2024年04月19日

東京を生きる 雨宮まみ(あまみや・まみ)

東京を生きる 雨宮まみ(あまみや・まみ) 大和書房

 なにかの雑誌で紹介されていて、興味をもって読み始めました。
 郷里がわたしと同じく福岡県である若い女性が書いた本です。
 わたしは、生まれてからしばらくと、中学校の途中から高校を卒業するまで福岡県内で過ごしました。いちおう実家や親族もまだ福岡にありますが、福岡にいなかったときは、熊本とか茨城、栃木、愛知などで過ごしました。
 書中で福岡と福岡人の特徴が書かれてありますが、そのとおりです。文化的な庶民性をもった土地柄です。東京へ出て有名になる人が多いのも必然だと思います。

 著者は、なにかしら、艶っぽい(つやっぽい)なかで生活をなりたててきた方のようですが、自分は存じ上げません。
 『はじめに』の文章を読みましたが、読みやすい文章です。
 読み進めながら感想をつぎ足していきます。

 東京へのこだわりが感じられる文章です。
 ご自分は、東京でないと生活していけないそうです。
 
 (その後、ご本人が亡くなっていることを知りました。2016年11月15日40歳没。自宅で事故のため心肺停止だったそうです。太く短く生きる人っています。うちのオヤジも40歳で病死しました。太く短く生きた人でした)

 なんというか、地域へのこだわりというものは、歳月が流れると、こだわることはなかったと思えることがあります。
 日本は小さな島国です。24時間あれば、たいていのところへは行けます。区域とか、境目、境界線にこだわることは無意味です。いつだって、どこへだって、自由に動き回ればいい。自分が好きなところに住んで好きなように暮らしていけばいい。

 本の冒頭で、自分の家の経済状態が苦しいということも知らず、親が進学をやめてくれというのに、東京の大学へ進学することを選択した。あとで、自分の家が貧しい、大学の学費なんか出せる状態ではなかったということがわかって大きなショックを受けたとあります。
 親不孝なことをしましたが、やむをえません。大学神話みたいなものがあります。大学に行けば、輝く未来が約束されるなんてことは、ぜんぜんありません。
 だけど、世間知らずな若者は、そうやって、親元から離れていきます。そして、たいていは、また親元に戻ってきます。
 六十代になって、創立100周年だったかの高校の歴代同窓生名簿を見たら、18歳の頃、胸に夢をいだいて、東京を始めとした大都市や遠いところへ旅立った同窓生たちのほとんどは、福岡に帰郷していました。故郷に親の土地や家があるからということもあるのでしょう。そんなものなのです。若い時の夢は、夢で終わることが多い。

 本の中で著者は、自分は18歳で上京し、今年36歳になったと書いてあります。
 なにやら、福岡に恨み(うらみ)と憎しみがあるそうですが、まあ、そういうことってあります。ただし、歳月がたつと、憎しみが、愛情や愛着に変わるということはあります。人の気持ちなんて勝手なのです。なんとでも変化するのです。
 
 オレンジ色に輝く東京タワーのことが文章で書いてあります。
 リリー・フランキーさんの小説、『東京タワー』を思い出します。リリー・フランキーさんも福岡出身の方です。東京タワーを独楽(コマ)の軸(じく)にたとえた文章から始まっていて、劇的な物語の始まりかたでした。名作です。

 こちらの本の構成です。『はじめに』があって、短いエッセイが25本あって、『おわりに』があります。

『お金』
 『三十歳になったら、バーキンを持つんだと思っていた。』から始まります。
 バーキン:バーキンというバッグのこと。イギリスの歌手・女優バーキンにちなんでいる。整理整頓しやすく使いやすい。

 東京はお金がかかるところとして記述があります。
 東京はお金がなければ、したいことができない。
 東京暮らしは、お金がない女性にとっては、しんどい。(つらい)

