2023年09月29日
出川哲朗の充電バイク旅 愛媛県お遍路の旅
出川哲朗の充電させてもらえませんか? 愛媛県お遍路の旅 TVer(ティーバー)
行くぞ愛媛“お遍路”街道をズズーと100キロ!極上グルメも満載で目指すは11カ寺制覇なんですが“難所の連続”にナダル&クロちゃんがヒイヒイ!ヤバイよヤバイよSP
なんというか、お寺さん巡りの旅が続きます。ゆえに飽きてきます。お寺さんはどこも同じような構造・配置の家屋、そしてどこも同じようなお寺の関係者の方々、御朱印帳(ごしゅいんちょう)への記入などの連続です。
江戸時代は、お寺が今でいうところのホテルだったということがわかる映像です。
今回は食事がたまたま、二日間続けて同じチェーン店の焼き肉店で、メニューも前日と同じでした。
それにしても地方はお手頃価格でボリュームのあるおいしいごはんが食べられると感心します。ほかの番組として『東野&岡村の旅猿』でも地方のおいしい食べ物がたくさん出てきます。都会の高級料理店に負けていません。
いつもなら、少年野球チームとの一戦とかがありますが、今回の番組内の変化としては、女性たちのフランダンスショーと、ラストでようやく恒例の温泉入浴シーンが出ました。海に面した露天風呂で気持ちよさそうでした。
ゲストのナダルさんとクロちゃんは、まああんな感じなのかなー、で終わりました。
こないだのゲストのさんまさんは、お賽銭で(おさいせんで)賽銭箱に1000円札を入れていましたが、クロちゃんはスタッフから製作費としてお賽銭のお金をもらっていました。家族へのおみやげのトレーナーも出川哲朗さんに買ってもらっていました。なんというか、視聴者が見ていて喜ぶようなゲストのポジションではありませんでした。ナダルさんも以前はお賽銭を製作費から出してもらっていたそうです。なんというか、お賽銭を自腹で出さずにケチったり、CMが欲しいというお願いごとをしたり、お金が惜しい(おしい)話ばかりを聞かされていると、見ていて気持ちが冷めます。芸能人ならパーッとやって、人々に夢を与えてほしい。
ナダルさんの『ハゲ話』は、ディレクターの谷川さんのハゲも巻き込んでなかなかおもしろかった。
瀬戸内海の海面は、湖のように静かです。外洋とはちょっと違っていて、それはそれで風情があっていい。
どこに行ってもこどもさんたちが、可愛らしい(かわいらしい)。
お寺の住職の息子さん5歳ぐらいは、まんまる顔で、お坊さんのお子さんらしい愛嬌(あいきょう。明るく無邪気で愛くるしい)がありました。
おもしろかったシーンは、お寺の従業員さんが色紙に書いた『でがわがんばれ』『なだるおまえもか』がありました。
お参りするときのお念仏は、『なむだいじ・へんじょうこんごう』とありました。
行くぞ愛媛“お遍路”街道をズズーと100キロ!極上グルメも満載で目指すは11カ寺制覇なんですが“難所の連続”にナダル&クロちゃんがヒイヒイ!ヤバイよヤバイよSP
なんというか、お寺さん巡りの旅が続きます。ゆえに飽きてきます。お寺さんはどこも同じような構造・配置の家屋、そしてどこも同じようなお寺の関係者の方々、御朱印帳(ごしゅいんちょう)への記入などの連続です。
江戸時代は、お寺が今でいうところのホテルだったということがわかる映像です。
今回は食事がたまたま、二日間続けて同じチェーン店の焼き肉店で、メニューも前日と同じでした。
それにしても地方はお手頃価格でボリュームのあるおいしいごはんが食べられると感心します。ほかの番組として『東野&岡村の旅猿』でも地方のおいしい食べ物がたくさん出てきます。都会の高級料理店に負けていません。
いつもなら、少年野球チームとの一戦とかがありますが、今回の番組内の変化としては、女性たちのフランダンスショーと、ラストでようやく恒例の温泉入浴シーンが出ました。海に面した露天風呂で気持ちよさそうでした。
ゲストのナダルさんとクロちゃんは、まああんな感じなのかなー、で終わりました。
こないだのゲストのさんまさんは、お賽銭で(おさいせんで)賽銭箱に1000円札を入れていましたが、クロちゃんはスタッフから製作費としてお賽銭のお金をもらっていました。家族へのおみやげのトレーナーも出川哲朗さんに買ってもらっていました。なんというか、視聴者が見ていて喜ぶようなゲストのポジションではありませんでした。ナダルさんも以前はお賽銭を製作費から出してもらっていたそうです。なんというか、お賽銭を自腹で出さずにケチったり、CMが欲しいというお願いごとをしたり、お金が惜しい(おしい)話ばかりを聞かされていると、見ていて気持ちが冷めます。芸能人ならパーッとやって、人々に夢を与えてほしい。
ナダルさんの『ハゲ話』は、ディレクターの谷川さんのハゲも巻き込んでなかなかおもしろかった。
瀬戸内海の海面は、湖のように静かです。外洋とはちょっと違っていて、それはそれで風情があっていい。
どこに行ってもこどもさんたちが、可愛らしい(かわいらしい)。
お寺の住職の息子さん5歳ぐらいは、まんまる顔で、お坊さんのお子さんらしい愛嬌(あいきょう。明るく無邪気で愛くるしい)がありました。
おもしろかったシーンは、お寺の従業員さんが色紙に書いた『でがわがんばれ』『なだるおまえもか』がありました。
お参りするときのお念仏は、『なむだいじ・へんじょうこんごう』とありました。
2023年09月28日
ゆきがやんだら 酒井駒子
ゆきがやんだら 酒井駒子 Gakken
絵画集のような感じがする表紙です。
表紙をめくると、雪が降っています。
白と黒の二色で降り積もる雪を表現した絵が目の前に広がります。
雪国の体験がある人は、すぐに雪の風景を脳内にイメージすることができるでしょう。
体験がない人は想像がむずかしい。
心を豊かにするために、体験は大事です。
タイトル『ゆきがやんだら』は、なにを意味するのだろう。(パパの帰宅でした)
雪が降る空港の絵です。アメリカ合衆国にある空港です。
パパは飛行機で、単身赴任先から帰ってくるのでしょう。
人間ではなくて、うさぎの親子の絵です。
うさぎだけど、うさぎのこどもは幼稚園に行っていて、だけど、きょうは大雪だから、幼稚園バスのお迎えがないから、幼稚園は休みなのです。
うさぎの子どもは、女の子だと思っていたら男の子でした。だって、自分のことを『ぼく』と言ったからです。
こどものうさぎの絵を見ていて、ルイス・キャロル作品『不思議の国のアリス』を思い出しました。1865年出版。日本だと江戸時代末期(明治元年が1868年)です。
さて、うさぎにしろ、にんげんにしろ、ちびっこは雪遊びが大好きです。
でも、うさぎママは、かぜをひくからだめだと、うさぎの男の子の外出を認めてくれません。
うさぎの母子は賃貸マンションか公営住宅住まいのようで、男の子はしかたなく、ベランダに積もった雪でおだんごをつくってひとり遊びをします。絵では、建物の3階にお部屋があります。同年齢ぐらいで遊ぶ友だちもいないようです。ちょっと閉塞感があります。
男の子はママとトランプ遊びをします。
トランプ遊びは、3人以上でやるのが楽しい。
だけどパパはいない。単身赴任かと思ったら違っていました。出張中でいないそうです。遠くへ仕事に行っているそうです。雪がやまないと飛行機で帰ってくることができないそうです。
雪は、さらさらとふるのです。
雪に閉じ込められて、この世界には、ぼくとママしかいないみたいなのです。
夜になって、雪がやみました。
絵が優しい(やさしい)。
この絵本は、文章をすんなり読みながら読み聞かせる絵本ではなく、絵を見ながら、読み手と聞き手の両者で創作話をつくる素材となる絵本です。なんだかんだ、ああだこうだと、ふたり以上で話をつくりながらページをめくる絵本です。
まっ白に積もった雪です。
新雪ですから足跡もありません。これから足跡をつけるのです。
男の子は、雪でおだんごとおばけをつくります。(雪だるまはつくらないのだろうか?)
