2023年09月14日

琥珀の夏(こはくのなつ) 辻村深月(つじむらみづき)

琥珀の夏(こはくのなつ) 辻村深月(つじむらみづき) 文藝春秋

 4か月ぐらい前に手に入れた本です。
 これから読む本のダンボール箱に保管してありました。
 夏も終わりに近づいているので、タイトルの夏にちなんだ読書をせねばと、ちょっとあせりぎみで本を手にしました。
 
 読み始めて、迫力のある出だしです。
 幼児の白骨死体が発見されたようです。
 事件モノ、児童福祉施設でのこどもの死を扱ってあるようです。
 いつものように読みながら感想メモを書き足していきます。

 静岡県にあった『ミライの学校』の跡地で女児の白骨死体が発見された。
 死体は自分の孫ではないかという人が現れた。
 弁護士女性が動き出したのですが、どうも彼女がなにかを知っているようです。彼女も同じ施設にいたというような設定に思わせる話の運びです。

 美夏(みか):死体の主ではないか。

 近藤法子(こんどうのりこ):弁護士

 田中:施設の関係者女性。やせている。化粧っけなし。白髪あり。見た目が、近藤法子よりずいぶん年上に見える。

 青年:施設の事務職らしき人。眼鏡をかけて、小鹿のような顔をしている。(施設で育ったこどもではないか)

 プロローグとエピローグがあって、第一章から第八章、そして、最終章があります。

 ミライの学校:雑草の生い茂った「広場」があった。広場の隅に、トタン屋根の物置小屋があった。雑草の生えた広場に何年も乗っていないような自転車が1台横倒しになって放置されていた。
 鳥、蝶、トンボ、お風呂、食堂、木造校舎、工場、先生との問答、泉、女児の白骨死体は、広場に埋められていた。(宗教関係の児童施設だろうか)

(つづく)

 40ページまで読みました。人の名前がたくさん出てきます。
 施設という設定から以前観た邦画を思い出しました。『約束のネバーランド 邦画』化け物に食べられるためにこどもたちが養われていたのです。おぞましい話です。(恐怖、嫌悪、いやな思い)

以下、昔のこととして、

 美夏(ミカ。再掲):白骨死体の主と思われる。今は、幼児。幼稚園年長6歳ぐらいか。幼等部。ミカは、6年生のシゲルが好きらしい。

 近藤法子(ノリコ):今は弁護士。ミカと同い年。幼等部

 ヨシエ:小等部4年生
 ミチエ:4年生
 シゲル:6年生。無口。背が高い。坊主頭。女子にもてる。
 ヨウイチ:3年生
 チトセ:この子がキーポイントのようなポジションに見えます。背中のまんなかまでのびる長い髪。気取っている。ここで(施設で)生まれたこどもではない。幼等部。ミカ、ノリコと同い年。幼稚園年長、6歳ぐらい。(いじめにあうのだろうか)
 ナナ:2年生
 ナルミ:中等部3年生
 シンスケ:高等部
 エリカ:小等部5年生。森の泉にリボンを流してなにかお願いをしたらしい。シゲルと両思いになれますようにかも。
 ユッコ:中等部
 ヒサノ:幼等部。年長6歳ぐらい。
 ユタカ:小等部
 ヤス(ヤスアキ):幼等部
 タカシ:幼等部
 
 くみこ先生
 水野先生:幼等部の校長。白い髪と白いヒゲ。おじいちゃん。絵の先生。ミカにとって、水野先生は好きな先生
 ひとみ先生

 施設の名称は『学び舎(まなびや)』です。
 『ミライはここにしかない』
 ミカの施設入所です。いままでつないでいたはずの手がいつのまにかなくなっているとあります。悲しい話です。(施設入所で、つないでいた親の手が離れた)

 『森の泉』『朝いちばんの泉の水に、大事なものを流してお願いすると、どんな願いでもかなう……』(泉から川のようなものが流れて出ているのだろうか)
 水を泉までくみにいって、生活用水として使用しているようです。
 小学校は麓(ふもと)にある。
 
