2022年03月23日

テッド 2013年洋画

テッド 2013年洋画 1時間46分 R15+ 動画配信サービス

 まあ、びっくりしました。
 初めて観ました。
 R15+になっていたので、『あれ?』
 濃厚なラブシーンでもあるのだろうか。
 こどもさん向けの、かわいらしい、くまのぬいぐるみが主役で走り回る映画だと思っていました。
 まあ、エロ映画ですな。

 まだ、自分がひとり者だった頃、映画館へ松田優作主演、風吹ジュン出演の『蘇る金狼(よみがえるきんろう)』を観に行ったときのことを思い出しました。
 映画館は満員で、わたしの隣に母親とこどもたちの親子連れが座りました。母親と小学6年生ぐらいの女児、小学3年生ぐらいの男児でした。そういえば、あのころ、指定席というものはありませんでした。
 どうも母親は勘違いしているらしく、『蘇る金狼』は、アニメ映画で、金色の毛並みをもったオオカミが主人公だと思っていた様子です。
 わたしは『蘇る金狼』が男女の濃厚なからみあいがある映画だと知っていたので、母親に(こどもさんに見せるような内容ではないですよ)と声をかけようかと思いましたが、勇気がなくてかけれませんでした。
 あんのじょう、大きなスクリーンでは、ポルノみたいな雰囲気の映像が流れ始めました。
 小学6年生ぐらいの女の子『おかあさん、出ようよ!』
 お母さん『せっかくお金を払ったから見ていきましょ!』
 その後、ラブシーンはさらにえげつなくエスカレートしていきました。
 女の子『おかあさん!』
 まわりにいたお客さんたちも困惑していました。
 三人は立ち上がって去っていきました。
 あの当時、『R』というような表示も感覚も社会にはありませんでした。
 テッドは、こどもさんには見せられない過激な映画です。
 大麻吸引、コカイン摂取、男色、ゲイ、まあ、びっくりしました。あけっぴろげの下ネタ、エロネタのオンパレードです。

 テディベアのテッドが自由自在にしゃべって動き回ります。
 特撮が、たいしたものです。
 主役の役名ジョン・ベネットの8歳当時の出来事があって、画面は切り替わり、彼は35歳になっています。ローリーという女性と同棲しています。
 ジョン・ベネットは、彼女よりもテッドとの友情が大事です。どたばたがあります。
 くまのぬいぐるみのテッドもがらが悪い。彼のパンチ力はものすごいものがあるのに、映画の後半で、力の弱い親子に簡単に誘拐されたくだりは不可解でした。テッドは、誘拐犯人よりも確実に腕力が強い。
 テッドは、チコちゃんみたいな雰囲気です。
 テッドとジョン・ベネットは、けして、ドラえもんとのび太の関係ではありません。
 
 まあ、娯楽映画か。
 お笑いコメディです。
 同棲相手の女子がジョン・ベネットに怒ります。『あなたは、(ぬいぐるみの)くまか、わたしか、どちらを選ぶのよ』
 ばかばなしいシーンが笑えるのですが、まじめなシーンになると逆に退屈でした。
 
 街の夜景がきれいでした。
 高層ビルの中では、みんな残業をしているのね。
 
 ジョン・トラボルタの『サタデーナイトフィーバー』を思い出しました。
 パロディになっているのでしょう。(尊敬の気持ちをもってパターンを真似する)
 『スターウォーズ』のダースベイダーのことも出ます。
 あとは、うんちとか、キルケゴール(デンマークの哲学者)

 スーツにネクタイのテッドはいい感じです。かっこいい。

 壮大なほら話です。

 女性が大声で叩きつけるように相手を責めます。怖い。『ウリとか、テメーエとか、殺すぞとか、ケツの穴をなんとかかんとかとか(なめるだったっけ)』
 この映画のどこがいいのだろうという、ふさいだ気持ちになります。
 テッドが、どこかのオヤジに見えてきました。
 サム・ジョーンズのフラッシュゴードンという話が出ますが、自分はフラッシュゴードンを知りません。サム・ジョーンズさんは、有名な方なのでしょう。
 刃物も出てきて、クレイジーです。
 乱闘シーンがなんじゃこりゃ。ガチョウ対子熊です。
 演じている俳優陣は楽しそうです。