手が冷たくなってしまいました。
雪のかたまりがみっつできました。パパとママと男の子です。
こうやって、一日一日が過ぎて行って、こどもは大きく育っていきます。
静かな雰囲気の絵本でした。
ストーリー展開よりも、絵の雰囲気を楽しむ絵本でした。
パパが慕われているということは、子どもさんとよく遊ぶパパなのでしょう。
パパだというだけでは、子どもは父親を慕っては(したっては)くれません。
子どものめんどうみがいい、うさぎパパなのでしょう。
絵画集のような感じがする表紙です。
表紙をめくると、雪が降っています。
白と黒の二色で降り積もる雪を表現した絵が目の前に広がります。
雪国の体験がある人は、すぐに雪の風景を脳内にイメージすることができるでしょう。
体験がない人は想像がむずかしい。
心を豊かにするために、体験は大事です。
タイトル『ゆきがやんだら』は、なにを意味するのだろう。(パパの帰宅でした)
雪が降る空港の絵です。アメリカ合衆国にある空港です。
パパは飛行機で、単身赴任先から帰ってくるのでしょう。
人間ではなくて、うさぎの親子の絵です。
うさぎだけど、うさぎのこどもは幼稚園に行っていて、だけど、きょうは大雪だから、幼稚園バスのお迎えがないから、幼稚園は休みなのです。
うさぎの子どもは、女の子だと思っていたら男の子でした。だって、自分のことを『ぼく』と言ったからです。
こどものうさぎの絵を見ていて、ルイス・キャロル作品『不思議の国のアリス』を思い出しました。1865年出版。日本だと江戸時代末期(明治元年が1868年)です。
さて、うさぎにしろ、にんげんにしろ、ちびっこは雪遊びが大好きです。
でも、うさぎママは、かぜをひくからだめだと、うさぎの男の子の外出を認めてくれません。
うさぎの母子は賃貸マンションか公営住宅住まいのようで、男の子はしかたなく、ベランダに積もった雪でおだんごをつくってひとり遊びをします。絵では、建物の3階にお部屋があります。同年齢ぐらいで遊ぶ友だちもいないようです。ちょっと閉塞感があります。
男の子はママとトランプ遊びをします。
トランプ遊びは、3人以上でやるのが楽しい。
だけどパパはいない。単身赴任かと思ったら違っていました。出張中でいないそうです。遠くへ仕事に行っているそうです。雪がやまないと飛行機で帰ってくることができないそうです。
雪は、さらさらとふるのです。
雪に閉じ込められて、この世界には、ぼくとママしかいないみたいなのです。
夜になって、雪がやみました。
絵が優しい(やさしい)。
この絵本は、文章をすんなり読みながら読み聞かせる絵本ではなく、絵を見ながら、読み手と聞き手の両者で創作話をつくる素材となる絵本です。なんだかんだ、ああだこうだと、ふたり以上で話をつくりながらページをめくる絵本です。
まっ白に積もった雪です。
新雪ですから足跡もありません。これから足跡をつけるのです。
男の子は、雪でおだんごとおばけをつくります。(雪だるまはつくらないのだろうか?)
手が冷たくなってしまいました。
雪のかたまりがみっつできました。パパとママと男の子です。
こうやって、一日一日が過ぎて行って、こどもは大きく育っていきます。
静かな雰囲気の絵本でした。
ストーリー展開よりも、絵の雰囲気を楽しむ絵本でした。
パパが慕われているということは、子どもさんとよく遊ぶパパなのでしょう。
パパだというだけでは、子どもは父親を慕っては(したっては)くれません。
子どものめんどうみがいい、うさぎパパなのでしょう。
2023年09月27日
ねじ式 つげ義春
ねじ式 つげ義春 小学館文庫
電子書籍で週刊誌を読んでいました。この本の紹介記事がありました。
ああ、読んだことがあるなあと思いましが、内容を思い出せません。
自宅の本棚を見たらこの本がありました。
買って、本棚に立てかけて、読んだつもりで、読んでいなかったことに気づきました。ぼけています。最近、もの忘れが多くなりました。しっかりしなきゃあ。
マンガの本です。
なんというか、変なマンガです。
芸術性が高いマンガです。
人の心の深層部分を表現してあります。
『ねじ』というのは、登場人物の左腕(ひだりうで)上部にクラゲ(メメクラゲ)が触れて(ふれて)、激痛を起こし、医者のところへ行ったら(どういうわけか産婦人科の女医)、患部を切ってくっつけたところに『ねじ』が設置されたのです。切り口をふさいで、ねじで押さえたというふうです。
古いけれど有名なマンガです。
クラゲに刺されるとかなり痛い。わたしは中学生の時に熊本県の8月お盆過ぎの海で、クラゲまみれになったことがあります。悲惨な体験をしました。お盆を過ぎたら海に入るなという言い伝えがありました。クラゲが大量発生するのです。クラゲは刺します。毒があります。
反戦マンガのようです。1965年(昭和40年)少し前のこととして、それまでになかったマンガの形式でしょう。
宮沢賢治作品『銀河鉄道の夜』みたいなシーンがあります。たぶん下地になっているのでしょう。亡くなった人の霊が電車(このマンガでは蒸気機関車)に乗っているのです。
不気味な絵です。
えびすよしかずさんが描く絵に似ています。
妖怪ものみたい。水木しげるさんの絵にも似ています。
その当時のみなさんたちは、同類の世界を極めていたのでしょう。昭和20年代後期から30年代、40年代前半です。
文章も奇妙です。
『桃太郎ではあっても実は金太郎なのです』
左腕に付けられたねじを締めると、左腕がしびれるそうです。
1968年6月(昭和43年)の作品です。
(つづく)
ひとつのマンガごとにタイトルが付けられていることに気づきました。
さきほどの作品が『ねじ式』です。
今度の作品は『沼』です。
読みました。
よくわからない。
結末は、わたしが思う筋書きのとおりにはならなかった。
『孤独』とか『さびしさ(淋しさ、寂しさ)』がただよう作品です。1966年(昭和41年)の作品です。
『チーコ』
チーコは、小鳥である文鳥(ぶんちょう)の名前です。
女性に夜の仕事をさせて、その女性に食べさせてもらっているヒモのような若い男が出てきます。彼は、マンガ家の卵です。
男は、女が愛情込めて飼っているペットの文鳥を虐待して殺してしまいます。
作者の自伝のようです。
人間は『愚鈍(ぐどん。頭が悪く、やることは間抜け)』です。
1966年(昭和41年)の作品です。
『初茸がり(はつたけがり)』
詩を読むようなマンガでした。
男児が、振り子時計の中に入ってしまいます。1966年(昭和41年)の作品
児童文学で『チョコレート工場の秘密』という本があるのですが、そこでは、男児がテレビの中に入ってしまいます。『チョコレート工場の秘密 ロアルド・ダール クェンティン・ブレイク(絵) 柳瀬尚樹(訳) 評論社』
『山椒魚(さんしょううお)』
井伏鱒二作品『山椒魚(さんしょううお) 井伏鱒二(いぶせますじ) 新潮文庫』が下地(したじ)にあるのでしょう。こちらの話は途中から、まったく異なる展開となります。
下水道の中、汚れた水の流れにのって流れてきたのは嬰児(えいじ。あかちゃんの死体)です。哀しみ(かなしみ)があります。精神的に重い。作者は精神を病んで(やんで)いたのでしょう。1967年(昭和42年)の作品です。
『峠の犬』
読んでいる途中で、「そういうことか。おもしろい」という感想をもちました。
迷い犬だと思っていたら、迷い犬ではなかった。