『欲情』
 東京での地方出身女性の実情を吐露する(とろする。白状する(はくじょうする))話なのか。
 記述にありますが、いなかだと、道を走っている車が、だれの車かわかるということはあります。お互いに知り合いが多いのです。東京のような都市部では、知らない人間はまるで石ころ扱いです。『(自分にとっては)関係ない(存在)』なのです。
 作者は、密着型で生活するいなかを嫌います。それでも、『密室』が恋しいのです。

 性的なことが書いてあるのですが、老年期を知らずに人生を終えた人の文章です。若い。
 歳をとると男も女もなくなります。全員が、おじいさんのようでもあるし、おばあさんのようでもあります。中性化するのです。そのうち、認知症に近づいていきます。だれもが最後は(老後は)障害者の状態になります。心身が思うようには動きません。三十代から五十代のときにリーダーシップを発揮して輝いていた人たちが、加齢とか認知症のために人格が変わって施設入所しているということもあります。若いうちから心身の健康に気を配って暮らしておいたほうがいいですよとアドバイスします。

『美しさ』
 新木場というところにあるクラブ(ナイトクラブ。社交のための会員制の夜の店)が紹介されます。
 終電がなくなるので、帰りは自宅までタクシーだそうです。
 ポールダンスという艶っぽい(つやっぽい。いろっぽい)舞台があります。
 なんでもないふつうの女性が、ポールダンスを踊るときには別人のように輝く存在になるのです。
 
 『……ポールダンサーは、自信にあふれ、誰にも負けないし、誰とも競わない……』
 わたしが思うに、自分が窮地(きゅうち。苦しい立場)に陥ったとき、自分を救う方法として、こう主張することが効果的です。『これがわたしです!』(何が悪い! 自分は、この個性で、この体で、これまで生きてきた。これからだって、こうして生きていく。これがわたしですと自信をもって主張して自分の心と体を守る)

『タクシー』
 『こじらせ女子』という流行語があるそうです。わたしは、その流行語を知りませんでしたが、著者が発信者で流行した言葉だそうです。
 こじらせ女子:物事をむずかしく考えて、人間関係をややこしくしてしまう女子のこと。めんどうくさい女という意味だそうです。考えなくていいことを考える。気にしなくていいことを気にする人だそうです。迷惑者扱いです。どのように対応(アドバイス)しても、それを受け入れる気持ちが最初からない女性のようです。

 著者は、運転免許はもっているけれど、車の運転が下手で、運転できないから東京の地理を知らない。鉄道線路で位置を把握するそうです。
 東京都の形もわからないし、自分がどのあたりに住んでいるのか、海がある方向がどちらなのか、いろいろわからないそうです。(著者の脳みその中には、どんな世界が広がっていたのだろうか。わたしとは、ずいぶん違うような気がします)

 著者は、タクシーをよく利用する人です。(わたしは、タクシー料金が高いから、めったに利用しません。自分で自分の車を運転できるからということもあります)
 
 どちらかといえば、自問自答のような文章が続きます。読み手に対してではなく、自分自身に対して語るように書いてある文章です。
 自分の背後から、何か怖い物(こわいもの)に、追いつかれて、包み込まれた(つつみこまれた)ような気分が、ご本人にあります。

『殻(から)』
 殻というのは、東京のことです。東京という殻の中に自分がいるそうです。
 著者は、協調性があるような人には見えません。マイペースです。自分のしたいことをする。したくないことはしない。そんな個性がある人です。
 福岡で、家族と仲良く暮らせない。ひとりだけで東京で暮らす。(親御さんのご苦労をお察しします)
 女子があこがれる街が、パリ、ニューヨーク、ロンドン、東京だそうです。東京という都市の殻を身にまといたかったそうです。『東京の女の子になるために東京に来たのだから』と書いてあります。

