2025年04月16日
観劇 『屋根の上のバイオリン弾き』
観劇 『屋根の上のバイオリン弾き』 愛知県芸術劇場(名古屋栄にあります)
原題:Fiddler on the Roof (Fiddlerは、ラテン語でバイオリン弾きです)
ラテン語:イタリア半島中西部で生まれた言語で古代ローマの拡大とともにヨーロッパに広まった。西ローマ帝国が476年滅亡。東ローマ帝国が1453年滅亡
台本:ジョセフ・スタイン 時代は1905年(日本では明治38年。日露戦争で日本が勝利したときです) 劇中の場所は、『アナテフカ』というところで、観劇していて、現在のウクライナのどこかに思えました。
俳優:
テヴィエ(市村正親 いちむら・まさちか。5人娘のおやじさん。帝政ロシア領に住むユダヤ人で牛乳屋を営んでいる)
ゴールデ(鳳蘭 おおとり・らん。テヴィエの妻)
ツァイテル(長女 美弥るりか みや・るりか)
モーテル・カムゾイル(ツァイテルの彼氏 上口耕平 うえぐち・こうへい)
ホーデル(次女 唯ふうか ゆづき・ふうか)
パーチック(ホーデルの彼氏 内藤大希 ないとう・たいき)
チャヴァ(三女 大森未来衣 おおもり・みらい)
フョートカ(三女の彼氏 神田恭平 かんだ・きょうへい)
さらに、四女シュプリンツェ(宮島里奈)、五女ビルケ(東菊乃)がいますが、外見が高校生か中学生ぐらいの女優さんに見えました。劇中、当人たちの恋愛話はありませんでした。
ラザール・ウォルフ(肉屋。お金持ち。今井清隆)
屋根の上のバイオリン弾きの意味:冒頭付近でテヴィエ(市村正親さん)から説明があります。屋根の上で不安定な体勢でバイオリンを弾くことと、ユダヤ人の不安定な暮らしぶりを重ねてあります。
バイオリン弾き役の俳優さんは、劇中、たいてい、屋根の上でバイオリンを弾いていますが、劇中の会話には入ってきません。観ていて、バイオリン弾きは、『妖精』のようなものだと感じました。
現在の社会情勢として、ウクライナとロシアが戦争状態で、イスラエルのユダヤ人がパレスチナガザ地区のパレスチナ人を攻撃していて、劇中の会話の中に、現在のウクライナの首都、『キーウ』という地名も出てきて、観るほうはちょっと複雑な気持ちになります。
されど、意識を変えてみると、わたしたち世代のもうひとつ上の日本人世代と似通った(にかよった)状況があることに気づきます。物語の素材は、結婚の話です。
劇中では、長女、次女、三女の結婚話で、すったもんだの大騒ぎがあるのですが、わたしの親や叔父・伯母の世代が体験した結婚話の状態と内容が同じです。
今でこそ、結婚は両性の合意で成立しますが、昔は、個人+個人ではなく、家+家でした。見合い結婚が多かった。跡取り目的で、養子の話も多かった。
異性である相手のことを良く知らないまま、親が決めた相手と結婚していました。そして、どちらかといえば、女性のほうが、離婚はなるべくしないようがまんしていました。
結婚においては、まずは、収入を得て、生活していくことが第一目標でした。そんな時代がありました。基本は男尊女卑の社会が、当時の秩序でした。
こちらの劇中では、娘たちの結婚相手を親たちが段取りするのですが、娘たちは親たちの意向に従わないので、娘たちの結婚をめぐって、すったもんだの争いが起きます。親たちが決めたお金目当ての結婚相手などを、娘たちは拒否するのです。
娘たちの父親である主役のテヴィエは、最初、頑固者(がんこもの)に見えるのですが、娘たちから強く主張されるとたいてい引き下がるのです。テヴィエはいい人です。
とくに今回の観劇に関する写真はありません。
思い出すままに、感想をぽつりぽつりとこれからここに落としてみます。
あらすじを知らないまま観劇しました。
一家の苦労話だろうと予想しながら観始めました。
舞台装置がとてもきれいです。美しい。
ステージに登場してきた人たちは、お人形が動いているようでした。きれいなお人形のような役者さんたちです。
仲人(なこうど)とか、司祭とか、しきたり(伝統)とか、ああ、結婚の話が始まったと思いました。
そして、お金の話です。
