2025年04月09日
ママはいつもつけまつげ 神津はづき
ママはいつもつけまつげ 母・中村メイコとドタバタ喜劇 神津はづき(こうづ・はづき) 小学館
テレビ番組、『徹子の部屋』に、神津カンナさんとこちらの本を書いた神津はづきさんがゲストで出演されました。そのときには、すでにこの本を手に入れていました。番組を見てから本を読み始めました。本に書かれていることが、番組内で発言されていることに気づきました。本のほうが、内容が詳細です。
まあ、すさまじい。おふたりの母親である中村メイコさんは、一般的な母親像とはかけ離れていました。中村メイコさんは、2歳から子役で人生を送られた方です。特殊な環境で育った方です。ふつうではありません。驚きました。
中村メイコさんは、2023年(令和5年)のおおみそかに、87歳で亡くなっています。著者61歳で原稿を書き始め、62歳にな られている2025年の今年(令和7年)、この本を出されています。
番組を観ているときに驚いたのは、中村メイコさんは、アルコール依存だったのではないかということです。
娘さんおふたりは、(仕事の時を除いて)母親がシラフ(アルコールを飲んでいない)だったときの姿を家では見たことがないと発言されました。ストレスがあったのだろうか。
車いす生活になっても、両足の間にお酒の瓶(びん)があって、両足で持ち上げて中身を飲んでいたそうです。びっくりしました。
人間にはいろんな人がいるという感想をもちました。
お金の苦労はないご家族です。
中村メイコさんは、洋服や靴も大量に購入されたそうです。(それなのに、死後確認したら、品物のほとんどはなくなっていたそうです。自分なりに終活をされていた。高価なものも人にあげていた)
帯揚げ(おびあげ):着物の帯の上辺を飾る小物
著者が4歳のときに、うちの母親は、よその母親とはなにか違う。変であるということに気づかれています。
読んでいると、中村メイコさんは、常に、女優として、『演技』のことが頭から離れたことがない人だったということがわかります。
本を読むことで、自分が知らない世界を知ることができると、この本を読みながら納得しました。
著者は、父親である神津善行(こうづ・よしゆき)さんに相談します。中村メイコさんを普通のママにしてほしいと。神津さんの返答です。お母さんは、普通の母親はできない人だからあきらめなさい。パパもがまんするからあなたもずーっとがまんしなさい。
著者はその言葉に納得してあきらめました。
まあ、ちょっと考えられないようなリアクション(反応)をされる中村メイコさんです。
中村メイコさんのモットー(目標、行動方針)が、『人生は喜劇的でありたい』です。人間界の暮らしにおいて、言動が常識を超越しています。
中村メイコさんは、悲劇を嫌い、ユーモアを大事にします。
有名人のこどもとして生まれての著者のご苦労があります。
以前、歌手の森昌子さんが書いた本でも、息子さんふたりが両親に、小学校に来ないで欲しいと言われたと書いてあった記憶です。森進一さんと森昌子さんが学校にくると大騒ぎになるのです。
こちらの本では、美空ひばりさんと、中村メイコさんと神津善行さんが、ひとつの大きなベッドで、固まって寝ておられます。
まあ、一般家庭では考えられません。たしか、安藤サクラさんも、柄本明さんご夫婦といっしょにひとつのベッドで寝ていたことがあるとテレビ番組で聞きました。
まだ、10代のショーケンさん(萩原健一)も中村メイコ宅のじゅうたんの上で寝ています。
親ガチャという言葉がありますが、(生まれてくるこどもが家庭や家庭環境を選べない)、生まれてくる家を間違えたという言い方もあります。
神津家の娘さんふたりは、あきらめたのです。ふつうのママを望めません。
まあ、そういうことってたまにはあります。親をやれない親というのはいます。こどもにとっては不幸なのでしょう。
こどもに不満があれば、自分がおとなになったとき、自分好みの家庭や家族を自分の力でつくればいいと思います。親には期待しないほうがいい。期待してもかなわないのですから。
(つづく)
全体で303ページあるうちの、214ページまで読みました。
なんというか。驚きの連続です。フツー(普通)ではありません。
超越しています。だれもが体験できるような家庭環境ではありません。
お金はある。だけど、母親は(中村メイコさんは)、母親ではない。女優さん(演技を演じる人)です。母親役の演技は、何パターンでも演じられるけれど、演じるだけで、中身も結果も伴っていません。女優は演じることができればいい。実際にそのことができなくてもいいと書いてあります。中村メイコさんは、仕事人間です。生まれながらの根っからの女優です。
まあ、驚きました。そして、中村メイコさんには、ご自身が好きで、ちゃんと取り組んだ趣味というものがありませんでした。(仕事が趣味だったのかも)。おしゃれして食事に行くことと、買い物好きですが、趣味とはいえないようなやりかただったそうです。買い物は爆買いをして、買った品物を知り合いにあげるというやり方だったそうです。