 されど、孤独感がただよっています。

『泡』
 詩のような文章が続きます。
 
 出張で名古屋に来た時のことが書いてあります。
 雑誌編集長との面談です。著者は、『自分の本を出したいです』と相手に申し出ます。
 
 ドンペリ:フランス。高級シャンパン。
 アルコールを飲むと吐くのに、無理してアルコールを飲むことがあるそうです。

 家庭をもたない人の話だと思って文章を読んでいます。
 場所は、夜の東京銀座、ラウンジには、外国人客がパラパラといます。
 退廃の雰囲気がただよっています。
 料金は、おひとり様1万5000円で、お客さんからは、けっこう安いという感覚で利用されているそうです。庶民から見ると、金銭感覚がおかしいけれど、どうも、庶民の立場の人が客として来ているようです。読んでいて、頭の中が混乱します。お金を貯めて、だれかのお誕生日のときに利用するそうです。

『血と肉』
 東京はすごい→24時間営業のスーパーがあるから。(いなかから上京した人間が驚くこと)

 きちんとした食生活を送れない。(いつでもものを買えるから)
 『健康は、高い値段で売られている』とあります。

 Tumblr:タンブラー。アメリカ生まれのブログサービス。
 
 健康管理ができないというような嘆きが書いてあります。自己管理ができないのです。
 もどかしさが書いてあります。

 『痛み止めだけで生きていければいい。』とあります。
 体が続く若いうちなら耐えられるけれど、42歳ぐらいになるとバッタリ倒れるパターンです。(男の厄年やくどしですが。未来が予想できてしまいます)

『マイ・ウェイ』
 歌手の藤圭子さんが歌ったマイ・ウェイです。暗い雰囲気だとあります。
 藤圭子さんは、『(自分が演じていた藤圭子を指して)あの人は、もういなくなったの』という言葉を遺して(のこして)飛び降り自殺をされてお亡くなりになった記憶です。
 自分がこどものころに、デビューされた藤圭子さんの歌を聴いて、すごみのある人だと思いました。(こわいぐらいの迫力がある人)

 才能について書いてあります。
 才能がないのに、自分はスターになれると妄想している。
 結局自分は、スターにはなれなかった。
 いろいろ書いてありますが、考えすぎです。著者は、こじらせ女子です。

『訓練』
 東京都庁のそばにある公園(新宿中央公園)に、ホームレスがたくさんいることが書いてあります。
 
 知らん顔をする東京の人たちがいます。
 東京は、知らない人と話をするハードルがかなり高い街とあります。
 他人は、いてもいないものとして扱う。
 やっかいなことに関わり合いにならないようにする。
 『東京は人口が多すぎて、人と人との距離感がおかしい……』(同感です。わたしは、東京には住めません。身近に、ひとりになれる自然(山や川、池や草木)があってほしい。東京はたまに見物に行くだけでいいところです)

 自分自身の感想として、東京の人はがまん強い。東京人であることに誇りをもっている。東京=日本という意識をもっているようにも見える。ただ、住みやすい場所とは思えません。

 著者にとっての東京は、『戦場』だそうです。
 若者は、東京にいることで、苦しんでいるように見えます。

『努力』
 わたしの願いとあります。『本をたくさん読んで、あとは寝ていたい』そうです。

 大学を出ても、正社員の職には就(つ)かなかった。あるいは、就けなかった。
 アルバイトしか仕事がなかった。フリーターになった。(なんのために大学へ行ったのだろう)
 働くのやだなーが、生きてるのやだなーになる。(ふつうは、食べていくために、いやなことをがまんして働きます。働くことは人間の本能で基本です。本能:生まれ持った行動様式・規範)

『退屈』
 『弁当屋の外に、弁当が出来上がるのを待っている女がいる。』から始まります。
 
 著者自身に、なにかを見て、『かわいい』とか、『きれい』と思う心がないとあります。かわいいという感覚を理解できない。加えて、美しさを判断できない。

 凌駕(りょうが):ほかのものと比較して、ずばぬけてレベルが高いこと。

 『好き』という感情を理解できない。『好き』という状態を考察するけれど、結論はでない。(なかなかむずかしい思考をもった方です)