 キーワードみたいな『雷を怖がらない』の意味をとれませんでした。どこかのシーンを見落としたのでしょう。(ただ。もう一度観たいとは思いません)

 カーチェイスが素晴らしい。スティーブマックイーンの『ブリット』とか、ワイルドスピードシリーズを思い出しました。

 どういうわけか、アニメマンガ『巨人の星』の星一徹(ほし・いってつ)のことが出てきます。なつかしい。60代以上の人でないとわからないかもしれません。

 現実にはありえないことです。超現実主義。シュールレアリスム。こぐまのぬいぐるみを生命体として扱います。

 『祈り』があります。

 友だち同士というものは、映像を観ていて、ああいうもんだなと納得できます。(腐れ縁とか悪友とか)争いがあっても乗り越えます。

 おとなのための娯楽映画でした。  

2022年03月22日

死にたくない 一億総終活時代の人生観 蛭子能収

死にたくない 一億総終活時代の人生観 蛭子能収(えびす・よしかず) 角川新書

 人生観:それぞれが考える自分の生き方でいいような気がします。

 2019年10月に出版された本です。
 えびすよしかずさんの認知症発見が、2020年の夏です。ですから、本には、本人の認知症のことは書かれていません。認知症については少しだけもしかしたらというふうで触れてありますが、最終的に現在は、健康体と書かれています。
 「はじめに」で、自分のように健康で長く働ける老齢者になりましょうとアピールされています。その点で、この本は、あてがはずれた失敗本ではないかと思うのですが、出版当時は認知症が見つかっていなかったのでしかたがありません。ページの小見出しに『高齢者総蛭子化計画を発動する』と書いてあります。えびすさんをまねて認知症になるわけにはいきません。残念。
 読み始めてみます。
 お金がほしい。お金がいりますと書いてあります。(そのくせ、ご家庭の資産額をご存じないというご本人です)

 えびすよしかずさん自身が文章を書いたようには見えません。
 質問形式のインタビューをして、本人の返答をライターが上手にまとめたような文脈です。

 健康で長生きした人が、人生の勝利者だと思うことはあります。
 お金に関しては、長生きした人が、年金でもうかるということはあります。自分が納めた保険料以上の収入を得ることができます。
 
 平均寿命は、男性が81歳、女性が87歳です。
 自分の年齢を逆算して、余命年数を出してプランを立てるという流れです。
 自分の死に方を考える。
 えびすよしかずさんのユニークな面が出てきます。
 『葬式で笑ってしまう(みんなが本音を隠してお芝居をしているように見えるそうです)』『僕は人の葬式にまったく行かない代わりに、自分の葬式にも来てもらわなくてもいいと考えています。』『他人から時間もお金も奪いたくないし……』
 
 自分が思うに、芸術家には発達障害のような人が多い。一歩距離をおいて付き合うのは楽しいけれど、いっしょに仕事をすることは避けたい。

 他人に負担をかけない。
 他人は、自分が相手を思っているほど、自分のことを思ってくれてはいないということはあります。

 素寒貧(すかんぴん):まったくお金がない。

 えびすよしかずさんのことがいろいろ書いてあります。
 自分と重なる部分も多い。
 自分が親しみを感じる原因です。

 『他人と自分とを比べない』

 2018年に、人生で初めて4日間入院した。(めまいのため。それまで入院体験がなかったことが珍しい。4日間では入院したうちに入らないような)