 工場:泉の水を汲んで詰める工場

 美夏は泉に行って自分の宝物(お父さんとお母さんからもらった絵の具)を泉の水に流すのですが、それは寝ていたときの『夢』ではなかろうか。実際には夜中に泉には行っていないのではないか。美夏は両親に会いたい。(両親はともに事故死したのかと思っていたら生きているようです。年末年始に会えるそうです。わたしの勝手な意見ですが、こどもを捨てるような両親は捨てればいい。追いかける必要はありません)

(つづく)

 80ページまで、第一章「ミカ」の部分を読み終えました。
 前記した出来事は『夢』ではありませんでした。
 なにかしら現実味がないお話が続きます。就学前の女児たちの話は、人間の話ではなくて『妖精(ようせい)』たちの話のようでもあります。
 死んで白骨死体で埋められていたであろう就学前6歳ぐらいの女児「ミカ」が生きていたときのようすが書いてあります。不気味です。

 親が孤児院らしき施設『(ミライのための)学び舎(まなびや)』』に来て、就学前の女の子チトセが引き取られていったようです。やせた髪の短い、唇が赤い女の人が迎えに来ました。男の人が車の運転をしていました。
 『帰るの?』
 そのあと
 『どこに』
 『ナガサキ』(旅行で行ったことがある長崎県内のあちこちの風景が目に浮かびました。チトセの親は冷たそうな人間に見えます)

 会(かい):話し合いの場のことのようです。学び舎(まなびや)の建物と事務所の間にある大きな建物の中で「会」が開催されるそうです。会を開いて「問答(もんどう)」をするそうです。(この施設ではなにを学ぶのだろう?)「ゆるす」という言葉が出てきました。
 
 泉に流したのが、油絵具だったらだめで、水彩絵の具だったらいいという理屈は変です。

 年長らしき幼児たちは、小学校に入学するそうです。ランドセルは新品もあるし、おさがりもあります。

 80ページの位置にいて、作者は、この本で、どんなメッセージを読者に伝えたいのだろうかと思う。

(つづく)

 100ページまで読みました。
 孤児院の話ではありません。
 これは、昔問題になったこどもを農業集団の中で育てる組織のことだろうか。
 親がいるのに親から離れて集団生活をするこどもたちです。へんな親です。親の役割を放棄しています。こどもからみれば、ひどい親です。児童虐待みたいなものです。親にこどもを育てる能力がありません。
 自然の中で農作業や畜産、遊ぶ体験をさせる集団です。
 この本の中では『ミライの学校』です。
 洗脳が恐ろしい。(組織の都合のいいように意識や心理をコントロールされてしまう)
 先日読んだ作品『光のとこにいてね 一穂ミチ(いちほ・みち) 文藝春秋』を思い出しました。自然派食品しかこどもに食べさせない毒親がいました。

 81ページから始まる『第二章 ノリコ』は、成長して弁護士になった近藤法子のことでしょう。いまはまだ小学4年生です。夏休み体験のような企画で、短期間、ミライの学校にいたようです。『夏の(学び舎(や))留学編』です。

 ユイ(小坂井由衣):ノリコの友だち。かわいい。バレエとピアノと英語と習字と新体操をしている。むらさき班。母親が、ちはる先生(きみどり班)
 ケイコ、マリ:ノリコやユイと同年齢
 アミ(アサミ):小学4年生。ユイの仲良し。きいろ班
 コウスケ:アミと関連があるようです。
 メグミとタクマ:こどもクラブというところに属している。ノリコと保育園が一緒だった。
 ノリコの母親:看護師をしている。
 ノリコの父親
 シンタ:ノリコのクラスメート
 エリ、ハルミ、ミエ:ユイの仲良し。エリの言葉『―― ノリコちゃんさ、一緒に(ミライの学校へ)行ってあげることなんてないって。』

