2023年09月11日

児童養護施設という私のおうち 田中れいか

児童養護施設という私のおうち 田中れいか 旬報社

 児童養護施設で育ったタレントさんの本のようです。なにかの宣伝で観て興味をもちました。
 いま同時期に読んでいる本が『琥珀の夏(こはくのなつ) 辻村深月(つじむら・みづき) 文藝春秋』で、内容は、児童養護施設を扱った小説作品のようで、同時に読むこの二冊の本を関連付けてなにか自分の脳内に発想が生まれないかと期待しています。

 1995年生まれ(平成7年)。阪神淡路大震災とか地下鉄サリン事件の年です。
 ご両親が離婚されています。母親が家を出て行った。父親に育児能力がなかった。兄(10歳ぐらい)と姉(11歳ぐらい)、本人(7歳。小学二年生)という三人きょうだいで、三人とも施設入所です。姉が妹を連れて、夜、家を出て交番に相談にいきました。父親に『出ていけ!』と言われました。ひどい父親です。母親も同様です。
 7歳から18歳まで、11年間施設で暮らす。『福音寮(ふくいんりょう)』(東京都世田谷区内)第二次世界大戦での戦災孤児の預かりが施設の始まりです。
 ご本人はタレントさんかと思ったら「社会運動家」「モデル」となっていました。

 まずはざーっと全ページをめくってみます。
 複数の人たちの手が入った本です。(199ページに紹介があります)行政もからんでいます。
 わかる部分もあるし、わからない部分もあります。
 啓発本です。(けいはつ:知らない人に知らせて理解してもらう本)
 施設暮らし体験者による施設紹介本です。(いままでにこういう本はなかった記憶です)
 バイト体験があります。
 児童相談所とか社会福祉事務所もからんでいるのでしょう。
 
 家族がいないこどもは、成長しながら自分で自分の家族をつくります。
 されど、自分が育てられたようにしか、自分のこどもを育てられないという現実はあります。
 作品『琥珀の夏(こはくのなつ) 辻村深月(つじむら・みづき) 文藝春秋』では、358ページに、『なぜ、自分がされたことを、自分の子に繰り返してしまっているのか……』とあります。虐待をする親は、こどものころに自分自身が虐待されていたということはあります。

(最初に戻って、1ページずつ読みます)

 始まりの文章です。
 編集者の手が入っているのでしょう。
 読みやすく、わかりやすい文章です。

 児童養護施設と縁をもつ人は少ない。ゆえに同施設の実情はわかりません。
 大衆は、加工された世界のなかで、誤解や錯覚をしながら日常生活を送っているという現実があります。そして、各自の視野は、自分の身の回り2.5mの範囲内であることが多い。

 目次をながめています。
 理路整然とつくられた本です。
 役所的でもある。
 
 悲惨な生活を体験されています。
 こういうこどもさんのことが表面に出てニュースになるのはごく一部で、実際には意外に多い件数が発生しているのでしょう。(なんだか、おとなになって心が折れると、犯罪が近くなりそうです)

 こどもが喜怒哀楽の感情をなくしています。
 『…… 当時の感情の記憶がまったくない…… 流されるまま、その場の状況を受け入れるしかない……』 『「無(む)」だった……』
 
 親に子の養育能力がないことは、よくあることなのでしょう。

 児童養護施設『福音寮(ふくいんりょう)』
 10歳で施設に来た時、3時間、車の中で、ずっと泣いていた。(車から降りることができなかった)

 できれば、知らないほうがいい、体験しないほうがいい世界なのでしょう。
 日本の人口1億2300万人のなかの2万5000人ぐらいが体験する施設生活です。

 入所理由をみると、どちらかといえば、父親よりも母親がこわれています。
 ネグレクト(育児放棄)が多い。
 精神疾患の母親が多い。虐待もあります。お金がないということもあります。
 親が統合失調症だと、こどもはかなり苦しい。
 お笑いコンビ平成ノブシコブシの徳井健太さんが、ヤングケアラーの体験があって、母親が統合失調症だったという記事を読んだことがあります。そのことで気づかいの人になられたのか、路線バス対決旅では、太川陽介さんのフォローをじょうずにされていて感心しました。
 
 自分なりに思うのは、同じ家にいても会話がない親子というのはいます。
 親との死別や離婚があると、家族全員で同じ家で暮らした期間が数年間しかないということもあります。
 メンバーがいても家族という実感がない。家族の形態ってなんだろうなあとか、施設入所もからめて、いろいろ考えながらの読書の始まりになりました。