中村メイコさんがいっしょに遊ぶ友だちは、美空ひばりさんひとりしかいなかったそうです。
でも、ご主人(中村メイコさんは23歳のときに結婚した)と娘さんふたりがいたので良かった。助かりました。
中村メイコさんは、自転車に乗ることができなかった。
ご家族の楽しみが、花札遊びだった。
花札:カードゲーム
ふたりの娘さんたちには、まだこどものうちから、テレビや映画、舞台に出ている有名人さんたちとの出会いや交流があります。有名人の人たちもまだ若い。
美空ひばりさん(昭和27年、中村メイコさんが18歳のときに、15歳の美空ひばりさんと出会っています)、黒柳徹子さん、草笛光子さん、浅丘ルリ子さん、伊東四朗さん、佐藤栄作さん(元総理大臣)、三島由紀夫さん、勝新太郎さん、小松左京さん、石原慎太郎さん、井伏鱒二さん(いぶせ・ますじさん)、今日出海さん(こん・ひでみさん)、郷ひろみさん(まだ16歳です。著者は9歳でした)、ゲイボーイの男性たちの訪問もあります。日野皓正(ひの・てるまさ)さん、森繁久彌さん、森公美子さん、松山善三さん(映画監督)、一の宮あつ子さん(女優)、笑福亭鶴瓶さん、阿川佐和子さん、黒柳守綱さん(黒柳徹子さんのお父さん)
生成りのタフタ生地(きなりのたふたきじ):そのままの状態の平織の生地(きじ)。光沢とハリがある。
手習子(てならいこ):師匠について習うこどものこと。
かもじ:婦人の髪に添え加える髪の毛
アイスペール:氷をいれておく専用の容器
今生の(こんじょうの):この世に生きている間
母方祖母(中村メイコさんの母親):若い頃、小劇場の看板女優だった。祖母が姉のカンナさんにかけた言葉として、『人生、やりたいと思ったことはやってみたらいいよ!』
まだ小学生だった姉のカンナさんは、東京新橋あたりで、サンドイッチマン(広告塔)をやりました。祖母が経営するレストランの宣伝でした。
母方祖父:若い頃、座付き作家だった。
中村メイコさんの酒癖はいいとはいえません。ちょっとこわい。めんどうみるのはたいへんです。
ラブラブショー:テレビ番組。1970年(昭和45年)~1979年(昭和54年)。トーク番組がありました。
『今日はママ、ハッスルしたよおー!』(「ハッスル」という言葉を何十年ぶりかで聞きました。一生懸命がんばるという意味です)
結婚してから6軒の借家に住んだけれど、中村メイコさんは、次に住む借家の下見を一度もしなかった。(ちょっと考えられません。家に関心がない。舞台やテレビ局が家のようなものだったのでしょう)
中村メイコさんは、テストの、「赤点(落第点(らくだいてん。単位をとれない。進級できない))」の意味を知らなかった。戦時中の召集令状、「赤紙」のようなものだと誤解していた。
1977年(昭和52年)に、姉のカンナさんが、高校卒業後、ニューヨークへ留学した。15歳の著者と5歳の弟が両親と家に残った。カンナさんが、家族のまとめ役だった。いろいろとあります。
1980年(昭和55年)に、著者がニューヨークへ留学した。語学学校に行ったら、藤圭子さんが学生という立場でいた。藤圭子さんは、29歳か30歳ぐらいだった。その後、藤圭子さんのご主人になる宇多田さんと三人で食事をした。ふたりは結婚して、宇多田ヒカルさんが生まれた。
中村メイコさんについて、あとのご家族3人がいろいろ忍耐されています。
家族って、お互いに助け合うものなのだということを再認識しました。
ニューヨークでの豪快な買い物があります。
コースターを30個、ペーパーナプキンを50個、靴下全色(20色)を5足ずつ。大量買いです。
父である神津善行さんの言葉です。
『うちは、子供に財産は遺さないよ』、娘ふたりがニューヨークに留学した時に渡す分のお金は全部使ったそうです。
(つづく)
全体を読み終えました。
なんというか、中村メイコさんは、すごい人です。ご家族もすごい。普通の家庭ではありません。
中村メイコさんは大量飲酒者なのに、体に悪影響が出ていません。不思議です。肝臓ほか、内臓がぐちゃぐちゃになっていてもおかしくありません。でも、検査結果はOKなのです。そんなことがあるのだろうか……(飲んでいるふりという演技をしていたのだろうか)
森繁久彌さんの、『屋根の上のバイオリン弾き』の話が続きます。たまたまですが、うちは、4月に愛知県芸術劇場である市村正親さんの、『屋根の上のバイオリン弾き』を観に行きます。楽しみです。
中村家は、11人で生活していたことがある。場所は、世田谷区上祖師谷(かみそしがや)です。8LDK+スタジオ(地下、防音室)の母屋と4LDKの家で、ふたつの家は、地下でつながっていた。
神津ファミリーが、両親とこども3人の5人
父方の祖母(介護が必要)
父方の祖母の付き添いさん
母方の祖母
母方の祖母の秘書
お手伝いさん2人
すっとこどっこい:久しぶりに聞いた言葉です。ばかやろう、ばかなやつだなという意味
読んでいると、『これでも人間は生きていける』という勇気がもらえる内容です。なんだか、すごい!