肉屋のおやじが、牛乳屋の(主役のテヴィエ、市村正親)長女と結婚する話で始まります。肉屋のおやじの妻は死んでいて、再婚です。長女は何も知りません。長女のいないところで、結婚の約束が成立してしまいました。肉屋のおやじは、長女の親であるテヴィエよりも年上です。それでもかまわないのです。なぜなら、肉屋はお金持ちだからです。男にお金があることが大事なのです。されど、長女は当然反発します。
そんな感じで、次女、三女の結婚話が素材になって、すったもんだの争いが起きる劇です。
お金持ち、貧乏、お金か愛情か、ドラマでは、よくある素材です。
安息日(あんそくび):劇中でよく出てきた言葉です。日曜日のことだろうか。調べました。休息・礼拝のための日。テヴィエたちはユダヤ教なので、金曜日の日没から土曜日の日没だそうです。
舞台を観ていて、『タイミングの良さ』に感心しました。
家のセットがあって、人が家の中にある別の部屋に入っていくと、同時に、家の外から別の人が入ってきます。ものすごくきちんとしたタイミングで驚きました。そのほかのことについても、ピシッピシッと動きがきちんと決まっていて、稽古(けいこ)の成果だと感心しました。
演劇のテーマの根底には、『平和』があると感じました。
全体的に、ロシア人に迫害のような対応を受けているユダヤ人の情景があります。
ユダヤ人にとっての、『人間と神の賛歌』がありました。偉大なものを賞賛(しょうさん。ほめたたえる)のです。
舞台は、ときおり、お祭りのようです。歌があって、ダンスがあって、音楽が鳴り響きます。
すごい!と声が何度か出そうになりました。大迫力です。にぎやかで、観ているこちらも楽しい気分になれました。
結婚相手のことで、娘たちから文句を言われて、板挟みになる父親のテヴィエ(市村正親)ですが、がんこそうに見えても、譲る時は譲るという判断をする、いいおやじさんです。
『約束』にこだわる内容でした。
宗教がかなりからんでくるのですが、あまり気にしないようにして観劇しました。
信仰深い人たちの物語です。
若い役者さんたちの歌声に伸びがあって、聴いていて気持ちがいい。
恋愛の成就について応援したくなります。
テヴィエ(市村正親)の動作や言葉にユーモアがあって大笑いできました。
市村正親さんは、最初なんとなくとっつきにくい人かなあと感じましたが、ときおりのしぐさが、志村けんさんみたいで笑いました。おもしろい。76歳の方ですがお元気です。
なんというか、時代背景として、人の気持ちのよりどころが、神しかない時代です。法律とか、思想とか、道徳とか、そういうものはまだぼんやりしていて、宗教で集団が管理されている時代だと受け取りました。宗教で、集団の、『秩序』が保たれているのです。劇中では、『しきたり(伝統)』と表現されていました。
歌劇は大迫力で、ときに、オペラのようだと思いました。(オペラを観たことはありませんが)
最終的には、ユダヤ人たちは、ロシア人たちに住んでいた土地を追い出されてしまいます。
エルサレムへ行く人もいましたが、大半のユダヤ人は、アメリカ合衆国への移住を目指しました。
最後のあたりで交わされた(かわされた)言葉が、『シャローム』という言葉でした。意味は、『平和』です。
最後は尻すぼみするような雰囲気で静かに幕切れとなってしまってあっけなかった。まあ、そういう終わり方もあるのでしょう。以前名古屋伏見にある御園座(みそのざ)で観た、山崎育三郎さんのミュージカル、『トッツィー』もそんな幕切れでした。
流れていた曲で、第1幕の最後に流れた、『陽は昇り又沈む』は聴いたことがある曲です。いい感じの曲です。
オーケストラのみなさんは、舞台の右奥の部屋(あるいはスペース(区域))におられて、ときおり、その場所が見えるように舞台装置が動きました。それもまた、座席から観ていていい感じでした。
観客は、わたしたちのような年金生活者の夫婦が多かった。年配の男女です。
ラストのカーテンコールでは、2000人ぐらいいた観客が総立ちのようになって、大きな拍手が続いて、何度も幕が上がったり下がったりして、出演者のみなさんがたが、せいぞろいでステージの前の方へ出てきて何度も頭を下げておられました。壮観でした。
幕間休憩中(30分間ぐらい)のトイレが大混雑でした。男性客が意外に多く、男性用トイレも行列でしたが、男はそれなりにスムーズに前へ進んでいました。