(つづく)

 読んでいて、施設での暮らしは、毎日が旅に出ているような感じです。異世界体験です。
 インタビュー形式でつくってある文章です。体験記です。
 入所者の世話をする職員にも入所者と似たような体験があったのだろうと推測しながら読んでいます。施設で働く動機です。
 もとがキリスト教の施設のようなので、宗教の教えもあるのでしょう。
 
 なんというか、親の立場でコメントさせてもらうと、こどもというものは、勉強ができるとかできないとか、運動ができるとかできないとか、そんなことは横においといて、とにかく、生きていてくれればいいのです。
 (いま並行して同時に読んでいる本が『琥珀の夏(こはくのなつ) 辻村深月(つじむらみづき) 文藝春秋』です。宗教団体ではないけれど宗教団体のような集団で、親と離れて生活しているこどもたちが出てきます。娘と対立した祖父母が孫にかけた言葉です。『生きててくれて、ありがとう』孫の言葉が『うん、探してくれてありがとう、おじいちゃん、おばあちゃん』)

 ピアノを弾くことが好き→ピアノにふれる時間は、施設内という集団生活の中で、ひとりになれる時間だった。
 遊ぶ、食べる、テレビを楽しむ。その繰り返しの毎日です。
 なにもしないという時間帯は、だいじです。
 ただ、ぼーっとしている時間がだいじです。
 なにもしない時間帯があることが、じつは、一番のぜいたくなのです。

 こちらの本での田中れいかさんの姉の気持ちです。信じていた相手から裏切られた。(母親のことです。育児をしてくれなかった、施設に迎えに来てくれなかった)
 ご本人には、兄と姉がいますが、三人仲良くというわけでもなかったようです。兄には学習障害があり、姉は親をうらんでいる。姉は、まじめにがんばりすぎて、がんばりきれなくなって、とくに母親をうらんでいる。

 施設生活をしていて、トラブルがまったくないことはなくて、それなりにもめごとはあると思います。
 
 母との面会は東京池袋のサンシャインシティがほとんどだった。
 たまたま先日、ミュージカルを観たいと思って調べたときにサンシャイン劇場で、三宅裕司さんと小倉久寛さんのコメディ・ミュージカルを見つけました。(最終的には別のミュージカルを観に行くことになりました)読んでいて、ちょっと本との縁を感じました。

 新潟のおばあちゃん(母親の実家):祖母はありがたい。

 疑問だったこと:父親は基本的にはまじめで、常識のある人だったとあります。(本当だろうか?)
 淋しい(さびしい)雰囲気がただよっています。
 虐待した親をかばうようなことが書いてありますが、そこが相手(加害者)につけこまれる被害者の心理ともいえます。(つけこまれる:うまく利用される)

(つづく)

 199ページあるうちの177ページまで読みました。
 この本は、児童養護施設入所体験者である女性を広告塔(こうこくとう。啓発宣伝のシンボルにして(知らないことを知らせるための象徴として)にして、いろいろな人や組織のことを紹介してある本だと理解しました。
 ご本人の体験した記述には物足りなさを感じました。もっと衣食住に関する記憶があったのではなかろうか。
 
 ページを戻って、考えたことをぽつりぽつりと落としてみます。
 『社会的養護(しゃかいてきようご)』:造語なのでしょう。こどもさんを育てるのは第一に両親なのですが、親の育児放棄や虐待、病気、失踪などで、親を頼ることができないこどもたちをとくに社会福祉の社会で保護して育んでいく(はぐくんでいく)と理解しました。
 
 大学の学歴にこだわるような記述があります。
 わたしの世代からすると不思議です。
 わたしの両親の世代は、ほとんどが中卒で住み込みや会社の寮生活をする形で就職しました。
 わたしの世代も、学力があっても経済的な理由で大学進学をあきらめて就職した人はたくさんいました。働きながら夜学(やがく)に通う人もいました。
 就職して、自分が働いたお金で自分が着たい服を買って、食べたい食べ物を食べることが楽しみでした。
 現代社会をみてみると、大学を出ていても働いていない人はたくさんいます。
 大学で学んだ学問とは関係のない仕事についている人も多い。
 人や組織からお金の援助をしてもらってまで大学へ行く意義があるとは思えないのです。(大卒の人は高卒以下の人を見下しているから大卒でなければならないという誤った思い込みをもっているのではないか)
 わたしは、大学生というのは、合法的な失業者だと思ったことがあります。
 