 書いてあることは、話半分で読んでいます。(全面的に信用しない)そういうお人柄です。誇張や正確ではない話もあるでしょう。

 『仕事がしたい』→『お金がほしい』(できれば現金で、報酬を手にしたい。現金を見ると力がみなぎりますとあります)
 同じような時代を過ごしてきた者として、共感する部分があります。
 高校生時代からアルバイトをしてきたえびすよしかずさんです。「路線バスの車掌(バス車内での切符売り。降車案内(今のように運転手に降車を伝えるボタンはなかった))」→「長崎の看板屋」→「東京渋谷の看板屋」
 たぶんバス旅でお話をされていたような気がするのですが、そのほかに「チリ紙交換」→「お掃除サービスのセールスマン」→「漫画家」→「タレント」というような職業体験をおもちです。
 アルバイトに関しては、自分も似たようなものでした。中学生・高校生の時は新聞朝刊の配達、学校の長期休みには土方仕事(どかたしごと。穴掘り、セメント運びなど)をしていました。お金がなければ働くしかないのです。初めて働いたのは小学二年生のときで、近所の駄菓子屋(だがしや)のまわりの草を集落のこどもたちといっしょに地面からひっこぬいて、報酬として5円をもらいました。その5円で、その駄菓子屋でお菓子を買いました。今思うと、じょうずにだまされました。
 最近、お金がないから大学に行けないとか、国が就学資金を援助してくださいとかいう話を聞くと違和感があるのです。強い進学希望があるのなら、まずは、本人が働くべきです。働いて貯めてから進学しても遅くはないはずです。
 大学に入ったからといって、その先に安定した生活があるわけではありません。仕事が続かない新卒大学生が目立ちます。
 72ページに『働かざる者、食うべからず』という言葉が書いてあります。
 75ページには『仕事なんてなんだっていい』と書いてあります。
 86ページには『馬車馬のように働く』とあります。

 認知症の話が出てきます。
 同じ話を繰り返す(自慢話が多い)
 約束や、予定の日時を忘れる。
 このころはまだえびすよしかずさんに自分が認知症であるという自覚はありません。
 むかし結婚式で、出席者のなかに、無表情のおじいちゃん70歳なかばぐらいの人を見たことがあります。表情に喜怒哀楽の感情がありませんでした。会話もできません。ろう人形のようでした。脳細胞の何割かが死んでいたのでしょう。びっくりしました。認知症の方だったのでしょう。

 金銭管理のお話が出ます。
 自分の預金額をご存じないそうです。
 奥さまが管理されています。
 たぶん、十分なお金があると思います。
 仕事の鬼になるのなら、預金通帳とキャッシュカード、クレジットカードは、奥さんに渡しておいたほうがいい。妻を信頼するのです。
 えびすよしかずさんは、なんだかんだいっても、『金運』と『女性運』はある人です。
 
 話題は、『健康』の話です。体、頭、そして、介護の話です。
 介護保険の手続きは必要です。
 自分は、施設や病院には入りたくありません。
 できるだけ自宅で最期を迎えたい。
 えびすよしかずさんは、自分は、施設入所もやむなしとご自分で言われています。この本がまるで、えびすよしかずさんのエンディングノートのようになっています。公表されています。

 以前読んだことのあるマンガ作品『ティラノ部長』鈴木おさむ著に、いいことが書いてありました。家庭よりも仕事が優先のティラノ部長は、五十代で離婚歴があります。別れるときに妻に言われた言葉が『わたしたちには情(じょう。なさけ)はあるけれど愛がないの』夫婦愛を継続していくためには努力が必要なのです。
 何かひとつでも相手に尊敬できることがあったら、そのほかの嫌なことは我慢できます。

 前妻を病気で亡くされて、気持ちが沈んで、泣き続けた体験が綴られています。

 『僕にはほとんどともだちがいないのです』『けんかしないために、ともだちをつくらないということです』

 自分の体験だと『結婚というものは、頭をばかにして、何が何でもこの女性(ひと)と、何があっても結婚するんだ』という強い意思がないと結婚式までたどりつけないということでした。結婚すると言い出すと、たいてい、反対して、足を引っ張ろうとする人が現れます。

 高齢施設入所者同士の結婚はむずかしい。相続がからんできます。戸籍の届はせずに、事実婚だけにしておくのが無難です。

 えびすよしかずさんは、母親を引き取って東京で同居する話がでますが、実現していません。辞めたほうがいいと思います。
 自分も何十年も前に同様の話を親にしたことがありますが、きっぱりと断られました。知らない土地で言葉も違う(方言)で、きょうだいしまいもいないところでは生活できないと言われました。そうかと。ちょっとほっとした面もありました。