女性用は、1階のトイレだけではなくて、2階、3階、4階、5階と上のほうが、たぶん利用者が少なくて、穴場のような気がしました。
原題:Fiddler on the Roof (Fiddlerは、ラテン語でバイオリン弾きです)
ラテン語:イタリア半島中西部で生まれた言語で古代ローマの拡大とともにヨーロッパに広まった。西ローマ帝国が476年滅亡。東ローマ帝国が1453年滅亡
台本:ジョセフ・スタイン 時代は1905年(日本では明治38年。日露戦争で日本が勝利したときです) 劇中の場所は、『アナテフカ』というところで、観劇していて、現在のウクライナのどこかに思えました。
俳優:
テヴィエ(市村正親 いちむら・まさちか。5人娘のおやじさん。帝政ロシア領に住むユダヤ人で牛乳屋を営んでいる)
ゴールデ(鳳蘭 おおとり・らん。テヴィエの妻)
ツァイテル(長女 美弥るりか みや・るりか)
モーテル・カムゾイル(ツァイテルの彼氏 上口耕平 うえぐち・こうへい)
ホーデル(次女 唯ふうか ゆづき・ふうか)
パーチック(ホーデルの彼氏 内藤大希 ないとう・たいき)
チャヴァ(三女 大森未来衣 おおもり・みらい)
フョートカ(三女の彼氏 神田恭平 かんだ・きょうへい)
さらに、四女シュプリンツェ(宮島里奈)、五女ビルケ(東菊乃)がいますが、外見が高校生か中学生ぐらいの女優さんに見えました。劇中、当人たちの恋愛話はありませんでした。
ラザール・ウォルフ(肉屋。お金持ち。今井清隆)
屋根の上のバイオリン弾きの意味:冒頭付近でテヴィエ(市村正親さん)から説明があります。屋根の上で不安定な体勢でバイオリンを弾くことと、ユダヤ人の不安定な暮らしぶりを重ねてあります。
バイオリン弾き役の俳優さんは、劇中、たいてい、屋根の上でバイオリンを弾いていますが、劇中の会話には入ってきません。観ていて、バイオリン弾きは、『妖精』のようなものだと感じました。
現在の社会情勢として、ウクライナとロシアが戦争状態で、イスラエルのユダヤ人がパレスチナガザ地区のパレスチナ人を攻撃していて、劇中の会話の中に、現在のウクライナの首都、『キーウ』という地名も出てきて、観るほうはちょっと複雑な気持ちになります。
されど、意識を変えてみると、わたしたち世代のもうひとつ上の日本人世代と似通った(にかよった)状況があることに気づきます。物語の素材は、結婚の話です。
劇中では、長女、次女、三女の結婚話で、すったもんだの大騒ぎがあるのですが、わたしの親や叔父・伯母の世代が体験した結婚話の状態と内容が同じです。
今でこそ、結婚は両性の合意で成立しますが、昔は、個人+個人ではなく、家+家でした。見合い結婚が多かった。跡取り目的で、養子の話も多かった。
異性である相手のことを良く知らないまま、親が決めた相手と結婚していました。そして、どちらかといえば、女性のほうが、離婚はなるべくしないようがまんしていました。
結婚においては、まずは、収入を得て、生活していくことが第一目標でした。そんな時代がありました。基本は男尊女卑の社会が、当時の秩序でした。
こちらの劇中では、娘たちの結婚相手を親たちが段取りするのですが、娘たちは親たちの意向に従わないので、娘たちの結婚をめぐって、すったもんだの争いが起きます。親たちが決めたお金目当ての結婚相手などを、娘たちは拒否するのです。
娘たちの父親である主役のテヴィエは、最初、頑固者(がんこもの)に見えるのですが、娘たちから強く主張されるとたいてい引き下がるのです。テヴィエはいい人です。
とくに今回の観劇に関する写真はありません。
思い出すままに、感想をぽつりぽつりとこれからここに落としてみます。
あらすじを知らないまま観劇しました。
一家の苦労話だろうと予想しながら観始めました。
舞台装置がとてもきれいです。美しい。
ステージに登場してきた人たちは、お人形が動いているようでした。きれいなお人形のような役者さんたちです。
仲人(なこうど)とか、司祭とか、しきたり(伝統)とか、ああ、結婚の話が始まったと思いました。
そして、お金の話です。
肉屋のおやじが、牛乳屋の(主役のテヴィエ、市村正親)長女と結婚する話で始まります。肉屋のおやじの妻は死んでいて、再婚です。長女は何も知りません。長女のいないところで、結婚の約束が成立してしまいました。肉屋のおやじは、長女の親であるテヴィエよりも年上です。それでもかまわないのです。なぜなら、肉屋はお金持ちだからです。男にお金があることが大事なのです。されど、長女は当然反発します。