昔読んだ野良猫の話『ルドルフとイッパイアッテナ 斉藤洋(さいとう・ひろし) 講談社』を思い出しました。野良猫は、行く先々で人に適当に名前を付けられるのです。だからその猫は自称『(名前が)イッパイアッテナ』と名乗っているのです。
こちらのマンガ作品では、人間が、人間を中心にものごとを考えるかってさ(勝ってさ)を描いてあります。
『噂の武士』
うーむ。人間界の社会のことをきちんと定義してある作品だと受け取りました。
武士がふたり登場します。そのうちのひとりは「宮本武蔵」ではなかろうかというお話ですが、そいつは偽物(にせもの)です。ウソをついて、お金が動くのです。
播州(ばんしゅう):兵庫県南部
人をじょうずにだました人間がお金持ちになる。
だまされたほう、だまされているほうは、そのことになかなか気づけない。
世の中というものは、誤解と錯覚で成り立っている。
金もうけをするときは、イメージづくり(加工されたウソの世界・空間)が大事(だいじ)。
善人をだまして、善人自ら(みずから)が財産を詐欺行為者に提供させる方向へ導くのがお金持ちになる秘訣(ひけつ。コツ)であることが、人間界の『真実』なりという思考です。
神格化されたカリスマ的な人物をひとり設定して、彼あるいは彼女のまわりに熱狂的な信者を集中させる。まるで、宗教のようです。教祖さまなのです。そして、大きなお金が動く。
こちらの作品では、もうひとつ、以上のような考察を離れて、『本物とは何か』という命題(命題。考えるべき課題)に迫っています。別の視点から、『偽物だが、(完璧に完成させることができたのであれば)本物であるともいえる』と断定しています。
『オンドル小屋』
こちらは、作者の実体験でしょう。
東北秋田県あたりの温泉地に行って、嫌な思いをした体験がマンガになっています。
泊まるところ、花札博打(はなふだばくち)をやる騒がしい人間たちと同宿して迷惑をこうむったのです。
オンドルは、韓国とか中国の暖房方式と聞きました。床下に温かい煙を流すのです。
旅行をしていると、若い人たちがはめをはずして、一晩中騒ぐシーンにでくわすことがあります。がっかりします。眠れません。そんなことが書いてあります。
マンガはいろいろなつかしい。1968年(昭和43年)の作品です。
山本リンダさんの「困っちゃうな……」の歌が出てきます。ほかに「なくな こばとよ こばとよ なくな……」「はるばるきたぜ はこだてへ……」の替え歌、「大きいことはいいことだーー」山本直純さんだったと思います。
わたしは花札はやり方を知らないので、「どっちもどっちも」という掛け声の意味はわかりませんが、なかなか騒がしい。
作者はこの旅の時のことをよっぽど怒っていて、マンガにしたことがわかります。
『ゲンセンカン主人』
ゲンセンカンというのは温泉旅館です。
主人公の男性は、駄菓子屋で天狗のお面を買います。
主人公が、ゲンセンカンの主人と似ているそうです。
不思議なマンガなのですが、主人公とゲンセンカンの主人が重なるのです。前世の人と現世の人だろうか。あるいは幽霊だろうか。
鍵を握る言葉が『鏡』なのですが、わたしには読解力がないのか、意味をとれませんでした。
ラストシーンの意図がわからない作品でした。1968年(昭和43年)作品
『長八の宿』
伊豆の温泉旅館です。
入江長八(いりえ・ちょうはち)は左官屋(さかんや。セメントなどを塗る職人)で芸術家でもあったらしい。鏝絵(こてえ)を描く。
『…… わしは字は読めねぇ』(昭和40年代の頃は、こどものときに学校に行けなかったからという理由で、文字を読めないお年寄りがけっこうおられました)
旅館の娘であるマリちゃんは、東京の大学を出て、パンフレットをつくるなどの知的な仕事をしている。東京にクニオさんという好きな人がいて、クニオさんに手紙を書いている。
ほかに旅館の歴史などの紹介があります。
川端康成作品『伊豆の踊子』を意識して描いたマンガなのでしょう。
旅行記でした。1968年(昭和43年)の作品
『大洋電気鍍金工業所(たいようでんきときんこうぎょうしょ。ときんはメッキ。金属加工。金属の上に金属をかぶせる』
メッキ職人の話です。メッキ工場で働きます。特殊な薬剤を使用するので健康被害が心配です。
塩酸、硝酸、青酸カリとあります。
過酷な生活で貧困があります。
肺を壊して死んでいきます。公害のようなものです。
予科練(よかれん):海軍飛行予科練習生。航空機要員養成所。少年の志願による募集で採用した。
朝鮮戦争:1950(昭和25年)-1953年(昭和28年)現在も終結はしていない。韓国VS北朝鮮(後ろ盾(だて)として、米国・国連・ヨーロッパの国々VS中国)
虚無があります。(きょむ:何も存在せずむなしい)
努力しても報われない(むくわれない)暮らしです。
男と女の関係があって、底辺の生活です。
『ヨシボーの犯罪』
へんな出だしのマンガです。
雑誌の中にいる若いビキニの女性をピンセットでつまみだして食べるのです。
人食いです。アニメ作品『進撃の巨人』を思い出しました。グロテスクです。奇怪、異様、気味が悪い。
自転車修理屋で働いている主人公の若者男性です。(名前は、ヨシボー)兄と自転車修理をしているそうです。
メッキ工場が出てきます。(さっきの『大洋電気鍍金工業所』の続きの話だろうか)
ラストシーンで自転車に乗ったヨシボーが、『よし、みんなに(温泉があることを)教えてあげよう。』と言います。(「みんな」ってだれのことだろう?)
『少年』
うーむ。気持ち悪い。
ヨシボー(義坊)が、罠で捕まえたねずみを青酸カリに漬けて(つけて)殺しています。(わたしが小学生の頃、金属でできたねずみとりの罠(わな。箱の形状)を水につけてねずみを殺していた場面を見ていたことを思い出しました。昭和40年代のことです)
クローム:銀白色の金属。クロームメッキに使用する。
237ページまで読んで、ようやく、『ヨシボー』が作者の『つげ義春さん』であることがわかりました。自伝的要素があるマンガです。かなり苦労されています。
マンガ家を志しておられます。(マンガの中で)
家に帰ると母親がいて、まだ小さい弟と妹がいて、義父がいます。幸せそうには見えません。
女と男のやるせない関係があります。(憂い(うれい)、悲しみ、解決のしようがない)
お金はないけれど、ある意味平等な世界があります。貧困世界における男女平等、年功序列なしです。
人間の心の奥に潜む(ひそむ)残酷な面が描写されています。1981年(昭和56年)の作品
『ある無名作家』
最後の作品になりました。1984年(昭和59年)の作品です。
奥田という男性が、安井という男性のところへ久しぶりに会いに来ました。
わたしなんぞは、久しぶりに古い知人から連絡があると、お金の無心ではなかろうかと警戒してしまいます。
マンガの中の季節は5月のこどもの日です。
こいのぼりが風になびいています。
奥田は小学校4年生ぐらいの男児を連れています。(あとでわかりますが、逃げた女房の連れ子です。奥田はその子を暴力的に虐待しています)
安井という男性は貸本マンガを描いていたそうですから、著者自身のことか、著者の知り合いのことなのでしょう。
読み続けて、やはり、安井は、つげ義春さんでした。
小川国夫:小説家。2008年80歳没。「アポロンの島」
奥田の生活は悲惨です。あまりにもひどくてここには書けません。(だけど、わたしに言わせれば、情けない男です。男ならガッツをもて! 闘志をもて!)