 えびすよしかずさんは、頭の中はやっぱりギャンブラーです。やっぱり話半分で聞いたほうがいい。

(つづく)
 
 えびすよしかずさんが、中学時代のいやだったお話があります。暗い中学生生活です。いじめとか、のさばる不良とかです。
 中学時代は、不良にいいようにこきつかわれていたという体験談があります。
 クラス替えで救われています。
 読んでいるうちに自分の小学校二年生ぐらいのときのことを思い出しました。
 担任の女教師が、体罰教師でした。全員が着席して静まった教室で、(なにか理由があって)着席しているこどものほっぺたに、びんたを何発もくらわせるのです。女教師は、金切り声をあげながらこどもを激しく叱りつけるのです。自分がたたかれているようで恐ろしかった。それがいやで、学校へ行くのが嫌でした。されど、学校給食の時間に、校内放送が流れていました。彦一とんちばなしだったと思います。お話を聞くことが楽しみで、給食を食べることとお話をきくためだけに、がんばって、学校へ行っていました。
 その当時の教師のみなさんはすでに他界されていると思います。たぶん、自分自身もそのような教育を受けて育ち、だから、自分がこどもにひどいことをしたという自覚はまったくなかったのでしょう。昭和時代に入ってから続いた軍国主義的社会が背景にあったとも推測されます。教師の体罰は、合法的な児童虐待でした。
 自分は、貧困のすさんだ子ども時代に『物語』があって良かったと思います。着のみ着のまま(服がひとつしかない)で、粗食、家にはテレビもない、学校に行けば体罰教師ばかり(廊下に立たされたり、黒板の前で正座させられたり。げんこつという頭の両側をげんこつでぐりぐりやられる体罰など)それでも通学できたのは、学級文庫の本を貸してもらえるおかげでもありました。

 えびすよしかずさんの割り切りがあります。ギャンブルは、失敗すれば、お金を失うだけのこと。(借金してまでの賭け事はしない)
 暴力をふるう人は、弱い者を虐げたい(しいたげたい。むごい扱いをして苦しめる)だけ。[まるで、ロシアの大統領のようです。どうして、ロシアの大統領は「ごめんなさい」とあやまれないのだろう。「二日間でウクライナに勝てると思っていたら、勝てませんでした。失敗しちゃいました。許してちょうだい」と言えないのだろう。このままでは、ロシア国のほうが滅びてしまいます]
 
 人は群れるとおかしくなるから自分は群れないそうです。そういうことは確かにあります。
 ボスの性格がゆがんでいたら集団はどんどん暴走し始めてしまう。(また、ロシアの大統領の話につながりました)

 つらくなったときや、ゆきづまったときには、『自分が望む幸せのランクを落とす』そうです。なるほど。

 最低限の人づきあいとして、あいさつをする。自分がそれに加えると、ありがとうという。あいさつをされたり、「ありがとう」と言われたりして怒る人はいません。

 えびすよしかずさんは、案外理屈っぽい人です。
 夫婦や家庭の維持のしかたについて書いてあります。
 『自分が死んだら、妻には再婚してもらってもかまわない』宣言があります。先に逝く(いく)人は、残る人の幸せを望みます。

 お墓の話が出ます。自分のお墓はいらないそうです。競艇場の水に骨をまいてもらえばいいそうです。(競艇場の管理者は迷惑だと思います)
 最近は、納骨堂方式が多くなっていると感じます。
 お墓の維持管理をできる親族が減りました。
 
 車の運転で迷惑をかけるからと、とっくの昔に運転免許証は返納したそうです。
 自分も長くは乗るつもりはありません。

 えびすよしかずさんからのメッセージとして『学歴なんてあってもなくてもどっちでもいいじゃないですか』『生きているだけで楽しいという思える人間になることが人生の目標です』

 えびすよしかずさんは、本の中では人に気を使っていると書いてあるのですが、バス旅での暴言が目立ちます。発達障害気味です。やはり、書いてあることは話半分ということで読みます。