 なにかしら、ノリコに対する「いじめ」の雰囲気があります。えこひいきです。ノリコが責められるような言葉の流れが同級生女子にあります。ダサいノリコだそうです。
 
 人の名前がどんどん出てきて把握がたいへんです。
 
 時田:女の人。はきはきしてきれいな人。細くて、優しそう。話もじょうずそう。あかちゃんをだっこしている。アミの母親。英語の先生。アメリカ暮らしの体験あり。黄色班

 こどもの集団は、色分け名称の班に分けられる。

 ノリコ(ノンコ):みどり班
 初日はユイと寝たが、翌日の夜は寝なかった。

 じゅんぺい先生

 しんたろう先生(校長):白髪少々の黒髪、眼鏡

 まみ先生(時田):だいだい班。アミの母親。

 ちはる先生:きみどり班。ユイの母親

 この集団は、どうも『苗字(みょうじ)』を使わないようです。
 おとなもこどもも、下の名前で呼び合います。この集団の独特な慣例なのでしょう。

 以下、学園入所中のこどもたち
 アリサ:ツヨシ:ミチエ:ヨシエ:ショウタ:ヒサノ:ミカ
 シゲル:眼鏡、クール、頭が良さそう。かっこいい。
 サヤ:みどり班。4年生。カワサキから来た。食べることができないものとして、牛乳、卵、肉。食べることができるものとして、野菜

 さちこ先生:みどり班担当

 ミワ:仙台から来た。ユイと仲良し。むらさき班

 (なんというか、うわべだけの仲良し関係の集まりで、なにかしら不気味です)

 ノリコは配膳係です。

 第二章の終わりに、白骨死体でみつかったという『ミカ』が出てきました。

 第三章『法子(のりこ)』を読み始めます。

 近藤法子は成人して結婚してこどもがいます。彼女の職業は弁護士です。夫も弁護士です。
 
 藍子(あいこ):近藤法子夫婦の娘。もうすぐ3歳

 近藤瑛士(こんどうえいじ):近藤法子の夫

 山上法律事務所:近藤法子の所属事務所。近藤法子は15年間所属している。

 山上:山上法律事務所の所長。65歳男性

 新谷(あらや):山上法律事務所の顧客。東京小岩にある工務店の社長。新谷の妻の母親が死去した時に相続手続きで近藤法子が手続きをした。絶縁状態の妻の弟がいた。弟は、新興宗教に入信して出家して親戚づきあいがなくなった。団体名が『道輪の会(みちわのかい)』弟は50代で丸坊主、ガラスのような目をしていた。相続放棄の手続きをした。

 吉住夫妻(よしずみふさい):新谷の知人で老夫婦
 吉住孝信:夫。87歳。元商社マン
 吉住清子:妻。85歳
 長女 保美(やすみ)
 吉住夫婦には、娘がいるが、音信不通になっている。娘である保美(やすみ)がこども(おそらくミカ)を連れて、宗教のような団体で集団生活を始めた。ふたりにとっての孫は、当時2歳だった。以後交流がない。
 こどもの白骨死体のニュースを聞いた。そのこどもは自分たちの孫のミカではないかと思っているとのこと。死亡時の年齢は9歳から12歳、小学3年生から小学6年生。弁護士の近藤法子は、自分が小学生のときに夏休みのときだけ参加していたサマースクール『ミライの学校(静岡県内にあった。2002年に閉鎖(平成14年)2001年団体が売っていた水に不純物が見つかった)』で出会った少女ミカではないかと考え始めた。4年生と5年生のときに会った。6年生のときにはいなかった。

 カルト的:何者かを崇拝する集団。熱烈な信者

 吉住夫婦の娘の経歴です。
 名門私立中高一貫校を卒業して国立大学卒業後就職。同僚の男性と結婚後娘をもうけて離婚。ミライの学校で生活開始。孫娘は二歳だった。両親が孫娘は置いて行けと言ったけれど娘は孫を団体施設へ連れて行った。(組織では親子を離して生活させた。子は団体組織の活動のために利用する人材だったのでしょう)
 
 弁護士近藤法子の思い出ふりかえり部分を読んでいると、ミライの学校という組織は、うわべだけがよく見える組織運営をしていたということがわかります。

 白骨死体が、吉住夫婦の孫娘のミカかどうかを確認する。
 孫娘はもし今生きていたら四十歳になる。
 (こどものまま死んでいったことに深い悲しみがあふれています)

 学力優秀な親が、こどもにとっていい親とは限らないことがわかります。

『第四章<ミカ>の思い出』
 さちこ先生(山下さちこ):なにかわけありの人
 けん先生:さちこより年下。この人も変(へん)
 ノブ:小学4年生男児。学習障害でもあるのか。言動が変(へん)
 水野先生:麓(ふもと)の小学校の校長先生みたいな男性。白髪頭のおじいさん。
 サヤ:光本沙也。川崎支部所属。メガネをかけている。偏食者(へんしょくしゃ)。きれい好き。
 シゲル:沖村滋