お米はとげない、洗濯機の使い方もわからない、そんな中村メイコさんです。う~む。女優と結婚する時には、勇気がいります。
中村メイコさんは、超人(ちょうじん)です。(スーパーマン)
まわりにいるご家族は、寛大でないと付き合いきれない。あきらめて、楽しむのです。
最後のほうに、実は、ご夫婦は、こどもたちがいないところで、すさまじい口論のケンカを繰り返していたそうです。ご主人の神津善幸さんは、温厚そうに見えるけれど、実は、泣くわ、わめくわ、怒鳴るわだったそうです。
夫婦にケンカはつきものです。先日読んだ本、『我が家の問題 奥田英朗(おくだ・ひでお) 集英社文庫』でも、新婚夫婦が、お互いを理解するために、すさまじい口論を展開します。感想メモの一部です。
「お互いの本音をぶつけあう激しい夫婦ゲンカ(口論)が始まりました。お互いを理解するための猛烈な夫婦ゲンカです。そうやって、夫婦は、夫婦になっていくのです。人生の長い道のりを歩んでいくのです。理解したあとは、協力しあうのです」
テレビ番組、『徹子の部屋』に、神津カンナさんとこちらの本を書いた神津はづきさんがゲストで出演されました。そのときには、すでにこの本を手に入れていました。番組を見てから本を読み始めました。本に書かれていることが、番組内で発言されていることに気づきました。本のほうが、内容が詳細です。
まあ、すさまじい。おふたりの母親である中村メイコさんは、一般的な母親像とはかけ離れていました。中村メイコさんは、2歳から子役で人生を送られた方です。特殊な環境で育った方です。ふつうではありません。驚きました。
中村メイコさんは、2023年(令和5年)のおおみそかに、87歳で亡くなっています。著者61歳で原稿を書き始め、62歳にな られている2025年の今年(令和7年)、この本を出されています。
番組を観ているときに驚いたのは、中村メイコさんは、アルコール依存だったのではないかということです。
娘さんおふたりは、(仕事の時を除いて)母親がシラフ(アルコールを飲んでいない)だったときの姿を家では見たことがないと発言されました。ストレスがあったのだろうか。
車いす生活になっても、両足の間にお酒の瓶(びん)があって、両足で持ち上げて中身を飲んでいたそうです。びっくりしました。
人間にはいろんな人がいるという感想をもちました。
お金の苦労はないご家族です。
中村メイコさんは、洋服や靴も大量に購入されたそうです。(それなのに、死後確認したら、品物のほとんどはなくなっていたそうです。自分なりに終活をされていた。高価なものも人にあげていた)
帯揚げ(おびあげ):着物の帯の上辺を飾る小物
著者が4歳のときに、うちの母親は、よその母親とはなにか違う。変であるということに気づかれています。
読んでいると、中村メイコさんは、常に、女優として、『演技』のことが頭から離れたことがない人だったということがわかります。
本を読むことで、自分が知らない世界を知ることができると、この本を読みながら納得しました。
著者は、父親である神津善行(こうづ・よしゆき)さんに相談します。中村メイコさんを普通のママにしてほしいと。神津さんの返答です。お母さんは、普通の母親はできない人だからあきらめなさい。パパもがまんするからあなたもずーっとがまんしなさい。
著者はその言葉に納得してあきらめました。
まあ、ちょっと考えられないようなリアクション(反応)をされる中村メイコさんです。
中村メイコさんのモットー(目標、行動方針)が、『人生は喜劇的でありたい』です。人間界の暮らしにおいて、言動が常識を超越しています。
中村メイコさんは、悲劇を嫌い、ユーモアを大事にします。
有名人のこどもとして生まれての著者のご苦労があります。
以前、歌手の森昌子さんが書いた本でも、息子さんふたりが両親に、小学校に来ないで欲しいと言われたと書いてあった記憶です。森進一さんと森昌子さんが学校にくると大騒ぎになるのです。