小学4年生男児は、名を『伸一』といいます。
つげ義春さんもこどものころ、義父から虐待を受けたらしい。
虐待は、人の心を壊します。
(最後に、佐野史郎さんのエッセイがありました)
つげ作品のファンだそうです。
実際につげさんに会って、つげさんは『観察の人』だと分析されています。
つげ作品は、「光がどんなにあたっている所でも闇は必ずある」ではなく、「闇だらけで真っ暗な中にも、必ず光はある」という評価だそうです。
読み手の人生体験で、感じ方が違ってくる作品だと思います。共感される人は、それなりの苦労体験をされていると思います。
「あいまいとか、わからない」ということがある。「はっきりとしたわかりやすい世界」は、人間界にはあまりない。
エッセイを読んでいて、コメントにある「緩やかな(ゆるやかな)気持ち」があれば、戦争も起こらないと思ったのです。
電子書籍で週刊誌を読んでいました。この本の紹介記事がありました。
ああ、読んだことがあるなあと思いましが、内容を思い出せません。
自宅の本棚を見たらこの本がありました。
買って、本棚に立てかけて、読んだつもりで、読んでいなかったことに気づきました。ぼけています。最近、もの忘れが多くなりました。しっかりしなきゃあ。
マンガの本です。
なんというか、変なマンガです。
芸術性が高いマンガです。
人の心の深層部分を表現してあります。
『ねじ』というのは、登場人物の左腕(ひだりうで)上部にクラゲ(メメクラゲ)が触れて(ふれて)、激痛を起こし、医者のところへ行ったら(どういうわけか産婦人科の女医)、患部を切ってくっつけたところに『ねじ』が設置されたのです。切り口をふさいで、ねじで押さえたというふうです。
古いけれど有名なマンガです。
クラゲに刺されるとかなり痛い。わたしは中学生の時に熊本県の8月お盆過ぎの海で、クラゲまみれになったことがあります。悲惨な体験をしました。お盆を過ぎたら海に入るなという言い伝えがありました。クラゲが大量発生するのです。クラゲは刺します。毒があります。
反戦マンガのようです。1965年(昭和40年)少し前のこととして、それまでになかったマンガの形式でしょう。
宮沢賢治作品『銀河鉄道の夜』みたいなシーンがあります。たぶん下地になっているのでしょう。亡くなった人の霊が電車(このマンガでは蒸気機関車)に乗っているのです。
不気味な絵です。
えびすよしかずさんが描く絵に似ています。
妖怪ものみたい。水木しげるさんの絵にも似ています。
その当時のみなさんたちは、同類の世界を極めていたのでしょう。昭和20年代後期から30年代、40年代前半です。
文章も奇妙です。
『桃太郎ではあっても実は金太郎なのです』
左腕に付けられたねじを締めると、左腕がしびれるそうです。
1968年6月(昭和43年)の作品です。
(つづく)
ひとつのマンガごとにタイトルが付けられていることに気づきました。
さきほどの作品が『ねじ式』です。
今度の作品は『沼』です。
読みました。
よくわからない。
結末は、わたしが思う筋書きのとおりにはならなかった。
『孤独』とか『さびしさ(淋しさ、寂しさ)』がただよう作品です。1966年(昭和41年)の作品です。
『チーコ』
チーコは、小鳥である文鳥(ぶんちょう)の名前です。
女性に夜の仕事をさせて、その女性に食べさせてもらっているヒモのような若い男が出てきます。彼は、マンガ家の卵です。
男は、女が愛情込めて飼っているペットの文鳥を虐待して殺してしまいます。
作者の自伝のようです。
人間は『愚鈍(ぐどん。頭が悪く、やることは間抜け)』です。
1966年(昭和41年)の作品です。
『初茸がり(はつたけがり)』
詩を読むようなマンガでした。
男児が、振り子時計の中に入ってしまいます。1966年(昭和41年)の作品
児童文学で『チョコレート工場の秘密』という本があるのですが、そこでは、男児がテレビの中に入ってしまいます。『チョコレート工場の秘密 ロアルド・ダール クェンティン・ブレイク(絵) 柳瀬尚樹(訳) 評論社』
『山椒魚(さんしょううお)』
井伏鱒二作品『山椒魚(さんしょううお) 井伏鱒二(いぶせますじ) 新潮文庫』が下地(したじ)にあるのでしょう。こちらの話は途中から、まったく異なる展開となります。
下水道の中、汚れた水の流れにのって流れてきたのは嬰児(えいじ。あかちゃんの死体)です。哀しみ(かなしみ)があります。精神的に重い。作者は精神を病んで(やんで)いたのでしょう。1967年(昭和42年)の作品です。
『峠の犬』
読んでいる途中で、「そういうことか。おもしろい」という感想をもちました。
迷い犬だと思っていたら、迷い犬ではなかった。
昔読んだ野良猫の話『ルドルフとイッパイアッテナ 斉藤洋(さいとう・ひろし) 講談社』を思い出しました。野良猫は、行く先々で人に適当に名前を付けられるのです。だからその猫は自称『(名前が)イッパイアッテナ』と名乗っているのです。
こちらのマンガ作品では、人間が、人間を中心にものごとを考えるかってさ(勝ってさ)を描いてあります。
『噂の武士』
うーむ。人間界の社会のことをきちんと定義してある作品だと受け取りました。
武士がふたり登場します。そのうちのひとりは「宮本武蔵」ではなかろうかというお話ですが、そいつは偽物(にせもの)です。ウソをついて、お金が動くのです。
播州(ばんしゅう):兵庫県南部
人をじょうずにだました人間がお金持ちになる。
だまされたほう、だまされているほうは、そのことになかなか気づけない。
世の中というものは、誤解と錯覚で成り立っている。
金もうけをするときは、イメージづくり(加工されたウソの世界・空間)が大事(だいじ)。
善人をだまして、善人自ら(みずから)が財産を詐欺行為者に提供させる方向へ導くのがお金持ちになる秘訣(ひけつ。コツ)であることが、人間界の『真実』なりという思考です。
神格化されたカリスマ的な人物をひとり設定して、彼あるいは彼女のまわりに熱狂的な信者を集中させる。まるで、宗教のようです。教祖さまなのです。そして、大きなお金が動く。
こちらの作品では、もうひとつ、以上のような考察を離れて、『本物とは何か』という命題(命題。考えるべき課題)に迫っています。別の視点から、『偽物だが、(完璧に完成させることができたのであれば)本物であるともいえる』と断定しています。
『オンドル小屋』
こちらは、作者の実体験でしょう。
東北秋田県あたりの温泉地に行って、嫌な思いをした体験がマンガになっています。
泊まるところ、花札博打(はなふだばくち)をやる騒がしい人間たちと同宿して迷惑をこうむったのです。
オンドルは、韓国とか中国の暖房方式と聞きました。床下に温かい煙を流すのです。
旅行をしていると、若い人たちがはめをはずして、一晩中騒ぐシーンにでくわすことがあります。がっかりします。眠れません。そんなことが書いてあります。
マンガはいろいろなつかしい。1968年(昭和43年)の作品です。
山本リンダさんの「困っちゃうな……」の歌が出てきます。ほかに「なくな こばとよ こばとよ なくな……」「はるばるきたぜ はこだてへ……」の替え歌、「大きいことはいいことだーー」山本直純さんだったと思います。
わたしは花札はやり方を知らないので、「どっちもどっちも」という掛け声の意味はわかりませんが、なかなか騒がしい。
作者はこの旅の時のことをよっぽど怒っていて、マンガにしたことがわかります。
『ゲンセンカン主人』
ゲンセンカンというのは温泉旅館です。
主人公の男性は、駄菓子屋で天狗のお面を買います。
主人公が、ゲンセンカンの主人と似ているそうです。
不思議なマンガなのですが、主人公とゲンセンカンの主人が重なるのです。前世の人と現世の人だろうか。あるいは幽霊だろうか。
鍵を握る言葉が『鏡』なのですが、わたしには読解力がないのか、意味をとれませんでした。
ラストシーンの意図がわからない作品でした。1968年(昭和43年)作品
『長八の宿』
伊豆の温泉旅館です。
入江長八(いりえ・ちょうはち)は左官屋(さかんや。セメントなどを塗る職人)で芸術家でもあったらしい。鏝絵(こてえ)を描く。
『…… わしは字は読めねぇ』(昭和40年代の頃は、こどものときに学校に行けなかったからという理由で、文字を読めないお年寄りがけっこうおられました)
旅館の娘であるマリちゃんは、東京の大学を出て、パンフレットをつくるなどの知的な仕事をしている。東京にクニオさんという好きな人がいて、クニオさんに手紙を書いている。
ほかに旅館の歴史などの紹介があります。
川端康成作品『伊豆の踊子』を意識して描いたマンガなのでしょう。
旅行記でした。1968年(昭和43年)の作品
『大洋電気鍍金工業所(たいようでんきときんこうぎょうしょ。ときんはメッキ。金属加工。金属の上に金属をかぶせる』
メッキ職人の話です。メッキ工場で働きます。特殊な薬剤を使用するので健康被害が心配です。
塩酸、硝酸、青酸カリとあります。
過酷な生活で貧困があります。
肺を壊して死んでいきます。公害のようなものです。
予科練(よかれん):海軍飛行予科練習生。航空機要員養成所。少年の志願による募集で採用した。
朝鮮戦争:1950(昭和25年)-1953年(昭和28年)現在も終結はしていない。韓国VS北朝鮮(後ろ盾(だて)として、米国・国連・ヨーロッパの国々VS中国)
虚無があります。(きょむ:何も存在せずむなしい)
努力しても報われない(むくわれない)暮らしです。
男と女の関係があって、底辺の生活です。
『ヨシボーの犯罪』
へんな出だしのマンガです。
雑誌の中にいる若いビキニの女性をピンセットでつまみだして食べるのです。
人食いです。アニメ作品『進撃の巨人』を思い出しました。グロテスクです。奇怪、異様、気味が悪い。
自転車修理屋で働いている主人公の若者男性です。(名前は、ヨシボー)兄と自転車修理をしているそうです。
メッキ工場が出てきます。(さっきの『大洋電気鍍金工業所』の続きの話だろうか)
ラストシーンで自転車に乗ったヨシボーが、『よし、みんなに(温泉があることを)教えてあげよう。』と言います。(「みんな」ってだれのことだろう?)