 マニュアルのように(手引きのようなシミュレーション(仮定設定)があります)お金のことや生活のことが説明文とか図で書いてあります。
 ふつう人は、マニュアルにのっとったような人生は送れません。アクシデントはつきものです。病気や事故、事件や自然災害に巻き込まれることがある日常生活です。離婚や死別もあるでしょう。人生は計画した通りには運びません。
 昔観た洋画で気に入ったセリフがあります。『人生は何が起こるかは問題ではない。なにが起こっても動じない度胸と知識・経験を日ごろから身に着ける努力をしておけば、しっかり生きていける』そんなセリフでした。
 
 若い時にひとり暮らしは体験しておいたほうがいい。衣食住の基本的な生活を学んだほうがいい。自活と自立です。
 さびしくて泣く思いを味あわないと結婚してからうまく家庭を維持していけないということはあります。
 
 高校を卒業して施設を出て、短大に通いながらアルバイト生活をする。そうやってひとり暮らしを始めた田中れいかさんの言葉でいいなと思った言葉です。ふつうは、帰る実家がありますが、彼女にはあるようでありません。『一人だけれど一人じゃない。でも一人だ……』

 後半は、行政の児童福祉施策PRになります。東京世田谷区の例です。寄付金で運営されている部分があります。
 
 統計として、児童虐待相談件数が増えているのはなぜなのだろうか?
 文章の中では、児童虐待を防止するために2000年に児童虐待防止法をつくったとあります。児童虐待防止のための法律をつくったのに、どうして児童虐待の件数が増え続けるのだろうか。いろいろ考えさせられます。政府は結婚・出産を勧めていますが、虐待されるこどもさんが増えるのなら不幸が広がるだけです。
 141ページに、世田谷区に児童相談所をつくった。区の職員150人が働いている。そのうちの半分近くが、「一時保護所」で働いているそうです。親に子の養育能力がなくて保護されるこどもが多いということが示されています。一時保護所というのは、家庭やそのほかの場所で保護したこどもさんを一時的に保護して次の段階につなぐのでしょう。施設入所とか家庭に戻すとか。すったもんだがありそうです。親が怒鳴り込んできそうです。

 こどもさんに対して、金銭的な支援をする。精神的な支援もする。行政の施策のPR記事が続きます。形式的な姿を目指すことが役所のやりかたに見えます。まず、形がだいじなのです。

 コーチング:個人や組織の目標を達成するためのコミュニケーションに関する技術

 施設出身モデル:なにかをPRする目的の存在になる。
 
 ミスコン:ミス・ユニバース(茨城県大会)に参加した。ほかに、ミス・ワールド、ミス・インターナショナル、ミス・アースがある。

 スピーカー:目的をもって自分の体験を聴衆に語る人

 児童養護施設出身者のあるある:時間を守らない。ドタキャンする。お金の管理ができない。(あまりよくないことばかりです。いいのかなあ)

 なにをやるにしてもお金がからんでくるのが『人間社会』です。

 最後のほうには、施設で働いてくれる人はいませんかの求人情報です。アルバイト、ボランティアから始まります。それなりの覚悟がいる仕事だと思います。

(つづく)

 当事者活動:児童養護施設入所体験者としての活動

 本の最後のほうは、田中れいかさんの活動について書いてあります。
 そのさきは、役所の文書を読んでいるような感じになりました。「個別的養育機能」「支援拠点機能」「地域支援機能」まるで学問です。
 こどもを育てることって、こんなにむずかしいことだったかなあと考えました。
 邦画でリリー・フランキーさんの『東京タワー ~オカンとボクと、ときどきオトン』があるのですが、そのときに母親役の樹木希林さん(きき・きりんさん)が、息子のことでいつも気にしていることがありました。
 九州で暮らす母親は成人した東京暮らしの息子に毎回『ごはんをちゃんと食べているか?』と繰り返し聞くのです。
 母親にとっての母親の仕事は、こどもにしっかりおいしいものをたくさん食べさせることなのです。その気持ち1本が母親のこどもに対する愛情です。母親はいつもこどもがちゃんと食べているかと気にして、食べていると聞けば安心して、自分は母親の役割を果たしていると安心するのです。親の仕事はとりあえず、こどもに十分食べさせるだけでいいのです。  

Posted by 熊太郎 at 07:16Comments(0)TrackBack(0)読書感想文