『六本木の女』
 土曜の夜に六本木に行く。六本木ヒルズで、映画、ミッドタウンで買い物をする。
 都営大江戸線で、派手な(はでな)かっこうした女性を見る。
 
 買い物は、命を削って買っているという感覚があるそうです。
 年金の話や貯金の話が出ます。
 著者は、年金をもらう年齢のはるか手前で亡くなってしまいました。
 本人が気にしていた老後は、本人にはなかった。

 森瑤子(もり・ようこ):1940年(昭和15年)-1993年(平成5年)52歳没。小説家。

『女友達』
 生まれつき東京育ちの女性と、福岡育ちの自分を比較します。
 東京育ちの女性は、私立高校から大学受験をしないで大学生になっていた。自分は外部受験生という枠だった。受験しなくても大学生になれる財力がうらやましくも、うらめしくもある。世の中は平等じゃない。

 自分と同じくいなかから出てきた女性と友だちになった。
 お互いに深入りはしない。相談事はしない。恋愛話はしない。たまにしか会わない。メールの返事はお互いに遅い。映画をいっしょに観た。軽い関係が心地よかったそうです。

『居場所』
 福岡に正月帰省した。
 田んぼの中を走る鉄道列車の中で、九州弁で話す派手なかっこうをした若い女の子たちを見た。
 
 小田急線の車内で、下品な言葉遣いをする若い女性を見た。男にこびる話し方だった。(こびる:ごきげんをとる。色っぽく男にせまる)

 いずれにしても、自分はひとり(孤独)だ。

 フラワーカンパニーズ:日本のロックバンド

 嫌いだった故郷福岡について、女友達をからめて話があります。

『若さ』
 十代の頃、二十歳になる前に死にたいと思っていた。
 ブルセラブーム:ブルマーとセーラー服の混成した造語。アダルトグッズとしての意味合いがある。
 二十歳を過ぎたら、三十から先の人生は見えなかった。三十過ぎると女扱いされなかった。
 26歳でも男に拒否された。
 
『優しさ』
 著者の書き方として、まず、ポンと、読み手をひきつける文章を置きます。
 このエッセイの場合、『俺は、死ぬのがすごく怖い……』から始まります。
 福岡県人に、自滅型のタイプがあります。理屈よりも感情優先で、力まかせに生きていきます。やがて力尽きてつぶれてしまいます。(うちのオヤジがそうでした)

 完全自殺マニュアルという本が紹介されています。わたしも以前読んだことがあります。自殺のやり方が書いてあります。その本をわたしが読んだ時の感想の一部です。
 『完全自殺マニュアル 鶴見済(つるみ・わたる) 太田出版』
 この本の帯には『18歳未満の方の購入はご遠慮ください』と書いてあります。本は、注文後、ビニールで包まれていて中身を見ることができない状態で送られて来ました。わたしは、もう老齢者で18歳未満ではないので堂々と読みます。自殺しなくても、お迎えまでの時期のほうが近い年齢になってしまいました。自分が納付した年金保険料分ぐらいは取り戻してから死にたいと、あがきながら長生きしています。
 「はじめに」があります。これから先、自殺するための方法が書いてあるそうです。本当は、自殺するための方法だけを淡々と書きたいけれど、営業上の理由で、書きたくないことを書いておかなきゃいけないという趣旨で、この本の出版の理由が書いてあります。読者が予想するであろうとおり、筆者は、自殺してはいけないというメッセージをこの部分に書き記しています。救いのある本です。 生きようとしている。生きたいと訴えている文章です。すごい気合が入っている文章です。

『谷間の百合』
 福岡での暮らしがイヤ。両親との暮らしがイヤ。
 逃避です。著者はただ逃避したかった。
 だけど、どこまで逃げても孤独です。

『静寂』
 この本は後半になるにつれて、狭い領域の中で深く、理屈っぽく考えるようすの内容になっていきます。
 極端にいうと、生きることがイヤというような世界に著者が入りこんでいきます。
 (考えすぎです。そこまで考えなくても人間は生きていけます)