『少年』
うーむ。気持ち悪い。
ヨシボー(義坊)が、罠で捕まえたねずみを青酸カリに漬けて(つけて)殺しています。(わたしが小学生の頃、金属でできたねずみとりの罠(わな。箱の形状)を水につけてねずみを殺していた場面を見ていたことを思い出しました。昭和40年代のことです)
クローム:銀白色の金属。クロームメッキに使用する。
237ページまで読んで、ようやく、『ヨシボー』が作者の『つげ義春さん』であることがわかりました。自伝的要素があるマンガです。かなり苦労されています。
マンガ家を志しておられます。(マンガの中で)
家に帰ると母親がいて、まだ小さい弟と妹がいて、義父がいます。幸せそうには見えません。
女と男のやるせない関係があります。(憂い(うれい)、悲しみ、解決のしようがない)
お金はないけれど、ある意味平等な世界があります。貧困世界における男女平等、年功序列なしです。
人間の心の奥に潜む(ひそむ)残酷な面が描写されています。1981年(昭和56年)の作品
『ある無名作家』
最後の作品になりました。1984年(昭和59年)の作品です。
奥田という男性が、安井という男性のところへ久しぶりに会いに来ました。
わたしなんぞは、久しぶりに古い知人から連絡があると、お金の無心ではなかろうかと警戒してしまいます。
マンガの中の季節は5月のこどもの日です。
こいのぼりが風になびいています。
奥田は小学校4年生ぐらいの男児を連れています。(あとでわかりますが、逃げた女房の連れ子です。奥田はその子を暴力的に虐待しています)
安井という男性は貸本マンガを描いていたそうですから、著者自身のことか、著者の知り合いのことなのでしょう。
読み続けて、やはり、安井は、つげ義春さんでした。
小川国夫:小説家。2008年80歳没。「アポロンの島」
奥田の生活は悲惨です。あまりにもひどくてここには書けません。(だけど、わたしに言わせれば、情けない男です。男ならガッツをもて! 闘志をもて!)
小学4年生男児は、名を『伸一』といいます。
つげ義春さんもこどものころ、義父から虐待を受けたらしい。
虐待は、人の心を壊します。
(最後に、佐野史郎さんのエッセイがありました)
つげ作品のファンだそうです。
実際につげさんに会って、つげさんは『観察の人』だと分析されています。
つげ作品は、「光がどんなにあたっている所でも闇は必ずある」ではなく、「闇だらけで真っ暗な中にも、必ず光はある」という評価だそうです。
読み手の人生体験で、感じ方が違ってくる作品だと思います。共感される人は、それなりの苦労体験をされていると思います。
「あいまいとか、わからない」ということがある。「はっきりとしたわかりやすい世界」は、人間界にはあまりない。
エッセイを読んでいて、コメントにある「緩やかな(ゆるやかな)気持ち」があれば、戦争も起こらないと思ったのです。
2023年09月26日
おばけのバーバーパパ
おばけのバーバーパパ さく/アネット=チゾンとタラス=テイラー やく/やましたはるお 偕成社
おばけはピンク色です。形状はアメーバーのようです。表紙をめくって、おばけは足が何本もあるのですが、形を変化することができると気づけます。
おばけが、パパということは、パパは亡くなったのだろうか。(最後まで読みましたが、パパのことは出てきませんでした)
原作者のフランス住まいのご夫婦はすでに亡くなっています。
原作は、1971年(昭和46年)で、日本での出版は1972年(昭和47年)です。
物語をつくった人は亡くなっても作品は読まれ続けます。
絵は、線がすっきりしていてきれいです。
色も感じがいい。
登場人物『フランソア』は、女子かと思ったら男子でした。小学校高学年に見えます。
フランソアが、おばけの球根のようなものを土に埋めて水やりをしています。
「ジャックと豆の木」の豆のように、土の中から姿が地上に出て、おばけの球根は育っていきます。植物のようです。
おばけは大きくなりすぎて、動物園へ行くことになりました。
やはり、バーバーパパは、自分の姿の形を変えて、狭くて不自由な檻(おり)から出て、自分の好きなところへ移動します。
ものまねおばけです。オットセイのまねをしてオットセイの形になります。次は、フラミンゴ、そしてラクダと続きます。形態模写です。
問題行動だとして、バーバーパパは、動物園を追い出されてしまいました。
でも目的地がないので、とほうにくれて泣いています。
ほう。バーバーパパは、自分が人の役に立つ役割を果たせることに気づきました。
火事場で、階段の形に変形して、高いところにいる人を救命救助しました。
今度は、動物園から逃げ出した豹(ひょう)をなんとかします。
なるほど、ここで、表紙のあたりの絵に戻ります。
バーバーパパは、足を檻のような形にして豹(ひょう)を閉じ込めました。
世のため人のために働くと人気者になります。
バーバーパパは、ペットのようなものだろうか。
それとも人間のことをおばけにたとえてあるのだろうか。
どうしておばけなんだろう。
愛情深いお話でした。
『平和』があります。
おばけはピンク色です。形状はアメーバーのようです。表紙をめくって、おばけは足が何本もあるのですが、形を変化することができると気づけます。
おばけが、パパということは、パパは亡くなったのだろうか。(最後まで読みましたが、パパのことは出てきませんでした)
原作者のフランス住まいのご夫婦はすでに亡くなっています。
原作は、1971年(昭和46年)で、日本での出版は1972年(昭和47年)です。
物語をつくった人は亡くなっても作品は読まれ続けます。
絵は、線がすっきりしていてきれいです。
色も感じがいい。
登場人物『フランソア』は、女子かと思ったら男子でした。小学校高学年に見えます。
フランソアが、おばけの球根のようなものを土に埋めて水やりをしています。
「ジャックと豆の木」の豆のように、土の中から姿が地上に出て、おばけの球根は育っていきます。植物のようです。
おばけは大きくなりすぎて、動物園へ行くことになりました。
やはり、バーバーパパは、自分の姿の形を変えて、狭くて不自由な檻(おり)から出て、自分の好きなところへ移動します。
ものまねおばけです。オットセイのまねをしてオットセイの形になります。次は、フラミンゴ、そしてラクダと続きます。形態模写です。
問題行動だとして、バーバーパパは、動物園を追い出されてしまいました。
でも目的地がないので、とほうにくれて泣いています。
ほう。バーバーパパは、自分が人の役に立つ役割を果たせることに気づきました。
火事場で、階段の形に変形して、高いところにいる人を救命救助しました。
今度は、動物園から逃げ出した豹(ひょう)をなんとかします。
なるほど、ここで、表紙のあたりの絵に戻ります。
バーバーパパは、足を檻のような形にして豹(ひょう)を閉じ込めました。
世のため人のために働くと人気者になります。
バーバーパパは、ペットのようなものだろうか。
それとも人間のことをおばけにたとえてあるのだろうか。
どうしておばけなんだろう。
愛情深いお話でした。
『平和』があります。
2023年09月25日
バスVS鉄道乗り継ぎ対決旅 山梨県清里から静岡県修善寺虹の郷
バスVS鉄道乗り継ぎ対決旅 富士山攻略スペシャル 山梨県清里から静岡県修善寺虹の郷(にじのさと) テレビ東京
もうずいぶん前ですが、ゴールの伊豆修善寺にある虹の郷(にじのさと)へは愛知県内の自宅から自家用車で行ったことがあります。