 『「先生」と呼ばれる人やボス的な人は、じつはひとりぼっちの人が多い』
 『僕みたいなダメ人間と何日間も旅をする太川陽介さんは偉大だなあ』(同感です)

 昔は、マンガを描くときに湯水のごとくストーリーも湧いてきたそうです。夢でみたことをストーリーにしていたそうです。やがて、夢が尽きてしまった。

 自営業の芸術家(えびすさんの場合は漫画家)というのは、自称でいいと思うのです。
 引退も復帰も自由自在です。

 バス旅のギャラを知らないそうです。
 奥さんと事務所が金銭管理をしているのでしょう。
 貯蓄計画とか金銭運用のことは考えずに、ひたすら稼ぐことに意識を集中することができます。
 お金が欲しかったら、鬼のように働かなければなりません。家族をほったらかしにして、長時間労働の世界に身を置かねばなりません。
 
 後半は、雑事のられつになっていきます。
 インタビューで得られた情報のうちのさまつなものを整理したように見えます。
 あのご本人が、これほどの長文を手書きで書いて一冊の本に仕上げているというイメージはありません。

 お金が欲しくて働いているけれど、ギャラは知らないし、家にお金がいくらあるのかも知らない。(妻が管理)
 不思議な個性です。
 奥さんは、いいだんなさんを見つけました。  

Posted by 熊太郎 at 07:07Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2022年03月21日

大きな木のような人 いせひでこ

大きな木のような人 いせひでこ 講談社

 場所はフランスで、登場するのは、日本人少女『(名前は)さえら』とフランス人男性研究員(植物)です。
 最初に1回読んで、わかりにくい印象があったのですが、繰り返しながら読んでいたら味わいが出てきました。絵本です。2009年(平成21年)初版です。2022年(令和4年)12刷まで増刷が至っています。
 読みようによっては、日本人少女が『妖精』のようにも感じられます。

 樹木が好きな作者さんです。
 同作者の絵本をこれまでに何冊か読みました。
 
 なつかしき過去の風景を見るようです。
 植物園のなかでの出会いと別れが思い出されるのです。
 絵は、映画のシーンの連続のようです。
 名文句として『人はみな心の中に、一本の木をもっている。』
 
 植物スケッチをすることが好きな日本人少女です。
 小学3年生ぐらいに見えます。
 植物の写生をしています。
 自分が中学生のときに美術部に入っていたことを思い出しました。
 画板を首からぶらさげて、毎日のように、ふるさとの町を歩き回りながらスケッチをしていました。

 ひこばえ:切り株や木の根元から出る若い芽

 絵本では、ひまわりの花や種の話が出ます。
 先月見たテレビの報道番組で、ウクライナの女性が、軍事侵攻してきたロシア兵にくってかかっていました。『ひまわりの種をあげるよ!』ひまわりは、ウクライナの国花だそうです。おまえなんか、ひまわりに埋もれてしまえ! という意味だそうです。
 昔、ヴィットリオ・デ・シーカ監督イタリア・フランス・ソ連・アメリカ合衆国合作映画で『ひまわり』を何度か観ました。舞台はウクライナでした。女優さんは、ソフィア・ローレンでした。第二次世界大戦がからんだ男女のせつない愛情の物語で名作です。戦争で男女の仲が引き裂かれてしまうのです。現在のありようとも重なる部分があります。
 あと、もうひとつの洋画、オーストリアの国花を讃えたエーデルワイスが歌われる『サウンド・オブ・ミュージック』ジュリーアンドリュース出演作品が思い出されます。こちらも戦争がからんでいます。戦争で物事を解決することには反対です。

 小学生のころに借家だった自宅の庭にひまわりの種を植えたことを思い出しました。
 自分にとっては、ものすごく高く伸びて(2mぐらい)、びっくりしました。土が良かったのでしょう。

 大木は、人間の寿命よりもはるかに長い年数を生きます。
 絵本にあるプラタナスは、250年ぐらい経って(たって)いるそうです。
 何度も季節をくぐりぬけてきたのです。
 