 ミカの語りが少しあって、そのあと、ノリコの語りが長時間続きます。
 未来の学校における夏合宿の様子です。六日間です。

 さちこ先生とけん先生の対立があります。小学4年生ノブへの対応の仕方が対立の原因。『一人も、誰のことも、置いて行かない。』
 『泉』がこの集団のシンボルです。天然水を工場でボトルに入れて販売しています。
 RPG:ロールプレイングゲーム。役割分担実行ゲーム
 
 毎夜『会』と『問答』がある。

 ノリコ(みどり班)、アミ(アサミ。きいろ班)、サヤ(みどり班)の三人で寝る。
 
 小学四年生ノブに関してです。なんというか、やろうとか、やらせようとか思っても、できないこどもさんもいます。以前読んだことがある本の読書メモの一部です。『ケーキの切れない非行少年たち 宮口幸治(みやぐち・こうじ) 新潮新書』『どうしても頑張れない人たち ケーキの切れない非行少年たち2 宮口幸治 新潮新書』「認知機能:記憶、思考、理解、計算、学習、言語、判断」に問題があるそうです。病院では、根本的には治せない。
 ふまじめとかやる気がないとかの性格・資質ではなく、もともと能力がない。非行行為をした理由を説明する力が本人にない。深刻な雰囲気です。外見ではわからない。むしろ弱々しくて、線が細い。ふだんは、おとなしく、無口。人なつこい面あり。あいさつはできる。九九ができない。日本地図が理解できない。日本国首相の名前が言えない。日本国首相の名前が、「オバマ」という返答にはあぜんとしました。学校では、いない者として扱われていたのではないかと読みながら思ってしまいます。不登校、暴力、万引きが始まります。

 「平和」と「戦争」について問答をする。「ケンカ」と「戦争」について考える。
 (なんというか、答えのない問題を解こうとしています。人間は欲をもつ生き物です。欲にかられると善悪はなくなり、武力行使で勝った者が正義になります)

 この集団のおとなたちは、しなくてもいいことをして苦しんでいるようにみえます。

 合宿中、小学4年生のノリコに初めての生理が訪れました。そのあと、いろいろあります。

 自習室:反省部屋。ひとりでゆっくり考える。生きることは反省の繰り返しだそうです。自習室は、はたから見れば『罰(ばつ)』です。自分の意思では、外に出られない。

 カマドウマ:わたしは、「ウマオイ」と呼んでいます。虫です。

 いとことは、こどものときはよくいっしょに遊びますが、おとなになると、たいていは、他人のようなものになります。

 『ほんとうは、お母さんといっしょに暮らしたい』

 (ミカが白骨死体になっていたとして、シゲルは今、どこで生きているのか? どこにいるのか? 「シゲルとミカは両思い」シゲルはミカより6歳ぐらい年上)

 世界と未来を考える。

 ヒサノ:小学4年生

(つづく)

 タイトルに『琥珀(こはく)』とあります。
 琥珀:天然樹脂の化石、宝石。石の中に太古の化石があることがある(虫とか)。飴色、黄金色。宝飾品。NHKBSで再放送されているじぇじぇじぇの『あまちゃん』では、登場人物の勉さん(べんさん)がいつも飲食店のカウンターに座って琥珀を磨いています。

 今は、第七章『破片の行方』を読んでいます。第五章『夏の呼び声』第六章『砕ける琥珀』を経ました。(へました)
 登場人物たちの素性がだんだん明らかになっていきます。ここに書くことはやめておきます。

 ノリコが宗教ではないけれど宗教のような集団の夏期合宿に三年間連続で参加してから三十年ぐらいが経過しています。ノリコは40歳の弁護士、夫と保育園の2歳児クラスに預ける娘がいます。