修善寺駅からだとずいぶんな上り坂だったので、今回は、ゴール付近で苦労されると予想しながら見始めました。あんのじょう、太川陽介路線バスチームは、最後は過酷な山道歩きでした。
太川陽介バスチーム:たけうちほのか(俳優の竹内涼真さんの妹さんだそうですが、あいにく年配のわたしは竹内涼真さんを知りません。たけうちほのかさんは、バラエティの方面で仕事をされているそうです) 草薙航基(宮下草薙のボケ担当。くさなぎこうき。くさなぎくんは今回の番組でとてもおもしろかった)【その後:竹内涼真さんが、出川哲朗さんの充電バイクの旅に出演されていたことを思い出しました。歳をとって記憶力がなくなりました。静岡県の久能山東照宮あたりからのスタートで、なんと竹内涼真さんは運転免許証を忘れたので、きゅうきょスタッフが購入した電動自転車で移動しておられました。】
村井美樹鉄道チーム:ハシヤスメ・アツコ(楽器をもたないパンクロックバンドのBiSHビッシュのメンバーだったが、今年6月に解散した。あいにく、こちらの方もわたしは存じませんが、たまたまテレビ番組『アメトーク』で、テーマ『BiSH(ビッシュ)ロス芸人』としてとりあげられていて拝見して理解しました。その番組で、太川バスチームの草薙さんが写真で出ていました。草薙さんはBiSHのファンなのでしょう) 岡野陽一(クズ芸人という肩書だそうです。アメトークで見たことがあるような気がします)
雨の中、カッパを着用して傘さしての歩いて目的地目指しで、村井美樹鉄道チームがひそかに太川陽介バスチームにまぎれて、信号機の「青」で、出し抜けに(突然に、ふいに)追い抜いたシーンが強く印象に残りました。あざやかでした。
まるで、戦国時代の戦(いくさ)です。悪天候を味方につけて、敵をやっつけます。たいしたもんです。スリルを堪能(たんのう。優れた行動に観ていて満ち足りた気分になりました)しました。
敵のグループにまぎれこんで、敵をあざむいて(だまして)、敵を追い抜く。爽快(そうかい)です。
太川陽介さんがしきりに「なんで気づかなかったんだろう」という言葉を繰り返していました。65歳の太川さんです。65歳は目が見えないと思います。振り向いても敵がそばにいるのがわからなかった。65歳というのは、目の前にものがあっても気づけない視力年齢です。判断・判定をする脳みその働きも弱ってきているのです。3人のバスチームメンバーは前だけを見ている。信号の色が青に変わることだけを集中して見ている。うしろに気づけない。まさか、真後ろに敵がいるとは思っていない。盲点があります。おおぜいいてもだれも気づけない。へんな話ですが、元首相の事件を思い出しました。
太川さんは嘆いていました。『なんために(午前)5時半に出発したのだろう』
草薙航基さんのキャラクター(個性)がおもしろかった。
名古屋市内の高校を2日で退学したことをあとで知りました。頼りなさそうですが、お笑いの世界で成功されています。
太川陽介さんにかなりいじられていました。だらしがないと責められていて、草薙さんはしきりに太川さんが怖いと言っていました。
始まりからかなりむずかしいルートでした。
これまでの番組とは違う景色を見ました。1980年代(昭和55年ころ)の山梨県清里(きよさと)の風景など、ああ、そんな景気のいいバブル経済最盛期のときがあったなあと思い出しました。バブル経済が破綻したときに、年配の人たちから「もう自分たちが生きている間には好景気はない。きみはまだ若いから次の好景気を体験できるだろう」と言われたことを思い出しました。経済には波があります。当時の年配のみなさんはもうこの世にはおられません。映像を見ながら、ちょっとしみじみしました。あれはあれでいい時代だったなと思います。あのような経済最盛期を体験できることはなかなかありません。
バス待ち、電車待ちの時間があったため、現地の観光案内みたいな時間帯が長く、昔の太川さんとえびすさんの路線バス乗り継ぎ人情旅の雰囲気がありなつかしかった。
また、女性陣3人の温泉入浴シーンがあり珍しかった。入浴中、女性3人でおっぱいの大きさの話をするシーンなどこれまでにありませんでした。
あわせて、男性3人の入浴シーンでは、草薙さんが他人に自分の乳首を見られるのが嫌だと言いはって、太川さんから逃げていたシーンがなかなかおもしろかった。
村井美樹さんの言葉『(これまでとは)別番組になっている』(たしかに)
マリンパークのアシカのミクちゃんが、可愛くて、かっこよかった。アシカに輪投げというゲームですが、3個の輪を首に受けて、できたときのポーズが完璧でした。
いつものように充実した番組に仕上がっています。
地図を見ながら、たけうちほのかさんが、「(チェックポイントは)川の近くにあるのねぇ」それに対して草薙さんが、「それは川じゃなくて高速道路です」に笑いました。
ハシヤスメ・アツコさんが、BiSH解散の理由を「一番いいときに辞めたかった」と言われたのですが、わたしが思うに、人は年齢を重ねて成長するものだから、いつまでも、思春期の歌を歌えない。どこかで割り切って、気持ちに折り合いをつけて、理不尽、不合理、不条理な世界を生き抜く決断をしなければおとなにはなれないということがあるのです。いつまでも、あれがいやだ、これがいやだ、不満がいっぱいだとは言っておれないのです。だからだらだらと続けずにケリをつけて解散ということもあると思います。潔い(いさぎよい)。まだ稼げるのにという意見もあるようですが、歳をとっても思春期の歌を歌い続けることは、だらしがないということもあります。
ぶどうの糖度選びゲームがむずかしかった。(糖度23度以上のぶどうをぶどう棚から選んでくる)
シャインマスカット(黄色)の枝に近いほうと覚えました。
村井美樹鉄道チームの勝利でした。勢いがありました。ブドウの糖度ゲームあたりで、流れは鉄道チームにありました。あとで、答え合わせの番組を見てみます。
村井チームがゴールしたときには、太川チームはまだ山の中を歩いていたことになります。
太川チームの草薙さんの言葉です。『生きてて一番つらかった』(もっとつらいことがあるような気がしますが……)
タクシー代は貴重です。たった1000円、されど1000円です。
(「ネットもテレ東」動画配信サービスで答え合わせを見ました)
珍しく、太川さんと村井さんおふたり同席の答え合わせでした。いつもは敗者だけです。
対戦直後だそうです。お互いにビールで乾杯します。太川陽介さんは村井美樹さんに「完敗」でした。
タクシー代は、なるべく初日は使わない。二日目のためにとっておくのが得策です。
そうか。反対のルートを考える。
これはこうだという思い込みをやめる。
ルートを考えるときは、まずひとつ、次に反対方向へのもうひとつ。余裕があれば、右方向、左方向、4択ぐらいにもっていく。
なかなかむずかしい。
もうずいぶん前ですが、ゴールの伊豆修善寺にある虹の郷(にじのさと)へは愛知県内の自宅から自家用車で行ったことがあります。
修善寺駅からだとずいぶんな上り坂だったので、今回は、ゴール付近で苦労されると予想しながら見始めました。あんのじょう、太川陽介路線バスチームは、最後は過酷な山道歩きでした。
太川陽介バスチーム:たけうちほのか(俳優の竹内涼真さんの妹さんだそうですが、あいにく年配のわたしは竹内涼真さんを知りません。たけうちほのかさんは、バラエティの方面で仕事をされているそうです) 草薙航基(宮下草薙のボケ担当。くさなぎこうき。くさなぎくんは今回の番組でとてもおもしろかった)【その後:竹内涼真さんが、出川哲朗さんの充電バイクの旅に出演されていたことを思い出しました。歳をとって記憶力がなくなりました。静岡県の久能山東照宮あたりからのスタートで、なんと竹内涼真さんは運転免許証を忘れたので、きゅうきょスタッフが購入した電動自転車で移動しておられました。】
