2012年06月11日

炭鉱に生きる(ヤマに生きる) 山本作兵衛

炭鉱に生きる(ヤマに生きる) 山本作兵衛 講談社

 舞台は福岡県の筑豊(ちくほう)です。「炭鉱あるいは炭坑」はもう遠い過去のことです。閉山時にはいちどに数百人のこどもたちが学校を去っていきました。その子どもたちは今50代以上でしょう。そして、貧乏暮らしは思い出したくないことです。当時の生活をうまく表現できる人はもういないのでしょう。
 この書画集は、明治から大正時代、今から100年ぐらい前に時代を絞って炭坑の様子を緻密に絵と文章で描きだしています。書画集の内容は重苦しい。身近に「死」があります。米騒動とか、労働条件改善のための争いがあります。地底での作業は、モグラというよりも蟻(あり)です。こどもでも8才ぐらいから労働力として扱われる。学校は満足に通えない。戦後は義務教育を終えて15才から坑道に入る。地下といっても数キロ下の地下だった。恐ろしい作業環境です。危険な作業のわりに報酬や待遇は悪い。職業差別も受ける。閉山後の生活保護受給率は高い。ただ、それらももう遠い昔のことです。
 「陸蒸気(おかじょうき、蒸気機関車。蒸気機関車もなくなりました。)」、「石炭を運ぶ川舟」、「半里(2km)」という単位、どこの家も子だくさんで、長男は戦死、そんななつかしい言葉や風俗が書画集のそこかしこに登場します。勉学が身近にないから、理屈ではなくて義理人情で物事を判断する。法令に従うのではなく、人間関係のつながりに従う。確かにあった日本の過去です。歴史であり、それが良かったとも悪かったともいえません。
 本の冒頭付近で、明治時代、炭鉱で働くのは「下罪人(げざいにん)」とあります。昭和時代は、とくに犯罪人が働いていたわけではありません。良識ある大人がたくさんいました。
 詩人金子光晴氏の寄稿があるのでびっくりしました。高校生の頃わたしがあこがれていた詩人です。
 日本人の大半は炭鉱の暮らしを知らない。知らずに炭鉱の恩恵をこうむってきたことは確かです。過去を知らずに今を生きているのが、今の日本人です。

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