こちらの本では、美空ひばりさんと、中村メイコさんと神津善行さんが、ひとつの大きなベッドで、固まって寝ておられます。
まあ、一般家庭では考えられません。たしか、安藤サクラさんも、柄本明さんご夫婦といっしょにひとつのベッドで寝ていたことがあるとテレビ番組で聞きました。
まだ、10代のショーケンさん(萩原健一)も中村メイコ宅のじゅうたんの上で寝ています。
親ガチャという言葉がありますが、(生まれてくるこどもが家庭や家庭環境を選べない)、生まれてくる家を間違えたという言い方もあります。
神津家の娘さんふたりは、あきらめたのです。ふつうのママを望めません。
まあ、そういうことってたまにはあります。親をやれない親というのはいます。こどもにとっては不幸なのでしょう。
こどもに不満があれば、自分がおとなになったとき、自分好みの家庭や家族を自分の力でつくればいいと思います。親には期待しないほうがいい。期待してもかなわないのですから。
(つづく)
全体で303ページあるうちの、214ページまで読みました。
なんというか。驚きの連続です。フツー(普通)ではありません。
超越しています。だれもが体験できるような家庭環境ではありません。
お金はある。だけど、母親は(中村メイコさんは)、母親ではない。女優さん(演技を演じる人)です。母親役の演技は、何パターンでも演じられるけれど、演じるだけで、中身も結果も伴っていません。女優は演じることができればいい。実際にそのことができなくてもいいと書いてあります。中村メイコさんは、仕事人間です。生まれながらの根っからの女優です。
まあ、驚きました。そして、中村メイコさんには、ご自身が好きで、ちゃんと取り組んだ趣味というものがありませんでした。(仕事が趣味だったのかも)。おしゃれして食事に行くことと、買い物好きですが、趣味とはいえないようなやりかただったそうです。買い物は爆買いをして、買った品物を知り合いにあげるというやり方だったそうです。
中村メイコさんがいっしょに遊ぶ友だちは、美空ひばりさんひとりしかいなかったそうです。
でも、ご主人(中村メイコさんは23歳のときに結婚した)と娘さんふたりがいたので良かった。助かりました。
中村メイコさんは、自転車に乗ることができなかった。
ご家族の楽しみが、花札遊びだった。
花札:カードゲーム
ふたりの娘さんたちには、まだこどものうちから、テレビや映画、舞台に出ている有名人さんたちとの出会いや交流があります。有名人の人たちもまだ若い。
美空ひばりさん(昭和27年、中村メイコさんが18歳のときに、15歳の美空ひばりさんと出会っています)、黒柳徹子さん、草笛光子さん、浅丘ルリ子さん、伊東四朗さん、佐藤栄作さん(元総理大臣)、三島由紀夫さん、勝新太郎さん、小松左京さん、石原慎太郎さん、井伏鱒二さん(いぶせ・ますじさん)、今日出海さん(こん・ひでみさん)、郷ひろみさん(まだ16歳です。著者は9歳でした)、ゲイボーイの男性たちの訪問もあります。日野皓正(ひの・てるまさ)さん、森繁久彌さん、森公美子さん、松山善三さん(映画監督)、一の宮あつ子さん(女優)、笑福亭鶴瓶さん、阿川佐和子さん、黒柳守綱さん(黒柳徹子さんのお父さん)
生成りのタフタ生地(きなりのたふたきじ):そのままの状態の平織の生地(きじ)。光沢とハリがある。
手習子(てならいこ):師匠について習うこどものこと。
かもじ:婦人の髪に添え加える髪の毛
アイスペール:氷をいれておく専用の容器
今生の(こんじょうの):この世に生きている間
母方祖母(中村メイコさんの母親):若い頃、小劇場の看板女優だった。祖母が姉のカンナさんにかけた言葉として、『人生、やりたいと思ったことはやってみたらいいよ!』
まだ小学生だった姉のカンナさんは、東京新橋あたりで、サンドイッチマン(広告塔)をやりました。祖母が経営するレストランの宣伝でした。
母方祖父:若い頃、座付き作家だった。
中村メイコさんの酒癖はいいとはいえません。ちょっとこわい。めんどうみるのはたいへんです。