 なんというか、人間の『偽善(ぎぜん。表裏(おもてうら)。うわべだけの良いこと。本心は正反対』を問う作品です。正義の立場で相手を責める人がいます。実は、善良な心をもっていない人です。作品では、自分は「いい人」相手は「悪い人」と決めつけた言動をする人を糾弾します。(きゅうだん:真実を暴き出し(あばきだし)非難する)
 その状況から(たぶんこれからの展開として)『愛情』を見つけ出していくのです。

 カンピロバクター:水の中にあるバクテリア。そういえば、先日、観光地で流しソーメンの食中毒がありました。こちらの本では、集団がつくる泉の水のペットボトルにカンピロバクターが入っていました。

 セリフの書き方として、「 」と表記するときと『 』と交互に表記することで、だれが発言したかわかるようになっています。わたしが初めて見た手法です。

 八街市(やちまたし):千葉県内のことがときどき出てきます。わたしも縁あってときおり千葉県を訪れるので読んでいて、身近に感じることができます。楽しみにしているテレビ番組のバス旅のコースでもよく千葉県内が出てきます。

 299ページ、映画を観ているようなシーンです。
 何十年ぶりかの再会があります。

 <ミライの学校>学校として認定されていない組織で、こどもはミライの学校という宿泊共同施設から、地元の小中学校に通う。ミライの学校の高等部を卒業しても高卒にはならない。学歴は中卒のままとなる。

 宗教ではないけれど、宗教のような団体に加入してくる人のタイプが書いてあります。けっこうきついものがあります。
・裕福な家の専業主婦
・高学歴でも専業主婦でいる女性
・お金がある。
・暇がある。
・熱意がある。
・夫は仕事が忙しい。夫は家庭のことにかまわない。夫は、妻が家庭を守る立場にいると思っている。
・妻は思想にかぶれる。(戦争や平和について語り合うけれど、どこまで真剣なのか怪しいとあります)
・妻はまじめな性格である。
 
 登場人物たちは、正直者ではありません。ウソをついているのではないかと考えながらの読書です。推理小説の要素があります。
 
 <ミライの学校>:絶対的な秩序がない。きまりごとはたくさんあるけれど、何のための組織なのかという『目的』がない。
 
 『子どもたち――特に小さな子には、絶対に家庭が必要です……』(同時期に読んでいた別の本が『児童養護施設という私のおうち 田中れいか 旬報社』でした。7歳から18歳まで児童養護施設に入所体験をされています)
 
 『あそこが一番大事にするのは、自分たちの生活を守ることです……』(組織人というのは、組織と自分たちを守ることを最優先に考えます)

 どこまでが真実で、どこからがウソなのか。ことがらを信じられなくなります。暗い闇が広がっています。

 うわべだけのきれいに見える外見(そとみ)と内面にある毒々しいほどの現実の対比です。

 近藤法子の3歳になる娘が保育園に入れないという悩みが書いてあります。2歳児までしか預かってくれない保育園があります。その次を探さなければなりません。保育園待機児童の話です。
 都会は競争社会です。ひとつのポスト(地位。席(せき))に人が群がります。
 
 369ページ『仕事をやめ、育児のために時間をささげるのはどうして女の方だと決まっているのか……』
 以前読んだ本『彼女の家計簿 原田ひ香 光文社』を読んだ時にショックを受けた記述があります。それまでは、女性における会社の幹部ポストというのは、結婚・出産・育児をしないで、仕事一筋にやってきた女性がなってあたりまえと思っていました。違うのです。
 家庭・家族をもちながら働く女性の、家庭・家族をもたない仕事人間女性に対する攻撃的な意思表示がありました。
 『積極的に家庭をもたなかったあなたには、仕事しかすることがなかった。あなたから仕事をとれば、あなたには何もない。家族がいない。
 わたしだって一生懸命働いた。仕事をしたかったけれど、(育児支援の制度を利用して)結婚・出産・育児をしなければならなかった。子育てをしながら懸命に働いたのに、幹部役職のポストには就けなかった。(家庭も家族ももたなかった)あなたばかりが職場で出世した』家庭・家族をもった勤労女性にとって職場での待遇が不公平であることに強い不満をもち抗議する姿がありました。

 異母きょうだい、愛人の子、本妻の子、継父、継母、実母再婚後の異父きょうだい、家族の枠からはみ出された子、不倫の清算、いろいろあります。施設に入る前に、宗教みたいな集団に入る。血縁関係があっても、親子の縁を切りたい人たち。複雑です。