そんな感じで、次女、三女の結婚話が素材になって、すったもんだの争いが起きる劇です。
お金持ち、貧乏、お金か愛情か、ドラマでは、よくある素材です。
安息日(あんそくび):劇中でよく出てきた言葉です。日曜日のことだろうか。調べました。休息・礼拝のための日。テヴィエたちはユダヤ教なので、金曜日の日没から土曜日の日没だそうです。
舞台を観ていて、『タイミングの良さ』に感心しました。
家のセットがあって、人が家の中にある別の部屋に入っていくと、同時に、家の外から別の人が入ってきます。ものすごくきちんとしたタイミングで驚きました。そのほかのことについても、ピシッピシッと動きがきちんと決まっていて、稽古(けいこ)の成果だと感心しました。
演劇のテーマの根底には、『平和』があると感じました。
全体的に、ロシア人に迫害のような対応を受けているユダヤ人の情景があります。
ユダヤ人にとっての、『人間と神の賛歌』がありました。偉大なものを賞賛(しょうさん。ほめたたえる)のです。
舞台は、ときおり、お祭りのようです。歌があって、ダンスがあって、音楽が鳴り響きます。
すごい!と声が何度か出そうになりました。大迫力です。にぎやかで、観ているこちらも楽しい気分になれました。
結婚相手のことで、娘たちから文句を言われて、板挟みになる父親のテヴィエ(市村正親)ですが、がんこそうに見えても、譲る時は譲るという判断をする、いいおやじさんです。
『約束』にこだわる内容でした。
宗教がかなりからんでくるのですが、あまり気にしないようにして観劇しました。
信仰深い人たちの物語です。
若い役者さんたちの歌声に伸びがあって、聴いていて気持ちがいい。
恋愛の成就について応援したくなります。
テヴィエ(市村正親)の動作や言葉にユーモアがあって大笑いできました。
市村正親さんは、最初なんとなくとっつきにくい人かなあと感じましたが、ときおりのしぐさが、志村けんさんみたいで笑いました。おもしろい。76歳の方ですがお元気です。
なんというか、時代背景として、人の気持ちのよりどころが、神しかない時代です。法律とか、思想とか、道徳とか、そういうものはまだぼんやりしていて、宗教で集団が管理されている時代だと受け取りました。宗教で、集団の、『秩序』が保たれているのです。劇中では、『しきたり(伝統)』と表現されていました。
歌劇は大迫力で、ときに、オペラのようだと思いました。(オペラを観たことはありませんが)
最終的には、ユダヤ人たちは、ロシア人たちに住んでいた土地を追い出されてしまいます。
エルサレムへ行く人もいましたが、大半のユダヤ人は、アメリカ合衆国への移住を目指しました。
最後のあたりで交わされた(かわされた)言葉が、『シャローム』という言葉でした。意味は、『平和』です。
最後は尻すぼみするような雰囲気で静かに幕切れとなってしまってあっけなかった。まあ、そういう終わり方もあるのでしょう。以前名古屋伏見にある御園座(みそのざ)で観た、山崎育三郎さんのミュージカル、『トッツィー』もそんな幕切れでした。
流れていた曲で、第1幕の最後に流れた、『陽は昇り又沈む』は聴いたことがある曲です。いい感じの曲です。
オーケストラのみなさんは、舞台の右奥の部屋(あるいはスペース(区域))におられて、ときおり、その場所が見えるように舞台装置が動きました。それもまた、座席から観ていていい感じでした。
観客は、わたしたちのような年金生活者の夫婦が多かった。年配の男女です。
ラストのカーテンコールでは、2000人ぐらいいた観客が総立ちのようになって、大きな拍手が続いて、何度も幕が上がったり下がったりして、出演者のみなさんがたが、せいぞろいでステージの前の方へ出てきて何度も頭を下げておられました。壮観でした。
幕間休憩中(30分間ぐらい)のトイレが大混雑でした。男性客が意外に多く、男性用トイレも行列でしたが、男はそれなりにスムーズに前へ進んでいました。
女性用は、1階のトイレだけではなくて、2階、3階、4階、5階と上のほうが、たぶん利用者が少なくて、穴場のような気がしました。