 しんと静まり返る時があるそうです。(著者の心の中の動きとして)
 
 お風呂場で足にスクラブをかける:角質除去剤、洗顔料、洗浄剤、ごしごし洗う。

『暗闇』
 孤独の話です。
 新宿駅とか、ゆりかもめ(鉄道路線です)の中がイヤだと書いてあります。
 家に帰りたい。だれもいない静かな自分の家(部屋)に帰りたいそうです。

『越境』
 iPhoneのShazarn:シャザム。ミュージック認識。曲名やアーチスト名を教えてくれる。

 著者の脳みその中は混乱しています。

 東京は、勝ち負けを決めるところ。

『幸せ』
 読んでいて思い出した本があります。似ています。感想メモが残っていました。
 『二十歳の原点(にじゅっさいのげんてん) 高野悦子(たかの・えつこ) 新潮文庫』
 読み始めたのは二十歳の原点(にじゅっさいのげんてん)高野悦子著(たかの)新潮文庫です。1月から6月までの日記で す。作者は栃木県出身で京都の大学在学中の6月に京都で鉄道への飛び込み自殺を図り亡くなりました。読み進めるごとに作者の死が近づいてきます。
 日記の中では強気で明るい彼女です。しかし現実世界ではおとなしいお嬢さんだったと思います。読み始めて脳がじーんとしびれました。
 記述の日記は自問自答を繰り返しています。未熟であること、ひとりであること、それが二十歳の原点と記されています。人間が生きていくうえで必要なものは、空気、水、食べ物。そして、コミュニケーションです。人は他者との関わりが無くなると死にます。著者はカミソリで手を切ります。淋しげです。死の1か月前、家族や友人と決別します。人は生き続けていくために、 わずらわしいと感じながらも、なにがしかの集団に属していかざるをえないのです。

 こちらの本の著者は、『普通の幸せ』について考えています。
 ご自身で自分を、欲望ばかりが過剰なわがままな人間だと定義づけておられます。

 幸せについて考える。どんな状態が、『幸せ』なのか。

 人から優しくされたことがないから、人に優しくしてあげられないということはあると思います。

『刺激』
 『東京なんてただの場所だから』、『恋愛なんて、ただの幻想だ』から始まります。
 東京に来て、お金を奪い取られて、心はかき乱された。
 東京の刺激は、いらだち(苛立ち)があることとあります。
 東京での苦痛が書いてあります。

『指』
 『男の腕が欲しい……』から始まります。誰の腕でもいいかというとそうでもないというふうに書いてあります。
 
 バングル:ブレスレット

 著者は、これが欲しいと強く主張できない自分にいらだちを感じておられます。

『東京』
 東京は、狭い区域内にとにかく人の数が多い。
 
 1年に1回、母と祖母が上京して娘である著者のようすを見に来るそうです。
 連休の二泊三日で、母たちはホテルに泊まる。
 親や親族と仲が悪いわけではないけれど、親密でいたいとは思わないようすです。
 
 著者は、なにかしら、地に足がついていない人です。

『眼差し(まなざし)』
 冷静に自分自身をみつめる文章でした。

『おわりに』
 最後の一行(いちぎょう)は、『これから、どうなるのだろう。東京も、私も、絶え間なく変わってゆく』で、終わっています。

 最終ページにこの本の成り立ちが書いてあります。
 出版社(大和書房(だいわしょぼう))のホームページに連載した『東京』に、書き下ろし(かきおろし(あらたな文章))を加えて、再編集したそうです。
 連載期間が、2013年(平成25年)6月から2014年(平成26年)7月です。
 著者は、2016年(平成28年)11月15日40歳で亡くなっています。自宅で事故のため心肺停止だったそうです。

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