 『――ずっと放っておいたくせに。(ほうっておいたくせに)』

(つづく)

 殺人なのか、事故なのか、病死なのかはわかりませんが、動機として、複数の女子によるひとりの男子の取り合いという発想が生まれました。

 実の親とこどもがいっしょに暮さない集団です。
 この集団の維持目的である『理由』と『理屈』がわかりません。
 おとなは、自分のこどもではないこどもの集団の世話をします。他人のこどもです。

 まだ読み終えていない自分の想像です。事件の真相として、おとながこどもを殺して、ほかのこどもが、殺したおとなをかばって、自分がそのこどもを殺したとウソをついているのではないか。
 殺人の身代わりを申し出たこどもは『あきらめた』のです。人間不信になったのです。(読み終えて:状況は違っていました)
 
 世の中のありようとは異なる思想として『真実を知りたい』(世の中は、真実よりも形を整えることに専念します)
 高い理想をもった団体に属していたこどもたちの意思として『真実を知りたい』

 416ページから『第八章 ミライを生きる子どもたち』です。
 宗教二世の話みたいです。
 
 女性だから、家事ができるわけではありません。家計簿をつけることができない人もいます。整理整頓の片付けがにがてな人もいます。同じくスタイルが良くて見た目がきれいだからといって、きちんと生活できるわけでもありません。自分を飾ることが得意な人です。この世は、誤解と錯覚で成り立っています。

 子育てができないから保育園に頼る。子育てができないからこどもを集団に預ける。

 近藤法子弁護士にも幼いこどもさんがいます。(二歳女児)
 うまく子育てができているようには見えません。
 仕事との両立です。仕事のほうが優先です。
 なぜ、保育園が必要なのか。
 
 446ページまできました。読みごたえがあります。

(つづく)

 読み終えました。
 くりかえしになりますが、読みごたえ(よみごたえ:充実感、価値がある、長いということも含めて)のある物語でした。

 職業とか仕事について書いてあります:自分が思っていることと正反対のことをしなければならないことがあるのが『仕事』です。(そういうことはしょっちゅうあります。立場で発言をする。それができない人はまだこどもです)
 
 東京地方裁判所:東京駅の近く、日比谷公園のそばにある。

 自分しか知らないと思っていたことが、おとなになってみると、みんなが知っていたということはあります。言いたくても言えない『秘密のようなこと』をそれぞれが、頭の中にしまってあります。

 隠蔽(いんぺい):なにかしら最近報道で話題になっている事務所のことと共通するような雰囲気がある物語の内容です。物語では、人命のことよりも組織の存命を優先したおとなたちがいます。
 
 タイトルにある『琥珀(こはく)』の意味がわかります。閉じ込めたのです。まず人を閉じ込めた。次に真実を閉じ込めた。

 記憶から出来事を消し去ることが、明るいミライにつながるという誤った判断があります。

 『泉』がからんできます。
 最初に戻る手法です。
 
 作者の作品でもう一冊、これから読む本が入れてあるダンボール箱に入っているものがあります。作品名は『傲慢と偽善(ごうまんとぎぜん)』です。テーマはこちらの『琥珀の夏』と同じかもしれません。文庫本である『傲慢と偽善』を読むのはまだだいぶ先の予定です。

 詭弁(きべん):理屈に合わないごまかしの発言

 自分のこどもを育てずに、他人のこどもの教育をしながら、自分は理想を追いかけていると思いこんでいるおとなたちがいます。

 本音と建て前(たてまえ)のぶつかりあいがあります。『キレイゴトばっか……』

 隠すからへんなふうになってしまう。
 こどもたちは、事実をなにも教えてもらえない。

 そうか……

 形式的な父と母はいたが、本来あるべき姿の父と母の存在がなかった。

 人間には二面性があって、そのことを隠すのか、オープンにするのかで、人の生き方がずいぶん異なってきます。オープンにする「お笑いの世界」なら救われるということはあると思いました。

 今度東京に行ったときは、物語にちらりと出てくる東京駅近くにある日比谷公園あたりを散策してみるつもりです。  

Posted by 熊太郎 at 06:52Comments(0)TrackBack(0)読書感想文