 『秋は春のはじまりなんだ。』とあります。
 ひまわりは枯れても、ひまわりの種は残ります。
 そして、種からは新しい命が生まれてくるのです。
 この絵本では、長い歳月をかけて、世代をつなぎながら受け継がれていく意思というものがあるということが表現されていると受け取りました。  

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2022年03月19日

おおきいツリーちいさいツリー

おおきいツリーちいさいツリー ロバート・バリーさく 光吉夏弥(みつよし・なつや)やく 大日本図書

 クリスマスツリーのお話であろうと推測しながら読み始めました。
 読み終えてみて、『共存の愛』がありました。
 2000年(平成12年)初版の絵本です。2021年(令和3年)で、24刷(24さつ。増刷)されています。
 
 絵がすっきりしています。色合いも統一されており、見ていて気持ちがいい。
 『もうすぐクリスマスです』から始まります。
 お金のないうちのこどもにとってのクリスマスはつらいイベントです。
 親からサンタクロースのプレゼントを買ってもらえません。
 そんな自分がこどもの頃のことを思い出しながら、絵本を読み始めました。
 
 ウィロビーさんというお城のような立派な邸宅での出来事です。
 トラックが、大きなクリスマスの木を荷台にのせて配達してきました。
 クリスマスプレゼントではなく、ツリーのお話のようです。
 
 なんて、樹高(じゅこう)の高い木でしょう。
 木のてっぺんが、天井でつっかえます。
 部屋は広くて天井も高いのですが、木の背丈(せたけ)もかなり高い。
 
 なるほど。発想がいい。アイデア賞です。(ここには書きません)
 えッ?! そうなるの。
 さらにおもしろい。
 物語が、発展していきます。
 ただ、この先の展開が見えてきたような気がします。
 
 『身の丈(みのたけ)に合った』という言葉に対する論争を思い出します。公平か不公平かです。
 身の丈とは、本人にとってのふさわしい程度です。
 身の丈を決める基準はだれが判断するのだろう。
 他人ではなく、自分自身のような気がします。
 されど、なんでもかんでも大きくなければ、幸せというものではありません。
 ものの大小と幸福の大小は比例しません(ものが大きいから、幸せも大きいとは限りません)

 まんなか付近にある見開き2ページに広がる雪が降り積もる木造平屋の家の絵が気に入りました。
 くまさん、登場ですな。
 雪国にある家の中で、こどもに読んであげたい絵本です。
 窓の外で本当の雪が降っていたらいい感じです。
 おとうさんぐまが『バーナビー』名前は書いてないけれど、お母さんぐまと、ちびっこぐまが木の根っこにあるほら穴のような家の中にいて、わいわいやってます。
 
 ストーリーの流れは、『わらしべ長者』の反対のようなパターンです。
 ツリーが、だんだん小さくなっていきます。
 終りが見えません。
 アリさんのツリーまでいくのではないか。

 ネズミの『ミスルートさん』で終わりました。
 きれいな絵でした。  

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2022年03月18日

ひとまねこざる びょういんへいく

ひとまねこざる びょういんへいく マーガレット・レイ文 H.A.レイ絵 光吉夏弥(みつよし・なつや)訳 岩波書店

 1968年初版(昭和43年)発行のこどもさん向け絵本です。
 原題は『CURIOUS GEORGE GOES TO THE HOSUPITAL』となっています。1966年(昭和41年)が原作の発行のようです。CURIOUS=知りたがり。好奇心が強い。
 以前読んだ『ひとまねこざる』が楽しかったので、この本も読んでみました。

 いい文節として『じょーじは…… ただ、とてもしりたがりやでした』ちびっこは好奇心が旺盛なほうが安心な状態です。知らないことを知りたいことが、意欲につながります。

 ジグソーパズルが出てきました。
 じょーじは、パズルの1ピースをキャンディーと間違えて飲み込んでしまいました。やばい!
 誤飲です。
 ちっちゃなベイビーにありがちなことです。
 ベイビーに歯が生えていると口の中から異物を取り出すのが大変です。
 自分には、指が切れるのではないかと思いながら、こどもの口内から異物を取り出した体験があります。
 以来、こどもの誤飲には神経質になっています。