村井美樹鉄道チーム:ハシヤスメ・アツコ(楽器をもたないパンクロックバンドのBiSHビッシュのメンバーだったが、今年6月に解散した。あいにく、こちらの方もわたしは存じませんが、たまたまテレビ番組『アメトーク』で、テーマ『BiSH(ビッシュ)ロス芸人』としてとりあげられていて拝見して理解しました。その番組で、太川バスチームの草薙さんが写真で出ていました。草薙さんはBiSHのファンなのでしょう) 岡野陽一(クズ芸人という肩書だそうです。アメトークで見たことがあるような気がします)
雨の中、カッパを着用して傘さしての歩いて目的地目指しで、村井美樹鉄道チームがひそかに太川陽介バスチームにまぎれて、信号機の「青」で、出し抜けに(突然に、ふいに)追い抜いたシーンが強く印象に残りました。あざやかでした。
まるで、戦国時代の戦(いくさ)です。悪天候を味方につけて、敵をやっつけます。たいしたもんです。スリルを堪能(たんのう。優れた行動に観ていて満ち足りた気分になりました)しました。
敵のグループにまぎれこんで、敵をあざむいて(だまして)、敵を追い抜く。爽快(そうかい)です。
太川陽介さんがしきりに「なんで気づかなかったんだろう」という言葉を繰り返していました。65歳の太川さんです。65歳は目が見えないと思います。振り向いても敵がそばにいるのがわからなかった。65歳というのは、目の前にものがあっても気づけない視力年齢です。判断・判定をする脳みその働きも弱ってきているのです。3人のバスチームメンバーは前だけを見ている。信号の色が青に変わることだけを集中して見ている。うしろに気づけない。まさか、真後ろに敵がいるとは思っていない。盲点があります。おおぜいいてもだれも気づけない。へんな話ですが、元首相の事件を思い出しました。
太川さんは嘆いていました。『なんために(午前)5時半に出発したのだろう』
草薙航基さんのキャラクター(個性)がおもしろかった。
名古屋市内の高校を2日で退学したことをあとで知りました。頼りなさそうですが、お笑いの世界で成功されています。
太川陽介さんにかなりいじられていました。だらしがないと責められていて、草薙さんはしきりに太川さんが怖いと言っていました。
始まりからかなりむずかしいルートでした。
これまでの番組とは違う景色を見ました。1980年代(昭和55年ころ)の山梨県清里(きよさと)の風景など、ああ、そんな景気のいいバブル経済最盛期のときがあったなあと思い出しました。バブル経済が破綻したときに、年配の人たちから「もう自分たちが生きている間には好景気はない。きみはまだ若いから次の好景気を体験できるだろう」と言われたことを思い出しました。経済には波があります。当時の年配のみなさんはもうこの世にはおられません。映像を見ながら、ちょっとしみじみしました。あれはあれでいい時代だったなと思います。あのような経済最盛期を体験できることはなかなかありません。
バス待ち、電車待ちの時間があったため、現地の観光案内みたいな時間帯が長く、昔の太川さんとえびすさんの路線バス乗り継ぎ人情旅の雰囲気がありなつかしかった。
また、女性陣3人の温泉入浴シーンがあり珍しかった。入浴中、女性3人でおっぱいの大きさの話をするシーンなどこれまでにありませんでした。
あわせて、男性3人の入浴シーンでは、草薙さんが他人に自分の乳首を見られるのが嫌だと言いはって、太川さんから逃げていたシーンがなかなかおもしろかった。
村井美樹さんの言葉『(これまでとは)別番組になっている』(たしかに)
マリンパークのアシカのミクちゃんが、可愛くて、かっこよかった。アシカに輪投げというゲームですが、3個の輪を首に受けて、できたときのポーズが完璧でした。
いつものように充実した番組に仕上がっています。
地図を見ながら、たけうちほのかさんが、「(チェックポイントは)川の近くにあるのねぇ」それに対して草薙さんが、「それは川じゃなくて高速道路です」に笑いました。
ハシヤスメ・アツコさんが、BiSH解散の理由を「一番いいときに辞めたかった」と言われたのですが、わたしが思うに、人は年齢を重ねて成長するものだから、いつまでも、思春期の歌を歌えない。どこかで割り切って、気持ちに折り合いをつけて、理不尽、不合理、不条理な世界を生き抜く決断をしなければおとなにはなれないということがあるのです。いつまでも、あれがいやだ、これがいやだ、不満がいっぱいだとは言っておれないのです。だからだらだらと続けずにケリをつけて解散ということもあると思います。潔い(いさぎよい)。まだ稼げるのにという意見もあるようですが、歳をとっても思春期の歌を歌い続けることは、だらしがないということもあります。
ぶどうの糖度選びゲームがむずかしかった。(糖度23度以上のぶどうをぶどう棚から選んでくる)
シャインマスカット(黄色)の枝に近いほうと覚えました。
村井美樹鉄道チームの勝利でした。勢いがありました。ブドウの糖度ゲームあたりで、流れは鉄道チームにありました。あとで、答え合わせの番組を見てみます。
村井チームがゴールしたときには、太川チームはまだ山の中を歩いていたことになります。
太川チームの草薙さんの言葉です。『生きてて一番つらかった』(もっとつらいことがあるような気がしますが……)
タクシー代は貴重です。たった1000円、されど1000円です。
(「ネットもテレ東」動画配信サービスで答え合わせを見ました)
珍しく、太川さんと村井さんおふたり同席の答え合わせでした。いつもは敗者だけです。
対戦直後だそうです。お互いにビールで乾杯します。太川陽介さんは村井美樹さんに「完敗」でした。
タクシー代は、なるべく初日は使わない。二日目のためにとっておくのが得策です。
そうか。反対のルートを考える。
これはこうだという思い込みをやめる。
ルートを考えるときは、まずひとつ、次に反対方向へのもうひとつ。余裕があれば、右方向、左方向、4択ぐらいにもっていく。
なかなかむずかしい。
2023年09月22日
出川哲朗の充電バイクの旅 兵庫県丹波から淡路島
出川哲朗の充電させてもらえませんか? 兵庫県丹波から淡路島 テレビ東京
祝さんまさんが5年ぶりに来てくれたぁー!丹波から淡路島へ“お笑い怪獣”と兵庫縦断113キロ!さんまが“パァー!”で哲朗タジタジ!初登場のやす子はドキドキ!ヤバいよヤバいよSP
突然ですが、さんまさんもやす子さんも家庭的には恵まれないこども時代を送られています。(さんまさんは3歳のときに実母が病死、父再婚後、義母には連れ子がいて、さみしい思いをされています。やす子さんはこどものときに両親が離婚されています。母子家庭で経済的に苦労されています)
さんまさんは、同世代なので、若い頃のさんまさんの姿と顔を覚えています。たしか『ヤングおー!おー!』というテレビ番組に出ておられました。
今回の映像を見ながら出川哲朗さんもそうですが、みなさん、年齢を重ねたなーーという実感が湧きました。いろいろあったけれど、みんな一生懸命働いたから安定した前期高齢者の今があります。余生を楽しみましょう。
出会った女性が、さんまさんのことを、さんまさんの物まねをする『ほいけんた』さんだと勘違いしたシーンがおもしろかった。
やす子さんのことを出会った女性たちが『カノンちゃん』と呼んでいました。本名だそうです。