ラブラブショー:テレビ番組。1970年(昭和45年)~1979年(昭和54年)。トーク番組がありました。
『今日はママ、ハッスルしたよおー!』(「ハッスル」という言葉を何十年ぶりかで聞きました。一生懸命がんばるという意味です)
結婚してから6軒の借家に住んだけれど、中村メイコさんは、次に住む借家の下見を一度もしなかった。(ちょっと考えられません。家に関心がない。舞台やテレビ局が家のようなものだったのでしょう)
中村メイコさんは、テストの、「赤点(落第点(らくだいてん。単位をとれない。進級できない))」の意味を知らなかった。戦時中の召集令状、「赤紙」のようなものだと誤解していた。
1977年(昭和52年)に、姉のカンナさんが、高校卒業後、ニューヨークへ留学した。15歳の著者と5歳の弟が両親と家に残った。カンナさんが、家族のまとめ役だった。いろいろとあります。
1980年(昭和55年)に、著者がニューヨークへ留学した。語学学校に行ったら、藤圭子さんが学生という立場でいた。藤圭子さんは、29歳か30歳ぐらいだった。その後、藤圭子さんのご主人になる宇多田さんと三人で食事をした。ふたりは結婚して、宇多田ヒカルさんが生まれた。
中村メイコさんについて、あとのご家族3人がいろいろ忍耐されています。
家族って、お互いに助け合うものなのだということを再認識しました。
ニューヨークでの豪快な買い物があります。
コースターを30個、ペーパーナプキンを50個、靴下全色(20色)を5足ずつ。大量買いです。
父である神津善行さんの言葉です。
『うちは、子供に財産は遺さないよ』、娘ふたりがニューヨークに留学した時に渡す分のお金は全部使ったそうです。
(つづく)
全体を読み終えました。
なんというか、中村メイコさんは、すごい人です。ご家族もすごい。普通の家庭ではありません。
中村メイコさんは大量飲酒者なのに、体に悪影響が出ていません。不思議です。肝臓ほか、内臓がぐちゃぐちゃになっていてもおかしくありません。でも、検査結果はOKなのです。そんなことがあるのだろうか……(飲んでいるふりという演技をしていたのだろうか)
森繁久彌さんの、『屋根の上のバイオリン弾き』の話が続きます。たまたまですが、うちは、4月に愛知県芸術劇場である市村正親さんの、『屋根の上のバイオリン弾き』を観に行きます。楽しみです。
中村家は、11人で生活していたことがある。場所は、世田谷区上祖師谷(かみそしがや)です。8LDK+スタジオ(地下、防音室)の母屋と4LDKの家で、ふたつの家は、地下でつながっていた。
神津ファミリーが、両親とこども3人の5人
父方の祖母(介護が必要)
父方の祖母の付き添いさん
母方の祖母
母方の祖母の秘書
お手伝いさん2人
すっとこどっこい:久しぶりに聞いた言葉です。ばかやろう、ばかなやつだなという意味
読んでいると、『これでも人間は生きていける』という勇気がもらえる内容です。なんだか、すごい!
お米はとげない、洗濯機の使い方もわからない、そんな中村メイコさんです。う~む。女優と結婚する時には、勇気がいります。
中村メイコさんは、超人(ちょうじん)です。(スーパーマン)
まわりにいるご家族は、寛大でないと付き合いきれない。あきらめて、楽しむのです。
最後のほうに、実は、ご夫婦は、こどもたちがいないところで、すさまじい口論のケンカを繰り返していたそうです。ご主人の神津善幸さんは、温厚そうに見えるけれど、実は、泣くわ、わめくわ、怒鳴るわだったそうです。
夫婦にケンカはつきものです。先日読んだ本、『我が家の問題 奥田英朗(おくだ・ひでお) 集英社文庫』でも、新婚夫婦が、お互いを理解するために、すさまじい口論を展開します。感想メモの一部です。
「お互いの本音をぶつけあう激しい夫婦ゲンカ(口論)が始まりました。お互いを理解するための猛烈な夫婦ゲンカです。そうやって、夫婦は、夫婦になっていくのです。人生の長い道のりを歩んでいくのです。理解したあとは、協力しあうのです」