 ひらがな書きの英語名がかわいい。『じょーじ』『べーかーせんせい(ドクター)』『べっちい(女の子)』『きゃろる(きれいな若い看護婦さん。ああ、今は看護師さんか。本は古いので、看護婦さんになっています)』『でいぶ(入院中の男子。輸血中)』『すちーぶ(同じく入院している男子。足をけがしていて車いす利用中)』

 10ページのじょーじの診察風景の部分を読んでいた時にまたフラッシュバックが脳内で起きました。(たまに、過去の嫌だったことなんかが、脳内で、瞬間的に再現されます)
 ひとつは、こどもさんにおつかいをさせる番組です。はじめてのおつかいみたいなタイトルでした。この番組を見て、こどもさんにおつかいをさせる親や祖父母がいるようです。うまくいくことばかりではありません。仕事をしていてトラブルになったことがあります。それ以来、その番組がきらいになりました。冷静に考えてみると、児童虐待のような気がするのです。小さなこどもに無理なことをやらせて、おとなが楽しんでいるように見えるのです。
 もうひとつが同じく児童虐待の文芸作品で『きみはいい子』作者は中脇初枝さんです。幼児のママは、公園では笑顔のママですが、高層集合住宅にある自宅玄関ドアを開けて、家に入ったとたんに、ママは、別人に変わるのです。ママは二重人格です。たしか、映画化された作品では、お子さんが女児だったと思いますが、公園から自宅に帰ったあと、ママによる幼児に対する虐待が始まるのです。怖いお話でした。表向き、異様に明るいママは、変です。気持ちがのらなければ、外でも不機嫌でいいと思います。つくり笑顔が怖い。
 
 じょーじは、ばりうむを飲んで検査を受けます。自分も何度か受けた人間ドックで飲みました。バリウムの量はけっこう多かった。胃潰瘍とピロリ菌が見つかって治療をしたことがあります。

 じょーじの胃袋に、はめえのこま(パズルのひとかけら)が見つかりました。
 どうやって出すのだろう。排便、あるいは、手術だろうか。
 手術だそうです。腹切りか。

 絵は手術室です。
 自分も何度か入ったことがあります。
 その時のことは、あまり思い出したくありません。

 手術は無事に終了しました。
 
 あとは、リラックスしてお遊びです。

 今は、見かけなくなったレコードプレーヤーの絵が出てきました。
 そういえば、北京パラリンピック閉会式で、ショーの素材が、レコードプレーヤーでした。
 絵本にあるのは、ぶ厚いブラウン管テレビです。
 絵がけっこう細かい。
 文章も細かい。
 だけど、苦にはなりません。
 
 車いすは、今風の物ではなく、ベッドのような箱に大きな車輪と小さな車輪が付いています。
 ありがちです。車いす遊びです。
 じょーじは、車いすを遊び道具にして動き回り始めました。
 車いすで遊ぶのはやめましょう。
 車いすは、病気や障害の人が使う補装具です。
 
 じょーじが、車いすであそんで、周囲をめちゃくちゃにしたのに、まわりの人たちが、元気がいいねみたいな雰囲気で大笑いしています。自分には理解できない感覚です。外国の人はこういうシーンが楽しいのだろうか。それとも自分が、クソまじめなのか。わかりません。
 時代の違いもあるのでしょう。アメリカ合衆国の1960年代当時の考え方、感じ方があるのでしょう。今の時代には合いません。
 
 パズルのピースが素材になって、結末を迎えます。
 妥当な終わり方ではありますが、途中経過の印象の悪さから、強引な結末だなと、好感をもてませんでした。
 前回読んだ『ひとまねこざる』よりは、ワンランク落ちる内容の作品でした。  

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2022年03月17日

湯を沸かすほどの熱い愛 邦画

湯を沸かすほどの熱い愛 邦画 2016年 動画配信サービス

 不満はいっぱいありますが、いい映画でした。杉咲花さん演じる主人公の娘である『安澄(あずみ)』さんには、がんばった。よくやったと声援を送ります。
 宮沢りえさんの演技がさわやかです。
 家族とは何か。家族とは、お互いに助け合うものというメッセージが伝わってきました。