テレビなので、次から次へとエピソードをつないでいきます。忙しい。タレントさんも自分が何をしたのかを忘れてしまいそうです。
にぎやかです。やす子さんは『はいーっ はいーっ』を連呼し(れんこし)、さんまさんは『あいよっ あいよ あいよーー』を連呼します。
首切り地蔵尊のいわれは、いまいちわかりませんでした。
丹波竜は有名です。
少年野球でのやす子さんのバッティングは、野球を知らないにしてはうまかった。対決後のほふく前進もおもしろかった。
へそ公園での、大きなまつぼっくりが手りゅう弾に見えるという、たとえ話もじょうずでした。
ラーメン屋あたりで、やす子さんの体重が自衛隊をやめて25kg増えて今は77kgというのもすごい。若いから体が動きますが、この先のことを考えるとセーブしたほうがいい。
関西では、テレビ東京の番組を放送してくれるテレビ局がなくて、この番組は放送されていないから地元民の番組認知度が低いということが、画面を見ていてよくわかりました。
やす子さんが、充電のお願いをしても、疑われているのか断られ続けました。ようやく8軒目でむりむり受けていただきました。やす子さんが気の毒に思えました。
『かつめし』という食事は初めて見ました。おいしそうです。
川があって、土手があって、田んぼが広がっていて里山がある。心落ち着く日本の風景です。
明石から淡路島までフェリーで渡る。以前観た『東野・岡村の旅猿』で、メッセンジャー黒田さんの別荘へ行ったときのルートです。
テレビ東京はお金がないからテレビカメラではなくスマホで動画を撮るそうです。まあ、お金だけの理由ではないでしょうが、スマホの機能が優れているということもあるのでしょう。
さんまさんと土方(ひじかた)ディレクターがかみ合いません。さんまさんが、あきれるようにかんしゃくをおこしたようにおこり(怒り)続けますが、土方ディレクターは動じません。
なかなかいいからみでした。昔の路線バス乗り継ぎ旅の太川陽介さんとえびすよしかずさんのコンビみたいです。(えびすさんは最近認知症の番組によく出ているので見ています。もうバス旅は無理です。頭髪は真っ白で元気はなく、別人のように老いてしまいました。記憶力がなくなっているようです)
海の風景がきれい。
キティちゃんハウスもおもしろかった。いっぱい無理を言ってお願いをとおしてもらいました。
ビーガン:完全菜食主義者。動物性食品を口にしない。環境と動物保護が目的
バナナボートの話とか(さんまさんは若いころから売れていたので出川さんみたいに演者としてバナナボートに乗ったことはない)、ちびっこの男の子が『ハリソンフォードちゃうわ』と返してきたシーンなど楽しかった。
なにせ、にぎやかです。
海水浴場でもブラジル人ハーフの女の子も入ってにぎやかでした。
夕焼けがきれいでした。
ゴールの神社では、さんまさんがおさいせん箱に1000円札を入れたので、太っ腹だと感心しました。
さんまさんは5年ぶりの出演だったそうです。人生は思い出づくりで、旅は思い出のランドマーク(めじるし)です。旅は思い出の一里塚(いちりづか。江戸時代の街道に一里(いちり。約4km)ごとに置かれていた)です。
祝さんまさんが5年ぶりに来てくれたぁー!丹波から淡路島へ“お笑い怪獣”と兵庫縦断113キロ!さんまが“パァー!”で哲朗タジタジ!初登場のやす子はドキドキ!ヤバいよヤバいよSP
突然ですが、さんまさんもやす子さんも家庭的には恵まれないこども時代を送られています。(さんまさんは3歳のときに実母が病死、父再婚後、義母には連れ子がいて、さみしい思いをされています。やす子さんはこどものときに両親が離婚されています。母子家庭で経済的に苦労されています)
さんまさんは、同世代なので、若い頃のさんまさんの姿と顔を覚えています。たしか『ヤングおー!おー!』というテレビ番組に出ておられました。
今回の映像を見ながら出川哲朗さんもそうですが、みなさん、年齢を重ねたなーーという実感が湧きました。いろいろあったけれど、みんな一生懸命働いたから安定した前期高齢者の今があります。余生を楽しみましょう。
出会った女性が、さんまさんのことを、さんまさんの物まねをする『ほいけんた』さんだと勘違いしたシーンがおもしろかった。
やす子さんのことを出会った女性たちが『カノンちゃん』と呼んでいました。本名だそうです。
テレビなので、次から次へとエピソードをつないでいきます。忙しい。タレントさんも自分が何をしたのかを忘れてしまいそうです。
にぎやかです。やす子さんは『はいーっ はいーっ』を連呼し(れんこし)、さんまさんは『あいよっ あいよ あいよーー』を連呼します。
首切り地蔵尊のいわれは、いまいちわかりませんでした。
丹波竜は有名です。
少年野球でのやす子さんのバッティングは、野球を知らないにしてはうまかった。対決後のほふく前進もおもしろかった。
へそ公園での、大きなまつぼっくりが手りゅう弾に見えるという、たとえ話もじょうずでした。
ラーメン屋あたりで、やす子さんの体重が自衛隊をやめて25kg増えて今は77kgというのもすごい。若いから体が動きますが、この先のことを考えるとセーブしたほうがいい。
関西では、テレビ東京の番組を放送してくれるテレビ局がなくて、この番組は放送されていないから地元民の番組認知度が低いということが、画面を見ていてよくわかりました。
やす子さんが、充電のお願いをしても、疑われているのか断られ続けました。ようやく8軒目でむりむり受けていただきました。やす子さんが気の毒に思えました。
『かつめし』という食事は初めて見ました。おいしそうです。
川があって、土手があって、田んぼが広がっていて里山がある。心落ち着く日本の風景です。
明石から淡路島までフェリーで渡る。以前観た『東野・岡村の旅猿』で、メッセンジャー黒田さんの別荘へ行ったときのルートです。
テレビ東京はお金がないからテレビカメラではなくスマホで動画を撮るそうです。まあ、お金だけの理由ではないでしょうが、スマホの機能が優れているということもあるのでしょう。
さんまさんと土方(ひじかた)ディレクターがかみ合いません。さんまさんが、あきれるようにかんしゃくをおこしたようにおこり(怒り)続けますが、土方ディレクターは動じません。
なかなかいいからみでした。昔の路線バス乗り継ぎ旅の太川陽介さんとえびすよしかずさんのコンビみたいです。(えびすさんは最近認知症の番組によく出ているので見ています。もうバス旅は無理です。頭髪は真っ白で元気はなく、別人のように老いてしまいました。記憶力がなくなっているようです)
海の風景がきれい。
キティちゃんハウスもおもしろかった。いっぱい無理を言ってお願いをとおしてもらいました。
ビーガン:完全菜食主義者。動物性食品を口にしない。環境と動物保護が目的
バナナボートの話とか(さんまさんは若いころから売れていたので出川さんみたいに演者としてバナナボートに乗ったことはない)、ちびっこの男の子が『ハリソンフォードちゃうわ』と返してきたシーンなど楽しかった。
なにせ、にぎやかです。
海水浴場でもブラジル人ハーフの女の子も入ってにぎやかでした。
夕焼けがきれいでした。
ゴールの神社では、さんまさんがおさいせん箱に1000円札を入れたので、太っ腹だと感心しました。
さんまさんは5年ぶりの出演だったそうです。人生は思い出づくりで、旅は思い出のランドマーク(めじるし)です。旅は思い出の一里塚(いちりづか。江戸時代の街道に一里(いちり。約4km)ごとに置かれていた)です。