斎(かつしか・ほくさい) 千野境子(ちの・けいこ) 国土社』を思い出しました。

 アメリカ合衆国で手に入れた畳2枚のことが書いてあります。
 『美』は、大量でなくても完成できることがわかります。

 1986年(昭和61年)に著者は自分の設計事務所を立ち上げたそうです。
 バブル経済だったころの記憶です。バブル経済は、1991年(平成3年)ころに破たんしました。
 中古マンションがものすごい勢いで値上がりして、賃貸マンション暮らしをしていたわたしたち夫婦は、もう一生自分の家は買えないとあきらめたことがありました。
 されど、その後、地価は暴落しました。モノの値段というものは、株式と同じで、上がれば下がるし、下がれば上がるものだと悟りました。あきらめることはないのです。コツコツ地道に長く続ければ、きっといいことがあるのです。

 1980年代後半に、コンクリートの打ちっぱなしがいいとされた時代がありました。
 本では、一時的なブームだったとされています。

 著者は本のなかでときおり『信頼関係』に触れて、信頼関係が大事だと強調されています。建築主(施主)と建築設計士との間の信頼関係です。
 建築設計者は、案外、建築主の言うことを聞かないというようなことが書いてあります。
 なるほどと思いました。
 自分は、15年ぐらい前に、当時住んでいたマンションの近くにあった雑木林が宅地造成されて、住宅建築用の土地が売り出されたときに、そのうちの一画にある土地を買って、いわゆる注文住宅を建てました。
 文房具店で売っている青い線の細かい枠があるグラフ用紙に鉛筆で、住宅会社が示してくれた参考例を参考にしながら、自分なりにこういう間取りがいいなと図面を描きました。
 その後、住宅会社の建築設計士と相談を重ねながら家を建てたのですが、建築設計士がこちらの意向をきいてくれないことがいくつかありました。
 お金を出すのはこちらのほうだから、すべてこちらの言うことを聞いてくれるものだと思っていたのでびっくりしました。
 ただ、どうしても自分の意向を主張しなければならないような内容ではなかったので、設計士の思うデザインで家が建ちました。
 できあがった家について、とくに不満はありませんが、交渉経過が不思議でした。
 今回この本を読んで、建築設計士の建築物に託す思いが理解できました。
 建築家にとって建物は『芸術作品』なのです。

 エキセントリック:ふつうじゃない。個性的。

 第6章 予算ゼロの建築「石の美術館」という項目まできました。
 ドラマ『北の国から』を思い出す項目です。
 お金がなくてすってんてんになった黒板五郎(田中邦衛たなかくにえ)さんは、地面に落ちている石で家をつくることを思いつき、石の家を完成させました。(昔、観光で北海道の富良野を(ふらのを)訪れて、現地でドラマの撮影で使用された石の家を見たことがあります)

 著者と施主(建築主)が、栃木県内で、完成までに5年かけて、現実に「石の美術館」という建物を建てた経過が書いてあります。黒板五郎と理由は同じです。お金がありませんでした。
 読んでいて思ったのは、お金が無い時はないなりに、今とは違うやり方をして、新境地を開拓していくということでした。

 この文章の冒頭付近で書いた四国の梼原町(ゆすはらちょう)と著者のご縁が書いてあります。
 著者は、同町内に6つの建物を建てたそうです。
 30年間の長い付き合いです。
 『建築家は長距離走者』とたとえ話をされています。
 長距離走者は、とても孤独なものと表現されています。孤独に耐える精神力が必要だそうです。
 コツとして『その場で返事をしない(即答はしない。ひと晩考える)』

 良き言葉として『地元の人はシャイ(恥ずかしがり屋)なので、酒を飲まないと本音を聞けない』
 考え方として『お金じゃない』というときがあります。予算内におさめるためにすさまじい節約をするインドネシア人スタッフがいます。
 
 ディテール:細かな点

 1999年に縁あって、中国とつながりが生まれています。
 万里の長城のそばでのプロジェクトに参加されています。
 北京の北に位置する万里の長城は見学したことがあるので、その時のことを思い出しながら文章を読みました。
いなかでした。不思議な構造の古い公衆トイレがあった記憶が残っています。ただ、くっきりとした記憶ではなく、今となってはぼんやりしたものです。なにか、不思議な位置に小便器が設置されていた覚えです。壁と壁が合わさる角部分(かどぶぶん)だったような気がします。
 中国でのプロジェクトの完成のほうは、5か月の予定だったけれど、結局4年かかったそうです。いいものを仕上げるためには時間がかかります。作品は『竹の長城』です。

 184ページに北京にある『胡同(ふーとん)』という地区の写真があります。
 中国の昔の古い住居の集まりでした。
 自分が見学した時は、土ぼこりが空気中を舞うようなようすで、いろいろな国の外国人観光客がぶらりぶらりと散策をしておられました。

 著者の会社では、外国人スタッフが多い。
 東京事務所、パリ事務所、北京事務所、上海事務所で、スタッフは300人ぐらいです。
 いい仕事をするためには、国籍は関係ないし、男女の性別も関係ありません。
 日本人だけだと、楽しい雰囲気が生まれないそうです。お互いに陰で悪口を言いあったり、いじめがあったりが、日本におけるたいていの職場のようすです。
 
 張芸謀(チャン・イーモウ):中国人映画監督。「初恋のきた道」は以前見たことがあります。

 2020東京オリンピックのときのスタジアム建築騒ぎのことが書いてあります。当初のコンペで選ばれた案が否定されたという経過です。
 
 『老害』のような考察があります。
 日本独特なのかもしれない年功序列制度です。
 先日読んだ『赤めだか 立川談春 扶桑社文庫』を思い出しました。立川談春さんの師匠である立川談志さんが、落語協会の古いやり方に反発して反乱を起こすのです。
 日本ではやれないから世界へ飛び出すと著者は書かれています。以前ノーベル賞を受賞された日本人の方も同じことをおっしゃっていました。
 著者は、日本には、閉鎖的な村的システムがあると分析されています。
 自分が思うに、たいていの日本人には、大局観(たいきょくかん。広い全体のことを考える)はありません。自分の身の回り2.5メートルの範囲内の世界で、金勘定をしながら、損か得かの暮らしをしています。

 コスパ:費用対効果。コストとパフォーマンス(結果)

 最後にコロナ禍(か。災難)について書いてあります。
 人類に対する警告だそうです。
 ロシアとウクライナの戦争も始まってしまいました。
 自分は、社会システムや制度の急激な変化とか、思いがけないほどの巨大な自然災害を体験してきた世代としては、もしかしたら、生きているうちに日本が当事者となる戦争を体験することになるのではないだろうかという不安をもち始めています。
 コロナを節目として、従来のやり方にしばられない自由な発想を著者はアドバイスとして読者に送っておられます。

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