 話は、宮沢りえさんを中心においた芝居で進行していきます。
 女性向けの映画でもあります。
 母親と中学生の娘、小学生の娘という固まりで、あれやこれやを表現します。

 ステージ4の癌で、余命二か月という短命な時期をすごされた女性のお話です。
 自分の人生で出会った先輩、同僚、上司、親族など、癌で無念の思いを抱いて人生の途中で亡くなっていった方たちの顔が浮かびます。早ければ二十代、遅くて五十代で、亡くなっていかれました。
 自分が五十代になったとき、これからは、いつ、自分も癌の宣告を受けてもおかしくない年齢になったと思いました。今は、暴飲暴食を謹んで、飲酒も控えて、静かに暮らす六十代を送っています。

 映画では、夫が1年前に失踪しています。
 妻と中学生の娘のふたり暮らしです。
 妻が余命二か月の癌宣告を受けたら、なんとしても夫を探さねばなりません。
 映画の演者も映画を観ているほうも、この世に天国があると思わないと、心が折れそうです。
 
 こどもが、いじめが原因で学校に行かないと、親は困ります。
 映画では、中学生の娘が学校で女子グループにいじめられています。
 娘の言葉として『(自分は)最下層の人間』
 人間に上下はありません。

 「旅行に行こう!」
 そうさ、おいしいものを食べて、遊んで、ぱーっとやるんだ!
 親子とか男女のスキンシップは大事です。

 伏線が「富士山」です。

 銭湯でのお葬式は二十代の頃に見たことがあります。
 もう今どきは、そういうことはやらないのでしょう。
 葬祭場で、家族葬なのでしょう。
 あの、昭和の時代は、もう終わったんだなあという感想をもちました。

 ここに書こうか、書くまいか、迷いましたが、つくり手の人へのメッセージとして、不満を並べてみることにします。
・家族で食べるごはんのおかずの数が少ない。
・ごはんの用意をみんなでしないのがおかしい。いっけん、主婦である宮沢りえさんだけがごはんの用意をしているかのように見えますが、実は、だれも用意をしていないように見えます。(スタッフがセットしたとわかります。スタッフがテーブル上のすべてをセットして、俳優陣が淡々と演技をしている映像に見えます。機械的なのです)
・しゃぶしゃぶ鍋のスープの温度が低そうに見えます。簡易コンロの火力に力がありません。
・見ていて、また、中学校でのいじめの映像かと嫌悪感をもちました。いじめの映像はつくりやすい。見ていて不快になります。ステージ4の癌で余命二か月の母親は、自分の死後のこと(いじめられている娘)が心配で、安心して天国へ旅立てません。見ていて、学校なんてなければいいのになとさえ思います。頭のおかしい女子がいっぱいいます。(いじめることで快感を得る女子たち。人の不幸がうれしいようです)どうして、加害者は責任を問われないのだろうか。おとなは、事なかれ主義の職員ばかりです。偉い人たちはみんなグルです。自分たちの利益を守ろうとする悪党団です。毎月決まった日に決まった給料がもらえれば、よそのこどもがどうなろうが、かまわないと思っているのでしょう。ちょっと腹が立ちました。
・宮沢りえさんのファストフード店店員役は、容貌(ようぼう。美人女優さんという立ち位置)からいって、似合わなかった。
・宮沢りえさんとオダギリジョーさんが、銭湯の経営者夫婦というのは似合わない。
・禁煙社会がこれだけ浸透しているというのに、日本映画では、タバコを吸う喫煙シーンが何度も出てきます。(スポンサーとか、映画製作助成金をもらうにあたって、どうしても喫煙シーンを入れなければならないとなっているのではないかと勘繰ります)映画を観ている人の健やかな(すこやかな)生活を願ってほしい。
・余命二か月の人は、車の運転はしないと思う。
・ちゃんとした親は、自分のこどもに『いつか(生活が安定したら施設に)迎えに来るからね』とは言わない。こどものほうから親を捨てた方がいい。もう来なくていいよって。

 この世ではありえないような『夢をみている状態の映画』という感想をもちました。